[2007年2月10日/産業宣教メッセージ/メイフィールドホテル/金ドンゴン牧師]


共同体と産業宣教(139) -改革の主役(28)
-産業人と産業共同体
(使徒18:3)


@序論:私が初めて釜山の核心に行った時のことです。初期なのに、その日行ったら、その日によって柳牧師が出て来ませんでした。核心の雰囲気が完全に変わりました。がやがや言いながら、今日は違っていると言い、雰囲気自体が良くないのです。私もその時、飛行機に乗ってここまできたのに、これで良いのかと思いながら、核心に対する残念に思う心になって祈りました。その時、カン・ホイン牧師が代わりに核心をしたのですが、「神様、私たちのカン牧師に恵みを求めて、聖霊の働きをください」と祈ったのです。その日によってカン・ホイン牧師が、それほどメッセージが上手であるとは知らないと思いました。それから後は、私はだれが立っても、神様が立てられれば神様が働かれるのではないかという考えをするようになりました。今日も事実、失望したでしょう。私からも今年、新年に入って、柳牧師のメッセージをの中で私たちにぶつかるメッセージがさらに恵みになっています。この位置に立つのが事実、恐ろしくて、また、どのように牧師先生の流れるメッセージの流れを流してくださるのかと、個人としては少し残念です。しかし、神様が働かれるだろうと信じます。今日、産業人と共同体なのですが、ここで最も重要なのは、共同体を成すためには、私たち自身の真の変化です。牧会をしながらいつも残念なのは、教会がOnenessを成し遂げるべきなのに、これがうまくできないのです。副教役者が本当にOnenessだけなれば、教会は強固に立つようになっています。役員と主のしもべが一つになれば、それは間違いありません。私たちはイエス・キリストの血で一つになって、私たちは一つの神様を信じて、一つの聖霊の働きの中にいるのに、なぜこのように一つにならないのでしょうか。タラッパンも地域ごとに、教会ごとにOnenessを成し遂げて、全国と世界でタラッパン教会がOnenessを成し遂げれば、大きなことをしてもあまりあるでしょう。そのような意味で、私たちの産業人と一時代の宣教師とレムナントが、共にOnenessを成し遂げればすばらしいでしょう。私が私たちの教会の産業人を見ながら感じます。教会の中にいる産業人だけでOnenessを成し遂げても良いのに、教会の中にいる産業人もこのOnenessにならないのです。最も基本なのに、この基本がなぜだめなのでしょうか。それと共に思うのが、私たち自身が真の変化になっていないからだと思っています。
* 福音の中での真の変化:私たちは福音の中で真の変化だけなれば、いくらでもOnenessとなります。私が福音の中に入ってきて、最も難しい慶尚道、全羅道、忠清道、こういう地域を越えながらOnenessなるのを見ました。私が世界に通いながら、福音の中に入れば黒人、白人、黄色人種は関係なくOnenessになるのを見ました。年齢も関係なくて、習ったことも関係なく、福音の中に入ればOnenessになれます。福音ではなくてはいけないのです。単なる福音ではありません。完全な福音、純粋な福音、豊かな福音の中に入ってみた自分自身が幸せで味わえば終わるのです。サタンのしわざは、一つにならないようにすることです。夫婦間で結婚式をする時も神様の恵みで一つになってパートナーとして下さって一つになったのに、Onenessにならないのです。私が結婚式の司式をよくするのに感じるのは、二人が一つになることができないということです。生まれたことと習ったことと環境や背景がみな違っているのに、どのように結婚一つでOnenessになるでしょうか。私たちが気が合う、私が心を打ち明けられる人が、人生の中にはたしているでしょうか。人が一生を生きても、私の心を打ち明ける友人ひとりがいるならば、その人は成功した人です。人間は本来、根本的に出生する時から、サタンに捕えられていて、霊的な問題があって、呪いの中にいるので、どうしても、一つになれないのです。自分個人的に私が福音の中に入ってきて、恵みを受けて家内を理解して、赦せるような者ではない私が、福音の中に深くどんどん入ったら、何かOnenessを成すようになったのです。役員や長老が、私の後ろから追いついて並んで従順にして、Onenessを成さなければならないのではなく、自分自身がOnenessの中に入るので、役員と一つになることを感じます。私はこの福音の偉大な働きを事実、福音で見ながら感謝することを感じています。
(1)誰-アイデンティティー(福音,訓練):自分自身に最も重要なことが、私がいったい誰かということです。他の問題でなく、アイデンティティーです。私が柳牧師に会って、イエスはキリスト、キリストはすべての問題の解決者、すべての問題の終わりということについて深く考えながら、アイデンティティーを発見しました。私たちの人生の根本問題、罪の問題、サタンの問題、世の中の問題を完全に解決して下さったこと、解放して下さったこと、それも重要ですが、その中で私が誰なのかがとても重要だったのです。イエスを信じれば、普遍的に私が神様の子どもであり、私が神様のことを味わうしかない神様の子どもではないかと考えています。ところで、私が福音をずっと聞いていたある日、アブラハムが信仰の先祖になったこと、祝福の根源でない私が、まさにこの時代の神様の契約の中で私が祝福の根源だいうことを知るようになりました。神様の根源的な祝福を受けるしかない存在であることを知るようになったのです。私が神様のかたちを回復したとすれば、生めよ、増えよ、地を満たせという祝福、創造の祝福を受けるようになっているのではないでしょうか。何か私が努力して、必死に良くしようとすることは、間違っているのではないでしょうか。私たちは、今まで行いで何かを神様に見せれば、神様に恵みを受けると思っていました。事実、アイデンティティーとは何でしょうか。神様は創造主、私たちは被造物です。神様がお造りになった時、私たち人間は、創造主がいなければ生活できなくないように造られました。私が神様に会って、少し恵みを受けてみたら知るようになったのです。イエスを信じる人は、恵みを受けられなければ生活できないでしょう。教会に長く通ったという看板でなるのではなく、神様の恵みだけで生きることができるのが人間だなということを、初めてイエスを信じて、恵みを少し受けながら知るようになりました。そのような人間が、神様を離れたので、生きることができるでしょうか。もがくのです。もがくほど陥っていきます。災いと呪いに会うしかありません。私はそれで基礎メッセージを聞きながら、この部分にとても深く根をおろそうとしています。私は神様に会って、一番葛藤にすることが何かというと、そのように神様を信じて祈って恵みを受けるのに、なぜ試みにあって不信仰に陥るかということです。厳密に話せば、私が霊的指導者で、霊的専門家なのに、霊的専門家である主のしもべが試みにあって不信仰に陥って、変なことを言っても良いでしょうか。私は初めに理解できなくて、いったいこれが何かと思いました。このように適当に信仰生活をして天国に行くのではないかという気がしたのです。私がだめなのに、どのように一般信徒ができて、産業人ができるでしょうか。彼らは私よりさらに現場自体にならなくなっているということです。柳牧師に会ってメッセージを聞きながら、初めのボタンをよく締められなかったんだなあ、信仰ではなくて、熱心でもなくて、本当に福音だったのだなということを知るようになりました。結局、福音と訓練の中で、私自身のアイデンティティーを深く発見するようになったのです。それなら、私は当然、私は神様の子どもで、資産を受け継ぐ者で、祝福の根源で、根源的な祝福を受けるようになっているのです。人々は背景を作って、それで力を得て、それで幸福を求めて、それを頼ろうとするのが人間です。本当に私たちが神様の子どもであり、祝福の根源ならば、私たちの背景は神様です。何でも主からです。当然、私たちは神様のことを味わうしかない存在です。ここに対するアイデンティティーです。
