2002年10月13日 インマヌエル 聖日礼拝


1部/ペテロの告白
(マルコ8:27〜38 )
 
  
・皆様は、ペテロをよく知っているでしょう。初代教会で大きい役割をした主のしもべです。ペテロは、あなたがたがよく知っているように、学んだことがあまりない人でしたが、最高の神様の祝福を悟って、伝える者になりました。あなたがたが知っている通り、ペテロの職業は魚を捕る人です。漁師を無視するということではないのですが、いくら考えても魚を捕る人々は、むかしも今も、知識人ではありません。今、海辺で網を投げて魚を捕る人が無知な人だということではないのですが、それでも、魚を捕る人ならば、国会議員や判事のように、勉強をたくさんした人ではないことは間違いありません。ところが、神様がこういうペテロを用いて最高の祝福の場につくようになさったのでした。
・真に救いの秘密が大きいのです。今でもカトリックでは、ペテロを一代目の教皇と言い、今現在いる教皇は、ペテロの職務をそのまま受け継いだと考えています。それで、今かぶっている帽子が、ペテロがかぶったものだと考えて、持って歩く杖もペテロが持っていたものだと考えています。ペテロに対する尊敬が、カトリックではすごいのです。一代目の教皇とみたからで、実際にそうであるのかも知りません。それほどペテロは、大きい神様の祝福を味わった人です。
・どうして、ペテロがそのような大きい祝福を受けたのかということです。私達がペテロの告白を聞く必要があります。地球上で、一番最初にイエス様を見て “主は生ける神の御子キリストです”と告白した人です。たいしたものです。これひとつだけ見ても、途方もない祝福を受ける理由があります。このペテロが、地球上で一番最初です。そして、神殿の美しの門に行って、初めてイエスの名前を使った人です。“金銀は私にはない。私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエス・キリストの名前で歩きなさい(使徒 3:6)” それが、実際に初めて言われた言葉です。
・大くの人々が、信仰生活を良くして立派な人が多いのです。地球上には、本当に立派な人が多いのです。しかし、イエス様、福音を、エリヤのように悟って、エレミヤのように悟って、預言者のように悟って、バプテスマのヨハネのように悟っていました。ところが、ペテロが初めて言った言葉です。「主は生ける神の御子キリストです。」あなたがたがこの告白を本当にすれば、本当にすごいことなのです。このペテロが、はじめには、イエス様がマタイ16:13-20に見れば、とても驚かれて“ バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。” それとともに、すばらしい祝福を言われました。今日のマルコの福音書には、これが出ていませんが、マタイの福音書に出てきています。“あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。” これだけ知っていれば、完壁な祝福です。
 
・初めて告白したのです。あなたがたが、これを軽く思うかもしれません。イエス様が、創世記3:15の主人公であり、出エジプト3:18の 主人公であり、イザヤ7:14の主人公だということです。絶対に、私達が勝てない暗闇の力に勝って下さったその方です。私たちは絶対にサタンの戦略に勝つことができません。その勢力を破ってくださった方です。そして真の王であり、真の預言者であり、真の祭司長だという告白をしました。これは、衝撃的な告白です。あなたがたは聞いたので、そのように見て、そのように信じていますが、これを初めて悟ったということは、ものすごいことなのです。このマイクを使っていて、私たちは普通に使いますが、このマイクを初めて作った人はものすごいのです。あなたがたが自動車に乗って、知らずにそのまま行ったり来たりしていますが、初めて車を作ろうとした人は、すごいのです。まして、イエス様をキリストであり、生きておられる神様の息子だと悟ったことは相当なことなのです。
 
・ほとんどの教会が、よく悟れないでいます。これは、もっと驚くべきことです。立派な方達が多くいます。パリサイ人達は、絶対に失敗をしません。この方達が悟ることができなかったのです。あなたがたもおわかりの通り、律法学者達は、たくさん学んだ人々です。そして、その人々は、尊敬するだけのことはある人々です。こういう人々が、悟ることができませんでした。そして、多くの学者達が、悟ることができなかったのに、ペテロが悟ったのでした。それで、イエス様がおっしゃったのは、これをあなたに知らせたのは、血縁でなく、天から悟るようにされたということです。それとともに天の祝福を話されました。無知だから悟ったという話ではありません。神様があなたに知らせたということです。
・実際に、正直な告白ですが、私は信仰生活をしながら祝福を受けることができなかったし、私は幼い時から教会生活をしても、答えを受けることができませんでした。私がイエス様の恵みを受けて祝福をたくさん受けたのですが、大きく変化したこともなくて、大きく良くなったこともないのに、ある日、イエスがキリストであることを知るようになって、簡単な事実ですが、その時から実際に答えがき始めました。どれくらい驚くべき事なのか分かりません。ところが知って見れば、相当なことなのです。知って見れば、聖書全体の話です。これひとつを知らなくて、学生達が卒業して成功しても、それからだめになってしまうのです。これはいかに驚くべき祝福でしょうか。
・イエス様が、「人々はわたしのことを誰と言うか」と尋ねられ、マタイの福音書 16章には、「人の子は誰か?」と尋ねられました。ほとんどすべてが、返事が出来なかったのです。イエス様の弟子 12人が付いてまわったのですが、返事が出来ませんでした。そして大それた話をしました。バプテスマのヨハネのようだ、そして、エリヤのようだ、エレミヤのようだ、預言者のようだと言って、今でもそのように思っている人が多いのです。どこか知らないで、今でもバプテスマのヨハネのようだと考えています。バプテスマのヨハネは、社会正義を叫ぶ人です。ある面で見れば、間違ったことでもないけれど、今でも人々はそのような方向で信仰生活をする人が本当に多いのです。エレミヤのようらしい。涙を流して、苦しんで押さえられる人です。一時、教会に問題があって困難に会ったのですが、西部教会ペク先生のような場合は、ものすごく尊敬されました。なぜ尊敬されたかというと、その方は30年間、洋服一つだけ着てすごしました。常に韓国の昔の靴を履いて歩いていたのです。こういうことを信徒が尊敬します。たいしたものだと言いながら話すけれど、私が見る時は、本当に苦労だなと言いたいのですが。冬にそのような靴を履いていれば、しもやけになるはずで、洋服をいろいろ合わせて着るべきで、一つだけを着ていれば、昼夜なしで奥様が苦労しただろうと思います。ところが、人々はそのような考えをしないのです。なにかエレミヤの性格があるのです。
・人は、なにか正義を叫ぶ時、正しいことですが、正しいことであるかの様に考えます。人々は何か知らないで、神秘主義に陥って、変に祈れば大したことのように思います。そのように信仰生活をする人が多いという事実に、私たちは驚かざるをえません。ほとんどすべての人が、そのように考えるのです。ほとんどみな預言者、律法に陥って、正しいことなのですが、そこに陥って抜け出すことができない信仰生活をするのです。こういう状況で、まったく無知なペテロが、本当に勉強もしていないペテロが、主は生ける神の御子キリストですと告白しました。どれくらいイエス様が驚かれたでしょうか。バルヨナ・シモン。あなたは幸いですと話されました。ちょっと学んだ人がそう言えば、なるほどと思うはずですが、このペテロが、イエス様にずーっと付いて回りながら、他の弟子達は違うように話したのに、ペテロがイエス様は生きておられる神の御子キリストですと言ったのです。より簡単に話せば、旧約に約束されたその方であり、生きておられる神様の息子ですと言ったのです。驚くべき告白です。
・ところが、今日の本文には、ペテロの2番目の告白が出てきます。すると、「これからわたしは十字架を背負う」と話されたから、すぐにペテロが変わって、何の告白をするかというと、「それは良くない。」イエス様が死ねば、途方もない損をします。それで、ペテロがだめだと言ったのです。その時、イエス様が何とおしゃったかというと、「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」とおっしゃられたのです。私達がサタンに捕えられる時、肉体のことだけを考えるんどえす。イエス様がそのようにおっしゃられました。ペテロを見て、「あなたは悪魔にだまされたんだなあ」そのようにおっしゃらねばならないのに、すぐに「サタン。」とおっしゃられました。これがペテロの2番目の告白です。ところが、どんなことが行われたかというと、本当にイエス様が、その力がすごかったイエス様が、人々に捕えられて、十字架にかかられて死なれる、本当にそのようなことが行われたのです。
・皆様、考えてみましょう。これが人を救う神様の方法であることは、知らなかったのです。どれくらい大変なことになったでしょうか。この時、ペテロがイエス様に付いてまわりながら、多くの力を見たのに、まさかあの十字架で死ぬかと考えて、ペテロがイエス様について行ったのですが、マルコ福音 14章 66-72に見れば、ペテロがどこまで行ったかというと、イエス様が本当に苦しまれて、十字架で死なれそうなのに、ペテロは遠くで火にあたっていたのです。その時、皆様がご存じの通り、小さい女の子が「この人もイエス様と一緒にいた」と言いました。ですから、ペテロがどんな告白をしたかというと、そうではないと話しました。そうだと言わなければならないことなのに、違うと言いました。ですから、その家で仕事をしていた軍人なのか、職員なのかは分かりませんが、ペテロを見て、あなたは前に見たことがあるが、あなたは前にあのイエスに付いてまわっていたではないか、そして、あなたなまりからもガリラヤの人であることは間違いないのに、あなたはなぜそう言うのかと言いました。これだから、ペテロが間違いないと言わなければならないのに、違うと言いました。ペテロは、そのような人は知らないと言ったのです。イエス様がそばにいるのに、私はあの人は知らないと言いました。それで、聖書を見れば、誓いまでしたのです。誰かがまた出てきて、あなたはなぜ嘘をつくか、あなたはイエスに付いてまわったではないかと言いました。ペテロが絶対にそのようなことはないと言いました。その時、聖書でマタイの福音書を読んでみれば、イエス様が後ろを振り返ったとなっています。その時、イエス様とペテロの目が合ったとなっています。それで、イエス様がおっしゃった通りに鶏が鳴いたのですが、ペテロがしまったと思ったのでした。そして、ペテロが死ななかったのですが、このペテロは簡単に話せば、イエス様を否認する告白をしたのでした。このようになれば、どのようにならなければならないでしょうか。完全に滅びることではないでしょうか。ペテロは完全に滅びることをしたのでした。イエス様を知らないと言ったのです。それも、そばにおられるのに、知らないと言ったのです。あまりに恐れたということです。
・この重要な3つのことが、ペテロの告白です。「主は生ける神の御子キリストです」と告白しておいて、私達が霊的なことを忘れてしまって、肉体的なことを追って行きやすいのです。「主は生ける神の御子キリストです」と告白しておいて、怖がって、瞬間的に私がこういうことでは死ぬのではないかと恐れて、不安に包まれたのです。不安だから、知らないと話しました。これがペテロの告白です。大変なことになりました。どうして、敢えてサタンのお手伝いをして、どのように敢えてイエス様を否認して、呪いまでして、誓いまでしたのでしょうか。それも高弟が、ということです。あの後から付いて回った何名かがそうであるならば、例えばヤコブとか、そのような人がそうであれば、あの人が適当に付いてまわっていたが、そうなるだろうと思うことができます。ペテロはそのような人ではありません。率先して、みなイエス様を離れても、私はイエス様を離れないと言いました。ペテロは弟子の中でも高弟です。イエス様を常にいっしょに通って、いつも教えられた時そばにいました。ものすごいメッセージと色々な働きをされた時、ペテロがそばにいたのです。このペテロは、イエス様をよく知っていました。「この方が、まさにキリストだな。この方が旧約に約束されたメシヤ、その方だな、あなたは本当に生きておられる神様の息子キリストです。」と告白したペテロが、イエス様に付いてまわったこともなくて、私は知らないと言いました。
・このようになれば、どのようになるでしょうか。完全に滅びたのです。罰を受けて当然なことです。だから、ペテロがそのようにして鶏が鳴いた時に、良心が突かれたのです。イエス様が、鶏が三回鳴く前にわたしを否認する人がいると言われたが、私がその人だったのかと考えて、ペテロが完全に気落ちしました。放棄をしたのです。それで、あきらめたペテロがすべきことがあるでしょうか。韓国で使う言葉で、習った盗みだと言いますが、習ったことがそれしかないから、ペテロがまた魚を捕りに行きました。福音を伝えなければならない人が、魚を捕りに行ったのです。むかしに戻ったのでした。それで、ペテロがそこで魚を捕っていたその時、イエス様が現れられたのです。復活なさったイエス様が、ペテロを訪ねて来られました。本当に厳しく責められるべきなのですが、実はペテロが責められて解決する問題ではないのです。ペテロにものすごい罰を下ろさねばならないのですが、実は、罰を下すからといって解決する問題ではないのです。あまりにもよく知っていらっしゃったイエス様です。皆様はどれが本当だと考えるでしょうか。本当に主は生ける神の御子キリストですと告白をして、私はイエスを知らないと話しました。そして、イエス様が十字架で死ねばだめだと、話したのです。それをイエス様が知っておられたのでした。それを神様がご存知でした。ペテロが本当に主は生ける神の御子キリストですと話した時、その告白をイエス様がご存知であるということです。肉体を持った人間なので、ペテロがとても怖がって、イエス様を知らないと話したのですが、瞬間的にそのようにすることがあるのです。嘘をついたのです。それも途方もない嘘です。罪と言っても途方もない罪を犯したとしても、イエス様はそれをご存知なのです。実際にペテロがイエス様が十字架につけられると言われた時、「だめです、私たちと共によく生きるべきで、死んでも良いのですか」と話した時、ペテロは錯覚をしていたのです。それは真理でもなくて、真心でもなくて、単に錯覚したのでした。イエス様が、そのまま死んで良いのかということです。
・これをご存知であるイエス様が尋ねられたのです。またむかしに戻って気落ちしたペテロにいらっしゃって、‘バルヨナ・シモン。あなたはわたしを愛しますか。’このように尋ねられました。それもむかしの名前を呼びながら言われたのです。その時、ペテロには、どれくらい衝撃だったかということです。人は生きることができるでしょうか。イエス様が現れられたのです。例えば、幻想の中でそのように現れるても驚くではないでしょうか。現れて、あなたはわたしを愛しますかと尋ねてくださったのです。その時、ペテロが真心を告白しました。私はあなたを愛しますと言いました。もう2回尋ねられました。本当にわたしをこの人たちより愛しますか。あなたの全てのものよりもわたしを愛すのかと尋ねてくださった時、ペテロがまた告白しました。最後の告白は悩みながら言いました。私が主を愛せますか、主がご存知でしょう。と言いました。真実の告白でした。その時、イエス様がわたしの小羊を飼いなさいと言われました。わたしの小羊を飼いなさいと途方もない使命をまたくださったのです。
・私はこの聖書を見ながら、私達は間違いなくペテロと同じだと考えました。あなたがたはそうでないかもしれませんが、私は間違いなくペテロと同じだと考えました。私は確かにイエスを信じるのに、私達が肉体的、霊的なことを区分できない時があって、私達が明らかにイエスを信じるのに、悪魔のお手伝いをする時もあって、私達が明らかにイエスを信じるのに、話ではイエスを否認しなかったが、私達が多くの生活の中で、実際にイエス様を否認するような時が多いのです。私たち人間はこういうものだな、これをイエス様がご存知であって、ペテロを訪ねてくださったのです。本当にあまりにも感謝したのです。
・神様がペテロを祝福して、使徒として呼ばれたのです。ここで私達が二つのことを把握すべきで、捜し出さなければならないものがあります。それが何かというと、本当にイエスをキリストだと知る人は、サタンの攻撃を受けても死なないということです。確かにサタンに捕えられたのです。イエス様に十字架にかかるなと話したところ、イエス様が直接、「サタンよ。」と話されました。心からイエス様をキリストだと知っている人は、あらゆるサタン、悪霊がどんなに攻撃をしてもかまいません。大丈夫だということではなくて、勝つことができないということです。そして、主が救い出されるのです。皆様の考えで、幼い子供が危機に会えば、救い出すはずです。ある人が私に話すのには、イエスを信じないでいたのですが、イエスを信じたら夢にたびたび悪霊が現れると言いました。それで、かまわないと言いました。総動員して来てもかまわないのです。
・確かにペテロがイエス様を告白したのにもかかわらず、サタンに捕えられました。イエス様が直接おっしゃるのに、サタンだと話されました。そのようなペテロに、イエス様が訪ねられて小羊を飼いなさいとおっしゃったのです。この話は、私たちに大きい意味を投げ掛けることです。救われたあなたがたは、こういうこと、ああいうことに出会って、現実の中で困難にぶつかり、霊的問題が家にやってきたりするはずですが、神様は、あなたがたを救われるのです。明らかな証拠です。
・もう一つの証拠です。救われた本当にキリストを知る人が、あまりにも瞬間的に、あまりにも怖がってあまりにも肉体的に失敗をします。そのペテロをイエス様が訪ねてくださったのです。私たちならば、どのようにしたでしょうか。静かに置いておくでしょうか。それがまさに律法です。私たちならば、そっとしておかないのです。どうして、そのように重要な時間に、最後の瞬間に、それも最後の最後の弟子がみな逃げていないのに、最後までついてきた弟子が、イエス様に付いてまわった高弟が、どうしてイエス様を否認して、否認することまでは理解するけれど、誓って、それでもまだかまわないだけれど、呪いまでしたのです。そのようなペテロにイエス様は、あなたはわたしを愛しますか、それがペテロが自らの霊的な本当の心ではないということをご存知であって、イエス様があなたはわたしを愛しますかと尋ねられたのです。愛すと告白するから、小羊を飼いなさいとおっしゃったのでした。この話は、皆様がどんな環境に陥っても、私達が実際には生きて行きながら、色々な失敗をすることがあるのです。また間違いもします。間違いなさいということではありません。イエス様が、そこでキリストを知っているペテロを救い出されたのです。
・ところが、これでペテロが終わったのではありません。ペテロがこの恵みを捕まえて、新しく始めました。本当に重要です。新しく始めたのに、単に始めたのではありません。ペテロがこの契約を復活なさった主の恵みを受けて新しく始めたのですが、単に始めてはなりません。イエス様が最後に約束なさったことをペテロが捕まえたのです。神様の国がなされる方法を説明されたのですが、聖霊充満を受ければ、力を受けるようになるはずです。私は本当にこのみことばが、時間が経てば経つほど理解できます。私はすることができなくて、皆様も出来ません。聖霊の充満を受けなさい。私たちはサタン文化に勝つことも出来ません。聖霊の充満を受けなさい。救われても、私達が私たちの好きなようにすることも出来ないのです。聖霊の充満を受けなさい。ペテロが新しく始めたのです。この契約を捕まえたのです。マルコのタラッパンで、いのちをかけて祈っている時に、聖霊の体験をしたのです。
・この時から出てくるペテロの告白を見ましょう。「金銀は私にはないけれど、私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエス・キリストの名前で起きて歩きなさい」と言いました。これがペテロの告白です。むかしと違いました。少女がきて、あなたはイエスと一緒にいたではないかと尋ねた時、違うと言ったペテロが、その法廷で死ぬような場で、「世界中でこの御名の他には私たちが救われるべき名としてはどのような名も私達に与えられていません」と言いました。使徒の働き 4章 12節の記録が法廷で言った言葉です。それも、死刑を受けるはずである、その場での話です。たいしたものです。この時から、ペテロが行く所は働きが起き始めました。魚を捕ったペテロが、世界の福音化をするしもべに、イエス様を否認したペテロが世界を征服するしもべに、サタンのお手伝いしたペテロが聖霊の充満を受けて、本当に主の真の福音を伝える働き人に変わったのでした。
・皆様もそのようなことです。全く同じことです。私と皆様がある特別な宗教とか、特別な律法とか、こういうものに捕われるのでなければ、ほとんど同じです。私たちは救われていても、サタンのお手伝いをして、私たちは救われても間違った告白をして、簡単に話せば、嘘をつくのです。この時は、ペテロが怖がってそのようにしたのです。私たちは、本当にそのような時が多いのです。私達がどこかに行って、イエス様を告白できなくて、私たちは不信仰をする時も多いのです。私達がどこかに行って、イエス様は生きておられる神様の御子、救い主ですよと言うべきなのに、そうすることもできません。そっくりです。そして、私たちは信仰生活を良くしていても、やたら倒れて揺れることもします。しかし、ペテロは明らかなことを知っていました。イエス様が生ける神の御子キリストだと告白したペテロに、主は訪ねて来られ、新しい約束を下さって、小羊を飼いなさいとおっしゃったのです。それとともに、神様の国が臨まなければならず、聖霊の充満を受けろとおっしゃいました。ヨエル2章で約束された聖霊で、イエス様が使徒の働き 1章8節に直接約束なさったのでした。ペテロがこの恵みを受けたのでした。
・皆様に今日、本当に新しく始まる大きい祝福があることを希望します。すべての人、誰でもみなそのようなことで、そのようになるはずです。実際には、私の場合は、主の働きをするということで、多くの難しい部分、こういうことにたくさんやられて、聞くようになります。また主の働きをするという理由で、多くの弱い部門が隠されて祝福を受けたり、また私が主の働きをするという理由ゆえに、世界の福音化という理由ゆえに、家庭や教会で間違うことが多いけれど、神様は恵みをくださいます。事実です。私がある時は、信徒達に申し訳なくて、教会員達に申し訳ないのですが、会議をしながらも、ご飯を食べて行かなければならないのです。このように会議をする時間もないのです。あなたがたが理解をしてくださなければなりません。教会が行政的によくできないか、こういう話をしますが、それしか仕方がないのは、私が会議をよく導くことができないからです。している途中で行ってしまうから、私たちの長老や副教役者がしようとするので、ある時は牧師がどんな意見を持っているのか、またこれからこれがどんな内容なのかがよく分からないのです。ソウルにもすぐ行って、教会も一つだけすればいいでしょうに、二つもして、ご飯を食べてまたすぐ行かなければなりません。これが正しくすることではないのです。
・これが全部、何でしょうか?世界の福音化という理由ゆえに全部、隠されて、人々が理解してくださるのです。私たちの牧師は、福音を伝えるので、助けなければならないというように理解してくれるのです。私はそれゆえに生きているのです。もし、私をよく調べてみれば、みな失敗です。個人も、家庭も、教会も、そのように失敗です。ところが、神様の恵みです。また過ぎて見ると、神様が祝福なさるから、またその理由で、良くならなくなって滅びる可能性もあるのに、福音は滅びません。福音がどんどん証拠されるから、またその理由で。どれくらい多くの失敗をしているか分かりません。
・ペテロが間違いなく、私たちのようです。イエス様がキリストで、生きておられる神様の息子であるという話は最高の告白です。そのようにしてすぐ後、すぐにサタンのお手伝いをしたのです。すぐにです。そのようにして、最も重要な時間に、福音を伝えなければならない時間に、死ぬ覚悟をして話さなければならない時間に、イエス様を否認して、呪って、誓いました。間違いなく私たちと同じです。しかし、ペテロがした告白は嘘ではありませんでした。また、ペテロが2番目にした肉体の告白は、知らずに言った言葉です。しかし、ペテロが「イエス様は生きておられる神様の息子で、キリストでいらっしゃいます」という告白は本物の告白です。聖霊が知るようにされた告白です。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。」永遠で完壁な祝福を下さったのです。
 
・このペテロが倒れたのです。それで、訪ねて主が力を与えて、答を下さったのです。「聖霊充満を受けなさい。神様の国がなされるように聖霊の充満を受けなさい。どのように受けるのか。祈ればよい。待ちなさい」と言われました。エルサレム離れないで、揺れずに待てと言われました。この約束を捕まえて祈ったら、本当に聖霊充満のみわざが起きました。皆様が新しく始まる神様の祝福が必ずあるようになることをイエス様の名前でお祈りします。少しだけ聖霊充満を与えて下さいと祈れば、答えはくるはずです。ペテロの人が変わりました。「金銀は私にはない。私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエス・キリストの名前で歩きなさい」と言いました。ペテロの告白です。「世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」ペテロの告白です。
・使徒の働き 12章を見れば、ペテロが福音を伝えている途中で捕えられました。その日の夜に、その日、ペテロが死ぬことになったのに、おりしも過越節で、人を殺さない日だったので、後に回されました。明日になれば、ペテロは死にます。その日の夜にペテロは監獄にいたのに、教会がとてもせつなくてペテロのために、ずっと特別祈りをして、その日の夜、徹夜祈りをしていたら、その日ペテロは何をしていたかというと、監獄で寝ていたのです。何かの労働をしてきたのか、何でそんなに疲れていたのか、完全に寝ていました。その話はなんの話でしょうか。ペテロがあまりにも疲れて、眠り込んだと私は考えません。明日にならば死にます。ペテロは神様に祈って、神様に任せて深く寝たのです。その日の夜に神様が想像もできないことを起こし、主の使いを送ってくださって、ペテロを引き出されました。今でもユダヤ人は、どのように出てきたのか知りません。ペテロが出てきたのです。出てきたペテロは、その時死なないで、世界の福音化の大きい門をあけて行ったのです。
・それを見ながら、私達は本当にペテロのような人間だな、こういう私たちを神様がキリストを送ってくださって、救ってくださったのだなと思いました。ここであなたがたが最後にいくつかの注意しなければならない部分があります。私たちは、信仰生活をちょっとしている途中で、また私たちは教会生活をちょっとしている途中で、私たちは伝道して牧会をしている途中で、色々な難しい問題がくれば、ペテロのように前もってあきらめてしまうのです。このペテロは、前もってあきらめたのでした。これで私は終わったとしながら、私がなぜかイエス様を否認して、呪った私がどのように生きることができるのかと、あきらめたのです。錯覚です。そのペテロをイエス様は訪ねて聖霊充満をくださると約束なさいました。
・皆様、今日、このみことばは重要なみことばです。本当にペテロの告白がどうなのかを見る時、私たちとあまりにも同じで、 ペテロぐらい私たちも弱いのですが、私たちもイエス・キリストによって、その答えを受けることができるということです。それで、今日、皆様が新しく開始することを願います。本当に聖霊充満を与えて下さいと新しく始める時、来る答えはすばらしいのです。私が今日、皆様にはっきりとお話しすることができることは、すこし聖霊充満をくださいと祈ったのに、神様はあまりにも大きい答えをたくさんくださったのです。私は皆様がおわかりの通り、体質が気絶したりする体質ではありません。また体質がやたらどこかに行って、山の中で神秘主義したりする、こういう体質ではないのです。元々体質が紛らわしくする体質ではありません。そして、変に他の人を考えなかったり、深く考えたりもしません。単に普通の人です。それで、聖霊充満もそのように受けます。聖霊充満くださいと祈れば、私が信じられて、神様が与えられる力が生じます。 それで、神様の大きい答えを受けるのです。それで、聖霊充満はこういうことだなという気がします。
・神様は、キリストを知る神様の人に滅びるようなペテロに聖霊充満を約束なさいました。ヨエル 2章 28節に、「終わりの日に男女のしもべに水を注ぐように注ぐ。老人は夢を見るはずで、若者は幻を見るだろうとされました。」この未来を知るようになったのです。こういう大きい神様の祝福を下さったのです。今日、あなたがたが重要なこの契約を捕まえて、特別に神経を使って祈るべきことは、あなたがたが知らずにサタンのお手伝いを、ペテロのようにすることがあるということです。神様はそこからよくあなたがたを救い出されるのです。皆様が知らない間に失敗で、不信仰で、あるいは誤った考えと恐ろしさで、私たちは偽りをすることがあります。神様は、そこから救い出されて、新しい希望を下さいました。今日、単なる日ではなくて、皆様に本当に新しく始まる日になることを願います。私たちインマヌエル教会と、100箇所あまりで衛星で礼拝するあらゆる教会に、新しい力が現れるようになることを願います。タラッパンに暗闇の勢力が崩れて、新しい力が現れるようになることを願います。今、インターネットでみことばを受けた数千箇所の私たちのメンバーに新しい祝福が始まることを願います。そして、私たちのレムナントに神様の新しい祝福が始まることをイエス様の名前でお祈りします。
 
<契約祈り> 神様に感謝申し上げます。キリストゆえに、滅びて当然な私達が救われました。これを知らない人が多いので、私達が宣べ伝えなければならないことが当然なのに、ペテロのように弱くて失敗して、ペテロのように弱くてサタンのお手伝いをして、またペテロのように自ら気落ちして魚を捕る所へ行ったように 、むかしに戻る私達に、神様はキリストがまた来られ、神様の国と聖霊充満と小羊を飼いなさいという重要な使命を下さったことを感謝申し上げます。今日、私達が新しく始まる日になるようにしてくださって、私たちの聖徒達の家庭に、新しい聖霊の働きが起きるようにしてください。使徒ペテロに働かれたように、あらゆるしもべに神様が新しく働いてください。新しい力を与えられることを信じます。今日始まる新しい日になるようにしてください。聖霊充満を受ける新しい日になるようにしてください。新しい恵みを受ける、新しい日になるようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン。
 


2部/主の目
(詩11:1〜7 )
 
 
・今日は2部礼拝ですが、一般信者宣教会の献身礼拝です。元々水曜日にするのですが、時間がなくて今日すること考えたのですが、今日、皆様が座っておられるのを見ると、そうではなくて、水曜日にするとあなたがたが死んでもこないから、神様が 2部に一度するようにされたのだという感じになりました。
・あなたがたがなぜ重要なのでしょうか? あなたがたは、単なる一般信者ではありません。もう一つ単語を知る時、信仰生活がよくできるでしょう。一般信者宣教です。ディックネスという人は “キリストを持っているすべての者は宣教師だ。キリストを持っていない者はすべて宣教の対象だ”と言いました。そうだとする時、あなたがたが未信者と違う秘密がなければなりません。それでこそ生き残るのです。あなたがたは、一般信者宣教師です。言葉でタイトルを付ける宣教師ではなくて、一般信者で宣教師です。あなたがたが牧師達のように出て宣教する人ではなく、現地で一般信者ながらも、宣教師の役割をすることができる人々です。それが信仰生活の成功です。
・それを一番良くした人が誰でしょうか?ダビデです。旧約聖書で、一般信者で最高に成功した人物がいるならば、ダビデです。それでマタイの福音書 1章を開けば、イエス様を説明する時、“アブラハムとダビデの子孫イエス・キリストの系図”と言われています。そして、目の見えない乞食のバルテマイがイエス様が過ぎて行かれる時, “イエス様、私を直してください” と言わず “ダビデの子、イエス。私をあわれんでください!”と言いました。それは相当なことが含まれています。救いとあらゆる秘密が含まれているということです。“ダビデの子、イエスよ。私をあわれんでください!”と言いました。それで一般信者の中で最高に成功した人物は、ダビデだと、私たちは確かに話すことができるのです。真に一般信者として最高の伝道者です。それならば、私たちはこのような祝福を受けなければならないのです。
 
・今日は、ちょうど私たちの釜山で1部礼拝の時、建築する方達だけが集まって機能宣教の建築宣教会を構成しました。その時、皆、集まったのです。挨拶しようときて、私がメッセージを与えました。今、何をすることか? 実際に、一番最後のことまで話をしてあげました。皆様、今、各国に行って私達が青少年を正しく教育をするはずですから、青少年修練場を建てるようにしてくさいと言うと、私が知っていることでは、すべての政府で土地をそのまま与えてくれます。私達が目がくらんで福音を伝えることができないので、目だけ明るければいくらでもあります。その話をしてあげました。それで、今日、役員が構成されながら、機能宣教会の建築分野の宣教会が構成されたのです。今日、任命状を受けて祈りました。
・すると、これからあらゆる分野の人々が、みな立ち上がって、そのように祈りをしなければなりません。今、私が話すことはそれです。しもべをたくさん作ることではなくて、実際的なことをしなければならない. すると、ありのまましていけば、自然に聖霊の導きを受けて、連結して行くようになっています。なぜでしょうか?一般信者が生きてこそ、現場が生きるのです。牧師がどんなに多くても、一般信者が死んでしまえば、なんの効果もありません。牧師が数十億いて、なにをするのでしょうか? 現場では、一般信者が生きなければなりません。それで一般信者宣教会ということを組織して、その中に機能宣教を取り入れたのです。
・特に、今日は、日本からパク・サンエ博士、米国からチェ長老、ドイツからハン長老、こういう貴重な方達がいらっしゃいました。あなたがたが、神様の祝福を受けることは、現場宣教と正比例します。貴重な一般信者が、神様の祝福をたくさん受けなければなりません。それで、今日、あなたがたが一般信者宣教会をしながら、旧約では最高の人物を選びなさいとすればダビデです。今日、私達が聖書を読んで行く中にダビデと会ったのです。一般信者宣教会とダビデとに会ったのです。詩篇 11篇です。一言で話せば、ダビデはどんな人でしょうか?正しく目が開かれた人です。
・私たちは、目があるではないでしょうか? 肉体の目も悪いと、見るときにものすごく不便でしたよ。一度、私が “ライトハウス”という目の不自由な人だけが集まる学校がありますが、そこに行きました。私は行ってすぐに驚いたのです。目の不自由な人だけが集まっているのに、すこし見える人がいて、完全に見えない人がいるのでした。なにをするのかというと、運動場でサッカーの試合をしていたのですよ。それで‘不思議だ。どのように目の見えない人々がサッカーの試合をするのか?’ その中で最大限に目が良い人がゴールキーパーをします。それで上手にやっていました。ボールを蹴ると、どこへ行くか分かって、その次に相手方がボールをければ、どのように分かるのか、それを抜かれてたりもしていました。“これは! 目の不自由な人に間違いないのか?”と尋ねたら、そのとおりだと言われました。どうしてサッカーをあのように良くできるのかと尋ねたら、近くに行ってみなさいと言われました。近くに行ったら、ボールの中に音がするものを入れて置いてありました。それで、その音を聞いて付いて回るのでした。すごかったですよ。そして、食事をしにいくのに、そんなにサッカーを良くできる人達が外に出てきたら、そこで、すぐに手探りをしていました。‘あ! このように不便なのだな’ それで人は、目が悪くても、どれくらい不便でしょうか?
 
・私たちは、そのような目だけがあるのではなく、知識の目もあります。アインシュタインのような人は、知識の目が開かれていました。エジソンのような人も、知識の目が開いていたのです。一言で、お金をよく儲ける人は、お金を儲ける目が開かれているのです。例を上げるならば、多くの専門担当者は、その目が開かれているのです。私たちには、目が開かれなければなりません。
・そして、特に重要なことは、霊の目が開かれなければならないのです。私たちは、知識的な目だけがあるのではなくて、霊的な目もあります。私が見る時、ダビデは獅子を捕まえるほどで、ゴリヤテ将軍を一気に押し倒すだけの視力を持った人で、イスラエルの王になって、イスラエルを統治すべき、知識的な目を持った人で、それより重要な霊的な目を持っていました。間違いありません。
・今日、ここに見れば、重要なみことばが多い中に、4節に “主は、その聖座が宮にあり、主は、その王座が天にある。その目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる。” それとともに 5節に “主は正しい者と悪者を調べる。そのみこころは、暴虐を好む者を憎む。” ダビデが言った言葉です。少なくとも、ダビデはどんな目が開かれていたのでしょうか? 今日、私たちは重要なこの目が開かれるべきです。私達が目が開かれることなしでは、その次の事をすることができません。私達がどのように世界の福音化ができるでしょうか? 一般信者で、どのように世の中に勝つことができるでしょうか? それは、正しく目が開かれなければならないのです。今日、皆様に真に貴重な祝福の日になることを願います。
・私が見るには、ソウル地域が真に重要なのですが、多くの福音運動をできるように祈って、私たち教会がより良い場所でみことば運動をすることができて、レムナント運動もすることができるように、祈るべきです。なぜそうであるかと言うと、私がここにくる時ごとにいつも感じるのです。何を感じるかというと、 私たちの教会に小さな礼拝室でメッセージをしたり、釜山インマヌエル教会でメッセージをしたり、その次に江西路教会の習慣になっているから、江西路教会でメッセージをしたりすれば、ものすごく安らかです。心に全く負担にならないで、本当に信仰になって語れます。ところが、不思議にここに来れば、負担になるのです。なにかよくメッセージがよく受け入れてもらえないかのようで、映画館式になって、あなたがたが映画を見るような感じで、座っていることがそのようなのです。私達が早く出なければならないのに。これがなにかメッセージ伝達されなければなりません。これがちょっとそうではないでしょうか? このような部分がいつも感じられます。集会をしてみて、ソウル、光州、釜山、大邱で毎週私が回るではないでしょうか? ところが、あまりにも差が出るのです。全く同じメッセージをするのに、とにかく、ソウルの人々は江西路教会でメッセージをしてみると、熱心に必死で受けます。この人達は1時間前に来ます。そして、釜山に夕方に行って、メッセージをすれば、メッセージをよくわかります。
・不思議に光州と大邱に行けば、この人達がわかっているのか、わかることができないのか、分からなかったのです。大邱で全く同じメッセージをするのに、大邱に行ってみると人々が腹が立ったように座っているのです。それで、私が行くことができなくて、全羅道からにイ・ビョング牧師を大邱に送ったところ“先生。先生が行かれずに、私が代わりに行ったら、大邱の人々が怒ってしかめ面をして座っていました”と言いましたよ。それで私が“そうではない。印象が元々そうだ” ですから、そばにいた牧師が言う話が “大邱は、カッパに押さえられてそうなのだろうか”と冗談で言いました。ところが、この人達は、反応がないのです。わかるのか、わからないのか分かるすべがありません。ところが、それでもよくわかるようです。それでも、まず反応がそうです。不思議にここに来れば、メッセージがよく入っていくのか、入っていかないのかよく分かりません。
 
・神様の前で働き人を育てる正しい訓練もしなければなりません。とにかく祈っています。あなたがたが、神様のみことばを聞くなかで、最も重要なのが何でしょうか?開かなければならないのです。悟らなければならないということです。みことばが何か、悟らなければならないのです。ダビデが重要な目が開きました。いくつかで話をします。詩篇 78篇70節から72節を見れば、ダビデの幼い時期が出てくるのですが、ダビデは、幼い時期に2つが開いたのです。福音が何で、実力が何か? この二つが開いたのです。
・ここに私たちの青年達と学生達がたくさんいますが、また、そして今、100箇所余りで衛星で礼拝をささげています。今、数千名がインターネットで外国でメッセージを聞いています。絶対に銘記しなければなりません。信仰と実力がいつでも並行しなければならないのです。皆様がもし信仰が上がりながら、学業が落ちるとか、勉強ゆえに信仰が落ちるとかしてはなりません。2つのことが常に並行しなければなりません。これが、学生の時期に揃えるべき秘密です。こちらに目がひらかれなければなりません。
・ダビデが、どのように世界を征服したのかというと、詩篇78篇 70節から72節に見れば、神様が羊のおりからイスラエルの指導者として呼び出されたのです。ところが、どのように育てられたのでしょうか? 心の誠実さと英知の手に育てられました。心の誠実さとは、信仰を言います。英知の手とは技術を言うのです。ダビデが幼い時、何を発見したのでしょうか? 少なくとも、神様の秘密を発見して、ダビデが幼い時、すでに実力を揃えていたのです。この目がものすごく重要です。普通、学生の時には信仰に目覚めることが難しいのです。もし私たちが学生の時に信仰に目覚めるならば、あなたがたはまちがいなく勝利するようになるはずです。こんにち、一番の悩みが何かというと、ダビデが旧約で一般信者の中で最高の祝福を受けた人なのですが、ダビデのような働き人がまだ出て来ていないのです。これがどれくらい重要か分かりません。
・それで、ここにドイツ、米国、日本から来られています。みな先進国に博士です。一つ惜しいのが何か?というと、私は先進国であるほど、霊的問題がより多いことを見ました。なぜそうなのでしょうか? 一つが抜けているからです。日本のような所は、どれくらい発展した国でしょうか? それでも見ると、霊的問題が多いのです。私は米国のような所に行ってみながら、たいした国だということを感じました。たいした国程度ではなくて、今、順位が第二から十位までの国々の予算をみな合わせたことより、米国の国防費がより多いから、たいした国です。本当にスーパー国家です。ところが、霊的問題を持った人があまりにも多いのです。私は、はっと驚きました。
・私が一番最初に米国に行って驚いたことが、夜明けに起きて運動をするのに、誰かがじっと座っていたのですよ。とても恐かったのです。目を開いて見たから黒人が座っていましたよ。この人が、目を開けたり、つぶったりしながら座っていたのですよ。寝るのではなくて、座っていたのです。それで私が見たら、そのまま座っていましたよ。‘あ! この人は、夜に家にも帰らずに、ずっとここにいたんだなあ’ そのように考えたのですが、そのような人があまりにも多いのです。それで、帰ってから話をしました。“いや、公園に行ったら、人々が座っていましたよ。寒いのに、なぜそのように座っているのですか?” このように尋ねたら、人々が “大変なことになるところだった。そのような所に行くな”と言うのです。その人々は、大部分が麻薬をする人だということでした。それで、外に出ているのであって、なぜ家に帰らないのかと言いました。“先生。夜には用心なさらなければなりません。”と言われましたよ。私は初めてきて知らなかったので、そのようにしたのに、そういう話をしたのですよ。それで最初だったので、分からずにこういう経験をしたのですが、多いのです。あまりに多くて、私が決心したのは、‘私たちの1.5世、2世から私たち韓国のレムナントから、早く福音を正確に伝えてやらなければならない’
 
・教会に通う人はとても多いけれど、福音を正確に知っていてこそ解決するのです。イスラエルに教会に通っていなかった人がいたでしょうか? しかし、福音を正確に知っているダビデです。これが幼い時期に、どれだけ重要か分かりません。この目が開かれなければならないのです。万一、私たちの学生達の中で福音を正確に理解するならば、間違いなく目が開かれるようになるはずです。もし、私がこういう話をすれば、もし初めて聞く方か、もし他の教団からの人々や、もしイエスを長く信じた人が聞けば “いや、先生は、今、何をおっしゃっているのですか?” そのように話すことがあります。“私達は福音がみなあるのに、なぜそう言うのでしょう?” このように話すことがあります。どれだけ世界の教会は福音がなくなったのでしょうか? この福音があまりにも重要だという事実は、既に知らないだけでなく、福音を受ける人がそばにいるのにも、宣べ伝えることが出来ない程度になりました。すると、今、霊的問題が深刻にきています。これがなぜこのようになったのでしょうか?
 
・一つがないからです。必ず記憶しなければなりません。私たちの学生達が、これを記憶して実力を揃えて、勉強をしなければならないのです。これがダビデが幼い時に持っていた目です。すると、まちがいなく成功するようになるはずです。あなたがたが、信仰生活をする時、最も持たなければならない部分です。
 
・信仰生活をする時、最も持たなければならない部分です。今回、日本に行ってみたのですが、日本はより一層深刻です。道を見れば、あまりに人々がたくさん出ています。パク・サンエ博士もご存知でしょう。雨が降るのに、行く時がなくて、子供達が建物の下に箱をかぶって座っています。みな出ているのです。すこし驚くべきことは、日々深刻化しています。子供達が全部家を出てきているのです。みな出てこなかったが、そのようなくらいです。一度、大阪に行って、大きい橋を渡っていくのに、そちらは誰もいないのに、学生一名が立って大声で叫んでいたのですが、何をしているかというと、楽譜を持ってギターを弾いていたのです。一人で演奏をしているのです。声も良くないのに、あがきながらしていました。私がみな終えて帰るのに1時間半かかったのに、帰ってくる時までずっとしていました。そのようなことがあまりに多いのです。一つではありません。
・今日、私たちの学生達と、青年達が必ず記憶すべきです。あなたがたは、実力を揃えなければならないけれど、なにを揃えなければならないかというと、本当に福音を正しく知って、出発しなければならないのです。この目が開かないと、時間が経つほど難しくなります。何ゆえに科学は発展するのに、地球は難しくなるのでしょうか? 何ゆえに知識人は多くなるのに、難しくなるのでしょうか? この部分に問題があるからです。ダビデが幼い時、持った部分がまさにこの部分です。今日、必ず私たちの学生達に、この目が開かれることをイエス様のお名前で祝福します。
・何の話なのか、十分に理解をしなければなりません。この部分より重要な部分はありません。まだ理解がよくできないようです。12年間、小学校から高等学校まで、教会に通った朴正煕大統領。大統領になって軍に出てきながら、教会を止めました。大統領になりながら、大統領府に偶像を立てたのです。それが問題ではありません。朴正煕大統領が、外に出て偶像を立てる国家を立てた、そのようなことを話すのではありません。12年間、亀尾で教会に通ったという事実。それも 12年間、忠実な学生として教会に通ったという事実。教会に12年間通った朴正煕氏に福音をいわなかった事実。それでも 12年間、福音を言わなくて通うことができたという事実。これが問題です。
・大部分の信徒が、目が開かれなかったのです。単に教会に通うだけです。だから、問題がくるのです。大統領になって理解が出来なくなったのです。申し訳ないのですが、すでにこの福音が入っていかないままで成功すれば入っていきません。入っていかないのです。福音は、最も正常な心で入って行くのです。福音を知っていたかの様に見えるけれど知らないのです。
・今日、深刻な心で祈り始めなければなりません。私たち学生達に、どのようにすれば、正確な福音が入っていくことができるか。ダビデが最初に開いた祝福が何でしょうか?福音と実力です。「ダビデの子。イエスよ。」ということです。皆様がこの部分に本当に神様の祝福を味わうことを望みます。ダビデが幼い時期に開いた目の中で、正確な目が何でしょうか?技術も技術ですが、羊飼いも羊飼いで、賛美、祈りも多くしたのですが、福音を知る目が開いたのです。もっと簡単に話します。皆様の子供が教会にたくさん通うのにもかかわらず、福音を知らなくて、救いを知らなくて、神様の子供となった祝福を知らなくて、外に行くならば、皆様の子供に外で風が一度に寄せ付ければ、防ぐ才覚がありません。この目から早く開かれなければならないのです。今日、インマヌエルのあらゆる聖徒と私たちのタラッパンに、すべての神様の民と今、私たちレムナントが、霊の目が開かれる日になるようにイエス様のお名前でお祈りします。霊的な大きい目が開かれることを主の名前でお祈りします。
 
・この部分がどれくらい重要か分かりません。それでも理解が良くできないでしょうか。福音の中に全てのものがみなあるという事実です。理解が良くできないでいます。この部分が最も重要です。牧師の失敗が何でしょうか?福音の中に全てのものがみなあるという事実を体験できなくて出発した所にあります。宣教師の失敗が何でしょうか?キリストの中に、全部みなあるという事実を全く体験できなくて出発したことにあります。ここで失敗が起きるのです。ダビデが幼い時、開かれた目がまさにこういう部分です。それで、私たちは祈るべきなのです。長老と役員の方達が、そのように祈るように望みます。レムナントを私たちの教会に連れてきて、正確な福音を教えてくれることができる雰囲気と、外国にいるレムナント達がきて、真の福音を理解して祈ることができる雰囲気を作りましょう。そのように祈るように望みます。これより重要なことはありません。
・ダビデが幼い時、その目が開かれました。その後からはやさしいのです。その前が難しくても、その後には簡単です。ダビデが幼い時から救いの秘密を知っていたのです。もし小学校の学生達が、救いの秘密を理解するならば、その後は変わります。幼い子供達が、なにを知ることができるのか? と考えるでしょうが、そうではありません。ムーディーという人が、九才の時、救いの秘密を知って、イエス様を受け入れました。実際に、米国から出てきた人物の中で影響を与えた人物の中にムーディーぐらい飛び抜けた人物はいません。九才の時、すでに福音を理解していました。この福音を理解することが、とても重要です。それで、私はこれをどんなに強調しても充分ではないのです。
・例を上げてみます。牧師がある地域に集会に行きました。食堂に入っていったのです。食堂でなにか貼ってあったのですが‘あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります’と貼ってありました。信徒だなと思って、私たちの牧師がたずねたのです。「教会に通っていますか?」「そうです。」ある教会の勧士でした。それで、その牧師がそのままいれば良いのに、福音を伝えたのです。キリストがどんな方なのか、福音を伝えたら、この勧士が「私は今、この話を初めて聞きました。」「いやイエス・キリストを初めて聞きましたか?」「初めて聞きました。」その場でイエス・キリストを救い主として受け入れる事が行われたのです。
・私がタラッパン運動を始めながら、最も深刻な部分がこの部分でした。私が幼い時から、教会に通いました。私の家庭は、イエス様を信じる家庭でした。私は幼い時から教役者生活をしていました。全く答えに秘密が現れなかったのです。私はある日、率直に知るようになりました。「あ、キリスト」これがなんの話なのか、福音がなんの話なのか知るようになったのです。この目が開かれながら、答えがずっとくるようになったのです。どれだけせつないでしょうか。何と強調せねばならないのか分かりません。クリスチャンの中で目に見えなく霊的な問題をたくさん持った方達は、簡単に解決できるのです。
・ダビデが幼い時、羊をよく飼って、ダビデが幼い時、技術をたくさん磨いて、ダビデが幼い時、石をよく投げて色々なことをしました。しかし、より重要なことは、ダビデは正確に神様を知っていたのです。これが重要です。簡単に話せば、教会に通ったのではなくて、福音を正確に知っていたのです。‘ダビデの子。イエスよ。私をあわれんでください’ 皆様がこの目が開かれることなしでは、次のことができません。この目だけ開かれれば、その次は簡単になります。それがダビデの少年の時期です。
・少年時期にどのようなことがあったのでしょうか? ゴリヤテという将軍が攻めてきて、イスラエルに圧力を加えたのです。あなたがたも知っているでしょう。その時に、身長が 3メータ程にもなるゴリヤテが圧迫したら、ユダヤ人の中で誰も行かなかったのです。あの有名なサウル王も行くことができなくて、将軍も一名も行くことができませんでした。その時に、父のお手伝いにきたダビデが聞いたのです。ダビデは考えが違いました。目が違いました。サウル王の前に行って、何と話したでしょうか‘どうして神様が、獅子の歯た熊の爪から救ってくださいました。ところが、神様が割礼を受けていない、あのゴリヤテの手から私を救い出してくださらないだろうか?’それで戦いに行ったのです。すでに、ダビデは目が違うように開いていました。目がものすごく重要です。皆様がおわかりの通り、ダビデがゴリヤテの前で言った言葉です。ゴリヤテが戦おうとしていたら、小さな子供が走ってくるので、まさかダビデが戦おうときたとは思わなかったのです。その時、ダビデがゴリヤテに対して述べた言葉があります。‘お前は、剣と槍と投げやりで出てきたが、私はお前が侮辱する万軍の主の名前を持って出てきた’ その次に述べた言葉が何でしょうか?「今日、全世界に国々に、主が神であることを証拠する。救いと命は、剣にあるのではなく、主の御手にあることを証拠する。」ダビデが言った言葉です。すでに目が違いました。正しく目が開かれれば、答えを受けるのです。
・伝道がものすごく難しいのでしょうか? 目が開かれれば、簡単になります。とてもやさしいことが伝道です。祈りが難しいでしょうか? 霊的な目が開かれれば、最もやさしくて気楽なのが祈りです。できるようになっています。この目が全部早く開かれるべきです。ダビデに難しい時がありました。その時から、サウル王がダビデ王を殺そうとしたのです。これが青年の時期でした。サウル王がダビデを殺そうと、どれくらい追い回したでしょうか? ところが、ダビデは少しも揺れませんでした。なぜでしょうか? ダビデは、すでに契約を持っていて、王となることになっていたからです。その時に告白したことが、詩篇23篇です。「主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。たとえ、死の陰の谷を歩むことがあっても、私は災いを恐れません。主がともにおられますから。」すでにダビデが何の目が開かれているかというと、事件を見る目が開かれていました。サウル王が、自分を困らせることがどのような時刻表なのかを知っていたのです。I歴代 29章 13節から 19節を見ると、いよいよダビデが王になりました。王となったダビデは、すでに目が違いました。神様が私をなぜ王に立てられたか? ダビデの生涯の願いは何でしょうか? 「私は良い王宮にいるのに、神様の契約の箱は天幕にあるので寝ることができない。私が神殿を建てて、神様にささげて大聖歌隊を集めて、神様に賛美することが、私の使命で願いだ。」サウル王とは、すでに違ったことが目が開かれていたことです。
 
・ダビデが年を取って力がなくなりました。それで、悪い臣下が気を遣わざるをえません。悪いアブシャロムを説得して、ダビデが住んでいる王宮に攻めてきました。その時、ダビデが急だったので、裸足で逃げている途中で、どんなことが行われたでしょうか? その時、シムイという人が、ダビデに対して石を投げて悪口を言いました。アビシャイという将軍が、王が命じられたらすぐにあのシムイの首を打って持ってきますと言った時、ダビデが言った言葉です。「それは神様がさせておられるのだ。私の息子も私に対して、このようにするのに、ましてシムイは当然だ。神様が私の状態をご存知であって、新しい契約を下さる。」すでにダビデの目が違いました。皆様が祈りの答えを受けるのには、重要な目が開かれなければなりません。
・今日の詩篇11章 1節を見ると、‘主に私は身を避ける。どうして、あなたたちは私のたましいに言うのか。「鳥のように、おまえたちの山に飛んで行け。それ、見よ。悪者どもが弓を張り、弦に矢をつがえ、暗やみで心の直ぐな人を射ぬこうとしている。」’しかし4節に、‘主は、その聖座が宮にあり、主は、その王座が天にある。その目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる。’ダビデは既に神様を知る目が開かれたゆえに、貴重な門が開き始めたのです。
・私は正直に、全世界のクリスチャンに、牧師に、宗教人に自信を持って言えます。私はそんなに長く生きていないのですが、伝道しながら専門的な部分をたくさん見ました。一名ももれなく、ムダン(霊媒師)の子供が精神病院に行くのを見ました。一名ももれなく、それを見れば、驚くべきことだなと分かりました。私は一名ももれなく、宗教人が霊的な問題に陥って死ぬのを見ました。たくさん見ました。不思議に神様がそのようなことを見るようにされたのです。クリスチャンがあまりにも難しく宗教生活をしながら、教会に通うことをたくさん見ました。もっと正直に話せば、私の家の中に霊的な問題がそのままあるのを見たのです。どんなに信仰生活をしてもそうでした。
 
・私は、ある日知るようになったのです。「あ、福音はこういうことだな。」それを知ってから、ある日答えを受けることが始まったのですが、その事実を持って話し始めたのです。これが証しとなったのです。なにを発見したかとすれば、私は聖書を捕まえて祈るようになって、七つのことを発見したのです。それがまさにタラッパンです。いったい柳牧師が回りながら、なんの話をしているのかと200ケ教団から大騒ぎをして、何の話をするので、世界教会が何だと話すかということです。伝道運動をして10年目になったのに、多くのレムナントが起きて、みわざが起きました。いったい何で、なにをどのようにするので、そうなのかということです。私と皆様は弱いのですが、私は福音を悟って、聖書のなかから七つのことを発見したのです。長老と私たちの役員は、この訓練を必ず受けなければなりません。私は、七種類をはっきりと発見しました。
・その最初が、未信者がなぜ滅びるのか、私はそれを発見したのです。だから、伝道せざるを得ないのです。間違いありません。この中で、家族に霊的問題が多くて、ムダン(霊媒師)の子供がいるならば、医者と話しても全く知りません。早く行って福音を伝えるべきなのです。私はそれを発見しました。科学がどんなに発見しても分かりません。分かるすべがないのです。この前、酒を飲んで、拳銃を持ち出して、軍隊の中にいる人をむやみに射った人がいます。数多くの人が死にました。酒を飲んで入って行ったのです。前方で実弾を運ぶ人なのに、しかし、その人はムダン(霊媒師)の息子です。ある日突然に狂ったのです。私はある日、未信者がなぜ滅びるのかを知ったのです。未信者が私より立派なのに、何ゆえに偶像に陥って死ぬのか、それを発見しました。聖書の中から、本当に驚くべきことです。神様の恵みをあまりにも感謝します。
・福音を悟って祈るなかで、私が2番目のことを発見しました。いったい神様の民である聖徒が受けた祝福が何か?を発見したのです。それを持って祈れば答えがきます。私は皆様がこの祝福を必ず受けるように願います。私の話ではありません。この貴重な時間に私の話を聞くならば、皆様が失敗します。この貴重な時間に、100箇所あまりで衛星でみことばを受けているのですが、もし私の話をすれば、大きい失敗をする時間です。今、数千箇所でインターネットで聞いています。もし私が大それたことを話すならば、大きく失敗するのです。絶対にそうではありません。私が七つのことを発見しながら、未信者がなぜ滅びるか、何ゆえに多くの政治家たちが占いに行くしかないかを私は発見しました。何ゆえに創世記3章に縛られた人間が、なぜこのように易、シャーマニズムに陥らざるをえないかを発見したということです。それを発見して、伝道しないわけにいかなかったのです。それでし始めました。一人ですることができないので弟子を育てました。尋ねてみてください。その時から教会に答えと祝福を注ぎ込んでくださいました。元々私のうつわは、祝福を受ける人ではありません。神様が、とても注ぎ込んでくださったのです。そして、2番目に発見したので、聖徒がどんな祝福を受けたのかということです。それを持って祈ればよいのです。今、説明をみなすることができません。時間がないからです。
・この二つをみな発見してしまって、三番目が見えたのですが、どのようにマルコのタラッパンからローマ征服まで、どのように聖書でどんな祝福を受けたのか? を発見するようになりました。それを発見して何が出て来たかというと、すると聖書のなかから祈りの答えを受ける訓練はどんな内容か? それを4番目に発見したのです。それで、合宿、チーム合宿、たくさん出てきたのです。単に作ったのではありません。その中で、聖書の中でどんな答えが出てきたのかというと、聖書は学生達を生かして、世界を生かすのに、どんな組織を説明したのかを聖書から探すようになりました。特に、使徒の働きであるので、そのまましたら、みわざが起きたのです。本当に驚くべきことです。人には、目が開かれるということがどれほど重要か分かりません。
・そうしながら六番目を発見しました。レムナント運動をしなければならない。産業宣教せねばならないのだなと出てきました。今、世界文化が、分かってみたらみんなニューエイジ運動で、悪霊文化です。文化の働きをすべきだ。そして、結局エリートを生かさねばならない。それで何を発見したかというと、いやしです。肉体の病気ではありません。いやしがだめだと、聖書の中から発見しました。その後、最後の結論が出てきたのです。マタイ16:16、主は生ける神の御子キリストですと発見したのです。イエス様がこの問題をみな解決なさった生ける神の御子キリストです。どんな呪いも崩れるはずです。どんな失敗もみな崩れるようになるはずです。人生は新しく始まるようになるはずです。多くの人々が、私のそばで話もして、心配もしました。一度も失敗しなくて、神様は答えの門をずっと開けてくださいました。何の話か、伝道の祝福を今晩に本当に貴重な夕方になることを希望して、真に祝福ある一般信者宣教会の時間になることを希望します。
・一般信者が正確に3つだけ目が開けばよいのです。福音、技術、伝道です。それだけ開けばよいのです。簡単に話せば福音、技術、宣教。今日、一般信者が準備するように願います。なぜ今からお金をもうけなければならないのか? なぜ勉強せねばならないのか? なぜ技能を持たねばならないのか? 世界福音化です。私たちは、ご飯をよく食べるためではありません。それは基本です。世界の福音化。インマヌエル教会をなぜ立てなければならないのか? 世界の福音化です。
・私が今回、核心の時に話しました。私は舎堂洞にある総会神学校を卒業しました。私が卒業する時、いっしょに620人が卒業したのです。とても多かったのです。韓国は、すこしだけの土地に韓国には教団が200ケ所を越えるために、200ケを越える学校があります。地方にもまたあります。途方もない数の牧師が生まれるのです。その時、私が何と祈ったか知っていますか。「神様。私は福音を正しく伝える牧師になるようにしてください。他のことはせず、福音を正しく伝える人。」ただその祈りしたのに、神様は答えてくださいました。どれくらい教会に葛藤が多くて、答えが多いのか、副教役者の時でした。夜明けにひざまずいて、「神様、なぜこのように教会には長老達が戦いますか? なぜこのように教会は日ごとに集まればたわごとだけ言って 戦いますか? 神様、私を福音を伝えることができる教会に送ってください。一生、自由に福音を伝えることができる教会に。」それが釜山のインマヌエル教会です。三十何名ほどになる信徒が私を呼びました。そこから始まるって、いままで間違いありません。だまされず、驚くべき新しい一生を始めることを望みます。
・ダビデは、目が開かれた人です。肉体的な目も開かれて、知識的な目も開かれた人ですが、ダビデは霊的な目が開かれていました。福音を正しく悟って、一般信者はこれからは、世界の福音化がなにかを知って、いままで起きる事が技能です。まちがいなく答えがきます。この目が開かれないと、いつも困難がきます。この目が開かれれば、すべての問題が解決し始めます。今日、人ゆえに試みを受けないで、教会ゆえに試みを受けず、この福音を捕まえて、ダビデのように霊的な目が開かれて、初代教会が世界教会を征服したように、目が開かれる重要な日になることをイエスの名前でお祈りします。今、全世界のレムナント達がメッセージを聞いています。私たちの留学生がメッセージを聞いています。今、韓国では伝道しなければならない教会が、衛星で礼拝を共に聞いています。今、一般信者宣教礼拝をしている私は、たくさんそのようにしたことを体験しました。ある大きな病院で医院長を経った方が、私の所にきてこう話しましたよ。“先生。私がこの頃あまりにも難しいのです” それで私が “何がそのように難しいのですか?”と言いました。その方は、ソウルにいらっしゃって、私は釜山にいた時でした。“私は神様を知りたくて、イエス様を信じたいのに、私が病院に医院長できたから、教会でずっと証ししなさいと言うのですが、私は証しをするものがないのです。このような時はどのようにしなければならないのですか?” 牧師先生は、注意をしなければなりません。この人は、今イエスを信じたいのです。ところが、ずっと証ししなさいと言われるのに、何を証しするのか? そのようなことです。皆様が今日、重要な目だけ開かれれば、すべての問題が解決し始めます。この契約を本当に捕まえるようになることを、生きておられる主のお名前でお祈りします。私たちの一般信者宣教会に大きい祝福が臨むことをイエス様のお名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
“神様、感謝申し上げます。今日、2部礼拝の時に、一般信者宣教会礼拝をささるようになったことを感謝申し上げます。今日、一般信者が答えを受ける重要な開始になるようにして、霊的な目が開かれる貴重な日になるようにさせてください。心が開かれる祝福の日になるようにしてください。すべての霊的問題が解決する日になるようにしてください。真の開始をする、挑戦する日になるようにしてくださり、あらゆる一般信者が実際に力を得て、技能に祝福を受ける日になるようにしてください。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。 - アーメン -”