1部. マルコ10:46〜52 / ダビデの 子孫 イエス与党
<序論> 大統領が新しく当選して、新時代が開いたきました。お金が多い人でもなくて、たくさん習った人でもなくて、むかしと違って、ネチズンが世の中を動かすこの時代に、神様が主権的に選んでくださったのではないかと考えられる。お金、背景、そのどのようなことも神様の祝福でなければだめになっている。万王の王であるイエス様の歩みが、乞食で盲人のバルテマイの前に止められた。その瞬間、盲人の目が開いたのである。仮りにイエスが私たちを祝福なされば、どのようになるのか?
1. 恵みを受けた人
(1) 盲人の乞食バルテマイの発見 - ダビデの子、イエス!
@ 弟子と群衆のように、直接、目で見てイエス様に従うことができない
A しかし、彼が発見したのが'ダビデの子、イエス!'だと悟った
B ダビデの子で、キリストがいらっしゃることを知っていたということ
(2) 修士、博士、財閥、政治家たちも知らないキリストを知っていたということは、本当に恵み
@ それなら、これからも神様の恵みに従って生きていけば、勝利する
A 滅びる者には、キリストの十字架が特別ではないように見える(Iコリント1:18)
(3) 乞食だがバルテマイは、イエスがキリストとして来られた契約を発見
2. 機会をのがさない人
(1)イエス様が過ぎ行かれるうわさだけを聞いて、過ぎ行く場を捕らえた
@ '私を助けてください'ではなく 'あわれんでください'
- 賢い言葉
A 恵みを受ける機会は、このように特別にある
- これをのがしてはならない
B 以前は、影島でタラッパンを毎週 30ケ所走る機会があった
C いまは、ソウル、釜山と全国、世界をずっと回るようになっている機会だ
(2)みんながうるさいと言ったのに、イエス様は彼を呼ばれた
@ 'あなたの信仰があなたを救ったのです(52)'
A 過去も重要だけれど、今、この席、この時間が機会(Uコリント6:1)だ
3. 既に変化した人
(1)'あなたの信仰があなたを救ったのです(52)'
@ 後ほどにならねば救われないのではなく、今、既に祝福が臨んだ
A イエスを受け入れる瞬間、すぐに聖霊が内住なさる(ローマ8:31〜39)
(2) 上着を脱ぎ捨てて出てきた(50節)
@ 当時、上着は身分を象徴 = 救われる以前の身分を投げる
A イエスを信じる瞬間、既に私たちの身分は変化した
(3)イエス様がおっしゃる瞬間 - 目が開いた(52)
@ みことばを聞いて、信じて、行うその瞬間が祝福の時間だ
A 救われて礼拝に臨んだこの瞬間が、最も祝福の時間
B 創世記17章、アブラハムが信じた時、彼を'義'と認めらなかったか?
4. 結論
(1)既にバルテマイは....
@ 恵みを受けた者 - イエスが歩みを止められた
A 確信を持った者 - 大声を出した
B 身分が変化した者 - 上着を脱ぎ捨てた
(2)こういう心情で礼拝に参加しなければならない
@ 霊的に乞食で、盲人の私たちではなかったか?
A ほとんどイエスの前に出てくる時、過去の不信仰をそのまま持ってくる
B 自分の年齢、経験、知識、背景の上着、福音に妨害になることもある
C 自分の間違った主張を破って(私は間違っていることが多いので)、聖霊の導きを受けることが牧会であり、
信仰生活
D ヘブル4章, 日ごとに与えられる今日、準備された恵みを私の考えゆえに逃してもよいだろうか?
E それで、どんなに正しい話も固執する必要はない
F 神様の導きを受ける人は、敏感ではない。
(3)上着を脱いでこそ、新しい服を着る - イエス様のみことばにアーメンする瞬間
@ 自分の年齢の上着を着ている現実
A 神様の祝福に目覚めていない
B みことばを聞きながら祈りの課題を探す今、この瞬間が重要な時点
祈りの課題 : 聖霊充満の具体的な方法を悟るようにしてくださって感謝