(2003年 01月 19日インマヌエル教会/ 柳光洙 牧師)


 1部 / 悪い農夫のような教会
(マルコ12:1-12)
 
 
 
・今週は、私たちの大学生、中高等学生達の修練会がありました。核心の時もお話ししましたが、私たちの学生達がみことばを確かに受け取るのを見ながら、たくさん来ていたのですが、みことばを聞きながらこの学生達は変わるのだなということを発見するようになりました。私が今回、私たちの学生達に集会しながら宿題を一つ渡しました。全部の大学生、中高等学生達は、お金千円を準備して、占い師を訪ねて、そこで伝道してみるのですが、単に伝道するのではなく、吉凶を占ってみなさいと言いました。すぐ行けば分かるようになります。占い師でも、字を勉強してする占いをするにせ物は分かりません。しかし、神がかりの人々がいますが、その人々は、見た瞬間、すぐに分かるはずです。卦が出て来ないはずです。まちがいなく、いろいろな言葉を言うでしょう。皆様がイエスを信じる人だということを理解するでしょう。神様の子どもということを理解します。すべての運命、全てのものがみな終わったのです。知らないからです。それを一度体験してみなさいと言いました。そうしたところ、全羅道の核心を終わってから来て、イ・ビョンム牧師の娘達はすぐに行ったのです。行ったら、占い師がちんぷんかんぷんで、良い話だけ言ったと言いました。私の娘も以前、行ったところ、卦が出てきたと言いました。私がにせ物なので、卦が出てきたのだろうか、と言いました。私が、あなたか占い師の二人の中の片方がにせ物だと言いました。だから、その占い師がにせ物であると言ってあげました。
 
・あなたがたは、どれくらい多くの祝福を受けたのか分かりません。もし初めてイエスを信じる方がおられるならば、必ず参考にしなければなりません。信徒を見ないで、あなたがたが聖書をよく見ながら、福音を理解しなければなりません。すると、あなたがたは、絶対に滅びません。祈りの答えを受けることができないのではなく、すでに来ているのに他の道にいるためにのがすのです。必ず記憶しなければなりません。特に、初めて信じる方達は、この教会に来たのですが、教会には清潔な人々もいます。これは清潔な教会だなということではありません。教会にきて見れば、精神が少しおかしな人々もいます。ここは精神がおかしな教会だなというのが誤って悟ったことです。皆様に会った教役者や指導者の中に、律法主義者もいます。教会はこういう所なのだなと悟るのではないかと思って言うのです。聖書をよく見て、福音を知っていれば、絶対に滅びません。ここに多くの教役者と役員と古くからの信者がいます。特に注意しなければならない部分が、その部分です。もしかして、皆様の中に隠された霊的問題ゆえに苦しめられていないでしょうか。福音を理解すれば終わります。皆様が、いままで偶像崇拝を熱心にしてみたが解決できなかったことに、答を持っているのです。福音を正しく理解すれば終わります。皆様が宗教生活、教会生活をどんなにしても、良くなりません。福音を理解すれば終わります。
 
・今日の本文を理解できるでしょうか。今日、イエス様が言われた比喩を理解することができるでしょうか。簡単な例を上げます。皆様が会社を作ったのに、皆様の財産をみな捧げて会社を作ったのに、すこし外国に行っている間に、会社の幹部がチームを組んで、自分たちのものにして、重要なことはしないで悪いことをしています。それで、仕事が良くできる人を送ったところ、殺したのです。何名か送ったのに、みなそのようにしたのです。後ほどは、だめだと思って、この社長が時間がないために自分の息子を送りました。この人が社長の息子ですから、そのまま置いてはならない、会社を奪われないようにしようと、殺して葡萄畑に埋めてしまったのです。すると、あなたがたは、どのようにするでしょうか。血圧が500は上がるはずです。だから、主人がじっとしているでしょうか。力があるのに。人々を動員して、その人々を滅ぼしてしまって、新しくしないでしょうか。
 
・この話をわかるでしょうか。この話は、凄じい話です。教会を見てされた話です。預言者を送ったら、みな殺してしまい、イエス様を送ったら殺してしまったではないでしょうか。凄じい話です。ここであらゆる答をみな出すべきです。皆様は、絶対にだまされないで、聖書をよく見れば、福音を悟らないかぎり、ある日あなたがたが教会にきて、全てのものをみなしても、だめであることを知るようになるはずです。その時は、遅いのです。もし教会がそのようにさせるとすれば、悪い農夫のようだということです。今日の本文を理解することができるでしょうか。今日、この本文のみことばを多くの指導者が理解しなければなりません。すでにこれを理解できなければ、大変なことです。もしこの部分が分かって、信仰生活を正しくすれば、本当に答えを受けるようになっています。本当にそうです。特に、ここに初めて出てきた人は、むしろ理解がよくできるでしょう。教会に長く通う人が理解できないことがあるのです。牧師達がより理解できない場合があります。なぜなら、教会復興もさせなければ、行政もしなければ、これをしなければ、あれをしなければ、と言いながら、最も重要なことをのがすようになるのです。それで米国のある牧師がこういう話をしました。福音を静かに聞いて、牧師と伝道運動をしみたら、だめだったのです。小さな問題でいざこざになり、だめになります。福音はものすごいのに、実際にはだめです。その方が静かに見て、だめなようだが、なぜだめなのか。牧師ゆえにだめなのです。教会に長く通った人ゆえにだめなのです。この人が何と表現したかというと、牧師が福音を悟ることは、道で雷に打たれることと同じようだと言いました。皆様、道を行く時、雷に打たれる確率が何日か前にニュースに出ていました。むずかしいのです。イエス様のこの比喩が普通の比喩ではありません。教会を見て、皆様を見て、殺人者だと比喩を言われたのです。しもべを送ったら、しもべを殺してしまい、会社を占めようとするのに、静かに置いておくかということです。そのようにして滅びたのが、パリサイ教会で、カトリック教会です。皆様が、この話をわかるならば、信仰生活は簡単です。
 
・なぜこのように言われたのでしょうか。神様は、何をしようとなさって、教会を見てこのようにおっしゃったのでしょうか。神様は、人間の問題が何かを知っていらっしゃるために、それを解決しようとなさるのに、ここに関心がないということです。これを実際には、知りません。一度、ある重要な教会で、よく飾りつけもできていて、音楽も出てきて、絨毯もよく敷かれている、そのような教会でした。そこは、子どもは来ることができません。おとな達だけが礼拝をささげるようになっているのです。私が考えたのは、間違っていると思ったのです。子ども達が礼拝を捧げるようにしなければなりません。その教会に子どもが知らずに入りました。この子どもが、教会堂の中でびっくりして飛び上がりながら走り回ったのです。長老が見て、この子どもをどれくらい叱ったでしょうか。とても真っ青になったのでした。私は内心、子ども達は本来、飛び回るのに、大きい問題になる必要はないのに、なぜあのようにするのかと考えました。その話は、間違った話ではありません。子ども達が、教会にきて走ってはだめです。子ども達が教会にきて、乱すのはだめです。それを言うのですが、私の感じでは、そのようには受けませんでした。みな間違いない話ですが、 この方は本当に福音に対する感激より、他のところに感激があるということです。それが問題ではないでしょう。私は、韓国の教育もたくさん間違っていると考えます。試験を受けて、そばにいる人に尋ねたら、カンニングになります。問題を書いておいたのですが、女の人たちはストッキングの中に入れておいたのですが、試験を受ける時、取り出せばカンニングです。それが、私たちの教育が誤っていることです。それは、カンニングではありません。どれくらい知恵があるのでしょうか。出てくることをあらかじめ予想して書き留めたのを見ることと、私が知らないことを相手に尋ねてみることは違います。私の考えが正しいかどうか確認してみることは、カンニングではありません。このようにわが国の教育が遅れているのです。だから、私達が先進国について行くことができないのです。先進国は、オープンで本を見ることができて、そばの人と討論して、自分自身の考えを書きなさいと言います。それが先進国の教育です。私たちの教育は 4ケの中で答を書かなければなりません。選択の余地がないのです。4ケも分からなくて、そばの人に何番なのかと聞きます。それを見た先生は、カンニングしたというような偏狭な教育です。これで先進国について行けず、今、韓国に数多くの製品がありますが、みなロイヤリティーを渡して持ってきたのです。作り出すことができません。宗教もこれと同じです。子ども達がはさみで遊べば、父母は考えを変えなければなりません。その子どもは、はさみの作業だけするのではなく、工作をするのです。子ども達がちょっと大きくなれば、母親達の化粧品をみなひっくり返します。それが乱雑にするのではなく、子ども達が自ら作業をしているのです。それもしないなら、養老院に送らなければなりません。あまりにも誤った思想と教育です。一度、私の息子を見たら、子どもの時ですが、静かにしていたら問題です。おとなの話です。この子どもが、コールドクリームを取り出して、顔にすべてみな塗ったのです。そのようにして外に出たら、真っ黒になって通ったのですが、私がたいした奴だと言いました。妻は、私と考えが違うので、あれは問題だと怒りました。私が見た時、本当にたいした奴だと思いました。その化粧品一缶をみな塗ったのです。考えの差です。何が正しいのかは、神様がご存知であるはずです。
 
