" [使徒行伝の10章] 産業宣教 / 共同体と産業宣教(17)- 成功した産業人(使徒10:1-6) "
[2004年 7月 31日 / ソウル産業宣教メッセージ / ソウルメイフィールドホテル / 柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(17)- 成功した産業人
(使徒10:1-6)

 
@ 序論 : 2節を見ると ‘彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが、’と話しています。コルネリオについて言う話です。ペテロがこの幻を見たのです。その場所が6節で‘この人は皮なめしのシモンという人の家に泊まっていますが、その家は海べにあります。’と言われています。すると、だいたいの現場が想像できるでしょう。皮なめしシモンは、産業人です。皆様がこの程度、祝福を受けなければなりません。ペテロがそこに留まりながら伝道をしたということです。コルネリオを救うのに、皮なめしのシモンの家を用いられたいうことです。それなら、皮なめしシモンの産業は、どのようになるのでしょうか? とやかく言う必要がありません。私たち産業人が、おとなが、あらゆる集会に参加することはできません。しかし、あなたがたがレムナント集会には、関心を持たなければなりません。一言で、レムナント集会の現場を見ることができなかった人は、かわいそうな人々です。ひどく表現するなら失敗した人々です。なぜなら、説教してもみことばを正しく聞くことができなければ失敗するのです。答えの現場がおもにどこから現れているのかを見ることができなければなりません。学生達が多くの恵みを受けたのですが、子ども達から重要な質問を受けました。自分たちの悩みを話してみなさいと言いました。みな出来ないから、文章で受けたのです。
子ども達が5つの悩みを話しました。
(1) 傷 : レムナントが両親に受けた傷が多いのです。どのようにしなければならないかをたずねました。
(2) 生真面目 : 私たち両親が、バカ正直だということです。それで対話ができないらしいのです。
(3) 教会の葛藤 : 両親が教会の葛藤に対して話して、教会に行くのがいやになるらしいのです。
(4) 私 : ‘私はこのような時、どのようにしなければならないか?’と聞きます。何かしないでいることもできず、弾むこともできないと言います。‘牧師の子どもは、どのようにしなければならないか?’と聞きます。‘学校ではどのようにしなければならないか?’と言います。
(5) 文化: ‘先生、文化に対してどのようにしなければならないのですか?’ この部分は、私たちの世代の虚を突くことです。子ども達が、恵みをたくさん受けて、自分の胸にある話をしました。私はこのように答えました。私達が親を変えることはできません。
* それで答えました。
(1) メッセージで受けましょう。その時代は、それしか仕方がありません。私たちの前の世代や、既成世代は生真面目な方法で生きなければなりませんでした。それで、一旦、受け入れましょう。メッセージとして見ましょう。
(2) 祈りの課題目 : ここからあらゆる祈りの課題を探しましょう。
(3) 未来準備: ここで未来準備をしましょう。これ以上、答えることができませんでした。
 
▲ ここには、ジャーナリストが共に集まっています。私の考えでは、ジャーナリストは大切なのに、前の部分に資料を提示することが良いでしょう。私はそのように考えます。これが変わらなければ、大きいことが変わりません。未信者と次の世代が、バカ正直だと見て、教会に行くのが嫌いだとして、どこかで解放されたいらしいのです。世の中の文化はすごいのです。勝つことができないと考えます。ところが、ここに深いメッセージが聞こえなければならないのです。ここには、多くの役員も参加しています。教会に行けば、多くのことを置いて祈らなければなりません。それでこそ、産業が祝福されます。皆様の産業を神様が根本的に祝福されなければならず、そうでなければ限界がきます。根本的に神様が祝福をしないとなさるのに、どのように祝福を受けるのでしょうか? 私たちの知識が固定されたということです。私達が悟らなければならない部分が誤っていたということです。どのように答えを受けるのでしょうか? 何かの才知で答えを受けるのでしょうか? 年を見てもできないのです。私たちの考えが誤っているのです。一、二箇所が誤っているのではありません。文化から染まっているのです。だから、ジャーナリストが、そこに光を照らして、明らかにしてなければなりません。
特に、役員は、聖歌隊がどのように集まったのか? ‘あのように指揮する、歌う人にお金を与えなければならないか?’と言います。‘みな共に献身するのに、特に伴奏者だけしてあげなければならないか?’と言います。極めて正しいの話です。それは染まった意識です。世界は今、歌の戦いです。天から堕落したサタンが歌う天使でした。それで、ウォンブル(円仏)教、天理教、仏教、統一教で、どれくらい歌を上手にやるでしょうか? 文鮮明が米国を掌握するようになったのが、オペラ団が10ケを作って食い込んだのです。私たちは、文鮮明が開いた目が、なぜ開かれないのでしょうか? サタンを受けた方が目を開けているのに、聖霊を受けた方がなぜ開かれないのでしょうか?
▲ 旧約の歌う人々が、レビ族でした。もちろん、万人祭司で、これは崩れたのですが、精神は持続しています。十分の一献金は、献金ではありません。福音を持っていれば、どれくらいパワーなければならないでしょうか? 10人がいれば、一名を派遣しなければなりません。それを意味するのです。11人がお金を出して、一名を食べさせて生かすのです。それが、十分の一献金の根本です。それを持ってレビ族を食べさせて生かすのです。そのような意味で、神様が十分の一献金は、わたしのものだと言われました。十分の一献金をしなければならないか、しないでよいかという質問は、知識の限界がきたのです。税金も出して、十分の一献金も出して、どれくらいお金を多く使わなければならないのでしょうか? それが祝福を受ける理由です。皆様が教会生活、世界宣教もしなければならないから、祝福を受ける理由です。産業人がどれくらい重要でしょうか。メッセージを受けずには不可能です。私たちのメッセージが、次の世代に損傷を与えることならば、変えなければなりません。未信者が私たちを見て、素晴らしいと見なければならず、バカ正直だと見るならば変えなければならないのです。教会に問題がないとは限らないけれど、教会がこういう所だなとしなければ、バカ正直だとするならば間違ったメッセージだということではないでしょうか? 文化を知らなくて、何ゆえに世の中を生きるのでしょうか? 文化を知らなければ、地球に生きる理由がありません。火星、金星へ行かなければなりません。より良い所が天国です。そちらへ早く行かなければなりません。文化を生かすことができなくて、どのようにするのでしょうか? これが産業人が存在する理由です。神様が産業人を祝福する理由です。献金をして、たくさん仕える、そのような意味ではありません。どうして神様がそのような人を祝福されるでしょうか? ここに神様が根本的な答えをなさるのです。私は聖書を見ると、成功した人が多いのです。
 
* 初代教会の産業人は、どのように答えをずっと受けたのでしょうか?
1. 福音と産業人 - 福音を正しく始めた人々
(1) ルカ10:1-20 :
(2) 使徒1:12-15 マルコのタラッパンに集まった人々が、重要な産業人です。15ケ国からきたのに、彼らも産業人でした。
(3) 使徒2:9-11
(4) 使徒9:1-43
(5) 使徒10:1-6 : 皮なめしシモンも産業人です。
▲ 福音を正しく始めた彼らが、産業人ということです。そのようになれば、前の部分を見るしかありません。これは子ども達が質問をしたことです。講義をしながらメッセージを受けました。これはメッセージです。私達が、こういう部分に対して感じることを持っていなければなりません。なぜ神様が世界福音化の現場に共同体という言葉を使うようになさったのか? これを早くキャッチしなければなりません。教会生活をどのようにしたのか、意味あるようにしなければなりません。世界宣教大会へ行くべきだというので、3千名が登録しました。時間がたてば‘行くことができない、行く’というようになります。そのような方法で信仰生活をしてはなりません。チャン・チテ宣教師を派遣した時、どれくらい参加したでしょうか、お金がたくさん出てきました。1年が過ぎたら、一名も出てきません。それで、私たちの教会で一手に引き受けたのです。それを話そうというのではありません。信仰生活をそのようにしてはなりません。主に仕えて、教会に意味を持たなければならないのです。小さなお金、小さな機能を持っても、意味を持たなければなりません。こういうものすごい畑を置いて、献身する意味を持たなければならないのです。
 
2. 福音的体質
▲ 問題は、彼らが福音的体質になったことです。神様の大きなみわざが起きるしかありません。それで、ジャーナリストたちは、常時、祈らなければならないのです。ジャーナリストは、政治をする人々と、産業する人々の文を書かざるをえません。あまりに未信者と信者が、とんでもない事をするので、ジャーナリストが文を書かなければならないということです。すると、またジャーナリズムをつかんで出てきます。こういう方法でしているので、ジャーナリストが信仰生活をできないのです。秘密がなければできません。そうしたあと見ると、いつもけんかをしています。間違ったことをするので、けんかするしかありません。教会は民主主義ではありません。外は民主主義を提起してこそ事が進みます。ところが、みことばだけについて行く人が、そこに適応することは難しいんどえす。それをジャーナリストが知って理解しなければならないのです。それで、信仰生活がこうだなとキャッチすれば、世の中を変えることができます。ジャーナリズムは誤っていることを話して、正しく行くようにすることが役割です。そうしたあと見れば、私たちはジャーナリズムに務めてみると、信仰の祝福を味わうことが難しいのです。それで方法はひとつしかないのです。ジャーナリズムに身を置いているけれど、自分の体質は福音なのです。それでこそ生き残れます。仕事もですが、私が福音体質になってこそ死なないのです。事業をしてみても、いろいろな人がいます。そうしたあと見ると、私たちの信仰が正しく方向を握ることができないのです。それで、私達が福音体質にならなければ、私達自身が難しくなるのです。
(1) 使徒1:12-15 : 禁止令を下ろすところに集まりました。
(2) 使徒4:1-12 : 拘束される背景です。
(3) 使徒8:1-3
(4) 使徒9:1-15: イエスを信じる産業人を捕まえるために特殊部隊が回るのです。
(5) 使徒12:1-25 : ヘロデ王が王権を持ってイエスを信じる産業人を捕まえたのです。
(6) 使徒16:16-40 : 文化自体が、完全に信仰生活をすることができない状況です。
(7) 使徒19:21, 使徒28:30-31 : 福音体質になれなければ、生き残ることができません。パウロがそれでローマへ行くべきだと言いました。この話をわかった人々が、産業人でした。ローマへ行かなければならないということを、キリストの産業人がわかったのです。それで、世界福音化がなされたのでした。これくらい産業人が重要です。パウロが監獄にいたのですが、妨げる人がいなかったということは、パウロが特殊な市民権者であるから、別に家を得て保護されたのでした。そこに全く名前を明らかにしないで出入りした人がいたのです。福音を悟ったということがわかります。ずっと世界福音化が開きました。神様が祝福されるしかなかったのです。
 
3. 純粋な献身
▲ 福音のためならば、純粋に献身しなければなりません。それでこそ、これを変えることができるのです。あなたがたが福音体質になって、福音ゆえに生きれば、神様が答えられざるをえません。私に足りない点がいくつかあります。ところが、神様と私と通じることがいくつかあるのです。働きをしたり、教会の働きをする時、どんな手段も使いません。私たちとよく通じる人があるとして、絶対にそのようにしません。誰だから、人間であるから見てやって、そのような方法ではしません。働く人々が知っています。そのようにしなければならず、重要な福音を下手してはならないのです。初代教会の産業人がこのようにしたのです。神様の祝福を 受けるしかありませんでした。産業人を通じて教会を生かしたのです。産業人を通じて主のしもべを生かしたのです。神様が産業人を通じて文化を変えられました。祝福を受けるしかありません。これが何でも、みなそうです。復興するしかない状況へ行かなければなりません。
例を上げるならば、時間を急に作って運動するしか方法がありません。それで、朝に一度ずつ歩いて、ゴルフもして、そのようにするのです。そのようにするので、むずかしいのです。他の人々はみな寝るのに、私はできません。忙しく行って、少しずつするからだめなのです。このように感じましたよ。ゴルフは打つのではなく、たたかなければならない、そのように感じられました。ゴルフを打つ時、中へ入れて打てと言われます。それは誤った教えです。中へ入れてたたくようにしなければなりません。そのようにしなければ、無理に中へ 入れてはなりません。私がするシューティングが、中へならなければ、しようと努力してはできません。私達が祝福を受ける原理も同じです。神様が祝福するしかないとならなければ、無理にすれば、どのようになるでしょうか? 初代教会の産業人は、祝福を受けるしかありません。誰が防止することができるでしょうか? これが祝福を受ける産業人です。皆様が祝福を受ける産業人です。すぐできなくても、このようにしなければならないのです。私達が福音体質になってこそ、産業も生かすけれど、私を生かすことができるのです。本当に正しい福音を悟って、正しい献身をすれば、神様が祝福なさいます。子ども達が言った言葉です。私たちの胸に、いだかなければなりません。私たちは、契約を握って、文化を変える程に答えを受けましょう。私たちの長老と役員が、どれくらい答えを受けなければならないのでしょうか? 文化を変える程、答えを受けなければならないのです。ジャーナリストが、個人的な祝福を受けることを希望します。ジャーナリストの生き方を助ける人がいません。個人が生き残らなければならないのです。記者、放送に出れば、終わりです。それで、皆様が生き残らなければなりません。特にジャーナリズム、そして産業する人々がみなそうです。
私たちのメンバーの中に、国立大学で長く教授をしていた人がいます。月給をもらって、仕事をしました。そして、引退したのでした。ところが、死ぬ時まで月給をもらうのでした。それを見ながら、産業人、牧師は、世の中の保障がありません。ジャーナリストに何の保障があるでしょうか? 私達が神様の祝福を受けることなしではだめだということです。どれくらい受けなければならないのでしょうか? 文化を変える程、受けなければなりません。.
(1) 純粋な福音(使徒2:1-47)
(2) 純粋な動機(使徒6:1-7)
(3) 純粋な献身(使徒9:1-43)
(4) 神様の大きい計画と答え(使徒10:1-6, 10:6-45)
 
 
-- 要約 --
<共同体と産業宣教(17)- 成功した産業人(使徒10:1-6)>
 
初代教会の産業人は、どのように答えをずっと受けたのでしょうか?
1. 福音と産業人 - 福音を正しく始めた人々
(1) ルカ10:1-20
(2) 使徒1:12-15
(3) 使徒2:9-11
(4) 使徒9:1-43
(5) 使徒10:1-6
 
2. 福音的体質
(1) 使徒1:12-15
(2) 使徒4:1-12
(3) 使徒8:1-3
(4) 使徒9:1-15
(5) 使徒12:1-25
(6) 使徒16:16-40
(7) 使徒19:21, 使徒28:30-31
 
3. 純粋な献身
(1) 純粋な福音(使徒2:1-47)
(2) 純粋な動機(使徒6:1-7)
(3) 純粋な献身(使徒9:1-43)
(4) 神様の大きい計画と答え(使徒10:1-6, 10:6-45)