1部. ルカ10:38〜42 / マリアとマルタ(みことばと奉仕)
.<序論> 必要とするが、聖徒が犯しやすい失敗 - 体質の重要性、根の重要性、先におろされた土台の重要性.
* 仕事に忙しいマルタ - “‘手助けしなさい!’, 命令してください”(40).
* 話(みことば)だけする妹マリア(39).
* “良い方を選択、奪えない!”(42).
なぜ、私たちは福音を強調しなければならないのか?
@ 米国で英語を母国語のように使った事業家が、交通事故で無意識に陥ったら、英語が出てこない
A 日本の現地人が、日本人のようだと40年暮らした在日韓国の人、病院でやはり無意識に陥り、日本語を忘れてしまう.
なにがまず入っていて、なにがまず根をおろしているか? それがこれほど重要だ。幼い時、無意識に入っていった傷は、私たちも分からない間に敷かれていて、益々、病気になる。知的、肉的な成長と違って、霊的部分の成長が停滞していて、似たような状況に出会うと、目に見えないように凝り固まって、その葛藤を隠すために、さまよったり、堕落したり、二つの方向に表れる。それで、この根を抜いて、変えるべきだ。その道が福音だ。これがまさに、教会の使命だ。一般団体は、すべて多様にしなければならないが、教会だけはこの一つだけを強調しなければならない。そうでなければ、教会は未信者と全く同じようになる。こういう問題がメッセージを聞くうちに、霊的問題がまず解決して、それと結びついた肉体的な問題までも癒されることもある(救われたことに対する真の喜びはモルヒネの16倍の効果).
1. 失敗する聖徒の姿
(1)仕事中心(40) - 米国、韓国等、世界教会の姿
@ ものすごく必要だが、失敗しやすい部分がこれだ.
A 霊的に無力で、仕事でその部分の代わりをしようとする.
B 米国教会 - 礼拝堂ぐらい食堂を大きくして交わり中心.
C ある宣教地域では、宣教師がみことばには関心なく、ひたすら自分の益を計算
D 傷、問題、困難、みな無条件に、それで仕事を熱心にしなければならないとする
(2)中心と根 - 序論をよく考えてみよう
@ 私たちは傷、弱点、失敗したこと、みなある.
A 仕事中心で、福音を取り除いて違ったことに陥って良いのか?
(3)重大な仕事には賛同しなくて、苦労、犠牲、献金
(4)現れる問題 - 奔走、不平、ねたみ、本人の信仰状態の疲労
(5)仕事、功労中心の宗教 - 教会史の証拠
2. 成功する聖徒の姿 - みことばを正しく捕まえる者
(1)イエスが誰なのか知っている者 - いったいイエス・キリストは誰か?
@ 旧約 - キリストが来られるという約束
A 新約 - キリストがいらっしゃったという成就
B 教会史の証拠
* この観点で違えば、聖書を見て、解釈することも変わるようになる.
(2)機会をのがさない者
@ 時代的機会 A 時刻表的機会 B 個人の機会
(3)みことばを正しく捕まえた者の成功
@ 旧約での証人 A 新約での証人
B 教会史の中での証拠
3. 今の私たちは、どのようにみことばを捕まえなければならないのか?
(1)聖書 - 現場 - 時代を見て悟った福音
@ 滅ぼされず、救われよ. A 虚無から真の希望を握りなさい.
B 偶像崇拝せず、神様に会いなさい.
(2)みことばの背景と神様の啓示
@ 現場を見て、みことばの背景と啓示を得よう.
A 聖書から同じ場合の人々がどのようにしたのか、その証拠を得よう
B その証拠を持って祈ろう
(3)私に対するみことば
@ 証拠 - 証拠を捕まえて祈ろう
A 祈り - 祈りができれば、自分の中にまず入っていったことが変わる.
B 実行 ? 自分の年齢を見ながら、福音に深く根をおろすようにしよう
(4)聖書と教会史で祈りの答えを受けた人々は、契約に根をおろした人々
@ 聖書の証人 A 教会史の証人 B 私の場合(説教準備)
C その結果 ? 詩1:1〜6; 伝12:11.
. 契約によってみことばが根をおろされながら、麻薬患者、精神病患者が癒される
. それ以前に、霊的な病気、心の病気、精神の病気、傷などが癒される
. それで、訓練を受けて、みことばをずっと聞くのだ
4. 結論 : みことば、福音を捕まえた者が、より多くの働きと実を恵み(原因)と祝福(結果)でもらうようになる
(祈り)福音の日、癒しの日、悟る日になるようにしてください