[2009年5月30日 産業宣教 場所:ソウル産業宣教センター]
共同体と産業宣教(250)-OMC時代のための答え(17) 無理な挑戦 (使徒3:1-12) (要約資料) 1.禁足令が下された中で、神殿の美しの門の足の不自由な男を歩かせた (1) すべてのイスラエルの人々が知っている人 (使3:1-2) (2) レビ人、律法学者、祭司が治せない人 (使3:6) (3) 足の不自由な人が歩いたことによって、ユダヤ人と世界が驚くことが起きる (使2:1-10、11-20) (4) このことで法廷に立つことになる (使4:1-12) 2.ペテロとヨハネが見たものは別のものであった (1) 肉体奉仕の対象者ではない (使3:1-4) (2) 物質救済対象者ではない (使3:5-6) (3) キリストが必要な対象者 (使3:6) ① サタンに縛られた者 (使10:38) ② 呪いに縛られた者 (エペソ2:1-2) ③ 運命に縛られた者 (ヨハネ5:24) 3.なぜこの奇跡が起きたのか (1) イエス・キリストの御名が初めて直接宣べ伝えられる日 (使3:6) (2) 教権教会の口を閉ざす日 (3) 宗教指導者の口を閉ざす日 (4) 全イスラエルにイエスがキリストであることが宣べ伝えられる日 (5) 世界に散らされたユダヤ人と家族、関わった者たちに福音が伝えられる事件が起きた日 ※ 今も同じ働きが起きている (The end) ☆☆☆説明資料☆☆☆ 序論 ▲使徒3章の事件は、とても重要な事件でした。これのために法廷に立つようになったのです。神様がどのように、いつ奇跡を起こされたかを私たちはよく見る必要があります。他の見方をすれば、これが今とても無理な挑戦です。教会自体内で見ても、無理な挑戦のようなこともあります。 1.禁足令 ▲足のきかない者を立て起こしたのが問題ではなくて、今、初代教会が福音を伝えられないように禁足令を下ろしたのです。ところで行って足のきかない者を立て起こして、これがイスラエルの国の大きい問題になったのです。それで使徒4章を見れば、法廷に立って、裁判して、そのようなことが行われました。その当時に、法にしてはならないと言ったのに、なぜしたかということです。さらには今、足のきかない者は使徒3章に記録されたのを見れば、生まれながら足のきかない者だったと言われています。 (1)美しの門(12才) ここに、今、神殿の美しの門に座っていたということは、イスラエルの人ならば皆知っているという話になります。簡単に話せば12才以上になれば、全世界の散った人々が神殿に行かなければならないので、全世界のイスラエルの人々が皆知っているという話になるのです。この人を立て起こしたのでした。 (2)使徒3:6ところでさらに重要なのは、使徒3:6を見れば、ナザレのイエス御名で起きて歩けと言われたのです。この足のきかない者をレビ人や律法学者や祭司は直せなかったという証拠です。そこで、私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエス名で起きて歩きなさいと言ったのでした。 (3)ユダヤ人 この足のきかない者が起きてしまったので、世界も世界ですが、すべてのユダヤ人が衝撃を受けたのです。どのようにして、この人が起きたかということです。足のきかない者は説明が必要なくて、立っているのが証拠だから、この人には立っていること自体が証拠です。 (4)法廷(使徒4:12)そのようにして法廷に立つようになったのです。これは今、私たちも参考にしなければなりません。今、同じこういう状況が国法だけ変わったので、同じように起きます。皆さんが伝道運動をしようとする時、こういう部分を参考にできなければ多くの問題が起きます。どこでも伝道しに入れば、今、制度が変わったでしょう。民主主義なのに、それにもかかわらず、ある面では今がさらに難しいのです。ところで、神様がここに大きい奇跡だけ起こしたのではなく、使徒4:12に見ると、とても重要な単語が出てきました。このペテロは立派な人です。世界中でこの御名の他に救われるべき名としては、どんな名も与えられていません。 ▲ここで重要なこと3つが出てきます。マタイ16:16に、あなたは生ける神の御子キリストですと告白を初めてした人がペテロです。皆さんがこの事実の中にいれば、どんなことも突き抜けることができるということです。使徒3:16に、ナザレのイエス名で起きて歩きなさい。この言葉を地球上で最初にした人は誰でしょうか。ペテロです。立派な働きです。そして使徒4:12に、世界中でこの御名の他に救われるべき名としては、どんな名も与えられていません。この言葉を言った人がペテロです。神様がペテロを用いられるしかありません。今でも全く同じです。キリストが宣言されるのが始めて地域では、今でも全く同じことが起きます。足のきかない者が起きるのでしょうか。その程度ではなくて、それよりさらに大きいことが起きます。考えてみてください。皆さんが今、福音が全くないところに行って福音を伝えるという事実を。私たちの産業人が起きて、今、福音を持ってあちこちに入るということです。これが今、目に見えないように、こういう大きい波動が起きるのです。 2.見たこと(使徒3:4) ▲ペテロとヨハネが見たのが何でしょうか。これが私たちが見なければならない部分です。ペテロとヨハネが何を見たのでしょうか。使徒3章を見れば、午後三時の祈りの時間にペテロとヨハネが宮に上って行った...と言われています。4節を見れば、ペテロがヨハネとともに、その男を見つめてと言われています。ここに注目したのでした。この人たちは、今、何を見たのでしょうか。それと共に私たちを見なさいと言いました。そして言ったのが、6節に「すると、ペテロは、『金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。』と言って」 (1)肉的奉仕 私たちに肉的な奉仕が必要ないということではありません。この足のきかない者を毎日のように連れてくる人がいました。これがものすごい奉仕です。この足のきかない者が美しの門に場所をとっていたということは、本当に良い場所を取ったのです。美しの門に座っているから、人々が礼拝しに入ってくるのに、この時、コインをくれと言うのです。人々は、けんかをしている時に、助けてください、それでは助けるでしょうか。橋の下に行って横になっているのに、そこに訪ねてきて手助けする人が何人もいないでしょう。なぜ、物乞いは橋の上にいるのでしょうか。そこが良い場所だからです。これが心理をあきれるように利用したのです。それで美しの門に座ったのです。それも毎日。今日、聖書を見ると、毎日となっています。とても勤勉だということです。そして、そこで何をすることにしたのかというと、美しの門に座って商うのではなく、もの乞いをすることにしたのです。なぜでしょうか。足のきかない者だから。この人が簡単に話せば、職業選択もよくしたということになります。ところで、ここにきて、この人が最も重要なのは、毎日ここにくるように手助けする人がいたのです。この奉仕がどれくらい重要でしょうか。しかし、ペテロとヨハネはそれを見たのではありません。この人をいくら手助けしても、この人は足のきかない者です。 (2)物質奉仕 この人がここに座っている時、コインを与えるでしょう。これもとても重要なのです。物質奉仕をしたので。ところで、これを持ってどれくらいお金をたくさん集めたのか分からないのですが、解決しません。ひょっとして、この人がコインたくさんをもらって、家も買っていたのかも知れません。私が思うのですが、もしかしたら、毎日、この人を連れてきて置く、その人と山分けしていたのではないか、そのように思います。実際あることです。物乞いを私たちは純粋に手助けするのですが、その人たちなりに組織があるのです。そして、一度はTVに出てきました。もの乞いして家を4軒買ったのです。放送を見ていませんか。この人がもの乞いして集めて、家を4軒買ったということです。ですから、私たちが無条件に手助けするのではありません。これも見れば、考えをよくしなければなりません。そして、さらに重要なのは、子どもがもらおうと回っているでしょう。これは、みな誰かさせる人がいるのです。ですから、この人が今、座ってコインをもらっているのには、多くのことが含まれているのです。 (3)キリスト ある面では、この人が起きるのが問題ではありません。ペテロが正確に見たのです。私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエス・キリスト名前で起きて歩きなさい。 ▲本当にその人に必要なことは物質でもなくて、その人に必要なことは肉的な奉仕でもなくて、キリストが必要なのです。なぜでしょうか。すでにサタンに縛られた者だからです。そして、すでに呪いに縛られた者です。簡単に話せば、運命に縛られた者です。ここから先に抜け出さなければならないのです。これは夢のような話ではなくて、最も実際的な話です。 ▲私はある面で、今、うどんを無料に配給して食べさせてもらっているなら、その人にはうどんは問題ではありません。もし、私の息子がそこでうどんを食べたらどうするでしょうか。いや、そこにネクタイをつけてうどんを食べる人が多いのです。私がもし私の息子がそこ並んでうどん食べていたら、私は放っておきます。私が私の息子を呼んで、悪口雑言すべて言うでしょう。いくら大人になっていても、私は殴るかもしれません。なぜでしょうか。そこ立ってうどんを食べたら、これが精神病です。実際にしないのでしょうか。うどんを煮てあげると、テレビの放送に出る可能性がありますが、それでもそれが答えではありません。 ▲今、教会が本質を見られなかったのです。もちろん、救済すること、奉仕するのを全くするな、その話では絶対にありません。私たちは(1)、(2)番をしながら、(3)番を見なければならないんどえす。今回、イエウォン教会で、そちら側の地域に福祉を引き受けたのですが、正しく引き受けたのです。なぜでしょうか。今までする方々が(1)、(2)番をしたからです。いよいよイエウォン教会は(1)、(2)、(3)をみなするのです。三個をみなするのですが、中心は(3)番です。そこに助けを受ける人々にある多くの暗やみが崩れ始めるでしょう。ペテロがこれを見たのです。それで私たちを見なさい。そして、見つめました。原文の意味は「とても詳しくながめた」ということです。それと共に、ナザレのイエスの名で起きて歩きなさい。 3.奇跡 ▲皆さんが行く道にも奇跡が起こるしかありません。これは雲をつかむような挑戦ではなくて、無理な挑戦ではありません。本当にさっき祈った方が話した通り、世の中の人が見る時には無理なようでも、これは無理な挑戦ではありません。 (1)宣言 イエス・キリストの御名が初めて宣言される現場です。 (2)教会 そして、教権に縛られているその現場で初めて教会が宣言される日です。 (3)メッセージ そこに宗教指導者の中で、何の答えも得られなかった彼らに真のメッセージを伝えるものすごい時間です。これが簡単なようでも、そうではありません。 (4)イエスがキリストです。 すべてのイスラエルと世界にキリストが誰か。イエスがキリストだと宣言される日です。 (5)宣教 全世界に散ったユダヤ人の家族、そして、関係しているすべての人々に、福音が宣べ伝えられる大きい事件が広まっていたのです。神殿の美しの門に座った人に、キリストを宣べ伝えたその現場が、他の見方をすれば、これが全世界の宣教現場です。 ▲この目が開かれたのを伝道の目が開いたということです。この目が開いたのをキャンプの目が開いたというのです。皆さんが今、どこにいっても、騒がないでも、この時は状況がこうするしかなかったのですが、今でも同じみわざが起きています。今でも聖霊は同じように働かれるから、皆さんがこれを今、捜し出さなければならないのです。 4.結論 ▲話を結びます。ここで、今、いくつかのことが出てきます。 (1)あらかじめ見るキャンプ ▲何が出てくるのかというと、皆さんが行くこともせず見ることができるキャンプです。これがとても重要です。あらかじめ見るキャンプです。キャンプは大きく7つがあるのですが、三個に区分することができます。この中に伝道専門担当者が多いから、皆さんが見なければならないのが何でしょうか。あらかじめ見るキャンプです。以前からいた足のきかない者なのですが、見ることができなくて、ペテロとヨハネが見たのです。足のきかない者を起こしたようでも、これがものすごい事件です。 (2)現場 ▲そしてキャンプはそれから現場で起きるキャンプがあります。現場でキリストが宣言される日、こうしたことが今でも同じように行われます。 (3)弟子 ▲さらに重要なのが三番目です。皆さんが直接行かなくても、弟子だけ持っても世界福音化することができます。 ▲さっき映像で出てきたのですが、私たちのヤング産業人が今ずっと起きています。それでテグのようなところは行ってみれば、レムナントが産業宣教にさらに多く参加しています。ですから、テグのレムナントがすごいのです。そして、今、全世界に散ったレムナントの中にも今、産業宣教のメッセージを聞いて祈るレムナントが多いのです。それで、もし長老にこの目が開いてしまえば、この目が開けば、すばらしい多くの弟子を生かせます。それで長老は必ず捜し出さなければなりません。何を捜し出さなければならないのでしょうか。行ってみなくても見るキャンプです。そして、皆さんが現場に行った時は、こうしたことが行われるのですが、さらに重要なのは弟子だけ持っても見るキャンプです。これをしようと私たちが今、重職者時代を開くのです。皆さんがこの目が開けば、確かに答えが違うようにきます。本当に答えはこの時に来るのです。 ▲それで、今回の重職者修練会の時、話しました。皆さんがこのことをしておられて、多くの弟子を立てれば、神様が皆さんの産業をどのようにされるでしょうか。答えは簡単に出てきます。皆さんが本当に教会がこのことをしていれば、皆さん教会を神様がどのようにされるでしょうか。ここで答えをつかまなければなりません。これは一般の人々が知らない重要な単語なのですが、皆さんは世界を生かせます。今日、この祝福をすべての産業人と主のしもべが味わうようになることをイエスの御名で祝福します。祈ります。 (祈り) すべての問題の解決者であるイエス・キリストの恵みと、キリストをくださった神様の大きい愛と、キリストの御名で働く聖霊の働きとが、霊的な目を開いて世界を生かす証人の上に、霊的な目を開いて世界をながめるすべての重職者の上に、産業現場を生かす産業人の上に、今からのちとこしえまでいつも共にありますように。アーメン (The end) |