(2002年 4月 21日インマヌエル教会 聖日メッセージ/
柳光洙 牧師)
1部/ 断食に関して
(マルコ2:18〜22) 今日、皆様に真の祈りの答えの祝福があることを願います。今日、断食に関する話が出てきます。短い部分でみれば、イエス様が断食するなとおっしゃったと感じられます。しかし、そのような言葉の意味ではありません。今日あなたがたが本当に祈りの答えを受けることができるでしょうか?
それならば、私はどのように祈りの答えを受けることができるのでしょうか?
いったい断食とは何でしょうか? 断食の祈りは何故しなければならないのでしょうか?
すると、イエス様は何故するなとおっしゃったのでしょうか?こういう部分を理解しなければならないのです。
皆様が貴重な時間を出しているゆえに、神様が与えられる貴重な恵みを受けるべきです。また、一部の国外では、インターネットで礼拝をささげているゆえに、大きい恵みを受けるべきです。ある人は、行く所も多いはずだったのに、あきらめてこちらにきたゆえに、それだけ恵みを受けなければなりません。皆様が祈りの答えだけ受けることができるならば、その代価は充分でしょう。皆様が本当に祈りの祝福を味わうことさえできるならば、世の中のどんなこととも変えることができないのです。
いったい人間はどれほど祈りの答えを受けることができるのでしょうか?
創造の神様が、創造の祝福を下さるくらいに答えを受けることができます。すると人間はどれだけ失敗できるのでしょうか?
悪魔のようになって、悪魔のしもべのようになる程にまで失敗できます。獣はそのようなことができないけれど、人間はそのようなことが出来るのです。自分のことをみな出して、他の人を救うことができるけれど、もう一人の人のものを奪うために殺すこともします。人間はそのようなことがあるのです。皆様が神様が共におられる大きい祝福を受ける事もでき、完全に滅びることもできます。
今日、まず祈りの答えを受けるために、聖書には断食の祈りがどう書かれているかを注意深くみる必要があります。モーセが荒野を行く間に、あまりにも大きい困難にたくさん会いました。モーセを理解して手助けする人は、それほどいませんでした。ところが、荒野を行く途中に、あまりにも多くの困難に会ったのです。その時見れば、重要な時にモーセが断食する部分がたくさん出てきます。それで老人モーセに神様が相当な力を許された記録があります。仮りに皆様の中で、断食祈りをした経験があるならば、だいたい理解できるはずです。ひょっとしたら、皆様の中には、過去、最近に祈ってみた経験がある方達もあるでしょう。仮りに皆様の中で一度も断食祈りをしてみなかったとしても、ある程度の予測だけできるはずです。聖書に見れば、ダニエル10章にダニエルは寝ることもせず、ご飯も食べないで祈る部分が出てきます。その時、神様がダニエルに時代的な答えを下さったのでした。このように、断食祈りということは、相当な力を持っているのです。
ある日、あなたがたが祈りについての祝福を回復しながら、断食祈りが何かに対して考えてみるべきです。福音を知らなかったイスラエルは、結局は滅びました。その話は、皆様が福音を知らなければ、結局は滅びるということです。イスラエルが滅んで、奴隷になって、奴隷になってしまいました。その時に、イスラエルが捕虜になっていたのですが、その国の総理一名が、イスラエルの人々を詳細に見たのです。ところが、イスラエルの人々がものすごく知恵があるということを見て、この総理がイスラエルの人をそのまま置いておいてはだめだという気がして、イスラエルをなくすべきだと心に決めました。そのような中で、イスラエル人一名が、自分の気に入らなかったのです。その人が途方もないお金と人を買収して、イスラエル人を殺すのに全力を尽くしたのでした。皆様がおわかりの通り、その人がまさにハマンという人です。バビロン、メディア・ペルシャで起きたことです。この人がイスラエルをなくすべきだと考えて、完全な計画を立てて王にまでも許しを預かったのに、ひとつを知らなかったのです。王宮のなかで王の相当な寵愛を受けているエステルがユダヤ人だということを知らずに、事を遠慮なく進行したのです。それが神様の計画なのかもしれませんが、ハマンには失敗だったのです。皆様がよく知っている事件でしょう?
この事実をエステルが知るようになったのです。ところが王が呼ばないと訪ねることができないので、イスラエルは三日のうちに死ぬことになったのでした。それで、エステルが死ぬことを覚悟して王の前に行ったのです。ハマンという人が、イスラエルに汚名をかぶせて死ぬようにさせるという事実を言うために入っていく瞬間の記録がエステル書です。簡単な事件ではなくて、イスラエル民族が全部死ぬか、でなければ生きるかという問題です。この時、エステルが王の前に行く前にしたことがあります。すべてのイスラエル民族に誰もご飯を食べず、断食しながら祈ってください!
私も三日間断食して祈って王に会いにいくと言ったのでした。皆様がどんな事件がおきたのかよく知っているでしょう?
想像もできない事件がおきたのです。これが祈りの力、断食祈りの力です。
皆様の中で、本当に事が解決しないならば、断食祈りをしてみる必要があります。皆様の中で、本当に個人の問題が解けない人は、してみる必要があるのです。皆様の中で、本当に危機がきたとすれば、してみる必要があります。私に本当に解決出来ない難しい問題がきたとすれば、してみる必要があります。このように断食の祈りは、ものすごく重要な祈りです。たぶん皆様が三日だけ断食祈りをしても、一生の答えを受けることができるでしょう。皆様が時間をつくって何日かだけ断食祈りをするならば、ほとんどあらゆる問題は解決します。私はそのような体験を多くしました。ちょっと重要な時は、祈りを多くしてみたのです。
柳)) むかし、人々はよく知っているでしょうが、私たちの教会が初期には年初になれば、信徒全員が断食しながら祈りました。そして、私がものすごく重要なことを決定する時は、断食しながら祈りをしました。私が今、振り返って考えてみれば、全部みな答えです。それで、断食祈りが本当に重要だということを悟りました。
使徒12章に見れば、使徒ペテロが死ぬことになりました。世の中のことで話せば、教会が滅びるようになったのです。この時、初代教会の人々が、一人ももれなく寝ることもせず、ご飯も食べずに祈ったのです。想像することもできない事件が生じました。突然に、イエスを信じる人々を最も困らせたヘロデ王が死んだのです。どんなに強い人でも、そのようになれば、考えが変わります。それとともに、刑務所の中では奇跡がおきました。このようにして勝利する記録が聖書に記録されています。これくらい断食祈りは、重要な祈りです。今日、あなたがたが考えてみる必要があります。
もし、麻薬に苦しめられるならば、断食祈りが最も良いのです。皆様のからだの中にある毒を抜き出すことができる最も早い方法が、断食祈りです。皆様に本当に重大な事件があるならば、断食祈りをしてみる必要があります。使徒27章に、暴風に会って皆死にそうになった時、14日間暴風の中にいながら、パウロはその時、祈ったのです。神様は、パウロに答えを下さいました。
"パウロ。恐れるな! あなたは、カイザルの前に立たなければならない"
簡単な答えです。死ぬことが出来ないのです。あなたが福音を伝えるから、恐れないで。これが断食祈りの秘密です。
では、イエス様は何故、断食祈りをするなとおっしゃったのでしょうか?
これは、断食祈りをするな!というように聞いてはなりません。4福音書を読む時には、前に宗教を意識しなければならないのです。イエス様がこのようにおっしゃったのは、パリサイ人を批評して言われた話です。皆様が断食祈りをしなければならないのに、必ず記憶しなければならないことがあります。福音を知らない断食祈りは有益ではありません!そのまま宗教的にする断食祈りは有益がないのです。そのような祈りをする必要がないということです。あらゆる宗教は断食祈りをみなします。法則に縛られてする断食祈りがあります。イスラム教をご存知でしょうか?
人を何名殺しても断食祈りをします。ラマダンというものがありますが、全国民が断食祈りをする期間です。それから、山に行ってテロ犯を育てて、人を殺す計画も立てて、武器も作っておかしな行動をします。それがイスラム教です。また、断食祈りを最も良くする団体もイスラム教です。ところが、事故を最も多く起こすのもイスラム教です。これから、伝道運動の中でイスラム圏が最も問題になると見ています。今でもイスラム圏では、イエスを信じる人が来れば殺してしまいます。といえども断食祈りをするのです。そのような断食祈りをして良いでしょうか?
また、イスラエルの人々が法則を定めて断食祈りをします。それで、イザヤ58:1〜6
に真の断食はくびきを解くことだとあります。そのような意味で言われた言葉です。断食祈りをしてはならないということではありません。あらゆる宗教に断食祈りはみなあるのですが、福音も知らずに断食祈りをして良いのかということです。
今日、皆様が必ず悟らなければならないことは、どのようにすれば信仰生活を良くできるのか?
というように考える人が多いのです。皆様が信仰生活を上手にやること以前にしなければならないことがあるのです。早く宗教と福音がなにかを区分しなければなりません。それが信仰生活を良くすることです。今夜の核心の時に出てくる律法と福音、皆様が必ず区分しなければならないことです。私が知っていることでは、ほとんどすべてがこれを区分できません。必要でないということではありません。区分することができてこそ、信仰生活になるのです。その時、皆様の霊的問題はすべて解決します。今晩に核心メッセージを必ず聞くべきです。
それも知らずに断食祈りをして良いのか? それも知らずに信仰生活して良いのだろうか?
悪霊に仕えることが宗教人なのに、それを区分できなくて良いのかということです。皆様がサタンのお手伝いをして、そのしもべのようになって仕えることが宗教人ですが、それを区分することができなくて良いのでしょうか!!
皆様が、律法と救いを区分することができなくて良いのかということです。
柳)) 核心の時に話が出てくるでしょうが、私が初めてソウルに来るようになった時、はっと驚いたのです。私は初めてソウル来た時、牧師達だけを集めて講義をしました。初めて行った教会は、教会も狭いのに、後に幕屋を作って置いてありましたよ。それで、何故置いてあるのかと尋ねたら、幕屋は重要であるために置いていると言いましたよ。韓国で幕屋を作って講義して、幕屋を売る人もいます。間違いないことは、この方たちは、なにかを知らずに作っているということです。そのまま講義を聴いて作ったのでした。皆様の中にも、たぶん幕屋の講義を聞いたことがある人はいるでしょう。それは終わったことなのです。旧約の幕屋が重要なくらい重要だと話しているのですが、既に終わってしまったことです。だから、牧師達が律法と福音を区分出来ずにいるのに、一般信者がどのように区分するのでしょうか?
ところが、この方は私が予想したとおり、タラッパンをしている途中で結局は止めたのですよ。
断食を無条件にすべきではありません。福音もないのに、40日も断食しても良いのかということです。40日断食をすれば、からだのあらゆる毒、しみ出てくる液がみな出てしまいます。皆様の免疫が途方もなく落ちるために、40日の断食は誰でもすることではないのです。福音もなく断食してはならないのです。そのような祈りをして良いのかということです。ユダヤ人達が、いつもそのようにしたのでした。ものすごく重要なことです。神様が答えてくださることなのか、悪霊が答えることなのか区分を良くすべきです。占って、グッ(降霊術)することは、悪霊が答えることなのに、その上に人生をかけても良いのかということです。イエス様がなさった話は、その話です。断食するなということではありません。仮りに福音を知っている皆様が断食をすれば、相当な働きが起きるはずです。
今日この時間に長い話は出来ませんが、皆様は祈りの秘密を回復すべきです。私達がしなければならない断食の祈りはどのようなものでしょうか?
使徒12:1-25、ヤコブも死んで、ペテロも死にそうになりました。私達が神様のみこころを発見しなければならない重要な時期に断食するのです。聖書に見れば、使徒13章に断食が出てきます。本当に聖霊の導きを受けなければならない重要な時に断食したのです。神様のみこころは知っていたのですが、危機がきてしまいました。使徒27章で食べないで祈ったのです。事実、その時は断食祈りになったのです。食べることはありえない状況になったからです。
今日、私達は、断食祈りという秘密を持って原理をいくつか悟るべきです。今日、皆様が祈りの答えを必ず受けるのには、いくつかの原理があります。福音を悟った皆様に祈りの答えの秘密が現れなければなりません。
最初、自分を克服する程、祈らなければなりません。食べ物を食べないことが最も早いのです。皆様が、10日間食べないでいれば、どれくらいたくさん食べていたかということを知るようになります。皆様が一週間程だけ食べなければ、人間がどれくらいひもじくなるかということが分かるようになります。ご飯がおいしくない方達は、断食をしてみるように願います。もしおかずに不平がある男性は三日間だけ断食祈りをしてみましょう。すると、皆様の夫人がどれくらい腕前がよいのか再発見するようになるはずです。これは、みな腹がいっぱいで、‘自分'ということが破られないからです。それならば、断食しなくても、この原理を知っていなければならないのです。
皆様が祈りの答えを受ける最も重要なことは、問題は‘自分'です。教会が問題ではなくて、私が問題です。
今、夫が、仕事をすることが問題ではなくて、私が問題なのです。皆様がこの部分を悟ることが、祈りの答えの最も最初です。ガラテヤ2:20、私がキリストとともに十字架に釘付けられて、これからは私が生きているのではなく、私の中にキリストが生きておられる。この部分は必ず覚えなければなりません。社会生活とも、教会復興にも関係があります。
ある牧師は、何故教会が復興できないのかと悩みます。よく考えてみましょう。この部分で全てのものが解決します。‘自分'ということが全部です。私のために生きない人はいませんが、私のための方法、これが問題なのです。文句が多くある人はいませんか?
その人の最も大きい問題は、環境ではありません。まさに‘自分'です。他人の話を多くする人がいますか?
他の人が問題ではなく、問題は‘自分'です。この人は、発見できないとものすごく重要な答えを受けることができないのです。このように正せば、あらゆる宗教は‘自分'です。私がどのように答えを受けて、私がどのように特別になって、私がどのように手をついて礼をしたところ答えを受けて...
私がどのように... 全部‘自分'です。
しかし福音はそうではありません。これから私はキリストとともに十字架に釘付けられたので、今は私が生きているのではなく、私の中にキリストが生きておられるのです。すると、私が死んだのではなく、私の中にキリストがおられる、それで私が新しく生きるのです。
私は福音を見ると、本当に完壁なのです。自分自身を見る時、本当に福音が必要です。私ができることはありません。問題は私が問題です。これは自分を滅ぼすことではありません。これは自己否認でもないのです。これは自分自身を最もよく悟ることです。本当にキリスト。この部分で、すべての部分がみな出てくるのです。ここは社会生活、牧会に成功するあらゆる秘密がみなあります。皆様の信仰生活、祈りの答え、すべてみなあるのです。自分のために断食祈りすることと、神様の計画のためにすることは、開始から別のことではないでしょうか?
ここであらゆる答がみな出てきます。
柳)) 私が知っている牧師一人は、伝道師の時、本当に良くしたのに、牧会が出来なかったのです。私はその方が何故そうであるのかをよく知っています。どうかといえば、一生直せません。なんでも‘自分中心'でしていました。そのために、それ以上できなくなっているのです。すると、副教役者はできるけれど、大きいことは出来ないのです。
ボスと指導者とリーダーは違います。ボスはいつでも前に立って行きます。リーダーは一緒に行きます。指導者は、見えなく、行かずに他の人を行くようにさせます。韓国の政治も指導者が出てこず、ボスが起こっています。これは、政治だけに関することではなくて、牧会までみな関係しています。皆様、青年会、教会学校を復興させることも、みなこの秘密の中にあります。‘自分'ということが現れる必要はないのです。あらゆる人が行くようにさせてあげれば良いのです。すると、傷がある場合もありますが、それでもかまいません。牧会は、他のことではありません。私が牧師だから、私に付いてこいということは、牧会ではありません。それが宗教式牧会です。役員、一般信者の一名一名がどうやって行くことかを考えて、手助けすることが牧会です。
祈りも同じです。私のためには祈りではありません。それは、宗教人が肉体的なこと満たすためにすることです。この断食は簡単な話ではありません。私が見る時は、ものすごく重要な話です。ところが、ある人は、自分の欲求を満たすために断食する人があります。それは死ぬ道です。それはまず福音ではありません。皆様が今日、本当によく悟らなければなりません。人を全部無視することも‘自分'中心ですが、人前によく見せるために、人に神経を使うことも‘自分'中心です。それが決定的な問題でくるということを知っていなければなりません。すると、‘自分’は必要ないのでしょうか?
そのようなことでもありません。この話をよく悟らなければなりません。それで、私たちはこういう部分をよく悟れば、こういう結果でしきりに息をふきかえすのです。
私がインマヌエル教会ですることは一つしかありません。どのようにすれば、私たちの教会の信徒が神様の祝福を受けて行くように、お手伝いができるか?
どのようにすれば、私たちの長老と役員、聖徒が祝福を受けて、答えを受けるか?
私たちのレムナントが、どのようにすれば、神様が願われる道に行くようにしてあげられるか?
そこに私がする役割はなにか? できなくても、その考えをしなければなりません。それが祈りです。すると、できなくてもそれが答えです。
弱い自分の中心でするならば、どのようになるでしょうか?
それで、断食という話は、そちらに最も関係がある話です。とても重要な話です。
あなたがたが、どの程度祈るべきでしょうか?
‘自分'ということを克服する程祈れば、本当に働きが起きます。ピリピ2-4章を読んでみれば、何が出てくるでしょうか?
私たちは、色々な難しい環境があります。環境を克服するのです。それが祈りです。環境を克服する程祈れば答えを受けます。パウロは、このように話しました。苦難が来ても良いのです。イエス様も苦しまれなかったでしょうか?
それで、イエス様が万軍の主になられなかったでしょうか?
私が世の中のあらゆる事をちりあくた(排せつ物)に思う。キリストを得なかったでしょうか?
私を強くしてくださる方にあって、私が全てのことをすることができるのです。それが祈りです。何の話なのか分かるでしょうか?
皆様、祈りは 3種類を克服しなければなりません。
1. 私を克服しなければなりません。
2. 環境を克服しなければなりません。
3. 時間、空間を克服するほどの信仰がなければならないのです。
たとえ皆様はここにいても、皆様の家族、親戚、知っている人達は他の所にいます。皆様が真理を知って祈るならば、他の所で働きが起きるようになっているのです。なぜならば、聖霊は時間、空間を超越するためです。皆様が本当に祈りの答えを受ける秘密を回復するように願います。それで、こういう秘密を早く悟ることが、福音を持った者の断食祈りです。それならば、断食はしても良いことで、しなくてもかまわないことです。
柳)) 私が、私たちの教会で断食祈りをずっとしてきて、しないことに決定しました。何故でしょうか?神様は私たちを既にご存知ではないでしょうか?
はじめには 2-3日ずつ断食しながら祈りをしました。本当に良かったのです。ところが、私が断食をするのに、そばである方がラーメンを作ったのですよ。その時、ラーメンの香りがそんなに良いということを初めて知りました。それで、家に帰ってラーメンを作って食べるべきだと考えました。また、教会の執事に会ったら、隠れてこっそりと菓子を食べるのを見るようになりました。それとともに‘私達がこのようにまでする必要があるのだろうか’という気がしたのです。どれくらいおかしなことでしょうか?
時間を合わせて12時になればご飯を食べ始めることが祈りになるでしょうか?
それで、その翌年に私達が祈るのに、断食をしても良くて、しなくても良いと宣布したのです。そうしたところ、全部みな食べたのですよ。断食をしたとか、しなかったということではありません。私達が、祈りがなにかを知っていなければならないのです。
祈りということは、一番目が私を克服することです。あらゆる宗教は、中心が‘私'です。私が解脱して、私が道を会得しようとすることは、みな宗教です。私たちはそのようなことではありません。皆様が今日、必ず悟らなければなりません。創世記3章とサタンの権勢に捕らえられていた私は死んでしまったのです。私の中にキリストが生きておられる。皆様がこれだけ悟れば、全部勝利するようになっています。
ある方が、こういうことを話したのですよ。若い方が結婚するようになったとして、媒酌にしてくださいと言ったのです。私たちは牧師様の時間ができる時まで待つと言うので、しないわけにいかなかったのです。それとともに、できれば他の人が休むのに妨害にならないように平日にしてくれと言ったのです。若い人々ですが、他の人を配慮することができる、成功できるほどの人々でした。そのような人は、社会生活すれば成功します。あなたがたが、社会生活するのには、そのように難しくありません。皆様がどんなに神様の前に立ったとしても、社会生活ということは違います。他の人にたくさん配慮しなければならないのです。それができないのに、法則、原則、律法まで正せばより問題がくるのです。私たちは、多くのことを考えなければなりません。祈りの答えを受ける秘密の中に、あらゆる生活、人生、成功が全部みな入っています。これは妥協をしようということではありません。皆様が職場で上の人も重要ですが、そばの人も配慮することができなければならないのです。すると、成功するためではないのですが、まちがいなく成功するようになるはずです。皆様はじっとしているのに、まちがいなく昇進するようになるはずです。皆様がそばの人を考えないと、まちがいなく昇進ができません。どんなに仕事を良くしてもです。世の中の原理もそうです。すると、祈りはより重要です。‘自分'ということを克服することができなければ、本当の祈りではないのです。それで、今日、本当に祈りの答えを受けてくださるように願います。
そして、環境を克服することです。私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。その話をする時、パウロはこう話しました。貧しくても良い、それでも私はできる。あっても良い、それでも私はできる。なければならないものはなく、あってもかまわないし、なくてもかまわない。私を強くしてくださる方によってどんなこともできるのです。この人達は、まちがいなく祈りの答えを受けます。何の話なのか分かるでしょうか?
環境がどうであっても関係ないのです。私がその環境の中にいるように見えるけれど、私は強くしてくださる方の中にいるということです。それで、どんなことでもできるのです。これは目標を達成したということではありません。皆様が3種類を必ず記憶しなければならないのです。
ここに女の学生達がたくさんいます。あなたがたが嫁に行ったら3種類だけしましょう。最初、無条件におとなの話に従順に尋ねてしましょう。そして、小さなことでも夫に尋ねてしましょう。皆様の周囲の親戚に神経を使いましょう。皆様はまちがいなく家庭教育ができている女性だと認められます。すると、あらゆる人は皆様を愛すはずで、皆様ゆえに伝道の門も途方もなく開くはずです。それがものすごく重要です。
ここには、男子学生もいます。皆様は男であるゆえに、いつでも、どのようなことをしようが、前後左右、そして、現在、過去、未来を早く注意深くみて仕事を進行しましょう。皆様がどこに行っても成功するはずです。その時に、自分が誰なのかが分かるようになります。私は罪人であったのに、救われたのだなあ。私がこういう中で生きているんだなと分かるようになります。牧師達は、より一層そうです。指導者は、より一層そのようにしなければなりません。なんでもない話のようですが、ものすごく重要です。
霊的な問題を持った人は‘自分'の他には全く考えることができません。皆様、精神病院に行ってみれば、彼らは絶対に‘自分'の他には考えることができません。霊的問題を持った人であるほど、より一層そうです。私は私たちのタラッパン運動をすれば、そのようなことをたくさん感じます。私のために多く祈ってくれているのですが、あらゆる部署間で、隣との関係がよくなりません。共通点です。私が見るのに、十分にできることなのに、お互いだめになっているようです。それが体質的にできないようで、霊的な体質のようです。これは、普通の問題ではありません。私がどのようにこれを変えてあげることができるでしょうか。ほとんどみな、部署間で対話ができず、することも知らず、することもできなくて、することができるのにもしないのです。この人達は、これで社会生活ができるでしょうか?
本当に遣る瀬ないことです。
必ず記憶しなければなりません。自分はだれか?
これを悟れば良いのです。‘創世記3章の問題にだまされるほかない私’は死にました。すると、私のためはありません。‘キリストの中にある私'。‘救われた私'です。‘むかしには悪魔のお手伝いをした私'ではなく‘神様の子供の私'です。これを悟れば、祈りの答えがきます。これ一つも悟ることができないのに、神様の祈りの答えがこないからといって良いでしょうか?
神様、私がこのように断食と祈りをしたのに、神様はいらっしゃるのか、いらっしゃらないのか、今、目をつぶっていらっしゃるのか?
何故、答えをなさらないのか、としても良いでしょうか!
私が問題ならば、全てのものが問題になります。そばにいるこの人が詐欺師でもかまわないのです。私が詐欺に会わなければ良いのです。私が詐欺を会わなければ、この人は詐欺師ではありません。そうではないでしょうか?
私が詐欺に会うので、詐欺師になるのです。‘自分'ということがどれくらい重要でしょうか。‘牧師が私を知らないからで、私の夫を知らないからで....,
'そうではありません。私は知っています。‘皆様が何を知らなかったのか'というと、皆様の夫と子供と家族が霊的問題にかかったという事実を知っていないのです。それを知っていれば、私が何をすべきか分かるようになります。問題は‘自分'です。
私達が本当に信仰生活で祈りの答えを受ける秘訣、断食が問題ではありません。何も知らずに断食をして良いのでしょうか?
イエス様がなさったみことばが、まさにその話です。そして、むかしのことをそのまま持っていて良いでしょうか?
新しい酒は新しい袋に入れなければならず、古い袋に入れて良いでしょうか?
ある愚か者が、リヤカーを作ろうと飛行機の車輪を引いて来るでしょうか?
そのような方法です。私たちはよく知っていなければなりません。皆様は、神様のみことばをよくわかる耳がなければならないのです。すると、実際には祈らなくても答えがきます。それならば、私達が考えて行動すること自体が答えになるのです。
今日、皆様が断食祈りに対する秘密と原理を理解するように願います。すると、あなたがたに相当な答えの門が開くはずです。3種類を克服しなければなりません。‘自分'です。2番目‘環境'です。私を強くしてくださる方にあって、どんなこともできるのです。私たちは‘時間・空間’を超越できます。たとえ皆様の子供は外国にいるとしても、祈れば良いのです。聖霊なる神様は、全宇宙と世界を治めていらっしゃるからです。今日、皆様が本当の祈る答えがあるように願います。祈りの答えを受けるようになるはずです。それで、本当に皆様が祈る中に答があると思う時、断食もしてみるように願います。
今日、あらゆるインマヌエルの家族に神様の大きい祝福があることをイエスの名前でお祈りします。100箇所余りで衛星で礼拝する教会に、この祝福があふれ出るように願います。特に、衛星で神様のみことばを受ける神様の人々にこの祝福があるように願います。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日短い時間ですが、答えの門が開く時間になるようにさせてください。祝福の門が開く時間になるようにさせてください。今日この時間に大きい霊的問題が解決になる時間になるようにさせてください。まさに私達に私が誰なのか知る時間になるようにさせてください。まだ創世記
3章の中にいる私ではないことを悟るようにさせてください。キリストの中にある私であることを知るようにさせてください。それで環境を克服して、時間空間を超越する祈りの秘密を今日、悟るようにさせてください。今からあらゆる答えの門が開くことを信じます。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
2部/ コルネリオが受けた祝福
(使徒10:38-48) 今日、皆様は、1部礼拝のメッセージを記憶しなければなりません。私が誰か?この部分に対する理解がなければ、自分を捨てることができないために、自分がとても強くなります。ここであらゆる解釈が出てきます。ものすごくイエスを信じて見れば強い者もいます。なにか自分を発見できないのです。また、ある人は良くならないので気落ちする者もいます。キリストの中にある自分を発見できないのです。固執がものすごくある人もいますが、自分を誤って発見したのです。人中心に熱心に生きる人もいて、人とは関係なく神様中心で生きる人もいます。みな自分を誤って発見したのです。自分を発見することが、とても重要なキリストの中にいる私を発見することです。それが祈りの答えを受けるのにものすごく重要です。そのようになる時、環境を克服できて、時間・空間を超越できるのです。皆様にはものすごく重要な時刻表が来るようになるはずです。
今日、コルネリオが受けた祝福を見ながら、同じ祝福を受けることができるために確認します。私は、ちかごろニュースで大統領になりたい人々の姿を見ながら、おかしな気がしました。おもにその方達がソウル大学出身で、法科関係の人が多いようです。私の考えでは、ソウル大学と司法研修院には、聖書を教えなければならないという考えをしました。はじめから終わりまでよく知らないので、そのような問題がくるのです。リンカーン大統領のような人は、そのようにして大統領になったのではありません。幼い時から信仰生活をしていたのですが、市場に行きました。人なのに売られる奴隷を見たのです。幼いリンカーンがせつなさを感じて父に尋ねたのです。何故人を売ったり、買ったりしながら、何故あのように殴るのか?
それで、リンカーンのお父さんが言ったのが、解決することは難しいが、立派な大統領が出てくれば、法律で変えることができると言ったのでした。その時、リンカーンは祈ったのでした。その時から祈りました。もし大統領になると、このような事をせねばならない!
と。それで、候補で出てきた時、こう話したのです。ガラテヤ3:28を持って出てきたのです。キリストのなかでは、ユダヤ人でもギリシヤ人でもしもべや男や女子でもみなひとつだ。それひとつを持ち出しました。もちろん、歴史上でさがすのが難しい大きいくらいの票を得たのです。いままで大統領をした人の中でお金を一番少なく使って、最も大きい票を得た人です。
そのような人を見ながら、せつないことを感じます。学校に通っていた時見れば、男のような女の人を一度くらいは見ました。ところが、歳月が過ぎて見れば、勉強を良くする子供は政治をして、できない子供は良くない所へ行ったのですよ。言わば性質で出てきたのです。ほとんどが、野望を持ってするから、問題がくるのです。神様のみことばを知らないからです。ところが、聖書を知っていれば簡単です。人々は嘘をよく信じて、神様のみことばは信じません。ここにいる人もそのようなことがあります。人はよく信じながら、聖書は信じないのです。
神様のみことばには、国家についての預言が出てきますが、そのままなっています。また末世の時に起きることも出てくるのですが、そのままなっています。マタイ24、25章、ヨハネ黙示録に見れば、そのとおりになっています。神様のみことばを信じれば良いのです。政治、経済人が困難にあうことは、これを信じないからです。人々は、神様のみことばを信じなくて、占い師の話を信じるのです。この頃では、執事だけを専門的に占ってあげる人がいるということです。ソウルにはそのような人が多いのです。正確に話せばだれでしょうか?
悪霊に取りつかれた人です。悪霊に取りつかれた者に私の人生を任せるのに、どのように成功するのでしょうか?
この人達が、また神様のみことばを信じないのです。信仰生活は簡単です。
イザヤ40:8に、主のみことばは永遠に立つと言いなさいとされました。今日、コルネリオが受けた祝福、初代教会の聖徒が受けた祝福をそのまま受けるように願います。ほとんどみな人々が、神様のみことばを信じないのです。使徒27をご覧になったことがあるでしょうか?
パウロが祈っていて、出航すれば暴風に会うと言いました。それで、百人隊長が中断すれば良いのに、船長に尋ねたのです。その人のほうが経験が多いからです。多くの人の意見を聞きました。パウロの話を無視したのです。その船がそのまま行く時、突然に暴風に会ったのです。簡単な話のように聞こえるけれど、今日の人々の姿です。
私は、今日心より神様のみことばをお伝えします。この地で、何故立派な人々が困難にあうのでしょうか?
嘘を聞くからです。神様のみことばを知らないからです。聖書は完璧です。皆様がおわかりの通り、ある人が聖書は神様みことばに間違いないのか?と研究している途中で降参したのです。この人が書いた作品がベンハーです。この人は、神様のみことばに反対するために研究した人です。有名な作家スコットという人は、死にそうになった時に、家族がみな集まった席で息子に話しました。私は死ぬようだ。本を持ってきなさい!
この人が書いた本は本当に多いのです。長男がどの本を持ってくるのか?とたずねたら、私がこれから死ぬのに、何の本が必要だろうか?
聖書を持ってきなさい! 神様のみことばを持ってこいということです。みことばを子供に与えながら話をしたということです。ボールドウィンという人がいました。この人は、勉強を多くした人なのに、聖書は50年後にはなくなると予言しました。何故なくなるのでしょうか?
話が合わないと言うことでした。話にならないことも多くて、前後の話が一致しなくて、必要ない話もあまりに多い。科学が発展すればなくなると言ったのでした。50年が過ぎました。この聖書は英語を含んで
200何国語に翻訳されたのです。この聖書は全世界の人々が読むように広がりました。もちろん、その人の言葉はたわごとになりました。よく知らないからです。
神様がいない! いまはいない! これが共産主義です。この共産主義がどのようになったでしょうか?
中国、ソ連、行ってみたでしょう? どれくらい悲惨になったでしょうか?
私は、はっと驚きました。古くなった電話機がついています。いまはたくさん発展したのですが、少し前の話です。15年前に行ったのですが、電話機がむかしに使ったものはほとんど故障して、直す能力がないのです。地下鉄を見て驚きました。200年前に作ったのに、エスカレーターに乗っておりて行って、ものすごく驚きました。200年前に作ったのです。韓国がわらじを履いて通う時、この人達はエスカレーターに乗って通っていたのです。ところが、どのようになったのでしょうか?
ある女の子が可愛く化粧をして立っていました。前に見たら、履き物が1足ありました。家に行って、集会に行くときにもそのまま立っていました。それで尋ねたのです。あの女の子はなにをしているのか?
履き物は何か? 宣教師が言う話が、履き物を売るために立っているということです。パンをいくつか持って一日中立っていました。共産主義は恐ろしく崩れたのです。
中国に行ったことがありますか? いまはたくさん良くなりました。70年後に神様がないとする共産主義があのように崩れることができるのでしょうか?
教会によく通った人が、突然に銃を取り出して天に射って、神様が死んだと言いました。これが金日成主席です。それで、驚いていとこが逃亡してきました。この北朝鮮がどのようになったでしょうか?
私達が、贈り物を与えても、使う能力がないらしいのです。鄭周永氏が牛
500頭を与えたのに、食べさせる草がないらしいのです。
愚かな者は神様がないと言います。本当に神様の祝福を受ける簡単な道があります。今、コルネリオが受けた祝福は、簡単な祝福ではありません。預言された神様のみことばの成就です。イエス様がなさったみことばで、聖書に預言されたのです。信仰生活を成功するのは難しくありません。神様のみことばが成就するのをよく見ればよいのです。今でもそのまま成就されています。
74年にビリー・グラハム牧師が韓国にきて、片手には新聞を、他の手には聖書を持って見なさい!
新聞は報告書であるだけだ。聖書がニュースだ。そのまま成就になっていないか?
これを見るべきなのです。クリスチャンがいつから成功するのでしょうか?
神様のみことばが成就するのを見るべきです。神様のみことばが成就することが見えるでしょうか?
それが見えないのではないでしょうか? だから、信仰生活ができないのです。今日、早く方向を握らねばなりません。一つももれなくそのまま成就しています。ダニエル12章に、最後の時のことが預言されています。最後の時は、交通も早くなります!
飛行機という言葉はないけれど、そのようなものが預言されています。また、最後の時は、火でなくなるらしいのです。たぶんそうでしょう。
私は幼い時、イエス様が再臨いらっしゃる時、万人が見るとされているけれど、どのように見るのか?
という考えをしていました。地球は丸いのに、どのようにみな見るのでしょうか?
韓国へいらっしゃれば、米国は夜なのに、どのように見るのか?
しかし、衛星でみるはずです。みな見ることができます。聖書のみことばの預言は、ほとんどみな違うことがありません。皆様、信仰生活する方法の中で、みことばをよくご覧にならなければなりません。たくさん知る必要はありません。よくご覧にならなければならないのです。エペソ教会が何と言われたでしょうか?
燭台を移すはずだと言われました。たぶん、伝道師は聖地巡礼をしたことがあるでしょう。本当に驚くべきことです。トルコにあるエペソ教会があるでしょうか?
そこにだけ今でも教会がありません。神様みことばを詳細に見れば、はっと驚くはずです。イエス様が、64年かかって作ったエルサレム神殿が、石の上に石ひとつ残らないと言われました。多くの人がびっくりしたのですが、AD70年頃、テトス将軍がエルサレム神殿にローマ教会を立てました。イスラエルを征服した後に神殿を崩して火を付けたのです。完全に崩れました。いまだに回復出来ずにいます。驚くべきことです。
聖書をどのように考えますか? 私は政治家、知識人に話したいのです。聖書に何となっているでしょうか?
信仰生活は難しくありません。聖書は、神様のみことばだ!
それだけを知っていればよいのです。その中で何となっているでしょうか?
死ぬほかない私たちのためにイエス様を送られたのです。これが信じられれば、驚くべき答が見えます。聖書に見れば、1,2種類の驚くべき事があるのではありません。中世の時、教会がどれくらい強大だったでしょうか?
王を立てたり、世界を勝手にしました。教皇のパワーは、ものすごいものでした。一言で何でもできたのです。その時、神殿を回復しようと
200年間戦争をしたのですが、失敗しました。最後には、私達のような罪多い者が行くからだと言って、子供を送ろうと言いました。それが十字軍戦争です。しかし建てることはできませんでした。たぶん永遠に建てることはできません。イエス様が石の上に石一つ残らないと言われました。聖書のみことばの中で答をさがせば、すべての答が出てきます。コルネリオが受けた祝福の中の一番目がこれです。
すべての国の人々を弟子としなさい、と言われたそのみことばが成就する瞬間です。すべての人に福音を伝えなさい!
地の果てまで伝えなさい! 私は、私たちの教会を見ながら感謝だという考えを多くします。
聖日に見れば、前の席がまずぎゅっと詰まります。幼い時から教会に通いましたが、こういう所はありませんでした。聖日に来て寝ている人もいました。またある人は、後で新聞を読んでいる人もいました。ところが、あなたがたが一番信仰生活を上手にやる方法は、聖歌隊、教師、色々ありますが、それより重要なことがあるのです。皆様個人が礼拝に成功しなければならないのです。すると、聖歌隊も、教師もみなうまくいくようになります。皆様、聖日の今日の礼拝をよくささげれば、6日間答えを確認するはずです。
私が今日終えてLAへ行くはずですが、そこでも神様のみことばが成就するのです。あらゆる民族に福音が伝えられた後に終わりがくるはずです。今日、神様のみことばをよく見ましょう!
律法の一点一画もなくならず、みななされるはずだと言われました。すると、今日から信仰生活を新しいようにすれば良いのです。みことばをたくさん見なくても、礼拝をよくささげながらなせば良いのです。ほとんどすべてが、神様のみことばを信じないのです。それで、困難を経験するのです。ペテロとコルネリオが受けた祝福は、神様のみことばが成就する祝福です。すると、どんな祝福がきたのでしょうか?
3節に、必ず神様のみことばが成就する所の祝福です。使徒10:38節に、この契約を捕まえた瞬間に、暗闇の勢力が崩れる始めました。45節に、神様のみことばが成就する所に確かに起きることです。
皆様、にせ物で信じず、本物で信じてくださるように望みます。すると、次の聖日に礼拝をささげる時、確かに証しすることが生じるはずです。事業する方達が確かに神様の働きを話すはずです。みことばが成就する所に必ず起きることです。詩103篇は、ダビデの詩ですが、ダビデは普通の人ではありません。20節に神様のみことばを成し遂げる御使いたちよ!
21節に、神様のみこころを成し遂げる御使いよ!
22節に神様と共にいる主の天使よ! これは、普通の話ではありません。ダビデが言った言葉です。知っていたということです。神様のみことばが成就される所には、必ずこういう霊的なみわざが起きます。この所に参加した人が一人ももれなくこういう祝福を受けねばなりません。これができないので、世の中ではクリスチャンがバカのように生きているのです。
これだけできれば、殆どできるはずです。今日、嘘を信じず、神様のみことばを信じてくださることを望みます。それで、答えを受ける祝福を受けるように願います。コルネリオが受けた祝福は何でしょうか?
神様のみことばがなされる所に、神様のみことばが成就されるということです。今日、インマヌエル教会が受ける祝福は何でしょうか?
神様のみことばが成就されるということです。神様がいるのか?
こう話す人がいます。ただ今日、このひとつだけを変えればよいのです。他のことを熱心にする必要はありません。これ一つだけ変えればよいのです。神様のみことばを捕まえて行く所に、神様が変化させるはずです。
私は、多くの人に会う訳には行かないのですが、信仰が良い人に会えば、神様のみことばが成就することを感じます。行く所ごとに伝道の門が開くのです。私は本を通じても、こういう人を見たことがありません。神様はみことばを捕まえている所に今でも共におられるのです。私は、人を高めるのではありません。確かにみことばを捕まえていました。いつか私が将軍に会ったのです。ところがこの人は、信仰がものすごく良いのです。私が行ったり来たりする所は教会だけですが、不信仰することがあるでしょうか?
ところが、軍隊では信仰生活しやすいでしょうか?
ところが、その方がこういうように話しました。昇進問題に悩みを多くしたが、神様が軍隊でも共におられることを感じたということです。昇進してもかまわなくて、だめでも良いのです。私が将軍になっても、ならなくても神様の子供だ!
こういう信仰の告白を食事の中でしました。率直にその人を見ながら、私より信仰が良いと感じたのです。明らかなことを感じました。その後に、この人を詳細に見たら、本当に祝福を受けました。この人が行く所で、(答えがなくても神様でしょうが)答えになりました。この人が軍に行けば、全体で一等になりました。昇進が問題ではないけれど、昇進したのです。祝福を受けるはずです。この将軍がまだテープでメッセージを聞いているということです。ホン・ビョンフィ執事を見ましょう!
私がこの友人にはじめ会った時、幼かったのですが、こう話しました。どのようにすれば、みことばのように生きることができるのでしょうか?
それで、今、そのまますれば良いと言いました。学業の中で答えが与えられるように祈りなさいと言いました。そのようにして、6年が過ぎたのです。今、見てみると答えがたくさん起きています。
米国に行きました。ある博士がこう話しました。タラッパンに対する話を聞いたのです。色々な話があったので確認をしました。私が確認した結果、これは福音だ!
私がアメリカに住みながら、福音を伝える以外、何をするのか?
私が成功すれば、福音を伝える以外、何をするか?
それで、私が今の位置、立場をみな横に置いて福音を伝える!
ところが、この人は私が見ると単純な話ではなかったのです。私が集会に行っても他の人の家にはよく訪ねません。しかし、その人の家を訪ねてメッセージをしたのです。本当に福音運動しながら、レムナントを育てなさい。神様のみことばは、そのまま成就します。その夫婦と祈ってきました。神様がずっと答えてくださいます。医者の中では最高の賞を今回受けました。もちろん、それが重要なのではありません。そのような人の特徴は、神様のみことばを信じようとして、福音を悟ろうとするのです。今日、本当に信仰を変える祝福を受けるように願います。皆様が行く事業に、道に、教会に祝福なさるはずです。私たちは、弱いこともありますし、こんなこと、あんなこともありますが、みことばは変わりません。福音がなくてはならないのです。これを悟る瞬間、神様の御使いが派遣され、みことばが成就されるのです。これが聖書にだけある話ではないのです。実際に現場の話です。
これが今、分離にしているとすれば、大事になります。長老、執事達のセミナーをするので講師で行きました。もちろん熱心にしたのです。ところが、食事する時に、このセミナーを誤ってしてしまったと感じました。この人達が祈ったことと、私に話したこととが関係なかったのです。祈る時は、全能なる神様!
このように出てきたのですが、食事する時見ると、全能なる神様ではなかったのです。事業も手助けすることができない無力な神様でした。その時、私が心が変に感じました。今日、集会を終えるのに、集会をよくするできなかったと感じました。このようになれば、どのようにできるでしょうか?
この人達は、みな役員です。なにかみことばを捕まえられないでいるのです。
今日みことばを捕まえる時、神様が主の使いを送られます。みことばを捕まえる時、聖霊で働かれるのです。今日、ここに知識人もたくさんいます。皆様が勉強しようと私たちの教会にきたのではありません。ここに立派なミュージシャンもいます。私に音楽を習うためにきたのではありません。私に勉強したり、なにか専門的なものを学ぼうとくるのではありません。この人達が神様の恵みを受けなければならないのです。
どんなに弱くてもかまいません。皆様がみことばを捕まえる瞬間に、今日から祝福が与えられるはずです。コルネリオが福音を受けました。次の世代はどのようになるでしょうか?
イタリヤ特捜部隊長コルネリオが、福音を受けたのです。ローマ!
どのようになるでしょうか? この祝福を受けなければならないのです。コルネリオを見ましょう!
ペテロがみことばを持ってきたら、走って出てきてひざまずきました。コルネリオは、特殊部隊の隊長です。世の中でみれば、ペテロは漁師です。イエスを信じて成功したペテロでした。ところが、コルネリオは裸足で走って来て、ひざまずいてお辞儀をしたということです。このコルネリオは、なんでもない人はありません。習慣的な和風のあいさつでもなかったのです。本当に神様のみことばを聞くために神様のみことばを伝えるしもべがきた時、その前にひざまずいたのです。
礼拝堂へいらっしゃる時ごとに、そのような心で来ましょう!
最高の祝福を受けます。本当に神様が生きておられるでしょうか?
これが単なる本でしょうか? 神様のみことばでしょうか?
それならば、答えを受けなければなりません。皆様、本当に大きい困難を受けた人を見ることができなかったでしょうか?
その答が聖書です。私は伝道現場で見て、子供がごろごろするのを見ました。とてもうろたえたのです。そのようなことを初めて見たのです。この子供が、変に叫びながらごろごろするのに、どのようにすべきか分からなかったのです。この子供の顔を見ながら驚きました。顔の様子が変に変わったのです。何故こうなのか?
と尋ねました。病院で医者も知らないと言いました。安定剤を打ったのにだめでした。それで私が聖書を見たのです。ひょっとして、聖書に答があるのではないか?
聖書に見ると、悪霊に取りつかれて、てんかんになった者と言われていました。もしかしたら、この問題かもしれません。答がなかったので、このように感じたのです。それで、聖書を持って行ってそのまま読んであげたのです。私はそのようなことを初めて見ました。この子供があがいていました。私もそのようなことを初めて見て、何かを分からなかったのです。私がすることは、イエスを信じるようにさせることだけでした。半強制的にイエスを信じなさいと言ったのですが、絶対に信じませんでした。ところが、私が一時間程したら、イエス様を受け入れたのです。すると、この子供はわざとする子供ではなかったのです。もちろん、イエス様を伝えれば良いとは知っていたのですが、そのようなことは初めて見ました。驚くべき事が起き始めたのです。この子供が、イエス様を受け入れて、不思議にいやされてしまったのです。
聖書に本当に答があります。その時から、私が現場にずっと行ったのです。ムダン(霊媒師)の町で、霊的問題がある人の家に行きました。それで終わりませんでした。この人達が教会にきて、みことばを本当に聞くと、本当にみわざが起きました。釜山には、そのような人が多いのです。深刻な霊的問題がどこから解決するのでしょうか?
福音で解決します。聖書は神様のみことばです。この中に福音があります。私がこれを悟って、行く所ごとにみわざが起きました。それで、大邱へ、他の所へ行きながら牧師達に話をし始めたのです。韓国教会で防止しなかったとすれば、相当な事が起きたでしょう。本当に驚くべきことです。今日、本当にこの祝福を受けましょう。簡単です!
イエスの名前で! 祈らなくても良いのです。瞬間瞬間に、イエスの名前で!
神様のみことばを聞くとき、神様のみことばを捕まえれば良いのです。今日、本当に神様のみことばを捕まえますか?
すると6日間、どのようなことがおきるかみましょう!
神様が本当におられると感じるでしょうか? すると、1分だけ祈ってみましょう。私が祈梼院に行って神様がおられるならば答えをくださいと祈りました。神様は答えてくださいました。ある日、イエスがキリストであるということを知るようになったのです。今あらゆる問題の解答が、キリストであることを知るようになりました。これを知って、行く所ごとに神様は祝福なさいました。
ヘブル1:14に、神様は信じる者を助けてくださるとされました。黙示録3:8に、信じる者を主の使いを送り助けると言われました。それならば、途方もないのです。これは高慢でも、異常なことでもなく、事実なのです。行く所ごとに祈りの答えになる秘密を見るようになるはずです。今日、皆様がコルネリオが受けた祝福を受けるように願います。コルネリオは、イタリヤ隊の特殊部隊の隊長です。この人が、神様のみことばを正しく握ったのです。この人が礼拝をささげようときた時、ペテロの前にひざまずきました。神様のみことば!
皆様は本当にこれを捕まえて、答えを受けなければなりません。本当に祈りの答えを受けるならば、お金の心配、献金の心配をする必要がありません。今から祈りの答えを受けるならば、何が問題になるでしょうか?
今日、本当に神様のみことば、福音を捕まえましょう!
この時、主の使いを送られました。
今日、本当に主のみことばを捕まえましょう!
今日、人々は難しく生きるはずだという考えをしました。少しの間来る中に考えたのです。ありうる話です。ある執事が相談をしたのです。夫が教会に行くなと言いました。ところが、自分は夫の話を無視して教会にきました。こういう悩みです。この人が真の悩みを話したようです。そこで、こう話しました。執事様、ご主人は間違いなく未信者です。それで、妻が特別な集いに行くとすれば、誤解か心配をするはずです。執事が信仰とするとご主人を拒んで行ったのです。すると、ご主人の立場では、異常さを感じるはずです。愛すだけ圧力を加えるでしょう。行かないように強く言うようにするのです。また、この執事は信仰を守るために、それでも行くはずです。皆様は、来る問題をどのようにするでしょうか?
これは、不信仰ではありません。すこし知恵があるようにせねばならないのです。
ある女の方が、そのようなことになりました。この人は、教会というなら拒否反応を示す人です。ところが、この女の人は、元々学歴があって、顔だちがよかったのです。しかし、この夫と結婚をやむを得ずしたのです。この人が信仰生活することを防止し始めるのです。はじめには、静かに防止していたのに、今は変に防止し始めたのです。離婚段階まで行きました。しかし、この女の人は知恵がある人でした。夫に話をしたのです。皆様が問題が生まれるほど、理性的に話をしなければなりません。その人は、夫にこう話しました。
"あなたが願うことは、みなできます。教会に行くなということを本当に願うならば、行かなくてもよいのです。ところが、私が嘘をつくことができません。私は本当にイエスを信じて救われた神様の娘なので、それは拒否出来ません。教会行くことは、あなたが嫌いで行くのではなく、礼拝をささげるために行くのです。あなたが嫌うことは知っているけれど、この礼拝をささげることは、すべての人に良いことなのです。あなたは、私の夫なので願うことはみなできます。あなたは私を助けてください。"そのように反対した人が、この話に心を和らげたのです。この夫が教会に連れていってくれて、連れて帰ってくれるようになりました。教会にこの女の人を降ろして、外でそのまま待っていたのです。ところが、立って待っていたら、他の人が通りすがりに、何かとたずねたということです。そこで瞬間的に嘘をつきました。礼拝をささげる前に風に当たろうときたと言ったので、この人が礼拝時間になったから行こうと言ったのです。嘘をついたのに、ついて行かなければならなくなりました。ところが、この席が夫人座っていたいくつか前でした。この人がそこでよく聞いていたのです。その日、そのようにして破られました。この人が福音を受けたのです。そして、今でも夫人に2つのことを責めるらしいのです。このキリストを説明してくれなかったことが、その中のひとつです。
皆様に葛藤もたくさんあるでしょう。ところが、神様は確かにするとおっしゃっています。どこでも戦わうのではなく、知恵がなければなりません。今、釜山で、ここで説教をしているのに、両側の働き人には困難が多いのです。行政もそうで、混乱がたくさんあります。時間にも余裕がなくて、私がしようというままにしているので、よりそうだということです。終えて学習洗礼がありますが、時間に混乱がきたようです。だから、報告する人が葛藤がたくさんきているようです。葛藤する必要はありません。当然なのです。葛藤がくる時見れば、当然なのです。静かにしていれば、解決します。問題がくる時、どのようにするのでしょうか?
問題以前のことを見ましょう! また根本のことを見ましょう!
困難が来れば来るほど、信仰と根本を見るべきです。実際は、時間が過ぎれば、主の民には困難がありません。主の聖霊が共にされるのです。6日間に現場で神様の祝福を探しましょう!
今日、ここにいらっしゃった役員、教役者が本当に礼拝で祝福を受けましょう!
現場に明日から行かねばならないので、本当に神様の祝福を受けましょう!
すると、答えがきます。すると来る答え通りに行けば良いのです。時間がたくさんありません。私はこの部分に対する証しを安らかに長い時間を持ってしたいと思っています。
コルネリオが受けた祝福を受けるようにお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちは愚かな者にならないようにさせてください。世には多くの人々が神様のみことばを知らなくて、困難を経験しています。偶像と迷信に陥っています。今晩に神様のみことばを捕まえる時間になるようにしてください。福音の契約を捕まえる時間になるようにさせてください。それで、主の聖霊で働いてくださって、主の御使いを送ってください。使徒10:38の暗闇の勢力が崩れる時間になるようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。-アーメン-
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