(2002年 01月 06日 インマヌエル教会 聖日メッセージ/ 柳光洙 牧師)


1講: 国々の民の上に旗を揚げよ
(イザヤ62:6〜12)
 
  
 国々の民の上に旗を揚げよとなっています。韓国でも国旗をさしますし、一つの会社が生まれれば、自分たちの旗があります。色々な意味をたくさん持っています。むかしローマが世界を征服した時、ローマの旗を持っていてさしました。AD70年頃にローマの旗がささったのです。それが征服されたということです。私達が特別な象徴をする時も旗をさすこともあります。特別な地域には、案内するために旗があります。国ごとに国旗があります。旗ということは、重要な意味をたくさん持っているのです。より重要なことは、今日の本文の霊的な意味です。皆様に旗ということは、全てのことを意味するのです。伝道を正しくしようとすれば、この話を正しく悟らなければなりません。昨日牧師達が集まった時、こういうことを話しました。地球上に今、伝道する人と団体はありません。ひょっとしてあるならば、教会を復興させねばならないと考えているのです。神様がご覧になる時、それは伝道ではありません。時間が過ぎれば、崩れるようになっているのです。それで、地球上に伝道者はいないのです。牧師達が、一生にただ一名を探すとしても、伝道弟子を探しましょう。ほとんどすべてが、この話をよくわかることができないのです。伝道ということは、全てのことです。皆様の家に霊的な意味で勝利の旗がささったということです。私達が伝道するということも、あちこちにキリストの勝利の旗をはためかせることです。正確に話せば、私達がすることではなくて、勝利した凱旋将軍が旗をさすのですが、その役割を私達がするということです。実際に伝道はそのようなことなのです。
 
 ジュリアス・シーザーのような、むかしの有名な将軍は、戦争に行って戦いました。そして、勝利したら、捕虜を連れて王の前に出てきます。その時、王が将軍に相当な祝賀をします。そして、その次にローマの旗を与えるのです。その将軍は、話をよくわかるはっきりしている人に旗を与えるのです。すると、その人はローマ皇帝の命を受けて行って、その旗をさすのです。既に敵軍は降参したゆえに、旗をさす瞬間に、ローマの土地になるのです。全く一緒です。キリストが既に霊的に勝利なさいました。私達は行って旗をさすことだけをすればよいのです。人々はこれを知らないので、こんな話、あんな話をするのです。伝道がやさしい、むずかしい... こういうことを話すのです。伝道は全く負担にならないことです。そうしてこそ、正常なのです。道を歩いて行くということが簡単にならねばならないことと同じです。皆様の家に完全な勝利の旗がささったということです。単なる旗ではなくて、万民のために旗を掲げなさいと言われました。
 
 今日初めての礼拝を始めながら記憶すべきです。主が勝利の旗をはためかせなさいとおっしゃいました。霊的には相当な意味です。皆様の家の前に所属している教会の札を付けるでしょう。ある面では、大きい意味があるのではありません。ところが、私が感じることは、仏教でお布施をもらいに回ったり、占いする人達は、十字架だけがあっても恐れをなすのです。そのようなことをたくさん感じます。特別な意味もなく付けておくのに、そうなのです。皆様がイエスを信じる瞬間、神様の子供に完全に証印を押されたとなっています。私達がこれから先ず一番にせねばならない事が、旗を掲げることです。これから私たちの教会のあらゆる信徒は、このメッセージを記憶せねばなりません。
 では、どのようにはためかせるのでしょうか? どんな旗を掲げるのでしょうか? それが本当に重要です。
 
最初に、祈りの旗をはためかせるべきです。
6節を見ると "主に覚えられている者たちよ。"となっています。主なる神様は、私たちを皆知っていらっしゃるのです。これは、祈りがそれほど重要だということです。7節に "黙っていてはならない。(主を休ませてはならない)"とされています。神様が働いて休まれる日があるのでしょうか? 祈りは、主なる神様を休ませないようにすることです。皆様個人と地域ごとに最も必要なことがこの部分です。伝道が良くできないでいる人々と私との差があるならば、この部分です。私は伝道をおいてずっと祈っています。できない人は、まちがいなくそれができていないのです。それ以外は同じでしょう。福音も同じで、私達が信じる神様も同じです。答えも同じです。私たちは、みな神様の民であるためです。新年を迎えて、ひょっとして皆様が訓練を受けねばならない部分があるならば、祈りができる訓練を受けるべきです。皆様が点検を受けねばならない部分があるならば、自分が祈りをどのようにして、どのようにできているかという部分です。皆様に一番重要な部分が、この部分です。それでこそ、見張り人の役割ができるのです。皆様がその地域を生かす見張り人です。皆様がイエス様を信じれば、その家の見張り人です。これは、神様の民ができることです。あらゆる軍人がみな寝入っている時、この見張り人が守るのです。万一、見張り人が問題を起こせば、中にいる人がみな死んでしまいます。
 
柳)) 私たちが幼い時、北朝鮮の武装共産軍が蔚山に降りてきました。ところが、蔚山にあった軍隊の人々が想像できないのです。北朝鮮軍は、南方で事を起こすと考えていて、蔚山にくるとは予想もしていなかったのでした。それで、見張りの人々がそのまま酒を飲んで遊んでいました。そうしていた時、武装共産軍が入ってきたのでした。それで大きい事故が起きました。それほど、見張り人は重要なのです。見張り人という話は説明することがむずかしいのです。ガードマンではなく軍隊で表現するのが適当でしょう。軍隊の番人のことです。私の息子が軍に行ったのですが、この見張り人をしました。ある方が息子はどこに配置されたのかとたずねた時に、私の息子はちょっと難しい所に配置されれば良いと言いました。そのせいか、軍隊の歩哨として配置されました。これは除隊する時まで、いつも緊張しながら続けねばならないことです。私が知っていることでは、除隊する時くらいになれば、人間性がみな崩れます。寝てはならない時間にどこかで寝たりもします。軍隊のなかでも見えます。はなはだしくは、訓練も受けなくて軍隊のなかで寝ています。その時‘人をみな壊すことではないか' という考えにもなりました。はなはだしきは、自分の靴までみな磨かせて、ご飯も持ってこさせます。‘あのようにしていて良いのだろうか’という気がする程でした。ところが歩哨は、はじめから終わりまで、ずっとそのまませねばならないのです。衣服も常に端正でなければなりません。ある冬には、とても寒いのです。内心、本当によいところに配置されたという気がしました。ところが、息子が告白しました。はじめには、常時祈りが何の話なのかよく分からなかったということです。ある冬に、歩哨として立っていたら、常時祈りが自然に出てきたと言いました。一度は紙を持っていました。何の紙かとたずねたのです。約三百何名かの名前が書かれていました。それを全部暗記していたのです。その軍隊の中で車に乗って入る人が、330名程でしたが、名前と車両番号、階級をみな覚えなければならないということでした。車が来たら、同時に名前、階級、車両番号の3種類を分からなければならないということです。それで、これをみな暗記したということです。その時、見張り人はこのようにすべきなのだという気がしました。見張り人が車が入ってきて区分ができなくて良いでしょうか? それを区分することができなくて、他の車を入れてはならないのです。隊の中に入っていって出てくることを、皆知らなければなりません。みな記録するのです。これが祈りだなと思いました。皆様が祈りを持ってすべての会社員を生かす力がなければならないのです。まちがいなく、霊的に勝利するようになっています。
 8節にみことばが出ています。簡単に話せば、敵をみな破ってしまうということです。信仰生活の一番大きい祝福がこれです。9節に見れば、刈りいれした者が、その収穫を食べることは当然なのですが、神様が祝福されなければ、そのようにならないのです。
 お金をたくさん儲けて、家を三軒も買った人間を見ました。ところが、この人はいつも同じ服だけ着ていました。他の人が話すのは、あの人は本当に金持ちだということでした。その人は、お金が惜しくて、服を買えずに着ているのだということでした。冬にはいつでも革のジャンバーに帽子ひとつ、そのようにだけしていました。夏になれば着る服があるのですが、いつでもその服だけ着ていました。一度は、冬に革のジャンバーに帽子だけかぶって教会にきて座っていました。その方の名前が李さんですが、「どうして教会にいらっしゃったのですか?」と尋ねました。会う時ごとに伝道したのに、笑うだけで来なかったのに、きていたのでした。礼拝をみな終えたのに帰っていなかったのです。この方が深刻に話をしました。たぶん余命いくばくもないようだと言いました。即感じたのは、その方が癌になったのだなという気がしました。少しあとで帰って行きました。思い切り儲けて置いて、自分は使うこともできなくて、死んでしまったのです。それを見て、私達の手で農作業をしたことを私達が食べるということは、普通の話にならないという気がしました。苦労しただけ食べるということは、普通の話になりません。
 この旗は、普通の話ではありません。霊的に祈りの旗を言うのです。信仰生活を始めながら、これだけ成功すればすべてです。既に私たちに勝利の旗が与えられたゆえに、この話だけ悟れれば、あらゆる問題が解決にできるはずです。一つの単語だけ記憶しましょう。私が見張り人です。終日終夜、主が休むことができないように祈るということです。私が説教の時ごとに話すことは、この部分が皆様に植え付けられるようにということです。祈りが自然に出てくれば、祈りを完成したと見ることができます。もちろん最初の段階では、祈ろうと苦闘することもあります。皆様が社会生活もして、勉強もしなければならないのに、祈りが良くできないこともあります。しかし、すこし恵みを受ければ、ある日できるようになり始めるのです。
 