・信仰も同じです。とんでもないことを捕まえて、本物の福音は知りません。だからみな死ぬのです。それで、イエス様が悪いと比喩を言われて、しもべを送ったらしもべをみな殺して、息子を送ったら息子も殺して、これを静かに置いておくかということです。最後の話です。パリサイ人達に言われた言葉です。何の話でしょうか? 人は誰でしょうか?神様がなぜ、こういうものすごい事をなさるのでしょうか。皆様は、よく知らずにいますが、子ども達が母の腹の中に生まれてると、創世記3章とつながっているのです。間違いありません。それで、新しいいのちを受けなければならないのです。それは、学問的に生善説、生悪説、こういう話ではありません。アダム以後に生まれた子どもは、すべて創世記3章を持っています。それで、理由なくやられてしまうのです。それを原罪と言います。それで福音と新しいいのちを得なければならないのです。それで、どんなに幼い子どもでも、生まれるやいなやすぐ死ねば、救われていないのです。だから、福音を知らない人は、子どもが生まれてすぐ死んだら、罪も犯さなかったのだという話は、間違った言葉です。原罪を持って生まれるのです。それで原罪と言うのです。創世記3章と関係あるのですが、この子どもがおっぱいを飲んで寝ながら100% 父母の影響を受けます。この子どもが小学校に行けば、創世記3章が解決できない状態で、先生と両親の影響を受けるのです。既に人格形成が殆どできています。問題も潜在した状態で中学校に行くことになります。中高等学校に通いながら、全部嘘をつきます。確かに親の前で言う言葉は違っていて、一人でいる時も違っていて、友人に言うことも違って、先生に言う話も違います。父母に通じないから、違うように話すのです。このように生きていくしかありません。中高等学校の時が、最後の機会です。福音を正しく悟ることができなければ、大変な事になります。中高時代が最後です。おとななればおそいのです。既に生存競争で、食べて生きるために、全てのものを隠して、全てのものを欺いて走ります。生活があるから走るしかないのです。霊的問題にぶつかれば、その時は終わるのです。これを神様は救い出そうと、この深刻な問題を解決しようと、キリストを送られたのでした。
 
・今回、学生達に集会しながら話しました。絶対にだまされてはなりません。両親が勉強を良くしなさい、よくしなさいと言いますが、その話にもだまされないで。勉強がだめだったら、だいたいしたら良いのです。父母が息子に勉強しろと話す人は、勉強することができなかった人です。学校に通う時、勉強を良くした人は、そのような話をしません。勉強をどのようにすれば良くしているか知っていたら、そのような話はしません。そのような話をする人は、まちがいなく、学校に通った時、勉強ができなかった人です。だからだまされないで。 勉強も重要だけれど、人間が正しくならなければなりません。すると、あなた達は勝利すると言いました。それで、あなたは神様の子どもで、レムナントで、ビジョンを持った者だと話しました。今回、学生達がとても重要な集いをしました。私は、はっと驚いたのですが、三千名程が集まったのに、どれくらいみことばを確かに受け取っているか分かりません。私は驚きました。この学生達に希望があることを見ました。神様がどの養老院に希望を置かれるでしょうか。現在、希望があるのです。また学生達に話しました。すると、何なぜ生きなければならないのでしょうか。人々が何ゆえに滅ぼされているのかを知らずにいるので、それを知らせるために、勉強しましょう。神様の子どもが受けた祝福が何でしょうか?大部分のクリスチャンが知らずにいます。また、教会が知らなくさせています。それを知って、証拠するために勉強して成功しましょう。それが私達が生きる理由です。では、私たちはどのようにするのでしょうか。正しく祈りの奥義を悟って、準備しましょう。世の中に行けば、簡単ではないでしょう。揺れないで。学生達がたくさんいます。説教を聞いて外に出てみれば、がっかりする事が起きます。私が何もないと感じる時があります。チョン・チウのような子どもは、勉強を良くします。ここで恵まれて、学校に行けば、自分は小さく見え、世の中は大きく見えます。錯覚です。錯覚してはだめです。学生達は、そのように見ることがあります。そして、教会がなんで面白いでしょうか。毎日、礼拝は全く同じくささげて、順序も変わりません。柳光洙牧師の説教もただイエスだけだ、と明らかです。毎日福音の話で、他の見方をすれば、秩序もなくて、行政もないようです。毎度、福音、ただイエスというので聞くものがあるでしょうか。どんなに聞いても、ただイエスのみなのですが、外に行けば多様です。だまされないようにしましょう。悪い農夫にだまされるなということです。あなたがたが、年齢が50を越えて 60になっていけば耐えられることができなくなります。皆様の霊的問題がだれに行くのでしょうか。まちがいなく、潜在していた創世記3章の問題が、子どもに行って、皆様に現れるのです。長官になったとしても、他に方法がなくて、国会議員であっても、特別なことはありません。間違いありません。どれくらい驚くべきことでしょうか。このことのために、神様が救いのメッセージを送ってくださったのですが、違ったことをしているのです。悪い農夫です。皆様、教会が何かを知っているでしょうか。皆様、本当にこの契約を悟らなければなりません。悪い農夫のような教会になったということです。ユダヤ教です。特に、タルムード、シェマ、トーラー、伝統、制度など、すごいではないでしょうか。福音を知らなくさせて、結局は滅びるようになります。だから、どれくらい怖いでしょう。これに目覚めている人が多くいるでしょうか。
 
・米国で、伝道運動がおきるので私たちの教会にたくさん訪問してきました。来てみたら、明らかでしょう。教会堂もそうで、その時来てみたら、教会もなくて、35坪の地下にいた時です。教会に来てみたら、事務員、教役者に尋ねたそうです。事務員の釜山の人々は、語り口が明らかでありません。釜山の人々は、語り口が怒りがあるのような語り口です。昔からそうです。そうかと言って、釜山の道が清潔でしょうか。むさ苦しいのです。米国の道はすごいでしょう。それで、この人達がきて、試みに会いました。教会がなぜこうで、人々はなぜこのように魅力もなくて、柳牧師は何がそのように忙しいのか、私がきたのにあいさつもしないと、多くの傷を受けて帰った人々が多くいます。私が知っていることでは、50%を越えます。私は、残念だと見ています。それが問題ではありません。本当に、その人が霊的な目が開かれた人ならば、それが問題ではありません。本当に残念です。この本文がその話です。その人はとても立派だけれど、悪い農夫にならざるをえないのです。信徒に重要なことを与えることができません。だから見て下さい。ユダヤ人を見て悪い農夫だと比喩されたのですが、ユダヤ人はそうではありません。法律一つも破りません。それがユダヤ人です。法律は破りません。それでも、イエス様はなぜ悪い農夫だとおっしゃるのでしょうか。殺人者だと比喩されました。主人があなたを静かに置いておくだろうかと言われました。これは、普通の話ではありません。聖歌隊もして、教師もみなするのに、牧師もするのに、この部分がとても重要な部分なのですが、理解が良くできないのです。パリサイ人が理解しようとしたのですが、良くできないのです。全く同じように反復したのは、中世教会です。全く同じように反復して、現代教会にきました。
 
・こういう話が出てきています。代理宗教という言葉があります。代理医学という言葉が出てきたし、代理宗教という言葉が出てきました。代理医学は、いろいろな食べ物で病人を直そうという言葉で、代理宗教が出てきたのですが、深刻です。先週の週刊誌に出てきていました。代理宗教です。キリスト教と仏教では、今現在、人々に平安を与えることができないということです。なにか対策を立てなければならなくて、このままこのようにしていてはならないと書いていました。正しく見たと言える面もあります。それでまず精神世界史ということが出てきたのですが、その会社では私を何というか知りませんが、ニューエイジ運動と関係した団体です。そこで作り出したのが、精神、ヨガ、瞑想を作り出しながら人に平安を与えるらしいのです。それとともに、チュンサン教、ウォンブル教と手を取合って、国産徒、檀君が手を結んで、強大な力を発揮しています。今、こういう状態がきました。福音を知る人は簡単なのですが、福音を知らない人は対策がないのです。神様が教会に向かって悪い農夫と言われました。なぜならば、農作業はしなくて、違ったことばかりをするためです。その上に、福音を言う人は異端にして殺します。悪い農夫だと。預言者をみんな殺して、その上に主人がきたのに、その息子が来たら、殺してしまったのです。理解できるでしょうか。今日、この本文はとても深刻な本文であるゆえに、私がとても深刻に話します。あなたがたも深刻に聞かならなければなりません。聞くことができなければ、信仰生活が大変なことになります。
 
・2003年 1月23日、週間韓国1956号に出てきています。政権交替時、入試の時期、人事異動の時期になれば、一番はやるのが易、シャーマニズムの家だと出てきていました。腕がいい家には、それと関係なく門前で並んでいます。その本に記録されていることを話しているのです。高学歴者が占いを職業に希望しています。なぜなら高所得であるためです。政治家関係、高位職の奥様が易、シャーマニズムの家に総出動しています。黄金の卵を産む占い産業という内容が出ていました。以前にはミアリ山にあった占い師の家が胛鴎亭洞(新宿のような所)に移って大きく盛況になっているのですが、今、ノートパソコンを下げた新世代が占いをしているということです。この頃はノートパソコンをたたきながらしているということです。不況を知らない占いとしながら広がるのですが、学校まで出てきて、ソウルにだけで昨年に毎年三万名ずつ卒業をして、易、シャーマニズムの指導者として占いの家を作るのです。韓国が大変なことになりました。なぜ行くのでしょうか。平安がないので、それを得に行くらしいのです。本当に残念です。堂々と米国公営放送で、ニューエイジ運動する人が出てきて、キリスト教は私たちの相手にならないから、意識する必要がないと話しました。堂々と話したのです。だから見てください。私達が正しい福音を伝えなければならないのに、違ったことに関心があるので、人の霊的な問題が解決しないのです。本当に残念です。神様が何とおっしゃったのでしょうか。悪い農夫だと。自分も滅びて、他の人も滅ぼすからです。今日、皆様、ここにいらっしゃった方達は、本当に祝福の日になるように願います。あなたがたが勉強しようとここに来たのでしょうか。そうではないでしょう。私が皆様に勉強をさせることができるでしょうか? 皆様がここに良い話を聞きに来たのでしょうか? 私が何か良い話をするでしょうか。
 
・皆様、ここになぜ来たのでしょうか。簡単です。本当にこの重要なことを得なければなりません。それで、3つの主題は、確かに持っていなければなりません。私は運命の中に引っ掛かって死んでいく未信者ではありません。私はだれでしょうか。神様の子どもです。神様が、私達が救われることができないということをご存知で、イエス様を送られて、私たちに救いの門を開けてくださいました。絶対にだまされないで、契約を捕まえなければなりません。私はだれでしょうか。神様の子どもです。2番目が何でしょうか?私がなぜ生きなければならないのでしょうか。この光は宣べ伝えるためです。どのように生きれば良いのでしょうか。今は、神様とともにこの奥義を味わいながら、この福音の中に生きれば、まちがいなく成功します。私が今回、本当に切実に私たちの学生達 2,700人を集めて、この主題3つを話しました。私はだれでしょうか。忘れてはだめです。私がなぜ勉強しなければならないのでしょうか。忘れはだめです。私はどのようにすべきでしょうか。世の中は、そんなに簡単ではありません。世の中は、そんなに簡単ではなくて問題がくるはずです。揺れてはなりません。正答を探す道です。葛藤が来るはずです。変な人がいろいろいます。更新する機会としましょう。もし危機がくるならば、奇跡の機会です。私たちの学生達にしたお願いです。私たちの基準は、全てのものを受け入れようということです。私たちの水準は何でしょうか?乗り越えなさいということです。なぜでしょうか?あまりに重要なためです。今日の本文のみことばを見ましょう。だまされてはなりません。もしかしたら、皆様が永らく信仰生活をしたのに、皆様の心の中に聖書的な答が出てこなかった方がいるでしょう。なぜでしょうか?あまりにも簡単な所に答があるのです。福音ではなく、違ったことを知っていたり、関心があるからです。
 
・今日、長老が祈った通り、滅びる者には十字架のことばは愚かに見えるはずです。特別なことはないように見えるはずです。まちがいなく滅びる人です。救われた私たちには、神様の力になるのです。間違いありません。すると、皆様これが残念な部分です。教会に行ったところ、乞食がきて座っています。乞食みたいな人が座って、おかしな行動をするのです。すると、福音がない人々は、どのように悟るかというと、教会が本当に異常だな、乞食が来る教会だな。私が誤って来たなあ。乞食教会ではないか。イエスを信じる人々の中にこういう人々がいるのではないでしょうか。しかし、福音を知る人ならば、福音を重要に見る人ならば、そのように見ないで反対に見るはずです。このかわいそうな人が教会に来たなあ。本当に幸いだというはずです。この人が、どこに行き場があるでしょうか。もし主が再臨して来られたら、この人に行かれるのではないでしょうか。主が再臨してこられたら、胛鴎亭洞(新宿のような所)に行かれるでしょうか。主が再臨していらっしゃる時、NASAを訪問なさるでしょうか。そうではありません。こういう人のところに行って祈られるのではないかと悟れるはずです。これが問題です。この悟りが問題です。皆様の考えが全部すべてです。絶対、皆様の未来を左右します。本当に残念です。悪い農夫ゆえに、全世界の占いがおきて、この悪い農夫ゆえに易、シャーマニズム人がいちばん優れていて、この悪い農夫ゆえに、教会が必要なくなりました。本当に残念なことです。
 
・皆様、本当に福音の祝福を味わうことは、勝手に成ることではありません。しかし、本当に悟る恵みを受けるように祈らなければなりません。この後に、その次のことをしなければならないのです。すると、すべての門がみな開きます。皆様がこの奥義を理解するならば、私は誰であり、なぜ生きていて、どのように生きるべきかという答が出てきたとすれば、事業も変わるはずです。皆様、この基準を持っているならば、勉強も確かに変わるはずです。神様は答えを下さるはずです。私は足りないけれど、このみことばを悟った後、体験したことが多くあります。それならば、皆様はもっと多いでしょう。私のような者がこの程度に少し悟ったとすれば、今のレムナント、福音を持った学生達は、これからどれくらい多くの悟るでしょうか。驚くべきことです。それで、皆様の中にある真の関心が何かがものすごく重要です。知っていることとは関係ありません。皆様が死ぬ時になれば、多くの中のものが出てきます。それが皆様です。今まで、学校に行って講義して、演説したのは、皆様ではありません。皆様が人前で話すべきだと話してきたことではなく、皆様も知らないで、出てくるその話が皆様自身です。これがどれくらい重要でしょうか。それで、私はこれを見る時、本当に残念だと考えます。すぐ終わることなのに。救われたということは、一つや二つの祝福ではありません。あなたがたが、運命からは抜け出しました。未信者は、どんなに立派でも、その人々は運命に引っ掛かっています。それで吉凶を占わなければならないのです。私たちは、それで終わってしまいました。ところが、何ゆえに度々縛られて生きるのかということです。考えに縛られているのです。
 
・学生達の修練会をしてみたら、中高等の学生達が私に一番たくさん質問することが、祈りが良くできないということです。中高等の学生達であるゆえに、真実に話したのです。大学生の集会をしてみたら、そのような話をしません。では大学生は、祈りがよくできているかというならば、そうではありません。牧師の修練会をしてみたら牧師で '私は祈りが良くできないです'と書いた人は一名もいません。中高等の学生達は純真で善良だから、書きます。それで今回、説明をしてあげました。祈りは特別なことではありません。みことばを正しく悟ることから祈りが始まるのです。みことばを正しく悟ることは、普通の秘密ではありません。福音を正しく悟って考えるということは、普通の祝福ではないのです。それから祈りです。今日、みことばを聞いて、本当に黙想することが祈りです。ピリピ4:7に「すべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いを守って下さる」とあります。祈りの答えの最初が考えです。
 
・神様が今、世界教会が、ニューエイジ運動と易、シャーマニズム運動が非難が受けているこの時に、神様がインマヌエル教会を立てて、私たちタラッパンで福音を伝える主のしもべを呼ばれました。ここに今日、皆様が礼拝をささげていらっしゃいます。ではどうでしょうか。それを悟ることが祈りです。誰か人が理解することができるでしょうか。私は、はじめに金曜日まで集会をして、土曜日に夜明けに起きなければなりません。夜明けに起きて、一日中して家に帰れば夜です。昨日は夜にこちらにきましたが、釜山へ行くこともあります。ある時は、することが嫌な時があります。土曜日の午後は休みたいなという考えに頻繁になります。あまりに疲れているからです。服もめんどうで脱ぐことができない時があります。ところが、私がどのように力を得るのでしょうか。そうではない、地球が生まれて初めて、韓国で初めてキリスト教 100年ぶりに初めて伝道という単語を置いて、誰が来なさいと告げることもないのに、毎週集まるのです。本当に福音の人々は集まります。ずっと集まるのです。ここに私が清掃しにきても感謝するはずなのに、講義しにいくということです。これを悟ることが祈りです。皆様が偶像の家庭に生まれれば、どうなりますか。皆様が悪霊につかれた家庭の子どもとして生まれたら、どうでしょうか。皆様が霊的問題があって苦しめられれば、どのようにするでしょうか。私達が福音を受けた人として、この場に座ったのことに、どれくらい感謝しているでしょうか。これを悟ることが祈りです。いつでも瞬間に悟ることが祈りです。これが続けば、みことばを黙想するということが、相当になります。皆様、学生達が全く祈らなくても良いのです。
 
・今日説教を聞いて、正しく考えるだけでも、それが祈りです。それが続けば、答えがきます。どんな答えがくるかというと、祈りの課題が明らかになります。私がこれゆえに生きるべきだなと出てきて、その時から、定刻の祈りが可能になります。定刻の祈りをしていれば、どんな発見がくるかというと、行く所々にこんなにも正確に答えがきているかわからないほどです。その時から、常時祈りが可能です。その祈りを続けていれば、間違いありません。皆様が持っているタラントが、どんなになくても、時代的な答えと連結します。ダビデを見てみましょう。石を投げることをしました。こういう味を知ることができずにパリサイ人達が生きているので、これが悪い農夫の役割しかできないのです。こういう福音の味を知らなくて事業をしようとするので、自分の力でしなければならないのです。自分の力でするので限界がきます。未信者と全く同じ水準なのに、どのように未信者を勝てるでしょうか。このようになります。
 
・すると、特別祈りはいつするのでしょうか。特別なことがある時になせば良いのです。皆様、絶対に難しくありません。今日、この席に座った皆様が、みことばを聞いて、私の話を聞かずに、聖書をよく聞いてみながら考えを正しくすることが祈りです。それを違うように知っているのに、断食をすればどうなるでしょう。お腹だけがペコペコです。間違った考えを持って、どんなに断食祈りをしても、それはお腹だけが空腹なのです。正しい考えをしてこそ、正しい答えを受けます。私が失敗をしたとしても、正しく悟ってこそ、正しい答えを受けるのです。あなたがたが、たとえ失敗した場にいるとしても、正しい悟りを持ってこそ、正しい答えを受けます。特により重要なことは、福音を悟らなければならないのです。福音を悟ることができなければ、みな壊すのです。皆様がこの契約を悟る時、どんな答えが最後にくるかというならば、皆様も知らない間にあらゆる問題がなくなってしまいます。
 
・何週か前に私たちの教会の学生の中で、賞をたくさん受けた学生がいます。これから、多くの証拠がある証人になるはずです。私に尋ねてこう話しました。私に本一冊を推薦してくれと言いました。率直に話して、 推薦するほどの本がないと言いました。とんどすべてが嘘であるためです。ところが、この頃の本の中に 'ジャック・ウェルチ'という本があるのですが、気を付けて読みなさいと言いました。嘘が多いから、気を付けて読んで、その人は今、滅んで、家もみな崩れたから、参考にしなさいと言いました。正しい話なのですが、嘘がたいそう多いのです。いままで一番正しい話は、証ししたひとりがアントチェオプです。アントチェオプという人がノーベル文学賞を受けて、記者達がどのように大きい人物になって成功したのかとたずねたら、知らないと寝て起きたところ、そのようになったと答えたということです。単に文を書いたのに、寝て起きたところ賞を与えると言われたのでした。寝て起きたら、私が有名だったと言いました。地球上で一番正しい証しをしたと思います。残りはみな嘘です。本はちょっと売れるかも知れませんが、みな嘘です。だまされるのです。絶対に、私たちのレムナントやあなたがたは、滅びません。神様の子どもです。運命が変わりました。だから、占いの家に行ってみなさいと言うのです。宿題を出してあげたのですが、占いにいけばすぐ理解します。占い師が見る瞬間、皆様を理解するのです。神様の子どもです。すべての運命から解放されました。途方もない祝福を受けたのに、これをみなのがしているので、どのようになるでしょうか。もし例えて考えてみましょう。私が福音が全くなく説教を続けているならば、これが悪い農夫です。例えば、福音でもないことをずっと強調するならば、それで皆様が滅びるようになるならば、それが悪い農夫です。
 
・例えば、福音を正確に言ってあげなければならないのに、プログラムをおもしろくさせて、惑わせて、あなたがたが福音をのがすようになって、人生が終わる時には滅びるようにさせるならば、それが悪い農夫です。学生達が、教会に出てきて福音を正しく知って、神様を正しく知るようにさせなければならないのに、多くのプログラムでおもしろくさせて、惑わして知らなくさせたとすれば、これが悪い農夫です。私が学生達にそのような比喩を言いました。ある学生が、学校に行くのが嫌いで、出てきてかばんを持って海雲台へ行きました。海雲台に行ったら、海辺もとても良くて、遠くを見ると女学生がひとりがきていて、どれくらい美しく見えたか、この学生が話かけました。話が通じて二人で手を取合って通いながら遊んだのです。学校に行かなくて、退学させられました。それで、高等学校も卒業出来なかったのです。大学には行けないでしょう。卒業の可能性もなくなったのです。頭が完全に狂ったのです。最後に海雲台が無かったら良かったのにと言えば、話になるでしょうか。なぜその時、たまたまその女学生が出てきていたのかと言うと、それが話になるでしょうか。話にならないことです。あまりにも面白い事が多くて、福音をみなのがしたのです。 あまりにも海雲台が美しくて、自分の身分をのがしたのです。あまりにも通り過ぎた女学生が美しくて自分の身分をのがしたのです。そのように、あまりにもすることが多くて、福音をみなのがしたのでした。たぶんわかることが難しいでしょう。
・長く信じた人々は、わかることが難しいのです。特に牧師達が、理解が良くできないのです。すぐに私が講義する時、主のしもべと宣教師が何を喜ぶのか分かります。資料をぱっとだせば、目がまん丸になります。 しかし、本当に福音ならばなると話せば目を眠い目になります。本当に福音ならばできます。本当に福音のために生きなければならない、神様が生きておられるのではないかと話せば、ほとんどみなうとうとしています。創世記に何が出てきて、秘訣があると話せば目がピカピカするのですが、それがピカピカすることではありません。それは間違った目です。福音の中でピカピカしてこそ、生きている目です。本当に残念です。皆様、本当に祝福を受けてくださることを願います。悪い農夫にだまされないようにしましょう。私たちのレムナントに頼みます。絶対に心配しないように。あなたがたがひとつだけ開発しても、これから成功します。むかし式ではありません。先生達がたびたびむかしのことを学んで話すことはやめましょう。子ども達は、今そのような時代に生きているのではありません。むかしには、平均的にみなよくできてこそ成功したのですが、いまはそのような時代ではないのです。ひとつだけ良くしても成功します。例えば、作曲だけ良くしても成功します。これからの時代は、そうです。発展した社会であるほど、先進国であるほど、そうです。だから心配するなということです。韓国で勉強が良くできなければ、外国に行けば良いのです。心配しないで。何を心配することがあるでしょうか。神様の子どもです。特に、私たちの学生達、レムナント、神様のヴィジョンを持った者は、揺れないで。どれくらい違った話が多いでしょうか。悪い農夫が多いでしょうか。人々、子ども達を惑わしていないでしょうか。私たちの学生達は、絶対にだまされないようにしましょう。聖書のみことばを見なさいということです。新しく出てこられた方達は、だまされないで。悪い農夫にだまされず、試みに会わないようにということです。みことばを見て、神様を見上げなさいということです。私は神様の子どもです。私が神様の子どもらしく生きるために努力するのです。それ以外のことはありません。今日、皆様がこのみことばを聞いて、皆様個人と家庭と国のすべての霊的問題が解決する祝福の日になることをイエス様のお名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様、悪い農夫のような教会が多くて、全部、間違ったことを話して、生きることは話さなくて、したがっていのちを失って、多くの信者がさまようなかで、韓国は易、シャーマニズム国家になりました。これから代理宗教ということがおきて、今現在、宗教では出来ないと主張する理論で、大学生を掌握しています。神様の子どもなった祝福を回復するようにしてください。神様の子どもなった霊的な目が開かれるようにしてください。神様の子どもとなった秘密を悟る霊的な目を開いて、滅びないように主の民に神様の祝福を与えて下さい。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2部 / 主の山に登る者
(詩24:1〜7)
 
 
 
・ 6.25(1950年朝鮮戦争)以後に、孤児が多くて、ある人が孤児院を作って、幼い子ども達を助けることが願いでした。その人の祈りの中で、そのようにしました。ところが、その人は、勉強を熱心にして、長官になって、長官になって行く所ごとに簡単に孤児院を立てることができたのです。私たちは、しばしばお金が多ければ殆どできると考えます。私は、そうではないと思います。立場とうつわがまずできれば、ついてくるのです。それにならないのにすれば、困難が迫ってきます。困難が迫れば、解決しなくて時間がたくさんかかります。ある場合は、一生かかることがあります。信仰生活をする人々が最も重要なことは、ダビデは主の山に登る者と話しました。詩的な表現ですが、私たちに重要です。学生達とすべての人々に重要な準備です。どのように教会を復興させて、世の中で成功するかという実際的な答えをダビデが話したのです。主の山に登る者と、具体的に見ることができます。
 
・聖書の光景を見るようになれば、創世記 6章とそれ以後を見るようになれば、危機、困難の中でノアという人が、神様の恵みを受けて、神様とともに歩んだとされています。山で船を作ったのです。山ということが、実際的な相当な意味があります。神様がアブラハムを見て、父の家を離れて、指示した地へ行けとおっしゃったし、アブラハムは衣食住の問題と息子がいない弱点によって揺れました。神様は重要な約束を持って呼ばれたのですが、アブラハムは衣食住と息子に対して心配するようになりました。アブラハムは、神様のみことばがよく信じられなかったのです。それで、アブラハムには、最初は知らない困難が迫りました。 できない困難が迫ったのです。神様のみことばとは反対になる部分が迫りました。それで、アブラハムは決断を下して、おいに財産を与えて独立させたのです。その後に樫の木の下で祭壇を作りました。これはアブラハムにとって主の山だったのです。漠然な祈りではなく、アブラハムが全てのものを悟った後になされたのでした。後ほど自分の息子イサクを神様にささげる時も、モリヤの山でしたし、山ということは実際的に意味もありますが、色々な意味があるのです。どんなに契約を持って生きても、レムナントなのにも答えがなくて、本当に契約の民で、神様の民なのにも答えがなく、時間が経つほどより一層困難が来て、年を取ってこれ以上出来なくなった人がモーセです。そのモーセが、神様の恵みを受けました。第2の人生が開始したのですが、そちらがホレブ山です。山がものすごく重要です。ダビデは、主の山と言いましたが、私たちの信仰の転換点と水準を意味することであり、この祝福を事実通りに受けなければならないのです。悪い王が起きれば、悪い臣下が生まれて、その中で自然に偽りの預言者が登場します。悪い王と悪い臣下に、偽りの預言者。こういう時代には、預言者は異端にされることで、エリヤは異端になりました。八百五十名の偽りの預言者は、王とともにエリヤを殺そうとしたし、神様の力を見せてあげたのですが、イゼベルは自らの神の前にエリヤが死ぬ前には、何にも食べないと言いました。それで、エリヤは力が失ってしまったのです。しかし、神様はエリヤに力をくださって、そしてエリヤを四十日、夜昼で歩くようにさせられ、そのようにして、エリヤの人生の転換点を成し遂げるイスラエルを完全に変化させる答えを受けたのですが、そこがホレブ山でした。イエスが弟子を呼んで、一番はじめに山上の垂訓マタイの福音書 5章〜7章を言われたのですが、山が八福山、8種類の幸いを話されたというので八福山です。そして、イエス様は、弟子を訓練させるために頻繁に上がられまた山がオリーブ山で、イエス様が最後にあらゆる働きを完成なさった所は、カルバリ山です。
 
・山は相当な意味があります。考えるなかでダビデのように祝福を受けなければなりません。主の山に登る 者に、神様の本当の祝福を受ける者という意味です。 '私はなぜこうなのか'とか、こういう考えでも力が出る時、色々な事がありえます。しかし、ダビデの主の山に登る者という話は、神様の本当に恵みを受けたということです。動物は受けることができなくて、人々が受けることができることです。
 
・生まれたのが6.25(1950年朝鮮戦争)で、幼い頃に 4.19(学生のデモ)が起きましたし、中学校の時、ケネディ大統領が死にましたし、知らず知らずに困難の中に生きてきました。そして、米国の多くの救済用品で生きて、その中で生きながら、習ったこともなく、知っていることもなかったのです。ところが、神様を知りながら祝福を受けました。それで福音を率直に話すしかないのです。ダビデは、その話でした。主の山に登る者。山に関連した比喩が関係するはずで、神様の祝福を本当に受ける、神様が生きておられることが確かならば、救われなければならないことであり、祝福を受けなければならないのです。神様がいのちを治めておられることが確かならば、そのようにすべきです。
・ある医者に伝道したことがありました。この人は、伝道に入っていった私たちに、気分が良くない表情をしたし、そちらの信徒の中のひとりが入院をして、伝道をすることが気分が良くないと表現しました。それで医者に地獄があるかと尋ねました。 "地獄がないのでなければ、あるのではないでしょうか?" と尋ねました。しかし、万一なければ良いのですが、あるならばどうなのかという話に医者は悩みました。また万一、神様がなければ幸いなのか分かりませんが、本当におられるならば、あなたは神様を知らないのです。すると、最も深刻な問題であるのです。医者は正しいということを知っていました。神様がないならば、勝手に生きる途中で自分の思い通り行動するはずですが、神様は私たちのいのちとたましいをすべて治めておられるのに、それがないなら、勝手に生まれて勝手に生きて行って、春に生まれて、秋にりんごだけ食べて亡くなるというように勝手にできることではありません。この話に医者は心の扉を開いたので、次にきてくれと言ったので、そのようにするようにしました。
 
・教会にくる前に、庭がある家に住んだのですが、私は犬が嫌いです。騒々しくて、毛も飛ばして家も汚れるし、私は嫌うのに、私の家の子ども達と妻は犬が好きです。それで、犬何頭かを育てるのに、どれくらい騒々しいか、それも知らずに信徒達が犬をどんどん持ってきました。六頭にもなりました。すこしあとで、また子を産んだのです。十一匹になりました。家に入っていくのに完全に犬だらけでした。一匹がほえれば、十匹がウーとほえたのです。最後に私が祈りをしました。犬をみななくなるようにしてくれと。入っていけば、どれくらい騒々しいか、ところがうちの子ども達は、犬がどれくらい好きなのか分かりません。この犬達が、どれだけ利口か、私の娘が犬が本当に好きだということを理解しています。足音だけ聞いても、私の娘なのか知って、犬十一匹か、十二匹かも非常に多くて分からなかったのですが、みんな出てきます。しかし、この犬達が、私の足音を知って、私が入っていけば、全部、犬小屋に入っていくのです。こういうことだけ見ても、犬がどれくらい利口でしょうか? 一回は、区域礼拝に行くのに、犬一匹がついてきました。人の家に入っていくので、犬は入っていくことができなくないでしょう。犬を忘れてしまって、私たちは知らずにいました。二日か三日ぶりに捜し出したのでした。私ははじめて犬を撫でてあげました。たいしたものです。どのように家に帰ってきたのでしょうか。私がなぜ犬の話をするかというと、一回も犬は礼拝をささげたことがありませんでした。礼拝をささげる必要もありません。イエス様が、犬ゆえに十字架を背負われたのではありません。人間の重要な価値が何でしょうか? '神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。' それでダビデが話した主の山に登る者という話は、とても重要な話なのです。救われた人の最高の祝福の水準です。私たちの学生達がどこに立れば成功するのでしょうか? 主の山です。どれくらい大きい祝福でしょうか? 信仰生活の最高の水準です。ダビデの信仰を告白するのです。自分の信仰の告白です。今年、本当にあなたがたが主の山に登る祝福があるようになることを希望します。
 
・神様の大きい答えの祝福の水準に入っていったということです。何か違うのです。今回の光州集会で言いましたが、ある者とない者は違います。神様の恵みを受けた者と、受けなかった者は、確かに違うのです。お金も持っている者と、持っていない者は確かに違います。実力もある人とない人は違います。全く同じわけがありません。今回、牧師達を呼んで話しました。持っている者と、持っていない者は、差が大きいのです。私たちタラッパンには、明らかな内容と戦略が用意されているために、人を探す目が違うのです。私たちは、実力を持った人は探しません。この福音を維持できる人を探します。そうではないでしょうか? 実力家がなにをするから必要なのでしょうか? なんの効果もありません。この福音を維持できる世界福音できる人を探します。私は行政家を探しません。この福音を伝達できる人を探すのです。行政家が、私に対して何をするから必要なのでしょうか? 必要ありません。私はお金を持った人を必要としません。私は、ご飯を食べることができます。私はこの福音を維持できる人が必要です。ダビデは何を持っていたのでしょうか? 神様の驚くべき奥義を持っていました。これを持っているからこそ、次のことが変わるようになっています。 2003年度、この祝福をすべて受けるようになることを希望します。本当にこの祝福を受ける皆様になることを希望します。
 
・今回の金曜日、感謝なことに、神様が私たちをどれくらい祝福なさったのか、連続して答えがきました。今回の学生集会を見たでしょうか? 約3000人が来ました。私は内心 'ものすごくうるさいのじゃないかな' と思いました。学生達は説教を聞きません。外で歩き回る学生達も多いのです。私はそれを想像したのです。実際に大学生を説教する時が最も楽です。話がわかるからです。大学生は話がわかります。一番難しい説教が、中・高等学生の説教です。説教がわかることができません。それで、私なりに説教の準備はしたのですが、子どもになんの話をするか? なんの話をして心を開けるか? 子どもの水準の話を考えてみて、そのようにします。それが間違いでした。行ってみたら、2700人が静かに座っていたのです。大学生達より、みことばをもっとよく聞いていました。前の席に座って、明け方4時から待っていました。ご飯を食べなくて待っていました。中・高等学生達のそれを見て、学生達がなにか変わったなと思いました。
 
・昨年、神様が意外に私たちはじっとしているのに、相手方が私たちに話をしたのです。全国で教会とあらゆる宗教集団の中で、自分たちの訓練院にきて、一番たくさん集まって、よく集まった団体がタラッパンでした。それで、私たちの訓練院を買ってくれないだろうかと尋ねてきたのです。良いいくらか? 45億ウォンです。私達が 45億ウォンを置いて、一週間くらい買おうか祈りし始めました。完壁に処理しました。それを見れば、人々が見る時には粗雑で普通に見ることができるけれど、たいしたものです。その期間に宣教大会が開かれました。その時、委員長がきて私に何度も言いました。メッセージの時、言ってくださるべきです。建物を買ったのに、宣教献金を誰もしないし、しそうもないとと言ったのですが、それで私が神様のみこころなのになぜだめなのか? と言ったのです。そうであるのに、一週間後に全国から私たちの教会を含めて 5億 5千が集められたのです。それで、宣教大会を十分にしました。IMFがきた後から、宣教大会をする教団は、私たちの教団しかありません。お金がなくて出来ずにいます。私がそれを見て、本当に驚きました。そのようなことを見て、祝福だと話をする訳には行かないのですが、福音と関係あるということが、どれくらい大きい祝福でしょうか? どんなにお金が多くても、福音と関係ないならば、何の祝福があるのでしょうか? さる金曜日、私たちは考えもしなかったのに、神様が祝福なさって、私たちの総会、協会センターが生まれました。それも、とても良い場所に、考えることもできないことです。それで、入居礼拝をささげたでしょう? その時、重要な牧師達がいらっしゃって、私がお言葉を申し上げました。私たちは、確かに伝道する戦略を持っています。そして、私たちは、世界宣教する戦略を持っているのです。これは私達が話したことではありません。ベトナム、イスラム圏、中国に行ったところ、タラッパン戦略が確かに正しいと言われます。そのようなことです。これは普通のことではありません。世界宣教の戦略を持っているのです。もうひとつ、教団の問題解くことも簡単です。戦う必要がありません。じっとしていれば良いのです。私たちのタラッパン総会で約1000教会、2000教会になれば、それを持って対話すればよいのです。世の中のことでするのではありません。今、相手側で、私たち間違ったことを新聞に出したではないでしょうか? それでも、ある人は機会だと考えましょうと言いますが、する必要はありません。そちらがわでも、タラッパンを誤って決定したと、字が出てきているでしょう? それを根拠にして告発しようと言います。そのような必要はありません。私たちは、そのようなもので戦うことはありません。いくらでもあります。私たちの教団が1000教会 2000教会 3000教会になれば、静かに対話できます。この時まで、この方達が全部、嘘を言ったこと、資料をみな持って行って解きましょう。これが全部嘘ではないでしょうか? 自分たちも皆知っているのに、もし解かなければ、私達が 3000教会 2000教会です。私たちも決議します。偽教団だと決議して、善良な民が惑わされないように決議して、全国、世界に広告すると話せば、何と話すでしょうか? 静かに手を取合って伝道しましょう。解かなければならないでしょうか? 私がそのような資料を全部持っています。戦う必要はありません。私達が正しい教団で、大きいでしょうか? 大きくなるか、ならないかが問題です。これから、私たちの教会が釜山で一番大きくて、国家で一番認める教会ならば、誰が何と話すでしょうか? それを持って話すことであって、口で戦う必要がありません。
 
・先週に「週間韓国」という雑誌があります。そこに週間韓国が文をよく書いています。いままで見たことの中で、先週に何をのせたかというと、代理宗教という話をのせました。今現在、キリスト教と仏教が役割を正しくできないために、代理宗教ということが出てきました。これが今、檀君、タンハ、コクソンド、精神世界史, ニューエイジ運動がいっしょになったのです。この上にチュンサン教、ウォンブル教、本当に驚くべきことです。代理宗教という単語を使用したのです。それで、私達が今、話している五つの目標、レムナント運動、エリート運動、産業宣教、いやし産業、文化の働き。これが全部、そこに対する答です。私たちは、そこに対する戦略を持っているのです。これから、文化の働きに相当な祝福を与えられるでしょう。牧師を集めて話をしました。
 
・皆様が、神様の恵みを受けて、祝福を受ける重要な秘密です。主の山に登る者はだれでしょうか? 今日、ここに出てきました。最初、誰が主の山に登るのでしょうか? 真の答えを受けて祝福され人はだれでしょうか? 1,2節です。'地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。まことに主は、海に地の基を据え、また、もろもろの川の上に、それを築き上げられた。' これはなんの話でもないように聞こえても、地と生きるところ、すべて主のことを理解するという話は、普通の話になりません。なぜならば、全地が全部偶像崇拝しているのに、この地は誰のものでしょうか? ダビデがこれを知っていました。すごいことです。この話は普通の話ではありません。
 
・何年前にある人が、たわごとなのかは知りませんが、大統領府の場所を間違えて建てたゆえに、大統領になった人ごとに困難がくると話しました。その話は、風水地理説を言った人々です。またある人は、なんの話をしたかというと、こちらには何がついたのか、いつも交通事故がその場所で起きるのです。このように話したことを聞いてみたことがあるでしょう? あちこちに、どこに行けば多くの答えをくると集まって偶像崇拝しているでのではないでしょうか? また、どこかに行くならば罰を受けるという場所があります。全部正しい話ですが、福音を受けていない人々の運命です。私たちは、何もそのようなことがありません。何にも問題になる必要がないのです。あらゆる山、あらゆる地、あらゆる海が、誰のものでしょうか。主のものです。この祝福の信仰を回復するように望みます。私たちのいのちも主のものです。神様を信じない者のいのちも主のものです。神様がいないと大きい大声を張り上げている途中で滅びてしまった共産主義も主のもの。地も主のものです。そうではないでしょうか? これをダビデが知っていたのです。実際には、恐れる必要がありません。ダビデは恐れませんでした。全部、主のものではないでしょうか? 何の問題にもなる必要がありません。信仰生活の中で、この部分に対する確信した答を持っているべきです。皆様が行く所では、すべての暗闇がみな崩れます。むかしに、引っ越しをすると死ぬという家があったのですが、ペク・ウンギュ牧師にその家を探してみなさいと言いました。捜し出すことができなかったのか、でなければ売らないと言ったのか、分からなかったと言いました。
 
・この前の説教の時も話しましたが、私達が学校を買いました。学校を買ったら、前に上がる良い道があるのですが、その前に小さい家がひとつあります。その家の主人が僧侶なのですが、突然にこの僧侶が私たちに文句を言ってきました。あなた方の学校に上がる道が、自分の土地だと言うのです。付けてある総会神学院の掲示板をはずせと言ったり、そのようにしてたびたび文句を言ってきたのです。祈りながら見守っていたら、神様がどのようにさせたでしょうか? ソウルに行ったり、来たりしながらホテル生活をしていたら、不便な点が多かったのです。それで、ソウルに上京したら、休める場所がひとつなければならないと考えていたら、その僧侶が出て行って、その家を私たちが買ったのです。どれくらい僧侶が静かによく作って置いたのか分かりません。祈ることがどれくらい良いか分かりません。ある人が、僧侶が住んだ家だと言いましたが、心配するなと言いました。僧侶の集団、悪霊の集団がみな集まっていてもかまわないのです。イエスを信じる人には、終わりです。皆様、確信を持つように願います。イエスを信じる人は、行く所ごとに暗闇の勢力が崩れるようになっています。前にも話しました。一度、大邱に行ったのですが、僧侶が座ってなにかをぐるぐる回していました。ずっと回していたのですが、飛行機の放送で、飛行機の整備が不足して30分遅れると言われました。安全のための措置なので、理解してくれという放送が流れたのです。飛行機の扉が閉められていたたのに、飛ぶ時がになったのに飛ばなかったのです。飛行機の扉は、中からは開けられません。この僧侶が立ち上がって、開けてくれと言いました。何か感じることがあったのです。絶対に扉を開けろと言って、こちらから連絡をして、向うに人がきて門をあけました。ですから、僧侶一人がおりて行きました。すると私たちは何でしょうか? その人が回していて、何か感じておりるのに、私たちは何でしょうか? 人々の目色が、全部、不安な目色でした。それで祈ったのです。 '神様、ここに神様の聖霊が臨んで、ここには世界福音化せねばならない人が一名座っています' こういう祈りが出てきました。少しいたら、飛行機は安全に飛んで、大邱におりたのですが、私たちは皆行くことができ、その僧侶だけが行くことができなかったのです。なんの異常も無くおりました。私は内心 '私たち信じる者が行く所に、すべての宇宙が神様のものであり、すべての土地が主のものです。すると、私たちは主の民'だと感じました。ある牧師がそうでした。米国に行ったら、どれくらい大きいか、ナイアガラの滝を見て、とても驚いて "本当に私たちの父はすごいなぁ。私たちの父は金持ちだな"と言いました。そうしたところ、そばにいた人が、あなたの父ものなのかと尋ねたのです。私の父のものだと言ったところ、あなたの父のものなのか、あなたの父の名前は、何かかとたずねられたのです。その方が、主なる神様だと答えたのでした。これほどの信仰度胸になるべきです。私はそのように考えます。神様が本当に、チョウ・ジュンフン氏みたいな方達を祝福なさって、飛行機をみな作って置いて、他の方達が飛行機の値段をみな出してくれて、私は少しだけ出せばここまで来ているのですが、世界福音化ゆえにということです。どれくらい重要なことでしょうか?
 
・24篇1節だ. '地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。まことに主は、海に地の基を据え、また、もろもろの川の上に、それを築き上げられた。'と言っています。2番目です。主の山に登る者はだれでしょうか? 4節に手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。'となっています。主の山に登る者はだれでしょうか? 手がきよいということは、何の話でしょうか? 私たちは、手でおもに仕事をします。主の山に手がきよいと言われるので、不正をしなかったということでしょうか? もちろん、そのような意味にもなりますが、今、ダビデが言った言葉は、そのような話ではありません。王をして神殿で奉仕をするのに、自らの有益のために苦闘する、そのような人ではなく、本当に主のために奉仕する者です。こういう人が、主の山に登ることができるのです。ダビデが言った言葉です。ダビデの説明を理解しようとするなら、反対を理解すれば簡単です。サウル王を理解すれば、簡単でしょう。そこに対する文をダビデが書いたのでです。そして、サウル王を手助けした人の中に悪い者がいます。それを考えれば、簡単でしょう。聖書の解釈は、複雑にする必要がなく、詩篇は対照をしています。やさしいのです。皆様がおわかりの通り、モーセが王宮にいたならば成功できました。モーセは王宮にいないで、王宮を捨てて、イスラエル民族に行きました。その手がきよい者です。ダビデは事実は、サウル王を殺す機会が多かったのです。しかし、しませんでした。なぜでしょうか?主の油を注がれた者だからです。ダビデは他の勢力を捕まえて国を建設して、王になることができました。しかし待ったのです。そして、主の前で信仰をもって準備しました。手がきよい者です。主の山に登るはずです。今日、そして何でしょうか? 心がきよい者。それとともに、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人と言いました。今日ここには、若い私たちの学生達が多くいます。あなたがたがむなしいことに考えをおかず、あなたがたが本当に祈りながら、神様の子どもらしい、こういう祝福された考えを持つべきです。そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。こういう人が主の山に登ると言われていて、特に 5節, 6節, 7節に 'その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。これこそ、神を求める者の一族、あなたの御顔を慕い求める人々、ヤコブである。'と言われています。この話がなんの話でしょうか? 5節で救われた神様の人。主の山に登る者はだれでしょうか? 救われた神様の人です。あなたがたは、主の山に登る資格があることを信じてくださることを望みます。これからは、皆様自身をあきらめず、主の山に登る者だということを銘記すべきです。なぜでしょうか?救われた神様の子どもだと確かに記録されているからです。この人が主の山に登る者です。来る祝福がすごいのです。7節に '門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王がはいって来られる。'となっています。皆様、大統領の当選者が行っても多くのことがおきるのに '栄光の王’が 入って行かれるのです。皆様がこの山に上がって、門をあければ '栄光の王’が皆様に入っていくと書いてあります。神様の驚くべき聖霊のみわざが皆様に起きるようになるはずです。特に8節に '栄光の王’が誰なのか? 答が出てきました。 '栄光の王とは、だれか。強く、力ある主。戦いに力ある主。' 戦いで勝つようにされるのです。もう一度出てきました。 門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王がはいって来られる。'
 
・皆様の中に、困難を受けている人がいれば、気落ちせず主の山に登りましょう。皆様の中に私は出来ないと考える人がいるならば、主の山に登りましょう。私は多くの人々を見て参考にしたのですが、多くの人々の中、そばの私の母を見ました。見て、神様の驚くべき秘密を見たのです。私が悔い改めて帰ってきた時も、私の母の信仰を考えました。幼い時、私たちを育てるのに、ただ教会、家、職場、これを置いてどれくらい祈っていたか分かりません。それで 'あ、主の山に登る者は、栄光の王が入っていく。栄光の王が誰なのか? 戦争にたけていた主だ。神様に勝つ者があるだろうか?' こういう答えを受けるようになりました。これがダビデの信仰告白なのですが、私たちの信仰告白にならねばならず、皆様に大きい祝福があるべきです。今日、あなたがたは決断を少しだけおろせば良いのです。'あ、私に主の山。私に使命を持続して、霊的な力を得る山がなければならない' 少しだけ考えても、大きい答えを得ます。今日、あなたがたが少しだけ決断を下しても、率直に断食して、毎日祈るようにしなくても良いのです。少しだけ決断を下ろしてもかまいません。すると、皆様には途方もない答えが、ダビデに来た答えが、そのまま開始するのですが、私がこれを発見したのです。少しだけ祈ろうとしたのに、世の中の人々に対して発見できるようになりました。世の中が大変だけれど、特には必要がありません。世の中の人々が良い生活をしたているかの様に見えるけれど、ものすごくむずかしいのです。この人達は、どんなに努力しても、衣食住のために生きます。それを見ながら 'あ, そうだな.' それとともに、世の中を見ながら、霊的問題にものすごく苦しめられるのだなということを知りました。どんなにお金をもうけて、成功しても、霊的問題に苦しめられるのです。今日、私が 1部礼拝の時に話をしました。それを発見するようになって、私が何を見たのでしょうか? 聖書を見ました。' あ, 聖書にこういう答があるんだな.' 人の文も良い文は感動するのに、聖書には預言者に神様がみことばを下さったではないでしょうか? この聖書のみことば、ここで答を得たのです。それとともに、このみことばをすこし捕まえたのに、神様が答えを下さいました。すると、主の山に。皆様の中で、もしかして家庭に問題がきていますか。心配せず、主の山に登りましょう。ヤコブの家に問題がきた時、創世記35章どこに行ったでしょう?ベテルに上がりました。過去に、ヤコブが恵まれた山です。兄から逃げて危機に会った時の場所です。そして上がったのです。もしかして、皆様の中に病気の人がいますか? 気落ちせず、心配もせずに、私たちのいのちは主の御手にあるので、どこに? 主の山に上がりましょう。すると解決します。これがなんでもないことのようでも、多くの答えがこの中にみな入っているのです。ひょっとして、サウル王が見た時は、愚かな話でしょう。しかしダビデが見る時には、サウル王が愚かです。誰が正しいでしょうか? それはあなたがたも知っていて、神様がご存知であって、皆知っているでしょう。主の山に登る者は、主の山にいれば、栄光の王が入って、その栄光の王は戦争にたけている主です。この告白にダビデが自らの信仰をいだいていました。そのようにしているので、サウル王が見る時は愚かな話でしょう。しかし、そうではありません。ここに私たちの学生達がいます。皆様が外に行って、両親がいなくて、これから生きていて、皆様に重要な問題が迫るでしょう。どのように勝つのでしょうか? 皆様の胸の中にどんな秘密がなければならないのでしょうか? '主が私の神様です。主が私の主です。キリストが私の主です' この答があってこそ、勝つのです。どれくらい重要でしょうか? 王座に座っても霊的に失敗してしまったので、サウル王が無駄になったでしょう。今日、あなたがたが主の山に登る者。誰かという説明が出てきました。それはダビデの信仰告白でもあります。あなたがたが、この奥義を持って新しく開始して、この奥義を持って事業もして、これからこの奥義を持ってすべての現場へ行く皆様になるように主の名前で祝福します。
 
<< 契約の祈り >>
 主の山に登る者。ダビデの信仰を私達が見れば、私たちは、実際には難しい世の中で、事業も、勉強も色々なことをせねばならないのに、主の山に登る重要な信仰と祈りの奥義を与えて下さい。今日、この契約を捕まえて、一週間、すべての現場で答えを発見するようにして、この契約を捕まえて、残った生涯に神様の答えを受ける人生に転換点を迎える主の山になるようにしてください。エリヤのように、モーセのようにホレブ山で恵みを受けたように、今日、主のしもべが主の山に登るダビデのような祝福を受けるようにしてください。世の中の人々が知らない新しい力を与えて下さりながら、世の中の人々が推し量ることができない驚くべき恵みを与えて下さい。特に、神様が世の中の知識で識別出来ない神様の祝福を与えて下さって、主の山に登った者の祝福をすべての民が分かるように、ダビデに与えて下さった祝福を与えて下さい。私たちの主イエス・キリストの名前でお祈りします。アーメン