第17次治癒使命者大会(2004.07.21-23)



第1講: 信仰の癒し
(ピリピ 4:6-7, ピリピ4:10-13)


要約資料
1.私
(1)神様- 不可能(不信仰)
1)心配
2)人間中心主義
3)早急
4)葛藤
(2)信仰の色合い
1)律法(バランス)- 旧式(儒教)
2)神秘- 錯覚、霊的問題
3)御利益信仰- 占い
(3)信仰の体質
1)環境
 2)年齢
3)先入観
 
2.どんな信仰
(1)救い- 福音の秘密(感謝)- 良くないこと
(2)霊的な部分
(3)力
(4)みことば
(5)祈り
 
3.信仰の働き
(1)変わる
(2)全人格
(3)答え
1)結論
2)決断
3)実践
▲イザヤ62:6-12 祈りの見張り人、エゼキエル3:18-21 伝道の見張り人、Iペテロ2:9 光の見張り人
(The end)
 
録音資料
 
▲ピリピ4章です。6節を見れば "何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。" 7節に "そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。" 4章10節から13節まで一緒に読みましょう。
▲4つの主題で、私達が本音の話をするように、そのような対話する心で見るべきです。
初めて時間に主題二つだけ話をします。私たちに最も至急で、重要なのが、信仰の癒しです。しかも、ひとつは考えの癒しです。ここに確かに、あなたがたの心と思いを守ってくださいますと言われています。
 
1.私
▲事実は、私達が治癒の働きに集まって、相談もしているのですが、私を癒される方は神様です。人のすべての考えにまさる方は神様しかありません。人のすべての考えにまさる神の平安が、神様の他はありません。それも他の条件でなることができないので、キリスト・イエスのなかで心と思いを守ってくださるのです。私たちは、信仰から癒されなければなりません。
 
(1)神様- 不可能
▲この前、不信仰の話をしたのですが、神様に不可能があるでしょうか? 私たちに困難があるとしても、神様はなさることができます。
1)心配- それなら、本当に信じるならば、聖書には心配をするなと言われました。
2)人間中心主義- 私たちは事実は心配していれば出てくることが人間中心主義です。開始からだめです。
3)早急さ- だめになるから早急さが生じます。
4)葛藤- ずっとだめなので、葛藤して、そして気落ちするのです。そのようになります。
▲私たちは果して神様ができないことがあるのか? という質問をした時、しなければならないではなく、他の答が出てきます。神様が私の問題を解決できないでしょうか? このように質問した時は、他の答が出てきます。これを必ず解決せねばならないとする時、もう一つの答が出てきます。神様がこのことができないだろうか? そのように信仰から癒されなければならないのです。
▲昨日、私が一般信徒献身礼拝の時に話をしたのですが、イスラエル民族が苦しみにあうように、紅海に導かれたのは、明らかな理由があります。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフが持った創世記の重要な5つの事件を、この部分を理解できなかったのです。そのようにしてはなりません。
そして、神様が奇跡を起こして、出てくるようにされたのに、単に出てくるようにされたのではありません。羊の血を実際に、この人たちが理解をできなかったのです。そのような状態でカナンの地に入っていくと考えてみましょう。そのような状況で、世界福音化は不可能です。これが答えの中の答えです。私達がしきりに習慣が、宗教的に受けようとだけします。事実はそれではありません。神様にできないことがあるでしょうか? このようになったのに、これが全部重要な答ですが、これにならないと、この部分になります。そうしたら、私が自分で問題に引っ張られていきます。神様が私の病気を直すことができないのか? 神様はなさることができるのです。神様は私を助けることも、殺すこともできるのに、このようになれば、他の話になります。
(2)信仰の色合い
▲そうであって、私たちはここに従って、とても重要な信仰の色合いが出てくるのです。これが瞬間的に感じられることなのですが、その人がどんな信仰なのか。私はこうだな。これが重要な結果を産むのです。
1)律法- 旧式(儒教)
▲例を上げるならば、信仰の色合いが律法です。これが悪いのではありません。ところが、この律法は、どのようなことを持っているのでしょうか? とても旧式、人間的な考えを入れたことが律法です。こういう色合いを持っていれば、これは解決しなければなりません。韓国人が持っていることは律法ではなくて、儒教です。事がなることがありません。そして、ユダヤ人が持っていることは、律法を持っているように見えるけれど、言い訳です。タルムードを重要視します。話は聖書を話します。しかし、深い胸の中には聖書を軽んじています。自分たちが作ったことが別にあるのです。聖書から抜き出したことがタルムードで、それを重要に思うのです。滅びるしかありません。信仰の色合いにしたがって変わるのです。これをするなはということであって、律法が神様のみことばなのに、律法が最も美しいバランスなのに、これをなくしなさいという話は、この部分(儒教)を話すのです。それで、あの人が律法的だとすると、相当な問題を持ってきます。講壇で律法ならば、相当な問題がきます。
私たちは、こういう部分は誰も解決できないのです。他の人が助けることもできません。
2)神秘-錯覚、霊的問題
▲これで、私達が最もたくさん話す神秘、本当に神秘ならばかまいません。ほとんど錯覚をしているのです。それで、こちらへ行くしかありません。信仰の色合いそうなると、このようになるしかありません。このようにして、ずっと霊的問題がくるのです。
▲私がこの前、話をしました。私がよく知っている友人の牧師が伝道師だった時ですが、祈梼院で祈る時、こういう方法です。祈りをしていると、激しくないのに祈りを多くした人がいました。奏楽もして、本当に祈りを多くしていました。その女の人は祈りを多くするんだなと、うらやましいという気がする程に祈りを多くしていたのです。突然に昼にきたのです。伝道師にきて、名前を知っていたのか、名前を呼びながら話しました。今年12月25日クリスマスに、あなたと結婚をしろと言われました。それで伝道師があぜんとして、いや誰がそのように話しますか? 神様が、それでどうしようもなかったのです。申し訳ないけれど、私は結婚をしています。その女の人が言う話が、そのようなことはないでしょう。こういう方法の信仰生活です。こういう方法ですれば困るのです。
▲無知な執事が祈りながら、夜に寝ていて見たのが <P. C.>を見たのです。これで無知なので、辞典をさがしたら、どのように探したのかというと、Pがついているのが一つ二つではないのに、Pは preach, Cは Christ キリストを伝えなさいということだと、先生、習ったことはないのあですが、牧師にならねばならない。神様がそのように話される。牧師がそうですか、どうしてそうなのですか? と尋ねたら、幻の中にこれを見たということでした。私はそのように考えません。 "Plant corn" これでないだろうか? とうもろこしを植えなさい。このように信仰生活をするのです。一生、錯覚をします。事実、こういう人が多いのです。
▲私がむかしに他の教会の集会に行けば、私を訪ねてきて按手祈りを受けるという人がいました。本人が受けると言うから、牧師がやむを得ず連れてくるのです。そのようなことがあります。私が例を上げるならば、飢え渇いた人が重要な病気、そうでなければ問題がきました。世界福音化する人に祈ってもらうことが良いからではないか? そのように考えることができます。私が蒔いたら、そのような意図ではなかったのです。しかし、この人は講師がくれば、按手祈祷を受けるのです。こういう方法です。だからこれが間違いだという話ではありません。土台の色合いがそうなのです。牧師に祈りを受けることが誤っているのではありません。その人の 信仰の土台が異常なのです。そうでなければ、大韓イエス教長老会、だから問題になるのです。韓国教会の問題は、長老教会で問題を起こすのです。いっそはずれても、純福音は問題は起こしません。毎日集まってけんかして、長老教に土台をおいたのではなくて、律法に土台をおいたのです。長老教という話は、カトリック中心へ行かないで、聖徒中心へ行こうという話です。カトリックで聖書を読めなくしました。読めば目が開かれ、万人祭司、みな救われたからメッセージをして、聖書を読むことができるのです。万人祭司主義です。司祭中心でせず聖徒中心でしよう、この話です。これが長老教です。敢えて良い話ではないのに、カトリックの反対語です。ところが、色合いは儒教式から出るのです。このように出てくるので問題なのです。信仰の色合いが、どれくらい重要か分かりません。
3)御利益信仰- ほとんど見れば、御利益信仰の色合いです。信仰の色合いに従って、多くのことを土台としているので、こういう部分が癒されないと、どんなに世界福音化をして、訓練を受けて、祈りをしてもだめなのです。今回、基本的な部分を参考にしなければなりません。
▲誰でも祝福を受けることを願います。それとは違うのです。どんな方法でしょうか? 占い式です。私中心から出るのです。すると困難なのです。
(3)信仰の体質
▲今日、私たちは重要な神様の祝福を受けるべきなのですが、信仰体質が変わらない以上、これが変わらないで、違ったことを多くしても、すいかの表面をなめることなのです。
1)環境- 環境の中からきました。
2)年齢- 私たちの年齢と関係があります。私たちは長生きしてきました。
3)先入観- ところがすべてが、私たち自ら先入観があるのです。
▲今朝、食事をしながら秘書 2名にそのように言いました。私が食事をしながら、食べ物を持ってくる人がおかずをまず持ってきて、ご飯、スープを持ってきます。私はスープを左に置きます。お嬢さんが変えて置きます。すると、ご飯を持ってきながらまた移します。ご飯を左側に、スープを右に置きます。それは、そのお嬢さんが持っている先入観です。スープは右側、ご飯は左側だな。こういう考えをするのです。先入観です。しかし、実際は変えるほうが便利です。ご飯のうつわより、スープのうつわが大きいのです。変えたほうが便利です。私たちの先入観であって、それはご飯の話です。
▲信仰の先入観を持っているので、これを無視できないのです。私の夫はだめだ。間違った考えです。先入観です。息子がだめだ。いままでならなかったので、あの人はなるはずではない。幼い時からあのようにしたから、私たちの先入観です。神様はなさることができるのです。信仰の体質を変えなければなりません。
 