 "終日終夜に主を休ませないようにする者" 今日、2002年を始めながら、この話を悟らなければなりません。 これがむずかしいと考えれば、限りなくむずかしいのです。やさしいと考えれば、限りなくやさしいのです。知ってみば最もやさしいことなのです。私に一週間ほど山で断食祈りをしろと言われれば、ものすごくむずかしいことです。まず時間がありません。しかし、常時でずっと祈ることは、ものすごくやさしいのです。祈りの旗、この話をよく悟れば、信仰生活で心配をしなくても良くなります。
 伝道運動を始めながら、難しい事がたくさん生じたのですが、その時、神様がこの部分を知るようにされました。私は、皆様が社会生活することは、ものすごく難しいことだと考えます。見張り人の祈りという単語だけ持って行けば、まちがいなく勝つはずです。職場の中で、未信者と交流して生きることは、難しいことです。皆様の未信者の親戚を自由勝手には出来ないでしょう。しかし、最も大きい力がここにあります。見張り人の祈り。その旗を掲げましょう。まちがいなくなるようになっています。祈りが常時できれば、相当な事が起きます。
 私が皆様に必ず差し上げたい祝福の言葉があるならば、これです。なぜなら、誰にも知られないようにして、することができるからです。これは、職場でも、どこでもできることです。これは失敗しても、成功しても、いつでも可能です。24時間考えることができる時間があるならば、この祈りが可能なのです。大部分の信者が、この部分をのがしています。2002年度には、見張り人の祈りという単語を必ず一度考えてみるように願います。
 例えば見てみましょう。パウロや弟子達がどのようにしたのか、ということは聖書をみつめればよいのです。パウロやペテロのような人は、時間を定めてずっと祈りました。可能です。私はどのようにするのかというと、食事時間の前後を使用しました。率直に、一緒に食事をしにいって、私一人が祈るということは、異常なのです。それで、食事を終えて休む時間に祈りました。これだけしても、ものすごく大きい証拠が来ます。皆様が食事を終えて、ただ5分だけでも一人でいる時間がないでしょうか? 誰も奪うことはできない時間です。皆様がどんなに忙しくても、朝の食事を終えて、車に乗ってどこかに行くのではないでしょうか? その時間に、たった5分だけ祈ってもかまわないのです。分かってみればやさしいのです。昼食を終えて、車でもいっぱい余裕はあるでしょう。食事時間がどんなに短くても、1時間あるはずです。私は性格がそうであるるせいか、15分ならば食べ終わります。すると、車に乗りながら静かに祈れます。どれくらい良いでしょうか? これはいくらでもできることです。私が見る時は、神様があまりにも祝福である、私達にできることを私たちにくださったのだなあと思います。また、祈りの答えを最もたくさん受けたというミューラーのような人は、どのように祈ったのか注意深くみました。この人は、祈りの時間が特別にあるのではなくて、一日中、対話で祈りをしていました。例を上げれば、仕事をしにいくのに子供一名が倒れていました。そのまま、それについて祈るのです。「神様、わが国には戦争が起きて食べることがなくて、この子供は栄養失調にかかりました。神様が知っていらっしゃるために、この子供を必ず手助けされることを信じます。イエス様のお名前でお祈りします。」見ることごとに対話でずっと祈ったのです。ミューラーに約5万種類の事件がおきたのに、それが全部答えでした。こういう祈りも良い祈りです。これを常時で‘24時間祈るということだな'という気がしました。ある愚かな人が「どのように24時間祈るのですか?」と尋ねました。それで私が「24時間祈りは不可能ですか? 可能ではないですか? 」と言うと、「眠る時はどのようにしますか? 眠る時は寝なくてはね。」と言いました。しかし、軍に行った息子をおいて父母が常に祈るということは、眠らずに祈るということではありません。
 
 2002年の今年は、皆様が必ず祈りに対する答を出さなければなりません。これを知らなければ、キリストは全てのものを終えたゆえに答えは受けるのに、いつも遅れて悟ることになります。Timeに合せて悟ることがとても重要です。祝福がたくさんきているのに、のがすことと味わうことの差は大きいのです。既にイエス・キリスト、その名前で終わってしまったのです。祈りだけ知っていれば Timeに合せて味わうことができます。すると、神様が与えてくださる祝福をすべてではないけれど、多くのことを味わうようになります。より重要なことは Timeです。未信者の中で生きるのに、未信者に勝つことができる Timeになるのです。未信者を治めることができる祝福が現れることになります。これが祈りの力です。
 
 少し前にチョン長老にこういう質問をしました。新聞社にいらっしゃるので、ジャーナリズムに対してよく知っておられます。新聞社で1年に2回昇進することは不可能なのに、どのように、長老はそのようになったのか? と尋ねたのです。神様の祝福がこの方ゆえにその会社にたくさん現れるということを聞きました。ところが、今回また昇進したのです。今回は、その放送局の総責任者になりました。私が知っていることでは、その人を通じて多くの祝福が現れているようです。どんなに未信者でも、この人を通じて祝福が現れれば、引っ張られて行くしかないのです。どんなに信仰生活を良くしても、その人ゆえに会社がどんどん悪くなれば、他の人達が嫌うようになります。 ところが、この方は福音も確実ですが、とても祈りの人です。土曜日のソウルは忙しいのに、ソウルの核心時間にいつでも参加しています。1ケ月に一度程は、重要な集いがあるのでそちらに行くのですが、残りはみな参加していました。参加をするかしないかということに意味があるのではありません。なにか祈りの秘密を持っているようなのです。
 
 私達が受けた祝福がどれだけ大きいかというと、多くの人を生かす見張り人の使命を下さったのです。皆様だけが、皆様の会社の霊的な暗闇の勢力に勝って、敵に敗れない祝福を受けたということです。今日、本当にこの単語を記憶しなければなりません。神様に働いていただきましょう。この単語を一度考えてみましょう。このことは、神様がいつも答えてくださっているということに間違いありません。反対に、敵が私たちの食糧を奪って行っています。今、悪い敵が私たちの財産を奪って行って、皆様の子供と信仰の家族を触っていて、私たちの青少年の未来を知って、彼らを触っているのだと考えてみましょう。ですから、見張り人の使命を果たしなさいということです。私は祈りが分かります。神様が24時間答えていらっしゃるのです。この地に生きる間、この悪い敵は皆様をしきりに触ろうとします。ここで、祈る理由が出てくるのです。ここで祈りの力を得るべき理由が出てくるのです。
 
