[ 2005.09.03./ソウル産業宣教メッセージ/ソウル メイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(69)-産業宣教と祈りの課題
(使徒2:10)

 
柳光洙牧師

要約資料
1.旧約産業人の祈りの課題
(1)創世記6:1-8
①創世記6:14  ②創世記6:18  ③創世記6:20
(2)創世記12;1-9
①創世記13:18  ②創世記17:1-8,創世記18:1-15  ③創世記22:1-20
(3)創世記37:1-11
①創世記39:1-6  ②創世記40:1-20  ③創世記41:38  ④創世記45:1-5
(4)Iサムエル16:13
①Iサムエル16:23  ②Iサムエル17:1-47  ③詩23:1-6  ④I歴代29:10-14
2.新約の産業人の祈りの課題
(1)使徒16:15
(2)使徒17:6
(3)使徒18:4
(4)使徒19:21
(5)使徒27:24
(6)ローマ15:23
(7)Ⅲヨハネ1:2、ローマ16:23
3.プリスカ・アクラの祈りの課題
(1)使徒2:10
(2)使徒18:1-4
(3)使徒18:24-28
(4)ローマ16:3-4
(The end)

説明資料

・序論
▲“フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、(使徒2;10)”このようになっています。この中にプリスカ・アクラ夫婦が関係があると見なければなりません。他の地域がみな重要ですが‘ローマから来た旅人’このようになっています。
▲今日は、皆さんが産業宣教という契約をつかんだ人だから、祈りの課題が出てこなければなりません。ここで単純な祈りの課題ではなく、私に本当に解答になる祈りの課題がなければならないのです。どんな問題でも克服できる祈りの課題でなければなりません。信仰生活に一番重要な部分だと見ることができます。正しく福音を受けた人の祈りの課題です。今、世の中には、多くの人々が私たちより立派な人々が多いのです。しかし、それのために来る苦しみは防げません。それで、私たちは福音ゆえに完全な答えを持ったと見なければなりません。
(1)常に-一番重要な鍵が、福音のために来る祈りの課題が私になければならないのです。このようにならなければ、方向をつかめなかったのです。固執でなく、当然に悟れなければなりません。あるイスラムとか、他の宗教が話す、強く捕まえることではありません。
(2)福音-この「常に」が福音の中から出なければなりません。福音の中から出たので、祈りの課題が出てきます。皆に必要ですが、産業現場にいる皆さんに、より一層必要です。「常に」です。常に私にない祈りの課題は、正しい祈りの課題ではありません。常に私になければ、神様のみこころではないと見なければなりません。これがないということは、他の問題になります。それで、ここにいる方々は、年齢があって、用心しなければなりません。
(3)体質- ‘常に’にいつも反対になるのは体質のためにのがすのです。普通の人は、問題がくれば変わります。福音のなかで、そろそろ解いていってもかまわないのに、クリスチャンはそれができません。これを見れば、教会の中にも役員しながら話すのを見れば、内容が問題でなく色を見れば福音ではないのです。それで、私たちは多くのことをのがしているということを知らないのです。普通、教会の役員会も見れば、役員会の内容が問題ではありません。会というものは色々話をするのが正常ですが、体質が福音ではないのです。それだけでなく、老会、総会に行けばまた違います。それは、老会だから、役員会だから、そういうことができます。本来、老会というものは、問題だけを扱うからそのようなことがあります。そして役員会です。全部、予算を報告して、聞いて尋ねて問い詰めてするから、そんなことがあるでしょう。複雑におきることを役員会で扱わなければならないから、そんなことがあるでしょう。しかし、私の感じるのは、福音をあの方がよく味わっているのかと、心配になる時が多いのです。
1.旧約産業人の祈りの課題
▲旧約の人々が、私たちより問題が多かったのですが、どのようにしたのでしょうか?
(1)創世記6:1-8ノアはとても険悪な時代に生きていました。しかし、神様とともに歩んだと言われています。
①創世記6:14
②創世記6:18
③創世記6:20
▲箱舟を作るのが出てきます。ですから、どの場合にも契約をのがさなかったということと、常にのがさなかったということは違います。契約をのがさなかったということと違います。もちろん、そのように見られるのですが、常にノアに契約があったのです。長い歳月の間、箱舟を作る間、いろいろな事があったでしょう。
(2)創世記12;1-9アブラハムがカルデヤで祈りの課題をつかみました。それも難しく捕まえたのです。神様がカルデヤを離れろと言われました。カナンへ行くことは、ものすごい祈りの課題です。前半部に悟れなかったのです。父、兄も亡くなって、アブラハムが‘自分の順番ではないか?’と思ったのです。それで、アブラハムがカルデヤを離れました。人生の前半部には揺れました。創世記13章から、祈りの課題を正しくつかんだのです。その時から、アブラハムが継続的な答えを味わいました。
①創世記13:18
②創世記17:1-8,創世記18:1-15
③創世記22:1-20
(3)創世記37:1-11反対に、初めから祈りの課題をつかんだ人がヨセフです。この人は、困難がきても、この答えが続いたのです。そして、全く動揺することなく、祈りの課題をつかみました。
①創世記39:1-6
②創世記40:1-20
③創世記41:38
④創世記45:1-5
(4)ヨブ1:19-23,ヨブ11:24-26,ヨブ23:10-14ヨブは財産がなくなっても、健康に問題がきても、揺れませんでした。自分の周囲に人がみないなくなっても、ヨブ1章を見れば‘元々くる時、財産をたくさん持ってきたのではなく、行く時も持って行かない’と言いました。そして‘病気にかかっても、神様に会う時、肉体で会うのではない’と言いました。妻も友人も全部嘲弄しました。問題がくるから慰めるべきなのに、嘲弄したのです。ヨブは23章に、神様のみこころは絶対に変わらない。‘私を鍛練した後に、純金のように出てくるようにされるだろう’と言いました。こうしたことがたくさんあります。
(5)Iサムエル16:13祈りの課題を捕まえたというより、揺れなかった人がダビデです。ダビデがサムエルから祈りの課題をつかみました。ダビデが死ぬ時まで揺れませんでした。祈りの課題が常にあるということは、全てのものが含まれているということです。
①Iサムエル16:23
②Iサムエル17:1-47
③詩23:1-6
④I歴代29:10-14
2.新約の産業人の祈りの課題
(1)使徒16:15ルデヤのような人たちが、パウロが見てした話です。‘私の家にきてください’と言いました。ピリピを生かすことが行われたのです。その話は、ルデヤがピリピの祈りの課題をつかんだということです。
(2)使徒17:6迫害者がきて殺そうとしても、テサロニケの祈りの課題をつかみました。
(3)使徒18:4偶然に思えることが起こって追われてきたのですが、パウロに会ってコリントという祈りの課題をつかみました。
(4)使徒19:21パウロの場合を見ましょう。大きい成功をしたのですが、祈りの課題が揺れませんでした。
(5)使徒27:24大きい危機がきても祈りの課題がなくなりませんでした。
(6)ローマ15:23スペインまで全世界の地の果てまで祈っているのです。祈りの課題を正したということです。
(7)Ⅲヨハネ1:2,ガイオのような人物がそうでした。ローマ16:23
▲ガイオが使徒ヨハネから福音を受けたようです。パウロが死ぬ時まで、家主でした。私たちがこういう年齢で、こういう課題がないということは、失敗したのです。私たちが、この私に神様のみこころである祈りの課題をつかんだということは当然で、未来が重要です。

3.プリスカ・アクラの祈りの課題
(1)使徒2:10まちがいなく、この夫婦がマルコのタラッパンに参加したと思います。もし、それでなければ、ここに参加した人から福音を受けました。この時、恵みを受けて祈りの課題を捕まえたのです。
(2)使徒18:1-4困難を通してなされます。事実は、プリスカ夫婦の人生の最高の祝福です。これにならなくなると、このようなことがわかりません。マルコのタラッパンで祈りの課題をつかめなければ、これが祝福でもわからないのです。信仰生活自体が変わります。
(3)使徒18:24-28祈りの課題をとらえて恵みを受けるので、信徒を見る時、何をするべきか分かるのです。
(4)ローマ16:3-4特にアポロに証しした時です。皆さんが祈りの課題が明らかならば、教会生活が変わります。
▲私は教会生活は難しくないと思います。しかし、私が昔に福音ない時は、とても難しかったのです。ところが、福音の恵みを知って、祈りの課題が作られたら、教会生活は難しいのではありません。信徒が何でもないことに試みに会っています。少しだけ手助けすれば良いのです。役員なども見れば、ほとんど仕事に縛られています。少しだけ力を与えられ場、いつでも問題が解決されます。外に出て行ってみると、クリスチャンに何の力もありません。それを少しだけ助けてあげるのが伝道です。それで職場に通いました。神佑会というのがあったのですが2-3人が集まっていました。それを神佑会としていたのです。それを少しだけ助けてあげれば良いのです。国会議事堂にも神佑会がありました。それがどうなったのか、神佑会会長がにこにこしていました。連続して言う言葉が‘今日、本当にたくさん集まった’ということでした。メッセージには関心なくて、およそ50人集まったと言いました。普段に集まらないという言葉です。‘普段に集まりませんか?’と尋ねたら、ほとんど長老、執事なのに来ないということでした。そこで‘彼らがクリスチャンなのだな’とあらまし分かりました。その日、行ってみたらキム・ウォンギ氏も座っていました。‘キム・ウォンギ氏もクリスチャンなのか?’と尋ねたら、違うと言いました。‘どうしてきたのですか?’と言ったら、自分が招かれたということでした。そのような集いの中にも、神佑会がうまくできないという言葉です。
▲それでは、教会の中に問題が生ずればどのようにするのでしょうか? ゆっくりと解決していけば良いのです。それが何の問題なのでしょうか? 直ちに爆弾テロがおきたのでもありません。信仰生活するのも、外で伝道するのも難しくありません。少しだけ力を与えても喜ばれます。
▲私が昔に、現場タラッパンといえば、どれくらい集まったのかわかりません。私の話でなく、とてもこういう人々が困難が多くて、福音で慰めるので、そのように喜ぶのです。教会の中には、いろいろな人がみな来ます。教会の中には、詐欺師もきて、とても良い人もきます。いくらでも解決することができます。福音を持てば全く大変なことも試みもいりません。ある教会を見たら、長老が違ったところからきました。前科20犯でした。私が見ても激しかったのです。失敗をしたということより、習慣性ではないのかと思うほどでした。私たちが警戒したのですが、問題が起きて分かったのです。警察の裏調査してみたら20犯でした。ですから、教会の中で、とても立派な方々も、ひっくり返ったのです。そのようなことが何であるのか? 大人たちが処理できなくて、教会がひっくり返ったのです。だから長老を訪ねて行って話しました。肩入れしてあげながら‘長老、不利になった。私たちが福音なかで過去が必要ないのに、みなあらわれて、試みにあっている。だから長老が、自主辞退して、新しい出発をしなさい。それがはるかに有利だろう’と話したのです。自分肩入れしてあげたので、食事もして、人が変わってしまいました。この方が行動を変えてしまったので、問題がみな解決されました。
▲力がない教育伝道師でも、福音のなかで働きをすれば、問題が解決するのです。私たちは、ほとんど見れば信徒がそうだということです。
▲私たちが、福音の目で見なければ、教会の中には問題しかありません。問題がある人が教会にくるので、問題が多いのです。教会には、問題が多い人々が多いという考えをしなかったのです。教会に問題が多い人々がくるのです。ある人は、教会に‘なぜ精神おかしな人が多いのか’と言います。私はそのように見ません。精神が変な者は、絶対に寺に行きません。教会に来ます。当然のことではないでしょうか? 私たちが簡単な答を福音がないから違うように見るのです。‘なぜあの人が問題が多いのか?’問題が多い人々が、一人で思って教会きたのです。そろそろ用心しながら待ってあげれば、恵みを受けて変化するのです。私たちが何も難しいことがありません。そうでなければ試みにみなあってしまいます。‘外に出て行って、昔に教会通った’と、途中で止めた人が99%試みにあって止めるのです。そうだとすれば、小さい罪ではありません。福音を悟れないで、試みにあって止めたのです。本人が悟ることもできなくて、止めたのです。
▲プリスカ・アクラは祝福受けた方です。彼らが教会の中の問題を証しで解いたのです。それだけでなく、事業にもものすごく祝福を受けました。事業もそのようにしたでしょう。事業する人々にはいろいろな人がいます。だまされないで何か上手にしたということです。彼らが命を出しました。それ位の価値を発見したということです。命をかけたというなら、できないことがありません。夫婦が命を本当に持ったということです。こういう結果が出てきます。
▲産業宣教に参加する人々は、年齢が青少年の年齢ではありません。いい加減にすれば、歳月が過ぎ去ります。ある面で見る時、人生で最後の機会です。たくさん残ったといってはいけません。ここはレムナント集いでなく、産業宣教の集いで、神様がくださった祈りの課題がなければなりません。この祈りの課題が常にあれば
①ビジョン-これが見られます。この祈りの課題が常にあるとすれば、祈りの課題が連結します。
②発展-この祈りの課題が発展して、連結するのです。
③みことば-祈りの課題があれば、みことばが私と合います。
▲私は昔にゴルフを初めて打つ時、私と関係なかったのです。歩く運動が良いと長老が誘ってくれたのです。それも釜山(プサン)でクラブを買って持ってきたのです。“狂ったのか? 私がゴルフ打つ時がどこにあるのか?”と言いました。後から、歩く運動をしなければならないという気がしたのです。こうやって見るから、ゴルフクラブが出てきて関係があるのです。だから、ゴルフクラブもらったのを受け入れました。まだ、使わないでいたのです。これが不思議に思ったのは、発展するほど、教えることが違うように感じられるのです。ある時は、これができないとすれば、これを講義しています。ですから、みことばも同じです。正しく祈りの課題があれば、みことばが違うようにくるのです。こういうものが揺れるのに、みことばが私と合わないのです。この祈りの課題を常に持っていれば、とてもやさしいのです。
④現場-これになれば、現場に証拠がきます。こうしてこそ、学業、事業も成功します。現場に答えがなければ事業、学業が成功できません。この祈りの課題で祈るならば、さらに重要なことがあります。
⑤7つの祝福-神様が御座で完ぺきな7つの祝福をくださったんだなあと知るようになります。
▲これが祈りの答えの5種類原理です。‘祈りの答え5つ原理がこのようだった’ですが、実際に祈ってみるとこのようになります。私は平安です。確かになるようになっています。一度は、私が平安だったのに、誰かがそばでつつきました。“牧師先生、心配があるのですか? ”と尋ねました。本当に平安だったので“ない”と言いました。“ア”と言いながら行きました。それで、私が鏡を見ました。‘平安な顔なのに、あちらには憂える顔と見えるんだな。私が何十年生きながら、印象が変わったんだなあ’と思いました。年をとると、目も口も降りて行って、悩んでいると見られると言います。ところで、普通、見れば人相をみれば意志がかたい人であるほど、口が降りて行きます。他の人が見れば、顔をしかめたようだと見られたりもします。それで、この頃は上げる練習をしています。鏡を見て練習をするのです。私は本当に平安ので、他の人々がそのように見てはいけないためです。祈ると、時間があると退屈だといわれますが、理解できません。10時間以上、飛行機に乗れば、20の戦略に対して深く考えられる時間です。どれくらい良いのか、米国に一度行ってくれば、すばらしい答えを味わうことができます。レムナントという単語も、米国に行きながら出てきたのです。産業宣教も、ほとんどみなそのようにして悟りました。祈りの課題があるので、全部、答えです。皆さんに導師のように、牧師のように信仰生活しなさいと言うのではありません。当然、この力を持って世界を征服しなければならないのです。それで、産業宣教の多くの重要な方々が、教授が、この課題を持って成功しなければなりません。それでは、これが続けば、これからどうなるのでしょうか? それがさらに明らかです。これから祈って出て行く時、全世界はどうなるでしょうか? レムナントが全部起きる時、全世界がどうなるでしょうか? 心配はただ一つです。確かになることであるから、福音を違ったことに変質させてはいけません。悩みの次元が違うのです。ある時は、誰かが悩み事を話すのに全く気に入りません。悩み事でなく、これはなるはずなので、福音に続かなければなりません。その悩みしかありません。時間が経って、福音がなければ結局、崩れるのです。
▲皆さんが愚かな生活を送ってはだめです。今日、大きい祝福が始まる貴重な日になることを希望します。
(The end)