2005年11月29日(一般信徒地域教会訓練11月)



小教理問答35問,36問
(ローマ6:4-7)
 

柳光洙牧師
聖書のみことば(ローマ6:4-7)
4/ 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
5/ もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。
6/ 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。
7/ 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。

小教理問答第35問答
(問) 聖化とは、何ですか。
(答) 聖化は、神の一方的恵みによる御業です。それによって私たちは、人間全体にわたり神のかたちにしたがって新しくされ、ますます罪に死に義に生きることができるものとされるのです。

→序論
▲ローマ6:4に"私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。" 6節に," 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。"神様の大きい祝福を私達が知っているのですが、私たちには小さいことと問題がたくさんあります。また、教会問題、家庭問題などがあるでしょう。また、教会の復興、色々な働きのために、困難にあうこともあるでしょう。また、人間関係で困難にあうはずです。しかし、明らかな答えは一つです。私たちが、神様を完全に頼らない以上、解決されないでしょう。神様を完全に信じる瞬間から、解決され始めるでしょう。教会問題も同じです。問題の中で一番大きい問題が、人との問題なのですが、それも神様の恵みの中に完全に入る時、可能です。なぜなら、神様が私たちを血の値で買い取って義としてくださったためです。
▲小教理問答35問に," 聖化とは、何ですか。"答えはこのように出ています。"聖化は、神の一方的恵みによる御業です。それによって私たちは、人間全体にわたり神のかたちにしたがって新しくされ、ますます罪に死に義に生きることができるものとされるのです。"

1.意味-区別
▲それなら、その意味を理解しなければなりません。何をどのように聖化したということなのでしょうか?
(1)ローマ6:4 -新しい命
▲ローマ6:4には," 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。"それで
@過去-死、それで私たちの過去、滅び、呪い、原罪は死にました。明らかに罪に対しては死んだと宣言しています。
A身分-権威、その方が復活されたため、私たちの身分と権威を回復させられたのです。
B人生-それで今は私たちが新しい命の中で生きるようにされたのです。
(2)ローマ6:6
▲ローマ6:6には," 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。"今は罪のしもべではないと私たちを完全に区別されたのです。前はサタンのしもべ、罪のしもべであったのに、今はサタンのしもべ、地獄のしもべではありません。それなら、ものすごいことではないでしょうか?