 祈りを正常にしたとするならば、すればするほど力が出ます。普通、人々が飛行機に乗って米国に行けば14時間かかります。祈りを続ければ、おりる時くらいになって、からだにものすごく力が出るのです。そうでなければ、ものすごく疲れています。今日、2002年の初めての主の日を迎えながら、皆様が必ず持たねばならない部分です。色々なこと、教会の中の人間関係、皆様の家族問題は、その次のことです。皆様にどんな悩みがあるのでしょうか? それも、その次のことです。その悩みが祝福に変わることができます。問題に会っていますか? ある面では、問題ではありません。過ぎて見れば、より良いことでもあるのです。それは、それほど問題になることではありません。私が神様の前で、この見張り人の使命を果たすのです。神様が与えられる力を得るのです。どれくらい重要でしょうか。皆様は、神様の人であるゆえに、神様が与えられる力を得ることがふさわしいことなのです。ある面では、皆様は獣でないために、礼拝して神様の恵みを受けることが当然なのです。特に、私たちは未信者ではないために、神様の祝福を受けることが当然なのです。今日、皆様がこの祝福を必ず受けるようになることを主の御名でお祈りします。
 2番目に、旗を掲げて道を案内しなさいということです。私達が答えを受ければ、それが可能です。10節に「城門を通れ」とあります。そして、「この民の道を整えなさい。大路を造れ。」英語の聖書に High way とありますから、すなわち高速道路を作りなさいということです。これをするために、「石を取りのけて、みな片付けなさい。」石があれば車が通ることができません。皆様が仕事をする時、必ず記憶しなければなりません。牧師や長老、副教役者達が必ず記憶しなければならないのです。私が仕事をしたということは、道を整えたことです。すると、私を早く片づけるべきです。あの高速道路は、人が整えているようだけれど、ブルドーザーで整えます。高速道路がみなできたら、ブルドーザーは早く退かなければなりません。そのブルドーザーが粘っていれば、車が通れません。ところが、これがよく理解できないようです。2種類ができません。自分の更新ができないということです。また、もうひとつは、他の人が仕事をするようにさせて、私はじっとしていること、これができないのです。必ず牧師は、牧会を成功しようとするならば、これを知っていなければなりません。他の人に仕事をするようにさせる方法を知っていてこそ、牧会が成功するのです。これが出来なければ、後ほど成功できません。道を整えて石を置いておいてはならないのです。他の言葉で話せば皆様の身の振り方です。私たちクリスチャンは、世の生活を格好良くしなければなりません。なにが良い姿かを知っていなければならないのです。知らなければ、反対のことを悟ります。それで、肉体的に親しければ良いというように、反対のことを悟るのです。そのようなことではありません。遠く見通すように願います。城門を通って民がくることができる道を開けましょう。車が思いきり通うことができるように、高速道路を整えましょう。朴正煕大統領がした業績の中のひとつが、多くの人々が反対したのですが、道を無理に通したことです。みんなが絶対に反対しました。それが、愚かな話しです。私は、高速道路を通る時ごとによく作ったという気がします。
柳)) 私の父の故郷は、陜川です。行くだけで6時間かかりました。その時、車に乗って行ったのに、途方もなく複雑でした。山道を通るのに途方もなくでこぼこ道でした。親戚の家まで到着するだけで7時間かかったのです。いまは2時間あれば行くことができ、それも安らかに行けます。道がとても重要です。
 区分を良くしなければなりません。人との関係ということも重要ですが、こういう道をよく整えなければなりません。父母と息子の間の穏やかな対話のようなものも重要ですが、道をよく整えなければならないのです。人々の関心が道を整えることには、あまりありません。ある時は、両親が息子に対して強いようにするか、すこし無理にさせることがあります。私は、学校の先生が話を聞かない学生達を殴ることができると思います。米国では、父母が子供を殴れば、父母が捕まえられます。私は間違っていると思います。私達が道を開けてあげなければならないのです。教会も国家も、道を開けるべきで、道がない美しさは、美しいのではありません。そのような方法ですれば、世の中がなんの意味もないのです。皆様が万民のために旗を掲げる前に、道をまず整えなければならないのです。土を盛り上げ、大路を造れとのいうことは、英語の聖書にHigh wayを早く作りなさいということです。車がたくさん通ることができる高速道路を作りなさいということです。車が通う道に、岩や石のようなものがあっても良いでしょうか? 私たちクリスチャンは、社会に行けば格好良く生活するように望みます。未信者が見る時、あの人は本当に格好が良いなと思って来てみたらクリスチャンだな、そのようにならなければなりません。2002年度に皆様にそのような祝福が必ずあるように願います。
 イエスを信じるということが恥ずかしいということは、自分にある祝福が証しできないということです。未信者のように生きていくのに、「私はイエスを信じます」と話すことは、ある意味では礼儀ではありません。会社に行けば、社長、専務、常務がみな未信者なのに、私一人が「クリスチャンです」と話すことは、失礼である場合もあります。ところが、その人々が見た時、「あなたは本当に素敵だ。どこで教育を受けたのか?」 会社で祝福がずっと現れるので「あなたはどうしてそうなのか?」 すると、「私は当然することをしたのであって、私はクリスチャンです」このようになれば、格好良いのです。
 三番目に記憶せねばならないことは、万民のために旗を掲げなさい、ということです。世界的祝福であり、伝道の祝福で、宣教の祝福です。特に、子孫に関する祝福です。万民のために旗を掲げなさい。これをしようとするなら、一番目のことが重要です。仮りに皆様が見張り人の使命を果たして、敵に勝つことができるならば、道も作ることができて、万民がくることができる旗も掲げることができるということです。前のことが出来なければ、その次のものも力が抜けるようになっています。ただ気落ちする必要はありません。これはとても重要なために、早くできないこともあります。また段階的になることもあるのです。しかし、間違いない事実は、この祝福が皆様にきているということです。決定は、皆様がしなければならないのですが、結果は神様の手にあります。11節に、「その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。」と言われました。信仰生活をしていて、気落ちしないように望みます。まちがいなく報いと報酬が主の前にあるとなっています。早く答えがこなくても、確かに記憶するように望みます。
 最後に必ず記憶せねばならないことがあります。みことばを聞く時、みな実践出来ません。しかし、説教をよく聞けば、重要な流れがあるのです。どんなに愚かな母親でも、子供に食事でコムタンスープだけを与えません。その子供の健康を考えて食べ物を作るはずです。神様からも、どんなにバカみたいな説教者を立てたとしても、皆様に必要なメッセージを連結してくださることは明らかです。それを捕まえねばなりません。説教者のテクニックではなく、神様がおっしゃるメッセージを捕まえなければなりません。それを捕まえることができなければ、食事を誤ってしたことと同じです。よく捕まえなければなりません。するとそのみことばを皆様の考えの中と心でも適用させなければならないのです。考えと心は同じですが、違うのです。考えから判断、心からは意志が出てくるために違うのです。これを実際に皆様の生活と現場に適用させなければならないのです。すると、それが答えに最も近く連結するのです。神様のみことばは、理解を良くすることが重要で、よく適用することが重要です。
 
 福音を伝えなさいという話を80才を越えたおばあさんが聞いて、よく歩くこともできない自分だけれど福音を伝えるのかという気がしたのでした。この方は、みことばをよくわかったのです。自分は年齢が若くないから、後からでは伝道する機会がない、という気がしたのでした。誤って悟れば、自分は年齢が若くないので、何もできないとなってしまいます。ところが、この方は自分が生きるのは、どれくらい生きるだろうか、残った時間に福音を伝えて行かなければならないのではないか、という気がしたのです。自ら適用したのでした。そして、自分の家の裏の遊び場に日ごとに集まって遊ぶ子供達を見たのです。そして、嫁に話して米をくれと言いました。それを持って、どこで知ったのか、それでポン菓子を作ったのでした。それがむかしの方法のようですが、子供達は食べて見たことがなかったので、あまりにも新しい方法だったのです。一週間に一度ずつ行って、子供達に無条件に一握りずつ与えたのです。後には、子供がそれを食べようと列を作って並びました。すると、おばあさんは子供達を座らせて話すのでした。自分で聖書の話をしたのです。この方が亡くなる時までしました。これがどれくらい大きい伝道でしょうか? この人にみことばが適用されたということです。私達は、神様のみことばを悟ることを良くして、適用を良くしましょう。神様が何故、私にこのみことばを下さいますのかを一度よく考えてみるように願います。私が仮りに学校の先生だとすれば、絶好の機会です。職業の中で一番福音を伝えやすい職業です。今、事業する人がどれくらい忙しいでしょうか? すると、それで適用をさせれば良いのです。誤って悟ってしまえば、福音を伝えることができません。しかし、よく悟れば良いのです。人々が実際には大変疲れているはずです。その部分だけ置いて祈れば、門が開くのです。今日、神様が皆様に貴重なみことばを下さいました。すべての民のために旗を掲げなさい。これをするために、見張り人の使命を果たしなさい。この祝福が皆様にあることをイエスの御名でお祈りします。
<<契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。今からこの祝福が続くようにさせてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2講: 起きて光を放ちなさい
(イザヤ60:1〜22)
 
 
 牧師と集会している時、冗談ながらこういう話をしました。その方達は、十分に福音を理解して伝道する方達であるゆえに、該当する事項ではないのですが、米国の牧師達がみな接待してくれて、他のことをせず、シンシアという歌手の "世の中はからくり"という歌を聞こうと行ったのです。その歌の歌詞が本当に正しかったのです。人々はみなにせ物なのです。自分自身も知らないでだまされます。私が毎月、易、シャーマニズムの人にメッセージを送っています。はじめは攻撃が激しかったのですが、いまは静かです。しばらく抗議しながら反応していました。その人々は、私のメッセージを聞かなくても、自分で知っているのです。知っていながらも、止むを得ないのです。私達のメンバーが行ったら、本人も認めながら、止むを得ないということを告白しました。今、易、シャーマニズムをしている人の中に有名で立派な人々もいますが、嘘をつかないで事実を言います。いつかは自分達も神様の所に行きたくて、今の状況は難しいと言いました。彼らの共通点は、悪霊が彼らに話して聞かせて見せるために、どうすることもできないということでした。この人達が、ほとんどみな苦しいのです。私が知っている易、シャーマニズムをしているある方は、周期的にからだが痛いと言いました。苦痛をいつも受けていて、私達の教会に直接訪ねて、正しい福音を聞いて、恵みを受けて受け入れをしました。とても感謝して、教会の中の清掃を自分がすると言いました。たまたまその時、教会の中に清掃する方が必要だったので、無報酬で仕事をすると言ったのですが、教会次元でいくらかを差し上げると言いました。どれくらい困難を受けていたのか、救われたのに、今でも時々痛いらしいのです。大部分の易、シャーマニズム人は、知っていながらだまされるのです。
 
 今日、聖書で光を放たなければならない理由が出てきています。イザヤ 60:1-2、特に2節を見ると "見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。"となっています。聖書には、光を放つ理由として、暗やみが地をおおっていて、暗やみが諸国の民をおおっているからとなっています。仮りに、皆様がすぐに夜に光がないならば、どんなことがおきるでしょうか? 他の人が私にどのようにするかという以前に、私自身から難しくなります。真暗な夜に山道で車を進める時、ヘッドライトの灯りがないならば、どのようになるでしょうか? すぐに難しいでしょう。これよりもっと大きい霊的な暗やみが地をおおったのです。正常に商売する人は商売出来なくて、この小さな地に開発をするならば、遊興方向に経済がみな流れています。若い人々は、遊ぶのに忙しくて、仕事も正しくしない程です。事業する方達は、勤務5日制がなされれば、大事になるらしいのです。人々がより一層この方向に流れて、回復するのだけで一週間の何日かかる程だということです。そして現在、子供達が動く所には、ほとんど麻薬が付いてまわっていて、世界で韓国を麻薬市場だと眺めているということです。暗やみが覆った程度ではなく、正常ではないのです。病院で手術していて、ひょっとして皆様が重要なことをする中で、光がないならば、皆様の家が全季節日の光が入らない家ならば、どのようになるでしょうか? そのようになれば、家族がたぶん病気で死ぬでしょう。暗やみは、このように怖いのです。これよりもっと暗い暗やみが全地に臨んでいますし、臨むはずだと聖書は話しています。私達が福音を受けて神様の子供になったことが、どれくらい幸運なことでしょうか?
 
柳)) 私は幼い時、田舎に行きました。田舎の特徴は、夜になるならば、非常にまっ暗だということです。お手洗に行くのに、母さんが灯りをくれました。道を行く中に木とわらで覆った穴に落ちてしまったのですが、どのようになるでしょうか? わらと木に火がついて、大事になるところでした。一ケ月程過ごした後、釜山の九浦にきたのですが、その瞬間‘生きていてよかった’という感じを受けました。どれくらい田舎での生活が重苦しいでしょうか。私自身は、田舎の体質ではないと考える程でした。少しの間の肉体的な暗やみがこの程度なのに、ましてこれとは比較出来ない霊的な暗やみはどうでしょうか? 偶像によって霊的に暗くなって、人々は精神的に暗くなって病気になり、サタンの文化がぎっしりとおおっているのです。聖書はそれをいうことであって、単純な倫理や犯罪を話すのではありません。全地が暗やみに捕えられた状態です。もし、皆様の子供や皆様の中で麻薬を切ろうとするならば、精神病から直さなければなりません。それが絶対的です。皆様が知らないサタンと悪霊は、その人の霊的状態を握っているのです。この二つの問題が解決にならないと、切ることが出来ません。ギャンブルにはまっている人も、切ることはできません。この部分を直さないと止むを得ないのです。
柳))私に信仰の家庭の一人が告白をしました。夫が結婚の初日からいままで、毎日ギャンブルをするのに、祈って待って10年たったのですが、とうていこれ以上は、待つことができないと言いました。財産もすべて使い果たして、借金が積まれて、それでもギャンブルをするということでした。その人を実際に見ていず、知らないのですが、まず精神的問題がすでに来ていたのです。これは単なる暗やみではありません。"やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。"ですから、経済も皆暗い所へ行っており、人々が金をもうけるために飛込んでみるので、それしか仕方がないのです。
 この頃、映画を見ても‘暴力'に関するものが多くて、そのようなものが子供達に美化されて見えるようになるのです。いろいろな意見が出てきているけれど、一生を一度に決定するようになる青少年達がこのことを見れば、どのようになるでしょうか? 映画を作る人々は、記憶しなければなりません。青少年達は、ゆっくり崩れるのではなく、ある瞬間に崩れるのです。さまようなかで、こういうものなどの影響を受ければ、すぐに倒れるのです。この部分は、彼らが責任を負うべきであり、正しく作らなければならないのです。ある映画は見るなかで、ストーリーと結末がみな思い出せる程につまらないものが多いのです。興行だけできれば無条件に作るのです。一言で言えば、全部暗やみの方向へ行っているのです。‘このことをしても良いのか、してはならないのか’という悩みもないのです。そうしたあと見ると、路地裏では、本当に金をもうけるために麻薬を取引するのです。子供達が滅びようが、滅びまいが...あらゆる政治、経済が暗やみに行っています。暗やみの中に沈んでいるために、そのようなのです。簡単なことではなくて "暗やみが地を覆い" 暗やみが簡単なことではなくて "諸国の民をおおっている"と神様がおっしゃられました。あなたがたは、今から本当に信仰生活を上手にやらなければなりません。Uテモテ3章に見れば、最後の時は、苦難の時がくるとされていますし、マタイ24,25章には、世の中は相当な困難に陥って、教会もそうだとされています。神様のみことばに、そのようになっているのです。あらゆる政治家と指導者は、神様のみことばを見なければならず、認めなければなりません。避けられないためです。ヨハネの黙示録に見れば、思想的にとてもおかしなことが行われることが預言されています。最後の時に起きることです。道は一つだけです。私たちに神様が重要な答を下さいました。 "起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。" もっとすごいことは、2節の最後に "しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。"と言われました。主の栄光、主の光が臨んでいるとおっしゃっているのです。私たちは、この部分に対する答を知ことが重要です。 "栄光"は光をのことです。普通の光ではなく、イエスを受け入れる瞬間の創造の光を言うのです。皆様が本当にイエス・キリストを知る瞬間に生かす光のことを言います。
 
+ 3種類を記憶しなければなりません。
 罪と呪いと災いから生かされる光! 滅ぼされるしかない私たちに与えられた創造の光! 特にサタンと悪霊 文化に陥って出てくることができないのに、それに勝つ光!のことです。この光が既に私たちに臨んでいるのです。どれくらい感謝なことでしょうか? 2002年を迎えながら、本当に考えなければなりません。多くの牧師と一般信者の中で、光と暗やみを考えなければなりません。光は、暗やみは何か? 皆様の家庭のあらゆる問題もこれです。光と暗やみを知るようになるならば、問題が解決するようになっています。この部分ですべての問題を解くことができるのです。個人伝道も、やはり この 部分を 知っていなければなりません。無条件に同僚に福音を伝えようとせずに、暗やみの中で何十年を生きてきた部分を知って接近しなければならないのです。牧師や宣教をなさる方達は、話でするのではなく、この地が目に見えない暗やみに覆われているので、光を放ってみことばを伝えれば良いのです。祈ってみことばを伝えればよいのです。私が影島を伝道しながら、特に偶像に陥っているのを見て伝道しながら、一ケ月が過ぎた頃にみわざが起きました。そして、体験してみなければならないのです。私のちょうど上の家に占い師がいたので、彼らを助ける以前に、暗やみをまずうち破りました。明け方祈りに行きながら、ずっと祈りをしたのでした。一年くらい過ぎた頃にこの家にお客さんが全くこなくなって、自分たちの間で戦ったのでした。結局は、門を閉めてしまいました。信仰生活で最も重要なことは、霊的体験をすることです。職場で暗やみに覆われていることを知って祈りを始めれば、暗やみは崩れるようになっています。暗やみは、光の前にはどうすることもできません。元々世の中は暗やみに覆われていることを知って祈り始めれば、結局崩れるようになっています。暗やみは強いのですが、光の前には最も弱いのです。皆様の家系と職場の暗やみは、光を放てば良いのです。今晩、あらゆる信徒が集まった時、スイッチを切って電気を消した時、どんなに祈っても暗やみは退きません。スイッチを入れて、電気をつけた時には明るくなります。暗やみというのは、そうなのです。家系と職場の暗やみは、光で良いのです。方法には2つあります。
 祈りと暇が出来る時ごとにみことばを伝えることです。今日、契約を捕まえてのがさないように願います。皆様が国々の民のために旗を揚げるべきなのですが、その時重要な単語‘見張り人の使命'に対して話しました。皆様がすぐに祈りの答えを受ける秘密、今皆様の個人に暗やみが退く時間になるように願います。‘主の光が臨んで暗やみが崩れるようにしてください' 今日すぐに皆様の家にみわざが起きるように願います。その光がまさに‘わたしは道であり、真理であり、光であり、いのちだ'と言われ、ヨハネの福音書 1章にはイエス様がすなわち光であり、いのちだと言われています。宗教の前に、悪霊にだまされてはなりません。光がイエス・キリストです。私はこの体験があります。僧侶達と話をしながら逃げた方達がいるのですが、絶対にこの方達は他のことを話しません。皆がにせ物です。有名な僧侶一人がいらっしゃいました。財政を担当なさった方でしたが、お金ゆえに戦いになって、その仕事が終わった後、出てきたと言われました。行く所がなくてさ迷っていて、小さな開拓教会で福音を聞いて、合宿訓練にも参席したのでした。そして、私に手紙を書きました。神学を勉強して牧師按手を受けたのです。今でもそのような僧侶が多いのです。あまりに苦しくて、解決もできないで....しかし、他の人たちは出てくることができないということです。すると、教会に通う人は本物で、寺に通う人はにせ物でしょうか? そのような話ではありません。教会に通っていても、福音を知らなければにせ物です。私はあなたがたに約束します。本当にあなたがたの家系の問題は解決できます。皆様の家系に起きる事が、まさに暗やみの勢力であることを認めるならば、できるのです。多くの人々が、この部分を認めないのです。何故、ユダヤ人達が滅ぼされたのでしょうか? キリストが必要でなかったからです。私たちの原罪などは、神様の恵みで赦されるのではなく、律法を守れば良いと考えたのでした。それから失敗でした。では誰が必要でなくなるでしょうか? キリストが必要でないのです。暗やみが何か知らなかったのです。それならば、イエスを信じる人が何故大きい困難にあうのでしょうか? 暗やみにだまされるからです。記憶しなければなりません。自分の会社のなかで、私の役割は光を照らさなければならないことです。リーダになるべきだという話ではありません。学校で光を放つ、この人が皆様でなければならないのです。漠然に待つのではなく、そうしたあと見れば、ある瞬間、暗やみが退く時刻表がくるのです。農夫が植物を育てながら、刈りいれする時を待つことと同じです。何ゆえに私達が700ケ所みことば運動をしようとしているのか知っているでしょうか? 牧会、個人、家庭、家系、職場の現場に勝つ道があるのです。一つ‘やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっているという事実’を認めるならば良いのです。神様のみことばを認めるならばです。これを認めるならば良いのです。それならば、光が必要です。光がだれでしょうか? キリスト・イエスです。私はどんな宗教人に会っても話ができます。伝道をするのがよりやさしいのです。一日の夕方に、30名余りがきて家族全体の首を押さえる事を体験した南無妙法蓮華経に通う人と話しました。あなたの家庭を困らせるものが、まさしく悪霊であると知らせてあげたら、その人自身も認めました。聖書の箇所二箇所を言ってあげました。イエス様のみことばを聞き受け入れたら、すぐに解決して教会にきました。簡単なことです。みことばを認めるならば、終わるのです。イエスを信じた後にも、ずっと問題がくるならば、こういうものが暗やみの勢力ではないでしょうか? 認めないならばならないのです。ある精神病者は、癌という話を聞いて、医者を殴ることもしたというのに、暗やみを認めないということは、こういうことよりひどいのです。この部分を認めないならば、光が必要でなくて、光であるイエスが必要でないのです。私たちは、この光を、起きて放たなければなりません。光を放つならば、3種類の祝福が与えられます。
 
 子孫が帰ってきます。イザヤ60:4節 "目を上げて、あたりを見よ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。" この一種類だけ見ても、答が出てきます。
 これから、神様が真の経済の祝福を与えてくださるはずです。 "そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり、心は震えて、喜ぶ。海の富はあなたのところに移され、国々の財宝はあなたのものとなるからだ。
60:6 らくだの大群、ミデヤンとエファの若いらくだが、あなたのところに押し寄せる。これらシェバから来るものはみな、金と乳香を携えて来て、主の奇しいみわざを宣べ伝える。"......経済が回復するのです。単純にお金を儲けることではありません。経済の霊的祝福が回復しなければなりません。祝福が回復しなければならないのです。皆様の夫が本当に福音がないならば、お金を儲けないように祈らなければなりません。その状態でお金をたくさんもうけるならば、問題がきます。
 
 皆様が光を悟れば、神殿が回復します。7節の終わりに "わたしの祭壇にささげられる。わたしは、わたしの美しい家を輝かす。" 特に9節 "まことに、島々はわたしを待ち望み、タルシシュの船は真先に、あなたの子らを遠くから来させ、彼らの金銀もいっしょに、あなたの神、主の名のために、イスラエルの聖なる者のために運んでくる。主があなたを輝かされたからである。' このように神殿が回復するのです。皆様に回復の祝福があるように願います。簡単に光と暗やみが分かれば良いのです。説教を複雑に聞かず、神様のみことばをよく見るべきです。救われたのならば、本当に深刻な問題は私たちの誤ちとは関係なく、暗やみです。それで光を知っていなければならなくて、知る瞬間に子孫が帰ってきて、経済が回復して、神殿が回復するのです。
 結論を結びます。19節 "太陽がもうあなたの昼の光とはならず-この話は、太陽が必要でないということではなく、真の他の光があるということです- 月の輝きもあなたを照らさず、主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの光栄となる。"世の中の話しとは違います。21節に "あなたの民はみな正しくなり、とこしえにその地を所有しよう。彼らはわたしの栄光を現わす、わたしの植えた枝。わたしの手で造ったもの。" 皆様がこのみことばを聞いて悟って祈れば、最後の節 " 最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強国となる。時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。”とおっしゃいました。牧師と主のしもべは、よく悟らなければなりません。私達が2002年を始めながら出した二つ単語が "神様の国"と "インマヌエル"です。何故この話を出したのか知っていなければなりません。単にメッセージをするのではなく、神様の時刻表です。神様の国が臨めば解決して、それがまさにインマヌエルです。何故、釜山で700、首都圏で2,000、蔚山で100ケ所のみことば運動をするのでしょうか? その話をわかって理解しなければなりません。初代教会を考えればよいのです。マルコのタラッパンを見る時、使徒2章に全体が起きたとして、使徒4章にその小さな所で男だけで5千人が集まったとされています。すると、女と合わせれば1万名、子供と合せるならば1五千人程....早く理解しなければなりません。神様の国と地域教会運動。この話を知った方達が何人かいました。18世紀のウエスレイ、19世紀のムーディーのような方達です。しかし、結局年を召して教回の権力の前に崩れました。近代にはCCCとUBFなどがありますが、この団体は、教会を背景としなくて、他の問題が現れました。教会を背景に悟った所があります。米国のチャック・スミス牧師の方達とカルバリー・チャーチの方達が2000ケ所に同時にみことば運動を開いて成功しました。その方達が私に聞くので、直接、話をしました。「今、私たちのメッセージを使ってかまいません。しかし、単純にみことば運動をすれば、教会が疲れます。霊的なみことば運動を、正しくしなければならないのです」と言ったら、その方達も認めました。ある方が、釜山で地域教会を立てて拡張していったのですが、私が見たら律法の上に律法でした。男女の席を別に置く程でした。聖書が違うように解釈される程、律法が強いので、習う必要はないと結論を出しました。どんなに教会の権力が攻撃しても、釜山700ケ所だけ正しいみことば運動を開いて、地域地域ごとに暗やみを縛れば終わるのです。単純な復興運動ではありません。光を放たなければならないのです。この祝福が、皆様個人にもあるように願います。
 
<<契約祈り>>神様に感謝申し上げます。私達を暗やみの中に放置しておかれず、光を下さいましたことを有難うございます。それにもかかわらず、私たちは、暗やみにだまされる時が多いのです。私たちが暗やみにだまされて悲惨な状態にならないように、神様が光を照らして下さい。今日、光の秘密を味わう、起きて光を放つ人になるようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。


3講: レムナント運動
(イザヤ6:1〜13)
 
 
 
 今日、私たちの学生達が卒業して、釜山で合宿も受けています。今日、イザヤからのみことばを一日中見たですが、結局は、レムナント運動です。私たちの学生達が生きている途中で一度だけ見ればよいのです。律法をせず律法を理解しながら、福音を持って信仰生活を良くする人。合理的であり、また成功しながら祈る人、こういう人にひとりだけ会えば成功します。ところが、では人に会うのが大変なのです。それで、レムナント運動をしようとしたのですが、ある面では、私が話した反対の人に会っても、判断だけ良くすれば良いのです。皆様の子供が育って、ある日教会が本当に良いなということを感じることができなくて、教会に行くのがいやだという考えが入っていきます。入っていってしまえば、とても幼い時に入力されたことであるので、変えるのに相当な苦労をしなければなりません。これくらい、信仰教育の中で子供教育が重要なのです。
 私が幼い時、教会に行くのがいやだという気がしました。信仰生活に特に魅力を感じることができなかったのです。こういう気がすれば大変です。確かにそれは入力されるのです。かと言って、すぐに堕落するのでもなくて、学校を放棄することもなく、すぐに精神が狂うこともありません。しかし、それは確かに入力されているのです。ある時刻表にしたがって出てくるのです。すると止めることができません。ある面では、プログラムをよく作って、子供達を追い込めば、誘惑することができます。誘惑されているならば良いけれど、後ほど目覚めれば、もっと難しくなります。なにか本物の福音を持った人、それとともに祈る人、自分の仕事に落着いて成功している人、それとともに、とても福音的なマナーを持っている人。こういう人に会いさえすればよいのです。一度だけ見ればよいのです。この子供達が見る瞬間に感じるのです。それが入力さます。すると、入力されたことが、自分たちが誘惑されたことを少しずつ正して行きます。それがまさに聖霊の働きです。仮りに皆様の子供が大きくなりながら、一度も見ることができなかったとすると、大変なことになるのです。苦労を多くして、どれくらい多くのことを浪費しなければならなか分かりません。
 今日も、生まれたばかりの新生児3人にお祈りをしました。この子供達が行く道に、誰に会うかが重要です。正しい教師、友人に会えば、これより大きい祝福はありません。特に、教会学校の教師、中・高等部の教師です。他のことは知らなくても、中・高等部の教師は厳選しなければなりません。高等学生くらいになれば、既にうまくいったこと、誤っていたことが、既にほとんど形成されてしまいます。小学校 5、6年の時まではよく分かりません。しかし、中学校 2年くらいになれば思春期がきます。この時の先生がだれかが全部を左右します。ところが、学校に行って影響を受けることがなくて、受けるとしても未信者です。信仰が正しくなった人に会うことができないのです。
 
 私がある教会にいた時、今でも名前を覚えています。キム・キョンチョルという... とても謙虚な人でした。この人がどれだけ恵みを受けたかというと、時々、高等部や青年会で証しを聞きました。ところが、それに対して誰も是非を論じる人がいなかったのです。この人がどの位誠実かというと、青年達の前で講義をするのに、パウロ神学に対して講義をしました。静かにきいていたのに驚きました。普通の研究をしたのではありません。単純に研究したのではなくて、この人に何かがありました。この人が子供達に影響を与えたのです。その人のお母さんは、アミ洞で果物のようなものを売っていました。その人は、不思議と3年司法高試に落ちるのでした。勉強はよくできて天才です。ソウル大学の法科をでたのでした。その後に、話を聞くと、司法高試はだめで、三星で試験を受けたら、全国で一等になったということです。それで企画室を選択して行ったということでした。その人がする話は、ものすごく信仰に影響を与えました。不思議にその人と話をすれば、勉強が出来ない子供も勉強を良くすることになりました。少しの間、話をしたのに、子供達が勉強をし始めたのです。子供に勉強して成功しなさい、こういう話ではありません。
 中・高等部にそんな先生一人だけいも影響されます。中・高等部の時はそうなのです。それでレムナント運動が重要だということです。人を差別することではなくて、中・高等部の教師はすこし厳選しなければならないのです。なぜなら、その子供達の生涯を左右するためです。皆様の子供達が揺れる理由が、小学校末期から中等部、その間に信仰が入っていかないからです。違ったことが入っていってしまったら、コンピューターより正確なのが人の頭です。律法主義、律法主義と話すことは、このことが一度入力されてしまえば、コンピューターのように正確だからです。
 
 前に一度話した記憶があります。韓国で約20年住んでいたのですが、日本に行って40年住みながら商売した、年齢 60を越える人が病気になって日本で死ぬ時に、全く日本語が出てこなかったのです。40年住んだのに、日本語は忘れてしまって、韓国語が出てくるのでした。人間の脳がどれほど正確かとすれば、幼い時から習ったことと、行って習ったこととが違うのです。それで、治療ができなくて、韓国にまた戻って来ることになったという知らせを聞きました。いつ入っていったか、順序にしたがって出てくるようになるのです。それで、新年にレムナント運動を考えなければならないのです。
 単語いくつかを記憶すべきです。神様の国とインマヌエル。イザヤ62章、諸国の民に向かって旗を掲げなさいというのが、私達が捕まえたメッセージです。それで、私たちの教会の名前をインマヌエルに変えました。二つ目の時間には、暗やみの中にある光です。今日ここで学ばなければならないメッセージが、レムナント運動です。これより重要なことはありません。これは、地球の未来と関係があるために、これをする教会を神様は祝福なさるはずです。私は子供と学生達を福音化しようという人が、時代的に用いられないのを見たことがありません。時代時代ごとに、レムナント運動をしようとした教会と個人が、想像できない祝福を受けました。それで、私たちの学生達は、多くのことを聞く必要はなく、出会いを通じてただ一度で生きるのです。それで、私たちは準備をして教師を準備しようとしているのです。子どもがマナーがある人に一度だけ会うようになれば、マナーがあるようになります。合理的な人と何回かだけ会えば、合理的になってしまいます。特に友人、雰囲気の影響を受けるために、正しい先輩ひとりに会えば変わるようになるのです。
 
 レムナント運動をする理由。イザヤ6:23節に全部、滅びるようになるとしても、私たちのレムナント、切り株が起きれば、みな生かされるために、私たちはレムナント運動を当然にしなければならないのです。イザヤ40:1〜26に見ると、全世界は神様のみことばがなくて、全部偶像に陥ってしまうようになりました。気を見てもお辞儀をして、自分の手で作ったものにお辞儀をして、それがどうして神なのでしょうか? レムナント運動でなくては、これを変える道がありません。イザヤ40章を読んでみれば、イスラエルが捕虜になって、良いものをみな奪われたのです。特にイザヤ60:1〜2にやみ、暗やみが諸国の民をおおったとなっています。私たちは、レムナント運動を正しくしなければならないのです。
 メッセージを聞く時、「そうです」と入りません。そのように聞いていては、メッセージになりません。メッセージ、すなわち、神様のみことばは2つに解釈されます。ギリシヤ語で見れば、ロゴスとレーマという言葉を使います。神様が記録されたみことばがロゴスです。これは絶対に変わりません。このみことばが、自分の中にぶつかってくる時、レーマというのです。それでこそメッセージになるのです。今日のメッセージ、神様のみことばを聞きながら、私たちの教会が本当にレムナント運動をしなければならないな、このように心に決めなければなりません。皆様が本当に悟ってこそ働きがなるのです。イザヤが本当に悟ったのでした。
 皆様が何故苦労を続けるかというと、レムナントの時に福音を受けていないからです。私たちの韓国が何故難しいかというと、レムナントの時、教育を正しくさせられないからです。成功すれば良いように思って、やたらさせたのです。米国と日本の教育が飛び抜けているのですが、何故どんどん滅びるのでしょうか。レムナントの時、福音が入っていかなかったからです。この単語を捕まえた人が勝利するようになるのです。今、振り返ってみれば、子供達に福音を伝えようと学校を探して回る時、一番祝福を受けるようです。その時は、主の恵みで回っていたのですが、神様がそれをとても喜ばれたのだな、という気がします。皆様が抱いている子供達が、社会に入っていく前に、福音の影響を与えるということがすべてです。これより重要なことはありません。それで、今日から子ども教会学校と、中高等部の教師は、神様の大きい恵みを回復するように望みます。もちろん、大学も青年も重要です。この人達は、既に成人がみななったゆえに、もう一つの次元です。しかし、皆様の幼い生徒達が全てのものを左右すると見ても良いでしょう。レムナントを正しく福音運動できる、そのような教会が出てくるべきです。もちろん、意図的にもせねばなりませんが、福音があれば可能なのです。
 いままで、レムナント運動をしなければならない理由を話したのであって、大きく2つ目にレムナント運動をどんな人がしなければならないか? 資格者を話します。イザヤ6:1節によく出ています。神様が御座に座っておられるのに、すそが神殿に連結しています。イザヤがこれを見たのです。皆様の誰もが説教して、人を生かすのではありません。子供達を生かすことができる人は、霊的な秘密を持っている人々です。簡単に話せば、皆様と先生の救われた祝福が、子供達にまで行くのです。確かに記憶しているべきです。2節に見ると、セラフィムがありますが、セラフィムとは主の天使のことを話します。この話を普通の人々は、わかることが難しいのです。私たちの教師達が、この部門に確信があってこそ、祈りができます。そうしてこそ、祈りの答えを受けることができるのです。皆様が祈る時ごとに、イザヤが祈る時ごとに送られたセラフィムが送られるのです。あなたがた見る時は、見えないかもしれないけれども、聖書には重要な時ごとに出てきます。パウロが死にそうになった時、「主の使いが昨日の夜に」というように記録されています。私は確信があるために、幼い子どもと祈る時、そのように祈ります。神様が、この子どもが行く所ごとに神様の天使を送ってくださって、あらかじめ答えの門をあけて、主の聖霊が働かれて、悪い霊が指一本も触れることができないようにと祈ります。私がこれを知ってから、祈りし始めました。答えをたくさん受けたのです。私たちのレムナントの学生達が、勉強しながら、こういう霊的な力がなければならないのです。先生が説明していると、ある日悟れるようになるのです。そうすれば良いのです。今日、イザヤで詳細に見れば、そのような言葉が出てきます。
 また、その続きの言葉は 10節にあります。「聞くことができなく、悟ることができないようにさせろ。」おかしなみことばです。神様の福音がなくなった時代に、既成世代が、世の中の事情が分かるようになって、目が開いて答えを受けてはだめだということです。すると、イザヤ7章に見れば、答が出てきます。このみことばをわかるでしょうか? イエス様が、人々がわかることができないようにするために、たとえを用いられたとすれば、隠したとなっています。人々がみことばわかって、救われるようにすべきなのに、異常ではないでしょうか? このみことばを既に救われることができないパリサイ人が、わかることができないようにしたということです。また反対にたとえということは、わかることができない人を悟るようにすることが、たとえであり、またわかってはならない人がわかることができないようにすることがたとえです。イザヤが相当なことを見ているのです。神様のみことばがわかることができないようにさせなさい。耳が開かないで、目も開かないようにしなさい。何故でしょうか? そうしてこそ良いのです。それとともに、おっしゃったみことばが、みな切り倒されても、切り株が残るということです。神様のみことばをわかることができる人。なんの話なのかわかることを希望します。今日、中、高等部の教師が、このみことばをわかれば良いのです。 このみことばをわかってこそ、あなたがたが混乱しません。神様は重大なことを悟る以前に、門をあけられることはありません。神様が切り株を立て起こすと言われました。神様のみことばを教えることができる資格者です。
 そうしておいて、7章に入っていくのです。元々聖書には 6章 7章はなく、そのまま続いていたのです。7章に入っていきながら、重要な節が 7章14節です。 "見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。" 救いの秘密を知っている人。私たちの子供を教えている人の中に、本当に福音を知っている人。そうすれば、成功します。皆様の話しがむなしい話にならないのです。牧師が本当に福音を知る人が講壇に立てるならば、成功するようになっています。
 昨日、牧師達を集めてこういうことを話しました。私が知っていることでは、韓国に福音を伝える人がいません。みな教会を復興させようとあちこち回っています。神様がご覧になれば、一名もいません。私は見ることができませんでした。他の見方をすれば、大変だと見えるけれど、霊の目を覚まして見れば、商売です。全部自分の有益のためです。それで、教会間で、教団間で、利益が合わなければ戦うのです。全世界がそのようにしています。私が知っていることでは、伝道して回る教会はありません。いつかはだめになっていきます。一生に一名に福音を伝えても、福音を持った弟子を作って死なねばならないと話しました。牧師達に深刻に話しました。心がそうでなくても、今日変えなければなりません。このみことばで、福音を本当に持っている人が、私たちの子供達を教える成功は保障されているのです。福音を本当に持った宣教師が現場に行った祝福は、保障されているのです。福音を本当に持っている牧師が講壇に立つようになれば良くなっていくのです。福音ならば、殆どなるようになっています。福音はあらゆる問題を解決するようになるメッセージです。それこそ福音なのです。
 私たちは、一名を作って教会を放棄しても、福音を正しく持った弟子を作らなければなりません。こういう方が中高等の学生を教えるようになれば、中高等学生は絶対に滅びることがありません。そのような方が、祈るようになれば、暗闇の勢力が私たちの中高等学生達を絶対に触わることができません。この学生達がある日わかる日がくるようになります。ある日祈って勉強して変わるようになるのです。ある日、この学生達にある暗闇の勢力は崩れるようになるのです。あまりにも簡単です。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。イスラエルが捕虜になりました。皆様ならば、どのようにするでしょうか? ‘力を蓄えよう。生き方を教えよう。水準を高めよう。’そうなるはずです。それはあらゆる宗教がみなできることです。それゆえに、イエス様を送られたのではありません。他の問題がまたあります。滅びるしかない霊的な状態があるのです。それを解決するということです。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。理解できるでしょうか?
 
 福音を理解した人が、レムナントを教える資格者です。イザヤ40章に移るようになれば、偶像崇拝に陥った人を話しながら、がんばれと言われています。あなたは知らないのか、聞いていないのか。ヤコブよ。イスラエルよ。しかし、主を待ち望む者は、新しい力を得る。最も貴重なことを正しく見ることができる秘密がある人。そばにある問題もみな解決になるのです。私たちの祝福は、天に積まれているために、天を見ることができる人。こういう人が教会をしたり、中高等学生を教えたり、子供を教えれば、驚くべき働きが起きるようになります。福音はとても深い秘密であるゆえに、小学生がわかることができません。しかし、霊的にみな行くようになっています。皆様が抱いている子供は、話をわかることができません。しかし、霊的にみな行くようになっています。それで、私たちは礼拝をささげるのです。
 どんな人が資格者になるのでしょうか。イザヤ60:1〜3節に見れば、この学生達が学校を出れば、暗やみの世の中へ行くはずです。明るい世の中ではありません。どのようになるでしょうか? 起きて光を放ちなさい。主の栄光があなたの上に臨んだ。そのような心で、子供達を眺めた時、どのようになるでしょうか? 子供達がこれからご飯を食べて、生きて純然に暗い世の中へ行かなければなりません。何を与えて送らねばならないのでしょうか? 福音だけを正しく教えて送るべきです。神様の祝福を受けるように教えて送るべきなのです。私たちの教会が、本当にこれをしなければなりません。これから良い土地が用意されて入っていったら、どんなにお金が入ってきてもレムナントを育てる準備をしなければなりません。外国から来た学生達が、信仰生活を正しくできるように霊的な問題がある学生達がいやされるように、別途に準備しなければならないのです。そして、学生達が生き方を学ぶことができるようにさせてやって、福音的が良い姿かを分かるようにさせてやらなければなりません。いのちをかけなければならないのです。そのような意味で、今日、釜山で中,高等学校の合宿訓練があります。重要な答えを受けることを希望して、講義なさる方が、中・高等学生達と真実の対話をするように願います。学生と心の門を開けた対話をするように願います。本当に霊的な解答を与えなければならないのです。そのような祝福の機会になることを希望します。
 すると、レムナント運動をどのようにしなければならないのでしょうか? 聖書何ケ所かだけを記憶しましょう。イザヤ7:14です。福音を正しく教えなければなりません。処女がみごもって男の子を産む、これは、メシヤについての言葉です。霊的問題の解決についての言葉です。霊的問題が解決することなしでは、その次の問題が解決しないのです。イザヤ40:9〜10 単純な聖書勉強ではなくて、あなたの神様を見なさいと言いましょう。イザヤ43:18〜20を教えなければならないのです。あなたがたは、以前のことを記憶するな、わたしが新しい事をする。私たちのレムナントを通じて、神様はバビロンからイスラエルを回復させるとおっしゃいました。新しいことを行う。イザヤ60章、起きて光を放ちなさい。22節に、時になれば、主であるわたしがすみやかに行う。イザヤ62:6〜12節に、諸国の民のために旗を掲げなさい。
 私たちのレムナントの学生達に頼みます。外に行けば、すごいです。それで、高慢になったり、混乱を感じないようにしましょう。ものすごいです。しかし、それはものすごいことではありません。詳細にみつめて、しっかりして、信仰生活をするように願います。すると、その峠で途方もない祝福の門が開きます。主がされれば、皆様が勉強するためにヨーロッパ、米国、あるいはソウルへ行くはずです。すると、全部神様がない人で一杯です。混乱を感じてはだめです。ところが、とても格好良くて、成功したように見えます。その部分は間違いありません。しかし、その後の面では、完全に死んでいっているということを知っていなければならないのです。学生達がだまされてはだめです。私たち学生達が信仰生活をしようとするのに、回りが完全にうわべのにせ物信仰人だけであるかもしれません。支援する人が誰もいません。ここで気落ちする必要はありません。気落ちすると、皆様もそのようなおとなになります。このように数種類が学生達を壊すのです。この子供達が、信仰生活を学んで、信仰生活はとても格好良いことだな、神様はとても良い方だな、キリストはすべての問題の解決者、これが感じねばならないのに、感じれないのです。反対に、教会に通うのがいやだ、そのように感じてしまいいます。そうしながら、この子供達が大きくなって、社会や留学現場に行くようになれば、すぐ驚くことになります。成功した人を見るようになれば、ものすごいように見えるようになるのです。特に、ミュージシャン、芸能人などを見るようになれば、すごいように見るようになります。政治家たちを、ものすごいと見るようになります。ここで2つ目の錯覚をするようになるのです。それから、2つ目にクリスチャンに会ってみて崩れるようになります。これが、すべてにせ物だと感じるようになるのです。その時から、まったく崩れるようになります。絶対に私たちのレムナント達は、その三ケ所に落ち込んではだめです。
 
 教会でこの子供達を誰が教えるかが重要で、子ども達が一度だけ見ても良いのです。子供達が社会に行って万が一下手すると試みに会うようになります。イエスを信じない人がもっと格好良いな。人は成功せねばならないな。このように錯覚するようになります。そうしながら、千に一つ、一人だけ出会ったクリスチャンがでたらめならば、ここでまったく崩れるようになります。これで私たちのレムナントが成功できなくて、暗やみに縛られるようになるのです。私たちの教師とレムナントを教えなければならない親の方たちにお願いします。皆様が第一に福音が明らかでなければなりません。すると、みな解決します。すると、その福音を味わうことが明らかでなければなりません。祈りです。すると、祝福を受けるようになっています。その祝福は分けてあげることが証拠で伝道です。この三つは、明らかすべきで、その次には私たちの学生が見ることができるマナーです。少しだけ生活を教えてあげれば、私たちの学生達はついてきます。
 私は今日、ここにきて私たちの学生達が卒業礼拝に参加したということを知るようになりました。すると、今日原則通りするならば、レムナント運動を一番最初にしなければなりません。ところが、祈る中に結論から話をしました。1部に 62章をして、2部に 60章をして、最後にレムナント6章をしました。簡単にしたようですが、主はみことばとともに動かれるという事実をいつも感じます。今日、レムナントのメッセージを準備したら、子供達がきて座っています。私は暗闇の勢力が、この学生達に触ることができないと確信します。皆様の家族が、もし福音がないとしても、ある日帰ってくるようになる驚くべき働きが起きるようになるはずです。何故でしょうか? 福音に勝つ者はいません。福音の働きを妨げる者もいません。この運動が全国の教会のレムナントに起きることを主イエスの名前で祝福します。お祈りします。
 
<<契約の祈り>>神様に感謝申し上げます。真の福音、平安の福音、本当に素晴しい福音、人を生かす福音を私たちのレムナントが悟るようにさせてください。神様の恵みが現れることを祈ります。教会に通う人の中に、最も素晴しい人に習うことができる祝福の門を神様は開けてくださることを信じます。また、社会に入っていった時、少しの間の小さな成功と多くの人々の目に見える肉体の偽りの競争を見て、だまされないように、内容に富んだ内容を与えて下さい。また、現場に入っていった時、おかしなクリスチャン、福音がないクリスチャン、話で失敗するクリスチャンが大部分ですが、彼らに会って錯覚しないように、霊の目を開くように祝福してください。それで世界の福音化をする門が開くだけでなく、この働きを成し遂げることができる教会になるようにさせてくださり、これゆえにまず呼ばれた私たちの信徒達に神様が大きい恵みをくれることを信じます。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン