(2002年 3月 10日 インマヌエル教会 聖日メッセージ/
柳光洙 牧師)
1部/ わたしについて来なさい
(マルコ1:14-20)
・皆様の家と社会が、暗闇の中に建てられているので、神様の国を信じましょう。人々が本当に異常です。この祝福を信じないのです。呪い中に陥っていながらも信じません。私は、未信者が酒を飲むことに対して、そんなに悪いとは思いません。しかし、ある人は酒をあまりにたくさん飲んで、血を吐くのに、ずっと飲むのです。どのように考えますか?
私は、その人がどこか縛られていると考えます。それがまさに暗闇の国です。ですから、「神様の国が近づいた」これは普通の話ではないのです。家族で集まって、花札をして遊ぶことは、そんなに悪いとは思いません。しかし、それではなく、いつもいつもギャンブルをして回ることは、問題があると考えられないでしょうか?
どこかに縛られているのです。それがまさに暗闇の国です。
・私は、外国に行って子供達をつくづく見ます。二種類の子供がいます。しきりにおかしな他の道で行く子供があって、信仰生活を上手にやる子供がいます。おかしな子供達を見れば、以前に父母がした道を行きます。本当にせつないことです。自分でもだめだと言いながら行くのです。それが暗闇の国です。
・神様の国が近づいたのです。イエス様がいらっしゃったのは、神様の国を成就するためにいらっしゃったのではないでしょうか?
皆様が開始を本当にすべきです。ここで悔い改めをして..
ということです。悔い改めしなさいという根本の意味を知っているでしょうか?
誤った道に行った方向を転換することを言います。そのような意味です。間違った道を行くならば、早くUターンをしなければなりません。間違った道をどんどん行くならば、どうするのでしょう?
そのような意味です。悪魔の子供として、悪魔のお手伝いを続けていたのから、背を向けることです。偶像崇拝して、迷信に仕えている途中で、神様みことばで背を向けることです。
・これが最初です。どれくらい重要でしょうか?
皆様が、この祝福を受けるべきです。過去の創世記3章、霊的な問題から方向を転換しましょう。人々がしばしば信仰生活を誤って理解しています。みな禁じることと思っているのです。信仰生活はそのようなことではありません。信仰生活は、律法ではないのです。滅びて行く道から方向転換をしなさいということです。
・ある人は、救われようとするなら、小さな罪もみな悔い改めなければならないと、誤って教えています。もちろんすると良いでしょう。しかし、それは間違った言葉です。皆様が犯した罪を、皆様は知ることもできません。知っていることも数えきれない程多いけれど、知らないことはもっと多いのです。悔い改めなさいということは、滅びの道に行く道から方向転換をしなさいということです。
・疑わず、信じて背を向けてしまえばよいのです。それを福音を受けたと言うのです。どれくらい祝福のみことばでしょうか?
家庭、霊的問題に難しいのではなく、方向転換すれば良いのに、何故信じないのか分かりません。私はただ一ケ所も異常なことはありません。何ゆえに悪霊につかれた人を訪ねて、お金を払いながら人生を確認するのでしょうか?
悪霊につかれた人は、自分の問題も、自分の子供問題も解決できなくて困難を受けているのに、何故そこに行って人生を任せる愚かなことをするのでしょうか?
本当に異常です。おかしな人々に付いてまわりながら、あらゆることをみな捧げながら、何故神様のみことばは信じないのか分かりません。ですから、福音を受けるということは、ものすごく重要なことなのです。今日、皆様に本当に新しい開始があることを主の御名で祝福します。
・私が新しい家族の合宿を何故しているか知っているでしょうか?
違うように開始したので、正しく始めようということです。滅びの道にどんどん行きながら、イエスを話してはなりません。何故多くの主のしもべが、タラッパンをしている途中で揺れるのでしょうか?
開始から福音でないのです。根本的なことを上手にやらなければなりません。クリスチャンが、しばしば違うことを捕まえているのです。
・信仰生活は、そのようなことではありません。暗闇の国にやられるのではなく、神様の国!
その祝福を受けましょう。それが福音です。キリストが誰なのか知るだけで良いようにさせられました。それが福音です。ただキリストだけを知れば良いようにされたのです。キリストがこの地へいらっしゃったのが、2002年
3月10日になったということです。それをそのまま知っていれば解決になります。ですから、福音を正確に受けましょう。
・私は福音を知って、することがなくなりました。伝道することだけでした。伝道したら、教会は復興しましたよ。今現在、私たちの教会は、影島で最もたくさん集まります。これから釜山で一番たくさん集まるはずです。もちろん、私がそれを目標でするのではありません。しかし、そのようになるのです。
・学生が着実に勉強して、祈れば勉強がよくできるのは、当然のことではないでしょうか?
ある人が私を訪ねてきました。英語を一週間だけで終えた人でした。それで、一週間、私が講義を聞いてみたら、中学生がする英文法をしたのでしたよ。人々はその英文法ができなくて、英語ができないのではありません。私が米国に行ったら、とてもやさしい単語なのにわからなかったのです。それなのに、人々はとてもおかしな話を多くします。そのような方法でしてはならないのです。信仰生活も同じです。信仰生活をそのような方法でしても良いでしょうか?
だから、問題がくるのです。あなたがたは、今日、本当に福音を受けてくださるように願います。単語まで出てきました。神様の国!
今は悔い改めて福音を受けましょう。
・2番目です。わたしについて来なさい。福音を受けて、わたしについて来なさい。すべての問題を解決なさった神様の息子、イエス様がわたしについて来なさいとおっしゃいました。
・今日、ここで記憶しなければならないことがあります。律法と福音は違うのです。この線はだめだ、あんな状態で立ってはならない、これは正しい、あれではないということは律法です。区分しなければならないので、必要ではあります。しかし、それがすべてではないのです。皆様が、宗教と福音は違うということを知っていなければなりません。多くの功労を立てることと、救いとは違います。功労をどんなにたくさん立てても、救われるのではありません。誤った宗教で、しばしば教えるのです。教会でもそのように教える人があります。救いは、神様の契約を信仰で受けることであって、皆様がなにかをして受けることではありません。人々が信仰生活を本当に難しく、違うようにさせているのです。
・わたしについて来なさい。わたしがあなたを人間を捕る漁師にしてあげよう。伝道も難しいことではありません。あなたがたがだまされないように願います。過去の問題と偶像、迷信にだまされないで。わたしについて来なさい!
大部分の信者が、過去の体質をそのまま持っているのです。それで、わたしについて来なさい..
これがだめです。
・人々が教会の仕事を熱心にします。ある面で見れば、その人の性格です。しかし、だめになれば葛藤がくるのです。それがどうして信仰生活でしょうか?
皆様に問題があってこの場にきたのでしょうか?
それも重要ですが、本当に神様の子供にならなければなりません。皆様が解決しようとしないで。神様の子供になれば、みな解決するのです。
・三番目、重要なことが出てきました。放置して従った!
18節に、「すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。」霊的な意味で見る時、ものすごく重要です。私たちの不信仰を捨ててしまい、主に従いましょう。過去の体質を捨てて行くのです。私たちの無意識の内に含んだ霊的問題があります。それまでも捨ててしまって、従って行くのです。
・こういうことをどのようにすることができるのでしょうか?
一言で要約すれば、わたしについて来なさい。皆様が神様のみことばを追って、イエス様を信じれば、みな解決するのです。とても簡単です。呼ばれたイエス様は誰でしょうか?
創世記3章の主人公が、わたしについて来なさい!
遠い以前から預言された方です。
・僧侶一人が、タラッパンにきたので、その方に尋ねようと思います。釈迦もイエス様がいらっしゃることを預言しました。それがどの文章のどの部分に出てきていているかを尋ねようと思っています。確かに、言ったことは事実であるためです。「いつかイエス様が来られたら、私が悟った道は油がない燈と同じだ」と話しました。その程度まで話したのです。たいした方です。今現在、それがどの本のどの部分に出てきているのか私が知りません。人々が、それはどこにあるのかと尋ねました。私もそれを聞いて習ったことがないから、どこにあるかよく知らないと言いました。年をとった有名な僧侶一人が、福音を聞いて悟って帰ってきました。それでその方に尋ねるつもりです。
・創世記 3章 15節に、女の子孫! 既に旧約に預言されています。十字架で血を流してあらゆる人間の問題を解決することを約束なさった主が‘わたしについて来なさい’と言われました。イザヤ
7章 14節の主人公が‘わたしについて来なさい!’皆様がこの説明をみな理解しようとするなら、長くかかります。人間がサタンに誘惑を受けて、善悪を知る木の実を食べたのに、何故サタンが生じたのか?
