2002年 12月25日 インマヌエル 聖誕メッセージ


いと高き所に栄光が、地には平和が
(ルカ2:1〜14)
 
 
・皆様が賛美を歌う時や、聖歌隊で賛美をする時、祈りながら、この賛美が神様のところに届き、私たちの祈りが神様に届くという祈りながら賛美をしたり、賛美を聞くようになれば、すごいことになります。そのような中で、私が思うのは‘ハレルヤ’ほど、力強い賛美はありません。今まで私が聞いた歌の中で、このヘンデルが作った‘ハレルヤ’ほど、本当に力がある賛美はないと思うほどです。ところが、私達が賛美を歌う時や、賛美を聞く時、いらない考えになる場合があります。そのような時が本当に多いのです。‘今日、聖歌隊がたくさん集まって、本当にうまいなあ’という気がするとか、‘あの指揮者は指揮がうまい’という、いらない考えになる時が多いのです。さっき私が少しの間、考えていて、今日クリスマスなので賛美が続くということが気づくことができませんでした。私は、そんなに勘が鈍い者ではありません。人が座る時、立つ時、行く時、行かない時、話す言葉、話さない言葉などを区分できなければ、成功できません。どんなに勉強を多くしても、どんなに祝福を受けても、味わうことができません。私はそんなに勘が鈍い者ではありません。全世界を回りながら、勘が鈍い人が非常に多くて、私は勘がよいので、ぼけることはないだろうと思っています。ところが、賛美する間に少しの間、考えました。そうして一曲終わったので、自分も知らないうちに、まだ続きがあるのに出てきてしまったのです。まだぼけているのではありませんから、分かってくださるように願います。私は座って悔い改めました。賛美の時間なのに、私が少しの間、違うことを考えていたなと思いました。‘ハレルヤ’と歌った時、本物の王が立ち上がったということですが、どれくらい賛美が神様に向かったということでしょうか。参加した聴衆、全員が立ち上がったということです。
・ある紳士が病院にきて、自分がうつ病の患者だが、とうてい生きることができないと言いました。それで薬を飲んでもだめで、ある時は自殺をしたいのだが、これを直すことができる薬がないだろうかと話をしたところ、医者が答えて、実際には風邪薬、胃腸薬はあるけれど、うつ病を直す薬はない。うつ病によって生じたからだの異常を直すことはできるけれど、うつ病自体を直す薬がないから、あなたがうれしいことを考えて、いつも楽しい考えをして、楽しいプログラムを見て、コメデイのプログラムも見なさいと未信者の医者が話をしたのです。その時、その患者が「私がまさにコメディアンのチャーリー・チャップリンだ」と話したのでした。世界で最も笑わせたコメディアンのチャーリー・チャップリンがうつ病で死んだという事実、私はそれを見ながら、そのようなことだろうと考えました。
・私達が‘もろびとこぞりて迎えまつれ!主はきませり!’と歌います。皆様の信仰生活で最も重要な部分が、まさにこの部分です。本当の喜びです。やたらと騒ぐ喜びもありますが、それを言うのではありません。私はある日、宗教がなぜあるかを知って、宗教人がなぜ失敗しているかを知りました。神様がなぜ福音を下さって、なぜ、わざわざ独善的にイエスを信じるしか救われないのかが分かるようになりました。その時から、騒ぐ喜びでない、本当の喜びがきたのです。多くの話をしてもかまわなくて、聞かなくてもかまわない喜びを知るようになったのです。ここから信仰生活が始まったり、できなくなったりするのです。ある人を見たら、教会にきてこの喜びがないから、違ったことで代えようとするのです。他の人が見る時は、信仰生活が良くしていると話します。私が見る時、その人の未来は直さなければ危険になります。皆様が信仰生活の開始を正しくしようとするなら、どこから喜びが始まるのかを知っていなければなりません。これができなければ、全世界のすべてのものを持っても効果がありません。後ほど必ず問題がきます。そうではないでしょうか。いっそ単純に、知っていることや習ったことはなくて感謝するという水準にならなければ、困難になります。ぱっと見れば、よく分からない部分です。真の喜びです。ここで、真の発見があったということです。ここから出てくるのが、真の感謝です。そのようになってこそ、真の力が出てきます。そうしてこそ、絶えない真の力が出てきて、真の希望が見えて、そうしてこそ、真の答えがくるのです。大部分そうでない信者は、我慢して耐えるのです。我慢して耐える時、律法で耐えます。それでも律法的にだいたい正しくて、正しくなければ悔い改めながら、それで自分の喜びをさがそうとします。それでは困ります。それは信仰生活ができないことです。ある人を見れば、真の喜びがなくて、真の感謝が出てくるべきなのに、出てきません。ここで‘もろびとこぞりて迎えまつれ!主はきませり!’この話が普通のことでしょうか。私はそうなのだという気がします。
 
