2001年 12月 16日 東三第一教会 聖日メッセージ


1部:返事をされなかったイエス・キリスト
(マタイ27:11-26)
 
  
・今日は、返事をされなかったイエス・キリストという題目でみことばを見ます。普通の人々が囚人として立つようになれば、弁解を多くして、また弁護士を立てて自分を弁護します。はなはだしい場合には、嘘をつく人もいます。ところが、今日のイエス様は、一言も返事されませんでした。長老と大祭司長がイエス様を告訴した時、返事をされなかったのです。
 
・12節に見れば "しかし、祭司長、長老たちから訴えがなされたときは、何もお答えにならなかった。"と記録されています。また13節に見れば、多くの人々が偽りを持って証拠したと記録されています。それにもかかわらず、イエス様は返事をされませんでした。14節にもピラトがいろいろ尋問をしたのに、全く返事をされず、総督が非常に驚いたと記録されています。普通の人々は、危機に会わないように嘘をつかなければならないと話します。23節に見れば、人々が集団でやってきてイエスを十字架にかけろと言ったのにも、なんの返事もされませんでした。何故一言も返事をされなかったのでしょうか? ここには多くの理由があるでしょうが、私達が 知らなければならないいくつかの理由があります。イエス様がこの地へいらっしゃった理由があるのです。人々が受けている重大な問題があります。旧約に数回預言されています。イエス様がそれをご存知である以上、答える必要がなかったのです。今回の核心の時に話すでしょうが、私たちには重大な罪4種類があるのです。アダムの時から降りてくる原罪があります。あらゆる人間が救われなければならない原罪があるのです。原罪は、簡単に話せば創世記3章を意味することです。ところが、その罪の理由を悟ることができなくて、しばしば失敗するようになるのです。
 
・今、多くの人々が突然に失敗して‘私は何故このようになったのか'と言います。そのような 人々が本当に多いのです。‘私は、むかしは財閥であったし、良い生活をしたのに、何故このようになったのだろうか?' そのような人々があまりに多いのです。‘神様のみこころが何か、私がずっと神様によく仕えたのに、私は何故このようになったのだろうか?'、ある人は‘神様がいるのか、いないのか、私は神様をよく信じたのに、私が何故このようになったのだろうか?' こういう人があまりに多いのです。それは、原罪を解決できないためです。それゆえにイエス様が十字架にかかりにいらっしゃったのです。イエス様は、何も罪はありませんでした。また、私達が少しずつ感じる罪があります。先祖が偶像崇拝をしたのに、霊的な問題が自分にそのままきたのです。それは分かるようになります。私が何故そうだという理由は分かるようになります。しかし、絶対に解決はできません。米国で直接聞いた話です。自分のおばあさんとお母さんがムダン(霊媒師)であったのに、霊的な問題が自分にそのままきたということです。悟っているけれど、対策がありません。こういうものすごい罪も、この地に存在しているのです。絶対に解決出来ないために、イエス様が十字架で解決することに神様が考えられたのです。皆様が今からなんにもしなくて、十年研究だけをしても解決策はないでしょう。地球上で優秀な人物が集まって、全てのものをみな投資して研究しても、答が出てこないでしょう。それのみだけではありません。私達が知らずに犯す罪も多いのです。ものすごく多いでしょう。
 
・皆様がむかしに犯した罪もあります。私たちはいつも罪の中で、このように生きています。抜け出す道がありません。それで、旧約聖書にずっと預言されたのです。‘死ぬしかない私たちのために、羊の血を流す’という話をされました。この話はすぐには理解できないでしょうが、皆様が危機に会った時に理解できるはずです。イエス様は、十字架でこの問題を解決されたゆえに、旧約の時にずっと預言されていたのです。答えることができるでしょうか? 答えることができません。なぜならば、聞く質問が違った質問だったためです。話にもならない質問をしたゆえに、イエス様が答えることができなかったのです。イエス様をどのように知らなかったかというと、政治犯にしてしまいました。イエス様はそのようなことをおっしゃられたことがないのに‘この人が陰謀を起こして王になろうとしている' このように話したのです。イエス様が、多くの人々を直してくださったのに‘この人が多くの人々を連れて回る'と話したのです。そして、質問も違っただけでなく、イエス様は答える必要がなかったのです。囚人が法廷に立って死ぬことになるのに、全く返事をされませんでした。答える内容ではありません。イエス様は一般の単なる人ではありません。人間の重大な問題を解決しようといらっしゃったゆえに、答える理由がないのです。イスラエルの国がなくなるようになりました。それが出エジプト記の記録です。その時、どのようにせねばならないでしょうか? 早く臨時政府を作って、臨時の王を立てて、そのようにせねばならないのです。ところが、とうてい理解できないことを聖書は言っています。偉い人には理解もできない話を聖書はしているのです。 "犠牲のいけにえをささげなさい" 理解することができるでしょうか? 本文はこれに対する成就です。イスラエル民族がバビロンやアッシリヤに捕虜なって行きました。歴史的な事実です。その時は、どのようにせねばならないでしょうか? 私たちならば、どのようにするでしょうか? ‘力をつけるべきだ', ‘国を回復すべきだ' ,‘イスラエルは団結すべきだ' ということでしょう。ところが、神様は理解ができないことをおっしゃられました。 "処女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと呼ばれる" これがイザヤ 7章 14節です。理解できないでしょう。牧師は、理解がちょっとできるはずです。信徒達も理解できるはずです。しかし、大きな感動ではないでしょう。これが、青天の霹靂のような感じが来るべきなのですが、そうではないでしょう。それがまさに教会が復興しない理由です。信徒に聞けば、これがどんな話しなのかそれほど感動がないのです。それがまさに祈りの答えを受けることができない理由です。
 
・今日、皆様がよく悟らなければなりません。イエス様が一言も返事をなさいませんでした。"主は生ける神の御子キリストです" この言葉は、普通の話ではありません。ここにいらっしゃった皆様の先祖が偶像崇拝を多くした罪を免じる道がないのです。アダムとエバ以後に暗闇とサタンが私達を掌握しているのに、避ける道がありません。また、率直に私達自身が知っている罪も解決する道がありません。解決策がないのです。すると、人間は死ぬのです。しかし、神様と罪とサタン、こういうことが分離になっているのではありません。神様は全てのものを治めていらっしゃるのです。それで救いの道を開けてくださったのです。ところが、この話をしたのに悟れなかったので、旧約の時から続けて話されたのです。旧約聖書が何巻でしょうか? 39巻です。新約聖書が27巻です。合わせて聖書は66巻です。39巻の聖書にずっと預言されていたのです。まさにその事が成就し始めることが始まったのです。イエス様は一言も言われませんでした。答える必要がありません。答える理由もないのです。返事してあげてもわかることができないのです。あまりにも重要な時間であったのに、イエス様が一言も返事をされませんでした。それでも、返事をちょっとされたら良いのに、何故されなかったのでしょうか? イエス様が答えることと、救いの働きがなんの関係ないのに、何故返事をされるでしょうか? イエス様が返事をされても、されなくても関係なく、このことは進行しているので、何故返事をされなかったのでしょうか? そちらにいるイスラエルの人々の中で、イエス様の返事を悟ることができる人が一名もいなかったのです。イエス様は返事をされませんでした。聖書には一般の人々が読んでも良い部分があります。相当な知恵が多くあります。一般の人が読んでも、とても助けになることがたくさんあるのです。
 
