(2003年 02月 02日インマヌエル教会/ 柳光洙 牧師)


 1部 /復活に関する論争
(マルコ12:18-27)
 
・日本に行ったところ、ある使命者が私にこういう質問をしました。イエスをよく信じる家庭なのに、学生が突然に質問をして‘なぜ必ずイエスだけを信じねばならないのか? 他の宗教はみな誤っているのか? また聖書が神様のみことばという証拠があるのか?' 等、色々な質問をしたのですが、このような時は、どのようにすれば良いのかと質問しました。学生達は、そのような質問をすべき年齢です。年齢が若くなくて、悪霊がはっきりと聞こえて苦労する人々は、説明が必要ありません。‘イエスを信じねばならないな'と簡単なのに、学生達は色々なことをよく知りません。だから疑問があります。ある面では正常です。私も別に答える必要がありませんでした。明らかなことは、キリスト教、カトリック、天理教は、みな同じようなものです。それがみな苦しくて、立派な人々が作ったのです。しかし、福音は作ったものではありません。それで、教会に通う人も、福音がない人は、全く同じ失敗をします。確かです。私達が恵まれたということは、救われたことも含まれるけれど、みことばを悟った時にも恵まれたと言います。私達が多くのみことばを聞く中で、感動したり、悟る時、私たちはそのまま恵まれたと話します。本当にこのようにみことばを悟れば悟るほど、私たちの霊的な目がどんどん開いて、重要なのが何かを知るようになります。そうしてこそ、成功するのです。勉強ももちろん多くせねばならず、色々なことがたくさん必要ですが、重要なことを見ることができないということは、深刻な問題になります。それで、普通の人々を見れば、重要でないことをしきりに重要だと考えるのです。すると困ります。重要なことは、みなのがすのです。普通の人々を見れば、未信者もそうで、信者もそうで、問題ではないことをしばしば問題だと考えるのです。すると、それがそのまま終わるのではなく、深刻なことは、本当の問題は見ることができないということです。これが深刻なことです。人はそのようになってはなりません。ものすごく重要なことはのがして、重要でないことを捕まえていれば、失敗をせざるを得ないのです。私達が違ったことを正しいとして、正しいことを違うと言う時は、失敗するしかないのです。そのように、今日、サドカイ人がこういう質問をしました。サドカイ人は、なにかを違うように思っています。‘人間は復活がない' これがサドカイ人の信仰です。そうして見るので、みな違うようになるのです。それで、今日、質問する話です。‘人間が死ねば終わりだ。何で復活をするのか?' これがサドカイ人の信仰です。そうしたあと見て、この人達が何の質問をするのかというと、イエス様を苦境に追い込むために、有名な指導者一名が現れて、あっちこっちしばしば尋ねるのです。メシヤなのを知らずに、しばしば尋ねるのですが、サドカイ人は指導者です。この人達は、復活を信じない指導者です。パリサイ人は、復活を信じます。ところが、きてする質問がとても絶妙な質問をしたのです。とても絶妙な質問でしたが、間違った質問でした。いらない質問をしたのでした。普通の人ならば、逃げることができないように質問しました。それが何の質問かというと、イスラエルの国の人々は特徴があって、自分の家系の「氏」をものすごく重要視します。それで、創世記に見れば「氏」という単語が十一回出てきます。それを中心に創世記が作られたのです。それで女が嫁に行った時は、その家の氏を継続するという意味で、嫁に行くのです。私があの人を愛すという意味ではなく、私があの家に行って、氏を継続するという意味で嫁に行くのです。ところが、嫁に行って男が死んでしまえば、そのような場合、その家の氏を受けることを目的とするために、二人目にまた嫁に行きます。イスラエルの法です。不思議ですが、理解できることができる部分があります。万一、二人目が子どもを産むことができなくてまた死ねば、三人目に行くべきなのです。すると、三人目が子どもを産むことができなくて、また死にました。すると、四人目に行くべきです。サドカイ人がイエス様に復活がないという話をするため、困難な質問をするのでした。すると、五番目、六番目、七番目、みなそのように死にました。すると、後ほど復活すればどれが夫なのか? というように尋ねたのです。だから、イエス様が「聖書も知らず、神様も知らず、何も知らないのだな。天国は、とついだり、めとったりする所ではないのを知っているか? 」イエス様がそのような返事をなさったのです。この人達が、今、復活を信じない信仰です。そうしたあと見ると、復活を信じようが信じまいが、何でもないように見えるけれど、実際には、これが目に見えなく、多くの影響をもたらすのです。
 
・今日、説明をちょっとしようとするならば、米国やヨーロッパ、オーストラリア、カナダに霊的問題が多い人々の理由は何でしょうか? なんでもないことのように見えるけれど、その方達の知識は、私たちよりはるかに先んじています。皆様と実際には、比較できません。なぜ米国やヨーロッパ、オーストラリア、カナダ、こういう所に霊的問題がどんどん起きるのでしょうか? 他のことではありません。霊的なことが無知で、聖霊の働きに対して事実上、信じないからです。そうして見るので、復活信仰も信じなのです。カナダで宗教指導者になった教会の協議会会長が、自分は復活を信じないと話したということです。それが、まさしく本当の異端です。そのような人々がいます。本当に残念なことです。重要なことを信じません。すると、それで終わったかの様に見えますが、霊的問題はどんどん現れるのです。それで今日、あなたがたが今日の本文を見ながら、確固たる信仰を3つ持つべきです。ここに人間の復活という話が出てきましたが、単なる話ではありません。あなたがたのたましいは、なくなるのではなく、結局は後ほど私達が認識できるように復活すると言われました。それをサドカイ人達が信じなかったのでした。あなたがたが第一に復活信仰を持たねばならない理由があります。なぜならば、人間は死んだ後、あのように, あのように生まれて人間が死んで動物に、あるいは牛とかに生まれるという話は、絶対に間違った言葉です。人間はたましいがそのままあとで新しく完壁に復活するのです。これは何でもないことのように見えますが、信仰生活と霊的な問題と、皆様の国家と文化、すべてに関係があります。これは、何でもないことのように見えます。それがサドカイ人の失敗でした。普通の人々は、‘死ねばそこまでだ'と話す人々が、何となく話したかの様に見えるけれど、その人生がそのように、深刻になります。普通、人生は死ねば終わりだと話します。終わりではないのです。普通、人々は3つの思想を持っています。人間が死んで変わるという輪迴説です。またもうひとつは、人間は死ねば終わりだという滅絶説と、人間が死んで悪霊に変わるという悪霊論です。この三つは、すべて間違いで、深刻な問題をもたらします。人間はそのようになりません。人間のたましいは、永遠で結局は死んだように見えるけれど、からだを少しの間離れて、結局は天国、地獄という背景を置いて、また復活するのです。これが人間です。この信仰が何でもないように見えますが、霊的には相当な影響をもたらすのです。
 
・皆様がもし、家族の中に悪霊につかれた人がいるならば、それが皆様の父母でなく、皆様にきている悪霊です。これを悟ることができなければ、大変なことになります。復活信仰ということは、ものすごく重要なのです。それで、今日あらゆるメッセージを聞く方達の中で、特にジャーナリズム、放送、新聞関係の人々は、よりこの部分を記憶して、指導をしてあげなければなりません。一度は、韓国の有名な公営放送でタレントを集めて、前世に何であったかを知らせていました。それが本物のように見えるけれど、まさに悪霊のしわざです。あなたがたが本当に私の話を理解しようとするなら、一ケ所に座って約10日間だけ精神を統一すれば、みわざが起きます。それがまさに‘悪霊の働き'だということです。あなたがたがこの花を約3年だけみつめて座っていれば、みわざが起きるということです。
 
・復活信仰が何でもないことのようでも、人間の存在を知らせることです。人間は動物ではないのです。とても重要です。人間は死んで終わってしまうのではありません。すると、何ゆえにイエスを信じるのでしょうか? いいかげんに生きてやめるということです。人間はそのように終わるのではありません。人間は死んで悪霊になるのではないために、先祖供養をする必要がないのです。知らないからです。今まで知らずにあなたがたがしたことが、お金を儲けて詐欺師にどんどん持って行かれるようなことで、父母でもないのに供養をすると、ずっとひざまずいて手をついて礼をしていたのです。父母が悪霊になって来るのではないのにしていたということです。‘真似をするのに、どうするのか?'と尋ねるならば、だますされているのです。これを明確にすべきです。ものすごく重要です。大学生、青年達、知識人がこの部分をよく悟ることができなければ、米国で多くの麻薬の風が吹いて、日本に精神病者の風が吹いても、防止することが出来ません。防止することが出来ないのに、どうして指導者になれるのでしょうか? そうではないでしょうか? 今現在、台湾に行ってきて証ししたことを聞いたでしょう。1軒の中の8人のうち7人が狂っているのです。こういうことを防止することが出来ないのに、何で指導者になるでしょうか? 指導者になることができません。家の八名の中で、七名が狂っていました。七名が狂っているので、手助けしようという一名が困ってしまっているのです。どれくらい難しいでしょうか? 家ごとに偶像があって、路地ごとに偶像があります。私が行ってみた国の中で、台湾が世界で一番偶像が多い国です。私が行ってみなかったのですが、三億以上の神々がいるネパール。そこにおかしな人々が多いのです。アジアで一番発展している国の日本もそうです。人間の根本、神様が創造なさった本質を知らなければなりません。私たちのたましいは死にません。死んだということは、私たちのからだにあるたましいが離れたということです。実際は死んだのでもありません。夢を見たことです。死ぬ人々は、引続き夢の中に行くのです。死んだという話は、そばで死んだと話すことです。実際にたましいがからだから出てきただけです。とても安らかなのです。結局は、天国で永遠に生きることができる完壁なからだに復活します。未信者は、それまで悪魔にずっと仕えたゆえに、悪魔といっしょに永遠に地獄に行くからだで復活します。知ってみれば深刻なことです。これが何でもないことのように見えるけれど、皆様のすべての信仰生活に全部みな関連していて、これを知らなければだます文化にだまされるのです。何でもないことのようでもそうなのです。長老の娘だったある女の人が、悪霊につかれて有名な易、シャーマニズム人になったのですが、その人が言う話が‘使命大使'が入ったということです。使命大使が入ったのではなく、使命大使のまねをする悪霊が入ったのです。自分は使命大使が入ったと錯覚しています。それで、人を送って、まちがいなくあなたにこういう、こういう問題がくるはずだから、その時は連絡しなさいと言いました。そうしたところ、驚くべき事実が、既に来ていたのです。あなたの家に、まちがいなくこういう問題がくるはずだから、その時は本当に福音を受けなさいと言ったら、既にそのような問題が来ていました。本当にせつないことです。かくも知らないからということです。より驚くべき事実は、少なくとも大学を卒業したのに、国会議員が吉凶を占う家に列をなすそうです。先週、週間韓国 2003年 1月 23日付で、選挙期間になれば、占い師が盛況するそうだと出ていました。そして、入学シーズンになれば、おばさんで沸き立って、ちょっと有名なムダン(霊媒師)の家は、常に行列ができるそうです。全部みなだまされることです。占い師が話したことが正しいかのように見えるけれど、間違った言葉です。悪霊につかれて、悪霊にだまされることです。悪霊が正しいかの様にしている途中で欺くのです。詐欺師がいつも正しい話をしている途中で欺きます。それを知らなくて、仕えて捧げて、そのようにするのです。簡単です。完全に終わってしまうことができるのです。ムダン(霊媒師) 生活を長くしていて、苦しめられる人々は、何の心配もしなくても良いのです。これは簡単な話ではありません。あなたがたの中で、知識人がおもにこの話がわかることができません。なぜでしょうか?接してみたことがないからです。それで、この地に問題がきたということを知っているべきです。普通、教会に通う長老、牧師、神学者は、勉強だけをしていて、霊的なことに接することが出来ませんでした。だから、この部分を解決してあげることができないのです。それがまさに教会問題で、社会問題です。だから、有名な政治家たちが吉凶を占いに行って、はなはだしくは牧師もどこで開拓をすればよくなるのか吉凶を占いにいく人々があります。こういう時代になりました。宣教師が、どの宣教地に行けば宣教師を正しくできるか吉凶を占おうときたことを本にも書いてありました。より笑わせる事実は、占い師が話したとおり行ってしたら、よくできていると手紙が来たということです。こういう悪霊のしわざにだまされる人々が多いのです。よく悟るべきなのです。
 
・私は、確かに話すことができます。その学生の質問通り、すべての宗教は、キリスト教、カトリック、天理教... 同じです。苦しくて人が作ったのです。しかし、福音は違ったものです。福音は私達が作ったものではありません。神様がくださったのです。宗教は人間が作ったものです。福音は神様がくださったものです。宗教は人間が探していくことです。福音は神様が私たちにいらっしゃったのです。違います。そこに対する確実な根拠を私は持っています。それで、伝道すると心に決めたのです。確実な根拠があります。どんな知識人、どんな宗教人が私に話しても答えることができる根拠があります。どんな僧侶にも話す自信があります。その人がどんな問題を持っているかということを知っているのです。間違いありません。滅びるようになっています。結局は、人間が作ったことであるために、限界がくるようになっていて、結局はサタンからやられるようになっています。それで神様が福音を下さったのです。簡単です。教会に通いながら、なぜだめになるのでしょうか? 簡単な話ではないでしょうか? 福音がなければ、全く同じなのです。復活信仰です。ものすごく重要です。私たちは、完全に変えられて、完全な天国で生きるようになるのです。これが人間です。動物と違うのです。それで絶対にだまされてはなりません。人間が死んで犬になって、牛になるのではありません。全部みな間違った理論です。ものすごく間違った言葉です。ここから来る問題も深刻です。何で人間が死んで、犬になって牛になるのでしょうか? タイに行けば、そのように信じています。尋ねてみたら仏教理論でもないのに、仏教の人々が話を多くします。タイには仏教が多いのです。以前には大きい家があって、その前には壊れそうな家があります。絶対にけんかしないようです。金持ちの家から呼ばれて清掃をしろと言われたら、清掃をみなして、ご飯をもらって出てくるそうです。耐えるそうです。なぜでしょうか?来世によく生まれようとするためです。それで一つ良いことは、そこにはデモがあまりありません。来世のために、何でも耐えるのです。来世があるでしょうか? 知らないから、そうなのです。そのように正せば、飛んでいる蚊も殺してはなりません。前世に何であったか分かるすべがありません。前世に叔父であったか、どのように知ることができるでしょうか? 釣りもしてはなりません。魚が前世におばあさんであったか、どのように分かるでしょうか? 話にもならない理論です。このように人間を惑わす理論を教えるのです。不思議な理論を持っています。これが全部、悪霊のしわざです。動物を見ておじぎをして、それが全部偶像崇拝です。動物は私たちが征服する対象であって、神様が動物を征服して治めろと送られました。それなのに、それをなぜ拝むのでしょうか? それが偶像崇拝です。このように間違った理論が出てくるのです。これが簡単な話のように見えても、信仰が確実でなければなりません。
 
・皆様が本文を見ながら、神様のみことばは、単に記録されたことではありません。どれくらい重要でしょうか? それで、その手本としてイエスが復活なさったのです。Iコリント3:16 私達が持って確信せねばならない信仰の2番目です。イエス様が復活なさったのです。Iコリント3:15 聖書通り死んで、聖書通りよみがえられました。それは何の話かというと、キリストという証拠で、十字架で死んで、キリストという証拠として十字架で復活なさるはずですと、預言されました。こういう驚くべき事がどこにあるでしょうか? 偶然にそのようなことがあっても普通でないのに、イエス様がとても苦しんで死んでしまわれたのです。ところが、とても体力が強くて息をふきかえされたとしても、並大抵のことではありません。そうではないでしょうか? しかし、イエス様が十字架で血をみな流して聖書に約束したとおり、三日後に復活なさったのです。誰かという証拠で、キリストという証拠で、これが復活信仰の標準です。再創造の信仰です。‘だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。'
 
