20150503 インマヌエル教会聖日1部


オバデヤ
(Ⅰ列18:7-15)


序論
▶かなり昔の話になりますが、私たちの教会に病気のレムナントが一人いました。おそらく血液に関連する癌にかかっていたと思いますが、一緒に集まって祈ったりしていました。子どもだったのですが治療するために、いろいろと調べたところ血が足りないということでした。元イエウォン教会に通っていたのでイエウォン教会と私たちの教会から献血を信徒にお願いしました。多くのレムナントが、その話を聞いて献血に行きました。ところが、そこで少し驚くべき話が出てきました。若いレムナントたちが病院に来て献血を申し込んだのですが、病院側からレムナントたちの血を見たときに、ほとんど献血できるような血ではなかったということでした。すごく若い層の学生たちだったのに、ほとんどの血が濁って油分が多かったというのです。だから、仕方がなくおじいちゃんたち、おばあちゃんたちの血をもらいました。もちろん、私は時間がなくてできなかったのですが、長老やお年寄りが行って献血をしました。何が問題だったのでしょうか。食事です。今見ると、レムナントたちはすべて体に良くないものを続けて食べています。揚げたものやパンなどすべてよくない油を使ったものを食べています。ソウルのキム•ソンジン長老からの報告でそのような話をしてくれました。癌にかからず健康にするためには、幼い頃からよい食生活をしなければならないということです。子どもの時に食べた食事を体が覚えているので、大きな病気や癌にかかりにくいということでした。子どもの時に食べていた食というのが、大人になっても覚えていてそれを摂るようになるので、良いものを子どもの時から食べないとならないということです。
▶なぜ私はこの話をするのでしょうか。レムナントのときに入った福音、今入った知識は必ず後で実を結ぶということです。私は不思議なことに、今も釜山に来ると血圧を測るのですが、釜山だと血圧が10ぐらい下がります。ソウルで測定する場合は、80〜125ですが、ここにくると、70〜110です。ソウルで90〜130が出ると、釜山に来ると80〜120です。必ず釜山に来ると無条件10ずつ下がります。血圧を計る秘書が誤って測ったのかと医師を呼んでやってみたところ、やはり同じ数値が出ました。その理由があります。私は幼い頃から海辺で育ちました。目の前が海でしたし、いつも海を見ながら育ちました。肉体的にもそうです。だから、子どもの時に福音が確立されるならば、霊的問題には絶対かかりません。子どもの頃から実力を身に付ければ、必ず世界を動かすようになります。だから、私たちはレムナント運動をし、レムナントを育成するのです。今年は全国にいる重職者の方が少しずつでも、OMC献金をしてレムナントをたくさん勉強させていきましょう。例えば、実力があるのに家庭の事情や事情があって勉強ができない子どもを、私たちは見逃してはいけないと思います。私たちは自分の子ども、他人の子どもと区別してはならないと思います。すごくできている子なのに、家庭の状況が悪くて勉強ができないということがあってはいけないと思います。本当に優れた頭を持っているが、家庭に事情がある子どもたちがたくさんいます。こういうレムナントたちを私たちは育てていかなければなりません。それを行うのがOMCです。私たちは今、レムナント一人を正しく育てるならば、マルティン•ルターのようなものが出るかもしれません。教会史を読んでみると、ルターの場合、ただルターになったわけではありません。父が子どもの時からずっと話していました。元々、ルターの父親は「あなたは聖職者にならずに裁判官になりなさい」と言っていました。法律が間違っているから法を正さなければならないと続けて教えられていました。後に聖職者になったが、ルターが子どもの時に聞いたその福音ひとつと信仰が世界を変えたのです。
▶皆さんが既にご存知のレムナント7人ですが、本人たちが本当に想像もつかなかったほどの答えが来ました。あるレムナントは、母親が早く亡くなりました。家庭の事情が良くなく、兄たちからいろいろといじめられましたが、祈りを持って勝利しました。誰ですか。ヨセフです。ヨセフがエジプトを変え、世界を生かす総理になるということは誰も想像していなかったことでした。子どもの時にこの福音が入っていくと、本人たちも分からないような驚くべきことになります。私たちはこの大きな祝福を頭の中ではわかっていますが、実際的に見たことがありません。幼い時、母親から福音を聞いて、幼い時、母親に祈られて育てられたモーセが世界を動かすとは誰も考えることができませんでした。教師の皆さん、また親の皆さん、OMCのすべての重職者の皆さんが再びこの契約を握って力を出して祈らなければならないと思います。