柳)) むかしに英文学博士だった方に会いました。英文学博士になろうとするなら、英語をどの程度せねばならないのかと尋ねました。その方が二つ話しました。少なくとも英語をどの程度せねばならないのかとたずねたら、2つのことを話しました。その方が言われた話は、シェークスピア全集をみな読むことができなければならないと言いました。もうひとつは、聖書をみな読むことができねばならないと話されました。信じない人が言った言葉です。ところが、この方が重要な話をされたのです。聖書の中には、ない単語がないと話したのです。ほとんどあらゆる単語がみなあるということです。一理があると思います。このように聖書は、未信者が読んでも良い部分がたくさんあるのです。しかし、聖書のとても重要な部分は、救われた人だけが読むことができるのです。そして、より重要なことは、救われた人もよく分からないほど深い部分があるのです。この返事をイエス様がなさってもわかるでしょうか? ここに重要な答えがあります。わかるでしょうか? 今、成功することに血眼になっている、その人々の前にこの話が通じるでしょうか? 人の表情と世論を見てついて行く人々に、この話が分かるでしょうか? 解釈しても、全部肉体的なことだけにするのに、わかるでしょうか?
 
柳)) インターネットや手紙で多くの質問を受けるのですが、本当に霊的な質問をする人を見たことがありません。それでインターネットで答えたことがないのです。イエス様を考えて、そのようにするのではありません。私が答えるだけの価値がないと判断したのです。あらゆる質問が、全部肉体的なことでした。答える理由がなかったのです。今、イエス様を十字架に釘づけようという人々は、イエス様が誰なのかを知らずに、イエス様の肉体的なことだけを見たのです。‘人々がたくさん従うのを見て、この人はすごいのだな' そのように見たのです。人々がたくさんついて行くことを見て、‘私たちのパリサイ組織は無視されたな' そのように見たのです。‘イエス様にしたがう人々がとても多いから、私たちはだめになるのではないか' そのように考えたのです。‘時々、天国だとか、王だとか、天の御座とか、こういう話をするので、何かの陰謀を企んでいるのではないか' そのように考えたのです。‘人々がやたらついて回るから、この人は何かの仲間を組織するのではないか' そのように考えたのです。どうかといえば、こんにちと全く一緒ではないでしょうか! 肉は肉で、霊は霊なのですが、全部肉体的なのです。イエス様が一言も返事をされませんでした。する理由もなかったし、必要もなかったのです。より正確に話せば、答える価値がなかったのでした。
 
・ある人が質問をしました。「牧師様は、公聴会の時は絶好のチャンスなのに、何故言うべき事をみな言われなかったのですか?」 それは簡単なのです。質問に答えるのに、質問が適正でないから、そうなったのです。質問をとても不十分にされました。全く話にならない質問をされたのです。ですから、話にならない返事が出てきたのです。答えということは、問題によって出てくることです。返事ということは、質問によって出てくることです。質問に責任があるので、返事に責任があるのではありません。質問を異常にするならば、答えが異常になります。答えということは、質問によって出てくるようになるのです。人々が、ずっと違った質問だけをしたのです。イエス様が答える理由がないのです。してもわかることができないのです。簡単に話せば、地球上で滅びるあらゆる要素をもって質問したのです。対話ができないのです。イエス様は返事をされません。重要な部分をよく理解せねばなりません。
 
柳)) 総神大学校にキム・イガン(?)という総長がいらっしゃいました。その方に会ったのです。その方が言われた言葉を今でも思い出します。‘柳牧師のテープを私が聞きました。それで私が 柳牧師を私たちの学校の復興会の講師として応えることに決定したのです。そうしたところ、下にいる人達が反対して、集会を保留させました。' それとともに、この方が重要なことを話されたのです。‘柳牧師、少数を選択せず、多数を選択しなさい' まだ、その方の話しが耳にいきいきと残っています。本当に正しい話ではあります。私は苦しい心情で、あらまし話をして出てきました。
 
・私たちはこういう部分で混乱を起こしやすいのです。私たちは、世の中で生きていく間に、教会生活する間に、こういう混乱を起こしやすいのです。イエス様は、肉体的なことだけを考えている彼らに、返事をされませんでした。より重要なことがあります。イエス様が十字架を背負われたのは、サタンと暗闇と死をたたき壊すためです。たとえ人間がイエス様を十字架にかけたかの様に見えますが、神様の計画が完全に成し遂げられたのです。イエス様が十字架を背負われたことは、あらゆる暗闇の呪いの権勢を全部みな押し倒すことです。ところが、イエス様がひとつは返事をされたのです。11節に見れば "さて、イエスは総督の前に立たれた。すると、総督はイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋ねた。"と記録されています。イエス様がこうおっしゃられました。「そのとおりです。」 それ以後には返事をされませんでした。これはなんの話でしょうか? イエス様は、世の中のそのような王で来られたのではありません。万王の王として、暗闇を破る王としていらっしゃったということです。この話をどのようにわかるでしょうか。イエス様がサタンの権勢を破る王としていらっしゃったということです。私達が、暗闇の中にいるために、私たちを光に救い出す真の王としていらっしゃったということです。創世記 3章を解決できなくて、誰もが死んでいくのに、それを解決しようといらっしゃったということです。本当の真の王なのです。
 
柳)) 小学校 5学年の時でした。その時は、TVもなくて、なんにもなかったのですが、映画を見に行く日がありました。学校で一年に一、二回、皆一緒に映画を見に行きました。たぶん、おとな達は思い出すはずです。いまはそのようなことがないようです。必ず一学期に一度ずつ映画を見に全学生がいくのでした。学校で映画費を出しました。すると、学校で全部集めて、すこし安く映画館に行くようになっていました。その時に見た映画です。どうして、学校でその映画を見せたのか知りません。その映画の題目が "王の中の王"でした。王の中の王という話です。韓国では、こういう題目で出ていました。それで映画を見にいったのですが、イエス様の生涯でした。私も信徒であったため、だいぶ恵みを受けました。イエス様は、単なる王ではありません。王の中の王です。あらゆる王を生かされる王であるということです。この話が理解できるでしょうか?
 
・皆様が、今日の説教が理解できるならば、まちがいなく祈りの答えを受けるはずです。皆様が、今日のこのメッセージが理解できるならば、本当に一生勝利するはずです。皆様が今日、このメッセージが分かるならば、皆様が行く所ごとに働きが起きるはずです。仮りに牧師、宣教師が、今日のこのみことばが理解できるならば、皆様の教会は自ずから復興するようになるはずです。仮りに、役員の方達がこのメッセージを理解できるならば、皆様の事業に大きい働きが起きるはずです。あまりにも驚くべきことです。この人達が、どのようにしたのか見ましょう。総督が裁判しようとする時です。いくつかのことを尋ねたら、全く返事をされませんでした。その時に、総督夫人がきたのです。たぶんいくつのかのことを伝えたようです。‘私が特別な夢を見たゆえに、総督はこの方に対して裁判を間違ってはだめだ'というメッセージを伝えました。
 
