2002年 9月 22日 インマヌエル教会聖日メッセージ
1部/ しるしを求める世代
(マルコ8:11〜13)
・今、通訳問題について質問する方達がたくさんいますが、今現在、通訳室でライブで通訳しています。皆様がインターネットをよく活用すればよいでしょう。また準備中ですが、通訳する人々が多くなれば、ここで通訳して、放送もしようとしています。まだ開始段階であるゆえに不便な場合もあるでしょう。理解して、今現在、全世界でインターネットでメッセージを受ける方達が、特別に恵みを受けるように願って、今、百ケ所あまりで礼拝している多くのレムナントに祝福があることを望みます。
・今日、しるしを求める世代というタイトルをつけたのですが、信仰生活を初めて始める方がいるならば、最も重要なことは何か?
というと、信仰生活を本当に福音に合うようにすることが最も重要です。もし皆様が信仰生活を一生したのに、違うように信じたとすれば、それほどの損害はありません。それで特に学生達、青年達がそうです。福音を正しく悟るということが、とても重要です。下手すると、誤って悟ることがあります。すこし理解するのが難しい話でしょうが、表現しようとするなら、私が多くの信仰人に会った時、‘これではない’そのようなことを感じるように、信仰生活をほとんどすべてが違うようにしています。それで、この部分ぐらい重要なことはないのです。私は繰り返し話そうとしても、この部分ぐらい重要なことはありません。
・信仰生活を自分の体質通りするとか、そうでなければ、自分の感じ通りするとか、でなければ自分の気分通りするならば、正しい信仰生活をすることは難しいのです。それで、他の人が答えを受けたことと混ぜるのも重要だけれど、自分が正しく答えを受けるということが、本当に重要です。
・一生、信仰生活をしたある牧師、長老に会って、静かに話を聞いてみれば、この方達がむかしに初代教会の時、滅ぼされたパリサイ人と少しも違わない信仰生活をしているということを、本人達が知らずにいるのです。
・またある人は、ものすごく祈りを多くすると言いますが、私が見る時には自分の体質に耐えることができなくて毎日祈るのです。これが恵みのように見えるのですが、人々はほとんどみな信仰生活を違うようにしています。信仰生活を正しくするということは、それこそ重要で、それこそすべての答えです。
・ある人は奉仕をすると言いますが、なにかが本質でなく、はずれています。そこで最も重要なクリスチャンさえも錯覚しています。「信仰生活を間違って罰を受けているようだ、何を間違ったのか、熱心にできないで水曜礼拝も抜けて、聖日も抜けてたから」このように言います。もちろん正しい話です。正しい話ですが、信仰の本質ではありません。なにか知らないで、信仰の最も重要な本質をはずれている信仰生活をとても多くしているのです。
・本人がほとんどみな知らずにいます。私は、幼い時からどれくらい伝統保守信仰生活をしていたか、私が見る時には、完全にパリサイ人です。愚かな私が見ても、完全にパリサイ人なのに、未信者が見る時に絶対にその人を見てイエスを信じることはありません。
・こういう場合が、とても多く何かを良くしたかの様に見えますが、違っているのです。もう一度、私達が正常なのか確認して、私が本当に正しい福音を知っているか?
ということが、ものすごく重要です。私がどのように信じるかということは2番目です。なぜならば、私達はよく信じることが出来ないからです。
・私と皆様がよく信じるということは、実際には、大変なことです。それも神様の恵みであって、ただ正しい福音を知っていることがものすごく重要です。これだけできれば、あらゆる部分に応用も、解釈もほとんどできます。特に、私たちの学生達は、こういう部分をよく理解しましょう。またある人々は、自分の体験により信じるしかありません。すると、それが知らなく行き過ぎるのです。
・今日、ここでイエス様にきてこういう質問をしました。パリサイ人達が、イエス様を厳しく非難しながら、試みようと自分たちが持っている本質を出したのです。「あなたが、もし神様の息子ならば、天からのしるしを見せてみなさい。」そのように話したら、イエス様が深く嘆息されたと書かれています。この本文が、マタイの福音書
12章 38節から40節に出てきます。イエス様は、悪い淫乱の時代は、しるしを求めるとおっしゃられました。この話は、その話だけ見ると、ちょっと理解ができない部分です。
・それで、私が序論に話した部分を理解しなければなりません。信仰生活を長くした方も同じです。どんなに長く信じても、なにか信仰の本質をはずれているので違うのです。こういう部分が、私が見る時には一番に重要だと思います。
・信仰生活に最も重要なことは、何をせねばならないかということではありません。私がどれだけ、どのようにせねばならないことか?
は、その次のことです。最も信仰の重要な本質を捜し出さなければなりません。これを捜し出すことができなければ、私達は、宗教とそっくりです。それで敢えて、私が話すのは、寺も福音がない教会も、違わないということです。全く同じです。天理教や教会の何が違っているのでしょうか?
福音が確実でなければ教会と、福音でなく別のものが確実な天理教も同じです。
・一度、ロシアに行ったのですが、ある方がとても大きな建物を見て、「あれがおかしな宗教団体の建物です。あれはとてもおかしな団体ですが、力があるので、大統領も手助けしている」と話をしました。それで、私が笑いながら‘何も必要でしょう。人々を手助けしたり、大統領も会って、あんな建物でも福音を伝えない教会と何が違うだろうか?
全く同じです。’イ・スン先生がよくわからなくて、頭をそばで振っていました。私の話をよく分からなかったようです。
・しるしを求めるのが、どうして誤っているということでしょうか?
人は、しるしを見れば、誰でも信仰と力が生じます。これが重要ですが、危険です。皆様がしるしを見れば、誰でももし皆様がここにきて相当な
人々が力を行なうならば、たくさん付いていくようになるでしょう。はなはだしくは、タラッパンにおかしな人が現れて、何名かずつ散らして行く人もあります。その人々は、なにかを見せられると揺れるのです。はなはだしくは、牧師達まで行って見て揺れます。それを見る時、イエス様のみことばが理解できます。‘この悪い淫乱の時代’理解できるでしょうか?
私達が福音を正しく知らないからです。私が一度みたら、おかしな人が現れたのですが、そこに牧師が列をなして、それがどれくらいせつないことでしょうか?
本質を探すことができないからです。本質を捜し出すということは、正確に話せば、じっとしていても良いのです。
・重要なある青年が結婚をするようになったと、私に挨拶しにきました。それで、私がこういう話をしました。「本当に福音を知っていれば、じっとしていてもかまわないのです。本当に福音を知っていれば、神様がなさることを知るようになっています。本当に福音を知っていれば、神様の子供になります。」そのような話をしました。
・私と皆様の最も重要な部分が、その部分です。いままで私が神様の働きをたくさん見たのに、助けになることはあります。信仰が生じます。私が過去に生きてきたか、伝道運動したか、その間たくさん宣べ伝えたメッセージや神様の証拠を見ながら、信仰が生じて、力が生じます。それが間違っているということではありません。そして、また私が信仰がない時期、あちこちさまよっていている途中で証しを聞いて、信仰が生じました。そうする時、しるしということは重要です。私が信仰が生まれ始めた時、神様が多くのしるしを見せられました。はなはだしくは、福音を伝えてきたら、悪霊につかれた者がよくなって、また福音を伝えてきたのに、精神がおかしな人がいやされて、はなはだしくは、福音を伝えてきたのに患者が起きるこういう場合をたくさん見ました。こういうことを見ながら、私が力が生じることがありました。力が生じます。それが違っているということではありません。
・私達が信仰の重要な本質を理解するということが、とても重要です。一度はこういう事がありました。他の人ではなく、私たちの親戚のおばなのですが、この人が絶対にイエスを信じなかったのです。私の母が、どんなに話をしても信じませんでした。そして、グッ(降霊術)もして、そうしながら重要な病気にかかったのです。これ以上だめだという病気です。最後にだめだと思って、その時だけ教会に行くと言いました。自分の口で教会に対して反対して、悪口を言った人なのですが、私の母に付いてくる時、ある集会に参加してひっくり返ってしまったのです。簡単に話せば火を受けて、ガンなのにいやされたのです。その時、私は信仰がない時でした。‘何かがあることはあるんだな’こういう気がしました。どうしていやされるのか、それも薬をのんで永らく治療するのと違って。歩いていく瞬間、いやされたのです。今考えれば、神様の計画なのですが、私がそれを見た時、信仰が生じたのですよ。こういうことが間違っているということではありません。
・今日イエス様が12節に見れば、そのことばを聞いて「しるしをみせてくれ」と言われて、深く嘆息されたとなっています。はなはだしくは、マタイの福音書12章には「悪い、淫乱の時代だ」と38〜40節におっしゃっています。今日、私と皆様が早くキャッチせねばなりません。主がなぜそのようにおっしゃったのでしょうか?
いくつかのことを見て、今日、信仰生活に重要な答を得ねばなりません。
・ひとつは、他の宗教、はなはだしくは悪霊活動、心霊術にもしるしが現れることができるのです。皆様、後ほど問題がきますが、悪霊につかれた人を探していけば、すぐにみわざが起きます。すると、それが正しいものではないのです。それが基準になることはできません。それが力が現れて、病気がよくなって、問題が解決にならねばならないのに、どこでどのように解決になるかが重要です。
・皆様、すぐにグッ(降霊術)をしてみればみわざが起きます。宗教と関連した人々をさがせば、相当なみわざが起きるのですが、はなはだしきは、誤った人に対してなぜ行くかというと、みわざが起きるから、それで行くのです。そのようになれば、大きい事が起こります。
・私達が早く信仰の目を正しく開けるべきです。なんにも知らずにいている途中で、なにかをイエスを信じる人のように祈って、力を見たら、大変な事ではないでしょうか。皆様自身も知らないで揺れるでしょう。だから、イエス様が深く嘆息なさったのです。
・一度、ニュースを見たら、フィリピン人なのですが、ある重要な患者に無条件に手だけ置けばよくなりました。だから、全世界から飛行機に乗って集まるのに、いやされようとしていました。その後の話は記録に残っていたかったのですが、その後には、より深刻な問題がきます。一旦は病気がよくなります。そのニュースを見ながら、本当に幸いだと思いました。なぜでしょうか?
