[2009年3月7日 産業宣教 場所:ソウル産業宣教センター]


共同体と産業宣教(239)-OMC時代のための答え(6)
世の中の文化と教会
(創世記6:1-5)
キム・ドングォン牧師


☆☆☆要約資料☆☆☆
1.世の中の人々は多くのものを持つしかありません (創6:1-3、16-20)
(1) 自分が願うがまま
(2) 法律を恐れず、神様を畏れない
(3) サタンの助けを受ける
2.しかし、世の中の人々は滅びるしかありません
(1) サタンのだましごと (創6:1-3)
(2) サタンの滅亡 (創6:4-5)
(3) 災い (洪水)
3.それならば、教会は何をしなければなりませんか
(1) 創6:14
(2) 創6:18
(3) 創6:20
(The end)

☆☆☆説明資料☆☆☆
序論
▲柳牧師が、一度は産業宣教でこのような話をされるのを聞きました。大部分の牧師よりも、産業人が祈りもさらに多くすべきでないか。産業現場を話しているのです。私もそんなことを少し感じました。イエスを信じて私が神様の恵みを受けて職場生活からぶつかるのを見ました。
(1)恵み-人生、仕事、葛藤(人、環境)、超越、試み、不信仰
▲恵みを受けてみると、本当に良いが、私が放蕩息子でした。自殺まで試みた者ですが、世の中を約30年生きながら、こういうものを世の中だと生きるのかというほど、世の中に対して懐疑を感じたのです。世の中の言葉で、この汚い人生を生きるために私が大学まで出てきたかという気がしたのでした。私の両親の人生や、私の人生を見る時は、これは違うという気がしました。お金のためでもなく、人のためでもなく、結局は、終局に行っては、これが人生ではないか、こういう疑いがどんどん出てきたのです。そうするうちに、終えてしまって、こういう汚い人生、さらに行ってみれば何をするか、それで私が大学2年の時、その時の年齢32才に自殺を試みました。人生を半分暮らしてみるので、これは違うということを感じたのです。そうするうちに、私がイエスを信じるおばさんを通して、教会に出て行くようになって2ヶ月後に神様に会うようになりました。本当に神様に会わなければならない理由が、自分自身がとても汚くてゴミのような人間で、本当に神様に会って新しい道があるならば一度信じてみる必要があると思ったからです。人間は良心があります。自分が自分を見れば分かるのです。
▲ところで、本当に神様がおられるなら、私をちょっと変化させてくださいと言ったのです。神様も知らずに断食祈祷を3日して、昼間に終わって恵みを受けました。私は祈る時、願いが他のことではありまえんでした。天国に送ってくれ、金持ちになるようにしてくれ、これではなくて、私の人生に対して人生キャンプです。人生を変えてくださいと言ったのです。ところで、恵みの中に入ったら、完全に別の世の中に入ってきました。何か知らないですが、私の人生が環境と関係なく本当に幸せなのです。本当に、どのようにこういう安息と平安があるのか、これくらい心に平安を得ました。恵みの中に入ったから、人生が、することが、職場生活が本当に気軽でした。言い換えれば、恵みの中で神様の恵みで神様がくださった力と恵みでするからやさしかったのです。私が具体的には知らないのですが、この恵みがこのように良いということを分かったのです。それで朝起きれば朝の祈りは当然に行って、また退勤時間にそのまま家で帰るのではなく、教会に入って、時間が多いから充分に聖書で家に帰ってしました。不思議に恵みを受けられないから本当に大変だったのです。それで、私がイエスを信じる人は神様の恵みの中で生きなければならないのだなと悟りました。それで、他の見方をすれば、私はすでに世の中に対してすでに幻滅を感じて、世の中にはすでに特別なことがみな起きるということを分かったので、どうにかイエスをちょっとよく信じてみて、これが自分の目標でした。時間が多いから、聖書をずっと見たら、霊的世界に対する奥義やまた一時代に用いられた人々は、本当に神様を信じる人を神様が用いられたのです。本当に神様を事実的に信じる人を通して、神様はご自分の仕事をなさるのを見ました。私が神様にどんなことを私もすればよいのですかではなく、私が本当に神様だけよく信じれば、神様は私を通じてご自分の働きをなさる...聖書をしばしば見たら、イエスを信じる人はその人の計画ではなくて、神様の計画を神様が必ず与えられるのを分かりました。イエスを信じてみるから、もう過去の私ではないということ、私はイエス信じてちょっと優しくなり善良な人に、このように人が変わったのですが、根本的な変化がきたということを分かりました。そして、私が入ってきたこの世界は、私が今までながめた世界ではなくて、霊的な天国の民で神様の世界の中にあるということを分かったのです。本当に仕事をするのも面白くなったのです。
▲ところで、私に葛藤がき始めたのです。真の神様の恵みの中で、私は良いのですが、合わない部分がたくさんありました。直ちに職場の人々と私と合いません。どの程度、合わないでしょうか。話が通じないのです。私が32年、そのような人生を生きたのですが、合わないのです。並大抵のことではありません。共に職場生活するのに、合わない人と一緒にいるということが並大抵のことではないのです。共に付き合うことができないのです。付き合うと、私の信仰生活が崩れるのです。だいぶ悩みました。それをどうするかとしながらも、私の自らこの人にいじめにあいながら、私は恵みの中に生きなければならないから、真の職場生活が正常ではないです。また私が教会の中で、本当に私が本当に恐ろしいのは、イエスを信じる人と共に礼拝して祈れば良いのに、イエスを信じる人がよく合いません。神様を信じる人が神様だけ信じれば良いのに、なぜそのように他人のお話が多くて、ねたみが多いのか理解できませんでした。人生を一度失敗したので、私がまた失敗できなかったのです。それで、教会の中にイエスをよく信じる人を探してみたのですが、教会うわさであの人は真の祈りもよくして献身もよくするという人に会って、家に行って食事もしてみたのですが、私は恐ろしいことを発見したのです。外側を見ればとてもイエスをよく信じるのに、実際、その人と深くつきあってみると初信者である私が受けた恵みの人生ではないということをちょっと感じたのです。それと共に、おかしな話を後ほどにはまたするのです。はなはだしきは、私の妻と合いませんでした。もちろん、私が結婚してから、殴って、相当、多く困らせました。確かに私がイエスを信じて酒も自然に切れて、タバコも吸わない家に早く入ってきて、お金も儲けてあげて気楽でした。ところで、私を理解してくれることができたのですが、見ると相変わらずです。私がそこで何を感じたかというと、大変なことになったと思ったのです。本当に恵みの中に入れば良いのですが、ちょっと恵みの人生を一緒に住む人々が、ちょっと見えて、何か私が職場の人を越えて、受け入れて超越できなければならないのに、私がそれがだめでした。昔には堕落して、葛藤したのですが、それからはイエスを信じて葛藤がきたのです。柳牧師の言葉通り、全てのものを超越しなければならないのに、超越できません。そうするうちに見ると、私にもいろいろ試みが押しかけて不信仰に陥るのです。
▲恵みの生活が持続にされなければならないのに、これが陥るとそのまま崩れてしまうのです。それも、私が牧師になって、率直に話せば、霊的指導者が試みにあえば、どうするのでしょうか。私が一般信徒の時に羊の群れが現場をよく分かるでしょう。事業現場、職場現場を分かるから、私たちは牧師だから聖書をたくさん見て祈れば良いのですが、羊たちは実際にそうでないということです。そのように恵みを受けて、主が良くて、主だけ見上げる私に、こういうものを越えられなかったら私が信徒に話す言葉がありません。
(2)福音-結論、終わり、持続、岩、なるようになる
▲いよいよ私に救世主が現れました。本当に18年前に、ヤンスリ修養館で柳牧師に接して、メッセージを聞いたのです。イエス・キリストの福音が結論だという話をされました。全てのものが終わりと言われました。私はそれまでがんばって恵みを受けて、主がなければできないのに、終わりではなかったのに、とても簡単に話されました。それでは、私が今まで信仰生活を間違ったのではないのか。私が誤った信仰生活をしたので、私が勝てなかったのではないのか、こういう気がしたのです。ところで、とても確信にみちた話をするのです。私はそれまで、神学校の教授や先輩が、こういう話をしたことがあまりありませんでした。私が3日間、泣きながらこの福音を受けました。他の見方をすれば、とてもくやしくて。この恵みの中にあるということは、事実、聖霊の導きを受けることを言います。恵みを受ける、受けなかったということは、よくわからないのですが、持続してずっと恵みの中にいれば、聖霊が働き、導かれるのを皆知るようになります。
▲私たちは霊の人です。言い換えれば神様のかたちです。堕落するからであって、本来、人間は神様のかたちで、神様と一緒にする事実的なインマヌエルの生活を送るようになっているのです。それでエペソ1:3-5を見れば、世界の基がおかれる前から、すでに神様は人間を作る前に、人間は天に属した霊的な祝福で生きるようになっているのです。言い換えるなら、人間は被造物で、必ず創造主の恵みと手助けの中で存在できるということを、すでに神様はおっしゃられたのです。
▲それを聞いた時、自分の心が柳牧師に会った時、整頓されました。恵みはほどほどにしてみたのではないか、それならあの方が話す福音の中に入ってみよう。私が教会でこう言いました。皆さん、私がすみません。私が福音を悟れないで、あなた方を苦労させたのですが、私がこの福音を聞いてみたら、私が先に生きなければならないので、私をちょっと置いておいてくださいと言いました。それで牧会から手を離したのです。もちろん、その時、教会の信徒は少ない教会の信徒でした。およそ300人、それでも、大人たちおよそ300人ならば、少ないのではありません。私がなぜ決断をすべきか。私が先にこの福音の中でまた出発するのに、昔のことを持ってずっと連続してみたら、また違ったのを植えるから、まったく教会の信徒から手を離してしまい、私からこの中に入ったのでした。私が信徒がどれくらい恵みが必要かを分かるから、夜明けにおきてずっと訪問して、私は教会を離れないほど羊の群れのために、何か彼らの霊的生活を助けなければならない、これが私の心でした。そうするうちにこの福音に会って、それではないと思ったのです。それで、私が信徒に、今は私が朝の祈りもできなくて、在職会議も何もありません。皆さんもう私はゆっくり休みながら、私もそうですが、あなた方も福音の中に一度入ってみて、ここに何かあるようだと言いながら、露骨に私が教会から手を離してしまったのです。私がソウルで多分、最初に福祉教会の牧師とチェ執事といっしょに釜山核心も行って、月曜日から水曜日まで集会なのに、一週間に4度、柳牧師の面前で私がメッセージを聞いたのです。そしてそれをカセットで録音をして、それを一日に普通5時間6時間を聞きました。その当時だけでも、すばらしい福音が宣言されていました。柳牧師の言葉通り、昔に頭の形もおかしくて、何かもそうだったとしても、そうではありませんでした。
▲初期に本当にタラッパン3年間、ものすごい福音があふれたのです。他のことから手をみな離して、この中に集中的に入ってみました。およそ5年入ったら、岩になりました。ペテロが告白する時が、この岩だといったことは、この話をしたのだな。本当に福音が根をおろして、生きるようになれば、絶対に揺れることができないな。私がこれを見ながら、私が柳光洙牧師に会って、これ一つだけでも私は祝福を受けたのです。私に最も問題がこれでした。
▲ところで、柳牧師に会って5年を集中的に福音を聞いたら、試みと不信仰がなくなってしまったのです。言い換えれば、これではないという言葉は、いつも聖霊満たされることの中にいるということです。本当に昔には、私が恵みを受けるために真の祈りに中心をたくさんつかみました。また恵みを受けるというのが簡単ではありません。
▲ところで、私が柳牧師に付いて回りながら、霊的生活が変わってしまったのです。ずっと福音を聞いてみるから、私が教会にひざまずいて祈って恵みを受けることとはまた質が違いました。これはあくまでも恵みで終わるのに、この福音はそうではありません。恵みも受けるのですが、ますます福音が具体的に私に根をおろす事実を知りました。私がこの福音の価値を発見したら、およそ5年に入ってから終わるでしょうか。ずっと私が聞きました。
▲およそ13年聞くから、なるようになる祝福の中に入ったのです。私が恵みの中にいれば、良くなるのをちょっと感じられます。ところで、その時のできるというのと、福音の中でなるのは、だいぶ確かに違うのです。なるということは何を話すのでしょうか。私が神様のみこころに合うようにがんばったら、なるというのではありません。私の人生がなる、私の家庭がなる、牧会がなる、不思議に思ったことではないでしょうか。これは言い換えれば、私の人生を主が生きておられて、私の家庭を主が取りまとめていて、私の牧会を主がしておられるというのを見て、この話ではないでしょうか。それを見るから、より一層、何か方法を使って努めることもありません。それで、13年以後に、それではこれぐらいならば良かったのでしょうか。Noです。ずっと私は心を抱いて福音を聞きます。この福音をいつ聞くのでしょうか。朝の良い時間に、とても頭がきよらかで、最も良い時、一人でずっと福音の中に入ります。私に恐ろしいのは、不思議に私が自分自身がどのようにイエスをよく信じるかという答えが、柳牧師に会いながら福音を聞きながら、答えが出てくるのです。
▲私が51才で柳牧師に会って、今18年、これを聞いているのに、自分の考えにこれから、およそ12年はもっとかからなければなりません。その時が80才です。もう開始はその時からしようと思っています。単純でないためです。
▲産業人が産業現場に行ってみれば、分かりますが、産業現場以前に自分が先です。事業だけ一勝負上手にすれば良いという思想がついています。もう私が神様も知って、福音も知って、私が神様が願われる世界宣教のために、私が中心を捧げれば、神様が祝福されたら、私の事業もすることも成功しないかという考えにぴったり捕えられているのです。それ以前に、私たちの産業人が自分の人生キャンプが先になられなければならないと信じます。そうなってこそ、神様はその産業を通して大きい事を成して、大きいことも任せられると信じます。
▲今日、世の中の文化と教会です。本当にこの文化が及ぼす影響が大きいのです。今、この教会が世の中の文化に巻きこまれて行ってしまっています。ほとんど信徒が、世の中の文化に吸収されてしまいました。レムナントは言うまでもありません。対策がないのです。私がこの頃、連続ドラマを一度見れば、とてもいらいらします。あれが文化ではなくて、あれは最も破壊の最も悪いことをしているのです。ニュースのようなものをすれば、あれは国を滅ぼすニュースをしています。すっかり国内外が、人々をみな滅ぼして世の中をみな滅ぼしています。ここに福音の光を照らせと私たちを呼ばれたことを信じます。

1.未信者うまくいくこと
▲他の見方をすれば、未信者が本当にうまくいくようです。他の見方をすれば、そのように感じられるのです。そうではないでしょうか。私たちは三星グループの会長を見ました。今日本のSONYを先んじて、すごいでしょう。ところで、子どもは自殺して、自分の後継者は離婚してしまいました。うまくいっていて、しかし、それがうまくいくのではありません。多くのことを所有したようです。そうではないのです。
▲今日、ここにノア時代に繁盛したとなっています。
(1)自分が願うまま
▲未信者は、自分が願うというままします。他の人を考えることはありません。人を踏みにじって殺しながらします。ですから、成功して申し訳ないから孤児院や厚生をするのです。その人々がそれだけ上がる時には、仕事ができない人を犠牲にして殺すのです。
(2)神様、法
▲この人たちは、神様も恐れないで、法も恐れません。絶対に恐れません。私がクァチョン庁舎に、タラッパンに入ったときに、経済企画院に行きました。タラッパンをするやいなや、そこに門が開かれて、クァチョン庁舎経済企画院に行ってメッセージをしたのです。その時、金泳三大統領が新しく大統領になっていました。キム・ヨン局長という、その時の局長も出てきました。その時、兵役不正を表わして、切って大騷ぎが起こったのです。新しい大統領が起きれば、たくさん切るでしょう。私がそのような話をしました。いくら切ってみろ、ずっと不正はでます。メッセージをみな終わって、キム・ヨン局長が、私と食事をしながら、牧師先生、本当に牧師先生のみことばはそうですと言いました。すでに経済企画院の実務局長ならば、多くの大統領を経たでしょう。それと共に私に要請をしました。牧師先生、この経済企画院が今、クァチョン庁舎におよそ51千名いるのに、牧師先生がきてメッセージを少ししてもらえないでしょうか。その時、事実、金泳三大統領が私たちが経済改革を行おうとすれば、精神改革が先にならなければならないからといって、自分に権限を与えたということでした。どのようにすれば、精神改革を行うかといって、多くの資料を収集するのに、量が集まらなかったということです。ところで、私のメッセージを聞いてみたら、何かが見られるのです。人が根本的に変わらないのに、それは仕方なくて、これから持続できないと言うので...それと共に、5千名を二班に分けて、地下に大きいホールがあるのに、牧師先生に、そのように一度機会を与えたら良いと言いました。席を一度用意してみなさいと言いました。ところで、この人が何と言ったかというと、イエスの話はしてはいけないと言いました。それではだめです。私はイエスの話しかすることがなくて、そう言いました。イエスの話しをしなければ人が変わりません。法を恐れないから、あらゆることをみなするのです。
(3)サタン
▲その上に驚くべきことに、背後にサタンが働きます。する行動が分かるでしょう。他の人を殺しながら、のぼるようにさせるのです。

2.世の中の人-ほろびること
▲それと共に、世の中の人々は、結局は、このようにうまくいくようだけど後ほどほろびるのです。ほろびるしかありません。人々がこれを知らないのです。
(1)繁盛
▲人はどうであれ肉的です。世的です。本当に賢くて成功して出世してたくさん持てば良いと思っています。本来、人間は神様が背景なのに、神様に会えないから、世の中のことが背景になるからです。ですから、イエスを信じる人もこう思います。うまくいくこと、本当に成功すること、たくさん持つこと。イエスを信じて神様を見上げれば、みな準備されているので、それ見つめないで、いずれにせよ未信者のような水準で遊ぼうとするのです。ここに繁盛したとなっているのですが、これはサタンのだましごとです。それで、今、世の中のこと持って、すべての人をみな掌握しているのです。その権力であればすべてだと思うから、すべての人々が権力をつかむためにもがいているのです。
(2)偶像
▲結局は、そうしたらサタンに属して、ネフィリムに陥って、どんどん悪霊に仕えるのです。これが本当に怖いのです。結局、人間を崩れるようにさせるのです。
(3)災い
▲神様側では嘆きが出てきます。彼らに箱舟の契約も与えられたのですが、アダムに創世記3:15の契約も与えられたのですが、神様に仕えないで、悪霊に仕えて...人間的であることを嘆かれました。ですから、神様が水ではき捨てたのです。この人たちが、これを知りません。単純に目に見える、それが最高だと思います。それだけ持って、できたと思うのです。とんでもない話です。私も率直に話して、私が完全に崩れない状態で、ある程度成功して、ある程度持ったものがあって、このようにイエスを信じたとすれば、私はしばらく行ったでしょう。完全に崩れて、私自ら存在できないこういう状態にまで行って、神様に会ったから、この世界にみな準備して出てくる子どもと祝福の根源で、神様のかたちなのに、これを本当に私が知らないんだな。身分のようなことは聖書に出ているでしょう。

3.教会-何を?
▲今この時代に私たちがどれくらい重要でしょうか。本当に教会が何をしなければならないのでしょうか。一度、考えてみてください。今、全く知らずに生きています。世の中で成功して、事業がうまくいく、それがすべてだという考えを持ってイエスを信じる人も事業しています。本当に神様を見上げて、御座から来る祝福と、インマヌエルの事実を味わえば、事業をしようが、商売をしようが、すべての部分に唯一性の祝福になるようになっているので、イエスを信じる人もそのような人々は見られないから、こちらにどんどん行っているのです。神様は正しく福音も知らずに、神様を正しく信じない人には、こういうものを与えられません。与えればどんどん世の中に流れるから。本当に神様は冷静です。ご自分の子どもだから。こういうものために、またさまよってほろびないように、神様が防がれると信じます。それで、今、世の中の人々は知らずに、またはイエスを信じることまでも勘違いして、未信者がうまくいくから、どんどんそちら側に合わせていく、これがくやしくても、普通のくやしいのではありません。
▲それで、私はこの時代に私たちの本当で重職者時代、また産業人がどれくらい重要なのか、本当に重要です。教会が走るならば、働き人も育ててすることは多いが、それを裏付けられる信徒が見られないのです。それを裏付けられる産業人が見られません。本当に、いつまで行かなければならないかということです。私たちが福音に命をかけたとすれば、私たちの教会がすることに誰がお金を出さなければならないのでしょうか。重職者が出さなければなりません。産業人が出さなければなりません。重職者と産業人が、この自分のバベルの塔を作る、そこに血眼になっているのに、神様の事に関心があるのでしょうか。ひょっとしてこういう考えもできるでしょう。私が献身して、私がこのように本当に主のために上手にすれば、神様がより多く出して、事業に祝福を与えられないかと考えています。底から変わらなければならないのに。底が変わらなかったのに、何をどのようにしてみようということでしょうか。
▲私がさっきも話しました。私が十数年間、それでも牧会までみなしていたのですが、柳牧師に会って、これを考えながら、この程度することもほどほどにしたのです。ここで自分自身がこれを越えられなかったらこれは違うでしょう。時には腹が立ちました。神様の力がどうだか、創造主ではないでしょうか。今、神様の御手に万物が思うままにするのに、私がその神様を信じながら、私がなぜ試みに会わなければならないのかということです。私がなぜ人を越えられないのかということです。私がなぜ環境を越えられないのでしょうか。自分自身が信じて、ストレスを受けるのです。
▲私が福音の中に入ってきながら、これがみな整頓されました。それで私は笑って通います。どれくらい余裕があるでしょうか。真の余裕があります。トンブ教会、あえて私が研究して頭使うこと一つもありません。宣教師をちょっと派遣したのですが、それのために私は悩みません。私の人生、私の家庭、主がみな処理されるから、それさえも...私は柳牧師を見ながら、どのようにこのものすごい奥義を分かったのだろうか。私たちの産業人が重職者が、本当に正しく福音の中に目が開いて、これを見なければならないと信じます。これではないというのを見なければなりません。私たちは新たに生まれて、今は天国の背景の中で、神様が準備したことを味わいながら、神様の栄光を帰す人々であって、私ががんばって成功して、それを見せるのでしょうか。あかしをよくしたでしょう。私が率直に話して、初めに恵みを受けて復興師が説教するのを聞きながら、私がなぜ復興師は聖書のとおり話すのに、度々ご利益的な話をして、行為を話すかということです。初信者だった私が見ても、みな聖書の中にあります。ご飯も与えて、お金も与えて、神様がくれるとみな言われています。その事実を信じれば良いのに...しばしば未自立教会、自立教会と言われます。献金がどの程度出てくれば自立教会なのでしょうか。信徒が少なくて、一二名で、献金がなくて、未自立教会なのでしょうか。それでは教会の主は主でないのではないでしょうか。本当に神様がその教会の主人で頭であったら、未自立はありません。何が未自立なのでしょうか。理解できない話を本当に多く聞きました。私たちの産業人も同じです。本当に、私はイエスを信じるのにげんこつがぎゅっと握ります。聖書に祈って恵みを受けるから、どの程度、げんこつがぎゅっと握られるのでしょうか。私がもし事業をしたら、私ほどの事業家があるかという気がしました。私が事業をしたら、この腐った頭でしません。必ず事業は、神様の知恵でするでしょう。私が事業をしたら、人を誰でも使いません。本当に神様に祈って、私といのちをかけて一緒にできる人を私は使います。お金で話せば、神様が私のお父さんなのに、子どもが事業をするというのに、資金を与えないでしょうか。資本金で話せば、私ぐらい多い人がどこにあるのということです。取引先を開くのも神様が開いてくれれば良いってことです。そして、使う職員を、私のように愛してあげて、私のからだのように愛してあげれば、彼らがいのちをかけるはずです。事業を何か上手くすると研究するのではなく、ずっと聖書に祈ってみると、私が大統領になったら、私はこういう大統領になるだろうこれが出てくるのです。
▲私が事実、福音も福音ですが、柳牧師に付いて回りながら訓練を受けるから、これが並大抵のことではありません。影のように付いて回りました。私もつまらなく、そのまま付いて回ったのではありません。元手を取りました。釜山まで行って飛行機に乗って核心に行ったのですが、飛行機に乗ってお金を使った人と、釜山でそのまま来た人と同じでしょうか。神様、私はお金もかかって、時間もかけて、神様、ここにテグから来た人と同じではいけないでしょう。本当に私に恵みをくださいと言いました。海外に出て行けば、私がビジネスに乗れば、普通の飛行機代だけで5~60万円で、私が個人的に30万円は準備しなければならなくて、普通米国行ってくれば70万円は使います。いつ元手を取るのでしょうか。柳牧師のメッセージ聞く時、元手を取ります。神様、私はここにくるのに70、80万円のお金がかかりました。それでする話があります。キム・ドングォン牧師は絶対に損をする人ではないと。付いて回れば何をするのでしょうか。それが、私のことにならなければなりません。柳牧師が事実を言えば、柳牧師の事実が、私のことにならなければならないのです。私たちがリバイバル(revival)すべきでしょうか。私はそんなに考えません。事実化されたことをいう証人だと信じます。
(1)自分自身
▲結局は私たち自らを理解したと信じます。それで、私たちの人生キャンプの成功になると信じます。
(2)次世代
▲結局は私が生きれば、共にみな生きます。レムナントが重要なのですが、私が生きてしまえば、レムナントはみな生き返ります。
(3)いのち
▲このいのちをどのようにしなければならないのでしょうか。すべてのいのちを守るために、私たちはこの福音運動がなければならないと信じます。
▲私たちの産業人、既成世代が勘違いせずに、今までに私たちが神様なしで生きながらうまくいって、たくさん持ったもの、それがすごいのではありません。立派な教会ではありません。私もそうです。今、教会がすでに少ない数ではありません。しかし、今、礼拝堂の地下で礼拝を行っています。一度はミン・ビョンワン牧師が話しました。牧師先生、教会の中に作るのが良いでしょう。教会を大きく作るから牧師先生が変わったのです。なぜ変わるかというと、人々もものすごく集まってきて、教会建物もすごいことで、それが多分バベルの塔のように思うと。もちろんアーメンするべきことではありません。ところで、私は何を見たのか分かりますか。働き人のゲームです。本当に人だけ育てれば終わるのです。私は柳牧師に付いて回りながら受けた恵みがそれです。年齢と関係ありません。勝利するようになったことを祈ります。
(祈り)
ありがとうございます。主よ。私たちの既成世代がだまされないように望みます。福音がすべてで、福音の中にすべてのものがあることを分かるようにして、インマヌエルの主が私の全てのものを計画して、導いてくださることを信じます。私たちの産業人が、重職者が先に人生キャンプに成功して、自分も生かされ、家庭も生かされ、自らのすべての現場が唯一性の祝福で証拠が現れる働きがあるようにしてください。今は私たちの主イエス・キリストの恵みと神様の手厚い愛と、聖霊の満たし、導き、働きが、今日くださったみことばそのまま成される私たちの産業人、産業宣教の上に、インターネットを通してみるすべての者の上に、今からのちとこしえまで、ともにありますように。アーメン