皆さんご存知のように、幼いダビデは羊飼いをしていまして、すごく平凡だったのでただ普通に呆然と遊ぶことも可能だったと思います。寂しいですし、孤独だったと思います。けれども、ダビデはその時間を利用して少し聖書を読んだり祈ったりしました。そうしてみると、なんと自分には詩を書くような、文章を書きとめる趣味がありました。それで誠実だったので羊を守ったり、そういうことを普段からよくやっていたことでした。だけれども、その結果はどうだったでしょうか。想像を絶する働きが起きました。それは人々が止められない働きです。私たちは福音、福音と言いながらも、世的なこと、すばらしいことがあって、いろいろと育てられてしまいますが、福音以上のものはありません。
▶以前にもお話ししましたが、福音以上のものはありません。私たちに身についてしまった長い間の教育は変えられません。今、韓国は非常に危機を迎えています。子どもをほとんど生んでいないので、ほとんどの学校が閉鎖する直前にまで来ています。郊外に行けば学校がほとんど門を閉じています。運営できるほど子どもがいないということです。昔は5人、10人ずつ産んだものですが、今では1、2人しか産まないのです。その理由があります。私たちが子どもの時は、学校の門の前に貼られていました。「息子や娘の区別はなく、二人だけを産んでよく育てよう」。昔は子どもがたくさんだったので子どもをたくさん産まないようにさせられていました。そのような教育を数年かと思えば、20年以上そうやって教育をさせました。私の知る限りでは、ほぼ30年間、この教育を本格的に韓国がしました。政治家の人たちが、たぶん、遠い未来まで見ることができたと思います。そのように教育された影響によって、どういう結果になっていくかということを想像できなかったのでしょう。政治的に続けて子どもをたくさん産まないようにと教育されました。その時は、息子が好まれたので、もし娘だった場合、また息子を産もうとしないように、性別を区別しないで二人だけ産んでよく育てようと言っていました。ところが30年経って今は、子どもを産みたがらない人たちが多くなりました。だから、教育がどれだけ怖いのかわかりません。
▶バビロンの捕虜になったとき、その危機の中で、国のために戦った人たちが何人かいました。その人々の特徴を見ると、二つの特徴を挙げられます。まず、福音でした。それも子どもの頃から。そして、子どもの時から、すでに実力を備えていました。このようなレムナントが大人になって解放運動をしました。皆さんが今されている献身は、絶対に無駄になりません。すべての副教役者が子どもたちに向けて教育していることは絶対に無駄になりません。皆さんも知らないうちに内面にあったことが出てきます。その福音を伝達したら、子どもにその福音が入り神が働かると、どんな人物がこれから生まれて来るか誰も分かりません。
▶単純に、私たちが子どもの週間だから子どものことを考えようとしてはなりません。一生を置いて、この祈りをしなければなりません。そこでイエス様も最後にこのようなメッセージを述べられました。イエス様が十字架にかけられる前に、どれだけののろいの言葉と迫害を受けたのでしょうか。イエス様は苦難に合わせられたので、イエスに従っていた信徒たちはどれだけ失望したのでしょうか。青の現実自体があまりにも苦しみだったので、たくさんの女性の弟子たちもみな泣きわめいていました。「イエス様は何の罪もないのに、なぜここまでされなければならないのか」。世の中がまさにその通りだと思います。なぜイエス様が、罪のない人が処刑されなければならないのかと。でも、イエス様は泣きわめいている弟子たちに対して、言い訳を一言も言わずにこのようにおっしゃいました。「わたしのために泣かないでほしい」。ゴルゴタの丘のところ「あなたがたはわたしのために泣くのではなく、子どもたちのために泣きなさい。その言葉は、未来に起こる出来事を分かっていたからです。イエスが聖書の約束どおりに復活された後、なされたことは何でしょうか。「わたしの小羊を飼いなさい」と言われました。3回「小羊を飼いなさい」と同じことを言いました。皆さんが育てている子どもも、レムナント本人も未来がどうなるか分かりません。ルター父親は、自分の国がこんな状態ではいけない。教会を正しく、法律を正しくしなければならないと話した言葉がルターの中に入ったのです。ルターがそれを強く握ったことでもないのに、ある日、これが働いたのです。私は子どものとき私の母が心配をしだすと、胸が痛かったです。それが私の中に入ってきたからです。だから、私はどんなことがあっても、人との葛藤や戦いや不必要な議論で時間を過ごすような指導者にはならないと自分の中で約束しました。ほとんどの人が役に立たないこと、何の価値もない言葉に、時間をすべて費やしています。私はそれを子どもの時に見ました。どんなに幼い子どもでも、そんな争う姿を見て心を痛めたりします。イエス様は3回も小羊を飼いなさいと言われました。
