(2002年 02月 03日 インマヌエル教会 聖日メッセージ/ 柳光洙 牧師)


1部: 納めてあった場所を見てごらんなさい
(マタイ28:1-15)
 
 
 アナウンサーをしていた人がこういう話をしました。あまりに世の中が異常で、理解ができない事がたくさん起きると言いました。ある日、自分の息子が死んだということです。それも自殺をしたということでした。遺書を残していたのですが、いつも生きるのがいやだったという内容だったそうです。それ以外に理由が記されていなかったのでした。両親にとても申し訳ないけど、自分は以前から生きるのがいやだったのだけれど、今回決断を下したと記されていたということです。この方があまりに衝撃を受けて、放送界を離れて、一年間さまよって回ったということです。とうてい理解できないらしいのです。
 
 世の中は、理解できない事が多いでしょう。聖書は、重要な答を明らかにしています。聖書に見ると、創世記 3章に見れば、おかしな事が起きました。人類の始祖のアダムとエバが、単に偶然だと見ることができるでしょうか? その時は、今のようにこういう社会ではなかったので、動物もいっしょに生活する時代でした。へびがエバにこういう話をしたのです。神様が取って食べるなと言われた善悪を知る木の実を取って食べれば、あなたは相当な人になると言ったのです。その話を聞いた瞬間に、エバに実際におかしな変化が起き始めました。それで、善悪を知る木の実を取って食べて、夫にも与えたので、その時から問題が始まったのです。知ってみれば、へびだと思っていたのに、へびを利用したサタンが、アダムとエバを倒したのでした。
 
 ある日ある人が、米国で誰かが良いと言ったので飲んだら、それが麻薬だったのです。その人の表現です。世の中でこのように不思議に思うことはないということです。何故そのように不思議なのかと尋ねました。普通の世の中で感じる気分の10倍、20倍の気分を感じることができるということです。その時から、麻薬にしっかりと捕えられたので、勉強もできなくて、今はうわごとまで言うらしいのです。自分はこれではだめだということを知っていながらも、自分がしていないのに、うわごとが出てくるということです。本当におかしなことです。
 
 その時からサタンに捕われたアダムとエバには、おかしな事が行われ始めました。ところが、知ってみれば、アダムとエバにだけ起きたのではなくて、世の中の人々に起き始めたのです。人々は偶像崇拝をして、世話をして手をついて礼をして、悪霊を崇拝し始めたのです。困難に会った人々は、あちこちさまよいながら、教会に通ってみたり、宗教を持ってみることもします。どうしようもないのです。
 皆様が重要な内容を知らなければ、教会に通うことでも、天理教に行くのと同じようなものです。解決しません。だから、災いが続くのです。上に話したアナウンサーのように、「私たちにはそのようなことはない。それは、水準が低い人々に起きる事であって、私たちはそのようなことはない。」と考えていたのでした。ところが、自分の最も愛する子供にそのような問題が起きてしまったのです。ある人は、一生、自分で生きたのに、ますます暗やみが迫って、虚しさが迫り始めたということです。いったい、人間は何故このようになったのでしょうか? それを知らせることが聖書です。皆様が、この部分を知らなければ、大事になります。どうして世の中はこういう事が迫るのか聖書は明らかにしています。これから起きる大統領は、上手にやれるでしょうか? それが勝手にできるのでしょうか? どうして世の中はこういう事がどんどん迫るのでしょうか? どうして、家系の呪いは迫るのでしょうか? これを聖書は知らせています。人生はいたずらではありません。簡単に思っていては、だめになります。
 
 今日、皆様が神様のみことばを本当に聞いて解決しなければならないのです。 黙示録12:1〜9に見れば、過去のへび、サタン、悪魔は、神様を信じる人々を信じることができないようにさせて、人々を呪いの中に入っていくようにしきりにそそのかすのです。結局、人間は自分も自分の自由にできないのです。麻薬をする学生が、自分を自分の勝手にできないのです。家庭が破綻して崩れるのに、自分の勝手にならないのです。 ある人は、私がこれではだめだということを分かってもどうしようもないのです。何故そうなのでしょうか? 聖書は、黙示録12:1〜9に詳細に明らかにしています。この問題を解決してみようとグッ(降霊術)をしてみたり、この問題を解決してみようと教会に行ってみたりするけれど、解決しないのです。このようにしてみる人は、身悶えしているのですが、ある人々はそのままあきらめてしまって生きていくのです。
 ますます人間には、困難が差しせまり始めているのです。科学が発展して、生活が便利になっているようですが、片方には、霊的な問題が迫るのです。実際に環境は以前よりはるかに住みやすくなりました。しかし、霊的な問題はよりくるようになったのです。今、携帯電話がどれくらい便利でしょうか? しかし、それを持って色々な犯罪がみな起きます。今、インターネットがどれくらい便利でしょうか? これをもって全世界が暗やみに入っていっています。科学がどれくらい発展したでしょうか? ところが、人間は人間性をなくして、獣以下のような人間に変わって行っています。
 
 この理由を明らかにしているのが聖書です。それで、聖書は遠い以前から預言を続けていたのです。人間の罪と呪いとサタンの権威を破るメシヤを送るということです。メシヤという言葉はヘブル語で、新約でギリシヤ語ではキリストです。この方を送ると言われました。信じられるでしょうか? それで、聖書にずっと話したのでした。皆様は信じられるかもしれないけれど、未信者が聞けば、何の話なのかと疑問を持つのです。はなはだしきは、教会に通う人も何の話なのか知りません。それで、旧約39巻でずっと預言をしたのでした。それは、未信者も科学的に証拠しました。そして、考古学者等が証拠を捜し出したのです。聖書はずっと何を約束したのでしょうか? 「この問題を解決するキリストを送る! この地には、多くの学者、多くの英雄も送られたのですが、キリストも送る。」これが鍵です! これが信じられない人があって、信じられる人があります。人生の問題にそんなに会いながらも、信じられない人がいます。はなはだしきは、自分の家に呪いが入っているのにも、信じられないということです。
 
 それで聖書は、信仰は神様が与えられる恵みだと言いました。ここに私達が座ったのも神様の恵みです。ある人は、教会にどんなに出てきてもだめならしいのです。それで、聖書は数千年間、ずっと話したのです。 「メシヤを送る! そのサタンの頭を踏み砕くキリストを送る。罪の問題を解決してあげよう。すなわち、受けるしかない災いを、呪いをなくしてあげよう。もっと簡単に話せば、悪魔の子供でなく、神様の子供にしてあげよう。どのようにか? キリストを送る。」旧約聖書全体は、キリストがだれかを説明したのです。どんな姿でくるはずだと、それを説明してくださったのです。
 そこに重要な二つの単語が出てきたのです。「あなたのすべての罪のために十字架を背負うはずだ。キリストという証拠で復活するようになるはずだ。」それを預言したのです。まったく信じられない事件です。人がどのように死んで復活するのでしょうか? 信じられないのが正常です。皆様がその事実が信じられるならば、むしろそれがおかしな頭なのです。それで、イエスがキリストだということです。神様が聖書に約束なさったのは、キリストは十字架に死んだが、復活するようになるはずだ、ということです。神様はこの地に英雄も送って、学者も送られました。しかし、キリストを送るということが聖書のメインの約束です。キリストを送り、私達がやられているこの変な問題を解決してくださるとおっしゃいました。これを福音と言うのです。その事実を持った人を救われたと言うのです。その祝福を受けた人を神様の子どもと言うのです。
 おかしな事が行われました。今日の本文は、イエス様が復活される現場です。皆様もご存知なように、ユダヤ人が集まって心配をしたのでした。ローマ軍人が心配をしました。‘この人が普段、死んでよみがえるはずだと言ったから墓を守らなければならない。’しかし、よみがえるとは想像もしないのです。‘この人達が、たぶん死体を盗み出すはずだ。どうしたら良いんだろう?' といったところ、ピラトという総督が‘軍隊を派遣して墓を守りなさい' このように命令を下したことを、先週読んだのでした。ピラトと話すのは、歴史的な確実な根拠だということです。ピラトは、ユダヤの国を治めたローマの総督です。ローマの歴史に記録されている名前です。その時、イエス様の事件も記録されています。すると、ローマの人々はどのように記録したでしょうか? ‘政治犯イエスを十字架にかけたのに、死体がなくなった。たぶんその死体は弟子達が持っていったのだ。’と記録しています。すると、聖書はどのように記録されているでしょうか? 軍隊が墓を守っているのに、おかしな事が行われたのです。明け方になったら、墓の中からあかりが飛出して来たのでした。何名かで門を開け閉めしなければならないのに、門が開いたのです。そして、墓に横たわっていたイエス様が起きて歩き出したのですから、どのようにできるでしょうか? イエス様の復活をまず最初に見た人は、弟子達ではありません。守っていた軍人達でした。聖書に見れば、見守った人々の一部は気絶したのでした。4節に見れば‘番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。’となっています。簡単に言えば、気絶したということです。そのようなことではないでしょうか? 墓の門が開いて、死んだ人が歩き出すのに、心臓が飛び出してしまわないでしょうか? その中の一名が報告をしなければならないと、軍隊に行って報告をしたのでした。‘彼が話したとおりよみがえった!’より衝撃になることは、信じられれないでしょう。しかし、見た人がきて話をするので、大変なことになったのです。政治家という人は、神様を知らずに世論だけ見るのです。だから、軍人達にお金を与えながら、見た事実を言うなと言ったのです。‘もし、このうわさがユダヤの国とローマに届いたら、私たちはどのようになるか? すると、民の心がみなひっくり返って、政治ができるだろうか? だから、話してはならない!’そのようにお金を与えたのでした。しかし、その話まで広まったのです。ユダヤ人達が愚かな陰謀を企んだのですが、信じることはありえない、途方もない事件がおきたのでした。
 
 イエス様の復活は、六つの原則によって起きたのです。いつ、どこで、どのように、誰が、何を、なぜ起きたのか? この六つの原則によって起きました。使徒信条の‘ポンティオピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて...’この話が何の話しか知っていますか? 歴史的な証拠を話すのです。歴史的な証拠で、イエス様が死んで復活なさったのです。とうてい信じられないことです。どのように信じられるでしょうか? 弟子も実際には信じなかったではないでしょうか? ところが、イエス様に会うようになったのです。本当におかしな事が行われたのでした。この時、ユダヤ人とローマの人々が作りだした話があります。私達が墓を守っていたのに、夜明けに弟子達がイエスの死体を持って行った。より面白い事実は、軍人達が守っていたのに、どのように持っていけるのか? と尋ねたのです。だから、その人々が言う話が、私達が少しの間眠っていた間に盗み出したと言いました。ヨハネ21章に見れば、イエス様の死体を亜麻布で包んで石で作った墓の中に横たえておいたのです。すると、イエス様の死体を包んだ亜麻布がどうだったかを知っていますか? 亜麻布はそのままあって、からだだけが抜け出てきたのです。イエス様がどのように復活なさったのか、少しの間話せば、今、私たちのからだのように復活なさったのではありません。私達が天国に行くことができる完壁なからだで復活なさったのです。視空間を超越するからだで復活なさったのです。そのようにイエス様が弟子達に現れ始められたのです。この時から、イエス様が弟子に会ったという証拠が出てき始めました。
 
 すると、ユダヤ人とローマの人々が言う話が‘君達が幻を見たのではないか?’‘違う。本当によみがえって、本当に見た人がいる。’といったところ、ユダヤ人が作った最後の話があります。‘すると、私達がイエスを完全に殺していないのではないか? この人が気絶していて、目覚めたのではないか?’それで気絶した目覚めた! と話したのです。しかし、どのように気絶して目覚めた人が、亜麻布の間から抜け出すでしょうか? それは、イエス様の復活を証拠するのと同じです。死体を盗み出したということは、墓にイエス様の死体がないということです。幻を見たという主張は、イエスを見た人があるという証拠です。気絶したが目覚めたということは、イエス様が復活していることが証拠される話です。本当に理解ができないのです。イエス様は、完全なからだで復活なさって、昇天なさったのです。聖書に見れば、最後にあらゆる人間もそのようになるとなっています。地球の終末がくることを預言して、最後の時、そのようになると話しています。
 イエス様が、人間のあらゆる罪と呪いとサタンを完全に破ってしまわれました。それで、イエスは生きておられる神の御子キリストです。皆様はこの事実を信じさえすればよいのです。問題は、信じられないことです。信じさえすればよいのです。それ以後の聖書の歴史は、イエス様が復活なさった以後のことを記録したのです。マタイ28章に見れば、弟子達に世界の福音化をするはずだとおっしゃられました。すると、今、私たちとどのようにされるのでしょうか? イエス様が最後の約束をなさいました。私がこの地にいないで、天国に上がって、聖霊であなたがたと永遠に共にいます! それで、聖霊充満を与えて下さいと祈りなさい、と言われたので、聖霊充満を与えて下さいと祈ったら、弟子達に驚くべき働きがおき始めたのです。そして、イエスの名前で祈ってみなさい! と言われたので、イエスの名前で祈ったら、驚くべきみわざがおきたのです。
 私は初期の頃、伝道する時、牧師達にこういう話をしました。「皆様が事実ということを体験しなければなりません。もし時間があるならば、精神病院に入っていって、3日間いてみてください。人生がどれくらい悲惨なのかを知るようになるはずです。一日だけでも行ってみてください。これがどれくらい深刻なことかを知るようになるはずです。そのようにしないでも、時間がある時ごとに精神病院に伝道しに行ってみてください。ほとんどすべてがムダン(霊媒師)、占い師の子供が狂って来ているのです。はっと驚くはずです。ところが、驚く事実があります。イエスを信じる人が入っていって祈っていれば、この人達がぶるぶる震えて、驚くべき証拠が起きるのです。悪霊に取りつかれて狂ってしまった人もいます。この人達は、いつも発作するのではなく、する時あって、しない時があります。この人達にイエスの名前で祈ってみてください。どんなことがおきるか体験してみてください。悪霊に取りつかれたことがどうなのか知るようになるでしょう。」
 
 35坪で礼拝をささげていた時、水曜日にある子供きたのを見ました。この子供が大声を出して、教会の床をごろごろしたのです。私はそのようなことを初めて見たのでした。この子供がごろごろするのに、顔が 3,4回変わるのです。途方もなく苦しがっていましたよ。その父母に、何故そうなのかをたずねました。悪霊に取りつかれたということでしたが、普通ではありませんでした。精神病院に行って伝道してみれば、イエスの名前が何か知るようになるはずです。皆様が今日、この事実を味わうのです。聖書のみことばに、神様は信じる者に永遠のいのちを下さるとおっしゃられました。皆様が解決出来ないのを知って、この事実を知っていさえすれば解決してくださると約束なさったのです。それで、わたしの名前で祈りなさい、と言われました。人の話を聞かず、本当に神様のみことばを聞きましょう。
 
 ここで2つのことを明確にしなければなりません。最初の質問です。すると、キリストはだれでしょうか? 2002年 2月 3日の主人公のイエス・キリストは誰でしょうか? 今日の礼拝の中から、この答を得なければなりません。すると、皆様に働きが起き始めるはずです。もっと重要なことがあります。今まで私が生きてきたことを早く考えなければなりません。解決し始めるでしょう。ある人は、幼いころから生きるのに苦闘し、ました。そのようなものも良いけれど、そのような方法で信仰生活をすれば、失敗するのです。本当にキリストの力で解決しなければならないのです。皆様は、過去の霊的問題、偶像崇拝したことを持っているのです。それを捨てなければなりません。その時、キリストの秘密を祈るようになるのです。皆様にすぐに答えがき始めるはずです。今日、祈りの答えを受けるのには、難しくありません。この時間に説教を聞いて、そのまま過ぎてはだめです。クリスチャンは、ほとんどみなそのまま過ぎてしまいます。私はイエス・キリストを知った時、何故イエスを信じるのかを知りました。これを知らなくて教会に通う人々が滅びるんだな! ということを知ったのです。それまでの自分の過去を考えてみました。私たちは各種の宗教と偶像崇拝で完全に呪われた生活を送っていなかったでしょうか? 神様が私をここに陥らないように、キリストで救い出してくださったのだな! だから私の周辺の失敗と問題がみな逃げ始めたのですよ。その時から祈りの答えがき始めたのですよ。それで力を得て、この事実を話さなければならないんだな! という考えをしたのです。これが世界へ広がって行き始めたのでした。
 
 ここに学生達がいます。この話が既成世代になれば、理解できるでしょう。しかし、その時は遅いので、今、神様のみことばを悟らなければなりません。学生達は、勉強を熱心にしているのです。社会に行けば、成功したり、失敗したり、いろいろなことがおきるはずです。その時はおそいのです。だから、今悟らなければならないのです。何故そうかを理解だけすれば良いのです。地球上には、ますますおかしな問題が起きているんだな! まさに、ここに理由があるんだな! それで、神様がこの解決策でキリストを送ってくださって、私たちを救われたのだな! それで、主は生ける神の御子キリストです。それを見て、はじめてイエスを信じると言うのです。それを見て、神様の子供になったと言うのです。今、でたらめに教会に通う人々が大部分です。自分自身だけでなく、他の人にもイエスを信じても特に良いことがないように説明しているのです。本当にせつないことです。あまりにも簡単なのに...
 
 今日あなたがたが2つのことだけ認めればよいのです。‘イエス・キリスト。神様がこれで送られたのだな!’すると‘私はだれか?’判事、医者.. 達が成功したが、家庭の霊的問題と個人の問題で葛藤してさまよっていないでしょうか? 神様がこれでキリストを送られたのだな! ここはおとなもいます。私と皆様は老いて行っています。私達がこの祝福を回復しなければなりません。神様の子供となった祝福を回復しなければならないのです。仮りに若い学生、青年達が悟れば、皆様ゆえに家庭がみな息をふきかえすはずです。これを悟った人が牧会すれば、教会は息をふきかえすようになっているのです。これを悟った人が宣教地域へ行けば、宣教地に働きが起きるのです。今日、皆様が本当に祝福を受ける日になるように願います。皆様の生涯に最も重要な開始が今日から起きるようになることを願います。キリストを送られた理由を知っていなければなりません。皆様個人の背景を考えてみるように望みます。その2つのことが連結するならば、皆様に重要な祈りが始まるようになるはずです。答えはこの時からくるのです。今日から答えを受ける皆様になられることを主イエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>> 感謝を神様にささげます。今日から答えを受けるようにさせてください。この途方もない霊的な秘密を悟る日になることを願います。理由なく死んで行くこの世界を見て、正しいクリスチャンになるようにさせてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。 -アーメン-
 
 


2部: テサロニケ教会
(Iテサロニケ1:1-10)
 
 今週からテサロニケ教会に関する研究をちょっとしようと思います。7節に見れば‘こうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです。’
 8節に‘主のことばが、あなたがたのところから出てマケドニヤとアカヤに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰はあらゆる所に伝わっているので、私たちは何も言わなくてよいほどです。’とあります。一番迫害の中で試みに会わずに勝利した教会です。私たちも釜山だけでなくて、みことばが全地域に伝えられる祝福を受けなければなりません。
 皆様の中で、自分はちょっと失敗したと考えられる方がいるならば、キリストのなかでは失敗がないために、皆様が霊的な基本を早く捜し出さなければなりません。すると、答えの重要な門が開くはずです。霊的なこと、機能的なこと、生活に関することなど、基本的なことを早く探さなければなりません。すると、残りは、神様が既に皆様を勝利者として呼ばれたゆえに、色々な話しにだまされないだけで良いのです。皆様の中に諸々の葛藤もあるでしょうが、神様は救われた神様の民を捨てません。それで、皆様は早く答えを回復しようとするなら、基本的なことを早く回復しなければならないのです。
 皆様は神様の子供で、皆様の祈りを神様が答えてくださるために、人を恨む必要がありません。特に、牧師や主のしもべは、より一層そうです。主のしもべが、人を頼って、人の方法でしようとすれば、時間が過ぎれば難しくなります。なぜなら、神様の民が集まったゆえに、人の方法でできることがないのです。
 ここにいる神様の民が世に行けば、世の中にそんなに簡単に勝つことができません。神様の力でこそできます。ある学生が私にそのような手紙を書きました。今回の中高等部の修練会で、恵みをたくさん受けたと書いていました。青少年伝道神学院をこのようにすれば良いのにと話す中で、小学校に通う中におかしな子供達が1クラスに10%程度いるらしいのです。悪いこともして、勉強もしなくて、そうしながら中学校に入っていくようになれば、1クラスくらいになるらしいのです。そうしながら両親はよく知らないのですが、高等学校に入っていけば、数字が多くなり、卒業する時くらいになれば、半分くらいになり、正しく気を引き締めた学生は 1〜2% くらいしかなく、ほとんどすべてが、勉強もしなくて、おかしなことをしているらしいのです。そのような中で、自分たちが雰囲気に勝つのが難しいということでした。それで、私たちの学生達の賛美とか、伝道神学院をもう少したくさんしてくれなければならないということです。そのようなことでしょう。
 あなたがたが卒業をして、大学に行って、社会に行けばよりそうなるはずです。そちらでは、人々がお金のために生きる姿が見えるようになるはずです。そうしながら、皆様が既成世代で入っていくようになれば、そちらは完全にだまされて、欺かれるのです。こういうおかしな人々が、ますます多くなるのです。
 私たちクリスチャンが、神様の力と能力なしではむずかしいのです。それで、キリストがある皆様が、神様の子供であるゆえに、神様の重要な恵みを受けなければなりません。私たちの学生が送った手紙の内容は、特別にその学校に関する内容を書いていたのですが、一般的にそうです。はなはだしきは、以前に取材したのを見れば、中高等学校の学生達は、ほとんど勉強をしようとしていません。
 学生達がこういうことを見て錯覚しやすいのです。元々こういうことのようです。しかし、詳細に見れば、そうではありません。その学生達が、そのようにしながら、一方の面では、どんどん葛藤が生じるのです。それで、私たちはそのような部分をよく見なければならないのです。
 最後に記憶しなければならない部分が、どんな場合も人ゆえに試みに会ってはだめなのです。すると、皆様の信仰生活がものすごく難しくなります。悪魔はこれを活用するはずです。どんな場合も、人ゆえに試みに会ってはなりません。人々の話は正しいこともあり、そうでないこともあって、正しいとしても意図が違う事もあります。そのようなことに試みを受けてはなりません。私が知っているある方は、勉強も多くして、ものすごくしっかりしていたのに、心がものすごく弱かったのです。教会に熱心に仕えたということです。もちろん、福音なく祈って、奉仕もしたという.. ところが、牧師がお金を集めて教会を建てようと言って、お金を集めたのに、その牧師がお金を持って逃げたということです。信徒全員が試みに会ったのに、この人は、どのように試みに会ったかというと、全く教会に通わないらしいのです。その人を見てそうなのです。そのような牧師もいるでしょう? 神様を信じなくて、福音もない牧師は、そのようなことが出来るのではないでしょうか。これからまた会う可能性があるので、試みに会わないようにと言いました。皆様が人ゆえに信仰生活して、人ゆえに試みを受けるとすれば、霊的な祝福を受けることができません。
 
 私が伝道してきながら感じたのです。私が福音のために生きるという人は、それほどいません。ほとんどすべてが、利益と損害を置いて戦います。ところが、試みに会って世界の福音化をどのようにするのでしょうか? そのようなものもあるんだな、あんな人もいるんだな、ちょっと多くて欠点だな 99.9%だな。このように思っていれば良いのです。それに試みに会ってしまえば、生きることができません。
 「私が本当に福音のために生きるべきだ。信徒のために生きるべきだ。」こういう人がいません。「信徒も私が教会のために、福音ゆえにこのように生きるべきだ。」そのような人があまりいません。こういうことで試みに会えば、なんにもできません。今、ヨーロッパにいる牧師達が、信徒にそのような信徒が多くて、牧師達が試みに会っています。力がみな抜けたのです。心の中の深くで、出来ないと考えています。神様が出来ないでしょうか? 自分で出来ないと考えているのです。信徒も試みに会ってしまえば、できないのです。それで終われば良いのですが、その方の教会に青少年のRemnant達が育っています。すると、その Remnant達に信仰が正しく伝えられることができないのです。なにか感じがあるのに、その感じが何かとすれば、Remnant達に失望を与えるのです。
 私たちの中・高等学生と大学生が必ず記憶しなければなりません。雰囲気にだまされてはなりません。皆様が軍に入隊すれば、軍人100%が神様がないように生きて行きます。それは雰囲気であって、事実ではありません。雰囲気と事実を見るべきです。皆様が公務員で入っていけば、全部欺いているかのように見えます。それが雰囲気であって、実際の事実ではありません。それでは、仕事ができません。そのようにする人も多いのです。その人々は、結局だめになるのです。知恵をよく持たなければなりません。私たちの学生達に、それで祈りを堅くしなさいと言うのです。
 
 マケドニアとアカヤ全地域で神様のうわさが立ちました。すると、どのようにテサロニケ教会が、このようにすることができたのでしょうか? 今日、重要な言葉が出てきました。9節 ‘私たちがどのようにあなたがたに受け入れられたか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、’この話はそのまま過ぎやすいけれど、そのようなことではありません。テサロニケ教会が開拓されるようになった動機を話しています。皆様と私が、信仰生活の中で最も重要なのが、開始と動機です。何故私たちは信仰生活をせねばならないのでしょうか?
 
 使徒17:1〜9節に見れば、テサロニケ教会が生まれる現場が出てきます。17:1節に、信仰が良い人々が伝道しにいったのですが、大きい迫害にあったり、パリサイ人がねたんでならず者を動員して、パウロを邪魔して、ヤソンを邪魔したのです。パウロを監獄に告発して、それとともに生じた教会です。それを今話しているのです。このように大きい祝福を受けた教会が、どのように始まったのでしょうか? 皆様が信仰生活をしながら、一番重要な部分が開始です。
 
 皆様がキリストを正しく知って受け入れれば、そのことで終わるのではありません。皆様が持っている多くの過去があります。これがメッセージに変わらなければならないのです。「あ! これで神様が私をこのようにされたんだなあ。」それで信仰生活が始まらなければならないのです。それが始まらないと、教会にだけ行ったり来たりして、神様が祝福を与えられれば感謝する、そのような水準になります。もちろん感謝することです。皆様が過去にどのようでになったあとで福音を受けたのか? これがメッセージとして打ち込まれなければならないのです。
柳) 両親ゆえに教会に行くだけだった時は、いやに教会に通うこと嫌いで、そのまま教会が変に見えて、クリスチャンが変に見えて、むしろ未信者がよりはっきりしているように見えて、このように錯覚を始めるようになったのです。そして、私を含めた私たちクリスチャンが、答えを受けていなかったのです。ところが、それを見ることができなかったのです。これがどれくらい大きく滅びる道なのか分かりません。それで悟ったのです。私が2つのことは、必ずしなければならないということです。クリスチャンにイエスを信じればどれだけ重要なことがおきるかを教えなければならなくて、外側にいる人達には、伝道せねばならないということです。このように悟ったのでした。これが私にメッセージになったのです。そうしてこそ、信仰生活になります。
 皆様の大小の願望が重要なのではありません。皆様に現在起きていることが重要なのではありません。これがメッセージにならなければならないのです。
 
 私達が信仰生活の開始においてメッセージがないとすると困ります。皆様が本当の答えを受けようとするなら、ここから始めなければなりません。ある方は、このように始まりました。「私は、ずっと偶像崇拝をする家系で、とても我家が偶像崇拝して、悪霊を仕えていたのに、救われたんだなあ」このように悟ったのに答えを受け始めたのです。そのまま教会に通っていれば、答えを受けるのに困ります。こういう秘密がなければ、誰かが何かの話をしただけでも、試みに会います。それを知らなければ、何かの話しを聞いても試みに会うのです。しかし、メッセージがあるならば、誰が何と言っても構わないのです。むしろ、支援することができます。誤解も解いてあげることができるのです。試みに会った者を手助けすることができます。
 
 メッセージということは、説教を話すことではありません。神様が私に与えられるメッセージがなければならないということです。主のしもべにそれがなければ、教会に困難が来たら、耐えることができません。すると病気になるのです。それで、牧師の中には、病んだ人が多いのです。
 今は、私にメッセージが固くなっています。もし私が困難にあっても、私が福音を受けた時、どのように受け、私が何故牧師になったのかというメッセージがなければなりません。すると簡単です。それが難しい話のように見えても、難しいのではありません。ほとんどみな信仰生活に失敗する人々は、信仰なく教会に通う人々の子供です。何故でしょうか? メッセージがないのです。何故通っているかを知らないからです。両親が通うから通うのです。
 例を上げれば、私の家に孫がいますが、この子供達はおじいさんも信者で、父も信者だというようになります。他の見方をすれば、この子供達には祝福です。他の人が祈ってくれて幸福なのです。すると、この子供達にメッセージが入っていかなければ、問題になるのです。これを知らなければなりません。「あ! これでイエスを信じねばならないのだな。本当に感謝だな。イエスを信じる家族に生まれたことは感謝なのだな。私は福音を持っている家庭に生まれたことは、本当に感謝なのだな。」このようにメッセージがなければならないのです。ここに一代、二代イエスを信じる人たちがいます。話を分からなければなりません。話がわかることができなければ、皆様の子供達にメッセージがないことになります。
 はなはだしきは、商売をしてもメッセージがあるべきです。タダンケ(商売の一種)をする人が訪ねて来ました。「牧師様、本当にタダンケをする人がおかしなことを多くして、本当におかしな人々が来て、本当に問題を起こすことは事実です。しかし、根本はそれではありません。」この人が話すのに、つばが私にかかるほどでした。この人にはメッセージがあるんだな、と感じることができました。タダンケのメッセージがあったのです。ですから、メッセージがあることと、ないことは違うのです。メッセージがない者が回りながら問題を起こすのです。信仰生活も同じです。
 皆様が何ゆえに教会に献金して奉仕するのか、メッセージがなければなりません。テサロニケ教会は、メッセージがある教会ということです。
 
 世の中の言葉で話せば、人生哲学があるということです。人生哲学がなければ、風が吹くと、このように行って、あのように行ってというようになります。私が一番嫌う人が、誰かが行くならば行って、何の考えもなく電話の一通話でスケジュールを決定する人です。こういう人生哲学がないのは、神様がご覧になる時には、何の使い道もない人なのかも知れません。私がこれで生きるのだという人生哲学がなければなりません。それでこそ、長期戦ができます。それでこそ、本当の祝福になって、受けた祝福を味わうことができるのです。聖歌隊が座っています。聖歌隊にもメッセージがあるべきです。「私が今、聖歌隊に座ったんだなあ、私が教会学校の教師なのだな。」と哲学がなければならないのです。
 以前に話したでしょう。私たちの教会ではないのですが、教会学校の教師の任命を受けて、その日一日中泣いたということです。何故泣いたのかというと、とても感謝なのでと言いました。皆様は泣くこともしないし、教師会に集まることもしないのですから、みわざが起きません。簡単な話です。私達が良くしようということではありません。大変なことをしようということでもありません。それでも人はメッセージがなければならないのです。どんなに足りなくて、学歴がなかったとしても、メッセージがなければならないのです。
 
 そして、感謝がなければなりません。私たちの学生達がこれがなく外に行くならば、どのように勝てるでしょうか? 雰囲気に勝つことができないのです。事実も事実ですが、事実と戦う時間もなくて、雰囲気に負けてしまうのです。メッセージがないためです。
 留学現場にいる学生を見てみましょう。最も基本になる家庭を離れたのです。最も基本になる幼い時から使った母国語を使うことができないようになります。最も基本になって難しい学業問題に苦しめられます。人間は誰もが社会的な動物です。全く他の社会にきているのです。これが福音なくて、霊的なメッセージがなければ、さまよわざるを得ないでしょう。がむしゃらに熱心にするのに哲学がありません。ものすごく走っているようなのに、メッセージがないのです。それで底力がないのです。
 今日から皆様がどんなに弱くてもメッセージを持って生きなければなりません。自分はたとえ弱くて足りなくても、この愚かな私を神様の子供として呼ばれたので、私はこの契約を持って生きなければならない、というメッセージがあるべきです。それがテサロニケにあったことです..
 
 その次に、2番目です。5節に‘私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。’私達は、難しい世の中を生きていくのに、どのように私たちの力でだけできるでしょうか? 力と世の力という力がたくさんあります。そのような力ではなく、聖霊とこれが事実であるゆえに確信で、これがテサロニケ教会が答えを受けた秘密です。
 今日、皆様に答えを受けるようになる秘密があるように願います。聖日に礼拝をささげる日なのできたとすれば、それで皆様は失敗するようになるのです。今日、神様が私にくださろうとする神様の恵みがあります。まちがいなく、礼拝をささげる時、神様が皆様にくださる祝福があります。民6:27節に見れば、今日、核心に読むことです。
 祝福は神様がくださることです。礼拝時間に主のしもべが、主の名前で祝福すれば、神様が天から祝福してくださるとなっています。ですから、福と祝福は違います。祝福は祈ることです。福は祈ったことです。しかし、福は神様がくださいます。皆様の子供に何故祝福するのでしょうか。福は神様がくださることです。これが礼拝の時なされるのです。どれくらい重要でしょうか。
 
 今日皆様が3種類は必ず持って帰らなければなりません。皆様にメッセージがなければなりません。2番目が、皆様が信仰生活する信仰です。力と聖霊と大きい確信で。私たちの力も必要ですが、私たちの力よりもっと強いのです。力と聖霊と大きい確信で。この事実を本当に信じますか? 本当に信じれば、祈ることができます。 私はすればするほど、神様の力でなければならず、自分の力ではできないということが感じられます。
 
 世の中を見れば見るほどそうです。力と聖霊と大きい確信で。確信という話は信仰です。今日、信仰を回復するように望みます。単なる信仰ではありません。神様の力と聖霊の働きではなければ不可能なのです。この事実を私達が知って信じるということです。力と聖霊と確信で。これがテサロニケ教会の信仰でした。
 三番目です。今は、私達が伝道して、世の中を生きるべきではないでしょうか? テサロニケ教会の色合いです。これがものすごく重要です。Iテサロニケ1:3‘絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。’思い起こすということは、皆様が人を考える時、思い出すことがあるのではないでしょうか? ある執事と思えば、思い出すことがあるでしょう。それが色合いです。誰でも思い出せることがあります。ある人は詐欺師。ある人は良い人。思い出すことがあります。ある人は祈ってあげたくなり、ある人は歯ぎしりをしてくやしがったりします。思い出すことがどれくらい重要か分かりません。色合いです。
 アカヤ、マケドニアを生かしたマケドニア教会の色合いが、まさに信仰、希望、愛です。信仰があれば、必ず働きが起きるようになっています。希望がある人は、耐えることができます。農夫は無条件に耐えるのではありません。秋に収穫する希望を持っているのです。愛があれば苦労することができます。本物の愛ならば、苦労することができるのです。
 
 色合いが重要です。インマヌエル教会も色合いがあります。礼拝をささげているのに、自分は後の席にいれば礼拝に恵みを受けられないので、前の席へ行ったのです。前の席へ行ったのに、席がほとんど詰まっていました。この人が、無理やり入って行ったのです。そばの人が寄ってくれれば良いのに、入るなとヒジで突いてしまったのです。この人が突かれてどれくらい痛かったか、この教会は人を殴る所かと思いました。それが色合いになります。インマヌエル教会と考えるだけで、腰を突かれたことを考えるようになるのです。食堂に行って、キムチをちょっとくださいと言ったのに、くれなかったのです。こういう教会があるのか、と思います。色合いがキムチをくれない教会となります。なんでもないのに、人は色合いということを無視できないのです。これが内容まで変えてしまうのです。
 テサロニケ教会の人に会ってみると、「信仰があるんだな。本当にこの人は愛があるんだな。希望があるんだな。」これが色合いです。信仰、希望、愛です。
 
 テサロニケ教会は全地域を生かしました。この教会は、信仰生活を始めるメッセージがあったのです。そして、この人達は、世の中的な方法でありません。神様の力と聖霊の働きを信じたのでした。本当に信じるならばできることです。それが事実ならば、信仰の色合いが出てきます。信仰、希望、愛、これは事業にも必要です。事業する人に会ったら、この人が信じられます。これがすべてです。この人と仕事をすれば、これから希望があるとなります。希望です。神様にだけあるのではありません。実際はみなあることです。この人を見ると、本当に人間味があって、愛があるんだな、それが重要です。
 私が知っているある方は、米国で事業をするのに、米国でも韓国のように何があるようでした。この方は、とても重要な人です。未信者が事業をしながら、お金のような条件を提示してくるのに、その人は確かにしないのです。「ただ自分は、あなたの仕事を自分の仕事のようにします。私があなたにお金を与えて受けて不正をしても良いでしょうか? それならば、他の所に行ってください。私はあなたに仕事を正しくして、お金を正しく受けることを願います。と言ったところ、その人が正しいと言いました。しっかりしたのです。ところが、この人には仕事がどんどんつながってくるのです。その地域で、その方以外は、全部仕事が途絶えるのに、この人だけ途絶えないのです。何故でしょうか? 本当に仕事を正しくするためです。未信者が見ても、この人に信仰が生じるということです。信仰、希望、愛、これは相当な色合いです。
 私がなんども話すことですが、米国から韓国に電話をしようとするなら、時差が合わなくてむずかしいのです。韓国で約6時頃電話がかかったのですが、みな帰宅してしまっていました。ところが、誰かが電話を受けたのです。そうすれば、ある程度頭が回らなければならないのです。「この人は訓練を受けようと思っているのだな。でも、電話を間違ったんだなあ。すると、電話番号を正しく教えてあげなければならないな。時間も間違っているのだな。すると、誰々にしなさい。そして、あなた電話番号は何ですか?」という程度にはなるべきです。もしこの人が間違っていてのがすこともあるので、確認までしてみなければならないのです。この程度にはならなければなりません。
 
 未信者の中で仕事をすることも難しくありません。私が今回、韓国で3ケ月間訓練を受けて行くイ・チョンファン長老の息子にこう話しました。「ひとつをしても正しくしなさい。多くしようとしないで。そして、上から指示すれば、正しくせねばならないことがあります。そして、終わりまでせねばならないことがあるのです。」私は私たちの学生達を見ると心配です。こういう訓練がだめになっていているようです。この子供達が社会に行って困難に会うのではないか? と思います。これからは、あなたがたのポケットの中にメモ紙を持って歩くように望みます。上から話せば、受けて書くように願います。習慣になるべきです。両親が話せば書くように願います。これを持って、できる時まで確認して点検しなければならないのです。こういう事が習慣にならなければならないのです。だめでは、社会生活ができません。だから私達が信仰生活をしようとすると、社会生活が難しいと言いますが、そうではありません。未信者も皆様が仕事を正しくすれば、それを認めます。仕事をいいかげんにして、私が未信者の中で生きるから難しいと言うならば、この中で三重の罪です。ですから未信者に勝てないのです。
 信仰、希望、愛、これは事業にも関係があります。やさしい話ではないのです。私はある日、率直に福音を体験しました。神様が私を変化させられたことが分かります。私はむかしには滅びる者でした。神様が私が滅びないように変化させてくださったのです。率直に感謝します。高慢になる理由もなくて、自慢する理由もありません。そうしながら、ある日現場を見るようになりました。伝道しにいってみて、全部これで貧しいな、男性はいつも賭博して、夫人達は家政婦で回って、子供達は学校に行かないということを見ながら、家ごとに福音を伝えねばならないと思いました。これで貧しいのだな、また、高い人は良い生活をすると思っていました。夫人と夫とが覚書を書いて生きているのです。生きることではありません。こういう人々が、一人や二人ではありませんでした。全部、悪魔の巣窟でした。
 ある日、伝道を体験するようになったのです。ある日、私が祈らねばならないという考えをしたのです。祈れば良いなと考えました。どの程度、祈りが答えられるでしょうか? 私が知っていることでは、確かに答えられます。私が知らない程に答えがきていることもあります。祈りはまちがいなく答えられます。信仰、希望、愛。私たちの信仰は、世の中的なことではなくて、力と希望と愛で。皆様の過去を考えてみて、全部メッセージで、本当の祈りの答えを受ける皆様になることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>本当に当然なこの福音を味わうようにさせてくださって、今まで家庭と私たちの人間関係と 、私たちの家族関係は、まるで地獄のように完全にサタンの手中で生きてきました。私達が知らずに偶像崇拝して、迷信を崇めて、知らないで人の方法で人を恨んで生きて来ました。これから神様の子供らしい祝福を味わうようにさせてください。神様、私たちにこの恵みを与えて下さり、悟りを与えて下さって、私たちの考えの中にある暗やみの霧が消えるようにさせてください。私たちの周囲を掌握している暗闇が崩れるようにしてください。特に、私たちの思考と考え全てのものを掌握している、あらゆる不信仰が離れる日になるようにしてください。それで新しい答えが、テサロニケ教会のように、全地域を生かす証人になるようにさせてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


3部: ルカはだれか?
(使徒1:1-11)
 

 本人には申し訳ないのですが、私が知っているある方は、長官を経験しました。ところが、この方は長官を経験して、長官を退きながら食堂を作ったのです。ところが、歳月が過ぎて食堂がだめになり始めたのでした。この方は、お金がそれほどない方だったので、生活が難しい程でした。それで米国に行こうとしたのに、ヨーロッパへ行くことにしたのです。
 
 この方が、韓国最高の大学と行政高試をパスして、とても熱心によく生きていたのですが、これから人生の最後に立って、このように難しくなったのです。これから年もとってそのようになったのです。多くの方達が、とても出世しようとして自分をのがしてしまうのです。自分をのがせば、みなのがしたことではないでしょうか? その方がとても立派な方だったので、むやみに話をすることができなくて、用心深く話しました。
 私たちの青少年と信者が記憶しなければならないことです。私たちは、雰囲気をよく把握しなければならないのですが、雰囲気にだまされてはなりません。皆様が学校に行けば、全部、神様を信じない雰囲気です。そこにだまされてはならないのです。この人達が一人でいる時、困難に会う時、実際にはそうではありません。事実を見ることができなくて、雰囲気を見ると倒れるのです。もちろん、社会生活をしながら、雰囲気を見ることは見なければなりません。そのようなことではなく、雰囲気ゆえに自分をのがさないということです。
 
 信仰生活も雰囲気があるけれど、自分をのがさないようにしましょう。私は信者を見ながら、たくさん感じます。本当に祈りを多くする人を見ながら‘果して福音があるのだろうか?’という考えをとても多くしました。私たちは本当に雰囲気ということは無視することが出来ないのです。私達が雰囲気を知らなければ、主題がわからない人になります。雰囲気を知らなくてよいということではなく、それが事実ではないということです。行政高試、ソウル大.. 本当にすごいことではないでしょうか? たいしたものです! しかし、本当の事実を知っていなければなりません。それがどれくらい重要でしょうか?
 
 皆様が多くのことを経験しているでしょう。私は、いつかやくざに会って福音を伝えたことがあります。この人達は、本当に強いようなのですが、本当に心は弱いのです。子供より心がもっと弱いのがやくざです。そのげんこつも、知ってみれば、たいしたことはありません。心が弱いので、何でも殴るというようなことです。善良だということではなく、心が弱いのです。
 
 私たちは何でも事実通りに見ることができなくて、雰囲気を見ます。皆様が信仰生活をしながら、最も実際的で本当に平安、本当に神様の前にいることがどれくらい重要でしょうか? こういう部分は、いつも点検をしなければなりません。単純にこれが答えだ! これがすべてだ! という程度ではなく、このように話せないほどに、祈りが重要なのです。知恵が多い人は、単純なひとつでそのような知恵が生まれたのではありません。色々な経験とか、そのようなことが合わさって作られたのです。祈りということは、途方もないことなのです。神様の全てのものを味わうことなので、本当に重要なのです。
 
 本当に福音を持った人は、重要なことがおきます。身分が完全に変わります。それを本当に知っていなければなりません。1部で十分に説明しました。キリストによって身分が変わったキリストの子供は、悪魔とは何の関係もない身分になるのです。
 
 未信者を見て悪口を言う必要はありません。その人々は、必ず占いをする身分です。この人達は、必ずしなければならないのです。しかし、救われる瞬間に、人生の内容が変わります。まず、運命から抜け出します。私はこの事実が信じられるほど感謝します。神様の子供になる瞬間、未信者の運命 6種類から完全に抜け出すのです。また、神様の子供になる瞬間、未来が保障されます。神様の国! 福音を悟った人は、時間が経てば経つほど、答えが悟れるはずです。
 
 その人の中にひとりがルカです。この人は、2000年前の人ですが、この人の祝福を私たちは今でも味わっています。この人は、聖霊充満した人です。今日、私たちはルカに対して考えてみます。ルカは、パウロが直接言うのに‘同労者’と言いました。ただ二つだけ見ても分かります。ルカの福音書と使徒の働きを記録しました。また、このことをテオピロに送ったのです。この人はルカの友人です。
 ルカという人が、あの有名なテオピロに手紙を送ったのですが、二人の間は友人でした。パウロがルカにコロサイ4:14には‘愛する医者ルカ’と言って、Uテモテ4:11には、パウロがものすごく困難に会った時、みな離れ去った時、ルカだけがともにいると書きました。パウロが年をとって不思議に弟子がみな離れて行ったのですが、ルカだけともにいたのです。またピレモンに手紙を送る時、ピレモン1:24に、私の同労者ルカとも書きました。重要な人物です。ローマ16章に見れば、16:21に私の同国人ルカと言いました。
 
 イエスを正しく信じる人が受ける祝福です。絶対に皆様の中に引っ掛かっている思想に引っ掛からないようにしましょう。私たちは不安が多いのです。もちろん、用心すること、準備することはしなければなりませんが、間違いない事実は、本当にイエスを信じる人は運命から抜け出したし、未来が保障されています。したがって絶対に揺れる必要がありません。
 
柳)) 私は、伝道者の未来と教会史を知っているために、周囲から何かの話しが聞こえてきても、絶対に揺れません。歴史的事実です。一度でも例外があれば、例外を選択するけれど、例外はありません。伝道者が世界を福音化して祝福を受けたのですが、一人ももれなく困難、迫害、非難を受けました。しかし、神様はそれより百倍も祝福をなさって、保障されたのです。
 
 ルカはだれでしょうか? 使徒13:1に見れば、パウロが弟子になって行く時、 5名の名前が出てくるのですが、その中に‘クレネ人ルキオ’という人がいます。この人がルカだとあらゆる注釈家が話しています。私もそのように考えます。この人の故郷がクレネという所です。その前までは、故郷が出てこなかったのに、出てきました。ルカは重要な人です。なぜなら、ローマ16:21に見ると‘私の同国人ルキオ’と言ったのですが、どれくらい懇意な仲でしょうか? ‘私の親戚(同国人)’だとまで言ったのです。
 ある時は、初代教会で福音運動をしている途中で、全てのものを後にしてパウロとともに働きをすることもして、監獄にもともに入っていくこともしました。‘愛する医者ルカ’は疎外される人も見て回ったのですが、重要な伝道者も見て回って、簡単に魅力がある人だと言えます。私は伝道者パウロの周囲にいた人の中で私個人の考えでは、最高の人物がルカだと考えています。記録は、誰でもする人はいません。たいした人に間違いありません。
 
 パウロを助けた人の中で、歴史的に最も重要に助けた人がルカです。この人が医術を持っていたから、パウロを最も近くで助けたのです。監獄までともに入って行きました。プリスカも本当に重要な人物ですが、監獄まではともに行くことができませんでした。事業をしなければならなかったためです。このルカは、当時の医術を持った人物ですが、しもべのようにしてパウロとともに監獄に入って行きました。74才にピドキヤで死亡したと記録されています。ところが、この働きがいままで降りてきているのです。仮りにこの人が使徒の働きを記録しなければ、どうなっていたでしょうか?
 
 人ごとに関心がある所に関心が行くようになっています。私は幼い時から文章を多く書きました。私の母が筆文字を日本で習ってきたので、私もよく習って素質がすこしあったのです。だからというのか、私が文章に対して関心が多いのです。
 
 ルカは医者であったゆえに、患者に関する部分はとても細かく記録しています。その部分に関心が多いためです。足のきかない者が起きる順序までみな書きました。悪霊に取りつかれた者がいやされることでも、使徒13, 16章のこういうものは、本当に細かく記録しました。自分の職業が医者であったためです。
 するとどのようにこういう祝福を味わうことができたのでしょうか? 他の見方をすれば、今の時代に私達がルカより祝福を味わうことができるのです。難しくありません。
 
1. 使徒1:1に,‘テオピロよ。私は前の書で、’この書とは、ルカの福音書です。この人は、イエスがキリストだ! これを体験したのです。これだから、用いられざるをえません。そのような人々は多いのです。‘イエスはすべての問題の解決者だ’としておいて、生活は自分勝手にする人々のことです。ある人は、ご飯も食べず、イエスはすべての問題の解決者だとする人もいます。そのようなことでなく、ルカは本当に‘イエスはすべての問題の解決者だ!’ということを体験した人です。
 地球上で一番重要な単語、‘キリスト’神様が私と皆様に与えられた永遠な単語‘キリスト’。ルカはこの答を持っていました。何故、学生達が重要なのでしょうか? この答を持っている未来の人々であるゆえに、重要なのです。‘キリスト’これは単純な話ではありません。多くのことを考えて解釈しなければならず、簡単な答ではないのです。‘イエス・キリスト’と言ったではないでしょうか? ルカは答えを受けざるをえなかったのです。
2. 使徒1:3に、ルカは復活の主! ということを重要に見ました。復活以後の働きを記録するとしたのです。前はイエスがこの地へいらっしゃって、公生涯にあった働きを記録したとするなら、これから復活以後の働きを記録するとしたのが、使徒の働きです。すると、ずっと体験したということなのですが、これが普通の人でしょうか? 本当に見る目がたいした人です。
3. 使徒1:4に、イエス様が 400日間説明しても足りなければ出来ないけれど、40日間説明したという事実を知り尽くしたのです。イエス様が復活なさって、神様の国に対して40日間説明されました。それをルカが記録したのでした。ところが、この人がどれくらい目が良かったでしょうか? ‘パウロという人が、エペソという地域に行って、神様の国を大胆に説明した。’と記録しました。重要な単語です。皆様がキリストということをわかる日、皆様のすべての問題は、暗闇の権勢が終わってしまいます。信じないでも事実です。皆様が確信がなくても、事実なのです。
 イエス様が復活なさって、それから天国に行くからだに変化されました。そのイエスの名前、天に座って、弟子と共にされました。イエス・キリストの名前! この部分の確信があるほど、信仰生活が正しくなるのです。イエス・キリストの名前、彼は復活なさったのです。
 現場を本当に見ることができないからです。本当に悪霊に取りつかれた人に会ってみましょう。僧侶が私のテープをたくさん聞こうとしています。僧侶には申し訳ないけれど、本当に悪霊に取りつかれた人に行って‘釈迦の名前で命じる!’と言ってみてください! どんな目に会うでしょうか? 悪霊に取りつかれた人は、本当に怖いのです。どこから力が出るのか、力が本当に強いのです。そのような人を前に置いて‘釈迦の名前で、孔子の名前で!’としてみてください。
 
 ところが本当に驚くべきことに‘ナザレのイエスの名前で!’この悪霊がぶるぶる震えるのです。普通の人が知らない、本当に重要な単語です。金銀は私にはないけれど、ナザレのイエスの名前で起きて歩きなさい! このように話したペテロの話を、そのまま記録したのです。どれくらい上手にやったでしょうか? この目が開いた人です。私が見るには、イエス様の弟子の中で本当に恵みを受けた人がルカだと考えます。
 
 目が開かれるべきです。記録が重要なのではなく、目が開かれるべきなのです。このルカが、神様の国、イエス・キリストの名前、ところがこれをどのように体験するのでしょうか? 使徒1:8に聖霊充満を受けて! マタイ12:5に、聖霊が臨まれれば、神様の国が臨む! 皆様がどれくらい祈らなければならないのでしょうか? 神様の力が皆様にあるくらいになるほど祈りましょう。答えの秘密が見える程に祈りましょう! すると、皆様に全てのものが回復するようになっています。このルカは、ローマ16:21で本当に終わりまで用いられた弟子でした。
 
 ‘ガリラヤの人々。何を見ているのですか...’このルカが、インマヌエルの秘密を持っていたのです。現場の秘密を持っていました。あなたがたが、本当の答えを受けねばなりません。そして、みことばを本当に捕まえねばならないのです。先週に見ると、長老達が集まって報告をするのに、これから首都圏を生かす最高の教会、一番伝道を良くする教会になるために、予算4億円を書き続けていました。相当なことです。私はそれを見て、神様が働きなされば出きることだと考えました。私一人でも、10分の2献金をして、祝福を受けながら、本当に開くのです。
 
 皆様の事業に、現場に証しするほどのみわざが起きるはずです。皆様に本当の伝道の答えがおきるようになるはずです。どの程度、答えを受けねばならないのでしょうか? 皆様が持っていた過去は、メッセージに変わる程に答えを受けねばなりません。自分が教会に出てきて信仰生活をする理由を悟るように、答えを受けねばなりません。今日、2部礼拝の時に話しました。テサロニケ教会の成功の理由は、メッセージがあったことです。皆様が過ぎた日に経験したことが、全部答えのメッセージです。皆様がいままで自分が何故このように生きたのか? こういうもの、また、過去に習ったことがあるならば、全部メッセージになるのです。みな変わることができます。
 私が米国に行って、そうでした。家庭にものすごく問題がきた方なのですが、気落ちしていたのです。私はこう話しました。‘私のような人が家庭の働きをするよりは、あなたのような人が家庭の働きをするほうがよい’と言ったのです。何故でしょうか?その程度ほど、答えを受ければよいのです。たくさんでも小さくでもありません。皆様が福音を大胆に言える程に答えを受けましょう。学生達は、学業を持って伝道するほど、事業を持って伝道するほど、少なくとも一般信者が一地域を生かすほどに、答えを受ければよいのです。
 
方法はとても簡単な所にあります。
1. 常に信仰を失わないで。すると、ほとんどなるようになっています。神様がみななさいます。したがって、私達だけ倒れなければ良いのです。
 
2.どのように常に信仰を維持するのでしょうか? 祈りの維持です。大部分の人の大きい問題が、ここでやられるのです。実際には信仰生活を上手にやっているようですが、ここでやられてしまうのです。自分の信仰も維持できないのです。教会学校に行って教えて、講壇で説教をするのに、自分の信仰が維持ができないのです。結局は、これが問題になるのです。
 主のしもべに最も重要なのが、本当に正しく自分の信仰が維持されることです。皆様が世の中を生きていきながら、こういうこと、ああいうことがたくさん起きるのですが、最も重要なのが、自分の信仰が維持されることです。ここに鍵がなければなりません。これが本当に重要です。どんなに上手にやっても、自分の信仰が維持できる秘密がなければなりません。その秘密がなければならないのです。
 
 そして、その信仰を維持しようとするなら、祈りが維持されるべきだということです。どんな状況の中でも、祈りの秘密がなければなりません。皆様にこういうこと、ああいうことが起きるはずで、多くの事が起きるはずです。私たちは、行く道に問題が起きることがあります。人が葛藤を与えることもあります。どうしてないことがあるでしょうか? 信仰を維持しなければなりません。これが鍵です。単純な信仰ではありません。それのために祈りを維持しなければならないのです。ルカが悟った信仰です。そして、祈りを維持するのです。
3.すると、それから三番目に、福音と宣教の理由が見えます。すると、それからずっと答えを受けることができるのです。皆様がどんなに私に悪口を言って、怒らせても、私は5分だけやられるだけで、神経を使いません。私はだまされません。これが神様が与えられた恵みのようです。私は心配になることが多いようでも、結局は祈りで信仰を回復します。これが何でもないことのようですが、本当に神様の祝福です。私は外国に行く人に、この話をしてあげたいのです。信仰を維持すべきですが、何で維持しなければならないのでしょうか? 答は作られています。キリストで維持すべきですが、その方法が祈りです。すると、それから見え始めるはずです。そのようになれば、答を与えることができます。
 そうなれば、多くの答えがくるようになります。学生達はだまされないで。雰囲気がそうでも、絶対にだまされないようにしましょう。私たちはともすると、雰囲気に崩れるのです。重要な福音を伝えている途中で、16年の刑を受ければ、私ならば気落ちするけれど、これを‘神様が送られたのだな’というように悟った人がジョン・バンヤンでした。この人が16年間に聖書を読んで祈って文章を書いたのですが、それが‘天路歴程’です。世界をひっくり返すベストセラーを書いたのでした。ドイツでは、これを第2のバイブルと言います。
 目が重要です。その時、色々な事がありますが、その内容を見ましょう。全く一緒のことです。絶対にだまされてはなりません。
 
<<内容>> 外に出て見ると、人々が住んでいるのが、滅びの町(将来に滅びる町)に生きていました。それで、滅びない町へ行かなければならないのです。それが天の都ですが、友人とともに行こうと誘いました。一名は‘固執’で、一名は‘軟弱’でしたが、固執は行かないと言ったので、軟弱とともに旅立ちました。行く途中で、市場に行ったら、虚栄の町の市場(華麗で空虚な市場)でした。ここで真理という商品を求めるのに、なかったのです。それでまた旅立とうとしたら、軟弱が行かないと言いました。ここが天国だと言ったということです。
 それで、一人で行くのに、ある門に入っていくと、解説者(主のしもべ)が入れと言いました。武装して刀を持って行かなければならないと言うのに、まったく入っていくことができませんでした。何故でしょうか?この友人が、背中に自分の荷物をとてもたくさん持っていたためです。その時、解説者が言う話が、背中にある荷物を下ろしなさいということでした。私たちは、本当に錯覚を多くします。これが良いことと思って、多くの荷物を持って通うのですが、早く脱がなければならないのです。
 入ったので贈り物をひとつ与えました。鎧(前だけを防ぐこと)と小さい刀を与えたのです。みことばの刀でした。行くときに、悪魔を見ました。錯覚したので、悪魔が本当に相当だと見えました。身長がクリスチャンより何倍も大きくて、長い槍を持って、翼がついていました。この時、だめだと考えたのです。これが錯覚です。前に着ているこの鎧は、特徴がどんな刀も入っていかない鎧でした。この悪魔が持っている槍は役にたたないのです。何度か試みをして入っていきました。ところが、クリスチャンが錯覚をして逃げようとして、後ろを見せたら死ぬということを悟ったのです。鎧に背中がなかったためです。それで、どうせ死ぬなら、争って死のうと決断したのです。
 
 それで刀を持って戦ったら、このクリスチャンが着ている鎧は、絶対に突かれない鎧です。私たちに与えられている神様の信仰の盾と保護は、誰も妨害出来ません。それで、どんなに刺しても入っていかないのでした。この悪魔が異常で、悪魔が気落ちまでしたのです。この悪魔がうろたえていました。言わば悪魔が試みに会ったのです。その時でした。このクリスチャンが持っていた刀を投げたら、これが正確に刺さって倒れたのです。この刀は、左右の鋭い剣で、心と霊、骨髄を破る神様のみことばです。それで、勝利の門に入っていったのでした。
 
 行くときに、獅子に会いました。獅子がほえているので、怖く見えたのですが、みな縛られていました。既に縛られていたのです。この使者がどんなに走り込んでも、ここまで来ることができないのでした。本当にジョン・バンヤンはよく見ました。錯覚をしないようにしましょう。
 特に、学生達は本当に錯覚をするようになっています。公園に行ったのに、ある学生が耳に何かを入れて感動を受けながら歩いて行っていました。私がそれを一度聞こうと思って、耳に入れた瞬間、どれくらい音が良いかわからなかったのですよ。ステレオがそんなによく聞こえるとは思いませんでした。錯覚することだけのことはあります。これで、この子供達がこのようになるんだな! 世の中は子供達を誘惑することだけのことはあります。そのようなことを選んで、勉強して、寝てということです。
 
 私たちは精神を真っすぐ整えなければなりません。神様の子供であり、皆様が本当に今年は勝利して医者ルカのように、皆様の信仰が多くの人を生かす実を結ぶ祝福があることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>神様に感謝申し上げます。私達が錯覚しないように、実際的な信仰と祈りの力と神様の力を与えて下さい。今年はまさに何倍もの祝福を受ける伝道する教会と信徒になるようにしてください。今日、司会するイ・ソンイル牧師の教会をはじめとして、百箇所余衛星で連結した教会の上に神様の驚くべきみわざが開始するようにしてください。神様の力でなくては、あの悪い世の中を生かすことができないから、神様の力を与えて下さい。神様の知恵ではなくては、世の人の手段に勝つことができないから、神様の知恵を与えて下さい。神様の祝福でなくては、この世の競争を先んじることができないから、神様の知恵を与えて下さい。それでだまされないで勝利する信仰人になることをお祈りします。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。-アーメン-