[ 2007年12月29日/産業宣教メッセージ/メイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(182) - OMCの使命(25)
重職者(役員)時代-教会弟子
(使徒2:41-42)


☆☆☆要約資料☆☆☆
1.初代教会に現れた最高の恵み
(1) マタイ16:13-20、マタイ17:1-8
(2) マタイ28:1-15、マタイ28:16-20
(3) 使1:1-8
2.初代教会に現れた最高の出会い
(1) 使1:12-14 (2) 使2:9-11 (3) 使2:41-42 (4) 使8:26-40
(5) 使9:1-15   (6) 使11:25-26 (7) 使11:19、12:1-25
3.初代教会の弟子たちの結果
(1) 使9:1-43 (2) 使11:19-30 (3) 使16:6-10
(4) 使19:8-20 (5) 使19:21、23:11、27:24

☆☆☆説明資料☆☆☆
序論
▲今、私たちには重職者(役員)時代が開いています。皆さんはRUTC、OMCをみなしていますが、実際には重職者(役員)として教会弟子として立つ思いがなければなりません。
▲これをする前に、私たちは今、一番最初にしなければならないことは何でしょうか。
(1)更新
▲重職者(役員)時代が開いていて、重職者(役員)がたくさん起きています。それに合うように更新をしなければなりません。最高に損害をこうむるのが更新をできないからです。私は時々、TVで時代劇をしている時、いつも更新をできないから、日本に負ける姿を見ることができました。私たちがこういう部分は、私たちを簡単にさせたり、難しくさせたりもします。私たちが一番出来ないのが更新です。これは変質するのではなくて、更新することです。はっきり調べれば、すべての個人が更新が上手な人が答えを確かに受けます。例えば、ソウンの場合は、両親がフィリピン宣教師なのですが、韓国に来ています。それに合わせて更新すれば、多くのことを見るようになるのですが、そうしなければ、とても難しくなります。レムナント7人は、これを良くできました。未信者でも信徒でも同じです。牧師も、過去に信仰生活をよくしながら、良い点もたくさん見ました。しかし、私たちが更新ができなければ、多くの部分をのがすのを見ます。私は時々、牧師が地域会のような姿を見る時、この方が全く更新できていないということを見ることができました。発言をする時も、高神(コシン)出身は高神(コシン)のようにして、合同(ハットン)出身は合同(ハットン)のように話します。もちろん良いことはあるのですが、私たちは今はやく未来を見通して更新をすることができなければ、多くの部分をのがすようになります。牧師と牧師夫人、牧師の子どもも、教会の大きさと牧師の位置にしたがって更新できなければ、かなり難しくなります。以前に恐竜がいたのか分かりませんが、いたとしても、今の時代と合わないから、いなくなったのです。
▲今、外の現場を見ながら、教会の中の弟子を見ながら、長老もはやく更新をしなければなりません。いくら力がある牧師でも、重職者(役員)を抜け出しては仕事をすることができません。反対に、いくら力がない牧師でも、重職者(役員)の多くの祝福に影響を受けるようになるのです。
▲私が以前に副教役者だった時、小さい教会に講師として行くようになりました。その教会には、大韓民国で有名な長老が一人おられたのですが、医師として韓国で認められる長老でした。大きい賞もたくさん受けて、非常に立派な方です。この方が人柄も良くて、叱る所がない方でした。未信者も尊敬する方でした。予想通り、教会に行ってみると教会の全体的な雰囲気を作っていました。この方が完全献身する奉仕主義だったのです。社会奉仕とか、こういう部分に多くのキャラクターを持っている方でした。本人はよく知らないのですが、福音とは関係なく、元気に暮らしている方でした。青年会の献身礼拝で私が福音を提示しました。すると、反応が両側の衝撃が起きたのです。半分程度は、そのとおりだ。初めて聞いた。本当に福音が重要だ...と衝撃を受けて、残りの半分ぐらいはとても、反対の言葉を言うから、これが何の話だろうと言いました。私はこの教会の牧師の牧会が難しいと考えました。長老の下の青年たちが、ほとんど大部分そのような考えを持っていたのです。怖いことなのに、知らないのです。私たちはあらわれたことだけ話すから、その人の中に入っているものを知らないのです。
(2)福音
▲更新もしなければならないのですが、さらに重要なのは、私たちの中に福音を味わっていて、この福音を伝えるべきだという切なる心を与えられたことが最も大きい祝福です。もしホテルで仕事をしている職員が、ここはとても良い。このホテルで仕事をするようになったのがとても良い...としたら、どうでしょうか。そうでなければ、私はしばらくしたらやめる。私と合わない...と考えれば、直ちに目が変わります。皆さんが教会に行っても、信仰生活することがとても良いな。私がこの福音を分かったら、このように良いな...と思う人と、私が今、教会を通うことは通うが、何をするかも分からない...という人は、目が完全に違っているのです。この福音を本当にどのように伝えようか、という切実な心を神様がくださったということは、最高の祝福をくださったのです。それは、福音を味わっているということです。これは更新よりさらに重要なことです。

