2002年12月08日 インマヌエル 聖日礼拝


1部/ 死と復活の預言
(マルコ10:32〜34)
 
・今日の神様のみことばは、イエス様が死なれて復活なさったことです。預言されました。死と復活に対する預言です。果して神様のこのみことばが信じられるか? ここに問題があるのです。正常な人ならば、神様のみことばがよく信じられません。イエス様が十字架で死なれて復活なさいました。単純な事件ではなくて、預言されたことです。突然に起きたことではなくて、予定されていたことです。これがよく信じられないのです。正常な頭を持った人々は、よく信じられません。これがどのように信じられるでしょうか? それで、大部分のクリスチャンの中でさまよう人々が多いのです。よく信じられないので、信じられれば良いのに信じられません。時々見れば、教会の中にはいる人々の中には、霊的に問題が多い人や、なにかおかしな人、こういう人々がよく信じるのです。よく信じているかのように見えるのです。苦しいからです。そうでなければ、神様の相当な恵みを受けた時代的な人物が信じられるのです。聖書のみことばは、本当にむずかしいのです。ところが、大部分の人々は、相当な問題に会って信じるようになります。韓国の言葉で言えば、「殴られて」それから神様を信じる場合が多いのです。私が見る時には、信者は、普通 4種類で神様を信じます。家庭に困難が来て、自分に困難がくれば、不安で霊的な問題がくれば、信じる以外にはなくなります。行く時がありません。だから、神様のみことばの前にくるのです。精神病者であるほど、寺に行かずに教会に来ます。なぜでしょうか? 自分の霊的な問題が別のところでは解決できないということを霊的によりよく知っているからです。教会に来ます。この人が信仰生活にできるようで、できないようで、問題がくれば、とても変になります。そうでなければ、とても神様の恵みを受けた人、本当に聖霊の恵みを受けた人、こういうパウロのような時代的な人物が、神様のみことばを信じました。それで、このような人達何名かが、世界を動かしてきたのです。ルター、カルヴィン、こういう人物が出てきたり、ムーディー、ウェスレイのような人物が出てきたりしたのです。そうでなければ、大部分の人々は、よく信じられないので、単に行ったり来たりします。こういう人々が 90%以上いると言ってもかまわないし、ほとんどみんなだと見ても良いでしょう。その中で、やっと信じる人が誰かというと、問題が起きたらということです。人生は最終的な問題が起きてしまったら、行くところがないのです。
 
・ある牧師が私にこういう話をしました。救急車に載せられて病院に行くのに、ただ一言しか出てこなかったそうです。自分が気を失う時、ただ一言だけ出てくるということでした。何が出て来たのかというと、‘ただイエス’それ以外には出てこなかったということです。それしかないのです。私は癌にかかって死ぬ人をたくさん見ました。この人達の最終的な段階を見たら、神様の前に立ちます。これがどうすることもできないのです。そのようにして信じる人々が本当に多いのです。ある人は、問題が起きたので、どこに行く所があるでしょうか。神様の前に出てきます。こういう方達をたくさん見ました。しかし、皆様が今日、本当に祝福を受ける道は、神様のみことばをよく聞きながら聖霊に感動を受けて、神様の恵みでこのみことばを悟って、信仰が正確に生じることが最も良いのです。それが正常な信仰生活です。皆様が大きい問題に会って信じることも幸運ですが、どれくらい不幸でしょうか。皆様に霊的問題がきてイエスを信じることは、大きい幸いですが、どれくらい残念な事が多いでしょうか。皆様が信じられなくて適当に信じることは、本当に苦しいことです。正しく信じれば良いのに、信仰ということがどれくらい重要か分かりません。それで、今日、単なる日ではなくて、ものすごく重要な日になることを希望します。
・私は弟子を見る時、最初にまずそれを見ます。この人がなぜイエスを信じるのだろうか? 必ず動機があります。この人が、なぜイエスを信じるのだろうか? 一回はある医者がとてもイエスをよく信じていました。それで信徒全員が、その人は信仰が良いと見ていました。私はちょっと見て、それではなくて、その人がものすごく苦しんでいたのでした。それゆえに信じていたのです。それでその問題を私が手助けしました。そうしたら、この人がものすごく心に力を得て良くなりました。人々は、信じる動機がみなあるのです。そして、動機がものすごく重要なのです。神様の恵みで神様のみことばが信じられるということは、相当な祝福です。それで、イエス様が十字架で死んで復活なさるということは、あらかじめ話されたのでした。偶然に起きた事件ではなくて、預言された事件です。これは只事ではありません。この部分をどのように考えるのでしょうか? カナダで、牧師連合会会長が、新聞に発表して‘私はイエスの復活が信じられない’と話しました。アフリカにいる有名な医者の宣教師が私を訪ねてきました。タラッパンに参加すると言いました。それでタラッパン運動をして、私が行って集会もしたのに、この方が私にこういうことを話しました。率直で良かったのですが “先生。私はイエス様の復活が信じられない”ということでした。率直でした。牧師がそうでした。“あなたは、本当に率直です。しかし、本当に重要な恵みを受けることができないからです。”その人々と私たちと離れるように神様がそのようにされたのですが、それも幸いです。 
 
・この短い時間にこの途方もないことを話すことはむずかしいのです。皆様に信仰が本当に回復して、ものすごく重要な祝福の日になることを希望します。私は実際には、むかしには聖書が信じられなかったのですが、ところがイエス様が十字架で死んでくださることは、信じられました。死んだことは事実ですが、復活が信じられなかったのです。イエス様が私たちの罪をあがなって死んでくださったという事実を私は信じられなかったのです。だから、信仰生活ができませんでした。どんなに教会に通っても答えが出てきませんでした。いつもそうでした。未信者より、すこしよいだけでした。未信者は出歩くのに、教会に座っているので、はるかに良いことでした。未信者は何でもみなします。詐欺もして、盗みもして、みなします。私はそのようなことはできなかったので、本当に幸いでした。そのような差しかなかったのです。どんなに教会に通っても答えが出てこなかったのです。どんなに苦闘しても、伝道ができませんでした。イエスを信じるという人は多いのに、復興しません。ある日、私はそれを信じることができました。それ以後、率直にいうと、したことはないのに、することごとに復興します。率直な話で、答えの祝福が行く所ごとにありました。
・この1年に答えを受けたことはとても多くあります。今日、長老が祈られた通り、高慢にならないで、そのような部分に心をあまり膨らませないようにと心を捕まえる程に、答えがとてもたくさん来ました。本当の答えがとてもたくさん来ました。話すことができない程に、神様が伝道の門をあけてくださったのです。肉体的な祝福もたくさん来て、ものすごくたくさん来ました。本当に驚くべきことです。ある面で、今日、あなたがたが一番重要な説教を聞いていると思わなければなりません。一番信じられない部分です。イエス様が、「わたしは苦しめられて、死んで三日後に復活する」これは普通の話ではありません。私はある日、このみことばが信じられ始め、このみことばがとても事実として信じられたのです。
・一番目、人間が何なのか?を悟るようになりました。神様が、元々人間をご自分のかたちに造られました、創世記1章27節。それで 28節、万物を征服して治めなさい。人間が相当な祝福を受けたのです。それが人間です。神様が人間を神様のかたちに造られたのです。ところが、これだけを失って、多くの祝福を受けているけれど困難がくるのです。2つのことをみな受けねばなりません。創世記1章 27〜28節に、人間が何であるかということが分かります。動物はそうでなくて、人間は神様のかたちに創造されたのです。それで「万物を征服して治めなさい。生んで増えなさい。」この一言にどれくらい大きい祝福があるか分かりません。私は人々が持っている携帯電話や、人々が乗っている車や、また飛行機に乗る時ごとに、「人間の知恵はたいしたものだ。この飛行機の中に300人が乗っているのに、それが空に上がるというのか?」と思います。空に上がって飛ぶのを見れば、時速 800km/h または 1000km/hです。高速バスの10倍の速さで空を飛んで行きます。ある時は、空に飛んでいることが不思議です。その飛行機が着陸する時になれば、正確に地に着陸をします。今は、ソウルからニューヨークまで 2時間で行くことができる飛行機を作っています。超高速です。人間の知恵は、すごいのです。神様が人間を造られた時、神様のかたちに造られて、地を治めて征服して生んで増えるように造られたのでした。神様の祝福です。それで、人間は神様が与えられたこの知能を開発すればすごくて、神様が与えられた信仰を正しく持つならば、すごいのです。ところが、人間は創世記3章の問題に引っ掛かってしまったのです。全的に滅びました。これが人間です。ここに目が開かれるようになりました。創世記3章の事件は、何でもなく、むかしの事件だと思っていたのに、そうではなかったのです。創世記3章に現れたサタンは、へびを利用したのですが、今でも同じです。神様を信じることができなくさせて、高慢になるようにさせます。それで神様を信じないで、呪いの中に陥るようにさせました。創世記3章を見ながら、その時、創世記3章が分かり始めたのです。私は幼い時から勉強したのに、理解できなかったのでした。ところが、ある日理解できました。「これで人間はヨハネ8:44 悪魔の奴隷のようになるしかないのだ。それで、大韓民国の国会議員が占いにいくしかなくて、それで後ほどみな滅びるのだな。どんなに立派な政治家が出てきてもみな失敗してしまうのだな。どんなに立派な大統領が出てきても失敗してしまうのだな。」と答えがすぐ出てきたのです。どんなに立派な国、ロシア、中国、みな滅びてしまいます、ヨハネ8:44 。私はこれが発見できました。確信がき始めたのです。以前は、聖書が単なる本だと思っていました。神様のみことばだということは知っていましたが、このように正確だということは、実際には知りませんでした。どんなに苦闘しても答えは来ません。集まって山祈り、徹夜祈り、どんなにしても答えはこないのです。信じないのに答えが来るでしょうか? ところが、ある日信じられるようになり始めたのです。人間は、元々神様のかたちに創造されました。これが信じられ始めたのです。正しいという気がしたのです。
 
・私の家で犬を飼っていたのですが、私は犬が嫌いです。どれくらい犬はうるさいでしょうか。においがして、毛が抜けます。すばらしい家に一匹くらいいれば良いのですが、五匹くらいいたら、本当に犬がとても多くて、私の家が誰かが言う通り犬屋敷になりました。ところが、この犬はまた利口です。どれだけ利口かというと、私が犬を嫌いだということを理解します。私が行くと、私を見しないのに、私の足音だけ聞いても、小屋にみな入っていってしまうのです。これを見ながら、「たいしたものだ。どのように犬はあのように察しが良いのか。私が嫌いなことを知っている。」と思いました。私の娘は犬がとても好きです。この犬達が、私の娘の足音を聞いただけで、みな出てきます。そして、この犬達が、妻が出てくればご飯がもらえるかと思って、まず、餌の入れ物に行きます。それほど犬は利口です。しかし、一度も礼拝をささげるのを見ることができませんでした。空港で犬が麻薬も捜し出します。どれくらい優秀でしょうか。この犬が、礼拝をささげるのを見たことがありますか? 犬の洋服店はあっても、犬の礼拝堂はありません。私が見ると、「そうだな。神様のかたちに創造されたのは、人間しかないな。」と思います。ところが、この人間が神様を正しく知っていれば、征服して治めて祝福を受けるようになるのに、神様を知らないから、多くのことを得ることは得たのに、問題がくるのです。それで、学生達は2つのことをいつも記憶しなければなりません。勉強を熱心にして、神様をのがしてしまえば、皆様がどこへ行くのか分からなくなります。2つのことをいっしょに握らなければなりません。それで、ヨハネ8:44 あなたがたの父である悪魔を拝むしかありません。それで、出エジプト20:3〜5 全部愚かに、偶像崇拝するようになります。それしか仕方がないということを私は知るようになりました。‘すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい’それがみな何の話でしょうか。精神病患者、心の病気の人がとても多いのです。あちこちに悪霊に取りつかれた者、中風の病人、患者がどれくらい多いでしょうか。イエス様が行かれる所ごとに、ぞろぞろ列をなしていました。これは、肉体的な病気が霊的な結果で来たのです。ほとんどすべてが、神様を知らなくて、偶像崇拝をしている途中で死ぬのですが、この問題がどこまで行くのでしょうか? 子どもに行きます。
・どれくらい感謝なことでしょうか。私はこれが悟れるようになりました。それで、人間は絶対にだめなのだということを悟ったのです。人間はものすごい力と知恵を持ったのですが、絶対にだめなのです。それが悟れるようになりました。これは絶望ではありません。悟ったのです。「これで人間は、結局は問題に会うようになるんだな。これで人間は王も滅びて、大統領も滅びるのだな。これで人間は相当な祝福を受けても滅びるのだな。」私は一番はじめにロシアに行ってみて驚きました。ロシアを行ったら、エスカレーターがありました。それがいつ作られたかというと、100年前に作られたということでした。はっと驚きました。韓国は、その時、何をしていたのでしょうか。私が幼い時だけでも、牛や馬が荷物を積んで通っていました。ところが、その時、この人達は、地下鉄が地下に通っていたのでした。どうして、その国がこのように滅びたのでしょうか。エスカレーターが故障して、ふるえながらおりて行きます。あるものは、故障したのに、直す能力もありません。電話網もついていたのですが、それが 50年、100年前の電話機です。半分は電話機を使うことができませんでした。いまは知りませんが、その時はそうでした。あるものは、小銭を入れて、できるものもあって、できないものもありました。直す力もないのです。「それを見ながら、このように滅びることがあるのか。」と思いました。それしか仕方がありません。人間は、神様のかたちに創造されました。この時、私は神様の奇跡的なみわざが分かり始めたのです。それが、私が2番目で分かったことです。人間が何かが分かって、神様の奇跡的なみわざが分かり始めたのですが、創世記3:15節が当たってきたのです。女の子孫がへびの頭を踏み砕く。女の子孫、この話はものすごく重要な話です。「柳氏の家系でなくて、金氏の家系でなくて、アダムの子孫でなくて、女の子孫が神様の息子がへびの頭を踏み砕くはずだ。創世記3章の事件を解決するはずだ。」私はこれが信じられたのです。どれくらい驚くべきことでしょうか。この時、目が開かれれ見えたことが何かというと、「見よ。処女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと呼びなさい。」これが信じられるようになりました。神学者が集まって、処女がどのように息子を産むのだろうか? こういう話し合いをしている時です。本当に愚かな人たちです。神学者が集まって論争をしました。どのように処女が子どもを産むのだろうか。これはよく書いていないのではないか。それで、提議がひとつ出てきたのです。字を変えよう。何といったかというと、女が身ごもってとしよう。片方では、それでも聖書に処女だとなっているので、変えても良いのだろうか。カトリックで最も強く主張したのです。女に変えよう。共同翻訳がそうです。
・私はこれが信じられるようになり始めたのです。これは驚くべきことです。ヨハネ1:14に、神様がみことばになって、神様が肉体を着てこの地へいらっしゃったのです。私たち人間を救うために、人のからだを着てこの地へいらっしゃるしかないのです。神様が犬を救うためならば、犬のからだを着て来られたのですが、人を救うために人のからだを着ていらっしゃったのでした。それがヨハネ1:14節です。私はこれが信じられるようになり始めたのです。その時に、マルコ10:45節がぶつかってきたのです。神の子がいらっしゃったのは、私たちのあらゆる罪をあがなうためです。その話は、必ず犠牲があるべきなのです。罪の代価を支払われました。人間は、このように死ぬしかない人間であったのに、神様が救われたのです。これを見たら、聖書がみな解釈できました。イサクが死ぬしかなかったのに雄羊を、イスラエル民族が永遠に奴隷として生きるしかなかったのに、羊の血を塗った日、これが悟れるようになり始めました。それならば、イエス様がだれでしょうか。神様の息子であり、キリストではないでしょうか。それならば、復活なさることができます。絶対に他の人にはありえないけれど、イエス様はできるのです。私はこの答が出てきました。その時から、率直に話せば、じっとしているのに伝道の門が開きました。私がある証し集会に行ったりきたりしたということは、単に行ったことで、事実は分かってみたら嘘です。正しい嘘です。私が証しする時、動機を付けようとして行ったところなったよといったのですが、行かないでもできます。
・影島でする時は、率直に希望がありませんでした。影島がみな集まっても、どれくらいなるでしょうか。ところが、神様が相当な世界の門を開いてくださって、ここの私たちの教会だけで 3000人という重要なメンバーを集めてくださいました。そして、ソウル地域に始めやいなや、今、1000人以上が集まっています。その中に使命者が多くいます。驚くべきことです。ところが、行く所ごとに伝道の門が開き始めました。本当に驚くべきことです。本当にせねばならないことは、ひとつしかありません。さっき長老が祈ってくださった通り、高慢にならず、感謝することが、私がすることです。とても驚くべきことです。とてもみわざが起きるので、高慢になるというのではなく、自信を持っています。自信を持つことが合わせると、高慢になります。私がどれだけ高慢なるのかというと、誰かがきてどんなに嘘をついても、ちっとも驚きません。それほど高慢になります。そして、どんなことが生じても、誰がきて何と言っても恐れません。自信があるということです。これがどれくらい高慢でしょうか。こういうものが集まれば高慢になります。なぜならば、絶対に福音を持った者は滅びないということを私は知っているためです。霊的問題が解決できなければ、人生は永遠に滅びるのです。私は聖書で驚くべき答を捜し出しました。もし、皆様の家に精神病の人がいたり、自閉症の子どもがいたり、霊的問題を持った人がいるならば、気落ちせずに契約を堅く捕まえなければなりません。皆様が契約を堅く握ることができなくて、だまされて、ずっとやられるようになります。絶対にだまされないで、契約を捕まえてくださることを望みます。誰でもそうです。私たちの子どもが霊的な問題があって、教会に連れて来るのが恥ずかしくて、どのようにしますかと言います。気落ちせずに来てください。人も話を聞く必要はありません。気落ちすれば、大変なことになります。人を見ながら、信仰生活ができるでしょうか。契約を捕まえなければなりません。皆様は、これがどれくらい重要かを知らないのです。私はこれを悟りました。その時から答えの祝福がき始めたのですが、実際には、話したことは全部正しい話ですが、正しい話ではありません。証しする必要がありません。神様がみななさいました。これからも、神様がみななさるはずです。皆様の家系の霊的問題が永遠に解決したことを信じてくださることを主の名前で祝福します。
 
