20150301 インマヌエル教会聖日1部


神様の試み
(士3:1-6)


序論
▶これまで立派な先輩方がたくさんいらっしゃいました。その中で一番伝道運動をよくされた方がいらっしゃるとしたら、私は湖南地域の方だと思います。その人物がキム・ジュンゴン博士です。なぜキム・ジュンゴン博士を伝道者の代表者として見るのか。韓国の大学を生かした方です。私が思うには、韓国で最も影響力をもたらした伝道者だったと思います。ソノキム博士が何度か私を呼ばれ、こういうお話をされました。その中で時間が経つほどに、心の中にずっと残っている言葉があります。ずっと心に残っています。この方が会うたびに、重要なミッションを一つずつ話されました。約15年前に初めて会った時、このような話をされました。私は柳牧師のメッセージを全部聞いてみました。ずごくすばらしいメッセージだと褒め言葉をいただきました。それとともに、このような話をされました。北朝鮮を福音化する準備をしてください。そのときはまだ「はい」ということでお別れしました。その次にまたお会いしたときに、食事をしながら二人でこのような話を交わしました。世界宣教をしなければならない。しかし、今やっている世界宣教のスタイルでは難しい。どのようにすればよいのだろうか。世界中に散らされている、第3国だと言われているまったく福音が入っていない国が多いです。彼らは月に1万ウォンで生活できるような国です。ひと月1万ウォンあれば後進国の人材を見つけて育てることができます。宣教師一人派遣するのに300万ウォンを後援しているとしたら、そのような国は300万ウォンあれば、エリート300人を育てることができます。彼らを生かすと、何年間以内に弟子を育てることができます。エリートを探してそれをやってほしい。それを英語でコンペンション(compassion)戦略と言います。それをやってほしいと言いました。私は「はい。分かりました」と答えました。また、ある日、呼ばれたのでもう一度伺いました。すると、このような話を言われました。食事をしながら、昔の話をされました。北朝鮮が韓国を攻めてきたとき、全部失われました。また、全羅道の自分の町も北朝鮮からの人たちが来て、自分たちの青年の心を奪ってしまった。そして、胸のところに赤いもので記して、ひとりひとりの信徒たち、教会の人たちを打ち殺すような事件を起こすようになりました。つまり、自分の平和な町が、北朝鮮の人たちによって南側の青年たちも北朝鮮の人たちの言うことを聞いて、自分たちの国中の教会のひとりひとりを殺してしまいました。しかもキム博士の親もそのような青年たちによって殴られて死んでしまいました。自分もその時、子どもでしたが殴られた。青年達が自分を死んだと思い、死体があるところに自分も投げ捨てられた。死ぬことはなかったのですが、親はその中で殺されてしまいました。実際的に、このキム博士はその中で生かされたのです。まるで映画のような話ですが、そのような事件を経験して、このキム・ジュンゴン博士は祈ったようです。これは単純なことではない。これは教育の問題だ。だから、私は今から死ぬ日まで大学福音化をしなければならないと思いました。若い青年たちの心の中に福音ではない別の思想が入ることによって、同じ民族同士が打ち殺し合って国が滅びてしまう。だから、柳牧師も大学福音化をしてほしいと言われました。そして、亡くなる数年前に市内のホテルにあるレストランでお会いしました。その時は、自分の個人的な話をしてくださいました。私も一度、キム・ジュンゴン博士に聞こうと思っていたのですが。ある時に、政治の中でキリスト教党みたいな党が一つあって、そこにキム・ジュンゴン博士の名前が挙がっていました。そのような質問の内容をもって、先生にお会いしましたが、こう言われました。数年前に全南大学の理事長の方が学校の建物から飛び降りて自殺してしまいました。その自殺をした理事長の方が、実はキム・ジュンゴン博士の弟だと言われました。そのような経験があったので、政治に福音が入らなければならないのだと考えていたのでした。それで、自分の年で政治などと思ったけれど、その事件を機に、政治の世界に福音が入らなければならないと思い、政治の福音化に少しでも役立つかと思って、新しい党ができたときに推薦を受けて自分の名前がそこに挙がったということでした。
