2001年 10月 21日 東三第一教会 聖日メッセージ
1部:最後の食事 (晩餐)
(マタイ26:17-29)
<序論>
・今日の本文は、イエス様が死を目前に控えて、最後に迎えられている食事の時間です。しかし、たぶん弟子達は、特別に実感することができなかったのでしょう。イエス様は、確かに知っていらっしゃったのです。もし私達が食べる食事が、これが最後だとするならば、どのようにするでしょうか?
私達ははっきりと "このご飯を食べた後で死ぬ"とすればどうでしょうか?
イエス様がそのような時間を迎えられたのです。その時、どんな話をされ、何をなさったのかが重要です。この部分を詳しく見るべきです。
・人によって少しずつ他の角度で見ています。イエスが最後の食事をされた時は、過越の祭りです。それを見れば、伝統的な祭りは無視されなかったということがわかります。そこで重要なことをおっしゃったのですが
"この中でわたしを裏切る者がいます"と言われたのです。誰なのか知っておられたということです。もちろん、心理的なことはわかりませんが、私達が覚えるべき事は、イエスが最後の食事をする時、重要なことをなさったということです。人間は誰でも人生の最後を迎えなければならないのですが、その時が実に重要です。祈りを多くするでしょうが、最後にする祈りはまた違うはずです。私達が人生の終わりを結んだり、行事の終わりを迎える時が重要ではないでしょうか?
今日、神様のみことばをよく見るべきです。
・私の母親は、元々心臓が良くありません。元々私たちの母親は、他の人々に迷惑をかけないようにと思って、どんなに痛くても子供達に話さないで耐えていたのですが、あまりに痛くなったので病院に行ったら、昨年に手術をすれば確実だったのに、今回すればちょっとどのようになるか分からないと言われました。それで神様に祈りました。"神様が私たちのあらゆる生死をご存知です。"
昨日も病院に行ったところ、やはり持っている考えが重要なのです。他の話をするのでなく
"私が病院にいるので、お金がどれくらいたくさん要るか?"
と言っていました。普段に持っている考えでした。病気になって死ぬようになったのに、普段にそのような考えを持っているということです。心配をしないでも良いことを心配するのですよ。
1. パンと杯を分けてくださった。
・イエス様が最後におっしゃったことは、ものすごく重要です。もちろん、弟子達の中に裏切る者がいる...
こういうことも重要ですが、もっと重要な話しがあります。パンを分けて下さりながら「これはわたしのからだです」と言われました。また、葡萄酒を下さりながら「これはわたしの血です」と言われました。言わば私達がずっとしている聖餐式をなさったのです。とても重要で大きな課題です。ヨハネ13章に見れば、もう一つの記録が出てきます。弟子達が食事をするために最後に集まった時に、その時イエス様が想像もできない事をなさったのでした。手拭いを持ってたらいに水をいれて来て、弟子の足を洗って下さったのでした。その時、弟子達は、あまりにもびっくりしてしまったのです。私たちはよく理解できませんが、イスラエルでは一番身分が低いしもべがする事なのです。イスラエルは、むかしはサンダルのようなものを履いていたので、どこかに入っていけば、足をいつも洗わなければならなかったのです。イエス様がそのようなことをしようとされたので、弟子達がどれくらい驚いたでしょうか?
2. わたしのからだ / わたしの血
・イエス様は、多くの教訓を残されましたが、最終日にはものすごく重要な教訓を残されました。今日、私とあなたがたが、神様のみことばを確かに受け取って勝利せねばなりません。2つのことだけを記憶すべきです。からだと血とおっしゃりながら、食べなさいとなさって、覚えなさいと言われました。これは死を意味します。イエス・キリストが、私たちの罪と私達が受けるあらゆる苦難の代わり受けて死んでくださったのです。ここで、宗教と福音の差が出ます。
・宗教の教えには特徴があります。罪を犯して、力を注いだ、そのまま結果が出るということが、宗教です。良い話しでもあるのですが、限界があります。人間は自分がしたことに対する全てのものを返すことはできません。そのようにすれば、すべての人が滅びなければならないのです。それで、神様が道を開けてくださったのです。"イサクが死なねばならないのに、雄羊が!"
実際には、私と皆様が滅びなければならないのに、キリストを送られたのです。他の宗教人がこの説教を聞けば、ちょっと考えなければならないでしょう。
・仏教の教えも "因果応報"だということで、そのまま罰を受けるということです。これは正しいの話です。真理である場合もあります。天理教でもそのように教えます。
"天の摂理!"としながら、私たちは滅亡を受けなければならないのに、この地に生きながら、多くの善行をすれば、のがれることができる!
ということです。正しい話ですが違います。私たちは、私たちのあらゆる罪をみな返すことは到底できません。私達が陥ってしまった創世記3章の事件は、全てのものをみな返しても、返すことができないのです。私達の家庭に働く暗闇の勢力は、絶対に勝つことができません。
・イエス様が十字架を負って、私達が受けなければならないあらゆる罪を十字架にかけてくださいました。ものすごく重要な話です。それで、罪と死の力から解放した!
と告げてくださったのです。本当に私達がイエスを信じる瞬間に身分が変わって、私達の家庭に働くサタンの勢力がまさにうち砕かれるのです。大統領と王が本当にイエスを信じる瞬間に、その国の暗闇の勢力が完全にうち砕かれます。それで重要な人々に福音を伝えるのです。
・私は大統領府に入っていく牧師が誰なのかを知りませんが、本当に頼みたいのです。そこに行って、本当に正しい説教をしなければならないのです。国家の災いと滅びが完全に打ち破られる方法を話してあげなければならないのです。人間にある宗教と人生を話してみるならば、答が出てくるようになっています。私達の家系にあった霊的問題を、私達が報応を受けるならば、ものすごく大きいことなのです。新しく生まれ変わっても返すことができないのです。今、韓国と全世界に待っている災いを大統領がなくそうとするならば不可能です。さらに、私達に働く暗闇の勢力は、私達が勝つことはできません。
・それで、神様が解決する道を開けてくださったのです。神様がイエス・キリストを送ってなくしてしまわれました。この事実を絶対に忘れように!
それで、これはわたしのからだ! わたしの血!
ものすごく重要なのです。それで "常に忘れてはならない"
原則的には聖餐式を毎日することが原則です。簡単に話せば、初代教会は集まる時ごとにしました。聖餐式中心で集まったのです。現在、私たちの教会でこのようにしたら、むしろ意味がなくなるので、6ケ月に一度、あるいは
3ケ月に一度ずつ決めてしているのです。
・老会や総会が集まれば、一番最初にしなければならないことが聖餐式です。どれくらい重要なのか分かりません。ところが、単に「これはわたしのからだ!」だと言われず、「わたしのからだを取って食べなさい!」と言われました。葡萄酒も「飲みなさい!」と言われました。本当に重要な話です。食べて、飲むということで、食べることに意味があるのではありません。実際に私たちの中に、私たちとともになさるという言葉です。
・聖日に賛美して、礼拝をささげて、献金する中に、本当に聖霊の影響を受けるならば、あらゆる問題が解決になると信じます。聖霊の感動を受ければ、どのようになるでしょうか?
