[2006年9月30日/産業宣教メッセージ/ソウル メイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(122) -改革の主役(11) -弟子運動と民主化運動
(マタイ28:16-20)


@序論:イエス様が一番最後にこういう話をされました。マタイ28:19節を見ると「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」と言われました。この弟子が立つようになれば、父と子と聖霊の御名によってバプテスマを授けなさいと言われました。教会が形成されるのです。そして20節に「わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」と言われました。これが伝道運動で続くのです。簡単なみことばのように見られるのですが、全てが皆入っています。それと共に、初めにこういう話をされました。18節を見れば「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」と言われています。そして最後には「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」と言われました。とても重要な話です。私が20年前に剣道の竹刀を一つ買いました。3ケ月待って買ったのですが、20年過ぎた今でも何の異常もありません。この前に私たちの韓国で作ったのと、中国で作ったのを買ったところ、すぐひもが解けてしまいました。なぜそうなのかと、私が日本で竹刀を作る所に秘書を直接送ってみました。集会があったので、行って一度見てきなさいと言ったのです。この人たちは、ずっと竹刀を単に作るのではなく、ひとりが一生をおいて作っていたのです。一生、作っているのだと思ったところ、先祖の時から作っていたのです。そのような程度ではなく、その中でものすごく専門化されていました。信仰生活も全く同じです。これが弟子訓練です。皆さんの事業もこのようにしなければなりません。私たちのタラッパンに新聞が出ています。この新聞はどの団体でもまねることができません。その理由は、長い間、宣べ伝えられた福音を現場で成就したのを証として書いているので、誰もまねることができないのです。他の団体で私たちの祈りの手帳を見て、とてもよく作られていると言います。それしか仕方がないのが、本を作る所で作るのではないのです。10年くらいの間に、現場にいた人が作るのです。大きい流れを見られるのが弟子です。私たちが今回、1万人が集まるレムナント運動をしたところ、私たちよりさらに感動を受けるたが未信者です。その方たちは、私たちよりさらに立派なのですが、重要なことを見ることができません。私たちは重要な弟子が10年間、レムナント運動をしたので、簡単に話せばノウハウがあるのです。それが弟子訓練です。今回、子どもたちミュージカルの練習をするので、他の教会や未信者がきて衝撃を受けたということです。内容も内容だったのですが、子どもたちが、このようにできるのかということでした。その人々が知らない部分があるのです。この子たちは、10年前からメッセージをずっと聞いてきたのです。20の戦略が、ある日急に出てきて作られたのではなく、継続する中に出てきたのです。これをずっと世界化させるのです。これが弟子訓練です。事業も私は全く同じだと思います。

1.教会史の重要部分
それで弟子という時、教会史に流れる部分を理解しなければなりません。教会史の重要な部分の流れを見るべきです。教会が立ったのですが、弟子中心にずっと流れるから、これは防止できません。これをまねる人々の教会は、教団中心に行くのです。形はすごいと見えても、内容がありません。例をあげれば、私たちのタラッパンでは伝道を何十年した人を立てます。一般教会は伝道を知らない人も投票してたてるのです。私たちは現場に継続して人を送り出します。しかし、この方たちは自分たちの組織に従って送り出します。教団が知らずにいます。タラッパンは不思議だ。どのように、どんどん入っていくのか気になるということです。この部分を理解できないのです。なぜなら、その次の年になれば宣教部長が変わります。その次に立つ人は宣教を全く知らないこともあるのです。それでは、お金だけ与えて形は良いこともあるのですが、全くだめなのです。教会史はずっとそのように流れてきたのです。こういう部分を知らなければ困るようになります。それでは、教団は1年して、弟子は一生するのです。それでは一生できるアイデンティティーを知らなければ、大きい問題がくるのです。皆さんがする部門が重要なので守ろうとすれば、守れるアイデンティティーがなければなりません。それで、私たちのタラッパンでは、初代教会のことを回復するのです。片方では弟子に行って、もう片方では教会に行こうというのです。なぜなら弟子でずっと行けば何が問題なのかというと、公平性と合理性に欠けます。教団に行くようになれば、公平性と合理性は生じますが、弟子性が欠けるのです。そして、宣教団体では弟子に流れてきて、教会は教権に流れてきたのです。これが何でもないように見られるのですが、何でもないように見るならば、困難な人です。だから、ネビゲイトが世界を征服したのは、教権を見て立ったのではなく、弟子を見て行ったのです。CCCも同じです。どれくらい大きい違いが生じるのか分かるでしょうか? 私たちは今、教会から宣教師を派遣すればお話が多いのです。後援をどのようにして、その人をどのようにするかという複雑な話が多くなるのです。私の後輩の中でソン・セマンという人がCCCにいるのですが、大学の時から訓練を受けていました。どの程度でしょうか? 私に銀行を止めて宣教師で行くと言いました。どの程度の弟子でしょうか? 自分が今、成功しているのに、その時に出て行くということでした。それからして、教権と違うのです。彼らは親しい人の所に行ったり、自分の思いのままに行くのです。さらに驚くべき話をしました。どこへ行くのかと尋ねたところ、自分は知らないということでした。これが弟子です。私たちはどのようにするでしょうか? 宣教地を自分の思いどおりに決めます。米国に妻のおじが一人いれば、そちらに行くのです。行く時にこういう話をしました。金ジュンゴン博士と面談をしたということです。そのように言うのに、とても光栄であるように話すのです。フィリピンにある大学に行けと言われたということです。ものすごく違うのです。教会はお話が多いのです。行くからと、さらに驚くべき話をしました。後援はどのようにするのか? と聞いたら、自分が銀行に勤めながらすべての準備をしたということです。お金が多くかかるようだというので、自分のお母さんが市場で商売をするのに、それで助けてもらうことにしたということでした。それでもう一つ尋ねました。CCCは本来、そのようにするのかと聞いたところ、CCCは上から命令すれば、それで終わりというのでした。準備ができないならば、派遣申請ができないのでした。だれが勝てるでしょうか? これが福音を持った団体であるから幸いなことで、他の団体ならば、教団は負けるのです。だから、今、各教団の宣教師を皆さんはたくさん見るでしょう。途方もないお金だけ支出されるのですが、実際、伝道はできません。大学にチームの働きで行ってみるべきなのに、だめなのです。それで、実際に座って伝道しようとすれば、資料もないのです。神学校の時、聖書も正しく読まないで神学を卒業したのに、できるでしょうか? その程度ならば大丈夫です。生き残らなければならないから、けんかをするのです。それで、このような話がこの頃、流行しています。宣教師がいない地域が宣教ができて、宣教師がいる地域が宣教できないということです。この頃、またおもしろい話が、米国の大学に飛び交っています。牧師がいない所が復興して、牧師がいる所が復興しないということです。だから、おかしな結論が出てくるのです。もちろん、そのまま通り過ぎることもできます。皆さんが福音を愛さない人ならば、特別に話にならないことです。ある日、雨が降って何かが流されます。皆さんの財産がそこになければ、見せ物に過ぎません。しかし、皆さんの財産があれば違います。福音が本当に自分のこと、福音を本当に愛したら違うでしょう。それで、私たちはこのように試みるつもりです。これをするのに、どれくらい難しいかわかりません。絶対に弟子と教会が一緒に行かなければ成功できないのです。これを唯一、成し遂げた団体が初代教会です。そうするうちにリーダーが出てきたのです。教会は3年間、イエスに付いて回ったペテロ中心に行ったのです。弟子は技能を持ったパウロを中心に行きました。この二人が福音にあって一つになったのです。共同体を成し遂げたのです。このパワーがどれくらい大きいのかというと、世の中をひっくり返したのです。初代教会以後に、こういう教会が出てきていません。それで、私は本当に契約の中でこれをしなければならないと思います。それで、初めから牧師にパラとローカルを併行しなければならないと言いました。これを一緒に行くようにしてみようと、色々な試みをしてみたのです。教会と弟子を一緒に行くようにするために、21世紀宣教委員会を作ったら、直ちに教団から21世紀宣教委員会は何かと言うのでした。まったく教団で認めません。私たちがするのに、なぜ認めないのでしょうか? それで、難しいなと思いました。福音を理解して、聖霊の導きを受ければやさしいのに、だめなのです。それで、よく活用しなさいと常任委員会を作ったのです。両側のリーダーをまんべんなく呼んで聞いたのです。それで、毎週祈って集いを持っています。これが土曜日を終えて集まる常任委員会です。なぜなら、教会と弟子が一緒に行かなければならないためです。それで簡単に話せば、弟子運動、この話は民主化運動とは反対の言葉になることができます。それで、教会で民主化運動が起きながら良い点もとても多かったのです。このような形で行けば、弟子が無知になってほろびるのです。教権式で行けば勇気のある果敢な人はたくさんくるのに、事にならないのです。そして、詳しく見ればすべての教会が無能になるのです。はっきり調べれば、世の中の事も同じです。学校を作って運営するようですが、人材は別に育てるのです。会社も同じです。同じ給料を与えるようでも違います。教会と弟子が併行されてこそ、正しく福音運動ができるのです。

2.2つを兼備:それで2つのことが兼ね備えられなければなりません。
(1)ダビデ:詩78:70-72を見れば、この2つのことを兼ね備えた人物がダビデです。
(2)パウロ:この2つのことを正しく理解した人物が出てきたのですが、その人物がパウロです。
(3)群れと弟子(マタイ28:16-20):イエス様も群れと弟子を区分されました。マタイ5章を見れば、多くの群衆が従ったとなっています。また