(2002-02-24 インマヌエル教会1部礼拝/ 柳光洙
牧師)
1部: バプテスマを受けられたイエス
(マルコ1:9〜11)
<序論>
私達は、よく恵まれたと話します。それは、救われたということも含まれます。私達は、過去に犯した罪、原罪、先祖の罪で、本当はのろいを受けなければなりません。これを考えると本当に深刻なことです。しかし、神様は、そのようなことで私達が死なないように救ってくださいました。それを神様の恵みと言います。エペソ2:8を見ると、救われるのも恵みによると書かれています。恵みによって、信仰によって救われたのです。ですから、「恵み」は本当に重要なことです。また、恵まれたと言う時、神様のみことばが分かったということも含まれます。このようにいろいろな意味が含まれていますが、恵まれたと言うのです。時には、祈りの答えをもらって、恵まれたと言います。神様の恵みによって救われ、信仰生活を恵みによってすることができるのです。この言葉は、未信者は理解することができません。未信者の生活をよく見れば分かるでしょう。全世界がどんどん難しくなっています。それは、仕方がないことで、霊的な問題がもっと起きるでしょう。そのような中から、私達は救われたのです。ですから、礼拝をささげる中で、神様の恵みを受けるように願います。
今日の聖書箇所では、イエス様がバプテスマを受けられます。ここから3つのことを考えましょう。
1.ヨハネの水によるバプテスマの意味
ヨハネの水によるバプテスマの意味です。
1)私達の受けるべきのろいをすべてイエス様が代わりに受けられた
信徒のみなさんも、学生もバプテスマを受けたでしょう。それが、ヨハネの水によるバプテスマです。祭司のヨハネがバプテスマを授けたのです。それで、バプテスマのヨハネと言います。私達は、バプテスマを受ける時に、信仰を告白します。イエス・キリストを信じると告白することと同じです。ここには、大きな意味があるのです。私達は、バプテスマを牧師を通して受けます。マタイ3:14を見ると、イエス様がヨハネにバプテスマを授けてくれと言われると、ヨハネは「どうして私があなたにバプテスマを授けられるでしょうか」と断りました。しかし、15節を見るとイエス様は「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」とおっしゃったのです。この言葉がとても大切です。旧約聖書には、大祭司が羊の上に手を置く儀式がありました。祭司のヨハネが、私達のすべての罪をイエス様の上に置くために、イエス様の上に手を置いたのでした。ですから、バプテスマを受けるのは、たったの5分のことですが、とても大切なことなのです。私達が受けるべきのろいを、イエス様がすべて受けてくださったのです。今日の聖書箇所は、とても大切です。イエス様がヨハネからバプテスマを受けられた時、10〜11節「そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」とされています。ですから、イエス様がバプテスマを受けられたということは、大きな意味があるのです。私達にはよく分からないでしょうが、私達が受けるべきすべてののろいをイエス様が代わりに受けてくださったのです。聖霊が下って、イエス様のことを証ししました。ヨハネがイエス様にバプテスマを授けることは、すでに旧約で預言されていました。私達がバプテスマを受けることは、大きな意味があるのです。もちろん、イエス・キリストを信じ受け入れれば、救われます。ただバプテスマを受けるかのように思うでしょうが、一生、のろいを受けなくなるのです。この祝福を見出さなければなりません。
2)聖霊のバプテスマ
また、バプテスマのヨハネが「私の後に来る人は、聖霊でバプテスマを授けられます」と語りました。私達が2番目に知るべきことは、聖霊のバプテスマです。私達が救われたら、Iコリント3:16にあるように聖霊が私達の内におられるようになります。これはとても重要なことです。これが、私達と未信者の違いです。この契約をしっかりとつかんで覚えましょう。イエス・キリストを信じる瞬間に聖霊が私達の内に住まわれ、永遠におられるのです。普通はよく分からないでしょうが、悪霊のことを知れば、このことは本当に重要なことなのです。悪霊につかれた人が見ると、イエス様がおられることが分かるのです。このように私達は、未信者とは違うのです。聖書を見ると、私達の額に聖霊で証印を押されているとされています。ただ教会に行ったり来たりしているように思うかもしれませんが、イエス・キリストを信じた人の中には、聖霊が住んでおられるのです。イエス・キリストを信じ受け入れると、聖霊が内に住まわれます。それが救いです。ですから、救われた人は、完全に暗やみの力から解放されます。では、信仰生活は何でしょうか。聖霊に導かれることが信仰生活です。それで、祈る時に、聖霊充満を祈るのです。ヨハネは「私は水でバプテスマを授けるけれど、私の後に来られる方は、聖霊のバプテスマを授けられるのです」と言いました。バプテスマのヨハネはイエス様を説明しただけで、イエス・キリストが聖霊でバプテスマを授けられるのです。聖霊が内に住まわれておられることを、単純に信じるように願います。ですから、バプテスマという言葉を聞いて、恵みを受けるようになるのでしょう。
2.バプテスマの一般的な意味
バプテスマを受けるということは、大きな意味があります。悪い枝も良い木に接ぎ木をすると良い実がなります。私達は死ぬべき罪人だったのですが、イエス様に接ぎ木されました。バプテスマを受けるということは、そういう意味があるのです。救われた者は、イエス様の印を押されたので、大きく保障されるわけです。この聖書は私のものですから、私の名前が書いてあります。名前を書いてあれば、私のものだという意味になります。破産すると、役人が来て、印を押して行きます。それは、あなたの所有物ではないということをあらわすためです。つまり、証印を押すということは、「自分のものである」ということを意味するのです。救われた者は、聖霊によって証印を押されています。バプテスマはそのような意味を持っているので、とても重要なのです。また、バプテスマは、神様がともにおられるということですから、他の言葉で「インマヌエル」です。バプテスマを受けるということは、救われたということの証拠で、神の国が臨んでいるということです。ですから、大きな意味があるのです。今日、バプテスマについて考えて、祈りの答えを得るように願います。
3.バプテスマと祈りの答え
1)変化
救われた者は、いろいろ変化します。イエス・キリストを信じたその瞬間に、霊的に変化するのです。霊的に変化するのです。多くの答えが残されています。初代教会では、イエス・キリストを信じた瞬間にバプテスマを授けました。それは意味があったのです。今は、多くの人が集まっているので、1ヶ月に一回くらいしかバプテスマを授けません。ただ参加するようですが、霊的には大きな変化があるのです。バプテスマについてよく考えて、祈りの答えを得るように願います。どんな変化があるのでしょうか。イエス・キリストを信じ受け入れると、3つの変化があります。
@無意識
1つ目は、10年、20年、30年と生きていると、知らない部分が出てきます。自分も知らない問題があります。それを無意識や、潜在意識と言います。それは、私達は分からない部分ですが、そこを変化させなければならないのです。それは、私達の力ではできないので、聖霊充満を受けなければなりません。みことばを良く受け、祈りをする理由は聖霊充満を受けるためです。幼児、嬰児、胎児部の教会学校がありますが、その子供達も知らない間に、とても重要なことが行われているのです。親は、多くのことを子どもに与えたいでしょう。それは必要なことです。しかし、幼児、嬰児、胎児の時に重要なのは、意識しない内に受けていることです。ですから、その時代に福音を伝えることが重要です。それが一生に影響を及ぼすからです。私は、仏教のお寺に行ったら、幼稚園のとても良いのがありました。驚くほど良くできた施設だったのですが、仏教教育をしていました。多くのお金を使ってそのように教育していたのです。私は、仏教の幼稚園に行くと滅びると言いたいのではありません。家庭の中でも、教会の中でも、世の中でも無意識に多くのことを子供達に教えられて行くのです。知らない内に、性格の中に学ぶようになります。福音を知らず、聖霊充満を知らなければ、変えることができません。そこで問題が起きるのです。
A考え
2つ目は、考えです。私達は、自分の目を持っています。それに従って、自分の考えを持つのです。イエス・キリストを信じて、救われたら、考えが変わります。
B生活
その後、生活が変わります。役員や執事などを見ていると、ただ生活が変わることだけを話します。それは、確かに必要なことです。しかし、生活のことを話すと、それぞれの環境や生活スタイルがありますが、もっと重要なのは考えです。良い考えを持つことができなくても、良くすることはできます。嫌いな人にも良くしてあげることはできるでしょう。しかし、もっと重要なのは考えなのです。もっと重要なのは、私達が分かっていないことです。ですから、聖霊充満を受けるように言われているのです。「私の後に来る方は、聖霊のバプテスマを授けられる」イエス様は最後におっしゃいました。多くのことをおっしゃらず「聖霊充満を受けなさい」と言われたのです。使徒1:8「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
2)聖霊充満を祈ろう
1日に10分だけでも「聖霊で満たして下さい」と祈ってみれば、信仰生活が変わるということを私は確信しています。そうでなければ、信仰生活は難しいでしょう。イエス様がおっしゃったことは、普通のことではなく、完全な答えです。聖書を見ると、完全な答えだと分かります。「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」これは、簡単な言葉ではありません。もし1日に30分でも、聖霊で満たして下さいと祈れば、多くのことが変わります。私は約束することができます。他のことを願うのではなく、聖霊充満を祈ってみましょう。賜物を願う必要はありません。賜物は神様が恵みでくださることです。多くのことを願う必要はないのです。この世はどんどん悪くなっていきます。ですから、大切なのは、見る目が変わらなければならないことです。聖霊充満を受けなければ、考えに勝つことはできません。自分自身に勝つことができなければ、負けるしかありません。私を含め、すべての人間は弱いのです。救われたとしても、揺れます。ですから、イエス様が聖霊充満を受けるようにおっしゃいました。これは、普通の言葉ではありません。今日は、3回礼拝をささげますが、礼拝の後に、聖霊充満を祈れば、大きな変化が起きるでしょう。
ある時、がんになった人に会いました。レストランの主人で、クリスチャンでした。私は「心配しないで。問題ではない。生きようが死のうが関係ない。1つだけしなさい。本当にイエス様を信じているか。教会に通うかどうかではなく、本当にイエス様を信じているか。」と尋ねたら、その人ははっきり返事をしませんでした。それで、「イエス様は誰か。イエスはキリストだ。イエスは神の子で、あなたの救い主だけれど、イエスはキリストだ。キリストは、あなたの問題を解決した。だからすることは1つだ。祈りなさい。死ぬまで聖霊で満たしてくださいと祈りなさい。神様はすぐにあなたを召して行くこともできたのが、時間をくださっているのは、祈りなさいということだ。」そのことを聞いたら、その人は働きながら祈り始め、仕事が終わった祈り始めたのです。大きなみわざが起きました。とてもうれしかったので、伝道して回っています。また、ある人が来て、按手して祈ってくださいと言いましたが、私が祈る必要はなく、自分でみことばを受けて、聖霊充満を祈りなさいと言いました。聖霊充満の中にすべてがあるからです。みわざが起きます。私達の頭では理解できないでしょう。聖霊充満ということは、普通のことではないのです。ヨハネは水のバプテスマを授けましたが、私達はイエス・キリストを信じて聖霊のバプテスマを受けたのです。ですから、バプテスマは大きな意味があるのです。「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」この言葉の中にすべてのことが含まれています。イエス・キリストを信じる者に聖霊がともにおられるようになります。私が言うのではなく、イエス様ご自身が聖霊を受けなさいとおっしゃいました。「わたしが行けば、神は助け主を送ってくださいます」とおっしゃいました。最後にこの言葉は使われませんでしたが、バプテスマという言葉を使われたのです。「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」単純にその言葉を理解しましょう。
ヨハネはどのようにバプテスマを授けたのでしょうか。聖書にはバプテスマの2つの方法が書かれています。ペテロがメッセージを語った時、三千人がバプテスマを受けました。これは、今私達がしているように、水をつけてバプテスマを授けたのです。コルネリオの家に行った時、家中の者がバプテスマを受けました。これも、私達がしているように、水をつけて授けたのです。バプテスト教会では、水の中に浸らなければならないと言います。それは、違うと思います。水の中に浸るのが良いとか、水をつけるのが良いとかいう問題ではありません。イエス・キリストを本当に信じ受け入れたならば、水に浸っても、つけても変わりはありません。イエス・キリストを信じていなければ、どんなに水に浸っても濡れるだけです。この2つの方法を考えるならば、イエス様がヨルダン川のヨハネの所に行って、バプテスマを受けられたのですから、水に浸るほうが正式だと考えられます。このように聖霊充満を受けなさいということで、人々にはより分かりやすいでしょう。ヨハネが水に人々を浸けたように、聖霊充満を受けなさいということです。つまり、聖霊充満の祝福を私達の考え、生活、勉学、職業のすべてに受けなさいということです。私はこの言葉が簡単に分かりますし、本当だと思います。これが分かってから、私はメッセージをする前、数時間祈ります。集会に行くときも祈ります。集会前には、どんなに急ぎの用があっても、私の方に持って来ないで下さい。集会の前には、私は祈るからです。信仰生活でみことばを聞くことはとても重要なことです。私のような足りない罪人がどのようにして、貴重な人々に神様のみことばを語れるでしょうか。ですから、聖霊充満をいつも祈るのです。私の考え、心、聞くこと、見ることに聖霊が働いてくださいと祈ります。そうすると、私の語ることは、生きて働くみことばになるのです。この前、台湾に行って来ましたが、多くの人にみことばが伝えられました。中国から来た人に会いましたが、その人は言うのには、中国の牧師はみんな私のメッセージを使っているということでした。香港から来た宣教師にも会いましたが、中国に行ったらタラッパンメッセージを学んでいるので、「タラッパンですか」と聞いたら、「タラッパンは異端です」と言われたそうです。それで、「あなたの使っているのは、柳先生が書いたタラッパンのテキストですよ」と言ったら、その人が驚いたそうです。表紙をすべて取ってあったので、分からなかったそうですが、内容はとても良いと言ったそうです。それは、神様のみことばだからです。他の人のメッセージが悪いと言っているのではありません。私は、神様のみことばをお伝えしているだけだということです。それがとても重要なことだからです。ですから、今日ヨハネが授けたバプテスマのように聖霊のバプテスマを受けるということをよく覚えましょう。水でバプテスマを受けたことがありますか。最も大切なのは、私達の考えや生活の中に聖霊が働かれるようにということです。
私は約束します。学生ならば、1日10分間だけ聖霊で満たして下さいと祈れば、人生を成功します。チョー・ヨンギ牧師が語ったことがあります。ある人が、こんなに多くの人をどのようにリードするのですかと尋ねたそうです。その時、チョー・ヨンギ牧師が簡単に「一日2時間神様の前に祈ります。」と言ったそうです。牧師や宣教師の方々が、1日2時間、神様の前で聖霊充満を祈れば、すべての問題は解決します。一般信徒は、1日10分間祈れば、勝利します。このメッセージを本当に契約として信じましょう。イエス様は多くのことを語られた最後に「あなたがたは、ヨハネが水でバプテスマを授けたように聖霊のバプテスマを受けます」と言われたのです。そして「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けて証人となります」と言われました。これは、イエス様の約束です。私は、体験して、本当に間違いないと分かります。誰かにどのようにしてできるのですかと言われたら、祈りますと簡単に答えます。ですから、祈りの時間に簡単に「聖霊で満たして下さい」と祈ってみましょう。何か感じなければならないことは、ありません。聖霊は霊ですから見えませんし、何も感じないほうが良いのです。しかし、確信が生まれ、信仰が生じます。「聖霊はともにおられる」と確信できます。肉体的に何も感じない方が良いのです。ですから、とても簡単です。1日に、10分、20分、30分、聖霊充満を祈れば、すべての問題は解決するのです。イエス様を信じている人ならば、信仰生活はこのようにすれば良いのです。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」と言われました。今日、礼拝に参加しているときに、このことを逃さないようにしましょう。
4.結論
ヨハネがイエス様にバプテスマを授けたことは、大きな意味があるのです。創世記3章から来る、罪、のろいは、私達ではどうしようもないので、イエス様がすべて担ってくださいました。旧約時代は、祭司が羊の上に手を置いて、血を流すことによって解決しました。ヨハネがイエス様を見た時「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」と言いました。このことを良く覚えなければなりません。イエス・キリストを信じると、聖霊を受け、神の子どもになります。もっと重要なことは、聖霊充満です。少しだけ「聖霊で満たしてください」と祈れば、すべての問題は解決します。これは小さなことですが、このことを信じられないならば、信仰生活を間違ってしまうでしょう。礼拝時間に聖霊充満を受けるよう祈ることを願います。定刻の祈りの時に、自分の職場に聖霊充満が臨むようにお祈りしましょう。病気があれば、その病気に聖霊が働かれるようにお祈りしましょう。麻薬や精神的な病がある人は、聖霊で満たされるように祈りましょう。間違いなく、ある日変わっていることに気づくようになります。本当に驚くべき約束です。この中に、すべての信仰生活が含まれています。1日10分だけ聖霊に満たされるように祈ってみましょう。私は約束します。平日に祈れなくても良いのです。日曜に祈りましょう。礼拝時間に聖霊で満たされるようにお祈りしましょう。副教役者や役員達は、多くの仕事を日曜にして、人間的なことばかりしていると、死んで行っているのだと知りましょう。日曜に恵みを受けなければならないのです。ですから、礼拝の時に、聖霊で満たされるようにお祈りしましょう。そうすれば、残りの6日間で答えを受けるようになります。多くの人が、この祝福を逃していますが、逃さないようにしましょう。
私は東三道に来て、副牧師をしていたときです。朝に運動に出て、車を洗い、早天祈祷会に出ていました。とても気持ちが良いので、多くの人にこのことを話したのですが、だれも同じようにする人がいないのです。不思議だなと思います。朝に運動して、早天祈祷会に出ることはとても良いと、長年の間、ずっと語っているのですが、ずっと続けてする人はいないのです。このようにみことばを受けている人が多いのではないでしょうか。神様のみことばが、本当に重要だと思うならば逃さないようにすべきでしょう。神様のみことばを聞きにここに来ているのに、みことばを逃してはならないでしょう。神様のみことばをよくつかみましょう。今日、聖霊で満たされるように祈ることを逃さないようにしましょう。多くの人が、聖霊充満を変に語っていますが、そのようなことではありません。聖霊充満は、人を最も正常にすることです。知識の中で、もっともレベルが高いのが聖霊充満です。知恵の中で最高なのが、神様の知恵です。力の中で最高の力である神様の力を受けるのが聖霊充満です。学生はよく覚えましょう。どこかに行って祈れば受けると言う人がいますが、そのようなものではありません。正常になります。ガラテヤ5:22にある9つの実です。「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」とても正常になるのです。正常な祝福を受けるように祈ります。礼拝の時間に「聖霊で満たしてください」と祈ってみことばを受け、礼拝後に受けたみことばで「聖霊で満たしてください」と祈れば、そのみことばの実が実るようになるのです。現場で「聖霊で満たしてください」と祈れば、聖霊が働かれるのです。これが信仰生活です。多くの人が違うようにして、熱心にして、戦っているのです。本当に残念です。ですから、この祝福を回復しましょう。「ヨハネが水でバプテスマを授けたように、聖霊のバプテスマを受けます」病気があれば、いやされる祝福を祈ります。礼拝の後に、聖霊で満たしてくださいと祈りましょう。気づいていない病気までいやされるようになることを祈ります。もっと重要なことは、霊的な病がいやされることです。最も重要な、私達の回りの暗やみが崩されることです。それが、聖霊充満です。本当に驚くべき事です。悪霊を縛り上げる祈りをしても、聖霊充満でなければ、答えられません。暗やみが縛り上げられなければ、知恵が与えられません。暗やみが崩されない限り、私達の子どもも正しくなりません。この祝福の契約をしっかりと握りましょう。聖霊は、視空間を超えて働かれますから、ここで聖霊が私達が関係している人々に働かれるようにお祈りしましょう。聖霊充満をバプテスマを受け、満たされるようにお祈りします。
<祈り>
神様に感謝をささげます。いやされる日になるようにしてください。答えられる器を準備する日になるようにさせてください。聖霊で満たされた正常なクリスチャンになるようにさせてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
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