2009年6月3日  RUTC- RUTCの朝(礼拝) 講義:柳光洙牧師 (整理:チャ・ドンホ牧師)


RUTC運動の理由
(Iサムエル3:19)

1部:礼拝

序論 
・Iサムエル3:19を見れば、サムエルの言葉が一言も地に落ちなかったと書かれています。どうしてでしょうか。そして、すべての指導者がいる時は戦争があったのですが、サムエルがいる間には戦争がありませんでした。すごいでしょう。ダビデの時も戦争が多かったのです。ところで、サムエルが生きている間には戦争がありませんでした。これはものすごいことです。そして、サムエルの言葉は、一言も地に落ちなかったのです。サムエルを通してミツパ運動が起きて、サムエルを通してダビデが起きました。
・私たちが、今をRUTCを必ずすべき理由はたくさんありますが、一つがあります。このRUTC運動をしなければならない最も重要な理由です。この部分を全国、世界にいる私たちの家族や、また私たちのスタッフ、またRUTC運動する人々や、人々がみんな知らなければなりません。
・なぜ神様がサムエルの時、よりによって他の時はみな問題があったのですが、なぜよりによってサムエル時は、戦争もなくて一言もサムエルの言葉が地に落ちなかったのでしょうか。その基準が一つあります。今まで教会史を見れば、伝道運動がその時でみな終わったのです。その時にみな終わって崩れたがのですが、聖書で終わらない人がぴったり1人いました。それがサムエルです。聖書を見れば、教会史を見れば、すべての伝道運動がその当時で終わってしまったので、終わらなかった時がパウロとテモテの時です。250年間です。250年の後に、結局は教会は崩れました。ローマによって...福音化ができたと思ったのですが、それが皆さん考えでは本当にうまくいったことでないでしょうか。ローマが福音化されて、それが問題だったのです。政治的に福音化されました。コンスタンチンという皇帝が、政治的に仕方ないから国教に宣言したのです。それが問題だったのです。本来、福音はそのように宣べ伝えられるものではなくて、迫害を受けながら、弟子を探しながら行くことなのです。国教に定めたから、伝道する理由がなくなりました。伝道という概念も必要ありません。なぜでしょうか。皆、いかなければならないから。これが問題です。皆さんの考えでは、国教になって、祝日になれば良いように見えるでしょう。それは教会が崩れる理由となるのです。それがまさに代表的な例が中世教会です。
・私は心の中で、ある人を見る時、本当にうれしい時があります。その時がいつでしょうか。この人は福音運動を継続するだろう、このように感じられる時です。そして、一番力が抜ける時がいつでしょうか。この人が果たして福音運動ができるのか。このように感じる時です。そのように考えられないでしょうか。私が皆さんを見て一番気分が悪い時がいつでしょうか。この人が福音運動を継続するのだろうか。それです。そして、一番感謝な時がいつでしょうか。福音運動を継続するだろう、このように感じる時です。歴史を見れば、ジョン・ウェスレイが福音運動をしたのですが、ウェスレイ以後は終わりました。ウェスレイはメソジストという教団だけ残したまま終わりました。ウェスレイが作り出したのではなくて、その後に教権が作ったのです。維持しなければならないから...
