[2004年11月13日 / ソウル産業宣教メッセージ / ソウルメイフィールド ホテル / 柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(30)- 主にあって労苦する者
( ローマ16:12)

 
聖書みことば(ローマ16:12)
"主にあって労している、ツルパナとツルポサによろしく。主にあって非常に労苦した愛するペルシスによろしく。"
 
要約 資料
1.初代教会の聖徒の苦難
(1)異端決定
(2)禁足令
(3)社会, 家庭, 関係断絶, 国際孤立
(4)拘束
(5)死刑
 
2.初代教会の復興
(1)使徒2;9-11
(2)使徒2:41
(3)使徒4:1-5
(4)使徒6:7
(5)使徒13:1-12, 使徒16:16-18, 使徒19:8-20
(6)使徒28:30-31
(7)ローマ16:1-27
 
3.理由がなにか? - 神様が最も重要にご覧になること
(1)真に救われた者
(2)真に救われる者
(3)真の伝道と暗闇文化
 
4.必ず答えを受ける聖徒と産業人
(1)真の伝道者を助けること
(2)真の宣教師を助けること
(3)真の福音のために労苦する者(マタイ10:1-42)
(The end)
 
説明資料
序論
▲“主にあって労している、ツルパナとツルポサによろしく。主にあって非常に労苦した愛するペルシスによろしく。(ローマ16:12)”
どんな労苦を話すのでしょうか? 私達が労苦する時、多くのことが含まれます。
私達が事務室に幹事を連れて仕事をしても、仕事を良くする人がいます。目に見えなくても、幹事一人が仕事ができなければ、被害になります。私達が仕事をする時、専門性を持って徹底してしなければなりません。仕事ができる人を見ると、メモを良くして、仕事を良くします。また教会に新しい信者がきた時、仕事をする一人が相当な影響力を与えることができます。新しい信徒が誤った人に会えば、教会に対して誤ったイメージが入っていくのです。それで、私達が労苦を少しだけ良くすれば、多くの実が出てくることができるのです。
私達が労苦ということを知らなければ、自分の存在が、他の人に被害を与えます。それよりもっと被害を与えることが、中心が違うことです。それより被害を与えることがあるならば、動機、開始が違えば、普通の問題ではありません。私たちは、各々、経験、体質が違うので、ものすごく問題を起こすことがあります。しかし、反対にちょっと無能でも、中心が正しければ失敗しません。ひょっとして人が劣っていても、中心が正しければ、結果が良くなります。私達が難しくないことは、動機、内容が正しければものすごく成功するのです。
▲初代教会の労苦は、どの程度を話すのでしょうか? 仕事を 多くしたという表現ではありません。
 
1.初代教会の聖徒の苦難
▲苦難を受けるしかない立場でした。その時は、民主主義時代ではありません。完全、封建主義よりもっと前の封建主義です。
(1)異端決定
▲こういう状況で、異端決定をしたのです。それ自体だけで終わったのです。このような状況が、民主主義社会では格別のものではないのですが、その当時では終わったのです。
(2)禁足令
▲異端決定だけしたのではなく、活動ができないように禁足令を下ろしました。それで、隠れてするしかなかったのです。
(3)社会、家庭、関係断絶、国際孤立
▲すぐに社会で問題がきます。その当時に、社会ですぐに問題がきました。ある場合には、家庭の問題がきます。この程度に凄じく子どもも結婚するのが難しいのです。ほとんどすべてが、あらゆる関係が断絶されたのでした。ある場合は、ユダヤ人は全世界に行って会堂を作るので、国際社会でも孤立します。この程度だけなってもむずかしいのです。
(4)拘束
▲その上、外に行って話したり、説得したりする時、捕まえて拘束されます。
(5)死刑
▲ところが、再犯をした時は死刑になります。この程度なら終わりです。
 
▲皆様ならば、こういう中で信仰生活をできるでしょうか?
これが神様の方法です。にせ物はみな落ちます。聖書の感化を受けることができなければ、生きることができません。簡単に話せば、福音でなければ、とうてい耐えることができないのです。ところが、これが反対です。本当に神様の人ならば、ここで方法がみな出てくるのです。悪い動機を持てば来ることができません。100% 弟子訓練に成功します。教会で利益でも見ようかという人は、来ることができないのです。 100% 献身する人だけが来るのです。それで、聖霊の導き受けるを人は、これが全部、道になるのです。
 
2.初代教会の復興
▲そのような中で復興しました。どの程度、復興したのでしょうか? 想像を超越するほどです。
(1)使徒2:9-11
▲パリサイ人とユダヤ人の虚を突く事が行われました。マルコのタラッパンの初日に、このようになったのです。これが使徒2:9-11です。簡単に読み過ごすことができますが、これは私が見る時、一番重要です。ユダヤ人が防止しようとすることを全部跳び越える事件でした。詳しく見ましょう。この人たちを死刑や拘束して法律に掛けることができないのです。ユダヤ人には、彼らを防止することができる道がありませんでした。彼らが言わば、海外にいる人々です。彼らがマルコのタラッパンの聖霊が臨む時、参加したのでした。ユダヤ人と思想が違います。彼らが外に出ていたので、世界化なっている人々です。福音だけ入っていけば、正しく宣教を理解することができる人です。イスラエルを 3-4回滅びるようにさせた宣教を簡単に理解することができます。皆様が宣教を正しく知っていれば、ぶるぶる震えなければなりません。宣教を正しく理解するならば、献金に対する問題は全くありません。今、宣教を正しく理解するならば、既存教団のようにしません。教勢拡張して教会の名前を出すことであって、宣教となんの関係もないのです。もしそのような人々だけ集まったとするなら、100% 弟子はいません。こういう状況で何の弟子がいるでしょうか? 神様がご覧になる時には、零点です。彼らは、そのような人々ではありません。祝福されて選択された人々です。
(2)使徒2:41
▲組織が少しずつ動いて、ここで 3000人の弟子が起きたのです。想像でもできるでしょうか? こういう状況で弟子3千名がおきたと確かに記録されています。
(3)使徒4:1-5 数多くの弟子がおきた記録です。
(4)使徒6:7
▲ところが、この福音を防止する張本人に福音が入っていくようになりました。それが 6:7です。最も福音を防止した祭司の群れの中から福音を受けた代表的な人物がパウロです。だから、伝道や宣教は心配することではありません。伝道と宣教は神様の御手にあります。そのような程度ではありません。100%神様の御手にあります。そのように悟らなければなりません。
(5)使徒13:1-12, 使徒16:16-18, 使徒19:8-20
▲地球上で福音を持った者だけがこれができます。それが使徒13章、16章、19章です。パウロはこの三つのことをしました。これと関連したことをしたのです。ですから、この部分を知らない人は、いっそのこと宣教ができないのです。ものすごく、この部分は重要な部分です。なぜなら産業人がここに陥っています。どれくらい確実かというと、
(6)使徒28:30-31
▲パウロが刑務所にいても、弟子たちが駆せ参じました。刑務所は人をつかまえておく所です。ある人は監獄に一緒に入っていきました。それでパウロがどれくらいたいした人物かというと、刑務所の外に別にいたのです。韓国にもそのようなことがありました。非常に大きい人物は、刑務所の外に入れて、守ることもあります。ここにも弟子が集まりました。止めることができないのです。
(7)ローマ16:1-27
▲世界を動かすだけの文化圏を動かす働き人が集まったのです。このように見れば、誰がしたのでしょうか? 理由が何でしょうか? これが何をいうのでしょうか? どんなに考えても、これは計算が出てこないのです。神様がなさることです。どこを重要にご覧になるのでしょうか?
 
3.理由が何でしょうか?- 神様が最も重要にご覧になること
(1)真に救われた者- 真に救われた子ども
(2)真に救われる者- 対象者
(3)真の伝道と暗闇文化- このことができれば、暗闇を打ち破れるのです。私達がするとか、しないとかではなく、歴史をおいて計算しなければなりません。これを悟った者の労苦…, あらゆる問題が解決します。この部分を知っている者の労苦です。
 
4.必ず答えを受ける聖徒と産業人
▲私たち教会と関係なく、本当に真の宣教師ならば、手助けしなければなりません。必ず宣教師でないにせよ、真に福音で苦労する者でなければなりません。それがあらゆる答です。本物の答えを受けます。それで、私たちは簡単でやさしいことは、ずっと道を抜け出せば、難しくなるのです。それで私達が今からでも、この目だけ開かれれば、あらゆる問題が解決するだけでなく、あらゆる祝福がきます。
(1)真の伝道者を助けること
(2)真の宣教師を助けること
(3)真の福音のために苦労する者(マタイ10:1-42)
 
▲私が時々証しする一般信者がいます。私が彼らに会ったことが祝福です。キム・ジュンゴン博士に会って、ソン・セマン宣教師について話しました。日本の集会でCCCの日本代表が参加していました。その中でソン・セマン宣教師について尋ねたので良く考えました。ところが、その人が一番難しい時、宣教師で行ったのです。私が難しい時は、副教役者の時だったのですが、それは経済が難しいのです。ただ一つも余裕がなかったために、あまりにむずかしかったのです。副牧師の中で独立しないのは、経済のためであることがあります。こういうことでは、手助けする道がありません。この人を見たら、本当の宣教師でした。この人は100% 後援を受けて行くのに、全く教会の助けを受けないのです。 CCC政策の中で良いことは、人が宣教師として派遣されるのに大きい条件2つがあります。伝道運動が確実で、自分が使う宣教費を準備しなければならないのです。それでなければ、キム・ジュンゴン博士に会うことができません。それで、周囲の助けを受けて行くようにしたのです。ソン・セマン宣教師のお母さんが小さい商売をしていたのですが、大きい力になりません。たぶん表情からさっすると、もうけたものをお母さんがすべて出したのです。それでも難しかったのです。それで、その方を助けるべきだという決心をしました。助ける方法は、私が使わなかったり、減らしたりしなければなりません。そのようにしながら手助けしたのです。ところが、この人が手助けする人に毎月、祈りの手紙を送ります。私は祈りの手紙を見ると、どれくらい恵みになったでしょうか? 普通、他の人々の手紙をたくさん受けます。内容はよいのですが、ほとんど読むことができないのです。なぜなら、だいたい見ればあまり読めなかったからです。ところがこの人が送った手紙は、小さくして持って通いながら、頻繁に見ました。そこに何が違うか? というと、この人は、本物の伝道者です。歩み一つ一つに神様が共にされることが見えました。私が助けになるのです。神様が祝福されることの中の一つではないかと思います。それで、そうしたあと見たら、心にこの人が本物の伝道をする人だと思いました。私も知らない間に、この人をどのように手助けするか、工夫が出てくるのです。私となんの関係ないのに…, 福音が本当に良ければそのようになります。
それで、産業人がこういう部分を見ることができることは、全てのものを見ることができることです。それで、多くしようとせずに、本当に真の伝道者、宣教師の目を開かれなければなりません。すると、こういう結論が出てきます。神様のみこころならば、金を借りてでもしなければならない。なくてもしなければならない。そのような結論が、簡単に出てくるのです。
▲こういう人々だけが集まったのがローマ16章です。そのような意味での労苦です。心に置かなければ、心が変わります。なぜなら、私と皆様は復興しても変わって、だめでも変わるのです。少しずつ変わるので、みことばをいつも見なければなりません。たぶん私が知っていることでは、皆様は永遠に滅びません。
▲また一般信者が宣教師、牧師を見る時、このように見るべきです。この程度になった牧師と宣教師ならば、失敗しても手助けします。こういう牧師ならば、一般信者が目に見えなく祈ってついてきます。いままで世界教会とむかしの教会では、この部分に弱いのです。ですから、どんどん問題がくるのです。年をとれば、できないことです。それで正しく福音を伝えることができないのです。皆様の胸の中にメッセージが聞こえてくるはずです。この部分に多くの気がするはずです。
▲今回の産業人は、今週、強調したように、祈りが始まらなければなりません。
(1)定刻の祈り- 努力する祈りです。もちろん断食、特別祈りも努力する祈りです。より水準を置いたことが、定刻の祈りです。ある執事が事業していて、滅びました。それまで祈りをしないでいたのですが、祈梼院に逃げたのです。祈梼院で3ヶ月祈っている途中で、感動を受けて神学校に行きました。ところが、その方はまだ牧会がむずかしいのです。信徒がいません。導きを誤って受けたのです。そのような祈りも重要ですが、本当に導きを受けようとするなら、こういう祈りをしなければなりません。断食祈りも重要ですが、この祈りがより重要です。
▲私は率直に断食祈りをすると、霊的に肉的に澄みます。ところが、まともな精神状態でない部分が1,2種類ではありません。前に断食祈り3日したのに、いろいろ食べる考えがみな出てきます。断食祈りをするのに、祈梼院にきた人々がラーメンを食べるのに、どれくらいうらやましいか、まともな精神状態ではありませんでした。断食を終えて、教会に降りてきたら、結婚式をしていたのですが、豚肉とモチが整えてありました。正常な精神ではありませんでした。それで、どれくらいたくさん食べたのか分かりません。胃には限界があるのに、普通の3倍が入っていきました。断食を何日かして食べたので、おなかが空いていました。それで腹が痛くて死にそうな目にあいました。完全、正常な精神ではありませんでした。断食祈りも良いけれど、そんなに良いことではありません。聖書の祈りを無視することではなく、より良いものがあるのです。人々がここに深く考えをしないのです。私は明日、教会に行けば、私たちの事務員がしてくれることがひとつあります。紙を 一枚くれます。ところが、その紙は何かをしなさいという宿題です。その一枚にみな記されているのです。何の文章を書かなければならないか? というタイトルが一枚にみな出てきます。それでもし文章を頼む人々は、私に頼まず幹事に話せば、書いて上げます。それでそこを見れば、一週間、その時にしたメッセージのタイトルがみな上げてあります。それをもらって、ポケットに入れて、車、飛行機に乗って取り出して見るのです。それで次の週にする説教のタイトルが出てきます。そこを見れば、その前にしたメッセージのタイトルがあります。次に見ると、聖書シリーズがあるのでタイトルを探して置きやすいのです。ほとんど一週間を持って通います。 定刻の祈りをする時、参考にします。金曜日になれば使います。金曜日になれば送るメッセージと説教を書くのですが、書くことが多いので、金曜日、土曜日に書きます。書いたものを幹事に渡します。幹事はそれを即刻入力してタイトルを一ページに整理してくれるのです。それをもらってポケットに入れます。時々私が持ってこなければ、秘書に言ってまた持って来させます。このようにするので、私がなにか感じました。何年かするので、感じがあります。私達がそのまま通っているようだけれど、神様が全てのものを導いておられるということを実感します。
(2)常時祈り
▲このようになれば、常時祈りは簡単になります。努力する祈りではありません。できていく祈りです。こういう段階がきます。本当に不思議に思うことです。以前は、努力する祈りをする時、率直に難しかったのです。これができれば、難しくなくて、リズムができます。
(3)超越
▲このようになれば、超越する段階がきます。私が考える時も、理解できない程に、こういう段階がきます。確かに私の状況を見れば、病気になったり問題がきたりするはずです。こういう部分がみな超越します。そして、こういうの中で、レムナントという単語を考えれば、その時から答えがくるのです。 6年前にレムナントという単語を使うようになったのに、今は、インターネットでもレムナントという単語が出ます。神様は全てのものを超越されるのです。
▲将来に、産業宣教にどのようなことがおきるのでしょうか? 祈りと福音を続けてみると、根がどんどん下されます。私は能力がないのに、神様がこういう答えを下さいます。本当に祈ってみましょう。これの根拠を持てば確信が生じます。それなら、私達が歩いていく道がこの中にあるならば、神様がどのようにされるでしょうか。ヨセフのような人に想像を超越する事が行われました。パウロ、ダビデに想像を超越する事が行われました。こういう答が出てきます。私達が、信仰生活を神秘に受けることでなく、当然に受けなければならないのです。当然に考えなければならないのですが、当然にのがしています。こういう祝福は、時間が経つほど、誰もが受けることができるのです。
▲あらゆる産業人、牧師が、こういう祝福を受けなければなりません。受けるようになるはずです。最も重要な鍵が、本当に福音ならば、こういう事に労苦する産業人が、こういう味を知らなければなりません。事業にもそうで、熱心にすることも良いのですが、神様の祝福を受ければ、他の人が見て恵みを受けます。皆様が、良くしてできれば、すごいと言われるでしょう。しかし、時間が経つほど、完壁になっていけば、他の人が見て恵みを受けます。熱心よりは平安が与えられます。私達が奮闘するというよりは、導きを受けるのです。時刻表もなっていくのです。それで‘私達が建築しよう’とすれば、できる時刻表が開くはずです。それで私たち産業人は、こういう重要な祝福を受けなければならないのです。長老たちを見ながら、この方たちは、本当の祝福を受けなければなりません。教会、宣教費、建築をすれば、直・間接的に長老に負担がかかります。それで、長老、執事の産業人が、福音の中の祝福を味わうことができなければむずかしいのです。すると、苦痛になります。ですから、皆様が単に過ぎるのではなく、ローマ16章の祝福を受けようということです。
(The end)