2部. 詩67:1〜7 / 神様の願いと私たちの祈り

<序論> 2003年を送りながら、一つ診断をして - 祈り
 私自身を診断する唯一の方法が祈りだ。祈りを見れば、その人の人生、信仰の色合い、福音の理解程度、未来まで分かるようになる。祈りは完全に神様の前でささげることであるから、多くの聖句や文字を混ぜる必要はない。福音、祈りに対する診断から正そう。
 私の祈りに対する経験....
(1)初期 - 祈りに対する無知の時期
(2)多くの働きの中で恵みをのがした時 - みことばを悟る(副牧師の時)
(3)元に戻せない瞬間に回復した定刻の礼拝(定刻の祈り) - 聖書の伝道回復
(4)常時で聖霊にあって(エペソ6:18); 絶えず祈り(Iテサロニケ5:17) - 答えをずっと味わう時刻表(聖書の証拠を受けること)
(5)私を守って維持できる唯一の道は '聖霊充満'
(6)そのうちに、いよいよ祈らないと平安でないようになり始め - 最も正常な状態(事件は機会、問題がくれば答からまず見える)

1. 聖徒の祈りの答えは、全てのものを左右 - 祈りの答えの大きい要素
(1)祈りがなにか知らないか、祈りがだめならば - なにかのがしている状態
(2)祈りの答えの二要素 - 神様の願いと私の計画(人生)の一致
@ この二つが一致してこそ答えの門が開く
A ヴァン・ダイクという画家の落ち穂拾う夫婦を描いた絵の名前 - '幸福'(なぜなら彼らの生活の中に神様がいらっしゃるので)
(3)証拠
@ 主の祈り(違うことが無いこと)
A 使徒信条
B 本文の解釈

2. 本文
(1)神様の願い - 私たちにあわれみをくださろうということ
(2)私たちの願い - 神様を賛美しようということ
@ この二つが、それこそ祈りの相棒
A 祈り診断 - 福音の色合い判明
B 祈り整理 - 全てのものの整理
C 祈りは、神様と私だけが知っていること - いざこざの多い人は、祈りがだめな証拠
D 本当に祈れば祈るほど、いらない話が必要なくなる
(3)神様の計画とハンナの祈り、モーセの祈り(モーセが野望を捨てた後)
(4)私は祈りの人か? - 診断してみよう(祈りの体質が、すなわち福音の水準)
@ 必ずどこへ行ってこそ祈れる人
A いつもずっと仕事をする中にも祈りができる人
B 神様の計画と私、この中で祈りの課題を探そう
C 必ずしなければならない、必ずしない、これも福音的な祈りではない
D 神様の計画ならばすることも、しないこともできるではないか

3. 神様の計画をどのようにさがすのか?
(1)聖書のみことばの核心を探そう(旧約 - メシヤ / 新約 - キリスト)
@ この中で現れた伝道戦略とその方法(20個)
A それで訓練の必要性が発見される - 見える神様の計画
(2)体質(私の固執、自我が神様のみこころを防止することもあるということを知っているべき)
(3)環境の中で事実を見る霊的な目が開くべき
@ 正しい福音運動を、神様が私たちに願っていらっしゃる - 事実
A この事実を正しく見てこそ必要な部分に答えの門が開く
B どんな場合にも、福音の本質を変質させるな.
(4)礼拝、すなわち祈りの中で神様の計画が見える
@ 定刻の祈り - 中断してささげる礼拝
A 常時の祈り - 生活の中での礼拝

4. 結論 - 価値ある人生を作ろう
(1)行く所ごとに神様の子どもとしての価値を探そう
@ 私は私が知っている福音をこの首都圏に知らせるのに人生をかけた
A 皆様が職場、事業、みなこういう姿勢で臨もう
B ほんのわずかな月給でも受ける伝道師ではない。人生をかけよう。
C 一度しかない人生、価値観をかけよう(ポティファル - ヨセフ)
(2)祈りをチェックしよう
@ 私がする仕事と神様の計画 - ここに方向を合せよう
A 自分の体質と自我をなくして、神様のみことばの前で '事実’を見よう
B すると、神様の計画が見えるので、それを捕まえて祈ろう
C 自我が滅絶することでなく、自我がまた蘇生するようになるはずだ.

祈りの課題 : 私を診断できる尺度を知らせてくださって感謝