20150329 インマヌエル教会聖日1部


ヨナタンとダビデ
(Ⅰサム20:17-23)


序論
▶今日は洗礼を受けられる方々がたくさんいらっしゃいます。また、もしかしたら私はとても難しい問題に直面しているという方もいらっしゃると思います。また、私たちは、予想していなかった問題にぶつかるというときもあると思います。そんなときはどうすればよいのでしょうか。実際に、ダビデはペリシテが攻めてくるというとても苦しい時代に生きていました。しかし、それよりも大きな問題は、内部から来る問題でした。しかも家庭の問題であったのです。非常に難しい問題であったと思います。サウル王から危険な目に遭わされながら、本当に大変な人生でした。私たちは困難もたくさんあるだろうと思いますが、一番、難しい問題は、このような紛争、争いだと思います。今日、ダビデはこれをどのように勝利したかを見ていきたいと思います。今もまったく同じだと思います。
▶ダビデは、3つの大きな恵みに預かっていました。

1.悪い者はサタンに捕われたかわいそうな人であることを分かった-おそれてはならない。だまされてはならない。
▶一つ目の恵みとは何なのか。悪いものがどんなにもがいたりしたとしても、サタンに捕われているということを知っていました。サウル王がダビデを殺そうとしましたが、聖書はこのように記録しています。悪霊がサウル王の中に入ったと言われています。聖書は明らかにそのように記録しています。医者が発見することができない部分です。聖書のみに記録されています。サウル王が悪霊にとりつかれてしまったために、このようにおかしいことをしてしまった。ですから、恐れる必要がありません。この部分をダビデは知っていたのです。最初からダビデは知っていました。そうだと思います。王宮に入って、ダビデが賛美をしたときに、サウル王についていた悪霊が離れたということがありました。だから、すぐに良くなっては、また昔に戻ってしまうのを見て、実はダビデはよくサウル王の状態を知っていたのです。つまり、それは自分が恐れを感じるような対象ではないと知っていました。そこで皆さんもどんな苦しみがあってもだまされないでください。間違いなく目に見えない苦しみは、絶対に神様がすべてを掌握していますから恐れる必要はありません。例えば、「私は神様を信じていません」という方がいらっしゃるかもしれません。そう言う人の生まれる日と死ぬ日を神様が握っています。
▶そして、サウル王はまたいつ悪霊に捕らわれたのか。ダビデが勝利したときに、ダビデは万でサウルは千だと言われたときに、また嫉妬感に捕らわれてしまって悪霊にとりつかれてしまいました。実は嫉妬したりという部分は、本当に苦しいし難しい部分だと思います。実際に、問題があって法律的に解決することもできると思いますが、嫉妬感に捕らわれていたというのは解決道がありません。実際に、韓国のすべての人には、生活の上で、法律を守っていくならば問題はありませんが、嫉妬というのは法と関係なく恐ろしいものであります。つまり、これはどういうことか。霊的存在、この暗やみの存在は、法律とは関わりなく私たちを苦しめるということです。でも、ダビデはよく知っていました。だから、ダビデはこのような霊的状態を知っていたために、王になる前も、なった後も、恐れるものがありませんでした。サウル王のように、瞬間的には勝利を治めているように見えるかもしれませんが、結局は滅亡します。結局、サウル王は自殺しました。悪質だったあのヒトラーも自殺しました。自殺は誰でもすることではありません。誰がやりますか。私は本当に希望に満ちている。息子は就職し、娘は結婚し、おしまいだから、じゃあ自殺しようというわけではありません。そのような人は誰もいません。いつ自殺するのでしょうか。網希望がない。絶望だというときに自殺します。あれほどダビデを殺そうとしていたサウル王は自殺します。
▶あれだけイエスを信じる人を捕えては、本当に苦しめていたヒトラーも自殺しました。サタンは黙っていません。あれだけクリスチャンを殺していたネロ王も自殺しました。簡単に言えば、人々は現実問題でこの悪霊の存在をわかっていないために、恐れたり喧嘩をしたりしますが、そうする必要はありません。アハブ王もそうでした。でも、エリヤはアハブ王を恐れていませんでした。堂々とカルメル山で戦いを申し込みました。しかも、原則的に、謙虚に戦いを申しこみました。そのような戦いとは霊的戦いを指しています。問題の前で皆さん、霊的に戦ってください。
▶初代教会は、ユダヤ人を恐れませんでした。ユダヤ人が巨大なパワーを持って大きな教会のように見えましたが、しかし、彼らは完全にサタンに捕えられていました。マルティン•ルターは中世教会を恐れませんでした。なぜなら、福音を知らなかったからです。創世記3章の事件について、中世教会はわかりませんでした。創世記3章の事件が自分と自分の家系とどんな関係があるのかということを、中世教会は知らなかったのです。ですから、滅びるしかありませんでした。ノアの洪水は、昔の話だがそれが何か、ネフィリムの時代のことだとか、聖書になぜそんなことが書いてあるのか分からないという状態だったのです。バベル塔を建てて、それが崩れてしまった。どんな関わりがあることなのか、彼らは一切わかりませんでした。あの偉大な王であったパロのところに行き、モーセが何と言いました。主は私たちの民を連れ出して羊の血のいけにえをささげなさいと言われた。その言葉についてパロはわかりませんでした。「羊の血のいけにえをささげるとは、一体どういうことなのか」。「それは神様に対するささげものです」。「それなら、ここでやればいいじゃないか」。エジプトでやりなさいとパロは言いました。「いや、そうではありません。民を連れ出して祭壇を築き、羊の血をささげなければなりません」。すると、パロ王は言いました。「彼らはまだお腹がいっぱいなのだ。まだまだ余裕がある。もっと苦しめなさい」ということでした。しかし、血のいけにえを塗った瞬間、解放されました。しかし、その言葉を分からなかったパロ王の長子とすべてのエジプトの長子が殺されるようになってしまいました。羊の血、つまり、すべての十字架の血潮によって私たちがあがなわれるということをパロは知りませんでした。皆さん、序論的にだまされないことです。絶対に、海外でも信仰生活は大変だと思いますが、だまされてはいけません。だまされてしまってはどうなるでしょうか。私のケースの場合、昔、どうだったかと言いますと、子どもの時、家にたくさんのネズミがいました。年配の方は理解できると思います。正月になって餅や正月の料理をしておきますと、一晩中、ネズミが来て食べてしまいます。このようなエピソードもあります。冬休みに、自分の家のネズミのしっぽを10個持ってくるという宿題があるくらいでした。今では理解できないでしょう。それくらいネズミがいっぱいいたという時代でした。そういう人生を生きたわけですから、ホテルとかに泊まっても、私の隣がうるさいとしてもまったく気になりません。子どもの時のそういう経験がありますから。とにかく、それくらいネズミがいっぱいいました。でも、猫を一匹飼っておきますと、ネズミがいなくなります。だから、家にたくさん猫を飼いました。私たちはよく震えたり恐れたりしますと、猫の前のネズミのようだという言葉もあります。しかし、実際に私が生きていくうちに、猫の前のネズミ状態はこういう状態なのかということを直接、見たことがあります。ネズミが行ったり来たりしているときに、屋根の上から猫が一匹、飛び降りてきました。猫がネズミを捕まえて食べようとしたのですが、ネズミがビビりました。ドキッとしました。ネズミはその瞬間、凍ってしまいました。頭が回りません。すぐ横に自分が隠れる穴があるわけです。ネズミの穴はどれだけ小さいでしょうか。本当に小さいです。そこに猫は入れません。でも、ネズミは入れる。けれども、ネズミは猫を見た瞬間、凍ってしまって身動きができません。まだ猫は自分に何もしていないのに、見た瞬間、凍ってしまった。それで猫がその目済みを見た瞬間、まったく急ぎません。ゆっくりとゆっくりとネズミに近づいて行きます。そおっと自分の腕で触れただけです。まだ食ったわけではありません。その瞬間はすごいスローモーションなので、早くネズミが逃げて行けばよいのですが、もう凍っているわけですから逃げられないのです。猫が一回腕でぽんとやった瞬間、横にコロッと転がってしまいました。私はその珍しい光景を直接見ました。死んでいないのです。ただ固まっているだけです。その固まっているときに、猫は一気に食い尽くすわけです。目の前に穴があっても逃げられないのだろうかと思いました。
▶なぜこのようなお話をするかと言いますと、皆さんは神様の子どもなのに恐れたりだまされたりしますと、自分自身がおかしくなってしまいます。まるでネズミのように。だから、ペリシテが恐ろしく見えて、荒野が恐ろしく見えました。だから、おかしいことをしてしまうわけです。皆さん、だまされてはいけません。神は言われます。私はあなたがたと世の終わりまで、いつもともにいる。目に見えるものは偶像です。神様ではありません。だから、神は言われます。御霊、聖霊をもってともにいると。ダビデはサウル王に対してそれを知っていたのです。ダビデは、サウル王を初めその光景を、悪霊に捕らわれた本当にかわいそうな人たちであると見ていたのです。

2.まことの福音を持った者に会えば神様の答えが成される。
▶では、ダビデが味わった二つ目の恵みは。神様の力を信じていたダビデですが、神様の答えを味わった人との出会いを通して、神の御働きが成し遂げられていきます。人間の中にも、たくさん悪い人たちがいるのではなく、福音を持っている重要なメンバーがいます。
▶その中で、ダビデは出会いの祝福を受けていました。重要な人3人にと出会いました。誰ですか。
1)サムエルと出会いました。皆さんのために祈る指導者、教役者、親が重要です。
2)ダビデが二番目に誰に会ったのか。祈りの父親であったエッサイに出会います。皆さんが今祈ると、皆さんの子どもに答えが与えられます。ですから、神の力を信じなさい。そして、さらに重要なことは何ですか。実際的な答えが来たということです。
3)ヨナタンと出会いました。本当にすばらしいことです。ヨナタンはサウル王の息子です。それなのに、なぜこんなことになったのでしょうか。サウル王は、ヨナタンにいつも言います。これからダビデが王になる。だから、ダビデを殺さなければならない。そうすると、ヨナタンは王子だから、当然のように「分かりました。殺しましょう」とならなければなりません。韓国の歴史を見てみてください。ダビデはこれから王になる。だから、あなたがいくら王子であっても王にはなれない。だから、ダビデを殺さなければならない。そうすると、ヨナタンもなるほどと思って、一緒に殺すはずだったのですが、でもヨナタンは違いました。ゴリアテとの戦いで勝利を治めたダビデに対し、たくさんの女性がサウルは千、ダビデは万と歌っていました。その状態をサウルは嫉妬しました。その嫉妬した瞬間、悪霊が入ったのです。男性は女性の前で侮辱されることを嫌います。だから、サウルもおかしくなりました。それで女性の方たちにお願いしたいのですが、結婚したら自分の旦那さんのプライドを傷つけることをしてはいけません。一番、男の人が嫌いな部分です。例えば、先輩や後輩、とにかく人間関係において、男に対してはプライドを傷つけるような発言はしない方がよいです。すごくそれはよくないと思います。このサウル王はプライドを傷つけられたわけです。なるほど、自分は千で、ダビデは万だったと。だから、一気に嫉妬し、ダビデを殺そうと思ったのです。
▶でも、その時の、王子であるヨナタンはどうだったのか。Ⅰサムエル18:1-4を見ますと、ダビデを命がけで愛したと言われています。これが契約の人です。このような人が皆さんの家系、現場の中に、一人だけいても、本当に生かされます。自分が着ていた上着を脱いでダビデに与えました。実は今、私たちはお金があればいくらでも上着を買って着られますが、昔の上着というのは身分を指します。ヨナタンの行動を見てください。自分が来ていた王子の服を脱いでダビデに与えたということです。そして、自分が持っていた剣、弓、帯まで与えました。自分のよろいなど軍服も全部与えました。それだけではありません。また、サウルが嫉妬して悪霊に捕らわれていましたから、軍人たちを集めてダビデを殺そうとしました。やくざに脅されてもすごく恐ろしいと思うのに軍隊です。そんな時、ヨナタンはどのようにしたでしょうか。ヨナタンはそんなダビデを逃れるように、避けるようにチャンスを与えます。今、父がこういう状態であなたが危険な目に遭っている。だから、私があなたにサインを与えるから、あなたは逃げなさい。Ⅰサムエル18章からずっと読んでいきますと、このような内容が出てきますが、自分がこのようなサインを送るから、あなたは逃げなさいとか、そんなことをヨナタンはダビデにしてあげるのです。なぜでしょうか。まことの福音をヨナタンは持っていたからです。まことの福音を持っている人はこうだと思います。このような人が一人だけいるとしても、世の中は変わると思います。偽りのクリスチャンがいっぱいいるから、人をだましたり詐欺をしたりしますが、実は本当のクリスチャンに会いますと、このように現場が生かされていきます。ある人を見ると、クリスチャンがあまりにもひどいから、だから私はクリスチャンにならないという人もいっぱいいたりします。サウル王のような偽りのクリスチャンが多いです。だまされてはなりません。だまされると、自分自身だけが損するだけです。神様の祝福を逃してしまうわけですから。でも、ヨナタンのような人がいるということです。Ⅰサムエル20章を見ると、いろいろなところにダビデが逃げていくので、そこにヨナタンは訪ねました。私は、あなたのためなら何でもやってあげることができる。神様はあなたを見守ってくださるだろう。あなたはこれから王になりますと言いました。私はあなたに仕えていくと言いました。なんと王子がダビデに対して言った言葉です。すごい人ではないですか。それだけではありませんでした。ダビデはもっと苦しめられます。エン・ゲディの洞窟中に隠れました。Ⅰサムエル23章を見ると、エン・ゲディでヨナタンとダビデは会話をします。神様は決してあなたを見捨てることはないと言いました。ダビデはそのヨナタンの言葉にものすごく力を受けたと聖書は記録しています。あまりにもダビデは苦しんでいたのです。でも、本当にヨナタンが言ったとおりになりました。
▶神様の力は誰も変えることができません。パク・クネ大統領のある行事を行うときに、私は招待され、「大統領に対してメッセージがあるならばお願いします」と言われました。私はこのように伝えました。「絶対に暗やみは光に勝ったことがない。非真理は真理に勝ったことが一度もない。不正が正義に勝ったことがない。すべてのことは一瞬にすぎない。だから、大統領は力を出してくださいと言いました。そうしたら、昨日、大邱に行ったら、誰かがその言葉を作品にして作っておいてありました。ある書道家が、牧師が大統領に伝えたメッセージとしながら書道作品にして展示してありました。どんな場合も、非真理は真理に勝つことはありません。少し時間がかかるかも知れませんが、絶対に暗やみは光に勝ったことはありません。ダビデはこれを知っていました。

3.ダビデは終わりを知っていた
▶ダビデが握った3つ目の恵み。ダビデは終わりを知っていた人です。どんなことが皆さんの目の前に起きたとしても、皆さんの人生を知っているはずです。私たちは神様の子どもであり、終わりはどのように終わるか分かります。結局、サウル王は、戦場で自殺しました。結局、ヨナタンも父に連れられて行ったときに一緒に死にました。ヨナタンが死んだという知らせを聞いて、ダビデは本当に悲しみ号泣しました。そして、サウル王のためにも泣きました。私はその涙を理解できません。そうですよね。サウル王が死んだなら笑うべきなのに。ヨナタンが死んだと聞いたときにはどれだけ涙が出るでしょうか。あの信仰の人ヨナタンが、自分の父親は裏切ったかもしれません。自分がやったことがあるわけです。釜山でいつも私のことを悪く言っていた人がいたのですが、その人が死にました。すると誰かが私にすごく微笑みながらすばらしいお知らせがあるということで、私に話してくれたのですが、その人が死んだということを。「どうして死んだのでしょうか」と言ったら、「とにかく死んだ」ということでした。しかし、私は表情を管理しました。私は振り向いて一人でいるときには顔に若干笑みがこぼれてしまいました。やはり、私も人間ですから、仕方がなかったのですが、でも、ダビデは違いました。ダビデはあの悪質なサウル王が死んだということを聞いて、本当に苦しみながら泣きました。ヨナタンが死んだということを聞いても、彼の葬儀を行いながらも本当に泣きました。それがⅡサムエル2章に出てきます。敵だと言われているサウル王に対しても泣きました。戦場の中にヨナタンの息子がいました。つまり、サウル王には孫です。その孫が戦場で彼を運びながら落としてしまい、足を汚してしまいました。その部分を見ると、聖書はとても重要な部分が記録されています。ダビデ王が死ぬ日までヨナタンの息子、メフィボシェテに対して食卓をともに囲みました。いつもダビデはメフィボシェテとともに食事をしたと記録されています。ダビデは揺れませんでした。ダビデはどんな苦しみがあっても、神のみことばを握っていたので終わりを知っていたのです。神様の子どもとして必ず勝利することを知っていました。
▶皆さんは、家系を生かす人たちです。そして、皆さんが世界福音化、死んでいく人たちを生かす、終わりを知っている者たちです。
2)ダビデによって国が回復されました。契約の箱が回復されました。驚くべきことでは二ですか。そして、神殿が回復されました。これらを見てみてください。すべてが最初から知らされていた契約です。ダビデは知っていたのです。だから、皆さんも同じです。

結論
▶ダビデは、3つの恵みを持っていました。世の人々が悪質な行動をし、人を殺すかのように見えますが、それはすべてサタンに捕われているからだということを知っていました。二つ目に知っていたことは何か。皆さんが契約を握って祈れば、必ずその現場に神の力が臨まれます。三つ目は終わりを知っていたということです。ダビデは最初から言われていました。あなたによって神殿が回復される、王になるということを。だから、絶対に揺れてはいけません。主人公は死にません。私はそれを知っているので映画を見ても、主人公が絶壁から落ちたとしても「絶対にあれは死なない」と思って見ています。皆さんは霊的現場を生かす主人公です。この祝福を必ず味わっていただきたいと思います。
▶韓国は、神社参拝を強制されたとき、他の牧師たちは怖くて皆、参拝しました。けれども、チュ•ギチョル牧師はしませんでした。最終的には亡くなりました。しかし、その人一人の信仰によって韓国が生かされるようになりました。また、ソン•ヤンウォン牧師のような人。韓国が共産主義に制せられるときがありました。共産主義の人によって、教会に通う人を特に打ち殺し、ソン•ヤンウォン牧師の息子二人も殺されました。皆さんならばどうでしょうか。自分の子どものことを考えてみてください。事故にあって死ぬのと、人に殴られて殺されるのと。しかも、共産主義者たちによって殺されてしまった。共産主義者もどんな共産主義者なのか。北朝鮮の人に直接殺されたのならば、まだ分かりますが、北朝鮮に影響、思想を受けてしまった、一緒に暮らしていた近所の人たちによって打ち殺されてしまったのです。結局、共産主義が負けてしまって、真っ二つに国が分かれてしまったときに、人殺しをした人の場合、どうしたらよいのでしょうか。刑務所に入れなければなりません。でも、自分の息子を殺した人たちを、ソン•ヤンウォン牧師は自分の養子にしました。そして、彼らは悔い改めました。結局、その悔い改めた人たちが韓国教会を生かす者になりました。皆さん一人が犠牲になっているように見えますか。違います。絶対に神の真理はなくなりません。非真理は真理に勝ったことがありません。
▶私は幼い時、教会に通いながら、教会が争う姿をたくさん見て育てられました。新しい家族の皆さん、教会で戦っているのを、喧嘩するのを見たことがありますか。だまされないでください。教会で喧嘩したり、いろいろな争いを見たならば、それは偽りごとですから試みに遭う必要は一切ありません。教会で自分の利益のために喧嘩をするということ、皆偽りの信者だと思ってください。教会は人を生かし、神に栄光をささげ、ただ福音だけを伝える。それが教会です。たとえ自分が犠牲になるようなことになるなら、犠牲になっても構わないです。たとえ自分が人から悪く言われることになるのならば、言われて結構なのです。結局は、人を生かし、教会を生かし、世界中の暗やみの勢力を打ち壊していくことが教会です。ですから、私が試みに遭わないでくださいと直接言う理由は、あまりにもそういうことが多いからです。絶対に試みに遭ってはいけません。私自身も福音がわからなかったので、試みに遭っていました。子どもの時は、幼かったので理解できなかったので試みに遭いました。今ならサタンに捕らわれたと分かるのですが、昔はそんなことが分かりませんでした。サウルがサタンに捕われた。私自身、子どもの時にはまったく霊的なことが分からなかったので試みに遭いました。長老の方たちがなぜ戦うのかわかりませんでした。だから、教会を途中でやめてしまったのです。間違ってしまうと、わたしみたいになってしまいますから、気を付けてください。私は本当にどん底まで行きました。そこで一つ悟ったことは、どんなに喧嘩したり、人が試みに遭うようなことを教会でやっても、教会は病めない方がいいなということを見ました。霊的に本当に死んでいくのです。その後、本当の福音を悟るようになりました。
▶初代教会を参考にしてください。初代教会は大きな3つの奇跡を成し遂げた教会です。皆、彼らを殺そうとしましたが、死にませんでした。これが初代教会の奇跡です。皆さんがそのようになると思います。初代教会はどうなりましたか。当時、異端の濡れ衣を着せられた状態でマルコの屋上の間に集まっていましたが、見つかったら殺されます。でも彼らはそんなことは関係ないと思っていました。というこことは皆さんがそうです。苦しいことがあっても、人に何と言われても、どんなことがあっても関係ありません。皆さんは、神様の子どもですから、そんな問題とは関わりがないと思ってください。特に確信を持ってください。だから、彼らは五旬節の日になってという答えを受けました。皆さんもその答えを受けてください。だまされないでください。初代教会が世界福音化をしていく中で、どんなことが起きましたか。使徒11:19、ステパノの迫害によって散らされた教会。つまり、どんなことでしょうか。ステパノの迫害、死に至ることがあっても関わりなく勝利したということで、なおさら世界を生かす教会となりました。皆さんもそうです。ましてや自分が持っていること全部を奪われても構わない。世界を生かすのだと思ってください。神様がそれを奪ったわけではなく、なおさら倍の祝福を与えます。では、立場を変えて考えてみてください。この横にいる人が詐欺師のようだ。この人はちょっと良い人のように見える。反対に考えてください。例えば、この牧師が詐欺師のようだ。彼女はよい人のように見える。すると、私が持っている本当に貴重なこのお金を誰に任せようかと。そうしたら、詐欺師のような人に任せません。この善良そうな人に任せるわけです。どういう意味か分かりますか。私は死んでも構わない。私はいのちをかけてもかまいません。財産全部をささげても構わない。そんな人に神は答えると思います。そうだと思いませんか。だから、何も心配することはありません。
▶今日、ダビデの勝利がまさに皆さんの勝利になるように、イエス様の御名で祈りたいと思います。


神様、感謝します。今日、私たちに本当に大きな祝福を与えられたことを感謝します。今日、洗礼を受けられるすべての方々に、神様の祝福が臨まれますように。本当におののくことなく大胆にだまされない信仰を与えてください。そして、まことの答えを得る証人となりますように。今日、アメリカをはじめ、全世界の多くの使命者たちに同じ恵みが与えられますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。