・すると、三番目の答が出てきます。この信仰と契約が事実ならば、私たちは恐ろしがったり、できない事がありません。私たちはなくてもかまわないのです。このことが事実ならば、私たちは人が見る時、滅びているような場所に行ってもかまわないのです。私たちに霊的問題があっても、この契約を正しく捕まえれば、大丈夫です。答がきました。初代教会では、七つの問題がきたのです。まず、法律で禁足令が出されました。その次に、イエスを伝えれば拘束されました。再犯の場合は、死刑です。すごいことです。初代教会の時は、そのようにしたのです。それからに、すべてのユダヤ人社会から断絶されて、行く所ごとに、そこでも断絶をみなさせました。そして、商人達、あらゆる文化を利用してユダヤ人がすべてかたまって、イエスを信じる人を遮断したのです。ところが、最後にローマ人々が立ち上がって、イエスを信じる人々を殺し始めたのです。初代教会は死にませんでした。驚くべきことです。どうして、そうなのでしょうか。この契約を握ったのです。今日、皆様にものすごく重要な祝福の日になることを願います。
・あなたがたは、今すぐに仕事をしなければならず、学校も行かなければなりません。よく一度考えてみるように願います。すぐに事業もしなければならず、皆様の頭の中には外を考えるようにもなり、明日の事業に考えも飛ぶでしょう。よく考えてみるように願います。皆様に驚くべき事が行われます。十人の皇帝が起きて、イエスを信じる人を捕まえて殺したのにできませんでした。ローマは滅びて、福音は宣べ伝えられました。皆様がおわかりの通り、強大な中世教会が、カルヴィン、ルター、ノックスに勝つことができませんでした。ヒットラーみたいな人物がおきて、共産主義が起きて、イエスを信じる人を防ごうとしましたが、防ぎきることができませんでした。本当に驚くべきことです。それならば、この契約を捕まえている私たち教会と皆様とタラッパンを誰も防止できないということです。私は確信します。なぜでしょうか?この驚くべき秘密。それで正確に話せば、聖霊の導きを受けようということであって、方法もありません。タラッパンにきて、いったいどのようにすれば伝道になるのかと聞かれます。秘訣もありません。私達が一緒に訓練を受けるのは、聖霊の導きを受けようとすることです。神様が共におられる者と一緒に世界の福音化をしようということであって、秘訣もありません。どれくらい驚くべきことでしょうか。今日、それならば、第2の開始になる貴重な祝福の日になることを主の名前で祝福します。
・これからそのままいるのではなく、いつでも契約を確認しましょう。契約が確認されたならば、挑戦するように願います。皆様が年をとっていても、習ったことがあろうがなかろうが、関係ありません。契約が確認されなければなりません。それで誤解をしてはならないことは、私たちの堂会と私は、仕事をして行く時、ある時はちょっと譲れない時があります。それは聖霊の導きを受けようとする時です。私達がある時は、ためらう時が多いのですが、その時は、聖霊の導きを受けようとする時です。だから誤解しないように願います。ある時は、じっとしている時もあります。このような時は、神様の計画通りに行くためです。理解してくださらなければなりません。それで、少し私と仕事を長くした人々は理解しています。キム秘書やイ室長みたいな場合、私に何かをたずねて私が返事をしない時は、私が答えるまで待っています。10日でも一ケ月でも待ちます。なぜでしょうか?知っているからです。困難な事が起これば、決定することがなくて、ずっと祈っています。私たちの習慣です。いままで世界の福音化をして出てきた習慣です。皆様にものすごく問題が生じたら、処理しようとせず祈りましょう。待つことが最も良い時があります。どれくらい重要でしょうか。契約を確認しましょう。
・私は、私たちインマヌエル教会が、釜山で最も重要な役割ができるように、神様が与えられた契約が明らかであるので、その時刻表に合せていきます。しばしば米国に行けば、ある人々がたくさん尋ねます。“先生。 この大きい米国へいらっしゃらなければ、先生が小さい韓国におられるのですか?”ということを多く言います。しかし、私には時刻表が明らかです。神様が私たちの教会に、インマヌエル教会に、たぶん霊的には話す必要もなくて、肉体的に釜山で代表的な教会を立てられるのです。ここから国会にも派遣して、ここから重要な現場に働き人を派遣して、なっていくでしょう。それがいつなされるのか、神様はなさるはずです。私が見るには、何年もかからないと思います。それで、皆様、地域教会運動をする副教役者の皆様は、考えをよくしなければなりません。地域教会をするから、どんどん人間的に考えるのですが、そのようなことをする必要はありません。今、私たちは世界を見通しているのです。釜山で正しくできた教会を作りましょう。私たちの教会で 3万名でも 5万名が集まったら、国会に派遣しても良いでしょうし、私たちの教会に5万名が集まれば、市長を派遣しても良いでしょう。なぜできないでしょうか。それほど信じる人はできるのです。教会が大きくて、私たち教会に正しく働きが起きて、700ケ所だけひっくり返れば、私たち教会がどのようになるのか知っているでしょうか。神様が釜山で代表的な教会を作ってくださいます。それで、釜山市民が見る時‘あれが教会だな’、いままで教会はうるさいだけだと思っていたのに‘あれが教会だな’となります。そのような日がくるでしょう。私はソウルでもそのようにするはずです。代表的教会を立てるはずです。ところが重要なことは、神様の時刻表と、神様の計画ならばできるのです。それで私たちは、この部分だけ確認するのです。それで訓練をさせる時、開始をする時、場所がなくて、ホテルを借りていて、私達がこの場所が生まれて、無条件に挑戦しました。神様はこの土地だけくださったのではありません。今現在、この周囲の土地もくださいました。これから、神様の計画があるのです。間違いありません。
 
・契約であることが間違いないならば、挑戦しましょう。無条件に挑戦するのは、狂っていることです。契約に合うならば、挑戦しましょう。祭司長の足が水に入ったら、ヨルダン川が分かれたとされています。分かるでしょうか。それが私たちの挑戦です。分かるでしょうか。無条件に水に入っていけば、それは自殺です。私達があき缶をかついで、太宗対の海に入っていけばみな死ぬでしょう。契約であることが間違いないならば、挑戦しましょう。その反対に、契約でなければじっとしていなさいということです。最も重要な話です。今日も私たちのウ・ジョンヒ姉妹がハワイに派遣されるのですが、一般信者宣教師が行って、今までは成功したことがありません。「私が宣教師だ。インマヌエルから派遣された」と悪口だけ言って、他の宣教師に行って答がなかったと言ってけんかをします。宣教師が訓練を正しく受けることがなかったゆえに、伝道訓練を受けることができなくて、神学はあなたがたより優れていますが、伝道訓練ができていないために、なにかバランスがとれません。教会と合わず、現場と合わないのです。神学はたくさん知っているのに、伝道訓練ができいないために合わないのです。問題がきます。問題が起きるのですが、そのようにせず、記憶しましょう。最も静かに、最も言葉無く、最も働きが起きるようにしましょう。それとともに、後ほどこの人が誰かと尋ねれば、インマヌエルから来た一般信者だと言わなければなりません。こういう一般信者がいなければならないのです。このように、できるようにしなければなりません。
・そして、今日、機能宣教国流通部にチーム長達が任命されます。あなたがたが私が話すことを察しているのです。これから、私たちのすべての信徒は、自分の機能で祝福されるようになるはずです。それで1チーム、1チームずつ作ります。その中で、私たち流通部のチーム長が作られます。皆様、常に3つのことを研究しましょう。未信者がどのように成功したのか、いつも研究して、聖書は何をおっしゃっているのか、いつも研究して、その次に専門的に、機能的に、この部分で最も先んじた内容が何か、いつも研究しましょう。すると、皆様の宣教国が成功するようになっています。学生達もそのようにしましょう。間違いありません。このような機能宣教国がずっと作られて、私たち教会の中に機能宣教国が数百、数千個が作られて、世界宣教をするようになるのです。それとともに、あなたがたが世界宣教のために少しずつ心を集めれば、私たちはいくらでも宣教師を派遣できます。それが私たちの目標です。700, 2000, 100ケ所しようとすることは何でしょうか、まさにその理由です。地域教会でも、全部、世界宣教のために集まるのです。これは長老達がご飯を食べてということではありません。これは私にご飯食べさせてくれということではありません。あなたがたの地域地域で、祈りの力を集めて世界宣教しようということです。なんの話なのか分かるでしょうか。だから、これから2000名の使命者が一般信者宣教会でお金がないという話が絶対い出ないようにしなければなりません。それは話にならないことです。皆様が祈らないという証拠です。皆様が献金して長老に与えるのでしょうか。執事に与えるのでしょうか。それではありません。あなたがたが世界宣教をおいて祈るのです。機能宣教が集まって、地域教会が集まって何をするかというと、小さくても良いから、心を集めて全世界を生かそうということです。その時、神様は答えを与えてくださいとしなくても‘だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。’と言われました。この祝福を受けるようになります。
・今日、私が見る時、聖書 66巻の中で最も重要な部分だと考えます。‘十字架で死んで、三日後によみがえります’キリストという証拠です。知らない人が来る場合、どうすれば分かるでしょうか。真っ赤なかばんを持って行くとします。空港に行ってみれば、紙に書いて持って立っています。今、誰を探すのか分からないために、紙に書いて持っていれば、その人がそれを見て尋ねます。ですから、この地にキリストはただ一人だけ必要です。しかし、いろいろな人が、自分がメシヤだと言いながら出てくるはずです。‘私がメシヤだ’と話しながら通う精神病者が多くいます。以前に、私たちの教会に青年二人がきましたが、その人はメシヤと言いながらきました。ひとりはバプテスマのヨハネだと言いました。私を会おうと二人がきて、キリストだという人は格好をつけていて、そばにいる人はバプテスマのヨハネの役割を預かったと言いながら、この方がキリストだと話しました。それで、そのようにして、自分達は教会に通いながら、そのように話すと言いました。それで、私がその人々を見て質問をして、嘘をつかずに答えなさいと言いました。‘ハイ’と答えました。私が聞いて、精神病院には何度か行ったのかと尋ねました。そうしたところ、三回だと答えました。また行くはずだと言いました。そのような人々がたくさん出てくるはずです。それで、聖書にキリストだという証拠で、十字架で死んでくださるはずで、復活なさるはずだと言ったのです。あらかじめ預言されました。簡単です。複雑なことではありません。それでパウロは、聖書通り死んで、聖書通りよみがえられたと書いたのです。私はこれがどのように悟ったかというと‘イエス様が十字架で死んでくださったんだなあ’と、むかしにはそのように思っていました。そうしながら‘あ、イエス様が死んで、復活なさったんだなあ’と悟れました。いまはそれではありません。必ず十字架で死んでくださらなければならなくて、必ず復活なさるべきだったと分かりました。これがキリストです。私は福音を持ったのです。すると、じっとしていても答えがきます。今日、皆様がこの契約を捕まえる瞬間、皆様にあるあらゆる霊的問題は解決し始めるはずです。より重要なことがあります。そんなにもあがいて、悩んだ皆様の事業、皆様の職場現場に神様のみわざが起きるようになるはずです。この祝福をみんなが受けるようになることを イエス様の名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、重要な契約の日になるようにしてください。真の答えが始まる霊的な日になるようにしてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン 
 
 


2部 /私の力なる主
(詩18:1〜18)
 
・今日ある方は、礼拝をささげようとくるのが難しいのに来られた方が、たぶんいらっしゃるはずです。また、ある方はものすごく忙しいのに、あなたがたが忙しいことみな除いて神様に礼拝をささげるために神殿に集まられた方もいらっしゃるはずです。しかし、今日のみことばを見ながら、私と皆様が重要な答を得なければなりません。
 
・軍隊に行くようになれば、3年のうちに除隊するようになる軍人がいます。その人は3年だけ粘ればよいのです。ところが、職業軍人になったり、将校になったり、将軍になって、一生、軍隊の中にいようとすれば、 3年間の軍人とは違います。軍の体質と合わなければならないのです。合わなければ、その人は大きい問題がくるのです。まちがいなく、病気になって、他の問題がきます。大学に入ったら、普通 4年したら卒業します。ですから、4年だけすれば良いのです。また大学院に行けば、3年すれば卒業することができます。そのようにだけすれば良いのです。
・ところが、問題は一生せねばならないものがあるのです。例えば、私達が家庭を作ります。これは60年、70年の答がなければ、まちがいなくその家庭は不幸になります。ほとんど間違いありません。それで、皆様が教育を受ける時、少なくとも結婚をする時は、60年、70年の答がなければなりません。それがない人がすれば、毎日問題が生まれます。ですから、離婚するので、どのようにするか等、いつも話が出てくるようになるのです。住んでいても不幸で、住まなくても不幸になります。なぜならば、市場に行くことは問題になりません。市場には少しの間行くことだから、問題にならないのです。
・ところが、今日、皆様が信仰生活で重要な答を得なければならないことは、私たちの肉体とたましいが中にあるのです。肉体は簡単に話せば、たましいの家です。家があまりに崩れれば、家の中にいる人が家から出てくるように、私たちのからだがケガをすれば死ぬこともあります。死ぬということは、たましいが出てくることです。家の中にいず、出てきたのです。歳月が過ぎるならば、皆様の家族が“私たちの父が死んだんだなあ。”“私たちの母が死んだんだなあ”このように葬式をするようになりますが、本人はそうではなくて、からだのなかから出て、他の世界へ行くのです。世の中の話でそれが死です。実際には死ではありません。私たちのたましいは、永遠な存在なのです。それで、信仰生活に対しては、永遠な答を得なければ、信仰生活ができません。私たち人間が永遠な存在であるゆえに、永遠な答を得られなかったということは、すなわち不幸と同じです。これが、私たち人間です。ここに今座っておられる皆様は、一名ももれなく皆様はたましいを持っているために、そのたましいが永遠な存在なのです。それで、永遠な答を得ることが救いで、永遠な答を得て動くことが信仰生活です。答えが出てこなくて問題になるのです。全世界の信仰の人が、クリスチャンと多くの人々が、ここで問題になるのです。
・それで見れば、聖書には二種類の人がいることを説明しています。救われていない原罪をそのまま持った人が、ここの中にもいらっしゃるでしょうが、救われていずに教会に通うことは、問題ではありません。メソジストか? 長老教か? それが問題ではありません。バプテスト教か? 長老教か?それは問題ではありません。 改新教か? 長老教か? 問題ではありません。カトリックか? 旧教か? 新教か? それは問題ではありません。教会に通うことは、問題ではないのです。救われることができなければ、原罪をそのまま持っているのです。すると、原罪をそのまま持っているという話は、未信者がうける 6つの運命をそのまま受けていくことです。それで、あの立派な政治家たちの 95%が占いを訪ね歩くしかないのです。そんなにもたくさん学んだにもかかわらず、答が出なかったゆえに、そのようなのです。それで、多くの企業の人達が、易、シャーマニズム人について行くのですが、崩れるのです。それしか仕方がないのです。
・しかし、聖書を見れば、救われた神様の聖徒と救われることができなかった人の2種類に区分をしました。ものすごく重要です。皆様が無条件に教会に通うことが重要なのではありません。これが重要ではないでしょうか? 救いがあるならば、救いが重要なのではないでしょうか? ところが、聖書はまた、救われた人を2種類に区分しました。霊に属する者と、肉に属する者です。Iコリント3章に見れば、教会に通いながら毎日、肉体的なこと、ねたみ、嫉妬、戦いこういうことをする肉に属する者。しかし、神様のみこころを知って、神様の奥義を知っている霊に属する者に区分されています。
・また、聖書を見れば、霊に属する者の中にも、2種類に区分されます。苦しんで霊的に苦しめられる人がいるかと思えば、本当に平安な、こういう真の平安を味わう信者がいます。そのように区分されています。今日、皆様に永遠で一生の答を得る祝福の日になることを主の名前で祝福します。それが聖書にあるのです。それが聖書に確かにあります。それなしで説教をすれば、間違った説教となります。
 
・皆様がそれなく信仰生活をすれば、ものすごく難しいのです。私たちのたましいが永遠であるために、聖書で永遠な答を得なければなりません。そして、信仰生活を70年、80年、90年したのに、いつも興味深深で新しいならば、答を得たのです。そうでなければ、見ましょう。今、この時間にあの青い草原に行って、ゴルフを打てば良いのに、今、ここに座っているので、どれくらい大変でしょうか? 奥さんゆえに座っているのです。どれくらい難しいでしょうか? 今、誰か会おうと言うのに、今やむを得ず執事が教会にずっと通えないことが、どれくらい大変でしょうか? それで、ここに座っているのです。どれくらい苦しいでしょうか? ある人は、教会にずっと通ってみて、印象が良くて長老になりました。それが答はないので狂うのです。このように難しいことはありません。ある人は、そのまま教会を通ってみていて、どのようになったのか牧師になったのです。答がないから、牧師をしていてどれくらい大変でしょうか? こんなにやさしいことが、難しいのです。なぜならば、嘘をついてするから難しいのです。それで宣教まで行きます。また海外に行って、言葉も知らずに、文化も知らないのに、宣教をするので、どれくらい大変でしょうか? これは、普通の難しい事ではありません。今日、皆様でここいらっしゃった方の中にこういう苦しみに合っている方は、一人もいないことをお祈りします。もし奥さんに付いてきたり、友人に付いて来た方は、本当に一度考えてみる祝福があることを望みます。
・私たち人間は、そのような存在ではありません。永遠な存在です。ですから、だまされないようにしましょう。むかしに私が前生に何であったということは、すべて間違った理論です。それは悪霊の策略です。だまされてはなりません。私たちのたましいは、一つで、永遠です。聖書にそのように記録されていて確かです。私が死ねば、後ほど犬になったり、蚤になったりするのではありません。それが間違った理論です。だまされてはなりません。それが全部、悪霊の策略です。グッ(降霊術)をしたら、亡くなったお母さんが来たとのことが、まさに悪霊です。お母さんではありません。まねをするのです。悪霊が何をするのでしょうか? まねをするのです。真に皆様の両親が死んで悪霊になったとすれば、皆様を手助けするはずで、なぜバチを与えるでしょうか? 真に両親が死んで悪霊になったとすれば、供養を一度しなかったということで、そのようにバチを下ろすでしょうか? そうではありません。だまされることです。聖書には、そのように言われていません。聖書が答です。ルカ福音 16章 19節から31節を見れば、永遠に行き来できません。それで地獄と天国があるというみことばです。私たち人間は、永遠な存在です。一言で信仰生活とは何でしょうか?永遠な答を持って生きていくことが信仰生活なのですが、それではないということです。それで、クリスチャンがさ迷うのです。未信者達が見る時には、クリスチャンも未信者もまったく同じです。全く同じで良いでしょうか? 救われた人と救われていない人がそっくりならば、話になりません。これから、あなたがたが、これは私の話ではなくて、聖書のみことばを見ながら、答をよく得なければなりません。
・軍隊でとても高い地位の人が、どれくらい努力をしたでしょうか? 陸軍士官学校をでれば、600人中で一名が星を付けるのですが、どれくらい難しいでしょうか? それこそ、天の星を取るほど難しいのです? どれくらい努力をするでしょう? どれくらい人間関係を上手にしたでしょうか?どれくらい実力をたくさん持ったでしょうか? この方が癌になったのです。私が探して行きました。目だけが生きていました。すべての体を動かすことができないことだ. 最後の状態で、家族がひょっとして私がたずねたら、良いかもしれないと思て、なんにもないのに、紹介をしたらみわざが起きるかと思って話をしたようでした。あの人は、全世界を回る牧師と言うから、もし現れれば霊験でも現れるかと思って、私を呼ばれたようでしたが、私が見た時は、この方の目だけが生きていたのです。ところが、不幸か、幸いかは分かりませんが、私がその方に福音を伝えたら、その方がやっとイエス様を受け入れました。ところが惜しいことには、目をみつめながら出てきたのですが、この方が、どんな目を持っていたかというと、どのようにすれば生きられるだろうか? というそのような目でした。話はしなかったのに‘私がどのようにすれば生きるだろうか?’ こういう目でした。私がそれを見ながら‘私たち人間は愚かだ’と考えました。努力だけすれば良いかのように思っていたのに、今になって神様を探そうとしていたのです。違ったことをみなしたのに、星もいっぱい持っていて、いろいろなことをみなしたのに、どれくらい多くしたでしょうか? ところが、この方はまず最初にせねばならないことができなかったのです。人間が永遠な存在であるということも知らずに、私たち人間の答が何かも知らずに、走ってきて、簡単に話せばブレーキがかかったのでした。その時になって、全てのものをみな下ろさなければならなかったのです。 全てのものをみな下ろして ‘あ!’となったのでした。本当に幸いか不幸かは知りませんが、皆様が今日、信仰生活で相当に重要な答を得なければなりません。
・その中で一名を皆様に紹介すればダビデです。ダビデが多くの詩を作った中で18篇です。その中に1節, 2節がものすごく重要です。“彼はこう言った。主、わが力。私は、あなたを慕います。”と言いました。ダビデが言った言葉です。皆様がこの告白をできるでしょうか? 「主、わが力。私は、あなたを慕います。」ダビデがした告白です。さっと見れば過ぎることができることです。さっと見れば、特に価値がない話でもあります。 2節に見れば“主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。”と言いました。ダビデが作った詩です。“ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。”と言いました。「主、わが力。私は、あなたを慕います。」この話は、単なる話に見えるのでしょうか? この話を単なる話のように見るために、私たちは信仰生活がよくできないのです。今、ダビデがどんな人物でしょうか?永遠な答を持っていました。これが救いです。今日、皆様がこの答を得ることがものすごく重要です。
・両親の信仰生活で、私たち教会が動く色々な活動で、幼い子供達が教会にきて勉強をしながら ‘あ! 神様がおられるんだな! 私は神様の子供なんだな!’ この子どもが答えを受けながら ‘主なる神様を愛します’という告白が出てきたとすれば、たいした人物です。どのようにそんなにできるでしょうか? 皆様が、青年達が神様のみことばを聞きながら、何か世界を悟ったのです。‘あ! こういうことだな!’このように悟ったなら、こういう告白が出てくることができます。“主、わが力。私は、あなたを慕います。”これが他の見方をすれば、精神病者の話のようなこともあって、他の見方をすれば、相当な答になる話です。未信者が見る時、この話がなんの話でしょうか?
 