・今日、七人が私の事務所にきました。700 伝道する弟子。700 地域教会のための七名が、今日きたのです。来たので、私が宿題を与えました。「1ケ月間、これをしなさい。」それとその後に、私と皆様と伝道合宿をします。神様がものすごく喜ばれることです。この時までうまくできないできました。今年になって、時刻表になったようです。今年になって、イ・ソンゴン牧師に指示したところ、ちょっとできていっているようです。牧師がみなひとつになって、神様が本当に喜ばれる真の伝道運動ができる、この釜山で七名が選ばれて、事務室に挨拶しようときたのです。すると、その人々がまさに伝道弟子になるのではありません。1ケ月間に、私が宿題を渡して機会を与えるのです。一ケ月後に、伝道合宿をします。それで、今年はよくなると思います。私がこれをしてみようとどんなに苦闘しても、簡単にうまくできませんでした。時刻表にならなくて、実際に人々が伝道ができなくてしないのです。全部回りながら、既存信者に話すだけで、実際に救われるみわざが起きません。それで、それをしてみようとしています。たぶん、私たちの教会でそれができれば、本物の答えを下さるはずです。それをするために神様が祝福をくださったのですが、むかしにイエスを信じなくて滅びなかったのは、今日のために祝福をくださったとすれば、本当にそのようにするならば、相当なみわざが起きるようになるはずです。イエスはキリストです。イエスは復活なさいました。初代教会の主題です。初代教会が、世界をどのように征服したのでしょうか? イエスはキリストです。すべての問題の解決者です。証拠として復活なさいました。その証拠、イエスの名前で祈る時、働きが起きます。イエスの名前で聖霊充満する働きが起きるようになっています。今日、信仰を回復すべきです。人間は滅絶することもありません。人間は輪廻するのでもありません。人間は悪霊になることもありません。人間は復活します。皆様、だまされてはなりません。理論といっても、どれが正しいのでしょうか? 人間が輪迴するのでしょうか? 人間が滅絶するのでしょうか? 話になりません。人間が悪霊になるのでしょうか? この中で一番広まっているのが、悪霊になるという話です。ここから出てくることが法事です。いっそのこと、法事はしなくても良いのです。関係ありません。皆様の父母がくることもできません。来たら手助けするはずで、何ゆえに被害を与えるのでしょうか? 来ることもできないのです。人間は、そのような存在ではないのです。聖書に確かに記録されています。人間は復活できる最も高貴な存在です。それで、その証拠で、イエス様がキリストであるという証拠で、十字架で復活なさいました。いったいあることが出来ない事実。それで、はじめに気絶したと言ったでしょう? どうしてか、神様はキリストを送られたという驚くべき秘密を知るようにされたのです。
 
・今日、三番目に確信を持たなければならない部分が何でしょうか? 26-27節 こういうみことばがあります。 ‘それに、死人がよみがえることについては、モーセの書にある柴の個所で、神がモーセにどう語られたか、あなたがたは読んだことがないのですか。『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。' 神様が死なないで、むかしにモーセの先祖、その神様がモーセに現れたことを知らないか、という話です。27節、‘神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。あなたがたはたいへんな思い違いをしています。’
 
・私が伝道している途中で聖書66巻と神学と信仰をどのようによく連結できるかと考えて、私たちの信仰の土台10種類ということを言いました。絶対に揺れてはならない信仰の土台10種類。皆様に講義したことがあります。私がそれを持ってこの前、AUCに行って信仰の土台10種類を牧師達に四日間説明をしました。次の月には、一般信者の講義二つが残っています。それを終わって3月から私たちの土台2種類ずつを説明しようとしています。そのようにしても五ケ月かかります。細かく説明してみようとしています。こういう部分は確かです。誰が何と話しても確かなのです。
 
・その最初が何でしょうか? I歴代29:10-14 大きくしたり、小さくする私たちのあらゆるいのちを神様が治めらておられます。今日、説教を聞く人の中で、一番信じられない人、その方のいのちを神様が治めておられます。確かです。どんなに苦闘しても、いのちは神様が治められるのです。確かです。それが、私たちの信仰の最初の土台です。信じようが信じるまいが、神様は生きておられるだけでなく、私たちのあらゆるたましいを治めて、あらゆる霊的なことを治めていらっしゃるのです。確かです。神様がいらっしゃることに対しては、哲学者、宗教人が同意しました。しかし、その人々が話す神様ではなく、本当に主なる神様は、私たちのいのちを治めていらっしゃるのです。それで、今日からは死に対して心配しないようにすることを願います。神様が呼ばれたら行けば良いのです。あらゆるいのちを誰が治めておられるのでしょうか? 神様が神様の主権、創造なさった神様が間違いありません。それならば、2番目の土台は何でしょうか? 私たちは、絶対に神様に会うことができません。知らないことが正常です。それで、キリストを送られたのです。エペソ1:1-13、マタイの福音書16:16、皆様の中で神様に会ったと言う人は、まちがいなく不健全神秘主義です。会うことはできません。神様に会う道は、ただひとつしかありません。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」とおっしゃいました。見ることができません。それで神様が簡単に会える道を開けてくださったのですが、その道がイエス・キリストだということです。確かです。
 
・その次の証拠で、イエスを信じるやいなや永遠に皆様と共におられる証拠があります。聖霊の働きです。‘しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。'皆様が土台を知れば知るほど、力が生じます。なぜなら、事実であるためです。絶対に揺れないようにしましょう。その次の4番目のことが何でしょうか?‘あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。'とIコリント3:16。皆様がどんなに足りなくても、救われた者であることが間違いないならば、皆様の中に誰がおられるのでしょうか? 聖霊がいらっしゃいます。それで、私が学生達に宿題をひとつ渡しました。占おうと一度行ってみましょう。すぐ分かります。どんなに皆様が現在、困難の中にいるとしても、救われた者であることが確かならば、神様の聖霊が皆様の中にいらっしゃいます。それが4番目です。五番目の土台は、何でしょうか? Uテモテ3:16-17 神様は、預言者を通じて私たちに聖書を下さいました。確かです。立派な人が書いた文でも助けになるのに、神様は預言者を通じて聖書を下さったのです。それならば、どうするでしょうか? 私達が三国志を読んでも習うことがあるのに、神様は預言者を通じてみことばを下さいました。それが私たちの五番目の土台です。
 
・六番目の土台は何でしょうか? 使徒の働き18:1-4 私達がいるあらゆる所が宣教地です。青年達、私たちの教役者、あらゆる方達は記憶するように望みます。皆様が足で踏んで立っている所が宣教地です。それでインマヌエルの牧師で成功できなければ、どこに言っても成功できません。インマヌエルの副教役者で成功できなければ、どこに行っても成功できません。皆様が座ったごみ箱で成功できなければ、金びょうぶのある席に行っても成功できません。皆様が座っている荒地で成功できなければ、あの玉座に座っても成功できないのです。聖書がそのように教えていますし、私の信仰です。弁解、言い訳はありません。みな無駄な言葉です。どこでもかまわないのです。‘私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです'‘四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。’それが確実な私たちの信仰です。それを揺れるだけ損です。結局は、揺れるのはその人の事情であって、事実は変わりません。絶対に変わらないのです。皆様がどんなに泣いたとしても、変わらないのです。事実は変わりません。60億人口が全部同意しても、神様は生きておられるのです。変わることができないのです。その次の七番目の土台が何でしょうか? 詩篇139:1-9 私たちのあらゆる生死禍福を治めて、私たちの座ること立ち上がることもご存知である神様が、私たちを導かれると言われました。確かです。それをしようと、信仰生活して、祈るのではないでしょうか?
 
