現場 メッセージ1   


救いの確信
-エペソ2:1〜6,Iヨハネ5:11〜13-
        
1 救われていない状態(エペソ2:2)
 
 (1) 死んでいる状態(エペソ2:1)
 (2) 束縛されている状態(エペソ2:2)
  @霊的な状態(ヨハネ8:44、使徒10:38)
  A心の状態(マタイ12:25〜45)
  B肉の状態(使徒8:4〜8)
  C死後の問題(ルカ16:19〜31,黙示録21:1〜4)
 
2 救いとは何か?
 
 (1) 過去の問題の解決(エペソ2:1)
  @原罪
  A罪過
 (2) 現在の問題の解決(エペソ2:2)
 (3) 未来の問題の解決(エペソ2:6)
 
3 救いの確信
 
 (1)確信がないと(Iペテロ5:7〜8)
 (2)救いの確信(Iヨハネ5:11〜13)
 (3)五つの確信
  @救いの確信(Iヨハネ5:11〜13)
  A祈りの答えの確信(ヨハネ14:14、16:24、ルカ11:13
         Iヨハネ3:22、エレミヤ33:1〜3)
  B導き(同行)の確信(箴言3:5〜6)
  C赦しの確信(Iヨハネ1:9)
  D勝利の確信(Iコリント10:13)
 
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働き人用
現場メッセージ 1         救いの確信
            <エペソ2:1-2. Iヨハネ5:11-13>
 
(Iヨハネ5:11-13)"そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。(12) 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。(13) 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。"
 
 私と皆様には、救いの確信が必要です。それは、あたかもからだが多くの考えと思想を通じて、動いているかのように、人にとっては、行動以前に思想や確信がたいそう重要です。その人の行動を決定することが、確信であり、思想です。
 
 それで、祈りの秘密を言う時にも、マタイ6:33節でまず求めなければならない基準と定義を提示しています。言い換えれば、この福音のために健康も、物質も、人も必要とするということです。このように見ることは、現れたことでなるのではありません。その背後と背景が重要なのです。したがって、私たち人間は、本当に大きい働きをしようとするなら、単純に動いたら良いということではありません。からだは多くの考えを通じて動くのです。それで私たちには、確信が必要なのです。
 
例) イ・チャンホという囲碁の棋士を日本のすべての棋士が世界的な棋士だと認めました。彼は 20才にもまだなっていないのに、師匠も破りました。囲碁界の巨匠であるチョ・フンヒョン等、すべて20才くらいで自分の性分があったのに、イ・チャンホはこの性分がないということです。そして、他の人はみんな目的、野心があったのに、イ・チャンホはそれがないということです。他の人は、いろいろ趣味もあって、好きなこともあるのに、この人にはそれがまたないということです。それが違う点です。もう一方の人々は、女学生から電話がきたりすれば、好奇心を見せたのに、この人はそうではないということです。他の人はものすごく話も良くするのに、この人は話もあまりないということです。囲碁では、本当にものすごい天才なのに、囲碁を除けば、他の部分では遅れるということです。それが他の人と違う点ということです。イ・チャンホは世界のどこに連れて行っても、良いと感動を受けたことがないということです。それが違う点ということです。はなはだしきは、万里の長城に連れて行ったのに、みつめても全く感動を受けなかったということです。そして、遊ぶためにラスベガスに連れて行ったのに、そこでも感動を受けなかったということです。ただ感動受ける部分がひとつあるのですが、囲碁にだけ感動を受けるということでした。それが、神秘的な能力が出てくる秘訣ということです。したがって、何んでもみな良くする人は、何んでもみなできない人です。何んでも重要なこと一つを良くすべきです。
 
私たちは、イエス・キリストに対して専門家にならなければなりません。ここに目が開かれなければなりません。イ・チャンホは囲碁をしたのに、20年の可能性を一ケ所にみな集めてしまったのです。それで、ご飯を食べる実力はちょっと遅れるかも知れませんが、話してみれば話はちょっと遅れるかも知れませんが、一旦囲碁をすれば、相手がないのです。もっと面白いことは、これからもその人について行く人もないはずだということです。そして、この人には葛藤もないということです。囲碁を打つ人は、攻撃に強ければ守備に弱くて、守備に強ければ攻撃が弱いのに、この青年は立体的にみな強いということです。だから、みな勝つことができるということです。
 