・その時は、過ぎ越しの祭りになれば、罪人一名を赦免するようになっていました。この時、総督の心には、イエスを赦免すべきだという気がしたのです。ところが、そのまま赦免できるのではなくて、多くの人々の世論を尋ねて赦免せねばならなかったのです。バラバという強盗を赦免するのか、イエスを赦免するのかをたずねたら、すべての民が強盗を赦免して、イエスを十字架にかけなさいと言ったのです。その時に、総督の裁判官がこう話しました。水で手を洗いながら、「私はこの人から罪を探すことができない。あなた方が十字架にかけなさい」と言って許可するのに、私は罪を探すことができないと言いながら手を洗ったのです。その時、ユダヤ人が言った言葉です。27章 25節 "すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」"と怖い話をしました。イエス・キリストを十字架にかけて、その血を私たちと私たちの子供達にかけても良い。それ程に確信したということです。驚くべきことが起きました。その事が起きてから35年後のことです。エルサレム神殿が崩れて、そちらにローマの旗が掲げられたのです。その時からイスラエルがめちゃめちゃになり始めて、22ケ 国にさ迷い始めたのです。約1500年以上、イスラエルが彷徨始めたのです。そのようなになって後、1948年に国を再建しました。70年に国が崩れ始めて、1948年に国を再建したのです。真に怖いことです。これが、霊的な部分を悟ることができなかったイスラエルの末路です。
 
・今日、皆様が重要な時間を持たなければなりません。人には二種類があるとみることができます。どんなに生きて、どんなに研究しても、肉体的なこと以外のことを抜け出すことができない人がいます。神様のみことばは、実際の霊的な秘密を話すことです。今日、全く一緒に礼拝していますが、生涯の重要な解答を得ることができて、そのまま逃して行くこともあるのです。イエス様を十字架にかける、この事件はものすごく重要な結果をもたらしました。何故イエス様が、全く返事をなさらなかったのでしょうか? 今日の本文のみことばは、あまりにも重要な部分です。皆様が全く一緒に礼拝をささげるのに、わかる人がいて、わかることができない人がいます。全く同じ信仰生活をするのに、祈りの答えを受ける人があって、受けることができない人があるのです。全く同じ聖書を持っているのに、ある人は答えを受けて、ある人は受けることができないのです。全く同じ学校で勉強するのに、ある人は優等生になって、ある人はできないでいます。全く同じ先生の下で勉強するのに、ある学生は優等生になって、ある学生はできないのです。今日、皆様が礼拝時間にあらゆる問題の解決を受けることができて、そのままできないこともあります。
 
・皆様がよく分かるでしょう。聖書のみことばは、そのまま読んで信じるのではありません。皆様が本当に信じれば、今日驚くべき事が始まるはずです。何故イエス様が何もおっしゃらなかったのでしょうか? あまりに重要なことを成し遂げられるためです。何故イエス様が何もおっしゃらなかったのでしょうか? 皆様の最も重要な問題を成し遂げられるためです。何故、答えられなかったのでしょうか? なんの価値もない肉体的な価値のことだったので、返事されなかったのです。何故答えられなかったのでしょうか? サタンと呪いの権勢をたたき壊す瞬間であったため、返事をされなかったのです。既に預言された事件です。皆様が今日ここで多くのことを捜し出さなければなりません。私達が話す言葉があって、話さない言葉があります。ここでよく悟らなければなりません。皆様が投資するに値する価値があることがあって、ないことがあります。皆様が人生をささげねばならない所があって、ささげなくても良い所があります。今日、あまりにも大きい問題を解決できるメッセージです。今日、皆様の人生と隠された問題を本当に解決できる機会です。これがそのように感じられないならば、また続くでしょう。牧会と信仰生活の困難をまた続けるしかないでしょう。この部分が真実に分からないならば、そのようになるでしょう。皆様が理解できて、どれくらい価値あるとみることが重要なことです。あらゆる問題がみな解決するようになるはずです。
 
柳)) 今回の核心の時、そのような話をしました。世界福音化の新聞社記者が私を訪ねてきました。私の今までの伝道の一代記を記録すると言いました。文を進行しながら重要な話しをしました。「牧師様の一代記は記録をとってみたら、おもしろくない」ということです。何故でしょうか? というと、良心を少しだけ欺いたり、錯覚をすれば書くことが多いのです。今、全世界で起きている伝道運動を私がしたとすれば、話す言葉が多いのです。ところが、あまりにも申し訳ないことに、全くそのようなことはありません。違ったことは嘘をついてもかまわないのですが、これは嘘をつくことができません。違ったことは嘘を良く言います。なぜなら、足りない人には、うそをつかなければならないためです。ある詐欺師がきて、お金があるか言えば、ないと言います。すこし足りない人が尋ねれば、違うように答えます。疑問が多い人が尋ねれば、疑うためにないと言います。動機が多い人が動機で尋ねてくれば、ないと言います。そのように見れば、私は嘘の専門担当者です。ところが、どのようにしてか福音を受けるようになったのです。それで、記者にこういう話しをしました。本当にです。私はイエスを信じて、神様の祝福で答えが与えられたのであって、私がしたことはありません。率直に、メッセージを研究したこともなくて、回っていたら主が見せて下さるので、このようになったのです。現場に行って話すべき言葉を探して、整理しているうちに、このようになったのです。ハーバードのような所で深い研究をしたならば話しますが、そのようにしませんでした。未信者状態 6種類は、偉大な発見をしたことではありません。伝道現場に行ってみたら、そのように生きていたのです。それで話しただけで、研究したことではありません。それを私が研究したことのようにうそをついてはならないのです。そしてより申し訳ないことは、何もしたのではないのに、青少年 Remnant 達が世界のあちこちで起きているのです。はじめには、あの子供達が嘘をついているのではないかと言いたい程に、子供達が変わりました。子供達は、感情の変化が激しいために、はじめにはそのようにも考えました。ところが、そうではなかったのです。私を見て、Remnantに対して証しをしなさいと言われるならば、話す言葉がありません。何もしたことはありません。子供達を集めて説教してきただけで、何もしたことはありません。ところが、子供達の中から本当にすごい人物がおき始めたのです。証しすることができません。神様の恵みがどれくらい驚くべきことでしょうか? 皆様が、今日から本当に苦労を続けるか終えるか、イエス様が侮辱的な十字架を背負われる程、私たちの問題を深刻にご覧になったのです。
 
・今日、皆様にものすごく重要な日になることをイエスの名前でお祈りします。皆様の考えと生活を掌握している呪いが崩れることをイエスの御名でお祈りします。
 
契約の祈り<< 神様に感謝申し上げます。今日、重要な日になるようにしてください。主イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン....
 
 


2部:霊的な礼拝
(ローマ12:1-2)
 
 
・今日は、2部礼拝とともに教師任命と卒業礼拝をともにささげます。学生達が記憶しなければなりません。世の中を生きていきながら、世の中を否定的に見れば、大きい損害をこうむるようになります。反対に世の中があまり良いとすれば、後ほど後悔するようになる事が起きます。聖書には、この世と調子を合わせてはいけないと言われました。神様のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神様に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知りなさい、と言われました。私たちのからだを神様にささげる霊的な礼拝をささげなさいと言われました。
 
・あなたがたは、自分自身を診断してみる必要があります。自分が判断して‘世の中が良い、礼拝をささげるより世の中が良い'と感じるならば、後ほど問題がきます。反対に、世の中をあまり否定的に見ることも良いことではありません。例えば家庭を悪くだけ見るとか、女の人たちが男を全部泥棒だと見る傾向は、みな経験から始まったのです。このように見るということは、多くの傷があるということです。それは、一生、決定的な瞬間にその影響を受けるようになります。世の中がとても良いということ自体が、失敗するようになることです。信徒のみなさま、学生達は記憶しなければなりません。
 
・聖書は、世の中を嫌えとは言っていません。聖書はなんと言っているでしょうか.. この世と調子を合わせてはなりませんと言われました。世の中は日が経つにつれ、悪くなって行き、利己的に成っていくのに、そのことを見習っても良いでしょうか.. 見習うなと言われました。世の中は肉体的なことだけについて行くのに、これを見習っても良いのでしょうか.. 世の中はただ自分の前に置かれた有益だけを見てついて行くのに、これを見習っても良いでしょうか..
 
・本文の 2節に「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」 
 
 ものすごく重要なみことばです。神様の民と、特に学生達が記憶しなければなりません。世の中に勝つべきであって、調子を合わせるなということは、世の中に付いて回るなというみことばです。よく理解しなければなりません。もっと重要な理由が聖書にあります。世の中は、ほとんどすべてが創世記 3章の権勢の下にあるために、それを見てついて行けば大事になるのです。今でもそっくりです。世の中は、創世記6章のように偶像に陥って、占いに陥って、迷信に陥って堕落するのに、それを見習っても良いでしょうか.. 見習うなというみことばです。世の中は、今、創世記11章のようにバベルの塔を立てよう、成功しようと大騒ぎをしています。ある面で見れば、ものすごく良く見えます。しかし、私達がそれを見習うならば失敗するようになります。創世記でアブラハムにカルデヤのウルから離れなさいとおっしゃいました。世の中は、全部が偶像に陥っているためです。聖書のヨハネ黙示録に、世の最後の時に、重要なことがたくさん起きると書かれています。未信者状態 6種類は、結局は失敗するようになります。それを見習って良いのでしょうか.. 見習うなということです。神様のみこころをわきまえなさいと言われました。
 
 どのように神様のみこころをわきまえるのでしょうか.. 学生達に重要な恵みになることを願います。信徒のみなさまにこの祝福があるように望みます。
 
1節に兄弟たちよ。
 
 霊的礼拝ということは、4つの要素があります。祈り、賛美、みことば、献金(ささげ物)です。この4つが礼拝です。私たちに、この礼拝ではなく、霊的礼拝をささげなさいと言われました。この話はなんの話でしょうか.. 学生達に一生の祝福の門が開く時間になるように願います。
 
・私が堕落した人々に尋ねたし、専門家が出した統計も見ました。麻薬もして、不良になったのは何故かとたずねたのです。苦しくて、このように生きるのもいやで、お金もなくて.. お金をたくさん儲けて、世の中をおもしろく生きるためにすると言いました。そのようにしなくても、おもしろく生きることができるのに、何故、必ず滅びること、危険な事をするのかとたずねました。女性保護団体で統計を出したのですが、梨泰院売春婦村に行ったら、その中の70%がクリスチャンだということです。その中で30%が教役者の子供でした。どれくらい驚くべきことでしょうか.. ところが、その人々に、なぜこういうことをするのかとたずねたのですが、その返事を全く同じくしたのです。貧しく生きるのがいやで、苦しく生きるのがいやで、お金を儲けると言ったのです。売春婦のようなことしないで、お金をよく儲けることができるのに、なぜその仕事を選択したのかたずねたのです。道を探すことができないから、そのようになったのです。
 
霊的な礼拝という話しがなんの話しなのか理解しなければなりません。
 
1. 祈りは何でしょうか..
(1) 普段の祈りと公式礼拝が祈りです。
- この礼拝が連結すれば、皆様は祈りに成功するのです。あなたがたのからだを生きたささげ物としてささげなさいというのが、このことです。皆様が、普段の時の祈りがうまくできないのに、他の祈りをしようとすれば、うまくできません。しないことよりはましですが、普段の時の祈りがよくできれば、皆様が礼拝の時に祈ることは、全部神様の答えと力で起きるようになるのです。この部分を悟らなければなりません。おもにクリスチャンは、普段の時の祈りの秘密を知りません。それを知らなくて、23時間半を世の中的に生きていて、明け方祈りの30分にきて代わりをしようとするから難しいのです。そして、一週間168時間の間に途方もない時間があるのにもかかわらず、この一時間に教会にきて答を得ようとするから難しいのです。そのような礼拝でなく、あなたがたのからだを生きたささげ物としてささげなさいと言われました。あなたがたが世の中に生きて行きながら、すこし祈りの秘密を持っていて、水曜礼拝にきたり、徹夜礼拝にきたり、明け方祈りをすれば、相当なみわざが起きるのです。これが霊的な礼拝です。とてもやさしいのです。12:1節をよく読んでみれば、その答が出てきます。何故そうすべきなのでしょうか.. 12:1節に、この世と調子を合わせてはなりません、と言われました。世の中について行かないで勝とうとすると、このようにしなければなりません。必ず記憶しなければならないのです。
 
(2) 賛美
- 救いの喜びを本当に味わっている人が、礼拝時間に賛美すれば、相当な霊的な礼拝となります。救いの喜びを一つも味わっていないのに賛美するということは、ものすごく危険なことです。しかし、救いの秘密をいつも普段の時に味わう人が、教会にきて賛美をしたり、聖歌隊で賛美をすれば、みわざが起きるのです。ついに世の中に勝つことができるのです。
 
ダビデが羊飼いをしていた時、神様にどれくらい祈りをたくさんしていたかというと、ダビデの詩がものすごくたくさん出てきました。ダビデが賛美をどれくらいたくさんしたかというと、サウル王の王宮に入って賛美をする時、悪霊が離れたとされています。その話は、ダビデが礼拝をささげる時だけ賛美をしたということではありません。ダビデは、普段の時、救いの喜びをいつも味わっていたということです。これが重要です。皆様が救いの喜びを味わうということは、救いの秘密を味わうということです。賛美をすることです。これが霊的な礼拝です。簡単に話せば、霊的な礼拝(spiritual worship)ということは、実際的な礼拝ということです。神様の前に、聖霊の前で、実際的な礼拝ということです。これを必ず記憶しなければなりません。
 
(3) あなたがたがみことばを聞くことが、礼拝の中の一つです。
- 現場で 6日間、神様の祝福を確認して、6日間神様の祝福を味わっていて、礼拝をささげようと来れば、みことばを聞くのに間違いありません。
 
(4) 献金することも礼拝です。
- 私達が本当に感謝すれば、神様の前にいつも感謝するとするなら、献金をささげれば経済の祝福を受けます。間違いありません。
 
・学生達と信者が悟らなければならない礼拝が、霊的な礼拝です。より正確に話せば、生きた礼拝です。死んだ礼拝ではなく、生きた礼拝です。礼拝しようとすれば、聖日にきて祈ってみことばを聞いて、賛美して、献金します。それも礼拝ですが、生きた礼拝という時、一面があります。普段の時に神様の祝福、力を味わう祈り、救いに対する祝福をいつも味わうことです。これを六日間、現場で誰も知らなく味わうことです。それが秘密です。すると、答えを受けるようになって、感謝が出てくるようになります。その感謝で、神様の前に献金をするのです。このようになったのを霊的な礼拝と言うのです。生きたささげ物と言います。信者は、必ず記憶しなければなりません。
 
・話を変えて見ましょう。私たちは最高の祝福を受けたゆえに、いつもこの祝福を味わう祈りの秘密を持っていて、礼拝時間にする祈り、長老の祈り、皆様がする祈りは、そのまま神様の祝福と連結する重要な礼拝になるのです。
 
未信者が知らなくて死んでいく救いの秘密を私たちは知っています。これをいつも味わう人がどれくらい感謝しているでしょうか.. 家でも賛美するでしょうが、特別に教会で賛美する時、皆様のあらゆる部分がいやされて、解決する神様の祝福になるということです。
 
・これが事実ならば、私たちは現場でまちがいなく答えを受けるようになっています。学生達は、良くならないでいるのです。だまされているのです。よく注意して見てみましょう。ほとんど大部分、答えを味わうことができない人々が、違った考えを持っているためです。祝福は既にたくさんきています。東三第一教会の中に、祝福が途方もなくきているのです。教会であなたがたが味わうことができないということはバカです。だから礼拝になるでしょうか.. 真の献金をできるでしょうか.. 答えもなくてだめなのです。そうしたあと見れば、苦しくなります。よく一度考えてみましょう。
 
・皆様は、難しく考えずに考えを変えましょう。24時間を世の中で皆様の力で生きるということは、非常に難しいことです。皆様の脳、心臓、考え、全てのものが相当な打撃を受けます。皆様が 23時間を祈りの秘密を持っていれば、どれくらい気楽なのか分かりません。どれくらい神様の大きい祝福の門が開いているか分かりません。これを持っていて、聖日の公式礼拝の時間に祈るようになるならば、生きた礼拝になるのです。そして、皆様のからだを神様にささげる生きたいけにえになるのです。一つも難しいことはありません。
 
・学生達は、この4つを持ってずっと考えてみましょう。あなたがたが少しだけ考えればよいのです。救いの祝福がたくさんきています。この秘密を持っている人が賛美をすれば.. 実際に六日間に祝福がたくさんきています。私は東三第一教会にきて、祈りの答えの秘密を味わえないことはバカだと思います。みなきているからです。その目が開かないのでしょうか.. 現場に行って見れば、祝福が散在しています。すると、六日間にあらゆる事が祝福になるのです。そうしながら、聖日に教会に来てみことばを聞けば、答になるのです。これが信仰生活です。私たちの学生達にこれができれば、悪い世の中に勝てます。それでなければ、汚い世のしもべのようになってしまいます。この世と調子を合わせてはならないとおっしゃる前に、霊的な礼拝、生きたささげ物をささげなさいと言われました。
 
・もし、私が話したこれが、皆様に少しだけできれば、感謝が出てくるはずです。本物の感謝が出てくれば、不平、不満、心配が出てくることができません。感謝が出てこざるをえないのです。その人が神様の前にささげ物をささげるとすれば、どれくらい大きい祝福なのでしょうか.. 学生達と信者、初めて信じる方達は、考えを変えなければなりません。イエスを信じるということは、最も格好が良いことです。そして、最も祝福を受けたことであって、最も力があることです。
 
柳)) 私が昨日の核心の時、こういう話をしました。私はむかしに頭の中によくなることはないという考えがいつもありました。福音を悟る前に.. それで、我家も、私自身もよくなることはないと考えたのです。それで、金持ち、成功した人々は違う町の人々で、私たちはそうではないという考えが、頭の中に刻み込まれていたのです。何もよくなりませんでした。我家に重病や出来事がなかったのに、よくならないと思っていたのです。福音を悟って、この福音がどれくらい大きい祝福であるかを知って、伝道しか必要がないということを悟りました。それで、私が生きる間にとにかく伝道する.. 職業、お金も皆伝道のためだと考えたのです。これをいつも味わうことが祈りではないか.. 答えがきて証しする必要がありません。神様が与えられる答えを受けるから、どれくらい感謝したでしょうか.. 今は申し訳ないのです。元々私はこういう人ではなかったために.. 元々滅びねばならない人なのに、神様の祝福を受けたということがあまりに申し訳なくて..
 
一度、1軍司令部に行って集会をしたのですが、その場に司令官が参席していました。分かってみれば、司令官はイエスをよく信じる人でした。この方が恵みを受けて、集会が終る時くらいに、私に自分の家で食事を接待をしたい、そして祝福の祈りとメッセージをくださいと言いました.. それで昼食をするようになったのです。非常に良い家に住んでいました。重要な方だから、国家で非常に保護されるのか、良い生活をされていました。ところが、私があまりに申し訳なかったのです。神様の前で、防衛出身の私が司令官にメッセージをするのが、あまりに申し訳なかったのです。星を4個も付けていて、特別に正しい人に任命する司令官職責を持った人の前で、神様の祝福を受けてメッセージをしたのでした。その上、この方達がどれくらい恵みを受けたでしょうか、直接電話を全軍に回して集会をしなさいとおっしゃった程でした。イエスを信じるということは、感謝しても申し訳ないな..という気がしました。私はイエスを信じて高慢になる人を見て、むしろたいしたものだと感じられます。私は高慢はどころか、どれくらい申し訳ないでしょうか.. 国会議員が集まって、メッセージを受けるのに、その方達が私よりできないことがどこにあるでしょうか.. 私は選挙に行けば 10票も出て来ないだろうに.. その方達は、前職法官もされた途方もない方達です。その方がメッセージに恵みを受けて、礼拝に参加するのです。まだ私の記憶に残っています。その時、神様の恵み、福音... 驚くべきことだ.. と考えました。どのように、私のような人が国会議員を集めて説教ができるでしょうか..
 
・皆様がイエスを信じることは、最も素晴しい事で、最高の祝福を受けたことで、最も強いのです。私たちの学生達は、必ず難しくせずに、この4つのことをしましょう。生きた礼拝をしましょう。普段の時に祈りの秘密を味わえば、聖日礼拝に祈って回復するようになります。少しだけ救いの祝福を確認すれば、皆様がささげるあらゆる賛美が生きている賛美になるようになります。皆様が少しだけ祈りながら、六日間注意深くみれば、答えがものすごくたくさんきています。これをみなのがすのです。難しい人は難しいように、弱い人は弱いように、学生達は学生達として、身分が高い人は高いように、注意深くみれば祝福がたくさんきています。たくさんきているのに、これをみなのがすのです。あなたがたが、教会にきて驚くべき答が聖日ごとに出てくるのです。すると、申し訳ない程に感謝するでしょう。私はイエスを信じて、申し訳ない程です。私は適当に生きていて死ぬ人なのに.. とても感謝なのです。私がした行動は、滅びる人であって、神様の祝福を受ける人ではないのに.. こういう感謝な心を持って、教会にきて献金をするのです。私はあまりに感謝して、できれば献金は多くせねばならない.. という 気がしました。
 
・あなたがたのささげる霊的な礼拝.. 今日、ローマ12章 1-2節を私たちの学生達が永遠に記憶せねばならなくて、100箇所あまりで衛星で礼拝している教会と瑞草地域教会と蔚山路教会と多くの礼拝する方達が、インターネットで礼拝する教会とヨーロッパ、米国の礼拝しているメンバーが、この驚くべき祝福があるようになることを希望します。私はあなたがたに良い話をたくさん作って誘惑する考えはありません。私はあなたがたに多くの本を読んで消化させて伝達して、楽しいようにするなら良いでしょうが、私はそのような心がありません。そのようにしてはならないと考えています。本当に習うべきことを習うべきです。祈りが何かを正しく知って、賛美が何かを正しく知って、みことばが何かを正しく知って、皆様が神様の前に感謝と経済と献金が何かを正しく知ってこそ、祝福を受けるのです。そうしてこそ、重要な世の中に勝つことができます。この世と調子を合わせてはなりませんという話しがどれくらい重要な ことなのか分かりません。今、私が話した4つの祝福を受けることができなければ、世の中に勝つことができません。 
 
柳)) 慶州の未来指導者青少年訓練院の中の希望がある学生一名が、私と相談する中に重要な話をしました。以前は牧師という職業があまりに嫌いで、牧師の息子ということが、とても恥ずかしくて、学校に行っても揺れて堕落をしたのですが、いまは神様の前に本当に伝道する牧師になると祈ったと言いました。本当に良いということを知ったということです。私はこの話を聞いた時、正しいという気がしました。私はその学生が真実を言ったと信じています。私が見る時は、非常に成功できる子供でした。たくさん倒れて失敗していたのですが、神様の恵みで立ち上がった子供でした。
 
・私たちの子供達と信徒が習わなければならない祝福.. 生きた礼拝.... 霊的な礼拝.. この部分をのがしているんだな.. 礼拝ということは、祈りと賛美、みことばと献金です。この中には途方もない秘密が入っています。生きたささげ物という秘密が入っているのです。皆様が少しだけ考えだけ持っても、生活の中で神様の前に少しだけ祈り始めれば、まちがいなく皆様が聖日に礼拝しながら祈るのに、どんなことがおきることかが分かるようになるはずです。
 
・あなたがたが、少しだけ未信者がどれくらい困難にあっているかを、少しだけ実際にわかれば、救いの秘密を知るようになります。そのようになれば、あなたがたには相当な喜びが出てくるようになっています。その喜びを持って、賛美をすることが賛美です。これは相当なみわざがあるようになっています。クリスチャンに、この部分がなくなってはだめです。既に救われた神様の民が、正しい心を持って周囲を注意深くみれば、答えがくるようになっています。私が見る時、東三第一教会と瑞草地域教会には、答えがぞろぞろきています。ほとんど大部分が、答えでないことを捕まえているのです。この祝福を味わっていて、教会に来て説教を聞けば、答えになるのです。その時、私たちはどれくらい感謝するでしょうか.. 世の中のどんなことより強いことは、神様の子供であり、世の中のどんなことより祝福なことは私が神様の祝福を味わうことです。それで、最も格好良いのです。この祝福を私たちが回復せねばなりません。
 
・本文ローマ12:1-2節は理由があります。本当に、私は皆様の前に私がイエスを信じることを証しできない程ですし、伝道をどのようにするのか.. 方法はありません。イエス・キリストの中にあらゆる祝福がみな入っているのです。この秘密を皆様が悟らなければならず、今日から生きたささげ物..
 
皆様が弱くても関係ありません。神様の子供であるゆえに生きたささげ物.. 皆様の過去がよくなくても関係ありません。神様の子供であるゆえに、今から生きたささげ物を.. 皆様がもしこの部分を知らなくて世の中に行くようになれば、失敗するのです。学生達が卒業するときに、したい話しがこの話です。
 
柳)) 木には節がありません。竹には節があるのですが、その節ごとに枝が出てきます。竹を折れば、中間で折れないで、節が折れます。道も分かれ道が出てくる時、道に迷うようになります。木が折れれば、真ん中で折れます。これを見て社会学用語でarticulationと言います。私たちのからだにも問題がくれば、関節に問題がくるのです。学生達が卒業して一段階上がるのを見て articulationと言います。皆様が家を離れて留学に行く時、年を取って結婚しようとする時、危機がくるのです。私達が時々約30年ぶりに父母をさがした人々を見ますが、道に迷って問題がきたのです。予想すらもできない道に行く時、交通事故に会う人々もいます。これがみな articulationです。学生達が生きていきながら、峠があります。これのために私たちタラッパンと私たちの教会で、中学校から高等学校に行けば、ほとんど落ちて、高等学校から大学に行く時、ほとんど落ちて、大学を卒業しておとなになる時、人も落ちて信仰も落ちるのです。それで、私たちは神様の前に、中、高、大青年を縛って remnantというのには理由があるのです。
 
・皆様が卒業して、一段階上がります。その部分に神様の祝福をよく悟らなければなりません。すると、あなたがたは大きい成功をするようになっています。神様の大きい祝福があなたがたに、学生達にあるようになることをイエスの御名でお祈りします。
 
契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。生きた礼拝をささげる、最も素晴しい信者になるようにしてください。未信者を生かす力のある信者になるようにさせてくださり、世の中を見習わないで、世の中を生かす証人になるようにさせてくださり、世の中に付いてまわらないで、世の中を引っ張っていく力の人材が私たちの学生達の中に起きるようにしてください。世の中を あまり否定的に見たり、また世にあまりに誘惑を受ける愚かな者にならないで、まさに知恵ある人になるようにさせてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン>>
 


3部:聖霊体験
(使徒19:1-7)
 
 
 
・影島ではじめに開拓した時は、席がなくて私が立っているこの所まで人がみないました。幼い子供達がそばにくれば、私をずっと触って、手をつないで礼拝をささげることもありました。ここには、釜山からこられた方達もいます。青年達は、この上に上がってきて座ってくださってもかまいません。そのようになるようにしましょう! 釜山にも席がありません。そこにも青年達が前に座って、そのように礼拝をささげています。青年達が席を譲歩しなければならないのです。神様が正確に備えてくださっている場所をくださるはずです。役員達が祈りながら苦労しています。
 
・今日の1部礼拝では、地球上で最も重大な事件、イエス様が法廷で答えない理由を確認しました。そして 2部では、ローマ12:1-2からこの世があまりに悪いので、この勢力に勝つためには、霊的な力を得ねばならないので、そこに対して申し上げました。
 
・3部では、パウロがエペソ地域に行って2節に "信じたとき、聖霊を受けましたか。?"と質問しました。私と皆様が受けねばならない質問です。これは第一に体験を聞く質問です。経験を聞く質問です。皆様にこういう経験がなければならないのです。いくつかは体験をしなければなりません。福音に関する体験がそれです。
 
・私は、福音を知ること以前に、今日の2部の時も説教したのですが、よくなることがありませんでした。我家の中もそうでした。あまりにも熱心に生きたのですが、よくなりませんでした。なったかの様で、ならないで、とても困難の中にいました。ところが、率直に感謝して申し訳なく確信したことは、私を福音を知っった後に、それがみな変わっていたのですよ。そして、全部答えに連結していました。それまであった困難は困難ではなくて、神様の正確な導きだったことを確認することができました。皆様にこういう質問と体験がなければなりません。
 
・本当に福音、キリストの秘密と霊的な秘密を知った後に起きる体験です。パウロが単刀直入に聞くなかで体験を質問しました。ところが、本当に偽りなく聖書が神様のみことばだということは前から知っていたのですが、聖書が生きている神様のみことばということは、伝道を体験した以後に知っているようになったのです。それで、本当に偽りなしに牧師を集めて言えるようになったのです。私はこの祝福を体験した後に、このみことばが生きているみことばだということを知るようになりました。それ以前は、聖書をそれほど貴重に見ることもしなかったし、神様のみことばだということだけ知っていたのですが、このように正確に聖書が答になるということは、知りませんでした。こういう重要な体験が必要です。
 
・私は恵みを受けて、祈りを体験するようになったのですが、これを体験するようになった後になくなるようになったことが心配です。長い時間心配してみたことがありません。神様にみな任せました。多くの人が私を見くびるけれど、私は人間中心主義をしません。誰も私を恐れません。私が人間中心主義を使わないためです。私が祈りを体験した後にそのような必要が無いことを悟りました。
 
・私は、その前はそうでなかったのです。私の体験自体が心配でした。すこし頭が良い人は、良いままに心配して、仕事が多い人は仕事が多いままに心配しますが、本当に祈りを体験した後に、この心配がみな消えました。こういう体験を聞いているのです。体験といえばいままで話したそのようなことではありません。ものすごく重要なのです。
 
・ところが、過ぎて見ると、どれくらい申し訳なくて感謝するか、どれくらい多くの答えを下ったか分かりません。私はその時から確信を持ちました。神様は生きておられるだけでなく、正確に答えてくださるのです。聖書を見れば答があります。未来を見るようになっているのです。ある日、祈るのに本当に恵みになって寝ることができませんでした。祈梼院に行ったのではなく、静かに聖書を見て祈りをしていたのに、私の心にどれくらい力が与えられたか分かりません。本当に寝られない程でした。
 
・その翌日、仕事をせねばならなくて、疲れているはずなのに、疲れもしらずに仕事をしました。聖霊充満がこういうことです。神様のみことばで力を得ることがそれです。福音と伝道の中に全てのものがみなあることを悟るようになりました。コロサイ2:2-3 あらゆる知識、全てのものが、隠されています。どのようにすれば、この福音を伝えるられるか? これだけ研究したのに、他の門もみな神様が開いてくださいました。私たちの立場と状態ではできないことながら、神様は答えてくださったのです。私はそれに対して確信しています。
 
・信じたとき、聖霊を受けましたか? この質問はおかしな質問でしょうか? 信じたとき、聖霊を受けましたか? パウロがこのようにたずねました。"「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。
 
・簡単に話せば、使徒2章の現場での祝福を知っていますか? という質問です。マルコのタラッパンに臨まれたその聖霊の働きを体験したのか? という質問です。祈りながら行く時、足のきかない者を見てナザレのイエスの名前で立ちなさいと言ったら、起きあがりました。これが聖霊充満です。使徒4章, 5章にもこのようなことがおきました。教会に試みがきたのですが、なんの問題もありませんでした。その時起きた働き手が、使徒6章の働き手です。ステパノは死にながらも全く揺れませんでした。 "信じたとき、聖霊を受けましたか?"
 
・パウロは、マルコのタラッパンにいませんでした。マルコのタラッパンの人が、そのように尋ねれば、簡単に分かるでしょうが、パウロはいなかったのです。聖霊の充満する体験をしたのか? と尋ねたのです。パウロは、使徒9章で聖霊充満を体験しました。バルナバと会って祈るのに大きい群衆が起きることもありましが。また、島でムダン(霊媒師)が破られる働きを体験することもありました。
 
・使徒16章で、道がふさがった時、マケドニアに行くことになったのですが、悪霊にに取りつかれて占う人をイエスの名前でいやすこともしました。その難しい中に、コリントで働きを起こすこともしました。また、エペソで騒動がおきる程、みわざが起きたのです。使徒27章では、死の峠でも神様が働かれることを体験しました。
 
・このような体験を持ってエペソ教会に尋ねたのです。 "これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。"と書かれています。聖霊充満という最も具体的な答がなければなりません。
 
・按手はしなければならない時があって、しなくても良い時があります。私は重要な患者には、按手します。ある時は、そのようにしないこともあります。ところが、今日この貴重な時間に皆様が最も得ねばならない答がいくつか出てきました。確かに聖霊充満の答を得ねばならないのですが、皆様の人生で最も重要なのが、答えではなくて聖霊充満の基準がなければならないということです。これを持っている人は倒れません。
 
・世の中は、簡単ではありません。皆様が困難にあうこともあります。また、利益や損害という問題が生まれれば、家族が手助けしないこともあります。私達が利益や損害という小さい単語の前に真理もなくなって、みななくなってしまうのです。ある日、利益や損害という単語の前に皆様に刀を向ける人もあるかもしれません。世の中は無知でむずかしいのです。聖霊充満の具体的な基準がなければなりません。
 
・これが、皆様が捕まえなければならない祈りの秘密であり、メッセージです。仮りに、ここの学生達は、そとに行くはずなのですが、皆様が自らの答がなければならないのです。小さいカップに充満するならば、これだけが満たされれば良いのです。このカップに何回も水をそそぐ必要はありません。ここに相当な答を得なければなりません。充満ということは、皆様自らの充満の秘密がなければならないのです。
 
・イエスを信じれば、いくつかの答が出てきます。最も重要に調節されることが聖霊充満です。すると、学生達が聖霊充満ということを学生らしく理解することが重要です。牧師達は、牧師らしく聖霊充満することが重要で、一般信者は一般信者らしく聖霊充満することが重要です。長老達が仕事をしないで毎日祈ることは、聖霊充満ではありません。正常な職場生活をする人が、朝に明け方祈りして運動するならば、聖霊充満であることが間違いないのですが、夜通し作業して夜明けにまた祈ろうと来るのは、聖霊充満ではありません。
 
・これは、資格でもなくて、神様が当然に私たちにくださることです。それを悟ることができなければなりません。エペソに来て、それをパウロが質問したのです。ところが、彼らはヨハネのバプテスマしか知らなかったのです。ここにパウロが按手したところ、聖霊充満を受けて異言もして預言もしたのでした。
 
他の見方をすれば、危険なことです。神秘主義者が最もよく活用する箇所です。皆様は皆様自らの基準において聖霊充満がなければなりません。事業する人は、事業する人自らの聖霊充満の基準がなければならないのです。 "私にとっての聖霊充満は何か?"
 
・この部分ができれば、あらゆる体験を皆尽くすのです。その中にみなあるためです。伝道、福音がこういうことだな! 考えよりやさしいのです。道も知って行くならば、簡単でしょう? 私達が先日、江北地域に集会を行ったり、釜山に集会に行くこともしたのですが、道を探すのにどれくらい苦労をしたか分かりません。道を知らなければ、そのように難しいのです。知っている人はとても簡単に話すのですが、知らない人は分からないのです。
 
・信仰生活は、難しいことがありません。皆様はこの部分を置いて、一生悩んでも損になりません。皆様は、いままで他のことを考えていたでしょう。 "聖霊充満といえば、断食も多くして相当なのだ"と考えるでしょう。これは他のことです。誰が教えるか? が重要です。今、考えれば、知らないからでした。私は幼い時、そのようなことなのかと思っていました。ある牧師が、40日断食祈りを3回したら、聖霊充満になったと言った時に、私は恵みを受けるのではなく、がっかりしました。40日断食祈りをどのようにできるでしょうか?
 
・ところが、聖霊充満という答を早く得てこそ、正確な信仰生活ができるのです。今、私ののような者は、他の人と同じではありません。私は E-mailを開けて見る時間がありません。職員が見て、特別なのを出して紙に打ち出して渡してくれます。パソコンのノートブック型を3つ買って、3つともみな他の人にあげました。2度とあけてみる時間がないのです。ところがまた買いました。そうしたあと見ると、そのような分野では私は途方もなく無知です。先日は、あけてみたのに、どのようにするか分からなかったので、そのまままたあげてしまいました。まず業務には支障がありません。他の人がみなしてくれるからです。しかし、なにか知らなく無知になるように感じます。
 
・ところが、こういう時間が私にはないのです。私のような者は、祈る時間がありません。以前に悟った概念では、聖霊充満することができません。正常な男の方達は忙しいのです。重要な地位にある方達は、忙しいのです。むかしに私が知っていた概念では、不可能です。
 
・そうではありません。簡単に具体的に悟りましょう! 私が今日、昼食を食べて飛行機に乗ったとたんに誰もなく祈るのです! 私はそのように座って祈り始めました。本当に神様が恵みと 聖霊の充満をくださいと本当に祈ることを15分間しました。ところが、私に確信が与えられたのです。私にはそれが基準です。
 
その祈りをして、どんなみわざが起きたでしょうか? 今日メッセージをするのに、メッセージをまた書きました。祈りの差がそうです。私の考えを言うところでした。どれくらい重要でしょうか? 天と地の差です。私はすぐさま、ご飯を 5分だけ食べて、また、釜山に行かなければなりません。時間がそれほどないのです。簡単です。飛行機に乗って、おりて行きながら、また祈ります。祈梼院よりもっと良いのです。家に帰れば電話もかかってきますが、ここはより良いのです。私の自らの基準です。
 
・明日、午前に飛行機に乗ってドイツに行きます。ドイツへ行くのには、約10時間乗って行くのですが、絶好のチャンスです。資料を準備して祈るのです! そのように何年かしたのに、神様がどれくらい多くの祝福を下さったでしょうか? 何日か前にも母方のおじがまだ核心をしているのか?と尋ねたのですよ。どうしてできるかと驚いていました。神様の恵みです! 頭が悪い人が聞けば、毎日全く同じ話しに聞こえるはずです。
 
・ある人が、柳牧師の説教は、毎日同じ話しなので聞かなかったのですが、正しく聞くとそれではないと悟ったということでした。自分のことでなく他のことを捕まえていたためです。どれくらい簡単でしょうか? どれくらい安らかでしょうか? どれくらい気分良いでしょうか? 飛行機で祈るのに、誰が何と言うでしょうか? 誰かが何かを食べなさいと言えば、食べないと言って、祈っていれば、眠っているかのように思って、もう一度来ることはありません。皆様、がみんな私のようにする必要はありません。自分自らの聖霊充満の基準を持たなければなりません。
 
・これがとても鍵です。人に従ってする必要はありません。皆様それぞれの個人的なことがあるために、比較する必要がないのです。大邱で学生一名が、この説教を普通に聞かなかったのです。この子供が朝起きて、学校に行く前に約10分くらい祈って、学校に到着してからは理由なく他人を見たり、話したりせず、机に座って5分間祈ったということです。そのような方法で、簡単に一日8回祈ったのに、この子供にみわざが起きました。全体で一等になったのです。ですから、子供達が話す言葉がないのです。子供達が、騒ぎながらもみな聞いています。子供達は、けんかしながら、悪口を言いながら、みな聞いています。私はそれを見ながら、自らの祈りの秘密がそのようなことなのだな!と悟りました。
 
・聖霊充満を受けねばならない理由が何でしょうか? 事実ならば、正しくしなければなりません。全てのものは人を含めて限界があります。技術を熱心に開発したのに、ある日限界がくるのです。生きようと苦闘したのに、限界がきます。その限界で勝つことができません。科学が発展しても、限界がきます。はなはだしきは、お金をたくさん儲けて、色々なことを啓発したのに、限界がきます。小さい祝福のように見えるけれど、完全なのです。
 
・信じたとき、聖霊を受けましたか? 普通の質問ではありません。私が紹介してあげることができる最高の祝福です。何故、皆様自らの方法を持たなければならないのでしょうか? 私たちは霊的な戦いする世に生きています。未信者より祝福を受けないと、未信者と妥協しなければなりません。学生達が、外に行ってその学生達をリードするとができる祝福がなければ、その文化と妥協するしかありません。
 
・聖霊充満は、とても完壁で、総合的なことです。ある所では、聖霊充満を受ければ無条件に異言が出てくると言いますが、出てくることがありますが、出て来ないこともあります。保守的な教団では、聖霊充満を受けて恵みを受ければ、悪霊に取りつかれたと言って、他の所ではそのようなことがなければ、死んだ信仰と言っています。そのようなことではありません。自らの充満することがなければなりません。
 
・幼稚園児が徹夜祈りすれば良いでしょうか? 自らの基準がなければならないのです。子供達には "イエス様がどこにいるのですか?" それだけ尋ねればよいのです。それが聖霊充満です。その子供に断食をさせても良いでしょうか? 自らの聖霊充満の水準があるのです。だから、この秘密がなければなりません。何故、聖霊充満の秘密がなければならない、というのでしょうか? 私たちに神様の知恵が必要であるためです。
 
・皆様が必ず記憶しなければならないことは、聖霊充満は受けなければならないことです。救われたということは、聖霊が共にされることで、信仰生活は聖霊の導きを受けることで、世の中で勝利することは聖霊充満です。祈るのに、事業とは関係なく祝福を下さいました! これが聖霊充満です。
 
・神様の民には、聖霊充満を受ける資格があります。するとどのように受けるのでしょうか?
 
-> 皆様は、神様の民であるから、聖霊充満を受ける資格があります。考えから変えましょう。皆様が考えを違うようにしてはなりません。皆様は資格があるのです。時間がない人は、1秒だけ祈ればよいのです。以前にも一度話したでしょう? 大邱の純福音教会で私を4日間講師で呼んだら、あらゆる信徒がみな集まりました。私がメッセージの中で、このように話しました。"私達がイエスを信じて救われたということは、体験ではありません! キリストで救われたということです。多くの涙を流すこともありません。キリストで受けることです。他の見方をすれば、イエスを信じて熱が出ないことが正常です" こう話したのです。ところが、信徒全員が恵みを受けているようでした。
 
・その按手執事という方が言う話が、牧師様の説教を聞いてとても恵みを受けたと言いながら、自分は異言が出てこなくて、救われていないかと思って途方もなく悩んでいたということでした。人々はなにかを偏るように知っているのです。皆様に最も貴重なことは、救われた者に既に聖霊が共にされることです。したがって、充満を受ける資格がみなあるのです。これを信じなければなりません。これは事実です。
 
・それで皆様は、メッセージだけを少しだけ整理して祈れば、聖霊充満が臨むようになってい、ます。こういう基準が、あらゆる人になければなりません。特に、役員と現場で走る人、皆にこういう秘密がなければならないのです。皆様は一般信者ですが、実際には、本当は宣教師です。どれくらい重要でしょうか? その秘密がなければなりません。聖霊充満に関する話をずっとするけれど、これだけ今週には考えてみましょう!
 
・釜山ではチームの合宿が進行中です。心の中にいだかねばならないことは簡単です。チーム合宿は、アンテオケ教会で起きた伝道と宣教と出会いに対して答えを受けることです。すると、 4種類の答えが与えられます。神様の力の御手が共にされて、恵みがあふれて、大きい群衆が集まって、経済の祝福も受けました。今日、チーム合宿を受ける130名あまりにこの祝福があふれ出ることをイエスの御名でお祈りします。あらゆる方達に聖霊充満があることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>> 聖霊の充満を与えられる主に感謝申し上げます。私たちの長老と役員に聖霊の 充満を与えて下さって、誤った考えや不信仰でなくて、この方達は聖霊充満を受ける資格があることを悟るようにさせてください。それで、完全に世の中に勝つことができる神様の祝福を与えて下さって、私たちのすべての一般信者に神様が最もつりあった秘密を下さいまして、世の中に勝つことができる秘密が今日から始まるようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。 -アーメン-