[2008年7月19日 産業宣教 場所:ソウル産業宣教センター]


OMCの使命(52)
重職者とメッセージ
(イザヤ40:6-8)



☆☆☆要約資料☆☆☆
1.重職者は礼拝に成功しなければ、時に産業人は礼拝に成功しなければなりません - 礼拝とは何ですか
(1) 創13:18       (2) 創28:10-24、32:23-32      (3) 出3:18
(4) Ⅰサムエル3:1-18、19   (5) 詩23:1-6  
(6) イザヤ40:6-8、27-31、エゼキエル37:1-10、47:1-21
(7) マタイ4:1-10、11、マタイ16:13-20、使2:1-47
2.どのように礼拝しなければならないでしょうか
(1) みことばに集中と癒し (力)   (2) みことばの答えと実践   (3) みことばの祝福と平日
(4) 証拠と証人          (5) 実と弟子         (6) 現場と産業の答え
(7) 現場と弟子の集い
3.イザヤ40:6-18
(1) 過去に対する正確な解釈が、みことばです
(2) 今日に対するもっとも偉大な味わいが、みことばを正確に見つけることです
(3) 明日に対する正確な方向が、みことばです
① ローマ15:4    ② Ⅰコリント10:11    ③ Ⅱペテロ2:6
(The end)

☆☆☆説明資料☆☆☆
→序論
▲イスラエル民族が一番困難にあった時、神様がこのようにおっしゃられました。イザヤ40:6節に「呼ばわれ。」と言う者の声がする。私は、「何と呼ばわりましょう。」と答えた。「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ...同じみことばですが、主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ...それと共に、8節には枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」
永遠に立ちなさいではなく、永遠に立つと言われました。これがどれだけ重要かというと、9節に見ると、シオンに良い知らせを伝える者よ。高い山に登れ...その時は、情報がはやくないために高い山や、町のてっぺんに上がって話をしたのです。それで多くの人が聞くようにしなさいと、そのようなみことばです。
▲私たちの重職者、産業人の皆さんに一番重要なメッセージです。今、外側で1位に持ち上がったのが何でしょうか。インターネットで1位に浮び上がったのは何でしょうか。一番悪い側で話せば、淫乱サイトが1位に浮かび上がったと見られます。統計上でそうで、実際上ではそうではありません。実際、全体で一番たくさん浮かび上がったのが何でしょうか。食べ物です。それで、料理とか食べ物が全体的に一番たくさん浮かび上がったのです。ところで、現場的に見る時、食べ物よりさらに浮かび上がったものがあります。インターネットにあらわれた統計上では淫乱ですが、実際的に、生活の中で見れば、食べ物が一番たくさん浮かび上がって、それより実際にさらに多く浮かび上がっているものがあります。それが何だと考えますか。実際的に、生活の中で一番たくさん浮かび上がったのが占いです。それでは、私たちにすばやく答えが出てきます。私と皆さんがこのみことばをどのように握るかが、とても重要だということになります。
▲今回、私たちの大学生のレムナント、リーダー訓練の時しなければならない講義の中の一つですが、このみことばを私たちがどのように握って、どのようにしなければならないかが、全てを左右することができます。とても無知に、簡単に話せば、占いよりは良くならなければならないのではないでしょうか。ここにいる人を教会に引っぱって来るということは、私たちが何か違っているということです。その部分を今日みな話すことはできません。しかし、いくつか重要な部分は確かめて行かなければなりません。
(1)カトリック(旧教)-教会,新教-みことば
▲カトリックは簡単に話せば、旧教です。本来あった教会です。この背景が強大です。ここでだめだと言って出てきたのが、今、私たちのプロテスタント(新教)です。正統的に初代教会からあったのが、この旧教です。ところで、ここで違うと出てきたのがプロテスタント(新教)です。力で問い詰めれば、比較になりません。本来、異端だ、違うというのは、力の戦いであるから、カトリックが力が強いから直ちに異端にしてしまったのです。それで、私たちのタラッパンが異端の濡れ衣を着せられたのは、力がない以上は変えられません。ところで、短期間にカトリックがプロテスタントに負けました。カトリックの背景はヨーロッパだと見ることができて、プロテスタントの背景は米国だと見ることができるのですが、米国の成長も関係あるでしょう。それで、1500年流れてきたのが、ただ500年後にひっくり返されたのです。ところで、何が問題になったかということです。カトリックでは今でも教会が上です。それを見て、私たちがカトリックだと言うのです。カトリックという言葉は、普通の言葉ではありません。全てのものの上に教会ということです。ところで、プロテスタントでは、そのように見ませんでした。教会の上にみことばです。このように出てきたのです。この二つが戦ったのです。信徒は知らずに教会に行ったり来たりしているのですが、実際、裏面では霊的戦いがなされたのです。少し一理があるのが、カトリックではこのように話します。たくさん散ったみことばの中で聖書の決定も教会がしました。そして、多くの職分、礼典だ何だ、これも教会が決めたのです。そうではないでしょうか。4千種類もなる新約聖書を一つにしなければならないのに、教会がまとめたのではないのか、教会が上だ。このように今でもカトリックは主張しています。それと共にみことばは無視してしまう傾向を持ったのです。今でも、聖書の言葉より、法王が話せばそれがさらに上です。そのような中に、私たちのプロテスタントでは、違う、みことばが教会の上だ。みことばがすなわち神様だ。このように出てきたのです。それと共にマルティン・ルターが聖書を翻訳しました。みんなが読まなければならない。そして、聖書的にすべきだ。このように出てきたのです。ところで、その戦いで500年後にカトリックは事実上、負けたのです。私がこれを言った理由は、みことばの力がものすごくいということです。
(2)産業人(重職者)
▲それで、重職者と産業人の皆さんが記憶しなければならない部分は何でしょうか。頭の中にいつも置いておかなければならないのは、私たちは訓練をみな受けることはできないのです。それでは、先週にとても重要な大学生が訓練を受けたのですが、どんなメッセージが流れて出たかを知らないでしょう。それでは、皆さんがすべてのメッセージをみな聞くことはできません。メッセージが良くても悪くても、流れているから流れたことを知らなくなるのです。その部分に、皆さんが一番注意しなければなりません。皆さんは直ちに講堂に立って祈るから、信徒は分かります。それで信徒が自分たちどうしでみな話すのです。はなはだしきは深刻な話までします。あの人は福音ではない、そうだ、この話までします。皆さんが祈りに使う単語一つにそうです。すでに会議をしても分かります。話をすることはないけれど、あの方は訓練を全く受けないんだな、こちらで思って。それでは、訓練を受けないでも常識であって、そうすれば良いのですが、実際はそうではありません。
▲釜山でまさに私たちのアパートで起きたことです。町内会をしたのに、ちょっと賢い女性一人が出席をしないのです。町内会でどんなことが行われたのか知りません。ですから、この女性は、話をすればいつも会議した話とは違った話を度々するのです。そして、出席をしなければならないのに度々しなくて。この方は、出席しなくてもかまわないほど賢かったのです。ところで、賢いことは自分の事情で、集いで何を話したのか知りません。そうしたら、感情対立になったのです。そのような中に、駐車問題でけんかをするようになりました。ところで、管理人が優しい人なのに、どれだけ怒りが込み上げてきたかというと、その女性を訪ねて行って殺したのです。自分が殺して見たら、途方もないことをしてしまったのです。本来、優しい人であるから、この人もまっすぐ行って自殺しました。それが、まさに私が、今、釜山で住んでいるアパートで起きたことです。
▲これほど、コミュニケーションというのが重要だということになります。それで、皆さんが第一に最高に祝福された人として、神経を使わなければならないことがその部分です。メッセージがどのように流れるのか、これを理解しなければなりません。それでは、来週にはすべてのレムナントを動かすリーダーを集めてメッセージをします。いったいそのこの子たちに何を話して、そのこの子たちが何をしているのか、ある程度、理解をしなければならない、その話です。
▲それで、皆さん一番難しい部分です。訓練をみな受けることはできません。しかし、皆さんの立場は、みな理解をしなければならない方々なのです。皆さんはすべての集会にすべて行くことはできません。しかし、すべての集会に行く人が、皆さんの下で祈ってあげているということです。それで少しだけ気を遣っても多くの役に立ちます。
▲それで、重職者の手紙に一週間にあるメッセージをみなのせなさいと言うのです。それでは、ひょっとして皆さんが見て、これは何の話なのか、どんなことがあったのか少し確認してみるのも良いでしょう。確かに明らかな話のようですが、何か一段階ずつ進行されて出たので、どの部分が進行しているのかを皆さんは最高の重職者だから理解しなければならないのです。それで、いつかは働きが起きるでしょうが、今、重職者の手紙が一番活用度が低いのです。世の中の言葉で、福音の手紙、祈りの手帳は、みなヒットしました。ところで、重職者の手紙だけ静かなのです。皆さんが活用しないということになります。もちろん、訓練をたくさん受けて、集会に参加すると、その人が変化する、そんなことはありません。しかし、確かに目に見られないように違うから、産業人の皆さんが同時に重職者だから、こういう部分に祈りができる祝福を味わわわなければなりません。
▲そして、理解しなければならないことは、今、他の教団もありますが、私たちの教団とはどんな差があるのでしょうか。教団は差がなければならないのです。それが、神様が教団を立てられた理由です。ホーリネスと長老教が全く同じならばだめです。ホーリネスで主張することがあります。そして、バプテスト、長老教、みな主張することがあります。そして、私たちが主張することがあるのです。私たちのものだけ正しいというのではなく、私たちが主張することがあるということです。それを皆さんが最も早く理解しなければなりません。神様が皆さんに与えられ、私たちを動かされる中で最も重要なことは何でしょうか。伝道です。それである団体は、統合だ、合同だですが、私たちは伝道総会なのです。
(3)伝道(アイデンティティー)
▲言わば、私たちのアイデンティティーです。こういう部分を皆さんが一番理解しなければならず、これから行かなければならない道なのです。

1.礼拝
▲そのような中で皆さんが一番重要視しなければならない部分が礼拝です。私はそのような考えもしてみました。堂会や諸職会は土曜日するのはどうでしょうか。牧師が話しをして、長老の家も行ってみるべきなので、回りながら堂会院が長老の家に集まって食事でもしながら堂会をすればどうでしょうか。ちょっと難しいでしょうが、それより重要なことはないでしょう。私がこれを話す理由があります。重職者が礼拝をのがしてはいけません、その話です。本人の損です。なぜなら、私たちが聖日にきて、すべてのことをみなして、すべての会議をみなするから、礼拝に支障が出るのです。それが私が見た教会に対する考えです。ある教会は見れば、堂会に入ってけんかをしてから礼拝をささげるから、これでは礼拝にならないのです。それが数年、持続するならば、どうなるでしょうか。皆さんがそれよりさらに重要なのは、そうだといっても礼拝は失敗してはいけないのです。
(1)創世記13:18(祭壇)
▲アブラハムが初めてにすべての心配事をよけて置いて祭壇を築き始めました。初めて出てきた単語です。アブラハムが樫の木に祭壇を築いたとなっています。正しく初めてアブラハムが礼拝を回復したのです。これが小さいことのように見られるのですが、この時から重要なことが始まります。これが礼拝であるために、私たちの重職者と産業人は、この祝福を必ず受けなければならないのです。
(2)創世記28:10-24,創世記32:23-32
▲イサク、ヤコブ、ずっと降りてくるでしょう。すべての祝福をみな受けたのですが、結局は、ヤコブにきて重要なことが行われるのに、神様が触られたのは何でしょうか。結局は、創世記28:10-24を見れば、その山で、今、ヤコブが神様に礼拝するようになるのです。それで、自分が横になった石を立てて、それを柱として油を注いで礼拝し始めたのです。結局は、ヤコブがあれこれみなして戻る時、川岸で神様に礼拝したのです。その時、与えられた名前がイスラエルです。
▲それで、どの場合も牧師と長老、重職者、みな重要ですが、皆さんは礼拝に成功しなければなりません。牧師は悩まれなければなりません。何を悩まれなければならないのでしょうか。土曜日、聖日に、神様が願われるみことばを私がどのように伝達するのかを悩まなければならないのです。本を見なければならないのではなく、それを悩まなければならないのです。牧師夫人は、それをまた理解しなければなりません。大部分の牧師夫人は、理解できなくて、説教を拾ってとことん行くものと思って、それは説教ではありません。上手にする説教でも、できない説教でも、牧師がその説教にいのちをかけなければならないのです。それを家族も理解しなければならず、牧師夫人も理解しなければなりません。神様の前に考えてみましょう。とことん行ってもかまわないならば、その教会はとことん行ってもかまわない教会で、私の人生はとことん行ってもかまわない人生になって、それは違うのです。ある時は、説教を準備するということが、祈りだけよくするのではありません。ある牧師は、土曜日一日中TVを見て座っています。そうするうちに夜遅くメッセージが浮び上がるので、牧師夫人が、一日中TV見ていて、寝ないでと、このような形で話をすれば困ります。そして、やたら歩き回ったり、これぐらい説教ということが重要なのです。牧師は、私たちのタラッパンでは、方向、未来、みな決定されているからやさしいのですが、一般教会では難しいのです。そうだと見る時、私たちの重職者も、全国世界でメッセージ聞く方たちが、本当にメッセージを重要だと思わなければなりません。
(3)出エジプト3:18
▲結局は、奴隷になっているイスラエル民族に神様が礼拝を指示されたのです。新しい翻訳には、祭事を差し上げに行けとなっていますが、これは大きい失敗です。昔の聖書には犠牲のいけにえをささげに行きなさい。簡単に話せば、血のささげものをささげに行きなさい。それが正しいのです。ところで、私が見る時、しばしば福音を強調しなければ、そうなるのです。それで、私たちの教団が他の教団と違う点は、福音を強調するということです。それで、福音を強調しなければ、多くのことをのがすようになります。決定的にこの単語を見なさい。祭事と解釈をしました。もちろん、犠牲のいけにえも祭事だから...本来あった犠牲のいけにえ、この言葉がとても良い言葉なのです。
(4)Iサムエル3:1-18
▲結局は、サムエル時代、エリ時代に、みことばをのがしていたという話です。聖書は何か記録しているかというと、エリの目がかすんで、幻を見ることができなかった。その次に、何と記録されているのか、幼いサムエルは契約の箱のそばに横になっていたとなっています。このように対照的になっています。エリには幻が見えなくなっていて、サムエルは幼いが、契約の箱のそばに横になっていたのです。その時、サムエルが神様の御声を聞きました。それが、自らの礼拝回復なのですが、その時から19節を見れば、一言もサムエルが言う言葉が地に落ちなかったとなっています。
(5)詩篇23:1
▲どんな場合も勝ち抜いたダビデは、主は私の羊飼い。この言葉は何でしょうか。ダビデが一番上手にしたこと、その話です。ダビデが第一に受けた祝福が、これだということです。私たちが見る時は、ダビデが戦争が上手で、戦いが上手で王になったと見られるのですが、そうではなくて、ダビデが最高に味わった祝福が、まさにこれです。
(6)イザヤ、エゼキエル、講壇
▲それで、今日、イザヤになさったみことばを見れば、すべての草は人生と同じです。人間が受けた答えは草の花に過ぎません。皆さん草の花が咲けば、どれくらい咲くでしょうか。主のみことばは永遠に立つと話しなさい。そう言われました。それをのがしてしまったので、イスラエルがそうなったということです。
▲神様が同じようにエゼキエルにおっしゃられました。骨が生きるか。死んだ骨が生きるか。みことばを預言しなさい。そして、この講壇から流れ出たみことばが、あの海まで生かしました。それが、エゼキエル47章です。事実ではないのでしょうか。ですから、牧師1人が講壇から出たいのちのみことばが、川、海をみな生かしてしまったのです。ですから、長老1人が持っているいのちのみことばが、会社も生かして、現場も生かして、みな生かしてしまうのです。どれくらい重要かわかりません。
(7)申命記、教会、礼拝
▲結局、みてください。悪魔がイエス様に試みにきました。多くの韓国教会の牧師が悪魔の話をしないでくれと言うのに、悪魔がイエス様を触りにきました。その悪魔は、皆さんを触る、その話です。イエス様もみことばを持って勝たれました。イエス様も申6章、8章を引用されました。悪魔も、みことばを持って試みました。高いところから飛び降りてみろ、天使がきてあなたの足をささえてくれるのではない。詩篇にあるみことば、皆さんが行く所ごとに天使が皆さんの足を保護するというこの話を引用したのです。それと共に、最後の言葉は何でしょうか。結局は、全てのものみな上げる。それと共に私を礼拝せよ、このように出てきたのです。結局は、何を取って行こうとするのでしょうか。礼拝です。神様に礼拝をささげるのではなく、私を拝めと、そうすれば、あなたにすべて上げる。私をおがめ。このような形です。この時も、イエス様はみことばで勝たれました。主、神様だけに礼拝せよと言われたのです。私たちの礼拝対象は神様しかなくて、礼拝される神様だから、これをのがせば、みなのがしたことなのです。
▲結局は、イエス様も信仰告白したペテロに、あなたの岩の上にわたしの教会を立てます。
▲結局は使徒2章に、最も大きい答えが始まったのですが、いつ始まったか、礼拝の時に始まりました。その聖霊充満した事件がいつ始まったのでしょうか。集まって、礼拝する時。だからものすごいことなのです。それで、異端だと言われたのですが、その集まった日が聖日でした。なぜ安息日を守らないで聖日を守るのでしょうか。イエス様が復活された日が聖日なので、その日にこの人たちが集まって祈り始めたのを継続したのです。これが礼拝です。それで皆さんが第一に受けなければならない祝福がそれです。そして、今は土曜日は多くの恵みを受ける準備をしましょう。ある面で、皆さんが土曜日のような時は子どもたちとフォーラムもしてみて、もし皆さんが幼い子どもたちを捕まえて、土曜日に一週間に受けた答えも話して、みことばも正確に話したら、多くのことが伝えられるでしょう。

2.どのように礼拝しなければならないのでしょうか
▲それで、これは原理にならなければなりません。
(1)集中
▲聖日、皆さんが神様のみことばに集中しましょう。
(2)答え(実践)
▲このみことばを持って答えを捜し出しましょう。私が小さいことでも、しなければならないということを捜し出せば、正確です。
(3)平日
▲この受けた恵みをいつ味わうのかというと、平日に味わうのです。
(4)証人
▲それで、皆さんに証拠がきます。証拠がくれば証人になるのはやさしいのです。ここでタラッパンだ、何だ、みな始まるのです。私たちはタラッパンをすれば、多くのメッセージを伝えるものと思うのに、私がメッセージで受けた証拠を話すのがタラッパンです。
(5)弟子
▲それでは、神様が送る弟子に会うようになります。
(6)産業
▲この時、皆さんにおきることがあるのですが、静かにおいても皆さんの産業に働かれます。最も完ぺきなのです。この神様のみことばが皆さんの産業に。そうなると最も完ぺきな答えがくるのです。皆さんがこのように祝福を受ける証人です。だれが何と言っても確実です。皆さんの事業と皆さんの現場が、神様のみことばが成就する現場だということです。そうするうちに見ると、皆さんは、行っているのに光を放つようになります。皆さんはそのままおられるのに、神様の証拠が出てくるようになります。
(7)地教会
▲それを見るようにさせるのを地教会と言います。皆さんが今、地教会ということを長老、重職者の方たちが理解しなければなりません。私たちの韓国教会、世界教会を見れば、先週にあるジャーナリストに会ったのですが、ジャーナリストが尋ねました。タラッパンの教会はいくつですか。およそ500個くらいなります。教会を速く大きくしなければならないと1000個程度なってこそ、力を使うことができるとその方たちが話しました。内心、笑いました。私たちが、事実500個の教会と言っても、今現在起きている現場の地教会とか、大学の地教会とか合わせれば何千個になります。牧師と長老、全世界でメッセージを聞く方々が、静かに参考にしなければならない部分があります。例えば、キム・ドンゴン牧師がジュクジョンにトンブ教会を立てて、今回オサンに立てました。そのようにして、働き人を立てておいて、なるべくpushするということです。それでは、それが大きくなるでしょう。そして、後ほどキム牧師が引退する頃に、それを個教会にしてしまえば良いのです。それが今現在している伝道方法ではなく、今、神様が願われる教会を作る方法です。何の話なのか理解できますか。
▲今、牧師が商うように卒業して、教会を立てて、これが違っているということです。これで、韓国教会に問題が来たのです。免許証を与えて牧師にするということです。それで、雑貨屋を作るようにするということです。それをカトリックが批判したのです。それが何で教会なのか...それで、今、私たちがタラッパンで、一つ一つを牧師と重職者が理解できなければだめです。これから総会もこれを参考にして法を作っていかなければなりません。今、皆さん韓国と世界教会の伝道、開拓方法が、それでは通常の問題ではありません。私が釜山になぜ700地教会を作ると言っているのでしょうか。700ヶ所に長老を植えておいて、700ヶ所、副教役者を送って、教会が成長されれば私は死ぬ時は700ヶ所個教会を作っていくのです。それまで、力をつくしてサポートするということです。それがこれから上がってくる副教役者を生かす方法です。それまでに、この人たちのこれからを見るのです。困難を受ける時は、どのようにして、こうする時はどのようにするか、これからを見るのです。皆さん分かりますか。そこに長老を派遣するということです。それで、たくさん立てましょうということです。なぜでしょうか。外側は、今、荒野です。外側に、今、黄金漁場が災い地帯に変わっているから、災い地帯に、今、皆さんの子どもが行かなければなりません。それで、そこに重職者を植えろ、この話です。教役者から送るべきで、なぜ重職者から送るのでしょうか。とても、俗っぽい話ですれば、お金を使わない人から先に送りなさい。何の話なのか分かりますか。経済原理でもあります。じっくり考えてみて下さい。これが、韓国教会を生かす道です。そして、牧師が引退する時、どうされますか。引退する時、皆さんの教会一つ捕まえて、毎日、食事して行きますか。正しい教会があちこちに立たなければならないのです。そして、強固な副教役者が独立して、所々の地域を守らなければならないのです。そこに訓練された長老が広がっていなければなりません。訓練できないでも良い、話でも通じなければならないのではないでしょうか。これを皆さんが今、契約でよく握らなければなりません。

3.イザヤ40:6-18
▲話しを結びます。イザヤ40:6-18におっしゃられました。過去に対する話が出ました。今日に対する話が出ました。そして明日に対する正確な方向を話されました。神様のみことばの中には全てのものがあります。神様のみことばは聖霊で感動したのです。その証拠、今でも成就しています。皆さん重職者、産業人、本当に最高の祝福を当然、受けるようにイエスの御名でお祈りします。

(祈り)
イエス・キリストの恵みと私たちの神様の大きい愛と聖霊様の働きが、一時代を生かすすべての重職者と産業人の上に今からとこしえまで、常に共におられるように。アーメン
(The end)