▶私たちは人生の中で友達にお会いしたり、結婚したり、友人との付き合いがあったり、食事もしたり、いろいろなことがあると思います。誰もが持っている小さな幸せです。ところがある日、予期していない問題が生活の中に出てきます。私はそのような波乱万丈な人生を生きたキム・ジュンゴン牧師を見ながら、感じたことが一つあります。そのように途方もないことがたくさんあったのに、まるで小説の話をするように話されていました。それとともに、時代的答えを受けていた内容を私に話してくださったのです。自分の両親が青年たちに殺される姿を見て、自分は大学の福音化をビジョンとして握りました。その後、大統領を訪ねて話をしたそうです。すべての軍人がイエス様を信じなければならないと言えばおかしいと思われるから、すべての軍人が宗教を持ってこそ正しい精神訓練ができると話し、精神的トレーニングができるようにお願いをしたそうです。その後、ずっと生涯をかけて大学福音化を叫んできました。私はその時感じました。人生はご飯だけ食べて生きているかのように見えますが、良そうもできない問題が来るのだな。しかし、問題に対する答えを持っているならば、私たちは生かすことができる。乗り越えることができる。乗り越えるだけでなく、人を生かすことができるのだということを学ぶようになりました。
▶今日、本文を読みましたが、どんな内容が記録されてあるのでしょうか。主は言われました。イスラエルを試みるために主が残しておかれた国民を次の通りにしておいたということです。一体、なぜこんなことをイスラエルは体験してしまったのでしょうか。すごく重要なことが、今日、記されています。その理由について、今日の本文に出てきています。どんな理由でしょうか。

1.士師3:1、戦争を知らない世代が起きた
▶なぜ全能なる神が試みを与えようとしたのでしょうか。それは今までカナンの中で戦いを少しも知らないで生きている次の世代がいるから、彼らにその内容を知らせるために試みるということでした。つまり、具体的には出エジプトの祝福を次の世代が忘れてしまった。出エジプトの根本を逃してしまった。救いの奥義を逃してしまったということです。これを回復して行こうという意味でした。今日、皆さんの人生の重要な日になっていただきたいと思います。神の試みは何か。出エジプトを通して、神は私に根本的に与えようとしている祝福は何か。私たちの人生にあってどれだけ長生きするかが問題ではなく、どんな祝福を受けるかが問題ではありません。
1)なぜ根本的な祝福を失ったのか、奴隷になってしまった理由を知らずに生きていてはいけません。イスラエル民族は出エジプトをしました。それなのに奴隷になってしまったのです。私たちが目に見えない悪魔の奴隷になっているならば、何もすることができません。今、豊かに生きている肉体の状態に何の意味があるのでしょうか。災いが臨みます。
2)奴隷からいつ解放されるのでしょうか。それは羊の血を塗ったその時から解放されていたということです。ところが、次の世代はこれをまったく知らずにいたのです。それを知らせるためでした。未信者ならば分かりますが、未信者ではないのにこの奥義を知らずに生きているのであればどうでしょうか。それは実際的には大変な状況に置かれていることです。もしかして皆さんに問題があるでしょうか。心配する必要はありません。クリスチャンは大胆でなければいけません。ある意味、皆さんが病気になったら、もういいということで、これ以上、私は構わない、契約を握る、死んでも構わないというように契約を握ってください。そこで働きが起きます。
▶私は、牧師や教役者はプライドが必要だと思っています。福音のプライド。ある方は匿名でお話をしますが、私にこんなお話をしてきました。柳牧師、今、このタラッパンにものすごいお金持ちが一人入って来た。韓国の中でもトップ3に入るくらい税金を納める人です。だから、一度だけでもその人に会ってほしい。その方は、今回恵みを受けて合宿も受けたので、柳牧師が一度だけ会ってくれれば、この人がものすごく献金もできる人である。その方ひとりによってRUTCがすぐに建てられるかもしれない。私は「そうですか。分かりました」としましたが、今まで私はその人に会っていません。呼んだこともありません。なぜなら、その人が救われなければなりません。そうだと思いませんか。その人は、出エジプトをしなければなりません。私は時間がなくて、私に会いたがっているレムナントにも会えないのに、私がその人に会えば、その人にお金があるので会いに行くということではないでしょうか。私と会うことによって、その人が救われるのでしょうか。それは伝道者の福音プライドに許されないことだと思います。相手に聖霊働いて、神様によって救われるならば、それはそれでよしであって、私が行くか行かないかで救いが左右されるようなことであれば行かない方がよいと思います。本人が恵まれて、神の御前で受け入れ救われればよいことだと言いました。なぜなら、私たち伝道者はプライドがなければなりません。たとえ私が飢え死になって死ななければならないとしても、きれいに死ぬべきだと思っています。なぜなら、私は福音を持っているからです。福音があるのに、いまだに飢え死になるなどありえません。私は飢え死になると思っていたのに、自分は胃が小さいことが申し訳ないことであって、たくさん食べすぎて困難な状態です。
▶私がその方にお会いしていない理由は、本当の恵みを受けて欲しいからです。その人にとっては、最後のチャンスです。そのような人が教会に来たからといって、前に立たせて証しをさせたりとか、そんなことをしないでください。その人は実際に本当の恵みを受けなければいけません。神様はこのように次世代のための試みを今考えています。人を残してまで、また戦争を起こしてまで彼らにこれを見せようと、教えようとしています。奴隷から、悪魔からいつ解放されたのかということです。
3)そして、もう一つ重要なのは、モーセに与えられた契約は何か。それを回復すべき理由があったのです。モーセは偉大な人でした。人間のすべての地球上の問題は、創世記3章、6章、11章から現れたということを記録した人です。すごいでしょう、創世記3章、6章、11章の内容をすべてモーセが記録したのです。
4)それだけではなく、神はなぜアロンの干からびた杖に芽が出るようにしたのでしょうか。これは礼拝者の祝福です。神様はアロンが立派だからそんなことをしたわけではありません。神は礼拝を導く者、礼拝の重要性を知る者、アロンだけにその奇跡を見せたのです。神様のみことばに本当に恵みを受けて、それを伝えていくものであったのです。皆さんが今日、この契約を握るならば礼拝中に神の御働きが起きます。もしも今、この礼拝中に大きな奇跡が起きないとしても大丈夫です。その中心を持って礼拝に行き仕えていくとき、主が導いてくださるでしょう。
5)そんな中で今日、イテロ長老は地球上に一度だけしかない祝福を受けました。そして、誰ですか。ヨシュアとカレブです。彼らはこの大きな祝福を味わっていました。これらを回復しなければならないということです。この回復が根本だということです。今日、皆さんがこの祝福を回復してください。

2.士師3:4-5,モーセを通して下さったみことばを忘れてしまっている
▶なぜ神様が苦しみを与えているように見えるでしょうか。この根本を回復させるためです。二つ目に、何が記録されているでしょうか。3:4-5です。モーセを通して与えられた命令を彼らは忘れてしまっているということです。これは荒野の道のりで40年間、彼らに与え導かれたその内容を回復すべき理由があるということです。皆さん、忘れやすい部分があります。
1)三大祭り。
2)幕屋。
3)契約の箱。これらを荒野で与えられました。それを皆、忘れてしまいました。
▶三つの祭り。ある人は、なぜ神様を信じなければならないのか、理由を分からない人がいます。もちろん、それは理解します。私も昔そうだったからです。でも、神様を信じる理由がわからなければ、必ずぶつかってくる問題があります。それは自分が生きる理由が分からなくなります。すると、実際には豚と同じです。むしろ豚の方が少し幸せかもしれません。たくさん食べられるからです。犬はもっと幸せかもしれません。なぜなら最近は、足の靴もあり、犬のガムもあり、最近は、快適な服もあります。私の娘は犬二匹を飼っていますが、スーツを着せていました。神を信じる理由が分からなければ、人間はどうなるでしょうか。動物と同じです。食べて寝て出して...。幸せをあちらこちらで見つけようと言ったり来たりしますが、それが幸せかと思って向かっても、残っているのは災いだけだったりします。あの人は本当にいい人そうで、あの人の言うことを聞いたり、一緒につるんでみますと、結局は、それがのろいの出会いだったりします。結局、神を信じないからです。そして、神はいないと共産主義はどうなったでしょうか。皆、滅びました。三大祭の内、過越し祭りは救いです。神が私を救われたということです。そして、世の中を生きている間、五旬節の力で生きなければなりません。神様が私たちを導いてくださる。そして、私たちは何のパワーを持っているでしょうか。天の背景です。あの御国の天国の背景です。それが収穫祭の祝福です。そして、礼拝の祝福は、幕屋を通して受けていかなければなりません。幕屋のキー(key)ポイントは、その中に納めておいて契約の箱です。契約の箱の中には何が入っているのか。永遠に変わらない神のみことばが入っています。そして、いのちの救い、私たちを救われた命のマナ、アロンの杖が入っています。この内容を伝えていく。これをまったく知らない世代が生まれてしまった。その世代にこれを知らせるということ、それが神の試みでした。