人ごとに違いますが、結論は同じです。肉体的にしるしが現れる人もあって、現れない人もいます。心に熱い感動がおきる人もあって、起きない人もいます。しかし、結論はまったく同じです。神様の驚くべき働き!
があるのです。
少しも付け加えないでそのまま話します。私が説教する前にする祈りです。"主イエス・キリスト、生きておられる神様の霊が私の心、考え、話すこと全てのものを治めてください"その時は、私は本を見ません。研究をしようとしません。それは他の時にして、礼拝の前は主の聖霊が私を完全に治めて下さいと祈ります。それで研究を多くしなかったために、内容上では良いことがありません。しかし、確実なことがあります。必ず礼拝をささげた後に、私を含めて礼拝をささげた人にみわざが起きます。わたしの血、わたしのからだを食べなさい!
この話は、普通の話になりません。
・今から私達がすることはひとつしかありません。主の聖霊が共におられることを悟ることがそれです。昨日、大邱で牧師達が集まった時
"牧師がすることはひとつしかありません。あらゆる人が福音を持ったゆえに、伝道をしたり、伝道訓練を受けることもタラッパンにいる人はみなします。ところが、必ずひとつすべきことがあります。一般信者は人間中心主義を使っても、心配をしても、動機でしても、牧師はしないで祈りましょう!
それが、牧師がすることです" と話しました。
・私達がどれくらい大きい祝福を受けたのか分からないくらいです。こういう大きい祝福をイエス様には最後におっしゃられました。確かです!
それならば、この礼拝をすることがどれくらい重要か分かりません。私は礼拝に対する祝福を知った後に、多くのことが変わりました。私の人生で最高の祝福を受けた時は、副牧師だった時に祈って恵みを受けた時でした。私がそのように祈って恵みと受けて、他の人を見ることができないほどでした。副牧師は見なければならないのに、見ることができないでいたのです。何の話しでしょうか?
人が生きる中には、必ず他人事に関心が多いのです。それが失敗です。聖日には恵みを受けなければなりません。今日一日だけ聖霊の感動、働きを置いて祈れば、6日間確かに答えが与えられます。ところが、クリスチャンがほとんどみな聖日に失敗するのです。他の見方をすれば、説教もそんなに重要なのではありません。雰囲気も、賛美も重要なのではありません。私達が礼拝する中に本当に神様の恵みを受けることが重要です。聖霊様が私達の全てを治める時間にならなければならないのです。すると確かに、私達が職場に行けば、答えがき始めます。
3.足を洗う
クリスチャンがほとんどこれをのがすのです。皆様、今、本当に聖霊が働いてくださいと祈ってみましょう!
証しせざるをえないほどの驚くべき変化がくるでしょう。では私達がすることは何でしょうか?
足を洗ってあげなさい! しもべのようになりなさい、ということです。私達がしなければならないことは、他の人に仕えるしもべになることです。ここに全てのものがみな入っています。イエス様は、簡単に教えているようですが、どの時代にも通じる真理を教えられたのです。世の中は何故問題が来るのかというと、お互いに仕えないで、仕えてもらおうとするためです。
私は政治家の中で本当に立派な政治家を見たことがありません。国会議員があの人はでたらめで、私は確かな者だと話すのですが、私はそのような人を見ながら、大変だという気がしましたよ。私がここに上がってきて、他の牧師の話しは聞かず、私の話だけを聞きなさいと言えば、どのようになるでしょうか?
そのような人は、病院に送らなければなりません。ところが、政治家たちがみなそうなのです。
それで、新聞を見ながら、政治家のような政治家が一名もいないことを感じました。イエス様の教えを知っていなければなりません。私は最も低い人です。皆様はもしかして、どこかに行って、自分より本当に立派だと見える時があるでしょうか?
自分より足らないように見えるでしょうか? 重要な瞬間です。私が最も失敗した時は、牧師、信徒が何故あのように足らないのか?
と思っていた時でした。本当に失敗する瞬間でした。ところが
"牧師も、長老も、信徒も本当に立派に見える"
と思った時があったのですが、本当に聖霊充満を受けた瞬間でした。
イエス様が足を洗われました。一生、そのように生きなさいということです。最も確実な生き方を教えて下さったのです。私たちは最高の祝福を受けたゆえに、私たちはしもべになれるのです。真に福音を持っている人に与えられた神様の祝福です。
人々はこのように考えます。私たちを攻撃する人が多いのです。外部に本当に多くいます。ところが、いまだに人々は
"私達が多くのことを譲歩して耐える"のだと考えていましたよ。もちろん、そのようなことがあるのですが、そうではありません。計算をよくして見てみましょう。勝つ確信も確かにあるのですが、なぜ戦うのでしょうか?
計算を上手にやってみましょう。どのようにすることが、教会が生かされ、私が生かされ祝福を受ける道でしょうか?
イエス様が最も確実な答を下さいました。足を洗うことは、しもべになりなさいということではなく、心より仕える者になりなさい、ということです。人と他の人と主のしもべを尊く思う目を開きなさい!
