[ 2008年2月23日/産業宣教メッセージ/メイフィールドホテル/柳光洙牧師]


共同体と産業宣教(188) - OMCの使命(31)
教会復興と祝福の代表
(使徒9:1-15,10:1-6)


☆☆☆要約資料☆☆☆
1.神様は重職者を呼ばれる時、祝福される代表として呼ばれた
(1) 創12:1-3 (2) マルコ3:13-15 (3) ルカ10:1-20
(4) 使1:1-11、使1:12-14、使2:9-11 (5) ローマ16:1-27
2.神様は重職者を呼ばれる時、教会復興の契約を成し遂げる代表として呼ばれた
(1) 使9:1-15 (2) 使10:1-6 (3) 使11:19
(4) 使13:1、16:15、17:6、18:3-4
3.神様は重職者を教会と世の中を生かすための個人的な祝福の代表として呼ばれた
(1) ルカ1:1、使1:1
(2) Ⅲヨハネ1:2、ローマ16:23
(3) Ⅰペテロ2:9、Ⅱペテロ2:6
(The end)

☆☆☆説明資料☆☆☆
序論
▲重職者として呼ばれた方たちは、一つだけ記憶すれば良いのです。神様がなぜタラッパンに重職者時代を開かれるのでしょうか。まさに皆さんが使徒9:10にあるように、ダマスコにはアナニヤがいるとおっしゃられたように、神様が知っておられたのです。使徒10:6には、皮なめしのシモンの家、ヨッパの海辺にあると記録されています。私が重職者になったとすれば、これを祈れば良いのです。
▲重職者になれば、色々なことも多くあるのですが、このことが最も重要です。皆さんがいくら違ったことをよくしたといっても、現場に弟子がいるのに、のがせばみなのがしたということです。いくら私が習ったことが多くて、持っていることが多いといっても、神様が認めなければ主の働きに用いられません。
▲この部分を詳しく見れば、さらに多くの重職者が、さらに多く現場で起きなければならないのです。教会の前だけ見ていれば、何もすることがありません。しかし、外の弟子に会って、その人たちが成長して伝道の実が起きるのを見れば、私たちの数がどれくらい足りないかを知るようになります。
▲それで、今日は、この本文を持って皆さんは教会復興と祝福の代表というメッセージを分かちあいます。神様がそのように呼ばれたのです。教会を生かさなければならないが重職者が起きて、代表的に祝福を受けるのです。当然のことです。神様がご存知で準備されるのです。それで重職者と牧師は重要なのです。牧師になったとのことは、資格がないのになったのです。そのように見る時、恐ろしさではなくて、限りない畏敬の心がなければなりません。重職者になったということは、ものすごい途方もない祝福だから、すばらしい畏敬の心があってこそ神様がご存知で用いられるのです。
▲信仰生活をすればするほど3つのことが出てきます。
(1)個人の意見、質問、不平不満
▲私個人の意見がそれほど必要ないということを知るようになります。みことばが生きて働かれるためです。質問もなくなります。答えがみな出ているためです。幼いレムナントがよくするように、信仰生活を長くしている人が質問が多いということは、まだ幼いということです。不平不満もなくなります。それで、こういう部分が私の中に植わっていてこそ、神様がご存知で用いられるのです。信仰生活をすればするほどそうです。
(2)答え、恵み、感謝
▲信仰生活をすればするほど、キリストが答えになります。牧師先生が説教準備をする時、福音だけ伝えるということはきわめて難しいことです。実際に毎日答えを得られなければ、キリストだけ話すということは不可能です。しかし、私が毎日答えを得れば、キリストだけ話すのが可能になります。それで信仰生活をすればするほど、キリストだけが答えになるのです。信仰生活をするほどキリストが答えにならないならば、その人は事実上、救われなかったのです。すればするほど答えです。それにならないならば、はやく点検をしなければなりません。このようになれば引続きなくなります。全てのものがみな恵みとなるのです。神様が救われて、私に恵みをくださるということが時間が経つほど恵みになるのです。教会の内外に事が起こるのに、事も感謝するようになります。牧師がこのようにならないなら、信徒を育てることはできません。絶対に牧師は信徒に他のものを植えたり、親しい人々が別にあれば絶対にだめです。みな大切です。自分の味方が別にあるならば、牧師が牧会を止めなければなりません。長老はひょっとしてそのようなことがあるかもしれませんが、牧師はそうではいけないのです。時間が経つほど、私たちの方向と未来は全部、神様の栄光のために方向を定めなければなりません。時間が経つほどそうなのです。私たちは重要な祝福が前に置かれているから、こういう基礎が揺れれば家を作ることができないのです。
(3)福音運動、伝道運動、教会復興(コルネリオ)
▲時間が経てば、ますます出てくる答えが、自ずから福音運動だけが私がすることだ! です。これになれば、同じ話ですが、伝道運動になります。その結果で教会復興がくるのです。これにならないから、韓国教会は危機がきて、世界教会はすでに危機がきて長い時間がたっています。私たちのメッセージを他の教団の牧師も聞いているでしょうが、これにならなければ、どんな教団もだめになります。
▲米国である長老がこういう話をしました。食堂に行ってみればタラッパン教団以外の他の教団は、みなテープを持って行って置いていると言いました。タイトルを見てびっくりしたが、いのち的な献身、いのちをかける献身、いのちを生かす献身...ということだったということです。とても驚いてテープを聞いたが、内容は似ているが違うと言いました。いくらまねをしても、まねもできないのです。
▲しかし、タラッパンの重要な方々がこれにならないならば、どうでしょうか。これはタラッパンのマークでは、なくて聖書のマークです。私たちだけ持った単語ということではありません。救われた人ならば、当然持たなければならない単語です。時間が経てばますますキリストが答えです。いくら思っても、過ぎて見ると、恵みであり感謝で、神様に栄光です。多くの重職者が訓練もできなければならないのですが、この部分にならなければなりません。神様がご存知で、みな導かれたのです。それを福音運動といって、伝道運動、教会復興と言うのです。
▲コルネリオのような人が教会にきたとすれば、教会復興にならないでくれと言ってもしても、なるでしょう。コルネリオは百人隊長ですが、立派な人です。各地域を守ってローマに報告している人ですが、この人が完全にキリストの前にひざまずいたのです。私の考えですが、パウロとペテロが伝道運動をするのに、後に間接的に役に立ったでしょう。まちがいなくそうだったでしょう。ペテロが自分の家にきた時、裸足で出てきてお辞儀をしました。この人がペテロにお辞儀をしたのではありません。福音を持ってくる主のしもべを見て挨拶をしたのです。この人が前後も識別できなくて、世の中も知らない人ではありません。それもイタリヤ隊の百人隊長です。イタリヤ隊というのは、ローマの最高の重要な要職のことです。私たちで話せば、情報部隊です。その人がペテロの前でひざまずいたのです。それなら、教会復興は話す必要もありません。伝道運動は自然に起きるのです。家の中がみな洗礼を受けました。こういう作業を私たちが今、継続しようというのです。

1.神様は重職者を呼ばれた時、祝福する代表として呼ばれました。
▲重職者を呼ばれた時、祝福する代表と呼ばれました。皆さんを呼ばれた時、祝福する代表として呼ばれたのです。この話は、そうなってこそ、他の人が救われるためです。
(1)創世記12:1-3,一番初めにアブラハムを呼ばれた時、創世記12章で同じ話をされました。あなたの名は祝福と呼ばれるだろう...とされたということは、当然、この祝福を受けるしかないだろうということです。
(2)マルコ3:13、イエス様が一番初めに弟子を呼ばれた時も、お望みになる者を呼ばれたと言われています。
(3)ルカ10:1-20、重職者を一番初めに呼んで、同じように現場を見せながら、使徒に与えられたメッセージを伝えてくださいました。
(4)使徒1:1-11、使徒1:12-14、使徒2:9-11、すでに完ぺきな祝福を先に与えられたのです。キリストが答えになる人は、行く所ごとに神様の国が臨むのです。事業も伝道も、単にすることではなく、聖霊充満の力で根源的にするようになります。これは最後の日、その日まで有効になります。それで重職者が使徒1:12-14の契約を捕まえたのです。祈りに専念したのです。そのうちに現れた人物が、使徒2:9-11の産業人であり、重職者です。
▲序論の部分だけなって、そうだという考えになったら、この答えは、そのままあふれるようになっています。皆さんが祝福する人だと考えてみるように願います。いつも自分の主張だけして、いつも恨んだら、どのように与えられるでしょうか。ものすごい救いの奥義が与えられているのに、答えを得ることができなくて、教会の働きも自分の力で行ったら、より多くすることができないのです。

2.神様は重職者を呼ばれた時、教会復興の契約を成し遂げる代表として呼ばれました。
▲神様は重職者皆さんを呼ばれた時、教会復興の契約を成し遂げる代表として呼ばれました。必ず記憶しなければなりません。教会を復興させるように契約の代表として呼ばれたのです。
(1)使徒9:1-15、神様が一時ものがさないで、アナニヤを祝福しておられたということです。皆さんが本当に福音の人ならば、一時ものがさないで祝福されるでしょう。
(2)使徒10:1-6、シモンもそのようにしておられたのです。
(3)使徒11:19、この人たちを通してアンテオケ教会が立つようになったのです。アンテオケ教会は、使徒を通して立つようになったのではなく、重職者などを通して立つようになったのです。
(4)使徒13:1,16:15,17:6,18:3-4,こういう働き人を探しましょう。
▲使徒16:15のまちがいなく備えられているので、ルデヤのような人とヤソンのような人、プリスカ夫婦のような人々を探しましょう。この作業を絶えずしましょう。これが重職者運動で、これが産業宣教です。これがまさに伝道です。こういう部分をのがして、韓国教会が無条件に伝道しようとするからだめなのです。こういう人物がいっぱいいます。
▲使徒13:1では、宣教派遣も、私たちのようにしたのではなく、すでに重職者と産業人をグループにして出て行きました。そのことの限界が来たら、無限の畑がある現場で答えを発見するのです。
▲私が今回、米国で宣教とは何か、多民族が一つになることだと話しました。例えばチョン・ウンジュ牧師、キム・ドンゴン牧師、チェ・ジョンウン牧師のような方が外国で暮らすと考えてみるように願います。私はどこの国の牧師だ。私について来なさい...としたら、ついて来るでしょうか。あなたと私は一つだ....としてこそ、ついて行くのです。あなたと私が神様の前で一つだ。神様にあって私たちは一つの国だ。神様にあって私たちは兄弟だ。一緒に立ち上がろう...という話が合うのです。これが宣教です。それが多民族福音化です。
▲それがうまくいったのが初代教会です。この人たちが、2千年前にどのようにそのような優れた考えをするようになったのか考えてみると、聖霊の導きを受ければそうなるのです。今、目を開いて見れば、宣教も何も、みなだめになっています。限界がくるのが当然で、来るようになっています。どの西洋人が、韓国の人の下でお手伝いをしようとするでしょうか。教会の中にも重職者も、聖書にあるとおりにしなくてはいけなくなるのです。
▲あちこちで重職者が立っていて、教会に集まれば証しが出てくるべきなのに、今は反対ではないでしょうか。外で一つも見つめることができないから、私の考え、私の意見を主張するのです。それで、長老が三人ならば、世の荒波になるのです。みな色が違うのです。偶然の幸運で一致することもできるのですが、違うこともあります。もしかして、牧会もそのようにしているではないでしょうか。成ることがありません。だめな条件をみな集めてあります。教会の堂会の組織、牧師の考え、説教など、重要なことごとに絶対だめなようになっています。それで、先に選任された長老は、はやく現場でこういう弟子を捜し出す作業をしなければなりません。私の話ではなくて、聖書に出てきているのです。

3.神様は重職者を教会と世の中を生かすための個人的祝福の代表として呼ばれました。
▲神様が皆さんを個人的に祝福されます。皆さん個人が祝福を受けられなければ、他の人を生かせないのです。個人的祝福の代表にならなければなりません。
(1)ルカ1:1,使徒1:1(テオピロ,ルカ)
▲二人が出てくるのですが、個人的な話です。テオピロとルカです。個人的に私たちはこういう作業が起きなければなりません。ルカ1人だけ見ても色々なものが予測できます。この人は実力ある医師でした。テオピロの主治医になるほどの医師でした。イエス様の公生涯をみな記録するほど賢くて、宣教現場に出る程、祝福されていました。この人が普段の時に自分と親しい人にメッセージを伝えたのですが、その人がテオピロです。二人が親しいのは確実です。テオピロ殿(閣下)と書いたのを見ればこの人は地位が高い人に間違いありません。個人的に健康を手助けしたので、親しくならざるをえないのです。そちらに福音を説明したのです。どれくらい素晴らしいでしょうか。このように祝福を受けたのです。私の考えでは、テオピロは表に出ないように、多くの助けを与えたでしょう。初代教会は迫害も多かったのですが、すばらしい人物も隠されていました。
(2)Ⅲヨハネ1:2、ローマ16:23,ガイオをご覧になるよう望みます。
①ヨハネ-それより重要なのが、ヨハネという使徒が送った手紙です。
②ガイオ-私とすべての伝道者の家主と言われています。その言葉は、パウロを助けた人だということです。ここにみな出てきたのです。ガイオという人物が、イエス様の公生涯についてよく知っていて、使徒ヨハネを助けたということです。世界福音化のとても重要なパウロを助けたということです。この人が個人的にどれくらい祝福を受けたのか、すべての伝道者の家主になりました。これがまさに私たちの長老、重職者が受けなければならない祝福です。すべての伝道者の家主です。今回改編された聖書には、世話する者となっているのですが、まちがいなく伝道現場を知らない方が解釈をするからでしょう。私は個人的な考えで、伝道現場を知らない人は教授もしてはいけないと考えています。自分と同じ牧師を作り出すから、教会が伝道もできなくて、教会も生かせないでいるのです。
(3)Iペテロ2:9、Ⅱペテロ2:6祭司、王、預言者
▲ペテロが、あなたは王である祭司、この光を宣言するために送った...と言いました。改編される前の聖書では、宣べ伝えるためにと言われていましたが、今回の聖書では宣言と言われていますが、解釈をよくしています。私たちには宣べ伝えるという言葉は、悪い言葉ではありません。色々な人が多く分かるように知らせるという言葉です。あなたはまさに祭司の祝福を受けた人です。そして、王的な祝福を受けた人です。この光を現わす預言者の祝福を受けた人です。ペテロが、今でも昔に記録されたみことばが成就している...と話しました。
▲ここに皆さんが代表であり主役です。間違いありません。この時代に呼ばれた皆さんのために、祝福を備えておかれたのです。すべての重職者が、この祝福を思いきり味わう代表になることをイエス様の御名でお祈りします。

(祈り)
すべての問題の解決者であるイエス・キリストの恵みと、私たちをあらかじめご存知で呼ばれた神様の大きい愛と、今、悟るようにしてくださる聖霊様の働きが、一時代に祝福の代表になる私たちの重職者の上に、今からのち永遠まで常に共におられるように。アーメン
(The end)