▶皆さんが、に日曜日だから教会に行って、賛美をささげる。それが礼拝だと思い込んではいけません。もしそれだけが教会ならば、私は教会に通いません。昔、一度教会をやめたことがあって、その時、私は本当に滅びていました。皆さん、どうであろうと教会は通ってください。そして、ある日、私は発見しました。私が教会に行くこと、神に仕えなければならない理由が分かりました。お坊さんに会っても確実に話すことができます。あなたがなぜ救われなければならないのかと話すことができます。秘書たちと車に乗って行くときに、秘書に電話がかかってきました。しきりに柳牧師先生と通話をしたいというので変わりました。私にいろいろな質問をしてくれました。その質問が終わった後に、職業は何かと尋ねると、その方は申し訳ありませんが、韓国のとても有名なお寺、海印寺の○○担当の僧侶だということでした。びっくりしました。それくらいのレベルの方なら、私も水準のある答え方をすればよかったのですが、私は次に一度必ずお会いしましょうと言いました。私のことをどうやって知りましたかと聞くと、テープを聞いたということでした。テープを聞いて放送を聞いています。なぜなら、皆、霊的に答えがないからです。ひそかに聞いています。教会に通うだけで答えは出てくるでしょうか。神を知らない、この答えがなければ、いつまでもさまよってしまいます。答えのない状態で奉仕をする、伝道をする、宣教をすると、余計にこんがらがってしまいます。そうだと思いませんか。わざと試みに遭わせている理由をはっきりと皆さんが見つけなければなりません。悟らせるためでした。回復させるためでした。

3.この祝福を次世代にいのちをかけて伝達しなさい
▶また、もう一つの理由があります。なぜ試みに遭わせたのか。この祝福を次世代に命をかけて伝えてほしいという話です。イスラエルはすぐさま問題にぶつかります。出エジプトの戦いをまったく知らない次の世代が生まれてきてしまった。モーセから与えられた神のみことばを完全に忘れてしまう世代が生まれてしまった。
▶あるレムナントが私に質問しました。「牧師先生、当代、つまりこの年代に世界福音化をするという発言をすると滅びるということですが、それはどういう意味ですか」。このような質問が来ました。私は答えました。この当代、自分が生きている代に世界福音化をするという発言をするから滅びるのではなく、次の世代に福音を伝えない限り滅びてしまうということを言ったのです。だから、次の世代に命をかけて福音を伝えてほしい。
1)だから、偵察人を送りました。なぜ偵察人を送ったのか。現場に見せるためでした。現場のその内容を見せるためでした。次の世代はこの世の中が、どれくらい福音がなくて霊的問題に置かれているのか、それを見なければならないのです。だから、偵察人を送って見させました。この信仰がなければ、まるで葦のように風の吹くままに揺れて左右されてしまいます。私たちは死にません。この魂は死にません。死んだ後に、霊が地獄か天国かに行くだけです。肉は土に帰るだけで死なない存在です。死にません。ですから、そのような苦しみに神様は人間を置かせたくありません。だから、偵察人を送りました。このカナンに入る前に送りました。
2)それだけではなく、どんな祝福を与えたでしょうか。次の世代に福音を与えるためには、今までの契約を寝ているときも、座っているときも、道を歩くときも、この手首に結び、額に付け、壁にも貼って見せなさい。門柱にも貼りなさい。それはどういう意味でしょうか。この契約を次の世代に刻印させなさいということです。これが次の世代を生かす道だということでした。
3)そして、ヨシュアにも言われました。「カナンの地に入りなさい。これを全部あなたに与える」とは言いませんでした。「すでに与えた」と言われました。もう入る前から与えたということです。入る前に、すでにヨシュアに言いました。すでに与えたと。そして、おののいてはならないと言いました。大胆でありなさい。そして、みことばを握って左にも右にも揺れてはならないと言われました。
▶私は2015年に入りまして、いくつかの事件を見て、大きな答えを受けました。会う人ごとに指示しました。全国、世界の重要な働き人を集めて伝道が何かを直接、私が説明しようと思いました。伝道と宣教については本当に間違って理解している。これは全部、私の責任だと思いました。本当に伝道について間違って理解していると思いました。私は重要な弟子は皆集めなさいと指示しました。現場にも集め伝道について直接、説明しなければならないという大きな答えを受けました。

結論
▶今日の祝福は、出エジプトの契約、荒野の契約、次世代への契約です。それを解釈すると、今来ている問題をどのように私たちは乗り越えることができるのか、それは簡単だということです。整理しますと、皆さんは救われた神様の子どもです。私はこの契約は分かりました。けれども方法がわかりませんでした。握ったけれどもどう味わったらよいか方法が分からない。
1)だから、私は一人で朝の時間にみことばを握って深い祈りに入りました。みことばを握って祈った。それだけで結構です。すごく重要だと思います。私の姿勢は、本当に物心低く、謙遜に。皆さん、私は成功したと力んではいけません。真実な姿、謙虚に、良心に戻って、そして、みことばだけを握って黙想に入るのです。それを立て続けにずっとやりましたら、不思議なことが起こりました。どんなことが起きたかと言いますと、私自身は本当に生い立ちにバックグランドというものがありませんでした。何も持っていない。その時、教役者生活をしている小さな伝道師で日曜学校を担当していたお金もない、何もない者でした。そんな中で静かにみことばを黙想しながら、一つの悟りをえました。どんな悟りか。私が今、日曜学校を担当している教役者なら、日曜学校に来ているすべての子どもたちに一人も欠かさずこの福音を伝えるべきではないのか。そして、中高等部を担当したときには、釜山市内にある中学校、高校は全部、回るべきでないのか。私は執事でもなく伝道師だから行きました。唯一性の答えが来ました。これは本当によく聞いてください。少しだけみことばを握って黙想したら、唯一性の答えを見つけることができたのです。ヨセフは奴隷になりましたが、彼は唯一性の答えを受けたのです。その答えがあるからこそ、次のステップを踏むことができたのです。背景があって、力のある方はどうやっているか分かりませんが、私は何もない者でしたから契約を握って黙想に入りました。一番低いところ、0からスタートしたのです。大学生はたくさんの専攻科目があると思いますが、その中で唯一性を見つけてください。唯一性を見つけることは全く難しくありません。他の人が逃していることを見てください。立派な人たちが逃している部分を探してみてください。嘘をついている詐欺師たちが逃していることを見つけてやってみてください。私はヨンドの教会に行きました。行って見ると、教会は12坪です。本当に小さな教会でした。でも、関係ありません。その教会はともかく私は謙虚に唯一性を見つけました。そして、教会の建物は12坪でしたが、ヨンド全地域にみことば運動を300ヵ所に開きました。なんと唯一の答えでしょうか。皆、そうしてくださいということではなく、私は教役者だったからです。それでどんな御働きが起きたのか。それで御働きが起きて、1部はソウルで礼拝をささげ、2部は釜山。ある時は1部が釜山で、2部がソウルで礼拝をささげました。また飛行機に乗って、今度は核心をしに釜山に行ったりソウルに行ったりしました。それは私にとって唯一性です。今は衛星放送でライブで全世界同時礼拝をささげています。これは私ができる唯一性の答えでした。皆さんも見つけてください。全く難しくありません。自分のポジションだとか名誉だとか一切、関係ありません。探せられます。ある女性の執事さんが来て、「私は牧師になったらどうか」と聞いてきました。私は心の中で「いや、いやどうぞ我慢してください」と思いました。少なくとも牧師の資格になれる人はどんな人か分かりますか。皆が牧師になれると認めているのに、「私はまだです。自分は違います。私のようなものが」と言える人は資格があると思います。他の人はやってはいけないと思っていて、全く客観性もないのに自分でやろうとしている人、それらを指して精神疾患だといえます。だから、私は面と向かって言えないから、その人に遠回しに「伝道だけやるのはどうですか」と言いました。すると、うちの教会から出て、1週間くらいで按手を貰えるところに行って按手を貰い、牧師をやっているのですが、本当に笑ってしまうような話です。
