2部. 詩85:1〜13 / 良いものを下さる主
<序論> 聖書をどんな観点で見るのか?
聖書の中で何を重要に見るのか? カトリックでは、教会が聖書を編集、決定して、教会の決定がより重要だと見る。英国のロイド・ジョーンズ牧師は、ローマ人への手紙を講解しながら、1,2章に対してだけで、本を数冊書く。1節1節を見ながら説教するが、果して、そのようにすることが正しいのか? 自分の思い通り聖書箇所を印刷して説教することが正しいのか? 聖書の解釈を置いて、混乱がより増している。聖書の核心の内容、重要な背景全体を把握して、私がすることを探すべきではないのか?
聖書66巻全体は、何を言うのか? 各々他の背景を持った書が一つにまとめられて、一冊の聖書になった。しかし、その内容が統一されている。滅びずに、救いを受けよということだ。サタン、地獄の勢力から抜け出して、解放された神様の子どもになることだ。その主人公が、まさにキリストだということだ。この観点で聖書を見て、その背景を研究して入っていかなければならない。この祝福の中で、聖日にみことばを受けてこそ、その説教が自分のものになって、その週に成就する。
ところが、聖書が神様のみことばではないと言ったヨーロッパ、今、どのようになったのか?
1. 詩篇は、おもに誰が作ったのか? - 人
(1)アサフ (2)コラの子孫 (3)ダビデ
2. 詩篇の中に入っていること - 内容
(1)礼拝の回復
@ 賛美 - 聖霊の臨在と癒しの時間
A 代表祈り - 神様の前での祈り
B 献金 - 金額の多い、少ないということを離れて、私の中心をささげること
(1)生活の中での祈り回復
(2)世の中での勝利回復
@ 私は本当に福音に根をおろしているのか?
A 私は本当に神様の国を見たのか?
B 私は本当に、答え、祝福の内に入っているのか?
C それなら、これから平日、より一層、主を見上げるべきだな!
3. 詩篇の重要な内容
(1)詩1:1〜6、幸いな者 = 主を喜ぶ者
@ 悪人の知恵に陥らないで、彼らに勝つ者
A 高ぶる者の座に座らないで、彼らに勝つ者
B 罪人の道に立たないで、罪人に勝つ者
C 主のみことばを黙想する者
(2)詩23:1〜6, 神様の導きを受ける者
(3)詩81:1〜12, 危機に主を待ち望む者
(4)詩103; 119, みことばを持つ者
(5)詩150, 賛美する者
4. 詩85:1〜13 本文の内容 = 良いことを与えてくださる主
(1)未信者にも一般恩寵を下さいます
(2)信者の責任を負う主
(3)いのちを治められる者 - 伝道者を100% 責任を負う主
(4)良いことを与えて下さる主
@ 気落ちしないように A 事件の解釈 B 忍耐
結論 : 聖書66巻を通した結論
(1)主を見上げよう - みことばを通じて
(2)主を見上げる方法 - キリストを通じて
(3)主を味わう実際 - 聖霊の働き、天使の助けを通して