[2005.10.8 /ソウル産業宣教メッセージ/ソウル メイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(73) -産業人の祈りのための癒し
(出エジプト3:1-20)


@序論:出エジプト3:15 “神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエル人に言え。あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が、私をあなたがたのところに遣わされた、と言え。これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。”今日、私たちは祈りに対する癒しで、みことばをお分けちします。引続き癒しの部分を見るつもりです。その話は何の話なのかというと、祈りは必ず答えられるのになぜだめなのでしょうか? 私の親戚の中でガンになった人がいます。首のガンになったということです。この方は私が知っていることでは、ほとんど小学校も出てきたのか出てこないのかわかりません。しかし、この方が神様に祈れば良くなると言いました。それで、内心この方がこのように信じてはいけないのにと思ったのです。病院に行って、医師の助け受けながら祈りなさいと言いました。手のつけられない状態です。神様がすべて知っておられるので、良くなると言います。それで私が心配になるのに、子どもがいるので‘子どもも問題だ’と思いました。しかし、この方には不安感が全くありません。神様が直されるということです。そこで、話をしてみたのですが、20年が過ぎてまだ死んでいません。尋ねる必要もなく良く暮らしています。何か誤った判断をしたことでなく、病院で確かにガンだと言われました。それでは無知でこそ、祈りの答えを受けるのでしょうか? そんな話ではありません。私たちの体質のためです。私たちがほとんど信じないのです。無知なことでなく、信じないということです。信仰があたえる力は、ものすごいのです。産業人が注意すべきことは、祈りの答えを受けない理由は、体質のためです。ある者は悔い改めしなければならないというのですが、悔い改めることがない人がどこにいるのでしょうか? 祈りの答えを受けるようになっているので、これ(体質)ためです。私もそうで、皆さんもそうですが、体質があります。

1.3つの体質
(1)律法主義:よく信じるという人々は、ほとんど律法に陥ります。それで、それ以上の答えを受けられないのです。
(2)神秘主義:福音なしで無条件、神秘主義です。
(3)人間中心主義:一番怖いのが人間中心主義です。人間中心主義自体は、答えを受けられません。医者たちが病気にかかればさらに苦労するということです。その理由は、病気に対してよく分かるためです。よく知らない人は、通り過ぎたりもするのに、医者たちは病気に対してよく分かるから、あれこれ問い詰めて問題がさらにくるということです。誤ったことではないのですが、私たちの中の不信仰がずっと起きるようになるのです。
それでは、モーセの生涯を少しの間見る必要があります。モーセほど祈りの答えを受けた人はいません。モーセの生涯は3つに分けて見ることができます。

2.モーセの祈り
(1)世の中で成功のための人生
①出エジプト2:1-10:王宮のなかで幼い時から王女の息子で育ちました。
②王宮教育:王宮で40年の間、世の中のことをたくさん知って習いました。そして、王宮の教育をみな受けたのです。誤ったことでなく、良いことだったのです。この程度の教育を受けたので、イスラエル民族をリードして出てきたのです。
③出エジプト3:1-8:イスラエルが苦しみを受けた理由をモーセがみわざの前で皆知るようになったのです。モーセは完ぺきな教育を受けたのです。しかし、モーセは前のこういう背景を持っては、とうてい祈りの答えはないのです。私たちがはやくキャッチしなければなりません。これは誤っていることではありません。ハーバード、ソウル大を出たのは、良いことであって、誤っているのではありません。モーセが、この当時のエジプトの一番の大学であるヘスフェリオ大学を出てきても、全く祈りの答えがありませんでした。何をいうのか分かるでしょう。
(2)ミデヤン荒野の人生(出エジプト3:1-20):40年こちらで送るのにホレブ山で神様に会いました。モーセがミデヤンで苦労を多くしました。勉強をよくして祈りの答えがないということではありません。ミデヤンで苦労を多くして答えを受けたということでもありません。ミデヤンの荒野で完全に体質が変わったのです。この知識はあったのですが、体質は完全に変わったのです。その証拠が出エジプト3章です。モーセが完全に神様を見上げたのです。神様の重要な使命も受けたのです。体質ということが、どれくらい重要かわかりません。
(3)使命者の人生:この時からモーセに荒野生活が始まりました。ここで使命を果たせるようになりました。
①出エジプト3:18-20:初めに神様がモーセに命令を下されました。
出エジプト3:18神様がモーセに犠牲のいけにえをささげなさいと言われたら、すぐにわかりました。モーセは‘エジプト王はものすごくて、パロ王の力はものすごい、だからだめです’と言いました。その時、神様が‘あなたとともにいる’と言われました。だからモーセが‘送るべき人を送ってください’と言いました。‘神様、それは話にならない’と言ったのです。‘パロ王から逃げて出てきたのに、この状態で行けと言われるのは話にならない’と言いました。もちろん、モーセが神様の力を知らないことでもありません。それで、出エジプト4章に、神様がモーセを呼んで行こうとされました。殺そうとされたのです。私たちの体質が最もはやく変わる方法です。モーセを呼んで行こうとするのが目的ではありません。私たちの教会に、良くない話題が多い執事がいました。この人がとても話も上手にして、お話が多かったのです。教会の中に否定的な影響を植え付けます。そのような人がいるでしょう。すごい影響力があるのです。あの人は大変だと言っていたのですが、ある日、肝臓ガンになりました。顔でも見に行くべきだろうと思って行ってみたら、人が完全に変わっていました。完全に変わって聖霊充満していました。前は話さえ出てくれば不平不満を言っていたのですが、完全祈りに変わっていました。それで、私が祈ってあげて出てきたのですが、笑いながら話をしました。ガンになる前に、そのように変わらなければならないのに、完全神様の人になっていました。ガンになる前にそうすべきです。冷静な気持ちで内心‘なるに値する’と思いました。どれくらい体質が変わったでしょうか。聖書を見ながら、私たちが見る時、何を捕まえなければならないのか見なければなりません。
②出エジプト14:1-13:モーセが新しく始めました。今はエジプトがつかまえにきて、紅海が前にあっても、モーセの話を聞いてみなさい。“恐れるな。今日、主が私たちとともに戦われる”と言いました。モーセがこの程度でした。前ならば、そのように言えるでしょうか? そして、こうした話までしました。“あなたたちが見たエジプトの人をもう二度と見られないだろう”と言いました。モーセを通してみわざが始まったのです。
③民14:1-10:カナンの地に入る前です。十二人が偵察に行ってきたのですが、十人がだめだと言いました。いろいろな言い訳をしながらだめだと言いました。ひとまず大きい城があるから入れないと言いました。城の上に巨人がいた。それで行けば、イスラエルには老人もいて、子どもたちもいるのに、どのように戦うのか? まちがいなく死ぬ。しかし、ヨシュア、カレブはできると言いました。十人の話を聞いて、国民は号泣したということです。ところでヨシュア、カレブが行けると言いました。“彼らは私たちの餌食だ”と言いました。問題は、その報告を聞いてモーセが行くことを選択したのです。まちがいなく、モーセは昔のようならば十人の話を聞きます。二人より十人の話がより良いでしょう。しかし、ヨシュア、カレブの話を選択したのです。カナンの地に入るように決めたのです。
④申6:4-9:イスラエル民族に伝える神様のみことばです。これがモーセの三つの生涯です。
▲私たちが、こういうものを見る時、前のことが必要ないということではありません。私たちがこういうものをよく見る時、私たちの信仰生活と関係あります。私たちが世の中ことをよく分からなければなりません。神様の力を知らなければ、こういう時間を送らなければならないのです。しかし、神様の力を分かるから、こうしたことが行われたのです。産業人が必ず記憶しなければなりません。私たちの既成世代が、みなこの体質があります。私がこれのために、途方もない祝福を受けられないとすれば、どれくらいくやしいでしょうか? 牧師である私が、不信仰体質のために教会が損を受ければ、途方もない損害です。皆さんを見ると、長老も記憶して、認めなければなりません。なぜなら、皆さんが神学を専門性あるようにしたのでもなくて、伝道現場に行ってみたのでもなく、単に年をとったことしかありません。神様の祝福で長老になりました。皆さんの体質で奉仕をしなければなりません。これが小さなことではありません。いつも記憶しなければなりません。牧師を見れば、田舎で20-30人牧会して出てくれば苦労します。それは体質のためです。それで、年をとった人は、祈りの体質だけ変えれば奇跡が起こります。確かにそうなるようになっています。

3.祈りの体質を変えれば起きる神様の奇跡
(1)出エジプト14:13:今日、主が私たちのために戦われる。この話をしたのは、単純な復興会でなく、命を担保にした重要な現場です。このモーセの信仰です。
(2) ヨシュア3:1-20:ヨルダンが分かれました。これがヨシュアの信仰です。
(3) ヨシュア6:1-20:皆さんがおわかりの通り、エリコが崩れました。ヨシュアと共に行く民の信仰です。
(4) ヨシュア10:10-14:はなはだしきは、太陽と月を止めました。自然界に現れた奇跡で、しるしだと言います。こうしたことが行われたのです。
(5) ヨシュア14:1-15:最後はヨシュアの信仰でなく、カレブの信仰でアナク山地を占めます。言わば、大きい要塞を押し倒したのです。皆さんが必ず記憶しなければなりません。次週には、経済治癒に対して話すつもりですが、これが出来なければ、その次にまた問題がきます。私が今まで生きてきながら皆さんも記憶しているでしょうが、信仰がある人に何人か会いました。信仰がどれくらい重要なのか、この何人かに会ったのですが、今でも生きています。ですから、私たちの信仰ということは重要だというほどでなく、永遠なのです。皆さんの中の不信仰体質がとても怖いのです。世の中の経験のために不信仰になれば、これをちりあくただと言うのです。牧師も一番良い説教は、聞く時、聖徒たちが信仰が生まれなければならないのです。それで面白い説教をするのは、悪いことではないのですが、信仰が生まれなければ、とても損です。牧師が説教をよく準備するのも悪いことではないのですが‘私たちの牧師は信仰がある方だな’となる時、生き返ります。長老は2種類しかいません。教会や講壇で祈ります。このような時、言葉が良い祈りより、信仰の祈りが聖徒たちにすばらしい影響を与えます。ですから、本当に私たちの胸の中に信仰ができれば、その日、祈り一つですばらしい信仰ができるのです。どうしても私たちの長老や役員などは、教会の色々な行事に指示もして、参加もします。お金を正しく知って、お金を節約して、そのように教えれば良いのですが、お金にぶるぶる震えることを教えてはいけません。だから、副教役者もそれほど金持ちがいません。金持ちもお金に対する信仰や概念がありません。それで、教会の中から賢い人々が出て来ることができないのです。小さい教育ではありません。私が一度は、副牧師を厳しく叱ったことがあります。教会15周年記念行事を行うのに度々‘お金、お金’と言います。“なぜお金、お金と言うのか? 行事を進行すれば良いのではないのか?”と言いました。すると今までお金が一つもないと言いました。“予算が一つもないのか?”と言うと、あると言います。“行事みな行って、足りなければ私が与えるよ”と話しました。ところで行事をみな進行した後、10万円が残りました。それが問題ではありません。副教役者、長老が疲れるだろうということです。節約することと、理解に苦しむこととは違います。私たちが現在、子どもたちを正しく経済教育するができなくて送りだすのです。もちろん、ぼんぼん使ってはいけません。私の話を十分にわかったでしょう。宣教師の子どもたちがどれくらいお金に押さえられているでしょうか? 韓国まで来ていても、どれくらい押さえられるでしょうか? これからどうなるのでしょうか? 親の難しかった経済を理解して、応用する頭がなければなりません。とても重要です。皆さんの親も金がなければ説明をすべきで、子どもたちにやつれるようにしてはいけません。それもその経済問題でなく、もし子どもたちに信仰が入らなかったら、どのようにするのでしょうか? 皆さんの子どもに信仰が入らなかったら、どのようにするのでしょうか? 教会に行けば、役員、按手執事なのに、信仰を持った人ならば、多くの人々を生かすことができます。ところで、だめな部分はこういう部分が私たちの体質のためです。時間が過ぎました。
パウロはこのように話しました。神様が私たちの野望を満たすのではなく、私たちの必要な全てのものを満たされる。私たちが良心を持ってするのではなく、必要ならばしなければなりません。パウロはこういう話をしました。
* 感謝:感謝をもって神様に申し上げなさいと言いました。祈りの答えを受けた時、何をするのでしょうか?今まで生きてきたことに感謝しなければなりません。私たちが祈ったところ、答えられました。感謝しなければなりません。なることが確実ならば感謝するのです。昨日は私が一日中、ヨナ書について書きました。ちょうど指が痛いほどそれを書いたのです。書きながら一つを感じました。ヨナに対して考えたのですが,‘本当に悪い奴だ’しかし、一つは大丈夫な奴た。ニネベに行けと言われたのに、行かずに、魚の腹の中で苦労したのです。‘私がニネベになぜ行かなければならず、それからなぜ彼らに救われるようにするのか’と言いました。どれくらい悪い奴でしょうか? 働きをみなしても、恨んで、そのようにしました。預言者に奴と言ってはいけないから、悪い方です。ところで一つはすごいのです。魚の腹の中で祈る内容を見たでしょうか?そこを見れば3つの特徴が出てくるのですが、ヨナの祈りを聞いてみたでしょうか? すべて過去型を使いました。‘神様、私が苦しみの中にあるので、私を取り出して下さい’と言うべきでしょう? しかし‘苦しみの中で、私の祈りをお聞きになったのをありがとうございます’と言いました。すべての祈りを過去型で使ったのです。‘私に答えをくれださったことをありがとうございます’と言いました。それ一つは、ヨナはすごいのです。その言葉は、神様の契約をはっきりとつかんだのです。この場に座ったことを感謝して、世界をくださったことに感謝します。朝、窓を見て祈りました。そして直ちに祈りを変えたのです。‘神様、徳平に世界を生かす共同体訓練場をくださったことをありがとうございます’と祈りました。なることが確実です。神様の計画が明らかだから、動機、ごり押しが一つも入りませんでした。しなくてはいけません。この重要なことにヨナが腹の中で死んではいけないのです。だから‘私を悟るようにしようと、このようにさせられたのだな。ありがとうございます’と言いました。私たちは本当に体質だけ変えればみわざが起きます。福音を受けたので、来週に経済の癒しに対して話します。あえて何の経済の癒しを言うのでしょうか? 経済は話すことができなくても、癒しは話せます。司令官にみことばを伝えようとする時も、軍人は教育できなくても、みことばは伝えられます。防衛出身である私が、どのように司令官にメッセージができるでしょうか?軍人教育はできなくても、みことばは伝えられるのです。それで、ダビデがゴリヤテを破った時、民防衛でした。私ができないことが何か? 経済はあえてできないのですが、癒しは話せます。必ず記憶しなければなりません。経済の祈り、癒しに対して話そうと思います。皆さんがわかって、少しだけ参考にすれば良いのです。
-要約-
<共同体と産業宣教(73) -産業人の祈りのための癒し(出エジプト3:1-20)>
1.3つ体質  
(1)律法主義  (2)神秘主義  (3)人間中心主義
2.モーセの祈り
(1)世の中で成功のための人生
①出エジプト2:1-10  ②王宮教育  ③出エジプト3:1-8
(2)ミデヤンの荒野の人生(出エジプト3:1-20)
(3)使命者の人生
①出エジプト3:18-20  ②出エジプト14;1-13  ③民14:1-10  ④申6:4-9
3.祈りの体質を変えれば起きる神様の奇跡
(1)出エジプト14:13   (2) ヨシュア3:1-20   (3) ヨシュア6:1-20
(4) ヨシュア10:10-14   (5) ヨシュア14:1-15