[2006年3月11日/産業宣教メッセージ/ソウル メイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(93) –役員が見いださなければならない根源
(創世記26:19)

@序論:19節を見れば‘イサクのしもべたちが谷間を掘っているとき、そこに湧き水の出る井戸を見つけた。’と言われています。また21節に‘しもべたちは、もう一つの井戸を掘った。ところが、それについても彼らが争ったので、その名をシテナと呼んだ。’と言われています。22節には‘イサクはそこから移って、ほかの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホボテと呼んだ。そして彼は言った。「今や、主は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地でふえるようにしてくださった。」’と言われています。多くの人々が問題を提起しても、イサクは祝福を受けました。その理由は、根源を得たためです。ある人がインターネットでタラッパンメッセージに接するようになりました。国家的でも、その分野では相当な実力がある人です。飢え渇いた人々は、夜に時間があると、このようにメッセージを聞くのです。この方がメッセージを聞いて、これが正しいと考えたのです。私たちが伝道をしなかったのですが、私たちの教会きて礼拝をささげたのです。初日なのかどうか分からないのですが、新しい信者です。ところで、そばに座った聖徒が悪口を言ったのです。その内容が、何かというと、なぜ私の席に座ったのかということでした。その人がとまどってしまったのです。席が決まっていているように思ったのです。それまでは大丈夫だったのですが、その人の姿と態度がその人をうろたえさせるようにしたのです。それ一つで、その人はいろいろな考えがみな出てきたのです。話を聞いてみたら、タラッパンが異端と言われるので、そうらしいとも思えたのです。メッセージを見ると、そうではないから、とても葛藤をしたのでした。その一人のために、すべてのイメージを変えたりもするのです。私はホテル生活をよくします。今まで私が通ったホテルの中には、このメイフィールドホテルが一番良くしてくれます。私たちがしばしばくると知って、価格も安くしてくれるだけでなく、不便でないようにしてくれます。ある時は見れば、とても良くしてくれても不便なのです。お手伝いをさせればとても正確にします。それで、このホテルイメージが、このひとりによって良くなるのです。私たちのタラッパンも世界福音化をしようとするなら、多くのことを考えなければなりません。私は韓国で伝道運動をしながら心配なことが多いのです。人が多く集まるので、商売人がたくさんつくのです。そして、宗教界で集会をする時も、一緒にしてみたのですが、私が見る時、心配になります。どのようにすれば、人をたくさん集めて、献金をたくさん作るかということがおもな目的です。それで、自分の考えに世界福音化は大変だという気がするのです。一度は全羅道で私に集会をしてくれと言われました。何の集会なのかと言ったら、連合大集会だと言いました。先生は何日何時にすれば良いのです。新聞にも出たということでした。新聞を見たら講師が30人でした。その中に私が入っていたのです。それで大集会をしているように思いました。場所も祈梼院でするのに、その日によって雨が降って、大変で訪ねて行きました。講師が30人であるから、どれほど多く集まるだろうか? と行ってみたところ、信徒27人が参加していたのです。雰囲気を見たら感じられました。30人が団結して集会をしようと言ったのです。そして、この頃、柳光洙牧師に人々がたくさん集まるので、一度講師として立ててみようと言ったのです。とても苦しくて、私が講義をこのようにしました。他のことはせずに伝道だけしなさいと言いました。伝道する理由、内容、方法を言ったのです。私たちは信仰生活をする時、必ず人々が復興する時も、こういうものがあります。
* レベル:目に見えないようにプログラムを作っても、レベルというものがあります。教会も教友のあいだにレベルというものがあります。いくら牧師に仕えても、レベルがあります。牧師のレベルもあって、仕える人のレベルもあるので、これが全てのものを左右するのです。それで、教会も大きい教会は大きい教会らしいレベルを、小さい教会は小さい教会らしいレベルを作らなければなりません。例えば、インマヌエルやイエウォン、安養東部は、人が多く集まります。それでは、はやくエリートの中で50人、100人を選んで、長老をたてて、教会をたててこそ、祝福がくるのです。皆さんが開拓教会であるほど、レベルが良くなければなりません。たとえ教会堂が小さくても、教会にくれば良いという感じを受けなければなりません。人が何人も集まらなくても希望があって、大丈夫な人々が集まったようだと言われなければならないのです。神様が働かれるでしょうが、先ずは目に見えることために、こういう部分がすばらしいことを左右します。これは学閥と関係ありません。あの人は習ったことがなくてもレベルが高いと認められなければならないのです。レベルがどうしたの?と言ってはいけません。このようにもう少し入ると、これが出てくるのです。