・それでは、これからタラッパンは私が生きている間は伝道運動が起きるでしょうが、その後には福音なければ維持しなければならないから、何かを作らなければなりません。その時からは本格的なポジション争いと、その時からは本格的な経済争いと争いになるでしょう。虎視耽々準備して戦うようになるでしょう。それが今日、キリスト教会史の流れです。
・霊的な目が開いた人は、それをよく見ることができるのです。そのために、伝道運動を持続するために、最もポイントを置いたのがRUTCです。それに感づいた人は、多くのことを勝ち取るようになります。この話を知らなければ、する必要がありません。して何をするのでしょうか。伝道運動が持続できないならば、建物を立てて何をするのでしょうか。清掃するのが難しいでしょう。伝道運動しない場合には、文化を作って何をするのでしょうか。それが偶像になるでしょう。そうではないでしょうか。問題は、伝道運動になるか、ならないか、これが重要です。
・それで、皆さんの心の中に、すべてのポイントがみなするように見えるでしょうが、この伝道運動を持続できる人。長老がたくさんおられても、いくら賢くても、その方は伝道運動を持続できるキャラクターがあるんだな、そうすれば、それは尊いのです。そうでなければ、働き人に過ぎないのです。そのまま仕事をして行くのです。しかし、伝道運動を持続できる人は、皆さんが老いても働きが起きて、死ねばさらに働きが起きます。それが神様が願われることです。それで、私たちが神様が最も望んでおられるムナントを作り出さなければならないのですが、伝道トラクトを持って歩き回る子どもを作れということではありません。伝道運動になるしかない実力と背景と、その心の中の根と、これがみな含まれているのです。
・イエスを信じるということは、普通のことではなく、私たちは恵みで救われたのですが、最高の水準なのです。福音を理解したということは、ハーバード大学を100個入ったことより大きいことを理解したのです。人々がよく知らずにいて、とてもやさしいから。恵みで与えられたことなので...簡単に話せば、無料で得たから。私が自分の周囲に見れば、薬がいっぱいあります。それをどれでも飲みません。なぜでしょうか。無条件に飲んではだめで、医師の指示によって飲まなければなりません...特に飲まない理由があります。なぜでしょうか。無料で得たので...ところで、私が用意して飲むものがあります。私がお金を払って買ったものです。あれ良いな、それで私が秘書に指示したり、私が直接、買ったり、そうしたものは飲みます。ところで、無料でもらったものは、そのまま良いかもしれない。包装がよくされていても、あまり飲まずにどんどん積まれていて、結局は、使えなくなったり、ある時は、そのまま数年あって捨てて、良いのにもかかわらず、そうなるのです。そうするうちに見たら、福音が無料でした...無料という話は、価値がないということではないのですが、とても価値があるから、私たちが買えないから、神様がそのまま与えてくださったのです。ですから、この福音を持続していかなければなりません。
・一度、中央アジアに行ったのですが、ものすごく大きな偶像神殿がありました。ものすごいものを作ってあるから、その町の国家文化を左右してしまうのです。ですから、宣教師が、行く時に私にこういう話をしました。あれが何かの教会信徒に、ものすごいということです。あれが多分うわさなのに、大統領が支持するからだと...その人が政治的に手助けするようでした。ところで、ただ見ても代表的に見えるほど、よく作ってありました。それで私が何と答えたでしょうか。どうか福音伝道しない教会堂や私のようなものだ。そう言ったら、この宣教師がそうだなこういう目で見るのではなく、やはりこの人は異常だ、こういう目で見つめました。その程度ならば、大会にならないのです。その程度ならば、その人物では、タラッパンもしないでしょうが、福音運動を持続することができません。その骨身にしみた話をわからなければなりません。教会を作っておいても福音がなければそれは偶像です。それを作って何をするのでしょうか。
・私たちがRUTCという神様の前に今神様の祝福をどれくらいできるかという、この起点です。そうではないでしょうか。伝道運動を持続できるメンバー、伝道運動を持続できる精神、伝道運動を持続する心、こういうものがみな敷かれてこそ、神様が正しく働かれるのです。それが重要です。
・人間主義(不信仰 )
それで、第一に伝道運動ができなくなる基本が人本主義です。私たちのレムナントとタラッパンは、人間主義を使わないということです。人間主義とは何でしょうか。このように尋ねれば、いろいろなことがみな敷かれているから、人間主義が何かと尋ねれば、説明するのが大変です。ある人は、人間主義を全く使わないように使って、ある人はとてもはっきりと使って、ある人はとても水準低く使って、ある人は使っておいても知らずにいて、このようだから、これは説明がそんなに簡単ではありません。しかし、根は不信仰です。・簡単に経験できるのが、釜山(プサン)で私が伝道運動をそのままいいかげんにしたのではありません。本当に私のいのちをかけて伝道運動を始めたら、実がちょっと出るでしょう。実が出るから、教会は集まって、教会に集まるから、そばの教会が少し教会の信徒が聞いて恵みを受ける人ができたり、このようになるから、そばの教会が全く私をよく分かりながら中傷謀略して、嘘を作ったのですが、それが今日まで来ています。ところで、神様の計画があると見て、それが人間主義です。神様が人間主義も活用されるのです。