2004年 6月 70人修練会 柳光洙牧師
70人の力 (ルカ10:17〜20)
序論
70人達が力を得なければなりません。昨日の夕方には、初代教会が持った力でした。それなら、70人達が得た力です。ルカ10:1を見れば、その後、主は、別に七十人を定め、と言われています。まさに皆様がそうです。そして、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。と言われています。
(1) 別に-ご自分が
必ず記憶しなければなりません。神様が、そのように多くの人々の中から、皆様を別に立てた理由が何でしょうか? 主がご自分で行こうとされている所に送られたのです。このように重要です。
2節を見ると「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」
(2) 羊-狼
3節に、わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。その話は、何のみことばでしょうか? あなた達が弱いから、難しいことだという話しでも良いのですが、ですから、神様が特別に 恵みを与えて祝福なさるのです。
(3) 心配
しかし、4節を見ると、財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。5節に、どんな家にはいっても、まず、『この家に平安があるように。』と言いなさい。どれだけ重要でしょうか。あなたがた神様の羊が、狼の中に入っていくのです。神様がすべて知っていらっしゃいます。それで、今から、これまでもそうでしたが、今からたったの一つも心配するなということです。どれくらい重要だからでしょうか。
具体的におっしゃられました。財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。財布は、お金の袋です。皆様、財布もみな捨てなさいということですが、そのような話ではないのです。そのようなものに頼らないで。くつもはかずに、くつを脱げということでしょうか? むかしは、遠く旅行に行くから、かばんも持って行って、履き物も別に持って行ったのです。それも持って行くなとということです。また、だれにもあいさつしないで、 もし誰かが尋ねても、手助けしてもらえるのかと行かず、
(4) 平安-祝福
もし会ったら、ひとつだけしなさい。会えば何をしなければならないのでしょうか? どの家に入っても、まず先に話すのは、この家に平安があるようにと言いなさい。もし胸の中にちょっと手助けしてもらえるのではないかと思って、もしあの人が揺れたら、私たちの教会にくるのではないかと思って、そのようなやり方でしてはならないということです。その人がこの頃、教会を移る気持ちがあるから、私たちの教会にくると言いながら、そのような思いでするのではなく、何にも期待せず、袋も持たずに、行って一つだけしなさい。平安を与えなさい。これよりよりよいことはありません。神様が与えられる真の平安が必要です。
6節に、もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。この平安が、まさしく皆様には祝福で、実がなければもっと心配する必要はありません。伝道を思い切りしたのに、実が起きないとすると、皆様に祝福がくるはずです。確かに、聖書にはそのようにおっしゃっています。私はこの部分に対する体験をしました。
牧師一人が説教をあまりにできなくて、マネージメントもあまりにできなくて、この人は田舎者でした。これで、あまりにできなかったのです。教会員が認めていました。だめだと認めていたのです。ところが、本人も認めていました。だめだと認めていたのです。だめでした。教会はどんどん減りました。本当に異常でした。ところが、この方中心ひとつが、いのちをかけようとすることでした。いのちをかけたのに、だめだったのです。だめなのに、どうするのでしょうか? 簡単に話せば、霊的に話せば霊的パワーがなくて、人間的に話せば マンパワーがなかったのです。力がなんにもないのです。ところが、私が驚いたことがひとつあります。息子と娘が全部、時代的な人物に変わるのでした。その家の息子、娘がそうでした。一つもそのまま終わることが ないのです。
ある人は、教会をものすごく復興させて、釜山に、巨済島に、大きく建てました。ものすごく復興させて、教会の会長、総会長、本当に賢いのです。しかし、不思議なことに、息子、娘がみな滅びてしまいました。統合側の牧師たちは、知っているはずです。その息子がおかしなチンピラになったのです。それで、路上刑務所 に出たり、入ったりしていました。けんかも小さなことをするのではなく、大事故を引続き起こすのです。結局は、その父が耐えることができなかったのです。今、韓国教会は、律法に一杯なのに、牧会ができるでしょうか? 結局、牧師が手を上げてしまいました。それを見ながら、私達が福音のために献身することは、心配もする必要なくて、もし実がなくてもかまわないだと思いました。祝福で帰ってくると確かに記録されています。
(5) 国
7節に、その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。かと言って、あまり多くする必要はありません。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。8節に、どの町にはいっても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。9節に、そして、その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた。』と言いなさい。重要な言葉がとてもたくさん出てきます。あなた達が行く先ごとに、神様の国が臨んだと話しなさいということです。重要な福音を言うことです。
10節に、しかし、町にはいっても、人々があなたがたを受け入れないならば、大通りに出て、こう言いなさい。11節に『私たちは足についたこの町のちりも、あなたがたにぬぐい捨てて行きます。しかし、神の国が近づいたことは承知していなさい。』12節にあなたがたに言うが、その日には、その町よりもソドムのほうがまだ罰が軽いのです。神様の国につけて話すのに受け入れなかったら、ちりをぬぐ捨てて出てきて、未練を置かないように。その話は行く所が多いからおっしゃることです
皆様、伝道をしにいったのにだめだったら、傷つかず、受ける所がたくさんあるからです。こういうみことばを与えながら70人を送り出されました。
(6) 現場
それとともに、各々二人ずつペアを組んで現場に送られました。単純に送ったのではありません。現場を見るように送られたのです。
あなたがたが、どれだけ重要か、力を得てくださることを望みます。私達が心に力を得たことを見て、勇気を得たと言います。勇気があるのとないのとは、差がものすごく多いのです。また、考えで力を得れば、確信が生じます。このことは、正しいのです。しかし、霊的な力を得れば限界がありません。神様の驚くべき働きがずっと起きるためです。
もう一度、私たちは70人の姿を確認してみなければなりません。そして、70人達が持った力です。どんな力を持ったのでしょうか? 彼らが持った力の源泉は何でしょうか? こういう整理を必ずして、力を得なければならないのです。
1. 70人の姿
(1) ルカ10:1-20 (ルカ9 使徒)
イエス様が 70人達を送り出された時、ルカ9章にあるみことばと全く同じことをおっしゃいました。ルカ9章には使徒達に、ルカ10章には70人達に、あなたがたが受けた使命は何でしょうか?
同労者
皆様の教会の牧師と伝道者が行くその働きの手伝いをする同労者として呼ばれました。牧会者には、みな出来ない部分もあります。その部分を今日、確かにおっしゃるように別に呼ばれたのです。別に呼ばれたのは、イエス様ご自身が行かねばならない所に送り出すためとなっています。これが70人メンバーの開始でした。
(2) ルカ24:14-43
イエス様が復活なさってまず現れました。エマオに逃げる70人にいらっしゃって、イエス様はみことばを下さったのです。
(復活+みことば)
復活なさった主がいらっしゃって、70人に神様のみことばを悟るようにされて、心を熱くさせてられて、力を与えられました。これくらい70人が重要なのです。
(3) 使徒1:12-15
イエス様が昇天なさった後に、大きい事件が起きました。初代教会をなくして、完全に封鎖しようとしたのです。この時に、マルコのタラッパンに120人程が集まりました。この人たちが、まさしく70人メンバー中心で、使徒と共に集まることを始めたのです。
(4) 使徒6:1-7
教会が混乱した時に、働き人を選んだのですが、はじめから新しい信者は立てないから、はじめから訓練を受けた70人で7人の執事を立てたことは明らかです。
(5) 使徒9:1-43
70人の訓練を受けた人を持って、初代教会は全域に働き人を植えて、伝道運動を始めました。誰も防止できなかったのです。皆様がこの祝福を回復して、皆様の教会がこの祝福を回復するならば、どんな場合にも勝利するようになるはずです。もし牧師の力がちょっとないとしても、神様は働かれるはずです。あなたがたがこれを解決しなければなりません。
今から、つぶやきと悩みをやめましょう。私たち牧師がよくできなければ、70人が力を得れば良いのです。全く同じ働きが与えられ、同労したのです。手助けしたのです。こういう働き人が、広がったのです。
(6) 使徒11:19
使徒たちがほとんどみな死んで、迫害された時に、この時に一般信者中心に教会が堅く立てられたのですが、その人々が70人のメンバーです。私はそのように確信します。
(7) 使徒12:1-25
本物の危機きました。ペテロが捕えられて殺されそういなった時に、教会で使徒たちは、ほとんどみな摘まえられたり、死んだり、活動することができないように縛られてしまったのです。この時に、70人達中心に立ち上がって祈り運動を始めたら、神様の奇跡がおきました。ヘロデが死んでしまったから、問題は簡単になったのです。
13:1
このようにして、驚くべき世界福音化をするキャンプチームが作られました。まちがいなく、キャンプチームのリーダはパウロです。このパウロが、だれに恵みを受けたかというと、アナニヤです。だれに訓練を受けたかというと、バルナバです。この人たちが、ほとんど70人です。このように、影響が大きいのです。私の考えですが、パウロと共に動く人々の中で、マナエンのような人も、はじめから訓練されていたのではないかと思います。
バルナバ
こういう重要な働き人が派遣されるなかで、特にバルナバのような人物は使徒ではないのですが、はじめから訓練を受けた70人です。この程度に重要です。
これが教会を生かした初代教会の70人の姿です。
2. 力
彼らはどんな力を持っていたのかが重要です。
(1) ルカ10:17-20
あなたたちもこれを持てばよいのです。何にも心配せず、教会に奉仕をすれば、それが現場です。
@ 現場
70人はルカ10章を見ると、現場を生かす祝福を持っていました。今、みな滅んでも、これからうまくいく道があります。現場を生かす道です。事業が良くできないでしょうか? 生かす道があります。現場です。皆様の教会が復興できる道があります。現場を生かせばよいのです。それで現場ということは、行くことだけが現場ではなく、教会学校を引き受ければ、それが現場です。皆様がもし外に行って商売をするならば、それが現場です。全部、現場を生かすことです。
A 霊的問題
行く先ごとに霊的問題が解決するのです。これが目標ではありません。その救われる人々の名前が天国に記録されるのが目標です。しかし、この話が必要ないということではありません。イエス様が認められました。それがすべてではないのですが、70人メンバーが行く先ごとに、こういう力があったのです。
(2) 模範-奇跡
そして、70人メンバーは、模範の力を持っています。
@ 率先
長老や役員は、教会に事が起こったら、力がある、ないのは関係なしで、率先してするならば、残りはついてきます。それが模範です。教会に事が起これば、70人が率先すれば良いのです。すると、教会員ではない信徒がついてくるので、大きなみわざが起きます。
A モデル(神様)
70人はモデルになりました。あのようにすれば良いのだなとなったのです。ヨセフのような人物は、教会が問題になる時に、自分財産をみな捧げました。その程度でした。モデルになったのです。初代教会は、そのようなみわざがどんどん起きました。これが 70人メンバーが持った力です。