ということです。イエス様がそのように教えたからとして、いまだに礼拝堂の前で足を洗う教会があります。本当にそのようなことをすることではありません。イエス様が教えられたその内容をよく見るべきです。確かに手で足を洗うことですが、本当に心から他の人を尊く思う心がなければなりません。主のしもべが、他の信者を本当に尊く見えるようになってこそ、その人は成功する主のしもべになるのです。この心だけあっても、その人は成功します。反対に、主のしもべが教会に対して、人々に対して不信で一杯ならば、その人は確かに失敗します。タラッパン訓練を新しく受けてもだめです。これがあまり重要な話です。本当に私がこの人に仕えるという言葉も良いのですが、そのような意味を知らなければならないということです。
4.結論
皆様が今日、ものすごく重要ないやしを受ける日になることを願います。それで、聖日に礼拝をささげて、現場で礼拝をささげることはとても重要なのです。礼拝の中でひとつだけを覚えれば良いのです。"主の聖霊が私達をいやしてくださって、私達と共におられ、全てのものを準備される。"
今日本当に、一日中祈る中に大きい祝福を受ける日になることを主の御名でお祈りします。
2部:信仰で義と見なされること
(ローマ4:3)
・「信仰によって義と見なされる。」これは行為で得ることはありえない祝福です。(3節)
私達が信じる時、義と見なされるとされています。ほとんど大部分の人が、みことばを正しく受けることがないのですが、本当に受ければ、すべて成就するようになっています。
・信仰生活をする人々が、神様のみことばを自分の考え、経験で受け入れるのですが、ほとんどみことばをよく受け入れることができないのです。その上に錯覚までします。ほとんどみなそうです。神学をする人は神学を持ってみことばを受けようとしますが、神様のみことばが正しくみわざが起こらないのです。
・先週にもパク・スンファン牧師と話を長くして、お願いもしてきました。今、タラッパンには祈らなければならない難しい事が生じました。今まではそんなに難しく考える問題ではなかったのですが、本当に難しい事です。安養でもそうで、他の所でもそうで
"女性牧師按手"に対する話が大きく起きました。大韓イエス教会統合側では、問題になりません。与えるようにしたためです。そして釜山の高神側は、与えるようにしなかったゆえに問題になりません。
・タラッパンは、地球ができて2度目で、国、地域感情が崩れた所です。神様のみこころはひとつになって福音を伝えなさいということです。それで女性牧師達が既にいたのに、これに対する主張がたくさん出てきているます。ところが、ほとんどみな聖書的ではない根拠で主張するのです。女性牧師の按手を主張する人は、男と女は平等だからすべきだということで、按手を反対する人は女であるからだめだという儒教的思想を持って言う主張です。神様のみことばを自分の感情通りに受けて、解釈しようとするからです。出エジプト3:18に、神様のみことばを正しく受けたモーセとヨシュアとカレブにどんなみわざが起きたでしょうか?
核心で見ましょう。
柳)) 証しを聞いたことがあります。ある女の方が3階から落ちてどうすることもできず、そのまま死ぬだろうと待っていたところでした。ところが友人が福音を伝えたら、神様のみことば
ヨハネ1:12を受けた瞬間、みわざが起きたのです。夕方に夫がきて見て、驚いて共にイエスを信じるようになったのでした。その方が、スヨンロ教会にいるのですが、少し前に一度会いました。
・私達は、実際に神様のみことばを正しく受けることができないのです。私達が神様のみことばを正しく受ければ、みわざが起きます。一番用心しなければならないことは、私たちの考えを持って福音を受けることです。私が見る時は、過去に信仰生活をなさった方達は、儒教思想がものすごく多いのです。それはみことばではありません。韓国で初期に礼拝をささげる時、男と女がともに礼拝をささげれば大変なことになりました。これは聖書的なのではなく、自分の考えであるだけです。
・私達が信仰生活をしながら最も用心しなければならない部分がこれです。教団で神学を学ぶことは、その部分で神学をよく学ぶためです。しかし、これを誤って考えれば、神様のみことばを受けないようになります。それで失敗がくるのです。
・いままでタラッパンで少し違った部分があるならば、重要な部分が聖書にあるのに話をしないから、しなさいということひとつしかありません。私が伝道運動を始めた理由は、ひとつしかないのです。神様のみことばをそのまま受けて信じることです。もちろん、そのまま信じるという言葉も注意しなければなりません。それで聖書のみことばをそのまま受け入れてはなりません。聖書を見て、状況にしたがって、時代にしたがって行かなければなりません。それは状況倫理です。それで、聖書が記録された時代の流れを見なければならないのです。それなら聖書にヤコブが部屋を4ケ作って、妻が4人いたのですが、今でもそのようにしろということではないのです。受け入れてはだめな部分は、してはなりません。聖書は事実をいう本であるゆえに、これからはこのようにするなと記録しているものもあります。聖書に見れば、男だけ
5千名だと書いてありますが、今でもそのように女性と子供たちは、数字から抜きなさいということではないのです。それは、その時の状況がそうであったということです。これを状況倫理というのです。仮りにそのことが事実ならば、今現在、教会学校もみななくさなければならず、女性会をみななくさなければなりません。また神学者は、神様のみことばを無理にあっちこっち分けて受けて、あなたがたは皆様の体質通り受けるのです。参考にしなければなりません。
・一番の主義にしなければならないことがあります。私達が信仰生活で最も成功する道は、神様のみことばを正しく受けることです。信じる時に義と見られました。その時、みわざが起きるのです。ある時は、神様のみことばを信じることが愚かに見なされる時もあります。人々が見る時、愚かに見ることができますが、その人が愚かな人となります。ある場合には、イエスを信じることが損害のように見える時もあります。福音を一言話して死んだステパノが損したと見える時もないでしょうか?
絶対にそうではありません。イエス様が公生涯を過ごされて33歳で亡くなったのですが、今現在そうだとすれば、非常に失敗したことに見えないでしょうか..
しかし、そうではないのです。ステパノは説教を一回して死んだのに、他の人が見る時には失敗したことのように見えるけれど、絶対にそうではありません。私達が死んだ後にも過ぎてた後に、みわざが起きることがあります。
・信仰生活をしながら最も重要なことが、みことばを正しく受けることです。これが最も重要です。どのようにすれば、伝道のみわざが起きるでしょうか?
神様のみことばを本当に信じる時です。マタイ28:16-20のみことばを本当に受けた人ならば、国籍間の感情、地域間の感情がなくなります。ほとんど大部分の人がみことばを正しく受けないのです。信じる時、アブラハムを義と見なされました。神様のみことばを正しく受けて信仰を得てくださるように願います。大部分の人々が持っていません。
柳)) 私もそのようなことがあります。私が知っている親戚一人は、私が見る時は全くだめです。私たち家族が、その方を置いて祈りを多くしたのですが、私は内心でだめだという考えを持っていました。ところがそれが不信仰でした。
時々頭が良い人であるほど、事実通りに見るならば重要な信仰をのがすことがあります。私たちは、神様のみことばを事実通りよく見るべきです。みことばを本当に考えてみて、みことばを受ける祝福の日になるようにお祈りします。
・伝道すれば復興するという考えは、みことばを誤って受けたのです。‘すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます'
このみことばを聞いて、私は心配する必要がないと考えました。神様の時刻表は救いです。それで残った生涯に福音を伝えるべきだと考える人は、みことばを正しく受けた人です。そのみことばは、そのままみわざが起きます。使徒1:8のみことばは、解釈上手にやりなさいということではありません。どんなに考えてみても共に生きていく未信者と競争しては、勝つことができません。神様の聖霊でなくてはならないな..
私達が牧会するのに、人の力でできるでしょうか?
‘ただ聖霊があなたがたの上に臨まれる時、あなたがたは力を受けます..'
どんなに考えても、間違いがないみことばです。
・みことばを受けなければなりません。ほとんどみなみことばを受けないで、神様のみことばを受けないために信じられないのです。正しく信じる時は、間違いないみわざが起きます。今日、礼拝をささげながら特別に重要な日になるように願います。祈りの答えがない方達には、ものすごく重要な日になるように望みます。
・信仰生活のあらゆる成功と失敗、神学をする理由、教理勉強をする理由は、見分けを上手にしなさいということであって、信仰生活自体ではありません。信仰生活の最も重要なことは、神様のみことばを正しく受けることです。なぜ、レビ族に羊の血を塗ることを話したのでしょうか..
分かるかどうかです。今日、私達は神様のみことばを正しく受けて、祈りの答えを受ける大きい祝福を受けるべきです。
## 何を信じて義と見なされたのでしょうか..
1. 救いの秘密です。
- 私達が最初に信じるべきなのが、救いの秘密です。創世記3:15,
出エジプト3:18, イザヤ7:17, マタイ16:16..
この聖書箇所 4個だけよく理解すればよいのです。特別によく理解しなければなりません。創世記3章の事件と創世記3:15節、出エジプトで奴隷となったイスラエルに何とおっしゃったのでしょうか..
に対する出エジプト3:18、捕虜となったイスラエルとイザヤ7:14,
危機の中のイスラエルとマタイ16:16.. これを信じる信仰です。神様が救いを下さいます。義と見なされるということです。今日ここにいる方の中で、人生の問題が解決にならない方達は、この聖書の箇所をよく考えてみましょう。
・皆様にある日 "私がこのように大きい祝福を受けたのか?"
ということを悟れるはずです。皆様に最も必要なことが救いの秘密です。信仰生活を長くなさった方達が、ここにいます。神様が本当に救いの秘密を下さったことに対する信仰が生じてこそ、神様が義と見なしてくださるのです。
・信仰生活をする方達が長くすればするほど困難にあいます。正しく信じるからではありません。教会に通う人の中で、創世記3:15節が何の話なのか、キリストということは何かを知らない人が多いのです。私が本当に祝福を受けて福音を宣べ伝えることを証明する証拠があります。あなたがたを見れば、東三第一教会に出てくる人やタラッパンにいる人を見れば、どんなに足りない人でも、福音を伝える人であることを確信します。これが最初の証拠で、二つ目にみことば通りに生きられなくて、いつも揺れますが、メッセージははっきりと整理されています。そして、本当に神様がさせられたことに間違いないと見ているのですが、レムナントを見れば、そのように確信します。
・他の教団にいる方達が、私の話を参考にされるならば、ソウルのどの大学でも、福音を伝える人をさがせば、中・高等学校で本当に勉強しながら福音を伝える人をさがせば、みな私たちの子供達です。
・私達が神様のみことばを正しく受けて信じる時、間違いないみわざが起きます。紅海が分かれて、エリコが崩れます。れは可能でしょうか?
可能です! 神様には可能です。私達が神様のみことばを正しく知って信じるならば、まちがいなく私達の問題は解決になります。すると、まず一番に悟らなければならない部分が、救いの秘密です。身分から変わらなければならないのです。これが出来なければ、信仰生活をよくしていても、できなくなったり、年を取るうちに困難がきます。そうしながら元に戻せない難しい問題がおきるのです。
2. 神様の力とみことばです。
- 神様の力を信じる中にみことばが最も重要です。みことばを見て、悟ることがほとんど大部分です。ほとんどみな、みことばをよく受けることができないのです。‘私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです!'
この話は、いつでも使うことではありません。ある教会の三千名突破に、この本文を使ったのを見たのですが、この本文のみことばは、そのようなみことばではないのです。パウロが監獄にいるのに
"心配する必要がない、監獄から早くでなければならないか..
心配する必要がない.. 私を強くしてくださる方によって私はどんあことでもできるのです!"
というみことばです。ある場合には、神様のみことばをあまりに反対に解釈する場合も多いのです。神様のみことばを確かに受け取らなければなりません。
・私達は、神様のみことばを聖潔教式で受けず、長老教式でも、メソジスト式でも受けず、神様のみことばを神様のみことばで受けなければならないのです。働きが起きるはずです。神様のみことばは、生きていて運動力があるとされました。
・アブラハムは、神様の力を信じなくていつも苦労したのですが、信じるようになりました。息子を与えると言われたのですが、信じなかったのです。アブラハムの胸の中には神様を信じるけれど、私の夫人が老いて、子供を産むことはありえないのに、神様が私に息子を下さることができるだろうか?
という考えで信じなかったのです。まちがいなく他の人を通じて与えるのではないか?..
それで、アブラハムが行く所ごとに死ぬほど苦労しました。しかし、アブラハムが信仰を回復したら、神様がその信じる時、義に見なされたのでした。
・皆様にある問題はどんなものでしょうか? 神様はなさることができます。医者が言う話はよく聞いて、参考にだけしなければなりません。なぜならば、医者は自分自身が出来なければならないとするために、そのように言うしかないのです。彼らの話をみな信じれば、信仰が生じることができません。以前に、イ・ソンフン伝道師がヘトン病院にいた時、医者が死ぬだろうと言ったのですが、私は死なないと確信しました。私がイ・ソンフン伝道師に話しました。だいたい医者は、専門性があるのですが、その医者はあなたの病気に対する専門性がないのと同じで、医者は事実だけ見るために、その後を見ることができないためです。あなたの中に神様の聖霊が本当に働きなさればいいのではないか..
そのようなことを話してきたのですが、今、神様が健康を回復させて働きをするのを見れば、その時、医者の話を聞いたならば、大事になっただろうという気がします。
・私たちはともすると、神様の力を信じることも出来ません。私達が信仰生活をする中に、皆様の夫、妻、子供を見る時、よくならないという考えにもなります。そこに不信仰の勢力が包むということを知っていなければなりません。私達が神様の力を信じて、本当に祈っている時、このことが崩れるという事実を知っていなければなりません。
・神様が、私達が神様のみことばを信じる時、神様がそれを功労だと感じられるのではなく、義と見なされるとされています。私は時間が経つほど、神様のみことばが信じられます。創世記3:15節を見ましょう!
ただ死ぬしかないのに、地球上に誰かある有名な人が創世記3章を解決することができるでしょうか?
神様が解決なさったことではないでしょうか..
神様が一人を送らねばならなかったのですが、それがイエス・キリストです。私はこれが信じられたのです。今、みな死んでいっているんだな、これを信じる時、神様が義と見なして下さる、これから私達が神様の力とみことばを信じる時、まちがいなく答えが起きるようになっています。私達が信仰を回復して帰る時間になることをお祈りします。大部分が不信仰に包まれるのです。しかし、神様はなさることができます。私達がほとんどすべてが自分自身も知らないで、不信仰という枠に囲まれているゆえに、私達が神様の力を信じる時、その時間に働かれるのです。
## すると、私達が何を信じるということでしょうか...
- 私たちは世の中の人々と違います。
1. 霊的な事実があります。
私達が神様を信じる時、みことばを信じる時、間違いない事実であるゆえに神様が働かれるはずです。私は確信します。私達が今、神様のみことばを受けて信じる時に、視空間を超越なさって働かれることができます。今遠くにいる私たちの家族に働かれることができて、外国にいる私たちの親戚にも働かれることができて、よくならないでいる私たちの家族にも働かれることができるのです。なる時刻表は、神様が持っておられるのです。この信仰を持っていなければなりません。ほとんど大部分が、みことばを違うように受けたり、受けても信じていない場合が多いのです。神様の聖霊が働かれる所には、必ず天の門をあけて主の使いを派遣していらっしゃいます。私は率直にこれを信じて祈りができるようになりました。どれくらい多くの答えを受けたのか分かりません。私達が祈る時ごとに、不信仰の勢力と暗闇の勢力は崩れて、逃げるのです。私達の家庭に不信仰の力、暗闇が一杯になったとしても、信仰に変えてしまえば結局はみな逃げるようになっています。このようなとても重要な秘密を持っていなければならないのです。
柳))私が第一に相談を多くすることが学生達です。そして、難しい学生達を連れているそのご両親です。関心が多いからです。しかし、相談をしてみれば共通的に感じることがひとつあります。自分の子供の問題で、家族の問題であるから、共通的に心配を多くするのですが、信じられないのです。神様を信じないのですが、それが本人も知らないで積まれているのです。これがものすごく重要なのです。もちろん、問題がくることがうれしくはありえないけれど、ともすると不信仰に包まれるようになります。とても注意しなければならない部分です。よく考えてみれば良いでしょう。
本当に神様のみことばを正しく受ければよいのです。神様は、明確になさることができます。イエス・キリストの名前で信じる瞬間に、暗闇の勢力は離れるようになっています。信じてくださらなければなりません。神様が信じる時、義にみなされるとされました。
・モーセを見ましょう! モーセという老人が出来ないと言いました。ところが、このモーセは神様のみことばを本当に受けたのです。神様がなされば可能です。働きはその時から始まりました。ヨシュア、カレブを見ましょう!
彼らに一言で通じました。モーセと共にしたように、あなたと共にする!
この話を彼らがわかったのです。紅海が分かれて、岩から水が出て、うずらがやってきて..
という途方もない奇跡、アマレクとの戦いで祈りの答えを受けた時、ヨシュアがみな見たのです。そうしたところ、このヨシュアが信じました。神様のみことばを正しく受けたのです。ヨシュアがいく道に相当なみわざが起きました。
・私たちの教会と周囲をみつめれば、できないと感じることが多いでしょう。しかし、私はそうではありません。まちがいなく神様の時刻表がきます。神様は生きておられ、神様は正確に全世界を動かしていらっしゃるのです。間違いないためことを信じる時、神様が義と見なしてくださるとされました。
・ローマ4:1で、肉で得たことは何でしょうか..
行いで得たとすれば誇るでしょうが、そうではありません。私達が努力を多くして受けることは報いであって、恵みではありません。私達が努力を多くしても救われることはできず、私達が努力して神様のみことばを作り出すことはできないために、神様が恵みでくださったことが救いです。
・タラッパンで全世界で福音を伝える方達が必ず覚えて下さるように願います。今、イエスを信じる人は2種類ができません。神様の途方もない救いの秘密のみことばをよく見ることができずにいるということと、知っているとしても現場で崩れていることです。問題がくれば崩れる、これが問題です。イエス・キリストの名前で私にある不信仰から押し倒しましょう。そして、私たちの力でできるのでしょうか?
牧会を上手にやりたいのによくできるでしょうか..
学生が勉強を上手にやりたいのによくできるのでしょうか..
したくてもできません。方法はひとつだけです。聖霊充満です。意外に簡単な所にあるのです。私達が現場にいるのに、未信者と戦えば私たちは破れます。未信者と戦って勝つ道はひとつだけです。神様が与えられる知恵を得なければならないのです。祈ればよいのです。
・未信者と戦うこともできなくて、戦って勝つことも出来ません。戦えば損害です。未信者と競争すれば敗れます。競争することはできません。未信者は、今、私達が礼拝する時間に、今お互いひもをつないで内通しているのに、私たちは最も重要なその時間に礼拝をささげているのですから、どのように勝つことができるでしょうか?
神様が与えられる知恵を得られない以上、絶対に勝つことができません。それで祈りなさいと言われました。皆様が信じなければなりません。いままで起きた霊的な働きをほとんど皆信じないのですが、信じなければなりません。信じれば働きは今日から開始されます。
柳)) 私はこういう祈りをしてみました。"神様、私の息子を全能なる神様の手にまかせます!"
何故でしょうか?.. 会うこともできなくて、勉強を上手にできないし...
噂を聞いて不信仰が出てきて、しまったと思ったりしました。それで本当に祈ったのです。神様の力ある御手に私の息子をゆだねます!
神様はその時から働きをなさいました。ところが、すぐに表に見えるのでしょうか?
見えません。そこにだまされることがあります。しかし、変化している途中なのです。そして、神様が本人もどうしようもないように、ほとんど完壁に変化させられました。
・私達が信仰を回復することがあまりに重要です。ルカ11:5-13
神様が願いを聞いて下さらないでしょうか..
ルカ18:1-9を見ると、悪い裁判官も、願いを聞き入れてくれるのに、神様があなたの願い、祈りを聞き入れてくださらないでしょうか?
人の子が来る時、信仰を見ることができるでしょうか..
私たちは信仰を持っていれば良いのです。使徒1:8は、大部分、信仰生活を長くした人が、間違っているとは知らずに、みわざが起きないゆえに信じないのです。
柳)) 私はタラッパンで初めて感じた衝撃をずっと感じるようになってくださいと言う話しを頻繁に聞きます。しかし、それは誤って受けたのです。私は、はじめからいままでずっとです。そして、初めてより時間が経つほどより答えをたくさん受けます。何か誤って受けたのです。
・使徒1:8のみことばが、使徒2章にそのまま成就になりました。本当に神様の大きい祝福を受ける門が開かれねばならないのです。
柳)) 教会に長く通っている方が信仰生活をするのに、おもしろくなかったのです。それで田舎から都市に出てきながら教会に行くのを止めました。ところが、それ以後にずっと成功をするのです。長官になって、司令官になりました。長官として席に上がったのに、信仰生活はうまくできないでいました。そうしながら大きい事件にまきこまれて、死刑宣告を受けたのです。その時に、出世している間、一回も訪ねなかったお母さんが訪ねてきて、神様を信じる機会だという言葉だけ言って行ったのです。その一言にその方がそれまで神様を信じなかった自分自身を見るようになって、結局、監獄から出てくるようになりました。いまは証しだけして、祈っているのです。信じる時、神様が義に見なされるとされました。アブラハムに起きた答えが、皆様にも起きるように願います。
柳)) 私が昨日、大邱から降りてきながら新聞を見ました。新聞記事に病院でどこでもよくならないとする不治病を専門で直す人がいましたよ。「気」を使って直すのです。それで、私のお母さんに、未信者もとんでもないことを信じていやされるのだから、聖霊充満を受けてくださいと言いました。私たちは神様の力を信じます。答えが始まる祝福の日になることをお祈りします。
契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。今日から信仰が始まるようにしてください。アブラハムが信じる時、義と見なされたとされたように、今日、私達が救いの秘密を信じる者になるようにしてくださり、神様はなさることができるとされたように、神様が私たちにみことばで働いてくださる時間になるようにしてください。本当にみことばを正しく受ける時間になるようにしてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン>>
3部:聖霊の導き
(使徒16:6-10)
柳))米国でインターネットとテープでみことばを聞いた学生が、韓国に出てくる道で、私に面談を申し入れたので、会ってみました。米国でとても良い大学に通う顔だちがよくて、はっきりしている青年でした。この学生が私に3つのことを質問しました。この学生が、霊的に苦しめられていたのに、両親に話すことができないでいたのですが、メッセージを聞いていやされたのですが、それ以後にどのようにするのか..
そして完全に不信仰の中にある既成世代とともに行かなければならないのに、この中でどのように生き残って信仰生活をしなければならないのか..
また、勉強をする中に見れば、論理が現場とは合わないのに、どのようにしなければならないのか..
柳)) この学生を見ながら感じたことがあります。この学生は宗教でも解決しなくて、学校でも解決にしないで、両親が解決することもできない霊的な問題に会っていたのでした。年を取ってから解決しようとすれば良くならないのに、この学生は幸いな学生だという気がしました。まず霊的な問題は、頭が良い人々にきます。この学生が体験した問題は、全世界の秀才が共通的に体験する問題です。悩まされて、酒と麻薬をすれば滅びるのです。その学生に返事をしてあげました。あなたがイエス・キリストを救い主として受け入れて、福音を受けたゆえにまず終わったのだと言いました。そして、私の証しを始めたのです。
柳)) 私がイエスを信じて勉強を始めようとした時、なんにも経験していない時に体験した事件が私に重要な時間でした。勉強をする前に整理をしようとして、祈梼院に行って祈りも学び、整理もしようとしたのです。その時、大邱にある祈梼院に行ったのですが、普段の時には精神疾患者がいる所でした。その事実を知らなくて行ったら、精神疾患者と対話をしたら、その人が正常に話を上手にやっているのに、突然におかしな話しをするのです。それで、その対話を私が止めて入っていくのでした。私は精神が狂いそうだという気がしました。この考えが離れないで寝るので、目覚めればその考えにずっと捕われて生きるのです。そうしながら精神が狂うのです。24時間があまりに長く、難しい考えに掌握されていることを体験しました。このような時に、福音を知らなければ、サタンに捕えられるようになるのです。そのようになって年を取れば、とうてい解決しないのです。だめだという気がして、病院に行って薬をもらって飲もうかという考えもしました。
- ある日、私が福音を知るようになったのです。聖書にだけ答があることを知りました。私は罪人を救うだけに来られたイエス様だと思っていたのですが、聖書には
'神様の子が現れたのは、悪魔のしわざを滅ぼすためです。'
このみことばを読んで、こういうこともなさったんだなあ..と知るようになりました。今日相談した学生にそのまま話してあげました。救われても、すぐに解決にすることではないけれど、事実は終わったのです。キリストという驚くべき体験をした証拠をその学生にそのまましました。キリストの中には、救い、罪の赦しもあるけれど、もっとすごいことがキリストの中にはあるのです。ある日突然に大丈夫になります。この話は、他の人に祈りを受けて成ることでもなくて、何かを多くしてもならないことです。ある日、相当な霊的な力が生じるのです。本当に驚くべきことでした。
- 私は、その学生に話しました。今日から一つだけしなさい、と言いました。定時祈りも、生き方のバランスが整えられねばならないことであるゆえに、今から最も安らかに思い出せること、見ることを祈りの内に入れなさいと言いました。無条件にしてみなさいと言いました。もし、皆様がこういう祈りの秘密を味わうことができるならば、その学生の質問がみな解決になるのです。
・現在、既成世代と社会の組織は、不信仰と滅びと暗闇にからまって、どうしようもなく生きていて、その中に生きていく私たちは、ついて行かざるをえないのです。しかし、私に力があるとすれば、彼らが付いて来ざるをえません。こういう祝福を味わわなければなりません。簡単なのです。今日、あなたがたが貴重な祝福を回復して考えてみるように願います。
## 祈りの中でまず最初に習うべきです。恵みなどは、その後についてくることです。福音を受けたパウロにこの秘密がありました。今日の本文はとても重要な本文です。
・6節には、聖霊がアジアでみことばを語ることを禁止されたとあり、7節にはパウロが伝道を
しようとするのに門がふさがりました。聖霊がパウロの働きを防がれたのです。私達が伝道するのに、伝道の働きがふさがる、信仰生活するのに祈りの答えがこない..
これは普通の問題ではありません。特に伝道者パウロに伝道の門がふさがったとするなら..
どのようになるでしょうか...
・しかし、重要なことはパウロは祈りの人でした。トロアスで祈って、幻想の中にマケドニアから呼ばれたのです。祈る中に神様がパウロにマケドニアへ行けとおっしゃったのです。これが地球を完全に変える瞬間でした。キリスト教会史に大きい転換点を迎える契機になりました。ここで悟るべきことがいくつかあります。本当に祈りし始めるならば、失敗の場にいても、ものすごい開始になります。祈りを始めることができるならば、重要な開始をすることになります。私がずっと祈っていれば
2-300ケ 教団が攻撃をしても関係ありません。神様の働きは起きざるをえないのです。
・私たちのタラッパンと福音を持ったあなたがたに最も貴重な秘密は何だけでしょうか..
皆様が私や担任牧師達を考える時、色々なことを思い出せるでしょうが、本当に祈りながら考えるならば違うはずです。祈りながらする考え、祈りしながら見る新聞には、相当な祝福の答があります。TVを見ながら祈れば多くのことを見ることができます。道を行きながら祈りの平安を味わうならば、その道は違うはずです。クリスチャンがこれからできなければなりません。これができれば、引続き答えがくるはずです。このようになるならば、どの誰も皆様に勝つことができません。
・実際に皆様が未信者と競争すれば負けます。先んじなければなりません。競争すれば負けるのです。皆様が天の霊的な祝福を受けて知恵があってこそできるので、未信者のように策略で勝とうとすれば勝つことはできません。私は確信しています。私は眠らない以上、世界の福音化を置いてずっと祈っています。どんな勢力も力も聖霊に勝つことはできません。パウロには、最も重要なこの祈りの秘密があったのです。これが聖霊の導きであり、聖霊充満です。最もやさしいのです。
・祈りを簡単に学ぶように願います。学生達が学校を放棄して山に登って祈りを学ぶということは、聖霊充満ではありません。最も平安な祈り、最も良い祈りを学ぶべきです。そのようになれば、皆様に答えがくるだけでなく、不思議に霊的な力が生じます。クリスチャンに最も必要な部分です。そのようになれば、皆様が困難にあうようになれば、それは最も良い門になるのです。
・実際にヨセフは奴隷として行って、監獄に行きました。実際に大きい困難にあったのです。しかし、ヨセフには大きい秘密がありました。奴隷として行っても、監獄に行っても、祈りの秘密があったのです。実際に祈りの中で生きていく秘密があったのです。途方もないパワーになりました。ヨセフに勝つ者はいませんでした。学生達が学校で、留学の現場で、何をできるのでしょうか..
できません。皆様が一つ秘密を持っていなければならないのです。神様のなかで祈る秘密を持っていれば良いのです。私たちは聖霊の中にいます。私達が車に乗っていても、飛行機に乗っていても、聖霊の中にあるので、共に乗った人々が祝福を受けるのです。それならば、何故、未信者は危機に会うのでしょうか..
率直な話で、未信者は暗やみの勢力の中にいるのです。それで私達が切なく祈るので、伝道するのです。どんなに努力しても、暗闇の勢力の中にいるのでむなしいのです。
・私達がこの秘密だけ持っているならば、受けている困難はむしろ門になるはずです。神様は、ヨセフに重要なことを準備させられました。私たちは、力が抜けやすいけれど、困難にあうこの時間が祈りを始めることができるならば、良い時間なのです。
・年齢や状態では、なんにも出来ないと考えたモーセでした。しかし、それはモーセの考えでした。神様はモーセに新しい開始を下さいました。合宿を受ける方達は、新しい開始をするのです。必ず覚えるようにしましょう。何にも出来ないと言いましたが、神様には新しい開始でした。いろいろな力を見せたのですが、アハブという王がエリヤを殺そうとした時、エリヤが錯覚しました。それで祈りの中に自分を召して下さいという最後の祈りをしました。しかし、錯覚でした。神様はエリヤに新しい開始を下さいました。
## 神様が何故パウロに伝道の門を防止されたのでしょうか..
1. 他の門が用意されていました。私達がこの祈りの秘密を悟ろうとすれば、あらゆる問題は解決になるようになるはずです。私達に祝福がずっとくるために、未信者が勝つことができません。学生達が学校で伝道出来ません。実際に学生達が祝福を受けてこそ、未信者をリードするのです。どこかの道に行って四方に伝道しやすいでしょうか..
本当にその人を変化させる現場がなければなりません。道を行きながら運転手に伝道をしたことや、駅で伝道したことが正しい伝道になるのでしょうか..
本当に正しい伝道は、私がいる職場で私をみつめてその人がイエスを知るようになることが真の伝道です。そのためには、私達に力がなければなりません。それで聖霊の導き、聖霊の充満がなければならないのです。私達にこういう祝福がなければなりません。困難がきたことのように見えるけれど、より大きい祝福になりました。
2. 使徒16章のルデヤのような人物が準備してくださっていて、使徒17章のテサロニケのような、ものすごい都市を準備しておいてくださって、使徒18章にコリントを準備して、使徒19章にはエペソを、20章にはローマを置いてくださっていました。そちらにパウロを連れて行かなければならないために、防がれたのでした。幸いに祈りの人なので、導きを確かに受け取りました。これは理論ではありません。実際に捕まえなければなりません。本当に福音を味わう祈りの秘密があるならば、私達に来る危機は祝福になるはずです。神様が私達に答えをしなかったかの様に見えることは、より大きい答えを準備しておいて呼ばれるのです。これを必ず覚えなければなりません。
・今日、私達がこの祈りを回復するならば、トロアスからマケドニアに..
今日、こういう人生になるように願います。合宿を受けようときたのに、こういう祝福を受けるのです。メッセージを聞くあらゆる牧師が受ける祝福です。福音を味わう祈りが始まるならばということです。私が見る時、ほとんど大部分がこの部分に失敗しているようです。特別な根拠はありません。しかし、人々が話すのを見れば、その人が神様の祝福を味わうことができないよ..
という気がして本当に遣る瀬ないのです。
柳)) ある方が私に食事をしようと言ったので、共にしました。A4用紙一枚にぎっしりと、この人が、私について残念な部分を書いて置いた事項をくれましたよ..
この人が全く祈らないという ことが分かりました。この人は絶対に重要なことをすることができないと整理しました。ところが、神様がこの人にあらゆる門を防止し始めたのでした。はなはだしきは、ご飯を食べることができる門まで防止されました。
・私達が福音を知って味わうことは、あらゆる問題の解決です。私達が本当に祈りの秘密を味わうならば違います。学生達にどのように説明しなければならないのか分かりません。運動を好きな子供に好む運動を度々思い出す様に、良い本があれば暇ができる時ごとに見る様にすることが、祈りだと説明しました。特別な恵みはその後のことです。このことだけ知っていれば、みな解決します。そのようになれば、考え自体が全部祈りとなります。クリスチャンがこの秘密を知らない以上、絶対に未信者の前に立つことができません。絶対にです。クリスチャンがこの祈りの秘密を持たない以上、家族にも伝道することが大変です。むしろ家族が私たちの悪口を言うことがあります。
・私達が子供に教えなければならない最も重要な部分が、この部分です。よく考えてみるように願います。私達が目をとじる時、安らかに祈りができれば、成功したのです。行く所ごとに職場でも社会でも、変化させることができて、伝道の門が開いてついてこざるをえないのです。数万の教会があっても、本当に祈る人、本当の福音のメッセージを味わう人について来ざるをえないのです。
## パウロはどのように聖霊の導きを受けたのでしょうか..
1. 本当に福音を知っていました。
- パウロはキリストの栄光の光の前に完全に膝を屈したのです。合宿を受ける方達は、自分の人生を完全にキリストの前に、最も価値あるキリストの光の前にささげる時間にならなければなりません。何かの大きい答えを見送ってはなりません。絶対にのがさないように願います。その他は信仰生活ではありません。福音を受けたということは、キリストのいのちが私に臨んだことですから、じっとしていても暗闇は崩れて、光が現れるようになります。
2. 祈りを味わえばよいのです。
- 表に出す必要はありません。本当に伝道する人は、門が開けば答だけ与えればよいのです。そして、相手方が皆様を見て分かります。ついて行かざるをえないのです。ヨセフがずっと答えを受けるので、共に仕事をする働き人や、主人ポティファルが付いてこざるをえなかったのです。長老と産業人が受ける祝福がこれです。
・信仰生活を正しく知っていれば、ものすごく気楽なのです。福音はあらゆる問題が終わることです。これからは、この福音の秘密を祈りで平安に味わうことが全部です。これがだめになって、韓国教会に問題がくるのです。体験しようとすることは、霊を肉でしようとすることですから、根本が違っているのです。福音が臨んだ瞬間、光が臨んだゆえに、私達の家系と行く所、教会、事業体、職場に暗闇の勢力が崩れるようになっています。これは信じなければならないことです。これを味わうことが祈りです。福音を味わうことです。ずっと味わっていれば殆どなるようになっています。
柳)) 私は祈りの秘密を味わいながら、長老達、教役者のために祈るから誤解をしたことがありません。むしろ誤っていることを見ればかわいいと感じられる程です。
・福音を持っていながら、味わうことができないためにより問題になります。お金を持っていながら使うことができない格好です。味わうことが祈りです。祈りの正確な解釈は何でしょうか..
福音を、インマヌエルを味わうことです。少しだけなせば良いのです。学生達がこの秘密を知っていれば、世界で最も祝福を受けた人になります。牧師と宣教師がこれを悟ったとすれば、霊権がある力を持つようになるのです。一般信者は、社会に勝つようになります。そのようになれば、暗闇が崩れて、霊的問題がある人々でも、人々が私達にくるようになっています。すると、自然に事業も良くなるのです。人々が私達にくるようになっているので、事業もよくなるようになっています。来れば言ってあげればよいのです。これが伝道です。
・パウロは、福音と伝道と祈りを正しく知っていたのです。それで、困難が来れば、より大きい祝福になります。門がふさがったとするなら、より大きい祝福の門があるのです。もし迫害にあうならば、より良いことがあるのです。失敗する理由がありません。クリスチャンがこういう祝福を受けなければならないのです。私たちは宗教人ではありません。宗教を持ったのではないのです。福音を持ちました。必ず勝利するように願います。
・仮に自分に霊的な問題があることを知って、祈っていれば解決します。本当に重大な問題を置いていれば、一日だけ祈ってみましょう。ある日解決になっているのではないでしょうか..私達に重大な問題、悩みがあれば、神様は適切な答えを下さいます。
## パウロは、どのようにこの祝福を受けたのでしょうか..
1. 信仰です。パウロが福音の説明を多くしました。私達のあらゆる問題は、終わったのです。
2. 味わいさえすればよいのです。
3. そのようになれば、私達にどんどん人が来るようになっています。
・講壇で神様が願われる祈りのメッセージが正しくどれくらい出るかが重要です。祝福を受けて準備だけ良くすれば、いくらでもできます。これは現場でも同じです。私達がじっとしていても、人がどんどん来るようになるので、お金も儲けるようになります。
柳)) 私は、一般信者 3人に恵みを受けました。他の多くの方に会って受けることができなかった恵みを受けたのです。その方に会いながら悟りました。事業なさる一般信者は、暇がありさえすれば、適切に福音を伝える方でした。考えが私と違う人でした。福音を伝える人々をノートに書いておいて、無理でない程度に手助けしながら適切に福音を伝えるのでした。他の一人は本当に祈る方に会って、祈りがどうなのかを悟るようになって祈るようになったのです。常時祈るのに、事業にどんどん人が集まったのです。釜山の大きい市場で服の商売をしています。私を招待したので、行ったら、人が本当に多く来ていました。この人に何かがあるのです。福音も正確で、祈りの人でした。一人はその方が年初にきて驚くことをおっしゃられました。あまりに祈りの課題が多くて、祈りの課題をなくすために断食祈りをするということでした。何故そうするのかという質問に、神様がみななさるはずなのに、何故祈りの課題が多くなるではないかと答えられたのですよ。私は衝撃を受けました。それが聖霊充満ではないでしょうか...
勝利する理由を知りました。服を売る人に相談しようと来るまでしていました。
## この三つを永遠にのがしてはなりません。
1. 福音はあらゆる問題の解決であることが間違いない!
2. この福音を祈りで味わう。普段に..
3. 他の人が私達に来るようになっています。私達が持っている光を見て、暗やみの中で死んでいく人が、来るようになっています。私達にある霊的な力を見て、来たら答を与えるのです。これが伝道です。この祝福が必ずあることを望みます。
柳)) 私は東三第一教会と瑞草地域教会、蔚山路教会の役員と長老を置いて祈っています。伝道者と一緒に暮らしたという証拠を与えて下さいと祈ります。この時間に主の天使を送ってkづあさって、天の門を開いてくださり、未信者がみてキリストを分かるように生きた証拠を与えて下さいと祈ります。まちがいなく答えられる日がくるはずです。今日メッセージを考えてみるように願います。
・福音を味わって宣べ伝えることを願います。この三つが福音、祈り、伝道です。私たち聖徒がこれを知っていなければならないのです。
・私は、明日ロシアへ行くようになります。ドイツへ行って
1泊をしてロシアへ行くはずです。ロシア地域に正しく福音運動がおきるように祈ってくださるように願います。神様の祝福を受けてくださることをイエスの御名でお祈りします。
契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。これから霊的な大きい力を主の民に与えて下さい。特に世界の福音化ゆえに、私たちの教会の貴重な働き手、役員と産業人に私たちの長老に特別な証拠をくださることを信じます。ヒゼキヤ王に送った主の天使を送って、暗闇の権勢を押し倒してください。ダニエルに送った主の使いを送ってくださって、獅子の口をふさいだように悪い者の手足を主が縛ってください。ペテロに送った主の天使を送ってくださって、監獄の門を開けられたように、閉められた門をあけてください。パウロよ。恐れるな。あなたはカイザルの間に立つとおっしゃった主の使いを送ってくださって、危機に直面している時、勝利をあたえてくださる神様のみわざがあるようにしてください。合宿を受ける方達に一生涯、整理されるメッセージになるようにして、一生忘れることはありえない重要な祝福を受ける週間になるようにしてください。特にメッセージを聞く貴重な主の民と100箇所あまりで衛星で礼拝する
教会の上に、あらゆる主のしもべが福音を新しく味わう開始になるようにしてください。それで、証人として立つことができるように、メッセージをのがさないように神様が働いてください。今から24時間、一生の間答えを味わうようにさせてくださって、祈りの祝福を味わうようにしてくださり、平安の祝福を味わうようにしてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン>>
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