・八番目の土台が何でしょうか? ヘブル9:27‘人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように' 皆様がどんなに大声を張り上げても、死ぬ日は決まっています。みな時限付きの人生です。ここに座っている方達も一回ずつみんな葬式を行なわなければなりません。ここにいる方の一人ももれなく、しなければならないのは、間違いない事実です。死なない人は手を上げてみてください。間違いありません。ここにいる私たちの長老達、ソウルにいる長老達を見る時、本当に私たちに祝福です。良い方達がたくさんいらっしゃいます。信仰生活しようとする方がたくさんいらっしゃるのです。それを見て、本当に感謝します。福音がない役員がどれくらい多いでしょうか? 福音もなく、どれくらい苦労するでしょうか? こういう人がどれくらい多いでしょうか? 韓国、世界に福音を持った方達を見ながら、本当に感謝します。ここにいるパク・ウォンギュ長老は初代の長老ですが、今、宣教師として一番重要なカレンを生かしています。それもたぶん神様が私たちの教会を祝福なさる理由の中のひとつのことです。避難しているカレン族の中に使命を持っておられるのです。長老に会えば話そうとしたのですが、説教で話します。その町の人々は、韓国のお金一万ウォン(千円)で一ケ月暮らしています。 "長老、そのような人がいれば私に話してください。一度にではなく、一人ずつ私が100人まで責任を負いますよ。その人々が世界福音化ができるように "どれくらい貴重なことでしょうか? あのような方達が、そのような難しい地域に通いながら、福音を伝えています。いくらそうでも明確に預言します。30年後には、長老も亡くなります。間違いありません。気分が悪いでしょうが、どうすることもできないのです。あの方達は200-300歳まで生きれば良いのですが、それができません。定めておかれました。神様がいつ来なさいと定めておいてくださったのです。一度死ぬことは、人に定められたことです。だから、間違いない事実です。
 
・九番目の土台です。ルカ福音19:16-31 確かに地獄と天国があると聖書は語っています。私はここに対しては行ってみたことがないので、知らないのですが、いままで成就したみことばを見て確かです。悪魔をどこに入れるのでしょうか? 地獄に永遠に。私たちは天国に行く資格はありませんが、神様の民であるから、天国で永遠に。そこはちょっと前に話したように、とついだり、めとったりする所ではありません。永遠に神様を賛美する所です。最後の十番目の土台は何でしょうか? マタイの福音書10:42 それなら、福音を伝える者が果してどのようになるでしょうか? 水一杯でも報いに漏れることはありません。今日の本文に愚かなサドカイ人のようにならず、この前に尋ねた質問は、パリサイ人の質問でした。愚かなパリサイ人とヘロデ党の質問、カイザルに捧げねばならないか? こういう言葉はなんでもないことのようでも、あまりにも現実的で、それとともに間違った言葉です。今日の本文を見ても、愚かな質問でイエス様を攻撃するのです。復活があるのか? このようにたずねてきました。イエス様が答えられる中に、単なることではありません。私たち人間が復活信仰を持つということは、私たち人間の本質を探すということです。人間が復活信仰を持たないと言うことは、悪霊説、輪迴説にみな陥るようになっています。滅絶説、こういう所に陥って、問題がくるのです。
 
・朴正煕大統領が亡くなった時、光化門に大きい垂れ幕に漢字で故朴正煕大統領告別式、「永結式」と書いてありました。永という字は、永遠という意味で、結という字は終わったということです。永遠に終わる式。この話は未信者が書く言葉です。梨花女子大総長をしたキム・ハラン博士は、病院で死ぬ時、この話をしたということです。自分の弟子たちがきた時、「私がなにぶん死ぬようなので、葬送曲を死ぬ時にする歌を歌わないで、そのような曲でなく、私が死ぬ時、勝利の歌を歌いなさいと言ったそうです。私がこの地で福音を受けて主の働きをして、大学で学生達を教えて、神様の前に行くのに、どれくらい勝利したことのではないか? その時、勝利の歌を歌うべきで、何ゆえにそのようなおかしな歌を歌うのか?」 と言ったのではないでしょうか。違うのです。終わったのではないのです。復活信仰は、人間の本質を捜し出すことです。そうだとする時、イエス・キリストの復活は、ものすごく重要です。全てのものの回復です。そして、最後に神様は死者の神様でなく、生きている者の神様です。皆様に葛藤あってもなくても、10種類は変わりません。それは、皆様の性格であって、変わらないのです。皆様の状態がどうしようが、それでもこの10種類は変わりません。子ども達の話で「あなたの事情」ということであって聖書は変わらないのです。絶対にこれを変えることはできないのです。これを信じる者は、勝利するようになっています。今日、本当に信仰が回復する日になることを希望します。
 
・結論を結びます。最初、だまされないで。自己陶酔する必要もありませんが、だまされないで。2番目、永遠な未来を見ながら、今日を生きていくのです。インマヌエル教会の未来を見ながら、今日を生きていくのです。皆様に問題があるでしょうか。その中に神様の大きい計画があるのです。考えを変えるように願います。アブラハムに子供がなくて苦しみに会ったのですが、それがまさに契約です。モーセが一生、年をとって神様の答えを受けることができなくて、あのミデアンで苦労していた時、それがまさに契約です。そこで考えを変えましょう。相当な答えの門が開くはずです。それで、新しい答えの祝福を今日一日中受けて、一生味わうようにイエス様のお名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私達が違ったことにたくさんだまされてきたのですが、私たちは輪迴説でもなく、滅絶説でもなく、悪霊論でもなく、復活せねばならない存在であることを、人間が人間であることを悟る時間になるようにしてください。イエスはキリストであり、生きておられる神様の息子であることを信じる真の信仰を与えて下さい。神様は死者の神様でなく、生きておられる者の神様です。石の中に入っている偶像ではなく、生きておられる霊で働かれる神様を信じます。確実な土台を持って、力を得る日になるようにしてください。新しく始める日になるようにしてください。すべての散在してみことば聞く弟子達に、神様が聖霊で働いてください。衛星で礼拝する教会と、すべての地域教会の上に、海外地域教会の上に、神様が働いてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部 / 神様の前で
(詩26:1〜12)
 
 
・むかしには、村に行けば十年が過ぎてもほとんど道が変わらなかったのに、この頃は、数ケ月して行ってみると道を捜すことが難しいということを知ることができます。大きく使い慣れていてもそうです。むかしと今との差異点は、文化が変わるのに、ちょっと早く変わるということです。むかしには、十年、二十年かかったことが、この頃は一ケ月で早く変わっていくということです。だから、霊的な問題も深刻に早くたくさんきているようで、すべての分野にそのような変化が起きているようです。こういう部分を見ながら、よく気を引き締めて祈るべきです。来ながらも話したのですが、今現在、タラッパンで現場で証拠が起きるから、逆留学がおきます。神学生達が韓国に行って神学をしよう、という逆留学がおきて、今、私たちの韓国で立派な人物が私たちの教会側に訓練を受けようと入ってきます。今韓国にきている人材も多くいます。そして、外国の人々も韓国にたくさん来ています。教会は全く準備がだめになっています。これが深刻な問題という気がします。私達が全く準備ができていないからです。日本でも学生何名かが、韓国語を習って韓国説教を聞くということで、働き人がたくさんいます。時間が早く、早く過ぎて行くのです。それで、良くすれば、私たち教会で外国人教会を別に作らなければならないのではないだろうかというほどです。そのようにしないと、来る人材を受け入れることができなくて、今、伝道の門を見てもみなのがすようになるから、ものすごくインターバルが短いと見なければなりません。霊的な問題を持った人々が、ものすごく多いのです。急に多くのことが起きます。この度、台湾に行って見たでしょうが、1戸に子ども 8人の中で7人が精神異常です。こういう急な状況が今、この地に生じています。昔には、20年に一度引っ越ししたら、大きな移動だと思っていましたが、今は、そのような時代だと考えてはだめです。とても早く動くのです。
 
・地位が高い人々であるほど、時間にいそがしいのです。時間が多い人々は、見解の差があるので、時間が多い人はすでに電話することから違います。安否をたくさん聞きます。時間が多いからです。私たちは、車に乗って早く動かなければならないから、普通、電話をかければ 7秒から10秒の間に終えます。一度は、釜山のにイガンブ司令部の司令官が会ってみたいという連絡がきました。その方は助けを求めようとして、私は伝道の門のために会ってみたいとしたのに、一年後に約束して会ったのです。その方に時間があっても、私がだめで、私に時間があれば、その方がだめでした。どれくらい忙しいでしょうか。このように一年ぶりに時間ができたので、行って10分話しました。だから、地位が高いほど忙しいのです。参考にしながら、祈って働き人が動かなければなりません。時代がどんどん早くなります。以前に見ると、釜山の市長が私と運動をしようと連絡がきたのに、時間がありませんでした。この方が良ければ、私がだめで、私が良ければこの方がだめでした。その方がものすごく忙しかったのです。時間が合わなかったのですが、先週土曜日にやっと会いました。私は午後に集会があって、また運動をしている途中で出てきたのです。どれくらい申し訳ないでしょうか。それでも仕方なかったのです。高い人であるほど忙しくて、都市であるほど忙しくて時間が経つほどせわしくなります。
 
・こういう状況で、ダビデみたいな王たちは、ものすごく忙しい立場にありました。この人達は、困難にもたくさん会いました。ダビデがどのように勝利したのでしょうか。私たちは、詩篇全体を見ながら3つのことを見ました。どれだけ実際的に発見できるかが重要なのですが、皆様の信仰も同じでなのです。ダビデがどのように信仰生活することに成功したのでしょうか。私が一週間に1時間、教会に出て投資するのに、これが本当に価値があることでしょうか。考えてみなければなりません。本当に私たちの教会が世界福音化するなかでどれだけ重要な位置にあるのかも考えてみなければなりません。ダビデみたいな人物がどのように成功したのでしょうか。私は詩篇全体でダビデが3つのことをよく持っていると思われます。それが先週にお話しした最初、何を見るかです。これが重要です。また詩篇全体を見て、今日の本文を見れば、ダビデは何かを持っていたのでしょう。私達が見ることも重要ですが、持っているのも重要です。それでまたダビデは、この困難はどのように勝ち抜いたのでしょうか。詩篇を見れば、一番多くのことが「神様の前で」です。今日のタイトルを「神様の前で」としましたが、皆様がどんな困難があっても、三つの単語をよく見れば良いのです。私達が果して何を見るのか。私は何を持っているのか。実際的な部分です。そして、私はどのように生きるのでしょうか。本当に神様の前でが何の話かを理解できれば、信仰はものすごく成功します。皆様ダビデをよく知っているのです。聖書を見れば、ダビデの姿が浮び上がる程にたいした人物だと考えます。そのように見えないでしょうか。
 
・ひょっとして、皆様が話すことを誰も知らないで撮影しておくとか、話すことを録音をして客観的に聞いてみれば、多くのことが分かるでしょう。人々は自分自身をよく知りません。私は一度、私たち信徒の家に入っていったのに、おかしな男の人が声で叫んでいたのですが、聞いてみたら、私の説教でした。あれが私の声なのだなと悟りました。ところが、それを聞いているのを見れば、この方達は、本当にたいしたものだと思いました。どのようにあの声を聞いているのでしょうか。ある人々は、一日中聞くということです。見れば本当に聖霊充満しなければ聞くことが出来ないと考えました。声が本当に美しい人もいますが、私はそうではありません。私がそれを見て、新たに感じました。私は一度、衝撃受けたことがあったのですが、ある時、説教テープを聞く中に礼拝を導いたのですが、私が賛美する声を聞いて衝撃を受けました。私が賛美をそのようにできないとは知りませんでした。私が録音したので、他の背景音楽が出てこず、賛美だけが出てきます。私の声だけが出てくるから、今、オ・チャンホ執事ならば聞くのが良いのですが、私は本当に異常でした。客観的に自分を発見しました。一度は、私が高速道路で車から下りてお手洗に行ったのですが、おかしな男の人が私に続いてきたのです。それで私は、年をとった人がついて来るんだなと考えたら、私でした。鏡で見たのでした。人は、自分を客観的に発見するということは、衝撃的です。自分自身を発見するのは難しい事で、よく発見できないのです。それでソクラテスが述べた言葉が、大きい罪が自分を知らないことだと言ったでしょう。一番怖いのが、無知な人だと言いました。正しい話です。
 
・ダビデの姿を見る時、私たちは多くのことが発見できます。詩篇 78篇やIサムエル18章を見れば、ダビデが小さい時、すでに祈って答えを受けた秘訣がありました。私たちの子ども達にこれを悟るようにしてやらなければなりません。私が伝道師だった時、使命が正しい福音とともに祈りの答えを受ける奥義を知らせて、最高の人物にさせなければならないと考えました。幼いダビデが祈りの奥義を持っていたのです。皆様、ダビデの姿をIサムエル17章に見れば、ダビデの少年の時期にゴリヤテと会って戦う光景です。これを見ながら、ダビデの姿が浮び上がります。この人がたいした学生だと連想できます。詩篇 23篇は代表的な詩で、詩篇全体を見れば、ダビデの姿が出てきます。ダビデが王になる前に、青年時期に苦しんだことが一番たくさん出てきます。ダビデが苦しんだ時期にどのように乗り越えたかという姿が出てきます。祈りながら、逃げながら、祈りながら、譲歩することが見えないでしょうか。歴代I、Uを読んでみれば、ダビデが王になった時、どのようにしたのかが見えます。ダビデの心にいつも抱いていた願いは何だったのでしょうか。神殿を建てることです。ダビデは賛美を上手にしたようです。楽器をよく扱ったのか、賛美しながら、楽器を演奏していれば、悪霊が逃げる程でした。だから、ダビデの音楽性はすごかったようです。ダビデは、神殿を美しく建てて、神様に賛美を捧げることがダビデの願いでした。ダビデが王になって、昼夜そのような考えだけをしました。人が違います。皆様がおわかりの通り、Uサムエル16や詩篇3篇に見れば、ダビデが年をとって困難に会った時の態度を見ましょう。人格と姿が見えます。信仰人です。
 
・今日の詩篇の本文を見ながら、全体的に3つのことを見なければなりませんが、それがまさに先週にみことばを差し上げた通り、何を見るのかが重要です。もっと重要なことは、何を持っているのかがより重要です。そして、より重要なことは、私が神様の前に立つということです。これはものすごく重要なのです。皆様が本当に即刻答え受けることができる秘密があります。「神様の前で」です。皆様、何でもないことのようでも、ここに今、両親や、家族、夫人についてきた人も多いでしょう。皆様が、即刻答えを受ける方法があります。‘神様、本当に私が家族ゆえにやむを得ず教会にきて座っています。私に本当に最高の祝福と答えが何かを知らせてください'それが神様の前に立つことです。簡単です。答えがくるはずです。私が三日間断食しながら、祈る時、他の祈りをしたのではなく、神様の前に立ったのです。「神様、私は伝道師ですが、神様が生きておられる証拠を与えてください。伝道師ですが、福音運動ができる実際的な力を与えてください」と祈りました。そのように祈ったら、いままで答えられています。神様の前で。ものすごく重要な単語です。神様の前で。
 
・以前にも話しましたが、私が高神大学の大学院を卒業したのですが、その学校で心から私に魅力あるように迫ることがひとつありました。学校に行けばバッチをもらえるのですが、そこにラテン語で‘コラムデオ'と彫られてありました。‘コラムデオ'という言葉は‘神様の前で'という言葉です。どれくらい良い単語でしょうか。皆様の姿、そのままで行くのです。皆様が、ある時はとても苦しい事があるでしょう。これが人の前で通じない苦しい事が起こります。最も早く答えを受ける方法があります。神様の前で。これが漠然とした話のように見えるでしょうが、ものすごく重要な話です。ダビデが祈りの答えを受ける重要な単語3つ、何を見るのか、ダビデは何を持っていたのか、ダビデは自らの重要な人生をどこに立てたのでしょうか。これがものすごく重要です。それで、私たちの教会は初めて始めたために、遠くを見通して、私はどのようになることを願うかというと、私たちの教役者が可能ならば、神様の前に立つような雰囲気にならなければなりません。しばしば人の前に立てば失敗します。だから、神様の前に立つようにしなければならないのです。私達が何をしても、神様の前で働きができる雰囲気ができるべきです。それでこそ、大きい教会になって、正しくなります。私が永く信仰生活をしながら、教会をたくさん見ましたが、結局はだめです。私達が神様の前でという話は、本当に重要な話です。今日、皆様が貴重な日に重要な祝福を受けてくださるように願います。この説明を私がみなすることは、できないのです。
 
・簡単に、今日、胸の中にあることを説明しようとするならば、ダビデは何を見るかが違いました。信仰生活に最も重要なことは、何を見るかがものすごく重要だということです。信者が受ける祝福は何でしょうか。未信者と教会に通う人の中で、ずっと失敗する理由は何でしょうか。私はそれを発見したのです。信者が受けた祝福はこういうことで、絶対に防止できません。未信者がする失敗は何で、教会にどんなに通っても失敗するその理由は、未信者状態から抜けられないためです。私はそれを見ました。これを見て、どれくらい感謝したのか分かりません。救われた者には、神様の驚くべき祝福を下さるなかで、皆様がおわかりの通り、エリシャのしもべがきて‘先生、大変な事になりました。今、私の家の周囲にアラムの軍隊が囲んでいます'と言った時、エリシャは‘主よ。このしもべの目を開けてください'と言いました。霊的な目を開けて見たら、天の軍隊が火の馬、火の戦車がエリシャの家を囲んでいたとされています。何を見るかが重要です。率直に、私はむかしに聖霊の働きを信じることができませんでした。私は神様の民が祈る時、神様の主の天使で助けられるということは、私はおかしいと思っていました。そして、サタンや悪霊を話すことは、水準が低い人だと考えていたのです。私はそのように考えたのに、ある日、聖書で見るだけでなく現場で見たのです。信者が受けた祝福はものすごくて、未信者が滅びる理由が見え始めたのですが、その時から答えがき始めました。ダビデが信仰生活で必ず勝利する理由は、3つの大きい理由があるなかで、何を見るのかが違ったということです。それが最初です。もしこの部分が見られるならば、相当ではないでしょうか。それで、サウル王とダビデ王は、根本的に違ったのです。悪い臣下とは幼い時からダビデは違いました。見ることが違いました。皆様、霊的な大きい祝福を見て、新しく始まる出発になることを本当に願います。
 
・それよりもっと重要なことは、何を持っているかです。簡単に話せば、ダビデは正確な福音を持っていたと見ることができます。福音が何かと説明しようとするならば、少なくとも何時間はかかります。簡単に話せば、私が生きて他の人を生かすことができる秘密です。それをダビデは確かに持っていました。違うことがありません。今日の1部礼拝で話したのですが、あらゆる宗教は同じです。それで、限界がきて、サタンの勢力に捕えられるのです。福音は違います。ダビデは明らかなことを持っていました。今日の詩篇26章 7節に‘感謝の声を聞こえさせ、あなたの奇しいみわざを余すことなく、語り告げましょう。' 8節には ‘主よ。私は、あなたのおられる家と、あなたの栄光の住まう所を愛します。12節にも‘私の足は平らな所に立っています。私は、数々の集まりの中で、主をほめたたえましょう。'と言いました。このダビデが見る部分は違うのです。
 
・先週にお話しした通り、今から7つの奥義を必ず味わわなければなりません。その部分を持っていれば、祈りの答えになります。持っていることが違うということです。ダビデは、見る目が違う以前に、持っていることが違いました。私たちのインマヌエルのあらゆる聖徒と全世界のメンバーが、こういう貴重な祝福の門が開かれるようになることを希望します。何を持っているかが重要です。だから、信仰生活ができていくしかありません。あまりにも簡単です。聖書を私が読んで現場で伝道するなかで、その部分が発見できました。身分が変わることなしでは、絶対にだめなのです。運命から抜け出すことなしでは、絶対にだめなのです。それで、抜け出す道があるのですが‘主は生ける神の御子キリストです’‘この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。'と言われています。ところが、そこにだけ留まっていてはならないのです。いよいよ、何のために人々が死んでいくのかが見えます。創世記3章から抜け出ることができない以上、サタンの権勢からは抜け出すことができません。それで、吉凶を占って、みな死んでいくのです。それで伝道すれば、祝福を受けたのだなと知るようになります。これゆえに事業をしているのだなとなれば、答えがきます。これゆえに私達が本当に勉強すべきだな、多くの人々が握らなければならない契約の部分です。必ず7つのことは、捕まえていなければならないのです。私が聖書でこの7つを作りだしたのではなく、捜し出したのです。聖書の中から探しました。聖書の全体の主題は何でしょうか?呪いに陥った私たちの身分を変えることです。その鍵がキリストです。最初に発見しなければならないことです。皆様がどんなに勉強しても、勉強するなという話ではなく、効果がありません。霊的な問題から抜け出すことはできません。どんなにお金をもうけて苦闘しても効果がありません。抜け出すことができないのです。それが人生です。結論は出ました。歴史が証拠しています。その人々を救い出すことこそ、祝福の中の祝福です。それが伝道です。単純な話ではありません。それで祝福を受けるのです。正しく悟るならば、相当なのです。永遠な祝福を受けることになります。はじめにインマヌエル教会が始まった時、皆様がよくご存知ないでしょうが、時間が経てば経つほど分かるようになるはずです。2番目に悟った祝福です。何を持っているかが、とても重要なのです。
 
・私は、聖書で3番目のことを発見しました。ひとつずつ、ひとつずつ発見したのです。成功する秘密があるということを知りました。救われた者が成功するには、どのようにするのでしょうか。マルコのタラッパンからローマまで。それが答が出てきました。マルコのタラッパンから始まった聖霊充満から、ローマ征服まで。5つの基礎が出てきます。皆様が静かに確認してみるように願います。私が知っていることでは、事業もできるようになっています。私が知っていることでは、社会生活も成功するようになっています。ここに社会生活を良くする方達と、役員の方達が少し記憶しなければならない部分が何でしょうか?時間がないために、訓練を受けられないでいるということを知っていなければなりません。訓練を受けることができずにいるために、多くの祝福を味わうことができないようになります。その部分が私は残念です。あなたがたが、「訓練を受けた人も大したことはない」と話してはだめです。その人の個人の水準です。そうではないでしょうか。夜にご飯をたくさん食べてはならないと言ったら、夜ごとに食べる人が、自分は食べているけど大丈夫だと答えれば、話す言葉がありません。それは、その人の水準であるだけです。あなたがたが訓練を受けないということは、本人も知らないで、ものすごく多くの部分をのがしているということを知っていなければならないのです。こういう部分の祝福を発見しなければなりません。私は聖書で五つの基礎を見ながら、事業もこのようにすれば成功できると考えます。マルコのタラッパンから始まったことが何でしょうか。方法でなく、力です。そうです。聖霊充満を受けた力です。マルコのタラッパンから始まった伝道は、単純な伝道ではありません。人間関係が解け始めました。チームの働きです。マルコのタラッパンから始まった伝道が、簡単な運動ではないのです。皆様の家庭と皆様個人に流れる誤った霊的問題があります。それが崩れ始めるのがミッションホームです。皆様の事業、学業、機能など、私たちが食べて生きる部分が、前はご飯を食べるため生きたのですが、確かにここにみわざが起きるようになっています。専門の働きです。そして皆様のすべての現場に神様の計画が現れます。地域教会です。これが聖書で悟った伝道です。単純な伝道ではありません。何の商売をしても、このようにすれば、お金が儲かります。間違いありません。
 
・私が3番目に悟ったことです。それがミッションホームです。皆様の事業、皆様の学業、皆様の機能、私達が食べていきる部分が、以前はご飯を食べるために生きたのに、確かにここにみわざが起きるようになっています。専門の働きです。そして、皆様のすべての現場に神様の計画が現れます。地域教会です。これが聖書で悟った伝道です。単純な伝道ではありません。何の商売をしてもこのようにすればお金が儲かります。間違いありません。これが三番目に悟ったことです。
 
・すると、私達は、どのようにしてこれからずっと答えを受けることができるのでしょうか? ずっと答えを受けねばなりません。それが訓練です。あなたがたが訓練をよく理解しなければなりません。ずっと答えを受けるのに、私は‘見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。'とおっしゃって、イエス様がはじめに‘わたしがあなたがたを呼んだのは、あなたがたとともにいるためだ'‘わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。'と言われました。ですから何でしょうか? 全部みな「ともに」です。私はその単語で答を得ました。合宿訓練、チーム合宿、現場合宿、専門別チーム合宿、キャンプ、全部みなそこで答を得たのです。聖書そのままです。その次に発見したことが、一千万弟子を立てる道だけ世界に福音を伝える道だということです。私はそのように発見しました。どんなに立派な大統領、政治家、経済人がおきても、霊的問題は防止することができません。すると、一千万弟子を立てるために、その次が組織です。それが伝道学校、神学院、神学校、訓練院です。今晩に私が出発します。全世界に、ローマに論文を集めましょう。AUC は、単にしているのではありません。全部、祈りの答えです。皆様がどのように聞こえるかもしれないけれど、神様の祝福をのがしてはなりません。教会に単に通うのではなく、事実は相当なのです。全世界の伝道組織が 神様の答えと秘密でした。これを置いて祈っていて、六番目に発見したことが、まちがいなく迫る未来。最初に子ども達が家を出てきて、家庭が破壊して、問題がくるのです。どうしようもありません。どんなに熱心に生きても、私たちの子孫が崩れます。どのようにするのでしょうか? そんなにも熱心に生きたのに、家庭が崩れるのです。それで、答を得たのが癒しの働きです。
 
・米国に行くときに空港に座ったのですが、普通に見えませんでした。韓国の人だったのですが、両親がどのようにしたら良いのか分からないようでした。息子のようでしたが、まちがいなく、そばの一人の女性は娘のようで、娘は大丈夫だったのですが、この息子が完全に狂っていました。静かに座っていたのですが、コーラを持って行っても飲まず、パンを持って行っても食べず、ひとりで窓をみつめていたのです。父がどうしたら良いのか分からないのでした。どのようにするでしょうか? その姿を見ながら、私たち韓国人、たぶんあの方達がよく食べてよく暮らそうと努力して、米国まで来たようなのに、姿を見るとお金はちょっと集めたようでした。ところが、あの息子があのようになっているので、帰ろうとしているのでした。他人事に見えませんでした。特に、韓国人であるから、よりそうでした。迫っています。今、日本の子供達が家をみな出ています。癒しの働きです。皆様が何を見て、何を持つかにしたがって終わるのです。
 
・今年は、インマヌエルと私たちのメッセージを聞くすべてのタラッパンに、神様の大きい祝福の門が開くことを希望します。私は率直に、こういう部分をあまりに胸に持っているので、小さなことがそんなに重要ではなくて、それがそのように目に見えません。何がどうで、これがどうで、そのような状態でどうするのでしょうか? 本当に見れば、サウルが話す主題は、ダビデには魅力がありません。サウルの臣下達が眺めている現場は、それほどダビデには魅力がありません。誰が正しいかは、神様がご存知です。どれが正しいかということは、結果が説明をします。ダビデは、最高の王として世界を生かしました。間違いありません。これから迫る未来、2番目、エリートは大丈夫でしょうか? そうではありません。これからエリートがみな死にます。それで、エリートを生かさねばならないのです。これから迫る未来です。井m、相当な問題が何かを知っているでしょうか? 文化が変わっているのです。文化が今、急速に変わっています。クリスチャンは、夢にも見ることができずにいます。今、この中で一番たくさん出てきたのが、ニューエイジ運動です。私が以前に説教をしました。ニューエイジ運動が、今、韓国にまで入っています。私がそれはまだ確認出来ませんでした。韓国の‘精神世界史'という出版社と、ニューエイジが連結したのか、一緒に商売をするのかは分かりません。明らかなことは、同じ内容を出しています。今、ニューエイジ運動のあらゆる本、物を全部みな精神世界史が広告をしています。本も相当な本です。見るとはっと驚く本です。あなたがたが見たとすれば、ほとんどすべてが感動を受けて買って見る程に良い本です。とても驚くほどの本が出ています。これが全部ニューエイジから出てきたことです。このように、世界を征服しています。そして、彼らが今、何と話し始めたかというと‘キリスト教文化では、人を生かすことができない' このように出てきました。それで、私は文化の働きに対応するはずです。これをするための最も正確な答はレムナントです。幸いに、レムナントの答えが来つつあります。すばらしいことです。学生達が、一度メッセージで変わるのを見て、希望があることを確信しました。それでこのことをするために全世界に産業宣教を立て起こすのです。
 
・それが五番目、未来に対する準備です。産業宣教を単にするのではありません。全体が集まって、祈りから開始しなければなりません。なぜそうなのでしょうか? 絶対にあなたがたがする千ウォンずつ、一万ウォンずつで献金をしても、世界福音化は不可能です。まだ献金を千ウォンする人がいます。十年前からいままで、ずっとそうしています。今年も千ウォン、昨年度も千ウォン、来年にも千ウォン... どのように世界福音化をするのでしょうか? 私が見る時はできません。信徒の献金を持って世界福音化はできません。私の誤った信仰なのかは知れませんが、できません。宣教現場に宣教費をすこし送ってあげて、その人がそれで生活をするのに、どのように世界福音化をするのでしょうか? 私は宣教現地に行ってみて、はっと驚きました。宣教現地に行く時は、お金をたくさん準備して行きます。行ってあるまますべてあげます。どれくらい苦しいか分かりません。宣教師の月給は明らかです。私たちは、ここで 200百万ウォン、300百万ウォンは、すごいことです。ところが、その人はそれをもらって勉強しなければならず、子ども達を学校に送らなければならず、生活をみなせねばならないのに、少しでも応用する事があればできないのです。宣教地に行ったら、突然にお客さんが来たのです。やたらやって来るから、実際にこの人はたまたまその日の夕方に、夕食を準備するお金もなかったのです。準備をせねばならないのに、おりしもそのようになったのです。この人達は、勘が鈍かったのです。私が見て、そうなのかと自分の持っているものみなあげてきました。この人達は、むずかしいのです。このようにして、世界の福音化はできないのです。いつするのでしょうか? それで、私が神様に祈りました。産業宣教を立て起こしましょう。他の道がありません。神様が本当に答えをなさったら、この産業宣教を悟った人が出てくれば、みわざが起きるのではないでしょうか? それで、その祈りの答え通り、まずあちこちで産業宣教が今たくさん起きています。この重要な秘密を持って祈りし始めたら、祈りも他のことではなく、私達が受けた祝福、身分を持って祈ればよいのです。するとなるようになっています。日ごとに答えの門が開きます。何を持っているのでしょうか? ダビデは私が説明したこういう内容ではないのですが、なにかがありました。困難にあう時ごとに、重要な祈りをする時ごとに神様の前でです。今日、皆様がこの契約を捕まえて、一人ももれなく今日、貴重な日に答えを受ける秘密があります。それが何でしょうか? 神様の前でです。これがなんでもない話のようでも、ものすごく重要な話です。皆様が、皆様の胸に持っている話を誰にもできません。神様の前でです。私は以前にも話をしました。私は答えを受けたことがあまりにも多くて、衝撃になる程に答えを受けたことが多かったのですが、困難にもとても多くあいました。口に出して言えなくて‘こういうことがあるのか!'という事が、1,2種類ではなかったのです。その2種類が私に増えてきたのに、神様の恵みでいままで生きてきました。本当に衝撃的な事が多かったのです。口に出して言えません。こういうものが多いために、その二つを管理しようとした表情がこの顔です。
 
理解してください。普通のことには衝撃を受けないで、普通のことには笑いません。神様の恵みがどれくらい驚くべきことなのか分かりません。ところが、その時ごとに簡単な答があったのです。神様の前で。ここにいる方はそうではないでしょうが、私の場合には、皆様の足りない部分、皆様の過去、みなあったことを出したらどのようになるでしょうか? ほとんどみなお互いの間でみつめれば、卒倒するはずです。神様の前ではできます。どれくらい驚くべきことでしょうか? 皆様が受けるしかないものすごい問題を神様の前で。聖書が約束されているのには、Iヨハネ1:9節に「神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」三つの単語は、何でもないことのように見えても、信仰生活にとても重要な答です。ダビデが見ている重要なことは何でしょうか? ダビデは何を見たのでしょうか? 詩篇を見ながら、この三つを見出しました。ダビデは何を持っていたのでしょうか? ダビデは重要なことが生じた時、どのように処理したのでしょうか? 神様の前で。ダビデは重要な答えがきた時、どのようにしたのでしょうか? 神様の前で。この途方もない答えを受けて、何と言ったのでしょうか? 神様がくださったと言いました。ダビデに困難がきた時、どのようにしたのでしょうか? 主なる神様の前で。これは何でもないことのようでも、皆様が神様の前で出なければ失敗するようになります。問題がきた時、対策を立てようとする時、失敗するようになるのです。例えばからだが病気になったら、神様の前へ。人々の前に立てば不安になります。それほど差が出るのです。ダビデはこの三つを持って信仰生活を上手にやることを確認することができたのです。
 
・今日の詩篇26篇を簡単に説明できますが、私が詩篇26篇を見ながら、ダビデの信仰全体を説明するなかで、今日はダビデが持っている信仰の深い部分です。何を見るのかが重要です。また何を持っているのかが重要です。もう一度、要約します。皆様が真に祈りの答えを受けることができるのでしょうか? 受けることができます。それが、まさに何を見るのかの問題です。皆様、もう一度、目を覚まして全世界を見ましょう。 全世界は、相当な危機の中に陥っています。見る目がなければならないでしょう? それを見ることができないのに、どのように政治をしたり、教授ができるのでしょうか? そうではないでしょうか? 今回、台湾の現場に入っていってみて驚きました。それが目に見えないのでしょうか? 私はせつなく、韓国の政治家たちが目に見えないのでしょうか? どのように政治をしようとするのでしょうか? 見えないのに、国民は後からみな死んでいっています。今、大騒ぎしています。どの程度かというと、国民で正常なことではやっていけないでいるのです。良くなる所は、全部、酒場で狂った所だけがうまくいくのです。これが今、普通の問題ではありません。私はホテルで寝れば、眠ることができないほどです。どれくらい下がうるさかったか、下がナイトクラブだと言われました。それで、わざわざナイトクラブがあるホテルは行きません。大騒ぎをしています。昼夜がないのです。遊ぶことができます。遊ぶのがだめだと話しているのではありません。私も遊ぶ体質なので、遊ぶのが間違っているという話ではありません。人々が正常ではないのです。私たちの国民が、今そうです。どこでも新都市では、ずっと食べてずっと遊ぶ所だけが良くなって、他の所は商売ができません。今、ヨーロッパのような所は、正常な所は商売ができなくなっています。学生達は集まって、何か食べさせる所とか麻薬を取り入れる所だけ商売になるのです。見る目がないのでしょうか? 政治をする方達が、何を見るのかが重要です。何を見るのでしょうか? これが全部サタンの働きです。それで、神様がキリストを送られたのです。皆様、信仰生活はすぐに勝利できます。皆様が持っていることが何でしょうか? ちょっと前に、七つ話したのですが、一つの単語で要約できます。本当に重要な滅びない保障がなければならないのではないでしょうか? それが救いです。それなら伝道しにいこうではありません。それがなぜ祝福になるでしょうか? すると、成功する道があるのでしょうか? 私がずっと答えを受けねばならないのに、何を持って答えを受けるのでしょうか? 弟子としなさいと言われたのですが、その祝福は何でしょうか? なにかを知っていなければならないのではないでしょうか? すると、これから、どのようなことがおきるのでしょうか? 対応せねばならないでしょう? こういうことをするのには、聖書しかありません。違う所では与えることができないのです。聖書にだけあります。あなたがたが、こういう中で信仰生活をして行くのに、皆様が祈りの答えを受けるべきなのですが、私がすぐにどこに立たねばならないのでしょうか? 神様の前で。皆様がどのようなことでもかまいません。人の前ではだめですが、神様の前では良いのです。それで、申し訳ないのですが、カトリックで神父に懺悔の告白をすることは間違っているのです。非聖書的です。それは、旧約時代にしたことです。旧約時代には、祭司長が代わりに皆様の罪を祈ってくれたのです。間違ったことです。イエス様が亡くなられる時、神殿の幕が裂けました。ひとつ良いことはあります。カトリックの人は、神父の前に絶対に頭を上げることができません。なぜでしょうか? 皆知っているからです。すべての告白をせねばならないのですが、またどんな問題があるかというと、懺悔の告白をしなければ、赦されることができません。何の理論がそのような理論があるのでしょうか。そのことをみな隠しているのですが、また神父に話さねばならないのではないでしょうか? すると、話す所に行って話します。私がわざわざ行ってみました。穴があいた所に正面から眺めません。ところが、誰なのかは確認できます。話をみなしなければなりません。何月何日、私が何をしてと、話をみなしなければならないのです。神父がみな聞いて、分かったと祈りをしてくれます。ある神父は、あまりに多くて衝撃を受けて、家に帰ってきて妻もいないので、ずっと酒を飲むらしいのです。非聖書的です。どんな間違いも神様の前に。皆様に不思議に答えになってくるはずです。今日、重要な体験を一度してみましょう。私が真実に神様の前に祈ったところ、それが答えられてきたという事実です。山に登って断食する必要もありません。すれば良いでしょうが、そんなにしなくてもかまわないのです。いままで、私が祈りの答えを受けたことを、後ろを振り返れば、あまりにも恐ろしく神様の前に真実に立って祈りしたことだけ答えられてきました。本当に驚くべきことです。本当に驚くべきことに、私が副牧師をしたあとで東三第一教会へ行く時にも、インマヌエル教会に伝道運動がおきる時、外側から圧迫が入りました。重要な方達が祈りの答えできたし、ソウル・インマヌエル教会にきた時にも、私が神様の前で全部、答えを受けたのです。葛藤が起きる時ごとに、神様の前で。これが全部答えで来たという事実です。本当に不思議に思ったことです。こういう体験をして、信仰生活が楽しいのではないでしょうか? 信仰生活もいやなのに、どのように信仰生活をするのでしょうか? だから、聖日に無理に教会にきて、無理に座っているのは、どれくらい苦しい時間でしょうか? 信仰生活が楽しくて、聖日ごとにみことばを聞いて、現場に行って答えを受けて、こうしてこそ世界を生かすのではないでしょうか? なんにも知らないあの社会の人々に対して、なんにも分からないのです。本当に申し訳ないけれど、何にも知りません。世論に従って政治、経済が動きます。なにを知っているのでしょうか? 私が見るのには、何にも知りません。大変なことになりません。絶対に高慢な言葉ではありません。今、すでに問題がきています。これから地球はますます深刻化します。それで、福音を伝えることが祝福になるということです。今日、あなたがたが祈りの答えを受けるダビデにともになさった神様は、今でも共にいらっしゃいます。答えを受ける日になることを主の名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。単に教会に通う人ではなく、今日、千人と万人に会ったことより、今日、数千億を儲けることより重要な未来の答えがある日になるようにしてください。目を開けて見ることを見るようにさせてください。私たちに信仰の重要な祝福を与えて下さって、持つことを正しく持つ悟りを与えて下さい。まちがいなく答えになる、神様の前に立つ時間になるようにしてください。私は誰ですか、神様の前に立つ日になるようにしてください。私はなぜ生きねばならないのですか? 神様の前に立つ時間になるようにしてください。私はどのように生きるべきかを今日、神様の前に立つ祝福の時間になるようにしてください。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン