2002年 9月 08日インマヌエル教会聖日メッセージ
1部/ 耳が聞こえず、口のきけない人
(マルコ7:31〜37)
・むかし李朝時代には、主人としもべがいました。お金持ちの家には、しもべが何人もいたのです。牛を食べさせるしもべもいて、農作業をするしもべもいて、家を守るしもべもいました。主人の乗るみこしを動かすしもべもいました。主人が愛する犬一匹を育てていたのに、犬がいなくなりました。それで、主人があるしもべに犬を探してきなさいと言ったところ、このしもべが犬をさがしに行けば良いのに、主人に犬を担当するしもべが失敗をしていなくなったのだから、自分はみこしを担当している者なので、行くことはできないと言いました。主人が、その話を聞くと一理があります。犬を担当するしもべが別にいたのに、自分が指示したのは、みこしを担当するしもべにしたということです。そうだ一理がある、ということで自分が直接犬をさがしに行くから、みこしを持ってきなさいと言いました。主人がみこしに乗って、犬を探しに行ったのでした。このみこしを動かすしもべが回ったら、最悪の境遇でした。みこしを持ってあらゆる山を犬をさがして回るので、こうなると知っていたなら、話をしないで行ったのに、山で休みながら犬をさがせたはずなのに、みこしを持ってさがすのですから、どれくらい大変だったでしょうか。主人の命令に逆らうことは出来ないからです。
・神様は、大きい魚の中に入れてまで、一人の人に宣教をさせられた事があります。1400年間、選民思想を破ろうと23ケ国にイスラエル国を散らして、神様がイエスを信じる人が福音を伝えないために、イギリスを起こしてヨーロッパ福音化をしたり、神様が米国という国を建てることもして世界福音化をされました。宣教運動が今、私たちに続いています。
・それで、今回参加した私たちの聖徒達が、普段の時に宣教に関心をもって祈った方達が参加を多くしました。あなたがたに永遠な祝福があることを願って、それに終わらず、知恵がある人はメッセージを聞いたり、行事を見ながら答えを受けるのです。私は今回、どんな答えを受けたかというと、宣教大会をこのようにしてはならないということです。誠意を持ってせねばならないと思いました。私一人だけでも、まず来年の宣教師のために一年間、小さな心ですが、祈るために通帳を別に作って、貯蓄をせねばならないというように考えました。今週から実践するはずです。それで、私たちの子ども達も貯金箱を作って、宣教費と外に書いて集めましょう。祈りを集めるべきなのです。このようにして、また私達が突然に宣教師に会うようにせず、普段の時も祈って、普段の時も連結をして、資料も送って、そのようにせねばならないでしょう。こういう重要な考えを多くしながら、神様に栄光を帰して、私たちの教会を特に訪問してくださった宣教師に、一生に意味があるそのような祝福があるようになることをイエス様の名前で祝福します。
・この宣教大会をしながら、宣教現場に行ってみれば、本当にすべきことがあるということを感じました。しかし、神様が私たちの教会の聖徒達1,2名だけ祝福なさればいいのです。それならば、ここに数多くの方達を祝福なさるならば、簡単です。
・神様が、あなたがたに経済的な祝福を注いでくださるなら、事業する方以外には、経済の祝福を受けることは難しいので、神様が皆様に人との出会いの祝福を注いでくださるか、そうでなければ、神様が知恵の祝福を注いでくださるならば簡単です。神様は、なさることができるのです。
・しかし、今日の本文を読む中で、耳が聞こえず、口のきけない人をイエス様が直されました。イエス様が、エパタとおっしゃられたのです。‘開け’と言われたら、耳が開いて、口が解けて、今日、万王の王なる主イエス様が、皆様の事業、家、個人に開かれる祝福が与えてくださることを願って、皆様の考えも開いて、心も開かれ、全部縛られたことが解放される、こういう祝福が本当にあることをイエス様の名前で祝福します。
・簡単に話せば、耳が聞こえず、口のきけない人ということです。私は、口がきけないという経験がありませんが、幼い時に映画を一つ見たことがあります。おしの三龍という映画を見たのです。その時、たぶん出演に金鎭圭が出てきたし、幼い時に見た映画です。この人がしもべだったのに、口がきけませんでした。だから、人もバカにして、その家の主人がこの人をすごくかわいがったのでした。そのような内容の映画を見たことがあります。口がきけないということは、このようなことかと見たことがあります。
・私の家のそばに、むかしにとても賢くて顔だちがよい子供がいたのですが、年齢が私と似ていたのですが、口がきけませんでした。学校も行かないでいるのを私が見てきたのにですが、それ以外、口がきけない人を見たことがありません。
・私が知っていることでは、ほとんどみな不治病で、また生まれつきの病気でした。このように見ることができて、私達が考える時には障害者です。このように考えることができます。ところがこれが失敗です。あなたがたは、聖書をよく見るべきです。これは序論の部分です。
・人間は、誰でも救われることができなければ、2つのことに引っかかるのですが、創世記3章に引っかかって、霊的不治病に引っかかります。表に現れるか、現れないかだけです。ここに相当な注意をすべきです。ここで誤って悟れば、大変なことになります。大部分の人が、自分たちは、口がきけない人ではないから、幸いだというのですが、それは誤って悟ったことです。神様の子供となった祝福を味わうことができない者は、誰でも創世記3章に引っかかっていて、霊的不治病に関わっています。間違いありません。この人はおしで現れただけで、他の人は表に見えない部分に現れただけなのです。
・ここに相当な注意をすべきです。救われていない人は、創世記
3章という話は呪いと災いとサタン、罪の力にしっかりと縛られていることを話します。抜け出ることができません。これを未信者は運命だと話します。そこにしたがって、絶対に直すことができない霊的不治病がみなあるのです。あるしかありません。ただ、この人は目立っていただけで、イエスを信じる前のあなたがたは表に現れなかっただけであって、みなあるのです。これが
ものすごく重要な部分です。誰でもみなあるのです。
・皆様、もしイエス様を信じたのに、おかしな人を見てがっかりしたり、教会に通う人をみて、おかしな人でお気落ちしないようにしましょう。全部みなサタンの戦略です。精神をよく整えて、聖書をよく見るべきです。もちろん、私たちのそばにいる信徒が大切です。しかし、私たちのそばにいる信徒を見て信仰生活をしようとすれば、それがまさにサタンの戦略です。絶対にだまされてはなりません。誰でも創世記3章に関わっていて、霊的不治病にみな関わっているのです。
・しかし、今日、イエス様に連れて来られた人は、年齢が何歳なのか知りませんが、簡単に話せばおしです。耳が聞こえず、口のきけない人です。生まれながら口がきけない人なのかと思っていましたが、大人になって分かったのは、聞くことができないから、口もきけなくなったということです。私は単に声が出ないのかと思っていました。しかし、そうではなくて、耳が聞こえないので、話をしてみなかったゆえに舌が解けなかったのです。それが簡単に言うと口がきけない人です。私たちとあまり違って、私達ができる話が勝手にできなくて、私達が聞くことができる話を聞くことができないので、不幸だと見ることができます。その部分だけ見る時には、しかしそれよりはるかに深刻な霊的問題を人々がみな抱いているのです。ほとんどみな私が見る時には、そのような人々は障害者だと話してはなりません。私達がほとんどみな障害者です。私が見る時には、ここには口がきけない人は一名もいませんが、それでも口がきけない人より深刻な人がいっぱいいます。皆様が外に出て人に会ってみれば、ほとんどみな口がきけない人ではありません。ところが、口がきけない人より深刻な人がものすごく多いのです。
・それで今日、聖書のみことばを見ながら答えを受けなければならないのですが、何を悟らなければならないのかというと、不治病者の口がきけない人がイエス様に出てきたらよくなったということです。これは何を話すのかというと、聖書の主題は救いです。新約聖書の主題はイエス・キリストです。皆様今日、人生で最大の主題が何でしょうか?
イエスキリストが誰か? この質問をすれば成功します。言わば、この口がきけない人がイエス様に出会って、耳が聞こえず、口のきけない人がイエス様に会って、とうてい医学的にはよくならないことが解決したということです。ここに目を開かなければならないのですが、口がきけない人が世の中の事情が分かるようになったんだなあ、ということではありません。いったいイエス・キリストがどなたですか、ここに一番目のポイントを握らなければならないのです。
・ウエリスという人が、聖書のみことばに反駁するために文を書いている途中で、筆を置いてイエスが誰か?
このものすごいイエスが誰か?という質問をするようになったのです。ある面では、たいした質問ではないように見えるけれど、この人の生涯最大の質問イエス・キリストが誰か?という質問をしたのに、その人が書いた作品が、今でも永遠な作品になったベンハーという作品です。だから、その作品をひとつ出すだけでなく、この人の生涯に相当な変化が起きたのでした。
・それで、イエス様が弟子に働きをさせる前に、これをしなさい、あれをしなさいとは言われませんでした。
イエス様が弟子を集めて、あなたはこのようにしなさいとは言われませんでした。何と質問されたでしょうか?
あなたの出身がこれなので、これからマナーをどのようにしなさい、こういう話をされませんでした。
・イエス様が弟子にたった一言だけ尋ねられました。すぐには聞かないで、人々がわたしをだれだと言いますかと尋ねられました。みな違った返事をしたのです。あなたがたは、わたしのことを誰だと言いますか?と言われて、弟子が誰も答えることができなかったのです。確かに“あなたがたは”と言われたのです。“あなたがたは、わたしをだれだと言いますか?”と尋ねられた時、誰も返事をすることができませんでした。その時、幸いなことにペテロが
“主は生ける神の御子キリストです”と言いました。その時から、イエス様が
“バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。”と言われ、その直後に17章でペテロを連れて変化の山に上られました。連れて上がって十字架を背負うことを話されたのです。まさに復活なさることを話されました。
・本当に重要な質問です。皆様はどうでしょうか?
今日、皆様の質問の中で、いったいイエス・キリストは誰でしょうか。そして、私が神様の子供ならばイエスキリストは誰なのか、ならば私が果して神様の子供か?
この質問が最も重要な質問です。
・キリストということは、相当な話です。キリストという言葉を知っています。キリストという言葉は何のことでしょうか。運命、呪い、サタン、地獄、皆、暗闇から解き放つという言葉です。これより良い言葉がどこにあるでしょうか?
皆様が受けねばならない呪い、災い、地獄の力から抜け出させてくださったということです。私達は神様に絶対に会うことができません。神様が知るように道を開けられた、ということです。その3種類を合わせた言葉がキリストです。真の祭司長、罪の問題を解決なさいました。預言者、神様を知るようにして、真の王、サタンの勢力をうち破ったということです。
・普通の話ではありません。ここに文句を言う人は、無条件に呪いを受けても当然です。これが信じられなければ、正常な人ではありません。嘘をつく人間です。運命の中に陥って、苦労でないでしょうか。これが信じられません。確かに正常な人間ではありません。運命、呪い、災いが家庭に押し入って来るのに、抜け出すようにしてくださるのに、それを信じることができない、それは正常な人間ではありません。キリストという話はたいした話です。すべての問題の解決です。ものすごいのです。
・私はこれを悟った瞬間に、本当に驚くべきことでした。この頃も悟るのに、時間が経てば経つほど、驚くべき答です。主は生ける神の御子キリストです。バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。皆様の中で、子供の中に霊的問題だとか、不具者の学生達がいます。両親が苦労でしょう。
・しかし、一つまず考えねばならないことがあります。すべての人がみな持っているのに、皆様の子供は目に見えるように表れたのです。みな持っているのです。ある面では、より深刻なことを持っています。絶対に信じられないのも霊的問題です。それも不治病です。災いの内に入っていきます。とても多いのです。
・それで、キリストという話は、油を注いだ祭司長、預言者、王ということです。むかしに預言者、祭司長、王に油を注いだのに、その対象ということです。その人ということです。三つを合わせたのです。王、預言者、祭司長でなくて、真の王、真の預言者、真の祭司長、その話です。すごいことなのです。真の王、サタンの勢力をうち破られました。真の祭司長、運命呪い、あらゆる運勢、暗闇から解放されました。神様に会うことができません。もし皆様の中で、神様に会った人がいれば、その人はまちがいなく誤った信仰です。会うことができないのです。私は、昨日山に行って神様に会ったという人は、まちがいなく不健全な神秘主義で、その人はまちがいなく精神病院に1,2度行ったことがあるでしょう。絶対そのようなことではありません。そのようなならば、キリストが必要ではありません。神様がそうだと知っておられて、キリストを送ってくださり、キリストを知れば知るほど、時間が経てば経つほど、神様を知るようにさせられました。わたしを見る者は、父を見たのですとおっしゃいました。
・皆様の中で、信仰が生じない方は正常です。わたしを見た者は、父を見たのです、わたしが父の中に、父がわたしの中に、あなたがたの中にわたしが、あなたがたの中にわたしが、どれくらいおかしな話でしょうか。今日、あなたがたがキリスト、この話を悟るならばすばらしいのです。口がきけない者がよくなったというむかし話をするのではありません。重要な答を捜し出さなければならないのです。救われていない者は、創世記3章に永遠に陥って出てくることができなくて、霊的な問題がくるのです。
・その中での一例です。この人は、そのまま口がきけなくなりました。ある人は違ったことになる人もいます。
この人は口がきけなくなりました。そのようなことを見れば、深刻だということでもなく、他の見方をすれば、ものすごく深刻です。この部分を悟らなければなりません。ところが耳が聞こえず、口のきけない人がイエス様に来て、よくなったということです。イエス様が誰なのかということであって、これを悟らねばなりません。それでこそ、皆様と関係があるのです。
・なぜイエス様が処女から産まれなければならないのでしょうか。私は考えれば考えるほど科学的です。もしイエス様が柳氏の家系に産まれたとすれば、メシヤではありません。イエス様が呉氏の家系に産まれるなら、より一層メシヤではりません。考えてみましょう。処女から産まれました。本当に科学的です。どんなに考えても、科学的です。ヨーロッパの人々は、それが信じられないのです。本当に非科学的な頭です。あのカナダではよく信じられらないというそうですが、本当にその頭は非科学的な頭です。処女降誕、とても科学的です。
・イエス様が十字架で死んでくださいました。それは分かる事実です。復活なさいました。キリストならば、復活なさるべきです。そうでしょう。神様ならば、復活なさるべきです。救い主ならば復活なさるべきです。超科学的に行う能力を持つべきです。再創造の力があるべきです。私たちの人生が持っている呪いと問題が再創造されればならないほど深刻だということです。キリストとは、驚くべき事実です。今日、祝福を受けるよう願います。
・初めて来られた方達は、祝福を受けるよう願います。ある人が言うのに、寺に行っても、教会に行っても同じです。福音を知らなければ、そっくりです。皆様、福音を知る時、神様の子供になるのです。間違いありません。それで、しばしば強調する理由は、だいたい知るのではなく、確実に知りましょう。皆様がだいたい知ることがあって、確実に知ることもあります。なんでもそうです。道を行く時も、はっきりと知らなければならない道があって、だいたい知っているべき道もあります。だから、重要な町角は確実に知らなければなりません。違ったことを確実に知る必要はありません。キム・ヨンギ執事を見れば、道を行く時、うどん屋がある道、ギョウザ屋がある道をよく記憶しています。この人は、そのようなことを記憶せず、町角をよく記憶すべきだと思います。「先生、どこかにうどん屋があるので、私は通っているのですが、以前は見ることができなかったのにうどん屋に本物が出てきて、どの家のギョウザがどうで…」そのようなことは、どうでも良いのです。それは、何でも同じです。重要なことは重要に知らなければならなくて、重要でないことは重要でないように知らなければなりません。
・信仰生活をしながら、果して足のきかない者も起こして、5千人も食べさせて、いったい耳が聞こえず、口のきけない人を一気に生かしたから、いったいこの方は誰なのか?
ということです。簡単に答えることができます。皆様にある創世記3章の問題と、皆様が知らない霊的問題を完全に解決なさった方です。だれということでしょうか。神様がそこに祝福を下さいました。これを悟ることが福音です。どれくらい驚くべき事でしょうか。これをずっと味わうことができるならば、それが祈りです。この祝福をずっと味わうことができるならば、全てのものを変化させることができます。このイエス・キリストを信じ受け入れて味わうようになれば、3つの答が出てきます。最初、救われるようになります。いよいよその時から、救われるようになるのです。救いから受けねばなりません。運命、呪いから抜け出さなければならないのです。2つ目は、霊的問題が解決します。このイエスを信じて受け入れるならば、味わったところ三つ目に肉体問題が解決します。さて今日、三つ目に考えてみることは、肉体問題が解決するためには、結果が3つで出てきます。直接解決することがあります。間接的に解決することがあって、他の方法で解決することがあるのです。これは、祈りの答えとそっくりです。神様があなたがたに祈りの答えを下さいます時、すぐにくださることがあります。あるものはくださらないこともあります。私達が違ったことを要求する時には、くださいません。あるものは他の方法で、こういう場合がとても多いのです。これをよく見ることができるべきです。まちがいなく、祈れば答えられます。皆様がイエス・キリストを知って、信じて今から祈れば、どんな結果が出てくるでしょうか?
直接解決することもあって、間接的に解決することもあります。
・釜山で伝道運動を始めたのに、釜山にはお金がありませんでした。大韓民国のお金10%しか釜山にないために、釜山には財閥が出てくることができません。だから、釜山には韓国のお金が10%しかないのです。ソウルに80%あります。残り10%が全国に散らばっています。全羅道、光州そのようなところににはお金がありません。あることが出来ないのです。だから、いくら集めても極貧者です。ないからです。ところが、神様が伝道運動を釜山を中心で実をたくさん結ぶようにされたのです。なぜならば、それは間接的に祝福なさったのです。
・色々な方法を通してです。私が知っている牧師一人は、娘が産まれたのに、大きくなりながら話をすることができない、簡単に話せばおしでした。この方が、その娘を置いてどれくらい祈ったか。何十年祈りました。まだその娘は話ができません。神様がこの娘をどのようにされたでしょうか。相当な祝福をこの牧師をとにかく福音を途方もなく伝える、霊的な力がある牧師にされました。そのようなこともあります。神様は、直接答えられることもあって、間接的にされることもあって、違うのです。
・あなたがたは、イエス・キリストを救い主として受け入れる瞬間、イエスを信じる瞬間に皆様の創世記3章は既に解決されて、皆様の霊的問題、肉体問題が解決するという事実を信じるように願います。ものすごい名前です。10年前に呼ばれたのに、今、現れる名前。影島、釜山に入っていけば、仏像が大きく目に見えました。私がナザレのイエス・キリストの名前で本当に人々を惑わしている仏像が崩れるようにしてくださいと祈ったのです。ある日、崩れました。なくなったので、人々に尋ねたのです。風があまり力強く吹いたので、倒れたということでした。迷信を守る人々は異常です。雨が降らないで、風が吹いて倒れたものは、立て直さないのです。それで今、立てないのです。影島に入っていけば、私たちの教会の上に寺があって、下にも寺がありました。祈りを多くすることもしませんでした。ただ一度、二度すれば不信仰であるから、一回だけナザレのイエス・キリストの名前ですべての偶像と暗闇の勢力が縛られるように。両方のお寺とも、どんなに苦闘してもだめで、復興会をするのにどうやってもだめでした。できるでしょうか。このものすごい名前、イエス・キリスト。あるものはあなたがたが死んだ後に答えがおきます。途方もない名前です。まちがいなく答えられます。
・今日、あなたがたが信仰生活しながら、最も重要な神様が、私たちに与えられる贈り物の中にキリストが誰なのか?
神様が私たち人間に最大の贈り物を下さったのですが、何でしょうか?
イエス・キリスト。これがなんの話でしょうか?
神様が私たちに最大の贈り物を下さったのですが、救いを下さいましたということです。まだ理解できないのでしょうか?
・皆様が、まず呪いから抜け出すことなしでは、どんなに苦闘してもだめだということです。霊的問題が皆様の事業と家庭を覆って入っていくのに、どんなに苦闘してもだめだということです。頭を使えば良いようですが、結局はだめです。そこで完全に解放されなければなりません。イエスの名前で、本当に信じてくださることをイエス様のお名前でお祈りします。
・今日、3つのことを記憶なさることを願います。キリストが誰か?
2番目記憶することは、その方を信じて霊的な瞬間あなたがたは3つの問題が解決します。救われるようになって、霊的問題が解決して、肉体問題が解決されるようになるのです。
・三番目に記憶せねばならないことは、結果は違うように現れるのです。直接なることがあります。あるものは間接的に、あるものは違ったことで。私の場合は、おもに水準がどうなのか分かりませんが、私は違ったことでたくさんあります。私はこれをくださいと言ったのに、他の側からきました。そのようなものをたくさん感じました。一時、私たちの教会が復興するようにと思ったのに、復興しないで、伝道の門はいろんなところに開いたのです。伝道しにいくと、幸いに釜山で私たちのインマヌエル教会で私が伝道できるように手助けしてくれました。そうした後に神様が後で私たち教会を祝福なさったのです。いつでも私が外に行って伝道していると、神様が私たちの教会を祝福なさいました。その時、私が感じたのは、「あ、こういうことなのだな。」ということです。
・神様は、祈りの答えを大きく受ける人は、早く与えられない可能性があります。幼い時、小さい子供が泣くならば菓子を早く与えます。私たちの弟がやたら泣くなら、私の母は、即、菓子を与えました。私が泣くと、すぐにはくれません。何故でしょうか?
水準が高いからです。水準が高ければ、早く受けることができなくてもよいのです。私はおもに性質がそのようだと思います。直接なることがなくて、いつでも後でみれば答えられていて、イエスの名前で祈ってみて、帰ったら答えられているのです。祈っている途中でどこか行ってみて、帰るとまた祝福が現れました。祈っている途中で見れば、私たちの教会がまた祝福を受けて、祈ってみるならば、信徒が答えられて、そのようなことがずっとありました。
・神様が人によって時に従って、色々な方法で答えられるのです。まちがいなく、答えられます。今日、宣教師大会を進行する中に、あなたがたが結論をまた捕まえねばなりません。私が福音を本当に捕まえる瞬間に、暗闇の力は逃げるようになっています。絶対にだまされないで。本当に神様の子供。皆様が福音を捕まえないと暗闇の力は逃げて行きません。これがあなたがたが生きる秘訣です。本当に私は神様の子供です。だまされないで。偶像の勢力にだまされず、私は神様の子供です。すると、その時から暗闇の勢力は逃げるようになっています。皆様をついて回る存在の中に、霊的な存在があります。理解できます。皆知っています。皆様の信仰をよく知っているのです。私が昨日話したのですが、パウロも私が知って、キリストも私が知っているのに君は誰か?
ということは、大きいことです。皆様を見て神様の息子だな、これらが私がパウロも知って、キリストも知って、柳光洙牧師も知っているのに君は誰か?
とするとむなしい事です。皆知っています。皆様が本当に福音を受ける瞬間に、あなたがたについて回る暗闇の勢力、霊的な存在は、みな逃げるようになっています。なんの話なのか知っているでしょうか。記憶すべきです。
・2番目です。私が本当に福音のために生きなければなりません。その時、教会復興もなって、答えも受けて祝福もくるはずです。あなたがたが、今はそのまま惑っていず、なにを回復せねばならないでしょうか。神様がキリストの名前で私たちにものすごい霊的な権威を下さったのです。回復することを望みます。
・ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。私たちに途方もない権威をくださいました。基本です。宣教師と私たちは、早く回復すべきです。その時から、私たちのうつわに従って、私たちが根をおろす信仰にしたがって、私たちの人格に従って、エリート層に、文化層に食い込むのです。これがものすごく重要です。私たちの教会の人格に従って、私たちの教会の信仰に従って、うつわに従って、神様が物質と文化と全てのものを祝福してくださるようになっています。考えてみましょう。
・私達がうつわがならなければ、くださいません。うつわを育てなければなりません。小さなうつわにならず、大きなうつわにならなければなりません。私たちの教会が全世界を見通してこそ、まずそのうつわが大きくなるようになるのであって、うつわが小さければ満たされません。私たちの信仰人格が丈夫で、うつわが大きなれば、エリート層に、文化層に祝福が入っていくことができます。考えてみましょう。ある亡くなった財閥が、途方もない自分の会社を長男に与えなくて、他の息子に与えました。なぜそうなのか、誰でも長男に与えようとするのです。長男を置いておいて、下に与えるでしょうか。それは簡単です。その人が見た時に、長男に与えたら管理ができないようでした。それで与えなかったのです。簡単な話です。父母は、子供をみな愛します。誰かが憎い、というようなことはありません。ただ両親が見る時、「あの子に与えたら管理ができないようだ。だから与えない。あまり与えなければ文句を言うから、すこしあたえよう。」となります。
・神様もそっくりです。みな私たちを愛しておられます。同じでないでしょうか。お金だけできれば、おかしなところに通う人がいます。そのような人は、物質の祝福を受けてはなりません。もし夫がそれなら、祈る時、事業がよくなるように祈ってはなりません。神様が私たちの夫に常にポケットに小銭だけがあるようにしてくださって、こういう祈りをしなければ、小銭だけならばギャンブルしないでしょうが、残ったら行ってしまうでしょう。健康なことも祝福になることができるけれど、そうでない時もあります。神様が皆知って、基本の3つだけ揃えれば、皆様が本当に神様の子供ならば、皆様の周囲にある暗闇の勢力は、今日からあきらめるようになっています。
・皆様が本当に福音のために生きるならば、神様は皆様の家庭、社会、教会を復興させるようになっています。私たちは、これから早く回復せねばならないことが何か?というと、霊的な力です。これは、いつ回復するか、すぐに回復できます。イエスの名前でこの三つの基本を揃えた後に、信仰のうつわを育てて、信仰の人格を育てれば育てるだけエリートを生かすようになって、文化を生かすようになって、経済も帰ってくるようになっています。
・これは宣教師大会の時のメッセージです。あなたがたは、必ず記憶せねばならなくて、一般信者も記憶すべきです。宣教師は、何倍にも祝福を受けなければなりません。それでこそ世界を生かすのです。何故このことがだめなのでしょうか。今日、あなたがたが堅く契約を握って、過去にある不信仰を出してしまうべきです。
・イスラエル民族がエジプトから出て、荒野でカナンの地に行くことがどれくらいうれしいことでしょうか。その不信仰が残って、私達が行く時、飢えて死ねばどのようにするかと心配して、何故水がないのかと、砂漠であるから水がないのが当然なのに、なぜ水がないかと言いました。食べるものがないか、私たちを何故腹がへるようにさせるか、このように荒野を行ったのです。私達が万が一下手すると、損になる過去の不信仰があります。
・今日、あなたがたが不信仰を完全にみな捨ててしまわなければなりません。そして、今はこの契約を本当に捕まえて味わいましょう。素晴しい信仰生活をなさることを願って、私たちのインマヌエル教会、釜山、ソウル、蔚山、みな今、百カ所あまりで衛星で礼拝する私たちの聖徒達、その次に全世界でインターネットで数千名がメッセージに接しています。
・私たちは、今どのようにせねばならないでしょうか。味わいましょう。福音を味わいましょう。ちょっと格好良くして、ちょっと寛容になって、ちょっと格好良く味わいましょう。うつわも育てて。これがどれくらい大きいことを左右しているか分かりません。味わうことができるべきです。信仰生活するなかで、私の場合はそのようにしました。教会に行けば、おかしな人が多いのです。多ければ、その人のように全く同じくなれば、私が損害をこうむります。その人に対してどのようにするか、終わりまでそのまま耐えて待つのです。そうすれば、良いことがあれば育てて、そうでなければ、みな奪われてしまいます。味わうことができなくて、いろいろな人がいます。私が味わうべきなのです。
・皆様、今は福音を味わうべきです。そして、私たちはそのままではありません。神様が与えられる明らかな福音で世界を勝ち取るという未来を持っているために、これをしっかりと捕まえて進むべきです。ほとんどみな、どこに引っかかるかというと、ほとんどすべてが過去に引っ掛かって、本当に異常です。熱心に生きればいいのに、学歴がない人は、学ぶことができなかったということに引っかかって死にます。人々は不思議です。そして、私が少しの間、人々を見ると、信仰生活をよくしている途中で、人生を終える時くらいになれば、むかしに自分の故郷、自分の両親がしていた事をして死んでしまうのです。本当に人とは異常です。
・過去を捨ててしまうべきです。終わってしまいました。私たちは、未信者の時、悪霊に仕えた時、呪いを受けた時に持っている習慣を握る必要はありません。捨ててしまいましょう。神様の子供です。これからは、祈って格好良くするようお願いします。これからは、世界を勝ち取って、神様に大きい祝福を受けねばなりません。そのようにしなければならないのです。神様が、そのうつわに従って、祝福を注いでくださいます。ここには、役員がたくさんいらっしゃいます。
・あなたがたを見ると、世界福音化できるように、率先して走るようになると、多くの人々が付いてくるようになります。私が見ると、昨日も話したのですが、私たちの教会の按手執事と長老達がとても良い方達を神様が立てられました。あなたがたが、先に走れば、付いてくるようになっています。そして、これからは福音を味わうように願います。損することをする必要はありません。味わうべきです。それとともに、未来を見通しながら信仰生活をすべきです。
・一生いやされないれない目の見えない人、また今日見ると、口のきけない者、一生いやされない中風病者、悪霊につかれた者、こういう人々がきて、イエス様にいやされました。その話はむかし話ではなくて、今でも私達が福音を悟ってこそ、私と皆様が持っている霊的問題を解決されることができるのです。
・あなたがたに特に頼みます。説教のみことばをよく聞いて聖霊の導きを受けるように願います。今日、耳が聞こえず、口のきけない人だという程度のメッセージを受けるのではなくて、聖書のみことばを確かに受け取るべきです。なぜ私たちは、神様のみことばを聞いて聖霊充満を受けねばならないのでしょうか。医学的に証拠されました。人が本当に真の勇気を得る時、医学的に証拠されました。真の勇気を得る時、からだの中にある力が
相当なものになります。既に日本の学者が明らかにしました。モルヒネ注射の20倍の力があります。だから、外から取る食べ物も重要ですが、からだの中にある力が相当なのです。これがいつ生じるかというと、真の喜びと勇気が生まれる時に生じるということです。医学的に証拠されました。あなたがたが、何ゆえにイエス様を信じて、本当に祈らねばならないのでしょうか。聖霊充満のために、なぜ祈らねばならないか、一つ、二つの理由ではありません。
・ある日、ある方がイエス・キリストを知らなくて、あとで病気になったのに、病院に行って早期発見をして手術をみなしたのにもかかわらず、時間が過ぎてみたら、からだ中にみな広まったのです。それで、私にこういう話をしました。癌にかかったという話をされた時、衝撃を受けたのです。ところが手術をし終えてより衝撃を受けたのは、それではなく、手術を完全にみな受けて回復をするだろうと考えたのに、からだにみな広まったのです。自分は衝撃を受けたということでした。いやどうして手術したのに、これがまたみな広がったのかということです。幸いに今、イエス・キリストを救い主として受け入れて、この方が信仰生活を始めて、いまは祈りを始めています。
・あなたがたが、神様が与えられる恵みをいつ受けねばならないか、今、受けねばなりません。イエス・キリストの驚くべき恵みをいつ悟るべきかというと、今、悟らねばなりません。それで、既に過去の中から出てくるべきなのです。今は本当に信仰の人として、格好良くこの恵みを味わわねばならないのです。それで終わることではありません。私達がせねばならない世界に福音を伝えねばならないことがあまりにも多いために、あなたがたがこれから受けねばならない祝福があまりにも多くあるために、全世界はほとんどみな死んでいっているゆえに、この福音を伝えねばならないのです。そのような意味で、私たちの宣教師がどれくらい重要でしょうか?
・今日、大きい祝福を受けるように願って、今日、本当に霊的問題が解決することを願います。私は宗教生活をずっとしてきたのに、私の家の中に霊的問題が解決できませんでした。だれが教えてくれたのかは知りません。どのように習ったのかは知りません。聖書を見るなかで、福音に対する衝撃を受けたのです。本当に、これが奇跡で恵みです。私のように誰かが説明してくれる人もいませんでした。どのようにして福音に対する衝撃を受けたのです。その時から、みな解決しました。一名も手助けしなくても勝利するのです。周囲の環境がどんなに悪くても、勝利するのです。この福音を捕まえれば、神様の子供であるゆえに、どんな環境の中に置かれても怖がる必要はありません。確信があるために、怖がる必要がないのです。何を恐れるのですか?
どんなに妨害してもかまわないのです。誰も手助けしなくてもかまいません。誰かが私を殺そうとしてもかまわないのです。何故でしょうか?
神様の子供で、驚くべき秘密を持っているからです。この福音を知っているからです。
・今日、もう一度聖書をよく知って、福音をよく知っておられるでしょうが、今日、悟るべきみことばをもう一度整理してみます。この口がきけない人がなおったというメッセージだけ見ていてはなりません。誰でも福音を受けることができなくて、救われることができなければ、創世記3章に現れる未信者の運命6ケ所から抜け出すことができないのです。誰でも救われることがなければ、どこでも霊的問題がひとつずつ生じます。防止することが出来ません。この人は口がきけなくなっただけです。一つの結果です。
・イエス様に会う瞬間、「開け」とおっしゃって開いたのです。いったいこの方は誰でしょうか?今日、主イエス様があなたがたにいらっしゃって、あらゆるふさがった門が開けと命じて、暗闇の力に勝つ驚くべき祝福が今日、開かれることをイエス様の名前でお祈りします。それで今から何か?
今は本当にするべきです。過去をみな捨ててしまいましょう。そうすれば、良いのです。信仰で出発しましょう。
・私がある人が重要なことをしているのに、この方は、祈りを熱心にします。どれくらいメッセージを聞いているか分かりません。熱心に書いて、ところがこの人が異常なのです。私が見る時は、信仰がものすごく良いのです。熱心に祈って、ところが、一回、衝撃を受けました。仕事をさせたら、完全に詐欺師でした。これが霊的問題だなと思いました。確かに、この人がイエスを信じる人なのに、完全な詐欺師です。ところが、分かってみれば、行く所ごとに詐欺を働きました。きてはハレルヤ、ただイエスのみと言うのに、異常なので、何度か話をしました。これを悟ることができないのです。結局は崩れ始めました。これが何故そうするのでしょうか。その人が救われた人なのかも分かりません。しかし、その過去に縛られて、抜け出られないのです。そのようなものをする必要がありません。
・私たちは神様の子供。今は格好良く生きねばなりません。神様の福音を味わわねばならないのです。過去のすべての呪いから抜け出てきました。どれくらい簡単でしょうか。しかし、想像以上にそのようなクリスチャンが多いのです。仕事をさせれば、おかしなことをする人がいます。すると、自分の損害ではないでしょうか?
その年生きて死ねば良いでしょうが、ずっと生きねばならないのに、地球を離れて他のところ生きることができれば分かりませんが、どのように可能でしょうか。頭が悪いのですが、これがまさに霊的問題です。本当に異常です。
・私はそのような人をたくさん見ました。見れば、祈りせねばならない事だな。クリスチャンは当然に祝福を受けるようになっているのに、これは普通の問題ではないな。あまりに多いのです。この人達が外に出て活動すれば、他の未信者が見て、クリスチャンだと思っているのに、これが福音でないのです。一度は外国から重要な人が来ました。とにかく、執事、長老がいたのですが、この人を完全にだめにしてしまったのです。本当に愚かです。この人を完全に失望させて、持っていたお金もみな奪い取って、食べて生きることもとんでもなくさせたのでした。その時、まさに産業宣教を作るべきだなと思ったのです。本当に異常です。クリスチャンが祝福を受けることは簡単です。何ゆえに損害をこうむるのでしょうか?
私達が暗闇と呪いとサタンから抜け出てきたのです。私たちはこれから何か?
この福音を味わいながら、世界を征服すれば良いのです。
・私たちインマヌエル教会にこういう祝福の人が多く現れることをイエスの名前でお祈りします。より重要なことは、今日、あなたがたにある隠れた霊的問題が解決になるように願います。今日、皆様にある病気がいやされるように願います。もし、皆様に癌があれば、いやされるように願います。皆様が知らない隠されているその病気が、イエスの名前でいやされるように願います。聖霊充満を受けるよう、主イエスの名前でお祈りします。本当に信じてくださることを願います。皆様の残った生涯と時間に、大きい答えを受けるよう祝福があふれ出ることを、今日、最高の日になることをイエス様の名前で祝福します。
契約の祈り>>神様、有難うございます。今日、この時間に復活なさった主イエスが、聖霊で働かれて、エパタとおっしゃられたら、耳が開いて、口が開いたように、今日、主の民に働いてください。聖霊で働いてください。復活なさった主が、霊で働いてください。この時間に主の力で働いてくださって、いやしてください。あらゆる霊的な問題が解決する時間になるようにしてくださって、信徒のからだの中に隠された病気が崩れる時間になるようにして下さって、信徒の生活の中に入っている霊的問題が崩れる時間になるようにしてください。神様の祝福が解決する重大な日になるようにしてください。真の福音を悟る瞬間に、霊的問題が解決する日になるようにして下さって、祈り始める聖霊充満を受けて、日ごとに残った生涯に答えを受ける重要なことがずっとなるようにしてください。今日、そのまま戻らないで、私が神様の子供であり、キリストの秘密を持ったと確信しながら、勝利の歩みを歩いていくようにさせてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
2部 / ダビデの不安
(詩6:1〜10)
・ソウルにいるメンバーとチームを組んで、もし外国に行く時、また一週間いた現場、こういうものをよく取材して、衛星を礼拝する教会と聖徒と海外にいる方達が真の恵みを受けるようにしてあげなければなりません。それで、一週間のニュースの種も見せたり、それからあったいろいろな働きを見るようにしたり、そのようにしなければならないのです。
・皆様が‘本当に神様が生きておられて、私とともにおられて、私たちとともにおられるのだな’これが感じられる時、信仰生活になります。‘私は何故こうなのか?’と言いたいこともあって、‘いったい教会は何故こうなのか?’‘神様がどのように、私の祈りをお聞きになっていてくださっているか?’この程度であれば、相当な損害をこうむっているのです。これで信仰生活をできる人は、誰もいません。それで、教会がしなければならないことが、そういうことを助けてあげることです。
・一度は、ある宣教師が外国に行ったのですが、その方は本物の宣教師でした。それで、その方をすこし助けたら、毎週、私にメッセージを送ってくれたのですよ。宣教地であった話を手紙で送ってくれたのでした。
私達が読んで見れば分かるでしょう? 全くうそのない文章でした。私はそれで何年間、信仰生活をしました。‘こういうことがあるんだな!’という程に月曜日にあったこと、火曜日にあったこと、そういうことを書いて送ってくれたのでした。それを祈ってくださいと送ってくれるのでした。その人は、本来教会では口数が少ない人です。いらないことを話さない人でした。手紙にもむだな話を書かずに、あったことだけを書いて送ってくれました。どれくらい恵みになったか分かりません。信仰生活ができる力が生じました。それだけ現場を見て証しすることが重要です。
・今日は、すべての宣教師が宣教大会をして、あなたがたが今参加しているなかで仕上げのメッセージをよく理解すべきです。私たちに来る苦難と苦しみと困難をどのようにするのか?
このように、今日ダビデを見ながら、捜し出すべきです。誰でもそうです。男でも、女でも、おとなでも子供でも、牧師でも一般信者でも、苦難と困難と色々な問題がくれば、人柄とか、信仰がわかります。その他ではよく分かりません。私たちの信仰生活において、困難、苦しみ、苦難、このようなことがくる時、これをどのようによく乗り越えて活用するのでしょうか?
これは、私たちの信仰生活にとても重要なのです。それで、それがだめになれば、信仰生活がうまくできなくなります。自分の利益と損とで戦いになるということは、いっそのこと信仰人ではありません。それは言及する対象ではなくて、困難がきた時、どのように信仰生活をするか?
これをどのように活用するかが重要です。未信者は、こう話します。“苦難が来れば、よく耐えて待てば、良い時もくる”
それで“苦しみは、成功の父だ” こういう話を使うこともありますが、それは正しい話でもありますが、間違った言葉です。未信者が苦しみを無理に耐えれば、ある日まちがいなく問題がきます。それである人は、思い切り苦労して、病んでしまうのです。そのような必要はありません。それは未信者であるゆえに、そのようにするのであって、私たちは、そのようにする必要がないのです。私たち信者は、神様の子供であるゆえに、これがまさに祝福の踏み台で、これがまさに方法で、まさに道です。困難をどのようにするのでしょうか?
・今日のメッセージの最後に捕まえて、本当に信仰生活を始めねばならないのです。‘なぜ?
私たちに苦しみが迫って、困難がやって来るのでしょうか?’ということは、理由から知っているべきなのですが、大部分70%
- 80%は 自分自身の過ちです。私が少しだけ良くすれば、多くの苦しみがなくなります。しばしば他人に試みを与えるのに、私がうまくいくことができません。執事なのに、ずっと通いながら、常に詐欺を働けば、良くならないのです。人をしばしば困らせるのに、よくなることがあるでしょうか?
しばしば通いながら、むだなことを話すのに、どのように祝福を受けるでしょうか?
ほとんど、自分の過ちで、解決できる問題が70%
-80%です。私が少しだけ解決してしまえば、みな解決します。皆様の中で、皆様を嫌う人があれば‘なぜ、あの人は私を嫌うのか?’そのように考えれば、その人は既に解決できません。私がなにか不足するのかと思わなければなりません。ある人はこう話します。“人々がなぜ私をのけ者にするのか?”その程度になれば、既に精神病に入っているのです。早く自分を注意深くみることができなければ、人をそのように見てはなりません。自分の過ちを悟れば70%
- 80%は、即刻、解決してしまいます。そのようなことであって、それを他人からさがそうとしてはなりません。
・今日、ダビデが受けた苦しみは、そういう苦しみではありませんでした。ダビデが非常に行く所ごとに失敗が多くて、行くところごとに失敗、行動の失敗をして、苦しみに会ったのでしょうか?
今日の本文は、そういう苦しみではありません。ダビデが行く所ごとに、性質が汚くて、毎日戦ったという話ではないのです。ダビデが行く所ごとに、人間中心主義を使って、試みにあって人々が傷を受けたという本文ではありません。そういう考えで聖書を見れば、理解ができないことです。そういう部分は、あなたがたが、心だけ正しく持てば、すぐに解決できることです。それは実際には問題でもないことです。今、ダビデが受けている苦しみは、そういう苦しみではありません。
・皆様、聖書に見れば、突然に子供がみな死んで、財産がなくなって、病気になる苦しみにあったヨブがいます。ヨブの自分の失敗ではありません。私達が人が困難にあうのに、理由を知っていればすこしましです。‘私がこのような失敗をして、このような問題が来たなあ’‘私が健康を用心しなかったので、病気が来たなあ’でなければ、‘私が勝手に生きたから、貧しくなったんだなあ’このようになにか理解ができるのですが、ヨブはそういう状態ではなくて、ある日、寝て起きたところ、息子、娘がみな死んでしまったのです。それもヨブの過ちではなくて、台風が吹いたからです。この頃のように、台風が吹いてみな死んでしまったのです。財産はみななくなってしまいました。そうしながら、ヨブがそこに対して対策があるでしょうか?
病気にかかってしまったのです。家族がヨブを捨てて、友人もヨブを捨てる程になってしまいました。理由もなく、このような苦しみにあう時、私たちはむずかしいのです。ダビデが会った苦しみは、今、私達が話す一般的な苦しみではありません。
・ダビデが受けた苦しみは、約3つの理由がありました。最初です。ダビデは義人であるゆえに、信仰の人であるゆえに受けた苦しみでした。今でもそうで、以前にもそうだったように、大部分の人々が未信者です。それで、信徒の大部分が不信仰者です。そして、信徒の大部分が人間中心主義者です。ダビデがここで信仰生活をしようとするので、難しいのです。この苦しみに会うのです。面白いことには、私がまだ-分析がよくできないかもしれませんが-子供はよく知らないのですが、会ったおとなの中で‘私が損するのに、私に困難が来るのに、神様の栄光のために耐える’こういう人を見たことがありません。私はまだ会ったことはないのです。牧師の中でも、まだ会ったことがありません。少しでも損害がくれば神様もなくて、福音もなくて、教会も必要なくて、先輩もなくて、後輩もなくて、前後もなくて、左右もなくなります。ほとんどみながそうです。子ども達はよく分かりません。それで、私がずっとREMNANT
運動をするのです。ですから、おとながほとんどそれがだめなのです。私がまだ見たことはありません。それで、いつも用心しなければならないのです。できれば、損害を与えないように用心しなければならないのです。そのようにしないならば、狂った人のように出てきます。ほとんどの人々がみなそうです。
・ここにダビデがやられたのです。ダビデが失敗をしたり、盗みをしたり、話を間違ったりしたのではなくて、ダビデがあまりにも信仰の人です。信仰がない人々が、ダビデをずっと殺そうとしたのです。今、この苦しみです。ですから、簡単な話ではありません。ダビデの周囲にいる人で、信仰の人があれば、ダビデを支援するはずなのに、サウルと彼の臣下が、ダビデをずっと殺そうとしたのです。ダビデがそれゆえに受けた苦難です。例を上げれば、ヨセフのような人は、信仰の人です。ヨセフの兄は、神様と関係なしで生きる人々です。ヨセフの兄達は、神様を信じる家庭ですが、食べて寝て使うことの他には知らない人々です。それで、ヨセフを殺そうとするのです。新約聖書に見れば、パウロのような人々が、そのようになって苦しみを受けました。このダビデが受けた苦しみは、信仰の人であったゆえに受けた苦しみです。
・2番目の特徴は、ダビデは実際に実力があって力がある人です。それゆえに、受けた苦しみです。大部分の人々は、力がありません。それゆえに、力あるダビデを殺そうとするのです。簡単に話せば、その苦しみです。ダビデがある日、王もぶるぶる震えており、軍人もぶるぶる震えており、あらゆる将軍が震えている時、40日間、神様とイスラエルを侮辱していたゴリヤテを一発で破ってしまったのです。ダビデは、たいした人物です。ゴリヤテを破って、偶然に勝ったことではないという証拠に、ゴリヤテの首をはねて、頭を王の前に持ってきました。これほどのダビデは、普通の人物ではありません。その時から、イスラエルが危機にさえ陥れば、ダビデが戦争をみな防いだのです。普通の実力の人ではありません。そうしながら、王が過ぎて、人が過ぎ行くのに女たちの口が問題で“ダビデは万で、サウルは千”
サムエル上 17章をみれば、出てきます。“サウル王が千ならば、ダビデは万だ”
と歓呼を叫んだのです。サウル王がそれを聞いたのです。サウル王がそれを聞いた瞬間、狂ったのです。‘そうだな、私が娘婿をよく選んだな。’このようになるべきではないでしょうか?
‘私の娘婿ダビデは、勇気があって、信仰がある将軍だな。本当に神様に感謝する。我が国が困難に会う時ごとに、ダビデが困難を防止するよ。本当に神様の恵みの恵みに感謝する’このようにしなければならないサウル王が、狂ってしまったのです。“私が千で、ダビデが万ならば、どのようになるか?”
このようになったのです。それで、ダビデを殺そうと、どれくらいいのちをかけて、短い歳月でもなくて、30-40年追って回りました。皆様に3年だけ誰かが困らせても、どのようになるでしょうか?
・私は、前にどこかで寝たのに、外に真黒な人が3時間、このように立っていたのに、ちょっと異常でしたよ。眠ることができませんでしたよ。‘あの人は、何をする人か?’
異常でした。この頃は祈ったところみな逃げてなくなったのに、以前にはたくさん付いて回りました。一度は、明け方2時に電話がかかってきて、いきなり“先生。私です。”と言ったのです。“私ってだれ?”時間が2時なのに、電話がかかりました。私が光州にいた時でした。“私が誰々ですが、今、牧師様にごあいさつしようと上がります”
ということでした。 “今、2時ですが。”と言ったのに、急な事だとやってくるということでした。それで、私が瞬間的に来てくださいと言ったのですが、考えてみたら、誰かわからないのに私が上がってこいと言ったので、フロントに電話をしました。その時、たまたまエレベーターが速くおりなかったのです。この人がエレベーターが速くおりて行けば、乗って上がってきたのですが、私がフロントに電話をしたのです。“おかしな人が部屋に電話をしたのだが、誰か?”と尋ねました。“前に立っている”ということで、フロントの人が尋ねたのです。“誰か?どこから来たのか?
住民登録証をちょっと見せなさい” と言ったら、逃げたのでした。そういう人もいます。おかしな人々が多くいました。
・ところが、ダビデは30-40年間、ダビデを殺そうと付いてまわったのです。なんの国も考えない軍人が,
神様の恵みを考えない愚かな政治家たちがダビデを殺そうと付いて回ったのです。これは、普通の難しさではありません。簡単に話せば、ねたんで嫉妬をしたのです。その時、サタンが働いたのです。皆様がこのような苦しみににあうならば、どのようになるでしょうか?
ある程度、人には実力があって他人からねたまれるならば、耐えることができるので、他の見方をすれば、幸福な苦しみということができます。しかし、ダビデはそういう程度ではありません。ダビデを殺そうとするのです。1年、2年ではなくて、王権を持って軍人を集めてダビデを殺そうとするので、ダビデが難しいのです。
・実力がない人々、無能な人々、間違った人々が多くいます。私たちの学生達、青年達はよく記憶しなければなりません。皆様がしっかりして、傷を受けないで信仰生活をよくしようとするなら、私の話をよく記憶しなければなりません。大部分のにせ物が、皆様に近づいてきますから、ともすると傷つきます。でなければ、皆様が共に巻きこまれて行くのです。注意しなければなりません。これだけ知っていれば、あなたがたは成功します。特に宣教大会の宣教師は、記憶しなければならないことで、特に私は宣教師より
REMNANTが記憶をしなければならないことです。皆様が生涯を歩いていく道に、気落ちもせずに、高慢にもならないで。皆様、これから信仰生活をしていて、困難が来たら、絶対に揺れないで。真理が勝つので、真理でないことが勝つことはありません。皆様、瞬間に起きる事に揺れないように。私は必ず頼みたいのです。世に出てみれば、ほとんどみな信仰がない人々が取り囲んでいて、教会の中にもほとんどみな信仰がない人々が攻撃をして、皆様がなにか正しく主の働きをしてみようとすれば、実力がない人々が皆様について、皆様の実力を防止します。
・いままで、時代的に全部みな異端だと寃罪をこうむった団体が、皆、正しい福音を持った団体で、異端だと汚名をかぶせた人々が、実力がない能力ない団体でした。その人々が、異端の汚名をかぶせたのです。一度も例外なしにです。何の福音もないパリサイ人が、初代教会を異端にしてしまったのです。力はなかったのですが、数が多かったので異端にしました。何の力もなくて、福音もない中世教会が、マルチン・ルター、ヨハン・カルヴィンのプロテスタントを異端にしてしまったのです。数で異端にしました。時代ごとにそうです。教会が寝入っている時、18世紀にヨハン・ウエスレイが起きました。間違いなく、異端にしてしまいました。米国に教会が寝入っている時、19世紀末に起きた人がムーディーです。ムーディーが起きた時、米国の人々は、合理的だと思っていたのですが、そうでもありません。米国教会が間違いなくムーディーを異端としたのでした。
・いつでもそうです。私は、特に宣教師が記憶せねばならないことが、今日のこのみことばだけは、ダビデが受けていた苦しみだけは、私たちREMNANTが記憶しなければならないことです。どんなことがあっても、気落ちしないで。実力を育てましょう。信仰を育てましょう。必ず真理が成功するのです。ところが、その背後にダビデはなにを知って耐えたのでしょうか?
・三番目です。ダビデが受けた苦難は、そのままやられる苦難ではなく、サタンが攻撃をすることですが、神様の計画を成し遂げる苦難でした。これを知っていたのです。ダビデは勝ったのです。ダビデは信仰の人です。実際的にダビデは実力がある人です。ところが、ダビデがどのようにこの苦難を耐えることができたのでしょうか?
ダビデが神様の計画が、その中にあるということを知っていたのです。これが重要です。臣下がサウル王を殺そうと何度も話しました。ダビデがそのようにしないようにと言いました。はなはだしきは、ダビデは神様が立てたしもべを人が触って良いだろうか?
しないと言いました。ダビデがサウルを害する機会はいくらでもあって、皆様がおわかりの通り、ダビデの実力は、たいしたものです。とても優秀な将軍です。いままで出てきた人物の中で、ダビデほどの人物が出てきたことはありません。とても勇士で、将軍であり、信仰の人でした。このダビデが、サウルに勝つ機会がいくらでもあったのです。触らなかったのです。そのまま耐えたのではありません。無条件に耐えれば、病気になるでしょう?
神様の計画をさがしたのです。神様が私にこのように訓練をさせて、良い国と良い神様の計画を成し遂げようとすることだと、ダビデが知っていたのでした。
・ダビデが困難を受けた時、困難を話したのですが、実際にはその反対の話を多くしました。その代表的な詩が詩篇23篇ではないでしょうか?
“主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。”
私には、何の不足もないと言いました。“たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。”
そのように話しました。ダビデが難しい時、どのように耐えたかということをよく見せていることです。私たちは、ダビデの生涯に対する話を既に何回もしました。
・特に、私たちの学生達、全世界に散らばっているREMNANT、あなたがたが信仰を急に習おうとせずに、正確に習いましょう。皆様が早く答えを受けようとせず、遠くを見通しましょう。今、全世界に散在した留学生でも、米国にいるREMNANTでも、ヨーロッパに世界のREMNANTがいます。即、早く答えを受けようとしないで、神様が正確に答えられるために、全生涯において遠く眺めて、ダビデのように信仰を準備しましょう。実力を準備しましょう。そして、神様の計画を成し遂げましょう。ダビデがこれを知っていたゆえに勝利しました。
・皆様一人ももれなく、祝福を今日受けてくださることを願います。ところが、実際にだまされやすいのが、神様の計画と知っていながらも、来る苦しみに倒れることです。そうではないでしょうか?
私達がまちがいなく自分の過ちなのに、これを悟れば神様が答えを下さいますはずなのに、知っていながら倒れるのです。その時、起きることがサタンの策略です。策略をするのではないでしょうか?
それで、この苦しみは元々創世記 3章からきたのです。それで、根本解決策が、イエス・キリストです。そうではないでしょうか?
それで、これからその契約を捕まえて勝利をしなければならないのです。
・すると、ダビデはこういう困難を瞬間瞬間、どのように勝ち抜いたのでしょうか?
6篇9節を見ましょう。“主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる。私の敵は、みな恥を見、ただ、恐れおののきますように。彼らは退き、恥を見ますように。またたくまに。”ダビデが今、神様の前にする重要な話です。
特に8節には“不法を行なう者ども。みな私から離れて行け。主は私の泣く声を聞かれたのだ。”
主なる神様が、私の涙の祈りをお聞きになったということです。祈ったということです。“主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる。”
ダビデがこういう困難をどのように耐えたのでしょうか?
祈りで勝ち抜いたのです。ダビデはもちろん、信仰があります。ダビデは実力もあります。ダビデは、神様の計画を知っていて、知恵もあります。しかし、このような難しい環境を祈りで勝ち抜いたのでした。
・宣教師は、宣教地に帰ったら、2つのことだけすれば成功します。福音を正確に教えて、祈りを正確に教えれば良いのです。すると成功するのです。祈りをどのように悟ったかが、福音の色合いです。また、祈りをどのようにするのかを見れば、性格と色合いがみな出てきます。それで、あらゆる信者に祈りをどのように教えるのか?
これが宣教師の大きい鍵であり、武器です。そして、ここにいる一般信者が最も習うべきことは、福音ではありません。福音は既に神様がくださったのです。その福音をどのように味わえば、祈ることかが鍵です。そして、ここにREMNANTがおきているのですが、これから歩みの中で、外で社会に行くなかで、何を正しく学んで行かなければならないのでしょうか?
祈りを学ばなければならないのです。すると、
みな解決にするのです。今、皆様がいかなる困難にあっても、本当に祈るならばみな解決するはずです。皆様がこれから、いかなる困難がくるとしても、祈りの秘密だけ持っているならば、勝利するようになるはずです。祈りは何なのでしょうか?
神様の御座の前に持ちあげられるだけでなく、祈る時、霊界にものすごい事が科学的に起きるのです。皆様が祈る時、暗闇の勢力がみな崩れるのです。すると、すごいことです。ダビデが祈りで勝ち抜きました。人は人にはよく分からないことがあります。神様の前に貴重に大切に用いられようとするなら、祈りの秘密がなければなりません。絶対的にです。REMNANTが悟らなければならず、私たちの宣教師がこの秘密を味わうべきです。ところが、祈りを苦しんでする理由がありません。祈りで本当に幸福を感じることで、ここで祝福をみな探すのです。
・ダビデがどれくらい祈ることが好きだったかというと、感謝しつつ、主の大庭に入ると、王宮に入っていく気分です。それほどうれしいのです。皆様が今、どの程度にならなければならないのでしょうか?
聖日に教会にくる時、本当に感謝のささげ物を持って、王宮に入って行くようにするならば、皆様は本当に良くしているのです。正しく祈りをしているのです。私たちの教会がすこしなることを見るのは、みことばを受けようと人々が、学生達が、前に座って、早く来るのを見れば、ちょっとなっているようです。あなたがたが、本当の答えを受ければ、本当の物質の祝福を下さいます。感謝せずに何をするのでしょうか?
せざるを得ないでしょう。それを持って神様がともになさるのに、どこに行くのでしょうか?
王宮に入っていくのです。 感謝して宮廷に入っていくのです。王が特別な賞を与えるために臣下を王宮に呼んだのに、臣下がどれくらいうれしいか分かりません。そういう心で、入っていくのです。何故でしょうか?ダビデが王を知っていないでしょうか?
王だからそのようにしたのです。ですから、臣下が大きい賞を受けに入ってくる時、どのように入って、王がどのようにしているか知っているではないでしょうか?
あなたがたが、本当にそういう祈りの秘密がなければなりません。回復する祝福が本当にあることを主の御名でお祈りします。
・それで、私が今、全体を説教で説明するのが難しいのです。私自らが説明をすこししようとするならば、皆様自らの聖霊体験をしましょう。純福音教会のようにですか?
そのようにしてもかまわないけれど、必ずそのようにしなくてもかまいません。皆様自らの聖霊充満は、こういうことだな!!
という体験をしましょう。何故でしょうか?
聖書にそうしなさいとなっていからです。エルサレムを離れず、父が約束なさったことを待ちなさい。どのようにすれば良いのでしょうか?
それは、皆様自らの方法が違うことがあります。
・私がこういうことがありました。1,2ケ月間を神様の前に深く入って祈る時があります。それが神様の恵みです。朝、昼、夕方に礼拝をささげました。本当に祈ったのです。ところが、それが一度も抜けなかったのみでなく、一度も心に感動がなかったことがありません。とても感動しました。奇跡です。それとともに、その時、あらゆる答えをみな受けたのです。その時、世界の福音化の考えをみなするようになりました。本当に不思議ではないでしょうか?‘あ!
これが聖霊の充満だな’ 私はその後から定刻の祈り、常時祈りをみなするようになりました。
・ある人は、祈りがあまりにできないで、知らずにいている途中で、教会で修練会に行きました。自分一人だけ朝を断食しながら祈ったのです。何故でしょうか?朝の断食は、可能ではないでしょうか?
それをしながら祈りをしたのです。ところが、夕方に集会を終えて祈るのに、神様が大きい恵みをくださったのです。そのように喜びが生まれて、力が生まれながら、確信が与えられたのです。簡単に話せば、その集会でとても恵みを受けたのでした。それが、その人の聖霊充満です。この時から、その人に変化が起き始めたのでした。ある人は、タラッパンに参加して、イエスを受け入れし終えたら、とてもうれしいと言いましたよ。ずっと笑いが出てくると言いましたよ。それで、金曜徹夜にきたのに、その日には、神様に全てのものを告白して祈ったのでした。ところが、その人の病気がよくなりました。それが自らの聖霊充満です。自分自らの聖霊充満を体験したのです。あなたがたにそういう部分が必要です。無理せず、皆様自らの重要な祝福を見ることができる考えをしてみる必要があります。
・特に注意するべきことは、私の息子、娘をはじめとして、ここに長老の子供、牧師の子供達がいます。この人達が、一番に祝福を受けたのに、のがしやすいのです。なぜなら、幼い時から教会に通ったためです。なにかを感じることができないことがあります。根があるために良い所もあるのですが、そういう部分で損をすることがあります。こういう方達は、わざわざでも1年に一度程度は、祈りの時間を作りましょう。1年に一度は断食祈りをする日を作って、一、二日神様に祈りをしてみましょう。これがなんでもないことのように見えても、人生全体を変えることができます。見るのには何でもないことのように見えても、重要なのです。いつも食べているから、一年に1・2
回程度は、腸の清掃することもかまいません。ですから、神様の前に祈ることがどれくらい重要か分かりません。
・私は自らの体験、私が2ケ月間、福音運動を置いて祈りをする中で、神様の深い恵みの内に入っていったのです。そして、確信を持ちました‘福音運動をしなければならない’という確信が、他の人には理解できないほどきました。これが、これから聖霊充満です。性格に従ってくることです。私の場合には、よく雰囲気に乗る性格ではありません。それで、私がいままで生きながら、兄、弟と決めたりすることがありません。私は雰囲気に乗る性格ではないのです。私は、単に人が良いか悪いかと考えるだけです。雰囲気に乗る性格ではありません。ですから、祈っている途中で気絶して、こういうことがありません。ある人は少ししたら倒れますが、ある人は祈梼院で少し祈ったら、倒れてしまったのに、早くまた変わってしまったのでした。私はそのような体質が出来ません。すこし恵みを受ければ倒れて、すこしあとで精神を整えて起きて家に帰る、こういう性格ではありません。それで、神様が体質通りに答えを下さるのです。私は深く考えてみて、間違いないとする体質だと、神様がそのように答えを下さいます。ですから、人によって違うことがあります。明らかなことは、エルサレムを離れないで、父が約束なさったことを待ちなさい。聖霊充満すれば、力を受けて、エルサレムと地の果てまでみな
生かすことができるように力を与える。そして、証人になるはずです。この難しい問題をダビデは祈りで勝ったのでした。
・すると、聖書をすこし整理する必要があります。アブラハムという人が困難に会いました。故郷、父の家を離れたのに、全くこういうことがあるのか?
おいが立ち向かうということです。おいロトの働き人とアブラハムの働き人とけんかになって、家庭に問題が生まれました。ロトはいかなることか分かりませんが、叔父には大きい衝撃です。考えてみましょう。弟が兄に立ち向かうといっても、普通の問題ではないでしょう?
以前に、うちの町内にそのようなことを見たことがあります。弟が兄とけんかするから出てこいと言いましたよ。兄がびっくりしてじっとしていました。どれくらいびっくりするでしょうか?
ですから、おいが叔父に立ち向かったのです。この時、アブラハムがどれくらい傷になったでしょうか。おいにみな譲歩して、創世記
13章 18節に見れば、その上に祭壇を積んで祈りし始めました。アブラハムが大きい成功をしました。富豪になりました。簡単に話せば、本当の祈りをしたのでした。
・ヤコブが20年間、兄から逃げていたのに、20年ぶりに故郷が恋しくなって、お金をもうけて帰ってくるのに、その時までも兄のエサウが恨みを解かないでヤコブを殺すと、刀を持ってきて待っていたのでした。兄の歓心を買うために、贈り物も持って全てのものを準備して行ったのに、兄が軍人400人を連れて、今出てくるのです。弟を迎えに来るのに、なぜ軍人を連れて出るでしょうか?
ヤコブが感づいたのです。まだ兄が起こっているな。軍人
400人を率いて、自分を殺そうと出てくるのです。その時、ヤコブが兄に会うことができなくて、その時、ひざまずいて祈ったのでした。そこがヤボクの渡しです。そこで、神様がヤコブを見て“あなたの名前をイスラエルとしなさい”と言われた、その現場です。祈りの秘密ということを体験することは、相当になるのです。
・国はなく、忠臣もなくなって、王が必要でしょうか?
国がなくなったのに。すべてが捕虜になったのです。捕虜になったのに、ダニエルという人が自分は良い地位についたのでした。ダニエルは、簡単に話せば、捕虜になってしまった状況でも、成功をしたのでした。普通の人ならば、適当にしたでしょうが、ダニエルは、そちらからエルサレムに向けて、一日に三回ずつ祈ったのです。定刻の祈りをしたのでした。神様は、ダニエルに時代的な知恵を与えてくださいました。祈りを回復する祝福が、皆様にあることを望みます。皆様は、どんな問題でも、福音の人で、祈りの人であることが確実なので解決できます。
・ある人が、王になるやいなや、心にだけいだいていた国のあらゆる偶像をみななくしました。そして、アッシリヤの国に、私たちは神様に仕える国なので、税金を出すことが出来ないと言ったのです。その王が、まさにヒゼキヤ王です。これだから、強い軍隊であるアッシリヤ王が、イスラエルに
18万5千の軍隊を連れて攻めて来たのです。その日の夜に、U列王19章に見れば、夜通し祈りし始めたのでした。実際に、いのちをかけて祈り始めたのでした。ところが、おかしな事が行われました。今でも社会学者の研究には、アッシリヤが寝ている途中で、なにかに窒息して死んだとなっています。ところが、聖書には、アッシリヤの軍隊18万5千がみな死んだとされています。本当に驚くべきことです。だから、アッシリヤ軍隊が、ヒゼキヤ王を捕虜にするためにきたのですが、みな死んでしまったのです。人が死ぬことはありえることですが、ひとりでなく18万5千名がみな死んでしまいました。こういう事が、歴史にも記録されています。この祈りの力は恐ろしいのです。
・皆様がどんなに困難に会ってもかまいません。U列王6章に見れば、これを知っていたエリシャは、いつも祈っていたから、国家も生かして、次の世代を育てました。それで、パウロは聖霊のなかでいつも祈りなさいと言いました。間違いありません。私は、最後のメッセージとして、宣教師に偽りない真実を話したいのです。本当に福音ならば、あらゆる問題は終わりました!
本当の福音を味わって祈れば勝利するようになるはずです。お約束します。
・少し前に、癌患者に会って“あなたが本当に祈れば、直っても直らないでも、本当に勝利するようになるはずです。聖霊充満を受ければ終わることです。”
と言いました。学生達が勉強もしなければならなくて、することが多いでしょう。皆様がどのように勉強をするのでしょうか?
福音の中にある皆様が、本当に祈りを開始して、祈りのなかで勉強を開始しましょう!
それで、真の成功をしましょう! 確かに話してあげたいのです。ダビデが、この困難をどのように勝ち抜いたのでしょうか?
祈りで勝ち抜きました。勝利するようになることを主の名前でお祈りします。
・整理します。特に学生達ゆえに整理します。あまり信仰がない人々が大部分であるゆえに、ダビデが信仰を守ることゆえに苦しみに会いました。世の中の人々が、全部いいかげんで、実力もありません。変にするのです。こういう人々が大部分なのに、この中で正しくしようとするので、困難に会うのです。また、それのみでなく、本当にこの世に霊的な問題のようなものがあまりに多いのです。神様は、苦しみをなくすことができない神様ではなくて、ダビデに向けた神様の計画があったのです。ダビデがそれを知っていたために、苦難がなにかをよく消化したのでした。どのように消化したのでしょうか?
祈りで! ダビデが夜明けに行って、祈ったり、いかなる時は洞窟の中に入っていって、祈りを多くしました。ダビデは、この重要な祈りを幼い時に習ったのです。それで、レムナントが重要なのです。皆様が祈る方法を知らないのですが、突然に問題が来たり、癌になれば、難しいのです。とても重要な方が、癌にかかったのですが、その方の家が全羅道なので訪ねてみたら、祈る力さえなくなっていました。私の胸の中でだめだなという気がしました。少なくとも、祈る力はなければならないのに、祈る力がありませんでした。それで私が本当にせつなかったのですが、人間の勝手にできることではないので、どうすることもできませんでした。
・大きな事をするようになったダビデの祝福の理由が、福音を知って、祈りの秘密を知っていたことです。私はこれを贈り物で差し上げたいのです。青年の時に、この秘密を知っていれば、一名ももれなく成功します。私がいままで調べた結果、福音を正しく知って、祈りの秘密を味わう人が失敗するのを見たことがありません。どれくらい簡単でしょうか?
私が見た結果、福音を正しく知らない人、祈りの秘密を知らない人が、成功した例もありません。したかのように見えますが、後ほどみな崩れるのです。しかし、福音を悟った人は、永遠に滅びません。少しだけ祈りの秘密を悟れば、特に学生の時に悟れば、永遠に勝利するようになるのです。学生の時、聖霊充満の秘密を少しだけ悟れば、年を取るほど勝利するのです。間違いありません。ダビデは、これを羊飼いをしながら習いました。羊飼いをしながら、神様に恵みをたくさん受けながら、祈って、賛美したのです。そうしながら、後ほど大きくなって、困難がきた時、この秘密でよく勝つことができたのです。あらゆる宣教師、聖徒がこの祝福を回復する日になることを願います。ここに座ったこと自体が答えの開始であり、祝福の始まることを主の名前でお祈りします。
<<契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。今日、貴重な神様の人々が、この席に集まりました。世の中はあまりに悪いのです。神様が私たち、特に宣教師とレムナントに霊的な力を与えながら、世の中はあまりに信仰がありません。私たちに信仰を与えてくださって、神様の計画を発見して、真の勝利をするしもべになるよう、祝福を与えてください。私たちの宣教師に、この苦しみと苦難に会う中で、どのように勝利して、彼らを導くことかという答を得ていく、貴重な機会になるようにしてくださり、今日、あらゆる聖徒が福音のなかで祈りを回復する真の証人になるようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。
-アーメン-
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