2.どんな信仰
▲それで、私たちはどんな信仰を持って、今から中心を持って行かなければならないのか? 聖書には、重要なことをいくつか話しています。
(1)救われる信仰- 福音の秘密
▲聖書が一番強調することが、救われる信仰です。それで、救われる信仰で終わってはなりません。聖書で一番強調することが救いであるゆえに、私達が福音の秘密を持っていなければなりません。この信仰が最も重要です。パウロは、この話だけをしました。ここに感激したのです。パウロは、使徒行伝に重要な記録が、パウロに起きたのです。これのために命をかけました。そして、ローマ人への手紙を見れば、何と言ったのでしょうか? パウロは、この秘密を言っています。そして、コリント教会に賜物問題、祈っているとこのようなことを受けます。それが問題でしょうか? 賜物の中で一番重要なのが愛ではないか? それとともに、福音を話します。パウロが言った言葉です。Iコリント1:18節を話しました。ガラテヤ教会に福音を違うように話せば、呪いを受けるはずだ、この程度まで話しました。そして、エペソ教会に神様を賛美するしかない。伝道、宣教、教会の霊的戦いがどれくらい重要か? この秘密を神様がくださった。挨拶をするやいなや、賛美します。(エペソ1:3) そして、監獄でピリピ教会に向かって、私が監獄のなかで福音の秘密を味わうことがあまりに良い。死ぬことも益なのに、生きることが福音に益ならば生きる。私が苦難を受けてもかまわない。キリストも苦難を受けなかったか? 私は最高のことを持っているので、私がなくしたことはちりあくたなので、何でもない。私を強くしてくださる方にあってどんなことでもできるのです。そのように話しました。そうしてから、コロサイ教会に向かって、キリストの中に全てのものがみなあると言いました。
▲私たちのメンバーの中に、即、過ぎ行く冗談が、福音をおもしろく話します。その時には、ぎくっとします。福音をおもしろく考えるのです。例を上げれば、私達が夫に葛藤があれば、おかしな男の人が出てくれば、悪口を言います。妻に葛藤が多ければ、おかしな女の人に会えば、話をむやみにします。夫が女の人に満足していれば、そのようにしません。こういう人々を見ながら、福音はみなあんなことだと言います。誰かが見れば、霊的な問題を持った人が、タラッパンで失敗をするのです。正しく悟った人は "あの霊的問題を持った人がどこを行けるだろうか?" ところが、タラッパンはみなそのようなことではないか? こういう方法です。大変なことになりました。その人が滅びるはずなのに、大変なことになりました。滅びると知らせを伝えることもできなくて、人の気がおかしくなって、信仰がどうなので信仰なのでしょうか? パウロは神様の国へ行くことが より良いと言いました。ところが、生きていることは、教会のため、皆様に益ならば生きる。そのような信仰にならなければなりません。私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。この話は、純福音で話した30万、40万突破ではありません。監獄にいても良い。全てのことを言ったのではなく、話をそのように表現したのですが、監獄の中にいてもかまわない、その話です。正確に話せば、信仰にしたがってみわざがあります。正しい信仰を持っていなければならないのです。
▲アン・イスク女史は、年齢80歳を越えた時に医者に言いました。この私が手術をするのか? 50ならば、手術をするが、年齢が80歳を越えた。その信仰で癌が、自然に回復してしまったのです。
▲私たちの教会の勧士一人は、病院に行ったところ糖尿になっていました。それで、甘いものに用心しなさいといわれたのに、甘いものだけずっと食べたということでした。神様の前に早く行くならば、どれくらい良いか? 自殺はできないので、神様の前に早く行くのが、どれくらい良いでしょうか? 1年後に、糖尿がすっかり回復していたのです。
▲私たちは、信仰の色合いが、得ることだけに基準をおきます。ものすごい救いを得る信仰、その中にある福音の秘密が、これが全部です。このようにならないから、いつも難しくて癒されません。ここで感謝が出てくるべきです。どんなによくない事が起こってもかまわないのです。あまりに良いことを、実際に持っているために、良くないことを見てもかまわないのです。私が良くない宿舎に寝てもかまいません。明日になるならば、出て行くはずなのに、それが気分が悪いでしょうか? 明日になれば出ること、家に帰れば安らかに過ごすはずなので、本当にこれを見れば、良くない状況でもかまわないのです。これを味わうことと言います。皆様の家庭も重要ですが、皆様の職場もそれも重要なのではなくて、この秘密を味わっていれば、みな解決します。これで、終わるのではありません。新しい目が開かれます。
(2)霊的な部分
▲聖書は、肉体的なものは、その次で、霊的な部分を先に話しています。肉体も重要ですが、たましいも重要です。霊的な部分を悟る時、その時から答えがくるのです。
(3)力
▲このようになる時、付いてくることがあります。神様の力は無限だなということです。
(4)みことば
▲神様のみことばは、生きているみことばだなと、聖書が新しく分かります。むかしにこういう方法で理解したことは聖書ではなかったな。一部分だけ見ていたのだ。律法に染まって、福音でもないのに、錯覚にいつも陥っていながら、御利益信仰を持った人が、聖書が正しく見えるでしょうか? 正しく見えません。このように なれば、聖書も正しく見えます。
(5)祈りの秘密
▲この時、起きることが祈りの秘密です。祈る時には、相当な事が行われます。皆様に問題がたくさんあるでしょう。ところが、聖書は心配するなと言っています。聖書には、心配するなとなっていて、神様がそのように話されました。イエス様が直接、心を騒がせてはならないと言われました。神様を信じて、わたしを信じて、 天国が備えられているので、思いわずらわないで。聖霊が共にするから心配しないで。パウロは心配するな、何にも心配するなと言いました。この時から癒されます。
 
3.信仰の働き
▲この時から癒される信仰が必ず働きます。信仰が生じる時ごとに、信仰の色合いによって、全てのものが変わるのです。この時から、祈り、聖書、解釈、適用、判断がみな変わるのです。これが癒しです。
(1)変わる
▲これを正しく見れば変わります。問題を見る目も違って、ある人は自分の肉体に問題が来たら、ものすごく悲しみます。人が変わるのです。あらゆる部分にみな変わります。信仰の働きはこういうことです。
(2)全人格的な信仰
▲この信仰が単なることではなく、全人格的な信仰です。本当に心にあることです。すべての生き方にみわざが起きます。全人格的な信仰になるのです。皆様が今、福音で答が出た信仰にならなければなりません。どのようにすれば良いのでしょうか? この2番の秘密が事実ならば、私たちは事実、これが問題です。言わば不信仰が問題です。そして信仰の色合いが、体質が問題です。こういう信仰を持っているならば
(3)答
▲こういう信仰を持っているならば、どんな答が出るのでしょうか? 福音は完全です。
1)結論- それで、結論を出さなければなりません。完全福音、完全伝道、完全献身に結論を出さなければならないのです。
2)決断- そして今日、決断を下さなければなりません。私は霊的戦いをする兵士だ。一日生きても、それをして行く。私の残った生涯、どんな答えが来ても構わない。それは神様がなさることで、霊的な戦いをする。パウロが霊的な兵士だ、そして競技する者だ、そして農夫だと言いました。穀物をまず受けることが当然なのです。
3)実践- 何から実践しなければならないのでしょうか? 今から見張り人です。私たちは祈りで全国を守って、私たちは神様のみことばを持って全世界を見通して、私たちは暗やみをなくすために、現場に、家庭に、光を照らすために見張り人の役割をするのです。
▲イザヤ62:6-12 祈りの見張り人、エゼキエル3:18-20 私のいのちの残る日まで福音運動をするはずです。伝道の見張り人。Iペテロ2:9 この光を宣べ伝える光の見張り人です。そうなれば、終わりです。そうなれば、確かに答えがきます。問題がないことがあるでしょうか? 確かに答えがきます。
▲それで、皆様に頼みます。私たちは、働きをしていれば、教役者、働き人の間に色々な問題がくることがあります。完全福音に入っていくことを希望します。完全に世界福音化ゆえに生きて、いのちをかけて約束しましょう。残りは神様がなさいます。これが癒しです。これが信仰の癒しです。明らかです。本当に異常ですよ。
なんでもないことなのに、副教役者を見ると、自分たちの間で葛藤が多いのです。ところが、ありえる葛藤なのに、それゆえにだめになるのです。その人が行く時、100m絶壁から落ちて問題がきました。なんでもないのに、当然なのに葛藤ゆえに何にもだめになるのです。
▲今日、あなたがたは、この契約をとらえて、神様のみわざが起きる祝福を受けることを望みます。信仰には必ずみわざが起きます。希望があれば勝利できます。神様を愛すると、苦労することができるのです。
それで、信仰の働きと愛の労苦と希望の忍耐を、私が理解できるのです。テサロニケにこれが一番目のことです。これが今日一番目の主題です。細かいことは皆様の間でなさって...
(The end)
 



第2講: 考えの癒し
(ピリピ 4:6-7)
要約資料
 
1.私の考え
(1)有益
(2)祝福
(3)基準
(4)正しいこと
(5)失敗
(6)事実
(7)隠れた面、裏面、内面
(8)判断
 
2.考え- 重要性
(1)他の考え- 神様の考え(計画, 意味)
(2)立派な答え
(3)大きい祝福- 謙虚(私), ガラテヤ2:20
 
3.考えの癒し
(1)先入観(ヘブル4:16)
(2)否定的、傷、非難-私の傷
(3)聖霊の働き(使徒1:8)
1)聖霊充満
2)力
3)証人
 
録音資料
▲さっきも話したのですが、私たちは先入観というのは、私の考えが問題なのです。
1.私の考え
▲私たちの願うことが、本当に必ず有益でしょうか? そのような基準はありません。
(1)有益- 本当に有益でしょうか?
(2)祝福- また、私達が話す祝福が、必ず祝福であることに間違いないのか? そのような基準もありません。私の考えを持ってするのです。
(3)基準- 私達が話す基準が、かんぺきだと言うことができるのでしょうか? そうだと言うことはできません。
(4)正しいこと- 人が考える時、正しいこと、正しくないことがあります。私たちはあい昧です。
(5)失敗- もしかして、皆様が失敗したのでしょうか? 失敗ではないことがあります。ラケルが早く死にました。成功です。それで、ヨセフのような人物が出てきたのです。失敗、成功、私たちの考えでしてはだめです。私は失敗だと考えました。幼い時、私の父が亡くなったのに、失敗だと考えたのですが、そうではありません。
(6)事実- 私たちは、目の前に置かれた事実、この部分が真理だと言うことができません。問題は、私の考えが問題です。私たちは、考えの癒しを受けなければならないのです。
(7)隠れた面、裏面、内面の世界- 私たちはみな知りません。隠れた面があって、世の中には多くの目に見えない裏目があって、内面の世界がみなあります。私たちには、分かるすべがありません。私たちの考えを持って判断をすればだめです。一番困った人が、がんこな人です。それほど良い話ではありません。神様の人が、これが癒されなければなりません。主観もなくて、考えもないように、ということではありません。チェ氏、カン氏、アン氏、申し訳ないけれどチェ氏はがんこで良い良いということではありません。チェ氏が座った席には、火もつかないと言われます。なんの話なのか分かりませんが、カン氏ががんこだと誰かが言ったのですが、それは何にもないことです。死んだアン氏一名が、生きているチェ氏3人にも及ばないと言います。するとよりひどいということです。姓が関係あるのでしょうか? そのような言葉は、良い話ではありません。私達が敢えてがんこになる必要がありません。癒されなければならないのです。神様の計画が完壁なのに、がんこにしている必要がないのです。みことばとあらゆる世の中、神様は知っておられるのですが、私たちの勝手に判断はできません。最も癒されなければならないのが、私の考えです。
(8)判断- 私たちは正しい判断をすれば、失敗することはありません。私達が正しいとしたのに、失敗することはありません。それで、今日、私たちは信仰の癒し、私の考えを癒されなければならないのです。神様の前で本当に貴重な事が起きることを希望します。
 
2.考えが重要
(1)他の考え-神様の考え(計画、意味)
▲考えがどれだけ重要でしょうか? 考えが違うと、生活と判断が違います。他の考えを持たなければなりません。神様の考えを持ちましょう。神様の計画、意味を持ちましょう。レムナントの七人を見ましょう。私たちの考え通りすれば、大変なことになります。こういう事が多いのです。どうして、兄たちが弟を殺そうと売り飛ばすのでしょうか? 神様が生きておられるなら、ヨセフを監獄に送るのか? これは私たちの考えです。考えが違わなければなりません。他の考えを持って行きましょう。
(2)立派な答え
▲考えが癒されれば、考えが立派になり、立派な答えを受けます。どんなに苦しくても、そうです。
(3)大きい祝福- 謙虚
▲私たちの考えが謙虚でなければなりません。神様の大きい祝福を受けます。私たちの考えが謙虚でなければならないのです。
 
▲私たちが立派な考えをしてこそ、立派な答えを受けます。私の考えではなく、神様の考えがあってこそ、みわざが起きるのです。苦しくてもかまいません。聖書は何にも心配せず、感謝をもって神様に知っていただきなさいと言われました。
▲ここには、牧師もおられ、牧師夫人もいます。信徒が一番嫌う部分が何か、知っているでしょうか? 苦しい部分が何でしょうか? 盗みをしたら、話すことがあります。しかし話せないのが、苦しい部分です。牧師が自分の考えを持っているのです。他の人が口に出して言えません。考えがあまり立派ではないのです。ついて行くことができなくて、ついて行かなければならなくて、ついて行かないようにしようとすれば、神様の前に申し訳なくて、ついて行こうとすればいやなのです。私は神様のしもべで、聖徒のために献身をするのだ。そのような考えがなければならないのに、しばしば私がとすると問題になります。
▲ソウルに初めてきて驚きました。どれくらい驚いたか、週報を募集したのですが、週報を見れば分かります。見ると、これがソウルだな、ソウルは希望がないな。大きい教会の週報を見たら、そのようなイメージはみなあります。牧師の顔写真を出しています。何かの博士をした。悪いことはありません。たくさん学ぶできです。顔を知らなければならないでしょう。しかし、私はそのように感じなかったのです。ですから、私たちは謙虚なほど、大きい祝福を受けます。 "私"ということが重要なのではありません。私たちは、ガラテヤ2:20節になる時、大きいみわざが起きるのです。確かに前提は、神様に不可能があるか? ということを前提とします。それなら、私たちはガラテヤ2:20節になる時、驚くべきみわざが起きるのです。奇跡のみわざが起きます。キリストが足りないのでしょうか? ガラテヤ2:20節になる時、奇跡がおきます。考えの癒しから受けなければならないのです。問題がくる時、一日生きていても、問題がきた時、一日働きをして行っても、立派な考えをしてこそ、答えを受けます。全く同じ仕事をしてもそうです。難しい事を迎えて、立派な考えをする人がいます。ある人は、事故が起きても、立派な考えをします。考えがとても重要です。神様は全てのものをみな尽くすことができるのです。考えの癒しを受ける大きい祝福が今日、あることを希望します。
 
3.考えの癒し
▲今日、何をしなければならないのでしょうか?
(1)先入観を壊そう
▲全部、先入観を壊しましょう。神様はヘブル4:16 神様は日ごとに新しい恵みを与えられます。そのために、先入観を壊しましょう。今日以後に、神様は恐ろしく働かれることができます。先入観が問題です。
▲私はむかしに、こういう先入観がありました。家内が話をむやみにします。それが問題です。むやみにする 人も問題ですが、私が問題です。どこかに行って、必ずこの時に話すべきなのに、区分なく話しをしました。一生、どのように牧会するのでしょうか? 牧会を失敗します。できれば、重要な所には連れていかなかったのです。もしかして、失敗するかと思ったからです。ところが、そうではありません。投げた言葉ごとに仕事を 成し遂げたのです。むしろ正しくなったのです。先入観であって、話は度が過ぎないことが問題です。
▲私たちの教会の開拓をして苦労をしていたのに、私の家が15坪でした。本をおく所がなかったのです。話すことができませんでした。家内が長老に家を大きいのを買ってくださいよと言って、役員がそのとおりだと言いながら、そのように買いました。それで良かったのです。私がいつも先入観が問題です。
▲私たちの教会は、大きい教会です。長老たちがいるのに、役員会をするのに、私達の牧師夫人がご飯を食べに来ました。先入観でしょう。既存教会ならば、可能ならば来ません。タラッパンをする教会は福音的だと言いますが、他の教団では役員会室には、戦雲が漂います。牧師夫人に来て下さいと言っても来ません。これが韓国教会、世界教会です。私たちの教会はどれくらい恵みでしょうか? 牧師夫人が、役員会に座っていたのです。出て行きなさいと言いました。行かなかったのです。パク・ウォンギュ長老が、奥様がおられるととても良い。ずっと来てくださいと言われたので... 韓国教会が誤っているのか、今している米国教会がうまくいっているのか、協同長老も座るのに、副牧師も座るのに、牧師夫人は座るなということがあるでしょうか? 聖書に座るなはという話しがあるでしょうか? 先入観を捨てる時、多くのことを得ます。重要なことは、私の考えが問題です。私たちは、こういうことをたくさん持っています。絶対に、今日、癒されましょう。
▲そして、長老は教会で主人の役割をしてはなりません。一生、苦労します。牧師が教会を自分の思い通りにしてはなりません。大変な事になります。どのように考えるでしょうか? あらゆる人が礼拝をささげることができるように、レビ人の役割をする。いつも、そのように考えましょう。考えが変わらないとならないのです。
▲ですから、見て下さい。ゴミを片づける人は、落葉が落ちれば不平を言います。しかし、詩人は詩を書くこともします。全く同じことなのに、それほど考えが重要です。今日考えを癒されましょう。復興しても、信仰が違えば、それは大変な事になります。信仰の癒しを受けることを望みます。基本的に考えが変わらなければなりません。
▲年をとった人が考えが変われば奇跡がおきます。50才を越えるとだめです。そのように話したところ、柳牧師が50を越えればだめだと言われたと言います。その話は常識的な話です。幼い時にすべきだということで、50才になった人がだめだという話ではありません。50になった人にみわざが起きました。奇跡がおきたのです。モーセも80才で始めました。話しの要旨は考えが変わらないということであって、考えが変われば、年齢が若くなければ多いほど良いのです。ローマが元老院政治をしながら、みわざが起きました。若い人がする時、失敗したのです。年齢を取っている人が考えが変われば、途方もないみわざが起きます。そのような意味で、年齢が若くなければならないと言うのです。わざわざ子ども達と遊びましょう。どれくらい考えが違っているか分かりません。
▲地域も違います。全国、全世界を通ってみればみな違います。考えがどれくらい重要でしょうか。これで見る時、日本はみなできても、世界福音化の主役ができません。また、中国、米国はみなできるのですが、世界福音化の主役ができないのです。みなできてもそうです。中国人は、ご飯を食べるのに、2、3時間かかります。いつ世界福音化をするのでしょうか? 韓国人は簡単に食べます。それでこそ、世界福音化ができます。米国に行ってみると、建築をするのに線を引くのに一週間かかります。私達が行けば、開始すれば、そのようなことがありません。日本に行ったところ、私がドルを変えてくれと言ったところ、一枚一枚をひっくり返しました。合えば変えれば良いのに、書くのです。50ドルいくつ、みな書きました。40分もかかったのです。忙しいのに、韓国は5分ならばできます。みな良いのですが、世界福音化はできません。中国もこの頃は目覚めています。地域ごとに行けば、考えが変われば、みわざが起きるはずなのに、これが変わらないのです。
▲昨日、車に乗って来ながら、キム・ヨンギ執事が、忠清道の人は話しが遅いのではないと言いました。20個の証拠を出しました。その中のひとつを話しました。ソウル人は "かまいません." このように話すが、慶尚道人は "かまいませんが" 忠清道の人は "良いです" そのように話すと言いました。忠清道の人は、それでも遅いのです。どれくらいのろいでしょうか? 普通に来ても、忠清道にくれば遅いのです。ホテルで洋服掛けを持って来て下さいと言ったのに、来ません。ずっと待ちました。私は電話をして催促しません。いくら待っても来ないのです。持っていきますと言いました。驚くほどです。ソウルでは話しさえすれば即刻持ってきます。どれくらいのろいでしょうか。釣りをしにいったのに、挨拶をしません。それで、私はもしかして私を見ていないのかと、こんにちはと挨拶をしました。釣りをちょっとしようと思うのですが、その返事をするのに10分かかりました。私は帰りました。他の所に行きました。男の人に会いました。忠清道には住めないと言ったら、そうだと言いました。自分は京畿道からきたのに、自分も重苦しいと思ったけれど、自分も今、遅くなってしまったということです。
▲大邱に行けば、変わりません。更新を早くしなければなりません。考えの更新を早くしなければならないのです。その代りに、中心はあります。良い点がないということではありません。その代りに底力もあります。福音運動が大邱で底力を持ってなされています。変わることがないのです。考えの中にないのが、変えるということです。神様の考えで、私たちの先入観を捨てるのです。何も心配する必要がありません。私たちは、他の人は間違いというのではありません。違っているのです。違った人の意見も違うだけです。私たちは必ず記憶しましょう。深く考えなければなりません。
(2)否定的, 傷, 非難
▲必ず否定的なこと、私が受けた傷、みな捨てなければなりません。考えをみな変えましょう。これを持っていれば、何にもなりません。結局は、ここに落ち込みます。そして、自分に傷があれば、他人に傷を与えます。人を非難するのです。無知な人は、無知に非難して、有識な人は返して非難して、水準がある人は、そうではないように非難をします。人々には、こういうものがあるのです。私たちタラッパンにも、これがあって、ない人はいません。ずっと神様の前に貴重に用いられる方はこれがありません。しかし、だめな人はこれがあるのです。なぜそうなのでしょうか? 過去に隠された傷があるのです。他の人に傷を与え、非難することは問題ではなくて、過去に隠された私の傷、過去の隠された私の傷のためです。すると大きい問題です。私たちは、世界福音化をしなければならないのに、それ以前にこれを癒されなければならないのです。問題がきてもかまいません。私たちは、真にこういう考えを変えるのは、私たちの勝手にはできません。
(3)聖霊の働き
▲使徒1:8節に "しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受け、地の果てまで証人になります" 皆様、私達が私たちの力でだめなので、聖霊充満を受けなさいと言われました。聖霊充満をまた 誤解してはだめです。
▲聖霊充満に対して、純福音で多くの話をしたのですが、間違った部分が多いのです。聖霊充満を受ければ、賜物が必ず来るのでしょうか? そうではありません。そのように悪いことではありません。賜物は神様がくださることです。ある人は霊的な賜物を与えられ、ある人には一般的な賜物、ある学生には霊的な秘密、ある学生には勉強を良くすることができる賜物を与えられました。伝道できる賜物を与えられるのです。みな違います。必ずみな来るべきだということはありません。聖霊充満を受ければ、必ず体験が来るべきなのでしょうか? そうではありません。体験がきたことが間違っているのでしょう? そうではありません。正確に話せば、聖霊体験が来ることが正しいのでしょうか? 体験がこないことが正しいのでしょうか? このように尋ねれば、間違っているのです。どれが正しいのかを話せば、体験がこないのが正しいのです。なぜでしょうか?聖霊は霊であって、肉体的な目に見えないことです。先生、聖霊充満を受けた時、奇跡がきました。そうではありません。脳に異常があったからです。私が聖霊充満を受けたのに、お腹が異常だ。腸に問題があったからです。腸を癒されたのです。間違いではありません。しかし、基準ではないのです。聖霊充満を受けたら、すぐに異言が出てきた。違うのでしょうか? そうではありません。それが基準でしょうか? 聖霊充満の多様で、完壁なことを私たちの考えで解釈しないように。そのような意味で、純福音が違っているのです。またそれを説明した意味では、良くしたのです。そのようにだけ説明をしたのは、間違ったのです。聖霊の働きは、そのようなことではありません。完壁な聖霊の働きは、私達が知らないことも、知っていることもあります。賜物がこのように 現れることもあって、現れないこともあるのです。目に見えないのではないでしょうか? ある人には目に見えないように、知恵の賜物で、ある人は勉強を良くする知識の賜物、ある人は霊的な神秘の賜物で現れることができるのです。神様の計画によって、何の反応もなくても、何の問題もありません。聖霊充満はどのように受けるのでしょうか? 神様の子どもが当然に受けるのです。そして神様の子どもが大胆に受けるのです。
▲一度は、イ・イルヒョン牧師が講義されたのですが、聖霊充満をもらいなさい。与えられることももらえないのか? 最も正確な話です。大邱式で話されたのですが、最も聖書通りに言われたのです。今までの聖霊論の中で、最高の聖書論です。与えられることももらえないのか? これが最も聖書的です。信じた者に与えられるようになっています。堂々ともらいましょう。
▲私たちの娘に1万円を与えたら、少ないと言われました。大学を卒業して、年齢が何歳なのに、考えたら、不安ではないだろうか? 間違っていたと考えました。私たちの娘が堂々ともらいました。神様の子どもなので、堂々ともらうのです。今、もらうのです。表に現れるのでしょうか? 何でもらうのでしょうか? 信仰でもらうのです。みことばを聞く時、聖霊充満を与えて下さい。癒しの働きをする間に、聖霊充満を与えて下さい。これが変わらないと、多くのことをのがします。私達が今、教会で礼拝する時、聖霊充満を与えて下さい。聖霊のみわざが起きれば、神様の力がおきます。力、証人になるのです。
 
▲私たちは多くの癒しがあります。信仰を癒されなければなりません。長老教、よく考えましょう。もしあまりパリサイ人と似ているという気がしないでしょうか? 癒されなければなりません。純福音はとても良いのです。あまり御利益信仰ではないでしょうか? 癒されなければなりません。ホーリネス、聖いでしょうか? 癒されなければなりません。良いことを言うのですが、癒されなければなりません。私達が正しいということではありません。私たちは、信仰の癒しを受けなければならないのです。ただ福音のなかで、すべての問題が解決されることを発見することを希望します。この時から、みことばも生きて、全部働きます。信仰の癒し、そして、私たちの考えが癒されなければなりません。私の考えが傷ついているのです。神様に任せましょう。心配もみな任せましょう。違ったことをどんなに研究しても、良いことを研究しても、考えが病んでいます。考えが違うのです。するとだめです。考えが神様のなかで、神様の考えを抱けば、あなたがたの中にキリストの心を抱きましょう。ですから、この時、癒されるみわざが起きます。神様の祝福が本当にあることを、イエス様のお名前でお祈りします。
 
(祈り)
神様、少しの間、私達が信仰と考えに関して、癒されなければならない考え、体質を告白して、聞いて、祈るようにされたことを感謝申し上げます。今回続く癒しの働きに、聖霊が直接、働かれて、癒される時間になるようにして、キリストの恵みが直接臨む貴重な時間になるようにしてください。神様のみことばが働かれる、私達が知らない神様の賜物で、力で働かれる時間になるようにしてください。それで、治癒使命者大会が、貴重な集いになって、私達自身が、神様の恵みを受けて、重要な集会になるようにしてください。
主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
(The end)
 
 



第3講: 体質の癒し
( Iコリント 2:1-5)
要約資料
 
1.サタンの戦略
(1) 教会 ×
(2)福音- 別物
(3)福音の根- 面白味
 
2.どんな体質を癒されるべきなのか?
(1)律法- 長所、福音希薄(失敗)+別物(戦い)+宗教+結果(試み)
(2)神秘
(3)人間中心主義
(4)思想、固執、性質-自尊心(ガラテヤ2:20)
 
3.祈りの答え
(The end)
 
録音資料
 
▲私たちの癒しは、神様の力でなされます。それでより一層、必要で、働きが重要です。人の力でなるならば、何ゆえに集まって伝道して、教会にくるのでしょうか? 人の力とできることではないためです。
パウロが前にはこう話しました。Iコリント1:18節にこう話したのです。 "十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。"
皆様が全く気落ちする必要がないことは、19節に "それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」"
また20節に "知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。"
世の中のことが良くても、人間の問題が解決されないから、それで21節に "事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。"
あまりに大きい働きなので、早く答えを受けなくても良いのです。また皆様が早く悟らなくても良いのです。あまりに大きいためです。
22節から "ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。" 弱い人を呼ばれたということではありません。
少しも気落ちしなくて良いことは 26節に "兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。"
29節に理由が出てきました。 "これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。" どんな肉体でも自慢してはならないのでしょうか? 問題だけが生じます。よくなることはありません。
30-31節に "しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。" この話をして、2章にこの話をされたのです。
▲2つのことをお話します。 '体質の癒し'、福音を悟っていないのではなくて、これのためです。これができる時、私たちは生活の癒しとなります。こういう祝福を味わうべきなのです。
多くの方達を通じて、一講義、一講義で答えを受けましょう。それで私がするのは、講義というより、家族の間で心開けて話をするようにします。
さっき話した '信仰の癒し', 信仰の色合いがどれくらい重要でしょうか?
考えが癒されなければなりません。それとともに、この部分です。結局は、福音を知らないのではありません。聞いていないことではありません。この部分を言うのです。必ず記憶しなければなりません。
 
1.サタンの戦略
(1)教会 ×
▲一つだけ記憶しましょう。サタンの戦略を記憶しましょう。最も教会を嫌います。サタンの戦略は、教会を嫌うのです。人々は教会を建てれば、デモをします。不思議に寺を建てれば手助けします。クリスチャンは寺を建てるのに話しません。笑わせることには、教会を建てるのに、クリスチャンが反対します。家の値段が下がると反対するのです。こういう滅びることをするのです。私たちは知っています。これをすれば、サタンが最も嫌うのです。その次に-
(2)福音- 別物
▲その次に嫌うことがあります。教会に行っても、これを聞くことができないようにするのです。福音を伝えず、他のことをしなさいと言います。これがサタンの戦略であって、願いです。
(3)福音の根- 面白味
▲問題は、福音は聞くことができても、本物のことをできなくするのです。この福音の根を下ろすことができなくします。おもしろいことがどれくらい多いでしょうか? ここに引っ張られるのです。パウロと他の人との 差異点が何でしょうか? パウロは、福音に根をおろした人です。根をおろさなければなりません。私たちも健康になろうとするなら、体質が重要です。そのように、皆様がもし敢えて長生きする必要はないけれど、健康チェックをしてみましょう。信仰も同じです。私たちは問題は、体質が癒されなければならないのです。サタンが一番に願うことが、教会に通うことができないようにすることです。教会に行っても、福音を聞くことができなくさせます。もしか福音を聞いても、いいかげんに聞いて、福音の根をおろすことができなくさせるのです。完全にサタンは成功しました。それなら、何の話なのか分からなければなりません。
 