▶皆さんが県そんな姿勢で、本当に低い姿勢で神様の御前に頭を下げて祈って行けば、自分の唯一性が見えます。レムナントは分かるでしょうか。皆さんが県そんな姿勢で一日に10分だけ深い黙想をしてみてください。未信者よりも10倍の能力が現れます。唯一性の答えなしで、焦って勉強ばかりしていたら、ある日、転んでしまったら起き上がることができません。私はある日、娘に言いました。唯一性を見つけなさい。機会だ。それを見つけられなければ愚かなものになってしまう。唯一性を見つけられない限り、その前の祈りは祈りではありません。なぜなら福音が唯です。福音がすべてです。ビジネスをするときに、他の人と競争するレベルでやっていたのではいつ負けるか分かりません。競争するレベルではない上回る段階に行かなければいけません。それが唯一性の答えを持ったやるビジネスです。ダビデはそれを貰いました。羊飼いをしているときから受けました。私はいつもお話ししているワナメーカーが受けました。店員さんから入りました。そして、シーバーが清掃員として入って、その答えを受けました。受けられます。なぜなら、私たちは神の子どもであるからです。第一ボタンが唯一性です。この唯一性のボタンがないから、次から次へとはずれていくのです。それは祈りの答えではありません。だから、教会がいくら復興しても、唯一性の答えなしで集まっていますから、それは全く無駄な復興になってしまいます。ですから、うるさい教会になってしまいます。
▶私はその状態なら、昔はフォーラムをやらせませんでした。なぜなら、その状態でフォーラムをやらせても言っていることがでたらめばかり出てくるからです。答えがないときは信徒にこうやって尋ねました。「あなたの問題は何ですか。これが問題ですか。本当にそれがあなたの問題だと思いますか。では、なぜ問題だと思うのですか」。そうすると、答えられません。だから、問題ではないものを問題だと思っているのです。この状態だから人生が何も始まりません。私は伝道師をやっているときに、生活がすごく大変でした。でも、生活が大変だからと言って、本当にそれが問題ですか。問題ではないのです。私はそれに気づく前までは、錯覚を長年にわたってしながら伝道師をしていました。錯覚しているままいくら徹夜の祈りをしても、それは無駄です。神の御前で私が神の子どもであるため、少しだけ時間を持ってください。そうすると、唯一性がはっきり見えます。その時から祈りになっていきます。
2)その後、サミットになります。この状態に乗ったときに、全く違った展開が広がっていきます。サミットになったとき、全く別の世界が見えてきます。このサミットになるまでは、ポジションも名誉も認められるということも一切、関係ありません。もうサミットですから。
3)その時から未来が正しく見えます。それを指して伝道弟子と言います。
▶今回の火曜日に行われた新しい家族のキーワードは、唯一性、サミット、伝道弟子、この3つです。これからは使徒19:9、聖別して行う訓練、そして、ローマ19:20の答え、これらが皆さんがこれから受ける答えだと思っています。重職者が起きて、暗やみの勢力をひざまずく御働きが起きるようになります。
▶皆さんは自分がどれくらい祝福されたのか考えたことがあるでしょうか。そして、どれくらい神様の恵みを受けたか、考えたことがあるでしょうか。それはまだまだ確認されていないと思います。それらが確認された瞬間から変わります。確認された日から、私は変わりました。私は錯覚をしていて、自分の祝福を確認せずにいました。私はその頃、伝道師をやっていて、本当に謝礼が少なかったです。けれども、それが感謝でした。だれが難しいかと言えば、もちろん、私の妻は生活をしていかなければなので大変だったと思います。今、思い出しましたが、当時、牧師夫人は保険をやろうかと思ったこともありました。私は徹夜祈りをしながら、彼女が保険に入会するのをやめさせたりしましたが、教役者がそんなことを気にしてどうするのかということで私は止めました。止めさせても、また他のメンバーが来て別の保険を勧められたりしたのですが、私が本当に止めました。それは分かります。私の妻がどれくらい生活が大変だったのか。でも、私は止めさせました。そのようなものはやってはいけないと。私たちは教役者だから。伝道者だから。契約を握って行くと、神様が私たちを導いて行く。神様は私たちにローマ16:20も答えを与えてくださる。
▶伝道は、私たち人間の野望を満たすものではありません。福音運動は、自分の人生の目標を達成する道具ではありません。福音運動は、成功のための道具ではありません。当然ながら神の計画表の中で謙虚に仕えていくことです。私たちが持っているとても良いものを紹介するだけです。これが本当の答えだから、人々に伝えるだけです。
▶今日、蔚山と全国、世界にこの契約の答えが始まることをイエスの御名でお祈りします


(祈り)
神様、まことの答えが私たちに与えられますように。そして、私たちひとりひとりがまことのサミットになりますように。神様が本当に望まれる弟子になりますように。イエス•キリストの御名によってお祈りします。アーメン。