2001年 11月 一般信者地域教会11月



福音手紙 9課- 10課

 
 
第9課: 祈りは霊的な科学です (ルカ11:5-13, ルカ18:1-8)
→序論:
▲私たちが受けた重要な祝福を知らなければ、それよりくやしい事はないでしょう。
 外国から執事一人が、福音がない世の中で生きていてどれくらい困難にあったのか、このメッセージに接した後、韓国にきて数ヶ月間、どれくらい熱心にメッセージを聞いて、付いてまわったのか、病気になって病院に行ったりしたのですが、その人が昨日話すのには、みことばを聞くように神様が恵みをくださって、あまりにも感謝すると話しながら、宣教献金まで出して行かれました。
 それを見ながら、信徒達や、重要なメンバーがあまりにも祝福を本当に知らずにいるんだなぁ。イエスがキリストというこの福音運動が、多くの国々の中で韓国で、多くの教団の中でタラッパンで起きているのです。
 私達は、感謝が何か? 祝福がなにか?を知っていてこそ受けるのです。イエス様も、豚や犬に真珠や宝石を与えるな、と言われました。私達が知ることができなければ、神様がくださることもできなくて、その必要もないでしょう。
▲スペインで、イエスがキリストという事実を聞いて、福音を知って、今回も訓練を受けようと来た方達がいますが、通訳するために来た姉妹が来るときに、タラッパンが異端という話を聞いて悩んで心配しながら来たそうなので、私がその姉妹に会って話をしたのですが、異端ではないのですか?と言うので、違うと言いました。よく見てください。福音をよく知らずに福音を伝えないのが異端だと言ってあげました。そのスペインの方達が、みな置いてメッセージを聞こうと、福音についてのメッセージを聞こうといらっしゃったのです。
▲私たちが教会にきて、礼拝をささげる時ごとに、韓国でこういう重要な伝道運動がおきているという事実は、寝ている途中で考えても気分が良くなって、感謝すべきなのです。
そうでないならば、資料にすぎないのですから、どのように祝福になるでしょうか? 聖日に教会に行っても、説教にすぎないのならば、どのように神様の祝福になるでしょうか?
今は、簡単な時代ではありません。今、韓国教会の中の半分以上が、神学校でイエスの外にも救いはあると出てきたし、神学校の中の半分以上が、聖書が神様のみことばでないが、聖書の中には神様のみことばが入っているとして、私達が見る時、とても正しいと思う教団でも、イエスがキリストという事実を強調しなくて、全体的に適当に恩恵深く話すのです。イエスがキリストという事実を学生達の胸に根を下ろしてあげるべきなのに、強調をすべきだと言いません。絶対に錯覚ではありません。
▲どんな時代に、どんな理由で私たちが召されたのかという理由を知っていなければなりません。本当にキリストを知って根をおろす瞬間から答えがきて、キリストを知ることで、実際にあらゆる問題は解決して、解決し始めるのです。
▲いままでの地域教会の講義が序論、本論ならば、今日の講義は福音の手紙の結論です。
聖書はルカの福音書11章 5-13節です。確かに祈りは完全に答えられます。
ルカ福音 18章 1-8節です。祈っている途中で気落ちしてはならないのです。
この祈りはあまりに重要なために、そのまま応答になることなので、祈りをよく教えてあげなければなりません。祈りを絶対にしないならば、神様と絶対に時刻表が合いません。それも答えです。皆様が否定的な考えをしていれば、その否定的なことに引っかかるようになります。
皆様が祈りがだめならば、ほとんど多くのことがだめなのです。偶像崇拝する者が、祈りの答えを受けます。それはまさに悪霊が与えることです。各種の宗教生活をする人が答えを受けます。それがサタンの働きです。
祈りは答えられます。したがって、祈りは結論です。
祈りは霊的な科学です。そのまま答えられるのです。神様のみことばを聞いて良いと考えるならば、そのまま答えられます。神様のみことばを聞いて恵みを受けるならば、そのまま答えられます。祈りがだめであったり、祈りを変にするとか、祈りを神秘主義的にするとか、福音的でなくすれば、そのまま答えがくるようになります。祈りはそのまま答えがくるのです。祈りの体験が全くないならば、重要な秘密の体験がないということです。祈りは完全に科学です。
▲新しい家族、新しい信者にまず教えなければならない3つがあります。
 
(1)あらゆる宗教は、あらゆる人は‘自分' 中心です。しかし、福音はそのようなことではありません。みな終わったゆえに、神様のみこころがなにか?ということです。根本的に考えを変えてあげなければなりません。私がどのように解脱するか? 恵みを受けるか? 祝福を受けるか?という幼稚なことではないのです。そのようなことは宗教です。福音はみな終わったのです。それで私達が祈るのは、神様のみこころが何か?です。これがまさに主の祈りの核です。これを新しい信者に必ず教えてあげなければなりません。私がどのようにせねばならないか? 自分の問題をどのようにせねばならないか? 私がどのように答えを受けるか?... 私が... 私が... ということは宗教です。福音はそうではありません。私たちの問題は、実際にはみな終わったのです。キリストが十字架で皆様の未来までみな解決なさいました。それで、自分の問題、霊的問題に縛られていずに、神様のみこころが何か?を発見しなければならないのです。何かを受けようと山に行って祈ることは違っているのです。何かの祝福を受けようとすることは、違っているのです。福音はそのようなことではありません。既にあらゆる祝福がみなきています。天と地の祝福がみなきているのです。神様の計画だけ発見して、目だけ開かれれば、みな味わうようになります。それで祈るのです。必ず教えてあげなければなりません。
 
