2003年 04月 27日 インマヌエル教会聖日メッセージ


1部 /誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさい。
(マルコ14:32-42)
 
 
・祈りについての話がよく聞いたでしょう。聖書で救いの次に強調されていて、祈りについての話が本当に多く出てきます。クリスチャンが、実際に味わっていないことが祈りです。それで、今日、イエス様が誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさいと言われました。この祝福が私たちすべてになければなりません。多くの宗教も祈るために、祈りについて多く言われるのです。私たちは祈ろうと、祈祷会をたくさんするために、祈りについてよく知っているかのように思うのですが、実際には祈りをよく知らずにいるのです。私は祈りについての話を多く聞いていたのですが、祈ることがありませんでした。祈りは聞いて習うこともせねばならないのですが、見ることが必要です。私が中学校1学年の時、私の父が亡くなりました。私は何十年間、母の祈る姿を見たのです。祈りはあのようにするのだな! 普通に考えました。本当に神様の恵みでした。私の母は、祈りをものすごく多くしました。それで、私達が分かる程に、他の人が理解する程に祈りを多くしたのです。私は率直に、祈りを価値あると考えることができませんでした。疲れているのに、寝る時、何でそんなに祈るのか、このように考える程でした。ところが、時間が経つほど驚くべき証拠が与えられたのです。私たちの村で福音を持った家は、私の家しかなかったのに、最高に私の家を祝福なさって、今、考えてみる時、祈りはすごいのだと思います。
 
・小学校の同窓会をするという連絡がきたので、一度行ってみたのですが、一度行ってみて、もう二度と行かないと思いました。あまりに水準が異常で、立派な人々は来ず、酒飲みだけが集まったのです。騒いで時間を浪費するようで、驚くべき事実は、同窓が集まったのに、私以外は、全部おじいさんでした。イエスを信じるということが、どれくらい重要かという、過去を振り返る機会でした。神様が 1つや2つではありません。どれだけ祝福なさったでしょうか? 何から話さねばならないのか分かりません。私は祈りを見たのです。祈りを見た証人です。むかしには、祈りが重要なのか分かりませんでした。価値あることも知らなかったのです。それで、仕方なく祈りをするのだと思っていたのです。一つの例で、私たちにとって近いことは何でしょうか? 経済です。そうではないでしょうか? 私の父が亡くなって、一度も私の家に金を受け取りに来る人はいませんでした。それが私たちの母が受けた祝福です。重要なことをする時、こういうことは必ずせねばなりませんという時、その事は必ずすることができて、お金を借りてきたことがありませんでした。そのような時には、お金を出してもらえるのです。どれだけ充実に生きたでしょうか。一番近くで見る時、その程度は未信者もできるでしょう。神様がどれだけ祝福なさったか? 私達には、突然病院に行く場合がたくさんあるでしょう? 考えてみれば、たくさんありえることです。一度も私にはありませんでした。私は奇跡が 1つや2つではありません。だから、まだその祝福で、目もめがねをかけなくても、小さい文字がすべて見えます。神様が歯までも1つや2つの祝福ではありません。それは、ありえることです。私は現場に行ってみると、レムナントが起きて、福音を受けることができる学生達がおきて、また麻薬は切ることができないのに、福音を受けた人が麻薬を切るのを見ながら、福音の力がどれくらいすごいのかということを見ながら、祈りはこうなのだと、聞くたのでなく、見たのでした。
 
・本を見たのですが、‘20世紀の奇跡'という本とミューラーが書いた本で‘信仰の人'という本を読みました。私はそれを見ながら、祈らねばならない! 祈りについて整理ができました。祈りたいと思いました。一回は、私にある人が来ました。来て何と話すかというと、先生、ここで働きたいと言いました。影島純福音教会のチョー・ヨンギ牧師の下で、あらゆる電気器具のアンプを使っていた人ですが、タラッパンですることがあればするということです。それで、私がコンピューターのことを知っているかと尋ねたら、よくできないと言いました。いまはコンピューターとみな連結してするのに、むかしの実力でできるかと言って、返したのに、少し話しながら私が尋ねたのです。長い間、チョー・ヨンギ先生に仕えていたということなので、なぜそうなのかと聞いて、あなたが私にチョー・ヨンギ先生の良い点一つだけを話して行きなさいと言いました。そうしたところ、この人が言う話が、チョー先生は、時間があり次第祈ると言いました。その時、私が決心したのです。その人に会って話したのが、ずいぶん前のことになりました。その方が祈りを多くしたのです。私はどんな考えをしたかというと、私は全世界に福音を伝えることが多いので、あの方よりもっとたくさん祈らねばならないということでした。研究したのです。どのようにすれば、祈りをもっと多くすることができるだろうか? 悪い決心ではありません。私は祈りながら、神様の多くの祝福を受けました。今日、あなたがたが実際に、この部分を回復する貴重な時間にならなければなりません。
 
・イエス様が誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさいとおっしゃったのですが、今日の本文を少し見るならば、イエス様が捕えられる前の日です。また弟子たちが、働きをほとんど終える時期で、地球上で最高に重要な時期だと見ることができます。イエス様が十字架を背負うために捕えられる、まさに直前の時間です。この時、イエス様が弟子を連れてゲツセマネに上がって祈り始められたのです。ところが、あなたがたもおわかりの通り、弟子が祈ることが出来なかったのです。疲れていて、イエス様がまた祈ってきてご覧になったら、弟子たちがみな寝入っていたのです。あまりに疲れていて、しんどくて疲れていたのです。 心もそうだったのでしょう。イエス様が誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさいとおっしゃったのでした。
 
・今日、私たちはここで真にどうようなことを悟らねばならないのでしょうか? 私はこの場面を見ながら、大部分のクリスチャンは、祈りの奥義を知らずにいると思いました。弟子達が多くの祝福を受けたことは事実です。弟子たちがキリストを見て感じたことが多くあります。弟子達が重要なキリストの働きを見て、多くの恵みを受けました。普通、そうです。そうしながら限界がきたのです。イエス様が重要な時期を迎えるのに、弟子達に限界がきました。これが私たちクリスチャンの姿でもあります。今日、ここから早く抜け出すことができなければなりません。弟子達がそれ以後に、イエス様がずっと教えてくださいました。私はそれを見て、本当にあまりにも完壁な教えをイエス様がくださったと思います。私はそのように見ました。大部分のクリスチャンが習えなかったことが何かというと、教会に出てきて信仰生活を熱心にしますが、福音体質にならない時に起きる、その理由をよく知らずにいるのです。大部分が、ほとんどみな聖書勉強して熱心に教会に通います。その程度の他は知らないのです。聖書勉強をして、恵みを受けて、その程度です。私は確かにクリスチャンにはっきりとお話しするために訓練を始めました。クリスチャンが福音体質にならない以上、霊的な問題には勝つことができません。クリスチャンが福音体質にならない以上、実際的な祈りの答えを受けることはできないのです。クリスチャンが福音体質にならない以上、世の中の人に勝つことはできません。私は確実な結論を持っています。これを教えてくれる人がいないのです。聖書ではただ聖霊のみ、ただイエスのみだとなっているのに、その話を分かることができないのです。誰も例外はありません。福音体質に完全に入っていかないと、牧師は成功することもできなくて、成功しても正しい教会になり得ません。それで、その人が牧会を終える前に、教会は揺れ始めるのです。教会堂がどんなに多くても、霊的な力は一つもありません。確実な結論です。あなたがたが、この契約を必ず捕まえるべきです。
 
・私が本格的に15年前に何を始めたのでしょうか? 福音に対して深く説明せねばなりません。すると、まちがいなく長い信仰の信徒が非難もするはずです。それでも話すべきなのです。多くの既存教団が何かと話すはずです。それでも話すべきなのです。そうでなければ、みな死にます。今日、あなたがたに相当な重要な日になることを希望します。この部分を理解する時、祈りに実際的なことが何か、伝道の実際的なことが何か分かります。ほとんどみな教えることがありません。聖書に出てきているのに、知らずに通り過ごすのです。今日、ものすごく重要な時刻表に会ったのですが、弟子達が正しく祈りの人だったならば、正しく悟らねばならない時間なのに、疲れていて寝ていました。一般的に限界がきたのです。あまりに疲れていて、疲れてしまっていたので、イエス様が捕えられるようにもなり、メシヤなのかと思っていたのに、終わるようにもなって、色々ながことが行ったり来たりします。これがクリスチャンの限界です。今日、皆様が必ず神様のみことばを聞いて、人ゆえにいろいろ起きることによって疲れずに、今日、本当に勝利する大きい祝福の日になることを望みます。全世界のキリスト教は、問題の中に陥っています。早くこの恵みを捕まえてくださるように願います。全世界のクリスチャンは力がありません。早くこの契約を捕まえねばなりません。誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさい。イエス様がおっしゃったみことばです。答えです。祈りを正しく習うべきなのです。誘惑が多いということです。誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさい。率直な話で、私達が隠して嘘をついているので、クリスチャンが集まっていると、問題しかありません。率直な話で、今、外に出て、海外の団体, 教会を見れば問題しかありません。一つも正しい、そのようなことがありません。大変なことになりました。何かを誤って習ったのです。福音はそのようなことではありません。すべての問題の解決、それでイエス様が公生涯を教える時間の中で、一番最後の週に教えられたメッセージが何でしょうか?誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさい。その話がどれだけ重要な話でしょうか? 私たちは、全てのものをみなもらったのですが、誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさい。今日、このメッセージを聞きながら、説教ではなくて、神様のみことばのなかでこの祝福を本当に捜し出すべきです。この味を知ることができなくて、どのように信仰生活ができるでしょうか? ほとんどすべてが、色々な複雑な声が出てくるようになっています。こうだ、ああだとみな出てくるようになっています。それが正しい話しであっても、有益を与える話ではなくて、信仰生活に成功にする話しでもありません。結局は、自分自身も崩れるのです。限界がきます。未信者と違わないのです。
 
・今日も、ある国で私たちの教会の信徒が、地域教会を作るべきなのですが、と言ってきました。私が見たら、本当に残念です。たくさん待てば良いので、あまり急にしなくても良いのに、遠く見通しながら祈れば良いのにという考えをしました。もっと残念なことは、クリスチャンが礼拝をささげる所、安らかに礼拝する教会がないのです。本当に残念です。ほとんどすべてが、レムナントが礼拝をささげようと行ったのですが、教会に行かずにさまよって滅びるのではないでしょうか? 私たちの子どもたちが海外に行って、教会に行かずにさまようのです。なぜ教会に行かないのでしょうか? 教会堂が多いのに、さまよっていて崩れます。すると、明らかです。未信者について行くしかなくて、不信仰な世の中のことを習うことができなくて、そうこうしながら、誤った友人に会って、誤った道に行くしかないでしょう。今日相当な重要な時間になることを願います。フィリピンから来た5人の学生達が、少し私を訪ねてきました。それで、することうを最高に向かって挑戦しなさい。年齢があるために、失望する必要ない。挑戦しなさいというような話もして、祈りもしたのですが、今、私たちの学生達が同じです。この秘密だけ持っていれば、福音はすべての問題の解決です。それなら、伝道はまちがいなく全てのものの時刻表です。この力を味わうことが祈りなのに、ほとんどのクリスチャンがこれを味わうことができないのです。残念なことです。誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさい。単純に祈りなさいということでしょうか? 初代教会の弟子達が、祈りについて知らないのでしょうか? そうではありません。限界がきたのです。限界が来るべき時間でないのに、最も祝福を受けねばならない時間なのに、限界がきたということです。皆様、この部分から抜け出すことができなければ、絶対に牧会もできず、宣教もできず、何にもできないのです。今日、信仰生活、個人にも途方もない祝福を受け取っておいても問題がくるのです。誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさい。皆様、この契約を今日、堅く捕まえてくださることを望みます。
 
・すると、何ができていないのでしょうか? とても簡単です。何ができていないのでしょうか? 今、弟子達が普段の時に、神様の恵みで生きている時に、祈りができていない部分におきたのです。教会に祝福がとても降り注いでいる時に、祝福を味わっている時に、普段の時に自分ができていなかった祈りの限界が表れてしまったのです。皆様は、こういう日に遭わなくなることを希望します。神様の恵みで、教会の力で、両親の祝福で、他の人の祈りで生きていても、ある日、自分の限界がきたら、どうするのでしょうか? それでできるでしょうか? 今 、弟子達がそのようになったのです。イエス様が無能なこともなくて、福音が足りないこともなくて、神様が生きておられないこともなくて、真理が変わったのでもなくて、ただ弟子達に限界がきたのです。この時間は、限界が来る時間ではありません。ものすごく挑戦せねばならない時間です。この時間は、ゲツセマネで本格的に祈らねばならない時間です。弟子達には限界がきてしまいました。それが問題です。それまで弟子達は、弁当ひとつで5千人が食べて余るのを見ました。興奮したのです。皆様はどうでしょうか? 死者が来て、イエス様の一言で起きるのを見ました。興奮したのです。イエス様が中風患者に、みことば一言で直され、長血の女をみことば一言で直されました。盲人をみことば一言で直されました。すごいことです。そのような方を、師匠として仕えていてから、たいしたことではないでしょうか? そのように信仰生活をしていました。イエス様が水の上も歩かれ、神様の息子なので、できない事があるでしょうか? すごいなと、多くの恵みを受けたのです。多くのプライドが生まれました。そのようなある日、その恵みで生きて、その気分で生きていたのですが、ものすごく重要な瞬間が来ました。自分の限界をさらけ出す時間がきたのです。その時に、イエス様が誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさいとおっしゃったのです。この弟子達が、まだこの部分を知らなかったのです。私が見る時には、ものすごく重要なすべての世界のクリスチャンがこの問題に縛られています。救われていないのでもありません。限界がきたのです。ものすごい祝福を受けていないのでもありません。そして、救われることができなかった人々でもありません。世界征服した人々です。限界がきただけです。その時、イエス様が誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさい。どれくらい簡単な話でしょうか? この部分を知らなくて、みな崩れるのです。
 
・私が知っていることでは簡単です。福音の奥義、伝道の奥義、祈りの奥義を知らなくて、限界がきたのです。皆様、簡単に話すことができます。福音の奥義は、何でしょうか? 皆様の霊的問題を神様が永遠に解決なさったのです。伝道の奥義は何でしょうか? この祝福を味わうすべての時刻表が、この中に入っているのです。祈りの奥義は何でしょうか? この力を真に自分のものにすることです。これができなければなりません。今日、このタイトルを捕まえれば、神様が答えをくださるはずです。どのようにすれば、祈りの答えを受けるのでしょうか? どのようにすれば、祈れるのでしょうか? 神様が答えを下さるはずです。
 
・昨日、核心を終えて出て来たら、学生のようなのに紙ひとつ書いて手紙を私にくれました。たぶん私たちの学生がくれたようです。名前も書いていないのにE-Mailが書いてありました。何だと書いていたかというと、先生が普段の時、祈っておられることをそのまま教えて下さい。学生のようです。E-Mailで見たら、自分の関係先とありました。しかし、それよりもっと重要なことは、この学生が福音の奥義を知って、伝道の奥義を知って、祈りの奥義を味わい始めれば、私が受けた答えよりもっと良い答えを神様がくださることができます。なぜでしょうか? その学生は、未来があるために、もっと大きい答えを受けることができるのです。簡単です。誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさい。このイエス様のみことばを本当に聞けば、神様は皆様にできない祈りはできるようにしてくださるのです。ひょっとして祈りを知らなければ、知るようにさせてくださるのです。絶対に、この部分がなければ、限界がきます。限界が来たら、どのようになるのでしょうか? 気落ちするようになります。限界がくれば、どのようになるのでしょうか? 恨むようになります。限界がくれば、どのようになるのでしょうか? 誘惑に陥ります。すると、結果はどのようになるのでしょうか? 肉体的な問題がきます。精神的な問題がきます。そこに従って、霊的な問題がくるのです。あなたがたが、仮りに祈りの奥義を知るようになるとすれば、私が知っていることでは、たくさんの答えがみな来ますが、重要な結果がきます。あらかじめ答えが来るのです。皆様が祈りの奥義を持っていれば、まちがいなくあらかじめ答えがきます。祈りの奥義を持っていれば、何が見えるでしょうか?時刻表が見えます。祈りの奥義を持っていれば、問題が来ればすぐに解答が見えます。驚くべきことです。この祝福をすべての信徒が回復すべきです。
 
・ヨセフは、早くにお母さんが亡くなって、お母さんの顔を知っているか、いないかくらいでした。ヨセフの兄達は、ヨセフを嫌いました。ヨセフは、自分のお母さんではない母が家に多かったゆえに嫌ったのです。それで一言で、ヨセフは真に孤独な人でした。ヨセフに何があったのかというと、祈りの奥義がありました。問題になりません。ヨセフが祈る中に、大きいヴィジョンを見たのです。このヨセフを殺そうと兄たちが、穴に入れたのに、ちょうどそこには水がありませんでした。その時、兄の中で一名が殺してなにをするのか? 売り飛ばそうと言いました。父に死んだと話して、ヨセフの服を脱がせて、羊の血を塗って死んだと話そう。父が私達がヨセフを探している途中で、ヨセフの服がここにあって、獣に殺されたようだと証拠で服を持って行きました。そして、ヨセフを売ったのです。皆様がおわかりの通り、ヨセフが奴隷に変わりました。それでもかまわないのです。ヨセフには重要な奥義があったのです。何でしょうか?祈りの奥義です。神様の子ども、それはもちろんです。どんな状況にも勝ち抜きました。ヨセフがそれから、重要な祝福を受けて、大きい試みにあいました。皆様がおわかりの通り、刑務所に行くようになったのです。それでもかまわなかったのです。ヨセフは、刑務所でも勝つことができる力がありました。それがまさに祈りの奥義を持っていたことです。私ははっきりとお話ししたいのです。どんなに祈っても、福音をよく知らなければなりません。それで、福音を本当に理解するならば、ついてくる2つがあるのですが、最も簡単になることが伝道です。そして、できることが祈りです。それで、しばしば福音の話をするのです。福音の根をおろしてしまえば、あなたがたも知らない間に、霊的な問題は解決するはずです。伝道しようと行かなかったのに、伝道される人が来るはずです。時間がなければ、それとともに祈りができて、みわざが起きるようになるはずです。まだ弟子達が、この部分がだめでした。その後にできるようになったのですが、まだこれができなくて、限界がきたのです。信仰生活は実に簡単です。本当に証しです。皆様と私が完全だということではありません。皆様と私が、失敗ないということでもなくて、皆様と私が何か神様のようになったということでもありません。私たちは弱い人間です。私は答えがあまりにたくさん来ても、成し遂げることことができない弱い人間です。私が今、いつも悩みがそれです。行く所ごとに途方もなく答えがきています。しかし、成し遂げることができないのです。
 
・この前、連続的に集会している途中で、ヨーロッパ集会に行ったのですが、帰ってきて風邪になったのですが、そばで風邪になった人があったのか風邪になりました。非常に神様が健康を祝福してくださって、勝ち抜くことはしたのですが、今、耳が遠くなっています。今私がする話がよく聞こえているか、聞こえないのか、耳がふさがってものすごく困っています。耳がふさがって難しいのに、本当に癌になった人は難しいだろうな。そのような考えをしてみながら祈っています。このように、人間はそのように弱いのです。答えがあまりたくさん来て、成し遂げることができない程です。私の場合には、答えがあまりたくさんきて高慢になる程で、それ程に人間は弱いのです。ところが、まちがいなくこの奥義だけあれば大丈夫なのです。私は信仰生活を始める時、また世界福音化を始めた時、ここに座っているあなたがたとともに世界福音化を始めた時、私たちは多くの困難と非難を受けました。ところが、神様は私たちを保護なさっただけでなく、私たちをどのように保護なさったかというと、私は敢えて、神様の前に感謝申し上げることがあります。祈りの奥義です。今日、必ず回復するように望みます。どんな問題がきてもかまわないのです。どんな問題でもです。韓国教会と世界教会が共に祈ってください。感謝なことに韓国に多くの教会で、おとなたちが、今現在タラッパンは異端でないと、タラッパンとタラッパンが伝道運動を一緒にするならばできるという心の門をあけました。この方達が、神様の人なのです。それで、私たちに重要な時刻表が来るでしょう。それなら、総会を解体しても一緒に行くことができます。この程度、話ができる程です。神様がどのように導かれるかわかりません。どんな状況が来ても構いません。皆様がどんなに困難の中にいても、福音が本当にならば、皆様に祈りの奥義があるでしょう。必ずこの契約を捕まえてくださることを望みます。福音の根をおろすことができなければ、霊的問題に耐えることができません。それで、私が神様の前で約束するのには、そのように祈りました。神様、私が講堂に立つ時ごとに福音を話します。なぜでしょうか? 信徒はしばしば忘れてしまうからです。そして、長い間、生きてきた体質があるからです。それゆえに本人が死ぬということを知らないでいるのです。私が話をしてあげなければなりません。講堂に立つ時ごとに私達が福音の体質になれば、その時から勝利するようになるのに、伝道は簡単になり、さらには重要なことは、祈りの深い体質の内に入っていくようになるのです。誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさい。皆様はどんな状況にあってもかまわないのです。なぜでしょうか? 神様の子どもであるゆえに、キリストの奥義があるために、その中で重要なことは祈りの奥義です。
 
・次週にフィリピンに私たちのレムナントの学生達が出発します。祈りの奥義を持って行きなさい。また軍隊に行く私たちの青年達がいます。軍隊生活は、家庭生活のようではありません。祈りの奥義を持って行きなさい。皆様の職場や社会に入っていけば、職場は自分の思い通りにはなりません。人々が多い中で信仰生活しなければなりません。祈りの奥義を持って行きなさい。今、外に出かければ、世の中は自分の思い通りなることではありません。自分の思い通りになることではありません。祈りの奥義を持って行きなさい。皆様が外に出てみれば、困難がたくさんあります。どのようにするのでしょうか? 祈りの奥義を持って行きなさい。事業しようとすれば、事業はやさしいでしょうか? どのようにせねばならないでしょうか? その人々を生かすことができる力の祈りの奥義を持って行きなさい。誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさい。これがあなたがたに答で持つべきです。今日、皆様に本当に重要な、真に頼んで、真に証します。この祝福が皆様に正確な答になることを主の名前でお祈りします。福音を本当に分かって根をおろせば、皆様にすべての門が開くようになります。その中で味わうようになることが祈りです。この祝福が皆様のものになることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
 神様に感謝申し上げます。今日終わるメッセージではなくて、始まるメッセージになるようにしてください。私たちは福音を受けたのにもかかわらず、この秘密を知らなくて限界に会ったり、未信者に敗れたり、私たち自身にも崩れたり、誘惑にあってさまよったり、色々な困難に会うことがあります。主が今日、この恵みを私達に与えて下さい。誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさいとおっしゃった主の最後の教訓を弟子達が受けて、聖霊の充満を受けたように、今日、私達に聖霊の充満を与えて下さい。私たちは神様の子どもです。世界を征服せねばならない、伝道せねばならない使命者なのに、私たちは弱いのです。祈りの奥義を与えて下さって、明日から私たちは学校と世の中で生きなければなりません。祈りの奥義を与えて下さい。私たちは未信者とともにこの地で生きなければなりません。祈りの奥義を与えて下さい。すべての暗闇の勢力の中で私たちは生きなければなりません。祈りの奥義を、神様がすべての主の民に与えて下さい。イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン
 
 


2部 /腹を立てるな、ねたみを起こすな
(詩37:1-10)
 
 
・5月から私達の伝道合宿が始まるミッションホームに執事が犬を一匹飼っているのですが、犬がとても張りし回っています。それまでは良いのに、私の妻がトリと名前をつけたのに、先週に行くと、私を見て狙ってほえました。そのようになれば深刻ではないでしょうか。他の人を見てほえるのは良いのですが、私を見たらほえて良いでしょうか。敵に会ったようにほえました。それで私が頭を使いました。入っていって犬が好む肉、するめなどを持っていって、顔を見たらひとつずつ与えたのです。どれくらいおいしかったのでしょうか。熱心に食べて、その時から、側から離れません。門の前で私が出てくる時まで待っていました。それで、私が夜明けに見るとその時も門の前で待っています。まず、成功しました。今、行けばほえません。これを何でもないことのように見えるけれど、世界福音化しながら習ったのです。それが何が難しいでしょうか。しかし、世の中には私たち一般信者やレムナント達が知らない大変な陰謀や策略があります。こういうことを人々はよく知らないだけでなく、また解釈もよくできなくて試みに会ったり、ある時は知らなく、作り出したりします。
 
・私が何度か衝撃を受けたことがあるのですが、小学校 2学年の時か、私が九才か十才くらいになった時です。その時は 6.25(1950年朝鮮戦争)の時だったので、私たちの組に五才上の友がいました。学校をそこまで行くことができなかったから、一緒のクラスにいたのです。五才上だったら、大きいので一番後に座っていました。その日に、私が国語の時間なのに、ノートがすこししか残っていなかったのです。あらかじめ買っておかなければならなかったのに、先生がなぜノートをあらかじめ準備しなかったかと言われました。話すべき言葉がなくて、準備を出来なかったと言ったのです。背が高い友が新しいノートがあると言いながら、その友がくれて、次の日にお金を渡すようにしました。良かったと思って、そのノートで勉強したのです。その翌日、私の母に話して、そのノート代を渡しました。そのノートの値段が、その当時2円でした。2円を持って行ったのに、三日ほど過ぎて、この友達が私に来て、なぜノート代をくれないのかと言ったのです。私が慌てました。その翌日渡したと言ったのに、もらっていないと言うのです。私が確かにその翌日、学校にきて渡したと言ったのに、もらっていないと言うのです。もらわなかったと言うのに、人の顔色をうかがうと、知らずにもらわなかったと言うのではなく、何か意味あるように私を狙ってもらわなかったと言っているのでした。私の母に話をして2円をまたもらって、持って行きました。ものすごくプライドが傷つきました。2円は、いくらもならないのですが、40年過ぎたのに、いまだに忘れないでいます。2円を詐欺に会いました。怖い世の中です。
 
・伝道運動しようと回っていると、韓国、釜山で一番水準が高い長官達、国会議員達だけがいる教会に私が伝道師として勤めるようになりました。お金が多いから、仕事をするのは良かったのです。ところが、はっと驚きました。どんなに祈っても、どんなに説教を聞いてしても効果がありません。策略、陰謀の極致が行われるのです。それで私が気がついたのです。こういうこともあるんだなと思いました。どんなに祈っても効果がありません。固くなっていました。私が知らなかったのです。私は行って熱心に仕事をすれば良いと思って伝道したのです。そうしたあと見たら、信徒も教会も目に見えず、派に分かれてけんかをしていました。グループでけんかしているのですが、普通のけんかではありません。他の人がけんかをしているので、私がそれをどのように分かるでしょうか。私は伝道師なので、伝道だけすれば良いと思っていたので、そこに巻き込まれることはありませんでした。私が見たら、普通の問題ではないと思いました。それが、私の人生に影響を与える程、問題がきたのです。だから、習ったことも効果がなくて、優秀なことも効果がありませんでした。このような、策略、陰謀が多いのです。それを見ながら、私は後ほど遅く知ったのです。こういうことを知って越えるべきなのです。そうしたあと見ると、私が伝道運動をしていて、こういうものがあるのだと分析をしてみました。性格的に策略や陰謀を企てる人がいます。そのようなことは、みなよく避ければ良いのですが、性格的に幼い時から作られたのです。 策略や陰謀を企てて、他人に良くないようにする人々が多いのです。教会の中にも多くて、世の中にはもっと多くいます。むずかしいのです。
 
・人々が日常的に自分の立場だけを持って話すことも多いのです。私が外国で報告を聞いてみれば、ほとんどみな相手方の立場は全く考えないで、自分が間違ったことはみな忘れてしまって、順序も時刻表もみな忘れてしまって、自分の立場だけを持つのです。自分がまず剣を持って相手の悪口を言うのですが、自分が剣を持っていることは話さなくて、相手が悪口を言ったことだけ話します。こういう方法です。それを見ながら、神様の祝福を受ける人と、受けることができない人はこういう差があるんだなと思いました。それで、私たちインマヌエルに育っているレムナントや、世界福音化するために育っている私たちレムナント達は、こういうことに陥らず、大きい人物にならなければなりません。すると知っていなければならないのです。そして、越えて立つことができなければなりません。重要です。またこれが職業的に策略、陰謀をするようになります。それで、私は牧師はしないと思っていました。しかし、職業的にもっとするのです。見たら、知らなかったのでした。これをあらかじめ知っていて、祈って伝道して、教会の働きをすればよかったのですが、それが何で必要なのかと思ったのです。皆様が知らない世界があります。何かの集いをするのに行かないで忙しかったのです。人は、仕事の位置によって、また変わります。また大きい事をすれば、また変わります。それを私が知らなかったのです。私は私のテープをみな持っていって、分析をして恵みを受けるのだと思っていたのです。言葉の一つ一つをつかまえて、論議をするとは夢にも考えることが出来ませんでした。怖いことでした。信徒が、牧師がそのようにするのです。こういう怖い策略です。釜山で私達が建物がなくて他の人の建物借りて教会をしながら、長老と何人かの信徒と、馬山にという山の下で、仮設の建物を借りて使うので、見にいこうと言いました。その仮設の建物は、どのように建てたのか見て、私たちも土地を借りて建てようと行ったのです。行ってきて私が話しました。大きくよく建てたと言われていたので、礼拝をささげる時行ってみたら、聖歌隊がものすごくて、どれくらい熱心にしているでしょうか。それをどのようにテープで聞いたのか、異端の教会を訪問したから異端関連説、聖歌隊が相当だったと話したから、異端をほめたと仕掛けて来たのです。想像を越える話です。そのような策略がどれくらい多いでしょうか。私がこれを早く知っていていたなら、身の振り方をちょっと良くして、これをよく越えたのに、あなたがたは大きい働きをしなければならない方達は、よりよく知っていなければなりません。これを誰かに教えてもらうことができません。世の中がこのようにしていることを誰も教えてくれません。誰も世界福音化して伝道した模範ケースがないために、行って尋ねることもできなくて習うことができないのです。
 
・教会が大きくなりながら、いろいろなことがみな起きました。実際にあったことです。釜山の大きい教会は、牧師の家に手紙がたくさんきました。それを奥様宛てに送ったのです。奥様宛てに送ったから、奥様が見たのです。長文の手紙でした。見ると、ある女の人が牧師にどのようにしたと書いていたのに、それを見て、奥様がなにかと祈ったら良いのに、この考えが短かったのです。これを持って悩んでいて、自分と対話ができる長老に持っていったのです。長老達が集まって、これをいっしょに読んでみたのです。その中でちょっと頭が回る長老がいらっしゃれば‘違う。私達がよく調査をしてみよう'と言うべきなのに、洗いざらい奥様と一緒に試みに会ったのです。これで教会がひっくり返りました。想像もできないことが書かれていました。だから、牧師がどんなに話して弁解をしてもだめでした。奥様と役員が結集したのでだめでした。このようにして釜山がぱっとひっくり返ったのです。賢い未信者の中の弁護士を選別したのに、その弁護士がその女の人の調査をしました。そのような方法として、他の人にお金を取っていた前科4犯でした。それを調査して捜し出したのです。それで、その女の人は拘束されました。拘束されたので、その時になって間違ったと分かりました。私は大きい教会や牧師がお金が多いと思って、そのようにしたと行ったのです。この人が、有名な政治家にそのように4回もしたのです。後ほど教会がだまされたと言ったのですが、遅かったのです。教会でそのようになって、牧師がそれもありえる事だと考えれば良いのに、神経を使い、血圧が上がり倒れたのです。いままで中風病者です。そのように怖いことです。位置によって策略、こういう部分が世の中にはあまりに多いのです。未信者は、このような落とし穴を作って、勝って奪い取ることをよく習ってきたのです。ところが、信者の中にもそのように思っているのか、本当に困ります。驚くべき事実は、牧師の中にもそのように思っているのです。人を策略で勝てば良いと思っています。簡単に話せば、神様を全く信じないのです。
 
・皆様、今日ダビデを見て、信仰の重要なことを習わなければなりません。ダビデは大統領になる人ではなくて、王になる人でした。ここにもう一つのポイントがあります。大統領になるということは、4年、5年、7年等、何年かだけすれば良いのですが、王になるのは一生です。それで、王の反対側になる人は、ダビデが王になれば、一生滅びるのです。そして、王と親しい人は、その人は一生生かされます。こういう怖い結果が出てきます。だから、王制度がなくなったのですが、これで、ものすごく戦うようになります。ダビデにどれくらい多くの陰謀や策略、困難があったでしょうか。今日、私たちは本文のみことばの背景を少し見たら、どのようにダビデがこういう難しい部分によく勝つことができたのでしょうか。大きく3つのことで見ながら、皆様が社会生活、教会生活、すべての信仰生活で真に勝利するようになることを主の御名によってお祈りします。どのようにすれば良いのでしょうか。ダビデがどのようにしたのかが重要です。特にレムナントに頼みます。あなたがたが社会に行ったり、外国に行ったり、どこに行っても、既成世代のうまくいった点もあって、誤った点もあります。それゆえに試みに会ってはいけません。するとまず、大きい人物になることができません。私は、外国に行ってレムナントを見て必ず頼みます。あなたが恵みを受ける所がないでしょう。恵みを受ける道をさがしなさい。それが出来なければ、大変な事になります。今日、ここに青年達がたくさんいます。あなたがたが、全世界を通って世界福音化する人であることが間違いないのに、行ってみると世の中はそうではありません。どれくらい多くの複雑なことと、陰謀、策略、自分の立場と、嘘と、色々なことがいっぱいあるでしょうか。どのようにするのでしょう。ダビデはどのようにしたでしょう。たくさんあるでしょうが、大きく3つです。
 
・1番目に、ダビデは揺れない理由、答を持っていました。ダビデは、王になって神様の前に栄光を帰すはずだという確実な答を持っていました。それで揺れなかったのです。Iサムエル16:13に、幼いダビデにサムエルが油を注ぎながら、王になるはずだと言いました。私と皆様は、神様の子どもであり、世界の福音化の重要な神様の民であることは、間違いありません。それが間違いないならば、あなたがたはこれからは、何も揺れる必要がなくて、契約を捕まえなければなりません。私が伝道者であることが確実で、福音を持った人であることが確実でしょうか。祝福を受けざるをえません。私はこの契約を捕まえて、インマヌエルに、皆様に、私は現してきましたし、これからもするはずです。ダビデがこの契約を持っていました。これから王になって、イスラエルをどのようにするかという準備をしていたのです。私がもし王になるならば、神殿を建てて、神様に礼拝をささげて、すばらしい聖歌隊を作って、神様の前に賛美するつもりだと、ダビデが計画を立てました。それで答を持っていたのです。そして詩篇78:70-72、Iサムエル17:1-47を見ると、ダビデは信仰にも答を持っていました。信仰の奥義を持っていました。絶対に揺れません。ゴリヤテとの戦いに出る時、ダビデはこう話しました。主なる神様が父の家の羊を飼っていた時、私が羊一匹も忘れてしまったことがなくて、獣が羊を捕まえて行くならば、獣と戦って、獅子と戦っても勝った。神様が私をゴリヤテの手から救い出してくださることを信じます。ダビデの信仰です。ものすごい将軍ゴリヤテの前にきて、おまえは剣と槍と投げ槍を持ってきたが、私はお前がなぶった主の名におまえに立ち向かうと言いました。それは何の話でしょうか。信仰の明らかな答を持っていたということです。これがダビデです。それだけではありません。答えと祝福を、勝つことができるようにずっと受けました。
 
・比較もできませんが、私が多くの困難にあったのに、よく勝つことができる道がありました。それは、私の人格ではありません。私はそのような人格ではありません。私は、多くの非難を受けました。それでもよく勝つことができました。それは、私の忍耐ではありません。そのような忍耐はありません。私は寝ながらも、夜の明け方 3,4時になっても、英語の単語や字が頭の中を行ったり来たりしたら、寝ている途中で起きて確認して寝るような者です。そのように私は、忍耐が強い者ではありません。道を歩いていても、漢字で分からないことが見えれば、みな置いておいて書かなければいられません。それを書いて家に帰って、辞書をさがす性格であって、次にする性格ではありません。どのように勝ったのでしょうか。簡単です。神様が答えと祝福をずっとくださったのです。これがダビデが世の中で難しい部分に勝つようになった最初の秘密です。あなたがたが、まちがいなくそうで、ダビデだけがそうなのではありません。インマヌエルと私たちタラッパンに集まったすべてのあなたがたが、今日、堅く握らなければならない契約が何でしょうか?神様の民であることが間違いないならば、世界福音化の主人公です。そうでなければ分かりませんが、あなたがたが神様の民であることが間違いないならば、神様は皆様を守ってくださるのです。皆様が神様の民であることが間違いないならば、神様はまちがいなく答えてくださるはずです。間違いありません。これが、ダビデが持っていた信仰です。間違いありません。今日、皆様一人ももれなく、この信仰を回復するように願います。この部分が揺れれば、お金をたくさん儲けても揺れます。この部分が確実でなければ、祝福されても確実でないでしょう。しかし、この部分が確かならば、私が今、難しいとしても、勝つことができます。ダビデが最初に持った信仰です。王になって神様に栄光を帰すという確実な答を持っていました。私は世界の福音化を、福音を持っている私と皆様ができるという事実を確実に知っています。すると、それで十分でしょう。神様はどんな状況でも、私たちを守られ、神様は私たちの祈りに答えられるはずです。これが、ダビデが持った最初の信仰です。これで、ダビデがあらゆる困難をみな勝ったのです。
 
・2番目です。ダビデがどのようにこういう多くの策略、陰謀、困難に勝つことができたのでしょうか。皆様に葛藤はあるでしょう。どのように勝つのでしょうか。皆様の職場、教会、家に行けば、人ゆえに来る葛藤をどのように勝つのでしょうか。それは小さなことではありません。皆様が教役者間で働きをするのに、葛藤が来たら、これは小さなことではありません。教会に仕えて、神様に仕えているのに、役員や堂会で堂会員達の葛藤がある教会が多いのに、それが小さなことではありません。それより深刻なことは、夫婦です。あまりに多くの葛藤があるのに、小さなことではありません。どのように勝つのでしょうか。たぶん、獣ならば、犬ならば、人の家に持っていけば良いのですが、人はそれができません。小さな葛藤ではありません。ダビデが今日、本文に表現しています。詩37:1‘悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対してねたみを起こすな。'ダビデが持った2番目の重要な信仰の秘密です。悪を行なう者と不正を行なう者は、どんなに成功したかの様に見えても、草と同じになるはずです。草は長くいるでしょうか。青草のようなはずです。詩37:10を見ると‘ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。'いなくなります。青草が長くあるでしょうか。木のように、10年、20年続くでしょうか。どんなにしても、何ヶ月か一年です。ダビデがそれを知っていました。私たちのレムナントは、信仰の大きい人物として育つようになるように願います。とても他人の話を多くする働き人がいるので、私が会ってそのような話をしました。未信者でも大きい人物は、他人の弱点と他人の話しと、他人の非難はしません。未信者でも大きい人物は、そのようにしないのです。本当に小さい人物や、韓国の政治家みたいな人々がするので、そうでなければしません。希望がない韓国の政治家のような人々がするのですが、外国に行けば大きい人物は、そのようにしません。すでに国家観と政策があります。まして信者が、それも神様の民が、そのようなことをしてはならないと言いました。
 
・皆様、今日の本文をよく見ましょう。また10節を見れば‘ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。'特に22節を見れば‘主に祝福された者は地を受け継ごう。しかし主にのろわれた者は断ち切られる。' 不信仰な者、この地で悪いことを行う者は、呪われるのに、私達が心配する必要があるでしょうか。25節にこういう話があります。‘私が若かったときも、また年老いた今も、正しい者が見捨てられたり、その子孫が食べ物を請うのを見たことがない。'ダビデが見た一生の信仰です。私が今、幼いころから老いるまで見たのに、義人が捨てられてしまったたり、その息子が乞食をするようなことはありませんでした。確かです。だから、心配する必要がないのです。ダビデがすでに世の中を知っていたということです。37節にこういうみことばがあります。‘全き人に目を留め、直ぐな人を見よ。平和の人には子孫ができる。'確かに聖書にイエス様が、平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからですと言われました。まちがいなくそうです。今日37章 5節を見ると、‘あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。’と言われました。神様の民であるためです。
 
・私たちは一生、信仰生活する間に、私たちの周囲に困難が多くあります。皆様が大きい人物になる方は、より多いでしょう。ここに今日、レムナントの中に、青年達の中に、皆様で世界を動かす人物は、より覚悟しなければなりません。世の中は、こうだなと、悪く見る必要もありません。私達が重要な信仰を持っていれば良いのです。皆様を通じて神様は世界福音化の計画を確かに持っておられます。それなら、神様は伝道者と福音を持った皆様を保護されるのです。神様は時間と時に従って、答えをずっとなさるはずです。皆様が戦いの中で最も大きい戦いが何でしょうか?答えを受けることです。勝利の中で最も大きい勝利は、何でしょうか。祝福をずっと受けることです。私たちのレムナントと皆様が世の中に行く前に答えをまず受ければ、世の中に勝つことができます。これがダビデの信仰です。そして、世の中を見る目です。どんなに不信仰な者がうまくいって、どんなに策略、陰謀する者がうまくいっても、それは草と同じです。気落ちする必要はないということです。それで、私たちの学生、青年達に頼みます。一生の間、小さな頭を回さず、大きい人物になりましょう。これから、私たちのインマヌエルのレムナントは、大きい信仰の人物がおきましょう。小さなことで倒れる者にならず、大きい人物になりましょう。
 
・三番目です。ダビデが、ただの信仰生活をしたのではなく、これは私たちに必ず必要なことです。ダビデは、信仰に成功できるスケジュールと、自らのストーリーを知っていました。単純に王になるはずだというのではなく、自らのスケジュールを皆、知っていたのです。私が成功した人々に会ってみたら、ほとんどみな共通点がありました。なにか自分が成功した道がみなあるのです。大部分の人々はそれがないのに、とても重要な成功した人に会ってみれば、みなあります。一度は、私が星を4ケつけた将軍に会ったのに、立派な方で、長官もしていました。私と2回ほど食事をしたのですが、この方が静かに話を聞いてみたら、何かがありました。その時、私が星を4ケ付けることは、むやみに付けることではないのだなと思いました。この方に、何かがあったのです。自ら生きてきた人生が、神様の前で答がみなあったのです。そうだなと思いました。私たちにはそのようなことが必要です。成功した人々は、ほとんど成功的なスケジュールがあります。ダビデがそれを持っていたのです。あなたがたが今日新しく始めて、この祝福を整理すべきです。ところが、私が皆様に必ず聞いて欲しい話は何でしょうか?私たちは成功できるいくつかのことを必ず記憶しなければならないのです。
 
・その最初が、根本的な解決からしなければなりません。救いと福音です。今日の1部礼拝の時に話しました。皆様が福音に対する正確な答を出さなければ、皆様の人生の問題は解決するようであっても、できません。皆様の家庭の問題が解決するようであっても、できません。それで私は悟ったのです。牧師が多くのおもしろいプログラムと、多くのおもしろい説教で、信徒にとって福音の根をおろすようにできないようにすることが、最も悪い牧師です。私はそのように悟りました。なぜでしょうか。皆様の周囲の問題が、一生解決しないのです。私が本当に信者として、こういう祝福を受けたということがだめになります。それで、救いの明らかな根をおろさなければならないのです。福音の明らかな根です。ダビデを見ましょう。父母が私を捨てても、主は私を捨てない。主は私の羊飼い。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。私が乏しいことはありませんと言いました。主は、私の王であり、私の避け所。この話がなんの話でしょうか。救いに対する確実な答を得ていたのです。ひとりももれなく、皆様の中に信仰生活 5年以上、10年以上した方は、おられるでしょう。早くしなければなりません。皆様自身が感動しなければなりません。本当の救いの驚くべき答が、こういうことだなと、これがない方は早くしなければなりません。人生のスケジュールの中で、最初が何でしょうか?福音の根を深く下ろすことです。そのようになれば、みな解決します。それで、地球上で唯一福音という単語をおいてずっと訓練する所がどこでしょうか?私たちの教団です。単に始まったことではありません。私が考えても衝撃的です。どのように、こういう驚くべき事が起きるのでしょうか、いや私のような愚かな者が、こういう祝福を悟ることができるのでしょうか。世には立派な人々が、とても多いのに、霊的問題に陥ってみな死ぬのに、どうして私が悟ることができたのでしょうか? 神様の恵みです。訓練を始めていままで、20ケの訓練が続いている所は、私たちしかありません。驚くべきことです。新聞にひとつ出さないで、紙に付けることもしなかったのに、ずっとたくさん集まります。驚くべきことです。全世界が起きています。 福音の奥義です。私はこれを1つや2つ悟ったのではありません。かわいそうにも、多くのクリスチャンたちが、福音の深い根をおろすことができなくて滅びるのです。救われているのに、やられてしまうのです。スケジュールの中で、一番最初に、それにならなければなりません。やさしい例を上げます。パウロがキリストに会って、自分の人生を完全に変えてしまいました。この時から終わったのです。2番目のスケジュールが何でしょうか? 私たちの体質です。皆様の体質が、福音を少しだけ知るようになれば、答えの門がぱっと開くのです。この時から来る3つの秘密が、福音の中に全てのものがみなあって、伝道の中にあらゆる時刻表があって、祈りの中にあらゆる力がみなあるのだなということです。この祝福を私たちのインマヌエルのすべての信徒達が受けるようになることを、本当に主の御名によって祝福します。この通りにあるようになることを希望します。このようになれば、私たちに専門化、世界化、福音化の祝福がくるのです。これが、私が知っていることでは、4番目に持たねばならないスケジュールです。その次には、最後にどんなことが来ても、私たちには機会です。問題になる必要がありません。私たちには、多くの条件があります。どのようなことが来ても、私たちには全部機会になるのです。問題は全部、答えになるのです。ダビデと信仰人が持っていた驚くべき祝福です。今日、あなたがたの人生に、とても重要な祝福があることを望みます。
 
・皆様の人生が、今から年が取った方達は、すこしそこに合うように福音の計画を立てましょう。無理に立てるのではなく、だいたい見れば分かるでしょう? 私の場合は、あなたがたが理解をしてくださらなければなりません。私は、約15年は若くて走りました。15年は牧会しながら走りました。簡単に話せば15年は副教役者生活をしながら走りました。15年は担任牧会をしながら走ったのです。驚くべきことに、私たちの教会と多くの信徒が私を手助けしてくれました。全世界を回るようにさせてくれました。それで、私が今、これから10年間は何をするのでしょうか? 本格的に一千万弟子を立てる運動をします。 残りの10年間は、今は弟子を所々に立てる働きをするはずです。スケジュールが明らかではないでしょうか? 皆様の人生は、そそんなに長いこともありません。年齢がすでに 40-50になった方達は、多くの部分が入っているでしょう? これを今、知るべきです。ダビデが自ら成功になる神様の計画とスケジュールを知っていました。私たちは、信仰生活しながらこれを捕まえねばならないのです。皆様一度しかない私たちの生涯に、神様がインマヌエルという教会に世界福音化と首都圏福音化のために呼ばれたのです。祝福を受けるように願います。あなたがたが、各々このスケジュールを作れば、神様はそこに答えを下さるはずです。難しいことは何にもありません。皆様の生涯に、パウロのように、ダビデのように大きい人物が持った驚くべきスケジュールがあります。それでもう一度お話しします。あなたがたが、福音に対する完全な理解をしたら、霊的問題も解決します。誰でもみなそうです。ならないのならば、ここに答をさがせばよいのです。技術も、色々な人間関係も、重要ですが、皆様が本当に福音に対する福音体質ができる時、周囲に多くの門が開かれるようになります。この二つがとても重要です。この時、はじめて三番目の段階がきます。皆様の事業と、しているすべての仕事に福音と伝道、祈りがどれくらい重要か分かるようになるはずです。福音は、すべての問題の解決であり、福音の中には、全てのものがみな入っていて、伝道はあらゆる時刻表で、祈ってこの祝福を味わうのだな! と分かるようになっています。このようになれば、未信者があなたがたについて来ることができない祝福を受けるのですが、それが専門化です。答えられるようになっています。すると、私達がこの地に生きていきながら、どれくらい問題が多いでしょうか? 全部、機会です。私達が、この地に生きていきながら、どれくらい葛藤が多いでしょうか? 全部、機会になります。皆様の過ぎた日の困難が変わって、証しになる大きい祝福があるようになることを望みます。過ぎた日のあらゆる溜息と苦しみが、全部、賛美になるように願います。このようになるようになっています。みことばを結びます。
 
・あなたがたは、もう一度確認せねばなりません。世界福音化の主人公です。福音を持ったあなたがたが、今、これは単にできた教会ではありません。記憶すべきです。最初に記憶せねばならないことは、まさにダビデが知っていたように、あなたがたは、世界福音化をするために呼ばれた神様の子どもであることは確かです。これを本当に悟るように祈らねばなりません。その時から変わるはずです。そうでなければ、皆様が行ったり来たりしても、できるようになりません。私は弱いけれど、神様の子どもであるゆえに、神様の子どもとなった祝福を、全地に、他の人に言える人として呼ばれました。そして、世に多くの悪い色々な方法が優れているように見えても、結局は草のようになくなるようになっています。すると、私たちはどのようにせねばならないのでしょうか? 皆様の人生をダビデのように、皆様の人生を今から新しく始めねばならないのです。どのようにでしょうか? 私たちの家庭と個人と家系に、福音の根から下ろさなければなりません。すると、霊的問題がすっかり解決するようになっています。福音体質が良くならないのでしょうか? 私達が福音体質になれば、皆様の子ども、そばの人に影響が及ぶようになっています。その時から何がくるのでしょうか? 貴重な祝福が現場にき始めるのですが、この時、福音、伝道、祈りというやさしい話、基礎的な話を知らずにいているのですが、その時になって理解できるのです。このような時に何がくるのでしょうか? 絶対に未信者が皆様についてくることができない専門化の祝福を、そのどんな将軍もダビデを追ってくることができなかったようになります。それで、皆様に起きるすべての問題は、機会になるはずです。特に祈るように願います。
 
・衛星で礼拝するすべての教会に、全世界にみことばを聞く方達が祈ることができる、祈りの課題をいくつか差し上げます。5月から伝道合宿を始めます。私は大きい覚悟で始めます。ソウル・インマヌエル教会に 2,000ケ所の弟子を植えます。これが私の覚悟です。すると、神様がどのようになさるでしょうか? 残りは責任を負われるでしょう。あなた方は、行って弟子としなさい。その後に何とおっしゃったでしょうか? わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。そうすると良いでしょう。釜山も場所がなくて、教会が狭くてむずかしいのです。釜山に 700ケ所弟子を入れます。神様がともにおられます。それが伝道合宿という、弟子を探す開始です。それで、ものすごく重要な出発をするのです。しかも、ひとつ今は全世界にレムナント共同体訓練を始めるようにしました。祈ってくださるように願います。そのうちのひとつ、私たち未来指導者訓練の学生達が 5.12日から国道を徒歩で行進するようにしました。祈ってくださるように願います。神様があなたがたに今日、ダビデが受けた祝福をくださって、それを持って新しい人生を必ず始めることを主の御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
 神様に感謝申し上げます。私たちは人なのですが、神様の子どもであり、未信者のように失敗する者にならないようにさせてくださり、また私達は動物のように食べて寝る者ではなく、神様の驚くべき恵みを受ける神様の子どもとして呼ばれたことを感謝申し上げます。この方達とインマヌエルとすべての伝道者が、伝道者であることが確かならば、神様が答えられるはずです。保護されることを確信する貴重な日になるようにしてください。不信仰の現場に未信者とすべての不信仰の勢力が草のようになくなる事実を悟るようにさせてください。今日、ダビデのように新しい人生を設計する祝福の日になるようにさせてください。生きておられる主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン