1部. ルカ7:40〜50 / 香油を注いだ女(麦収穫感謝)
.<序論> 意味ある信仰生活しなければならず、大きいことをよく見るべきだ。
どんなに忙しく生きても、今日の麦収穫感謝聖日の意味を知っていてこそ、答えを受けることができる。イスラエル民族が、福音の意味を知らないで、奴隷になったが、モーセを通じてイスラエルに犠牲のいけにえをっさげるようにして、のがしてしまった福音を回復するために、過越の祭りに出エジプトするようになった。出エジプトした後、荒野で死ぬと予測していたのに、50日後に穀物をおさめたことを記念する日が五旬節(麦収穫祭)だ。すなわち、イスラエル民族が出エジプトした後、死ぬかと思っていたのに、神様が保護(導き)され、穀物をおさめた。しかし、この意味を悟ることができなかったイスラエル民族は、また滅びた。そして、イスラエル民族は、大きいことを見ることができなくて失敗した。普段の時にも、小さなことと、大きいことを区分しなければならず、信仰生活でも同じだ。
<本文説明>
(1)イエス様を異端にして、最も嫌うパリサイ人が、家にイエス様を食事に招いたのに、女一名が現れて、香油(香油が入った石膏の壺)を開けて、イエス様の頭上に注いで、イエス様の足を涙で洗って、髪の毛で足を磨いて、足に口づけをした。
(2)パリサイ人の反応: イエス様が預言者ならば、この女がどんな人で、罪人だと知っているだろうと話した(39)
(3)弟子の反応(マルコ14章): 高い香油を売って、貧しい人を助ければ良いと、怒りを現した。
(4) イエス様の反応
@ 最も貴い事をしたし、福音が伝えられる所には、女のしたことも記憶されるはずだ。
A イエス様の比喩: 借金をたくさんした人と、すこししている人は、どちらがより苦しみが多く、赦してもらった時、誰がより感謝するだろうか? この女がまさにそのような心情だ。
B 今、女が生意気に入って、油を注いだことが問題ではなく、イスラエルが福音を悟ることができなかったことが、より大きい問題だ。
(5)適用
@ 私達が信仰生活をパリサイ人のように、自分の誤ちを覆っておいて、他の人の失敗を言うことがある。しかし、女は途方もない罪を赦してもらったから、感謝してイエス様に香油を注いだ。このように神様の前で、麦収穫感謝の意味を回復しなければならない。
A 私たちが迎えた問題や、子どもに対する心配は過程をたどって立てられるための答えの過程だ。
<本論> イエス・キリストと福音に関して
1. 否定的な悟り
パリサイ人は、世の中的な目でイエス様を見たので、キリストとして認めることができなかった(大工の息子、社会から疎外された者との交わり)
2. 宗教的悟り
(1)パリサイ人は、異端の頭として言われていたイエス・キリストを自分の家に招請して、食事の接待をした。
(2)宗教、礼儀、生活の均衡を持って招請したが、結局、悟ることができなかった。
3. 福音的悟り- ちょっと無礼だったが、この方法しかなかった。
(1)香油を注ぐ
@ 人類の救い者なるイエス・キリストに実際に油を注いだ
A 十字架で死んでくださることと、真の王、祭司長、預言者に対する油注ぎ
(2) 涙で足を洗い、髪の毛で拭くこと(39), 足に口づけ
@ 私は救われた人であり、あなたは尊貴な対象だという表示だ。
A 福音が宣べ伝えられるあらゆる所に、女の名前が証拠されることだ
B 信仰生活は、キリスト、福音を正しく悟れば良い
<結論>
(1)福音をいつ(年齢), どのように(問題で/恵みで), どれくらい正確に悟ったかが重要
(2)香油を注ぐように、神様の前で礼拝して
神様のみことばと礼拝は死ぬ、生きることであるが、人々が知らずにいる。滅んでから悟ればおそい。
(3)大学修練会、世界レムナント大会、世界宣教会のために祈るべき
特にレムナント - 福音を正しく味わって、父母問題ゆえに自分自身が揺れる必要がない
*記憶すること
(1)教会は宗教的行為でなく、神様を信じる根本問題の解決だ。
(2)現実中心(経済的利益、損害)の信仰生活をしてはだめだ。香油の入った壺を割った女性のような中心を持って信仰生活をして、礼拝をささげなければならない。福音体質にならないで、正しく味わうことができなければ、家系の霊的問題に必ず戻る。
(3)礼拝を回復すれば、伝道、祈りの答えを受けるようになる
(祈り)
福音と信仰生活の意味を正しく悟って味わうようにさせてください。