▶そして、パウロは本当の伝道をしましたが、パウロの伝道はプリスカ夫婦ではありません。ローマでもありません。スペインでもありません。つまり、スペインにあるレムナントたちでした。そこでパウロは自分の殿堂の他に時間があれば、ひそかに会堂に入って伝道運動をしました。これは子どもであるレムナントを育成して教育する理由です。皆さんは喜んで献身しなければなりません。皆さんがあまりにも感動して病気が治るほどの感激心をもって献身してください。しかし、なぜ私の子どもはうまくいかないのでしょうか。それを簡単に、むやみに決めつけて話してはいけません。なぜなら、皆さんの子どもが人生を終わりにするまでにどんなことが起こるか、それは神の手にあります。なぜなら、福音の中にいますから、福音の中にいる人たちに対して私たちはむやみに話す必要はありません。では、見てみてください。すごく成功したように見えたけれども、最終的に人生の終わりにどんな結果になる人が多いでしょうか。私の知っている人はソウル大学を出て、行政試験に合格して、エリート公務員になりました。ところが、本人には福音がまったくはいりませんでした。やはり、福音というには、子どもの時に入れていくべきです。どんなに説明しても途中で福音を受け入れた人というのは、中々、福音が中に入っていきません。あれだけ頭のよいエリートが福音が理解できない。福音が入っていかないのです。ソウル大学は、誰でも行くことができるところではありません。しかもその人は行政試験に合格するくらいの人でしたから、頭はあるという人です。その人が私に直接、お話ししました。「先輩、他のことはすべて理解しても、福音だけは理解できません」ということでした。その人に言いました。「では、あなたは生きていることは理解できるのか」と尋ねました。本当に残念なことです。成功して、国の重要なポジションにまで付きましたが、神を信じません。その人が55歳になったとき、自分の下にいた部下が自分を押して上に上がってしまいました。その人にとってはありえないことでした。とても誠実な人だったのに、下にいた部下が昇進をしたということです。それで仕事を辞めてしまいました。辞めた後、この人がおかしくなっていきました。神様を信じないというわけですから、その人は神などいらないわけです。霊的にどれだけ問題が来るかということを分かりません。長い間、公務員をしていたので、もらった退職金をもって事業を始めました。しかし、世の中はそんなに甘くありません。1年で完全につぶれてしまいました。ただ倒産したのではなく、他の人の責任まで負わなければならない立場になりました。私はその状態ならば、彼は神の前に手を上げると思っていました。ところが、自殺してしまいました。本当に後悔しました。私、しつこく訪ねて行って福音を伝えるべきだったと思ったのですが、自分がねばるからといって福音が伝わるわけではありませんし、脅迫して福音が伝わるものではありません。だから、皆さん、誰が幸せな人生になるかというのは分かりません。自分の子どもがうまくいかないからといって、それを悔んだり嘆いたりする必要はありません。人生は終わったとしても、死んだ後にも来世がありますから、それも簡単には言えないわけです。世的な知識で言うと、パウロは福音を伝えたあとに死刑にされて死にました。けれども、それが本当に滅びたことでしょうか。違います。

1. 福音と実力をそろえたオバデヤ
▶今日登場する幼い時に、福音と実力を備えた人物、その人物がまさにオバデヤです。彼は不思議な世の中に出くわしてしまいます。オムリの子どもが後に王になるのですが、それがアハブです。このアハブは誰と結婚したかというと、バアルの偶像に仕えていた祭司の娘と結婚しました。シドン人で、バアルの神に仕える祭司の娘と結婚したということです。その娘の名前がイゼベルです。このイゼベルはバアルの偶像に仕える祭司の娘ということで他を操る、すごく悪質な女でした。悪質ならば悪質でいいのですが、女らしい魅力も持っていました。偽預言者に仕えていました。こういう女に出会ってしまったアハブでしたから、王もおかしくなってしまいます。霊的問題が悟れないとこういう出会いに会ってしまいます。アハブ王は自分の父親もそうですし、いろいろと霊的問題がありましたが、よりによってなぜ偶像崇拝をする家の娘と結婚するようになったのか。イゼベルは普通の女ではありません。イゼベルはアハブに命令しました。なんと王妃が王様に対して命令しました。主の預言者を捕えては殺せと言いました。主に仕えることをやめさえることは、当時の背景で理解できるのですが、しかし、仕えている者を捕えては殺せというのです。呆れることでしょう。しかもそれを王の命令でやらせたのです。王が命令しますと、とにかく命令に従わなければなりません。でも、その王の下、宮内長官として勤めながら、神をよく信じていた人がオバデヤです。Ⅰ列王18:3を見ると、オバデヤは神を恐れる非常によく神を信じる人でした。宮内庁の中で務めることもすごいことなのですが、宮内長官ということはすごい実力の持ち主だということです。それでいて、このオバデヤはエリヤの弟子でした。でも、エリヤとアハブは敵同士でした。天敵だったのですが、オバデヤはエリヤの弟子でありながら、アハブに仕えていました。預言者をすべて殺せと言われたときにオバデヤは100人をかくまいました。これは可能でしょうか。王の命令を破って王が殺害しろといった預言者100人をかくまったのです。オバデヤは同名で幾人か聖書に出てきますので、勘違いしてはいけません。このオバデヤは宮内長官のオバデヤです。だから天国に行くときも、皆さんが行くべきところに行かないといけません。天国に行って「エリヤの弟子オバデヤさんはどこにいますか」と探して訪ねてみてください。私もこれが不思議です。どうやって100人をかくまったのかと。100人を半分にしたとしても、それを隠して食事も与えたり、いろいろと助けると、いつかはばれたと思うのですがばれずに助けられたし、周りの人もオバデヤがやったことを言いつけたかもしれません。食事を炊くとしてもものすごい人数だったので、多分ばれると思ったのに、どうしてこれが可能だったのでしょうか。不思議です。私の頭の中では中々、理解できません。とにかく明確な事実は一つ、王が知っていたのか、知らなかったのか。他の大臣が知っていたか、知らなかったか。こんなに偉大なことをやっていたのに、一体、他の人たちは知らなかったのか。その疑問に対して問いつつも、明らかなことが一つあります。オバデヤは、このようなことを行うほどの信仰と実力を持っていたのです。皆さんが本当に実力があれば、未信者も皆さんについて行くしかありません。これがオバデヤです。

2.偉大なミッションを伝えたオバデヤ
▶これだけではありません。今日読んだ本文は偉大なミッションを伝えています。エリヤが仕事を一つやらせます。「国を台無しにした偽預言者が正しいのか、主なる神が真の神であることを信じる私たちが正しいのか一度対決しよう」とアハブ王に行って申し上げなさいと言いました。こんな変なことを申し上げて殺されるかもしれないオバデヤ。オバデヤが今預言者をかくまっている状態、それでいてエリヤのその戦いの申し出をアハブに申し込んだら、たぶん機嫌を損ねて自分が殺されるかもしれないのに、彼はそんなエリヤの言葉をアハブ王に伝えて対決を進めて行きます。本当にすごい重職者です。

3.信仰の中で待てば、信仰が育って、勝利する答えがくる
▶それで終わったのではありません。信仰というのは、一度入ってしまえば育てられていくものです。不信仰というものも、一度陥ってしまえば不信仰も伸びていきます。信仰は伸びると勝利を与えます。必ず勝利するようになっています。
▶カルメル山の戦いは、どんな結果をもたらしたのでしょうか。このカルメル山で、あの偽預言者たちと戦ったエリヤが勝利しました。850対1で勝利しました。偽預言者たちは剣を持ったり、いろいろな武器を使って戦おうとしましたが、エリヤは祭壇で祈りました。その祈りをとおして祭壇に火がついたら、私はあなたが信じる神がまことの神であることを認めるとアハブから言われていました。そして、850人の偽預言者はみな打ち殺されました。
▶それでイゼベルがまた命令を下します。王がイゼベルに報告します。逆です。最近もこのようなパターンがあると思いますが、夫が奥さんに捕えられているという夫もいます。王様は王妃イゼベルに報告します。イゼベルは別の命令をします。「自分は自分が使える神々に自分の命をまかせると首をかけて申し上げるが、エリヤを捕えては殺しなさい」と言いました。エリヤはその内容を聞いて逃げました。逃げて、エニシダの木の下に倒れました。そこで神に祈りました。「私のいのちを取ってください。もはやこれ以上できません」。それがエリヤの告白です。しかし、神様は御使いをとおして水とパンを与えて力を得させ、40日40夜を歩くようにさせました。そこで重要な答えが出てきます。エリヤが元気にホレブに行った時に、神は言われました。あなた以外にも7千人の弟子を残しておいた。 7千人の弟子を残すと言われました。オバデヤを見てください。100人の預言者を育てました。それで終わるのではありません。その後は、これらの人々が立ち上がってドタン運動を広げたのです。そして、アラムの陣営と戦わずに勝利していく驚くべき結果、伝道の祝福を味わうようになりました。このような祝福が来ます。皆さんがこのような契約を堅く握ってください。

結論
▶皆さんの人生は一度しかありません。神様が最も望まれるところに用いられなければなりません。それよりも大事なことがあるでしょうか。皆さん、一度しか人生はありません。神様が最も喜ばれるところに用いられなければなりません。まとめますと、皆さんの中に刻印されたもの、根、体質を福音に取り換えていくことです。レムナント教育です。子どもの時から福音を植え付けていくことです。子ども週間に深く握らなければなりません。
▶私たちのレムナントにこの福音と未来を刻印させると、後に奇跡が起きます。大人たちは無理ですか。もちろん、できる方法をイエス様が直接、教えられました。しかし、聖霊がと言われました。あれこれ言われても、しかし、聖霊、唯一です。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれる時、力を受け、地の果てにまで証人となると言われました。この契約を握ってください。重職者の皆さんは聖霊の満たしの単語を握るならば、皆さんの生涯にとって、人生、ビジネスに神様の御働きの証拠が現れます。皆さんは、皆さん自身の聖霊の満たしというのはいったい何だろうということ見つけていただきたいと思います。その聖霊の満たしを見つけるために、今日は錯覚を捨ててください。どんな錯覚か。「信仰生活をしながら社会生活をするのは難しい。私は弱い。私は正しく生きようとし、律法の戦いをする。間違っています。まず私たちは、過去のすべてののろい契約から解放された身分です。今日、皆さんが新しい契約を握って祈り始めると、神様の働きが起きます。必ず答えられるにはどうしたらよいのか。私の場合はこうでした。必ず答えられるためには、すべてのことを捨てて、聖霊の満たしだけを握ってください。私は自分の家族にこんなことまで言いました。私は弱いから自分の力では何もできないので、家族にまで言いました。私の誕生日はこれからもうない。私には正月もない。私は親戚の家に行くこともない。ただ福音だけでいく。ただ神様の御働きだけで行くと言いました。その言葉は、すべて私に従ってついて来なさいという意味ではありません。そうすると、私が妻の家に人から追い出されます。
▶その言葉ではありません。本物だけをやるということです。私は今回もとても驚いたのが、アジア、中国の中に、本当に良いレムナントが多いです。しかも、完全福音を握っているレムナントたちです。どうしてこのような子どもたちがいっぱいいるのだろうと不思議なくらい多いです。だから、本当に感謝して韓国に帰ってきました。
▶皆さんは何も心配せずに錯覚しないでください。「私はできません」。そう思うのが錯覚です。なぜできませんか。神様の子どもなのに。すべて自分をダメにする要素を投げ出して、握るのは本当に一つ、聖霊の満たしです。もちろん、感謝することは、いろいろなメンバーによって助けられてきましたが、本当にただ一つ、聖霊の満たし。私は主のしもべですから、霊的なことをやっている人がこの人の誕生日、あの人の誕生日、私の誕生日と考えて気にしていきますと集中できません。一般信徒は外に出て一生懸命働いて、教会に来て献身しています。だから、主のしもべ、牧師、教役者たちは他に理由があってはいけません。ただ、ここに専念するのみです。神の力が現れるように契約をしっかりと握ってください。オバデヤという人物が、実力のある人物が登場しました。オバデヤのような人物が出てきたので、7千人の弟子運動ができたということです。
▶皆さんが今日、この力を回復し始める時間となりますように。私は弱い。もちろん、そうです。しかし、神様がともにおられます。神は弱い方ではありません。ですから、皆さんはイコール弱くないということです。私は私が答えられる方法を見つけました。皆さんも皆さんが答えられる方法を見つけてください。私には日付も意味なければ、場所も意味がありません。私はただ福音、どこに行っても、何をしようとただ福音でなければ生かすことができないという結論を出しています。レムナントの皆さんは、正しく実力を持って福音に根を下ろして契約を握って実力を備えていきますと、世界を変えていく働きができると思います。この祝福がすべての信徒に始まりますようにイエス様の御名でお祈りします。


(祈り)
神様、感謝します。今日、私たちにみことばと世の中を見る目が開かれたことを感謝します。オバデヤのように真の福音の力を持ったレムナントとして育てられていきますように。私達がこの子どものために献身するこの働きが本当に福音にあって立派な働きとして実を結ぶことができますように。すべてを感謝して、イエス•キリストの御名によってお祈りします。アーメン。