全くないと思いながらこのようにしたのです。他の人はうわさを聞くから、そのように信じれば良くて、この人は分かるでしょう。今、自分たちどうしで笑っているでしょう。自分たちは勝利したと見て、このように今、しているのです。人間主義は、そんなことです。それで、タラッパン運動を始めたところ、多くの人々は知らないし、近くにいる人々を全部見ると、仲間同士...なぜでしょうか自分とよく通じれば正しくて、通じなければそれは違って、このような形で。それで、私がこれを崩すのに、とても時間たくさんかかりました。多くの人々が、仲間同士、それではこの頭が開かれないのです。私たちが福音運動を持続するためにすべきなのに、これが壊れません。そのように見れば、どんどん問題もきて、そういうものが人間主義です。人間主義は間違ったことではありません。頭を使うのが人間主義ではありません。頭は使えといってあるのであって、それが人間主義ではありません。ですから、こういう部分に多くの問題がくるようになるのです。

1.レムナント7人-人間主義を越えました。
-それで、レムナント7人は、人間主義を越えたのですが、レムナント7人の特徴は何でしょうか。人間主義を使いませんでした。簡単に話せば、大きいうつわでした。人間主義を使わなかったということは、何を持って証明できるでしょうか。
(1)手段
(2)実力
いくらでも手段を働かせることができて、いくらでも実力を現わすことができたのにもかかわらず、みなそのまま通り過ぎました。最もやさしい例で二人をあげれば、ヨセフです。ヨセフが本当に監獄に行く時は、行かない理由があるので、話してもかまわなかったのです。自分は本当に違う。自分は一度もその女の誘惑を受けたこともなくて、常にそうだったがやられた。ところで、ヨセフはどれだけ優れた人物でしょうか。それをそのまま通り過ぎたのです。これが普通の人物ではありません。もう一人の人物を見ようとするなら、ダビデです。ダビデはサウルを殺す機会が3度もありました。そして、その他にもダビデは本来戦争に上手な人です。今の言葉で話せば、ダビデはけんか屋です。ダビデがサウルを殺すのは簡単です。そして、サウルが悪霊につかれたために殺す根拠もあります。悪霊につかれて、おかしなことだけ選んでするから、殺す理由があるのに、ダビデは殺しませんでした。ダビデはサウルを保護しました。これを見れば、レムナント7人の特徴は何でしょうか。全くこういう部分を使いませんでした。
(3)計算
(4)人脈
簡単に話せば、計算、人脈、こういうものを問い詰めず、ただ神様の福音によって行ったのです。こうするから、大きいみわざが起きるしかありません。

2.レムナント7人-神本主義(神様の前で)
レムナント7人の特徴が何かでしょうか。神様の前でです。他の見方をすれば、神様の前に立てという言葉は、まぬけな話です。しかし、何段階先を行く人には正しい言葉です。そして実力がない人には、苦しい話で聞こえることがありますが、実力がある人には最も良い単語です。そして、小さい小さいうつわには、理解できない言葉ですが、大きいうつわは、分かる言葉です。
(1)創世記39:2、ヨセフ
それで創世記39:2を見れば、主がヨセフとともにおれたので。それは、神様がいつも共におられなかったのでしょうか。いつもおられたのですが、人々が知らずにいるのです。ヨセフはそれを分かったのです。
(2)出3:18-20、モーセ
そして聖書を見れば、どんな場合も答えが来なかったのですが、出3:18-20以後に、モーセには働きが起きました。モーセがはじめて神様の前に立つ、そのような時刻表でした。その時から、モーセは事実は、自分がとても弱いから言い訳したのですが、それ以後には、言い訳したことがなくて、それ以後には、すばらしい働きが起きました。レムナント7人の特徴が、全部、神本主義、神様の前に立っていました。これがとても重要です。
(3)Iサムエル3:1-2、サムエル
幼い時から、すでにIサムエル3:1-2を読んでみれば、何となっていますか。エリが目はかすんできて、見えなくなっていた。主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。この時にサムエルは契約の箱のそばで寝ていたとなっています。これが、とても意味ある言葉です。エリは目がかすんでいて、その次にみことばや幻はまれにしかなく、その時、サムエルは契約の箱のそばにいたのです。これはとても重要な話になります。
(4)詩篇23:1、ダビデ
そしていつも言う言葉の中で、一番ダビデが多く使った言葉はなんでしょうか。そして、最も重要な話をいつ使ったでしょうか。いつもダビデはこういう意味の話を多く使いました。主は私の羊飼いです。主は私のとりで、主は私の盾、主は私の城、主は私の避けどころ、主は私の王です。ダビデが一番多く使った言葉です。それは、私たちのように話せば、特別な言葉ではないのですが、本当に死を通過した人がした話だからこの話は普通の話ではありません。そうでしょう。私たちが代表祈りをする時に使う言葉ではありません。ダビデの詩は、全部、作品を作ったのではありません。死を越えながら、神様の前にした祈りであり、告白です。ですから、生きているメッセージです。こういう人々は全部、神様の前で...皆さんが本当に仕事に成功して、聖霊の導きを受けようとするなら、私たちがいつも神様の前に立つのです。そうすれば、とても導かれます。私たちが行うことができなくても、神様は私たちをご存知だから。弱いこともご存知で、皆、知っておられるから...
