2004-03-23 東京集会第二講


みことば運動
イザヤ40:6〜31、43:18〜21
 
 *要約
 
<序論>
救い−滅び−預言者   --
霊的問題−災難−祭司  --    真の
精神(悪霊)−サタン−王 --
                    メシヤ、 キリスト(油) 
処女、十字架、復活 --  イエス
 
1.生きたみことば(イザヤ40:6−10)
(1)イザヤ40:9−10(救い)
(2)   40:8 今
(3)ローマ15:4
  教訓−希望
  Iコリント10:11 模範―終わりの日に
  Uペテロ2:6(模範)
  イザヤ22:22−23,24
  エゼキエル47:1−23
 
2.証拠のあるみことば
 イザヤ40:27−31
(1)証拠
 @知っていること   A持っていること   B見たこと
(2)イザヤ40:31
(3)証拠のバトン
 @時代   A教会    B個人
 
3.新しいこと−秘密のみことば
(1)以前のこと
(2)新しいこと
(3)イザヤ6:13、7:14、40:6−8,43:1−21、60:1―22、62:6−12
 
結論
(1)隠れた悩み(祈り)
 Uコリント7:10
(2)隠れた感謝
 
生死
(Iテサロニケ5:16−18)
 みこころ
 
昨日の夜には、勝利の時刻表について聞きました。それで、日本に対する祈りの課題を正しく握るべきだと語りました。このような祝福をどのようにして、成し遂げることができるでしょうか。みことばの運動です。これから、どのようにみことば運動を始めるのかが、すべてを左右します。イザヤ40章には、みことばの運動について語られています。イザヤ43章には、昔のことは忘れて新しいことをするとおっしゃっています。
 
救い−滅び
今日の集会に初めて来られた方は、これをぜひ覚えてください。いったい救いは何であって、自分は神の子どもなのかということを確認しなければなりません。救いの反対の意味は、滅びです。次々と困難にあって、滅びに陥っています。
霊的問題−災難
霊的な問題が次々と現れます。日本や韓国、アメリカが発展するにもかかわらず、災難が相次ぎます。
精神−サタン(悪霊)
時間が経てば経つほど、精神的な病をわずらう人が増えています。その背後にサタンが働くようになります。後で分かるようになります。結局、悪霊にとりつかれて、悪霊の文化に捕らわれるようになります。
ここまで来ると、もう手遅れです。困難の中で、なぜ私はこのようなのかという時までは大丈夫なのですが、大変だとまでなると、それはもう手遅れです。麻薬の人から聞くと、最初は気持ちが良くなるのですが、ずっとやり続けると、結局、悪霊が見えてくるそうです。癌になって、抗ガン剤の治療を受けた人の話を聞きました。後、本当に困難な状態になりますと、悪霊が見える状態にまでなるそうです。何か聞こえてきたり、何かが見えるそうです。それは、誰でも同じでしょう。
 
この3つのことが、今現在、私達の人生が経験していることです。ですから、初めて来られた方は、ぜひ覚えましょう。全人類が、文化は異なっていても、問題は同じです。神様がいらっしゃるかどうか、神の子どもかどうかが分かりません。それを知らないことはまだましなのですが、災いが絶えません。そうしながら、このような精神的な問題がやってきます。この3つのことが全世界の問題です。そして、これから時間が経てば経つほど、より深刻な状態になります。それで、ハニャン大学で講義するテーマも、この内容をどのように説明するかということです。もし政治家の指導者に講義の機会があれば、この3つの問題をどうするか言いたいのです。聖書より正確なものはありません。もし教授に講義をする機会があれば、この3つの問題をどうするか語ります。軍人や重要な人々に講義をする機会があった時には、このことをテーマにして言いたいと思います。それから、牧師先生が集まった時にも、一番最初、この問題をどうするかというように言いたいです。学生の時には、この問題はよくわかりません。まだ小さいので、目立たないのです。しかし、30代、40代になると、これが目に見えるようになります。50才を過ぎた時には、もうおかしい状態になります。他の人も分かりますし、自分も分かるようになります。私には問題が多いのだとなります。教会に通っていても仕方がありません。正確なことが分かっていないからです。ある人は、教会に行って熱心にします。熱心にするから、この問題を解決するわけではありません。だんだん、おかしい状態に入ります。聖書が解決しようとしている内容は、この内容です。
 
預言者
 それで、最初から預言者を次々と遣わしてくださいました。みことばを聞かせ、神様に会う道が何かを知らせるために、預言者を遣わされたのです。
祭司
また、旧約時代は、次々と災難にあっていたので、祭壇を守る祭司を送られました。
それから、国に戦争が起き、さまざまなトラブルが起きていたので、王を立てられました。
 
そのようにしたのに、解決しません。預言者がたくさん来たのに、解決しません。もしこの部分が分かっていなければ、祈りの答えは期待できません。それで、神様はこの3つのことが解決できることをなさったのです。
キリスト(油注がれた者)
この3つのことを完成されたことを指して、キリストと言います。理解できるでしょうか。初めて来られた方は、この内容が分かっていなければ、最初から信仰生活がずれてしまいます。これが分かっていないと、祈るとしても、最初から間違いです。このような内容を知らないで、教会に通うと、全くむだなことになります。年を取って教会に来られた方は、この問題を解決することができないので、より混乱してしまいます。キリストという意味は、「油を注がれた者」という意味です。「金」と書くと、「お金」という意味があるでしょう。そのように「キリスト」というのは、「油を注がれた者」という意味です。それは、王、預言者、祭司に油を注いでいました。その3つの人ではできないので、真の者が求められたのです。真の預言者、真の祭司、真の王を送るとおっしゃったのです。その話が、旧約聖書の話しです。それから、真の預言者、真の祭司、真の王が来られたという話しが、新約聖書です。このような方を送るという約束が旧約の言葉で「メシヤ」です。これは、ヘブル語です。キリストは、ギリシア語です。時代によって異なるのですが、同じ意味です。メシヤという言葉を聞いたことがあるでしょう。この3つのことを成し遂げる方を送るということです。この3つのことを成し遂げられる方が来られた。それがキリストです。そうすると、この方は誰でしょうか。
 
 誰もかれもが来て、自分がキリストだと言ったら大変なことになるでしょう。私の教会に気がおかしい人がいますが、みんなに「柳先生はキリストだ」と言っています。それで、私が呼んで、そのような話しをしないようにと言ったら「先生は良く分かっていません」と話しました。長老が呼んで叱ったのです。「柳光洙は牧師であって、なぜキリストなのか」と言ったところ、「そうではありません。霊の目が暗いからです」と言いました。そして、「柳光洙と言うとは何事だ。長老にもなって、柳光洙先生と言うべきではないか」と腹を立てていたそうです。それで、長老がその点はあやまるけれど、柳先生はキリストではないと話しました。そのようなことが起こるかと心配して、聖書は先に約束したのです。
 
処女、十字架、復活−イエス
人の子どもではだめなので、処女から生まれるのがキリストだと言われました。私の母は、処女ではありません。そして、十字架で死刑にされることでキリストです。それから、普通の人はよみがえることができないのですが、3日後によみがえられました。そのようになる人がキリストだと言われたのです。
 
 昨日、空港に着いたら、姜先生が会ったとたんに握手をしました。それは、顔を知っているからです。もし姜先生と知り合いでなかったら、説明がややこしくなります。紺色のスーツを着て、身長は標準で、というようにいろいろな説明がいります。そして、姜先生は「柳光洙先生」という札を持って待っていなければならないでしょう。今は、知っているからそのようなことは必要ではありません。しかし、知らなければそのようにするしかありません。キリストを送ると言われたのですが、誰なのか分かりません。精神的におかしな人が出て、自分がキリストだと言うと、混乱してしまいます。この大事なことにサタンが働くようになるでしょう。それで、神様は前もって約束されたのです。「処女から生まれるようになる。」これは本当にすごい言葉です。なぜ神様はそのようになさったのでしょうか。それは、誰も作ったり、まねすることができないからです。それから、人間の子孫は人間を救うことはできません。それならば、なぜ人間の体をとってこられたのでしょうか。人間を救うためです。「十字架で苦しめられる」前もって、その話をされました。「復活なさる」事前にすべて話されました。そうすれば、その方は誰でしょうか。私はこれに答えを出しました。この方が釈迦ならば、寺に行ったでしょうが、釈迦にはこのようなことはありませんでした。この方が、ソクラテスならば、マケドニアのほうに行ったでしょうが、ソクラテスにはこのようなことはありませんでした。歴史的に資料をもって正確にこの事を成し遂げた方が現れたのですが、その方が「イエス」です。それで、私はイエス様を信じることにしました。イエス様を救い主として受け入れると、私は神様の子どもになります。これからは、その方を信じるとわざが行われるようになります。
 
私はその日から、今に至るまで、すごい神様のみわざを見るようになりました。問題は一つしかありません。私の周りにあまりにも多くのわざが行われているので、信仰のない人同士がけんかしていることが問題です。それ以外には、問題にはなりません。今も同じです。私に対して肉的にいろいろ訴えることだけで、他には問題はありません。肉的なことばかりを考えている人が問題であって、他には何も問題はありません。肉のことを言うときには、いろいろあるでしょう。私の兄弟や親戚は、私とあまり仲良くありません。私の問題かもしれませんが、私はそう思いません。それは、彼らが私に肉的な要求をするからです。世界福音化をしている力ある先生なら、自分を助けてくれと言います。しかし、私は福音以外は助けることができません。今、飢え死にしそうなら、物をあげることもありますが、他に何を助けるのでしょうか。そうしたら、なぜ助けてくれないのかと言います。親戚、兄、姉ということで、助けてくれないのかと言いますが、私はできないと答えます。福音はそういうものではありません。そうしたら、私を悪く言います。誰が悪いのかは、神様がご存じでしょう。私はそのような問題以外は、何も問題はありません。どこに行ってもすごいわざが起こります。それを肉の目で見ている人が問題で、何も問題ではありません。神様は私に肉体的な祝福も大いに与えられました。肉の目が開かれている人が問題で、何も問題ではありません。これはすごいことです。今日、初めて来られた方は、これに答えを出さなければなりません。
 