2.内容-祝福
▲神様がこういう祝福を与えられたのですが、その内容をよく見なければならないでしょう。答えで与えています。
(1) 一方的恵みによる御業
▲どのように神様が私たちに祝福をくださったのでしょうか?今日の答えでよく明らかにしています。'一方的恵みによる御業' 恵みという言葉は、値段で現すことができない恵みだということです。
@努力-この祝福は努力でできたのではありません。
A功労-さらに、この祝福は功労でしたのではありません。
B解脱-この祝福は、多くの宗教で話している私たちを空ける、解脱するという言葉ではありません。神様が完全に私たちに恵みでくださったのです。それで、私たちは話す言葉がなく感謝するだけなのです。これがひょっとして理解できない方がいるでしょうか。これは人間を理解できなかったということです。自分を理解できなかったということです。それなら、私たちは救われるのが難しいのです。本当に自分を理解したら、神様の一方的な恵みだけ可能になるのです。私たちは自ら絶対に地獄から抜け出すことはできません。それで、神様が恵みでくださったと言われました。
(2)神様のかたち(エペソ4:24)
@義 A真理 B聖
▲どんな恵みなのでしょうか? 神様のかたちに生きるようにされました。エペソ4:24に、神様のかたちについて'義、真理、聖'と言われています。神様はこの祝福の中で生きるようにされたのです。
(3)全人格
▲神様が私たちに祝福をくださったのは、全人格(知情意)に祝福をくださるためです。
(4)罪-死
▲罪に対し私たちは死んだと説明がされています。これは、私たちの原罪と罪過をなくされたのです。恵みの法で解決されたのです。死の法的権力をなくされたのです。
(5)義-人生
▲そして私たちは義に対し生きるように作られたのです。これは、法的な根拠を持って義に対して生きるようにさせてくださったのです。
▲この特徴が何でしょうか? 全く私たちは、上のことも下こともすることができないということです。これくらい人間はみじめなのです。人間を本当に分かったら、戦うことも試みにあうこともありません。私自身を本当に分かったら、高慢になることも本当にありません。なぜなら、ここから絶対に抜け出すことができないためです。それで、神様が私たちに恵みをくださったのです。どの程度でしょうか? 神様が恵みをくださらなければ生きられないようにされました。私たちを全人格的に新しくされたのです。人を殺してテロすることを信仰生活を良くするように教えるイスラム教があります。神様はそんなことでなく、知情意の全人格的な祝福を与えられたのです。イスラム教の教理は間違った真理です。私たちは罪の問題を解決できないから罪に死ぬようにしてくださいました。それで、キリストを十字架に釘づけられたのです。そして、私たちは生きられない存在なのに、キリストの義で生きるようにされたのです。
▲新しい家族にこういう深い話をする必要があります。私たちは信仰生活をうわべでするから、簡単にするのですが、私たちはつまらなく話す宗教の話ではありません。本当に恵みを受けなければなりません。私たちはどんな存在なのでしょうか? 絶対に希望がない存在です。
▲それで、神様は私たちを義としてくださって、私たちを救ってくださったのです。神様が私たちを完全に区別されたのです。神様が私たちを呼んで、救い出さなければ私たちは生きることはできません。何のために既存教会がたくさん戦うのでしょうか? 私が誰なのかを知らないからです。私たちがどれくらい不道徳なのでしょうか? 神様が私たちをここから区分させたのに、ここにまた入ろうとする生活を送っています。全く希望がない私たちに神様は恵みをくださったのです。すべての宗教はまったく人間を理解できないのです。それで、霊的問題がずっとくるのです。これはとても深い内容の祝福です。
▲まだ理解できないのでしょうか? それでは一人で質問をしてみてください。そうでなければ、私の質問を見てくださるように願います。"皆さん、本当に罪がないのでしょうか? 手をあげてみてください"私が質問を誤っているのかもしれませんが、それでは誰も上げられないでしょう…人間は自分もだまして、他の人もだますのです。私たちはとても聖く生きると言うのですが、最も聖く生きた人間がパリサイ人でした。しかし、彼らはそれを持って人を判断する最も大きい罪を犯したのです。私たち人間は、希望がありません。罪の中で許されることもできず、抜け出せなくて、それこそ悲惨それ自体です。それで、神様はキリストを送って十字架に死なれて、すべての罪を処理してくださったのです。私たちに神様がローマ6:6に見ると,'私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるため' それで、この祝福を値段なしにくださったのです。お金を支払ってはできないためです。それも、最高の祝福である神様のかたちに従って生きるようにされたのです。全人格的に私たちを呼ばれました。他の人がが悪くなろうがやめようが、グッ(降霊術)をするのではなく、全人格的に私たちを新しく呼ばれたのです。それで'死'という言葉は'終わり'のことですが、'罪を死なせられた'と言われました。私たちは生きる方法がないから、私たちを義と認めると言われたのです。