(5)I列王19:18-20、エリヤ、エリシャ
それで皆さんおわかりの通り、最高の預言者はエリヤだと私は見ていません。最高の預言者はエリシャです。エリシャが何をしたかというと、私はI列王19:18-20を見れば、エリシャがエリヤに付いていく時です。私はこの時を見ながら、簡単に話せば、指名手配された人について行ったのです。今で話すなら、国家法によって囚人として捕えられれば死ぬ、こういう法的宣告された指名手配者です。そこに弟子としてついて出たことのです。エリシャは。それも聖書を見れば、牛を引く農機具を燃やしたとなっています。農機具を中古で売らずに燃やしました。そのまま置いておかずに燃やしたのです。なぜ燃やしたのでしょうか。カムバックできる条件を完全になくしたのです。完全に、ついて出たのです。一つの覚悟です。ですから、こういう人物が世界を動かしたのです。
(6)捕虜、イザヤ
そうするうちに皆さんおわかりの通り、こういう人物が一名も出て来なかった時代があるのですが、それが捕虜時代です。捕虜になってしまったのです。レムナントがたったの1人も出てこない時代です。だから死ぬのです。預言者が出てきても効果がなくて、話しても効果がありません。イザヤが話したのですが、イザヤをのこぎりで殺したのです。マナセ王が。エレミヤが話したのですが、エレミヤをつかまえて閉じ込めてしまいました。効果がありません。いくらしても仕方がなかったのです。レムナントが出てこないから。ですから、エレミヤ書に見れば答えが出ています。幼い子どもが乳をのまなければならないのに、乳を与える者がいない。それでそうなったのです。それで、この時、完全にほろびたのでしょうか。幸いに、みことばはほろびないから、イザヤのみことばがそのまま成就しました。。
(7)パウロ
その次に、皆さんおわかりの通り、ぴったり神様の前に立った人物が1、2人出てきたのですが、パウロをはじめとする何人かが現れました。それだから、世界は動かれるほかはないのです。このように大きいみわざが起きました。

3.レムナント7人-生かすこと
・レムナント7人は人間主義を全く使わなかったかというと、そうではなく、レムナント7人が人間主義を使う時がありました。いつ使ったのでしょうか。生かすことには人間主義を使いました。皆さんは普通、殺すことに使うでしょう。皆さんはおもに人間主義をどこで使うのでしょうか。他の人を害する時に使うでしょう。人間主義をおもに何に使うのでしょうか。仕事をする時、私の中心でしようと使うでしょう。おもに人間主義をいつ使うのでしょうか。他の人を難しくさせる時、使うでしょう。
・ところが、レムナント7人は人間主義を使うことは使ったのですが、生かす時に使いました。人間主義を最高にあきれるように使った人が誰でしょうか。ヨセフです。兄と家族を生かそうと。来た人々が自分の兄だということを心の底から確認しました。それでは、お父さんがどうなったのだろうか。いろいろなことが気になります。それで人間主義を使ったのですが、極度の人間主義を使いました。米袋に銀盞を入れて汚名着せたのです。そのような人間主義は、誰でもが使うのではありません。それはとても政治的に優れた人だけ使うのです。このようにして、完全に泥棒にしておいて、自分の弟のベニヤミンをつかんだのです。これを盗んで行けば良いのか。米を買っていくことだけでも有難いことと知らずにこれで良いのか。こうするからこの、兄たちがあきれたのです。私たちではない。嘘をつくな、それでは、なぜ米袋から銀盞が出てくるかということです。それで、ベニヤミンは自分の弟であるから、こいつは置いておいて確認するようにお父さんとみな連れてきてみなさい。こうするから話すのに見ると、お父さんが生きていると感づいたのです。こういうことでは、後ほどヨセフが皆さんおわかりの通り、今は答えがみな出たから、お父さんが生きていて、兄たちに話したでしょう。聖書を見ると、ヨセフが号泣したとなっています。ですから、生かす人間主義を使ったのです。