確信とは? この程度になってこそ、出てくることです。したがって、私たちはキリストが体質になって、思想になるように! 捕まえなければなりません。
 
 私たちに一番必要なことが救いの確信です。これが全てのものの開始です。信者がなぜ力がないのでしょうか? 救いの確信が弱いからです。信者のあらゆる開始がここにあるのです。したがって、ここに確信がなければ、他の全てのものは瞬間的なのです。他の確信も重要ですが、何よりも救いの確信が重要です。信仰が良かった人々、答えをたくさん受けた人々は、救いの確信が良かった人々です。
 
救いの確信を持つためには、いくつかのことを確実に知っているべきです。
 
福音が何で、伝道が何で、神様が私たちに本当に命じられる生き方の方法が何か? これが確実になることです。これを理解すれば、救いの確信と伝道方法が分かるのです。
 
本当に救いの確信を持とうとするならば、福音をまず知らなければなりません。この福音を悟って行動することが、まさに伝道です。神様は、今、私たちに完全に成功する人生を下さって、どのように生きることをお望みなのでしょうか? ここに対する確信がなければだめです。主は私たちに失敗の人生を与えられたのではなく、成功する人生を下さいました。ここに対してどの位確信があるべきでしょうか? いっそのこと、これしかないとなる程の確信が来るべきなのです。私達が違ったことはやんわりとしても、これだけは確実にすべきです。今の時代は、さまよう時代です。だから、確実に話せばみわざが起きます。すべての面でさまよう時代です。私たちは、本当に主の確信あるみことばを伝えなければなりません。
 
韓国で最高の歌手が歌うのに、子供達が気絶したりしています。なぜそのようになるのでしょうか? 静かに聞いてみれば、声が男の声が出てきたり、女の声が出てくることもあります。時代が要求する声です。この頃の服も、女でもなくて男でもありません。頭も見ればそうです。時代が紛らわしいから、歌もそのように歌わなければならないのです。
 
この混乱した時代に、私たちだけでもはっきりと言ってあげなければなりません。それで福音が何か、伝道は何か?を確かに知って話さなければなりません。そして、神様が与えられた成功する方法が何か?を知っていなければなりません。これがみな合わせて理解できる時、救いの確信があるのです。
 
-----------------福音を知らせるには、次の3つのことを知っていなければならない.-----------------
 
1. 福音とは?
 聖書には2種類で話されています。
  @イエスはキリストだ! Aこのイエス・キリストは今復活なさって生きていらっしゃる。この話は、今、聖霊で私たちとともにいらっしゃるということです。
 
初代教会でこれを強調しました。初代教会で人を生かした確実なメッセージがこれです。主はキリストで、今でも生きておられ、助け主聖霊で皆様を細かく導いていらっしゃいます。復活の主がいつも強調されなければなりません。復活なさったためです。使徒1:8節は、遺言でなくて、復活なさった主の最初の命令であり、約束です。とても細かく私たちに答えを下さる主がキリストで、復活なさった主なのです。今でも皆様と教会をとても細かく治めていらっしゃいます。過ぎて見れば、人一人に会って事件が起きた、それまで導きです。過ぎて見れば、私達が教会の奉仕をした、それが復活なさった主の細かい導きです。これを現実的によく悟れば、力が現れるのです。いつも過ぎてしまってから悟れば、現実的にいつも力がないでしょう。この復活の主が、今、この場で私たちとともに働かれるという事実をどれくらい信じるか?にしたがって、病気も治療され、サタンの働きも皆知ることができるのです。
 
今、助け主聖霊、すべての問題を解決なさる助け主、その聖霊様が今、私たちとともにいらっしゃるという事実をどれだけ信じるかにしたがって、私たちのすべての問題が変わるのです。したがって、何のために人が認めないと、そのように気に障るのでしょうか? 復活なさった主が、完全に私とともにおられるのにということです。仕事をしている途中で、何ゆえに気落ちするのでしょうか? 復活なさった主が、確かに皆様を一瞬ものがさないで付いて回っておられるのです。この部分がだめになれば、福音を正しく理解できないのです。言葉は福音であって、行動は福音ではないのです。したがって、福音は必ず2つのことで現れます。
 
使徒17章にも、キリストが復活なさったこと、その方がキリストだということを言ったのです。タラッパンで人を生かすことができる鍵(key)がまさにこれです。
 
キリストだけを知っていれば、人生の重大問題 3つを解決します。すべての問題を解決なさった方が、今あなたがたと共にいらっしゃるのです。どのように?
 
マルコ16:19-20節に "天に上げられて神の右の座に着かれた..."(19)と言われています。そして 20節で "主は彼らとともに働き..."と言われています。どのように突然に天に上がって、またおりていらっしゃるのでしょうか? できるのです。しかし、主が再臨なさるその日まで、神様の右の座に、天の権威で座ってくださって、同時に聖霊で皆様を直接治められるのです。地のあらゆる権威を掌握しておらられるという事実を悟ってこそ‘わたしには、天と地のすべての権威が与えられています。ですから、あなたがたは行って...’というみことばが分かるのです。
 
福音を確かに理解すべきです。人生のすべての問題を解決なさるキリストです。その次に、その主が今、働かれるのです。どのように? 聖霊で。聖霊の反対語は悪霊です。悪霊は、今、確かに働いています。この悪霊を破るために主が私たちとともにいらっしゃるのです。真に驚くべきみことばです。
 
これが理解できなければ、精神病院に1年だけ行ってみましょう。でなければ、ムダン(霊媒師)にしたがって1年だけ通ってみましょう。悪霊が確実にいることを知るようになるはずです。これが分かってこそ、父、御子、御霊の神様が分かるはずです。みことばを語られた父なる神様、私たちを完全に生かされた御子なる神様、今、私たちとともにおられ、私たちの中におられる教会を治める聖霊なる神様です。それで (ヨハネ4:24)"神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。" と言われているのです。霊という時、英語には‘聖霊と真理で礼拝しなさい'とされています。まことといわれるので、心で真実にするというように見えますが、真理(=みことば)で礼拝せねばならないという意味です。今、私達が礼拝する時、聖霊のなかで、真理で礼拝しなさいということです。すると復活なさった主が働かれるのです。
 
今、この時間に、すぐに主の聖霊は霊的なものすごい働きを繰り広げられるはずで、この事実を信じる人にすぐにサタンの権威が打ち破られるのです。これが福音です。これを集まるたびにしても、ご飯を集まるたびに食べても、力がずっと起こるはずです。
 
復活が分かってこそ、伝道が分かります。
 
2. 伝道とは?
 イエスを受け入れた後に、復活なさった主が私と共におられる事実を言うことが伝道です。その事実を言ったところ、その人がまた悟るようになるのです。
 
マルコ3:14-15節に、伝道に対する最も正確な定義があります。 (マルコ3:14-15)"そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、(15) 悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。" 伝道は証人です。
 
1) これを理解した人は、伝道の当然性を悟ります<当然性>
 マタイ28:20 "... 見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。"
 主が私たちとともにおられる事実を言うことが伝道であり、これは当然のことです。霊的な恵みをずっと受けるので、話すしかないのです。それがタラッパンであり、伝道です。それで伝道は当然性があります。当然にあなたがたは、これから伝道するようになるはずです。
 
 この教会を復興させることは、神様の業務です。この教会をどれだけ大きくするか? それも神様の業務です。私達がすることは、別にあります。本当に当然に、受けたこの救いを言うことです。ペテロが法廷で何と言ったでしょうか? "私達が見たり、聞いりしたことを言わないでいられるでしょうか?"と言いました。‘イエスの名前で話したのに、足のきかない者が起きてしまった。それをどうするのか? 私達が見たり、聞いたりしたことを言わないでいられるでしょうか? 私達が神様の前で嘘をつけということでしょうか?'と言うので、パリサイ人が返す言葉がなくなったのです。
 
 その次に、私たちに現れる祝福は、神様の業務です。皆様に当然に神様のみわざがあります。私に神様のみわざが当然になければならず、皆様にもなければならないのです。こういうことをみな合わせて理解させることが、救いの確信です。救いの確信は、私たちのさまよいが終わることで、世の中のすべての難しい問題が終わることです。
 
2) そして、伝道は必然的にすべきです。しないならばだめです<必然性>
 ローマ3:23節 "すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、" したがって、すべての人々は、必然的に福音を受けて救われねばならないのです。
 
3) 伝道の絶対性<絶対性>
 この福音は、誰も防止することができません。いままで世界の歴史で、どんな歴史も福音を防止することができませんでした。どんな団体も福音を防止することができなかったのです。今まで福音に入っていって中断した国はありませんでした。パウロが言うのに "私パウロは滅びることがあっても、神様のみことばは滅びない" "地の果てまでわたしの証人となります"と言われたし "福音がすべての民族に宣べ伝えられた後に、終わりが来る!"と言われました。
 
 これが伝道です。言い換えれば、神様のすべてのことが伝道です。神様のすべてのスケジュールが、伝道にあるのです。これを知った人は違ったことをよりする必要がありません。ご飯をくださいと祈る必要がありません。ご飯は当然に与えられるようになっています。家をくださいと言わなくても、当然に家を下さいます。この福音伝道にすべての神様の見解がみな集中しています。
 
3. 伝道の方法? タラッパンでします。(4つの方法でする)
1) エペソ2:1 - "あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって" - 生かす所がタラッパンです。
 すべての所で人を生かさなければなりません。その後に教会に来る、来ないは後の問題です。隅々で人を生かす受け入れ運動です。教会に来る人は、生きた人間がくるのです。
 
2) エペソ2:2 - "空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。" - 解放させる所です
 暗闇の力で働く世の中を、今、みことばで、祈りで解放させる所がタラッパンです。心の門をあけて来る人は、全部恵みを受けるようになっています。
 
3) エペソ2:6 - "キリストとともに天の所にすわらせてくださいました。" - 希望を与える所がタラッパンです。
 希望のすべての結論は天国です。真の希望を与える所がタラッパンです。キリスト教信者が‘どうしたら良いのか? 死ねば天国に行くけど...' こういう方法で悟った人がいます。しかし、そのように悟れば、誤って悟ったことです。皆様に一番良い所が天国です。この希望を与える所がタラッパンです。
 
4) エペソ2:7 - "あとに来る世々において証拠が現れる" - 証拠を表す所です。.
 
以上4つがタラッパンでおもにしなければならないことです。@人を生かし(受け入れ運動) A解放させる所(サタンの力から)、B希望を与え、 C証拠を表す所(祈りの力) この4つを表さなければなりません。この働きを良くすれば、神様が喜ばれるのです。この働きをしていくなら、行くところごとに神様が祝福をふり注いでくださいます。この働きに誰が勝てるでしょうか?
 
伝道に対して度々話せば、悪魔が一番気分が悪くて嫌います。この事実を神様がご存知であって、その時から神様がすべての関心を持って助けられるのです。
 
悪魔は‘以前のように生きよう。何をしようと気を引き締めて伝道するのか? バカのように生きて... 未信者のようにそのまま生きよう...’としながら、度々困らせようとします。何のために正しく祝福を受けようとするのか? とずっと攻撃しようとします。これを神様がもっとよく知って、悪魔より百倍に祝福して(マルコ10:29-30) 働かれるのです。したがって、伝道者は困難が来れば、祝福を受ける機会だと思ってにこにこ笑わなければなりません。伝道しない人ならば分かりませんが、伝道する人が困難にあうことは意味があるのです。使徒パウロが殴られることと、だれかがうろつき回りながらやくざに殴られることとは違います。殴られることも意味があるのです。したがって、伝道者が苦労すれば相当な祝福があるのです。
 
以上の 3つ(福音=キリスト、伝道、伝道方法)を悟ったならば、福音が理解でき、救いが理解できたことです。この時、皆様に方法も出てきます。その方法がタラッパンです。タラッパンを、それでせねばならないと分かるようになります。このことを神様が喜ばれ、一生涯このことをせねばならないとする時に、祝福を受けざるをえないのです。ここに皆様の事業も含まれています。ここに皆様個人がみな含まれているのです。
 
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今、既存信者の中には確信がない、ぐらぐらする人がいます。はなはだしくは、長老をしていて、そこでそのようになる人もいます。そして、信者の中に祈りの答えを受けられなくて苦労する人もいます。その中で一番大きいのが、救いの確信です。救いの確信がないから、祈りの答えがないのです。神様がとても愛の神様なので、ひとつずつ偶然にくださるのですが、本物の祈りの答えは正しく受けられないようです。それで一番商売がうまくいくのが占いです。苦しいから訪ねるのです。国会議員も訪ねて、はなはだしきは牧師も訪ねるらしいのです。なぜそうするのでしょうか? 答えが来ないから、答えが来ない決定的な原因は、確信がないからです。
 
 聖徒には、すべての門をみな開いて置かれました。味わう祝福を受けて行けばよいのです。
 
 この人達に会って未信者の状態を言ってあげなければなりません。
 
1. 救われない状態(エペソ2:2)
 1) 死んでいる状態(エペソ2:1) - "あなたがたは自分の罪過(とが)と罪(原罪)との中に死んでいた者であって...." - 霊が死んだ状態、すなわち、神様と断絶された状態のことです。神様に会ってこそ生きる人生なのに、離れてしまったのです。
2) 束縛されている状態(エペソ2:2) - 悪魔に制せられた状態(使徒10:38)
 <未信者の 6つの状態>
  (1)ヨハネ 8:44 - 悪魔の子供(身分) "あなたがたの父である悪魔..." ; 神様を離れて(創世記3:1-6;霊的問題, ローマ3:23;罪) 悪魔の子供の身分に転落してしまったのです。
  (2)エペソ 2:2 - 悪魔のしもべ(運命) "この世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者に従った" - 世の中の流れとは? 迷信、偶像、四柱推命、手相、運命を信じて従っていく世の中の風潮のことです。空中の権威を持つ支配者とは? 世の中の権威を握った世の中の支配者であるサタンのことを言います。世の中は、この世の支配者サタンに従って生きていくのです。サタンが助長する、あらゆる迷信と偶像とサタンの文化に染まって生きるように助長するのです。それで、霊が押さえられました。
(3)エペソ 2:3 - 生まれながら御怒りを受けるべきで、真の安らぎがない -- 心が押さえられています
(4)使徒 8:4-8 - 肉体の病気で滅びる(苦痛) -- 肉体が押さえられ、霊的な問題を解決されれば肉的な問題は、自ずから解決します。
(5)ルカ 16:19-31 - 来世の準備が無いこと、無神論(たましい、神様、来世を不信 ; 目に見えないながらも最も重要なこと 3つ知らないこと), それで、人間の永遠な問題(来世; 天国か地獄の問題) なくしてさまようのです。明日に対して不確実なので、今日確実な快楽に溺れて生きます。しかし、常に快楽の後にはむなしさと不安があるのです。といえども、表面では平然にして、威張って生きるかわいそうな人々です。それで、まず未信者は、どんなに良い条件を持っているとしても問題があると見れば正確です。未信者は今でも安らぎなく死んでいっています。答がなくさまよっているのです。ここに答を与えることが伝道です。
 (6)Iコリント 10:20 - 子孫が理由なく滅びます(偶像崇拝で!)(出エジプト20:4-5), 神様を離れて、悪魔に仕える生活を生きてきた人生であるから、ずっと苦しみ、子孫に良くない事をして離れるのです。呪いの遺産、災いの遺産を残して離れるので、子孫が理由も知らないで失敗するのです。
 
 こういった未信者の状態をよく診断して、そこにキリストで答えを与えなければなりません。
 
2. 救いとは何か ?
1) 過去の問題(エペソ2:1)解決 - 罪と罪過の問題の解決
(1)原罪 - 死に達するアダムの罪の問題の解決、神様を離れた問題の解決
(2)罪過 - 原罪の結果、個人的で犯す罪の問題の解決(洗われる)
2) 現在の問題の解決(エペソ2:2) - 悪魔に制せられ、世の中の流れ(迷信、偶像、運命)に染まって生きていることから、完全に解放されます。これ以上、四柱推命とは関係ありません。これから悪魔に仕えることでなく、悪魔を縛って勝って生きるようになります。
3) 来世の問題の解決(エペソ2:6) - 天国の希望を持つようになります。
(エペソ2:6) キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。
 
3. 救いの確信
キリスト = 祭司長 ; 私たちのすべての呪いを解決なさった祭司長
      預言者 ; この地に神様のみことばが渇いているので、神様のみことばを与える預言者
        王 ; 主が再臨なさる日まで、サタンが私たちを倒そうとします。したがって、私たちは常
           に勝利の王であるキリストの名前を呼ぶべきです。
1) 確信がなければ (Iペテロ5:7-8)
 "あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(8) 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。"
 救われたのに、心配する人を探すのです。言い換えれば、皆様が違ったことはみなしてもかまわないのです。博士学位が 100個くらいあるとしても、悪魔は目もはっとしません。しかし、私たちに救いに対する確信はなくそうとします。救いの確信がなければ、皆様がやられてしまいます。確かに今でも悪魔は働いているのです。
 
大部分の信者は ; (1) 確信がなかったり
         (2) 確信があるのに、違ったものを知っていたり
          二つの中の一つです。
私達が救いの確信がある聖徒を早く作って置けば、教会の隅々に大きい働きを成し遂げます。行って伝道紙を持って伝道すること以前に、聖徒にとってこの救いの問題を正しく悟るようにせねばならないのです。
 
今、信者の中にとても多くの人々が、確信なくさまよっています。数多くの信者が、祈りの答えを受けることができなくて疑っています。これで、東西南北を回るのです。すこしどこかにメッセージのよいのがあるとすると、そこにどんどん駆せ参じます。聞いてみても、あまり良いこともないのに行くのです。信徒がどれくらい葛藤が生じて、そうなのでしょうか? 信徒が実際に神様が働かれる祈りの答えを受けられないから、あまりにさまよって回っているのです。実際に答えを受けられないながら、泡を吹いたりします(不健全な神秘主義)。初めて学ぶのを誤って習ったからです。本当に直すのが難しいのです。祈る、それとともに神秘的に行きます。しかし答えを受けられないので、どうするのでしょうか? 答えとは? 神様のみことばが実際に私に成就しなければならないのです。神様のみことばは、生きているみことばではないでしょうか? 皆様がなさっている働きや事業に、神様のみことばがなされていなければならないのです。それがまさに神様の答えです。そして、祈る時に神様のみこころを探して動かなければなりません。これがだめな以上、泡を吹いても、なんの意味があるのでしょうか? 苦労だけすることになります。それであまりにキリスト教を変にしているのです。生きておられる神様が、生きて働かれなければ .... 毎日することはだめで.. 事業もなぜか一、二度だめで.. することごとにずっと出来ないで良いのでしょうか? それで神様の懲らしめがどうで、と言うのですが、何の神様の懲らしめでしょうか? はじめからだめにしたからでしょう。ですから、あまりに変に信じているのです。私達が今、みことばを正しく持って入っていって、正しく信じるようにしなければなりません。
 
今日の本文を見ましょう。人々は皆違った話しをしています。エリヤのようだ。エレミヤのようだ。バプテスマのヨハネのようだ....みな違ったことです。それで主が "あなたがたはわたしを誰だと言いますか?"と たずねられたのです。
 
2) 救いの確信 (Iヨハネ5:11-13)
  神様がまず証拠をくださいました。救われた私たちに主が共におられるためです。主が皆様と確かに同行しておられるのに、皆様がどんどん違った道に行くから、問題が起きるのです。完全な聖霊が皆様を 24時間祝福なさるのに、どんどん他の道に行くから、困難にあうのです。
 "そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。(12) 御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。(13) 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。"
 
3) 五つの確信
  (1) 救いの確信(Iヨハネ5:10-13) -- キリストゆえに神様の子供になって、永遠な子供になったのです。確信があるとする人の中には、体験を強調して倒れることもあります。しかし、救いの確信はそのようなことではありません。Iヨハネ5:11-12節を見れば "そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。"
 (2) 祈りの答えの確信(ヨハネ14:14, 16:24, ルカ11:13, Iヨハネ3:22, 使徒33:1-3)
  祈ればとても大きい答えを下さいます
 (3) 導き(同行)の確信(箴言3:5-6)(ヨハネ14:26)
  髪の毛一本でも、みな数えておられ、小さな雀まで干渉なさる神様です。詩139篇には、私達が座ること、立ち上がることをみなご存知であるとされています。神様は、私たちの全てのものを掌握なさっていらっしゃるのです。知らずにだまされていらっしゃるのではなく、皆知っていらっしゃいます。私たちを赦して、どんどん導かれるのです。困難が来ても、勝利するという確信がなくて、あまりに心配が多いのです。
 