3.適用
(1)自由主義,合理主義
▲私たちはなぜこの祝福をのがすのでしょうか? まだこの祝福を牧師(神学者)たちにも、味わうことができない人々が多いのです。それで、自由主義神学が出てきたのです。まったく近づくこともできないのです。'私たちが正しく生きて労働運動するのが救いであって…'と言うのですが、何も知らないのです。'聖書には記録の中にあh誤りこともあるので、よく考えてみて、正しい言葉だけ探して利用しなさい'ということが合理主義神学です。'持っている者のものを奪って、とても貧しい者を私たちが解放させなければならない'ということが解放神学です。'政治的に正しくしてこそ救いだ'というのが政治神学です。こういうものが全部、欧米から出たのですが、今、ヨーロッパは全体的に滅亡の中であります。彼らの主張が、とても部分的に正しいのですが、真理にはとても狭いのです。そんな話は、救いとは何の関係もない言葉です。
(2)アルミニウス
▲そして、アルミニウス主義があります。ここにもそこの出身がいるでしょう? 申し訳ない話ですが、'ホーリネス' がそうです。'私たちができる' というのは良い話ですが、嘘をついており、自ら押さえ込む言葉になるのです。彼らはしきりにこれを救いの部分を生き方につなげて証明します。正確に話せば、皆さんの救いと生き方は、事実は関係がありません。とても難しい話なのですが、皆さんの生き方を持っては救われないということです。それで、神様が恵みでくださったと言われたのです。この一言で多くのことが変わります。それでは、この主張を継続していくとパリサイ人と同じになるのです。ずっと見れば、人間はどこまで行くのでしょうか? それなら神様の恵みが必要ないという言葉ではないでしょうか? メシヤに会ったイスラエルが、そのようにして滅びたのです。
(3)予定論(律法)
▲反対に'予定論者'は、どのように出てきたでしょうか? これを律法としきりにつなげるので、いくらしても解決しないのです。
▲聖書はそうではありません。私たちがこの祝福を受けたことが、あまりにも大きい恵みだから、あまりにも感謝するのです。私たちが恐れでするのではなく、感謝で信仰生活をしなければならないのです。例えば、私がエステルを手助けして困難にあったとしましょう。それならエステルが,'牧師先生が我が家のために困難にあったんだなあ申し訳ない。恵みが大きいな。この借金を必ず返さなければならない'良心的ですが、しかし、真の内容ではありません。'とても感謝で、本当に負担にならなくて、私が牧師先生のために仕事をして死んでも良い'それが正しく悟ったことです。十分の一献金をなぜするのでしょうか? 怖くなって、みことばが恐れることは、すでに違っているのです。救いの祝福をみなのがしたのです。私たちはそれではありません。とても感謝してささげるのです。パウロは1/10ではなく9/10をささげました。律法を守る人々は、十分の一だけすれば良いと言います。それで、初代教会以後には十分の一という話が出なかったのです。だから、ある愚かな人は'見ろ。初代教会は十分の一献金はないから、ささげないでもかまわない'と言うのですが、絶対に間違った言葉です。初代教会は9/10をささげるので1/10を言う必要がなかったのです。命をみなささげたのです。
▲私たちはこの救いがとても感謝で、世界福音化のために殉教までしたでしょう? これが本物です。とても感謝して、すべての栄光を神様に…それで、私たちを血の値段で買われて、私たちを区別されたのです。それで文中で区別された本といって'聖書'と言って、家の中に区別された家だというので'聖殿'です。人の中で区別された人だというので'聖徒'、多くの職業の中で区別したというので'聖職'と言うのです。どこから区別したということなのでしょうか? 死から、しもべであったところから、私たちを完全に区別したということです。それでここで真の感謝、栄光が出てくるのです。ここから伝道と宣教が出てくるのです。',神様がこの恵みをくださったのだなあ'ここから奉仕が出てくるのです。どれくらい献身したくて…ここから皆みな出てくるのです。ここで'献金'が出てくるのです。私の命をみなささげても惜しくないけれど、私のささげ物をささげるのです。持ち出してささげるのが、神様にささげることが、世界を生かすことになるのです。なぜそうでしょうか? 完ぺきな神様の祝福を受けたためです。
▲これが今日35,36問は難しいのです。皆さんが本当に信仰の中心に入ろうとするなら、この程度の答えを受けられなければ難しいのです。この頃、こういう団体があります。'徹底的に悔い改めなければ、救われることができない','罪も4段階、5段階で悔い改めしなければならない'その程度は、たやすいのです。ある教会は、前に出てきて今まで犯した罪をみな言い表わさなければならないと言います。そのような団体があります。皆さんが集会に行くのも良く行かなければなりません。またしばらく怒りが込み上げて、自分たちどうし出て行ってみな話したのです。ある女性が出てきて自分の昔の話をみなしたのです。それでこそ赦されると言うので、夫が初めには聞いてアーメンと言ったのですが、家に帰って考えてみたら、考えるほど気分が悪いから、それでけんかして、家庭がみな破壊されたのです。このような形で理解をする人々が多いのです。私たちはそうではありません。皆さんがいくら悔い改めて、みな引き出しても、許されることはできません。いくら聖くしても救われることができません。いくらみことば覚えて、律法を守っても、救われることはできません。いくら世の中に出て行って学問を研究しても、救われることはできません。涙をみな流して、目が落ちるほど泣いても、救われることはできません。勘違いしてはなりません。ただキリストによってのみ救われるのです。ただ、それも恵みで救われるのです。"恵みによって信仰によって救われる"と言われたのです。
▲これをなぜ分かるべきなのでしょうか? これを知らなければ,信仰生活をするようでも、深く入ることができないのです。実際に福音に根をおろせない上に、霊的問題も解決しなくて、実が出てこないのです。私は信仰生活をすればするほど、私自身を見れば見るほど聖書が正しいと思いました。
▲それで、この告白を一番よくした人がパウロです。最後の告白であるローマ7:24-25を見れば,"今でも私はしきりに罪の中心に入る。今でも私は神様の思い通り生きたいが、肉体は他の人がいて罪の中心に入る"私が今まで聞いた証しの中で第一レベルが高い証しです。おもに大きなみわざが起きて、アパートを買って、勉強を3日しかしなかったが大学に入って、祈りしかしなかったが司法試験に合格したというなど、同じような証しをしました。しかし、これが正しい証しです。どれくらい悲痛だったか," 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。"救われても、このようだと言って、それで答えを出したのです。"私たちの主イエス・キリストによって神様に感謝します…"私たちは永遠にキリストによって救われて祝福を味わうようになるのです。それでパウロは,"私は毎日死にます"と言いました。パウロが毎日死にますと言ったとすれば、皆さんはどのようにすべきでしょうか? "私は秒ごとに死にます"それで、私のような人はまったく,"私は死体だ"何がそのように戦うのでしょうか? 何がそんなに理解できないのでしょうか? それで"私たちは罪だけ犯して生きよう"そのことでしょうか? なぜそのように理解ができないのでしょうか? '永遠に滅びる人々に福音を伝えなければならない'これが聖化です。
▲私は理解できました。ある牧師が朝の祈りの帰りに、人の家で盗みをして捕えられました。多分、しばしば取っていたのでしょうが、その時、見つけられたのでした。警察署で身元を調べてみて、牧師であることが分かったのです。警察が衝撃を受けたのでした。"あなたは牧師なのに、なぜ人の家に入って盗みをしたのか?"教会に連絡が行って、信徒らがみな衝撃を受けたのではないでしょうか? 私は会ってみなかったのですが、推測するのに、霊的問題だと推測したのです。それで"その人のメッセージはどうか?"と言ったところ、私の予想通り、メッセージもとても良くて、牧会も良くしていたのです。しかし、"そのような人が牧会をしてもかまわないのか?"と言われたそうです。それが理解できます。それが霊的問題です。人間は、この霊的問題には勝てないということです。その人が福音の中に入らない以上、霊的問題に勝つことができないのです。福音の中に入らない以上、絶対に勝てません。私たちはいつもキリストが必要なのです。
(The end)

小教理問答第36問答
(問) この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれらから流れ出る祝福とは、何ですか。
(答) この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれらから流れ出る祝福とは、神の愛の確信、良心の平和、聖霊における喜び、恵みの増加、終わりまで恵みのうちに堅忍することです。

→序論
▲36問です。それでは," この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれらから流れ出る祝福とは、何ですか。"そこに対してこう答えました。"この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれらから流れ出る祝福とは、神の愛の確信、良心の平和、聖霊における喜び、恵みの増加、終わりまで恵みのうちに堅忍することです。"と答えました。

1.聖書的根拠
(1)義に認めてくださる(ローマ8:31-39)
▲聖書的根拠を見なければなりません。私たちが義ではないのに,'義と認められる'とは何でしょうか? これを他の角度で見るべきです。暗闇とサタンと呪いの勢力は、皆さんを2度と再び罪に定めることができません。"神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。"この話は、これ以上、霊的問題に縛られている必要がないということです。これは重要な角度で見なければなりません。サタンが皆さんをしきりに滅ぼそうとするので、神様が義だと認められたのです。イエスの名前を呼ぶ者を、絶対に滅びないように義に認められたのです。
(2)養子-後継ぎ(ローマ8:15,32)
▲'養子とした'ということは何でしょうか? 全てのものを後継ぎとしてくださろうと養子にしてくださったのです。"私たちをしもべの霊を与えられたのではなく、養子の霊をくださったのです" "私たちに息子を惜しまなくて,全てのものをくださらないでしょうか? "(ローマ8:15,32)
(3)聖-区別(ローマ8:2)
▲それで"聖くされた"という何の話なのでしょうか? 私たちを完全に区分してくださったということです。ローマ8:2です。罪と死の原理から完全に区別されたということです。
(4)恵み-栄光(ローマ5:2)
▲それで"私たちに恵みに入れるように呼ばれました。神の栄光を望んで大いに喜んでいます。"
(5)命(Iヨハネ5:11-13)
▲今は暗闇から完全勝利することを希望します。なぜなら勝利したためです。"あなたたちに命があることを分かるようにしようとするため"と言われました。
(6)保護(Iペテロ1:5)
▲"神様の力で私たちを保護される"義に認めると言われたのが、このようにものすごい祝福が臨んだのです。

2.答え
▲それと共に、私たちに継続して答えがくるのです。
(1)愛-確信
▲皆さんが真の救いの祝福を味わうようになれば、神様の愛に対する祝福が継続して、ここに対する確信がくるのです。これより大きいことがどこにあるのでしょうか? 神様が私を愛されるんだな! それなら全てのものをみな許せるのです。ヨセフは神様の愛のゆえに、そのように生きることができたのです。
(2)平安
▲そして何が来るのでしょうか? 平安! 真の救いの恵みを受けるので、愛も悟れ、平安が悟れるのです。皆さんが不安だったり、心配になったりするのは、ものすごく損をしているのです。
(3)喜び
▲そして、聖霊にあって真の喜びが継続されながら,
(4)恵み
▲そして、そのまま終わるのではなくて、恵みがずっと増し加わるのです。それで聖書は,"恵み上の恵み"と言ったのです。
(5)究極的救い
▲そして最後まで私たちを救われるのです。'究極的救い'です。

3.違った信仰
▲私たちは今日、ちょっと深い話をしなければなりません。信仰生活が違うように考えているから、違った信仰生活をしているのです。
(1)自分の
▲このようであるのにもかかわらず、神様の義で救われたが、自らの義を捕まえている人がいます。想像以上にたくさんいます。私たちは、信仰生活をしながら、何でもないようでも、ちっぽけなことに信仰全体が行き来することがあります。
@律法-まだ私たちは自らの義である律法主義に陥りながら,
A功労-そして、私たちはまだ功労に陥るのです。これは必要ないという話にならないのですが、ほとんどの職分者などがこうしたことに陥るのです。
B善行-当然しなければならない善行を、信仰の全部だと思っているのです。
C博愛-博愛と奉仕が信仰のすべてであるようにしています。
▲私たちは当然、神様の法を尊重しなければなりません。それと律法主義は違うのです。私たちが救われたので、当然、命を捧げられるのですが、それは功労主義ではありません。私たちが当然、善行をしなければならないのですが、自慢の種ではありません。私たちは当然、人を愛して、人類を愛さなければならないのですが、それが信仰ではありません。想像以上に、人々はたましいの根をここにおろしています。これで多くの損をしているのです。皆さんがよく考えてみるように願います。
(2)誤った信仰思想
▲まだこの'信仰思想'が誤ったものが、あまりにもたくさん残っているのです。
@パリサイ教会思想-今、見てください。よく信じるという教会が、ほとんどみな'パリサイ教思想'をそのまま持っています。新しい家族らに説明するのが難しいでしょう。しかし、私たちの職分者などと使命者は、福音に対する深い理解をしているので、説明が可能です。
A中世教会教権-まだ中世教会思想をそのまま持っています。
B18〜20世紀多元論-そうするうちに見ると、18-20世紀に入ってきながらすべての宗教は皆同じだという'宗教多元論'思想を持つようになったのです。だからこういう祝福をみなのがすのです。
▲こういう正しい福音が、新しい家族と皆さんの子ども達に伝えられなければなりません。私が本当に残念なのが、この福音をとてもまっ暗で知らずにいるのです。ほとんどみなここに陥って、全く救いの祝福も知らずに生きていっているのです。
(3)失敗
▲救われたのか、救われていないのか分かりませんが、そうするうちに、ある日、元に戻せない失敗がくるのです。しかし、皆さんは神様の大きい祝福を受けたのです。
▲私が知っていることでは、今日のメッセージを深く考えれば、ほとんど閉じられた門がみな開かれるでしょう。私が分かることでは本当に重要です。私は常に重要だと言いますが、これは本当に重要なのです。牧師と重職者などに、なぜみわざが起きないのでしょうか? なぜ問題が解けないかに対する本当に答えになります。神様が私たちを聖くしてくださった理由を分かったら、すべての問題はみな解けるでしょう。私たちにものすごい有益を与えられたのです。誰も攻撃できないように、義と認めると言われました。今はつまらない心配しないように、天の後継ぎとなる祝福を与えられたのです。永遠に滅びないように別に区別されたのです。そうして、この恵みの栄光を現わすようにされ、最後まで保護されるのです。昔に小教理問答でこういう質問と答えを記録したということは、本当に聖霊の導きを確かに受け取ったのではないかと思います。36問まできたのですが、私が衝撃になるほど正確に書かれています。皆さんが失敗しないように、本当に神様の祝福を受けるよう願います。

4.契約
(1)事実-証人
▲私たちが捕まえなければならない契約は何でしょうか? 私たちは事実を見ることができなければなりません。救われない私たちが救われたのです。私たちは罪の問題、サタンの問題を絶対に解決できないのに、神様はそれをご存知でキリストを送られたのです。それで、この事実を見なければならないのです。それで、私たちは証人になることができるのです。この事実をしっかりと捕まえる皆さんなることを望みます。
(2)祈り
▲とても重要なのが二番目です。'祈りをどのようにするのでしょうか? 'これが問題です。事実は、祈りの課題がなくてもかまわないのです。イエス様も主の祈りで、祈りの課題はないと言われました。"あれくれと言うな。それは異邦人が求めることではないのか? "と言われました。くれと言ったことは"日用の糧を与えて下さい!"とあるだけです。日用の糧に対して理解できなかったのですが、幼い時、父が亡くなって分かりました。紙封筒に米を一升ずつ買ってきて食べたのですが、その時どれくらいみじめだったでしょうか…"あなたたちの天の父が、あなたが何が必要なのかすべて知っておられる"とても重要なのは、皆さんが事実を見ることができることで、その次は祈りです。他のことを祈らずに、この神様の恵みを味わう祈りをしましょう。私は約束することができます。神様が私にくださった身分と権威を持って一週間だけ祈れば、すべての答えがみな来ます。世界を変化させられるのです。そうするうちに見れば、ここで祈りの課題が出てきます。それとは違った言葉です。私たちは祈りから違うのです。このものすごい祝福を受けておいても味わわないので…皆さん家に水タンクに水がぎっしり貯まっていても、水道の蛇口をひねらなければ、水を一滴も飲めないのです。だから私たちがこの祝福を一つも味わうことができないのです。
▲それでは、何を持って味わうのでしょうか? 祈りを持って味わいなさいということです。幼い時、何も知らなくて、細かく祈りなさいと言われるのですが、細かく祈る必要もありません。私の友人一人は、細かく書いていました。"こういう女性を与えて下さい!"見たところ怖いほど書いてありました。"身長、梨花女子大、財産"確かに祈りは答えがきて梨花女子大出身に会いました。本当に梨花女子大英文科出身に会ったのです。内心'答えが来たなあ'と思いました。しかし、変なことに、何にもならなかったのです。仕事もだめで、牧会もだめだったのです。多分、一緒に住んでいないようでした。細かい祈りは必要ですが、私はそのように祈っていませんでした。"女性なら良いです"すると神様がどれくらい良い女を…今日、私がなぜこう言うのでしょうか? ここに妻が来ているので、へつらおうと、外国に出れば悪口を言うのですが、これが私の状態です。
▲祈りを持って何を味わうかが重要です。神様がくださったこのものすごい祝福を味わうことが重要なことではないでしょうか? "息子を私たちに下さった方が、恵みで全てのものを私たちにくださらないか? "それで"あなたがたは、まず神の国とその義とを求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます"皆さんは'すべて'に関心が多いのですが、前のことが重要です(神の国、神の義)
(3)感謝→ 伝道
▲私はいくら思っても心より感謝します。こちらで考えても、あちらで考えても心より感謝します。"私のような罪人が許されて新しい人なって…"という賛美がないでしょうか? 私たちのお隣りに無知なおばあさん1人はいつも、この賛美を歌うのに,"私のような下品な者が許されて…"と言っていたのですが、後ほど理解できました。"私のような下品な者が許されて…"
▲ここで伝道が出てくるのです。
▲私たちは3つのことだけよく理解して記憶すれば良いのです。私に対して事実で分からなければなりません。それでは、高慢になることも、気落ちもする必要もありません。他の人を罪に定める必要もないのです。他の人を許して、自分自身の霊的問題を本当に知って、その祝福を味わうことがすべてです。この祝福、この恵みがとても感謝で、証人として伝道するしかないのです。

5.結論
▲35,36問はとても重要です。皆さんは永遠に滅びません。必ず記憶して勝利するように、イエスの御名でお祈りします。隣の人に挨拶しましょう。"あなたは永遠に滅びません"
(The end)