・皆様は、知識人です。どのように今まで生きてきたのでしょうか? 本当にこの告白が出てきたということは、ものすごいことなのです。今日、私は皆様に必ずこのことを申し上げたいのです。なぜ牧会ができなくて、宣教ができなくて、教会生活ができないのでしょうか? 神様が私たちに永遠な答を下さったのに、私達が永遠な答を受けることができなかったということです。そのためにできないのです。この答だけもらってしまえば簡単なのです。このダビデは、死の中で恐れません。“主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。”この話は、軍隊用語だけ動員したのですが、ダビデが軍人であるゆえにです。軍隊用語だけ動員しました。
・それで、私は今日、皆様に本当にダビデが信仰告白をしたように、そのような祝福の日になることを願います。このようになる時、信仰生活に余裕があるようになります。そして、応用もできます。そして、問題がきた時は、うろたえません。自分に死が来てもうろたえません。はなはだしきは、自分に大きい困難が来ても揺れません。なぜでしょうか?この答を持っているためです。今、皆様がこの本文をそのまま見てはなりません。ダビデが死という相当なことに会いながら、逃げながら作った詩です。結局、ダビデは勝利しました。すると、ここで私達がどんな信仰を学ばなければならないのでしょうか? それが重要です。
・皆様がこの貴重な時間にここにいらっしゃったのに、単に遊びに来たかのように帰って行っても良いでしょうか? 皆様がこのように貴重な時間に、奥さんについてきて、あとで帰って行っても良いでしょうか? 奥さんに付いてきた人は目立ちます。奥さんについて教会に来た人は、人の家にお金を借りようと来た人のように座っています。自信がなくて恥ずかしい感じです。そのようにして、帰るのに何の恵みになるでしょうか? 私が信仰生活をして、教会に通わねばならないのではないでしょうか? そのようにして、何の信仰生活になるのでしょうか? そして教派を正すのに、教派でできるのでしょうか?
 
・私どもの教会に申し訳ないけれど、僧侶が二人いらっしゃって、修道女が三人いらっしゃいます。ところが、また一人が来られました。この方はなぜきたのかというと、なぜこの教会にこのように修道女が三人もきたのか? それを今、確認しようときたのです。この方が、何をしようときたのかというと、合宿を受けようときました。訓練を受けようと来たのでした。その方は、ちょっと賢いようでした。それで少しの間あいさつをして、その方にこういう話をしました。“カトリックが重要なのではなくて、プロテスタントが重要なのでもありません。キリストを知っていなければならないのです。ところが、あなたがこの部分を研究してみてください。イエス・キリストが十字架にかかられて、全てのことを解決なさいました。すると終わったのです。それが救いです。何ゆえに複雑なことをするのですか? それで、私が今、このように話せばあなたが誤解するかもしれないので、訓練を一回受けて下さい。メッセージを一度聞いてみてください。”そのような話をしたら、この人はだいぶ賢い方で、だいぶ聖書も知っていて、私が知っていたことでは、良い実をたくさん結ばれると思います。今、そのようなこと正す時ではありません。人が洗礼を受ける時、水に入れるべきだということがバプテスト教です。必ず水に入れなければならないというのがバプテスト教です。かまいません。水をつければよいというのが、長老教です。どれが正しいのでしょうか? 私はそのようなことが重要だとは考えません。救いの奥義を知らない人が水に入っても、つけても、どうなるのでしょうか? 救いの奥義を知らない人は、罪人そのままです。いくら水に入っても、服だけ濡れても、なんの効果もありません。また受けなければどうなのでしょうか? 極端にいうと、イエス様の片方には強盗がいました。洗礼を受けたでしょうか? 受けていません。「主には罪がありません。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と言ったら「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と言われました。その人が長老教か浸礼教か、教会にも通わなかった人なのに、牧師が死刑囚の前に行って福音を伝えて、イエスを信じなさいと言うのを皆様は普通に聞こえるでしょうか? 知らないからです。からだが問題ならば、今日その人は死にます。しかし、たましいは永遠に死なないのです。そのたましいが、キリストの血で罪の赦しを受けて、永遠に生きるのです。それで福音を伝えるのです。死刑囚の前に首がはねられる前に福音を伝えるのです。人間に肉体とたましいがあることを知っているため、そうするのです。どれくらい重要でしょうか?
 
・私はこの聖書を見ながら、率直に救いと福音がこういうことだという答を得ました。私は幼い時から信仰生活をしました。一度も未信者より答えをたくさん受けることができなかったのです。その契約を悟って、受け始めました。だから、率直に話さないわけにいきません。私を見て、多くの人々が誤解します。教会をたくさん批判すると誤解するのですが、批判ではなくて、あまりに苦しいから、信仰生活はそのようなことではないのです。信仰生活は、聖書をみればすごいのです。いったい信仰生活が何かということ、これを発見するようになりました。ある日、創世記 1章 1,2節を見れば、暗闇の勢力があったのに、創世記 3章で目に見えない、ある勢力がアダムエバを倒して、いままで地球と土地で、すべての呪いを受けるようにしたのです。神様がそこから救い出されたことが、救いです。出てくることができないために、これをしなさい、あれをしなさいではなくて、信じなさいと言われました。創世記3章 15節に、女の子孫がへびの頭を踏み砕くとあります。信じる瞬間に、救われるのです。何の話なのか分かるでしょうか? なにかをしばしば違うように思っているのです。そうではありません。原罪ということは、何か知っているでしょうか? 犯していない罪を話します。皆様が罪を犯すこともしなかったのに、運命があるというのは、なぜでしょうか? 皆様が悪いこともしなかったのに、皆様の家に霊的な問題がなぜ現れるのでしょうか? これがなぜでしょうか? これがまさに創世記 3章から始まったことです。目に見えない存在のサタンが、アダムとエバを破ったのです。これから、霊的呪いの中に陥ってしまいました。それで、人間に霊的な問題がどんどん来るのです。それで 1部礼拝の時、みことばを差し上げたように、私が創世記3章を見ながら、そうなのだな未信者状態 6種類が見えたのです。「これで人々が吉凶を占わざるをえないな、これで人々は先祖を供養するしかないな、これで 人々が悪霊をおがむしかないな、これで大韓民国に易、シャーマニズム人が百万がおきるしかないな、最も勉強を多くした国会議員が 100%占いを訪ね歩くしかないな、私たち大韓民国の国民の80%先祖祀りをするしかないな」と、私は答を得ました。それが平安でしょうか? そうではありません。霊的問題がき始めるのです。それで精神問題がき始めて、それで肉体の問題がき始めて、結局は家庭も崩れて、そのようになるのです。ここから神様が人間を救い出されました。その時に、聖書で知らない部分を知るようになりました。「創世記 3章 15節。この話は普通の話にならないな。イザヤ7:14節 この話は普通の話にならないな。マタイの福音書 16:17 主は生ける神の御子キリストです。」私はこの契約を捕まえたその日から、答えを受け始めました。答えを受けることができなければ、キリストではないのでしょうか? その話ではありません。しかし、何か私の心が出来ないのです。私は永遠な答を探すようになりました。それで、牧師を集めて話をしてあげねばならない、というように考えたのが、今になったのです。それで信徒を集めて話をさしあげねばならない重要な答を探しました。
 
