2004.03.13 ルツ記(04) - (核心訓練)


出会いの祝福
(ルツ記 2:1-13)

 
チェ・チョンウン牧師
 
聖書みことば (ルツ記 2:1-13)
01/ ナオミには、夫の親戚で、エリメレクの一族に属するひとりの有力者がいた。その人の名はボアズであった。
02/ モアブの女ルツはナオミに言った。「どうぞ、畑に行かせてください。私に親切にしてくださる方のあとについて落ち穂を拾い集めたいのです。」すると、ナオミは彼女に、「娘よ。行っておいで。」と言った。
03/ ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。
04/ ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て、刈る者たちに言った。「主があなたがたとともにおられますように。」彼らは、「主があなたを祝福されますように。」と答えた。
05/ ボアズは刈る者たちの世話をしている若者に言った。「これはだれの娘か。」
06/ 刈る者たちの世話をしている若者は答えて言った。「あれは、ナオミといっしょにモアブの野から帰って来たモアブの娘です。
07/ 彼女は、『どうぞ、刈る人たちのあとについて、束の間で、落ち穂を拾い集めさせてください。』と言い、ここに来て、朝から今まで家で休みもせず、ずっと立ち働いています。」
08/ ボアズはルツに言った。「娘さん。よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。
09/ 刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。」
10/ 彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」
11/ ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。
12/ 主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」
13/ 彼女は言った。「ご主人さま。私はあなたのご好意にあずかりとう存じます。私はあなたのはしためのひとりでもありませんのに、あなたは私を慰め、このはしためにねんごろに話しかけてくださったからです。」
 
要約
 
*祝福された神様の人は、出会いの祝福を味わうようになる
 
人生を変えたヨセフとポティファルの出会い、モーセとヨシュアの出会い、サムエルとダビデとヨナタンの出会い、エリヤとエリシャの出会い、パウロとバルナバの出会い、伝道者が受けた出会いの祝福(ローマ16章)に全てが含まれていた。ルツとボアズの出会いは、どんな出会いなのか?
 
1.信仰の決断の後にくる出会いは、祝福の出会いになる
(1)モアブからベツレヘムにきた貴重な出会い(ルツ2:2)
(2)有力者に会った祝福の出会い(ルツ2:1)
(3)熱心に落ち穂を拾うようになった現場の出会い(ルツ2:3)
 
2.信仰の誠実さの中で、祝福の時刻表につながる出会いになる
(1)'ちょうどその時' ボアズが(ルツ2:4) この重要な時刻表で、神様が計画された御手による出会い
(2)祝福の出会い
(3)偶然な出会いの中にある、必然的な出会い(ルツ2:5-7)
 
3.神様の祝福の中に生きる者は、恵みを与える人に会うようになる.
(1)特別な恵みを受けること(ルツ2:8-9)
(2)過去に対する恵み(ルツ2:11)
(3)未来を知るようになる恵み(ルツ2:12)
 
4.結論- 福音を悟った私たちは、出会いの祝福が続くはずだ
(1)福音を選択する者は
1)使徒2:9-11
2)使徒3:1-12
3)使徒9:1-15
4)使徒11:25-26の祝福を受けるようになる
(2)伝道者の歩みは、あらゆる事件が祝福になる
1)使徒13:1-12
2)使徒16:6-10
(3)祈りの人は、ずっと出会いの祝福を受けるようになる(ローマ1:9, ローマ16:1-27)
(The end)
 
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説明資料
 
→序論
▲人は、人に会いながら生きていきます。ある出会いは祝福になって、ある出会いは呪いとなります。私たちの時代が、現在、真の主人に会うことができなくなっているようです。真の出会いを持って生きるべきです。
神様の祝福を受けた人々は、一人ももれなく、皆が出会いの祝福を味わいました。特に私達が知っているように、ヨセフはポティファルに会って祝福を味わいました。またモーセはヨシュアに会って、ヨシュアはモーセに会いました。またカレブも会いました。サムエル、ダビデ、ヨナタンの出会いは、私達が真に忘れることはありえない出会いになりました。エリヤとエリシャの出会いもそうです。
 パウロとバルナバの出会い、パウロとテモテの出会いは、一時代と歴史を変える途方もない祝福の出会いに なりました。
▲一週間に、このメッセージを受けて、私の出会いに関して考えてみました。私は私のおばあさんを通じて、しつけを学んだと考えるようになりました。この方が、常に家に行けば、私を捕まえて子どもに礼儀を教えたのでした。それで、人が変わったのです。その時、私は座ること、立つこと、行かなければならない所と、行ってはならない所、話すことと、話してはならないことを習いました。イロハのイも知らない背の小さなおばあさんでしたが、私を私になるようにするしつけを教えてくれた人です。考えれば感謝です。
もう一人に会ったのですが、その方は私に聖書は神様のみことばだということを教えてくれて、律法的でしたが、神様の愛がどれくらい大きいかを知らせてくれた人です。私に聖書を知るようにしてくれた人です。その方が‘チェ・チョンウォン’という方ですが、まだ存命中です。その方は、私に聖書を100回読むようにされました。
そして、これから伝道のために苦心している途中で、柳光洙牧師に50歳を過ぎて会いました。イエウォン教会のチョン・ウンジュ牧師も伝道するために悩んでいて、柳牧師に会ったと言われました。皆様もそうであることを信じます。私たちの同僚牧師 400名あまりの目を見ると、私のような心情でした。本当の福音の秘密を知って、味わいを知って、それとともに福音運動に参加して、世界を変化させるひとりでも生かし、弟子をさがして、無限な幸福を感じます。皆様もこの祝福を味わうことを望みます。出会いは途方もない祝福です。
▲ボアズ - ルツの出会い
特別におばあさんが、ルツが一番好きです。この話だけ出てくれば、おばあさんたちが、あんな息子の嫁に会わなければならないと考えます。自分たちが、ナオミのような姑になる考えはしなくて言う話です。
 
1.信仰の決断の後にくる出会いは、祝福の出会いになる
▲信仰の決断の後にくる出会いは、祝福の出会いになります。私達が信仰の決断を下した時、神様はこういう 祝福の出会いを許されるのです。
(1)ルツ2:2 モアブ- ベツレヘム
▲2:2節を見れば、モアブからベツレヘムにきたルツが、あまりにも大切な出会いを持つようになりました。モアブは、異邦人で、神様を知らないということです。あなたがたも、ベツレヘム(パンの家)にきて、神様の教会にきて、神様の前に帰ってきて、大切な出会いを持つようになるように望みます。世の中の問題と葛藤の中でさ迷ったことから、あらゆる問題を勝利なさった出会いを持つことを希望します。世俗的なことを投げ捨ててしまう信仰のなかで、新しい出会いを持つことを望みます。途方もない祝福の出会いがあったのです。
(2)ルツ2:1 有力者 - ボアズ
▲ルツは、途方もない有力者に会いました。ベツレヘムでとても金持ちであり、権威があって、影響力がある 有力者に会ったのです。その人の名前がボアズでした。神様が信仰で決断を下したという理由で、こういう出会いを持つようにされたということを知っていなければなりません。私と皆様が、こういう信仰の決断をおろすと、このような祝福の出会いを持つようになるはずです。信仰で決断を下すならば、伝道者プリスカ夫婦のような人々に会えるのです。私も、こういう人に会いました。牧会をする時、いのちをかけて牧師と共に伝道運動をするという人々に会ったのです。
(3)ルツ2:3, 現場 ? 落ち穂
▲2:3節を見れば、熱心に仕事をするルツを見ることができます。落ち穂を拾って姑を食べさせて助けることを願っていたのです。ユダヤ人は、道端にある稲穂は刈りません。そして、段を積むのですが、落ち穂が落ちれば、拾わないで、貧しくかわいそうな未亡人が持っていくことができるようにするのです。ところが、若い女が、それも子どもを産んでいない女の人が落ち穂拾いをするということは、簡単ではありません。しかし、落ち穂を拾っている現場で、こういう貴重な出会いを持ったルツを見ることができます。皆様が、伝道現場で時代的な働き人に会うことを望みます。アナニヤが、ダマスコで働きをしているときに、サウルに会ったように、皆様も働きをしているときに、韓国と民族を生かす、世界福音化する働き人に会うことを望みます。信仰の決断をした後に、このようなことがおきたのです。
 
2.信仰の誠実さの中で、祝福の時刻表につながる出会いになる
▲信仰の誠実さの中で、祝福の時刻表につながる出会いになります。熱心に仕事をする現場にいるべきだということです。
(1)ルツ2:4 ‘ちょうどその時’という言葉が出てくるのですが、これが時刻表です。
▲その時に、ボアズがルツ2:4節を見れば、刈りいれをする時期であるゆえに、畑に出かけたのです。ちょうどその時、これは神様がこの時刻表を作られたのです。信仰の決断を下して、異邦の国を離れて、お母さんの神様が私の神様になって、お母さんの民が私の民になって、お母さんがいく所に私も行って、お母さんが死ぬ 所で私も死んで、お母さんが埋められる所に私も埋められるという決断があったのです。こういう決断をして、ついて出てきたところで、ボアズとの出会いがあるようになったのです。これは偶然のように見えるのですが、偶然ではない、神様の計画でした。今週に現場で、こういう驚くべき祝福を体験しましょう。マタイ1:5節を見れば、出会いは神様の完全な計画の中で、永遠の前からの計画の中でなされたことが分かります。本当に祝福の出会いです。
(2)祝福の出会い
▲私たちが、人にたくさん会うのに、今週にも誠実さで神様が定めてくれた時刻表について行く、こういう祝福の出会いを成し遂げることを希望します。自分がすることをしたところ、そこに神様の祝福が臨むのです。突然に奇跡がおきることではなく、誠実さの中に神様の時刻表があるということを知っていなければなりません。
(3)偶然 - 必然(ルツ2:5-7)
▲出会いは偶然でく、必然的でした。ルツ2:5-7節に、ボアズが少しの間、畑に出てくると、知らない人がいたのです。それで尋ねたら‘外国の女性なのに、姑のナオミに仕えている。朝からきて、少しの間も家に帰らずに、ずっと仕事をしている’と言うのでした。この少年がルツに対して良く話したのです。良く話をしたとのことは、見たということです。私たちが現場で、家庭で、私たちのとなりの人たちに、このように見られることを望みます。ところが、偶然にこのようになったのではなく、必然的に神様がこのような出会いを作られたのです。パウロは、はじめにはダマスコで自分自身が神様に会ったと言いましたが、すこし悟ってからは ‘そうではないな。私が母の胎の中にいた時、神様が私を召されたのだな’と言っていましたが、‘それでもない。神様はこの宇宙を創造なさる前に、その計画の中に私がいたんだなあ’ということを悟るようになったのです。このように、必然的に、私たちを救われるために、神様は私たちの祝福の出会いまでも計画していらっしゃるのです。こういう霊的な目が開いて、その現場を見て、祝福を実際に味わうように願います。
 
3.神様の祝福の中に生きる者は、恵みを与える人に会うようになる
▲神様の祝福の中に生きる者は、恵みを与える人に会うようになります。恵みの人に会うようになるということです。信仰の決断があって、慕う人が神様の前に生きていくならば、こういう出会いがあるのです。ユダヤにだけにあるのではなく、今日を生きる今、こういう出会いがおきるはずです。皆様は、伝道に対する熱情のあとで、このタラッパンに会ったのでしょう。したがって、殺すと言われても来るでしょう。驚くべき事に違いありません。
(1)特別な恵み(ルツ2:8-9)
▲特別な恵みを受けました。ボアズが、あの女の人には触るなと命令しました。驚くべきことです。人々が知らないようでも、表れるようになっているのです。お母さんの神様が私の神様で、お母さんの民が私の民になって、お母さんが行く所に私も行って、お母さんが死ぬ所で私も死んで、お母さんが埋められる所に私も埋められるとという告白をした女性を、どのように人々が分かるでしょうか? しかし‘昼の話は鳥が聞いて、夜の話はネズミが聞く’と言われるように、神様がご覧になっておられ、人も見ているということです。だから、伝道者は人の顔色をうかがう必要はなく、私の道を行くのです。福音の道を行くならば、神様とあらゆる証人が見ているということです。ある日、ポティファルの目にヨセフが見えたということです。恐れないようにしましょう。私達が福音で行けば、神様がご覧になっておられます。心配する必要はありません。
(2)過去に対する恵み(ルツ2:11)
▲過去に対する恵みです。私たちの行為が、神様の本にみな記録されているということです。どれくらい誠実に生きているか知っているということです。私達がどのように生きていって、こちらでどのように誠実に生きているか、神様はみなご覧になっておられるということです。私達がしたことは、預言者に冷たい水一杯を接待することも忘れないと、神様がおっしゃられました。神様は生きておられるので、全てのものを見ていらっしゃるということです。
(3)未来 - 恵み
▲また、未来を知るようになる恵みをくださるのです。ただ福音だけ、ただ伝道だけ、ただ祈りだけ、ただ弟子中心だけで伝道するあなたがたを、神様は捨てられず、報いてくださることを望んでおられるということです。
 
4.結論- 福音を悟った私たちは、出会いの祝福が続くはずだ
▲福音を悟った私たちは、本当に出会いの祝福がずっと続くしかありません。神様が生きておられ、私達が真の信仰を持って、主の前に出てきたためです。福音の前には、真実の他には通じません。だから、私たちは事実的にせざるを得なくて、神様は働かれるしかありません。なぜなら
(1)福音
▲福音を伝える者には、神様が持続的にヨセフに祝福を下さったように、旧約と新約の人物を祝福なさったように、祝福なさるしかないのです。
1)使徒2:9-11 初代教会が恵みを受けて、信仰の決断を下して行ったところ、15ケ国の国から来た人々に福音を伝えたのに、3千名が悔い改めたのではなく、弟子が出てきたということです。それは、多くの人々が集まったとのことを見せてくれることです。福音の中にあれば、こういう出会いの祝福がなっていくのです。
2)使徒3:1-12 ある日、ペテロがイエス・キリストの名前を宣布したら、足のきかない者が起きたのです。皆様の働きの中に、ある日、奇跡がおきることを望みます。
3)使徒9:1-15 だけでなく、福音を伝えるアナニヤに、パウロの鼻をさして付けられたのです。世界福音化の完全な働き人として立てられたのです。神様が働き人としてくださるために、計画を立てて、目が見えないようになさったのです。皆様が運営するタラッパン、ミッションホーム、地域教会で、こういうみわざが起きることを望みます。皆様が海外に出て、キャンプをしている途中で、こういう出会いがおきることを希望します。最高の祝福がおきたのです。すでに、こういう祝福に会った人がかなりいます。
(2)事件
▲伝道者の歩みは、あらゆる事件が祝福になります。なぜなら
1)使徒13:1-12 魔術師エルマが妨害しましたが、その中で総督に会うようになりました。妨害がくれば、神様が働かれて、より大きい出会いを計画していらっしゃるということを知っていなければなりません。必ずこのようなことがおきます。
2)使徒16:6-10 パウロは福音を伝えるためにいのちをかけた人です。それで、アジアを眺めて行くことを願ったのです。今、アジア地域に福音を受けた人が2%しかいないのですが、この2%の中に皆様が入っているのです。これは驚くべきことです。それで、パウロはアジアに福音を伝えるために行こうとするのですが、道がふさがったのです。その時は祈らなければなりません。神様がもう一つの道を、私達が予想して、計画もできない神様の計画の門があるのです。すると、祈っているときに、マケドニアの門が開いたのでした。彼らを通じて英国と米国を通じて、アジアに福音が入り始めたことを見れば、神様の計画であることが明らかなのです。事件ごとに、問題ごとに、神様の計画があることを知っていなければなりません。神様の計画を持って願うという者にならなければなりません。
(3)ローマ1:9 祈りの人は、ずっと出会いの祝福を受けるようになります。
▲ローマの教会のために、パウロがずっと祈るので、共に福音を宣べ伝えるローマ16:1-27の神様の人に会うようになったのです。真の保護者、同労者、親戚と共に仕事をする人に会ったのです。ルポスは、クレネ人シモンの息子です。彼らがパウロに会ったのです。現場でずっと祈ると、このような驚くべき保護者、同労者、親戚のような福音の同労者に会うようになります。神様が祝福なさるために、勝利するようになることを望みます。
 
▲出会いの祝福を味わいながら、私達が現場で一人すべての恵みを受けて、特別な恵みを与える人が出てくれば良いのです。しかし、こういう人がいなくても良いのです。
▲献身- 私達が 100% 献身するならば、どのようになるでしょうか?
私たちの教会のある人が癌で死んでいくのに、一千回献金をささげ始めたのですが、病気をなおしてくださいということではなく、教会が福音を悟って、民族と世界を生かす教会になるようにしてください。聖霊充満して、地域を変化させるようにしてくださいという祈りの課題が上がってきたのです。病気をよくしてくださいということではなく、これをささげる間、生きるようにしてくださいということを感じることができたのです。ところが、生命が少ししか残っていないために、一日に一度でなく、礼拝をささげる時ごとにささげたのです。そのようなある日、100回目をささげたのでした。いまは何百回になりました。もし、こういう信徒が300人 なって、一千回献金をささげるならば、教会堂を建てるのも簡単にできるでしょう。献身して献金する時、こういう祝福の出会いがあるようになって、多くの祝福を成し遂げて行くようになります。神様は、私達が100% 献身すること望まれます。神様が皆知っておられるので、100% 参加するという心だけっさげれば、神様が奇跡をなされるのです。
▲生命- 私たちは今、100% 献身しながら、いのちをかけて伝道運動をする者です。この時代に伝道するために賛美して、伝道して、福音を伝えるために産業をするために起きたのです。牧師の伝道運動に賛同するのです。いのちをかけて伝道運動に参加する人々があれば、この国は滅びないで、いのちの運動がおきるはずです。
▲毎日- すると、毎日、こういう奇跡がおきるはずです。 100% 献身して、いのちの運動をする皆様にこういうみわざが起きるはずです。
 
▲祈りの課題を差し上げます。
(1)開拓教会- 今日は、開拓教会のために献金する日です。開拓教会といえば、胸がじいんとします。田舎で開拓して牧会するということは、簡単ではありません。だから胸がじいんとするのです。
(2)神学校- また、神学校のために祈らなければなりません。世界で重要な学校です。他の教団でできないことを私たちはするのです。
(3)産業宣教大会、レムナント共同体訓練場- 今、産業宣教大会と、レムナント共同体訓練場のために祈らなければならないのです。すると、神様が答えられるはずです。
(The end)