1.初代教会に現れた最高の恵み
▲もし、そうなる時、3つのことが見られます。それが第一に、初代教会が受けた神様の最高の恵みです。これが続けて見えるようになります。毎日、見えます。ところで、他の人の目には見えないのに、その人の目には見えるのです。
(1)マタイ16:13-20、マタイ17:1-9
▲福音を伝えるべきだという切実な心があるならば、多くの部分で変わります。
▲時間が経つほど、マタイ16:13-20のみことばが私に恵みで迫ってきます。真に幸運だと考えます。時間が経つほど、私の親が偶像崇拝する親でなく、教会に通う親だということを感謝します。私達が分かるでしょうか。私の家のそばに教会ができたが、その教会がみことばをよく捕まえている教会なので、それも感謝なのです。そうでなければ、教会だけ熱心に通う人々が多いのに、福音が何か知るようになったことが、とても感謝なことです。イエス様がなさった質問とそれに対する返事が時間が経つほど悟れるのです。
▲これになればなるほど、マタイ17:1-9が見られるのです。なぜモーセも必要なくて、エリヤも必要ないと言われたかを知るようになります。
(2)マタイ28:1-15,16-20
▲この契約を悟った人に続けて見せてくださいます。なぜイエス様が十字架で死なれたかを知るようになって、イエス様が死なれたことで終わったのではなく、復活されたと言われたのです。
(3)使徒1:1-8、完ぺきな答えがずっと恵みで迫ってきます。

2.初代教会に現れた最高の出会い
▲このようになると、出会いの祝福がずっと起きるのです。
(1)使徒1:12-14、それほど迫害する中で、マルコのタラッパンが始まる段階です。
(2)使徒2:9-11、始まるやいなや、過越の祭りがあったのですが、15ヶ国の産業人が集まったのです。
(3)使徒2:41(弟子)、他の人の目には全く見えない弟子が見え始めました。信徒となっているのですが、その当時に3000人は、数が問題ではなくて、確かに弟子であることが明らかです。なぜなら、マルコのタラッパンに集まれないようになっていて、イエス様のことを話せば捕まえて行く時代だったためです。そのような時代に、バプテスマを受けたということは、それこそ信徒ではなくて弟子です。全く見えないのに見えるのです。それで、伝道がやさしい、難しいという話をするのではなく、見えるようになるのです。私が一番恐れる人は、怠ける人なのですが、それよりさらに怖い人がのさばる人です。のさばる人は、何をするかも分からないのです。それなら、これが見えません。それは本当に損害です。私がのさばらないでも、これが見せるべきなのに、のさばっても、これが見えなければそれが問題です。私がとてもがんばるのですが、これが見られなかったら、みな見えないのです。しかし、じっとしていても、これが見えたら、全部、見えるのです。これがみな関連があるのです。こういう人々が初代教会に100人くらいずつ集まって、世界をひっくり返したのです。この中で重職者(役員)を立たせてみわざが起きたのです。
(4)使徒8:26-40、全く違う人の目には見えることもできず、することもできないことが生じるのです。どのように、エチオピアの宦官が通り過ぎる時にピリポに会うでしょうか。これは奇跡のようなことです。どのように、船が過ぎ去って、一地点で他の船と会うでしょうか。これは1世紀に一度、出てくるか、こないかもしれないと思えることです。ここでピリポと宦官が会うようになりました。これが伝道です。他の人の目には全く見えないのですが、これが弟子です。それなら、その後に起きる答えは言うまでもないのです。
(5)使徒9:1-15、アナニヤのような重職者(役員)が現場を持っているのですが、こちらにパウロを送られたのです。
(6)使徒11:25-26、この人たちが、アンテオケ教会を立てて、弟子の大きい群れが集まり始めました。
(7)使徒11:19、危機に会ったのですが、むしろ重職者(役員)が何か見るようになったのです。危機に会ったのも問題ですが、何を見るかがさらに重要です。こういう祝福が簡単に見られるのです。迫害がきた時、アンテオケを見るようになったのです。正確に申し上げるなら、大きい迫害の中で世界宣教を見せられたのです。これが目に見えたということは、本当に奇跡のようなことです。
(8)使徒12:1-25、それで危険がきても問題がないのです。

3.初代教会の弟子の結果(OMC)
▲このようにして作られたのがOMCです。さらに正確に言うと、OMCは作ったのではなく、作られたのです。OMCは当然、なるのです。祈りの答えをたくさん受けたら自然になることです。福音を持った重職者(役員)が事業をして、ものすごく金を儲けたら、何も言わなくても、教会に献金をするようになるのです。ただ福音、ただ恵みのために生きている人が、ある日、大きい財産ができたら、献金をしろと言わなくても、するようになるのです。こういう人々が集まったのがOMCです。ところで、単に集まったのではありません。
(1)使徒9:1-43、重職者(役員)が現場に敷かれたのです。今、私たちがこれを作ろうというのです。重職者(役員)時代を開こうということは、これを作ろうということです。これにならなければ、どんな場合にも正しい福音運動が起きません。重職者(役員)の方がいる場で答えを受けていてこそ、世界宣教は可能です。重職者(役員)が集まっている所で前の人々が集まるべきなのです。
(2)使徒11:19-30、迫害が起きたのですが、最高の答えが現れました。それがアンテオケ教会です。重要なOMCメンバーが集まるのです。
(3)使徒16:6-10、少し答えが来ないようでしたが、使徒16章でマケドニアという門が開かれました。普通の人ならば、ここで押し通したり、働きがならないから気をおとすでしょう。それであきらめるようになるのです。ある人は、良くならなければ力で押し通すでしょう。しかし、パウロチームは祈って神様がマケドニアに行けという答えを受けました。アンテオケ伝道ではなくて、マケドニアに行けということです。
(4)使徒19:8-20、こういう大きい門が開かれる中で、ツラノ運動が起きました。
(5)使徒19:21,23:11,27:24,この程度ではありません。使徒19:21で、ローマも見なければなりません。使徒23:11で、同じみことばをローマでも宣べ伝えなければなりません...使徒27:24でカイザルの前に立たなければなりません...とおっしゃいました。
▲このように作られた人物がローマ16章の人物です。それがOMCです。OMCという言葉は、福音で一つになったチームという意味です。それこそonenessになったのです。
▲onenessという言葉は、この3つが通じる人を言います。単に力を合わせるのはonenessではなく、一緒にです。私が産業宣教現場を振り返る時、普通に見る時、一番がんばる方が会長です。ところで、会期が変わって、会長が変わったら、必ずその会長は見えなくなります。それが、まさにこの問題です。この祝福とは全く関係がないから、そうなるしかないのです。これまでとても大変だったためです。本人は来ないのではなく、味わうのです。休んでいるのです。しかし、この祝福を味わってきたとすれば、それはonenessに連結するしかありません。私たちが仕事をしていれば、何にonenessすべきでしょうか。これにonenessしなければならないのです。ひとりは恵みが良くて、他のひとりはお金がとても良いならば、二人がonenessにならないのです。いくら努力してもだめです。しかし、二人ともが恵みがとても良いならば、そのようにたくさん会って、話をたくさんしなくても通じるのです。この人はヨーロッパにいて、私は韓国にいても、これが通じます。この恵みがあれば、ますます良いためです。そういうonenessを言うのです。これが見られ始めたのです。そのonenessを持って宣教して伝道しようというのです。これを私達ですることでなく、全体が正しくするように助けて、私たちの子孫に土台を置こうというのです。それでClubという言葉が出たのです。私達でしてもかまわないのですが、子孫を考えるのです。私たちの先輩が、このように生きたのだなあ! 私たちの両親が、このようにして行ったんだなあ! いうことを分かるようにするのです。これより重要なことはないでしょう。時間が経つほど、この部分はより一層、恵みになるのです。
▲こういう重職者(役員)が教会の中に二人だけ出てきても働きは起きます。99人がとんでもない話をしても、2人がここに同意していけば良いのです。その時、この言葉をわかる牧師は、たたきさえすればよいのです。それでは、他の99人も、やむを得ず祝福を受けてついて行くのです。この部分を悟った人が、1人もいないならば、その場所は何の場所になるのでしょうか。全部、自分の自身の経験と考えを話す集いになってしまいます。それが、こんにちの教会の問題です。それで、皆さんが祝福の重要な人々だから、このような契約を持って、これをする集いです。私が見るのに、皆さんは、すでに福音を持つ方々であることが明らかです。皆さんを福音のために呼ばれたのも明らかです。それで、私たちはいつも更新して、新しく変わらなければなりません。他の人が見て、この人が変わったんだなあ、この人は以前と違うよ...と話すべきです。こういう祝福が皆さんの教会現場、産業現場、皆さんのすべての家庭現場で起きることをイエス様の御名で祝福します。
(The end)