(2)何-御座の祝福(エペソ1:3,コロサイ2:3):それでは、私たちは自分自身が誰かを分かったら、何を見上げて生きるべきでしょうか。事実、ここで問題がきたのです。私が神様に会って少し恵みを受けたら、聖霊が働かれて悟れるので、私が今まで世の中で生きてもがいたことが虚像だというものを知るようになりました。お金もすごくて、世の中背景もすごいのですが、これではないということを悟るようになったのです。神様がみな準備されたということを見ることができるようになりました。また万物は神様のもので、私が神様の子どもなので、神様がくだされば良いのです。事実は、私たちが誰かを分かったら、それからは、地のことを見つめずに、御座のことを味わえば良いのです。私たちを呼ばれた理由は何でしょうか。天に属するすべての霊的な祝福をくださるためです。キリストの中にあるすべての知恵と知識の宝を味わうようにするためです。私が聖徒たちをこのように養育しながら感じるのが、聖徒の関心は目に見えない備えられた祝福を見上げることでなく、いつも地のことを見るのです。事業をひと勝負して、良くできれば終わると考えています。聖書は、そのように言っていません。事実は、エペソ1:3節を見ても、すでに世界の基が置かれる前に備えておかれました。本来、人間を造られた時、人間のためにみな備えられたのです。コロサイ2:3節もそうです。キリストの中に知恵、知識、宝があります。主が終わりです。私たちの人生の結論は何でしょうか。私たちを救われたその方を通して、私たちも変化して、その方を全てを味わえる祝福の中にとどまるようになったことだと信じます。私はモーセを見ながら感じたのが、モーセが御座と通じて、御座の力と導きを受けるモーセを通してみたことがあります。羊の血を塗ってモーセが率いて出てきた民が2百万人です。もちろん、紅海が分かれたのもモーセの信仰です。荒野40年間、モーセが農作業をする器具も作らず、井戸がなくても、40年間、民を食べさせたのもモーセの信仰です。とうてい私たちが理解できないことをモーセはしたのです。もちろん、神様がみなされました。しかし、神様がされたということを信じるのはモーセひとりしかいませんでした。モーセが天にある備えられた祝福を引っ張ってきて、40年間、国民を食べさせて生かしたのです。このように考えれば、私たちの産業人が考えるべきことがあります。私が前にも話したのですが、イエスを信じて何ヶ月にならなくて、私が神様の子どもで、天地はみなうちのお父さんのものだと考える時、笑いが出ました。もし、私が事業をしたら、私ほどの事業家がいるでしょうか。事業の資本をいったら、私ぐらい事業の多くの資本を持った人がいるでしょうか。うちのお父さんが神様なのに、子どもである私が事業をするのに、必要ならば神様に事業資金をくださいと言えば良いのです。私が考えてみた時、たとえイエスを信じて1年もなっていなかったのですが、イエスを信じて、こういう事実的なことが信じられたのです。私たちはよく考えなければならないと思います。私が東部教会をしながら、聖徒の何人かを見つめて献金いくらを見つめながら牧会するのではありません。昨年にも、私たちの教会で行われたことですが、竹田に2億4千万円を使って,教会を作って、済州道にも土地を買って補って、オサンにも2100坪を2億1千万円など、昨年に6億円の仕事をしました。今、東部教会の信徒でそのことをしたのではありません。御座の祝福を信じましょう。土地も私のもので、海も私のもので、その中にとどまる者もみな私のものです。本当に神様のみこころならば、神様が働かれるでしょう。私たちは何かいつも見えることで、私の生活を生きています。もう私たちの産業人は、大きい信仰を持って、神様が皆さんのために準備された全てを味わうようになることをお祈りします。
(3)どのように-インマヌエル(ガラテヤ2:20,ヨハネ14:10-20):それでは、私たちはどのようにすべきなのでしょうか。もう私たちは経営をすべきですが、私の人生、家庭、産業、牧会を営むべきなのですが、どのようにするのでしょうか。難しくありません。事実、経営は私たちの経営でなくインマヌエルの経営です。主が私とともにおられる理由は何でしょうか。弱い私たちが罪を犯すのを見に来られたのでしょうか。素焼きの土器のような私の中に来られて、私を救われた主が、私を置いておけば再び罪を犯して、とんでもない道を行くので、主が私たちの所で、聖霊ですべての責任をとって導かれることを信じます。私が成功しようとするなら、私は多くの知識と経験を持って、多くのことを知って成功しなければなりません。そのようにして成功できるでしょうか。多少、助けにはなるでしょう。しかし、本当に私たち自らが成功しようとするなら、私の中におられる主が、私の人生の責任を負おうとされているので、その方に全てを任せて、その方がなさるようにすれば良いのです。なぜ家庭が複雑なのでしょうか。私たち自らが家庭を営もうとしているためです。自分自身の基準を持って、自分自身の定規を持って、妻を営もうとして、子どもを営もうとするので、問題が生ずるのです。私たちの家庭に来られた主が、私たちの家庭の主人になられて、私たちの家庭を責任を負われれば終わるのです。私は牧会での経営を初めから主がそのようにされたのです。初めてイエス2年3ケ月信じて、神様が単独牧会をするようにされたのです。神学校を準備していたら、神様があなたは牧師になって、あなたは神学校に行って、あなたは単独牧会を始めなさいと言われたのです。教会を準備しておいて、ひざまずいて「神様、私は初信者なのに、イエスを長く信じる人もくるのに、私が神学校でただ1-2年でも習うべきなのに、私がどのように単独牧会をするのでしょうか」と言いながら、私は理解できないと言いました。その時、主が私にこのように尋ねられたのです。あなたの人生をあなたが生きるのか。あなたの人生をわたしが生きていることを、あなたが分かるのではないか。それで、それは私が分かると言いました。あなたの人生もあなたが生きられず、わたしに任せてわたしに頼って暮らすのに、わたしがどのようにわたしの教会をあなたに任せるだろうか。教会はわたしがするから、あなたはお手伝いでもしなさいと言うことだ。それでは簡単で、とてもやさしいのです。私が少し恵みを受けて、私の人生にすでに限界がきて、私がしてはいけないことを分かったので、主が聖霊で働かれて、引き受けて導かれるのを見て、主に任せたところ、主が私の人生を生きていかれるのを見たのです。ガラテヤ2:20節に、私は死んでイエスが生きるとパウロが告白しました。過去の人はすでに十字架に釘付けられて死んだと言いました。家庭にどれくらい問題が多いのでしょうか。しかし、家庭にイエス様が主人になれば足りないことはありません。夫が主人なって、妻が主人なれば、家庭は複雑です。創造主が主人になれば終わるのです。私はヨハネ14:10-20節に大きい恵みを受けました。イエス様が、わたしが言う言葉は私が自ら言うのではありません。私の中に主が、私の中に神様が、私の中であなたの仕事をすると言われました。その時、私が、そうだな、20節に「あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおること」のように、主が私のなかで、主の働きをしておられるんだなあということを知るようになりました。私たちは世の中で成功した人々の経営をたくさん習います。私は人材をたくさん育てようとして見たら、三星の人材論と同じ本を読んで、たくさん参考にするのに、多少助けはなるのですが、それではありません。私たちの産業人がレムナントの土台になって、RUTCを立てていくのに、本当に重要なことは何でしょうか。それは産業人の真の変化です。福音の中で真の変化になれば、Onenessにならざるをえません。私たちは創世記3章にとても深く陥っていて、不信仰にとても深く陥っていて、とても傷が多いから一つにならないのです。それを持ってサタンが私たちを分けるのです。私がいくら合わせようとしてもだめだったのです。私が福音の中に根をおろして、訓練の中に入るほど、一つになるのを見ました。今日産業人と共同体です。産業共同体です。今は柳牧師がこの部分に対して多くのことを肩っています。語られるからなるのではなく、福音の中にいる私たちは、なるようになっていることを信じます。産業人が共同体になれば、この力は強大なのです。私が宣教の働きで長期宣教局長もして、21世紀宣教局長をしながら、カン・ソクチュン牧師にいつもお願いしたことがあります。宣教大会を通してすべての人がくるのも良いのですが、宣教師の中で福音の中に根をおろす働き人がいます。その人々を生かさなければならないのです。結局、時間が過ぎれば、みなむなしいのです。福音の中に根をおろして、いのちをかけられる、こういう人々を中心にOnenessを成し遂げてこそ、その人々を中心に大きい力を発揮できるのです。モデルです。