・聖書 66巻が見え始めたのです。救われた人は、創世記に見れば、アブラハム、イサク、ヤコブのように絶対に滅びることができません。失敗して奴隷になったのに、救われた契約を捕まえた人、契約の血を捕まえた人、エジプトから出てくるようになりました。それが出エジプト記です。救われた人は、荒野を行く間に、どんなことがあっても崩れないのです。これがレビ記、民数記、申命記です。救われた神様の人は、偶像崇拝をするカナンの地を征服するようになるのです。それがヨシュア、士師記、ルツ記です。救われた人に対して起きる働きの中で、王、預言者、祭司長が現れても解決しないのです。それで、メシヤを待ちなさい、それが旧約の歴史書物です。列王記上下, 歴代上下, サムエル上下、それがまさに旧約の歴史だと話します。聖書 66巻が見えないでしょうか? 皆様が絶対に解決出来ない霊的な問題、先祖が犯した偶像問題を解決することはできません。原罪を解決することはできません。すなわち、サタンに勝つことができないのです。それで、神様が解決なさいました。それで信じなさいということです。それで、信仰で救われるということです。何の話なのか分かるでしょうか? それでメシヤがいらっしゃったということです。旧約でのメシヤが来られたのですが、その方がキリストです。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書、するとその契約を捕まえたら、実際に証拠が起きました。 使徒の働きから 14巻のペテロの手紙2巻、ヨハネの手紙 3巻 終わりの世になれば霊的な問題がくるので、福音を知らなければ大きいことが起きます。皆様の子どもが福音を知らなければ、留学を送らないように。大きいことが起きます。霊的問題がくるのです。皆様の中で、音楽をする人がいますが、福音を知らなければ、先輩を詳細に注意深くみましょう。音楽をする人々が福音を知らなければ、大きいことが起こるようになっています。どのように解決するのでしょうか? 福音を受けた人は、勝利するようになっているのです。それがヨハネの黙示録です。永遠な答を得るようになりました。本当にその時から伝道が全く難しくありません。伝道の門がずっと開きました。人々が私にお金をたくさんあるかと錯覚するのですが、錯覚しないでください。行く所ごとに祝福の門が開いたのです。行く所ごとに、もちろんそれがすべてではありません。どれくらい驚くべきことでしょうか? 残念なことなのです。なぜ人々が簡単な答があるのに、それを知らずに、あんな状態で苦労して死ぬのかということです。本当に残念です。それで永遠に答を得るべきなのです。この永遠な答を得たのに、教会は世界を征服するようになりました。証拠を見ましょう。この答を得たら、教会は世界を征服するようになったのですが、どれだけ征服したかというと、王を立てるのに、誰が立てるかというと、王を誰が左右したかというと、教会がしました。中世教会です。それが中世時代です。中世時代は、簡単に話せば、教会は中世時代にひとつしかありません。カトリックが、むかしの中世教会です。教会がひとつしかありませんでした。どれくらい大きくなってしまったのか、福音をのがし始めたのです。教会にこなければだめで、王が教会に来なければだめで、だから王を誰が左右するかというと、教皇が左右するという問題が現れました。こういう時、特にいろいろな問題がき始めました。罪を犯してもかまわない、免罪符を買えば罪を犯してもかまわないとなったのです。どのようにしなさいと、行為を良くすれば救われる、こういう嘘がたくさん出てくるようになりました。この時、そうではないと持ち出したのがルターとカルヴィンです。カルヴィンが聖書見て、五つを話しました。カルヴィンが重要な答を得たのです。人間は原罪で、問題によって、創世記3章以後に全的に堕落しました。それで、人間はそこから抜け出てくることができません。それで、神様が人間を選択なさったのです。その選択された人間は、恵みによって救われるようになるのです。その救われた人間は、絶対に滅びません。こういう教理を出したのです。これまで出てきたのですが、聖書を見て、伝道が何か? こういう答が探せなかったのです。
 
・今この時間にキリスト教の核をみな話すことはできません。それで、知っているでしょうか? ここにキリスト教会に、あらゆる核をいうこともできないし、する必要もありません。だいたい話してみます。ある日、福音がこういうことだな、‘ある日’です。それで本当に誤解しないようにしてください。今、私のそばにい信徒達が、誤って知っています。話をするしかありません。私のそばにいる牧師が誤って知っている、だから話をするしかないのです。話したら、韓国教会で立ち上がりました。あまりにも打ってきたのです。間違いない話なのに、このように出てきたのでした。それは私が間違っていました。あまりに強く話したからです。これではないのに、あまりにも永遠な救いを違うように知っているのです。あまりにもそのように知っているために、皆様が絶対に解決出来ない原罪、皆様が絶対に勝てなくて、変えることもできず、分析することもできないサタン、皆様の家系に入る災いと呪い、学閥と職業とは関係ないのです。それを解決するために神様が十字架にキリストを釘付けられたのでした。風邪のためではありません。皆様の就職のためでもありません。それを解決なさろうとキリストを十字架に釘付けてくださったのです。その方がキリストであるという証拠で、復活なさったのです。それでイエスの名前で勝利するようになったのです。私はここで信者が受けた祝福がなにかを悟りました。ここで成功する伝道戦略が何か?と知るようになったのです。それとともに、神様が毎日新しい答を下さいました。本当に驚いたのです。一つの証拠になると思うのですが、今、私たちの教会は、私が何にもせずに、福音運動だけをしようとしています。それで、何年かの内に証拠を見せようとしているのです。福音がこういうことだな。それで、たぶんあなたがたに相当な証拠がくるはずです。
 
・今日、重大な主題をのがしてはなりません。難しいのではありません。神様が私たちに永遠な答を下さいました。70,80,100年 信仰生活しても、毎日新しくなる答を与えられたのですが、これを置いてしまったので、福音でなくて宗教になるのです。クリスチャンが本当に残念に見えます。今日、ダビデが告白した内容です。困難が来てもかまいません。「主、わが力。私は、あなたを慕います。」皆様が危機に会おうということではなくて、危機がきてもかまわないということです。「主、わが力。私は、あなたを慕います。」皆様が生きていて、早く亡くなれという話ではなくて、そのようなことにあってもかまわないのです。「主、わが力。私は、あなたを慕います。」この答を持っている人は、問題がくれば、より信仰が良くなって明るくなります。もう少し正確な答を捜し出します。ダビデが正確な答を捜し出しました。皆様、この答を持っている人は、暴風がきたら、より重要な祝福を捜し出すようになります。これがなければ、未信者のようにさまようのです。神様が人生をどれだけ愛されたかというと、皆様がこの地で小さい答えを受けるようにされたのではなくて、永遠な祝福を受けるように、それでキリストを送られたのです。すべての宗教は、同じこともあります。しかし、キリストはいろいろないろいろなことが必要ではありません。一気に終えました。一気に終えたのです。聖書を詳細に見ましょう。聖書を見る目が完全に変わりました。創世記3章15節に女の子孫がへびの頭を踏み砕くとされました。驚くべき話です。この話を悟れば、これが何の話でしょうか。女性の子孫。
 
・キム・セグン牧師は、とても文をよく書きます。この方は、ものすごく声も良くて、メッセージも良いのです。私の母が亡くなった時、追悼の詩を読んでくださいました。私は絶対に目から水が出てこない者なのに、目に涙が出てきました。私が見る時、この方はものすごくハンサムで、見れば見るほどすてきです。「あ、この人は本当にすてきです。」と言って、この方は絶対にキリストになれません。そうではないでしょうか? この方から産まれた息子は、キリストになり得ません。なぜでしょうか?人であるため、既に原罪と関係しているために、創世記 3章と関係あるためです。わかるでしょうか? 女の子孫。創世記3章と関係ない人を神様が送られたのです。それを見たら、あまりにも科学的で医学的です。イザヤ7:14節 分かるでしょうか? 処女がみごもって息子を産む。それだけ悟ってしまえば、どのようになるでしょうか? インマヌエルの祝福が臨むようになるはずです。本当です。この味を知るべきなのです。これだけで、信仰生活になります。牧師様, 競争の中に生きる社会はどのようにするのでしょうか? この味を知ってこそ、そこで正しく勝つことができるのです。牧師が知らないで外に出かければ、産業がものすごく複雑なのに、どのようにするのでしょうか? この味を正しく知ってこそ、それを分析することができるのです。インマヌエル、なんの話なのか知っているでしょうか? 軍で、公務員では、昇進しようと頭が痛くなるのに、牧師が知らないのです。この味を知ってこそ、その時から人を動かすのです。そうではないでしょうか? これをクリスチャンがのがしているのです。ダビデがこれを捕まえました。簡単です。信仰生活は、とても難しいことはありません。お金を大きく捧げた分だけ祝福を受けるのではありません。功徳をたくさん立てれば、祝福を受けるのではありません。そのように知っていると、違うように知っていることです。どこに、そのようなことがあるでしょうか? 皆様が金を多く出して救われようになるのでしょうか? 話にもならない原理なのに、人々はそのように思っています。中間くらいに煉獄があって、そこにいる時に、献金を多くして天国に行くのでしょうか? そのような詐欺師のような原理がどこにあるのでしょうか? たましいは、そのようなことではありません。救われたか、救われていないのか、この福音を捕まえる瞬間、すぐに受けるのです。「受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」皆様がここで答が出てき始めれば、毎日新しい答えがきます。今日、私の話がわかるでしょうか? 皆様に新しい答えがき始めるはずです。すると、これから社会生活はどのようになるでしょうか? この目が開いてこそ、社会に勝つことができるのです。私たちは結婚もせねばならないのに、どのようにせねばならないのでしょうか? この目が開いてこそ、結婚も正しくできるのです。この目が開いてこそ、家庭問題も解決できます。時間があまりありません。
・ダビデの詩であるゆえに、ダビデの話を2つだけして終えます。ダビデは、良い状況でも答えを受けて、良くない状況では、より良い答えを受けました。なぜでしょうか?この答を持っていたからです。皆様が今日、神様の子供であるという重要な答を得てくださることを望みます。ダビデがこの答を得たゆえに、普段の時に、どんな答えを受けたのかというと、自分の兄達は良いのところに皆行くのに、ダビデは羊を飼っていました。羊を飼いながらも、最高の答えを受けたのです。ダビデが何をしたのでしょうか? そこでも、詩と賛美と祈りと全てのものがみな出てきたのです。ある日、羊を飼っていたら、羊の中に獅子が入ったのです。この時、ダビデがあまりに驚いて、獅子と戦ったのでした。これが何でしょうか? 獅子に勝ったのです。この時、ダビデには確信がきたのです。「神様が自分を獅子にも勝つようになさったんだなあ」この時から動物を捕まえる練習もして、石を投げる練習もしたのです。それで成功したではないでしょうか? 詩篇78篇を見ると、その時、神様が王に指名なさったとなっています。Iサムエル16:13節を見れば、ダビデはこの信仰を持っていたら、王になるはずだとサムエルが預言したのではないでしょうか? どれだけ賛美を良くしたかというと、Iサムエル16章 24節を見ると、ダビデが信仰の賛美をした時、悪霊も逃げました。それは、聖霊が働かれたということです。
・聖歌隊員は、そのような祝福を受けてくださることを願います。私が見る時は、ゆっくりしましょう。私が見る時は、私たちのオ執事は、神様が世界の福音化に重要に用いられる方です。そのような確信があります。ゆっくりしましょう。本物のメンバーだけ立てて、一時代に福音を伝えるこういう賛美チームが作ってください。余裕をもってしましょう。それとともに、世界を征服するのです。世界を征服するということは、福音を正しく伝えることです。賛美がどれくらい重要か分かりません。
 
・ダビデは答がありました。答がある人は、普段の時にも答えを受けます。重要な、永遠な答がない人は、ここに座って礼拝を一度ささげて帰って行きます。‘礼拝を学校を借りてするのだな’‘柳牧師の説教は慶尚道なまりだな’この程度になるはずです。‘内容はこれだな。’この程度のはずです。しかし、答がある人は、ここに座っている時間が、相当な時間です。ダビデが羊を飼っていた時、相当な時間でした。皆様が今、困難にあっているでしょうか? その時間が相当な時間なのです。
 
・ダビデは、重要な答を持っていました。皆様がご存知のように危機がきました。大きい危機が三回来たのです。父の手伝いに行ったら、ゴリヤテという将軍が、イスラエルをつかまえて飲み込もうときて、どれだけ力が強いかというと、一対一で出て来て戦う人が出てこいというのでした。提示をそのようにしました。単なる戦争ではなくて、複雑だから、一対一で戦う人が出てこいということです。なぜならば、ゴリヤテが自信があったからでした。もし自分が負ければ自分の国を皆やろう。もしお前達が負ければ、みな私のものだ。このように提示をしたのでした。これは、普通のことではありません。だから相手方がどのようにもすることができないのでした。この頃、特別に皆様がたくさん見るドラマの“野人時代”のキム・トカン式です。現れて一対一で戦おうということです。イスラエルが危機に会ったのですが、ただの一名も行くことができませんでした。この時、ダビデが父の手伝いに行ったのでした。皆様知っているでしょう? イスラエルが大きい危機に会いました。ダビデには確信があったのです。‘私がこのゴリヤテを倒さなければならない’ 皆様が知っているでしょう? ダビデは、2つのことが確かでした。祈ることと石を投げて獅子をつかまえることは確かです。それを持ってゴリヤテをつかまえたのでした。今日、詩篇 18篇の本文は何でしょうか? ダビデが王になりそうだから、悪い臣下とサウルが殺そうとする時に、逃げて回りながら作った詩です。この時より良い臣下を得てより大きい答えを受けました。
・皆様、詩篇 3篇と同じ所とUサムエル 16章なのですが、同じ所を読んで見れば、ダビデが後ほど王になった時、悪い臣下によって、息子をそそのかしてアブシャロムがダビデを殺そうときて、ダビデが逃げたでしょう。その時のダビデを見ましょう。どれくらい信仰がすごいでしょうか? 皆様、そのような信仰が出てくるでしょうか? 霊的問題を持った人は目立ちます。小さい事だけでも生じれば大騒ぎします。ある人は、問題もこなかったのに、あらかじめおじけづくのです。そのような必要はありません。ダビデがどれだけ答がある人でしょうか?王宮に悪い臣下とアブシャロムが攻めて来ました。そのようなことがあるでしょうか? ダビデが逃げて、逃げながら何と言ったでしょうか?この時、シムイがやってきて呪いました。ダビデは、何と言ったでしょうか? そばにいた将軍がすぐに首を打とうと言う時に、ダビデが “置いておけ。神様がさせておられるのだ。私の息子もそのようにするのに、ましてシムイは当たり前だ。神様が私を知っておられて、恵みをくださるはずだ”と言いました。それは、何の話でしょうか? その言葉が問題ではありません。ダビデが持っている答です。なにか答を持っていたのです。ダビデは、結局成功しました。
・今日、皆様に貴重な祝福があることを主の名前で祝福します。ところが問題は、恵みを受けて行くならば葛藤が生じます。皆様が教会の働きをすれば、葛藤が生じます。人としていれば葛藤が生じて、また、おかしな人がいます。どのようにするのでしょうか? 心配せず、譲歩して良いことは受け入れましょう。そのようなことがそれほど重要なのではありません。葛藤が生じれば、譲歩してもかまいません。ダビデは譲歩して良いことだけを入れました。神様の祝福だけ揃いました。ダビデです。なぜならば、こういう人は、一生、重要な確実な答を持っているのです。皆様が信仰生活をするのに最も重要なことは何でしょうか? 永遠な答がなければなりません。一生の間、できる答がなければなりません。“主、わが力。私は、あなたを慕います。”と言いました。この話がそこから出てきたことです。そのまま出てきた話ではありません。今日、皆様がこの重要な時間に教会に来ました。皆様がこの重要な時間に全世界で、インターネットで、メッセージを受けています。今、この重要な時間に衛星で一緒に100箇所あまりで教会が礼拝をささげています。皆様がこのみことばを本当に理解するように願います。
 
・サンダシンという人が、このみことばの契約を受ける瞬間に “すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。”この契約を捕まえる瞬間に、チベット全体が生かされるようになったのです。皆様はご存知でしょうが、ハドソン・テイラーのような人がこのみことばを受ける瞬間に、全世界が生きて中国が生かされるみわざが起きるようになりました。あなたがたがご存知でしょうが、リビングストンのような人がこのみことばを受ける時に、あのアフリカが生かされたのです。
 
・やさしいことではないでしょうか? 信仰生活を違うように難しくしないで、信仰生活を正しく、簡単にしなければなりません。ほとんどみな違うように思っています。どれくらいせつないか分かりません。すぐに皆様と私が教会で何をせねばならないか? そのように思っています。そして、熱心にせねばならないと思っているのです。それはその次の話です。神様がそのようなことを要求されません。皆様は神様の子どもです。神様の恵みを受けなければならなくて、本当の救いの奥義を知らなければならないので、神様の子どもになった祝福を味わうのです。この契約を捕まえる瞬間に、皆様が知らない間に大きい答えがあるようになるはずです。今日、皆様に祝福の開始の日になることをイエス様のお名前でお祈りします。引続き詩篇を通じてダビデの信仰を確認すべきです。今日、永遠な答えの日になることを主イエス様の名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私達が真の救われた神様の子どもの永遠な祝福を確認する日になるようにしてください。それで、今日も新しい日で、明日も新しい日で、教会だけに通うのではなく、神様の子どもの祝福を味わうようにしてください。宗教人でなく、福音を持った神様の人になるようにしてください。この時間に、あらゆる霊的問題が解決する時間になるように助けてください。今日、このダビデの契約を 捕まえて、真の救いの契約を捕まえて、今日、この席に参加した方達の隠れた問題が解決する夜になるようにしてください。この方達の家庭の問題が解決になる時間になるようにしてください。証しするしかないこの方達の職場と現場にみわざが起きるようにしてください。神様の前に感謝するしかない生きた証拠が今日、この方達の教会と現場に現れることをお祈りします。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。 - アーメン