[2003年 10月 25日 / ソウル産業宣教メッセージ / メイフィールドホテル / 柳光洙 牧師]


タラッパンの意味
(使徒2:1-6)

 
@ 序論 : タラッパンの20個の戦略をひとつずつ意味を考えてみようと思います。皆様が現実と神様のみことばを考えてみれば、葛藤と差があることを感じるはずです。しかし、少しだけ応用して考えてみれば、そこに答がみなあります。神様のみことばを持って職場現場に行けば、多くの葛藤があるでしょう。大部分のクリスチャンに会ってみれば、自分自身の体質と自分の信仰でするために、聖書の反対側に影響を与えています。職場に行って、事業をすれば、葛藤があるでしょう。神様のみことばとヴィジョンと現実が一致しないのです。それを葛藤と言います。問題は、その方の習慣と体質が神様のみことばより、聖書の外側と合うということです。それで自ら崩れるのです。少しだけ考えれば、その全てのものが畑です。福音には3つが確かにあります。
 
* 唯一性 : これを正しく知っていれば、葛藤がありません。葛藤がむしろ祝福です。
* 霊的問題 : あらゆる人に霊的問題があって、これゆえに崩れるのですが、福音を本当に知っていれば、解決します。
* 持続 : 福音は理論でなく持続です。今でも可能です。
 
▲ 以前にもお話ししましたが、福音を知っているクリスチャンだけが、吉凶を占いません。ローマ15:4, Iコリント10:11, Uペテロ2:6 聖書は、私たちに手本として、鏡としてくださったので、クリスチャンだけが吉凶を占いません。人々が葛藤する時や、悩むのを見れば、彼らの大部分が ‘どのように信仰生活を良くするか’と悩むより、世の中的な体質が多いようです。それが反対ならば、全てのものが門になるはずです。職場の中で99%の人が、福音がないということは 99%が畑ということです。しかし、考えがそれの反対ならば、99%が敵だと考えるために難しいのです。現場で‘できない’と考えるけれど、事実は100%の可能性を持っています。それは、むしろ可能性を言うのです。私達が現場でそれをあきらめるためです。年をとったクリスチャンは、幼いころから答えを受ける訓練ができていないからです。
 
▲ タラッパンに20個の戦略が出てきています。ここに対する意味を正しく理解しました。持続することなので、福音を正しく悟ってタラッパンをすれば、あらゆる面に証拠が与えられなければなりません。タラッパンを知っていたら、事業と一致するようになります。証拠があるからといって、必ず真理ではありません。‘証拠があるから、これが真理だ’ そのような意味ではないのです。真理でも、証拠が時間によって来ない時があります。しかし、ほとんど、真理ならば証拠が与えられます。産業人が 20個の意味で、はじめから持たなければならないことです。米国に行ったところ、ある産業人が ‘私は、教会に行ったり、行かなかったりしますが、毎日、産業宣教メッセージと核心メッセージと聖日メッセージはのがさないで聞く’と言いました。それで、内心、熱心に聞きなさいと思いました。ところが、その方が過ぎながら言った言葉なのですが、残ることがありました。‘聖書は、私の事業ととても一致します。タラッパンをするようになれば、そのそばで証拠がまた起きて、その現場でもう一人がするようになりました。事業もそのようにします。弟子が出てきて、その人が未信者であったのですが、救われて恵みを受ければ、自分の現場に行ってまたします。事業がそうです。正しくできる事業ならば、お互いにしようとします。’私たちタラッパンは、真理に対する確信があります。ある所で神学院をしようとすれば、私たちはむしろするなと言います。神学院で学生を募集するのではありません。誤って悟っているのです。私たちは、準備が出来なければ、しないようにします。今、国内外の22ケの神学院にこの準備が出来なければ、開いてあげようとはしませんでした。福音を伝えようとしないのではありません。集会にも牧師たちがきて費用を出すのに、会費を出して来るのは、私たちしかいません。他の見方をすればその格好は、おかしいと言うはずです。しかし、それがむしろ私たちの自慢です。そのようにしても聞こうとするなら聞いて、いやなら聞くなということです。それで、職員達が堂々としたプライドを持っています。ところが、一見、高慢にも見えます。聖書の真理を聞くことができれば聞いて、そうでないなら聞くなということです。物も使うなら使って、そうでないなら使わないでしょう。私達が物を使ってくださいとお願いしてできるでしょうか? それで、その中の一番目のことが ‘タラッパン’です。その意味を見ましょう。
 
1. 旧約時代のタラッパンの意味
(1) 創世記13:18 : すべての財産、葛藤を後にして、アブラハムが祭壇を築き始めました。アブラハムが本格的なことを見て、祭壇を築く前にしたことがあります。神様が ‘その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。’と言われました。アブラハムがわかって、樫の木の下で祭壇を築いたのです。しもべ318人が現れて、ソドム王と戦って勝ちました。この時代には、戦争に負けたら2つの条件があります。無条件降伏と条件降伏があります。無条件降伏をするようになれば、全部すべて相手の勝手にしますが、条件降伏をするなら、何かを与えるとなるのです。ソドム王がアブラハムに一部を持っていけと言いました。財産のことです。アブラハムが、あなたの物は一つも受けないと言いました。‘後ほどあなたが、私を富ませたと言うではないか?’ アブラハムは、これほど堂々としていました。この祝福を受けなければなりません。
 
(2) 創世記26:10-24 : イサクが農作業をしたのに、神様が100年分のものを与えられました。それでこそ、世界宣教ができます。神様がイサクに100倍をくださったということは、100年分を与えられたということです。これが神様の方法で、神様のみこころです。どの程度与えられたでしょうか? 地域の王たちがねたんだのです。イサクは、周囲の人がねたむから、譲歩しました。それをレホボテと名づけました。ところが、神様がより広い所を与えてくださったのです。父が掘った井戸を探し出しました。アブラハムが井戸を掘ったのですが、埋めてしまっていました。その時は、井戸が財産でした。相手方が攻めて来たら、アブラハムが井戸を覆ってしまったり、飲むことができないように埋めることもあったのです。イサクは、周囲の人々があまりにねたむので、譲歩しましたが、後に井戸の根源を得ました。井戸がなくても良いのです。井戸の幹を見つけたのでした。この頃ならば、深く掘って温泉を発見したことと同じです。出てくる根を見つけたのでした。イサクが父に与えられた契約をとらえて祈ったのです。私たちクリスチャンは、急いで行くよりは熱心になせば良いのです。高慢でなく堂々とするのです。
 
▲ 私の場合は、伝道運動を始めた時から、一人でたくさん笑いました。誰がこうだと話しても、話にもならない言葉でした。見ていなさいと思いました。それは、高慢ではなく、堂々としているのでした。そうしながら笑いました。高慢ではなく、堂々としてです。福音はその程度に気を遣う程、弱いことではありません。私たちの事業も含まれています。名前で信仰生活して、自尊心で信仰生活して、威厳で信仰生活しようとするなら難しいのです。
 
(3) 創世記28:10-24 : ベテルの事件が行われました。兄の怒りを避けて逃げたヤコブは、怖いから逃げたのです。兄は猟師なので、ヤコブを捕まえるのは難しくありません。ヤコブは、熱心に逃げました。行く時、どれくらい苦しかったかというと、ある山で倒れたのです。眠り込んで夢を見ました。目を良く見ると、はしごがあって、天使が行き来していました。産業に関することが含まれています。その契約をとらえて祈ったのです。その場所の名前をベテルとしました。‘ベツ’は家という意味で ‘エル’は神様という意味です。それで、神様の家という意味で理解しなければなりません。ヤコブが、創世記35章に突然な事が起きました。自分の娘ディナが不良の男子に引っ掛かって強姦されました。それで、そちらがわから結婚を要請されたのです。ところが、ヤコブの息子達が、私たち民族は結婚しようとするなら、割礼を受けなければならないと言いました。それで、彼らが割礼を受ければ、一週間、動けないのに、その時に行ってみな殺したのです。すると、向うで じっとしているでしょうか? ヤコブがこの時、創世記35章にベテルに上ろうと言いました。ヤコブが上がって祈る信仰をまた回復する場面です。彼らの特徴が、とても祝福を受けて、相手方がねたむほどでした。
 
(4) 創世記39:1-6 : 確かにヨセフは奴隷へ行きました。ところが、奴隷として置いておくことができなかったのです。あまりにみわざが起きて、ヨセフを奴隷として置いておくことができませんでした。ポティファルがヨセフを呼んで ‘本当にあなたの神はあなたとともにおられる。あなたのする仕事に、主なる神が共にされるのだな’と話しました。どのように、奴隷で置いておけるでしょうか? 総務に置きました。神様の子どもが起こす働きです。クリスチャンは、自ら考えをします。少しだけ祈って考えれば、それが答えられます。少しだけ知恵を使えばよいのです。頻繁に話しますが、社会はみな同じです。
 
▲ 以前に全く同じ部隊で、長官がタラッパンをしたということです。将軍になるかもしれないのに、その当時、タラッパンがたたかれている時期でした。軍牧がタラッパンをするなと言う時、自分が揺れると話しました。将軍にならなければならないのに、なる可能性もあるのに、タラッパンをするとうわさが立って‘私は終わったのではないか?’と考えたということです。それで、この将軍が夜に祈りをしました。“私は将軍になること以前に、神様の子どもなのに、これゆえに申し訳ない” ところが、自分はタラッパンに対して、軍牧が非難する時、話をすることができなかったのに、自分の職員がタラッパンもしないのに、手を上げて立ち上がって、理論的にその牧師に話したということです。“私はタラッパンをする者ではないけれど、これはとても聖書的で、あまりにも福音的だ。牧師先生は本当に行って確認してみたのか?” とたずねたということです。それでこの軍牧が行ってみていないと言うので “行ってみたこともないのに、話すことができるのか?”とたずねました。将軍と信徒がいるのに、タラッパンは問題ないとして、牧師の口を塞ぐようにしたということです。それで2名は永遠に将軍になることができなかったのに、将軍になりました。悩んだ方は、まず将軍になって、後輩は後ほどずっと星を付けることができるようになったのです。この将軍は、知性が優れていて、普通の人ではありません。現場で負けないのです。戦うということではありません。私たちは、未信者とぶつかってということではなく、霊的に勝ったのです。将軍になったためではありません。私たちクリスチャンが、事実上、のがしているのです。
 
(5) 捕虜時代と会堂 : タラッパンという意味をキャッチしなければなりません。その意味が現場です。イスラエルの最も祝福が会堂だったのですが、彼らが喪失したことが福音です。
 
2. イスラエルの祝福と福音喪失
(1) 第1 神殿
@ ソロモン神殿 : ダビデが準備したのですが、ソロモンが完成したので、ソロモン神殿だと言います。ソロモン神殿は、バビロンが燃やしました。再建する時、クロス王が命令しました。イスラエルは戻って、神殿を建てろと言いました
A ヒゼキヤ王の失敗
 
(2) 第2神殿
@ ゼルバベル神殿 : 神殿を立てる時の中心人物がゼルバベルだったので、名前をこのようにつけたのです。
A 回復と喪失
 
(3) 第 3神殿 : ヘロデが王になって、イスラエルをなだめようと,, ゼルバベル神殿を壊して、神殿を建てたのです。これが、イエス様当時の神殿です。この神殿が聖書を見れば、46年かかったと記録されています。歴史家は、これよりもっとかかったと言います。聖書には、そのように記録されています。これがイスラエルを左右するのですが、むしろイスラエルがここで滅ぼされました。神殿で礼拝は良くするのに、宗教、偶像のようになったのです。実際、福音の現場がなくなったのです。それで、ローマカトリック神殿もそうです。現場を回復したのがルターです。それで神殿がほとんどなくなりました。伝道が必要ない時代は滅びる時代です。中世時代には、みな行かなければならないと言われたので、伝道が必要なくなりました。それで、現場が全部滅びたのです。
@ ヘロデ神殿
A マタイ24:1-14 : イエス様が3日後に、この神殿を建てようと言われました。パリサイ人が話がわからなかったのです。この神殿は、石の上に石が一つも残らないだろうと話されました。最後の時、神殿が崩れて今でも回復しません。嘆きの壁といって、今でも回復させてくれと言っています。そこに今は、イスラムの神殿が立てられています。この時代には、教皇が‘王をやめろ’と言えば終わりでした。今でも教皇が強大です。教皇が十字軍戦争で神殿を回復させようとしました。100年間試みたのに、回復出来ませんでした。子ども達を選んで派遣しましたが、十字軍も勝つことができなくて、200年になってもだめでした。回復する日は、終わる日だと話されました。こんにちの教会が話をしなくても似通っていきます。神殿は大きくなって、教会は小さくなって、現場をのがしています。ここマルコのタラッパンで教会を始めたのです。教会回復です。そして福音回復です。そして伝道回復です。
 
3. 新約のタラッパンの意味(使徒1:8)
(1) 教会回復
(2) 福音回復
(3) 伝道回復
(4) 福音と聖霊充満
(5) 力と証人
: 実際、神様のみことばが、現場の中でみわざを起こすのです。
 
4. タラッパンの 5つの回復(使徒2:1-47) : ほとんど完璧です。このようになれば事業も成功するようになります。
(1) 神様の働き : 想像もできないみわざが起きます。職場にも、教会にも神様のみわざが起きるのです。教会が集まれば、神様の働きのように見えなければなりません。私も開拓開始して30名ほどで12坪から始めました。みわざが起きて力が出ます。
 
(2) 門 : これが15カ国の門が開きました。ここには、全てのものが含まれます。伝道、事業の門、人の門がみな開きました。
 
(3) 成就 : 神様のみことばが成就しました。神様のみことばに記録されたことが成就したのです。
 
(4) 弟子 : 3千人の弟子. 日ごとに神殿で、日ごとに家で、みことば運動がおきました。
 
(5) 現場でのびて行くのです。これがタラッパンです。
 
▲ 事実上、あなたがたは、訓練を受けることができません。少しの間 2-3日 訓練を受けて、ある体質が変化するのは難しいのです。皆様は役員、みな会社に行けば重要な人です。事実、訓練を受けることができないのです。核心を選んでよく話すべきです。20個の秘密です。内容と意味を説明するつもりです。一番年を召した役員ですから意味を理解しなければなりません。タラッパンは、全てのものの ‘Foundation’です。成功した人々、世界を動かした人を見れば、現場で驚くべき証拠が起きました。私は成功した人をたくさん見ました。特徴が、神様のみことばを持っていたのです。韓国ガラス社長の証しを聞いてみました。この人は、車に乗れば、まず聖書を見て祈るらしいのです。それだけしても、神様がみわざを起こされました。世界に対抗するガラスを作るらしいのです。証ししながら聞いてみたら、福音が明らかな方ではありませんでした。残念でした。とても信仰が良い方です。ガラスで成功をしたのです。一度は国際空港に行って、飛行機を待って休んでいたら、国際空港の外観が全部ガラスでした。何のガラスかと聞いたら、韓国ガラスでした。その人の証しが、神様のみことばを捕まえて祈ったら、神様がすべて働かれたということでした。この人がみことばを正しく捕まえたようです。
 
----------- 要約 -----------
 
< タラッパンの意味(使徒2:1-6) >
1. 旧約時代のタラッパンの意味
(1) 創世記13;18
(2) 創世記26:10-24
(3) 創世記28:10-24
(4) 創世記39:1-6
(5) 捕虜時代と会堂
 
2. イスラエルの祝福と福音喪失
(1) 第1 神殿
@ ソロモン神殿
A ヒゼキヤ王の失敗
(2) 第2 神殿
@ ゼルバベル神殿
A 回復と喪失
(3) 第 3神殿
@ ヘロデ神殿
A マタイ24:1-14
 
3. 新約のタラッパンの意味(使徒1:8)
(1) 教会回復
(2) 福音回復
(3) 伝道回復
(4) 福音と聖霊充満
(5) 力と証人
 
4. タラッパンの5種類回復(使徒2:1-47)