この説明をみなしようとするなら複雑になります。
・ひとつだけ知っていればよいのです。神様が人間を創造された時に、花のようにはされませんでした。花は人格がありません。神様が天使を創造する時にも、花のように創造されませんでした。神様が人間を創造なさった時もそうで、天使を創造なさった時も特別な部分があったのです。私たち人間を創造なさった時、神様のかたちに創造なさいました。それで、天使が私たちより劣っています。天使はそのようにされなかったのですが、私たち人間は神様のかたちに創造なさいました。しかし、天使も同じような部分もあります。人格的に創造なさったのです。このようにしてもじっとしていて、あのようにしてもじっとしているようにお作りになりませんでした。なにかを選択できて、なにかを区分できるように人格的に作られたのです。それが、天使がよくできなくて堕落したのです。それで、これがサタンになったのです。ヨハネ黙示録
12章 9節に出てきます。それで神様が即刻、救いを下さったのです。
・神様が私たちの人格までも思う通りにはされませんでした。それで、神様が救いの門を準備されたのです。その事を解決できるように、神様の息子を送られたのですが、その方がイエス様です。キリストを知りさえすればよいのです。知ることが重要です。その方が‘わたしについて来なさい’と言われましたが、知っていてこそ、従って行くのではないでしょうか?
そこから問題が発生するのです。知らなければ、従って行くことができません。どんな方なので従って行くのでしょうか?
イエスを信じるとしても、どのように信じるのでしょうか?
知らないから、信じられないのです。それで、クリスチャンは無気力でいるのです。皆様がキリストを知っていれば、‘わたしについて来なさい’ということを分かるようになります。すると‘わたしがあなたを人間を捕る漁師にしてあげよう’というみことばが分かるのです。
・今日、あなたがたは祈るべきです。過去のあらゆる霊的体質がみななくなるように、イエスの名前を捕まえるように願います。私が外国に行って、学生一名に会いました。「あなたの父母が行った滅びの道を行かないで。それで2種類を良くしなさい。早く信仰生活をしなさい。そして、結婚を良くしなさい。まだ結婚する時ではないけれど、重要だと考えて祈りなさい。」私たちの子供ではないにせよ、この学生達がどれくらい重要でしょうか?
おとなが間違っているのに、どのようにこの学生達がうまくいくでしょうか?
おとなが全部みなだまされて暗闇の文化を作って遊んでいるのに、どのように学生達が正しい道へ行くでしょうか?
今日、この席に学生達が座っていること自体が奇跡です。世に行ってみたことがありますか?
学生達がどのように、世の中で正しく生きていくことができるでしょうか?
神様の恵みの福音でなくてはならないのです。
・わたしについて来なさい。あらゆる暗闇の勢力を破られた主イエスが、わたしについて来なさい。歴史上でただ一度、十字架で血流して死んでよみがえられた主イエスが、わたしについて来なさい。教会がキリストを正しく説明しなくて、商売人のようにするのを見れば、とても遣る瀬ないのです。これから私たちの教会に多くの教役者がたくさん起きるはずです。本当に頼みます。皆様は死ぬ時まで、商売人のようにならないように願います。商売が悪いということではありません。けれども、牧会は商売ではありません。教会で商売をしてはだめです。これを一生記憶しなければなりません。牧師が自分の教会がだめならば、しばしば非難して悪口を言います。私に対して新聞記者がきては、何故しばしば人々が牧師の悪口を言っているかと尋ねたのですが、私は話すべき言葉がありませんでした。それで私が参考にして、判断を良くしなさいと言いました。
・こういう社会の中に、学生達を送り出したらどうなるでしょうか?
何が真理で、何が非真理か? この子供達が世に行って、誰を信じて生きていくのでしょうか?
本当に嘆かわしく、はがゆいのです。主は「わたしについて来なさい。わたしがあなたを人間を捕る漁師にしてあげよう。」とおっしゃいました。学生達は、世の中を生きていきながら、人を愛して尊重すべきですが、人ゆえに失望して、人を信じることはしないように。私が見た人は、大部分、自分の立場で話したのです。それを見てついて行っていては、危険な道であるか、そうではないのかどのように分かるでしょうか?
・それよりもっと重要なことは、過去の全てのものをみな忘れてしまうように願います。いまは新しい人になったのですが、ある学生がきて相談をしましたよ。学校を放棄して、酒場で仕事をしたと、そのまま話をしたのですよ。それで、私がそうでしょう。過去を自慢のように話すのですが、記憶にも出ないように信仰生活をしなさいと言いました。それは、出発が誤っていたのです。私が以前にそうだったのか?
という程に生きなければなりません。終わったのに、何故しばしば過去をつかもうとするのでしょうか?
すると、霊的になにかに捕えられているのです。過去を完全に終えてしまいましょう。
・わたしについて来なさい。わたしが人間を捕る漁師にしてあげよう。終わったのです。それが信仰生活です。福音を受けたという話は、滅びに背を向けたということです。信仰生活をするということは、主について行くということです。そのまま単純に聞けば、この話を理解できないでしょう。最も重要な道を選択したということです。これからは祝福を受けるしかない道を選択したのです。それならば、持っていることを捨ててついて行くのです。過去の考え、体質、霊的問題を捨ててついて行くのです。捨てたということは、記憶にも出ないようにすることです。
・信仰生活をすることは簡単です。本当に神様の祝福を受けてくださるように願います。霊的問題、全てのものをみな捨ててしまいましょう。わたしについて来なさい。わたしがあなたを人間を捕る漁師にしてあげよう。新しい答えがくるはずです。新しい祝福を受けるようになることを主の御名でお祈りします。
<<契約の祈り>> 神様に感謝します。今日、短い時間ですが、重要な日になるようにしてください。本当に主について行く祝福の時間になるようにしてください。福音の門を正しく知って始める祝福の時間になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。
-アーメン-
2部/ 光の子ども
(Iテサロニケ5:1〜11)
・誰かが質問して、信仰生活は何故そのように難しいのかとたずねました。今日の1部礼拝の時にお話ししたのですが、開始が誤っているからです。福音で始めれば難しくありません。福音で本当に始めるならば、ペテロと弟子達が自分のことを放置して従ったように、皆様の不信仰と過去と体質を捨てるようになるはずで、神様の祝福を受けるようになるはずです。ほとんどすべてが、開始を誤っているからです。
・多くの方達がタラッパンにきて伝道運動をするのに、何故よくできないのかと質問しますが、それは不信仰を捨てたのではなく、隠しているからなのです。捨てればよいのです。弟子達が捨てて従ったとされています。簡単で難しくありません。多くの方達が難しくしているのです。
・何故、世界の福音化がならねばならないのに、よくならないのですか?
という質問をしますが、それは福音に対する開始でないからです。キリストをよく知らないからです。福音で始めればよいのです。あなたがたが、信仰生活を始めるのに、最初がそのようにならなければなりません。まちがいなく、あなたがたがキリストを正しく理解するならば、滅びません。それで開始を上手にすべきなのです。1部の時にとても重要な言葉を申し上げました。
・そして、今日Iテサロニケ 5章1〜11節を見ながら、私たちは光の子どもであるという事実を捕まえなければなりません。信仰生活をしている途中で気落ちしたり揺れる必要がありません。私たちは光の子どもであるためです。
・福音を伝えるパウロが、異端の頭という寃罪をこうむって裁判を受けるのに船を乗ってローマに行くことになりました。それが使徒行伝
27章です。パウロは、祈りを多くした人で、伝道運動を多くして、経験が多い人です。その時、パウロが‘この船が今そのまま行くことになれば、まちがいなく暴風に会って、みな死ぬようになる’と話したのに、ユリアスという百人隊長が船長に、船主に、そして多くの人々に尋ねたのです。パウロが死ぬだろうと言うけれど、そのようになるのかとたずねました。船長、船主、多くの人々が大丈夫だと言いました。皆様もおわかりの通り、その船は航海の途中、突然に暴風に会うようになりました。船内の
276人がみな死にそうになったのです。私達は、神様のみことばを捕まえて揺れる必要はありません。
あらゆることは突然に起きるのです。
・ルネサンス、中世時代に、文学や哲学等の多くの作品が出てきたのですが、神様を信じる必要はないという主題の作品が出てきました。そのような中で、この地球には数多くの戦争、世界1,2次大戦等多くのことが起きました。多くの文章を書く人々が、この人間が何故このように
なったのか? 自分を省みることが行われたのです。
・皆様が信仰生活をするなかで、いろいろなことがおきることがあります。絶対に揺れる必要はありません。ある日突然に審判がおきることがあります。今日の4節を見ると‘しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。’とされています。
・この話はなんの話かというと、5章 1節を見ましょう。‘兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。’再臨に関する話が、先週からずっとされています。盗賊のように突然に来るとされました。そして、4節をまた見るように願います。これを持って終末論、時限付きを主張することがあります。‘これを見ると、よく信じる人には日を知らせてくれるとされているではないか?’と言います。これはそのような意味の言葉ではありません。
・4節をもう一度見ましょう。‘あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。’と言われました。過去に、イ・チャンリムという方が10月
28日にイエス様が再臨して来られるという人々と、この九節を持ち出していました。‘見ろ、よく信じる人には、盗人のように臨まないとされたではないか?
知らせてくれると言っているのではないか? それで、私たちは知るようになった。その日が10月
28日だ’いうことです。それで、多くの人が誘惑されました。しかし、この話はその意味ではありません。確かに天使もその日を知らないとされています。
・今日、前に見ればまた出てきます。‘それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。’と言われました。これは信仰生活に重要な方法です。今日、皆様が信仰生活で最初に記憶することが何でしょうか?
信仰生活で、気落ちしたり、祈っている途中で答えがこなくて気落ちしたり、信仰生活がよくできないのに、わざわざ勇気を出す必要はありません。ある日突然に、と言われました。最初に悟っていなければならない信仰人の考えです。
・ある日突然に、ユーラクロンという暴風が来たので生きる道がありませんでした。それが神様の方法です。再臨、終末もそうです。神様の時刻表は、ある日突然にきます。悪霊に取りつかれた占い師が未来を当てるけれど、重要なことは知りません。一斉に占い師が10月に金正日党書記がくると話したのですが、来ませんでした。重要なことは、彼らは知りません。みな知らないのです。ある人は、今回、韓国に女子大統領が出てくると言いましたが、見ているのです。
・神様は、皆様個人が死ぬ日と時代、時代の終わりと地球の終末の兆しは見えるけれど、教えてくださることはありません。そうすると、生活ができません。不安になるので、そのようにならないようになっています。知っていてはだめです。いつでもそうです。だいたい知っていたが、突然にノア時代に洪水で多くの人々が死にました。ある日、ソドムとゴモラの地域に異常に火の雷がおちて死んだこともあります。各国に突然に事件が発生して崩れる事が発生します。パリサイ人がある日、初代教会を異端へ推し進めたが、突然に彼らは滅びました。
・私たちに来る災いと問題は、突然に臨みます。それで、私達は信仰生活を上手にやらなければなりません。いつも祈って恵みを受けねばならない理由が‘突然に’出来事があるためです。
柳)) 青年一名が訪ねてきました。挨拶しようと出てくるのに会ったのです。私の部屋に行って、共に話をしました。ソウルから夜通し列車に乗ってきたと言いました。疲れているが、飛行機に乗らなかったのかと言ったところ、飛行機に乗ると呼吸困難になるために乗ることができないと言いました。自分がイエスを知るようになって、とても感謝すると言いました。回っている途中で、ある日突然に自分が死ぬ病気にかかったと言いました。何の病気か?と尋ねたのです。自分が回る時は知らなかったのですが、ある日病院で身体検査を受けたら、エイズだと明るみになったと言いました。その時から異常な症状が出てきたし、生きるのが難しかったということです。
・その青年がいまは死んだと思いますが、イエスを信じて行ったのです。その青年が、このように話しました。‘ある日突然に!!’いつでもそうです。私達が信仰生活をして、いつも祈らなければならない理由が、そこにあって、私達が福音運動をいつもしながら、信仰を守る理由が、そこにあるのです。あらゆる事がそうです。突然にきます。主が再臨して来られる日、時代、時代の終末、個人の終末もほとんどみな突然にくるのです。もちろんだいたい分かることはできます。
・今日2番目に記憶することは、未信者と不信仰者、救われたが肉に属する者に今日の2節で‘主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。’とおっしゃられたことです。いつくるかと思えば、3節に‘人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。’未信者はそうです。
・特に5章 7節に‘眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。’と言われています。夜という話は、自然な夜を話すのではなく、そのような意味もありますが、霊的に暗い時を話します。私達が福音を知らなくて、信仰の中にいないで、暗やみの中にいる時にくるのです。必ず記憶していなければなりません。
・今日、特に学生達は記憶していなければなりません。学生達は、21世紀を生きていくのに、完全な暗闇の中で生きています。どの程度暗いのかというと、私たちの学生達が知らない程に暗闇に覆われました。
柳)) ある学生が、激しいように見えるビデオを部屋にぎっしり持っていました。変態的なこともあったのです。それらを部屋に陳列しておいたのです。信仰生活もよくする学生でした。その学生を見て、私たちの世代とは違ったことを見るようになりました。私たちの世代は、そのようなことを隠しておきます。‘あ、私たちの世代との差異点だな’と思いました。この学生達は、暗やみ、明るさを区分できません。ずっと夜に生きていて、光を知らないのです。
柳)) おしは口に出して言えません。おしは口に出して言えないのではなく、耳が聞こえないのです。おしも自ら声を出します。しかし、一度も人の話声を聞いたことがないのです。それで、話すことができないのです。それで声を出せば、おかしな呻吟音だけを出します。人の話声を入れないから、そのようなのです。
・私たちの学生達が成長して行けば、何が正しいかをきいたことがありません。おとなが既に作っているおかしな文化の中にはじめから生きていくのです。それで、どうすることもできないのです。私たちの学生達が必ず記憶しなければならない部分です。未信者にある日、夜に盗人のように来ると言われました。それで学生達に頼んだのですが、世の中を見て気落ちしたり、それについて行く必要はありません。皆様がよく見て、信仰生活をよくすべきです。特にある日突然に、地球上に問題がくるということをいつも記憶しなければなりません。未信者に盗人のようにくると言われました。
・しかし、今日、三番目に記憶することは、信者にはそうでないということです。4節に見ると‘しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。’神様が皆様に呪いが盗人のように臨むことができないように、そして、最後に主が再臨してくられるその日も、審判が皆様に盗人のように臨まないようになさるはずです。
・そして5節に‘あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。’と言いました。特に6節に‘ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。’祈りなさいということです。8節を見ると‘しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。’と言われました。感謝することです。
・救われた神様の民には、滅びが盗人のように臨みません。そのみことばを神様がパウロを通じてなさったのです。しかし、不信仰者には、暗やみと滅びが盗人のように臨むはずです。その話しであって、この話を変に変えてイエス信じる人は再臨して来られる日と時間を知っているというように、変に変えて話してはだめです。
・学生達がよく理解すべきことは、ここいる方か私たちのタラッパンにいる方、大韓民国、世界にいる牧師達が、能力を見ればそれに従って行くようになるという点です。だから、これが本当におかしなことなのです。終末論者が能力を見せながら誘惑します。誘惑を受けるないようにすべきです。
・特に、私たちの学生達、高等学生は大丈夫ですが、これからこういう終末論が、大学に入っていきます。大学生がこういう霊的問題に陥るようになれば、どれくらい危険か分かりません。私が知っていることでは、ソウル大、ヨン大、高麗大などは、勉強がよくできる学生達なのに、JSM等のおかしな所に入って行ってしまいます。その人が出てきて天使のように女の人に服を着せて指揮をするのに、拍子も合わず変にしているのに、拍手して擁護するのです。
・その人が告白もしました。小学校も出なかったのに、そんなに山にひざまずいたあとで何かを受けたのです。なにを受けたか、能力が現れたことがあったのか、そこに人々がやたら引っ張って行かれるのを見ながら‘本当に理解できないことだ’と思いました。
柳)) 私たちのタラッパンでも、ある牧師夫人が変にしたのです。そのようにしてはだめだと何度か話したのに、牧師達がそちらに従っていく方がいました。本当におかしなことです。いまは完全に変になりました。家庭も捨てて、息子も捨てて、夫も離れました。それでもまた従っていく人がいるのです。‘これではないな’という勘がいいなら、良いではないでしょうか?
どのように神様がそのようになさるでしょうか?本当に、おかしなことです。皆様が少し能力が出るような小さなことに入っていってはだめです。私たちは、みことばによくついて行くべきなのです。
柳)) この前、新聞を見ました。手だけ置けば、病んだ人がよくなるのでした。全世界から多くの人々が飛行機に乗ってこの人のところに来ました。ある人は傷ができたのに、この人が手を置いただけでよくなったのです。手術をするなどの手を使ったことも全くなくて、ただ手をつけただけだったのに、直ったのでした。全世界の大金持が病気になればきたし、この人がお金をどれくらいたくさん儲けたのかは分かるすべもないほどです。珍しく思った人物です。真に幸いなことは、この人がイエスを信じていないことです。本当に幸いなことだとしか言えません。この人が教会に通っているならば、大変なことになるはずです。信徒だったならば、明らかに聖霊の働きだと主張したでしょう。どれくらい多くの信徒が惑わされたでしょうか?
信仰生活は注意しながら、水準高くすべきなのです。能力を見せるからといって真理ではないのです。
・マタイの福音書 24者に見れば、終わりの時には、キリストがここにいる、あそこにいると言われるとおっしゃっています。何を見せながらでしょうか?まさに能力を見せながら!
ヨハネの黙示録に見ると、ものすごい能力を見せながら、人を惑わすのです。だからそちらに陥ってしまいます。陥ってはだめです。皆様は、神様のみことばをよく捕まえなければならないのです。
・未信者には盗人のように来るのですが、信者にはそうではありません。あなたがたが信仰生活をすれば、皆様の事業がある日盗人のように崩れるようなことはありません。神様は、驚くべき知恵をくださるのです。福音の能力がどれくらい大きいかを知っているべきです。福音を知っていながら、ある日、皆様の子供に暗やみが盗人のようにやってきて、子供を滅ぼすようなことはありません。絶対にそのようなことはないのです。あなたがたは、光の子どもです!と言われました。この契約を正しく捕まえなければならないのです。
・それとともに、呼ばれた理由を9節、10節で、3種類話しています。9節を見ましょう。‘神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。’神様が私たちを呼ばれたのは、呪いの中に置くためにではなくて、救いを下さろうと呼ばれたということです。‘主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。’神様がキリストを十字架に死ぬようにされた理由は、私たちを救ってくださって、私たちとともに!!と言われたのです。11節です。‘ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。’神様が私たちを呼ばれたのは、お互いに勧勉にして、お互いに特を高め合うようにするためだと言われました。
・皆様が、信仰生活をできる重要な生き方です。皆様が持っているべき重要な信仰です。私が見る時、このみことばと1部が連結して重要だと考えます。今日、昼に必ずひとつを解決しなければなりません。
・私が信者に会えば、必ずそうです。この人が決定的な瞬間に過去の霊的問題に捕われる部分がありました。この部分を直さなければならず、それがいやしです。ある人は、信仰生活を上手にやっていて、決定的な瞬間にその問題に引っ掛かりました。あなたがたが、その中でどんどん違うように知っていることが、一番重要です。皆様が、過去に捕らわれているという事実を知らないことと、信仰生活をすれば困難がくるということを違うように思っています。怖い神様です。反対にイエスを信じて救われたから、みな終わったではないか?と言いながら、あまり信仰を守らない場合があります。それで、私たちを見て、光の子どもとして、神様のみことばを捕まえて信仰生活に勝利しなさいと言われたのでした。
柳)) ある青年が尋ねました。現在、私たちの教会に通っている青年です。釜山にきて信仰生活を始めたのに、私たちの教会の青年を通じて信仰生活を始めたのです。イエスを信じてから、3ケ月後に私を訪ねました。
イエス信じるのでとても良いのに問題が生まれたと言いました。自分の家は法事を行なうと言いました。良い生活をするように感じられたのに、その家庭で最も重要に考えることが、まさに法事だと言いました。ところが、自分が名節(韓国固有の盆・正月)に帰らなければならないけれど、法事の問題に当面したのです。この人が私に聞くので、こう話しました。「イエス・キリストを信じて受け入れたことは確実か?」とたずねたら、そうだと言いました。「それならば、あなたは光の子どもだ。正確に話せば、あなたの兄弟、父母は暗やみの子供ではないか?
すると恐れる必要があるのか? 行って話して、謙遜にしながらも、事実通りに話しなさい」と言いました。この人が一ケ月、祈って行って、家族全員が集まった時に話したということです。「自分は、釜山にいる間、キリストを受け入れて神様を信じるようになった。神様の子どもになったゆえに、自分は法事をすることが出来ない。仮りに自分が法事をすれば、神様が罰をくだすだけでなく、家庭にも問題がくる。父や兄達が、法事をしている間、自分は後ろの部屋で祈る」と言ったということです。この人が家に帰る前には、たたかれて死ぬと1ヶ月間心配して祈ったのでした。「帰ってたたかれて死ねば、それで良いではないか」と言ってあげたりしたのですが、そうではありませんでした。その一言に家族全員が「宗教は自由ではないか?
そのようにしなさい」と言ったということです。この人が後から祈ることもしたのですが、家族が
「私が法事を行なえば、私にも問題がきて、我家の中にも問題がくる」という話しにおじけづいたようでした。この人が本当に祈ったら、一名ずつ救われるようになりました。どのように、救われたかというと、半分くらいずつ変に問題がきて倒れて、救われるようになったのでした。キリストを知るようになったのです。突然に!
私達が家庭伝道しなければならない理由がここにあります。
・皆様の家族、親戚が良い生活をすることのように見えるけれど、ある日突然に暗やみがきてしまうのです。主の再臨は、そのようなことではありません。それで、私達が福音を語ってあげるべきなのです。ある日突然に、親戚、家族の中に精神が狂う人が生じます。私の経験です。仮りに精神が狂ったことが初めてならば、そのようになって一週間くらいであるとすれば、イエスを受け入れる瞬間
100% みな離れます。しかし、2年、3年になってしまえば、この人の人格に根を下ろして難しいのです。それで、突然な困難が人に訪れるのです。
・皆様は光の子どもであり、皆様は暗やみにいないために、絶対に盗人のように臨みません。主の再臨もそうで、多くのことがそうです。神様が私たちにそのようにさせられることはないのです。そのようなメッセージです。日が決まってよく信じる人に知らせてくださるというような話ではありません。暗闇の勢力と主の最後の日が臨む時に、全てのものが信じる者には盗人のように臨まないのです。信じる者には、驚くべき祝福と知恵で皆様が勝利するようにさせてくださるのです。皆様は暗闇に敗れません。この契約を堅く握るべきです。
柳)) 私たちが村で初めて伝道しにいった時、多くの実がおきました。ここで私がずっと伝道をしたら、いろいろな事がみな起きました。今、勧士になったのですが、その方は仏教でした。仏教は、偶像崇拝をどれくらい多くする所でしょうか?
家庭に霊的問題が来て、自分は病気になっていましたが、この方がイエスを受け入れて、それ以後、全てのものが解決しました。だから瞬間的に
‘あ! 光の子ども’私はその話しが理解できたのです。イエスを受け入れたその瞬間からいままで。この家庭が、皆救いを受けました。
柳))ある家に礼拝をささげにいったのに、変な臭いがひどくしていました。予想はしていましたが、酒の臭いがひどかったのです。何故かと聞いたら、その方は影島地域全体に酒をくばる仕事をしていたのでした。イエスを信じる前には上手にやったのに、イエスを信じてどのようにしなければならないか?
という問題に当面したのです。私が話しました。「まちがいなく神様は、この仕事をしないで、違ったことで良い生活をすることができるようにしてくださるでしょう。心配せずに祈りなさい」と言いました。その後、神様が解決してくださったのです。
・神様は、私たちの生活すべてを導いてくださる中で、特に記憶すべきことは、私たちは2種類で信仰生活を違うようにすることです。恐れたり、みことばについて行かないことです。それは違うのです。4節をもう一度見ましょう。‘しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。’8節に‘私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。’今日の本文は、そのまま恵みのみことばのようですが、最後の時にとても重要なみことばです。これを持って、誤った時限付き、終末論が出てくるようになりました。
・しかし、私たちはそのように悟ってはだめです。この地に生きている未信者に、盗人のように臨むようになるはずです。しかし、神様を信じる者には、盗人のように臨んで失敗するようにはならないでしょう。なぜなら、光の子どもであり、昼に属する者であるために、その暗やみに陥って死なないのです。信仰生活に
2種類の確信を持っていなければなりません。世の中的に行く人を見てうらやましく思う必要はありません。ある日突然に。皆様が神様のみことば守っていて、揺れる理由がありません。神様は、その問題を解決なさるはずなので、ある日突然に解決なさるはずです。皆様は、光に属し、昼に属する神様の子どもであるゆえに、神様はその暗やみから皆様を保護してくださるはずです。そのようなみことばです。これを持って時限付き、終末論を作って混乱させてはだめです。
・2種類です。未信者がどんなに良い生活をしたかの様に見えても、夜に盗人がきて持っていくように、盗人のように困難がくるようになります。しかし、光の子どもは暗やみに属していないために、神様が暗やみで死ぬようにはされないのです。絶対的です。これを捕まえて信仰生活をすべきです。今日、信仰を回復する大きい祝福があるように希望します。
・私が信仰生活を長くして、教役者生活をしながら本当にせつないことがあります。信仰生活を上手にやらなければならない人なのに、上手にやらないのです。それが私は一番心配になります。信仰生活を上手にやらなければならない人なのに…
柳)) 私が副教役者で多くの教会に通いました。通いながら、信仰生活を上手にやる人、できない人を見るようになりました。ところが、何人か想い起こされる人がいます。先頃、空港でおばさんのように見える女の方が挨拶をしてきました。顔を想い出すことができなかったのですが、分かってみたら、私がその教会の伝道師でいあた時、高2の学生でした。何をしているのかとたずねたら、学校の教師だと言いました。
両親について話をしました。その当時に、その方が癌にかかって亡くなったのですが、私がよく聞いていました。その時は、高等学生であったし、下に男子学生がいたのでした。本当にせつなかったのです。その家が、代々で信じる家系でした。私が見るには、まちがいなく神様をよく信じる人であったのに、その方が行ったりきたりして、さまよったのです。そのままよく信じれば良かったのに、何がそのように難しかったのか、行ったり来たりしていました。ある日突然に私に連絡がきたら、腎臓癌にかかったということでした。その時だけ、この方が、深刻に苦闘したのです。それを見ながら‘信仰生活はこういうことではない’と考えました。
来る道に神様があの方を生かされるだろうか?
呼んで行かれるだろうか?という気がしました。私の心でその方を見たら、呼んで行かれるようでした。その時刻表はいつでしょうか?
神様は絶対に損になるようになさいました。この方の信仰をみな回復させられた後です。
ある日行ってみたら、人が変わっていました。顔が安定して見えました。‘伝道師様、私が神様に感謝申し上げます’と話しました。私は心で‘あらー!’と思いました。‘私が神様の恵みを知らなくてさまよっている途中で、今では神様の恵みを受けました。私は、これからイエス様を救い主として受け入れて、伝道師様が何度かをきて話した福音が分かります。昨日の夜にイエス様を救い主として受け入れて、私が神様の子供なった事実を確認して、私はとても感謝しました。これから天国に行っても良いです’と言いました。出てきながら‘これから、あの方は行くだろうな’という気がしました。それが神様の目標です。その日の夜に神様が呼んでいかれました。どれくらいせつないことでしょうか!
そのひとつを悟るのに、どれくらい力が要ったでしょうか。
・イエスがキリストで、あらゆる問題の解決者で、不信仰と暗やみに死ぬしかない私たちを救ってくださったというこの答を、その人は癌までかかりながら悟ったのでした。私はそのような事実をとてもたくさん見ました。信仰生活をそのようにする必要はありません。暗やみが破られたという事実をなぜ知らないのでしょうか!
不信仰が敗れるという事実をなぜ知らないのでしょうか!
柳)) 私は何度も見ました。重要な執事が、教会にくればいつも不平不満を言いました。信仰生活を何故あのようにするのか?
と言いたかったのですが、この方はいつも不平、不満を言うのでした。この方が話を上手にするのでした。聞き手の大部分がほとんどそちらに耳を傾けました。牧師より論理的に話しながら、どんどん不信仰を言いました。教会全体が不信仰の教会になりました。私が高等学生を伝道しようと通っていた時だったのに、その方は高等学校の先生でした。とてもはっきりしていた方であったのに、信仰生活がだめだったのです。代々で信じる家庭であったのに、正しく信仰生活ができなかったのです。
ある日、この方のものすごく真実な姿を見るようになりました。この方が、肝臓ガンにかかって死ぬようになって、昔のその姿はすっかりなくなって、平安な顔になっていました。その時、悟ったのです。‘この一種類の事実を悟ることが、そのようにも難しい事なのか、私たち人間には!’
結論から知っているべきです。結局、不信仰は崩れて、世の中は暗やみに突然に崩れて、光の子どもは死なないということです。神様を信じる者は、勝利するようになっているのですが、このひとつを悟るのにそのように難しいのかということです。多くのことを投資して行けば...本当にせつないことです。牧師、一般信者、役員はこれをぎゅっと捕まえて行くべきです。
・これがないならば、このように揺れて、あのように揺れます。私達が失敗することがあります。それが問題ではありません。私達が揺れることはなくならなければなりません。今日皆様、信仰を回復なさることを望みます。神様は必ず信じる者を回復させられます。神様はご自分の民に、この事実を必ず知るようにされます。暗やみの世の中は突然に崩れて、私たちは光の子ども、神様の秘密を知っている者は崩れないという事実を知っているようになさるのです!
・主が再臨して来られる日も同じです。信仰の原理が入っています。今日、皆様が信仰を回復する祝福の日になるように願います。皆様は暗やみの子どもではありません。その話は暗やみの中でだまされるなということです。あなたがたは昼に属する者です。その話は暗い、夜にだまされてしまうなということです。特別に学生達は記憶しなければなりません。皆様は、暗やみの子供ではありません。皆様は光の子どもであり、昼に属する者です。だから暗やみにだまされないようにすべきです。結局は突然に崩れます。それにだまされてはなりません。神様は光の子どもにそのようにされないのです。
・話を終えるにあたって、私が信仰生活で感じたことがあります。イエスを本当に信じれば、答えやメッセージでも、全てのものをずっと下さいます。イエスを本当に信じれば、神様の知恵、知識と祝福をずっとくださいます。本当にイエスを信じれば、神様が天国に行く時まで、発展させて行きながら、私たちに祝福を下さいます。本当に捕まえる日になることをイエス様の名前で祝福します。今日難しいメッセージですが、皆様が光の子どもであるという事実を堅く捕まえてくださることをイエス様の名前でお祈りします。暗やみの中に陥らないことをイエス様の名前でお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私達が暗やみに陥らないように、光の子どもとして呼んでくださったことを感謝申し上げます。この地はある日突然に崩れるけれど、神様は光の子どもを保護してくださると約束なさいました。今日、この契約を捕まえて、不信仰に陥らないようにさせてくださって、暗やみの中でだまされないようにさせてくださって、ただ一瞬でも暗やみにだまされないように学生達を守って下さい。特に私たちの信徒達を守ってください。暗やみの中に陥っても、倒れないように神様が守ってくださることを信じます。また滅ぼされる世の中の前にとても良いことを奪われないように、私たちの信徒達に天の知恵を与えて下さい。それで世の中に勝つことができるレムナントと信徒達になるようにさせてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
3部/ ステパノの殉教
(使徒7:54〜60)
・盲人クロスビーが作った賛美です(岩なるイエス)。この賛美をすると、20何年か前を思い出します。釜山中央教会にいた時ですが、熱心に伝道していたので、学生達が復興していました。ところがある日、異常なことを発見したのです。私とともに働きをしていた伝道師がいたのですが、この方達が伝道をせずにいたのに、教会でしるしがたくさん起こったのです。それで自分たちも知らないで、この人達がチームを作って、私一人だけを引き出して難しくさせました。簡単に話せば、のけ者にしたのです。 ・後ほどそれを知って注意をしたのに、食事をしにいけば、一人だけ除いて行ったりしたのです。私は話しや行動でもよくできないのですが、それを表に出さずにしていたのです。そして、1年くらいのうちに教会の中で問題をたくさん起こしました。この話、あの話しと作って、私を難しくしたのです。その時、気落ちしてしまいました。‘あの人々は、神様の人であるのは間違いないのだろうか? それなら、なざあのように教会を難しくさせるのか? それも嘘をつきながらそのようなことが出来るのだろうか?’それで、気落ちして、静かに座っていたら、そのそばに、いまは医者になったのですが、その時中学校3学年だった金光一長老の息子が、中等部会長でした。その時、土曜日に中等部の役員が集まって岩なるイエスの賛美を歌ったのです。子供達は、よく歌えなかったのですが、中学生何名かがこの賛美を歌いました。それを歌って、祈るということでしたが、この賛美を聞きながら、相当な力を得たのでした。天から歌う賛美のようでした。神様は、私たちを救ってくださって、その力は無限な方です。私が干からびた地を終日歩いていっても疲れないだろう! 私はこの賛美を一緒に歌いました。どれくらい恵まれたか分かりませんでした。その時から、この賛美は愛餐曲になりました。一人でいる時も歌ったり、疲れている時に歌ったりします。良い賛美をしてくれて感謝して、神様に栄光を帰します。 今日、ステパノという人が出てきました。ステパノといえば、福音を伝えて死んだ! 最初の初代教会の殉教者だ! 7執事の中の一名で、福音を伝えている途中で死んだ! このようにだいたい知っているでしょう。ところが、私はそのように考えません。ステパノを見ながら重要な発見をしなければなりません。信仰生活をしながら、何をするのか? が重要なのではなく、発見が重要です。ステパノが福音を伝えて死んだことが重要なのではありません。誰でも死ぬようになっています。ステパノだけが死んだのではなく、その後の人々も死ぬのはみな死にました。その話ではありません。‘どのようにして初代教会は世界を征服したのか?’それなら、私と皆様が今日の午後に信仰生活をする重要な答が出てくるのです。 ・台湾、日本、米国、ヨーロッパに行ってみたのですが、共通点が牧師達がご飯を食べることができないということです。それで、奥様がほとんどアルバイトをして、日本のような国は、お金が多い国ですが、教会は少なく、牧師達が交通費がない程でした。台湾は、牧師達が平日には仕事をして、聖日にだけ牧会をしていました。ドイツのような国は、国で牧師達に月給を与えて、教会に行けば信徒は一名もいないのに、昼に門を開いている教会は、おばあさん達がきて遊ぶ場所になってしまっていました。そのようなことを見ながら、台湾で宣教師にこう話しました。‘何故このようになったのか? 信徒が信仰生活をして、これは重要だ!この信仰生活はものすごく重要なのだ! という発見をさせることができなかったからだ。そして、主のしもべが発見出来なかったからだ。’それで、この世界は問題がきたのです。発見出来なかったということ、これが重要です。 ・今日、どのようにして、初代教会は実際に世界を征服したのでしょうか? 信徒はものすごく小さいのに、どのように世界を征服したのでしょうか? 今、韓国は信徒が多いのに、変化させることができないのに、初代教会はしました。すると、どのように信仰生活をせねばならないのでしょうか? どのようにステパノは大胆に話をしたのでしょうか? その場で死ぬと知っていながら、そのような話をして死んだのでしょうか? そこは、死刑の法廷でした。最後の話を尋ねたのでした。石で打つ人が服を脱いで、サウロ前に置いたとされていますが、本当に重要な話です。最後の話を聞いてみて‘この人は死なねばならない’となった時、そのまま石で打たれるのではなく、服を脱いで石で打つのですが、服を誰の前に置くかが重要なのです。その人が証人になるのです。ところが、それ以後に時代的な伝道者となったサウロが証人になったのです。そのような凄じい現場です。宗教裁判というのは、怖いのです。前後もありません。宗教裁判はほとんど一方的にするためです。 ・今日それ以後に起きた話です。ここでは簡単な話のように見えるけれど、重要な発見が多くできます。最後に集会をしようと、死刑にしようとする席で最後に話せとした時、ステパノが少し退けば 死ななかったでしょう。今日からイエスを信じない! と言えば、勲章を受けて戻ったでしょう。多くのパリサイ人の前で少しだけ曲げて話をしても死ななかったでしょう。そのような瞬間です。その時、ステパノがしたメッセージです。知っているでしょう? 使徒の働き 7章をみな読まなければなりません。60節まで出てきます。その時、何の話をしたのでしょうか? ステパノは執事です! ‘私たちの先祖アブラハムがカルデヤを離れてカナンにきたのですが、その時、孫一名がきました。その孫の名前がヨセフです。そのヨセフがエジプトに行って、総理になって、裕福に暮らしていたのに、その家族がエジプトから引っ越ししてきました。また、そこで裕福に暮らしていたら、ヨセフを知らない王が起こりました。そうではないでしょうか? 歳月が過ぎたら、そのようになったのです。それで、イスラエル民族を奴隷にしてしまいました。この時、神様がモーセという人を呼んで、イスラエル民族を解放させました。ところが、イスラエル民族は、荒野を行く途中で偶像崇拝をしました。その時 (ここにだけ出てくる話です) 神様がイスラエル民族をまたバビロンに送ると考えられました。ところが、バビロンで捕虜になって苦労をしていて、戻って出てくる時、預言者が多くの話をしたのに、預言者を殺しました。ところが、預言者等の話しでイスラエル民族が帰ってきたのですが、今、私達がその民族です。その預言者が話したイエス・キリストをあなたがたは十字架にかけたのです。’ ・これを聞いて、突かれて歯ぎしりしたと書かれています。そのままステパノを殺したのではなく、歯ぎしりして殺したのです。この時、天の門が開いて、ステパノがどのように死んだのかが出てきています。それ以後に、初代教会は非常な働きが行われました。パリサイ人達は、約1500年間、24ケ国で徹底的に滅ぼされ、教会は全世界に向かってのびて行ったのです。それで、ヨーロッパが復興して、米国がおきて、私達がここに座っているのです。 ・どのように、ステパノの話でこのようにすることができたのでしょうか? 1.私と皆様が信仰生活をしながら、最初に‘発見’をしなければなりません。何をするのか?も重要ですが、何を見るのか? がもっと重要です。今日、皆様に信仰生活の重要な発見があることを希望します。これが信仰生活に答えを受ける最初の条件です。 ・ここには、学生達もいて青年達もいます。皆様にまず最初になければならないことが、発見です。これが出来なければ、大事になります。今、私たちは多くの教役者、宣教師が全世界に出てきています。皆様に最も重要なのは、何をするのか? ではなく、発見です。本当にということです。死んでもかまわなくて、死ななくてもかまいません。もちろん、死ぬことがすべてではありません。その当時には、死ぬことが良い時代でした。しかし、いまはそうではありません。とにかく発見をしなければなりません。ステパノが相当なことを発見したのです。 ・キリストが何か、福音が何かを発見したのです。ところが、ステパノがメッセージをする時、死ぬと知っていました。しかし、堂々と死ぬことと関係なしでメッセージをしたのでした。ステパノが石に打たれて死ぬ時、聖書には天の門が開いて、イエス様が御座の右に立たれたことを見たとなっています。ステパノが膝を屈して、その罪人のために祈りました。そうしながら死んだのです。 ・イエス様が神様の右、御座に座ってくださった! こういう記録が出てきます。‘御座’という言葉がたくさん出てくるのです。ところが、聖書に唯一イエス様が御座の右に立っておられると一度だけ出てきますが、それがこの時です。イエス様が、ステパノが石に打たれる時、神様の右に立っていらっしゃったと出てきています。皆様、重要なことがおきれば、どのようにするのでしょうか? 立つでしょう。仮りに軍に行った息子が帰ってくれば、静かに座っているでしょうか? 運動競技で、早急な事が起きたら、全部みな立ち上がらないでしょうか? その時、静かに座っている人は誰もいません。 ・どれくらい重要な瞬間だったのか、ステパノが死ぬ時、イエス様が神様の右の御座に立っていらっしゃったとされています。このステパノは、重要な発見をした人です。今日、皆様に信仰生活をする真の発見があるように祈ります。それならば、答えがみなくるようになっています。クリスチャンにこれができないのです。3.1節の記念映画を見たら、アン・ジュンクンが裁判を受けるのに、日本人が‘被告、アン・ジュンクン!’このように言ったら、‘私は被告ではない。わが国を略奪して、たくさん殺して、強制的に抑圧する悪い人をなくしただけだ!’と言いました。だから死刑宣告されました。その中で、日本の検事の中にとても良心的な人が、この人を訪ねて話をしたのです。‘控訴しなさい! 控訴すれば、死なないでしょう。監獄に入って、あとで生きて出ることができる。’それで、アン・ジュンクンがした話が‘控訴はしません! 私は罪人でないために、その刑を受けても、私とは関係なくて、控訴をすれば罪を認めたことであるためにしない’と言いました。 ・その人は、自分のいのちをかけるほどの愛国者であることは間違いありません。なにか違うことを発見したのです。ミン・ヨンファン先生はこういう話をしました。‘生きている人の中に死者が多くて、死者の中にも生きている者が多い。’そのとおりです。皆様、今日、信仰生活をしながら、最も重要な最初のことが発見なのです。本当にキリストが、救いが何かを発見をしなければなりません。私は、この発見ができなかったときは、信仰生活がだめでした。 ・今日一人ももれなく、信仰生活が発見できる大きいみわざが起きることをお祈りします。私がたくさん話をしたのですが、牧師達が集まれば、はじめにした証しがこれです。私は幼い時から私たちの教会が戦うのを見ました。絶対に教役者や役員は、教会で戦ってはなりません。私は勉強が出来ないほうではありませんでした。幼い時から詳細に見る性格でした。私は、はじめから戦う教会で戦うことをあまりにたくさん見たのです。一番最初の教会がそうでした。今でもです。オーストラリアから開拓した教会ですが、どれくらい戦っているか分かりません。はなはだしくは、あまりにたくさん戦って、信徒達がみな出て行ったのでした。私たちの教会の信徒の中では、湖南の人々が多いのです。交わってみると、頭も良くて、熱い胸もあって、良いのです。私が見るのには、とても良い人です。ところが、その時は違いました。その問題を起こす人が全羅道の人でした。教会にきては、どれくらい問題を起こして戦っていたか、その時は、教会が難しくて、牧師を迎えることができなくて、伝道師に仕えていたのですが、その方にざぶとんを投げる程でした。本当に異常でした。その時は、床に座っていて見れば、献金を出す時、献金を棒に付けて回したのですが、はなはだしくは、その棒で戦ったのです。私は心の底から決心をしたのです。‘大きくなったら絶対に教会に行かない!’教会に通うこと自体が恥ずかしかったのです。私は祈りを絶対にしなかったのですが、祈りの課題がありました。早く大きくなって、教会に行かないことでした。やむを得ず通ったのですが、20才になって独立すれば絶対に教会に行かないと言いました。それで完全に滅びた人が私です。そのような教会でも、行かなければならず、出てしまったら変になりました。 ・はじめに教会を止めた時、どれくらい良いかわからなかったです。はじめに教会を放棄して、友人と列車に乗って遊びに行きました。山と海を見ながら、どれくらい良いかわからなかったのです。家に帰ってくれば、少し悩むことはしました。家に帰るのがいやで、完全に私は滅びました。時間もないけれど、内容は話すことはできません。私がその話を話せば、それで信じる人もいなく、信じたとすれば試みに会うでしょう。良くない試みに会う必要もないので、話をしません。一代記、新聞にも話しませんでした。世界福音化新聞に伝道一代記が出ていますが、ほとんどすべてではないことを知っていれば良いのです。私は隠しました。そうしながら止むえず教会に行ったのです。それで信仰生活をしたのですが、一つがだめだったのは、発見がだめだったのです。‘私は神様の子供だ。神様の子供なった祝福がなにか!’これがだめでした。 ・こういうことで伝道師になったのですが、どれくらい疲れたのか分からないほどでした。月曜日になれば、若いのにたわごとが出てくる程でした。伝道師になって3年後にキリストを知るようになりました! これが福音だな! 神様の子供になった祝福がこれだな! それもものすごく苦労して発見したのです。‘キリストということは、これだな! 神様の子供の祝福はこれだな!’この時から実際的に答えを受けました。その時から、いままで答えを受けています。だから、キリストがあらゆる問題の解決者であることを知っているのに、じっとしていることはできなくて、小学校に行って伝道をしたのです。すこし行ったのに、使命者の子どもだけで1000人が集まりました。それもすこし行って話したのに、そうでした。福音を話したのです。 ・そうしながら、中・高等学校に行って話をしました。当然、使命者が集まって、教会が復興するしかなかったのです。私が発見した瞬間から、そのようになりました。もしこのゆえに死ぬ事が起これば、死んでもかまわない、それ位の確信があるのです。ですから、‘発見’しなければならないのです。小さい子供の前でもイエスを否認したペテロが、ある日発見したのです。その凄じい法廷で、「世界中で、救われるべき名としては、どのような名も人間には与えられていないのです。」と言って、私たちはその事の証人だと言いました。 ペテロが言った言葉です。 ・パウロがこれを発見した後に、‘いままで私が悟ったことは、ちりあくた’だと発見したのです。どれくらい重要な発見をしたのか、この部分が信仰生活の全てのものです。ならないクリスチャンは、牧師、宣教師がここでならないのです。明日からする新しい家族の修練会で集中的に話そうと思います。新しい家族ということは、新しく悟りなさいということです。どのように敢えて神様の前で嘘をつくのでしょうか? なる、ならないではありません。答がすでに出てきています。この発見ができないことから、全てのものが始まるのです。 ・パウロは「本当にいままで自慢にしてきた家系、学閥は間違いないけれど、これがちりあくただ! 私がキリストを知っている知識が最も高尚である。」と言いました。今日賛美した賛美の主人公、クロスビーという人は盲人です。この人がキリストを知って、福音を知った後にした祈りです。‘神様! 私の目を開けないでください。私はこのままが良いのです。だから、私が目覚めて見る時は神様を見たいです!’この程度の告白をしたのです。この人がなにかを発見したのです。普通の人々が見ることができなかったことを見たのです。この賛美の4節の部分を見れば、‘主イエス様が空中に臨まれる時、私は起きて会います! あの天使とともに!’この人が重要な悟りをしたのです。信仰生活の最も重要なことが、発見です。私がこの教会で何をするか? これはそれ以後のことです。本当に発見からしなければなりません。それでパウロがエペソ1:13-19に見れば、エペソ教会のために‘神様が私たちに与えられた救いの秘密と、その受け継ぐものの秘密が何で、神様の能力が何か? を知っているように願う’と言いました。それがパウロの祈りです。本当に発見することを望みます。 ・この発見がだめになれば、信仰生活ができません。この祝福が今日、皆様に必ずあることを希望します。なんの話なのか分かるはずです。あらゆる教会の問題はどこで始まるのでしょうか? 重要な発見を出来ないことから始まるのです。今、教会が伝道と宣教をせねばならないのに、何からしなければならないのでしょうか? 発見からしなければなりません。どのように発見するのでしょうか? これが私たちに残された課題です。今、人物研究をしているのですが、たぶんパウロの部分に移ればよくなるはずです。たぶん、これから移りながら、ヤソンとかプリスカ夫婦とか、これくらいで出てくるでしょう。また神様が知るようにさせてくださるでしょう。 2. ステパノが、2番目に何を知っていたのでしょうか? いつでも歴史で、福音を持っていれば福音を伝えることができないように、サタンが愚かな者を活用して立ち上がります。信徒には戦わないで勝つ力がなければなりません。外国に出ているレムナントと学生達、青年達は、記憶なさるように願います。あなたがたが、霊的な戦いをする力を持って行かなければならないのです。ヨセフ一名に、兄達がみなはむかいました。歴史がそうです。ダビデという人を殺そうと、あらゆる軍人が全部動員されました。エリヤを殺そうと起きた 人々を見ましょう! エレミヤが‘私達が偶像を捨てて神様の前に帰ってこないと、あのバビロンに捕虜になっていくはずだ’と言ったら、それとともに他の人が罪名を付けて‘親バビロン派’と言ったのですが、エレミヤ33:1に見れば‘監視の庭’に捕えられたのです。‘地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。’ ・皆様、本当にこの祝福を発見なさるように望みます。すなわち、暗闇の霊的勢力を見たのです。それを見れば、勝つことができます。聖書をよく見ましょう! 初代教会が、この福音を伝えると、パリサイ人が集中攻撃をしました。異端にして置いて攻撃をしたのです。皆様が真の福音を悟れば、皆様の家庭が真の福音を悟れば、悪魔が攻撃をするのです。悪魔の策略は何でしょうか? それを見ることができないようにすることです。ジョン・ウエスレイ、マルティン・ルターみたいな人物がおきれば、異端にみな追い立てました。一度ももれなくということです。 ・日本が韓国を掌握している時、日本が悪霊の神社を置いて手をついて礼をしろと言いました。そうしておいて、教会に圧力を加えたのです。ホン・テッキという総会長に‘今回の総会で、日本の神社に手をついて礼をすることは罪ではない!’と通過させろと言いました。警察をみな動員して、通過させる時、見守っていたのです。ホン・テッキ総長が司会をした時‘私達が日本の神社に手をついて礼をすることは、国家儀式であって、それは偶像崇拝ではない。それで私達がみなすることに、総会で可決をしよう!’何名が‘はい’と言ったのです。そうでなければ‘No’と言えないように槌でたたいたのです。すると、日本の神社に手をついて礼をすることは、国家儀式だと思って、教会ですることに議決したのです。元々、政治屋はきもが小さいのではないでしょうか? 日本の警察が集まっているので、怖くてそのようにしたのです。きもが小さいからです。 ・その時に、反対した人物がチュ・キチョル牧師です。「私達がどうして悪霊の神社に手をついて礼ができるだろうか? 聖書にそのようになっているのか? それが偶像崇拝ではないか? 」その場で捕えられました。そして、キム・キルチャンという牧師が、総会人全員を連れて行って、日本の神社の前に手をついて礼をしたのです。それが、私たちの歴史です。より面白い事実は、チュ・キチョル牧師が叩かれて死んだのですが、平壌老会でチュ・キチョル牧師を除名してしまったのです。‘総会が決定したことについてこない’ということで、異端にしてしまったのです。それ以後に、平壌は永遠に滅びに陥りました。いまだに(チュ・キチョル牧師を) 回復させていません。いまだにチュ・キチョル牧師は異端の状態です。 ・ステパノは、それを知っていたのです。皆様は、信仰生活をしながら、反対のものも知っていなければなりません。どのように信仰生活をするのでしょうか?‘殉教信仰’を持ってしなければならないのです。だから勝利せざるを得ないのです。 ・それ以後に多くのことがおきました。使徒 8章にサマリヤの門が開いて、ステパノが死ぬ時、服を持っていたサウロが、パウロがイエスを信じる人を殺そうと行く時、ダマスコで事が行われたのです。実際に起きた話です。非常にものすごい人物であるから、神様が特別に働きをなさったのでした。サウロが歩いていくのに、上から光が射し込んだのです。そこで倒れました。その時、サウロの耳に‘サウロ! サウロ!’パウロがあまり驚いて‘主よどなたですか?’その時、パウロに衝撃的なメッセージが出てきたのです。‘わたしはあなたが迫害するイエスだ! 今、あなたが立って、町に行きなさい! そこにあなたを手助けする人がいる’ ・この時に、パウロが福音を伝える人を捕まえに行く時、伝道者に変わったのです。だから、大騷ぎが起こったのです。簡単に話せば、金正日党書記委員長が突然に韓国に降りてきて、韓国が良い! というように変わることと同じです。その時から起きた事件がものすごいのです。パウロがイエスを信じてしまってした告白です。‘私は使徒の中で一番小さい者! 知らずに教会を迫害した。私は月足らずで生まれた者のようだ。それで、私は罪人の中の頭だ。’私が考えるのは、まちがいなくパウロのその胸の中にステパノがあったでしょう。ステパノが死ぬ時、その証人で自信があったのでした。 ・今日、衛星で100箇所余りで礼拝しています。私達が本当に恵みを受けて、首都圏と現場を生かす恵みを受けなければなりません。来る道でたくさん考えたのですが、インターネットで、ともに礼拝をささげているゆえに、インターネットで5,000 家庭に入ります。韓国通信では、私達が最もたくさん活用します。それで、今は礼拝時間をすこし調節しなければならないようです。私はそのように考えています。礼拝を2度だけにしようかと思います。10時半、3時半、このようにすれば、時間にも何ら問題がないようです。ソウル、釜山を行ったり来たりすることも大丈夫なようです。ここで会議もして、対話もして、そうであれば良いのです。説教もちょっと豊かにして、そうであれば良いのです。これからは、本当に伝道運動をしなければならないのです。 ・どんな信仰を持てば良いのでしょうか? 殉教信仰を持てばよいのです。‘死んでも良い!’この信仰は止めることができません。もし刑務所に勤める人がいらっしゃれば、刑務所のなかで最も怖い人は、刑務所の職人ではありません。刑務所のなかでは、死刑囚が一番怖いのです。死ぬことを決定された人は、恐れがありません。一番怖いことは、死と関係ない人です。1人を殺して死ぬのも、1000人を殺して死ぬのも同じだと考える人です。私達が火の中に入っていけば、主が救ってくださるはずだけれど、たとえそうでなくても! 殉教信仰は誰でもすることではありません。その後の歴史を見ましょう! 私たち大韓民国を。殉教者が起こってきた国です! 初代教会を何故用いられたのでしょうか? 殉教者が起こってきた教会であり、ドイツとマルチン・ルター、ジョン・カルヴィンは、何故用いられたのでしょうか? 殉教者が起こってきた現場でした。 ・用いられるしかありません。どんな理由があっても、大韓民国は滅びないということを確実に分かることは、福音を伝える国であることが確かだからです。この信仰を持っていれば良いのです。わざわざ死ぬ必要はありません! ‘神様、私が死ぬ時は、必ず殉教するようにしてください!’こういう祈りはしないように願います。いまはわざわざ死のうと研究する必要はないのです。そのような祈りはする必要がありません。むかしには、イエスを信じるのが本当に難しくて、死ぬことも出来たのですが、いまはそうではありません。 ・いまは死のうと研究する必要がありません。殉教するという話は良い生き方をしたということです。そのような信仰を持っていたということです。殉教が問題ではありません。私達がどんな信仰を持っているのかが、どれくらい重要でしょうか? ステパノがどのように死んだのでしょうか? 聖霊充満を受けましょう! 皆様! 亡くなる時、よく亡くなろうとするなら、良い生き方をしなければならないのです。ステパノは、死ぬ時、聖霊充満させてくださいと言いました。私の友人の父はお手洗に座って死んだのですが、本当に困まりましたよ。ドアの鍵を閉めて死んだのです。ある人はバスで死にました。そのような人もいます。 ・ステパノは、聖霊充満している途中で死にました。ステパノは、神様の祝福を見て死んだのです。ステパノは、祈っている途中で死んだのです。聖書に見ると、眠ったと書かれています。皆様、本当に素晴しい信仰人になるように願います。福音はどれくらい重要でしょうか? 死のうということではありません。死んでもかまわない程に重要なのです! 果してこの発見ができているでしょうか? これがだめで、問題がくるのです。全世界の牧師と宣教師、主のしもべに本当に申し上げたいみことばは、方法でなく、本当に死んでもかまわないほどの勇気が必要なのでもなく、発見しなければならないということです。 ・日帝時代に、ソン・ヤンホ牧師やこういう人々が発見をしたのでした。全羅道側から、この人が神社参拝を反対しました。反対すれば、完全に死ぬのにです。こういうことで監獄に入っていったのです。どれくらい難しくさせたのか、その教会がこの牧師を罷免して、子ども達が孤児院にみな送られました。奥様が恥ずかしくて、なにかをかぶってご飯をもらいに回る程だったということです。教会がその牧師を保護すべきなのに、罷免してしまったのです。そのようなことを見ても、何ひとつ動じることはなかったのです。最後に出て行く時、手をついて礼をしないと出て行くことができないと言われて、もし手をついて礼をして行くならば、ここにいること言いました。それでも、一旦出て行くようにしてもらったのです。出てみたら、子供達が乞食になっていたのです。それでも、この方達は信仰を守りました。 ・‘太陽のように光るだろう!’というチュ・ナンソン牧師の本も読んでみる必要があります。いまは信仰生活をあまり気楽にしています。むかしに殉教した人々の本を読む必要があります。監獄に入って行くと、どれくらい苦しいでしょうか? ところが、寝るのに、眠り込むか? しないかという時に、息子二人が現れて‘パパ、ご飯!’というように話したということです。子供達が乞食になっていたのです。どうしたら良いでしょうか? 少しだけ譲歩すれば良いのに! こういう気がしました。その時、賛美が聞こえてきたのです。‘私のあらゆる試みを主イエスの前に告げよ!’こういう賛美が合唱で聞こえてきたのです。私が絶対にしてはならない。ところが、また夢を見たら、夫人が現れて‘あなたご飯!’というのです。実際にあった話です。そうしながら、眠りから覚めて目を開けて見たら、監獄でご飯を与えてくれたのですが、とうてい食べることができなかったということです。それで、食べなくて後ほど寝ていたら、神様が食事をしなさいと言われるので、 おいしく食べてしまったら、その時から本当に空腹でなかったとなっています。そうしながら、韓国が解放されたら、突然に英雄になって出てきたのです。牧師がその監獄に入っていってから、ある信徒が監獄の近くに引っ越ししてきて‘私のあらゆる試みの重い荷物を主イエスの前に告げよ’という賛美をずっと歌っていたということです。 ・殉教された人々の一代記を読んでみる必要があります。私たちはあまりに信仰生活を気楽に、あまりに内容もなく、いたずらにしています。だから人生がいたずらになるのです。この前、報告書を見ると‘韓国の信徒が教会に何故行くのか?’1位が‘不安だから!’でした。だから不安な人生になるのです。2位は‘家族がみな出ているから’行くらしいのです。何故行くのか? 発見ができていないということです。何故教会に行くのでしょうか? そこに対する答がなければなりません。それが人生の答になるのです。私たちは、本当に信仰を回復しなければならないのです。どれくらい、この大韓民国を用いられるのですが、大韓民国を難しくさせた人が目覚めたのです。共産主義と日帝が入って、押さえたのに勝ったのです。目が開かれなければなりません。 ・釜山出身の中に、チュイ・トックチェという女性の牧師がいますが、日本の神社に偶像崇拝か? それをしないというのか? 日本神社を作ること自体が滅亡の原因だ! と言ったら、当然に監獄に捕えられて入って行きました。それでもずっと話をするので、つめをみなむしり取ったということです。これをむしり取るのにも静かにしていないのでした。3つむしり取れば‘主よ’と言うのです。そうしながら、あまりにだめなので、日本の人が血は何の血かと尋ねたら‘イエスの血液型だ’と言ったということです。話を変えなさいと言っても、変えることができないと言いました。神社を作ったそれ自体で滅びるはずだ! 見ていなさい! このように話したということです。だから静かにさせせようと、ものすごく顧問をしたのです。それから、朝、昼食、夕方、夜このように4回礼拝、祈りをしました。国で福音を伝えることができるようにしてくださいと祈ったのです。大韓民国が世界福音化をさせてくださいと祈ったのでした。最初は口をふさがれて、後ほどは、できないように雑巾を口にくわえさせられたのです。それでも朝、昼食、夕方、夜に間違いなく祈りをしたのです。ある日、突然全部解放されて出てきました。それで、本を書いたのです。とても感謝しながら、この口がふさがれて、礼拝をささげられなかったら、女の囚人がひとり出てきて、表に出ないように狂っていたのです。悪霊に取りつかれていたのです。その人が、入ってきては礼拝時間になれば、口にある雑巾を抜いてくれたそうです。一度も抜けずに一日に4回ずつ礼拝をささげたということです。ある日、みわざが起きたのです。 ・殉教の信仰人たちは、なにかを発見したのです。人々が死ぬ、生きることを離れて、私たちはなにかを発見しなければなりません。ペテロ ヨハネと一緒に、足のきかない者を注目して見て! よく見るべきです。皆様がだれでしょうか? 神様の子供です。それで答えを受ける信仰人にならなければなりません。伝道する! 地位を守る! こういう心配をしないようにしましょう。私達が正しい信仰を持っていればみわざが起きるようになっています。発見だけできれば、長老達、役員は単純な祝福ではありません。祝福を受けるようになっています。理由があるのです。私はそれに対する確信があって、証拠があります。ここで何も話さないで、現場に福音がなくなったのに、首都圏に 2000ケ所福音を持って入って行きましょう! 私が今週一般信者宣教会の時、重要な話をしようとしています。 ・真の殉教信仰、真の発見をできるようにイエス様のお名前でお祈りします。 <<契約の祈り>> 神様、愚かなクリスチャンにならないように、発見できる目を開けてください。神様が生きておられることと、みことばの秘密とイエスがキリストであることを発見する霊の目を開けてください。私たちクリスチャンが、社会で恥にあっています。霊的な目を開けて下さい。未信者の前に受けた祝福がないので、イエスを信じる人だと口に出して言えないでいます。発見するようにさせてください。多くの公務員の中に、軍人の中に、よく信じる方達がその方に神様の祝福を説明できないのです。発見する信仰を与えて下さい。それで真の勝利がずっとなるようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン! |