2002年09月29日 聖日礼拝メッセージ
1部/パン種のような宗教
(マルコ8:14〜21)
・私たちの神様とマヤラ牧師先生に励ましの拍手を力強くお送りしましょう。なぜなら、アフリカの人々は、皆様のようにせず、3時間前にみな集まって踊るので、皆様を見ると牧師先生がもどかしく思うかもしれません。また、JESUS
CHRISTと10回ほど強調して講壇の上をあちこち回ります。タンザニアの人々が踊りもして、朝に始めて12時に終わります。私たちは少しするだけなので、その方には、もどかしく思えるでしょう?
この方がアフリカのタンザニア全体をリードする重要な牧師先生です。その方が自分からこの運動現場を見てみたいと来られました。たいした方です。
祈ってあげてください。30分間ほど、タンザニア宣教をしたことになります。
・通訳はノ・チンヒョン姉妹がしたのですが、私が今、第
2、第3、第4のエステルのような人物を探している中に、2番目に見つけた人物です。ワシントンのノ・インピョ先生の娘ですが、これから私たちの教会でずっと通訳するようになって、本部で働くようになるはずです。とても信仰だけでなくて、多くのことを取り揃えた人物です。これから多くの通訳を担当するようになるので、皆様が祈りを多くしてください。そして、特に米国生活をずっとしたので、韓国をよく知りません。皆様が後から祈ってくださって、特別に保護してください。
・今日、簡単にマヤラ先生が、使徒の働き1章8節から恵みのみことばを下さいました。それで、充分ですが、今日の本文を少しの間、考える時間を持ちましょう。ほとんどの信者が信仰生活をするのに、どのようにすれば良い信仰生活ができるかを知らずにいます。ほとんどの人が、イエスを信じ、祈り、すべて知っているけれど、どのようにすれば良い信仰生活ができるのか、こういう部分を知らないので、混乱するのです。
・ある人はこの話をしたり、あの話をしたり、そのようにします。また皆様自身も、私がどのようにすれば良い信仰生活ができるのか、どのようにすれば良いのかという考えをいつも持っています。またできない時には、失望することもあります。
・今日の本文で、イエス様がものすごく重要なことをおっしゃられました。「パリサイ人とヘロデのパン種に気を付けなさい。」パン種は見えないように広がって入っていくことを話します。信仰生活をよくできない人を見れば、目に見えることに関心が多くあります。しかし、信仰生活をよくしている人であるほど、目に見えない部分を見ます。簡単に話せば未信者は何でしょうか?目に見えることのために、目に見えない重要なことをみな捨てる人です。これが未信者で、信者は何でしょうか?
見えないことの為に目に見えることを全部投資するのです。違うのです。
・たましいは、目に見えません。ある人は神様はいるのか?
と尋ねますが、それは愚かな質問です。私たちの精神、たましいなど、重要なことは目に見えません。天国、地獄、悪魔、すべて目には見えません。天使は目に見えません。重要なことは、目に見えないのです。それを知っているでしょうか?
・あらまし見れば、信仰生活しない人の関心は、目に見えない所に関心がなく、目に見える所に関心が多いのです。それで、信仰生活をよくすることができません。そのような間違った信仰生活を続けるならば、ある日、苦労する日がきます。しかし、目に見えることが悪いのではありません。必要ないということでもありません。しかし、重要なことは、目に見えないのです。パン種のように広がっていくということです。
・福音もマタイの福音書 13章に見れば、パン種が広まるように広まるのですが、反対のものもそうです。これを用心すべきです。それで、パリサイ人のパン種とヘロデのパン種に気を付けなさいとイエス様がおっしゃいました。この話は、普通の話ではありません。
・信仰生活する方法において重要な答を勝ち取るように願います。目に見えないで入ることは、知識では解決できません。また科学的にも解決できません。目に見えない重要なたましいとか、暗闇の勢力とか、地獄とか、聖霊の働きとか、神様の働きとか、救いとか、サタンこういうものは、目に見えないために、科学で解決できないのです。科学で解決できるならば、何ゆえにここに来るでしょうか?
科学で解決できるならば、何ゆえにイエス様が十字架を背負われるでしょうか?
また、こういうことは政治でも解決することもなくて、経済でも解決されることがありません。人の力で解決できないのです。人の力で解決できるならば、何ゆえにイエス様が十字架を背負われるでしょうか?
そのようなことではありません。これを知ることが信仰生活をとてもよくすることです。それで、パン種に気を付けなさい。一言でこれだけをしっかりと捕まえて帰れば良いでしょう。しかし、少し説明が必要です。「ユダヤ人のパン種とヘロデのパン種に気を付けなさい。」簡単な話ではありません。
・ユダヤ人はどんな人々か?を考える必要があります。胸の中に抱いてこそ理解できるのです。ユダヤ人とはどんな人々でしょうか?
一言で客観的に話せば、神様がみことばを送って救いをくださるために、すべての国を選ばれたのですが、ユダヤの国から開始されたのです。この人達が錯覚することはありえるのです。なんの話なのか分かるでしょうか?
神様が世の中を救うために、どこからか開始せねばならないので、ユダヤの国から開始されたということです。ユダヤの国が錯覚をしても仕方ありません。ところが、ユダヤが永遠に錯覚をしたのです。錯覚しても仕方ありません。アブラハムみたいな人物は、すばらしいのです。アブラハムの孫、ヨセフのような人物もすばらしいです。モーセのような人物は、エジプトを破ってイスラエル民族を連れて出て、荒野の道を行き、紅海も分けて、すごかったのです。‘私たちがイスラエルだ’と錯覚するでしょう。
・皆様がおわかりの通り、ダビデのような王は、すばらしいのです。捕虜になった時、ダニエルのような人物は、イスラエル民族が捕虜になった時に出てきた人です。神様のみことばをユダヤの国にまず与えられました。この聖書を先に受けたという事実、こういうことだけでも十分に錯覚できます。このようにして用心せねばならないことがあります。ユダヤ人がどこに陥ったのでしょうか?
律法、制度、正統、選民思想、その次に国家、宗教に陥ってしまったのです。なんの話なのか分かるでしょうか?
・韓国の教授の中で、ユダヤ人教育が最高であるようにTVで講義なさった方がいます。それはよくないことです。簡単な定義をすれば、ユダヤ人教育は何でしょうか?他の国の人々は全部みな獣みたいな人で、イスラエルの人々だけが選民だということです。「すべて殺してもかまわないけれど、征服をしなさい。」どのように征服するのでしょうか?「お金と技術と信仰を持って征服をして、他の国の人々は全部なくなる存在で、私達だけがこの世界で神様の民だ。だから、その日完成される日にメシヤがくる。まだ来ていない。」怖い思想です。とても精神病の思想です。錯覚です。TV
を静かに見ていたら、その方は長老のようですが、まるでユダヤ人教育がすべてのように話をするので、「その人は知らないにしても、あまりに知らないな。」と思いました。大きい錯覚です。このユダヤ人教育は怖い教育です。福音を悟ることができなければ、これがパン種のように広がって入っていったのですが、どれだけ広がって入っていったでしょうか?
皆様がおわかりの通り、何度か滅びたのに世界を征服しました。錯覚しても仕方ありません。
・今、米国では一番土地が高いところがニューヨークにあって、その中でもマンハッタンです。少し前、新聞を見たら、マンハッタンの40%の土地がユダヤ人のものです。錯覚しても仕方ありません。米国社会は弁護士社会だと見ることができます。ちょっとしたことを話しても弁護士を連れてきます。少しだけ書類を取り出しても弁護士がいるべきです。弁護士社会だと見ることができます。米国の弁護士の中で30%がユダヤ人です。みな掌握したと見ることができます。それだけ見ても、皆様、すぐに思い出す人物の中にキッシンジャーをはじめとして、エジソン、米国初代大統領、今回のIMF指導者を見ても、すべてユダヤ人です。はなはだしくは、すぐに思い出す人、ケネディもユダヤ人だということです。エジソンとか、アインシュタイン、全部ユダヤ人です。クイズ大会に出て、どの国の人か分からなかったら、ユダヤ人といえば良い程です。錯覚しても仕方ありません。今でもそうです。これから私が見るのには、最も伝道せねばならない対象がユダヤ人です。これをしないならば大変です。私たちの学生達は実力を育てて、ユダヤ人福音化に出るべきです。実力がなければ、その人々について行くことができません。ユダヤ人達は、はじめから教えません。はじめからすごいのです。このパン種に気を付けなさい、しかし、なぜユダヤ人に対して話すのでしょうか?
・2番目に悟るべきなのは、ユダヤ人が持っている宗教、パン種ゆえに、とても重要な聖書箇所いくつかを抜きました。すると滅びるのです。皆様、絶対によく記憶すべきです。創世記
3章15節がなんの話なのか分かりません。生きて滅びるしかないのに、創世記3章15節の女の子孫がなんの話なのか?
私たちはみな男の子孫なのに、女の子孫はだれでしょうか?
イエス・キリストです。この部分をユダヤ人達が知らなくさせるのです。深刻です。
・2番目の聖書箇所、出エジプト記3章 18節の「犠牲のいけにえをささげに行きなさい。」イスラエル民族が奴隷でいたのに、「犠牲のいけにえをささげに行きなさい。過越の小羊の血によって救われるようになるはずだ。」この話をないがしろにしたのが誰でしょうか?
ユダヤ人です。それで、そのパン種に気を付けなさいと言われたのです。知らなければ大変です。これが全世界の教会に食い込んでいます。教会のなかに、牧師の中に広がっています。米国で牧師一名が私たちにタラッパンをしてくださいと申請をしました。この人は、牧会をする教会は、ものすごく大きいのに、とても困難にあって、精神病院に入院をしたら、医者が休めと言ったそうです。この方が、講堂に出て精神が良くなるので医者が休みなさい言うので、辞表を出した立場です。ところが、その
教会で私を招いて集会をしようと準備中なのです。深刻化しています。聖書箇所いくつかを理解しなければなりません。
・イスラエルがまた捕虜になりました。捕虜になった時、神様が「イスラエルよ。がんばりなさい」とか、「イスラエルよ。しっかりしなさい」とか、「イスラエルよ。力を育てなさい」とか、「イスラエルよ。あなたは今、捕虜なったんだなあ。アッシリヤ、バビロンに捕虜になったんだなあ。偶像崇拝してはならない」と言うべきなのに「見よ。処女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルといいなさい」イザヤ7章
14節と言われました。この話を誰がわかるでしょうか?
こういう話をないがしろにしたのがユダヤ人の宗教です。
・すると、現在の教会は、どうなのでしょうか?
よく聞いてみましょう。「いや先生。私たちは福音よく知って伝えるのになぜですか?
」しかし、現在、最もやさしい伝道を最も難しく話しています。それはよく知らずにいるということです。ご飯を食べることが難しいでしょうか?
ほとんど死にそうなのでしょう。ご飯のさじを持つのが難しいでしょうか?
それは、まだ成長していなくて、おっぱいを飲むべき対象です。そのまま外に置いておけば死ぬということです。伝道が難しいでしょうか?
福音を最も知らないということです。深刻なこういう結果がきたのです。救われる人がそばにいるのに、説明ができません。こういう深刻な段階がきました。その程度ならば、かまいません。教会に通う人が、救いの祝福を味わうことができません。深刻な段階にきました。
・これは、普通のパン種ではありません。これが広がって入っていっています。最後の聖書箇所です。マタイの福音書16章
16節、聖書箇所いくつだけ知っていればよいのです。「人々がわたしのことをだれだと言いますか?
あなたがたは、わたしのことをだれだと言いますか?
」「主は生ける神の御子キリストです。」「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。」
・皆様、今日、創世記 3章15節の主人公。出エジプト記3章18節の主人公。イザヤ7章14節の主人公。マタイの福音書16章16節の主人公であるキリスト。その方を皆様が本当に理解するならば、暗闇の問題はみな崩れるようになっています。皆様の家庭でだめな部分が何でしょうか?
それがパン種です。私は信仰生活を何十年しているのにうまくいません。それがまさにパン種に捕えられたのを抜き取りなさいということです。このユダヤ人のパン種に気を付けなさい。普通の話ではありません。私が見る時には、完全な答です。
・信仰生活にとても重要な部分、この部分に気を付けないとどのようになるのでしょうか?
パリサイ人に入っていったそのパン種が、よく聞いてください、初代教会が大きくなりながらそのまま入って行きました。パン種。理解できませんか?
今日この話を悟ることができないならば、絶対に祈りの答えを受けることができないだけでなく、ある面で救われることができなかった人なのかもしれません。これより重要な話はありません。よく聞いてください。パリサイ人のパン種がそのまま初代教会に入っていった教会が、中世教会です。何の話なのか分かるでしょうか?
ところが、中世教会を神様がたたき壊されました。それもルターを立ててたたき壊されたのです。それとともに神様がプロテスタントを育てられました。福音を、その代表的な国が米国ではないでしょうか?
すると大きくなったのですが、今、このパン種がまた入っていきました。なにかを知らないで、パリサイ人と同じようにまた入っていったのです。毎日、律法争いもして、毎日口げんかもして、また入って行きました。異常に福音に対する感激はなくて、正すことに感激が生じて、なにか知らなくパン種が入っていったのです。信徒を見て、足りない信徒を見てとてもかわいそうな心が生じねばならないのに、信徒を見ると試みにあうのです。それがまさにパン種が入っていったことです。福音が入っていかなくて、パリサイ人のパン種が入っていったのです。これがよく悟らなければなりません。教会があまりに軟弱です。教会のために祈りたいのに、教会が不満で、教会が嫌いになって、それがパン種が入っていったことです。私たちの両親を見ると、私たちの両親のために祈る心があるようにならねばならないのに、両親が嫌いで、家を出てみたくて、父母はなぜこうなのか?
長老はなぜこうなのか? 牧師はなぜこうなのか?
と言いたい、それがまさにパン種が入っていったことです。パン種、それがまさにパリサイ人のパン種が入っていったのです。用心すべきです。
・私は話をむやみにしないで、用心するほうですが、これからユダヤ人は深刻だと思います。今でも影響が大きいのです。そのパン種は、力がすごいのです。それで、私はユダヤ人福音化を必ず祈っていて、とても賢い人物エリートが現れれば、私は必ず話をします。「ユダヤ人福音化のために祈りなさい。ユダヤ人と交わる程、勉強をしなさい。ユダヤ人を征服する程、勉強しなさい。それで、ユダヤ人を生かすことが世界福音化です。」マラソンをするならば、初めからくるっと回って終わりにきます。地の果てまでというと、遠い所でなく、始めたところに帰ってきます。それを知っていますか?
それが、地の果てです。地の果てまでということは、ユダヤ人福音化までくることが地の果てです。始まった所に帰ってくるのです。地球が平らならば、あちらが地の果てですが、地球が丸いために帰ってくることが地の果てです。
・私たちのレムナントは、覚悟をして祈るべきです。ある日、米国に勉強している、また、ヨーロッパに勉強している、オーストラリア、カナダ、日本、先進国で勉強している学生の中にこの暗闇のパン種が入れば、ある日問題がきます。その時はおそいのです。
・私が、この前に言ったのですが、私たち教会で担当して、釜山にあるインマヌエル教会で担当して、ソウル・インマヌエル教会で担当して、蔚山のインマヌエル教会で担当して、本部に話をして、本を買って、学院福音化とかテープを買って、英語で翻訳して、中国語にも翻訳して送ってあげましょう。そのようなことが宣教です。現場で切ない心で待っている人がたくさんいます。ある人は、新聞の古いのを一ヶ月間持って通うのです。私たちは、何でもないように考えるけれど、私も何でもないように考えるけれど、ある時は新聞を自分の家に持って帰って見ない時もあります。率直な話です。それなのに、この人達は、1ケ月ずっと持って通うのです。読んで見て、また読んで見て、すごいことに、テープをあまり多く聞いて、音が出ないほどになるまで聞いた人もいます。
・そのようなことを見れば、私達が少しだけ祈れば、今、外国で揺れる人々、私たちのレムナント、米国に住み着いた人々、ほとんどみな生かされるようになります。皆様は、私の話をよく分からないでしょう。分かったら、その問題は解決されたでしょう。皆様、率直な話で、米国からきて座っていらっしゃる方がたくさんいます。尋ねてみましょう。悩みに悩んで学生達が嘘をつきます。両親に困難があるけれど、ないと言います。外に行って半分くらい死んでも、大丈夫だと見せます。はなはだしきは、麻薬しながら、しないようにします。その話にだまされてほとんどみな学生達が、霊的問題になって死にます。これが何でしょうか?パン種が入っていったことです。これが入っていったのです。抜け出てくることができません。抜け出す道は、ひとつしかありません。
・マタイの福音書 13章に見ると、福音のパン種が小麦粉全体をふくらむように、福音が正しく入っていってこそ広まるようになります。マヤラ先生が重要な話をされました。私自身も、自分の思い通りにはできません。それで、聖霊充満を受けなさい、私達がどのように私の家族を自分の思い通りにできるでしょうか?
聖霊充満を受けましょう。私達がどのように、韓国に暗闇のパン種が入ってきてやられているので、これをどのようにひっくり返すのでしょうか?
聖霊充満を受けましょう。でなければ方法がありません。
・皆様、私が新しく信じる方と役員と教役者に対して頼みます。皆様、いつ聖霊の充満を受けなければならないのでしょうか?
月曜日に会社に行かずに山に行くことは良くないことです。神様が嫌われるかもしれません。たまには良いでしょうが、いつも行ってはなりません。いつ聖霊充満を受けなければならないのでしょうか?
日曜です。日曜に皆様が本当に礼拝しながら、祈りながら聞かなければなりません。聖書を見ながら、何となく見るのと、祈ってみるのとは違います。日曜だけでも祈りながら聞きましょう。祈らずに説教を聞けば、私は立っているから大丈夫ですが、静かに座っていれば眠たくなります。本当にです。新聞を見れば、なにか探すために新聞を見れば、私は新聞を見る時、資料を探します。何か資料を探すために祈って見るのです。そうでなければ、新聞を読みながら寝て、一面だけでも五回読むことになります。うとうとするとまた読んで、また読んで、何も考えなくて見るからです。だから、絶好のチャンスです。いつまた祈梼院に行くのでしょうか?
・今日、聖日に私に聖霊の充満をくださいと祈りましょう。可能ならば礼拝に早く来ましょう。釜山には、10時半に始まりますが、朝に行けば100%、みな出ています。遠くから車に乗ってきて、講壇に入ってみれば、前にまでみな座っています。それが釜山の力です。ぱっと見れば、首都圏でも比較することができるでしょうか?
釜山では、お金がたくさんありません。大韓民国の8%
しかありません。この頃でも10%にしかなりません。大韓民国のお金80%が首都圏にあります。人材も首都圏にきています。首都圏に住む人がお金がないならば、ちょっと悪い人です。釜山に住む人がお金が多いならば、ちょっと悪い人です。それしか仕方がないのです。残りの10%が全国にあります。だから、首都圏に集中しているのです。それしか仕方がありません。それでも、祈りの底力があるのです。礼拝をすれば、早く出てきます。そして、男性も恵みを受けようと多くの人々が出てきます。その力がすごいのです。これからもすごいでしょう。インマヌエルに多くの働き人が集まっており、祈っています。
・いつ恵みを受けねばならないのでしょうか?
日曜にです。そして、日曜に必ず2つのことは、すべきです。何をせねばならないのでしょうか?
みことばを捕まえて一名以上とフォーラムをしましょう。今日、みことばを受けたことを共に、それから個人祈りもしましょう。何でもないことのように見えても、皆様の生涯を変化させます。間違いありません。可能ならば、家族の間でしましょう。共にしても良いけれど、祈るために、可能ならばひとりでしましょう。少しだけしても良いのです。私が見る時には、クリスチャンが日曜に祝福をみなのがすのです。日曜に試みにあいます。日曜に会議をしなければ、日曜にこれをしなければ、あれをしなければ、ある人は日曜にいつも試みにあいます。恵みをすこし受けては、日曜に試みにあって、恵みをみな逃して、信仰がすこし残っていていて、教会に行ってみな逃すのです。これが死ぬ道です。
・皆様、インマヌエルの聖徒と今、百ケ所あまり衛星で礼拝をささげる人々と、今、全世界で礼拝をささげる人、5千カ所でみことばを受けています。皆様に聖霊充満する日になることを望みます。私を自分の思い通りにできません。聖霊の充満を受けましょう。私を自分の思い通りできないのに、どのように自分の思い通りに家族ができるでしょうか?
聖霊の働きでしましょう。私自身も自分の思い通りできないのに、私がどのように教会を自分の思い通りにできるでしょう?
聖霊の働きに従って。私自身も動けないのに、どのように世界福音化ができるでしょう?
聖霊の働きで。すると、目に見えない暗闇の勢力がみな崩れます。今日、長い説教は出来ません。皆様個人と家庭にある暗闇の勢力のパン種が今日、全部なくなることをイエス・キリストの名前でお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、信仰で出発するようにさせてください。私たちの教会に信仰を下さいますことを感謝申し上げます。特に多くの人々のために伝道できるように準備させてくだって有難うございます。特に最も重要な総会神学校設立に私たちの長老達が1億円という大きいお金を神様の前に考えました。私たち全信徒が考えて、これから信仰の出発をするようにさせてください。私たちの役員と聖徒達が祝福を受けるようにしてくださり、レムナントを育てる程、未信者達がみてイエス様を信じることが良いと思うだけではなく、イエス信じることが最も重要なことだ知る程、多くの宣教師と教役者が霊的な力を得ることができるほど、また福音が入っていない国に福音が宣べ伝えられる程、あのアフリカのタンザニアに神様のみわざが起きる程、私たちの信徒に証拠を与えてください。今日、この時間も短い時間ですが、聖霊の充満を受ける時間になるようにさせてくださって、不信仰のパン種がなくなる時間になるようにさせてください。今、この時間もマルコのタラッパンに臨んだ聖霊が、私たちの考えの中に働いてくださり、全世界を生かして、エペソに働かれた聖霊様が私たちのからだの中に働かれて、病気をいやしてください。私たちの胸の中に働いて、信仰を新しくしてください。私たちの家庭に働いて、家族を生かしてください。私たちの事業に働いて、神様の証拠が起きるようにしてください。それで、イエス・キリストの証人になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
2部/不信仰の自滅
(詩9:1〜20)
・私達が未信者のように、成功するために苦闘する必要はありません。しかし、これから真の成功をしなければならないのです。福音のなかでしなければなりません。私たちがある特別な答えを受けようと苦闘するのは、聖書的ではないと思います。しかし、私達が神様が与えられる答えを徐々に受けなければならないのです。あなたがたが、これからは神様の前で、真のみこころを探して成功し始めなければならないし、レムナント達は、この契約を捕まえて祈り始めなければなりません。その中で最も重要な部分が、不信仰にだまされてはならないということです。
・今日のタイトルは、不信仰の自滅です。不信仰は自ずから崩れるために、私達がそれに陥ってはならないのです。ところが私達が不信仰の中に陥らないようにすることは、むずかしいのです。私の場合でもそうです。私が今週にそのような祈りをしました。ある現場に行ったり、祈りの答えを受けた人を見たり、不思議に思うように伝道の実が起こったり、試験を受けた時に神様が働かれたりしたことを見れば、信仰が生じます。ところが、私も知らない間に良くならないことを見る時、不信仰が生じるのです。私も知らない間に、それと事実は関係がないことなのに、自分の目の前に迫る実とは関係ないことなのにもかかわらず、不信仰が生じるのです。ある時には、伝道運動をして回ってみるならば、多くの試みにあって伝道が出来ずにいる教会や牧師を見れば
‘あんな人と一緒に、世界福音化ができるだろうか?’というような気がします。また、働き人でも、仕事をする人を見れば、ひとつ話せばてきぱきとしなければならないのに、それを分からずにいるのか、あのようにさ迷っているのを見れば、‘
あの人々が果して世界福音化をするのか?’ こういう気がするのです。これがみな不信仰です。
・実際には、そのようなことで世界の福音化をするのではありません。時刻表になれば、神様が働かれれば無能なイスラエルに入りバビロンを倒して、エジプトを倒されることもしましたが、私も知らない間に不信仰の内に入って行くのです。人はどうすることもできません。私達が神様の働きを見れば信仰が生じるのに、それでなければ、不信仰に陥ります。本当に怖いことが不信仰です。私達が瞬間、瞬間に不信仰に陥ります。教会というのは何も難しいことはありません。
・例えば、ある日見ると、私たちの教会に軍人が来ました。すると、教役者がその軍人を呼ぶのです。「あなたの他にも軍人がいます。ですから、あなた方で手を結んで祈りをしなさい。軍福音化ができるほど祈りをしなさい。すると3名以上であるから、あなたが会長をしなさい。そして、教会に報告をして、聖日礼拝の時間に軍宣教チームを呼んで祝福祈りをしてもらいなさい。」そして、少ししたら医者が現れました。すると、医者を集めて「あなたは実があろうがなかろうが、医療宣教のために祈りをしなさい。あなたを見ると年齢が最も上だから、会長をしなさい。それで教会に報告をして、日曜に医療チームを呼んで祈りをしてもらいましょう。」それが機能宣教です。この話をそのように悟ったかどうか、この話をした、あの話をしたとなりました。それを聞いて、私は気が狂いそうでした。‘この人達を連れて世界福音化ができるだろうか?’と不信仰に捕えられました。簡単なのに、事実通りすれば良いのです。いつでも事実が行政より先んじるべきです。行政が事実をひっぱって行こうとしてはなりません。事実通りついて行くことが、行政です。乞食が集まれば乞食行政を使って、知識人が話せば知識行政を使うことであって、行政を作って置いて引っ張っていくことではありません。‘本当に異常だ。機能宣教の話をこのように理解できないならば、私たちの教会の信徒は、祈りの答えを受けるのに、どれくらい支障が多いのか?’こういう考えをするので、不信仰が私も知らない間に押し寄せたのです。「このようにして、世界福音化をするのだろうか?」という気がしました。人というのは、瞬間、瞬間に不信仰が生じて、信仰も生じるのです。私の場合にもですが、皆様はどうでしょうか?
・今日、私達がダビデを見ながら、不信仰がどれくらい怖いのかをもう一度確認しながら、あなたがたが新しく出発すべきです。不信仰は、まちがいなくサタンの攻撃の対象になります。攻撃の対象です。“身をつつしみ、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が...”という前に、何の話があるのかと見ると“心配を主に任せてしまいなさい”という話が出てきました。そのみことばは何でしょうか?
信仰なく不信仰する時、攻撃をしてくるという話です。
・実際に医者が証拠しているのですが、不信仰する時、最も多くの病気が生じるということです。私達が気落ちして、挫折して、ストレスを受けて、このような時、私たちも知らない間に病気が生まれているということです。そうしながら、ある時になれば死ぬ病気に移るようになるのです。そのようなことが、たくさん生まれます。医学的に証拠があります。また、私達が不信仰する時、人間関係に問題がきます。不信仰ということは怖いのです。
・アダム、エバがとても祝福されて生きていた時に、目に見えないサタンはへびを利用してエバを倒したのですが、不信仰を植え付けたのでした。違ったことでは、倒れません。怖がらせたのでもなくて、挑戦したのでもありません。不信仰を植え付けたのでした。“神様が園のすべての木の実を食べるなと言われたのか?”このように尋ねたのです。嘘をついたのです。神様がそのようなみことばをおっしゃいませんでした。“みな食べても、一つだけ食べるな”と言われたのに、“神様が園のすべての木の実を食べるなと言われたか?”
このように出てきたのです。ですからエバがだまされたのです。“違う。みな食べても良いけれど、一つだけ食べるなと言われた。これを食べれば死ぬかもしれないとおっしゃった”“死なない。あなたがこれを食べれば、目が開いて、神様のようになるはずだ。神様がそれが恐ろしくて、それを食べるなとなさったのだ。食べてみろ”
ここに不信仰を植え付けたのです。ですから、エバが見たら、実があまりにも良く見えたのです。それで取って食べました。それを食べたことが問題になるのではありません。その実の中に毒があったのでもありません。その実が問題があって、食中毒にかかったのでもないのです。その実が問題があるのではありません。その実を取って食べた、それ自体に問題があるのではないのです。神様が食べるなと言われたのに、悪魔が食べなさいと言ったので食べたのです。言わば、契約に対する放棄です。これで相当な問題がきたのです。これが不信仰を通って入ってきたのです。
・皆様が不信仰がどれくらい怖いのかを知らないのです。神様を信じなさいと言われるから、神様がどこにいるのか、このように出てきました。それで地球上に入ってきた問題が、洪水時代です。ノアの洪水時代です。救われた神様の民が、神様を契約にそむいて、不信仰の内に陥ってしまったのです。そのようになったことが、どんな結果できたでしょうか?
イスラエル民族が、奴隷になってしまったのです。それがヨセフの兄達の不信仰です。皆様、なんでもないことのようでもそうなのです。
・あなたに息子を与えるとおっしゃったのですが、神様がおっしゃったのに、アブラハムが信じられなかったのです。アブラハムが、他の女の人を通じて子供を産むことは、その当時、大きい問題になるのではありません。神様の根本の約束に不信仰になったのです。信じられないのです。どのように、神様があのおばあさんに子供をくれることができるだろうか?
話にならないことです。ですから、自分の頭で考えたのです。‘他の女性を通じて子供を生みなさいと言われているようだ’と考えたのです。それがありえる問題でしたが、アブラハムと神様の間では、相当な不信仰です。根本的な不信仰です。それで、産まれた子供がイシュマエルです。そのイシュマエルが、今でも問題になっています。米国が攻撃をしようか、やめようか悩むその対象です。まちがいなく犯人は捕えられなかったのですが、私達が予測するのに、米国の大きい建物を倒したチームがその種族と見られています。まだ確認はできなかったのですが、100%
みなそのように考えています。深刻な不信仰ということは、途方もない結果をもたらすのです。
・イスラエル民族が、サウル王のような、アハブ王のような人々が生まれて、そのまま神様を信じれば良いのに、信じられないのです。不信仰の中に少しずつ陥って行くのです。そして、後ほどは深く陥るようになるのです。ある学生から神様が信じられないと質問がきました。当然の話だと考えることができる考えです。しかし、少しずつ不信仰に陥って、後ほどは深く陥るようになるのです。アハブ王のようになるのです。これゆえにイスラエル民族が捕虜になってしまいました。皆様、私達がそのようになります。不信仰ということは、少しずつ陥るようになるのです。外に出てみると、神様がいるのか?
会社に行くと、神様がいるのか? 忙しく生きなければならないので、私達が少しずつ、不信仰に少しずつ陥るようになるのです。牧師は、いつも礼拝堂に行って、訪問するから信仰的だと言いたいのですが、そうではありません。より不信仰に陥るようになります。長老達が、いつも祈っているから、あの方達はいままで不信仰に陥らないのではないか?
より陥ることができます。本当に異常ではないでしょうか?
牧師達、宣教師達がいつも祈るから、信仰が落ちないのだろうか?
と言いたいでしょうが、そうではありません。ある面で、信者よりもっと信仰が落ちる場合もあります。このように、不信仰ということは、怖いことを作り出すのです。
・イスラエル民族が解放されたのに、それも奇跡的な解放を受けたのです。クロスという王が起きて、イスラエル民族をみな送り出したのでした。その程度ならば、びっくりすることですが、また不信仰に陥ったのです。それでローマに植民地になったのですが、後ほどイスラエル民族がさまようようになりました。それで、不信仰ということがそれほど怖いのです。
・今日、私もそうで、皆様もそうで、不信仰に陥りやすいのです。私は根本的に不信仰に陥らないけれど、私達がある現実に直面する時、間違った考えをします。不信仰になるのです。神様が私に力があると言われたから、しているのでもなくて、皆様が力があるから、するのでもありません。ところが、私たちは不信仰に陥ります。また私達がお金が多いから、後ほど良い生活をするというのでもないのに、私たちはずっと不信仰に陥るのです。今、私が状態が良くなければ、未来がないように見えます。不信仰に陥るようになるのです。学生達が、勉強が良くできなければ、何も希望がないように感じられます。両親もそうで、学生達もそうです。実際にそのようなことではないのに、私たちはずっと不信仰に陥っていくようになります。勉強をひとつもできなくても、神様の祝福を受ければ、良い生活をすることができるので、勉強を多くした人も神様の祝福を受けることができなければ、生きられないのに、私たちはしばしば不信仰に陥っていくのです。今日、世界の福音化の祝福を受けたインマヌエル教会の皆様の不信仰が、完全に崩れる祝福があることを願います。なんでもないことのようでも、不信仰は私たちをずっと追い込んで入っていくのです。それで、ある場合は、皆様が教会へいらっしゃって、正しい言葉でも不信仰の話はしないほうが良いのです。なぜなら、私達が話している時、新しくイエス様を信じる人がきて、相当な傷を受けるからです。ところが、その人が傷だけ受ければ良いのに、崩れるのです。そして、この人を立ち直らせるのに、あまりにも多くの投資をしなければなりません。それは、小さな罪ではありません。そして、教師がもし不信仰になっている時、私達が連れている子供達は、相当な子供達ではないでしょうか?
それなのに、相当な支障を与えるようになります。もし私が不信仰に陥るようになるならば、タラッパン全体に問題がくるようになるはずです。ですから、役員であるほどそうなのです。不信仰ということは、人の話を聞いて陥ったり、環境を見て陥ることもあります。そのようになりやすいのです。いくらそうであっても、神様は変わりがありません。それにもかかわらず、どんなにそうでも、聖書が変わらないのにもかかわらず、どんなに人々が声で叫んでも、真理は変わらないのにもかかわらず、私たちは不信仰に陥るのです。
・すると、今日、詩篇 9篇にダビデが、不信仰がきた時、どのようにしたのか?
を見る必要があります。詩篇9篇 1節を見れば、ダビデがこういう祈りをしました。“私は心を尽くして主に感謝します。あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。”
ダビデは、どのように祈ったのでしょうか? 心を尽くして感謝しました。この話は、心から本当に感謝したということです。それとともに、後を見れば、主の奇しいわざを余すことなく語り告げます。語り告げるということは、未来型になっています。また感謝します。この話は、未来も含まれるけれど、今のことです。私が神様に心をつくして感謝するのです。この話は、ダビデがこういう経験が多い人です。困難がきた時、理由を悟って見たら感謝するようになるのです。神様の驚くべきみわざを見るようになったのです。ダビデがその話をしているのです。
・また2節に見ると、こういうみことばがあります。“私は、あなたを喜び、誇ります。いと高き方よ。あなたの御名をほめ歌います。”主を喜び、誇るということは、主に喜びをささげて、楽しみをささげるということではありません。この単語をよく理解しなければなりません。主を喜び、誇るということは、私達が神様を信じるそのことが、うれしくて楽しいということです。そこで多くの賛美が出てくるのです。今日、聖歌隊と賛美する皆様に祝福があることを希望します。私が知っていることでは、皆様が礼拝堂にきて本当に賛美を正しくするとか、また皆様が今現在、聖歌隊で本当に賛美をするとか、そして、皆様が一人でいる時間に、定刻の祈りの時間に賛美で祈りをすれば、皆様に相当ないやしのみわざが起きます。ダビデが一人でいる時に良くしたことが祈りも祈りですが、賛美をしました。あなたがたが今日から賛美を回復なさることを望みます。一人でいる時、賛美が出てくることができるのです。一人でいれば賛美が出て来なければなりません。それが祈りです。
・私はこの頃出てくる歌を全く知りません。タレントの名前もよく知らないのです。ところが、誰かが私にカラオケに行こうと言いました。私が行ったでしょうか?
行かなかったでしょうか? 行ったのです。ところが、歌を知りません。それで、むかしの歌、何曲か選んで歌うしかありません。人々は遊ぶのですが、私は遊ぶことがあまりできないので、そのまま座っていました。ところが、本当に不思議です。一人でいた時、流行歌が出てくるのです。無視できないなと思いました。賛美が出るべきなのに、一人で静かに窓を開けていれば、賛美が出てくるべきではないでしょうか?
窓を開けると、流行歌が出てきました。これがこういうことだなと思いました。私達が本当に一人でいる時、賛美するということは、相当な祈りです。ダビデがこういう信仰です。どれくらい不信仰が良かったでしょう?
私たちは、ダビデぐらい重要な場にいるのではないのに、ダビデの周囲にどれくらい多くの不信仰が来たでしょうか?
ダビデがこういう告白をしました。“私は、主を喜び、賛美します”
それは主に賛美するというだけでもかまわないのですが、この本文はそういう話ではありません。主自体を喜んで、賛美するということです。賛美が相当なのです。特に2節を見ると、御名をほめたたえると出ています。
・9節, 10節にこういう告白をしました。“主はしいたげられた者のとりで、苦しみのときのとりで。御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。”
ダビデが持っている確実な信仰です。ところが見ましょう。ダビデが知っている信仰です。私たちは、揺れてはならないのです。3節に見ると、このような言葉があります。“私の敵は退くとき、つまずき、あなたの前で、ついえ去ります。”
私達が倒す必要もなくて、不信仰な者は、自分の足で倒れて崩れるということです。ダビデがこれを知っていたのです。5節には、こういうみことばがあります。“あなたは国々をお叱りになり、悪者を滅ぼし、彼らの名を、とこしえに、消し去られました。”
神様を信じない悪い者が生き残るでしょうか?
とこしえに消し去られるはずです。そして、6節には
“敵は、絶え果てて永遠の廃墟。あなたが根こぎにされた町々、その記憶さえ、消えうせました。”
どんなに不信仰な者が強く見えても、神様が働かれれば、町々は崩れるはずです。特に15節には、こういう驚くべきみことばがあります。“国々はおのれの作った穴に陥り、おのれの隠した網に、わが足をとられる。”となっています。それで、今日の本文のタイトルが
“不信仰者の自滅”です。神様を知らない者、不信仰な者、神様を妨害する者はどのようになるのでしょうか?
自分が作って置いた網に、自分がはまるのです。そして、自分が作った穴に自分が陥ってしまうのです。
・これを知っている以上、あなたがたは揺れてはならないのです。特に、私たち学生達が大きくなりながら、よく記憶するべきです。先週の2部で説教しましたが、世の中が生きるのに難しいことのように話をします。絶対にそうではありません。皆様が職場に行ったり、未信者と交流して遊びに回って、実際にはそのようにすることができません。時間もありません。ところが、未信者は自分たちの間で食べて遊びながら、人間関係の形成をみなします。事実、そうです。ところが、私たちはその時、抜け出てくるから、人間関係の形成ができないではないでしょうか?
特に男の人がそうです。韓国政治とか経済がこのようにして回るのに、する時があるのでしょうか?
釜山の山に行ってするのでしょうか? 行く時がありません。明らかです。かと言って、一日中しなくてご飯を食べるのでしょうか?
それも違います。だから、酒場で酒を飲みながらするのです。ですから、信者は事実は、いつもいっしょにいるのが難しいのです。ですから、置き去りにされる可能性があります。そのように考えるでしょう。しかし、そのようなことはないのです。あなたがたが、普段の時に良くしましょう。普段の時に良くすれば、行かなくてもよくて、行っても良いのです。普段の時に良くしましょう。必ず社会生活をそのようにしましょう。誤った話にだまされないで。みなサタンの声です。普段の時良くしていれば、抜けてもかまいません。‘あの人は普段の時、私に対してよくしてくれるのに、こういう集いには来ないよ!
分かったら、クリスチャンだな。手助けしなければならない’こういう気がするのです。
・また、あなたがたの考えで、未信者と交流しなければならないと考えるのですが、そのようなことはありません。少しだけ知恵があれば、神様が皆様に驚くべき祝福をされるようになっています。私たちの学生達は、勉強をそんなに良くしようとせず、それ以前に人ができなければなりません。人ができずにいて、勉強だけしていて良いでしょうか?
勉強をちょっとできなくても、人ができていなければなりません。もし外国に留学に行っているレムナントであっても、留学に行ったレムナントはよく聞かなければなりません。皆様が行って勉強を熱心にして、早く、早く上がらなければならない?
そのようにしなくても良いのです。それは未信者がすることです。10年でも、20年でも、1年でもかまいません。私達が信仰を守って、人ができていれば、まちがいなく成功します。未信者でも人のような人に投資をするのは、人ができていない人に投資をするでしょうか?
未信者が酒を飲んで騒いでも、投資をする時には、だれにするでしょうか?
正しくできた人にするということです。だまされてはなりません。私たちは、しばしばだまされます。不信仰の前に、しばしばだまされるということです。もし不信仰が勝つならば、自滅するしかないのであって、だまされる必要もありません。それで、私たちの学生達や私たちの青年達は、信仰と実力を育てることを希望します。心配する必要がありません。皆様が行く所ごとに、神様が働かれるはずです。今日、15節に自分が作った網にかかるようになるはずで、自分が作った穴に陥るようになるはずです。これが不信仰です。よくなったかのように見えても、結局は落ち込むようになっています。
・神様が今日、信仰人に祝福を下さいますはずです。私は祈ることがひとつあります。‘神様、世の中があまりに異常です。ですから、私たちのレムナントと私たちの子供が行く所に、行く前に祝福を下さい’
行ってから受けるのではおそいのです。‘行く前に下さい。私たちの多くの役員と福音を持った方達と私たちのレムナントが行く所がどれくらい難しいか、行って答えを受ければ遅いから、神様が行く前に答えを下さい。ヨセフが行く前に祝福をなさらなかったでしょうか?
モーセが行く前に、すでに主の使い先に送られていたではないでしょうか?
ローマ13章 14節にキリストの服を着させてください’勝つ道がありません。皆様が不信仰に絶対に陥らないで、今日、信仰を回復する祝福の日になることを願います。
・10種類の踏み台を最後に記憶することを希望します。私はいつも信仰生活をすれば、10種類の踏み台をいつも記憶します。誰が何と言っても、私のいのちを治める方は神様です。神様を信じない、その人のいのちを治める方も神様です。それが最初の踏み台です。その方は、創造主なる神様ですから、その祝福を下さろうと、私たちにキリストを送られました。それが2番目の踏み台です。必ず銘記なさることを希望します。救われた私たちに、神様が目に見えるように働かれることはありません。目に見えることは偶像です。神様は、聖霊で働かれます。三番目の踏み台です。救われた私たちの中に聖霊がいらっしゃるために、神様はいつも私たちとともにいらっしゃいます。そして、私たちは絶対に滅びることができません。未信者との差は、それひとつしかありません。4番目の踏み台です。神様は、私達が永遠に滅びないように、確実な答を下さいました。それが聖書です。五番目の踏み台です。聖書に全部、答がみなあります。2千年前に、すでに世界化を説明されました。金正日党書記は、これから世界化をしようと言い始めていますが、聖書は既に
2千年前にすべての国の人々を弟子としなさいと言われました。そのように先んじた本はありません。私は聖書を見れば見るほど、驚きます。だから、どれくらい先んじた本なのか分かりません。聖書が正答です。私は聖書を見ながら、完全に事実であり、答です。皆様、そのようになれば、信仰に勝利するようになるはずです。聖書は簡単です。私たちの産業宣教のメンバーにも、こう話しました。初代教会は、絶対に滅びることができませんでした。初代教会は、唯一の答を持っていたからです。初代教会は、絶対に滅びることができなかったのです。何故でしょうか?専門性があったからです。初代教会は、絶対に滅びることができなかったのです。何故でしょうか?はじめから世界化になっていたからです。滅びることができませんでした。それは、皆様の事業でもまったく同じです。仕事でもまったく同じです。私たち学生達が、これから行く職場でこういう話が出てくるようにすべきです。“あの人がいなければ、私たちの会社がうまくいかなくなる”という話が出てくるようにしましょう。何の話なのか分かるでしょうか?
“あの人ゆえに仕事がだめだ”このようになれば、あなたがたは大変です。わかるでしょうか? “あの人がいなければ、私たち会社はだめだ”このようになるべきで“会社があの人がいなければだめだ”“あの人は分かったら、クリスチャンで、教会はインマヌエル教会に行っているよ”
“うん知っていた”そのようになります。そのようになぜできないでしょうか?
会社に皆様がいなければならないようにしましょう。それが唯一性です。そして、あなたがたは一つをしても正しくしましょう。それが専門性です。上手にやろうとせず、正しくしましょう。お手伝いひとつをしても、正しくしましょう。専門性です。そして、広く見ましょう。世界化です。専門性は深く見ることです。これになっていなければなりません。聖書は私たちに完壁な答を下さったのです。私たちの踏み台が聖書です。あなたがたが、どのようなことをしても、そのようにするのです。どのようなことをしても、このようにしなければなりません。皆様でなければ、この仕事が意味がないということが唯一性です。すると、なんでも深く見ることが専門性です。そして、早く、広く見なければなりません。それが世界化です。それは、世界まで行かなくても、広く見る目がなければなりません。それが世界化です。全世界を回っても、広く見ることができなければ、それは世界化ではありません。博士学位がどんなに多くても、深く見ることができなければ、それは専門性がないことです。そして、皆様がいるべき場にいることが唯一性です。私がこの会社にいてもかまわなくて、いなくてもよいならば、唯一性ではありません。私がこの教会にいてもかまわなくて、いなくても良いならば、それは唯一性ではありません。話になるでしょうか?
聖書のみことばに完壁な答を下さいました。それが五番目の踏み台です。そして、私が悟った六番目の踏み台です。それならば、私が行くそこが宣教地です。私が泥沼の中にいても、そこが宣教地です。私が最も良い家にいるとしても、そこが宣教地です。私がどこにいても、そこは宣教地です。それが六番目の踏み台です。七番目の踏み台は、私のすべての人生、生死禍福を神様が皆知っていらっしゃるということです。それならば、私は神様の前で全てのことを行うことはできないが、最も重要なことをします。その次の踏み台が何でしょうか?
私たち人間は死ぬようになっています。一度は死ぬようになっているのです。死ぬことを恐れてはなりません。死んだ後には審判があります。そして、九番目の踏み台が何でしょうか?
確かに来世はあります。それならば、私たちに最も重要なのが何でしょうか?
世界福音化です。水いっぱいも報いを失いません。私はこの契約を捕まえて、信仰を回復します。誰が何と言っても、60億の人口が大声で叫んでも、神様は今でも働いていらっしゃいます。どんなに知識人が拒否しても、悪霊は存在していて、聖霊は働いておられるのです。どんなに人が話しても、宗教は滅びへの道ですが、キリストは救いの道です。世の中の人々が話を多くするけれど、全部必要がない本です。それで吉凶を占うのです。聖書は占いをする必要がありません。
・この踏み台を捕まえれば、確かです。皆様、特に詩篇を読みながら、私たちの青少年、レムナントが祝福を受けてくださるように願います。ダビデの詩が一番たくさん出てきます。ダビデがただ耐えたということではないのです。なにかこの人が発見しました。何かを発見したのです。すでに、このダビデは、敵が自分が作った穴に陥って、その悪い者が作った網に足をひっかけると話したことを見ましょう。この人は、普通の人ではありません。何かを正しく見たのです。私があれこれゆえにではなく、私が主を喜び、誇るのにどのようにするのでしょうか?
この人が何かを知っているのです。賛美の人です。それで賛美が重要なのです。特に私たちの聖歌隊員が神様の祝福を受けてくださるように願います。
・皆様の中で、霊的問題が解決しない人は、礼拝の時だけでなく、ひとりで本当に祈りながら賛美をしてみましょう。最も速度が早いのです。それで、歌う人の中におかしな人が多いのです。なぜならば、賛美を知らないからです。歌と賛美は違います。それで、この人達が大きい祝福を受けた人ですが、音楽する人々は異常です。私が教会生活を長くしているでしょう?
音楽する人々を見れば、おかしな人々が本当に多いのです。指揮者を見れば、おかしな人々が多いのです。指揮して、怒って出て行ってしまうこともあります。性質に勝つことができなくて、そのようにする人が多いのです。私たちの教会にはいないけれど、そのような人が多いのです。そのようにしている途中で、けんかになって、聖歌隊員が試みに会います。またある所では、伴奏者がいつも変わるのです。したり、しなかったり、いつも変わります。なぜそうなのするかと言うと、自分も知らないと言いました。だめなのです。技術は良いのに、だめなのです。ですから誰でもするのではありあません。声楽をする人々を見ましょう。狂ってしまった人々が多いのです。一人で狂っています。それで、私たちの教会で音楽をする人々は、祝福を受けた人々です。もう一度話しますが、福音がない人が音楽をするということは、大変なことになるのです。必ず霊的問題がきます。確認してみましょう。一名ももれなくきます。それほど歌が重要なのです。何故でしょうか?賛美する天使が堕落して悪魔になったからです。ダビデが賛美を悟ったのです。ダビデが正しく賛美をしたら、悪霊が逃げたのです。これが賛美です。一人でいる時、深い賛美が出てくるということは、相当な祝福を受けたのです。
・私たちの信仰の踏み台は確かです。そのために結論を結びます。あなたがたが、今から天の知恵をもらえるほど祈りをしましょう。変に祈らずに、実際に祈りをしましょう。皆様の考えが祈りになって、皆様の判断が祈りになれば、天の知恵が生まれるようになっています。すべての事業をする人々が、何を持って未信者に勝てるのでしょうか?
天の知恵を得なければなりません。今日、あなたがたにその祝福が必ずあるのです。少しだけ祈ればよいのです。そして、これから世界福音化ゆえに、ダビデのようにあなたがたも成功することを希望します。これは、世の中のためのものではありません。福音のために成功することを希望します。これから時刻表を作って、あなたがたは祈りもして、準備することを希望します。
・今私が祈りの課題がひとつあります。何かというと、私たちの教会が組織が一つ一つ作られていきつつあるために、日本に行ってもこういう話をしました。カン・ミョンジュ宣教師にこう話しました。“カン・ミョンジュ宣教師が説教もして、訪問もして、神学院もしなければなりません。あなたの仕事が多いでしょう。そして、なんにもせずに遊んでも仕事が多いでしょう。いまは何をする時でしょうか?
先ず一番に、使徒の働き13章 1節の働き人です。東京全域をくまなく探して、ひっくり返す弟子を捜し出す人をひとり作りなさい。そのチームを構成しなさい。それゆえに神様がアンテオケ教会を祝福なさいました。そうなれば、教会が本当の答えを受けるはずです。最も驚く人は誰でしょうか?行くその人が驚くはずです。その次に誰が驚くでしょうか?
あなたが驚くはずです。そして、教会員全員が不思議に答えを受けるようになるはずです。”
今、祈っています。今 、私たち教会にどんな働き人が出るか?というと、月火集会だけ参加して、それ以外は夜も昼もなくて、釜山をくまなく回ってひっくり返す働き人が一人出てくるべきです。ものすごくみわざが起きるはずです。すると、その人ゆえに信徒全体が答えを受けます。使徒の働き
13章 1節の働き人ゆえに、アンテオケ教会全体が答えを受けました。使徒の働きの13章
1節の働き人ゆえに、経済人が祝福を受けたのです。生かされるようになります。教会が息をふきかえして、大きい群衆が集まるようになったのです。それがアンテオケ教会です。すこし専門性が必要です。
・今日、皆様がもう一度記憶なさるように願います。皆様が恵みを受けることができないでいれば、そのまま過ごしてしまいやすいのです。私たち人間は、恵みを受けることができなければ、そのまま過ごしてしまいやすいのです。しかし、少しずつ霊的問題に陥っていくようになります。本当に異常です。私が以前に毎日、神学校に通っていた時、礼拝をささげたのです。ところが、おかしなことです。一回は、行きたくなくなりました。神学校で礼拝をささげるのだろうか?
それで行きたくなくて、行かなかったのです。行かないと教室に座っていたら、異常ではないでしょうか?
それで忙しいふりをして外に行きました。私が狂ったか、そのように行ったのです。行く時もなく行って回ったのですが、これがどのようなことでしょうか?
ものすごく恵みになったのですよ。それで、ずっと一ケ月行きませんでした。理由もなく行かなかったのです。ある日悟ったのです。私が今、なぜこのようにしているのか?
いくら説教がよくなくても聞くべきではないか。説教もその人々が非常に出来なかったのです。それでも聞いてあげるべきではないか。私が礼拝をささげなければ、一日に一度ずつ礼拝をささげるのにとしながら回復しました。ところが、私だけそのようなことでなく、逃げた学生達が多かったのです。私達が、信仰ということはすこし落ちれば、なんでもないのに、少しずつ暗闇の内に入っていくのです。私達がまた信仰で祈りをすれば、息をふきかえすのです。今日、あなたがたが最も良い祝福の不信仰が崩れて、信仰を回復する貴重な告白の日になることをイエスの名前でお祈りします。その後には、まちがいなく答えがくるはずです。“信仰の働きと...”(信仰の後、みわざが起きます)と言われました。お祈りします。
- 契約の祈り -
神様に感謝申し上げます。今日、信仰を回復する時間になるようにさせてください。私たちはややもすれば、不信仰に陥りやすくて、私たちは私たちの経験が不信仰につながることも簡単で、私たちの考えと心配が不信仰に陥りやすいのです。この時を知って、サタンが攻撃するのですが、今日、私達が信仰を回復して、不信仰とあらゆる霊的の勢力が崩れる時間になるようにさせてください。今この時間に天の門が開く時間になるようにさせてください。今、この時間にいやされる時間になるようにさせてください。聖霊が目に見えないように実際に働かれて、病気の人がいやされるようにしてください。主の聖霊が働いてくださって、私たちの霊的問題が、解決するようにしてください。主の聖霊が働いてくださって、私たちのレムナントがおきるようにしてくださり、事業に神様の祝福の門が開くようにしてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。
- アーメン -
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