1.改革と征服:それで、私たちが真の変化になってこそ、本当に改革の条件になることができて、改革の主人になることができるのです。
(1)3つの改革:当然、三つの改革はなるようになっています。本当に私たちが福音の中で、真の変化になれば、私たちを通して人々が変化すると信じます。私は私たちの先輩の牧師を通してたくさん聞いた話しがあります。とても近くにきてあなたに良くする人を喜んではならない。ある日、あなたを裏切って苦境に陥れるだろう。人間主義をせずに、人間主義を喜ぶなということです。人はすでに創世記3章に生まれて、味がしみこんでいるので、他のものは改革になりません。他の見方をすれば、勘違いするようになります。とてもたくさん福音を言うので「そうだ。なるのだ」と言うこともできます。それではいけないのです。本当に福音は、なるしかないのです。
①人生改革:人生改革になってこそ、なるようになっています。年をとっていても、若くても、私たちがこの時代に神様が福音の中に呼ばれたので、私たちに神様の改革のみわざが起きるようになることを希望します。柳牧師が時々、年をとっている人は、死ぬ時刻表を待つしかないと言われます。福音の力は、創造の力です。年齢と何の関係があるのでしょうか。死者も生かすのに、完全に壊れていても大丈夫だということです。崩れるだけ崩れても、大丈夫だということです。神様はなさることができます。この頃、柳牧師がますます年をとって、あの大人たちは100才まで大丈夫だと言われます。だから、金チフン牧師が「牧師先生、20才削られましたね」と言いました。私たちの教会は、私のために祈る時、120才まで生きるようにしてくださいと祈っています。なぜ120才まで生きられないでしょうか。私たちの人間は土で作られたのですが、私たちがもしみことばだけ破らなかったら永遠に生きたのです。堕落した人間も、何百年、生きていました。福音は全ての回復だと信じなければなりません。人が変わってこそ一つになることを信じます。他のものに変わるのではなく、福音に変わらなければなりません。
②宗教改革:宗教改革です。当然です。これがよく引っ張っていけないので、人々が霊的に皆死ぬのです。
③文化改革:それと共に文化改革です。本当に残念なのです。この頃の「昼の夢」のようなドラマは、視聴率が50%だと言われています。それらを見ながら感じたことは、本当に残念だということです。決定的な瞬間に、悪霊に尋ねるのです。今、ムダン(霊媒師)がいちばん優れています。文化がそのようなことなのです。ひそかに人々を偶像に引っ張っていくのです。
(2)3つの征服:事実、私たちは三つの征服に対することが元旦メッセージに出てきました。
①現場征服:自分自身が真に変化すれば、必ず私が改革された人は、現場が征服されることと信じます。私の家庭の現場が変化します。暗闇は崩されるようになっています。たましいを飢え渇くようにさせることで、愛する妻や夫や子ども達がみな戻るようになっているでしょう。私たちの地域現場、産業現場、一言で、不信仰が充満しています。韓国の中小企業をする人は、一言で言うと、きわどいのです。他の見方をすれば、この人達は本当に英雄です。今回、台湾に行ってきたのですが、台湾の中小企業はそうではありません。韓国の中小企業は、大企業の横暴だから、生き残ることができないのです。今、この産業現場が生きるか、死ぬかしているのです。
②経済征服:こういう現場を産業人が本当に福音の中で味わいながら生かさなければなりません。経済がどうなっているのでしょうか。お金になるのは全部、暗闇がつかんでいます。これをやはり福音を持った産業人を通して回復しなければならないのです。
③文化征服:文化征服です。期待されるのが、私たちは今、過程にあるのです。こういう話し、あのような話しをたくさん聞くのですが、私は牧会をしながら、なぜタラッパンの開拓教会がはやく起きることができなくて復興することができないだろうかと思います。柳牧師も、とても残念に思っています。柳牧師が、昨年にも三、四回そのような話をしたことがあります。なぜ全体的な雰囲気はすごいのですが、個人の変化は弱くて、教会復興は弱いのでしょうか。その部分を私はじっくり考えてみました。そうです。今、イエスを信じて救いは受けたのですが、人の指向はほとんど律法的で神秘主義、人間主義です。もし、牧師がプログラムを導入してがんばれば、復興ははるかに速くできます。これまで、韓国教会が復興したのが、ほとんどそのようなことです。しかし、タラッパンはそうではありません。タラッパンは牧会が難しいことが聖書のとおり行かなければならないためです。聖書のとおりならば、使徒の働きを見れば、使徒が先に味わって、聖霊の導きの中に入ったので、ひっくり返すようになるみわざが起きるのです。結局は、神様が主のしもべを先に福音の中に根をおろして、事実化して味わう時まで待たれるのではないでしょうか。それと共に、使徒の働きの答えを受けられるように、私たちを訓練されているのではないでしょうか。もうこの方たちが、一時代の神様の要請の中に、一時代を変える主のしもべとして呼ばれて、静かに自分自身を立てていって、真の訓練の中で自分自身を変化させていったら、これからこの方らを通して一時代を変えるようになると信じます。産業現場も同じです。産業が色々な形で破れているので、皆さん産業人が福音の中に本当に変化して事実化されられる時、皆さんを通してOnenessの波が起きることを信じています。ここでメッセージを聞く方が、インターネットでメッセージを聞く方よりさらに重要です。初めは、しばしば人を恨みました。なぜ聖徒があの形なのか。なぜ主のしもべが、役員があの形なのか。しばしばそのせいにだけしました。私が福音の中に入ったら、問題が私にあるのです。私は初めてイエスを信じてなぜ未信者があの形なのか、教会がこのようなのかに対して、とても葛藤をたくさん感じました。私が柳牧師を通して現場に目が開かれたら、それしか仕方がないのです。人々がみな崩れているので、とても深く根をおろして、世の中ことで傷になっているので、これが一つになるでしょうか。昨年と今年にくださった元旦メッセージは、必ず神様が私たちを通して成し遂げられるだろうと信じます。神様は大事なしもべを通して成就するメッセージを与えておられるのです。

2.世の中の人々の産業共同体:それでは、世の中で世の中の人々の産業共同体を私たちが見なければなりません。世の中の自ら成功した人々の本を見ながら、その人々の行跡を見ながら、結局は、後ほどほろびても、その人々が大きいということを知るようになりました。考えが大きくてスケールが大きいのです。三星の影響力がどれくらい大きいでしょうか。私たちの韓国民族に対する経済の影響を与えるのです。それでは、私たちのクリスチャンを見て下さい。どれくらい考えが小さいでしょうか。とてもスケールが小さいのです。好きではない考えであるようです。できるだけご飯を食べて生きれば良いと思うようです。私たちは神様の子どもなのに、私たちの手に経済を任せて、世の中をみな任せるのに、私たちのスケールが小さいのです。だから、とても考えが小さいから1%の答えの以外、受けられないのです。米国に行ったら、米国福音化を考えるべきなのに、僑胞(海外在住韓国人)どうし噛みつきあっているのです。とても残念です。私がケニアに行った時、私を連れに来た長老が私にそのような話をしました。私はお金もたくさん儲けて、残った余生をアフリカ福音化のためにここにきたということです。それと共に6ケ月いたのに、自分が大韓民国の国民というもことがとても恥ずかしいということでした。ここにいる宣教師が、互いに噛みつきあっているので、一つになる人がいないということでした。私がとても恥ずかしくて、汚くて、はやく米国で行きたいということでした。その辺境地まできて、命をかけて福音を伝えるのに、なぜ一つになれないのでしょうか。この時代の要請の中に、世界を任せて一つになれというのに、なぜ私たちは一つになれないのでしょうか。だれかが良くしてくれて、譲歩してこそ一つになるのでしょうか。そのようなレベルでは、少しすればまた同じになります。私たちは完全に一つになるしかない福音の中にあることを信じることを希望します。
(1)世の中の共同体:世の中の人々が率いる産業共同体を見ましょう。
①1次産業-労働力が必要な産業:1次産業は労働力を持ってしたのです。おもに労働ではなくてはいけないので、労働力です。
②2次産業-製造業を通した産業:2次産業チームは製造業です。韓国産業が歩いてきた道です。昔には栽培していたのですが、今は農作業ができません。労働力がないためです。2次産業は製造業です。工場がたくさんあれば、その国はすばらしい国です。
③3次産業-金融を通した産業:3次産業は何をいうのでしょうか。金融を通した産業共同体です。大企業を見ると、大企業のすばらしい産業を進行するのに、最も重要なのが大企業を支えている金融です。これがなければ、大企業をできないのです。
(2)宗教共同体:私たちはここでまた宗教共同体を見ましょう。この力が強大です。
①教理:教理をまとめました。
②宗教と産業一致:それと共に宗教と産業の一致です。代表的な宗教団体が統一教です。すばらしい宗教を持って、産業共同体を成し遂げています。強大な財力を思うままにしているのです。
③宗教組織と共同体:だから宗教組織と共同体です。共同体を成し遂げているのです。本当に、韓国教会はとてもこの部分ができなくて残念なのです。C.C.C総裁が、私たちRUTC現場を見るために来られました。食事しながら、このような話をされました。単なる小さい神学校が一つあるのだと思っていたが、すごいということです。その方がそのような話をしました。私たちの韓国教会が行政は上手にしたけれど、F単位(落第)が一つある。ある国教会の落第点数が何か分かるでしょうか。10年間に伝道に対して白紙なのです。だから、今、教会が減っているのです。今、開拓教会が80%です。未自立教会です。それと共に言う言葉が、今、韓国教会はとても固まった。今は体質が伝道できない体質になった。幸いタラッパンで今、いのちをかけて伝道運動をするのがとても重要だ。それと共に期待をすると言われました。並大抵のことではないのです。本当に、一般の世の中の宗教共同体も、世の中と経済を掌握しようとするのに、真の福音を持った産業人が産業共同体を成し遂げて、世の中を征服することを信じます。

3.聖書にある産業共同体:それと共に聖書にある産業共同体です。私たちが目指すことはこれです。色々な産業共同体があるのですが、福音の中で産業共同体のモデルが出てこなければならないでしょう。
(1)創世記14:14-20:代表的なのがアブラハムです。アブラハムは自分のおいが捕虜になって、すべて略奪されたのですが、自分が育ててきた兵士を連れて、おいロトを連れ戻したのです。戦争で勝ったので、それに戦利品がたくさんきたのです。これから私たちが福音戦争に勝利すれば、お金はみな私たちのものです。ある時は、腹が立ちます。事実、悪魔の子ども達がお金をすべて持っているのです。他の見方をすれば、私たちは堂々としていなければなりません。その主人が私なのです。出しなさい。事実、私たちのものだと信じます。ものすごい戦利品を持ってきました。ソドムの王が人を送って、これをあなたが持って行ってくださいと言ったら、Noと言うのでした。この戦利品で金持ちになったという言葉を聞きたくないということです。神様からいくらでも金持ちになることができるということです。
(2)I歴代29:10-14:ダビデです。ダビデが正しく福音を味わったので、他の見方をすれば、すべての民族の産業人が一つになったのです。ダビデは自分が神殿を作れなくても、神殿を作る資料を準備したのです。どれくらいダビデが信仰と福音が働いたのか、神殿を作る材料を出そうと言ったら、あなた、私ということがなく、みな出したのです。素敵な産業共同体です。私は祈っています。RUTCは、だれが作るべきでしょうか。私は、当然、私たちの産業人がしなければならないと信じています。どこに祝福を注がれるでしょうか。私たちの牧師にされるのでしょうか。違います。私たちのレムナントがお金を持って、注いでくれるのでしょうか。そうではないと思います。この途方もないRUTC共同体をたてるのに、私は産業人に注いでくださることと信じます。産業人が大きい信仰を持って、このことに私が用いられるようにして下さいと祈りましょう。お金はみな準備されています。お金は銀行にあります。使う人が持ち主です。私は率直に、産業人のために祈っています。「柳先生、お金は心配しないで下さい。私たちがします。いのちをかけて産業人がこれを果たすから、牧師先生はメッセージだけして下さい」と言わなければなりません。私たちの常任委員会委員を見ながら、私はだめだなという気がします。お金がかかる所があれば、無条件に金を出しなさいと言います。常任委員会の場がどれくらいお金がかかるのか分かりません。お金がかかる所があれば、出そうというのに、出さなければならないのです。皆さんはまちがいなくRUTCを立てる主役になるでしょう。大きい信仰を持って挑戦することを望みます。これ一つだけよく立てても、私たちの生涯にこれより大きいことはないでしょう。どこに投資すべきでしょうか。本当に投資する所に投資をしてこそ、神様が祝福をくださるのです。隠れた経済が、ならなければなりません。ダビデが神殿材料を準備した時にみわざが起きたように、RUTCのためにこういうみわざが起きることを希望します。
(3)使徒2:43-45,使徒18:3:貧しい初代教会を見ましょう。物を出して通用して、お互いの必要を満たしたのです。田畑を売っても神様が満たして下さるためです。
(4)使徒11:28-30:アンテオケ教会が持っていることがすばらしいのです。本当に福音を味わったので、神様が注がれるのです。だからエルサレム教会も助けたのです。役員がたてた教会です。
(5)ローマ16:1-27:結局は、パウロが世界福音化ができたのは、産業人がついていたからできたのです。私はパウロの牧会は、幸せだったと思います。直接現場に通いながら弟子を探して立てて、一時代を裏付けられる産業人を立てて、Onenessになって、ローマを福音化したのです。プリスキラ夫婦のような人は、すごいのです。

@結論:今日の結論ですが、使徒18:1-3節を見ましょう。「同業者であったので」産業共同体を成し遂げたのです。事実、そうではありません。プリスキラ夫婦を見たら、彼らは普通の人ではありません。私たちの産業のために、この方を助けなければならない。お金だけでなく、私たちの首も出さなければならない。今、私たちは、タラッパン15年目です。今、私たちの産業人もメッセージを多く聞きました。こういう勇気がある信仰の人が起きなければならないでしょう。足りなくても、あたえられるメッセージの中で悟れば、みな来ているでしょう。私は柳牧師を見ながら、いつまで柳牧師が全ての荷を背負って行かなければならないのかと思います。方向を提示だけして、メッセージだけ与えれば、私たちが知って、産業人が知って、いのちをかけて一緒になって、仕事をして行けば、神様が空前絶後な祝福をくださるでしょう。

-要約-
<共同体と産業宣教(139) -改革の主役(28) -産業人と産業共同体(使徒18:3) >
1.改革と征服
(1) 3つの改革
① 人生改革   ② 宗教改革   ③ 文化改革
(2) 3つの征服
① 現場征服   ② 経済征服   ③ 文化征服
2.世の中の人々の産業共同体
(1) 世間共同体
① 1次産業 - 労働力が必要な産業
② 2次産業 - 製造産業
③ 3次産業 - 金融産業
(2) 宗教共同体
① 教理
② 宗教と産業の一致
③ 宗教組織と共同体
3.聖書の産業共同体
(1) 創14:14-20
(2) Ⅰ歴29:10-14
(3) 使2:43-45、使18:3
(4) 使11:28-30
(5) ローマ16:1-27
結論 - 使18:3