2.どんな体質を癒されなければならないか?
▲どのような体質を癒されなければならないのでしょうか? 皆様が今日、考えるだけでも良いのです。
(1)律法体質
▲私たちも知らない間に、律法体質を持っています。福音、福音と言う人が、不安な場合があります。それで引っ張られてはなりません。律法体質ということは、とても恐いのです。なぜなら、律法の長所がとても多いために、私たちは引っ張られやすいのです。律法の長所は多くあります。節度があります。本当によく信じたかの様に見えます。その次に、敬虔です。律法はそうです。それが良い点です。ところが、なぜそのように律法をするなと言うのでしょうか? 聖書が問題とするでしょうか? それではありません。律法はしきりに、長所もたくさんあるのですが、この福音をずっと希薄にさせます。これで終われば良いのですが、ここに違ったことが連結するのです。ここに宗教とまったく同じになります。律法は、あらゆる宗教のようです。どんどん連結します。それで、結果はひどいことになるのです。
結果は不思議に、私達が解決出来ない問題がくるのですが、やさしい例でユダヤ人です。問題がくるのに、解決することができません。より重要なことは、戦いがどんどん起きます。そして、私達が自分たちも知らない間に、律法体質を変えないと、何に対しても鋭敏になります。そして、より重要なことは、家庭にも、教会にも試みが終わりません。こういうことで、問題が起きれば終わります。皆様に福音が何でもないことのように 見えるのですが、問題が起きれば、教会が(に) 息をふきかえす.
▲例を上げれば、福音運動を続けている教会は、使う言葉がひとつしかありません。何の話でしょうか? あの長老は福音でないようだ。あの牧師は福音でないようだ。あの執事が福音に答が出ていない。この話しかありません。この話が良いということです。後ほど皆様の教会が大きくなれば、後継者の心配をしなくても良いのです。福音だけ正しく話します。神様が前で話された福音運動が途絶えないで、このように伝えられるのだな。弟子だな。時間が経てば経つほど、前の牧師が貴重に見えて、今、している方が、とても大切に見えます。律法運動して見れば、自分の人格通りに正しくする人が出てきて、その後に及んで行くのが元老です。新しい人物が新しいことを話すから、教会で新しいことを言ってはなりません。根本的なことを話すべきだ。こういう一つ、二つの問題ではありません。これを悟る人が多くいません。教会に試みがずっとくるのです。私たちは、律法ではありません。体質が律法なのです。それで律法体質を直そうということです。律法、福音が区分できないでしょうか? パリサイ人も区分するのに、パリサイ人は完全に律法体質です。体質に陥れば、それしか見えないのです。こういう深刻な問題があります。こういう体質を早く直さなければなりません。それでよく考えだけすれば良いのです。普通に見ないように。ある日、必ず福音なく律法体質になれば、福音が必要なくなります。必要でしょうか。みな同じようなものなのに、宗教はみな同じようなものなのに。それまでは良いのですが、ある日、完全に失敗する日が来ます。そして、過程をたどる失敗ではなくて、完全に終わる失敗がくるのです。これが律法です。パリサイ人、イスラエルの苦難、ヨーロッパ教会の滅亡、米国教会が門を閉め始めます。ロシア教会の滅亡、これからどんな時刻表が残っているのでしょうか? 韓国教会の滅亡が残っています。韓国教会が多くて、信者が多いのに、ロシアでは98%でした。ヨーロッパは、ただみことばを持って裁判をする程に、とてもよく守りました。なぜ崩れるのでしょうか? 今日、私がすることは、勉強だと考えず、話をすると考えましょう。本論は人がして、私は少し来て、必ず話さなければならない部分を話します。これが変わらないと大きいことが起こるのです。教会のなかで、いつも試みだけ受けます。これが試みになります。正しい言葉だけしたのに、試みに会うのです。夫婦も正しい言葉だけ続ければ、けんかになります。
テレビで見ました。夫婦が出てくるプログラムあるでしょう。そこで、けんかをします。特徴が、正しい言葉だけ言います。二人とも福音的な話しが出てきません。私が間違って、こうなったので、こういうあなたは良いのですという福音的な話しが出てきません。どれくらい全部、正しい言葉でしょうか。それで律法と福音と 口げんかをすれば、律法が勝ちます。話しが正しいから。盗みをすればだめというのが、正しいでしょう。福音は、そうではありません。盗みをせざるを得なかった理由を正そう。それが福音です。まだ律法、福音が解決できなくて、理解できない人がいて、あまりに長くなって律法体質です。
そして、おもしろい事実は、律法の説教をすれば、最初に教会が復興しません。教会復興が、あまりできないと、世の中の話しで、特にする事がありません。私達が教会復興をさせて、いろいろなことを見るべきなのか? その話ではありません。反対に苦労をすればで、わかれるのか? 苦しむのが長老です。問題がきます。教会が 復興にしないと、一つ、二つが問題ではありません。さっきも話したのですが-
 
(2)神秘
▲またさっきも話したのですが、必ず直しましょう。ところが、特徴が、この体質が持った人は、よく直すことができないのです。律法体質は、悟ることができるけれど、ところが神秘体質は難しいのです。メッセージも自分と合うことだけ抜きます。これが簡単に話せば、神秘な神様の力を知らないという話ではありません。 これは錯覚体質で、霊的な問題がある体質です。これは直すのが難しいのです。よく聞くのに、とんでもなくよく聞くのです。良くなりません。本当に残念なことなのですが、皆様、こういう人がこの世に多いのです。
▲なぜ永生教に行って献金をするのでしょうか? この人の出発がどこでしょうか? 真理のみことばを追って 行ったのではなくて、神秘主義で出発しました。分かるでしょうか? これは普通の問題ではありません。祈らなければなりません。すると、完全に違うのに、間違いないと言います。その人が福音を伝えるのでしょうか? 自分が神様というのに、話すべき言葉がありません。神様が帰って来られたが、なぜ災いがあるのか? 自分を監獄に入れるからだと言います。人を殺して、話すべき言葉がありません。そのような中でも、行って拍手して、ひざまずいて、皆様が1/10だけしてもみわざが起きるはずなのに、私は驚きました。一斉に集まって、手をたたいて、ひざまずいているのを見てください。どこから出発をしたのでしょうか? メッセージ、福音ではありません。こういう体質になれば、大変なことになります。それに長所があります。感化力があって、無知な人が見れば引っ張られます。すると、より恐ろしいことは、とてもたくさん学んだ人もみな引っ張られるのです。霊的問題がある人は、みな引っ張られます。
▲他人の話をするのがいやなので、聞いたことだけ話をするのですが、イ・チェロク牧師の話を聞いてみたのに、ちょっとその方は神秘主義だな。それで大変な事だな。多くの信徒がついて学ぶならば、大変なことになるなと思いました。本当に良い方なのですが、どうすることもできません。その牧師の写真を貼っておけば病気が 回復すると言いますが、これは普通の問題ではありません。幻で見たら、太陽の中に2名がいるのに、一名は自分で、一名はイエス様だというやり方です。本当に狂っていて、話すべき言葉がありません。
▲タラッパンは、私達がすべてだということではありません。そのようなことではないのです。私たちだけでも、福音を伝えようということです。福音が非常にないということであって、霊的問題が来ざるをえません。それで癒しの働きをしようということです。力、資格があるということではありません。
▲この神秘体質は、長所が多いのです。感動を受けます。ちょっとした人が行けば、感動を受けます。なにかが見えるから、10月28日にイエス様がくる、ここから出発したのです。神様のみことばでなくて、集まって幻、賜物を見たのです。そのように出てきたのです。サタンがどれくらい力があるでしょうか? 10月28日に同時に見せたのです。サタンの失敗であって、米国と私たちとは違うのに、サタンが失敗したのです。正確にすれば違うように出なければならないのに、全く同じく出てきたのです。みことばが正しくない人、福音がない人、霊的 問題がある人は、100% 引っかかりました。ある人は家を出て家を売って、離婚をして、主が再臨されるのに私達が学校に通うのか? このように出てきました。それで、上の指導部では、お金を銀行に入れたのです。それで、判事がたずねました。人々に家も売って、職場にも行くなと言いながら、学校も行くなと言っておいてお金を7億を銀行に入れるのか? 必要ないのに、イエス様が来られたら終わりと言いながら、なぜ入れたのか? あなたを拘束する。あまりに家庭を破壊させました。この人たちが、ここから出発したのです。
▲もし皆様が信仰生活をすれば、自分も知らないでそのようになります。早く癒されることを希望します。早く癒されて、神様の働きを正しく見なければなりません。簡単に話せば、これが霊的問題が表れた人々で、真実の人はここに行くしかないのです。霊的問題を持った人が、誤っていれば堕落です。事故を起こします。霊的問題を持った人が正しく分かろうとするから、このようになるのです。より深刻な問題があるのです。先生、どのように癒されねばならないのですか? この部分は早く癒すことができません。最も正常に行かなければならないのです。この部分は、講壇と手助けする人が必要です。それで、癒しの働き人が必要です。この部分だけはそうです。ムダン(霊媒師)になった人は話しません。こういうことを持っていてムダン(霊媒師)になるのです。分かるでしょうか? 家も捨てて、山に行って叫ぶのは、これゆえに行くのです。知って手助けしなければなりません。このように陥ったのに、他の人に弟子を作るのです。ずっと問題が来ます。すると、未信者が見る時、クリスチャンは異常だ、こういうように栄光を落とすのです。おかしなことをします。キリスト教が異常なのでしょうか? 違うでしょう。こういう問題が出てくるのです。早く直さなければならない体質です。
 
(3)人間中心主義
▲人間中心主義、これは世の中に生きながら体質化になるからです。牧師と一緒に教会で重要なことをしていて、ハレルヤです。ところが、聖霊充満をしたのに、ある日、関係がなくなってしまうのです。その上に世の中のことで、戦いました。こういう場合がありました。スヨンロ教会もそうです。キムホンド教会もそのようになりました。世の中で習ったことが体質になるからです。サタンに利用されます。この人間中心主義は必ず 記憶しましょう。必ずサタンの計画を成し遂げます。怖いでしょう。
▲それで、私たちはこういう体質をすっかり癒されましょう。知っていればよいのです。これで律法をするなと言うのです。変に試みにあって後ほど崩れます。これが律法主義です。神様のみことばは、私たちの規模で福音を捜し出せとすることを握っているので、問題がくるのです。神様の神秘な力で救われたのに、大それた 霊的問題、この部分を捕まえているから問題になるのです。
 