皆様の模範によってみわざが起きるのではなく、この信仰を見て、神様が働かれたのです。これが教会の働きです。複雑に考える必要がありません。役員は、どれだけお金を持っているか? 神様がご存知です。そのようなことを心配する必要はありません。役員と70人メンバーは、力があるのかないのかは、心配する必要がないのです。それも神様がご存知です。無条件に率先すれば良いのです。自分の力通り率先するならば、残りはついてくるのです。その後に奇跡がおきます。五つのパンと2匹の魚を出したのに、その後に奇跡がおきました。5千人が食べても余ったのです。ですから、これが 70人メンバーが持つ、皆様が持つ力です。無条件に現場を生かしなさいということです。そして、あなたがたは率先しなさいということです。伝道すると、教会でお知らせが出てくれば、無条件に率先してしましょう。しり込みするのでもなくて、正すことでもありません。教会のお知らせで出てきたのに、牧師が間違ったお知らせをしたら、どのようにするのでしょうか? 牧師があまり良くないお知らせをしたら、どのようにするのでしょうか? 簡単に話せば、牧師が力が足らなくて、ちょっと足りないお知らせをしたら、そうしたら良いのでしょうか? それでも、無条件に率先しなければなりません。すると、神様が驚いて正してしまわれます。そうなのです。皆様が率先して立たないを神様が確実に信じて、牧師をずっと失敗するようにさせられるのです。なぜなら、それでこそ水準が似ていて、一緒に呼吸をして生きることができるためです。皆様が本当にしてみなさい。神様が本当に働かれるはずです。神様は生きておられる神様です。未信者も導く神様が、皆様を導かれないでしょうか? なんの心配もする必要がありません。無条件に70人メンバーは良くお知らせを聞きましょう。役員の中には、お知らせを聞かない人々が多いのです。良く聞いて、無条件に率先しましょう。教会で夏の聖書学校をするとすれば、無条件に率先するのです。何かが必要ならば、無条件に率先するならば、残りはついてきます。それを模範と言うのです。
反対に、重要な方達や70人メンバーが率先しないならば、どんな結果が出てくるかというと、皆様はしないでも良いのですが、多くの門をふさいでいるということを知っていなければなりません。それが小さな罪ではありません。皆様、悔い改めとは、どういうことかというと、とんでもないことを悔い改める必要はありません。
私が誰かの悪口を言ったとすれば、どうなのでしょうか? そのような悔い改めは、しないでも良いのです。悔い改めることをしなければなりません。例えば、レムナント運動をすると言われたら、率先すれば良いのです。すると、残りの一般信者が、ぱっとついてきます。その後に起きる奇跡は、必ず銘記しなければなりません。なんでもでしょうか? そうです。なんでもです。なんでも考えなく、率先してしましょう。何でも率先するならば、神様が何でも作業をなさいます。
前に話したではないでしょうか? 子ども達に手伝いをさせてみれば、いろいろな種類があります。あまりのも手伝いを異常にする子どもがあります。すると、その時から、その子にお手伝いをさせません。異常なようにするからです。それで、重要な書類を与えたら、その子が忘れてしまったとすると、次からはさせません。
ある人に手伝いをさせたところ、これが驚いたのです。いのちをかけてするのでした。過ぎ行く道にその教会に初めてきたゆえに、教会の中にいる家庭の子ども達全部を分析して、教会に来ない人々を分析して、子ども達を分析してこそ伝道運動ができると言ったところ、その翌日、作ってきたのです。どうしてこれができたのかと聞いたところ、昨日、伝道師がおっしゃることを聞いてみたら、正しいという気がして、夜に寝ないで夜を明かしてしたら、朝にできたから持ってきたというのでした。その時、私が驚きました。私は、話をいいかげんにしてはだめだ。その人には、ものすごく重要な話だけをします。なぜなら、無条件にするためです。皆様が、知っていて、選んでしないならば、神様も知っていてさせるのです。無条件にすれば、神様が重要なことだけさせられます。70人メンバーは、いのちをかけたのです。先頭に立ったのです。そのような程度ではありません。
(3) 危機
危機が来る時ごとに、この人たちは献身していて危機が来る時ごとに出るのです。
@ 源を封鎖(使徒1:12-15)
悪いユダヤ人たち、福音がない宗教人が、福音を防ごうと源の封鎖を試みました。この時に、70人メンバーが率先して、使徒11:12-15を見ると、一斉にみな集まりました。祈りを始めたのです。危機が来る時ごとに、そうしました。
A 内部混乱(使徒6:1-7)
教会の中に内部混乱がおきました。この時に、使徒6:1-7を見ると、70人メンバーが先頭に立ったのです。役員です。それで教会を生かしたのです。あらゆる奉仕、献身、物質問題は、自分達が責任を負うから、主のしもべはみことばと祈りにだけ専念してください。そして、この人たちが先頭に立ったのです。
B 死角地帯(使徒8:4-8)
そして、死角地帯だけ訪ねて伝道運動をしました。伝道運動をしたのです。一例を上げれば、使徒8:4-8に行ってはならないと言われていたのですが、ユダヤ人はサマリヤには行ってはならないと言われていたのです。ところが、そこに行ったのです。ユダヤ人は、サマリヤの人々を相手にしないでしょう? ところが、そこに行ったのです。イエス様が、聖霊があなたがたの上に臨める時、力を受け、エルサレム、ユダヤ、サマリヤと言われた、そこに行ったのです。そこで神様の働きを起こすようになったのです。
C 死の危機(使徒7:54-60)
死の危機が来た時にも、その時ごとに出たのです。使徒7:54-60を見ると、大胆に話して死にました。ステパノです。私は役員であることは確実だから、70人メンバーであることが確かだと思っています。
- 使徒11:19
教会が迫害にあって、完全になくなるようになりました。捕まえられていって大きい問題が起こったのです。皆様ならば、どのようにするでしょうか? この時に、必ず出たのです。それが、まさにアンテオケ教会になったのです。それがまさに世界を生かした教会になったのです。皆様は、この時に、どのようにするでしょうか? この人がこの時だけ出たのです。私はヨシュアも偉大だけれど、カレブがより偉大だと思います。全く同じ力があるように、全く同じように仕えたのに、二人ともがなることができないから、ひとりでもならなければなりません。ヨシュアとカレブと、全く同じくモーセに仕えたゆえに、誰がより良いのか分からないのです。ひとりは右腕で、ひとりは左腕だったのです。どれがより人物なのか分かりません。しかし、二人を選ぶことはできないので、指導者は一名を選ばなければならないので、ヨシュアを選んだのです。カレブを見ましょう。その時に、またモーセに仕えるようにヨシュアに仕えました。簡単に話せば、友人に仕えたのです。そうしながら困難を受けた時ごとに現れました。アナク山地で危機にであった時ごとに現れました。85才のカレブを見ましょう。この人が、ヨシュアより大きい人物です。むかしにもイスラエル民族がカデシュ・バルネヤで問題に、不信仰に捕らえられたとき、この時、いのちをかけて、服をさいて悔い改めて現れた人物が二人いるのですが、ヨシュアとカレブでした。本当にたいした人物でした。これがものすごい力です。
皆様ゆえに、教会が生かされる祝福があるように願います。福音ならば、確かにそのようになるはずです。
- 使徒12:1-25(天使)
ヤコブが死んで、こういう事件が起きたということです。ペテロが捕えられました。明日になるならば、死刑を受けるようになります。どのようになるのでしょうか? このようになれば、本当に第1弟子のペテロが明日、死刑されれば、どのようになるのでしょうか? 人間的に事実、その日の夜に役員と信徒全員が集まって、祈り始めたのです。皆様、役員が集まって祈ると、どのような事が行われるかをご存知でしょうか? 神様が主の使いを送ってヘロデを打たれたので、虫にかまれて死にました。心配することもありません。神様がなされば、人も動員する必要がなくて、神様がなされば経済も動員する必要なくて、神様がなされば軍隊も動員する必要がなくて、神様がなされば刺客も送る必要がなくて、天使ひとり送ったら、主の使いが打ったら、虫にかまれて死んだのです。終わりです。このような時ごとに、この人たちが献身したのです。
D 終わりまで
終わりまで献身しました。福音とは、終わりまですることであって、変わることがあるでしょうか? これが、70人メンバーが持った力です。皆様がこの力を持って現場も生かして、教会も生かして、そのような神様の大きい祝福が本当にあるようになることを希望します。
3. 源泉
この力がどこから出てくるのでしょうか。
(1) 直接弟子 - 福音
70人メンバーの特徴です。イエス様の直接弟子です。使徒と共に直接弟子です。その話は、何の話なのかというと、福音を本当に知っているということです。これが力の源泉です。福音の秘密を継続して発見すれば、相当な力が出てくるのですが、これが源泉になって、引続き出てくるようになります。これが 70人メンバーの特徴であり、彼らが持った力の源泉でした。
@ 旧約-主人公
この人達は、旧約聖書を知っています。旧約聖書の主人公がイエスだという事実を直接、確認したのです。付いてまわりながら確認しました。
(50)-成就
旧約に50個を越える事件が、イエス様に対して約束されたことだったのですが、これがそのまま成就したことを確認した人です。恐れることがありません。死ねば死んで、生きれば生きるのであって、何の問題になる必要がないのです。この程度だから、このように祝福を受けるように願います。恐れる必要がありません。