このイエスを私が信じるようになったのです。それで私は、道を歩いているときに人に話しかけて、「イエス様を信じなさい」とは言いません。そのように値打ちのない方ではありません。誰かに会った時に、すぐにイエス様を受け入れなさいというのは、それはイエス様のことを分かって言う話しでしょうか。相手の人が、エチオピアの宦官のように「イエスはそういう方なのか。私はイエスを信じたいよ。この方の名前によって受洗をしたい」という時に、受け入れるのです。「受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」その時にバプテスマを与えるのです。バプテスマを与えるから救われるのではなくて、救われたので、バプテスマを与えるのです。それをもって滴礼なのか、浸礼なのかとけんかをすることが、まだ悟っていないことでしょう。正確に聞いてみましょう。バプテスマがなければ救われないでしょうか。幼児洗礼が聖書的かどうかとけんかしていますが、価値がない話しです。イエス様を信じることによって救われます。そうすれば、浸礼なのか、滴礼なのか、関係ありません。イエス様を知らない人が、水に入っても服が濡れるだけで、何の意味もありません。受洗の時に、一滴の水でしたら、救われないでしょうか。時間がないから、水もないからと、一滴たらしただけでは、救われないでしょうか。すでに救われているのです。その証拠として、告白としてバプテスマがあるのです。しかし、イエスの話しが分かっていないので、いつも正しい話しのようにして、間違った話しばかりをしています。教会に通っていても無駄です。それでいつも苦労しています。しかし、イエスのことが分かれば、すごいことです。私と私の家庭のすべてののろいを解決されました。私を最後まで滅ぼしてしまうサタンの勢力をうち破られた。救われることのできない私をキリストを知るようにして、神の子どもにしてくだったのです。救いは体験するものではありません。恵みによって与えられることです。赤ん坊は生まれる時に、何も体験しません。親の恵みによって、ただ生まれるだけです。キリストを知ることによって神の子どもになります。それに対する答えが次々と与えられるようになります。時間が経てば経つほど、聖霊のみわざを体験するようになります。すごい事件なのです。このメシヤ、イエスを説明するために、聖書が与えられました。この説明のために何十人の預言者が登場しました。このことを説明するために数多くの王が現れました。このことを説明するために、いくつかの国を滅ぼして、いくつかの国を建てられました。このことを理解することができなかったイスラエルは、完全に滅びてしまいました。分かるでしょうか。
 
これを理解して、悟ったとすれば、やるべきことが一つあります。正しいみことばの運動です。大事なのは、何が正しいみことばの運動なのかということです。非常に大切な内容です。このキリストを知らないまま、みことば運動を続けると問題になります。これを知らないで、聖書の学びばかりを熱心にしています。そこに問題が生じます。例を申し上げます。この木は、土に植えられていると生きています。二つのことを食べて生きています。水と太陽です。もし、この木が死んでいたらどうなるでしょうか。水をあげればあげるほど損してしまいます。太陽があればあるほど、損してしまいます。この木の根っこが腐っていたら、水をたくさんあげると腐ってしまいます。太陽をたくさん浴びると枯れてしまいます。つまり、このキリストができていない人が、聖書の学びを熱心にすると死んでしまいます。その証拠が、パリサイ人、律法主義者です。それを律法主義と言うのです。しかし、律法主義が何なのか理解できていない人が、なんと多いでしょうか。この福音を抜いてしまうか、福音があいまいなまま、聖書の学びをずっとすると律法主義になってしまいます。しかし、そのことを分かっていない人が多いのです。神秘主義は何でしょうか。この部分を抜いて、力を受けるためにあちこち回ると、神秘主義になってしまいます。ある意味では、神様が一番嫌われることでしょう。ある意味では、それは精神病とも言えるでしょう。このキリストを知らないまま、あいまいにして、力を求めて、断食をしたり、祈ったりしたら、どうなるでしょうか。学生が勉強せずに、あちこち回っていろいろなことをしたらどうなるでしょうか。この部分を知らないまま、未信者のようにいつも小さな頭を回すことを人間中心主義と言います。理解できるでしょうか。もし、この内容が理解できるようになると、これからすべてのわざの門が開かれます。
 
それでは、今からどのようにみことば運動を行えば、わざが行われるようになるでしょうか。それをイザヤにおっしゃいました。
 
1.生きたみことば(イザヤ40:6−10)
このキリストを知り、聖書の学びをするときに、生きたみことばになります。木は根が生きている時に、水を与え、栄養を与えることによって成長します。建物の基礎があいまいなのに、高くなればなるほど、危なくなります。
 
(1)イザヤ40:9〜10(救い)
「見よ。あなたがたの神を。」救いの秘密を悟っている神のみことば。これから、旧約、新約に渡って、救いの秘密に関する神のみことばを探っていくと、すべてのわざが始まります。
 
(2)イザヤ40:8(今)
その時から、イザヤ40:8を見ると、永遠なるみことばになります。永遠なるというのは、未来もあるのですが、もっと大切なのは、今、働くみことばという意味です。そのような意味があります。今も働いているみことば。来年も働く。私が死んだ後も働く。続けて働くようになります。これが、永遠のみことばです。私達の神のことばは、永遠に立つと言われています。神様はイザヤを召されておっしゃったことばです。「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」それを言うときには、高い山に登って言いなさいと言われました。屋根の上に立って話しなさい。それは、みんなが聞けるようにそのように言いなさいということです。そうしながら、40:9を見ると、神を見上げるようにと言われています。とても大切なみことばです。
 
(3)ローマ15:4(教訓−希望)、Iコリント10:11(鏡)、Uペテロ2:6(模範)、
  イザヤ22:22〜23、24、 エゼキエル47:1〜23
この時から、ローマ15:4には、このように書かれています。すべて記されていることばは、教訓のためであり、未来に希望を与えるためである。私達が救いの秘密を悟っていると、聖書のことばが、すべて今、必要な種になります。Iコリント10:11を見ると、鏡になると言われています。それで、昔の書物ではなく、終末において、信徒のために与えられたものだと言われています。Uペテロ2:6を見ると、すべての人のために模範として与えられたと言われています。イザヤ22:22〜23を見ると、このみことばが、よく打ち付けられた釘のようにと言われています。イスラエルのすべての栄光がそこにかかるように。今日、ぜひよく理解しましょう。
 
 救われていない者が、また、キリストを知らない人が、みことばの運動をすればするほど、損してしまいます。しかし、このキリストの秘密を持っている者が、神のみことばを握っていると、よく打ち付けられた釘のようになります。そうすれば、そこにかばんも服もかけるでしょう。イスラエルのすべての栄光がそこにかかるようになります。よく打ち付けられた釘のようにと言われていますが、そうでない釘は何でしょうか。もし、入り口の壁に釘が打たれていたら、どうなるでしょうか。そこから入る時に、引っかかるでしょう。それで、服も破れたり、けがをしたりします。これが誤って打ち付けられた釘です。しかし、壁の正しい位置に打ち付けられたら、スピーカーもかけることができます。つまり、釘が正しく打ち付けられていると、そこにイスラエルのすべての栄光がかかるようになります。
 
エゼキエル47:1〜23を見ると、このみことばが入っていくところは、すべて開かれると言われています。このみことばが流れて、川に入ると、川が生かされます。この水が流れて海に入ると、海が生かされます。みことばは、そのようだと言われています。37章を見ると、骨のようなものを生かします。今日はじめて来られた方は、キリストを悟って欲しいと願いますし、長い信徒の方は、この内容に深く根をおろすように願います。そうすれば、みことばがすべて答えになります。救われた人には、神のみことばは、すべて答えになります。このキリストの秘密を持っている者には、神のみことばがすべて答えになります。病気の人には、食事を与えると問題になりますが、健康な人にはそれがすべて栄養になります。
 
2.証拠のあるみことば(イザヤ40:27〜31)
これから、どのようなみことば運動を行うべきでしょうか。確かな証拠があるみことばです。私達は、今、勝手に信じているのではありません。イザヤ40:27〜31。あなたがたは、知らないのか。聞いていないのか。何をでしょうか。
 
(1)証拠−証人
まだ証拠をつかんでいないのか。証拠をつかむようにしましょう。ただ教会に通うのではありません。証拠をつかむのです。「あなたは知らないのか。聞いていないのか」というのは、そういう意味です。
@知っていること
自分で知っていることをお話することを証拠と言います。
A持っていること
それから、持っているものを語ることを証拠と言います。
B見たこと
また、見たものを語ることを証拠と言います。
自分で持っているものを話すことが証拠であり、持っていないものをどうやって語ることができるのでしょうか。自分で見たことを言うべきで、見てもいないことを言うことはできません。とても重要な話しです。これから、証拠をつかみましょう。そのときに、証人となります。みなさんに、このすばらしい祝福が、本当に始まることを願います。
 
 持っているものをあげるのは、難しくありません。しかし、持っていないものをあげるのは、不可能でしょう。ないものをどうやってあげることができるでしょうか。しかし、あるものをあげるのは、何も難しくありません。それを証人と言います。みなさんが、キリストをつかんでいると答えが与えられます。ですから、ぜひ、今日から福音を正しく握りましょう。ただちに証拠が与えられます。そうすれば、その事実を語ることが証人です。持っているもの、見たことをお証することを証人と言います。見てもいないことを話そうとすると難しいでしょう。持っていないものを言おうとすると、何と難しいでしょう。聖書のみことばを、まだ聞いたことがないのか、分かっていないのか。あるものをあげるのは、何の問題もありません。分かれば、何も難しくありません。しかし、ないものをどうやってあげることができるでしょう。
 
 人を見た時にも、格好が良くなくても、持っている者は分かるようになります。他のところには現れませんが、目つきで現れます。目に化粧はできても、目玉は化粧ができません。その目玉から放つ光が違います。どんなに飾っていても、無い者は、目つきが違います。何となく、目つきが違い、ファッションが良くても、目つきが不安です。持っていない者はそうです。昔、大学伝道に行きました。少し申し訳ない話しなのですが、優秀なソウル大学のような所と、レベルが低い大学とは違います。あんまり勉強をしない学校に行ってみると、男性も女性も、モデルように格好良いのです。しかし、ハーバード大学や、ソウル大学に行ってみると、何となく格好悪いような状態です。女性も、華やかでなくて、地味です。しかし、違う所があるのです。目つきが違います。ファッションはそうでも、目つきが格好良いのです。レベルが低い人を見ると、いろいろ飾ってはいるのですが、目つきが悪いのです。みなさん、持っている者と、持っていない者が同じでしょうか。何か見た人間と、そうではない人とは違います。持っていない人は、何となくどこかが不安です。何年か前に、東京に来た時に、経験したことです。東京に来るときに、姜先生にお願いしたら良かったのに、韓国の旅行社に頼んだのです。東京で一番良いホテルの予約をお願いしました。新宿のプリンスホテルでした。短期間だったので、日本円にはあまり両替しなかったのです。韓国のお金はたくさん持っていました。しかし、実際にホテルについてみたら、旅行社の話しとは少し違っていました。それで、持っていた日本円をすべて出して、小銭しか残らなかったのです。その時には、集会のためではなく、調査することがあって来たのでした。お金がないので、回ることができません。私は本当に恥ずかしがり屋です。姜先生に電話したら、持ってきてもらえたのですが、負担になると思って、電話しませんでした。お店に入って、値段を見たら、出て来るしかありませんでした。フロントに行って、韓国のお金を出したら、それは換金できないと言われました。お金を持っているのに、飢え死にしそうです。もう一回考えてみました。「姜先生に電話しようか。負担になるだろう」それで、我慢することにしました。小銭しかありません。そうしたら、道路に自動販売機がありました。それで、計算して、小銭を入れたら、クーポンが出てきたので、それでどんぶりを食べました。何日間かだったのですが、人生は本当に悲しいなと思いました。人間は、持っていないとそのようになるのです。本当に持っていないと、どんなに大きな声で叫んでいても、証人にはなれません。
 
(2)イザヤ40:31 
「あなたがたは知らないのか。聞いたことはないのか。全能の神、地の果てまで創造された方。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得る」すばらしいメッセージを与えられました。それで、神様を見上げるしかないでしょう。私達は、救われて、証拠があります。それで、主を見上げるのです。ばかのように主を見上げるのではありません。理由があるので、主をあおぎ見るのです。ただ主を待ち望む者は新しく力を得ます。救われた人に間違いないならば、今日から一日3回一分でも祈れば、神様のわざが行われます。私は世界の福音化のために常時祈っています。集会に来ると、家内に少し申し訳ないと思います。集会を目前にしたら、ほとんど話しをしません。それで動いているように見えても、ずっと祈っています。そうしなければならないということではなく、神様の御前で、私は良心的にそのようにするのです。主を待ち望む者は、新しく力を得ます。
 
 息子に会って「救われたことは間違いないから、一日3分だけでも祈りなさい。どうせ朝、目を覚ますからそのときに。どうせ寝るから、寝る前に。昼、余裕がある時、暇な時に1分。」それでもわざはあります。なぜなら、証拠があるからです。どのような証拠でしょうか。キリストの証拠です。それから、神様の生きたみことばが働く証拠を持っています。私達がこの約束さえつかんでいれば、間違いなくわざが行われるようになります。
 
(3)証拠のバトン
これからは、ただの証拠ではなく、証拠のバトンをつかみましょう。
@時代
神様は時代ごとにこの約束をつかんでバトンを持って走る者を用いられました。
A教会
B個人
神様は時代ごとに、教会、また個人を、この証拠、約束のバトンをつかんでいる者を用いられます。レムナント運動をなぜするのでしょうか。この約束のバトンをしっかり正しく握りなさいということです。私は文句を言われるでしょうが、彼らは言われないでしょう。私は文句をたくさん言われるようになっています。伝道運動がなっていないのは、偽物の牧師、偽物の教会だと言うので、文句を言われざるをえないのです。それで力を合わせて、高慢な人間だと言われます。高慢ではなく、正しいことを言ったのです。当たり前のことに、答えられるようになっています。このキリストの秘密をしっかりと握っていないから、本当に証拠をつかんで祈っていないから答えられないのです。だれでも、この約束をつかむと、神様のみわざが見られます。今日、この祝福をぜひ、つかむようにお祈りします。
 
3.新しいこと−秘密のみことば
 もっと大切な言葉が3番目に出ています。「昔のことを思い出すな。新しいことをする」これが大切な話しです。なぜこのような苦労をするのでしょうか。新しいわざをなさるからです。世の人々が知らない奥義のみことばです。前にある内容は、救われた者に現れる生きたみことばです。それから、ただの神のみことばではなくて、証拠のあるみことばです。もっと大切なのは、未来を生かす秘密のみことばです。
 
(1)以前のこと
「昔のことを思い出すな。わたしは新しいことをする」以前のこととは、何でしょうか。それを思い出さないように。以前のこととは、ゼデキヤ王の時にバビロンが攻撃してきて、すべての国民が見ている前で、王の目をくりぬいてしまいました。実際にあったことです。王の目をくりぬいたわけです。それで鉄のかせで足まで縛りました。エルサレムの神殿をすべて燃やしてしまいました。それから、王をバビロンまで連れて行きました。敵対する者はすべて殺し、賢いイスラエルの人は、すべて捕虜にして連れて行ったのです。それから、バビロンの王の命令で、神殿にあった器をすべて持っていって、それで偶像崇拝に使ったり、酒盛りをしたりしました。イスラエルの国はなくなり、イスラエル民族は、捕虜になってしまいました。どうやってそれを忘れることができるでしょうか。しかし、以前のことは思い出さないように。以前のことは、忘れるように。これは、大切な言葉です。バビロンが私達をこのようにしたと思っていては、解決になりません。それが問題ではありません。
 
(2)新しいこと
「わたしは新しいことをする」それが、もっと大切な内容です。新しいこととはいったいなんでしょうか。これが大切な内容です。以前こととは何であって、新しいこととは何でしょうか。以前のこととは、バビロンに捕虜にされたことでしょうか。そのとおりです。しかし、そのように見ていては解決できません。新しいこととは何でしょうか。ある日、バビロンが崩れてしまいました。イスラエルが解放されて戻ってきました。それが新しいことでしょうか。もちろんそうでしょう。しかし、それが新しいことではありません。言葉の意味を理解しましょう。
 
(3)イザヤ6:13,7:14,40:6〜8,43:1〜21、60:1〜22、62:6〜12
今まで見逃していた信仰運動です。レムナント運動です。今まで逃していたイザヤ7:14の福音運動。今まで逃して40:6〜8にあるみことば運動です。今まで逃していた43:1〜20イスラエルのすべての栄光です。今まですべて失っていた宣教運動です。今まで万民を生かすために旗を立てるように言われたのですが、それをすべて失ってしまったのです。これを悟っていないので、以前のことに捕らえられてしまうのです。バビロンから出ることが問題ではないのです。これを悟りなさいということです。神様は全能の神です。そうすれば、バビロンが遊んでいた船に乗って逃げるようにすると言われました。私達は、以前のこと、新しいことを言われた時に、ほとんど外側だけを見ています。私は失敗したというように考えます。私は何をすれば良いのかということだけを考えます。なぜイスラエルは滅びたのでしょうか。神様はなぜ新しいことをなさると言われるのでしょうか。それに対する秘密を持っていなければなりません。そのうちにわざが始まります。単純に教会に通って伝道しましょうという意味ではありません。教会を成長させるために伝道するので、うまく行かないのです。秘密を持っていなければなりません。今、全世界は霊的にすべて滅びています。それを生かしてあげなければならないでしょう。教会は多いのですが、福音はないでしょう。ですから、みことばが死んで、すべてが死んで、すべてが奪われてしまっています。ですから、これをしなさい。その時に、神様がおっしゃいました。「わたしは荒野に川を作る」神様がそれができるお方です。「海の真ん中に道を作る。海の真ん中に道を作ったヤーウェの神、わたしが言う。以前のことは思い出さないように。わたしは新しいことをする」とても重要な内容です。私達がこのみことばをつかんでいると、答えは与えられるようになります。
 
結論
(1)隠れた悩み(祈り)
 最後に大事な結論です。みなさんの隠された悩みはいったい何でしょうか。それがこれからの人生を左右してしまいます。隠れた悩み、祈りは何でしょうか。それが生涯を左右してしまいます。「イスラエル民族は、このようにくやしくやられても良いのでしょうか」というのは、誤った祈りです。苦しみが絶えないでしょう。ですから、以前のことは忘れましょう。このことが分かっていなければ、日本やアメリカに住んでいる人は、大変なことになってしまいます。なぜ私はこのような親に出会って、このようになっているのかという深い傷を持って祈っているでしょうか。もちろん、まったく間違いの祈りではありません。しかし、問題は絶えないでしょう。ぜひ、覚えましょう。これは、生涯を左右するものです。そのようにして、50才を過ぎてしまうと、取り戻すことができません。今、早く悟りましょう。とても大切な内容です。救いの感激のあまりに、涙が出てしまいます。しかし、救いのことを考えるたびにいつも涙が出るなら、霊的な問題です。分かれていた両親に会えば、涙が出るでしょう。しかし、日々泣いていると、それは気が狂った者ではないでしょうか。ですから、今の話しがとても大事なのです。どうやって、以前のことを忘れることができるのでしょうか。それは、傷の中におぼれていないようにという意味です。無理に勇気を出しなさいということではありません。神様のすばらしい恵みを悟って感謝しようということです。「イスラエル民族が、福音を捨て、偶像崇拝をして、霊的な問題におぼれて、このようになるしかなかったんだな。捕虜になるのが問題ではなかったのだ」となれば、何が生まれるでしょうか。涙が出るでしょうか。「神様。感謝します。新しくスタートします」このよういなるのが正常です。そうでなければ、その苦しみは絶えません。
 
 母教会の話しですが、母教会には、長老として公務員やいろいろすぐれた人々がたくさんいました。牧師夫婦が来られたのですが、田舎の方から来られたのです。田舎育ちなので、仕方がなかったのですが、格好そのものから田舎っぽかったのです。昔、あまり勉強しないで牧師になるコースをたどった人でした。ですから、考え方、判断レベルが低かったのです。教会で大変な問題になりました。牧師夫妻のレベルが、あまりにも低く、考え方、行動、説教はいうまでもなかったのです。メッセージは、どこが1なのか、2なのか区分できません。マネージメントも田舎っぽくて、教会に人が減り、信徒も出ていき、いろいろなトラブルを起こします。簡単な問題ではありません。そうしたら、牧師夫妻が、その信徒は信仰がないと言って、レベルの低い人と一緒になってしまいました。それで、長老が信仰がないかのようにしてしまったのです。それで、教会に問題が絶えなくなってしまいました。簡単なことです。「神様が、あまり勉強もしていない無知な私を釜山の重要な教会に送ってくださった。私が無知でレベルが低いから、長老に葛藤が生じるのだ。それでも、神様は計画をもって送ってくださったので、その計画をなしてください」と祈れば簡単なのです。「あの信仰がない長老たち」と言っていました。レベルが低いので、何かあると人間中心主義とか言うのでした。つまり、その先生は、田舎っぽいことを傷としてそのまま持っていたのでした。それで、根性でやろうとしたのです。子どもに向かっては、ソウル大学に行きなさいと言います。子ども達は、どうなるでしょう。本当に残念なことです。
 
「あなたがたは、以前のことは忘れるように」と言われました。この言葉は、生涯を左右する言葉です。Uコリント7:10「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」どうすれば、神のみこころを成し遂げることができるかという心配は、どんなにしても血圧が上がることはありません。しかし、世の心配はすればするほど、血圧が高くなって、結局、死んでしまいます。今日、ぜひ覚えてください。いろいろ多くある祝福の中で、一番大事なのは、この話です。私は、神様にこのように祈りました。「私は、韓国で生まれ、釜山で暮らしました。しかも、貧しくて、山の町に住んでいました。このように乞食のようだった私に、神様が福音を与えられました。滅んで当然のこの者を神様が福音伝道者として召されました。本当に感謝します。そして、申し訳ありません。」それが私の祈りです。そうではないでしょうか。滅びるしかない私達を力ある所に導かれました。感謝と同時に、申し訳ないと思うべきでしょう。なぜ高慢になるでしょう。感謝と申し訳なさです。申し訳ないのと同時に、感謝します。イスラエルは、奴隷になっています。感謝すべきなのです。なぜなら、悟りを与えられたからです。これから新しいことをなさるからです。
 
(2)隠れた感謝
私達の隠れた感謝は何でしょうか。何をもって感謝しているでしょうか。これが生涯を左右します。感謝の内容は何でしょうか。もちろん、服も家も車も感謝の内容でしょう。しかし、心の中心からの感謝は何でしょうか。私は神様の御前で、本当に感謝なことがあります。目を覚ました時に、健康を与えられたことを感謝しますが、それではありません。多くの祝福が与えられたことを感謝するのでもありません。神様が私に福音を悟らせてくださって、伝道を悟らせてくださったことを感謝します。本当に、真心からです。それが、みなさんの生涯を左右するのです。目を覚ました時に、一番最初に思い浮かぶことは何でしょうか。それが重要なことなのです。目を開けた時に、一番最初に思い出すことと、人の名前は何でしょうか。それが、何でもないかのように思えても生涯を左右します。
 
私達の隠れている悩みは何でしょうか。また、感謝の内容は何でしょうか。それが人生を左右してしまいます。年を取ってしまうと、変えようとしても変えることができません。今、変えなければならないのです。若々しくて美しい時に変えるべきであって、年を取ると難しくなります。そうしたら、年を取った人は、自分は年を取っているのに、先生はそのような話しをするのかとがっかりするでしょう。ヨシュアとカレブは、年を取っていたのにカナンに入りました。悟るならば、年を取っていても大丈夫ですし、悟らないならば、若くても問題です。昔、ミン・ヨンファンという人が「死を恐れないように。生きていても死んでいる者、死んでいる者の中にも生きている者がいるのだ」と言いました。今、息をしていても、死んだも同然の者もいます。しかし、死んで今、いなくなっても、生きているのと同然の者もいます。つまり、みことば運動を悟ることによってわざがあります。
 
今日、はじめて来られた方も、長い信徒の方も同じです。この秘密を悟るとすごいことになります。正しくわかると、祈りの答えどころではありません。「あっ。こういうこともあるのか」とびっくりします。そうすれば、みことばすべてが生きたものになります。なぜなら、みなさんが生きた者になるからです。そうすれば、証拠が与えられ続けるようになります。それだけではありません。もっと大切な未来、新しいことをすると言われました。ですから、無理にではなく、日本を生かすための計画を完璧に立てるようにしましょう。それで祈るとすごい答えの門が開かれるでしょう。
 
まとめます。イスラエルの問題は何だったでしょう。早くキャッチしなければなりません。イスラエルは、奴隷生活、捕虜生活が長かったのです。それに対する傷、レベルに、自分も知らないうちにとどまっています。ですから、以前のことを忘れよと言われたのです。昔、韓国は日本に36年間、植民地になっていました。解放されたのですが、いまだにその時の思想に捕らえられている人がいます。私は日本に来ていない時でも、幼い時から日本語が分かり、日本の言葉をいろいろ知っていました。ただ聞いて覚えたのです。日本で少し暮らして出てきたのに、そうだったのです。なのに、70年間、海外に捕らえられていました。ですから、「以前のことを覚えないように。新しいことをする。」とおっしゃったのです。私達の過去、家系、いろいろな内容を頭の中から、記憶を消すのではなく、その中におぼれないようにということです。簡単なことではないでしょうか。年を取って、学がない場合があります。自分は学がないというのは、傷です。自分は学もないのに、神様に祝福されたから、他人や教会に迷惑をかけないようにしようということが、以前のことが終わった人です。しかし、しょっちゅうつまずいて、教会から無視されて、自分が学がないから無視されるのだということは、以前のことを覚えていることです。しかし、それが生涯を左右します。ぜひ、理解しましょう。アメリカに行って感じることですが、韓国の人が朝鮮戦争の思想にまだ捕らえられています。韓国に風邪薬はありますか?と聞かれます。1940、50年のことを考えているのです。ですから、うまくいくはずがありません。そのようなパターンで子どもを育てるので、子どもにいつも問題があります。もちろん、これは特別な人の話でしょうが、それほど以前のことにおぼれているのです。今日、本当に重要な話しです。
 
日本人が、みなさんを見た時に「本当にすてきだ。韓国にもこのような人がいたのだな。韓国人じゃないみたいだ。とても立派に見える。」というようになるべきです。そうすれば変わります。「やっぱり韓国人は・・・」となれば、どんなにあがいても福音は入っていきません。どんなにみことば運動していても、わざは見られません。日本人が見た時に、「韓国の人は本当にすごいな。韓国人に対する考え方を間違えていた。」となるべきなのに「もう、韓国の人は・・・」となれば、もう終わりです。それなら、どんなに断食の祈りをしても無駄なことで、たくさん食べて早く死んだほうがましかもしれません。そのレベルで徹夜祈祷会をすれば、顔がおかしくなるだけなので、せずに化粧をしてじっとしているほうが良いでしょう。考え方が変わっていないのに、外側だけを変えようとしても、目玉は変わりません。とても大切なことです。
 
 これからは、「神様の子ども」ですから、高慢になることではなく、神様の御前での感謝とプライドです。それで、日本人や他の何かを無視する必要もありません。誰も知らないことを私が知るようになりました。火事でみんな死んだのに、自分だけが助かりました。そうしたら、高慢になるでしょうか。「バカみたいにみんな死んだんだね」と高慢になるでしょうか。本当に幸いだとなるのが正常でしょう。たとえば、アフリカを無視したり、日本を無視したりするのは、間違いです。みんな死んでいるのに、私だけが生かされたのです。それを福音と言います。そうすれば、みことばが生かされ、現場が生かされ、もっと重要なのは、未来が生かされるようになります。「以前のことを忘れるように。わたしは新しいことをする」ぜひ、覚えましょう。
 
 たくさん言いたいのですが、がまんします。なぜなら、ほとんどこの内容に引っかかっているからです。人間関係がうまくいかないのは、霊的な問題に捕らわれると、いつもそのようになります。相手の人がすべて間違っていても、関係がうまく行くようにしなければなりません。隠れた傷が、未来をすごく左右するのです。これは簡単な話ではなく、生死に関わる話しです。このようなやみにおぼれる必要はないのです。「以前のことを忘れるように。わたしは新しいことをする」ある信仰が良くて、勉強もよくできる人がつまずいてしまいました。そうすれば、本当に価値がない人間になってしまいます。同情は得るでしょうが、価値がない人間に見えるのです。私達が神様の前で、未信者の前で、傷を持ったことでいろいろ苦労していると、同情はされるでしょうが、価値は認められません。サタンの戦略に引っかかってはならないのです。完全に祝福を回復するみなさんになることをお祈りします。
 
 聖書の箇所を一カ所見て終わります。Iテサロニケ5:16〜18。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。これは、パウロがただ言ったことではなく、刑務所に入って、いろいろな苦労をしながら言ったことです。本来、パウロの立場から言えば、いつも緊張していなさい。絶えず心配しなさい。すべてのことにつぶやきなさい。という立場でした。しかし、パウロはそうしていませんでした。いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。その後ろに重要なことを言いました。これは、あなたがたに対する神様のみこころなのだと言いました。つまり、神様のみこころを発見したということです。
 
(祈り)
 神様に感謝します。これから本当に答えられる新しい時代が始まりますように。これから、勝利の時刻表をつかむようにさせてください。その方法として、正しいみことば運動が行われるように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン