[2005年 01月 22日/ ソウル 産業宣教メッセージ / ソウル メイフィールド ホテル / 柳光洙 牧師]


共同体と産業宣教(38)- 産業人とアブラハムの祝福
(創世記 13:14-18)

 
要約資料
 
1.答えがないアブラハム
(1)創世記12:10-20
(2)創世記13:1-13
2.悟るアブラハム
(1)創世記13:14-18
@東西南北を眺めなさい
A永遠に与える
B縦と横に歩いてみなさい
Cアブラハムが受けた答え
(2)アブラハムが受けた答え
@創世記14:14(しもべ318人)
A創世記14:15-16(ソドム王に勝つ)
B創世記14:17-24 (メルキゼデクの祝福)
3.アブラハムと産業宣教の祝福
(1)新しい契約(創世記15:1) ? わたしがあなたの盾、報い
(2)イシュマエルを送る(創世記16:1-16)
(3)ソドムに対する使命(創世記18:16-33)
(4)イサクを得ること(創世記21:1-21)
(5)新しい祝福(創世記22:1-20)
@大いなる者(創世記22:17)
A敵の門(創世記22:17)
B世界中のあらゆる民が救い(創世記22:18)
 
 
説明資料
・序論
▲アブラハムが祈りの答えを大きく受け始めた時が、創世記13章です。
ここを見れば‘ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。’とおっしゃっています。ここで、ものすごく重要な単語が‘ロトがアブラハムと別れて後…’.
▲私たちには、力がないのに、どのように祈りの答えを受けることができるのでしょうか? しなければならない事が多いのに、どのようにできるのでしょうか? 私たちは、前が真暗になる時が多いのです。
▲釜山で始めた時、影島で始めた時でした。教会堂がなくて、土地もなくて、お金もありませんでした。そのような中で、200坪の小さい土地を買ったのです。私が見るのには、そこではだめだと考えたのです。それで、神様が備えておかれた土地があるのに、私たちは心配したのでした。ところが、考えもしなかったのに、みわざは起きたのです。それで、私達は一万坪を占めました。そこに重要なことがおきるはずだと考えています。
(1)計画- 信仰人に重要なことがあります。神様の計画を心に刻まなければなりません。これが祈りの答えに、ものすごく重要です。万が一下手すると、神様の計画でないことを入れてしまうのです。神様の計画を心に刻めば、確かにみわざが起きます。万が一、感情、負けん気はこれをのがすのです。各教会の多くの働き手が、ともするとこれをのがしてしまいます。どんなに力がなくて、貧しくても、この部分が明らかならば、まちがいなく門が開きます。
(2)世界福音化の道- なぜなら、これが神様の明らかなみこころであるためです。重要な答を得るようになります。
(3)手- この祝福が私達の手に入らなければなりません。
▲私たちは祈るのですが、こういう悩みをしてもかまいません。私達が小さい事を考える時、いつも参考にしなければなりません。これが私たち中に刻まれてこそ、神様のみわざが外で始まるのです。それで、今でもそのように考えます。こういうレムナントがたくさんきて訓練を受けるように準備をしなければならないのです。そして、今、世界のエリートが、伝道留学に来つつあります。産業人が祝福を受けようとするなら、心に刻まなければなりません。
▲大部分を見れば、これが堅くなっていない状態で、建築もして、あれこれをするのです。神様は、全能なる方なのに、それでみわざが起きないのです。神様が働かれれば、全く関係なく、みわざが起きます。必ず心に 刻むべきことが、これです。それで、このようにだけなれば、私たちの力とは関係ありません。
▲そのような意味で‘ロトがアブラハムと別れて後’、やさしいのだけれど、やさしいのではありません。アブラハムは、自分の息子がいないので、おいを自分の息子だと考えたのです。一緒に食べて暮らすべきだと考えたのです。ところが、それがどんどん問題がきたのです。アブラハムが、初めて悟るようになったのです。神様が‘確かにあなたの子孫によって国々が祝福される’とおっしゃられたのです。小さなことなのですが、悟ったのです。ロトではない。
それで、アブラハムが決断を下したのです。大きい決断ではありません。‘それで、なにぶんあなたと私が別に住むべきだ’と言いました。かなりのことを譲歩しました。これがものすごく小さなことです。これが心に刻まれたのです。あなたは目を聞いて、東西南北を見なさい。これを永遠に与えると言われました。そして、17節に、立って、その地を縦と横に歩き回りなさいとおっしゃいました。簡単に見れば、足で踏む所を与えるということです。この契約をどれだけはっきりと握ったのかというと、18節を見ましょう。‘そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。’と言われています。
▲祈ると答えがくるということではなく、これを捕まえて祈ったのです。この時、アブラハムがまさに産業人の祝福を受けたのです。神様が産業人の祝福を大きく与えられたのでした。テキストを少し見ましょう。
 
1.答えがないアブラハム
(1)創世記12:10-20 カナンの地へ行くようにしたのに、エジプトへ行って、死ぬほどの苦労をしました。
(2)創世記13:1-13 家庭の中にしきりに紛争がおきました。これより大きな困難はありません。生活が困難になり、争いが起きました。エジプトへ行ったのですが、即、悟ってきたのですが、家系の紛争がおきたのです。
 
2.悟るアブラハム
▲この重要なことをアブラハムが悟るようになりました。ものすごく重要です。役員の皆様が、教会に行って皆様の思い通りに仕事をすれば大変です。牧師も同じです。皆様の胸の中にこれ(序論 (1)-(3))が、生き方の中に刻まれなければなりません。‘これが神様の計画だな’と悟る時、この時から事が始まります。‘これがまさに世界福音化の道だな。神様がこれをしようと、これを私達の手にくださったのだなあ’このようにならなければなりません。教会での献身も、このようにならなければなりません。
▲このことは、単純に悟ることではなく、胸の中で悟らなければなりません。神様のみことばが刻まれた時、これを伝える時、力になります。牧師に刻まれるならば、伝える時にみわざが起きます。それで、説教が重要なのです。確かに神様のみことばが刻まれたとするなら、それを伝える時、みわざが起きるのです。それなら、神様の計画が刻まれるならば、変わり始めます。目に見えないのですが、これより重要なことはありません。ある意味では、息子を捧げなさいということより、もっと難しいのです。なぜなら、発見するのが難しいからです。息子を捧げなさいということは、発見しやすいのです。答は簡単です。ところが、アブラハムが信仰の決断を下して、計画を発見することは、やさしくありません。それで、いつも役員会をする時も、いつも教会でもこれを考えなければなりません。生き方の中で、これをいつも悟らなければならないのです。神様が、この時、なさる祝福です。
 
(1)創世記13:14-18
@東西南北を眺めなさい
A永遠に与える- 少しの間ではありません。神様の計画の中に、入っていけば永遠です。これが重要です。神様の計画の中に入っていけば、永遠に働きます。とても重要です。
▲米国に行けば、こういう銅像があるということです。手で矢を捕まえるというものです。ヨーロッパから米国に白人が上がってきた時、原住民を矢で射て殺したのです。その時、ひとりが矢を手でとらえて、防いだのです。殺すのをやめようと言ったのです。それが、今まで世界を変化させているのです。神様の計画が心に刻まれるならば、永遠に働きます。アブラハムがエジプトに行くことは、神様の計画ではありませんでした。そこで得た女がハガルです。イシュマエルを産みました。イシュマエルは、イスラムの先祖です。今でも問題で、無視することができません。神様の計画が心に刻まれるならば、祝福が永遠にきます。絶対にのがしてはならないのです。
B縦と横に歩きなさい- 足が違うのです。この足は、神様の計画が刻まれた足です。目が変わったのです。紙一重の差です。皆様の目は、神様の目が含まれた目です。こういう差があるのです。こういう努力が、神様の計画でなければなりません。
Cアブラハムが受けた答え- みことばが刻まれました。単純な祭壇ではなく、みことばと祈りを含んでいたのです。何のみことばでしょうか? ‘わたしがあなたに示す地へ行きなさい。国々が祝福され、あなたを呪う者を呪い、祝福する者を祝福する’と言われました。あなたを妨げる者はいない。その時から、それをつかんで、祈り始めたのでした。
(2)アブラハムが受けた答え- 神様が答えられたら、想像もできない答えが来ます。このようになれば、計画が刻まれると、このようになります。
@創世記14:14(しもべ318人)- 家にしもべだけで318人でした。
A創世記14:15-16(ソドム王に勝つ)- ソドム王に勝つようになりました。どれくらい神様がアブラハムに祝福を下さったのでしょうか?
B創世記14:17-24(メルキゼデクを祝福)- メルキゼデクに十分の一献金を出すことが出てきます。単純な十分の一ではありません。神様がメルキゼデクを通してなにかをされたということです。産業宣教の重要な意味が含まれています。このように神様は重要な答えを下さいました。
 
3.アブラハムと産業宣教の祝福
▲神様の計画は、そのまま終わることではなく、産業に働かれるのです。
(1)新しい契約(創世記15:1) ? わたしがあなたの盾、報い
▲この程度ならば、話せない契約です。新しい契約を与えられたのですが、わたしがあなたの盾であり、あなたの報いだ。わたしが神様だ。わたしがあなたの盾であり、報いだ。この程度なら、とやかく言う必要がありません。皆様の報い、盾が、神様が直接なさるということです。ずっと悟ったのです。
(2)イシュマエル送る(創世記16:1-16)
▲心が痛いけれど、イシュマエルを送りだしました。どうして、そうしたのでしょうか? アブラハムが、神様の計画を悟ることができなかったのです。イシュマエルも恥ずかしいのです。
(3)ソドムに対する使命(創世記18:16-33)
▲神様の計画を悟って見たら、この時、神様がソドムに関する話をなさいました。神様の計画を握ったのに、想像を超越した神様の計画がおきました。それで、本物の奇跡がおきたのです。
(4)イサクを得ること(創世記21:1-21)
▲イサクが生まれたのです。息子を産まないことがあるでしょうか? 息子を産むことが、何で奇跡でしょうか? これは、神様の重要な計画が含まれた計画なのです。
(5)新しい祝福(創世記22:1-20)
▲アブラハムに新しい祝福を下さいました。それが 22章です。アブラハムを見て、神様が息子を捧げなさいと言われたより、私達が神様の計画を発見することが、あまりにも重要です。それが、心に刻まれることが、より重要です。後に心配がありません。
 
▲私は集まって対話すれば、いつもこれを考えます。私達が共に考えれば、これが神様の計画かと考えます。口に出すことがなくても考えます。どんなに大きいことも、神様が働かれてこそ可能です。どんなに小さなことでも、神様の計画でなければなりません。未信者も神様のみこころを求めて吉凶を占うのに、私たちは神様の子どもです。
▲主がアブラハムを試みられたのですが、趣味ではありません。試みて祝福を与えるのではありません。アブラハムが試みに勝って祝福されたのでしょうか? その話でしょうか? その話ではありません。正確に話せば、アブラハムが本当に神様の計画を知っているのかを試みられたのです。最も重要な息子を捧げなさいとおっしゃいました。そうしたところ、アブラハムが息子を連れて行きました。
ヘブル11章に、このように説明されています。聖霊が感動して、このように説明しています。‘神様が息子を神様が生かす’ところが、そこで重要な事件がおきました。息子の代りに羊を備えられていたのです。より重要なことは、未来です。イサクがよりはっきりと悟ったのです。私が死ぬはめになったのに、羊ゆえに生きた。 バカではない以上、アブラハムも悟りました。私の息子の代りに雄羊を準備された。神様が、なぜ息子を捧げろと言われるのか? アブラハムとイサクに、何の罪があるのでしょうか? それが人生です。それで、イサクの代わりに雄羊を準備されたのです。この時、神様が約束なさいます。アブラハムが、また確認できたのでした。
@大いなる者に(創世記22:17)- 息子を殺さなかったことはもちろんで、大いなる者にすると約束なさいました。 いままで祝福をくださいました。大いなる者ということは、普通の話になりません。福音を受けたのに、何でまた大いなる者でしょうか? いままでの祝福は、ご飯を食べる祝福でした。これから、あなたに世界福音化する祝福をあげるということです。
A敵の門(創世記22:17)- 子孫によって敵の門を勝ち取るということです。これは人間的な敵もあるのですが、霊的に大きいのです。暗闇の勢力をうち破るということです。
B世界中のすべての民が救い(創世記22:18)- これをアブラハムがわかったのです。私達が、いつも話している宣教です。宣教を普通に考えるのです。私たちは、人の方法でしようとするのです。私たちは、宣教を仕事でしようとします。私たちは、宣教を熱心にしようとするのです。ものすごいメッセージが含まれています。ある人は、宣教を誇示しようとします。そのような程度ではありません。世界中の民があなたを通して祝福されるはずです。神様の計画を堅く握ったのに、こういうことまで行われました。まさにアブラハムの子孫が世界を生かしたのです。
そのような中で代表的な人物、孫がヨセフです。モーセのような人物も出てきます。
 
▲私たち産業人と主のしもべが、必ず記憶しなければなりません。それで、私達がみことばを受けて祈るのです。
神様の計画が本当に心に刻まれた。私たちの心に本当に刻まれた。その日からまさにみわざが起きるのです。
神様の計画が私達の手の中にきた。これ以上はありません。神様を信じない人々も認めるのに、私たちは神様を信じているのです。未信者も私たちのいのちは天にあると言います。人命は、在天だと言います。信じない未信者もこういう話をします。なるも、ならずも、天にあると言います。未信者がする話です。
私たちは神様の子どもです。単に計画を捕まえるのではなく、本当に捕まえなければなりません。下手すると、悩みになります。共同体も建てなければ、教会も建てなければ、お金が要る時が多いのです。私達が造幣工場でしょうか? お金をどこから出すのでしょうか? ご飯を食べることも難しいのに、どのようにそのようなことをするのか? 教会にも、みな貧しい人々が集まったのに? そこにどのように献金しろと言うのか? すると、役員、按手執事といって、じっとしていれば異常です。信仰生活でなく、悩み生活です。下手すると、聖日が安息日でなく苦しいのです。そこで紛争がしばしば起き、しばしば問題がくるのです。このようになるのです。
私達が本当に神様の計画が、心に刻まれなければなりません。世界福音化の道中に、私達が入っているのです。この契約が私達の手に入っているのです。こういうものがあれば、こういうみわざが起きます。単純な‘アーメン’ではなく、正確に働かれます。この程度なら、神様のみこころが確かです。選択の余地がありません。これが神様の計画です。選択の余地があるでしょうか? そのような道に行かなければなりません。
前回に、こういう話をしました。私達 一度も行ってみない道を行くのです。契約の箱について行きなさい。一度も行ったことがない道です。本当に神様の答えを受けなければならないでしょう? 話す必要がありません。神様の計画を正確に捕まえましょう。ヘロデが正常な神殿をむしり取って神殿を建てました。私がどのようにすれば、名前を表せるか? このようになったのです。それが、滅亡をもたらすのを知らなかったのです。
ダビデを見ましょう。むかしにエジプトから起きた道です。そこから来た贈り物の中に契約の箱がありました。ダビデを最も愛するサムエルが横に置いて祈った契約の箱です。イスラエル民族が悟ることができなくて、奪われた契約の箱です。誤って取扱って、ペリシテに滅ぼされたのです。アビナダブの家に20年間放置されていた契約の箱です。この契約の箱をお迎えする神殿を建てるべきだと言いました。ダビデがこれを悟ったのです。ダビデの中に重要な神様の計画が入っていたのです。幼い時に持っていました。すでにサムエルに会った時に持っていたのです。‘王がなるはずだから耐えろ’という水準ではありません。‘私は王になるはずだから、耐えよう’ということではないのです。‘私が当然に神様の祝福を受けるだろう’ではありません。神殿を建てて、神様を賛美する神殿を建てると言いました。これが最初の夢でした。ダビデの家系に祝福がものすごくありました。問題が起きたことは、間違って起きたのですが、それまで祝福されたのです。ダビデが失敗したことも祝福なさいました。普通の人が理解することができません。ダビデが重要なことを心に刻んだのです。それで、産業人が一生の間、のがしてはなりません。産業宣教で先ず一番に祈り答えが始まります。神様のみことばを、計画を、心に刻めば神様が働かれます。新しい人生程度ではありません。まさに‘神様の子どもだな、神様の祝福を受けたんだなあ’こういう事が確かに始まるのです。
(The end)