お願いします。あまりにおかしなことだけしないならば良いのです。どこでもおかしな話をして、おかしな集い、このよなものだけしないならば、神様は驚くほどの働きをなさらざるをえないのです。
今回の機会に、あなたがたは必ず私の話を記憶しなければなりません。あなたがたが、人を生かすために必ず、教会中心で、必ず本部中心で、そして、皆様の教会の牧師中心でしましょう。そのようにしないと、必ず私の話を記憶してください。これは私が牧師で、教会をするためにいう話ではありません。私がタラッパン全体を導く人であるゆえにする話ではないのです。皆様、絶対です。記憶しましょう。その裏の話、反対語を考えればよいのです。霊的問題がある人は絶対にできません。霊的問題がある人は、絶対に教会中心で行くことができないのです。行くことができません。霊的問題がある人は、全体中心で行くことができないのです。霊的問題がある人は、指導者中心で行くことができません。行くことができないのです。行こうとしても、だめになるのです。必ず記憶しなければなりません。聞いているだけではなく、必ず記憶しなければならないのです。しないならば、皆様後で、後悔します。牧師夫人も大きい働きを起こす方達は、牧師中心でしましょう。牧師夫人も、名前も光もなく献身して、福音のために生きて、本当に教会を生かして、聖書 66巻を見たら、牧師夫人の名前は一度も出てきていません。残念に考えないで、あまりに重要なために、そうしたのです。.
私達の体も、重要な部分は現れません。それほど重要でないことが現れます。鼻がそうです。これは、鼻の穴を保護するためにあるので、大きくても良くて、小さくても良くて、低くても良くて、高くても良くて、関係ありません。重要なことは、見えないことです。それゆえに、必ず記憶しましょう。霊的問題を完全に直すよう願います。私が不思議に指導者中心に行くのが不思議に気まずいならば、霊的問題があるとみればよいのです。そのように見れば必ず正確です。
釜山にそのような人がひとりいました。影島です。牧師夫人のメッセージが良いのです。暇があれば、牧師に文句を言うのです。説教をそのようにするなと言うのです。それで信徒がしばしば説得したのです。変わりませんでした。献身礼拝に自分が説教すると言うのでした。それでさせたら、説教を驚くようにしたのです。牧師が説教する時は、ほとんどみんなが寝るのに、この人が説教した時には、目をみな開けていたのです。一度は、本当に驚くことが行われました。ある地域で、この牧師を復興師として呼んだのです。例を上げれば、特別に復興会をしなければならないとして、復興師を呼んだのであって、そうでないなら、あいさつでする復興師もいます。ところが、この人は、あいさつではなくて、本当の復興会に行くようになったのでした。復興会に行く日、牧師が倒れたのでした。からだが良くなくて、朝に倒れたのです。笑わされることです。列車に乗って行かなければならないのに、牧師夫人がかばんを持って行ったのです。行たら、教会では復興師の講師が来るのだと出てきて待っていたら、見たら来ないのです。牧師夫人がくるのです。牧師は朝に突然に倒れたので、私がしようときたと言いました。どのようにするのでしょうか? 教会では、あまりにも驚いたのですが、大丈夫だと言うのです。牧師の代わりに私がすると言うのです。それで、役員が集まって心配したのに、するというので、返すこともできなくて、役員会でしようと決議が出たのです。それで決定して、上ですれれば良いのですが、上に上がらず下でするようにということにしました。それでしたのら、下でつばを飛ばしながら講義したのに、全部みな恵まれたのでした。ですから教会でうまくいったとと言いながら終わったのに、それで終わったのではありません。結局は、教会が崩れて、結局は牧師が変になって、結局、教会から追い出されるようになって、それがそのようにだめになったのです。
それで、私たちは3つは必ず見るべきです。教会中心、指導者中心、教団中心です。全体を見る目がなければなりません。霊的問題があれば、それができないのです。霊的問題は、早く直さなければなりません。聞くことがいやでも、直さなければならなくて、直さなければ困難に会います。
この人たちが、福音を正しく見たゆえに、揺れることもなくて、力のものすごい源泉がここから出てきたのでした。50個余りが預言されました。そのままイエス様が成就されたのです。それまで、すれば良いのです。どの墓に入っていくようになるはずだ、だれから苦難を受けるはずだ、旧約にほとんど記録されているのですが、そのまま成就されました。イエスがキリストだという事実を確かに知っていました。
A 復活-体験
この人達は、公生涯も見たのですが、復活なさったイエス様がいらっしゃって、私達に働かれる聖霊の体験をした人々です。恐れがなぜあるでしょうか?