  (4) 罪の赦しの確信(Iヨハネ1:9) - すべての罪と呪いから解放 "死からいのちに移っているのです"と言われました。証拠を提示しておいてから来なさい!と言われています。道を開いて置いてくださったのです。きさえすれば、みわざが起きるのです。
  (5) 勝利の確信(Iコリント10:13) - 時には、信者にたびたび困難もきます。しかし、それゆえに成功するようになります。ヨセフが兄と共にいたとすれば、一生、兄達のお手伝いをしたでしょう。ところが、ヨセフをポティファルの家に入れられました。神様の摂理がわからない人々が見るとき、あれは滅びたと言うでしょう。しかも、監獄にまで入って行きました。もっと滅びたのです。しかし、神様は監獄で世の中を治める政治を習わせられたのでした。いつヨセフが監獄から出てきたでしょうか? パロ王が夢を見た時です。全世界を生かしながら、神様がヨセフを生かすために備えられたのでした。
 
  ヨセフがパロ王の前に立って "あなたが夢をよく解釈するのか?"と言われたら、 "はい。それが私の特技です!"と言わないで "それは神様がパロ王に知らせられることがあるので、そのような夢を下さったのです"と言いました。そして "そのように夢を二回も見たことは、神様がその事をなさろうと考えられたのです" それとともに、政策まで提示しました。とてもはっきりと話すから、パロ王が "そんなこと言わないで、あなたが今日から総理をしなさい!"と言ったのでした。
 
 神様が高めて上げて立てました。人は一人では将軍になれませんが、信仰では一人で将軍になれます。神様が皆様を祝福すれば上がるのです。苦難ゆえに勝利したのでした。苦難が来たら、信仰を守って勇敢にそこに入っていくように願います。
 
シャデラク、メシャク、アベデネゴは、元々賢かったのですが、火の中に入って出てくることによって、より有名になりました。
 
ダニエルは、獅子の穴ゆえに勝利したのです。皆様が困難を受ければ勝利するようになっています。
 
患難にあっても、揺れないように願います。私たちは神様の民です。ところが、考えがあまりにやつれている人も多いのです。神様の民は、そのようではありません。神様の力は創造主の神様です。できないことがありません。今やられていることは、苦難ではなく、勝利の道です。ただ条件があるのですが、そこで倒れてしまえば勝利の道がないのです。滑り落ちて死んでしまえば仕方がありません。そこで主を捕まえて信仰を守れば、それが勝利の道になるのです。海で水の上に船が通ってこそそれが道となります。水に陥ってしまえば道がありません。水上にもっといれば、どこでも行きます。しかし水中に沈んでしまえば死ぬのです。
 
ノアの箱舟のノアの仲間は、水ゆえに生きて、みことばを聞かない罪を犯した人々は、水ゆえに死にました。同じで、私たちは試みゆえに生きて、未信者は試みゆえに滅びるのです。 "あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。"とされました。
 
 
現場 メッセージ 3     救いの確信(エペソ2:1-2. Iヨハネ5:11-13)
1. 救われない状態
2. 救いとは?
3. 救いの確信
1) 死んでいる状態(エペソ2:1)-霊が死んでいる状態
2) 束縛されている状態(エペソ2:2)-悪魔に押さえられる
 (1)ヨハネ8:44-身分
 (2)エペソ2:2-運命
 (3)エペソ2:3-心が押さえられる;御怒り
 (4)使徒8:4-8-肉体が押さえられる
 (5)ルカ16:19-31-来世の準備無いこと
 (6)Iコリント10:20-子孫が滅びる
1)過去問題(エペソ2:1)解決-罪と罪過
 (1)原罪
 (2)罪過
2)現在問題解決(エペソ2:2)-世の中の流れ(迷信、偶像、運命)
3)来世問題解決(エペソ2:6)-天国の希望
 
1)確信がなければ (Iペテロ5:7-8)-サタン攻撃
2)五つの確信
 (1)救いの確信(Iヨハネ5:10-13)
 (2)祈りの答えの確信(ヨハネ14:14, 16:24, ルカ11:13, Iヨハネ3:22, 使徒33:1-3)
 (3)導き(同行)の確信(箴言3:5-6)
 (4)罪の赦しの確信(Iヨハネ1:9)
 (5)勝利の確信(Iコリント10:13)