(2)すると、神様のみことばを知っていてこそ、神様のみこころが分かるのではないでしょうか? これをおおまかに伝達してあげなければなりません。
 1)創世記- 創世記3章, 6章, 11章, 12章にあるサタンと偶像によって滅ぼされた人に、神様が創世記3:15で救いの門を開けてくださいました。
 この契約を成就させる人が、アブラハム, イサク, ヤコブ, ヨセフです。アブラハムは、この契約を成就させるために、カルデヤのウルを離れて、これを味わった人がイサクで、世界の福音化を準備した人がヤコブで、世界の福音化を成就させた人はヨセフです。これが創世記です。話してあげなければなりません。信仰生活している途中で、創世記を読んでいる途中で、創世記は神様のみことばではないというサタンの話しを聞いてはならないのです。あなたのあらゆる問題は、創世記で捜し出せばよいのです。そして、正しいか、正しくないのか、そのメッセージを与えてみればみわざが起きます。サタンにだまされて、罪ゆえに創世記3章、神様に会えなくてネフィリム、偶像に陥った創世記6章のノア時代、神様なく成功しようとしたバベルの塔時代の創世記11章、神様がなく成功した強大国カルデヤ、バビロンは結局は崩れました。創世記12章です。
 2)出エジプト記- 福音を知らなくて強大国になったエジプトは崩れました。ところが、福音を知らなくて、イスラエル人が将来滅びる国の奴隷になったのです。ここからイスラエル民族を引き出すことが出エジプト記です。出エジプト3:18。聖書を正しく理解してこそ祈りになるのです。
 3)レビ記、民数記、申命記- イスラエル民族は、救われたので、礼拝を正しくささげるべきです。それがレビ記、民数記、申命記です。
 4)ヨシュア、士師記、ルツ記- それからは、イスラエル民族がメシヤが送られる地へ行くことです。イスラエルの国の国家宗教ではありません。イエス様がイスラエルへいらっしゃっただけです。それで、イスラエルの民をカナンの地に行きなさいと言われたのではなく、メシヤがいらっしゃる地へ行きなさいと言われたのです。今ほとんどの人が、キリスト教がユダヤで、米国で花を咲かせた西洋の宗教だと思っています。大きい錯覚です。イスラエルの人々も、選民だと錯覚しました。メシヤが送られる地へ行けと言われたのでした。これがヨシュア、士師記、ルツ記です。簡単に理解しなければなりません。ヨシュア、士師記、ルツ記がカナンの地に定着することなのです。
 5)歴史書、預言書- この時から王が起こされ、預言者が起こされ、祭司長が起こされたのですが、イスラエルは捕虜になって行きました。イスラエルを捕虜として連れていったバビロン、アッシリヤは結局滅びました。それで、神様が王、預言者、祭司長ではだめだから、これを完全に解決するキリストを送ることになさったということが、旧約聖書の預言です。それが歴史書です。王を中心として列王記上下、年代を中心に歴代上下でなっています。準備過程では、サムエル上下が含まれます。こういうことを知らないで聖書を 100回読破することは、神様が 嫌われることです。王、預言者、祭司長ではだめでした。この三つの仕事をみな出来る方が必要だったのです。それでその名前をメシヤ、ギリシャ語でキリストといったのですが、キリストが来られたのです。聖書を確かに理解しなければなりません。
 6)福音書- キリストがいよいよいらっしゃったという事実を話しだけでなく証拠を出しているのが、福音書です。旧約で預言されたことが、すべて成就にされた証拠を出しました。マタイの福音書はユダヤ人に、マルコの福音書はローマ人に、ルカの福音書はテオピロに... 方法は違います。それでも内容は同じです。
 7)使徒の働き、書簡- 本当にイエス・キリストがキリストであることが間違いないのか? 証拠があるべきではないか? それが使徒の働きであり、残りの書簡です。パウロの14巻の手紙、ペテロの手紙、ヨハネの手紙です。
 8)ヨハネの黙示録- 最後の時に起きることを正確に預言したのが、ヨハネの黙示録です。メッセージを預言者が受けることも確かに受け取ったのですが、編集も良くされています。完全に神様がともに働かれたのです。
 ▲ここで重要な骨子が数種類あります。
 1)マタイ16:16 "主は生ける神の御子キリストです"で聖書 66巻の結論を出した人は、絶対に滅びません。
 2)Iコリント2:12に見れば、私たちに恵みで与えられたものを知るようにされたのです。救われた者の祝福 7種類です。
 3)エペソ2:1-3に見れば、未信者がなぜ滅びるのか? 罪と罪過で死んだ状態から、悪魔のお手伝いを状態で、生まれながら御怒りを受けるべき子供です。それで未信者状態 6種類です。
 4)使徒1:8に世界の征服をしなさいと言われたのですが、どのようにすべきか? 生活と伝道とあらゆる政治、行政がみな含まれた五つの基礎。タラッパンでいままで出てきたのです。これが人がしたものと考えるのでしょうか? 誰かが作り出した作品だと考えるのでしょうか? 皆様が福音を知って、タラッパンで本当に感激が出てこなければ、タラッパンをしないでください。ここは商売する所ではありません。皆様が正しく知っていてこそ、祝福を受けるのです。
 ここで訓練五つが出てきて、学校五つが出てきて、五つの目標が出てくるのです。驚くべきことです。聖書そのままマルコのタラッパンから始まってローマまで... 知っていなければなりません。
 5)この秘密を知って祈り始めることです。ここでとても重要なことは、絶対にガラテヤ2:20を覚えることができなければ、祈りの答えを受けることができません。‘私'ではないのです。自分の問題は既に終わりました。終わった私を何故しばしば捕まえて、なぜそのようなのでしょうか? 既に終わったという事実を知ることが祈りであり、それを味わうことが祈りで、それを言うことが証拠です。
 ▲こういうものすごいメッセージを新しい信者が悟る時は、相当なのです。その時から答えを受けるのです。
 福音は毎日感激にならなければなりません。皆様、この福音に対して本当に心に感激がないならば、本当に悪い人であり、IQはとても低い人です。私は福音を知った後に、不平不満がなくなりました。神様が知っておられるはずなのに... 心配なこともありません。心配ならば、それが祈りの課題なのに...一日だけ祈っても答えられるはずなのに...
 
(3)ところが、残ったことがひとつあるのです。それがまさに霊的な存在で、霊的な事実です。
▲天国に行けば、祈る必要も、理由もありません。この地にいる間に、これゆえに祈るのです。もちろん、神様のみこころを探すことが最初で、神様に栄光を帰すのが最初で、神様と交わることが最初です。しかし、本当に祈るためには、こういう途方もない背景を持っているということを知っていなければならなくて、霊的な事実を知っていなければならないのです。イエス様も、最後の訓練で祈りを教えられました。試みに陥らずに、目を覚まして祈っていなさいとおっしゃったのです。今、世界の教会が凄じい状態です。私は韓国で異端ではありません。21世紀の異端です。何故でしょうか?全く違うことを話すから... イエスがキリストだとどんどん強調するから... 10人が盗むのに一名がしなければ、それが異端です。本当に驚くべきことです。もちろん、それまでも神様の計画があります。確かに記憶しなければなりません。サタンは生きています。サタンの権勢が縛られたのであって、存在が縛られたのではありません。しきりに聖書を違うようにして、サタンの肩入れをしてあげようと、サタンに助けを与えようとするのです。今はサタンが縛られたとしながら、サタンを縛ることも、サタンの話をすれば異端と言いながら... すると、聖書を詳細に見て下さい。エペソ6章、エペソ4章、ヤコブ4章、Iペテロ5章、ヨハネの黙示録はイエス様が昇天なさった以後の事件ですが、それは何でしょうか? 正確に話せば、権威が縛られたのです。イエスを信じる私達を滅ぼす権威がなくなってしまったのです。しかし、未信者には父です。私達に対して地獄の権威はなくなったのですが、地獄はあります。地獄が未信者に影響を及ぼしているのです。罪の権威がなくなったので、未信者には罪が王の役をしています。教会が度々できれば、信じないようにさせようとしています。私がせつなくて話すから、韓国教会が非難するのです。サタンの肩を持っても良いのでしょうか? イエス・キリストをどんどん弱化させて、サタンの助けになるようにしばしばするのですが、それがどうして非難でしょうか? 目を覚まさせなければならないのです。
▲こういう重要な心が新しい家族に伝えられなければなりません。これが九番目の出逢いです。それで、こういうことを知って祈ることを始めるのです。
 
 祈りは完全に科学です。精神科学もあって、霊的な科学もあります。祈りぐらい科学的なものはありません。この話をすれば、知識人は早く理解します。皆様が祈らないならば、まちがいなく損をします。祈ればまちがいなく益になります。祈りは正確に答えを受けるのです。ある時は、考えだけしても祈りです。答えがくるようになっているのです。
 ある人は否定的で、良くない話だけして、他人の話だけして...すると、その人はそのような人生を終えます。それが答えです。
 
▲すると何を話してあげるのでしょうか? 未信者が祈れば何故答えを受けるのか?を話してあげなければなりません。
   
▲神様は全能なので、私たちの祈りをお聞きになって答えられます。罪人が神様に要求出来ないので、罪がないイエス様の御名でお祈りすれば、私たちの祈りに答えてくださるのです(ヨハネ16:24)
 
1.未信者が祈れば何故答えがあるのでしょうか?
(1)あらゆる宗教は、みんな祈祷文や祈りの行為をします。
  1)はなはだしきは獣にお辞儀して祈るのに、何故答えが来るのでしょうか?
  2)石や木に手をついて礼をして、祈っても何故答えが来るのでしょうか?
  3)紙, 絵, 写真を置いて祈るのに何故答られるのでしょうか?
  4)箱, 手で作った器具(偶像), 神をまつった棚に祈るのに答えが現れる理由は何でしょうか?
  5)他の特殊な宗教団体の指導者に、力がある理由は何でしょうか?
 ▲それは、Iコリント10:20にあるように、悪霊の働きで、マタイ24:11に最後の時になれば力を見せながら惑わします。詐欺師もなにか良いことをだして詐欺を働くのです。だまされてはだめです。これが全部サタンの働きです。
(2)未信者は、祈れば無条件に答えを受けます。良いことでも、悪いことでも、まず目的だけ達成しますが、そのうちに失敗します。祈りはどんな祈りでも、答えられるようになっています。ところが、悪霊に答えられるので失敗するようになっているのです。
(3)神様の子供が祈れば、神様は3つの方式で答えられます。
  1)祈った通り、直ちに答えられる場合が最も多いのです。ところが、これだけが答えではありません。
  2)損害になったり、不必要なことは、答えられません。答えが無いこと、それが答えです。悪霊は何でも与えます。それで滅びるのです。悪霊は、たたけばそのまま働きます。神様は私達がどんなに祈っても、私たちに必要ないこと、損害になることは答えてくださいません。
  3)より良いこと(別の物)で答えられます。それは、神様がご自分の民を祝福なさろうとするためです。こういう場合が多いのです。
▲生きておられる神様は、箱や写真の中に、削った石の中に入っている方ではありません。万物を統治しながら、私たちと共にされる方です。
2.神様が与えられる答えを受ける者の資格があります。
(1)神様の子供だけが答えを受けることができます(ヨハネ1:12)- 神様の子供は、何の理由もなく、神様の子供であるゆえに祈りの答えを受ける資格があるのです。今日の本文にも "まして、あなたがたの父が..."と言われました。
(2)イエス様の名前で祈ればよいのです(ヨハネ16:24)- 羊や牛を捕まえて血を流す理由がありません。イエス・キリストの名前で祈ればよいのです。
(3)自分自身の罪を悔い改めることによって、答えを受けることができます(詩66:18, Iヨハネ1:9)- 皆様は神様の子供であるゆえに、間違ったことを知って祈りさえすれば赦してくださいます。皆様の子供が間違いをしたのに、子供がきて泣きながら手を握って許しを乞うならば、殴る父母がいるでしょうか? 神様が私たちの原罪と罪過を赦してくださったのです。
(4)信仰で祈る者に答えられます(ルカ11:5-12)- 信仰の祈りです。
(5)終わりまで忍耐して祈る者に答えられます(ルカ18:1-8)- 終わりまで気落ちしないでと言われました。終わりまで祈りましょう。
(6)聖霊が考え、心、知恵をくださるので、答えを受けることができます(ピリピ4:6-7)- 心配がまさに祈りの課題です。その中で最も大きい答えが "あなたがたの心と思いを守って下さいます" まず最初に来る答えです。神様の子供に与えられる祝福です。
 ▲祈りの答えを確かに受けるために注意することを数種類知らせてあげるべきです。
3.神様の子供は祈る時注意することがあります。
(1)"私の思い通りになるようにしてください"ではなく→ "神様の正しいみこころ通り"
(2)"私の計画通り"ではなく→ "神様の大きい計画通り"
(3)"私の環境を"ではなく→ "神様の隠された計画を"
(4)"怨みを晴らす心"ではなく→ "赦す心で"私たちは福音を悟ったゆえに、私達が怨みを晴らす必要がないのです。神様が返してくださるとおっしゃいました。私たちは赦せばよいのです。神様が手を加えられれば簡単です。
(5)神様のみこころに純種にしようという心でしなければなりません。
▲それならば、祈りはどうして霊的な科学なのでしょうか?
4.祈りは霊的な科学です。
(1)祈れば聖霊が働かれます(ルカ11:13, マタイ12:28)- 聖霊は私たちの中におられ、全宇宙を統治なさっているるために、働かれるようになっています。ルカ11:13に "してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。" 聖霊が働かれて、だめな事はありません。
(2)聖霊が働かれさえすれば、必ず悪霊の力は縛られるようになります(マタイ12:28-29)- だから、聖霊充満を受けましょう。ナザレのイエス・キリストの御名で祈る時ごとに、暗闇の勢力は逃げて、悪霊の力は縛られて、暗闇の力は崩れるようになっています。エペソ6:10-20に武装して勝つように言われました。いつも祈りなさいと言われました。
 (3)聖霊が働かれれば、神様の力の天使が動員されて、主の働きをするようになります。祈れば必ず霊的な働きが行われるのです。
 1)ヘブル1:14 天使は私たち聖徒を助ける霊です。私たちより高い霊的存在はありません。ヘブル書を見ると、私たちを天使より高く創造なさったとされています。私たちは、神様の子供であり、天使は神様のしもべです。
 2)黙示録8:3-5 使徒ヨハネがパトモスに島流しされて、祈っていた時、神様が天の門をあけて見るようにされました。神様が聖徒の祈りをうつわに入れて、神様の御座に上がるのですが、そのお手伝いを天使がするのです。
 3)ダニエル10:10-20 ダニエルが神様を信じるという理由で死刑宣告を受けて、獅子の穴に入っていったのですが、獅子が一つもかみつくことが出来ませんでした。その翌日、王が来てたずねたのにダニエルが答えて "昨日の夜に神様の使いが獅子の口をふさいだので..." 霊の目がひらかられた人々がこういう話しをするのです。肉的なことを好む人は、こういう話しをするなと言います。神様がエリシャの家に火の馬と火の戦車を動員なさいました。皆様が動く所ごとに神様は火の馬と火の戦車を送られるのです。
▲今、キリスト教が重要なことだけをしないのです。サタンも、天使も話しません。祈る時ごとに聖霊が最も大きい力で働かれて、神様が使い(天使)を送って働いて下さって、I列王19:35にヒゼキヤ王が、その日の夜に祈ったのにアッシリヤ軍18万 5千名がみな死にました。ヒゼキヤ王が祈る中でみな死んだのです。 "その夜に、主の使いがアッシリヤ軍18万 5千を打ったので"とされています。人が死んだり、生きる時、神様が天使を送られます。必ず神様が働かれる時は、主の使いを送って働かれるのです。
 使徒1:10-11, 使徒10:1-4, 使徒12:1-25, 使徒27:23-24, ヨハネの黙示録を読んでみましょう。天使の話が確かに出てきています。
(4)その時から周囲の環境が変わり始めます(エステル4:14)- 不思議に変化し始めるのです。神様が福音を持った人を通じて変化をしばしばさせられます。皆様を通じて変化するようになっているのです。
(5)答えの人を送ってくださいます(使徒10:1-9)
  1)創世記18:2-15  アブラハム      
  2)I列王19:5-7 エリヤ
  3)U列王6:13-17 エリシャ      
  4)U列王20:1-10 ヒゼキヤ
  5)使徒1:10-11           
  6)使徒5:19-20, 使徒10:1-4, 使徒12:1-10
  7)黙示録1:1-20
 ▲祈れば起きることです。
▲福音の手紙は完成されたものではありません。14年前に作ったものであるために、補完されるべきことが多いのです。しかし、言葉が足りなくても、あるそのままでしましょう。
 
5.いやし- 不治病、癌 
(1)救いの確信  
(2)聖霊の働き  
(3)サタンの働き          
(4)いやし-定刻の祈り(聖霊充満), 常時祈り(肉体問題)
(5)食べ物、薬も神様の祝福
(6)霊的問題の解決, 霊的な力が重要です。
 
6.結論 :
▲この程度メッセージをすれば、相手が聖書が分かり、その時聖霊が相手の心を感動させるのです。それで、祈りができる具体的な方法を教えてあげなければなりません。
とても新しい信者には、簡単に祈りの文を書いてあげることも良いでしょう。
 しかし、ある程度信仰生活を始めている人には-
(1)みことば- みことばを捕まえた祈りをしましょう。一週間に説教を聞いたみことばを持って、祈って考えることがまず最初になければなりません。それだけしても相当に答えになります。少しだけ考えてもみわざが起きます。聖日の説教を聞いていて、私がこのようにせねばならない! と悟って、少しだけ実践してもみわざが起きるのです。
(2)考え、対話- 考えを持って祈りましょう。神様のみことばを聞いて考えて、対話しましょう。祈りを簡単にできるように教えてあげなければなりません。神様のみことばで、このような時、どのようになったのか? 神様のみことばで、このような時は何とおっしゃったのか? このような時はどのようにせねばならないのか? という質問だけすれば、神様は私たちの良心に 悟るようにさせてくださって、私たちの心と考えに答えを下さいます。それで "あなたがたの心と思いを守って下さいます"と言われました。良心に答えてくださることが最も早いのです。答えが来れば、説教を聞く味がよくて、祈りの味がよくなります。この時から教えねばならないことが、定刻の祈りです。
(3)定刻の祈り- 時間を定める必要はありません。祈りができるスケジュールを立てることも せず、活用すればよいのです。皆様の時間の中に活用すればよいのです。これだけできれば、働きが起きます。定刻の祈りの時、最も多くするべきことが、主の聖霊が働いてくださいということと、天の使いを送って答えてくださいということと、神様のみこころがなされるようにしてくださいということと、暗闇の勢力が崩れるようにしてくださいということ... また、体質にしたがって、神様が用いられるうつわにしたがって答えが違います。ある人は答えがすぐくるのですが、継続的にきます。うつわが大きければ、答えが遅いこともあります。定刻の祈りはそのような答えを考えずに続けることです。くださいといわずにずっと味わうことです。この時、聖霊が働いて、暗闇が崩れて、引続き答えがくるのです。それが信仰生活です。ずっと祈って、ずっと神様の計画がなさるのです。そうしたあと見れば、どのようなことが出てくるのでしょうか?それは、現場に行って、行く所ごとに祈りが出てくるようになります。それを常時祈りと言うのです。
(4)常時祈り-
(5)特別祈り- しかし、とても私たちに深刻な問題がくる時があります。伝道がだめになることは大きいことです。霊的な問題が解決できなかったり、重要なことが生じた時は、特別祈りをする必要もあります。この時、断食祈りもして、徹夜祈りもして、山に上がって祈ることもします。
▲こういう福音の祈りの根をおろすようにしなければなりません。福音の根も下さなかったのに、福音も教えてくれなくて、奉仕を教えてくれたり、違ったことを植え付けてはだめなのです。普通の問題ではありません。
 それで、皆様が新しい家族に会いにいって、福音の手紙をしながら、福音の根をおろしてあげなければならないのです。 
 行く時、最後の機会だと考えて行けば良いでしょう。ただ一回の機会だと考えて行かなければなりません。聖霊がピリポを導いてエチオピアの宦官に会うようにされました。宦官がエルサレムに行ったのですが、福音を聞くことができなくて、聖書を買って読みながら帰る道でした。その時、神様の聖霊がピリポを導かれて、エチオピアの宦官に行くようにされたのです。ただ一度の機会! その時、万一ピリポが奉仕を教えたり、他の方法を教えたとするなら、ピリポは呪われて当然です。ピリポがこの人に正確な福音を教えてあげました。使徒8:39に "... 主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、" ただ一度の機会です。
 一度の機会に永遠な祝福を... どれくらい貴重でしょうか? その人が話を聞きながら祈る心が生じるようになります。その人に会って、一週間に受けた実際的な答えを言ってあげればよいのです。神様が共にされた事実を言ってあげればよいでしょう。それで、新しい家族が祈りができ始めるならば、弟子訓練を上手にやったのです。
(6)祈りができる段階がきます。すると正しく訓練されたのです。安らかにできる段階がきます。ここまでなれば、弟子訓練を上手にやったのです。
 ▲今日から、新しい祈りの答え、新しい開始があるようになることをお祈りします。
 
===========================================
 
第10課: 祈ればなぜ病気がいやされるのでしょうか? (マタイ8:14-17)
→序論:
▲今日、いよいよ十番目の出逢いです。
 昨日の九番目の出逢いが結論だと見るならば、十番目の出逢いは新しい開始です。最後ですが、新しい開始です。
 私達が福音をみな伝え、色々な出逢いの中から多くの部分があるでしょうが、私達が病気になれば、恵みは受けることができるでしょうが、いろいろな所に支障をきたします。神様の恵みにもう一度感謝申し上げることは、私がいままで伝道運動する間に病気になって、横になることがなかったことを感謝申し上げて、健康をくださって世界の福音化をするようにされたのです。
▲したがって、出逢い中でこの部分がものすごく重要です。個人に重要な開始ができる部分が いやしであり、神様の計画を発見できる機会で、神様の力を体験できる機会です。総合的なことです。祈りを実際に知らなかった人が、祈りを学ぶことができる機会であり、伝道を知らなかった人が伝道の門が開くことができる機会でもあります。皆様の教会の中に、こういういやしの運動がおきれば、教会が復興になることもあります。
 今、人々はほとんど病気がないことはなく、病気はみなわずらっているために、今の世の中の人々もそれを利用してお金を儲けています。一番売れることが健康食品であり、薬です。今でも最も発展していることが、健康に関するものです。はなはだしきは、特別な祈梼院や団体では、それだけのために集まる団体もあります。人が集まるようになっています。病気でない人がほとんどいないから...
▲すると聖書から見なければなりません。
マタイの福音書8:1-4に見れば、らい病の人がイエス様を訪ねて重要なことを話したのですが、 2節に見れば "主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。"と言いました。ところが、イエス様が3節に "イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。"イエス様は誰でしょうか?が説明されています。イエス様は神様の息子であり、キリストであるために、イエス様が望まれれば、らい病人もよくなったのです。すると、実際に私たちも信仰をらい病人のように回復しなければなりません。イエス・キリストの名前でならないことがありません。
 マタイの福音書8:5-13節に見れば、百人隊長が、自分の召使いが深刻な中風にかかったので、イエス様にきて自分の召使いを直してくれと言った時、イエス様があなたの家に行くと言われたたので、この百人隊長が言うのには、「いらっしゃる必要はありません。イエス様のみことばだけをください」ということでした。イエス様がほめられて、「わたしはイスラエルの人の中で、これくらい良い信仰の人を見たことがない」と言われました。
 イエス様があなたの信仰の通りなるように、と言われたら、13節に見るとその時に召使いが よくなったとされています。ですから、イエス様が立たれる所には、創造のみわざが起きるのです。死んだ屍体が過ぎ行くのに、イエス様がその屍体の前に立たれ、その屍体が息をふきかえしました。イエス様は誰でしょうか? イエス様は創造主であり、イエス様は神様ですから、その名前だけ呼んでも良いのです。
 マタイの福音書8:14-15節に見れば、ペテロの姑が熱病になったのに、イエス様が手を置かれたら、よくなったとされています。手だけ触っても病気が離れてしまうのです。今日も、イエスの御名が本当に呼ばれる所には、全く同じみわざが起きます。私はいままでこれを信じて生きてきました。そして、これからもそのようにするはずです。イエスの名前で...
マタイの福音書8:16-17節に、人々が悪霊に取りつかれた者をたくさん連れてきたのですが、みことばでみないやされました。 "これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」"
 ここに見れば、悪霊を追い出して、あらゆる病気をみな直したとされています。これをベレヤという団体は、あらゆる病気は悪霊に取りつかれたと言って解釈しました。
とにかく、今日の本文を見る時、悪霊に取りつかれて病気になったことがあることも明らかです。それで、悪霊を追い出して病気を直されました。私はこの部分に信仰を持っています。あらゆる病気が悪霊に取りつかれて病気になったとは考えないのですが、とても重要な部分には とても重要な理由があります。私はイエスの名前で... この祈りをします。私自身に多くします。ナザレのイエス・キリストの名前で病気、弱さ、悪霊は離れるように! イエス・キリストの名前で健康になるように!という祈りを多くします。間違いないから...
▲祈れば、なぜ病気がいやされるのでしょうか? これが今日の主題です。
 
 ▲イエス様は病人を治しながら福音を伝えられたし、使徒と初代教会の聖徒もいやしと福音を伝えることを併行しました。マルコ16:15-20にイエス様は確実な約束を下さったのです。
 
1.聖書にはいやしの約束があります。
(1)"さわった人々はみな、いやされた。"(マルコ6:56)
(2)"私たちのわずらいを身に引き受け、病を背負った"(マタイ8:17)
(3)"彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。"と約束なさいました(イザヤ53:5)- 霊的なものもありますが、肉体的なことも含まれているのです。
 
2.まず病気の原因を診断しなければなりません。
▲私たちは、病気にはならないと誰も大言壮語出来ません。しかし、まちがいなく創世記 3章から始まったことは確実で、病気であることは神様のみこころではないことだけは確かです。皆様が剛健でなければならないことが、神様のみこころです。もちろん、病気の中に神様の計画と多くの恵みが入っています。病気の中で多くのことを得るようになっているけれど、病気自体は神様のみこころではありません。なぜならば、これが創世記 3章の事件以後に現れたことであって、また天国に疾病はないからです。私達が罪を犯す前に病気はなかったし、天国に行けば病気はないために、神様のみこころではありません。私達がこの世に生きながら、どうしようもないことながら、元々は神様のみこころではありません。それで、イエス様が病気を担ってくださるとされたのです。
(1)過労、失敗、伝染による病気、老化の病気もあります。
 ▲過労で生じた病気ならば、過労しないならば良いことで、伝染してかかったならば病院に行けばよいのです。しかし、罪によって来る病気が多いのです。
(2)しかし、聖書が明らかにする3つの原因は、真に重要で、人間の方法では直せない病気です。これは必ず霊的な治療がなければならない病気です。
 1)罪による病気-
  @先祖の罪- 偶像崇拝は三、四代まで至る病気です(出エジプト20:4,三下12:15) 名前も 明るみにならないし、医術では不治病で表れるようになります。
  A原罪- 創世記 3章の事件です。罪を犯した以後の人間の所属です。その霊が呪われた状態にあるので、治療が不可能です。
  B罪過による病気(U列王5:27, 大河21:12-19, Iコリント5:5)- ずっと賭博をするとか、ずっと酒を飲むとかするので、病気になるのです。そのようにすれば、重要な病気になるのです。
  2)悪魔(悪霊)がもたらす病気
 ▲私がもうひとつお話しするならば、人間の失敗からきた病気といってもまちがいなく、これは後から利用をします。まちがいなく生きている存在だから...
 @精神(マルコ5:2-15)- 悪霊に取りつかれて精神が狂ってしまいます。いままで医学では話さないでいます。今現在、医学ではワシントンという医者が脳に若干異常があって、精神が狂ったとして、現時点では直すことが出来ないと言いました。それ以上は精神病院で返事もしてくれず、理由も明らかにすることができずにいます。聖書にだけ正確な答えを明らかにしています。悪霊に取りつかれて精神が狂った人が記録されているのです。
  A心(エペソ4:23-27)- 心を迷わさせて病気になるようにさせます。
  B環境(マタイ12:25-28)- 私たちの環境や神経が病気になるようにすることがあります。
  C神経(マルコ9:17, ルカ13:16)- あらゆるてんかん病が悪霊に取りつかれてなった病気ではないのですが、マルコ5章に確かに悪霊に取りつかれててんかん病がになった場合を話しています。
  ▲重病の人々は、罪(先祖の罪、原罪、罪過)や堕落で病気になった人が多くて、直接悪霊に取りつかれて病気がなった人が多いのです。このような時は、福音一つで完全に終わってしまいます。もちろん、病気の中には神様のみこころを成し遂げる病気もあります。
  3)神様のみこころがある病気(Uコリント12:7, ダニエル8:27)
  ▲こういう病気は、神様のみこころだけ発見すればよいのです。治癒するにあたって 1)番と 3)番は問題になりません。最も深刻なのは 2)番です。これは、病院に行ってもだめです。なぜでしょうか?根本問題が解決しないから... 病気をよく悟れば、伝道と福音の相当な門に なります。この部分を聖書を通じてじわじわと話してあげればよいのです。
 
3.誤った治癒法は、より誤った結果をもたらします。
▲今、人々がほとんどみんな誤った治癒をしています。
(1)医学、薬だけに依存します。- これだけに依存してはだめです。肉体の病気になる前に、まず心の病気になって、心の病気になる前に、環境の病気になって、こういう病気になる前に生活の病気になって、これよりもっと重要なことは、霊的な病気になったのです。したがって、医者が福音の力を知って、福音を理解するならば、相当なことになります。患者が病院にくる前に、この人にまず霊的な病気がきているということを知っていなければなりません。目に見えない霊的な病気にかかっているということを知っていなければならないのです。
(2)肉体の結果だけ見るのです- この人が心の病気、霊的な病気がぎっしりと入っているのに、たびたび肉体的なことだけを直そうとしてはだめです。だめだから、その時だけ宗教的な方法を使うのです。
(3)宗教的方法- 迷信や雑神に依存することです。すると、より大きい危険に陥ります。
▲恵みを受けても、恵みを受ける人の心がいやされず、心配が多くて、疑問が多い人々は、まちがいなく病気にかかるようになっています。ストレスはないのが良いと医学的にも言われるでしょう。今でも皆様が心の病気、生活の病気を直せば、解決になるようになっています。その次に医者の助けも受けて、薬も必要なのです。そのような話を必ずしてあげるべきです。
 
4.正しいいやしの順序を知っていなければなりません。
(1)まず霊的ないやしがなければなりません(Vヨハネ1:2)
  1)イエス・キリストを胸の中に受け入れなければなりません(ヨハネ1:12)        
  2)聖霊の充満を受けなければなりません(エペソ5:18)
 ▲学生は酒を飲むこともありますが、勉強もせずに酒を飮んで回ることは霊的な問題で、精神的な問題です。サタンが必ずこういう部分を利用するようになっています。霊的ないやしからまず受けなければなりません。これが解決されてこそ、罪の問題が解決するのです。
(2)罪を切らなければなりません(ヤコブ5:13-16)
(3)環境を正さなければなりません(マタイ12:25-29)
(4)物理的治療は、この時から行なわなければならないのです。(ヤコブ5:13-14)- この時から、医者の助けを確かに受け取れば良いのです。
 
5.いやされた後も重要です。
(1)信仰の行為を維持しなければなりません- イエス・キリストを受け入れた後に、信仰が必要です。人が信仰なしで他の人の助けを受ければ、むなしい事です。神様のみことばは信じなければなりません。そして、私たちはキリストの驚くべき秘密を信じなければならないのです。聖霊の働き、サタンの働きを確かに知っているために、イエス・キリストの名前で! 信じられるのです。
(2)感謝の心、生活を必ず回復しなければなりません。
(3)証しする生活が必要です。- 証人として立つようになれば、より良いいやしの働きを知るようになります。
 
6.いやし- AIDS(エイズ) :
(1)AIDS時代の渡来
(2)性的混乱、無感覚時代
(3)どのようにいやすのでしょうか?
  1)果して不治病でしょうか?
  2)祈りの力で解決しなければなりません。
  3)神様はいやす食べ物を地球上にみな備えられました。
(4)聖霊の力で解決しなければなりません。
 
7.結論- ケース :
▲新しい家族に行った時、数種類のケース
(1)病気は-
  1)病気は新しい開始ができる機会
  2)病気は神様の良い計画を発見できる機会
  3)いやしは伝道するのに最も良い道になります。
  ▲それで、イエス様も実際に病人からいやしながら福音を伝えられました。初代教会のペテロも初めての働きが足のきかない者を起こしたことでした。パウロも使徒13章に見れば、力を見せ始めて、使徒19章でもそうです。
(2)伝道- 伝道するのに、いやしでとても重要な2つのことがあります。
  1)イエス・キリストを受け入れて,
  2)イエス・キリストの名前で祈ることです。
(3)聖書的いやし- 必ず参考にしなければなりません。今、ほとんどが聖書的治癒をせずにいます。
  1)最も重要なことは病気を直すことではなく、神様の子供になることです。福音から正確に 伝えられなければなりません。福音を正確に受けたということは、生きることができる道であって、その次にはいやされても良くて、よくならなくても良いのです。
  2)霊的な問題を発見して整理することです(偶像整理まで含む)
  3)すると、神様の計画が見えます。
  4)聖霊充満してくださいと祈ればよいのです。
(4)不治病- とても重病になった人がいます。
  1)祈り- 神様が不治病を下さった理由は、最も大きい計画が、他のことをせずに本格的に祈りなさいということです。神様が人を呼んで行こうとすれば、交通事故等で簡単に呼んでいくこともできるのに、重病を与えたということは、神様の重要な計画があるということで、生きる死ぬが問題ではなく、霊的な戦いを正しくしなさいということです。残った生涯に祈りなさいと言われているのです。
  2)聖霊充満- 聖霊充満を受けなさいということです。
  3)霊的な戦い- より重要なことは、今から霊的な戦いをするのです。
(5)未信者- 参考にしましょう
  1)一般宗教で祈ってよくなる場合があります。その原理が何であるかというと、悪霊でもなんでも、霊的な力を得れば、肉体的なことに関係があるようになっているのです。言わば霊的な刺激を得れば、肉体の治癒になるようになっています。
  2)それで、ちかごろ超能力がたくさん出てくるのです。超能力を信じて、その原理を利用すればよくなります。ところが第2の問題がくるのです。
  3)悪霊の働きであるためです。
▲したがって、信じる者は聖霊充満で、聖霊のなかでの信仰充満で、イエス・キリストの名前で.... すると、第2, 第3の復興のみわざがずっと起きるようになっています。そして、皆様が目に見えないで持っている病気もいやされるようになります。
 医者も表れてこそ分かるので、表れる前には分かりません。
▲最も良い方法は、今日、皆様が神様の子供として聖霊充満を受けて、イエスの名前でいやされることです。皆様に不信仰、ストレスがたくさん積まれて行くということは、病気が積まれて行くということを知っていなければなりません。
 今日、あなたがたがこのみことばを捕まえて、まずいやされて、人に会いにいく所に神様のみわざが起きるべきです。こういう聖書的ないやしをしなければならないのです。
 皆様に真の健康の祝福、神様のいやし、霊的ないやしが起きるようになることを主イエスのお名前でお祈りします。アーメン