[2008年11月15日 産業宣教 場所:ソウル産業宣教センター]


共同体と産業宣教(225)-産業人の全体理解 (9)
疎外されたエリートに福音をあたえる重職者
(使徒8:26-40)



☆☆☆要約資料☆☆☆
1.隠された人物たち
(1) ヨハネ3:1-16 (ヨハネ19:39)
(2) アリマタヤのヨセフ (ヨハネ19:38)
(3) 使1:1
(4) 使8:26-40
(5) 使17:3-4
2.教会の中に隠された人物たち
(1) 使1:12-14
(2) ルカ10:1-20
(3) 使11:19
(4) 使12:1-25
3.教会の外に隠された人物たち
(1) 使13:1-12
(2) 使16:16-18
(3) 使18:4
(4) 使19:8
(5) 使19:9
(6) 使28:30-31
(The end)

☆☆☆説明資料☆☆☆
→序論
▲使徒8章は、サマリヤとエチオピアの宦官の事件が記録されています。どれくらい重要だったのか26節に主の使いがピリポに話してと言われました。私たちの重職者などが受ける祝福で、また神様がなさることです。29節にも見たら、聖霊がピリポにと言われています。皆さんの産業に、現場に、聖霊が臨まれれば、事実は、みな終わったのではないのですか。
▲なぜ、私たちは今、重職者時代を開かなければならないのでしょうか。よくご存知でしょうが、もう一度、皆さんが心に刻みこまなければなりません。ただの一度も例外がありません。重職者が起きる前には、改革や神様のみわざが起きたことがありません。それで、エジプトからイスラエル民族を引き出すには簡単です。
(1)出3:16
▲最も核心を神様がおっしゃいました。長老に先に話せと言われました。もし重職者が、これを知らなくて出てくることはできます。そうしたら、さらに問題になります。それでは、出てきてどうするのでしょうか。ですから、とても重要に先に長老に話しなさい。
(2)ヨシュア3:1-3
▲ヨシュア3章を見ると、つかさを先に立て起こして話しなさい。何と話さなければならないのでしょうか。契約の箱を担いだ者に従って入れと言いなさい。6:1-20エリコを回るときも、契約の箱を担いだ者について行きなさい。この話をする役割を重職者が引き受けたのですが、役割よりさらに重要なのは、この事実を知るようになったことではないでしょうか。これがすべてです。
(3)民14:1-10
▲それで、どんな場合も40年も過ぎたのですが、これが準備される前までは、しなかったのではないでしょうか。どんな場合も、イスラエル民族がカナンの地に入って、場所をみな決めることを完全に分かる前には入れなかったのです。それで、偵察に見てくるようにさせたのは、あなたたちが行く場だ、この話なのに、行ってきてとんでもない話をしたのではないでしょうか。
(4)使徒8:26,29
▲それで使徒8:26にピリポに神様が現れられたのです。主の聖霊がピリポに現れられました。使徒9:10にも、神様がパウロを悔い改めさせた時、アナニヤを呼ばれたのです。使徒10:16コネルリオを呼ばれた時も皮なめしのシモンを先に神様が用いられたのです。これくらい重職者が重要です。ですから、聖書を詳しく見れば、ただの一度も例外がなかったということを知っていなければなりません。
(5)改革時代(城主)
▲また重要なことは、宗教改革時代です。宗教改革時代に、マルティン・ルターがいくら話しても、だめだったのですが、大丈夫なところが一つありました。それがなんでしょうか。マルティン・ルターがいくら話しても神父が聞いて改心しません。いくら話してみても、神学論争に過ぎません。ところで、その時、事件が一つ起きたのです。法王が全世界を動かしていたでしょう。ところで、その時、各地域に長老の役割をする城主がいたのです。事実上、宗教改革が成功するようになったのは、ここにあります。実際的に、財産を持って力を持っている城主が誰をバックアップしたかというと、マルティン・ルターをバックアップしたのでした。その中で核心なった人物ひとりは、マルティン・ルターを保護して聖書翻訳するようにさせたのです。そして、カトリックは、昔にあきらめる人々ではありません。雰囲気を見たら、そちらの数が多いから、あきらめるしかなかったのです。ちょうど、また印刷術が発達したから、その時、聖書が翻訳されて出ました。ですから、ただの一度も例外ないと見れば良いのです。それで私たちが今、宗教改革の中の改革が重職者時代を開くということです。
▲その中で、今、皆さんは重職者ですから、重職者が知らなければならない部分をずっとみことばを調べています。一つの単語で話そうとするなら重職者は一般信徒とすべての部分に壁があってはいけないのです。そうではありませんか。レムナントを知らずにいるのに、レムナントを指導することはできません。それで、重職者はあらゆる分野をみな知らなければなりません。あらゆる分野に壁があってはいけません。その中で、今、日曜学校、機関、地域を私たちが話しているのです。さらに重要な本論は、各現場に重職者が伝道弟子を集める人として立たなければならないのです。これだけが伝道がなるので、他のどんなものもだめです。皆さんが学校を立てて、病院を作ってもだめです。結局、みな奪われるでしょう。例えば、延世大学が今一般大学と全く同じになって、福音を伝えているでしょうか。セブランス病院が、一般病院と同じで、福音を伝えているでしょうか。結論は同じになってしまいます。それで、現場に伝道弟子を理解できる重職者が何人いるかが鍵なのです。
▲その中で、今日、私たちがちょっと考えなければならない部分は、疎外されているエリートも多いということです。こういう部分に、私たちの重職者が祈って気を遣わなければなりません。

1.隠された働き人
▲隠された働き人が多いのです。皆さんの考えでは、私たちの教会は小さいが、隠された働き人がいるのかと言うかもしれませんが、その人の後にいるのです。そして、教会は単に来ているように見られるのですが、多くの背景があります。それで、知らない人々が教会をむやみに話すのですが、教会を見くびってはいけません。教会は、ずっと人が行き来しながら、階層もなく、はてしなく無尽蔵な畑があります。このひとりが教会に出てきたように見られるのですが、その人の後には両親もいて、おいもいて、叔父もいて、梨花女子大もあるから。これくらい人が重要です。また、私たちはこういう人ではなく、弱い人もいるでしょう。弱い人の後にも背景があります。
(1)ヨハネ3:1-16(ヨハネ19:39)
▲ヨハネ3:1-16を見ると、ニコデモという人が夜にイエス様を訪ねてきました。私は考えてみました。この人がどれだけ使徒と呼吸が合ったか、一度考えてみました。70人要員が、どれだけニコデモを理解して近づけたでしょうか。これはとても重要なことになります。後ほど、イエス様が十字架で処刑された時、ヨハネ19:39を見れば、没薬を持って現れたのではないでしょうか。その話は、このニコデモが現れなかったけれど、その間に、考えていたということになります。世の中の言葉で、イエス様が栄光ある死に方したのではないから、そこに現れたということ自体がとても重要なのです。この人がその位置に没薬を持ってイエス様の死体に塗るために訪ねてきたということ自体がとても重要なのです。
(2)アリマタヤのヨセフ
▲その時に、同じエリートです。アリマタヤのヨセフが自分の墓を出しました。その時、法によれば、24時間以内に死体を持っていかなければ、そのまま捨てるのでした。そのまま共同で谷間に死体を捨てるところに捨てるそうです。その時、のがすまいとこの人が切なくきて、イエス様の死体を持っていったということになります。ある面では、信仰告白と同じです。その状況がそのように良い状況ではありません。険しい状況なのに、この二人が現れたということは、すばらしいことを意味します。どれだけ、その当時の重職者がこの方たちを理解したのでしょうか。
(3)使徒1:1
▲隠れた人物がたくさんいます。テオピロのような人。本来はルカの福音書、使徒の働きは、テオピロに書かれたのです。ルカが書いてテオピロに渡しました。もちろん、手紙を送る人がコピーすることもできるのですが、ほとんど手紙をそのまま書いて誰かに渡すでしょう。使徒の働きが、今、神様みことばの中に入ってきているという、このこと自体だけでも、すばらしい多くの奥義があります。
(4)エチオピアの権威
▲今日、全く記録に一度だけしかないエチオピアの高官です。このエチオピアのすばらしい権威を持った者となっているでしょう。これくらい隠された人物が多いのです。
(5)貴婦人、ギリシヤ人
▲パウロが、テサロニケに行った時も、使徒17:3-4を見ると、貴婦人、ギリシヤ人が福音を受けたとなっています。すでに今、私たちのキリスト教は統一教に負けています。何に負けたのでしょうか。エリートを探すのに負けています。すでにとても多くの違いが生じているから、キリスト教は現場ではついて行けないです。例をあげれば、アメリカの土地にだけでも、オペラ団や大きいミュージカルチームを10個も文鮮明が持っています。一般の教会団体では一個も運営できないのに、この人は10個も持っています。その話は、アメリカの文化系のすべての人材をつかんだということなのです。今、長い時間をかけてしたので、私たちがついて行くことができないのです。どれだけ重職者がここに対する意識があるのでしょうか。直ちに、私たちがこれをすれば、お金がかかるから難しいのです。

2.教会の中に隠された人物
▲このように、隠された働き人が多いだけでなく、教会の中にも、隠された働き人が多いのです。
(1)使徒1:12-14
▲教会が小さいのに、隠された働き人がいるのかと言うでしょうが、使徒1:12-14に120人の名前がみな出て来ていません。代表的に何人かの名が知られてきたので、ほとんど出てきていません。
(2)ルカ10:1-20
▲そして、ルカ10:1-20を見れば、70人要員を選んだのですが、その名はみな出て来ていません。代表的な人一、二名が出てきたのですが、ほとんど名が知られていなかったのです。
(3)使徒11:19
▲使徒11:19にも見れば、この途方もない働き人、患難の時アンテオケ教会を立てたこの重職者は、ほとんど名前が記録されていません。
(4)使徒12:1-25
▲最後に、使徒が捕えられてみな殺されるようになったのですが、重職者を中心に祈りに集まったでしょう。
ここに対する代表者も名が知られていません。このように、教会の中にも隠された働き人が多いのです。
▲今、皆さんひょっとして道を通り過ぎるならば、若い青年たちで外国人が同じ姿で通うのを見るでしょう。さっぱりした洋服で、ネクタイをして通っています。それがおもにモルモン教です。韓国の人々は、英語を習うのが好きだから、それを教えてあげるふりをしながら韓国に入ってきて活動しています。その人々が、ほとんど年齢が20代です。私たちが見るには、単にきたように見られるのですが、単にきたのではありません。訓練を受けて、全世界に散らばっているのですが、韓国がその中の一箇所だということです。単に来ているのではなくて、自分たちの最も若いときを最も価値あるように神様にささげるということです。そして、若い時、何年間か宣教現地で自分たちの身を置いたことを根拠として、一生を生きるということです。止められません。この人たちの職責が何でしょうか。長老です。20代に長老として立てて、全世界に送り出しています。これくらいモルモン教が先んじているのです。事実上、私たちの教会は過ぎた日を調べれば、したことが何もありません。したことは、ただ集まって、苦しい一般信徒が涙を流しながら神様に出せと言った、この程度で、ただ牧師は教会を開拓して、適当に生きるということ、それ以上はありません。残念なことです。

3.教会の外に隠された人物
▲今、現場に、教会の外にたくさんいます。
(1)使徒13:1-12
▲もしパウロが行かなかったならば、使徒13:1-12こういうことが、どのように起きたでしょう。エリート程度ではなくて、総督が準備されているでしょう。
(2)使徒16:16-18
▲現場に行ってみたところ、その村に文化を完全につかんでいる人、この人を神様は準備しておいたのではないでしょうか。占いをする人のように見られるのですが、その村の文化を完全につかんでいました。
(3)使徒19:8
▲プリスカ夫婦、パウロと会った夫婦が、今、会堂に入ったのです。なぜ会堂に入ったのでしょうか。使徒19:8にも、会堂に入ったというのですが、なぜ会堂に入ったのでしょうか。答えは簡単なことではないでしょうか。なぜ会堂に入ったかというと、そこに多くのエリートらが隠されていたからです。
(5)使徒19:9
▲そして、使徒19:9に見ると、弟子を別に立てたとなっています。これはまた他の作戦ですが、すばらしい弟子をすでに神様がみな準備しておかれたのです。
(6)使徒28:30-31
▲はなはだしきは、使徒28:30-31に見ると、パウロが監獄にいる中でも弟子を育てました。
▲私たちが大きいことはできなくても、神様が準備しておかれたことはすべきです。そのうえに、もう一つモルモン教や統一教程度ではなくて、私たちのキリスト教が完全に今ついて行くことができないのは、ニューエイジです。何について行くことができないのでしょうか。人材をひったくって行くのに、この三つの団体が一番上手にしています。その中で一番上手にするのがニューエイジ団体です。ほとんど全世界の人材をみなひったくっていきつつあります。このようにして、その人々が救われるようにすれば、私たちが手助けしなければならないのですが、そうではないでしょう。正しい福音を伝えたら、私たちがニューエイジ運動を助けるのですが、反対にしているでしょう。
▲私たちの重職者の方が、少しだけこういうことに関心だけ持っても、影響はとても大きいのです。これに関心を持っている時、重職者はいくつかちょっと考えなければなりません。
▲いくつかの考えを持つべき
(1)重要な出会い-ただ一度の機会、最後の機会、この祝福は永遠なこと、唯一なのです。
▲今日、エチオピアの高官とピリポが会うのを記録しています。ひょっとして皆さん福音だけ話せという言葉が分かるでしょうか。私たちのタラッパンがおもに話すのが、福音運動だけしなさい。これは、何の話でしょうか。
▲今、エチオピアの高官とピリポの出会いを見てください。とても重要な出会いですね。この時、エチオピアの高官に会ったのですが、ピリポが他のことを思う必要がないでしょう。私たちは何から思いますか。これは立派な人物なのに、この人物が...今、エチオピアの高官は、大きい権威を持った人物ではないかということです。それも重要ですが、ピリポはそのように見たのではなくて、この人に正確なことを話したのです。また、この人に必要なことは、そうでなくてキリストです。それで福音だけ伝えなさいということは、他のものを何もするなという話ではありません。思い切りみなしておいて、福音だけ伝えないでしまえば、結局、その人に損害を与えるのではないでしょうか。ピリポという重職者が、このエチオピアの高官が、どんな権威を持ったかということを知らないでしょうか。この人が重要な人だというのを分かったでしょう。それで、より一層正確な福音を伝えるべきでしょう。それもただ一度だけの出会いです。ところで、私たちはこう思います。私たちはいつも会うのでないか。それがさらに難しいのです。それがさらに問題になります。いっそ一度だけ会う人、今日、死刑を受ける人、こういう人に福音は伝えやすいのです。私たちは、いつも会う家族、いつも会う同僚、いつも会う人には福音を伝えにくいのです。それで、この部分を皆さん必ず銘記しなければなりません。それで、ただ一度だけの機会だということを知っていなくてはなりません。いつも会うけれど...そうではありません。ただ一度だけの機会です。そして、最後の機会だと思わなくてはなりません。そして、この祝福は永遠なのです。そして、これは色々な応用があるのではなく、唯一なのです。このように、しっかりと記憶しなくてはなりません。ただ一度だけだ。そのように考えれば良いのです。いくら知っている人でも、話ができる機会はたくさんありません。時刻表がそんなに多くないのです。皆さんの家族でも、多くありません。皆さんの子どもが、両親に正確な福音を言える機会は、ただ一度だけあります。この時、とんでもない話をした、ですから事にならないのです。ただ一度の機会なのに。ところで、私たちが分かるでしょう。ただ一度の機会がきたのに、この時、違う言葉と言ってもよいのでしょうか。そのどんなことも、関心を持つ必要はありません。他のものもみな重要ですが、とても重要なことは、これが最後の機会で、ただ一度の機会です。これを必ず記憶しなければなりません。
(2)神様の前で動機があってはならない。
▲そして、私たちは多くのことを持って仕事をするのですが、神様の前では動機があってはなりません。ここに重要な方々がたくさん集まるから、そのようなつまらない言葉しないように、皆さんがちょっと祈って手助けして、そのようにして下さい。
▲この頃、キャンプのためにまた話が多いのです。話が多いのですが、それは簡単な2つの答えです。本部側でも指導する側では、広く思って、人々が安らかに、ちょっと走ったりちょっと失敗もして、このようにするようにしてあげなければなりません。皆さんの教会に帰れば、そこに復興ができない原因になったり、復興する原因になったりもします。教会の信徒が、ちょっとこの話もして、あの話もして、自分の意見も言って、私と違った話もほどほどにして、このようになってこそ、それが生かされるのです。経済もそうです。市場経済がなるという話は、市場の人々が処理するようにすべきで、これは売るな、これだけ売れ、それでは商売にならないということです。それで、上で見る人々や、大人たちでも、多くの指導する人々は、ちょっと広く見る必要があるのです。また一つ、する人々は分かってマナーを守ってすべきです。本部でキャンプするのに、別にキャンプして...それは礼儀がないでしょう。ある地域で教会で集まってキャンプをするのに、自分は別にして。それは正しい、正しくないとは違って、マナーの問題です。そして、聖霊の導きというものは、一緒にすることがあって、別にすることがあるでしょう。それは基本的なことですが、とても私たちのメンバーが基本がないようです。そして、少しできれば、遠く見るべきで、いろいろ俗な言い方でピョンピョンと飛び回るというのか、それは浅い人物がすることで、ちょっとなっても、ある時は遠く見通してしなければなりません。タラッパンに本来、集まる人々は、本来家を出てきた人々がなっていくということがあります。二つの種類です。本当に当然の福音だ、このように来た人もいて、これだけだ、こう言うのですが、これだけだというのも違うのです。聖書にあった通りすれば良いことで、何でこれだけということがあるのでしょうか。おもに、また、これだけだという人が、とんでもないこと見て、これだけだとして行きます。家を出てきたことが習慣になっていて、しばしば出て行くのです。ですから、それは人格的な問題で、そんなことで、いろいろな話があるのです。それは、常識ではないでしょうか。常識を守れないで、どのようにこういう団体に勝って、世界福音化ができるでしょうか。皆さんがどこかへ行って、話を一言いっておいて、どれくらい大きくドアが開いたり閉じられたりもするでしょう。こういう今重要な時刻表に、神様が私達を用いられようとしているということです。
▲今、ピリポがエチオピアの高官に会いました。本当に幸いではないでしょうか。本当に恵みでしょう。そうしょう。千回、万回の恵みでしょう。とても感謝なことではないでしょうか。それが正しいのです。私が何かがあるのか、こういう人に会うことを見たら...それが違っているのです。そうとも、キャンプはこのようにするのだ...それが違っているのです。そうでしょう。本当に神様の恵みで、どのようにこのように会えるでしょうか。本当に聖霊が導かれて感謝です...それが正しいでしょう。私はいつも心配がそうです。少しなれば浮き上がり、だめならば気をおとして。だめなのが、それでもちょっとより良いのです。これから皆さん重職者も同じです。皆さんにものすごい働きが起きれば、どのようにするのですか。神様の恵みで、謙虚に遠く見通すべきで、そこで何か変なことが出てくればどうするのでしょうか。神様が今、怖くて答えができないのです。皆さんが信仰がなくて答えられないのではなく、信仰がとても良いのですが、神様が怖くて。これを与えれば確に他のことをすると、神様がご存知だから与えないのでしょう。答えはそれです。皆くださるようになっています。今、目を開いて見れば、ものすごい祝福が敷かれているのです。教会の内外で...それで、皆さんがどれくらい貴重な祝福の場にいるかを、神様の前で感謝して、また恵みで導かれなければなりません。
(3)永遠(今まで)
▲それでは、初代教会の特徴を見れば、全く動機がなかったのですが、これが永遠に今まで答えが起きています。これが特徴です。ずっと一つのために働きが起きるのです。このようにして、皆さんの産業、あらゆる分野に、教会あらゆる分野に証拠が起きることをイエスの御名で祈ります。祈ります。
(祈り)
すべての問題の解決者であるイエス・キリストの恵みと私たちの神様の大きい愛と聖霊様の働きが、一時代を生かすすべての証人の上に今からのち永遠まで、いつもともにありますように。アーメン
(The end)