2001年 10月 14日 東三第一教会 聖日メッセージ


1部:裏切り者ユダ
(マタイ26:14-16)
 
 
 
<序論>
・私達は、教会へ来る時には何らかの心があるでしょう。六日間、社会生活をしてから来るので、より一層そうでしょう。ある方は‘感謝する’という心で来たり、力がなく来ることも、葛藤を持って来ることもあるでしょう。しかし、すべての人が共通してしなければならない事があります。神様のみこころが何であり、神様に何の恵みを受けなければならないのか? を考えなければならないのです。良くない事を持ってきた人もそうです。そこにある神様の計画は何か? 神様のみこころは何か?を考えなければなりません。良いことがあっても、良くないことがあってもです。それでこそ恵みと重要な解答を受けることができるのです。それで、聖日の礼拝がとても重要です。これよりも重要なことはありません。
 
・特に、私達は六日間、外で動く中で教会に来る前まで一番たくさん出会うことが人です。この中に犬ゆえに試みにあって座っている人はいないでしょう。育てた猫ゆえに試みあって神経質になっている人はいないでしょう。ほとんど人にある試みは人のゆえです。人ゆえに試みにあったり、人ゆえに感謝するのです。道を行く時、おかしな人に会ったとしても、通り過ごすことができますが、3つの場所でひっかかるとそのようにはできません。職場、教会、家庭がそれです。職場の中におかしな人がいれば、普通ではありません。また、教会のなかで葛藤を与えられれば、それは簡単に越えることはできないのです。ところが、より難しいのが、家庭です。家庭で困難を受ければ、勝つことが大変です。
 
・私たちは、このような部分をもって生きるために、今日のみことばを捕まえて勝利しなければなりません。今日の事件は、とても有名な事件です。イスカリオテのユダがイエス様を裏切って、売り飛ばそうとする場面です。私たちは、このことだけを見ても、人を通じて来る試みはあまりにも難しくて、ほとんどすべてだと言うことができるでしょう。
 
1.人が与える葛藤
1)イスカリオテのユダ
@イエス様の弟子がイエス様を裏切った
・イエス様がいらっしゃったのに、違うと反対する運動も人がすることです。今日の26:14を見てみましょう。‘その時に'と書かれています。イエス様が十字架を負って死ぬはずだと話されたその時にユダが考えたのでした。私が見る時には、ユダという人は、瞬発力が飛び抜けて、頭が良い人だと思います。その時に、大祭司長を訪ねたのです。イエス様が死むはずだという話を聞いた後のイスカリオテのユダの考えが重要です。祭司長を訪ねて話したのです。
 
・他の話をしたのではなく、‘彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか?'でした。お金をその場で受けたのか、受けると約束したのか、とにかくそのような話が行き来しました。ところが、今日見ると受けたとなっています。‘そのときから、彼はイエスを引き渡す機会をねらっていた。'とされています。相当なことです。それも、イエス様に従った弟子がイエス様を裏切るようになったのです。私達は、こういう部分を見る時、ちょっと考えなければならない部分です。
 
Aイスカリオテのユダは未信者であった
・イスカリオテのユダは、3年間会計をまかされていた、かなり頭脳が明晰な人です。おかしな人や、あまり浮ついた人にはこれを任せません。私達の家族の中でも同じです。子供が異常ならば、お金をたくさん与えたり、任せたりしません。夫人もなにか異常で、きちんとできなければ、お金を任せません。経済をみな任せたということは、とてもしっかりしていた人です。そして、3年間引き受けたことを見れば、この人は生活面でも正直だったと見ることができます。団体が大きくても、小さくても3年間会計を預かったとすれば、正直な人だと言われるはずです。
・こういうイスカリオテのユダがイエス様を裏切りました。それもイエス様の弟子がイエス様を裏切ったのです。もちろん解答は簡単です。深く考える理由もありません。イスカリオテのユダは未信者です。‘いや、未信者がイエス様の弟子になることができるのか?' 私が見るのには、今でも教会の中に、役員の中にも未信者が多いのです。正確に話せば、救われることができなかった人が多いのです。不可能なことではありません。そのように理解すれば、理解が早くできます。
 
・‘それならば、どうしてそのような人を弟子にしたのか?' そのようにも質問ができます。色々な理由があるでしょうが、とにかく未信者であることだけは確かです。今でもありうる事であり、これからもありうることです。一番に難しい事があるならば、教会の中にいる未信者です。いつでも彼らは、サタンのお手伝いをするために怖いのです。
 
Bイエス様のうわべだけで理解していた
・イエス様の3年間に、相当な働きが行われました。すごいことには、死んだ者も生かされました。多くの群衆が群をなしてイエス様に付いて回りました。経済問題は心配する必要がなくて、パンと魚で5千名を食べさせても残りましたし、すごいことには水の上を歩くこともされました。パリサイ人が反対する前には、ユダも付いてまわったのでした。
 
・ユダも‘このようなすごい方にどのように会えるか?'という考えたのでした。ユダは、そのように見たのです。イエス様を‘主'と見たのではなく‘先生'だと見ました。そうであるせいか、聖書にユダがイエス様を‘主よ’と呼んだことはありません。ペテロは違います。‘主は生ける神の御子キリストです'と告白しました。そのような立場を見る時、イスカリオテのユダは、地球上で最も立派な先生を知ったと思うだけのことはあったのでした。
 
・ところが、パリサイ人が立ち上がって反対したら、少し心配になったのですが、イエス様の力を見てそのままついていていて、イエス様がご自分の口で死ぬ!と言われたら、ユダの頭で考え始めたのです。イエス様をキリストで、主だと見たのことはありません。霊的な目が暗くなっていた、言わば未信者です。
 
・未信者の立場でイエス様の公生涯を見てみましょう! イスカリオテのユダは、そのようにせざるをえないでしょう。パリサイ人の対応に揺らいでしまったのです。今日の政治家たち、知識人の姿ではないでしょうか? このように人の顔色をうかがって、そこへ行ったのです。救われていない人の姿ではないでしょうか? 現状に従わざるをえないのです。
 
・イスカリオテのユダは、そこに行ってお金を要求したのですが、お金の欲が出てそのようにしたとは思いません。イスカリオテのユダは、頭で考えて、お金を払っても告発した人でしょう。何故でしょうか?未信者だったためです。東三第一教会をはじめとするタラッパンをする教会がいつも考えるべきことは‘教会の中には救われることができなかった人もいる’ということです。長老が指導力を発揮する中に、いつでもそのようにしなければなりません。教会の中には、役員の中にも、働きをする人の中にも未信者がいるのです。これだけ知っていれば、試みにあうことはありません。大きく問題になることもないのです。
 
・私が見るには福音が一つもありません。私たちの場合は、このように長老を立てません。私たちは、信仰生活を上手にやる方、教会をよく導く方、福音を持った方を長老に立てるけれど、ソウルはそうではありません。牧師が交渉をする時代になりました。政治をしようとすれば、国会議員をしようとすれば、私たちのように大きい教会にきて長老にならなければならないと言いながら交渉するのです。それとともに結託したりするのです。それとともに、牧師はそれとなく宣伝します。これが教会が滅びる道です。既に滅びてしまったのです。
 
・教会の中にも救われていない人がいるということです。東三第一教会も教会を建てるのに、長老の中の一人を見たら、自分も建築する人なのに、建築が他で取られると思って (率直に建築は半分が残ります) それで頭を使ってこれを奪おうとしたのですがだめでした。では未信者が何ができないでしょうか? 牧師は教会の中の信者と未信者を見る目がなければなりません。
 
2.神様の重要な計画は変わりなく成就される
・マタイ24,25章に見ると、教会の中にも救われていない人々が来るはずだとイエス様が直接預言なさいました。しかし、神様の預言は変更がなく成就されました。イスカリオテのユダはかわいそうな人になりました。イスカリオテのユダが告発しなくても、イエス様は十字架を負ったのです。では、イスカリオテのユダは本当にかわいそうなのでしょうか? そうではありません。元々悪い人が悪役をしたのです。聖書は‘自分の道に行った'と記録しています。ある面では、離反したのではありません。‘自分の道に行った’のです。しかし、神様の計画は完壁に成就されました。
 
3.得るべき教訓
・それで、イエス・キリストは十字架にかかられて、すべての暗闇の勢力が崩れました。私たちはここで受ける教訓がたくさんあります。聖書をよく見ましょう! 今日、祈りの答えの大きい力を得るべきです。私達がこの世を離れる前までは、いつも悪と善は共存しています。また、いつも信仰と不信仰は共存しているのです。また、いつもサタンの働きと聖霊の働きは共存しています。
 
1)明らかに知っていなければならない区分
・もう一度申し上げますが、ある方がサタンは縛られたのに、何故サタンを縛ることを話すのか?と質問しました。私達が今は答える必要があります。いくつかの重要なことは違ってはだめなのです。罪の権威は縛られました。しかし、罪はあるのです。そのような罪を注意しなければなりません。そのような罪は、私達に勝つことはできません。権威が打ち破られたためです。
 
・そっくりです。サタンの権威が打ち破られたのであって、サタンの活動が縛られたのではありません。サタンの活動は、イエス様が再臨して来られる日まであります。かと言って、私達が勝手に罪を犯そう!と告げることは誤っているのです。それが異端です。‘罪の権威が縛られた! 勝手にして回ろう!' こういう宗教があります。罪の権威が打ち破られたのであって、罪は存在します。明確にしなければなりません。また、サタンの権威が縛られたのです。私達に勝てる権威はサタンにはありません。しかし、サタンの活動は縛られていません。聖書をよく見ましょう!
 
・この地に生きる間は、そうです。まるで天国に行っているかのように話しますが、天国に行けばみな終わってしまいます。しかし、この地に生きる間にはそうではありません。私たちの教団には学者もたくさんいます。パク・スンホァン牧師のような方は、たくさん準備した学者です。こういう方が返事をしてあげるべきです。すると質問した人々に多くの助けになるでしょう。今、最も敏感な部分ですが、救いとは関係ありません。確かに罪の権威は終わりました。罪が私達を地獄に送る権威は終わったのです。しかし、罪は存在します。これを逆に解釈する異端があります。大きい錯覚です。
 
・罪、地獄、サタンの権威は終わったのですが、まだ存在します。それで、救われた人は知恵をもって生きなければなりません。この地に生きる間に聖霊の働きだけが存在するのではなく、サタンの働きも存在するからです。どのようなことをしても、それはサタンのお手伝いではないのか?を必ず考えなければなりません。
 
2)教会史の教訓
・教会史の教訓を見ましょう! イエス様が復活なさった以後に、こういうことは共存してきました。より重要なことは、これからの時代です。黙示録には過ぎた時代もあって、今もあって、これからの時代もあります。ではひとつ尋ねます。黙示録に呪いと災いの勢力はあるでしょうか? 明らかにせねばならないことです。想像を超越するほどのサタンのしわざがあります。はなはだしきは力を行なうので、人を惑わします。私達に正しい信仰がなければだめです。
 
3)黙示録
・終わりの時に、黙示録に見れば、サタンがおきて、途方もない力を行いながら人々を惑わすとなっています。では、人々はどのようになるのでしょうか? 私たちは、ユダが行なったことを見れば、多くのことを見ることができます。
 
4)成功するためには
▲では、人間関係に成功しようとするなら、どのようにしなければならないのでしょうか?
 
(1)一生の時刻表を見ながら見るべきです。ヨセフは、自分の兄達が自分を売った時だけを見たのではありません。一生を置いてその事件を見ました。これがものすごく重要です。多くの方達が私に、あんなこんな話を多くします。一生を置いて話をしなければなりません。私たちの教会に働かれる神様の計画を見る時、一生を見ながら見るべきです。
 
・東三第一教会に力がある人がたくさん来るべきだと主張する人がいますが、それを一生をおいて見ましょう! 私が見るのには、まだまだだという気がしています。私は、私たちの教会と瑞草地域教会の堂会員を見ながら、本当に感謝だという気がしました。私がいたある教会の堂会員は、みんな学歴があって専門的な担当者でしたが、福音の根が弱かったのです。こういう状況で、どんな人物も牧会を正しくできなかったのです。こういう所では、福音を伝える余裕がなかったのです。その立派な要求をみな取りまとめるのに時間が皆いったのでした。
 
・私たちの教会は、長老がとても良くて、私たちの教役者がそれほど緊張をしないのですが、その教会に行けば、教役者が緊張をすごくしなければならなかったのです。毎日、牧師が変わるのでした。神様に時刻表があります。私達は、人や事件を見る時、一生を見ながら見るべきです。家族関係もそうです。私達が見るには、苦しいという人もあって、幸福だ言う人もいますが、一生をおいて見るべきです。これは神様だけがご存じであることです。
 
(2)神様の永遠な計画を見て、その事件を見るべきです。神様の計画を見て荒野を行ったとすれば、欲望が出なかったでしょう。神様の永遠な計画を見て今を見れば、感謝するはずです。
 
(3)前の2つがなれば、その次にその中に機会が見えるはずです。‘あ〜奴隷になったことは、なげくしかないな!' ここで機会を探さなければなりません。そうすれば、人間関係で成功できます。私もそのような時があります。
 
4.整理
・人々を見ながら、本当に感謝する時がある反面、ため息が出てくる時もあります。このような時ごとに、この3つのことを思います。そのようになれば、今、私が何をしなければならないか?を考えなければなりません。ところが、今日、ここには多くの教訓と答があります。
 
・むしろ短い時間に簡単に答を出すことができます。‘救われることができなかった人も教会にいるんだな。こういう人々が、サタンのお手伝いをするんだな! しかし、神様はこういうことを持っても、神様の完壁な働きをなされるんだな!’ 神様の全体の計画を持って見れば機会をさがすことができます。
 
・私達の次の世代、私達の死んだ後のことも考えなければなりません。神様が私達にイスカリオテのユダを見て、新しい恵みを受けるべきだとされます。‘他のことのは知らなくても、私が 救われた神様の子供になったことを感謝すべきだ。' 私はこれにとても感謝します。私は、そのような考えをしてみました。ある方は、こういう話をしました。瑞草地域教会はどうだと言いながら悪口を言ったのです。私は、そうではない!と考えました。瑞草地域教会は‘他の運動ではない!'と集まった人々が、その教会です。私は多くの芸能人や政治家たちが集まる教会と代える心は毛頭ありません。東三第一教会はすこし違います。教会が始まって私に会った教会です。
 
・どんなに足りないとしても、神様はそれを直す能力が十分にあります。どんなに立派な人が集まったとしても、福音の価値を知らない人は希望がありません。イスカリオテのユダがどんなにしっかりしていても、福音の価値を知らなかったので、人生をそのように終えてしまったのです。ペテロのような人は学んでいなかったのですが、福音の価値を知っていたのです。こういう方達がここに集まりました。そのような方達が、ともに全世界で礼拝をささげています。どのように考えるでしょうか? 5年、10年が過ぎた時、どのようになるでしょうか?
 
・無能だけれど福音がある人が人生をみな生きた後と、能力はあるけれど福音の価値を知らない人が人生をみな生きた後を考えてみましょう。どのように違うでしょうか? 私たちは神様の子供になったことに本当に感謝しなければなりません。
 
(祈り)
 神様が私たちに救いを下さったことを感謝申し上げます。どんなにしっかりしていなくても、イスカリオテのユダのように救われていない者にならないようにしてくださったことを感謝申し上げます。世には人々が多くて、福音を知らない人が多いのに、福音を知るようにしてくださったことを感謝申し上げます。私たちに未来を知らせてくださったことを感謝申し上げます。今日、神様の大きい恵みを受けることをお祈りします。今日、貴重な恵みを答えを受ける日になることをお祈りします。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン>>
 
 


2部:すべての人は罪人
(ローマ3:9-24)
 
 
柳)) 20年余り前のことですが、思い出します。学校に両腕と両足がない人がきました。どれくらい難しいことでしょうか.. 食事をする時も、車に乗る時にも、他の人の助けが必要な人でした。その方は、私たちの学校の礼拝時間に証しをするために米国から来た人でした。その方は長老の息子だったのですが、米国へ行く前まで教会に通いながらも信仰がなくて、米国に行っては聖日の礼拝時間にあちこち遊んだということでした。そうしているうちに事故に遭ったのですが、その事故でからだだけが残って、腕と足が飛んで行ったのでした。おかしなことを多くしたから神様がそのようにされたのだと考えて、神様が生きておられ、私と共におられ、それで私が救われた神様の子供になったと告白をしのですたよ... その証しを聞きながら、私は自分が救われたことを信じられることに感謝しました。その人は、救われた神様の子供であるということを悟るために、腕と足が飛んで行く大きい事故にあったのでした。それは、神様の恵みで祝福です。無理に信じられることではありません。
 
・皆様の家族や友人が、信仰がないとしても、無理にしないようにしましょう。それは、神様の恵みです。その人の考えを握っている暗闇と不信仰があるのに、どうして無理に信じられるでしょうか.. 神様の力が信じられて、救われた者の祝福を知るようになったこと、そしてそれが味わえることは、本当に感謝なことで、恵みの中の恵みです。若い時は、神様がなくてもよくなるようだと思います。しかし、今、苦労する人は、この事実を悟ることができないからそうなのです。ある日人生を歩んでいて、元に戻せない状況に行ってから悟るのです。
 私たちが、今日みことばを聞く日に神様の恵みがあふれ出て、それで終わることでなく、最高の祝福があることを確認する信者になるようにお祈りします。
 
柳)) この前にも証ししたことがありますが、ある方は神様が絶対にいないと考えました。神様はむかしにおかしな人々が信じた信仰であって、この頃は信じないと主張しました。大学を卒業して、非常に知性がある方でした。そのようなある日、学校の先生であったこの方が疲れて病院に行って検査をしたら、これ以上生きることができない肉体の問題がきたのでした。それで問題がきて学校を放棄して病院に入院しました。横たわりながら、生まれて初めてキリスト教の放送を聞いて、説教を聞くようになったのです。説教が "今、病気になったり、失敗したり、苦しんでいる人はいないか.." と始まったのです。この方が心の門をあけて聞き始めました。といったところ、肝臓ガンが良くなったのです。イエスを信じて絶対によくなることができない病気がよくなったのでした。よくなった後に私たちの教会が修練会する場所にきて、ともに参加しながら非常に恵みを受けていました。
 
・人はどれだけ弱くて悟ることができないのでしょうか.. 死の境地に至ってやっと悟れる人々が多いのです。今日、私達は死の境地に達しないで、神様の恵みの祝福を回復することをイエスの名前でお祈りします。どれくらい大きい神様の恵みでしょうか.. 人間はどれくらい弱くて固執が強いので悟ることができないのでしょうか.. 暗闇の勢力が考えを防止していて、悟ることをできなくするのです。
 
・青少年が、麻薬、シンナーなどにたくさん陥ります。多くの問題が生じています。自分の自由にならないのです。もし私たちの青少年が寝ている所に真黒な悪魔がきて、学校に行かずシンナーをしろと言えば、悪魔ということを知って怖くてするはずではないのですが.. 人は目に見える存在ではないので、人を利用して、特にその人が好きな人を利用して入るのです。サタンがエバを倒した時、へびを利用したように.. 考えを変えることができないのです。まちがいなく麻薬を始めた人は、神様の恵みでなくては、滅び果ててしまって、希望がないということを知り始めて悟るようになるのです。今日、ここにいる学生達が神様の恵みを悟ったということは、どれくらい大きい祝福であるか分かりません。今日、あなたがたが神様の恵みを受ける貴重な日になるように願います。
 
・ローマ人への手紙をまた始めるなかで、重要な単語だけを選んでみことばを語っています。先週は、一番重要な単語‘義人は信仰によって生きる..' を置いて語りました。今、米国と世界に起きる戦争は、私達も被害を蒙ることもあります。彼らが化学兵器で病気をまき散らせば、私たちはだまされることもあります。どのように人間があのように悪くなったのでしょうか..世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。義人は信仰によって生きる.. 米国の教会が悔い改めして祈らなければなりません。
 
・私達は、米国研究をしなければなりません。米国は 200年前に英国からやってきて始まった 国です。始まった時、私たちは聖書みことばを信じないカトリックではなく、私たちは神様のみことばを回復せねばならない...! とアメリカ大陸に渡っていった彼らが話したことが、聖書通り生きよう! ということでした。旧教からプロテスタントで抜け出した国が米国です。神様が話で表現できないほど祝福されました。ケネディ大統領の時から、学校で聖書を教えることを禁止して、いまは米国の大部分の雰囲気が、ほとんど大部分の学校が聖書を教えることを禁止しています。あらゆる神学の発祥地が米国ではないのですが、そちらで復興を成し遂げました。そのような米国で福音運動を徐々に減らしました。それで福音が全くない状況になったのです。簡単なことではありません。義人は信仰によって生きるということは、普通の話ではありません。
 
・私たちの青年達、学生達が悟ることは難しいことですが、神様の恵みであり、信仰でだけ可能な貴重な働きであるために、今日、重要な topicとなる単語.. '義人はいない。一人もいない' この話だけ悟れば良いのです。ローマ3:10, 23 'あらゆる人が罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず' と言われました。
 
▲私たちが何を発見すれば、正しく神様の祝福を回復できるのでしょうか..
(1)義人は一人もいません。人間は創世記3章の事件以後に全部、罪の中にいるようになりました。ローマ3:9節 -は、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。.. ユダヤ人があーだこうだ話しますが、すべての人が罪の中にあるということです。10節に記録されているのは、義人はいない、一人もいない.. 悟る者もなくて神様を探す者もなくて.. 何故、世界はどんどん滅びるのでしょうか.. 悟る者もなくて、神様を探す者もいないためです。
 
・驚くべき事実です。私はヨーロッパ教会に強力な青少年や若者達を選んで送りだすべきだと考えています。何故でしょうか?.. ヨーロッパ教会の中に若者が一人もいません。普通の問題ではありません。11節を見れば分かります。今日、大学生と青少年と中、高等学生達に最も貴重な福音が入っていくようにさせない何かの暗やみの勢力が、主イエスの御名で崩れるように、本当に主の御名で祈ります。全世界に危機がきました。米国とヨーロッパは、深刻な危機を迎えています。福音がなく、米国、ヨーロッパに留学に行けば、みな崩れます。単に起きていることではありません。私がものすごく驚きました。
 
柳)) 私は、ヨーロッパ教会に行ってみて驚いたのです。ヨーロッパにいる人も、行ってきた人も同じように言う話です。ヨーロッパ集会に行ったのですが、聖日に礼拝をしようと行ったら、教会の中に誰もいないのでした。おばあさん達だけが、その教会に座って遊んでいたのです。礼拝をささげるのに、どれくらいヨーロッパの牧師が堕落をしているかというと、ヨーロッパの牧師は、国家でお金が出てくるから、伝道も全くしないのでした。あまりに衝撃的な事実は、青年が一名もいないことでした。そのヨーロッパ人が韓国にきて、私たちの学生達が床に座って礼拝するのを見れば驚くはずです。ヨーロッパの remnantも礼拝をささげるのを見て、はじめは 異常だと言ったということです。私たちのように、床に座って礼拝をささげれば、米国では法律違反だといわれます。remnant 運動をして 2年目の日に、米国に行ってみたら、米国の子供たちも床に座って礼拝をささげていたのですよ.. 変わって行くのです。
 
・こういうことがあっても良いのでしょうか.. 大変なことになったのです。青少年が肉的に全部変わったのです。精神的なこと、霊的なことは一つもありません。獣と全く同じく、肉体だけで生きるのです。このように今、世界は変わっていっています。‘義人はいない一人もいない..' 何故でしょうか?.. どんな義がないのでしょうか.. 神様を探すこともせず、信じることもしません。こういう考えをしているのです。私達が聖書をよく見て、悟らなければなりません。礼拝 をささげることができるということは、大学生や青年が礼拝をささげているということは、奇跡に近い事であり、本当に驚くべきことなのです。先進国の青少年は、神様がいないと考えます。獣と全く同じです。人に精神的なこと、霊的なことがなく.. 神様がいないとすれば、獣と同じです。むしろ獣より劣っています。どんなに食べて仕事をしても、肉体的なことに過ぎません。肉体的なことに集中していれば、終わりまで行きます。どの程度まで行くのでしょうか。道で隠れて麻薬をするまで達するのです。何か注射器を刺して行けば麻薬を打っているのでした。死ぬかもしれないという考えがありません。それで、国で新しい注射器を供給する状態です。先進国で裏路地をすぎれば注射器が散在しています。
 
・12節に‘すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。' なんの益にもならないことをするのです。‘彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。' のどが開いた墓という言葉を皆様は理解が出来ないでしょう。ロシアでは目を聞いて山を見ろとすれば、山がなくて理解ができないのです。
 
柳)) 私がある教会にいた時に、郊外に土地を買って置いたのですが、発展にして、そこが都市になりました。それで 53個の墓を掘ったのですが、大部分の墓にあちこち骨がありました。ところが、恐ろしいことは十年あまりが過ぎたのに、全く腐っていないものがあることでした。墓を移す人の話では、ビニールを使ったり、空気が正しく入っていかなければ腐ることも出来ないということでした。腐った所は臭いがないのに、腐らなかった部分は臭いが相当にひどかったのです。それが開いた墓です。
 
・神様なく生きる人々が、悪い臭いを漂いながら生きざるをえないということです。13節に見れば、その口はのろいと苦さでいっぱいで、その足は血を流すのに早いと..
 
柳)) 私が中高等部を預かって伝道しに行きました。学校を訪ねて伝道をしようとしたのに、学生達がいたずらをして戦って、悪口を言って福音を伝える雰囲気ではなかったのです。男子学生は特にどれくらい悪口を多く言っていたか、話ごとにあるいは二節ごとに悪口を混ぜるのでした。どれくらい熟達していたでしょうか。この頃の子供たちは、おとなと話す時つかえるのです。悪口を抜いて話さなければならないから.. 話自体が悪口を入れていっしょにする時代です。それで、学校のそばのパン屋のような所に行って、子供を一名ずつ呼び出して伝道したことがあります。
 
・‘彼らの道には破壊と悲惨がある。..' いらっしゃった神様を知らないで信じられないので、人間は獣と全く同じになり、破滅と悲惨がその道に置かれているのです。これは誰でも悟ることではありません。どのようにすれば良いのでしょうか..
・17節に‘彼らは平和の道を知らない。'‘彼らの目の前には、神に対する恐れがない'‘さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。' 23節に‘あらゆる人は罪をおかしたので、 神からの栄誉を受けることができず..' 創世記3章以後に神様の栄誉を受けることができない原罪と罪過に陥ったのです。私達が悟らなければならない最初のことです。地球上に大きい困難がくる理由が何でしょうか... あらゆる人が罪を犯して、神様の栄誉を受けることができなくて、義人はいない、一人もいなくて、それで呪いと苦さに満ち、破滅と悲惨しかないのです。
 
・先進国が行く所に、青少年が行く所に、破滅と悲惨だけが残っているのです。それで、自殺して酒を飲む子供達が多いのです。酒場で遊ぶ子供達を呼んで集めるたら、時計を 5千万円相当のを身につけている子供もいるということです。子供達がお金をやたら使うように狂ったのです。
 
・今時代が過ぎれば過ぎるほど、学生達の精神が正常ではないのです。そして獣のように、それよりもっと悪く生きるのです。私たちはよく悟らなければなりません。神様の恵みを知らなくて死んでいく者たち.. 私達が静かに置いておいてもかまわないのに滅びるから.. せつないのです。知らない国、人々をそのまま置いておいてもかまわないのですが、どっちみち福音がないからみな滅びるはずなのですが.. その時まで置いておくことがせつないのです。私たちの 青少年と多くの知識人をそのまま置いておいてもかまいません。どっちみち精神が異常になって滅びる.. その時に行って福音を伝えれば良いのですが、その時まで見るのがせつないのです。 
 
(2)今日、2番目に悟らなければならないことは 19節です。
 
・律法は、罪を知るようにすることであって、救いにはなりません。絶対になりません。皆様が2番目に悟るべきです。神様のみことばの中で、律法は人に罪を知らせるようにすることであって解決することはできません。
 
柳)) ある学生が勉強しないで回っている途中で、偶然に子供達と交流していて、過ぎ行く子供のお金を奪いました。それで学校から退学させられる立場になりました。それで私がせつない心になって、幼い子供を監獄に送ることを決定する判事に電話をしたのです。この子供が絶対にそのような子供ではないのに、監獄に行けばより悪いことを学ぶのではないか.. 若い判事 が私に責任を負うかと尋ねました。父母も責任を取ることができない子供を、私が責任を負う訳には行かないが、最善を尽くして助けると言いました。それで、今日一日だけこの子供を懲らしめて出したのです。ところが、この子供が刑務所から出が教会に一度きて挨拶した後に、来なかったのです。それから後、4年前にこの子供の友人がけんかをしていて死んだのに、同じ場所にいたので、共犯だとされて15年の宣告を受けたのでした。福音を悟れなかったためです。律法では、どんなにしても良くなりません。 
 
・あらゆる人が、罪に陥っているのに、律法では効果がないのです。律法では罪を悟るだけで、救いにはなりません。20節で律法を行うことによって、神様の前に義と認められる肉体は ないとあります。罪は知るけれど、救いではないのです。契約を捕まえましょう。22節に、すなわち、イエス・キリストを信じる信仰によって.. あらゆる信じる者に与えられる神様の義には、差別がないのです。絶対に今、地球上の問題は解決出来ないために、神様がキリストを送ってくださったのです。正確に聞かなければなりません。イエスを送られたのではなく、キリストを送ってくださいました。ところが、そのキリストがまさにイエスです。家庭、職場、民族の問題を解決するために、イエスでなくキリストを送られたのです。すべての人ということには私と皆様が含まれています。ところが、神様が呪いの中に置いておかれず、キリストを送ってくださったのです。
 
  柳)) 私が16歳の時、ダンテの神曲という本を読みました。その中で面白い話がありました。地獄と天国の話なのですが、地獄を第一地獄、第二地獄、第九地獄.. このように分けてあったのですが、第九地獄は一番凶悪な罪を犯した人が行く所ですが、そこにイエス様を裏切ったイスカリオテのユダ、シーザーを殺した友人のブルータスが座っていたのです。ダンテが想像で作ったのか、幻で見たのかは知りません。小さな罪を犯した人は、第一地獄にいたのですが、釈迦、孔子、ソクラテスが座っていました。彼らもすべての人に属するのです。本当に立派な人でしたが、すべての人の中の一人です。私はその本を読みながら、ダンテは普通の人と違うと考えました。一般の人が見ることができない見解で文章を書いたのです。
 
・あらゆる人は、アダムの子孫であるゆえに罪を犯したので、神様からの栄誉を受けることができなかったのに.. 24節に‘ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。' 私はこの話を幼い時から聞いていたのに理解ができなかったのです。宗教が多いのに、必ずキリスト教でなければならないのか.. しかし、この部分が今、ヨーロッパと米国と全世界が悟らなければならない部分です。釈迦、その方達はついて行くことができないほどの聖人という程、立派な方です。しかし、共通してアダムの子孫です。それならば、聖書が理解ができないでしょうか.. インマヌエルといいなさい.. 私はこの話を悟ることができなかったのです。
 
・神学の勉強を最終的にした後に、悟って衝撃を受けたのです。私達の家の前にあらゆる呪いがみな逃げる道があります。他の道ではありません。福音でだけ救われるのですが、イエスでだけ救われるということが理解できなくて、独善的に感じられたのです。ヨハネ14:1のみことばが理解できたのでした。あらゆる問題が終わるようになります。使徒4:12節が理解できならなかったのです。学校に通いながら見れば宗教は同じだと考えたのですが、創世記3章の解決だけは他の人が出来ないな.. 神様がイエス・キリストを送ってなさったんだなあ.. 地球上に唯一、暗闇の勢力に勝って、サタンの勢力を破るという記録は聖書にしかないな.. 人々が死んでいくのに、どのように死んでいっているかを現場に行って知るようになったのです。
 
▲今日、皆様がこのみことばを捕まえて3つの祝福を受けるように願います。すべての人は罪人であるゆえに希望がありません。それで、神様が私たちを生かすためにキリスト・イエスを送られたのです。神様の祝福の門をあけて創世記3章の問題を解決なさったのです。
 
(1)祈りの秘密を知るようになります。これが祈りなんだな、という祈りの味を知るようになります。祈りの答えがき始めるのです。
 
  柳)) 私は、2部礼拝が終わればソウルへ行きます。夕方にはまた釜山に戻ってきます。その飛行機のなかで味わう祈りの味がどれくらい良いかわかりません。この話を分かるようになれば、イエス・キリストの本当の答えがき始めます。
 
・本当に悟れば良いのです。イエスを信じれば救われるということを知るようになります。神学校でも、半分以上は他の宗教でもかまわないらしいのです。多元主義です。理解ができません。ある日本物を見るようになったのです。人々がどのように死んでいくのか.. 今、教会と信徒が重要なことを捨ててしまって見ないのです。
 
柳)) 神様の恵みを感謝するのですが、私が副牧師でありながら伝道学校も作って伝道運動をしていた時です。私がいた教会の長老が集まって、牧師に訴えたのです。すべての弟子が柳牧師に従うと話したのです。それで、私をムダン(霊媒師)が集まって、許可されていないのに多くの人々が住む所に送ったのでです。そちらで私はとても大きい祝福を受けました。伝道する理由、宣教する理由を悟るようになったのです。未信者状態 6種類をその町で悟りました。率直に話せば、長老の作戦によって不許可の村に住む人々に、世界中でこの御名の他に救われるべき名としては私達に与えられていないのだな..と、宗教、偶像でみんなが滅びる現場を見たのです。ムダン(霊媒師)の村で使徒4:12節を悟ったのでした。そして信者の祝福 7種類を捜し出したのです。どれくらい大きい祝福を受けたのか分かりません。
 
(2)教会がどれくらい大きい祝福であるかを悟るようになります。長老と信徒がどれくらい重要でしょうか..
 
(3)現場の味を見ます。これが伝道だな..!
・味を知らなければ、なるようになりません。牧師が集まれば、伝道の味を見てくださいと言います。釣りをする人々は、魚を釣る味を理解しています。何日も座って釣りをする人は、味を知っている人です。伝道も味を見るべきで、祈りも味を見るべきです。人生の祝福の門が開かれるようになることを願います。誤って聞けばものすごく独善的に聞こえるでしょう。理解ができないで、高慢だと悟ることもあります。しかし、私は現場でみことばをもっと悟るようになったのです。宗教や律法では解決ができないのだな..この契約を捕まえた時から、答えが与えられ、伝道の門が開いて、教会の祝福がくるようになりました。現場でみことばでなくては、宗教や律法では解決しないな.. 創世記3章事件を解決する方はただイエス・キリストだけだな..ということを悟るようになったのです。今日一人ももれなく、この答えを受ける貴重な日になることをイエスの御名でお祈りします。 
 
(祈り)
 神様に感謝申し上げます。今日、私達が持っている悩みが解決する日になるようにしてくださって、神様は確かになさることができるという待つ信仰を与えて下さい。祈りの力を与えて下さい。今、地球が知らずに、発展した国が知らずに霊的に暗闇の中に走って行っています。主イエス・キリストの御名で勝利できるように、神様の力を与えて下さい。今日礼拝する瑞草地域教会と蔚山路地域教会と衛星で礼拝するあらゆる教会に証拠を与えて下さって、多くの教会がみて分かる生きた証拠を与えて下さい。東三第一教会が始めた伝道運動が何か分かるように、今日礼拝する方達が分かるように、神様が証拠を与えて下さい。この時間に主イエスの権威で私たちの青少年と知識人を暗闇に引っ張っていくあらゆる不信仰が崩れる時間になるようにしてください。私たちの青少年の目を暗くさせて、私たちの知識人と政治家たちの目を暗くさせる、あらゆる不信仰とサタンの勢力がイエス・キリストの名前で崩れる時間になるようにしてください。義人は一人もなず、神様を信じる者もいないし、この地は困難の中にあります。今日、礼拝する方達に証拠を与えて下さい。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン>>
 


3部:エルサレムの限界
(使徒15:1-21)
 
 
・瑞草地域教会と百箇所余りの教会、インターネットで一緒に礼拝している中に二人の宣教師が派遣されるようになりました。説教を別に準備しないのは、今日の本文を見るなかで神様がみことばを下さいますはずだと確信しているからです。ともに記憶しなければならない、とても重要な答を下さいました。エルサレムの限界から抜け出さなければなりません。私達が持っている限界を抜け出すことです。
 
・現場で私達が未信者を伝道しなければならないのに、自分の限界から抜け出すことができずにいます。それでだめなのです。宣教師が行って人を生かさなければならないのに、また祝福もたくさんあるのに、自らの限界を抜け出せないでいます。残念なことに、その小さな限界の中で、多くの祝福を奪われているのです。限界から抜け出せば、信仰生活は祝福をずっと受けるようになるはずで、答えをずっと受けるようになるはずです。多くの牧師、役員、一般信者もそうですが、まして外国に出て伝道しなければならない宣教師はどうでしょうか。難しく考えず、簡単に理解しましょう。
 
・私達が米国で宣教をしなければならないのに、その水準を越えることができないでいます。するとできません。イエスがどんなにキリストでも、私にとっては違うのです。その限界を早く越えましょう。私達がお金が多い人を伝道しようとしても、その水準に達し得なくて限界にあるために、福音を伝達出来ないという結果を産んでいます。すると早く悟って抜け出しましょう。難しい事ではありません。
 
・今晩に集まって礼拝する聖徒と、全世界で恵みを受ける方達が記憶なさらなければなりません。私達が限界を抜け出すのには、色々な理由がありますが、最も大きい理由は心配です。私が飛行機からおりて牧師とともに車に乗って行く時に対話を 30分間するようになりました。私達は人であるゆえに対話の内容の中で神様に感謝するという話は、3%程度であり、残りは心配が多かったのです。心配をすることは仕方がありません。皆様が静かに説教を聞きながらも、息子を考えれば心配になります。なぜならば、心配して生きているためです。人間であるためです。職場、家庭、事業、夫、これからの未来を考えるようになれば、心配が多くなります。私たちはこの中に包まれているのです。
 
・ところが、一人でこう考えてみました。‘神様が共におられるではないか。 それならば何も問題になる必要がない。神様が私の事情をすべてご存じではないか。それなら問題になる必要はない。私がこの問題と心配を神様に任せるならば、神様がなさることができるではないか。’あなたがたの思い煩いを主に任せてしまいなさい。主があなた方のことを心配してくださる、とおっしゃったから、心で‘これを主に任せます'と祈る時ごとに、その時はよく分からなくても、過ぎて見ればみな答えになりました。私達はどれほど多くの心配に捕らわれているでしょうか。一度は、私の子供のために心配をしたら、終わりが見えませんでした。‘神様、私の息子を全能なる主の御手に頼みます'。このように祈ったら答えを下さいました。簡単です。
 
・私たちは、ややもすると私たちの限界の中に閉じ込められて出て来ることができなくなります。また人に会えば心配します。そうしたあと見れば、また限界に閉じ込められて抜けられないのです。何でもないことのように見えても、大きいこととつながります。また実際に、心配することが生じるからです。どんなに心配をしようとしなくても、変わっていく様子を見れば心配になります。どんなに恵みを受けて、神様の力を信じると告白をしても、帰って事業や家族などの姿を見れば心配となります。これが人の限界です。しかし、この時が重要です。この時ごとに本当に祈らなければならないのです。
 
▲インマヌエルの祝福を受けるようになれば、いくつかの答えが与えられます。
(1)どんな状況の中でも生き残るようになります。‘主がヨセフとともにおられたので'、‘主ご自身の御名のゆえに'、生き残るようになるのです。二人の宣教師の家庭と、みことばを聞いている神様の民の皆様が、一度は考えてみなければなりません。
 
・神様が私と共におられ、神様がいないと話す人々に神様が宣べ伝えられるようにしてください。神様が私とともにおられることによって、神様を信じることができなくて不信仰になっている人々に証拠を見せてください。私が持っているこの問題を全能なる神様の御手に任せます。この信仰があってこそ、どこでも生き残るようになります。特に外国は大きいのです。インマヌエルの祝福がないならば、最もだめでなることが人間関係です。その限界に勝つことができません。そのように大きい問題はありません。人間関係であらゆる祝福をみなのがすためです。私達がインマヌエルの祝福を味わうようになれば、神様は色々な答えをなさるなかで、神様はもう一つの門をあけてくださるのです。
 
・今日の本文に、エルサレムと初代教会の限界が出てきました。神様が実際に福音の大きい祝福をエルサレムに与えられたのに、とんでもない話をするようになったのです。割礼を受けていない者は救われることができないと言いました。教会のなかから出てきた言葉です。福音を受けて、イエスを信じた初代教会の中に‘割礼を受けなければならない'という話題がのぼってきたのでした。イエスを信じても割礼を受けなければ救われないという話です。それで教会の中の人とパウロのチームと大きい争いがおきました。
 
・私達が見る時はなんでもないことのように見えますが、教会の中には大きい影響があります。 おかしなことです。信徒は恵みを受けるのに、おかしな人が現れれば教会を巻きこんで、人々はさまようのです。答をみな持っているのにもかかわらず、そうなるのです。イエス・キリストによって完全に救われた人々が集まった初代教会が言った言葉です。この人達は、簡単に話せば、ユダヤ人の限界を抜け出せなかったのです。幸いにペテロと使徒が祈る中で悟って、返事をしました。それが 15:6です。
 
・なんでもないことのように見え、単純な論議沸騰のように見えるのですが、ほとんどあらゆる信者と教会がこういうむだな事に縛られて、神様の祝福を受けることができなくて、抜け出すことができずにいます。私達が未信者を生かさなければならない祝福を持っているのに、自分の限界を抜け出すことができないのです。私たちの教会が神様の祝福を受けることができるのに、限界を抜け出すことができないのです。考えの限界です。お金は全く要りません。
 
・20節に見れば、正しいことをいくつかを可決して守るようにしようと言いました。しかし、これも完全ではありません。それで、エホバの証人が輸血をしないのです。今日の本文の結論も正しくなったのではありません。絞め殺すとは何でしょうか。ユダヤ人は犬肉のスープを食べません。私たちも知らない間に私たちの限界に引っ掛かって、神様の祝福を味わうことができないのです。今日理解すればよいのです。全く難しくありません。胸にこの話が含まれなければなりません。
 
・東三第一教会にくる前まで 6ケ所の教会を経ました。ところが、すべて信仰生活はしなくて けんかをしていました。長老の間で、信徒同士でつまらないことで戦ったのです。そのようにして時間をみな送っています。信仰生活は、そんなに難しいことでしょうか。私は信仰生活のようにやさしいことはないと考えています。違うようにするからです。信仰生活のようにやさしいことはありません。それで、私が幼かったのですが、‘神様、私は福音を伝えるようにしてください'と祈りました。ご飯を飢えてもかまわなくて、祝福を受けることができなくてもかまわないから、福音を伝えるようにしてくださいと祈ったのです。何が難しいのでしょうか。神様はそのまま答えてくださいました。
 
・私達は限界を抜け出さなければなりません。最高の祝福を受けた人々なのに、限界を脱ぐことができないのです。難しく考えずに必ず覚えましょう。私達が限界を抜け出せないために、人々を救い出すことができないのです。瑞草地域教会が首都圏を生かす条件がたくさんあります。早く限界を脱しましょう。私たちの青少年とレムナントがきて、思いきり信仰生活をできる教会を作りましょう。未信者が教会に向かって嫌う部分と好む部分があります。それを知って限界から抜け出しましょう。それで、私たちは首都圏の福音化をしなければならないのです。それならば、神様は応答なさいます。
 
(2)世界教会は今でもいくつかの限界を越えることができないでいます。最初は宗教の限界、二つ目は律法/規例/伝統、三つ目は民族の限界を越えることができないでいます。これで世界の福音化ががででしょうか。私は幸運なことに、日本に通いながらも反日感情が生じませんでした。感じても福音を伝えるべきだという気がしたのです。韓国とロシアの民族的限界を抜け出すことができなければ、福音を伝えるようにならないことで、してもできません。外に行って伝道するのに、未信者との壁と限界を越えなければなりません。全く難しくありません。限界を克服してこそ、世界的な祝福を受けるのです。
 
・ユダヤ人と宗教の限界を越える聖書的な方法 5つがあります。タラッパン、チームの働き、ミッションホーム、専門の働き、地域の教会です。私達がこの五つのことだけ記憶すれば、答えを受けます。タラッパンは何でしょうか? 救われた者が神様の力をまず受けることです。インマヌエルです。アンテオケのチームの働きは何でしょうか? 人間関係において最も重要な神様の計画と答えを捜し出すことです。マケドニアのミッションホームは何でしょうか? 私達は知らず知らず、家系と家庭にあるあらゆる暗闇に縛られた部分がありますが、それを変えることです。結果的に、職業と産業に神様の祝福を受けなければならないのですが、この祝福を受けることです。私達が受けた祝福があまりに大きいために、弟子だけを集めれば暗闇は崩れるようになっています。それが地域の教会です。ユダヤ人の限界を越えるならば勝利するようになっています。
 
・私たちは人間であるゆえに限界があります。聖霊充満を受ければ 5つの力が生じます。霊力、知力、体力、経済力、人材が生じるのです。間違いありません。すると克服するようになっています。
 
・世界の福音化をするために、限界の克服のための 5現場があります。専門教会、いやしの働き、文化の働き、産業宣教、レムナントです。一般信者の皆様が祈るなかでしてみるように望みます。‘私は信仰生活をする間に、どれくらい、どのように伝道しよう'と祈ってみましょう。
 
・釜山である長老が祈りを正しくなさいました。小さな教会堂のなかであまりに難しいということを感じたのです。心に衝撃を受けたのでした。「自分は長老なのに、教会がこれで良いだろうか。神様、私を祝福してください。私たちの信徒が礼拝をささげることができるように、私に答えを与えて下さい。」その課題を置いて毎日のように祈ったのです。その祈りの課題を置いて明け方祈りをして、出てきながら牧師に毎日のように按手を受けたのです。その方の信仰です。その方の証しを聞きながら、すごいと思いました。ところがみわざが起きたのです。祈っていたら、誰かがき 使っていない山があるのにそれを買ってくれと言ったのです。考えてもいなかったのですが、あまりに安いので買ったということです。ところが、そこにアパートが入ることによって一気に 20億程度のお金を儲けるようになったのでした。それを見て感動を受けたということではありません。神様は本当に祈る人に答えを下さるのです。私達は神様の前に計画を立てましょう。
 
・宣教師で行く方達が祈らなければなりません。宣教地域に行って、越えることができない限界を押し倒すようにさせてくださいと祈りましょう。何が限界でしょうか? 現地の人を伝道することもできなくて、経済問題に縛られること以上に力を与えて下さい。タラッパンの教会だけでなく、大韓民国の教会が未信者に福音を伝えることができずにおり、特に未信者の中でエリートを生かすことができなくて、特に中・高等学生、レムナントを生かすことができずにいます。この限界を越えることができるように神様が働いてくださいと祈りましょう。難しくないのは、限界を越えさえすれば良いからです。マルコのタラッパン、エルサレム教会に限界がありました。この限界を越えた教会がアンテオケ教会です。この部分を悟った人がパウロです。パウロを助けた人が、ローマ16章に出てくるのですが、皆祝福を受けました。
 
・フン・ミョンシク講道師は、今回按手を受けて行く方ですが、テックォンドの師範です。私が見るのには、テックォンド、美容は宣教の相当な畑です。堂会と相談して美容学院を作り出さなければなりません。それで、第三国の人を呼んで技術を教えて、訓練させて送り出せば自給自足ができます。美容室を兼ねた美容学院を作って宣教戦略としましょう。美容ぐらい宣教しやすいことがテックォンドです。テックォンドがオリンピックの正式種目に入りました。時がきたのです。全世界がテックォンドは韓国から出てくるということを知っています。韓国のテックォンドと日本の空手は、ほとんど似ています。ところが、テックォンドが正式種目に採択されて、全世界に広まっていっています。絶好のチャンスです。
 
・ロシア地域に伝道しにいく時、賛美チーム、美容チーム、医療チームを連れて行きました。頭をきれいにくれると言うから、すぐ 5百名ほどが来ました。頭をカットする間に、時間がかかるので福音を提示することができるのです。鍼を打つことも途方もない伝道の門になります。福音を持った人が、少しだけ準備すれば畑は多いのです。ロシアで頭をしてあげながら福音を正確に話したら、何百名もがイエスを受け入れました。薬剤師も福音の大きい道具です。医者は担当の科が決まっていますが、薬剤師はそうではないからです。どれくらい福音を受ける人が多いかわかりません。
 
・ロシアは、共産主義が崩れた後に、他の風が吹いてきて危機の中にあります。それで、福音を持った人々が早く行かなければならないのです。レニングラード、モスクワ大学に韓国の子供達がたくさんきています。右往左往しているのに、彼らを手助けする人がいないのです。ところが、おかしなことは学生達が宣教師ゆえに試みにあっているのです。知って少しだけ献身すれば門が開きます。ロシアには‘宣教師がいない所は伝道ができ、宣教師がいる所は伝道ができない’といううわさが立っています。おかしなうわさです。韓国の国民は 4千万くらいにしかならないのに、外国に出てみれば韓国人が多いということを感じます。とても多いのです。中国でも行ったり来たりする人々が韓国人です。空港で飛行機を待っているのに、韓国人が本当に多いのです。ロシア、北京にもうようよしているのが韓国人です。この人達を手助けする宣教師がいないのです。よく覚えて行かなければなりません。韓国の地にも福音を受ける人があまりにも多いのですが、彼らを手助けする一般信者がいません。
 
・私達が祝福を受ける門がみな来ています。一つだけ覚えましょう。肉体的、事業、全てのものを神様の手に任せることを望みます。すると神様は確かに責任を負ってくださいます。神様は生きておられ、今でも働いていらっしゃいます。あらゆる一般信者と宣教師に重要な答えを受ける祝福の日になることをイエスの御名でお祈りします。
(祈り)
 神様に感謝申し上げます。祝福を受ける日になるようにしてくださり、派遣される私たちの宣教師や派遣するあらゆる主の民が同じ恵みと祝福を受ける貴重な時間になるようにしてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン。