(2002年 08月 18日 インマヌエル教会/ 柳光洙 牧師)


1部/ 信仰といやし
(マルコ6:53-56)
 
 
 
・朝に降りて来るのに、エレベーターに乗ったら、お隣りのおばあさんに会いました。イエスを信じなさいと言ったところ、おばあさんが言うのには、イエスを信じてみたいのに、嫁ゆえに信じることができないと言いましたよ。内心、逆になったんだなあと思いました。 "嫁が何で怖いですか。本人が信じれば良いのですよ" と言いながら、いろいろな話をしながら降りてきました。息子も結婚する前には、よく信じていたと言いましたよ。ソウルで大学の勉強をしていた時は、よく信じていたのに、いまは信じないでいると言いましたよ。私はそのような話を聞く時ごとに、一番変だなと思います。その息子が誤っているのか、教会の誤っているのか知らないが、その息子が福音を聞くことができなかったのです。
 
・まるで "私は軍隊に行ってみた" "軍隊に行ってみてどうだったのか?" "よく分からない"と言うことと同じです。そのように愚かな人がどこにいるでしょうか? むかしに檀君神殿を作ろうという大統領がいました。その大統領がこう話したということです。私も教会に通ってみたのに、信徒が何故そんなに反対をするのか?
 
・私は、そのような人々を見る時、最も愚かだと思います。どのように教会に通いながら、重要なことを発見できなかったのでしょうか? 最も重要なことを発見できなかったのです。その人が正しい大統領になれるでしょうか? 学校に通いながら、勉強が最も重要だと発見できない人が、教会に通いながら福音が最も重要だと発見できない人が、どのように成功をするのでしょうか? 朴正煕大統領も、12年教会に通ったと言ったではないでしょうか? 福音を教えてあげなかったのです。そうして見たら、この地には結論的に病気がくるのです。
 
・私が話すことは肉体的な病気だけを話すのではありません。肉体に病気がくることも非常に重要です。皆様が、結局は、人生でどんなにしてもだめだから、病気になるのです。もちろん病気がみな悪いということではありません。年を取れば病気になります。地球上に一度も病気にならなかった人は一名もいません。今、そういう意味ではありません。何か病気になるのです。それよりもっと怖い病気が、心に病気がくることで、肉体の病気よりもっと怖い病気が、精神に病気がくることです。それよりもっと怖いことは、人が生きていきながら、何故生きているのかを知らないことです。
 
・今、この地に病人だらけです。霊的におかしな人々があまりにも多いのです。あなたがたが、目を覚まして見れば、地球上には肉体に病んだ人を言うまでもなく多くいます。私が病院に行ってみると、入口にどうしてそんなに多いかわからないほどの人がいます。あまりに多くて、だいたいの患者は家に帰らせます。何故そうなのかと尋ねたら、病室がないと言いましたよ。総合病院に行ってみれば、病室がありません。どれくらい患者が多いのか、この頃は、病気になったら癌だというような人々があまりにも多いのです。若い層に精神病にかかった人があまりにも多いのです。精神的に異常で事故を起こすことは、既にあまりにも多くなりました。
 
・イエス様が今日、病人を治された本文です。56節に "イエスがはいって行かれると、村でも町でも部落でも、人々は病人たちを広場に寝かせ、そして、せめて、イエスの着物の端にでもさわらせてくださるようにと願った。そして、さわった人々はみな、いやされた。" 今日、皆様に重大ないやしの働きがおきる日になることを望みます。結局は、この病気はどのように来るのでしょうか? 失敗して病気になることもあります。私の思ってもいないのに伝染してかかったり、ある面では老いることも病気です。自然にかかることもあります。これらすべてのものを総合すれば、どこから来るのかというと、創世記 3章から出てきたことです。それで、人間には苦しみがずっとあるのです。
 
それで今日、私たちは神様のみことばをよく見て、いやされる祝福を受けるべきです。
 
・今日、私達が最初に考えるべきなのは、人々がずっと完全でないいやしをずっと受けようとすることです。 ここにもそうですが、説教を聞く人達の中には、医者が多くいます。この方達は幸いです。医術がたくさん発展して、多くの人々に助けを与えることは事実です。しかし、今、私達が精神的な病気と霊的な病気を知らなくて医術で直すことができるでしょうか? ある面では、その病気は応急処置をしたのであって、実際にはいやしたのではありません。あなたがたの中に癌に対する恐怖があるならば、早く体質を変えなければ、いやされることはありません。あなたがたに問題がきたということは、問題がくる土台から作られたことであり、それから解決しようとすれば良いのではありません。その人の体質がそのようになったのであるために、手術をどんなにしても、またかかる可能性があるのです。ですから、一つの部分だけ、肉体的ないやしだけをするからといっていやされるのではありません。
 
・現在、多くの宗教がいやしをしています。それはより危険です。あなたがたがグッ(降霊術)をすれば、霊的な事が起きるためにいやされます。それがもっと問題です。それがいやしではありません。私達があれこれで、解決できれば良いのですが、誤った解決をするのです。人間にはたましいがあって、霊的な状態があるのに、それを知らなくて、肉体だけいやすからといっていやしになるでしょうか?
 
・すこし時間ないので、極端な表現をしていますが、私はこのように考えています。福音を知らなければ、医者は医者になることができません。お手伝いをする水準であって、何で医者になるでしょうか? その人が病気になったということは、霊的な状態は、すでに病気になってしまっているのです。
 
・本人も知らない間に、心と考えで既に病気になっているのです。ところが、その人に起きた肉体の病気だけを解決しようとするから、ずっと問題が起きるのです。ある面では、病気がよくなっても問題になるのです。これで人々が苦しいから、あちこちさまようのです。それで、特殊な宗教を訪ねるとか、グッ(降霊術)をすれば、いやされることがあります。しかし、それはより大きい問題になるのです。以前に何度か話をしたことを思いますが、
 
・35坪の地下にいた時です。たぶん、私たちの教会のキム執事が案内しようと週報を持って立っていました。私があることがあって共に立っていたら、前の垂れ幕にどんな患者でも直すとなっていましたよ。僧侶一人が手だけ当てれば、その場で癌もみな直していたのです。その垂れ幕を教会の前の道に付けていました。ですから、癌患者や死にそうな人々が、どれくらい誘惑されるでしょうか? それで執事が私に聞いたのですよ。 "これは本物でしょうか?" "本物ではないでのしょうか? 何ゆえに嘘をつくのですか?" 可能性があります。あなたがたが、今から山に登って水の下で 3年ほど座っていれば、多くの力が生じます。その後に問題がくるのです。完全に悪い霊に捕えられるのです。
 
・人々が、そういう部分を知らずに、目に見えることだけ、表れることだけを持ってします。ムダン(霊媒師)の子供達が何ゆえに精神が狂って、霊的な問題がずっと現れるのでしょうか? この人達が知らないうちにずっとやってくるのです。解決することができません。あなたがたは、本当に幸いです。あなたがたの中に親や家族の中にムダン(霊媒師)や精神病にかかった人がいるならば、必ず皆様に影響が及ぶのではないでしょうか? 生きているうちに必ず現れるようになっています。私は牧師の中にそういう人々をあまりにもたくさん見ました。家庭に霊的な問題が現れて、どうしようも出来ないのです。あまりにも簡単なことなのにです。
 
・聖書には、驚くべき答が与えられています。今日、あなたがたが重要な祝福を受けるとても重要な日になることを主の名前で祝福します。あらゆる方達が、私の話を聞かず、神様のみことばを聞いて、真の祝福を受けることを望みます。どのようにしなければならないのでしょうか? どうしてイエス様に会ったのに、問題が解決したのでしょうか?その説明が必要です。本文には、イエス様ゆえによくなったというこの話だけ記録されています。説教者が何故必要なのでしょうか? どうして、イエス様に会ったのに解決したのでしょうか? それが、今日の主題であって、あなたがたが受けなければならない祝福になるはずです。
 
・私はこの部分に対してあまりにも確信しているために、自信をもって言えます。私は医者にも自信を持って言えます。医者一人が病気になって私を尋ねて来られました。私ははっきりと話したのです。私が技術があるということではなくて、明らかなことにみこころならば、私があなたを直すと言いました。
 
・医者一人が光州に私を訪ねてきました。どれくらい苦しければ、光州まで探して来るでしょうか? 私に会おうとするなら、そのような方法以外にないと思っていたのでしょうか? 飛行場まで行くのに、私とともに車に乗りました。私はその人を見た瞬間分かりました。まず尋ねたのです。"あなたは霊的にたくさん苦しめられているのではないですか?" そうだということでした。生きて行けないということでした。私が医者をすることが問題ではなくて、自分が生きることができないということでした。だれにも通じないということでした。病院でも理解できなくて、奥さんも理解できないのでした。病院も放棄して、インドに行きたいということでした。インドに行って何をしようとするのか? と尋ねたら、インドで釈迦がいた所を通ってみたいと言いました。そのようにでもしなければ、生きられないということでした。私がその方に話をしました。聖書のみことばで重要な部分を言いました。たぶんその方は相当ないやしを受けて、神様の祝福を受けたでしょう。私が他の人を通じて聞いたのですが、健康な生活を送っていると聞きました。時々見ると、核心集会の時、参加しているのを見ました。神様のみことばは完璧なのです。
 
・どうして、イエス様に会ったのに解決するのでしょうか? それを知らなくて "私は以前に教会に通っていた" それのように愚かなことはありません。例えば "私は学校に通っていた" ところが、九九の計算を一つも知らないことと同じです。ではなぜ通っていたのでしょうか? おかしな人です。そのような人々が、あまりにも多いのです。教会の建物だけ通うことは、誰ができないでしょうか? どうして、イエス様に会ったのに問題が解決するのでしょうか? どのようにして、マタイの福音書 8章には、悪霊につかれた者がイエス様に会ったのに、解決したのでしょうか? どうして、中風にかかって動けない人が、イエス様に会って解決したのでしょうか? イエス様は、病気を直す医者でしょうか? そうではありません。
 
・どうしてそのようになったのでしょうか? それが重要なのです。最初です。イエス様は、創世記 3章の問題を解決なさいました。それを原罪と言います。小説の中に、原罪という本がありましたよ。それこそ根拠がないことを話していました。原罪ということは、創世記 3章の問題、皆様が生まれる前から来ている罪を話します。未信者の話で、運命と言います。皆様が何も誤っていないのに、皆様に臨む呪いをどのようにするのでしょうか? 皆様が行いをどんなに正しくしても、解決しない問題が原罪です。その問題を解決しようといらっしゃいました。創世記 3章の問題を解決しようといらっしゃったのです。
 
・皆様にある運命、呪い、地獄の勢力を解決しようといらっしゃいました。あなたがたが隠しているけれど、やられている霊的問題とあらゆる悪い霊の勢力を皆、解決しようといらっしゃったのです。知識人が話していないけれど、霊的に苦しめられて、制せられていることを解決しようといらっしゃったのです。それが、創世記 3章です。それで、簡単な話で、受け入れた人々、その名を信じた人々には神の子どもとされる特権をお与えになりました。これを解決できないから、霊的な問題がくるのです。イエス様が、それを解決しようといらっしゃったのです。
 
・霊的な問題ということは深刻です。私が今回の説教の時も話しました。家庭の主婦がずっとギャンブルをするのです。あなたがたの中に、花札をして遊ぶ人がいるのですが、それはかまいません。今、それを言うのではありません。金を借りて、お金を盗み出して、ずっと花札をするのです。普通の問題ではありません。それを霊的な問題と言うのです。あらゆる分野でそのようなことです。
 
 あなたがたが確かに食事の時、食事で一皿を食べなければなりません。しかし、腹がへったと言って、ご飯を三杯、四杯も食べるならば、それは霊的問題です。霊的問題はそのようなことです。世の中に行って、ご飯も食べたり、色々なことをするはずです。あなたがたが食事をしてしまって、ガムを噛むことは、霊的な問題ではありません。ガムを七つも入れて噛むならば、それは霊的な問題です。本当にです。そのようにいつも噛んで歩くのです。それが霊的問題です。それで終わりでなくて、なにか危機がくるのです。普通の問題ではありません。
 
・私が知っている医者です。昼には真っ白い服を着て勤務を良くします。夜には、その翌日の明け方 3時まで酒を飲みます。すると朝に病院に出てこなければなりません。病院で正常な感覚ではないのです。患者の前でどんなに良くしようとしても、酒のにおいがするのです。それで、患者がずっと減るのです。患者が着たら、医者が昨日の夜通し酒を飲んだようならば、誰が次に来るでしょうか? 私が誤って来たなあ、と次から来なくなります。私が少し前に伝道運動した時、重要な人々に会いました。名前は明らかにすることができません。この人は、酒を飲めば3日も4日も飲むのです。それから倒れるのです。病院に運ばれて行きます。病院で血を吐いて悔い改めをします。そうしながら、一週間後にまた消えるのです。では少しずつ飲めば良いのに、何日か飲むのです。会社でも分かっています。会社に来なければ、また飲んでいるのかと考えるのです。そうしながら、また病院に行きます。私がその人に会いました。あなたのそれが問題だと考えるではないか? 自分自身も問題だと考えていました。そして、そうしてはならないのにと言いながらも、また飲むのでした。
 
・大学に通っていた時、福音病院の癌病棟に福音を伝えようと入って行きました。癌にかかったならば、酒を飲むなと言われます。肝臓ガンにかかったのに、医者、看護婦が知らないうちに屋上に上がって、すみに隠れて死ぬことを知っていながらも焼酎を飲んでいました。これは、普通の問題ではありません。だから、霊的な問題ということは、いろいろな方向に出てくるのです。世の中の人々が見れば、精神が異常だと思います。イエス様が、こういうおかしな問題に捕えられている人々を救い出すために、この地へいらっしゃったのです。それで根本、未信者が話す運命、運勢から、早く変えるべきなのです。それで、受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子供とされる特権をお与えになりました。普通の話ではありません。イエスを信じる瞬間に、死からいのちに移っているのです。
 
・なにか良くならないのでしょうか? 錯覚せず、早く基礎を堅くするように望みます。死からいのちに移っているのです。神様の子供になったということは、時間が経つほど驚くべき祝福です。
 
・これがだめになれば、肉体が問題ではありません。精神も問題ではありません。完全に心が病んでしまいます。心が病めば、人はものすごく否定的になります。人が変に変わるのです。精神病者ではないのに、心が正常ではないので、上手にやりながらも、小さい事にまた倒れます。特にものすごく否定的です。親も恨んで、どんどん異常になります。言わば胸の中に希望がみななくなってしまうのです。これをいやさなければなりません。これがいやされなければ、肉体の治癒を受けて、何をするのでしょうか?
 
・その次にくるのが、肉体的な病気です。肉体的な病気が来るのに、少しの間で過ぎ行く病気もあるけれど、深刻な病気がくるのです。これは、医者の助けを受けなければなりません。私は、肉体的な病気は、医者の助けを受けることが最も聖書的だと考えます。しかし、前の3種類をいやされなければならないのです。創世記3章、心の病気、霊的な病気を直さなければなりません。これがいやされなければ、絶対だめです。万一、医者がこの事実を理解するならば、世界的な医者になるはずです。その医者が何か話さなくても、相当な影響が及ぼされるようになります。
 
・釜山に、かなり福音を持った医者一人がいらっしゃいました。この方は、本物の福音を持っていたのです。だから、患者を診療してあげるのにみわざが起き続けました。少し前に他の人に京畿道のどこかで上手にやっていると聞きました。その人がどんな人なのかは、よく知ることはできないけれど、確かに福音を持っているならば、そのようになるはずです。
 
・今日、私たちは基本的なことを確かにしなければなりません。簡単に話せば2種類です。この地が目に見えない暗闇の勢力の中にみな捕えられています。キリストが、これらすべてのものをなくしてしまって祝福を下さいました。それで、キリストに正しく会ってこそいやされるみわざが起きるのです。皆様が考えを早く変えなければなりません。神様が聖霊で働かれれば、創造のみわざが起きるようになるのです。それで、癌にかかることを知れば早く死ぬ理由があります。‘私が癌にかかったんだなあ。死ぬのだな!'というその信仰ゆえにそうです。それも信仰です。だから、癌にかかったということを知らない人は死ななくて、粘るのです。何故でしょうか?知らないからです。人というのは、信仰がどれくらい重要か分かりません。私たちの信仰では限界があるために、神様が恵みをくださるべきなのですが、皆様が健康を回復しなければなりません。
 
・もっと重要なことは、肉体の病気を話すことではありません。今日、皆様がみことばを受けながら、皆様の家系、家庭、個人にあるあらゆる霊的な病気が、皆、いやされるように願います。肉体的な病気だけいやされようとするなら、病院に行けば良いではないでしょうか? この話は小さな話ではないのです。
 
・昨日、今回の学生修練会の中で文章を書く大会で賞を受けた子供達が核心にきていました。その子供達が、朝早く私と食事を共にしたのです。その子供達は、私にいくつの重要な質問をしました。留学に関しても、みな勉強を良くする子供達なのに、勉強をどのようにすれば良いのでしょうかという質問もしました。また、ある学生は、家庭に起きる問題に関する質問もしました。そのような学生達にありえる質問をしたので、私の心にある重要な話をしてあげました。そのうちの一つ。親にある暗闇の霊的問題に絶対に陥るなと話しました。‘普段の時、生きていく中にあなたも知らないで、陥るようになるのです。今日、この話を記憶しなさい!' ほとんどみな陥ります。これがどれくらい重要か分かりません。
 
・イエス・キリストが、この地へいらっしゃったのは、創世記3章の問題を解決しようといらっしゃいました。そこに従う霊的問題、肉体問題、呪い、地獄、あらゆる暗闇の問題をなくそうといらっしゃったのです。その言葉をキリストと言います。キリストという意味が、そのことなのです。未信者ごとにキリストを説明しようとすればむずかしいのです。簡単な話です。運命、呪い、運勢、地獄、あらゆる暗闇から救い出したという言葉がキリストという言葉です。神様がキリストを送られたのですが、まさにイエスを送ってくださったということです。何故でしょうか?とにかく、一人を送らなければならないためです。その方を信じれば、証拠が現れるようになっています。すると、どのようにすれば良いのでしょうか? 簡単です。このキリストに対する内容と確信です。これを知る瞬間に、あなたがたはみな解決するようになっています。まちがいなく約束します。皆様も知らない間に、ある人はなくなったのです。自分も知らないうちに解決してしまったのです。
 
・今回、ヨーロッパからある方がきて私を訪ねました。説教テープ 100回聞いたということでした。たくさん習った人で、私が見るのにも、賢い人ということが感じられましたよ。そして、とても生活も良いたいした方でした。説教を聞きながら、すべての霊的問題を解決されたと言いました。簡単に話せば、感謝するということです。その話しをしにきて挨拶して行ったのでした。
 
・私たちも知らない間に、キリストの秘密を聞きながら解決するのです。それから、キリストの中にある祝福です。それを持ってずっと祈るのを聖霊充満と言います。皆様の中に聖霊がいらっしゃるために、滅びることができません。聖霊が皆様と共におられるゆえに、皆様がみことばを受ける理由、それは聖霊の導きだけを受ければ勝利します。皆様がどんな現場にいても、聖霊充満を受ければ、どんな現場も変化させるようになります。皆様が行く所ごとに目に見えない天の使いを送ってくださって、あなたがたを助けてくださるのです。皆様が行く先ごとに神様が暗闇の勢力を押し倒されるのです。皆様が行く所ごとに、実際に神様の国が臨んだということです。すると、皆様が人を生かすことを伝道と言います。それを弟子を立てる働きと言います。これをずっと味わうことが聖霊充満です。すると、驚くべきみわざが起きるしかないのです。
 
・私は、伝道現場でこういう祝福をたくさん見ました。それならば、皆様がみことばを聞く時に、このみことば聞く時に、真の信仰の中で驚くべき解決になっていくのです。今日、皆様が本当に祝福を受ける日になることを望みます。ある面では、私が時間がたくさんありません。説教は長くできないので、表現を早く、強くするしかありません。ゆえにある時は、皆様がわかるようにするために、現場の話をしているので、強く無知に する時もあります。率直な話で、私の表現は、ちょっと無知です。ある面では、そのようにするしかないのです。それで、人々が私のことを考えるのは、ものすごく強くて無知だと考えるのです。実際にはそうではありません。現場を見て、あまりに苦しくて、この現実を話しているので、そのようになったのです。私たちの息子と孫を見れば分かるでしょう。私の印象がもともとそうですが、非常におかしな現場をたくさん見て、このようになりました。
 
・教会だけ通って、何をするのでしょうか? 福音の秘密を知っていなければなりません。神様の子供にならなければなりません。受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子供とされる特権をお与えになりました。罪と死の原理から、あなたがたを解放したのです。死からいのちに移っているのです。それで、あらゆる暗闇、呪いがあなたに勝つことができないのです。ハデスの門があなたに勝つことができないのです。これが神様の子供が受けた祝福です。この部分だけ静かに味わっていても、皆様が今どんなに失敗の中にいても、勝利するようになるはずです。
 
・私は、今回ワシントンに行ってレムナント集会をして来ました。あまりにも学生達がみことばをよく聞いて いることを見てきました。それで、学生達に聖書のみことばにある部分を率直に話しました。学生達であるゆえに、分かることができないのです。しかし、分かるようになるはずだと言いました。まちがいなく、分かるようになるはずなので、待つことができるメッセージを与えました。成功しなさい! ではなく、成功するはずだ! 学生達は成功するはずです。福音ゆえに!
 
・私が 1980年度にソウルに初めて行きました。どれくらい田舎者であるかを確認して帰ってきました。ですから、80年度は22年前です。ソウルの汝矣島でする集会に行ったのです。それで道に迷ってしまって、3日間さ迷ったりしました。いまは、ソウルに毎週行っています。最も福音運動を良くする現場に、毎日行っています。私が本当に夢のような話です! ソウルに上京して、道も分からなかった私が、ソウルで最もよく集まる集いでずっとメッセージしているのです。誰かがどうしてそのようにできるのかと尋ねるならば、話すべき言葉が一言あります。私はキリストを知って、神様の子供になった祝福を知っているので、自然にそのようになったのです。絶対にそれ以上の嘘は出来ません。私がこの話をレムナントにしました。他の人がなにかをして、どのようになったという話はみな嘘です。良心を欺くことか、錯覚していることです。キリストを知ったらそのようになったのです。
 
・私たちの教会の教役者を集めて、核心的な役割をしなければならないと集まったことが核心の集いです。ところが、この集まりが今、釜山、大邱、光州、首都圏、日本、フィリピン、ものすごく拡散しています。それで、多くの学者がどうしてこのようになったのか研究しています。私に尋ねてきます。しかし、私は方法がありません。キリストを知ったら、いままでそのようになったのです。本当にです。絶対に嘘をつくことは出来なくて、自慢することもありません。私は証しする人は、すごいものだと考えます。私は証しする必要がありません。どれくらい立派ならば、証しすることが多いでしょうか? しかし、私にはありません。本物で証しすることがあるならば、かつて恥ずかしいことをしたことが一つがあるのですが、それをすれば他の人達が試みに会うようですることができません。
 
・とても感謝します。私はイエスを信じて高慢になるとするなら、その人は普通の人ではないと考えます。その人は、地獄で最も下に行く人ではないかと考えます。なぜ高慢になるのでしょうか? 理由がありません。滅ぼされる私が、神様の子供になったのに、なぜ高慢になるのでしょうか? 神様が今、ものすごくたくさん飛び回るのにも、いままで健康を守ってくださいました。ある人は、私に秘訣があるのかと思っているけれど、ありません。神様がいままで守ってくださったのです。私はキリストを知る前には、からだも弱かったのです。キリストを知って神様がこのように多くの祝福を下さいました。より確実に話せば、すべてのことがうそであても、キリストは確かです。どれくらい感謝しているでしょうか? 人々がこれを知らなくて、自分の力で生きていて倒れて、霊的問題に悩まされて滅びて、悟ることもできなくて本当にかわいそうです。ある面では、覆われているのです。ここにキリストが現れて、会う人ごとに生かされました。この話をわかることができないでいやされた人々は、イエス様が捕えられた時みな逃げました。この話をわかった人が残って世界を掌握するようになったのです。弁当ひとつで5千名を食べさせた時、それを見てついてきた人々は、みな逃げたということです。
 
・イエスがキリストという事実を知った人々は、世界を生かしても余りました。それで、その結果ヨーロッパが生かされ、米国のような国は福音ゆえに立てられたのです。いまはそうではないのですが、神様がそれで祝福なさったのです。神様が、今日、皆様にものすごく重要な日に皆様を祝福なさることを希望します。もしこの話を聞いてわかることができない人がいるならば、まずその人は普通の人ではありません。それは確実に滅びても当然な人です。どうして、分かることができないのでしょうか? 皆様に隠された霊的な問題が、どれくらい多いでしょうか? 皆様の家庭と、家系と、個人にどれくらい多いでしょうか? 私達が知ることもできない問題がどれくらい多いでしょうか? これから、どのようになるかもしれなくて、どれくらい問題が多いでしょうか? 受け入れた人々、すなわちその名を信じる人々には、神の子供とされる特権をお与えになりました。これから、これを持って勉強しましょうということです。終わったのではなくて、これをもって事業しましょう。これを持って牧会して、宣教しましょう。私たちは弱いのですが、神様の祝福は完璧です。今日、病気の方がいやされる日になることを望みます。
 
・今から肉体が病んだ方達は、定刻の祈りの時、手を当ててイエス・キリストの名前でずっと祈ってみるよう願います。あなたがたに間違いない証しが与えられるはずです。神様の祝福があることを主イエス・キリストの名前で祝福します。
 
(祈り)
神様に感謝申し上げます。今日、いやされる日になるようにしてください。重要な意味を悟る日になるようにしてください。イエスの名前を呼ぶ時ごとに、驚くべき証拠が現れることを願います。また、そのようになることを確信します。今日、この場に呼ばれた神様の人々に天の霊的な祝福を与えてください。あらゆる霊的問題が解決になるようにしてください。私達が知らない問題まで解決するようにしてください。イエスの名前で病気がいやされるようにしてください。私達が知らない病気までいやされるようにしてください。あらゆる霊的な問題が聖霊の力でいやされるようにしてください。
 生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
(The end)
 


2部/ 絶望の中でも受けた恵み
(詩3:1-8)
 
・私は詩の中で詩篇が一番立派な詩だと確信しています。神様のみことばであるためだけではありません。ほとんどすべての詩は、詩人が書きます。ほとんどその人々の生活や中心ではない部分を書くのを見ました。例を上げれば、韓国に有名な盧という詩人は、詩をとてもよく書きます。生活と全く関係ない詩なので、ある面では嘘だと見ることができます。あたかも歌手が楽しくないのに、楽しく歌を歌おうと無理に表情をつくるのと同じです。その人にはうれしい事がそれほどないのに、歌のリズムがそうなので、楽しそうに歌を歌うようなので、ある種類の詩はそれほど助けにならないと思います。
 
・今日の詩は単なる詩ではありません。生涯で最も難しい時、書かれた詩です。それで、タイトルを「絶望の中で受けた恵み」としました。このダビデが、ものすごく絶望することが生じました。ダビデが年を取ったのです。大統領も何年かしないけれど、それをしようと列をなすのに、王は違います。列をなすしかありません。その次に誰が王になるのかが、ものすごく重要な問題です。王になれば、死ぬ時までするために、列をなすしかないのです。
 
・その有名なダビデが、年を取り始めたのです。気力が落ちて、昔のようにできません。政治家は計算が早いのです。その次には、誰が王になるはずか、自分達があらかじめ立てるべきではないか。ダビデは既に老いました。難しい状況がきました。悪い臣下が見ると、ダビデは老いたのです。ところが、当然に王はなるに値する人物がなかったのです。特別に顔だちがよくて、突出した人物の中にダビデの息子の中にアブシャロムでした。政治家はいつでもそうです。しばしば、父の王ダビデに続いて、あなたが王にならなければならないとずっと話したのです。軍隊を集めてついてきたのです。
 
・そのようなある日‘あなたの父が死ぬ日を待っていてはなりません。あなたの父ダビデが死ぬ前に、王の座に座らなければなりません。これが国家のための道です' と無理やりアブシャロムが王になって、ダビデの宮殿を攻めてきました。ダビデが寝ている途中でやられたのです。臣下が悪くて、アブシャロムが良くないことは知っていたのですが、このようにまでするとは思っていませんでした。皆様がおわかりの通り、ダビデ王はだれでしょうか。普通の王ではありません。しかし、老けていて力がありません。父を殺そうと軍人と臣下とアブシャロムが攻めてきました。この時、ダビデはとても驚いて、靴を履くこともできないで逃げたということです。どれくらい急いでいたら、靴を履くことができなくて、警護員何名だけを連れて逃げました。まずその場を避けねばならないから。
 
・それで流れを渡って山を越えて逃げているところでした。その時でした。ある青年がひとり現れて‘血を流した者、みじめな者'とやたら悪口を言いました。このシムイという人が、ダビデの使命がみな終わったと思ったのでした。そのようにダビデを侮辱しました。その時、作った詩です。詩人が書いた詩とは違います。
 
・詩篇は、詩人が時間があって霊感を受けて書いた詩ではありません。あの有名な詩篇23篇‘主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。’という詩は、ダビデがサウル王から逃げて回る時、死の直面に神様に恵みを受けて書いた詩です。この時、ダビデが書いた詩ですが、詩篇3章1節に見れば、‘主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼に神の救いはない。」と。' もう神様がダビデを助けることはなくて、終わったと言いました。
 
・ダビデはこういうように話しました‘しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。' 5節を見ると‘私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。' この時、ダビデが書いた詩だとIサムエル16章に記録されています。ダビデは、こういう困難をみな勝ち抜きました。
 
・皆様がおわかりの通り、ダビデは王宮に帰ってくるようになりました。アブシャロムが馬に乗って父を殺そうと王宮にやってきたのです。Uサムエル16章を見れば、木が王宮にたくさんあったのですが、聖書の記録を見れば、アブシャロムという人が髪が長かったのですが、それを巻いてとめていたのでした。アブシャロムが父を殺そうと馬に乗って王宮に入ったら、馬が走ったのです。この時、不思議にアブシャロム髪の毛がほどけたのです。髪の毛がほどけて木の枝に引っかかったのです。木の間に髪の毛がからまってしまったので、馬だけが行ってしまい、アブシャロムは枝に引っかかってしまったのです。偶然ではありません。その時、ダビデの軍隊がアブシャロムを殺しました。アブシャロムを持って謀反した臣下がみな逃げたのです。ダビデがまた王宮に帰ってくるようになって、エルサレム神殿もとても重要なことをするようになりました。この時、ダビデがどれくらい恵みを受けたか、この詩篇に記録を書いたのです。
 
・今日、私たちはこの詩篇を見ながら、絶望の中に陥った時、どのように勝ち抜いたのか、私とあなたがたが 絶望の中にいないとしても、絶望の中でどのようにダビデが勝ち抜いたのかを見ましょう。
 
 今日、このみことばの中で本当に祝福を受けねばなりません。
 
・最初です。生涯を検討してみる必要があります。簡単に見てはなりません。ダビデの幼い時期、少年時期、青年時期、王の時期、老年時期をどのように送ったのか確認してみる必要があります。信仰を学ぶ必要があります。
 
・ダビデの幼い時期です。聖書は多くの記録を残しているのですが、詩篇は78篇70〜72節に最もよく記録されています。ダビデが父の家で羊を飼っていた時に起きたことを記録してあります。どれくらい羊をよく飼ったか知れません。羊一匹なくしませんでした。単純に羊を飼ったのではありません。どれくらい熱心に羊を飼ったか分かりません。ダビデは祈りながら、賛美を歌いながら羊を飼っていました。その時、詩篇に78篇にこのように記録されています。‘彼は、正しい心で彼らを牧し、英知の手で彼らを導いた’となっています。羊たちといる時、指導者として呼ばれたとなっています。
 
・ここに私たちのレムナントがいます。ここに私たちの聖徒がいます。ここに私たちの聖歌隊員がいます。そして、多くの役員がいます。そして、私もここにいます。今、神様は私たちを見て未来を準備していらっしゃるのです。ダビデが羊飼いだった時、王として準備されたのです。それで、2種類を教えられました。信仰と技術です。羊をどれくらいよく飼ったのか、石ころでゴリヤテを倒しました。ダビデが幼い時から霊的な知識と世の中的な技術を持っていたのです。仮りに皆様が霊的な知識がないならば、獣と全く同じ歩みでしょう。すでにダビデは、幼い時2種類を持って育ったのです。
 
・学生達に本当にお願いをします。学校の勉強を良くするように願います。信仰と知識が一緒に行かなければなりません。それがダビデの幼い時でした。ダビデは、すこし違います。幼い時、すでに信仰がありました。これがまさに大きい人物となる証拠です。幼い時、すでに祈りながら実力を揃えました。これがダビデです。このダビデは、幼い時期をこのように送りました。
 
・私は、私たちの学生達とレムナントに頼みます。勉強と信仰、共に併行しなさい。もし勉強を熱心にして信仰がないならば、いつかは崩れるようになってしまいます。私は米国に行って勉強する人に、このように話しました。霊的知識がないならば、かえって勉強しないほうが良いのです。間違いありません。もし霊的な知識がないならば技術を深く持たないほうが良いでしょう。何故でしょうか? 人間はそのような存在ではありません。私達がずっと技術を学ぶ存在ではなく、お金だけずっと儲ける存在ではないのです。歌だけ歌って、踊りだけずっとするような存在ではないのです。人間は何かなければなりません。その事実をダビデは知っていました。私たち学生達に、そのような祝福があることを願います。すると、まちがいなく成功します。どんな問題がきてもかまわないのです。これがダビデの幼い時期でした。
 
・ダビデの生涯を見る必要があります。ダビデの少年時期です。どれくらい賛美を上手にやったのか知れません。私はこの聖歌隊を見ながら、この人達が本当に賛美を正しくすれば、大きい祝福になるはずです。それで、オ執事と聖歌隊員に祈っていつも頼みたいのです。ゆっくりと長い目で見ながら、すばらしい聖歌隊を作ってください。早くしようとせず、早くしようとすることは、聖霊の導きではありません。正確に聖霊の導きを受けながら、聖歌隊らしい聖歌隊を作ってください。
 
・皆様、ここに音楽専門担当者がいます。ここにもしかしたら、音楽専門担当者が座っているでしょう。また、全世界で私の説教を聞いている方達の中で音楽の専門家がいます。皆様見ることができなかったでしょうか。その人々が現場で、海外で苦しめられることを見ることができなかったでしょうか。絶対に霊的知識なしではだめになっています。それで、歌と賛美は違います。神様の民は、賛美をできるのです。
 
・ダビデがどれくらい賛美をよくしたかというと、サウルの王宮で賛美をしたら、悪霊が離れました。ダビデがどれくらい祈りの秘密があったのか、この詩篇でよくできた詩がみなダビデの詩です。普通の人ではありません。そのような中に、イスラエルが滅ぼされるようになりました。ゴリヤテが攻めてきたのです。巨人の国、その中でも将軍のゴリヤテが攻めてきました。攻めてきていう話が、‘おまえの中に私に勝つ者がいるならば、出てこい。戦争をしようとするのではなく、一対一で戦おう。私に勝つことができれば、私たちのペリシテが降参する。’と言ったのです。どれくらい主なる神様を侮辱しているか、信仰の者の中で、軍人の中で一名も出る人がいませんでした。その有名なサウル王も恐くなって、出てくることができなかったのです。
 
・あなたがたもご存知でしょう。その時、ダビデが父のおつかいで来ました。これはお兄さん達に持っていきなさい、これは百人隊長に持て行きなさい...とおつかいできたのです。おつかいできて聞いたのでした。主なる神様を侮辱する話を。おつかいでにきて聞きました。この時、ダビデは少年でした。これがダビデの少年の時期です。この人物は、普通の人物ではありません。
 
・神様を本当に理解するならば、普通の人物ではありません。なぜ祈りの答えがないのでしょうか。神様をよく知らないからです。このダビデがおつかいできて、その声を聞いたので、お兄さん達に話しました。私がゴリヤテと戦っても良いだろうか。その時、お兄さんがはっと驚いて‘おまえは幼い頃から、高慢だったが、今でもそうなのか。おまえは何故ここにきたのか' その時、ダビデがこう話しました。どうして、理由がないでしょうか。兄達には通じません。食べることの他には知らなかったからです。
 
・ダビデは、それから百人隊長に行きました。父のおつかいとして持たせたチーズと渡しながら、百人隊長に‘私がゴリヤテと戦っても良いだろうか'と言いました。‘おまえが戦うことができるのか?'‘戦うことができるし、勝つことができる'と言いました。イスラエルが死にそうになったのに、その時、百人隊長が少年ダビデを連れてサウル王に行きました。 
 
・サウル王に報告したところ、サウル王がダビデを見て、とてもびっくりして‘彼は将軍で、あなたは少年なのに相手になるか'とサウル王が恐ろしかったのです。みな死にそうになったから、とても急いで‘戦いができるか'と尋ねました。本当に恥ずかしいことです。その多くの軍人が、ゴリヤテひとりをやっつけることができなくて、みな隠れてぶるぶる震えていたのです。現在の既成世代を見ながら、皆様と私たちを見ながら、そのようなことが見えないでしょうか。私が見ると、一番侮辱的なことが何かというと、神様を信じる人が愚かに見えることです。教会は何故通うのでしょうか。通うだけです。あまりにも福音を持った人が、福音がない人よりも愚かです。私はそこに対して特別に言ってあげようと使命を持って出てきた者です。
 
・だから、サウル王が‘あなたは少年なのに、どのように将軍と戦うことができるか'と言った時、ダビデが言った言葉です。‘私が父の家で、羊を飼っていた時、羊一匹もなくしたことがありません'。石で獅子を捕まえました。‘羊に獅子がやってきたら、私が獅子の頭をくだいたのです' 実際にあったことです。‘主なる神様が、私を獅子の歯と爪から救い出してくださいました。まして主を侮辱するあの者の手から、私を救われると信じます' サウル王の前でダビデが言った言葉です。
 
・皆様、この信仰ということがどれくらい重要なのでしょうか。私たちの学生達の中で、本物の信仰ある学生一名だけ出てくれば、全世界を生かします。私はそのように確実に知っています。首都圏地域に信仰がある一人の牧師だけ出てくれば、全首都圏をみな生かします。信徒の中に本当に信仰がある一名だけ出てくれば、教会は生かされるようになっています。私は聖書を見て悟って、現場に行って悟って、みことばを見て悟りました。難しくありません。
 
・このダビデは、信仰がある人です。サウル王が軍服を着せたのに、服が合うでしょうか。実際にそのような大層なものは必要ありません。このダビデが、イスラエルの子ども達が着ているスカートみたいな服を腰に縛って、韓国ならばワンピースのようなものを着てゴリヤテの前に行きました。皆様がご存じの通り、石5ケを持って行ったのです。ところが、これも解釈が多くあります。何故石5ケを持って行ったのか。ある人はまたおかしな話をしました。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記を象徴することではないかと言いました。話にもならないことです。ダビデが石五個を持って行ったことには理由があります。ゴリヤテが槍を持って、ダビデの胸を刺そうとくる前に、五個を投げる自信があったのです。そうでなければ、死ぬでしょう。ダビデが石五個を入れて行ったのです。むかしならば、ゴムひもに石を入れて投げたのですが、それです。
 
・ゴリヤテの前に行って、ダビデが話した言葉があります。ゴムをはった棒を持ってゴリヤテを殺すために走って行ったのです。ゴリヤテが見ると、誰かくることは来たのですが、小さい子供がきたのです。今、ゴリヤテは戦う軍人を待っているところでした。‘この子どもは誰で、この子どもは犬をつかまえにきたのか。なんの棒を持って来たのか'‘おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。きょう、主はおまえを私の手に渡される。私はおまえを打って、おまえの頭を胴体から離し、きょう、ペリシテ人の陣営のしかばねを、空の鳥、地の獣に与える。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。' ゴリヤテがこの話が分かったでしょうか。話を終わったとたん、聖書に見ると、走って行きながら投げたとなっています。照準を定めたこともありません。どれくらい熟達していたのか、走って行きながら投げたとされています。
 
・皆様、ダビデは獅子の頭に石を投げた人です。信仰だけがあったのではありません。技術がありました。信仰と技術。ダビデには自信があったのです。4ケは余分であって、一個で終わりにしたのです。ゴリヤテが今、なんの話なのか分析できる前に打ちました。盾、鎧みな着ていたのですが、あいている場所をまさに殴ったのでした。それがゴリヤテの最後でした。‘おれは犬なのか。杖を持って向かって来るが。’ それがゴリヤテの最後の言葉でした。この聖書を見ると、ダビデの腰には刀がありませんでした。ゴリヤテのそばの腰にあった刀を奪い取ってゴリヤテの頭を切りました。
 
・私が想像してみました。普通の人物ではありません。少年が信仰告白した内容を見ましょう。皆様、正しく賛美して祈れば、そのようになります。だから、ゴリヤテの首を打って、頭を持ってサウル王の前に持ってきたのです。簡単に話せば、すべての町が驚くことをしたのです。ペリシテ軍が全部逃げてしまいました。戦うこともありません。
 
・あまりにも衝激を受けたサウル王が‘いったいおまえは誰か?' 皆様、想像してみたことがあるでしょうか。ゴリヤテの頭を持ってきたのです。まちがいなく、ゴリヤテの頭をとらえて首を打ったからどうでしょうか。それも 40日間イスラエルを威嚇したその首を持ってきたから、サウル王があまりに驚いたのです。‘いったいおまえは誰なのか?' あまりにも驚くことではないでしょうか。その時、ダビデは‘私はダビデです'と言わなければならないのに‘主のしもべ、ベツレヘム人エッサイの息子のダビデです' と言いました。正しく教育されていたのです。これがダビデの少年の時期です。神様を理解するということでは、普通の知識ではありません。
 
・私は、神様を知らない時、何もおもしろくありませんでした。私はキリストを通して神様を知った時、本当に力を得ました。分かります。本当に分かります。ダビデがすごいではないでしょうか。皆様もおわかりの通り、ダビデが青年の時期を迎えました。あまりにも人間的な人々がダビデを殺そうと、サウル王が付いてまわったのです。
 
・皆様、世の中は、そのようなことではないでしょうか。にせ物がより力を持っていて、福音を全く伝えない人々が、福音伝える人々を見て異端といって、伝道‘伝'の字も知らない人々が伝道する人を見て悪口を言って。生涯に一度も福音を伝えない人々が、福音を伝える人々を難しくさせて。後ほど滅びることも知らずに嘘をついて、自分のことをしようとします。歳月を見るとそのようなことです。昔も今も同じです。
 
・ダビデは、そこにだまされませんでした。サウル王が軍人を作ってダビデ王を殺そうと付いてまわるのを見ましょう。その時ダビデがした告白です。‘主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。' それがダビデがその時に書いた詩です。ダビデの青年時期。
 
・神様を知る者。皆様、本当に確信なさるように望みます。神様を本当に知っている者。キリストを本当に知っている者。終わるのです。ダビデが青年の時期をよく勝利しました。他の見方をすれば、当然だと見なければなりません。
 
・いよいよダビデが王になりました。ダビデが王の時期をどのように送ったでしょうか。サウル王のように‘私がどのようにすれば、この座に長くいることができるか' そのような王ではありませんでした。ダビデが王になるやいなや、神様の前に何の告白をしたでしょうか。私は良い王宮にいるのに、神様の契約の箱が神殿もなく、風が吹く所において良いだろうか。神様の前に美しい神殿を建てて、私たちの民全員が礼拝して、全員が聖歌隊を作って賛美して、礼拝堂を作らなければならないのではないだろうか。水準が違います。それがダビデの王の時期です。王宮にいることより、主の前で祈るのが良いと言いました。詩篇5篇16〜18節に見れば、ダビデが明け方の祈りに行った記録があります。王が明け方祈りに行くという事は、只事ではありません。本当にたいした王です。いままでダビデぐらい祝福を受けた王はいませんでした。この人がダビデです。
 
・老年の時期を迎えました。たいそう老いたということです。この悪い臣下が国を乱れるようにさせて、アブシャロムが起きたということです。まずあまりに急だったから逃げました。逃亡する中に、シムイという人物が現れて、ダビデを呪いました。その時、そばにいた将軍が‘王様。あの者を私が首をすぐに切る'と言いました。私ならば‘どうか行って早く切れ' と言ったでしょう。そのような悪い奴が、どこにいるでしょうか。しかし、ダビデが言った言葉です。‘放っておきなさい。神様がさせておられることなのかも知らない。神様があの者をさせて、私にしているのかもしれない' 神様の前に立っていたダビデです。自分の中から産まれた自分の息子も攻撃するのに、ましてシムイは当然だと、当然性を認めました。神様が恵みを与えてくださるのならば、私が回復するのではないでしょうか。ダビデの信仰です。もちろんダビデは回復しました。
 
・今、私がダビデの生涯を話したのです。皆様、どんな気がしますか。皆様の中に‘あ、ダビデは、信仰が本当に良いな' そのような気がするでしょうか。そのような気がしたとすれば、皆様はすこしよく悟ることができなかったのです。神様を知る者は誰でもこうなのです。それならば、私もこの信仰を持つことができます。それなら、私たちの子供も、私たちのレムナントも、この祝福を受けることができるのです。私はそのように信じられます。そうではないでしょうか。
 
・私が持っているこれは、今、何でしょうか。手拭いです。どんなに私が落としても割れません。しかし、今、このマイクや鉄のものを落とせば、どのようになるでしょうか。当然になにかは割れるようになっています。私達が本当に神様を信じるならば、当然にくることです。
 
・私はご飯を食べれば、腹がいっぱいです。当然のことです。ご飯を食べれば食べるほど、おなかが空いているでしょうか? それは、話にもならないことです。神様を信じる者は、当然のことなのです。この信仰を回復することを主の名前でお祈りします。
 
・ここに青年達がいます。だまされないように望みます。卑怯な信仰でなく、実力ない者にならず、実力を揃えることを望みます。幼い時、2種類を育てるのです。信仰と実力。皆様が世の中に行ったら、卑屈にならず命をかけても、神様のみことばを捕まえて勝利しましょう。地位を守ろうと、ご飯でも食べようと、ご飯争いをせず、青年の時期にダビデのように正しく準備をしましょう。王になったら本当に主のために、国家のためにしましょう。困難に会えば神様の前に立ちましょう。
 
・こういう王が、韓国にまだ出て来ていません。それで難しいのではないでしょうか。こういう大統領が、まだ韓国に出てこなかったということです。こういう国会議員が、一名も出て来ていません。本当に奇跡です。私は私たちのレムナントの中に、こういう国会議員、こういう政治家、こういう大統領が出てくるようになることを希望します。祈るように望みます。
 
・弱いけれど、私はこの信仰を捕まえたら、答えがきたのに、何故こないでしょうか。私たちはいままでなにかを変に知っていました。信仰生活と言えば、なにか熱心にすることだと思っています。そうではありません。熱心にすることができなくても良いのです。信じてくださるように希望します。正しい道を行くべきで、違った道を行けば、熱心に行けば行くほど損です。私はいままで執事、長老達に会ったら、ほとんど違うように理解していました。
 
・一度は、飛行機に乗ってワシントンに行くのに、そばの席に男性が座りました。私が夜通し何かを書いていたのに、そばから見て牧師ですか?と尋ねたのです。そうだと言いました。‘すみません。夜通し文章を書いていたので、あなたが寝ることができないように妨害するようになってすみません'と言いました。かまわないと言いました。それで、私がもしかして信徒なのかと言いました。そのようでした。スヨンロ教会の執事でしたよ。私は釜山の影島にある東三第一教会の牧師だと言いました。私が信仰生活をよくできているのかとたずねたら、初めの言葉が‘私がなにか熱心にすべきなのに、できなくて..'と言いました。まちがいなくクリスチャンは、違うように思っています。それで‘なにを熱心にするのか'と尋ねました。‘なにを熱心にするのですか?' なにを熱心にするかも知らないのに、とにかく‘熱心にすべきなのに..'と言うのです。内心‘それがクリスチャンのみじめな姿だな..' と思いました。
 
・それで私が尋ねました。あなたは神様の子供に間違いないのか。間違いないようですと答えました。‘本当にそうですか?' ‘そのようです'と言います。‘そのようですというのではなく、そうなのですか?' 現在、こういう無力な愚かなクリスチャンだけがいます。あなたが神様の子供ならば、熱心にしなくてもかまわないないのです。事実を信じなさい。神様の子供なった事実を信じなさい。何故それをのがしているのかというと、その時から告白し始めたのです。‘私は、事業もよくならなくて、家内とも別居して一年が過ぎて...' と言いました。そうだと思いました。
 
・私は率直な話で、クリスチャンをみて教会に通う人がいないと思います。考えてみましょう。皆様を見て、イエスを信じるでしょうか。そのような人を見れば、教会に来ようとしても逃げるはずです。神様の子供です。すごいことなのです。祝福を受けてくださるように願います。
 
・ダビデは3種類の確信がありました。救いとインマヌエルの神様。救われた私とともにおられる神様。今日の本文にあるように、生と死の主人である神様。私たちの成功と失敗を治める主人である神様。
 
・今日、私たちはいくつかの教訓をとらえて、本当の信仰生活を始めるべきです。皆様が本当に神様の子供となった中でヴィジョンを捜し出すべきです。むずかしいと考えるでしょうか。そうではありません。どのようにすれば良いか知っているでしょうか。‘私は、神様の子供としてその祝福を説明せねばならない!' それがヴィジョンです。ヴィジョンは、違ったことではありません。教師でしょうか。事業家でしょうか。公務員でしょうか。神様の祝福を説明せねばならない!とすれば良いのです。
 
・私は今から23年前、1979年に水曜礼拝をささげて長老と出てくるのに、大騷ぎが起こったのです。デモが起きました。キム・カンギル長老がそばにいらっしゃって‘本当に汚い政治をする'と言いました。その日、見たらあまりに事態が深刻で、キム・チェキュウが降りてきたと言われました。それが起こった後に何日か過ぎて、朴正煕大統領が殺害される事がありました。その時、皆様はどこにいらっしゃったでしょうか。
 
・私はその時、水曜礼拝をささげて出てくる神学大学の3学年でした。私がすこし遅く勉強をしました。皆様、その時 23年前になにをなさっていたでしょうか。私はその時、神様の前にこういう祈りをしたのです。‘神様。本当に、あの死んだ大統領に福音を伝えてやっていない教会、神様を信じる私たちが神様の力を説明できないこの教会、本当に神様の祝福を説明できる証人になるようにさせてください' その日から23年が過ぎました。私がソウルの最も重要な人々が集まる伝道現場に行ってメッセージする時ごとに考えます。皆様、今日ヴィジョンをいだいてくださるように望みます。
 
・2番目です。ダビデを見ましょう。すでに詩を書いたとのことは、普通の人ではありません。より重要なことは、皆様が歴史を一度考えてみましょう。聖書や世界史を見るのでもなくて、自分の個人の歴史です。皆様の年齢が何歳でしょうか。個人の歴史を見なさいということです。
 
・私は時々こういう考えをしてみます。私が今から本格的に走るならば、約20年は走ることができるでしょう。走ろうが、走るまいが、生きようが死のうが、20年後は確かにくるはずです。その時、私はどのようになっていて、私たちの教会はどのようになっているでしょうか。その時、世界の教会はどのようになっているでしょうか。歴史を見ましょう。
 
・このダビデは、歴史を知っていました。老年の時期がきました。恐れることが、なにがあるでしょうか。神様の前に祈る中に、大きい答えをまた新しく受けたのです。皆様、重要な信仰、決断するように願います。その信仰だけ持ったのに、答えがきました。
 
・何故祈らないのでしょうか。信じないからです。何故私が信仰を選択できないのでしょうか。神様がおられるのか、おられないのか分からないのではないでしょうか。それでそうです。それは、未信者とそっくりです。私が神様の契約を捕まえて答えを受けるのを見るので、皆様も可能です。皆様、私の話が正しいか、嘘なのかご覧になるよう望みます。今現在、毎週伝道ゆえに数千名が集まっている釜山、ソウル、大邱、光州、全世界にこういう事はありません。いよいよ私たちのレムナントがおきています。驚くべきことです。20年後にどんなことがおきるでしょうか。
 
・ある人々は、女の人はきれいだと言えば気分が良くなります。女の人も不思議です。きれいだと言うと、正常な感覚ではありません。米国に行けば、女の方達が太って体つきが大きいのです。それでも、男の人たちがこの方達が見て‘beautiful〜'と言えば、本当に喜びます。年齢より若く見えるとすれば喜びます。しかし、それは間違っているのです。年齢が40になった方は、50〜60に何をするかを考えなければなりません。年齢が 50なのに、30に見えると良いと思うならばよくありません。神様がご覧になる時は、すこし足りない人です。年齢が60ならば、引退した後にどうするか。それはあらかじめ心配することではなく、あらかじめ準備することです。何故でしょうか?まちがいなく来るからです。すでにダビデは自分の生涯の終わりを考えていたのです。何故でしょうか?この文で残っている詩を見るとそうです。普通の人ではありません。皆様は、本当に神様の民なので、当然に神様の祝福を受けるようになっています。
 
・釜山で育てた弟子が、結婚をするようになったので相手を合せて、私にきて結婚式のメッセージをしてくださいときました。‘私達は、なにを準備すれば良いでしょうか'と賢い子どもであるから、何も特別に準備することはありません。それで普通の人にくることが2種類あるので、準備しなさいと言いました。普通、結婚式をするならば、これをせねばならないか、あれをせねばならないかと複雑です。それを飛び越えることが出来るようにしてみなさい。
 
・問題はそれではないのです。人が生きていると重要なことがあります。その準備をしなさい。本もちょっと読んで、それを準備しなければならないのです。人は‘あの人は、本当に良いな。結婚したいな。’とエンドルフィンというのが回るのですが、いくらも続きません。結婚しているでしょうか。演芸を見たことはあるでしょうか。‘あなたは私の太陽'という話がいくらも続かないということです。ちょっと過ぎれば太陽は何の太陽となって、人とはみなそうです。ところが、どのようにこれを新しくずっとさせていくのでしょうか。これが女の魅力であり、男の魅力です。それをちょっと勉強して行きなさい。それで素晴しい夫婦になりなさいという話をしてあげました。皆様、どれくらい苦労が多いでしょうか。本物の神様の子供になった祝福を受けるように願います。
 
・絶望の中での恵みの結論を結びます。ダビデが見た時は絶望ではありませんでした。どうして自分の周囲には、そのように敵が多いのですか。3節を見ると‘しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。' 7節を見ると‘主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。あなたは私のすべての敵の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。' 問題になる必要がありません。皆様は神様の子供です。この信仰を今日、回復するようになることを希望します。詩篇をずっと勉強しながら、本当に信仰を回復すべきです。実際的な信仰を。それで一週間、神様が皆様と共にされる細かい証拠で次週にまた礼拝しようと来られることを主の名前で祝福します。
 
(祈り)
神様に感謝申し上げます。真の平安と信仰を与えてください。私達がご飯だけ食べて生きる獣ではありません。神様を知る者になるようにさせてください。世の中のことだけを知っている愚かな者にならず、ダビデのように霊的な知識も揃えた者になるようにさせてください。今から残った生涯に、継続的な答えを受けるダビデのように残った日を数えることができる知恵を与えてください。
生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
(The end)