2部. 詩99:1〜9 / 主は王である
<序論> メッセージ(神様のみことば) - 私 - 現実(現場)が一致しない、ここから信仰生活が難しくなる。ここに対して答弁を一番上手している本が詩篇だ。では、詩篇には、どんな信仰生活が記録されているのか? 詩篇には、私たちの知識、感情、意見がよく表現されている。
1. まず参考にすること
(1)知、情、意 - 信仰を見ることができるべき(世に起きた色々なこと)
@ 中心はあるのに、知識がうまくできない場合
A 考えは良いのに、中心が違う場合
B 中心、悟りは良いのに、行動がだめな場合
C 福音は全てのものだな! - 知識
C 福音だけで本当に感謝だな! - 感情
D 福音ゆえに生きるべきだな! / 譲歩しなければ / 真に知っていなければ!
* この三つが調和して合わされば、祈りの答えになるはずだ。
(2)詩篇は反復する救いの感謝
@ 詩篇 150ケの中から救いに対する感謝がずっと反復して出てくる
A 祈りと賛美が反復して出てくるが、これが秘密だ.
B すぐ昼食を食べたのに、また夕方食べるではないか?
C このように、聖書は救いの反復を抜けば、読むことがない
D 同じ話のように見えるけれど、いつも新しいのである
E これを見ることができる目が開かれなければならない.
F 水の中の魚は、水があるのもしらないまま、ずっと飲んでいる
G ある日、水が負担になる、その日がまさしく死ぬ日だ.
(3)詩篇は、反復する祈りと賛美 - 反復の重要性
@ 礼拝時間がそのように反復にする中から喜びをさがすことができるべき
A 乳飲み子に母乳は偏食でなく、全てのものだ.
B 救いのなかから出てきたことなら崩れない.
C 福音の内に入っていくこと - 永遠に滅びない道だ.
D この話を悟れないならば、聖書は率直におもしろくない.
E この話をわかるならば、読むこと全部が答えになる(祝福の報告)
2. 詩篇でのがしてはならない信仰
(1)私たちをエジプトから導き出された主 - エジプトでの救いの感激
(2)ペリシテ中心に地中海時代に戦争で勝利した人々の告白
(3)信仰人と不信仰人の内部の葛藤で勝利した者の賛美
(4)捕虜から帰ってきた感謝
(5)救われた子孫の賛美
3. どのように、この祝福を正常に味わうことができるのか?
(1)2節, シオンで - 礼拝する時、この祝福が回復する.
@ マルコのタラッパンで礼拝する時、聖霊体験
A 15ケ国の門が開く
B みことばが成就にする
C 隠された弟子が起きる
D 現場にみわざ
E 宣教の門が開く
F 暗闇の文化が崩れる
* それなら、千人、万人に会うことより貴重な時間が、礼拝時間(聖日に選挙遊説をあきらめた米国会委員 : “先約があって...”)
* 神様は事業の場にも働かれる(チョン・テス執事 : “あの人は本当にイエスを信じているようだ!”)
(2)3節, 賛美する時、起きること(詩23:1)
@ 一度でも一人でいる時、賛美してみたことがあるか?
A そのような個人が集まって、共に賛美すること
(3)4節, 神様の義
(4)5, 9節, 主の足元にひれふす
@ だれに降参するか? ひざまずくのか?
A 何を発見したか?
(5)6節, 懇求 - モーセ、アロン、サムエル
4. 結論 - この秘密を知って祈る時に起きること
(1)定刻の祈りをする時、どのようなことがおきるのか、旧約から新約まで確認
(2)神様と同行した、共にした方達をさがそう - ダニエル6:10〜20
@ ペテロが祈る時 - コルネリオの門 A パウロが祈る時 - マケドニアの門
(3)主が王であること、どれくらい信じているのか?
@ 神様の恵みが必要ないとすれば、それが必要ない所へ行く.
A 神様の恵みを否定して滅びた思想 - 共産主義思想
B 神様が王であることを信じれば、そのまま答え。味わえば、学業、職業など、超越
(祈り)神様の主権を信じる信仰を回復して、時代的要請をなす事ができるように。