B 事件-奇跡
いろいろな事件の中で起きる神様の奇跡を見ました。神様はできないことはありません。ですから、イエス様が直接教えた弟子なのに、直接教えたことが重要なのではなく、福音を正しく知るようになったということです。これが力の源泉でした。
(2) 使徒の手足
そして、彼らは使徒の手足でした。神様がこの働きをせざるを得ないように、途方もない力を上から供給させたのです。
(代役)
その話は、なんの話なのかというと、イエス様がなさることを代役をしたということです。使徒が行くことができない所、イエス様が直接なさらねばならないことの代役をしたということです。神様が彼らに特別な力を与えられて答えを下さいました。
(3) 祈りの人(専念)
70人メンバーは祈りの人々でした。どれだけ祈りを多くしたか、聖書を見れば出てくるのですが、この人たちの背景に出てくる単語があります。祈りに専念する。できないことが何があるでしょうか? 本当に正しく祈ったら、だめな事がありません。70人メンバーが出るときごとに出てきた単語です。使徒行伝 1:14-15,使徒2:42,使徒12:1-25 その日の夜に神様の前に信徒全員が祈るなかで、70人中心で祈りました。
(4) 伝道の人
この人々は、本当に伝道の人でした。伝道の目を正しく開かれていました。
@ 祭司
どの位、伝道を悟ったかというと、祭司を悔い改めさせたのです。
A サマリヤ
どの位、伝道を悟ったかというと、それまで福音が入っていかなかったサマリヤをひっくり返すみわざが起きました。伝道の人でした。
(5) 見張り人
もっとも重要なことは、70人メンバーーの最も重要なのが、地域の見張り人でした。各地域を引き受けた見張り人です。はじめから、イエス様が二人ずつペアを組んで地域に送り出されました。その地域を置いて見張り人の役割をしたのです。ずっと祈って伝道して、あらゆる神様の霊的な役割をみなしたのです。ここで力のものすごい源泉が出てくることが始まったのです。このようにして、70人メンバーが生かすようになりました。
今までもそうであっても、今日から皆様ゆえに、現場が生かされ、教会が生かされる神様の大きい祝福があることを希望します。何をするか心配せずに、現場を生かしてしまいましょう。牧師達の中でできることをなさるように望みます。どこで開拓するか? そのようなことを心配しないように望みます。現場を生かしてしまいましょう。すると、その後に出てくるようになっています。教会をどのように復興させるか? そのような心配をせず、現場を生かしてしまいましょう。副教役者は悩みがあるのでしょうか? 現場を生かして、引き受けた子ども達を生かしてしまいましょう。どのように生かすのでしょうか? 本当に福音を持って祈れば働きが起きるようになっています。このようにして、皆様が行く先ごとに神様の大きい働きが起きるようになることを希望します。
力
結論を結びます。力をあなたがたは育ててこそできるのです。力を持って、もらわなければなりません。
(1) 個人
私とあなたがたがしなければならない、このことがあまりに重要なのですが、私達が作りだすことではなくて、私たち個人に約束なさったのです。
約束
力が臨むはずで、力を受けるようになるはずで、地の果てまで証人になる。それで、私はこの約束を見る瞬間にそうだと思いました。
マタイ10:1, ルカ9:1, ルカ10:1
信じる者にこの約束をはじめからくださったと言われています。それで、私はどんな確信があるかというと、私は力がなくてもかまわないのです。私を強くしてくださる方にあって、どんなこともできるのです。私にあることですれば良いのです。主イエス・キリストの名前で。すると答えのみわざが継続してなされるのです。
(2) 教会-人
今日、あなたがたが力を得てくださらなければならないのですが、他のことではなく、教会を生かさなければなりません。何にも難しくありません。教会を生かさなければなりません。教会は試みにあった人々がたくさん来ます。少しだけ試みをなくしてあげれば、教会は霊的問題を持った人々がたくさんきます。霊的問題を少しだけ手助けすれば、何も難しいこともありません。霊的問題がある人たちがたくさん来るのに、霊的問題があるように作ってしまうのです。すると問題がくるのです。そうでなくても霊的問題がくるのに、しきりに教会について行けなくさせて、牧師を理解できなくさせて、全体の伝道運動を理解できなくさせて、それがまさに問題になるのです。それだけ、そうしなければ、大きなみわざは始まるようになっています。教会はがっかりした人がきます。少しだけ激励してあげて、みことばを正しく与えれば、大きなみわざが起きるようになります。教会が難しいでしょうか? 全く難しくありません。今日、あなたがたが考えを変えるようにしなければなりません。神様が私たちにしなさいと言われたのではなく、約束なさったのです。力を与えると弟子たちを呼ぶやいなや約束なさったのです。教会は失敗した人もたくさん来ます。本物の福音を受けようと来る人々の中には、失敗した人もくるのです。彼らに力を与えるのです。これだけしても、いくらでも大きい働きをしないでも、70人メンバーがたいした仕事をしないでも良いのです。このことを今日、あなたがたは確かめ合いながら、祈らなければなりません。.
(3) 教団-理解
この時に、神様が私たち教団に使命の、協会に使命の集いをするようにさせられたのです。単純な人の集いでもなくて、私達がよいという集いでもなくて、これは私達がどのようにしようという集いでもありません。私たちは確かに信仰生活を確かめ合っています。もし韓国教会で、私たちと共に行こうと言うならば、私たちは教団もなくすことができます。はじめから、そのように始まりました。私たちは、そのようなことを作って商売する団体ではありません。もし韓国教会が、私たちに信徒を奪ったと濡れ衣をきせるならばしませんが、本当に福音運動するならば、全てのものを譲歩できます。なぜできないでしょうか? 福音のために! こういう話もしたいのです。私に福音運動することを保障してくれるならば、再按手を受けることもできます。そこまで話しました。もし私に福音を伝える保障をしてくれるならば、再按手を受けることもできます。何ができないでしょうか? 福音のために、できないでしょうか? 私たちは福音のための団体で、利益を見てする団体ではありません。私たち団体は、そのような団体ではないのです。早く理解しなければなりません。私たち団体は、教権を集める商売人団体ではありません。ただ福音だけです。それをしている途中で行くのです。それで神様が 70人メンバーに働かれたのです。神様がご存知でなさったのです。私たちは、今までしてきました。神様はもし皆様の胸の中にすこしでも心配があるかもしれませんが、心配する必要はないのです。神様は伝道者を一度も捨てられたことはありません。神様は伝道する時代を祝福なさらなかったことはありません。神様は個人でも、団体でも、伝道ゆえに集まった団体は、いつでも保護されました。神様はいつでも祝福なさったゆえに、一度もそのようなことはありません。これをもって力を得なければならないのです。何にも難しいことはありません。
教会の中には、違った人にも力を抜く事をせず、力を与える事をしましょう。必ず記憶しましょう。しきりにむかしにした律法をせず、むかしにした儒教をせず、キリスト教をしようということです。誤った人に力を与えなさいということでしょうか? そうです。誤った人に力を与えてこそ、その人が直すことができるのです。本当に直すようにしようとするなら、その人に試みを与えていれば、永遠に直せないのです。何で悪魔の手伝いをすべきでしょうか? 永遠に直すことができないように悪魔の手伝いをなぜするのでしょうか? 必ず70人メンバーと役員は、悟らなければなりません。それを悟ることができなければ、大変な事になります。間違った人にも力を与えるべきです。違うようにする人にも力を与えましょう。そうしてこそ、悟ることができるのです。そうしてこそ、直すことができるのです。その人達は、直す必要がなくて、永遠に地獄に行けという心になれば、知らなくても、そうでない以上、人はほとんど紙一枚の差です。そのために、教会来る人に力を与えましょう。70人メンバーは銘記しなければなりません。主のしもべと教会と皆様は、全体方向をおいながら、霊的問題を直しましょう。そして、教会に来る人に力を与えて教会を生かしましょう。
ヘブル11:38
私達は、何ゆえに集まったのでしょうか。これを理解して、時代的な祝福を受けましょう。もし伝道運動を本当に保障する確実な道があるならば、私たちはタラッパンもなくすことができます。伝道運動をすればよいので、それが何でそんなに重要でしょうか? それくらいの覚悟です。なぜでしょうか?この福音より重要なことは何にもありません。この福音がなければ、みな死ぬために、今、全世界に福音が事実上なくなったゆえに、神様が皆様を呼ばれたのです。それが70人メンバーです。
今日の昼に、今月に、銘記なさることを望みます。3つです。教会と指導者と全体を見て祈りましょう。そうしてこそ、皆様の霊的問題が解決します。それ以上は絶対にだめです。反対の言葉で説明すれば、その中に違ったのが入っているからです。違ったものが入っていてはだめです。女、男を差別しないように。そのような話もすることがありません。何ゆえに差別するのでしょうか? そのような話は、する必要がないのです。書いたということ自体が間違っているのです。自分の中にあることをなせば良いのです。そのような話はする必要はありません。それをやめさせる必要もなくて、する必要もありません。それで私たちはその中に何があるかというと、なにか受けた刺があるのです。それが大きくなりながら、どんどん家も出て、どんどん学校にも葛藤が生まれ、全部葛藤が生じてきたのです。それがきて教会まできたのです。それが福音の前にまできたのです。ここでも粘るということでしょうか? 出してしまえということです。それで、完全に牧師たちも牧師中心でせずに、教会中心でしましょう。牧師が牧師中心ですれば大変な事になります。ですから信徒が行きなさい、入っていきなさい、するしないというのです。あなたが行かなければ、私が行くようにということです。牧師も教会中心にならなければなりません。役員も教会中心です。そのようにしようとするから、指導者や役員を理解して、ついて行って、一緒に祈ろうとするのです。その時に、霊的問題が解決します。
私は時々、心配になることがひとつあります。私たちタラッパンにくる人々の中に、こういう人々がいます。私が本当に福音運動をしなければならないと来る人々があるのです。元々、飛び出してくる素質を持っていて来る人もあります。幸いにそのような人々は、ほとんどみなが出て行きました。飛出してきたゆえに、飛び出して行ったのです。そのような人がいます。理解できます。見れば分かるでしょう? 行き時に全く止めませんでした。元々、そのような人です。元々いた場所にいることができなくて飛び出してきた人です。私たちは、そのような団体ではありません。可能ならば、教会に仕え、教団に仕えて、今でもそうです。あまりに押し出して問題を与えるから、やむを得ずこのようになったので、私たちはそのようなことはありません。今でも中心に、全くそのようなことはありません。なぜ私達が教会を難しくさせて、他の人を難しくさせるのでしょうか? そのようなことはありません。それを私達が悔い改めます。良くしても、他の人が試みにあえば、私達が悔い改めなければなりません。そのようなので、私が心配がそのようなことです。元々、父母にも仕えず、教会も仕えず、夫も仕えず、妻も仕えない人がいます。他の人に仕えることがない人がいます。こういう人々は、どこでも飛び出してくるのです。飛び出してくる中にタラッパンに飛び出してきたということです。これが心配です。私たちはそのように飛び出してきた人々ではありません。区別されて出てきた人々です。
それで、あなたがたが必ず記憶しなければなりません。霊的問題を解決して教会にくる人に力を与えましょう。正しい言葉だといってみなするものではありません。力を与えましょう。パウロが確かに話しました。全てのものが良くて、全てのものが得になるのではありません。全てのものが正しいけれど、全てのものがみな益になるのではないのです。まず彼らに力を与えてこそ生かされます。この役割を誰がするのでしょうか? 70人達が回ってしなさいということです。信徒に力を与えて、霊的問題を持っている人に力を与えて直すようにさせて、失敗した人に力を与えて、勝つようにさせて、気落ちした人に力を与えて、勇気を得るようにさせて、そのようにしてあげなければなりません。70人メンバーが。私たちは、どんな団体でしょうか。団体を理解しようということです。私たちはただ福音だけゆえに生きることもでき、死ぬこともでき、する事もでき、なくすこともでき、ただ福音だけ宣べ伝えられるならば、私たちはそのために死ぬこともできます。この決断をした人々が70人です。止めることができません。
ヘブル11:38
旧約では、ヘブル11:38節です。パウロがその人々を引用しながら言うのに、世の中が勝つことができない人だと言いました。これは無理にするということではありません。いのちも恐れず、福音のために献身するので、世の中が勝つことができないのです。
それでパウロは、いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。皆様個人が力を得てくださることを望みます。私が今まで見た人の中に、牧師の説教をよく聞いて、またテープを持って帰ってずっと聞いて、またある人を見ると、核心テープをずっと聞いて、集会も聞く人がいます。牧師にも、そのような人がいて、役員にもそのような人がいました。私が長い間見ると、一名ももれなく、大成功をしました。みなそうです。ころが見ると、みことばに対して利益があるか何の効果もありません。神様のみことばは、そのようなことではありません。皆様が力を得なければなりません。力を得ることができなければ、いくつかの現象がきます。しきりに人は、肉体から疲れるようになります。霊的な力を得ることができなければ、主の働きをどのようにするのでしょうか? 肉体から疲れていて、眠たくて力もなくて、私が肉体的な力を得ることができなければ、教会の奉仕をするのにも大変です。肉体的な力を得ることができなければ、霊的な問題がき始めます。するとだめなのです。皆様が力を得てこそ、教会も生かされ、家庭も生かされ、皆様の現場も生かされるのです。こういう祝福が、あなたがたに本当にあるようになることをイエスの御名でお祈りします。
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