(4)思想、固執、性質
▲私たちの思想です。こういうものも、合わされば、私たちの固執、私たちの性質、こういう部分も誤った体質になることがあります。これは大きい問題ではないように見えますが、大きい問題になるのです。思想でそのようになっています。参考にすべきことは、北朝鮮、中国伝道は、むやみにできません。この人たちは、共産主義思想が入っていて、福音の根をおろさなければなりません。まだ共産主義は、偽りをとても自慢しています。それが長い間あった共産主義の思想です。盗みを簡単にします。ソ連に行けば、車をつないであります。輪で縛っておきます。寝て起きれば、みな取って行かれます。ある宣教師は、少しの間、食堂に入っていったのに、ブラシで抜き出しました。自分の所有がないので、取れば自分のものです。軍隊に行けば、あなたのもの、自分のものがありません。盗みという単語がないのです。自分が取れば自分のものでもありません。所有が自分のものというのがないのです。それで、取っても良いのです。あなたのもの、自分のものがありません。まず取ってしまえばよいのです。取ったものが残るのです。そのような方法でします。思想が怖いのです。これがぎっしりと詰まっています。うわさで、使命者を捜し出したと言うのですが、聖霊ができない事があるでしょうか? 参考にしなければなりません。そして、私たちは、異常に持っている固執、性質があります。なんでもないことのようですが、かなり支障を与えます。
▲私もむかしに、これが強かったのです。自尊心が強かったのです。思想が強いのではなくて、思想がなかったのです。自尊心が強かったのです。どれだけ強いでしょうか? 今でも、食堂に行っておかずがなくても、話しをしません。自尊心が強いからです。自尊心がどれくらい強いか分かりません。小学校1年の時、明け方においしいものを食べるのに、自分たちの間で食べていました。それで、ずっと横になっていました。まさか起こしてくれるだろうか、やはり起こさないで自分達だけで食べていました。それで泣いたのです。こういう自尊心です。普通の子ども達は起きます。分かっても自尊心があったのです。目をつぶっていました。起こしてくれる時まで、どれくらい強かったのか分かりません。学校に通っていた時は、普通の子ども達と一緒にはいません。心の底から無視します。話さなかったのです。人の家に借りにいくのに、私の母は、私のことをよく 知っていて、借りときには私を送りません。お隣りに行って、ちょっともらってきてと言われても、私は行かないのです。いつも弟が行きました。これが強かったのです。私がそうです。これが崩れないのです。これが良い点もあります。ところが、これが恵みを受けられない理由となるのです。ある日、押し倒しました。本当にイエスを信じることではなくて、私のためなのです。私は福音のために、主のために生きねばならないのに、私をために生きるのです。それで私は本当にガラテヤ2:20節が良いと思いました。キリストと共に死んでしまったのです。どれくらい福音運動をするのに、非難されることが多かったでしょうか。かまわないのです。なぜでしょうか? 死んだのに、死ねば良いのです。死んだのに、言葉が必要でしょうか? これから、自分の中にキリストがあるのです。
▲実際に、そのような考えをしてみました。私たちの信徒が死んだので、葬式に行ったのですが、時間があって棺を埋めるのに、私が棺に入っていると考えました。家族が泣くでしょうが、この世でみな終わったので、埋めて行くでしょう。そのように考えたら、私が死んだのに、何か話しを聞いてどうなのか? 新しくはじめます。私の中にキリストが生きておられるのです。
 
(4)習慣
▲これもかなり私たちの多くの働きを、多くの祝福を防止します。ある人は、習慣はいろいろあるのですが、とても神様の恵みを受けられない習慣があります。例を上げるならば、ものすごく変にお金、お金、と言う人がいます。そのような人がいます。これがものすごく悪い人がいるのです。この人はお金だけ見れば、おかしくなるのです。これは注意しなければなりません。他のことが良いという話ではありません。これは、人に被害を与えます。これはずっと残っています。これが問題になるのです。これは純然に、習慣です。
▲ある人は、ポケットにお金をみな使って、家に入っていく人があります。これも習慣です。必要とする時、借りる人がいます。借りた後に早く返しません。あなたのお金が自分のお金で、習慣が悪い部分です。一番この部分が悪いのです。良くない習慣、この部分を直さなければなりません。習慣が一、二個ではないのですが、これだけ 直さなければなりません。違った所にはよく使うのですが、献金をするのにぶるぶる震えるのです。 これは、一日でなることではありません。
▲この頃の子ども達が心配になるのは、子ども達がカード破産があるのですが、この頃の流行は、カードではありません。大学生ではないのです。大学生はカードがなければなりません。無条件に使います。笑わせるのです。返すことができないから、おかしなこと、強盗もします。女の子は売春婦をしたりもします。返さなければならないから、というように言います。ある大学生は、自分のお金3十万円が必要なのにお金がありません。誰でも3十万円をくれて、私を連れていきなさいと言ったら、列をなしたということです。こういう方法です。これが問題です。
習慣の中で一番直さねばならない習慣です。長老たちが、子どもを育てる時、お金、お金と言わないようにしましょう。子ども達が変に育ちます。お金は必要である所に使うのだな。私が正しく生きる時、お金がついてくるんだな。このように理解させなければなりません。お金がすべてだ、あたかも教育をこのようにさせてしまうのです。本当にお金がない人です。絶対にお金がすべてではありません。必要ないお金がある家庭は、大変な事になります。それで土地が多くて、財産が多い家で、大きな問題ある家が多いのです。確認してましょう。必要ないことを持っていてはなりません。人々が知らないのです。
▲私の位置が確保されれば、自分の実力が大丈夫になるほど、お金が入ります。お金、お金となっては、なりません。こういう人が教会に集まるから、頭が痛いのです。献金もしません。あってもしません。本当の祝福を受けることができません。経済の祝福を受けられないのです。
▲このことだけは、正確にしましょう。子どもたちに教えてやりましょう。お金が重要なのではなく、お金は未信者、信者、あらゆる部分に一緒に使える媒介体であるからです。もし人々が一緒に使えることをハンカチで作ったとすれば、ハンカチが重要です。それがすべてではありません。ここに悪い習慣を持った人がいます。すると、ずっと苦労します。違ったことは知らなくても、これは直さなければなりません。子ども達の家族が 酒をちょっと飲む。それは大きい問題ではありません。健康問題がくるので、自分が分かります。霊的問題がない以上、これは大したことではありません。しかし、これは人に問題になります。だからこれは簡単なことではありません。ある人は、これを直すことができなくて、教会で詐欺をします。新しい信者を紹介できないのです。新しい信者が何を知っているでしょうか? お金を借ります。絶対に返しません。こういう人もいます。どれくらい悪い習慣でしょうか? 不思議に牧師たちにも、お金と言うと、変に気を失ってしまう人がいます。するとだめです。他のことは良いという話ではなくて、他のことは置いておけば良いのですが、こういうことがとても悪いのです。他のことは置いておけばよいのです。違ったことは、社会問題を起こすことができませんが、これは社会問題、教会問題を起こします。私達が体質だけ知っていればよいのです。私はこの部分が問題があるんだな。知っているだけでも良いのです。
 
3.祈りの答え
▲知っていさえすれば、答えが与えられます。貧しいでしょうか? 重要な神様が願われる場を確保していなかったのだな。すると神様が答えを与えられます。私は貧しく生きねばならないのか? 知っているだけでも答えられます。私が誤って生きてきたな。知っていさえすればよいのです。どのようにすれば良いのでしょうか? 体質を変えるのに、道はひとつしかありません。福音の根をおろして、祈りの根をおろしましょう。
すると、答えがき始めて、私が変わります。それでこそ、神様の働きをずっと見るようになるのです。
(The end)
 
 


第4講: 生活の癒し
( 使徒行伝 18:1-4)
柳光洙 牧師
 
要約資料
 
1.基本の癒し
(1)常識以下
(2)基礎- 失敗, 経済
 
2.バランスの癒し
(1)時間概念- 重要な計画
(2)日常- 散歩、運動
(3)仕事− 休息
(4)良い姿
 
3.習慣の癒し
(1)小さな実践
(2)昇華
(3)霊的部分
 
4.聖書的な生き方
(1)事実- 客観性
(2)内容- 主観性
(3)人間- 社会性
(4)リズム
1)定刻の祈り
 2)運動
3)勉強
4)趣味- 余暇
5)伝道
 
5.結論- 講壇
(1)胸の説教
(2)相反するメッセージ
(3)霊的説教(治癒)
(4)福音的説教
(5)祝福
(The end)
 
録音資料
 
→序論
▲このようになった時、生活の癒しになります。今はいくつの祈りの課題を差し上げます。
 
1.基本の癒し
(1)常識
▲常識的な部分は、早く癒されましょう。常識的な部分という話は、常識以下になれば困難だから、常識以下のことは早く癒されましょう。
(2)基礎
▲やさしく話せば、基礎の部分です。これができないと失敗がずっときます。早くしなければなりません。これにならないと、この問題が、経済問題がずっとついてきます。早く癒されなければなりません。こういうことを見れば、他の人が見る時、変に見ます。常識的なのす。前に話をしたでしょう。牧師たちにも、あまりに基本的な部分がだめだと良くなりません。例を上げるならば、礼拝時間に入っていけば、賛美の導きをするのに、拍子が合わないで、あまりに音程も自分勝手にすれば、簡単に話せば基本がだめなのです。信徒が変に考えます。基本の部分です。人があのようにすれば、基本的なのがよくできていないのです。早く癒されなければなりません。
 
2.バランスの癒し
▲私たちはバランスを癒されなければなりません。
(1)時間概念と管理- 重要な計画
▲時間概念と管理、これは話では簡単に分かります。それで、あなたがたが簡単にしようとするなら、一日に 一回ずつ祈りをしながら、とても重要な計画を捜し出しましょう。祈りながら探しましょう。時間を管理できます。本当に神様の重要な計画をおいて祈りをするのです。
(2)日常生活
▲皆様が、日常生活を癒されなければなりません。簡単に話せば、時間がある通りに決めて散歩もして、運動もして、こういうものは、バランスと関連があります。何でもないことのようですが、関係があります。
(3)仕事− 休息
▲仕事と休息、みなバランスと関係があります。こういうことを持って世界福音化をするのです。
(4)良い姿
▲私たちは世界福音化ゆえにです。良い姿がなければなりません。
 
3.習慣の癒し
▲習慣の癒しは、どのようにするのでしょうか?
(1)小さな実践- 小さな実践からしましょう。持っている問題をちょっと昇華させましょう。
(2)昇華- これはなんの話でしょうか? 特別に酒が好きな人がいます。そのような人は、変えてあげましょう。適当に家庭で明け方祈りをしましょう。執事が酒を飲んではならないのでしょうか? 行って飲むのです。すると、本当に問題がくる、というように言わないで、昇華させましょう。そして、可能ならば、時間があれば、皆様の子どもに教えてやりましょう。たくさん飲めばどのようになって、少なく飲めばどのようになるか、説明してやりましょう。美しくさせてこそ、脱線しません。習慣を昇華させましょう。この話は、最も重要なことです。律法を持った人を問題だとみなします。すると解決しません。趣味を昇華させなければならないのです。趣味を昇華させないと、これゆえに家庭問題、生活問題がくるのです。特技、昇華しなければ問題がきます。こういう部分を理解しましょう。他の人にもそのようにしてあげなければなりません。皆様もそのようにしなければならないのです。
(3)霊的部分- 特に、霊的部分を参考にしましょう。それでなければ、霊的問題がきます。生活の癒しをして行かなければならないのです。
 
4.聖書的な生き方
(1)事実- 客観性
▲私たちは、完壁に生きることはできません。どのようにすれば、聖書的な生活を送れるでしょうか? 感情でせずに、事実をよく見つめましょう。客観性があるようにしましょう。
(2)内容- 主観性
▲私たちは、福音で解決できる内容があります。これが主観性です。
(3)人間- 社会性
▲私たちはこれからは、人間関係をしなければならないので、社会性です。全く同じ話をしても、気分が悪いようにする人があって、電話をしても負担を与える人があって、人を気楽にさせる人があります。こういう部分を生き方の中で記憶しましょう。
(4)リズム
1)定刻の祈り- このようになれば、必ず今からしましょう。生活の祝福されたリズムを探しましょう。参加した方達は、一日に一度ずつしましょう。定刻の祈りをしましょう。
2)運動- 定刻の祈りをする時に、定刻の祈りだけをせずに、一日に一度ずつ必ずせねばなりません。運動をしましょう。私が話すことは、一日に一度ずつせねばならないことです。
3)勉強- 年齢が若くなくてもしましょう。分野があろうが、なかろうがしましょう。勉強、テレビだけ見ず、本も読まなければなりません。一日に一度ずつしましょう。
4)趣味- 余暇
▲趣味生活の余暇を少しの間でも味わわなければなりません。一度ずつ味わうことができなければならないのです。
5)伝道- だれにするのか? 一日に一度ずつ考えましょう。だれにするのか? 完壁なリズムが生じます。女の方達は、運動をしましょう。
▲これをしなければ、人は運動をしなければ、筋肉に力がないので、骨を包んでいる部分が弱くなって、内蔵に問題がくるのです。どこから痛いとも分からずに、痛くなります。必ずしなければなりません。医者もいますが、医者もみな知らないのです。嘘も多く言います。運動をしましょう。着実にしましょう。一日に一度ずつしましょう。
 
5.結論- 講壇
(1)胸の説教
▲こういう癒しを、牧師は講壇からしましょう。講壇で可能ならば、本当に胸にある説教をしましょう。皆様、もし説教をどのようにしているか知りませんが、説教を原稿を書いてする人があって、いくつかメモをする人がいます。全く見ない人はいません。なぜなら、そのようにすれば、失敗するから、原稿を開いても、説教を する時には、読んではなりません。胸にある説教をしましょう。本当 胸にある話を二、三のメモをしてしましょう。韓国教会で、気にかかったことは、カク・ソンヒ牧師とか、キム・イクドゥ牧師の説教をよくなさると、説教を聞いてみれば良くされていました。その後輩を見たら、読むのです。説教は読むことではありません。与える方法が読むことならば、信徒を生かすことができません。胸にある説教をしましょう。よくできないならば、暗記をしましょう。私は、メモをしてします。とにかく、胸と胸が通じなければならないのです。ぞろぞろ読んでいれば、大変なことになります。
(2)相反したメッセージ
▲皆様は講壇で癒しを受けるために、できれば相反したメッセージをしてはなりません。例を上げれば、この話は自分は人間中心主義をしながら、信徒には人間中心義をしてはならないと言うのです。あなたも使ってはなりません。狂います。この時には、心がひとつの他にいりません。このように話せば、教会を離れます。自分たちは律法に陥っていながら、律法的にするなという相反したメッセージは、人を生かすことができません。原稿で説教をせずに、胸の説教をしましょう。聖徒は足りないということ 理解します。私と皆様が足りないということを理解します。相反したメッセージをすれば、事がなりません。率直な話をしましょう。私があまり律法体質になって苦労 多くした。皆様は福音体質になってください。信徒がアーメンと言います。認めるのです。
(3)霊的説教
▲可能ならば、肉体的なことも必要ですが、講壇で癒してあげなければならないので、霊的な説教をしましょう。信徒は教会に勉強をしようと来るのではありません。霊的説教を聞きながら癒されるのです。
(4)福音的説教- 継続的な癒しが必要なので、福音的な説教をしましょう。
(5)祝福する説教
▲信徒を祝福する説教をしましょう。私はちょっと不思議です。おかしな信徒が多くても、講壇 上がれば、祝福が出てきます。長老を見ると、水準があのようにしているので、何かを言おうとしていても、講壇に上がれば祝福が出てくるのです。代表的な祝福を受けましょう。上がれば祝福を受けましょう。決心して、これは直さなければならないと心して行くのです。ところが、講壇に上がれば祝福が出てきます。それは、かまわないのです。降りてくれば、聖霊の導きを受けたと思います。感情で正しい言葉を言ってはよくないのです。私たちの牧師達に説教者には、祝福権があります。可能ならば、信徒に祝福の説教をしましょう。そして、福音的な霊的な説教をして癒しましょう。これだけ注意すればよいのです。相反した話を続ければ聞きません。その次に説教を読んでいれば、そのようになります。胸の説教をしましょう。このようにして、講壇を通じて癒しが起きなければならないのです。
 
▲今日、重要な祝福を受けました。今、信仰と私たちの考えと体質と私たちの生活、こういう癒しは、必ず起きなければなりません。この祝福を受けたのですが、本当に受けて教会ごとに、皆様個人ごとに、家庭ごとに復興することをイエス様のお名前で祝福します。
 
(祈り)
神様、既に答えを下さいましたことを感謝申し上げます。これ以上、私たちに何にも必要なくされたことを感謝申し上げます。あらゆる心配も神様に任せるようにされて、ありがとうございます。生きようが、死のうが、福音のために生きるようになることを感謝申し上げます。今この時間も、聖霊充満を与えてください。癒しの働きのメッセージを聞いて受ける時間に、神様の聖霊がこの方達に働かれることを信じます。それで創造の聖霊が癒されるみわざが起きて、私たちは出来ないのですが、直されるみわざが起きる、私たちは力がないのですが、私たちに力を与えられる神様の働きがあるようにしてください。
万王の王なるキリストの恵みと神様の大きい愛と、今、共におられる聖霊様の働きが、癒しの働きに参加して、今日、今回の機会に重要な答えを得る神様の人々の上に今からのち永遠まで、常に共にあるように。アーメン
(The end)