・皆さんが人を生かそうと、益になるようにしようとする人間主義は使っても大丈夫です。そして、人間主義を使って世界を変化させた人もいて、遊女ラハブです。そのような人間主義を使ってもよいのでしょうか。聖書に嘘をついてはならないと言われているのに。ところが、人間主義を使って教会史を変えました。皆さんがおわかりの通りダビデがアブシャロムをつかまえに行く時、ヨアブがアブシャロムを生かすために、人間主義を使ったでしょう。きて嘘で簡単に話せば、アブシャロムを許してくださいと。そのようにできる。
・人間主義を最もよく使った人が誰かというと、パウロです。パウロはどれほど人間主義をよく使ったでしょうか。わざわざ法廷に立ち向かったから。わざわざ...パウロはローマ法廷まで行かなくてもよかったのです。そうではないでしょうか。フェトス総督が話しました。あなたは今、何の罪もない。今でも認めれば、家に帰れるのです。いいえ。私は皇帝に上告する。理解ができないことです。フェトスが。あなたは何の誤りもないのに、そのまま家に帰りなさい。行かないのです。私は皇帝に上告する。ローマがイスラエルを属国にしていたのですが、それをぴったり利用したのです。極度の時代的人間主義を使ったのです。なぜでしょうか。カイザルの前に立つために。カイザルの前に立って、この福音が違ったことではないということを説明するために。そして、カイザル皇帝の前に立って、自分が信仰告白をするために。ものすごいのです。私が見る時、地球上に最大の人間主義を使ったのが誰でしょうか。パウロです。生かすために。それで、監獄に行かなくてもよかったのに、事実はピリピでも監獄に行かなくてもかまわなかったのです。ローマ市民権を出せば、行かなくてもかまわないのに、わざわざ入りました。他の見方をすれば、不思議な人物です。パウロはとても優れた人物です。
・皆さんがとても過去の体質で人間主義を使っているのですが、このように使ってください。体質を一度に変えるのは難しいのです。他人の話も度々する人は、習慣になって度々出てきます。ですから、頭をむしりとりながら良い話だけ度々して。人間主義で人を生かすようにしなさい。口を片づけながら、そのようにしなさい。それでこそ生かされます。体質は仕方ないということなので...人がこれが長くなってしまえば、なぜほろびるのかというと、必ず何か変にしかできないのです。必ず見れば、他人の話も変にして、こういう話を聞いて伝えるのも、変にしてこそ、ひとまず消化できる、こういう体質があります。それはもう、体質です。こういう体質が多いのです。それを一番上手な人がどこでしょうか。パリサイ人です。パリサイ人は、いつも他人の話で誰が間違って、何が違って、こうした話だけ継続してほろびたのです。それで、皆さんが記憶しなければなりませ。

4.結論-福音運動持続
(1)弟子運動
それで私たちはRUTCで、最も私がすること直接重要な弟子を私がすべきことは何でしょうか。
1)伝道を本当に
伝道が何かこれを直接説明するのです。それで自分の目には今、何も見えなくて、レムナントがきた時、3つができる働き人。
2)祈り
実際に祈りが何かを説明できる人。祈りは霊的なこともあって、祈りは感情的なこともあるのですが、祈りは事実的なこともあります。それを言ってあげなければなりません。
3)唯一性
そしてすべきことが唯一性です。伝道、祈りを知らなければ唯一性になる必要もありません。これを今、育てるのです。これを最終目標にしています。唯一性にはすべてのことが入っています。成功も入っています。
(2)伝道神学
そして、今、私たち多くの上がってくる後輩の教役者を通して、伝道神学を確立しようとするのです。
(3)伝道文化
そして、最終的に私たちのレムナントの実力を開発して、伝道文化を開発するのです。
・これがRUTCです。皆さんが、ここに心をささげるだけではいけません。中心をささげなければなりません。心を差し上げてはだめなのに、神様がダビデの心をご覧になったということは、中心を見たということです。ここに私たちの単純な祈りをしてはいけません。いや祈れば良いと言うのに。その話ではありません。私の人生をささげる祈りです。ここに皆さんが多くの答えを受けた、こういう祝福が、こういう祈りが集まる、その日にみわざが起き始めます。そのようなすべての答えはみなくるようになっています。これがRUTCです。
・私は確信しているのは、RUTCに正しく献身したら、教会経済、健康、家庭、全てのことは神様が責任を負われます。私はそのように確信しています。もしそのようでなくてもすべきなのですが、当然そうなるようになっています。
・全国、世界の多くの私たちの家族が、もう一度、祈り始めるべきです。RUTCをどのようにするのでしょうか。これは皆さんは、単にしているのか分かりませんが、私はある時は震えます。なぜでしょうか。神様が願わないことを私が作ればどうするのでしょう。私はある時は恐ろしいのです。神様が嫌いなことを私がすればどうするのでしょう。ある時は、さらに多くの祈りを集中する時があります。ですから、皆さんと私とは少しまた違うのです。私はこの運動が本当に福音運動で持続していく、ここにすべてのポイントを合わせなければならない、このように切実に思う者です。そのようなことなので、もし会社の中で仕事をする時、会社を退職する人は、そのような考えがないでしょう。そうでしょう。退職するのに、何で。ある人は情報を盗んでいく人もいます。退職するのだから。しかし、その会社で長く仕事をする人はそうではありません。どうすれば、この会社がよくなるかと思うでしょう。食堂に行ってみましたか。とても忙しい時、人がたくさんくる時、あのソウル駅のそばを見れば豚肉を売る店があります。行ってみてください。知らなければ金ヨンギに尋ねてください。私が金ヨンギが行こうといって行ったのですが、ものすごく人が多かったのです。私はそのように人が多いのを初めて見ました。味もまずいのに、どうしてそんなに人が多いのでしょうか。ひとまず、なぜそんなに多いのでしょうか。私たちの韓国の人の水準であって、安いのです。安くてはやく出てきます。ですから、それが韓国の人の水準なのですが、私は二度と行かないと思います。まずいのです。ところで、とても人が多いのです。それがまたソウル水準なので、とても人が多いのです。その時、私が見たのです。その時とても大きくて人が多いから、あちこちに見れば、あちこちから注文するでしょう。それでは、それを早く持って行くのです。その時、動く人の目を見てください。そこで従業員と主人は違います。ぴったり目が違います。人々が行き過ぎた要求もするでしょう。それで、私は食堂に行って、足りないものをくれと言いません。なぜでしょうか。どれくらい大変だろうと思って...私がまたそのように必ずたくさん食べて何をするのでしょうか。ある人は、そうではありません。いっぱいくれと言います。いらいらします。ある人は、とても悪口を言って、そのようにしています。このような時も、その目を見てください。従業員と主人と違います。従業員は、とてもがんばるが大変だという感じです。本当にやってられなくて、こういう目です。しかし、主人の目は違います。この時だと思ってがんばるのです。同じように動いていても違います。
・私たちがこの福音運動をするのも同じです。本当にいのちを持った人、いのちの運動する人は違います。それでは、皆さんが今、ある面ではRUTCを置いて祈りなさいという言葉も、正しい言葉ではありません。しないから言うことです。初代教会は伝道訓練がありませんでした。なぜでしょうか。みなするのに何で。訓練をなぜさせるのでしょうか。しないからさせるのです。そうではないでしょうか。みなさんが、伝道をみなすれば、タラッパンは廃止してもかまいません。だから何のためにRUTCを私たちが話すのでしょうか。RUTC放送、こんなものは話さなくても、すでに聖霊の導きを受ける人は、ぴんとこなければならないのに、話してもぴんとこないのです。そうではないでしょうか。これが今、ものすごい文化の戦いだな、これは言葉で言わなくても、すでに少しだけ知覚がある人は、すぐに分かります。そして、タラッパンでRUTCを今、準備するという、これを本当に祈る人ならば、すぐぴんとくるのです。
・それでここに座っている皆さんは、さらに重要で、私たちの仕事をするスタッフがさらに重要で、皆さん職員は仕事をするのではなくて、皆さんは生涯、最も重要な祝福の席に座ったと思えば良いのです。それで、この祝福を子孫代々受けるようになることを、イエスの御名で祈ります。祈ります。
(祈り)
万王の王である主イエス・キリストの恵みと、私たちの神様の愛と、聖霊の働きとが、一時代に最も祝福の招きを受けたすべての家族の上に、今からのちとこしえまでいつも共にありますように。アーメン.