* 情緒:人には情緒があります。夫婦間でも情緒が合わなければなりません。これが合わなければ、いつも問題がきます。一度は、ある裁判官がイエス様を信じたいと私を自分の家に招いたのです。それで、この人の家に行って、祈って礼拝をささげてきたのですが、とてもマナーも正しくて、裁判官らしかったのです。ところが、奥さんを見て難しいという気がしました。とても情緒が安定していないのです。祈りを継続していたのですが、話をしてみるので違っていたのです。だから、裁判官が隠れて酒を飲んでくるのです。それでも、韓国でエリートで、実力がある裁判官で検事なので、毎日、隠れて酒を飲むのでした。友人もそうで、両親もそうで、教会もそうで、その人のレベルと情緒というものがあるのです。それで、教会の中に技能宣教会を作れという理由は、医師は医師、商う人は商売人、みな自分の情緒があるのです。いくら自分がその教会に通いたくても、情緒が合わなければ、その人はいつも葛藤するのです。もう少しすれば、内容が出てくるのです。
* 夫妻:内容が見え始めるのです。人はその部分も方向がよく合えば、うまくいくのですが、違ってはいけないのです。この内容の中で最も重要なのが何でしょうか? 根源です。何でも根源を見いださなければならないのです。専門家であるほど分かります。いくら小さい教会でも専門家は分かります。私たちは、市場に行って服を買ってみても分かるのです。この人が私に服を売ろうとする人なのか、何か服に対する自分の人格がある人なのか、互いに違うのです。無条件に売る人は、無条件に似合うと言います。ある時は、合うこともないのに合うと言うのです。感じが分かるのです。だから、服の商売が上手でも内容があれば商売がうまくいくのです。一度行ってまた行くのです。何か服の商売のレベルがあって、対話が通じて内容があれば、また行くのです。それではチラシを回さなくても、人を通して行くのです。事実、教会も伝道紙がなくても伝道がなるのです。不思議に釜山もそうで、ソウルも私たちは教会の看板がありません。釜山で始まった時、建物の主人が教会の十字架を付けないと言いました。ある人は、私たちの教会を訪ねてきて、3日間さ迷って、そのまま行ってしまったのです。それで復興にならないでしょうか? 違います。内容により、全てのものが左右されるのです。一度は、空港で飛行機に乗るために空港の近くで泊まりました。ドライヤーを緊急に買わなければならないと思って空港の近くの店に入ったのです。見ると220Vにもなって110Vも使用できるべきなのに、それは110Vだけでした。220Vにもなるものはないのかと尋ねました。そうしたら‘私の店にはありません’と言うべきなのに、この頃はそんなものは出ていないと言いました。それで、私がこの頃はさらによく出てきて、分離もかなり出ているというと、そうではないと言うのです。その一言に、この人のレベルが出ているので、頭ははやく回るのにレベルが低いのです。私たちがドライヤー一つを買っても、その人のレベルが分かります。私たちが職場生活、社会生活をすべきなのに、この三つを分からなければならないのです。私たちが職場生活をして、教会生活をする時、無視されれば悲しむのでなく、はやく悟らなければなりません。私がこの三つがなっていないのです。それでは他の人が無視するしかないのです。社会は目立つように無視するのですが、教会では目立たないように無視するのです。家庭では葛藤がきます。子どもは、これが合わなければ家も出て行くのです。分かってみれば、この三つで問題がくるのです。それは、合うのか合わないかとの問題でもなく、誰が良くするかと問い詰めることでもありません。これは目に見えないのです。一度はミランダホテルで集会のために休んでいたら、外で大騷ぎが起きました。女の泣く声が外からホテル中にみな聞こえたということです。ドアをあけて見たら、男二人が行こうといって、女は行かないと言っていました。ひょっとしてあの人たちは、拉致犯なのかと思って、格別、力はないのですが、降りて行ってみました。近くに行ってみたら、男は誰なのか分かりました。1人は夫で、1人はお兄さんでした。夫が家に帰ろうと言って、兄さんは行けと言うのでした。ところで、女は行かないと1時間を越えて言うのでした。自ら事情はあるでしょうが、その女の人の内容やレベルを見ると、夫が苦労するだろうということが見られるのです。人は、時には泣くこともあります。しかし、泣くレベルと内容が問題です。けんかすることもあります。しかし、どのように戦って、なぜ戦うのかが問題です。タラッパンは世界福音化しなければならないので、皆さんが持っている内容とレベルが重要なのです。一番重要な内容は根源を見いだすことです。

1.信仰:信仰にも根源を見いださなければなりません。外の仕事にも、教会生活にも根源を見いださなければならないのです。それなら、まちがいなく成功して答えを受けます。
(1)インマヌエル:私たちの信仰は何でしょうか? 私たちが人と一緒に暮らすのですが、私たちの信仰はインマヌエルです。確かに神様とともにいます。ここで私たちの考え、判断、問題、心配、思い煩いがみな解かれるのです。聖書箇所を見れば、出ているがアブラハムがこの単語をつかんだ時、答えを受け始めたのです。その困難の中でも、ヨセフがこの契約をつかんだのです。神様がモーセに方法を命令されたのではなく、インマヌエルを約束されたのです。ダビデが幼くて訓練を受けたのが、この訓練を受けたのです。イエス様もあなたとともにいます。わたしについて来なさいと言われました。これが信仰の根源です。
(2)神様がくださった祝福:多くの祝福があるのですが、神様がくださった祝福が最も良いのです。
(3)神様がくださった祈りの課題:これを味わってみるならば、単に祈るのではなく、神様がくださった祈りの課題があるのです。それで、信仰に成功するのです。本当にインマヌエルの祝福が出てくるべき信仰生活になるのです。私たちが祈る時、神様がくださった祈りの課題が出てくるのだ。仕事にも同じです。
2.仕事:仕事にも根源を味わわなければなりません。
(1)情報:仕事にも方法があるのですが、情報があります。
(2)現場:そして現場があります。
(3)技能:それにともなう技能があります。これが根源で、ある面では方法です。しかし、この三つにもレベルと情緒と内容というものがあるのです。それなら、まちがいなく成功します。

3.教会:教会の働きにも根源を味わわなければなりません。
(1)マタイ16:16:それでイエス様がこの告白に気を遣われたのです。
(2)使徒13:1,8,11:それで、行く所ごとに神様の国が臨んで、臨む方法は聖霊充満です。そして、これは今でも有効です。11節を見れば、主が再臨される日まで有効なのです。
(3)使徒2:1-47:この祝福を正しく味わった教会がマルコのタラッパン教会です。
(4)使徒11:19-30:この祝福に宣教を正しく味わった教会がアンテオケ教会です。
(5)ローマ16:1-27:ここに共同体弟子を正しく味わった教会がローマ16章です。間違いありません。皆さんが、教会復興も、会社復興も、小さいことにかかっているのです。私たちがお手伝いをさせれば知ることができます。人にはレベルがあって、内容があるのです。信仰も、仕事にも、教会も必ず根源を見いださなければなりません。

4.根源を味わう時、付いてくる契約的祝福:この時、迫ってくるのが契約的な答えというものです。なぜ契約的な答えと言うかとすれば、神様が約束されたのです。
(1)根源的な祝福:根源を見居させずに、どのように根源的な祝福を受けるのでしょうか? 根源を見いださなければなりません。これは神様の約束です。祝福の根源になるべきです。泉の根源を見いだすのです。役員、産業人が受ける祝福です。皆さんは救われた人なので、少しだけレベルと情緒、内容があれば良いのです。何も困難ではありません。ソンドに行ってみればすぐわかります。外国の人々がたくさん来ているのに、教育をさせるべきです。車が通り過ぎることができないほど遮って叫んでいるのです。それまでは大丈夫です。行ってみれば、どこに車を止めるかも分からないほどです。そして、入って食べ物を食べれば、問題がくるのです。皆さんは知らないでしょうが、そのような食堂であるほど、つけだしを多く出します。実際に食べなければならないさしみは、変なのを出すのです。顔を見て、やぼったいように見えれば、変なのを出します。だから、世界から人々がきて、釜山で正しい食べ物を食べて行けるでしょうか? 人が入ってくれば、何が好きか分かるではないでしょうか? 私は食堂に行けば、あらかじめ注文します。つけだしを出さずに、さしみをたくさん持って来なさいと言うのです。だから、みんなはたくさん持ってこいというのに、持ってくるなという人は初めて見るということです。特に女の人は、たくさん楽しむということです。特に、ソウルは‘この店はつけだしが多いです’と貼っておくほどです。ソウルのレベルを滅ぼすのです。だから、商売にならないのです。つけだしがなくなる1秒前に、本物を出すのです。私たちは福音を持った神様の子どもなので、皆さんが行く所ごとに途方もないことが起きます。少しだけ内容をそろえれば良いのです。私たちが方法を使うためにもがかなくても、教会に行けば、ますます復興するようになっています。
(2)代表的な祝福:この祝福を受ければ、じっとしていても代表的な祝福が来るのです。私たちが代表になろうとしなくても、行けばますますこれになるのです。
(3)時代的な祝福:そして単純に他の人を生かすことではなく、とても貴重な存在なので、神様がこの時代に肉体的な祝福を受けるようにされています。付いてくるのです。
(4)記念碑的祝福:それで、自然に他の人と子孫も知るようになるのです。
(5)不可抗力的祝福:内容もそうで、神様がともにおられるので、誰が防げるでしょうか? 感づかなければなりません。まず人々が集まるのを見て話さずに、この運動はこれからずっと根をおろして広がっていくのです。産業宣教はそれで重要です。粗雑にしてはいけないのが、ずっと広がるのです。産業宣教が集まれば、私たちぐらいたくさん集まる所はありません。それだけ持って感動を受ける必要がなくて、これから起きる事をしなければなりません。可能なあら、これから仕事を引き受ける人は、一生、ともにしたいのです。それでは、一生する更新をしなければなりません。一生できるレベルにならなければならないのです。これを一生しようとするなら内容がなければなりません。情緒も合わないのに、これもなければ難しいのです。それで一つ一つ仕事をする時、産業宣教はこのようにしなければなりません。フェスティバルと外形的なものもなくてはならないのですが、産業宣教は内容もなくてはなりません。他の人がきて見るのです。時々、未信者も来るのですが、専門家が来るのです。専門家が見る時、すごいと感じれば良いのです。そうでない時は、メッセージも変になるのです。専門家は見る目があります。東京大学の博士が訪ねてきました。私たちのタラッパンメンバーではありません。レベルが高い人です。自分が心理学を専攻するのに、今までのメッセージの中でタラッパンぐらい深いメッセージがないということでした。専門家は分かるのです。またハーバード教授もずっとメッセージを聞いています。この方がとても良いというのです。資料を度々送ってくれと言います。そして米国にくればハーバード大を訪問してくださいと言っています。教壇にも立てるということです。目があるのです。この人の専攻が韓国学です。言わばハーバード内にある韓国学の第一人者というものです。どれだけ専門性があるかというと、メイフィールドホテルで私と一度会いました。私は、この人に会う時、米国の人であるから英語と思って行ったのですが、私より韓国語が上手なのです。韓国学専攻というのでした。自分が今まで聞いたメッセージの中で、最も正しいメッセージだという話をして行ったのですが、分かってみれば引続きメッセージを聞いているのです。多分、ユン・ポンギ校長を通してメッセージが伝えられるようです。私たちは急ぐこともなくて、心配することもありません。遠く見て今、おきることを正確に見て、うわべでなく内容を見ましょう。米国のレベルがそうでしょうか? 違います。後のことを見ましょう。だめになっている牧師を見ずに、子ども達を見ましょう。目が正確でこそ、見ることが正確なのです。私たちは崩れるがレムナントは崩れません。こういう根源的な祝福が産業人と役員にあるようになることを希望します。

-要約-
<共同体と産業宣教(93) –役員が見いださなければならない根源(創世記26:19) >
1.信仰にも根源を見いださなければなりません。
(1)インマヌエル
①創世記13:18  ②創世記45:5  ③出エジプト3:15-20  ④詩78:70-72  
⑤I列王19:1-20  ⑥Ⅱ列王2:1-11  ⑦マタイ4:19,マ28:20
(2)神様がくださった祝福
(3)神様がくださった祈りの課題
2.仕事にも根源を味わわなければなりません。
(1)情報  
(2)現場
(3)技能
3.教会の働きにも根源を味わわなければなりません。
(1)マタイ16:16  (2)使徒13:1,8,11  (3)使徒2:1-47
(4)使徒11:19-30  (5)ローマ16:1-27
4.根源を味わう時に付いてくる契約的祝福