その人がイエスを信じているという話をしなかったゆえに、大きい幸いです。仮りにその人が、イエスの名前を使ったならば、まちがいなくあなたがたは、聖霊充満した人だと言うでしょう。これが問題です。他の宗教もあることができます。いくらでも。
・私達が信仰生活するなかで、最も大きい困難がなんでしょうか。私たちの目の前に見えることです。揺れることがあります。はなはだしくは、2番目は福音の反対になる信仰にも力が現れることができるのです。不健全な神秘主義にも現れることができ、イエス様が嘆息なさった理由を、私たちはあまり外形的に思っています。とても自己中心的に祝福を受けると話して、肉体的な信仰危機に陥るのです。
・私と皆様が、信仰生活する重要なことを悟らなければならないのですが、11節に見れば、パリサイ人達が出てきて、イエスに議論をしかけました。議論をしかけたということは、とても非難的な話、そのような意味です。その人を試みて天からのしるしを求めました。私達が信仰生活することによって多くの答えをもらうようになりますが、こういうパリサイ人は、どんな考えを持っているかとすれば、なにかしるしを表すべきではないかという考えを持っているために、この記録が出てきているのです。
・私たちはやや下手すると、信仰生活に大きい失敗を見るようになります。マタイの福音書
12章 38〜40節に見れば、「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。」ヨナとは、むかしに魚の腹の中から三日後に出てきました。イエス様が三日後に復活なさることを話すことです。だから、とても対話に差が出るのです。こういう話をしたのでした。
・私たちは今日、信仰生活をすれば、得るべき最初の答です。最初の答は何でしょうか?本当に福音を正しく理解することです。すると、残りの霊的問題は神様にみな任せるのです。皆様、本当に信仰生活をしよううとすれば‘なぜ私の子供はよくならないのか?’‘なぜ、私の夫はよくならないか?’こういう考えをするはずです。しかし、本当に福音を悟れば、そこには徹底した神様の計画が入っているのです。
・私がいままで信仰生活をしながら見る時、イエスを受け入れながら信じられない程にいやされた人を見ました。そして、イエスを受け入れた人が家族をみな救って、神様の計画をみな成し遂げていやされる人を見ました。またある人は、全くよくならずに、その家に福音がみな入っていった後、霊的な多くの祝福を受けてよくならずに死ぬことも見ました。それは私達がわからないことです。ですから、神様の計画は、皆様が本当の福音を悟ることであり、それがとても重要です。
・今日初めて出てこられた方達も、この頃、信仰生活を初めてなさる方達も、色々な理由ゆえに信仰生活を開始なさったでしょう。しかし、最初に悟るべきことは何でしょうか?本物の福音を理解することです。すると、すべての問題は神様に任せればよいのです。本物の福音を理解する瞬間、神様の子供になります。
・クロスビーという人は、福音を悟った後に、「目が開かなくても良い。」と言いました。むかしには、そんなに目が開くのが祈りの課題だったのに、今は開かなくても良いと言ったのです。初代教会の人々が、むかしにはイエス様が奇跡を行われた時は、それを見て付いて回ったのに、本当に聖霊充満を受けた後、初代教会は250年間、クリスチャンが踏みにじられても揺れませんでした。なぜでしょうか?
死んでも良いという段階まで福音を正しく知ったからです。パウロは何でしょうか?
話せば、「私は生きていてもよくて、死んでもかまわない。率直に死ぬことがもっと良い。神様の国に行くから。しかし、教会と福音のために、生きる理由があるならば、私は生きる。」と言いました。「生きても、死んでも自分のからだでキリストがあがめられることを感謝する。そして、それまで私が自慢した全てのものを排せつ物に思う。」パウロはそうでした。この福音を正しく悟ったのです。
・私たちインマヌエルの聖徒と世界のタラッパンメンバー達が、まず最初にせねばならないことが何でしょうか?
福音を正しく悟ることです。しるしと不思議ではありません。とてもせつなく私たちの信者一名にしばしばおかしな人が付いて回りました。それで、私が呼ばれて訪ねたのです。「なぜついて回るのか?
まちがいなく誤っているのではないですか? こういう問題で、私たちタラッパンに恥をかかせるのに、なぜ付いて回るのですか?」返事が簡単でした。神様のみわざが起きるから。するとムダン(霊媒師)を探して行きなさい。即刻、働きが起きます。
・私たちは、信仰生活をとても変にします。皆様は信仰生活を正しくすべきです。なにかをするということではありません。いままで習ってきた考えを捨てましょう。パリサイ人のように、何かをするこれではなく、福音を正しく知ることです。すると、すべての問題が解決します。だからせつないのです。あなたがたが、本当に福音を悟ることが最も重要なことなのに、パリサイ人はすでに質問から違っていました。「あなたが本当に神様の息子ならば、天からのしるしを見せなさい。」と言ったのでした。だから質問から違っていたのです。その話は、イエス様に付いてまわった人々が、5つのパンと二匹の魚で5千人、4千人を食べされたから、ものすごくついて行ったのです。それがまず違っていました。そのような福音ではありません。確かに、そのようなことがあるのですが。
・私たちの信仰生活に最も重要なことは、皆様がどんな位置にいるのか、それを持って嘆息しないようにしましょう。皆様がどんな状況の中で、どんな祝福を受けたのか、それで満足しないようにしましょう。最も重要なことは何でしょうか。本当に神様の子供だということです。人間の本質です。人間が神様を知るようになって、会うことで、すべての開始になるのです。
・2番目です。イエス様がなぜこのように良くなく話しながら、嘆息なさって、はなはだしきは「悪い時代だ」と話して、はなはだしくは「淫乱な時代だ」と話していているのでしょうか。私達が信仰生活するということは、2番目のことを上手にやらなければなりません。神様の時刻表です。皆様、必ずそのようにするように願います。福音を悟って神様の子供です。なにを見て知るか、時刻表によって神様の時刻表を見てついて行くことが重要です。どんなみわざが起きるのかは、2番目のことです。神様の時刻表を見るのです。
・ここに私たちの学生達がいます。学生達は、どんな時刻表でしょうか?なんの答えも受けようとせずに、準備をする時間です。学生達が何か答えを受けるのは、それは後ほどのことです。今多くの準備をする時間です。
・青年達はどうなのでしょか? 今、皆様はどんな時刻表でしょうか?時刻表を早く見るべきです。あなたがたは今、とても正確な福音を捕まえて走って生涯を行くべき時刻表です。やや下手すると、すぐ過ぎてしまいます。時刻表が重要です。私にも時刻表があって、私たちにも時刻表があるのです。
・私が今日、家で私たちの教会を見通しました。神様の時刻表がなにか?
神様が今ここに建築もしなければならない立場なのですが、道もなくて、神様の計画はなにか?
いままで投資したことも多くて、受けた祝福も多くあります。神様の時刻表がくれば、もう一つの計画もできます。こういうことを見れば、私達が神様の時刻表を見るのが信仰生活です。私の場合は、私たちの教会の開拓を始めた時、この町を一日に数十回を回りました。それが私の時刻表でした。これから、私たちの教会で伝道運動をする時には、私が一週に全国をずっと回ります。これが私の時刻表です。時刻表をよく見なければなりません。皆様個人も同じです。年齢によって、時刻表をよく見るべきです。そして、私たちの教会も時刻表をよく見るべきです。
・イエス様が現れて患者を直してくだったので、この人達が錯覚して、天からのしるしを求めたのです。こういう水準でした。信仰生活はそのようなことではありません。信仰生活は、福音を正しく理解することです。イエス様が行われた行いのうわべだけ見ず、福音を正しく理解することです。イエス様が誰か?ということを正しく理解しなさいということです。
・2番目は何でしょうか? 神様の福音を受ける人と、すべての人々が神様の時刻表を正確に見ることです。これがものすごく重要です。それで、私たちインマヌエルの時刻表、こういうことを見ることができるべきです。個人にも時刻表があります。たった今始めた人は、無条件に答えを受けようとしないで。それがだまされることです。時刻表をよく見ましょう。ある人は、病気が良くなることを、私が行ってあなたが病気が良くなることを願うのでしょうか。家の中に偶像だらけ、家族は不信仰だらけ、今、霊的な問題は深刻なのに、それを解決しないで?
いやされるでしょうか? それから解決しましょう。私たち
あらゆる個人にも時刻表があるのです。皆様が信仰生活しながら、時刻表が重要です。
・例えば婚期をおいている青年達もたくさんいます。皆様の最も重要な時刻表は、どんな男性を探すか、どんな女性を探すかではありません。皆様自身を早く捜し出さなければなりません。それが重要で、相手をさがそうということは、時刻表を誤って見ているのです。
私たちは、ほとんどすべてが時刻表を誤って見て、信仰生活をしています。だから、問題がくるのです。
・事業する人は、自分がどこでお金を儲けるか?
それは、既に時刻表を忘れたことです。どこでお金を作るか?
私がお金を儲けることができる土台が敷かれねばならないのです。それが敷かれなかったのに、どこでお金を儲けるのでしょうか?
私がある友人を見て、そうでした。「自分の願いは孤児院を建てることだ。」と言いました。夢が本当に素朴だなと思いました。「なぜ孤児院を建てようとするのか?」
孤児がかわいそうだという心を、幼い時から持っているということでした。「孤児院を立てず、あなたが勉強を熱心にして、その分野で偉い人になりなさい。すると、より多くのことを立てることができる。そのようにするのが良いのか、今から小さな孤児院を立てる夢を見て良いのか。もちろん悪いことではない。あなたが考えていることを準備するべきで、時刻表が合わない。それは後からしなさい。いまはそれではなくて、そこに対して勉強をすることだ。」と言いました。
・私達が時刻表を見ることが重要です。何ゆえにイエス様がこういう嘆息をなさって、何ゆえにはなはだしくは悪い淫乱な時代だと話されたのか、福音の本質を知らなければ、福音がなにかを知らなければ、私たちの人生も変わります。福音がなにかを知らなければ、うわべで表れたことで動くようになります。福音の本質を知らなければ、なにを知らないでしょうか?
時刻表を知らなくなります。福音の本質をよく知らなければ、主題把握ができません。私が今、何をすべきなのか?
何をしてはならないのか? 早く把握をしなければなりません。皆様、すると信仰生活は、まちがいなく勝利するようになるはずです。
・今日、皆様が貴重な契約を捕まえて始める、本当に祝福の日になることを主の名前で祝福します。11節に「パリサイ人たちがやって来て、イエスに議論をしかけ、天からのしるしを求めた。イエスをためそうとしたのである。イエスは、心の中で深く嘆息して、こう言われた。「なぜ、今の時代はしるしを求めるのか。まことに、あなたがたに告げます。今の時代には、しるしは絶対に与えられません。」イエスは彼らを離れて、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。」全く同じ本文がマタイの福音書
12章 38節に「そのとき、律法学者、パリサイ人たちのうちのある者がイエスに答えて言った。「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」
39節に「 しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」この話は、他の見方をすれば合わない話のように見えます。
・「わたしが預言されたとおり三日後によみがえるメシヤ、キリストだ。神様が私を送られた。」その話です。
今現在起きるしるしでも、パン食べることでも、これが問題でしょうか。
今現在、地で答えを受ける、これが問題になるでしょうか?
その話です。
・皆様、信仰生活は本当に開始をよくするように願います。あまりにせつない部分です。本当に申し訳ないのですが、私がたくさん会ってみた牧師、私がたくさん会った長老、私がたくさん会った一般信者、いままで本当にこの方は本物の福音を知っている、このように感じた人は、それほどいません。これが問題です。それで未信者に会ってみれば、何と話しているか知っているでしょうか?
未信者に会ってイエスを信じるという話をせずに、そのまま話を一度してみましょう。教会の悪口をものすごくします。信者だと口に出して言えなくて耐えているのですが、どれくらいくやしいか分かりません。教会に対して、おかしなことがあまりに多いのです。誤って悟れば、福音でなく、他のことを悟っていて、一つも正しくありません。
・私たちの教会の青年一名が就職をするやいなや、私に尋ねて‘先生。私が就職をしたのに、どのようにすれば上手にやることができるでしょうか?’と言いました。‘簡単だ。あなたは福音を持った青年であることが確実ではないか。すると職場に行って、上の人は神様のように応対すれば、良心に外れるけれど、それほど応対しなさい。そして、下の人は本当にイエス様が弟子を育てたように育てなさい。そして、同僚はあなたがとても家族に対するようにしなさい。するとあなたは上手にやることです。’それで行ってそのまましたのです。皆分かります。上の人が皆分かります。だから、聖日に職場の行事が重複したのに、他の教会の執事なのに呼ばれて仕事をさせて、私たちの青年は教会に行きなさいと送ってくれたのです。世の人が外で私たちを知っていることをあまり変に知っています。キリスト教を。どれくらい異常か知りません。
・ある人が、そのを イエスを信じる人と一緒に仕事をすることがとても難しいと言いました。なぜそうなのかと言ったら、「仕事を正しくしないで、教会にいつも行きます。祈るといつも行って、徹夜祈りに行き、復興会そして、また何かと行きます。夏聖書学校に行き、皆行って仕事をしません。そのような人をとらえて、どのようにできるでしょうか。」そのようなことです。私たちは、なにか福音に対して誤って説明しているのです。それから、福音を説明一回もしてあげることができなかったのです。
・これがこんにちの教会です。こんにちの現実です。皆様がよく見れば、信仰生活は難しくありません。絶対にそうではないのです。ある人が言うのに、社会生活は遊ぶことで、酒宴だと言うのですが、私たちイエスを信じる人は、どのようにするのかと話します。そうです。しかし、道があるのです。普段に良くしましょう。普段に間違っていて、酒を飲みに行く時に抜ければ、何と言われるでしょうか。「あなた一人で遊びなさい。」と言われるでしょう。普段の時、未信者が酒を飲むのを超えることを出す程、実力があるべきです。そうではないでしょうか?
クリスチャンです。
・今日 2部礼拝の時、話そうとしていますが、敵に対してダビデが祈ったのですが、その時、細かく話しをしますが、絶対にそうではありません。私が信仰生活を上手にやっている方、その方が米国にいて、オーストラリヤへ行ったのですが、事業をものすごく成功しました。この人は米国でも成功して、オーストラリヤでも成功して、イエスをよく信じる人なのに事業をするのに、はじめに韓国人がきたと言われしながら、お金を与えて酒を飲もうと言われたので、確かに話したということです。“私はあなたにご飯を買ってあげたり、ご飯をもらう、そのようにすることはできません。なぜか?
仕事を真っすぐするからです。私があなたにご飯をもらって、酒をもらって、その次に仕事をどんな風にしても良いのか?
それなら、私とは取引するのをやめよう” その人がびっくりして“すまない”と言ったそうです。「私はあなたの仕事を私の仕事のようにするべきで、あなたにご飯をもらい、酒をもらって、仕事をいいかげんにして良いのか?
私はそのようにできません。私はクリスチャンだ。」と言ったところ、その人が言う話が、「私はあなたみたいなクリスチャンは初めて見た。あなたは、本当にイエスを信じる人のようだ。」仕事をはっきりとします。他の人は仕事がみななくても、この人には仕事があります。他の人は、みな難しくお金を儲けられなくても、この人はお金を儲けるのです。この人は米国でもお金をたくさんもうけ、オーストラリヤでもよくできます。なぜでしょうか?
福音が確かなのです。そして、他の人を普段の時よく知って手助けするのです。
・いくらでもできるのに、私たちはしばしば違った話をします。それで、育つ学生達に混乱を与えるのです。‘やー社会生活はそうでない.’こういう方法で混乱を与えるのです。信じる人が違うように信じます。私たちの学生達が未信者と交流して酒場に行きました。それが大きい問題になるのではありません。また行けばどうなのでしょうか?
行っても、自分はクリスチャンだと明確に話せばよいのに、私が世から離れた所にいれば良いでしょうし、それか乞食のようならばともかく、どこにいるのでしょうか?その話は違っています。普段の時、愚かな人のように仕事をして、集まる時には抜けて、これがクリスチャンの中の愚かな人なのです。かと言って福音でしょうか?
それでもありません。粗雑な宗教です。嘆息することです。
・パリサイ人が質問することを見れば、イエス様が深く嘆息なさいました。今日、皆様が本当に私たち学生達、青年達、特別に私たち皆信者が本当に悟る祝福があることを望みます。いつもこの部分を考えるべきです。しばしば福音でないことを今、私たちはしています。長い間になった人であるほど、そのようなことがあります。福音がないことをしばしばします。ところが、その論理が正しいようでも、あとになればそうではありません。その時は、時が遅いのです。私はとてもたくさん見ました。
・私が皆様にしてあげたい話はこの話しかありません。福音でないことをしばしば持っています。本当です。すべての役員とすべての牧師、宣教師が福音でないことを持っています。これが最も大きい問題です。ところが、論理的に正しいのです。体験的に正しいのです。しかし、それが過ぎれば、違うということを知るようになります。後ほどになれば、皆様の宣教も教会もよくなるはずがなく、人生もよくなりません。その時になぜだろうと思わなければ、遅いのです。とても素晴しいキリスト教を違うように知っていて、あまりに宗教的に知っているのです。
・パリサイ人が質問することを見ましょう。パリサイ人がよく信じようとする人が、天からのしるし見せてくれとイエス様が深く嘆息なさって「悪い淫乱な時代はしるしを求めます。わたしはヨナが腹の中にいたしるししか見せることがない。わたしが三日間、地中にいたあとで出てくるはずです。」それが何の話でしょうか。それにとどまってなんの話になるでしょうか?
イエス様が私たち人間を救うためにキリストでこの地にいらっしゃったのに、その部分に関心がなくて、神様が旧約であらかじめ預言なさった通り、私たち人間が救われていないことをご存知であって、メシヤ、キリストを送られたのです。ここには関心がありません。この人がどの系図か?
どの王族か?この人がメシヤなのか。こういうことだけに関心があって、天からのしるしを求めたのでした。
・こういう方法です。いままで信仰生活をこのようにしてきました。だから、問題になるのです。あまりやさしいのです。あなたがたは、イエス・キリストを知るようになれば、神様の子供になりました。それで、あなたがたは神様の子供なった瞬間、すべての問題は解決し始めるのです。信仰生活を正しく始める祝福が
あることを望みます。その反対に、また福音に反対することに、拒否反応を見せる必要はありません。それも必要です。そのために信仰生活を正しくするということは、重要なことの中の重要なことです。それより重要なことはありません。
・私がここに対して話そうとするなら、とても幼稚で細かいことを一日中話すようになります。本当です。一日中です。なにかを知らないので、説明するのがとても難しい部分です。特に私たち全国、世界にいる教会にいる教役者と宣教師と多くの役員が注意せねばならない部分、今、これは途方もなく学んだパリサイ人の質問です。律法学者の質問です。律法学者、パリサイ人の質問の水準がこうでした。「あなたが天からのしるしをみせてください。」「悪い淫乱の時代は、しるしを求めるけれど、わたしはヨナのしるしの他には見せる必要がありません。」それから深く嘆息されたのでした。
・とても難しい話なのかも知れません。簡単に説明します。信仰生活を始めた方、信仰生活をずっとなさっている方が最もよく理解せねばならない部分が何でしょうか?
本当に福音。本当に神様の子供。とてもたくさん聞く話のように見えるでしょうが、その部分に合せることが信仰生活です。それを理解して適用することが、信仰生活です。そのようにだけなれば、皆様のすべての問題は解決するはずです。それとともになにを見るのでしょうか?
時刻表を見ましょう。それとともに、私がこの時なにをせねばならないか、主題把握だけすれば、ずっと答えが現れるようになっています。本当に祝福を受ける皆様になるように願います。まちがいなく、福音の秘密の中にいれば、神様の時刻表と個人に与えられていることがあります。そこに合せれば答えがずっとなるようになっています。
・3つに要約できます。第一に、本当にキリストを理解すべきです。なにを行なうかというのは、2番目です。その次には、どのように行なうか、時刻表を見て行います。今イエス様が現れてどんな時刻表でしょうか?
パリサイ人が完全に錯覚したのです。難しい人々と共にして、そのようにするので、この人が誤って見たのです。「わたしが見せるしるしは、これではなくて魚の腹の中に入って出てきたヨナのように三日後に地から出てくることです。わたしが今見せる時刻表は、これではなくて人類を救い、罪から救われる復活なさるイエス・キリストです。」その話です。
・すると、どのように私達が答えを受けることができるのでしょうか。皆様は何をしているのかで、いろいろな種類の人がいるために、私が今せねばならない使命です。これを主題把握と言います。これを知っていれば、ずっと答えが与えられます。「私は教師だ。」「私は聖歌隊だ。」「私は副教役者だ。」「私は長老だ。」これだけ把握がよくできれば、答えがずっとくるようになっています。「私は宣教師だ。」把握がよくできれば、そこに対する答えがみなくるようになっています。一つも難しくありません。
・皆様が正しく簡単に話せば、違ったことをせず、正しい福音を理解する瞬間に、すべての暗闇の問題はみな終わるのです。大それた反対の論理だけでなく、本当に福音を捕まえていれば、皆様の周囲にある暗闇の勢力は崩れるようになっています。すると、私がどのように行動すべきか、時刻表を見ましょう。すると、私は何をすれば良いのですか?
皆様の年齢と職分と身分があるので、そこによって献身しましょう。そうすれば良いのです。なんの難しいこともありません。パリサイ人にふさわしくない質問をしました。この人達は、ものすごく身分が高い人々です。
・今日、私たちの青年、学生達がこのように考えればよいのです。「本当に福音を悟ったということは、とても素晴しいことだな。」未信者が見ても「本当にとても素晴しいことだな。やはり福音の人だな。」このようになれば良いのです。それが伝道の門になるのです。未信者が見る時‘あれがイエスを信じる人なのか’となれば、なにか誤って伝達されたのです。未信者が見て、イエスを信じましょうと言うと、気分が悪いことはないでしょうか。いっそのことそのような人もいます。イエスを信じようと言うと、気分が悪いのです。それで、私が人を見て年齢が40〜50才を越えていると思うと、私がイエスを信じることを表にいっそのこと出さずに伝道します。表に出すと、先入観を持っているかと思って、それほど私たちクリスチャンが違うように説明しているのです。
・それで、私が飛行機がなくて列車に乗っていく時に、ある人がいて、ぱっと見たら水準がある人なのに、自分で本を読んでいたので、静かに見て引き出させる時間が多いのです。私からまず話をかけます。「釜山に行くのですか?」
私はなかなか自分から話かけないのに、自分が話そかけました。私がずーっと生きてきた話をしたのです。「私がその方に会って途方もない祝福に会いました。」その方の心を開こうとして、「その方が誰ですか」と言うので、「待ってください。」と話しました。話を聞いていて、「本当にあなたは幸いな人のようですね。」「その方が誰かというと、あなた方が誤って知っているイエス・キリストです。」「本当にイエスを信じれば、そのようになりますか?
私の叔父もイエスを信じて、私のおいもイエスを信じて、みな信じるのに、その人々はそうではないのに」「そうです。それが誤ったイエスを伝えたのです。イエスを信じればそうなります。しかし、その人々がとても良くなくて、私がとても立派だという話ではありません。億万の罪がある私を神様がキリストを送って救われたのです。それでなく、他の道があれば出して見てください。道がないのです。それで神様が送られたのです。」この方が分かりました。私がはじめから、ある教会の牧師だと話せば、心の門を閉ざしたでしょう。それまでにあった信徒が失敗したことを頭の中に整理するか、頭が複雑でわかることができないのです。
・これくらい誤って伝えられています。めちゃくちゃに思っています。クリスチャンというと‘けちな人々’
‘まずい人々’このように理解しています。‘クリスチャン。話が通じない人々’このように伝えられているのです。話が合うでしょうか?
話になりません。レムナントを立てて行く部分が、まさにその部分です。なぜクリスチャン達は、まずい存在でしょうか。なぜクリスチャン達は、話が通じない存在でしょうか。最も話がよく通じる存在であって、2000年前にすでにグローバルを話したのです。すべての国の人々に行って弟子としなさい。最も素晴しい存在です。神様の民です。それなのに、何か説明が誤っているのです。せつないことです。何か説明が誤っているのです。
・一度は、重要な政治家に会ったのに、その時、たぶん私たちのコ長老が紹介して会ったのですが、共に食事をしました。話してみたら、まったくクリスチャンを違うように考えていました。「牧師に対し、これでイエス様を信じることができません。」それで、私が「誤って知っていらっしゃる。イエスを信じるということは、そのようなことではありません。今、本当におわかりの通り、こういうことは霊的問題、世の中の問題、どのように解決できますか?
神様がこの問題を解決なさったのです。それが福音です。そこから抜け出して、神様の子供になることが福音です。」この方が、聞いてみて、初めて聞く話でした。聖書にある話です。なにかが誤って伝えられたのです。
・今、パリサイ人の質問を見ましょう。考えを深くすべきです。なにか誤って知っているのです。なる、ならないではありません。神様の時刻表、私がすることもありません。神様が私に与えられた恵み、恵みがあるのです。それを把握するのが、まさに主題把握です。神様が私に与えられたタラントがあります。神様が私に与えられた恵みがあるのです。それを持って行くことです。それで、すべきですか、してはならないですか?
それではなく、神様の時刻表です。それを見てなせば良いのです。それで、私はそのような考えもしてみます。神様の時刻表がくれば、私達が釜山の中心街に移すことができないか。ここ郊外の海辺で休めとすることではなくて、中心街に移動しろと言われるのではないかという時刻表を眺めて、祈っているのです。
・神様の時刻表はわからないから、祈りだけしていれば良いのです。門が開けばそれもする、しないという問題ではありません。時刻表です。私がどのようにせねばならないですか。神様が私に与えられた恵みがあります。そのままなせば良いのです。それが信仰生活です。大それた質問をしました。主題はすごいことでしたが、あなたが神様の息子であることが間違いなくて、立派な先生であるから、天にあるしるしを求めたのです。主題はすごいことでした。「この悪い淫乱の時代は、しるしを求めるのです。わたしはヨナのしるしか見せることはありません。」イエス様がそう言われたのです。そのまま過ぎ行く話ではなくて、私たちが多くの信仰生活をこのようにしているのです。このようにして、毎日、外ではどのようにしているのかというと、教会はけんかをする所だと思っています。外でそのように思っているのです。ひどいけんかをして、警察がきて止めたりします。
それも、牧師や長老がけんかして、一度はある地域でけんかして長老が死にました。牧師の力が強かったのか、ひっぱたら頭をぶつけて死にました。何年か前のことです。警察で大騷ぎが起きました。となりではうわさが立って、あの人々はなぜなのか。教会に通う人々と違うか、教会に通うことはけんかすることなのかという代名詞になりました。
・話にもならないうわさが、皆様重要です。皆様が本物の信仰生活をするべきです。信仰生活をするということは、もし私たちの青年達の中に、信仰生活をするということは、なにかあきらめて、おかしな隠遁生活をするようになる、そのような考えをするのですが、それが誤って伝えられたことです。青年達が、そのように思っています。私もむかしには、そのように思っていました。教会に通おうとしなかったのです。教会に通えば全部隠居にならなければならないのかと、通わないでおこうと昔に思っていました。教会に通おうとするなら、今の私たちの教会の長老のようにならなければならないから、幼い時、今、私たちの教会の執事のようになるのはいやだと思って、「毎日同じ洋服を着て通うなど私はしない。私は外に行って、おもしろく遊ばなければ」私は幼い時、そのように考えました。イエスを信じると、通知表の欄の宗教欄に書かなかったのです。私が知っているクリスチャンを誤って知っていたのでした。
・福音を知ってから、それではないということを知りました。大統領も福音を受けなければなりません。政治家たちは、聖書を見ないで政治をしてはならないのです。申し訳ないのですが、医者が福音を知らずに医者になれば、大きいことが起きます。考えてみましょう。霊的問題を知らない人が大事故を起こすのに、霊的問題を知らないでなれるかということです。最も素晴しいことです。今日、皆様が本当の神様の大きい祝福を本当に受ける皆様になるように望みます。すると、皆様が悩んでいる問題が解決するのです。すると、皆様が最もできないと思う部分が解決しています。ある日、神様が働きをなさるのです。今日、本当に答えを受ける日になることをイエス様のお名前でお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。誤って伝えられている福音、パリサイ人が知っている宗教、神様のみことばを持って誤って伝えられるようにしているあらゆる暗闇の勢力から、今日、私達が抜け出すようにさせてください。それで、本当に神様の祝福を受ける子供の祝福、素晴しい信仰になるようにしてくださって、世界を生かす私たちのレムナントが起きるようにしてください。今、インターネットでみことばを受けている全世界のレムナント、特に留学現場にいる私たちのレムナントに神様が福音を与えてくださって、小さな事に崩れないようにさせてくださり、小さな誘惑に揺れないようにさせてくださり、また倒れた場から立ち上がるようにさせてください。神様の子供の祝福を味わうようにしてくださって、証人になるようにしてください。私たちの教会が世界を生かす神様の真の証人の教会にしてくださったことを感謝申し上げて、すべての問題が解決する福音の日になるようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
2部 / 主の敵によって
(詩8:1〜9)
・今日の一部礼拝では、とても重要な、私達が何をするか、こういうことでなくて、本当に福音が何で、その次に私は何をすべきで、どのように信仰生活するかに対してみことばを語りました。
・残念なことがひとつあるならば、私が信者に会ってみた時、すべてではないけれど、大部分の人々がこの人達を見て、未信者がイエスを信じることができるか、という考えになります。また、この人を見て未信者がイエスが誰なのか正確に分かるか?
このように「祝福をたくさんください」と言う人が、イエス様をよく説明できるか?
このように「多くのことをください」と主張するこの人が、果してイエス様をよく説明できるだろうか?
あのように古くなった体質と全てのものを持って、礼儀を強調するあの人が、イエス様をよく
説明できるだろうか? こういう部分にいつも疑問が多くあります。それで、イエス様があなたがたは、わたしのことを誰だと言いますか。人々はわたしを誰だと言いますか、そのように尋ねられたのです。
・そうしたあと見ると、未信者が私たちを見る見解がまた深刻です。未信者が神様の子供を見る見解がよくないのです。何を話すかと思えば、伝達が誤っているということです。それが、今日の1部礼拝でした。私が見る時は、最も重要だと思います。
・まだ私たちの教会は開始ですから、2階のような所には空席もたくさんあるけれど、私達が現場で伝道運動がたくさん起きれば、空席はみななくなるようになって、私達が現場で証拠がたくさん起きれば、心配しなくても伝道神学院、宣教師訓練院はなるようになって、中間で証拠がたくさん起きるようになれば、お金の心配はしなくてもかまわなくなります。そのようなことは、私たちと関係ない事で、なることです。私が本当に福音を持った神様の子供ならば、こういう部分がものすごく重要です。
・考えを多くするほど良いのです。福音。なぜなら、私達が福音でないことをたくさん考えているためです。例えて見れば、私がとても親しい牧師が、福音は伝えずに釜山の駅でうどんを煮て与えています。静かにそばで見たのに、ゆでて渡して伝えるのに、一時間以上がかかります。ところが、この人達がうどんを食べるのに、みな集まったのです。早く伝えれば良いのに、祈りもかなり長くして、説教も多くして、すぐに与えれば良いのに目的がうどんを与えるなら、麺をそのまま与えれば良いのに、何でか話がそのように多いのです。説教もものすごく哲学的にしました。それで、ものすごく親しいので、その友人を呼んで話をしました。「果してあの人々にうどんが必要なのか。もし、あなたや私の息子があちらでうどんをもらって食べれば、精神病ではないでしょうか。よく考えみてください。」
・うどんを与えることはとても有難いことです。しかし、福音をよく考えてみてください。精神病を直しましょう。どのように、あのネクタイをつけて一時間、二時間、座っていてうどんをもらって食べることが正しい精神でしょうか。どんなにせっぱつまれば、私が大韓民国の政府にあんな人々を全部捕まえてご飯を皆上げて、間食まで与えながら、訓練をさせろと言うのでしょうか。訓練できないから、精神的に狂っているのです。すごいことのようにします。またそれをまねをして、声を出せばお金もたくさん入ります。また放送にも出てくるのです。もちろんそのこと自体が悪いことではありません。このように例をあげれば、1つや2つではありません。
・果して福音に間違いないでしょうか。それでもまだ良いのです。良い事ではあります。それどころではなく、全く福音に反対になることを持っている信者があまりに多いために、未信者を生すことができないだけでなく、影響も与えることができなくて、伝道も出来ないのです。それでもまだかまいません。人生を歩んでいくうちにだめになります。すると、誰を恨まねばならなくて、どこに行って話さねばならないのでしょうか。牧会がどんどんだめになります。どんどんうまくいかなければならないのに、だれに話さねばならないのでしょうか。長老、勧士、執事を長くすればするほど、働きが起きなければならないのに、起きないのです。だれに話さなければならないでしょうか。話す所がありません。話になりません。なにかを違うように持っているのです。
・その話がマタイの福音書全体です。イエス様がだれか、その質問です。ですから、ユダヤ人の系図で見ることがマタイの福音書で、異邦人の目で見たのがマルコの福音書で、人のからだを着て来たんだなあと見たのがルカの福音書で、人のからだを着たが神様だなというように見たのがヨハネの福音書です。とても重要だから、4つの角度から見たのです。とても重要です。
・信仰生活は絶対に難しくありません。今日ここにとても重要な主題が出てきました。ダビデが“主の敵によって神様を賛美する”と言いました。私たちが今日考えねばならない、重要な祈りの課題と信仰生活です。
・私たちの敵はだれか? ここに青年達、学生達がいます。多くの方達がこういう話をします。外に行って、未信者と共に信仰生活して社会生活するのがものすごく大変だと話します。すると、未信者は何と言うかと思えば、信者と足並みをそろえて何かをすることは難しいと言うのです。私はそのように考えません。私たちクリスチャンは考えをみな変えるべきです。
・未信者はヨハネ8:44にまちがいなく、運命に縛られた悪魔の子供と言われています。それは確かです。すると、私たちの敵であるのは間違いないのですが、そのような意味の敵ではありません。私達が救わなければならない相手です。絶対に私達が話してはならず、背を向けねばならない敵ではなくて、救い出さねばならない敵の手中にいる人々です。
・それで、私たちクリスチャンと青年達が最初に悟るべきことは、ダビデは主の敵によって神様に感謝しますと言いました。今日あなたがたが信仰生活をするなかで、未信者に対する考えをもっているのでしょうが、ほとんどみな違うように持っているのです。1部の時に話しました。ある青年が大きい会社に就職しました。その前の週に挨拶しにきて‘先生。どのようにすれば、職場で伝道して、信仰生活を上手にやることができますか?’‘簡単だ。職場で上司に仕える時は神様のように仕えなさい。そして、下の人には、イエス様が弟子にされたようにしなさい。そして、本当にそばの同僚とは、普段の時に対話をしなさい。ひとりひとりチェックして、普段の時に手助けしなさい’するとみな解決します。私たちクリスチャンは、あまりにも大きい錯覚をしています。
・あなたがたが今日、考えを変えなければなりません。普段の時、信者はよくできなく、その時にはよく交流することができません。普段の時、私達がよく出来ないのに、未信者が全部集まって酒場に行くのに、私一人行かないのです。普段の時上手にやればかまわないのに、普段の時よく出来ないのに、集いには行かないのです。すると、私はその世の中とは終わるようになるのです。だから不安です。行かないので、私は落伍するようで、行くと遊ぶから堕落しているようで、それさえも律法が残っているので、その程度に考えたりするのです。クリスチャンは、そのように生きていくのではありません。
・私たちは、世の中の人々を救うことができる驚くべき秘密を持っているのです。特に、私はおとなには多く話す気はなくて、私たちの学生達、青年達に必ず話してあげるのです。そうではないのです。絶対にそれは違った考えであり、誤った考えです。
・釜山でお金が一番多かった長老と私が教会に一緒にいました。この方は、お金がどれくらい多いかというと、うわさが出ていました。財閥がお金が急に必要になったら、この方に借りようとくるのです。とても金持ちです。北朝鮮から越えてきて、福音を守って長老をするために、聖書と賛美を持って降りてきたのに、自分の表現では、夕立ちの祝福を受けたということです。神様が祝福をものすごく注いでくださったのです。福音ひとつ守ろうとしたゆえに。その方の証しを聞くようになりました。自分は心臓が良くなくて、酒を出されても飲むことができなかったということです。ところが、全部、酒宴だということです。ところが、この方が2つの知恵を使ったということです。職場にいる人々を全部調べたのでした。この方は、頭がものすごく良い方です。調査してみたら、外に行って酒を飲んでいるけれど、家に帰ると思わしくないのです。子供達の勉強も正しくさせることができなくて、家で正しくならないのです。この方が知って、あらかじめ用意しておいては、家に帰って子供と使うように名節(韓国固有の盆・正月)の時やこういう時に行ってお金を与えたのでした。その次に、自分が北朝鮮に子供達を何名か産んできたゆえに、その思いが与えられて、本当に難しい人々自分の事業と関係した人の中から子供達に奨学金を与えたのです。この人達が完全に心の門をみな開いたのです。それで、この長老が行くと、他の人より最優先します。お金を返すことも職員が返すのに、長老から先ず一番にします。ある人がこういうように話したということです。‘そばに使うことができない土地がひとつあるのに、一坪
70円にしかならないので、長老が買うのが良いだろう’といわれたので、その土地を10000何坪かを買いました。それが最高の値段に上がった名地の畑です。この方は、自己表現でこれからも、祝福の後に行って、倒れて失敗してもそちらにも祝福ということでした。
・なにか先輩が後輩をよく教えることができないのです。例えば、私たちクリスチャンが未信者と酒場に行くことが生じます。行きましょう。行って、クリスチャンらしく遊びましょう。なぜ行かないのでしょうか。なにが怖いのでしょうか。私たちは、なにかをよく教えることができないのです。むずかしいとだけ言います。そうではありません。それは普段の時の身の振り方を間違っているのです。普段の時の身の振り方を良くしておいて、それで行かないならば悪口を言われません。普段の時の身の振り方をよくできないながら、ところが行かないから押されるのです。私たちは信仰生活を上手にやらなければなりません。
・ダビデを見るように願います。この人は、本当に神様を信じる人です。私たちの青年達、学生達に必ず頼みたいのです。あなたがたが社会に出てからは、身の振り方を良くしましょう。クリスチャンらしい誇らしい姿を説明してあげましょう。なぜできないでしょうか。できるのです。いままで先輩に聞いた、そのようなことを耳に入れないように願います。間違っているのです。職場のなかで最も良くしましょう。すると、飲んでもかまわなくて、飲まなくてもかまわないのです。職場のなかで、普段の時、最もその方を手助けしましょう。すると、交流してもかまわなくて、交流しなくてもかまわないのです。普段の時、一名一名を研究して、手助けすれば、その人々が悪い所に行っても良くて、行かなくてもかまわないのです。なんの関係もないのです。普段の時、敵のように交流しないでいて、例えば、他の人は何かの祭りがあったり、家族に不幸があれば夜にあっちこっち行くのに、ところが行かなければ、あっちこっち関係なくなります。絶対にそうではありません。私が何回も証しをしました。信仰の人をたくさん見たのです。
・ある軍人一人が、大佐くらいになって星をつけるために、いろいろなことをみなしなければなりません。私はしたことがないので知りませんが、聞く話では、あらゆることをすべてするそうです。接待をして、そのようにするはずです。あらまし予測できるところです。この方は、なにをして通ったか、大佐の時、聖書勉強して通いました。ところが、その同期の中で皆ならなかったのに、この方だけ昇進しました。そのままなったのではありません。神様が手助けされたのは、もちろん、この方が普段の時良くしたのです。とても人が素晴らしいのです。普段の時、どれくらい格好が良いか分かりません。そうしながら、地方だと思える所へ行きました。人々が考えたのは、どうしてそんな地方に行ったのだろうかと考えたのに、それはみな人の考えです。そちらに2年いなければならないのに、2年いた間に軍部隊の評価で全体で一等をとりました。大統領賞を受けたのです。また昇進しました。今回会ったら、この人はずっと成功するはずだと思いました。‘金将軍、成功するはずです’なぜなら、とても福音で、本当に神様を信じて、誰でも手助けするのです。すてきです。私はその人の口で、誰がどうだという話を聞いたことがありません。誰でも自分には良い人だと手助けをします。福音がある人です。
・それで私ははじめに、その方が私にあいさつだけをしたと思っていました。後ほどある人が私に話したのです。‘先生。私が金将軍の事務室に行ってみたら、金将軍が先生と取った写真を置いてありました’と言いました。多くの人々が行ったりきたりしたでしょう。どうして、私の写真を置いているのでしょうか。その話は、福音を伝える牧師のために祈っているということに間違いありません。それを見ながら、この人が私のために祈っているんだなということがわかりました。
・今回も運動しようと軍人とゴルフをしに行ったら、この方が不思議に
12時になって来るということでした。あまり不思議で、イ室長に‘本人が時間がないのに、あまり無理に来るようにしないで’と言ったところ、そうではないということでした。時間があるのに12時になってくるらしいのです。分かってみたら、水害に会って、全国がこのようにしているのに、私は運動をしないことが良い、ところが柳先生が来いと言うので、行かないわけにもできないとしてご飯を食べる時に来たのです。それで食事して行きました。礼儀があります。それを見て、ものすごく申し訳なく思って、感動しました。
・人々がみな違うのです。クリスチャンがめちゃくちゃしておいて、その次に何と未信者が思っているのでしょうか。未信者が内容を知っているでしょうか、うわべしか見ることができないません。思わしくない人がイエス・キリストによって救われたという事実を未信者が知っているでしょうか?
悪霊につかれてでたらめに死んでいった人が、イエス・キリストの名前で救われたという事実を、どのように未信者が知っているでそうか。知らないのです。未信者はうわべだけを見るのです。
・私はそのような人をたくさん見ました。信仰で勝利した人です。いくらでもいます。絶対に私たちの青年達や学生達はだまされないように願います。はじめから違った考えを持って行くのです。世の中に行けば、あまりに異常なために、私たち信仰人が信仰を守るのが難しいというように行きます。これは律法的な考えです。そうではありません。皆様が神様の子供として本当に素晴しい信仰人で出て行けば、驚くべき祝福の門は開くようになるはずです。私が見た成功者は、みなそうです。
・皆様ご存知でしょう。韓国ガラス。その長老は、車に乗って聖書を見て祈るらしいのです。未信者に会えば、福音を伝えるらしいのです。どのようにその人が社会生活をするのでしょうか。そうではありません。韓国で一番優秀なガラスを作り出しています。今回仁川に行ってみて驚きました。仁川が全部ガラスの建物なのですが、全部、韓国ガラスがみなついていました。そのようなことです。その大きい仁川空港に、それだけ工事を預かっても相当なことです。
・私たちはしきりに違った考えをします。福音を誤って知っているために、信仰生活は難しいのだと考えるのです。そうではありません。信仰生活することが最も楽です。神様を知らなくて、動物のように生きていく、それが難しいのです。神様を信じねばならない人間が信じなくて生きる、それが難しいということです。私たちは当然に万物の霊長で、神様のかたちに創造された人間であるゆえに、神様を信じることが一番簡単なのです。
・そして、事業なさる方達は記憶なさることを望みます。午前にも話しました。その方にこの前会いました。
とても福音の人です。事業するのに集まることだけすれば、酒を飲んでわいろを取るのに、自分ははじめから「私はそのようにすることができない。私はあなたの仕事を私の仕事として、堂々とした代価を受けるのであって、私がなぜあなたにご飯をあげて、あなたのご飯をなぜもらわなければならないのか。」その人は、そのようにして仕事をはっきりとするのです。だから、その人の後には事業の門がずっと開くのです。一度、仕事をさせた人は、ずっと来ます。そして、その人は堂々と「私はクリスチャンだ」と言います。「私はクリスチャンであるゆえに、仕事を良くせねばならない」と言うのです。すると、いままで話によれば、未信者と交流することもせず、おかしなこともしなければ、事業ができないでしょうか。一番うまくいくのです。
・いままで私たちは、しばしば嘘をついて、言い訳をして、そのようにしました。そのために、私たちの後輩が聞けば、そのようなことだと理解するのです。絶対にそうではありません。私たちの敵は未信者ではないのです。そのために、その方に福音を伝えることができる重要な答だけ持っているならば、門が開くのです。
・2番目です。私たちの敵はだれでしょうか。マタイ10:36に見ると、こういうみことばがあります。「家族の者がその人の敵となります。」それも本当に敵という話ではありません。その敵という話が理解できないから、私たちの近くで妨害をするようになるためです。それに対しても重要なことを申し上げたいのです。私は敵という人にそれほど会ったことがありません。それで、私が本文を見ながら、すこし思い出して、私に敵になる敵をすこしさがしました。それほどいません。私が幼い時、学校に行けば、孤児院の子供達がいました。その時は、孤児院が多かったのです。孤児院の子供達が隠れていてノートを奪って、かばんを新しく買えば刀で切って、こういう敵でしたが、その時、それが私の敵でした。しかし、私が私のいとこに話して、その子供達を殴ってもらったのです。そのような経験はあって、それほど敵はありませんでした。ところが、伝道師になって伝道して、今、福音運動をするから、このなかで敵がおきます。ところが、それも問題になる必要がありません。神様がみな勝つことができる答を下さいました。
・ダビデの敵はだれでしょうか。サウル王、アブシャロムの仲間。その次に悪い臣下達。こういう人々がみなそうでした。今日の詩8:1に「私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたはご威光を天に置かれました。あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。(敵によって悟った部分です。)
あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。
すべて、羊も牛も、また、野の獣も、空の鳥、海の魚、海路を通うものも。私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。」
・結論は何でしょうか。敵はないのです。どんなにダビデを殺そうとしも、マタイ10:36に「家族の者がその人の敵となります。」この話はなんの話かというと、皆様が本当に福音を悟れば、福音がない両親と当分の間、対話がよくできません。共に良い生活をしている時に、嫁が福音を本当に悟っれば、姑と対話が良くできません。全く同じ友人でも、本当に福音を悟れば、共に遊んだ友人と対話が良くできません。そのような意味で、不和と戦いがありえるのです。それで、家族の者や仲間がその人の敵となりますということで、
仲間が全部敵ということではありません。私たちには敵がありません。敵によって主なる神様を賛美するようになるはずです。
・今日、信仰生活するあなたがたに大きい祝福の秘密が本当に今日開かれる日になることを希望します。何と話したかというと、子供と乳飲み子のような相手で敵を防止したのです。また神様は3節に創造の力を持って確かになさる方であることを告白しました。それで、神様が信仰の人々を栄華を極めるようにされるだけでなく、私たちのあらゆる心配を解決してくださることができるのです。主の敵によって。
・皆様が信仰生活をしながら、敵がどこにいて、敵が何かに対してよく理解をしなければなりません。未信者は、私たちの敵ではないのです。未信者は伝道の対象です。そして、2番目に悟らねばならないことは、社会生活する時、教会の中に家庭に敵がいます。それは敵ではありません。その人々は、私達が愛さねばならない対象です。ダビデが大きい敵によって、神様の恵みを受けて、ダビデが敵によってむしろ神様に栄光を帰すとしたのに、敵ではありません。今日、皆様が信仰生活の大きい祝福を本当に受けるよう願います。
・三番目に、私たちの敵は別にいます。Iペテロ5:7〜8に
「あなたがたの敵である悪魔」ということです。「身を慎み、目を覚ましなさい」私たちは信仰生活を良くしなければなりません。エペソ6:12を見ると、私たちの戦いの対象は、血縁ではありません。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」と言われています。これをよく知っていなければなりません。信仰生活をするのに、今日、皆様の敵、3つのことを必ず記憶しなければなりません。すると、私たちには相当な祈りの答えの門が開くようになります。
・私達が生きていく不信仰の世の中が私たちの敵ではありません。宣教の対象です。皆様が信仰生活して行くのに、皆様の家族、皆様の聖徒、教会の中に心が一致しない人が多くいます。それは私たちの敵ではありません。私たちの愛の対象です。私たちの敵は別にあります。敵は、悪い悪魔が私たちの敵です。それで、身を慎み、目を覚ましなさい。私達が戦いをする時も、その部分を見なければならないのです。皆様があらゆる事にサタン、このようにしてはなりません。しかし、確かにその目を持っていなければならないのです。皆様の家庭に霊的な問題が起こらないでしょうか。また皆様の家庭に多くの問題が起きるでしょう。必ず記憶しなければなりません。まちがいなく、私たちの敵は別にいます。それで、この部分を知っていてこそ、信仰に勝利できて、信仰生活ができるようになるのです。
・今日、あなたがたが詩篇 8篇を見ながら、ダビデを考えて、皆様が信仰生活するなかで本当に勝利するために知っていなければならない部分です。福音を本当に悟りに変えるべき部分です。
・不信仰の世の中で、私達が生きていくのは、難しくありません。特に若い青年達、学生達は錯覚しないように望みます。福音をよく悟ることができないと、信仰生活はものすごく難しいのです。
・誰かが “先生、信仰生活をすることは、本当にむずかしい”と話しました。“すると信仰生活しないことは楽か”と尋ねました。信仰生活がなにかも知らないながら、そのように言うのです。ある人が、祈ることが難しいらしいのです。私は信仰を悟って、祈らないことが難しいのです。なぜでしょうか?祈らなければ、色々な考えが多くなります。それがはるかにむずかしいのです。祈ることがはるかに簡単です。人々と仕事をするならば、苛立つことも本当に多いのです。祈らないならば、本当に苛立ちます。祈りながらして、簡単なのです。私達が一日中なにかをする時、祈らないことが難しくて、祈りながらすることがはるかに簡単です。人々がなにかを逆に思っています。“先生。私達が外に行って伝道することは、どれくらい難しいか知らないでしょう”
しかしそうではありません。逆に悟っているのです。伝道することがはるかにやさしいのです。この人が福音を伝えるならば、これがなにか知るようになって、正しい福音を悟れば、神様の祝福が現れるようになっています。
・今日、皆様が3つを早く考えを変えるべきです。最初は世の中と私達が生きていく対象は、暗闇の中に陥る人であって、私たちの敵ではありません。その人々を救い出さなければなりません。それでその部分に正確な答を持っていなければならないのです。
・私たちの教会と皆様の家庭に多くの問題があることがあります。それが私たちの敵ではありません。皆様に必ず愛を受けねばならない対象です。
・三番目に悟ることは、皆様の敵は別にいます。サタン、悪魔です。‘あなたがたの敵である悪魔’と言われました。この3つのことを悟れば、大きい答えを受けます。皆様の家族にある問題を簡単に解決しようとせず、その背後にある勢力を知っていなければならないのです。私たちは、聖書を信じます。私たちは神様の人です。私たちは背後の勢力を知っていなければなりません。仮りにこの部分を信じないでいるとすれば、ものすごく深刻な結果がもたらされるようになるはずです。皆様がこれを信じないために、今、韓国に100万人のムダン(霊媒師)が生まれました。こういう部分をクリスチャンが実際的に認めないために、特に知識人であるほど認めません。それで、ニューエイジ運動がおきるようになったのです。
・私は行ってみたのではありませんが、ソウル大学病院の入口にこのように書かれているということです。そちらに行って来た人の話です。“聖書を持って入ってはなりません”と書かれているそうです。だから理解できないのです。まだ医科大学で精神病の原因を明るみにすることができずにいます。そして、今、深刻な人々がとても多いのです。こういう部分を認めないために、実際に敵が誰か、信仰生活をどのようにせねばならないのか分かるすべがありません。これを私達が話さないために、はなはだしきは偶像、占い、こういうことに陥って死んでいく人があまりに多いのです。これは簡単な話ではなくて、私たち教会が福音を伝えるにあたって、とても重要な答が入っていて、信仰生活するあなたがたに重要な答がここに入っています。
・最初が何でしょうか。たくさん考えてみましょう。私達が今、未信者になにか福音を誤って説明しています。そして、未信者が私たちクリスチャンを変に考えています。すると、クリスチャンは世の中をどのように見ているのでしょうか。難しいとみています。私達が生きて行くことが難しいなと言います。そうではありません。その考えから変えるべきです。それが最初です。
・皆様、信仰生活に勝利することを希望します。学生達は、今日、考えを完全に変えるように願います。世の中はついて行ってもだめで、離れてもだめです。神様が与えられる最も良い宣教地です。皆様、世の中は難しくありません。少しだけ誠実に生きれば、ものすごくやさしいのが世の中です。なんの力もないのが世の中です。悪魔の勢力の下にあって、皆様は神様の子供であるゆえに、どこでも勝利できます。このように正確な答を持っていなければ、人々が違った答を持っているのです。絶対に難しくありません。私が経験することではそうです。
・頻繁に私が話しています。私は不信仰の世界にたくさん入ってみませんでした。それでよく話すことができません。本当に私が研究してみた結果はそうです。私が不信仰の世界にただ一度入ってみたことが軍隊です。軍に行って一年いました。一年間いる間に、隊長をはじめとして多くの人々が伝道の門を開きました。それが正確な事実ではないでしょうか。神様が私たちとともにいらっしゃるために。今日、あなたがたが完全に考えを変えてしまわなければなりません。皆様にある家庭問題、今、大韓民国に最も深刻に出てくる教会問題、こういう部分が私たちの敵ではありません。これを悟らなければならないのです。
・そして三番目、私達が知っていなければならないことは、本当に霊的な問題は別にあるのです。今、深刻です。多くの戦いがおきています。今日、この三つの答を持って信仰生活すれば、神様が与えられる大きい門が本当に開かれるようになるはずです。これは私が簡単にする話ではありません。
・伝道現場に行ってみると、クリスチャンが愚かな人のように揺れていました。大学生達まで。それで何を話したのか知っていますか。福音が何かを知らないでいます。福音を説明したのです。福音を説明したので何と噂されたかとすれば“柳光洙先生は救い派だ”と言われました。現場に行ってみてあまりに霊的問題で苦しめられていたのです。偶像崇拝をする、それがどれくらい怖いか知らずにやられているのです。両親がムダン(霊媒師)をしていて、子供がやられることも知りません。それで私がなにを説明したかというと、
‘サタン、悪霊’を説明したのです。そうしたところ“ベレヤだ”と言われました。とてもとてもクリスチャンが神様の祝福を味わうことができるのに、味わうことができないので‘神様の祝福を味わいなさい’と行ったところ“味わいなさい”というその単語をウォッチマンニーが使ったみたいです。だから私をウォッチマンニーという式でしばしば非難してきました。遣る瀬ないことです。
・私が見るには、今日、ここにダビデの信仰を見ているのですが、私と皆様が必ず習うべき信仰です。あなたがたがどんな不信仰の世界に行っても大丈夫です。皆様がおわかりの通り、米国、全世界が知っているでしょう。‘スイーバー’という人です。その人の伝記を読みながら‘そうだ。これがクリスチャンだ’この人が福音の人で、祈りの人です。ところが持っていることが何にもなかったのです。それで、どこに就職をしたのかというと、清掃夫で就職しました。清掃夫で就職をしたのに、祈りながら最善を尽くしたのです。とにかく、いままでいた清掃夫の中で、こういう人を初めて見たと言われるほどでした。この人が清掃夫の長になりました。もっと良くしたのです。
・後ほど鋼鉄王カーネギーの秘書室長までなりました。後ほどどのようになったでしょうか。社長になったのです。世界を驚かせました。その時、初めから最後まで、カーネギーの命令を拒否したということです。一度もそのようなことがなかったのに拒否したということです。なにを拒否したのか、社長は出来ないと言ったそうです。立派な人々、社長の家族、こういう人々が多いのに、どうして清掃夫出身で、勉強もすることができなかった自分が社長になることができるかと言ったのでした。ところが、カーネギーがもっと重要な
話を残しました。計算が必要ならば数学上手にやる人を呼んで、諸々の仕事に技術が必要ならば技術者を呼べばよいのです。お金を与えれば来るようになっています。私は君の中にあるその神様、君の中にある福音ならば、私の会社を生かすことができると確信すると言いました。それが特別なことではありません。クリスチャンとはそのようなことです。
・今日、皆様が世の中を見る目が開かれることを希望して、世の中は私たちの敵ではありません。救いの対象であり、宣教の対象です。
・信仰生活するなかで、ダビデの周囲に困難がたくさん来て、サウル王も難しくしたのでした。しかし、その人々が敵ではありません。サウル王がダビデをとても困らせたのに、悪い霊が入った霊的問題がきたのを
知って、このダビデがサウルのために本当に祈ったのです。ところが、その間に神様はダビデに真実の臣下を付けて、途方もない祝福を注いでくださったのです。この祝福を受けてくださることを願います。皆様ゆえに皆様の家庭と皆様の周囲の霊的問題が完全になくなることを願います。
・本当に祈りの答えを受ける力で勝利したいでしょうか。私たちの敵が別にあります。目に見えないように
皆様の子供を今でも攻撃しています。目に見えないように、今でも教会を攻撃しているのです。
・創世記 3章に見ると、目に見えないように、へびの中に入っていって皆様を威嚇しています。創世記
6章に見ると、人の中に入っていってネフィリム時代を作って、時代を乱れるようにさせています。悟れば簡単です。今日も文化の内に入っていって皆様の家族と青少年を押し倒しているのです。この部分を悟りさえすれば、みわざが起きます。
・クリスチャンの中で異常に聖書でサタンという部分が出てくれば拒否反応を起こす人々が多いのです。私も以前にはそのようにしました。私も勉強をちょっとして、福音を知らない時、そうでした。何でサタン、悪霊の話をするのかと、その時チョー・ヨンギ牧師の悪口を言いました。何か話す言葉がなくて悪霊の話を悪霊のようにするのかと。私が福音を知れば知るほど、この部分が簡単な部分ではなかったのです。祈らねばならない部分だな。霊的祈りせねばならない部分だな。皆様が仮りに今日からこの祈りを始めるならば、皆様に相当な答えの門が開かれるようになるはずです。人々が福音に対する部分をよく理解できないでいます。福音を理解できなければ完全に失敗します。
・今晩にあなたがたは貴重な時間を出してここにいらっしゃいました。皆様が本当に答えを受けるように願って、今日、神様のみことばをつかんで祈るようになれば、まちがいなく証拠がくるはずなのに
2部礼拝ではメッセージ3つを捕まえてくださることを望みます。
・絶対に世の中は強くありません。世の中は暗闇の勢力の下にあるために、未信者には強いが、信者には強くないのです。私たちクリスチャンが考えを少しだけ良くすれば、いくらでも門があります。皆様が未信者と交流しないと、押されたかのように見えるけれど、それは私たちの考えであって、普段に少しだけ良くすれば、門がいくらでもあるのです。彼らが全部、伝道の畑になるのです。あなたがたが祈って、少しだけ答えを受ければ、皆様が行く所ごとに生きて行くことは使命を果たすようになるはずです。それが最初の祈りの答えを受ける秘密です。
・ダビデがどのようにして大きい答えを受けたのでしょうか。自分を困らせるその敵を敵として見なかったのです。敵によって神様に栄光を帰すと言いました。今日、皆様がこの契約を必ず捕まえてくださることを願います。皆様、教会の中には敵はいません。皆様の家族も敵ではありません。皆様の家族を通じて福音を悟らねばならなくて、より多くのことを証しせねばならないのです。
・最後の三番目、重要なことは、私たちの敵は別にあるのです。このサウル王を悪いようにさせた悪い勢力です。Iサムエル
16章に見れば、ダビデが賛美する中に、サウル王についた悪霊が離れたとなっています。聖書になぜその記録があるのでしょうか。ダビデがなにかを見たのです。皆様が祈るなかで、本当に皆様の家庭にある問題が、霊の目が開かれて見れば、単なる問題のように見えても、単なる問題ではなくて、背後に間違いないなにかがあります。これを見ることができなければなりません。それでこそ、皆様が祈りの答えを受けるのです。
・この場にチェ判事もおられ、先週来られた検事もいらっしゃいます。この方達がよく知っていらっしゃるはずです。大事故を起こした人々が、ほとんどすべてが偶像崇拝を特別にする家庭の子供です。必ず記憶するべきです。捜査する時や、そのような人々に会った時、本当に福音を伝えることが必要です。ところが、判事は裁判だけして、検事は呼んで調査をするのです。調査をするために、彼らにこのメッセージを伝えることがものすごく重要です。そのような意味では、検事は福音を伝えやすいのです。
・軍隊の中で酒を飲んでM16銃を取っては数十人を殺しました。後から調査で出てきたのです。ムダン(霊媒師)の息子でした。本人が自分の自由にできません。何かがあるということを知っていなければなりません。
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・子供達が一度だけ接すれば、永遠に崩れる麻薬をなぜするようになるのでしょうか。私は確かに背後の勢力があると確信します。それが何でしょうか。霊的な勢力です。それゆえに今日、皆様がここに集まって、それゆえに祈るようになるのです。私達が救われたのに、何ゆえにこのようにするのでしょうか。それのためです。
・今日3つのことに大きく目覚めるように願います。世の中の人々は私たちの敵ではありません。私たちの家族と私たちの周囲に起きるあらゆる問題は、私たちの敵ではないのです。私たちの敵は別にあります。皆様がこの三つのことにだけ目を開かれれば、ダビデのように答えを受けることができます。皆様が仮りにこの祈りを開始すれば、大きい答えがくるようになるはずです。間違いありません。
・それでIヨハネ 3章 8節に ‘神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。’
確かにそのようになっています。イエス様が行かれる最後になさったみことば
‘わたしの名前で悪霊を追い出して’ なぜそのようなみことばをなさったのでしょうか。それほど重要なのです。クリスチャンがほとんどこの部分をのがしています。ほとんどみな感覚もないのです。皆様、今はなければなりません。
・今日から3つの祈りを始めるように願います。皆様が行く現場が宣教地です。それを置いて祈りましょう。そして、皆様によって‘主イエスを信じなさい、そうすれば、あなたとあなたの家族は救われます’とおっしゃったゆえに、皆様の家族を全部救い出される祝福の門となるのです。最後に祈らねばならないことが、霊的な祈りです。まちがいなく答えが起きます。
・目にみえませんが、私たちの敵は別にいます。ダビデがこれを知っていました。詩篇をこれからずっと見れば、ダビデが悟った部分が、悪い者の背後に起きる霊的な勢力を知っていたのです。すると、皆様は勝利し始めます。皆様の夫と子供を捕まえている暗闇の勢力を知っていれば、皆様は祈りに勝利し始めるのです。それを知らなければ、しばしば肉体的に、あなたはどうしてこのようにするのか、というようになってしまうのです。皆様がその部分を知っていれば、大きい門が開かれるようになります。仮りに皆様の事業に攻撃している暗闇の勢力を理解するならば、祈りの驚くべき勝利があるようになるはずです。皆様の背後に神様が与えられた霊的祝福を理解するならば、祈りの答えの大きい門が開かれるようになるはずです。
・ある宣教師が書いた文です。宣教地域に行ったのに、誰も福音を受けなかった地域へ行ったのです。身分の高い酋長がいたそのような地域です。酋長の息子がイエス様を受け入れたのです。受け入れた酋長の息子とこの方が、伝道しようと回りました。ところが、なんのことか、その日の夜に酋長の息子が倒れたのです。3時間祈ったのに起きなかったのです。だから酋長がじっとしているでしょうか。“あなた方がどこの人々で、こちらにきてこのように騒々しくさせて、私たちの息子はなぜ死ぬのか?早く病院に連れて行くべきなのん、何時間もなぜ連れていたのか
”こういう問題が起きたのです。それで病院に移したのに、宣教師の考えに初めてこのような気がしたのです。いったいこれは、どのようなことか。もちろん、神様の計画があることです。この方の考えで、まちがいなくサタンのしわざがだという気がしたのですよ。確信が与えられました。それで、静かな声で患者の手を握って祈ったのです。心より“この酋長の息子、貴重な息子、福音を伝えるために用意されたこの息子を捕まえているサタンの勢力は、イエス・キリストの名前で離れるように”大きくも言わず、真実に祈ったのです。その日の夜にこの息子が息をふきかえしました。その証しをこの人が書きました。
・皆様、今日、ダビデがどのようにして勝利をしたのでしょうか。この部分を捕まえて、詩篇を見て祈らねばならないのですが、皆様自身のことにする貴重な祝福があることを希望します。私たちの世の中が敵ではありません。そして私たちの家族も敵ではありません。それを活用する別の勢力が別にあるのです。この部分を悟るようになれば、祈りの大きい答えの門が確かに開かれるようになるはずです。今日、皆様に貴重な日になることを願って、神様のみことばが皆様に本当に悟れる、本当に貴重な日になることをイエス様のお名前でお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様、今日、私達に霊の目を開いてくださって、どんなに見ても私たち大韓民国は、完全に占い、易、シャーマニズム、偶像国家に変わっています。米国、ヨーロッパが悪霊につかれたニューエイジ運動に変わって行っています。今、多くの学生達が麻薬ゆえに苦しんでいます。全世界は、不思議な霊的な問題が多くなって、昨年に比べて精神病患者が急増する、こういう難しい時になっています。どんなに考えても、神様のみことばしか答が無いことを私達が悟るようになったことを感謝申し上げます。今日、この時間に私たちの敵である悪魔に勝つことができるように、霊的な目を開けてください。新しい霊的な祈りが始まるようにしてください。今日、メッセージを受けた方達に生きた証拠がおきて、暗闇の勢力が全部離れる神様のみわざが起きるようにしてください。今、この時間も神様が私達とともにおられるので、福音を防止するように私たちに神様のみことばを聞くことができないようにして、家庭を暗闇の中に追い込むあらゆる不信仰とあらゆるサタンの勢力が縛られる時間になるようにしてください。表面では話さなくているけれど、内心は霊的問題で苦しめられる家庭に、あらゆる暗闇の勢力がイエスの名前で崩れるようにしてください。今、衛星で礼拝をささげている100以上の教会と全世界でインターネットでみことば受ける神様の民に目に見えないように働くあらゆる暗闇の勢力がイエスの名前で崩れて、真の敵に勝つことができる神様のみわざが開始するようにしてください。この場に参加したひとりももれなく、今夜に職場と事業と家庭に特に私たちの子供にあらゆる不信仰と失敗と霊的問題が、イエスの名前で解決する時間になるようにしてください。この場に参加した私たち主の民の頭上に手を当ててくださって、神様が聖霊で油を注ぎ、あらゆる霊的問題が解決するようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
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