・皆様、真の喜び、真の希望、本当にこれを探すようになることを希望して、また、そのようになっていることと信じます。皆様、それはものすごく重要です。これができれば、この時はどうすべきか、あの時はどうすべきかと応用できます。これがだめだから、ある方は信徒に諸々のこと教えるべきだと、献金だ、何だを教えるべきだと言います。それがそうでしょう。しかし、私はそのように考えません。真の救いを受けたのに、なぜそれができないのでしょうか。私はそのように考えません。教会でそのような話をする必要はありません。私が真の救いを受けたなら、希望が生まれます。私が真の救いを受けたなら、気落ちする状態でも、真の答を勝ち取ることができるのです。極端な場合には、皆様が真の救いを受けたなら、罪を犯したり、殺人をしても、その中で答を捜し出すはずです。そうではないでしょうか。皆様が真の救いを受けたなら、真の希望があれば、私達に問題が生まれたとしても答があります。すると、問題になる必要がないでしょう。これがないのです。それで私たちは、今日、本当に‘神様には栄光、地ではみこころにかなう人々に平和を’ と言われました。これがどれくらい重要かわかりません。天使が言った言葉です。今日、ルカ2:14に‘いと高き所に、栄光が神にあるように。地の上に平和が、みこころにかなう人々にあるように’と言われました。そうしたところ、ある人が私を誤解して、先生は人を見れば全部見えるのだろうと言うのですが、私はそのようなことは絶対にありません。私が先生と相談をするのに、私がこわくて、すべて見つけられるのではないかと考えるのですが、私は全くそのような部分はありません。私は、純真で単純です。ただ一つを知っているから、他のことに応用できるのです。私が真の救いを知ったのです。それで、それが応用できるだけです。この方は肉体主義、神秘主義で、真の救いを知らないのだなということを知るようになったのです。私が知った後に、この方は自分のために熱心にするのであって、福音はないのだなということを、簡単に知るようになったのです。なぜでしょうか?救いを知ったためです。それで、その中に真の力があるのです。私が作るのではなくて、神様がくださるということを知りました。そうではないでしょうか。‘いと高き所に、栄光が神にあるように。地の上に平和が、みこころにかなう人々にあるように。’相当なことが入っています。それで、今日、私たちは多くの話をすることはできません。
・今日、ルカ福音 2章の現場を見ながら、第一に記憶しなければならないことは、クリスマスの意味です。「聖誕」この意味を知っていなければなりません。私たちは英語でクリスマス(CHRISTMAS)と言いますが、私たちの韓国語では、聖誕祭と言います。また子ども達は、クリスマスを知らないから、サンタのおじいさんが来る日だと思っています。中国等、福音がない国でもサンタクロース、サンタのおじいさんと言います。そのような程度で知っているのです。ところが、普通に知っているのではなく、正確な答を出すべきです。
 
・先週の2部礼拝でもお話ししたのですが、油を注がれた者の日です。梨花女子大学校を純粋な韓国で言えば、「梨の花、娘、大きい勉強を学んでいる家」になりますが、韓国語は複雑だから梨花女子大と呼びます。クリスマスは「油を注がれた者の日」です。大変な言葉です。この話も知らずに、クリスマスは意味がないのです。
・油を注がれた者とはだれでしょうか。王、預言者、祭司長です。その人には油を注ぎます。誰でも王をしたいと言ってなるのではありません。油を注がなければなりません。ある日、誰かが私は今日から預言者だと、そのように言ったらなるのではありません。油を注がなければなりません。祭司長も同じです。王、預言者、祭司長に油を注ぎます。これから意味がある言葉です。王、預言者、祭司長がきて、全てのものをみなしたのですが、できませんでした。むしろ王がなくなるべきだとして、大統領が生まれました。それで、王、預言者、祭司長がどんなに実力があるとしても、私たちの重要な原罪問題や霊的問題は、解決できません。だめです。どんなに人を笑わせても、自分はうつ病になるのに、どのようにするのでしょうか。どんなに良いことを書いても、精神が狂うのにどのようにするのでしょうか。どんなにたいした歌を歌ったとしても、自己管理ができなくて、自分は死ぬのに、どのようにするのでしょうか。それで真の油を注がれた者、王、預言者、祭司長という言葉をみな合わせてきたのですが、その単語が CHRIST(キリスト)という言葉です。キリストは、油を注がれた者という言葉です。そこに MASがつけば、日ということです。「油を注がれた者の日」必ず12月 25日ではないにせよ、私たちは意味を毎日知っていなければなりません。
・より驚くべき事実は、イエス・キリストによって救われた者に、この油を注がれる祝福があるのです。Iコリント 3:16に‘あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか' と言いました。今まで教会に通った方達は、今日、考えてみるように願います。私は以前に教会をどんなにたくさん通っても、答えがないという方は、今日変わるように願います。あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。すると、あなたがたには答えがき始めるはずです。本当にたいしたことです。教会に通ってもそこまで、通わなくてもそこまで、10年通ってもそこまで、20年通ってもそこまで。そのようなことです。教会にどんなに通っても、むかしには教会にちょっと通ったのに、いまは放棄した人が多いのです。悟らなければなりません。「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」本当に救われれば、そのようになります。
・「先生、私は救われたことは確実なのに、することごとになぜだめなのですか」と聞く人がいます。ヨハネ14:16-17を記憶すればよいのです。‘わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。/その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。’聖霊の導きを受けるように苦闘すればよいのです。するとまちがいなく成功します。
・ある人が、「先生。信仰生活をしようと外に出てみると、あまりに難しいのですが、世の中にどのように勝つのでしょうか」と聞きます。難しいのです。使徒1:8を記憶すればよいのです。聖霊の油、聖霊充満です。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」とおっしゃました。
 
・どのように、イエスを信じる人が、一時代を生かすことができるのに、どのように生かすのかと聞きます。 Iヨハネ2:20-27です。Iヨハネ2:27 ‘あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、・・その教えは真理であって偽りではありません。・・また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。’こういう祝福をほとんどみな のがすのです。これが救われた者の祝福です。今日、皆様がこの祝福を回復する日になることを主の御名で祝福します。
・これがクリスマスの意味です。人々がよく知らないクリスマスの意味です。油を注がれた者がいらっしゃったゆえに、油を注がれた者の日です。なぜ来られたのでしょうか。皆様に油を注ぐ祝福を下さるためにいらっしゃったということです。すごいことではないでしょうか。すると、その救いの油の意味は何でしょうか?聖霊です。たぶん、皆様がこの話を信じることができる瞬間から、答えがくるはずです。本当に不思議です。皆様は、世の中で色々なことをたくさん習います。こういうことが悪いものではないのですが、相当なことを私達が知らないて、防止することがあるのです。このようにして、教会にずっと通っても、何か事がならないことのです。とても重要な日です。今日、皆様がこの祝福を回復することを願って、衛星で百箇所あまりで礼拝をささげて、インターネットでみことばを聞いています。必ず記憶しなければなりません。クリスマスという意味を知っていなければならないのです。意味も知らずに、クリスマスをすることはできません。イエスを信じると言うのに、イエス・キリストの意味を知っているべきではないでしょうか。キリストという言葉が、油を注がれた者ということです。どれくらいたいした話でしょうか。
・それが、私と何の関係があるのかを知らなくても、この事実を信じる者にこの祝福が行くようになるはずです。Iペテロ 2:9(しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。)に、王のような祭司。皆様に答えがくることを知るようになるはずです。もし、この場に座っている皆様の中に、私がなぜこうなのかと考えたことはあるでしょうか。もしまたそのように座っているのではないでしょうか。皆様に必ず変化する道があります。皆様はご飯だけ食べて死ぬような存在ではありません。必ず人間は霊的な存在ですから、神様の祝福を受けるようになっています。それで聖誕の意味を知っていればよいのです。皆様を救われて、皆様に油を注がれた神様が開かれた事件が、キリストを送られた事件です。すると、あなたがたの問題は解決し始めます。人間は絶対にお金をもうけて、勉強して、ご飯を食べて死ぬのではありません。このごろ流行する言葉があります。人に悪口を言う時、最も悪い悪口が犬のような奴でないか。犬のような奴、このように言えば、悪口を言うということです。豚みたいな奴だ。牛のような奴だ。このように言えば、恥になるのです。それよりもっとひどい悪口が‘人間のような者’ということです。実際に知ってみれば、犬、豚、牛が何を間違ったでしょうか。犬は家を守って、犬肉のスープにもなります。仕事を一生懸命して、食堂に行って食べ物の材料になります。家にあるゴミのようなものを食べても、豚が間違ったことが何があるでしょうか。なぜこの話をするかというと、人間が霊的な存在であるという話を知らなければ、本当に犬、牛、豚よりだめです。皆様を殺しても、死体を買うことができるでしょうか。本当にだめです。人間は獣と他のただひとつが、たましいを持っていることです。それで、この事実が正しくなることを救いと言うのです。この事実が神様に会う、元々作られた創造者に会うのを救われたと言います。そうだとすれば、その中心で人生を生きることを信仰生活と言うのです。クリスマスの意味がわからないのに信仰生活ができるでしょうか。それで実際には‘もろびとこぞりて迎えまつれ!主は来ませり!’というこの賛美は、毎日しても良いのです。どれくらい驚くべき意味なのか分かりません。
・今日、あなたがたにこの祝福が必ず臨むようになることを願います。皆様、もし自分の人生に対してため息をついている方はいませんか。私がなぜこうなのか、いっそ死んだほうが良いと考える人もいるでしょうか。その現場では良いでしょうが、未来は深刻です。それで、神様が私たちに、皆様に、その現場に、そのままいなさいとされずに、私たちを光の中に呼んで救い出されたのです。私たちに答えを下さるということです。どれくらい驚くべきことでしょうか。その日がクリスマスです。字の意味をよく理解しなければなりません。クリスマスカードなどを作る時、デパートで見れば、X-MASと書いてありました。ある人はそれを見て、エックス(X)-マスだと言います。それは、Xではなく‘χ’ギリシヤ語のキリストの頭文字を取ったのです。この重要なことの意味を知らないのです。今日、全世界にいる私たちの弟子と全世界の聖徒が、この祝福を受けるようになることを願います。
・真の喜びがあふれます。皆様が一日中じっとしていてもうれしいのです。皆様にものすごく苦しい事が起こってもかまわないのです。私はある場合には、今、車がどうか、飛行機がどうかと約3時間を待つべきだとしてもかまわないと言うことができます。3時間、祈って準備すれば、どれくらい良いでしょうか。問題になることが、ありません。苦しいこともありません。私が一日中そうしても、何が苦しいでしょうか。かまわないのです。なぜなら、真の喜びを持っているので、みなすることができます。これが今日、皆様がいやされる祝福の日になることを願って、皆様に本当にこの祝福が、神様の契約が、皆様の一生の祝福ですが、今日、開始することをイエスの御名で祝福します。
・この部分ができないので、すべての子ども達にも、実際にはこの問題ですが、なにか楽でないのです。だから、どんどん問題がくるのです。それで、2番目に記憶しなければならないことは 2:14節です。「いと高きところに栄光が神にあるように。地の上に平和がみこころにかなう人々にあるように。」神様に栄光になるということはなんの話でしょうか? いと高き所では、神様に賛美があるようにといってもかまいません。神様に栄光で、それで賛美が重要です。なぜ賛美になるのでしょうか? 皆様がおわかりの通り、簡単です。絶対に大学では教えてくれない簡単な答があります。事実なのに、教えてくれません。教えてくれることができないのです。天から、天使の中で賛美をする天使が堕落しました。高慢になって堕落したのです。これが悪魔です。これが全地をグッ(降霊術)をはじめとして、TVまで歌で世界を壊しています。サタン、知っていますか? 皆知っているでしょう。子ども、おとなと言う必要なく、歌でみな壊すのです。
・以前に私が話したことでしょう? 私が軍隊でいっしょにいた同期の人が、一度だけ集まって、意味はないけれど、あまりに行かなければ異常に感じるかもしれないので、一度行ってみるべきだなというようなことが、皆様にもあるでしょう? 信じない人々と同窓会しよう、何かしよう、あまり行かないと高慢だと言われます。伝道することも兼ねて、一度行ってみたのでした。その友人達が集まると、1ケ所がソメンという裏路地のナイトクラブでした。行ってみました。私が以前に話したでしょう? 入っていってみたら、ものすごく騒々しかったのです。その時が騒々しいプログラムであったのかも知れませんが、あまりにうるさくて、話ができない程でした。どんなに騒々しいか、あいさつも大声でしなければなりませんでした。静かに座っていたのですが、抜け出てようと思ったのですが、適当に体面を整えてから行かなければならないのに、見ていたら、大きな音が出るので、聞けばものすごいように聞こえます。その大きい建物がガンガンなるほどです。その音がどれくらいステレオで、部屋中をガンガン回っているようでした。ぱっと見ればものすごかったのです。私がこのように見ていたら、女の人、男の人が音楽に合せて踊っているのに、私は静かに見て、果して彼らが喜んでいるのか? とても喜んでいるような顔だけれど、果してうれしいのだろうか? 終わって家に帰る時、今日、とても恵みを受けた、このように感じられるのだろうか? こういう考えをしてみました。
・神様に賛美を担当した天使が堕落して、悪魔になったという事実を、音楽する人々は、必ず知らなければなりません。すべての宗教、グッ(降霊術)まで、音楽でみな倒しました。それで、いままで有名な歌手が悲惨に死んだことは、みなそこに理由があるのです。いままで有名な音楽をする人々が、霊的に苦しめられたのには、理由があります。この霊的なことを知らないからです。この事件を解決しようと、神様がイエス様を送られたのですが、Iヨハネ3:8節を見れば、神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ち壊すためだとされています。だから、また賛美を回復するのです。神様には栄光です。そして、地ではどのようにせねばならないのでしょうか? 平和です。
・私は多くの宗教を研究してみました。悪霊とサタンを全部崇めるのですが、崇めないのは福音しかありません。‘悪魔のしわざを打ち壊すためです’この土地に、真の平和が臨むしかありません。説明はできません。 知識人がメッセージを多く聞いているでしょう? 知識人なのに、この部分を説明できません。聖書にだけ教えているので、聞くことができなかったのです。この時、私たちに真の平和が臨みます。私がこの前に説教したではないでしょうか? おかしな事故を起こす人々を見る時、 警察官は記憶すべきです。犯人を捕まえる時、いたずらに時間を浪費せずに、おかしな事件が起こったら、全部、霊的な問題がある人です。表面は正常でも、中はおかしな人々です。臥竜山に子どもを連れて行って、キリで頭を刺して殺した者がいたでしょう? 誰がそのようにするのでしょうか? 簡単です。だから、ほとんど霊的問題を持っている人々です。解決できないからです。これを大学で教えてくれることができません。これを政治圏で教えてくれることができないのです。教えてくれることができない内容です。実際にです。実際に見ると、霊的問題がきて、おかしな声が聞こえるのに、どのようにするのでしょうか? もし知識人があざ笑うかも知れなくても、皆様の子どもに、なにかおかしな考えがきて崩れるのは、どうすることもできないのです。年を重ねながら、なにか見えるということです。どのようにするのでしょうか? 実際に先祖供養をする日に、しなかったら問題がきました。そのような、あんなことが、しているのに 占いを訪ねたところ、ぴたっと占うのに、どのようにするのでしょうか? こういう事実をどのように説明するのでしょうか? 聖書にだけ答があります。とても驚くべきことです。そのどんな宗教も悪霊につかえて、終えることはありません。福音を見れば、本当に驚くべきことです。これが目に見えないように、あまりに文化的に、科学的に食い込んだゆえに、文化人であるほど、科学人であるほど、知らずにいるのです。あまりに実際的に食い込んだゆえに、知識人であるほど分かりません。本当に驚くべきことです。ここに私たちの青少年、レムナントがいますが、あなたがたがこの契約をよく悟らねばなりません。これが答になれば、神様に栄光で、地にはみこころにかなう人々の中に平和なのです。相当な祝福です。
・さて、今日の本文を見ながら、三番目に聖誕を迎えた人々と事件を一度見るべきです。2:1-7節 知っている事件でしょう。カイザル・アウグストが命令を下だしたのですが、戸籍を全部しにいきなさいということでした。カイザルという言葉は、ローマ皇帝の称号です。アウグストが、その人の名前です。カイザル・アウグストが、国民全員に、戸籍を新しくしなさいと言いました。すると、戸籍を新しくしようとするなら、故郷に行かなければならないのですが、問題はイスラエルの人々が、なぜ行かなければならないかということです。なんの話でしょうか? これ一つだけ見ても、分かるでしょう。イスラエルが国を失って、ローマに植民地になった最も危機の時に、神様がキリストを送ってくださったという事実です。イスラエルが、神様の民、神様の国ではないでしょうか? どうして失敗したのでしょうか? その時に、キリストを送られたのです。早く分かることがあるでしょう? どんなに立派な知識人、どんなに立派な人々が起きたとしても、解決できずにいて、このローマに植民地になりました。皆様、イスラエルを知らないでしょうか? 今までノーベル賞の 2/3以上を持って行った人々です。なぜ、その国が滅びるのかということです。理由を知らないのでしょうか? この時、キリストを送ったという事実です。今でも世界の経済を一手にみな握っている イスラエルではないでしょうか? なぜ、その国が滅びるのでしょうか? そして、今、なぜ霊的問題が来るのでしょうか? 簡単な答です。この時、キリストを送られたという事実です。あなたがたは記憶なさるべきです。また 2:8節を見ると、羊飼い達が、夜に羊の群れを守っていた時に、さっき私たちの長老が祈った通り、王に現れず、祭司長、預言者に現れてメシヤが来られることを説明せずに、なぜ羊飼いの人々にでしょうか。本当に驚くべきことです。すると、いやしくなければならないのでしょうか? そうではありません。それよりも恐ろしいことは、行ってみたら、王が生まれた現場です。12節に布にくるまって飼葉おけに寝ていることが、しるしだと言いました。これは何の話でしょうか? また重要です。羊飼いにメシヤが現れられたことを知らせたこともですが、イエス様を産まれるのに処女降誕、こういうことは私達が既に知っているのですが、場所がなくて、布にくるまって飼葉おけに寝ているのです。私はこれを見て、まさに王の中の王だと思いました。
・金大中大統領が任期を終えるようになるのですが、就任式をする時、招かれて行くのに、次の日に就任式すれば、私が就任式をする現場、前のホテルに寝ました。寝ていたのに、朝くらいになって電話がきました。電話を受けたら“お客さん、失礼ですが、起きましたか?”“どなたですか”と尋ねるので名前は話さなくて、起きたのかだけ尋ねました。起きたのですが、“どなたですか”と言ったら、“少しの間、失礼してもかまわないでしょうか? “誰なのか知っていてこそ、失礼しようが、なにをしようがということではないでしょうか? 誰なのですか?” といったところ、職員だと言います。職員ならば、なぜそのようにあいさつするのか? と言ったら、部屋をちょっと見たいのに、お客さんがいらっしゃるためだと言いました。分かったと言ったら、ちょっとしたら黒い洋服を着た背が高い人がきたのですが、この人が私が見たら職員ではありませんでした。“失礼するけれど、よくおやすみになりましたか?”というので、“そうだ” と言ったら、“起きられる時まで待ちました。”と言うので、もっと異常です。“あなたが、何で私が起きる時まで待ったのですか? 誰なのですか?なぜか?”と私も疑問が生じて、この人は異常だから、その人を部屋に入るようにせねばならないのか分からなかったのです。そうしたら、この人が笑いながら率直に話をしました。“一時間後に就任式をするために、就任式国会議事堂に面しているあらゆる門、窓をみな確認すべきなのです。それで、お客さんがそちらがわを見下ろす窓がある部屋にいらっしゃるので、おやすみになるのに邪魔になるかと思って、目をさまさせることができなくて待ったのです。今くらいならば、起きおられるかと電話をした”ということでした。分かりました。なんの話なのか “失礼します”と入って窓をみんな見て行きました。もし就任式をする時、銃を射つのではないかと、窓、ガラスみな確認したのでした。そのホテルと道は何 Km ならなかったからです。それで、時間になって行ったら、誰かが大統領就任式をする時、来なさいと言わないのに、外に人がそのようにたくさんきているのか入ることができない程でした。どれくらい人が多いのか、中に招かれた人でなく、外にそのように多かったのです。警護する人々と一緒に行かなければ、入っていくことができない程でした。その時、私がもしイエス様がこのように来られたら、普通の人が見ることができるでしょうか? あまりにも、神様が信仰があって、目があれば誰でも見ることができるのですが、そこにおかしな目で、高慢、計算、商売、こういうことを持っては見ることができない現場です。布にくるまって飼葉おけに寝ておられました。驚くべきことに 2:9-10節に、「すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」と言って、13-14節に「すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。」このメッセージを天使が伝えながら、神様を賛美したのです。今でも神様のみことばを聞く時には、(絶対に錯覚だとかおかしな話ではありません)あなたがたが、神様のみことばを正しく聞いて信じて受ける時、神様は目に見えない主の天使を送って、ご自分の働きを確かにしていらっしゃるのです。もし、こういう霊的な部分を信じないならば、教会に来る必要がなくて、理由がありません。なにをしようと、ここに座っているのでしょうか? この良い時間に外に出ず座っているのでしょうか。私達が、霊的な存在ではなくて、理由がないならば、神様のみことばと福音を受ける必要がありません。私が確信するのに、聖書をさまざま箇所を見れば、重要な時ごとに出てきます。御使い、天使、主の使い、同じ言葉です。主を賛美したとされています。まさにこの日がクリスマスの日です。それとともに、知らせを伝えました。これがクリスマスに関する話です。単純な聖書のみことばでなくて、今日、皆様個人にものすごく意味がある祝福の日にならなければなりません。
・本当にクリスマスは何でしょうか?意味だけ悟るならば、油を注がれた者ということを知るようになれば、あなたがたに答えが始まります。神様には栄光で、地には平和です。この話がものすごく重要な話です。この話が、皆様の家にみわざが起きねばならないのです。そして、今日、三番目に本文を見ましょう。一番、イスラエルが危機の時、それもあの羊飼いの前にそれも生まれたメシヤがまぶねに、ところが最も高貴な主の天使を通じてこの知らせが伝えられて、神様のみことばを伝えて、主を賛美しました。どれくらい意味が大きいでしょうか? 今日、全世界にいる弟子とキリストの弟子と衛星で礼拝する百箇所余りの教会と今日、皆様にこの祝福が、個人と家庭に必ずあることを希望します。
・すると、どのように、こういう部分を味わって、適用しなければならないのでしょうか。マタイ2章をみれば、その現場が記録されています。簡単な概要を説明してみます。東方から博士 3人が星を見て訪ねてきました。星を研究する博士なのかは知りませんが、特殊な星が浮かんだのです。時代的に相当な事が起きる時は、そのようなことがあります。おかしな星が浮かんだので、それが星であることが間違いないのか、星が動いたのです。それで、その星に博士達が付いてきたのでした。きたらその星がイエス様が生まれた所にとどまりました。そちらをさがそうとするなら、道を知らなければならないでしょう。それで王にまず話をしました。この町にキリストが生まれました。ところが、私達が道を探さなければなりません。それでたずねたら、王と祭司長がキリストがどこで生まれるのかと、むしろ反問しました。王は緊張して、私でなく、王が生まれたということか、それで乳児をたくさん殺すようになりました。このように博士達がきて、黄金、乳香、沒薬をささげて戻る時、王に報告しませんでした。王が何と言ったか、メシヤが生まれたようだが、行って場所を話してくれと言ったのですが、この人達が感づいて、王に報告をせずに、そのまま戻りました。こういう事件が記録に出てきます。今日あなたがたが見ると、聖誕に対する真の献身が出てきて、またここを見ると、真の敬拜が出てきています。ものすごく重要です。ここを見ると、この人達が、キリストが生まれると知って、星を見てついてきたのです。ついてきて、黄金、乳香、沒薬をささげて行きました。ところが、これがまた意味が大きいのです。黄金は何でしょうか? 黄金は王を象徴することです。乳香は何でしょうか? 乳香は香です。これは礼拝の時、いけにえを捧げる時、使うのです。そして沒薬です。沒薬は屍体に塗る特殊なものです。これを持ってきたのです。三個すべて高いものです。この三つの意味が大きいのです。偶然に持ってきたとしても、どれくらい意味が大きいでしょうか! イエス様は、王ではなく、王の中の王であり、皆様の問題を本当に解決できる王です。沒薬は何でしょうか。イエス様は、この地に霊的な問題を解決なさるために犠牲のいけにえとして、十字架を背負われました。相当な意味です。乳香は何でしょうか? 神様に行くことができる礼拝ささげる香りを話すのです。こういう意味あるものを持ってきました。それで、今日、皆様が本当に神様の祝福を受ける貴重な日にならなければなりません。東方から来た博士達のように、神様には無知な人々にだけくださったのではありません。本物の知恵ある東方から来た博士達にキリストを知らせ、また夜に羊を守っている羊飼いにキリストを知らせられました。クリスマスの意味は、とても大きくて、私達がしなければならないことと、知らなければならないことがあまりに多くあります。
・今日、この時間にみなできません。すぐに皆様に今日から神様の祝福が本当に始まる日にならなければなりません。聖誕の意味が何かを知っていればよいのです。油を注がれた者の日です。すると、私たちもこの祝福を受けることができます。それゆえにイエス様がいらっしゃったのです。2番目に、神様に栄光で、地には、みこころにかなう人々に平和です。皆様個人、皆様の家に真の問題が解決する秘密が何かということです。そして、今日、聖誕を迎えた人々です。ここに不思議に思う答がひとつあります。絶対に他の考えを持ってキリストの秘密はわかりません。
・私が国会議員がいらっしゃる時は、福音を伝えません。個人的に会った時、伝えるのですが、その方達がいらっしゃる時は伝えません。なぜならば、その方達がくる時は、あなたがたが全部、得票に見えるのです。それで、この方に福音を伝えて、受け入れたら、にせ物です。皆様の票を得るために受け入れたことが明らかです。にせ物です。ところが、この人が当選すれば、挨拶しようときます。その時も福音を伝えません。単純に、神様があなたを祝福なさったという程度だけ言います。なぜならば、この人が皆様を今は、得票で見ることがありません。当選したら、この町がみな自分のものに見えるのです。そこに福音を伝えられるでしょうか。イエス様が、なぜ羊飼いにいらっしゃったのでしょうか。無知な人々だけに来られたのではありません。東方から博士が尋ねてきました。これが意味が大きいのです。皆様が福音をどのように受けるのでしょうか。本当に事実にならないと受けることができません。何かしきりに嘘をつけば、受けられないでしょう。本当に幸福でしょうか。神様に会うべきです。皆様の家庭が本当に幸福でしょうか。神様に会うべきです。嘘を言わずに、本当に一度正してみるように願います。
・皆様、人生が本当に満足でしょうか。福音がなくてはなりません。人生が動物とは違います。パリサイ人は、ものすごく成功しました。国は死んでも、死ななくても、イスラエルがローマに植民地なろうが、ならなくても、パリサイ人というとすごいのです。その格好をずっと維持しなければならないのに、その人がどのように福音を受けるでしょうか。そちらに天使を神様が送られなかったのです。律法学者、祭司長というと、すばらしいのです。幼い時から皆様が読んだ本の10倍を読んで暗記しています。ものすごいのです。そうでなくては、律法学者になることができません。イスラエルは、特殊な国です。そしてヘロデ党というヘロデを中心で党がありました。こういう人々が成功しようと、あのローマまで追従してカイザル皇帝と手を結んでいるのに、そちらに福音が入っていくでしょうか。神様が本当に福音を持つことができる人に、福音と祝福を下さったのです。皆様が、東方の博士のように、いっそ夜に寝ることができないでいる羊飼いのように、この祝福を受けなければなりません。そして、皆様に新しい開始、油を注がれる祝福があらゆる皆様にあるようになることをイエスのお名前でお祈りします。今、この時間、この祝福が皆様にあることを信じてくださることを主の名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>神様に感謝申し上げます。今日、クリスマスを迎えて、聖誕の意味を考え、なぜ神様には栄光で、地では人々の中に平和だとなさって、また主が来られたクリスマスに、なぜ羊飼いにいらっしゃったかを私達がもう一度確認して、答えを受ける時間になるようにしてください。1年が過ぎて、新年を迎えますが、私たちの人生で最も重要な時刻表になるようにしてください。今日、答えを受ける祝福の時刻表になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン